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2012-10-18(Thu)

朋有り遠方より来たる

2012年10月18日(木)
昨日の強い雨は上がったものの、今朝も曇天。
起きてみないと解らない、自分の体の調子。今日はどうだろうか、とびくびくしながら目を醒まし、暫くのアイドリング時間を経て朝のルーティンに入る。

午前中調子が悪い事が多いのは、恐らく寝る前に飲む薬のせいだと解っている。しかし、以前別な薬に替えてもらったり色々試した挙げ句、今のが一番合っているという結論に達したので、仕方が無い。
これから寒くなり冬を迎えるが、免疫低下中の人間にとっては正念場である。
あったかいと思って油断したら気温の日格差にやられるコース、風邪かと思ったら肺炎コース、気圧の急な低下で脾臓やリンパの腫れがきついコース…の他に、世間でもインフルエンザや得体の知れないウィルスだのがはびこる。というより湿度が下がることによって感染リスクも高まるというか。マスク必携である。本当は感染者がゴホンときたらすぐマスクしろと言いたいが。
なんだかんだ言って(何度も言ってるけど)、防疫の第一はうがい、手洗い。
基本中の基本なわけで、しかも最も効果的。これをしっかりやっていると自分のような人間でもけっこう、「低値安定」で生きていられるものだ。もちろん抗真菌薬や抗ウィルス剤や抗生物質は服用してるし、肺炎の薬も予防的に吸入している。こんな状態でも一昨年の夏以来、入院はない。偉いなー自分。

午前中は調子が悪い事が多く、それでも上記の薬は飲まねばならないので、無理やりに何かを食べ流し込み「食後服用」の薬を飲む。そして何かが胃に入ると必ず下る。これが一度で済むときはいい感じで、二度三度…と午後まで続くときは疲弊してぐったり動けなくなることもある。
まあ、もうそんな事言ってられないけどね!

…で今日は、割合調子が良い。起きてみてホッとするいつもの朝。
最高に調子がいい時は朝食を食べても下らず、しかも自転車で鼻歌交じりに買い物に行けたりするのだが、そんなのは月に数度あるかないか。普通の人にとっちゃ普通のことなんだろうし、ひどい下痢で動けないというのがむしろ異常だろう、でもそれが逆転しているのが病人。
でも生きなきゃ死んでしまう。
そして生きていれば、いい事もある。新たな出会いもあるし、そして再会もあるのだ。

今日は午前中に飛び込みで入れて頂いた仕事の納品を終え、午後からは旧友と会う予定があった。
高校の時のクラスメイトのS君で、卒業以来会っていないから、つまり30年ぶりということになる。奥さんの社員旅行に同行し、昨日まで大阪に二泊し、京都へ移動してきて、明日はもう関空から函館に帰るそうだ。京都の夜というか夕方は社員旅行の一同にまた合流するそうなので、自由時間はこの午後数時間だけ、ということ。
そういう貴重な京都観光の時間をこの「再会」に当ててくれたわけで、申し訳無い気持ちである。

彼の宿の関係から、恐らく一番解りやすいであろう「四条大橋のたもと」というベタな場所で落ち合うと、奥さんも一緒だった。もちろん初対面で、せっかくだからと四条大橋のど真ん中で写真を撮ったり撮られたり。(画像データは彼のカメラで撮って貰ったので後で送ってもらおう)
一応ニワカとはいえ京都市民なので「あそこが比叡山で、こっちの先が鴨川デルタになっていて…」と簡単に地理関係を説明して、「そういえば京都市内は観光してないの?」と聞いたらそうだという。
でも奥さんが足が痛いということで、あちこち観光というのもしんどそうだったから、じゃあ近くの「京都っぽい場所にでも」とゆっくり散歩がてら、話しつつ歩く。
ここで宮川町とかへ行かず、敢えて縄手を上がって白川北通り、辰巳大明神の方へそぞろ歩き。四条通りは観光客や修学旅行の学生もいて大賑わいだが、こちらの方はそれほど人がいない。そして町屋(だいたいリフォーム済みだが)も並んでるし、「京都っぽいでしょ?」と言うと二人とも「そうだねー」と言って写真を撮っていた。

それからウチは今もの凄く散らかっているので場所だけを教えて、三条京阪へ抜けて喫茶店で休む。
その喫茶店には「あずきコーヒー」があった。俺は聞いたことはあるが飲んだことはなかったから、店員の女性に「これ甘いんですか?」と馬鹿な事を聞いてしまった。店員さんはにこやかに「甘くはなく、そのまま飲んでもいいしお砂糖を入れてもいい」というので、三人ともそれのホットにする。よく考えたらあずきと言っても砂糖で炊くわけじゃないんだし、焙煎するとかして出すもんだよな…と赤面。
運ばれてきたのは一人前ポットで3杯分くらいあり、二杯目はちょっと甘くしたりと楽しめて、なかなか美味しかった。

そんなわけで、世間話からこちらの波瀾万丈(?)の話、病気の話をしたり。S君の奥さんも大病をされたそうで、「健康優良児」の旦那を差し置いて病気話に花が咲く。マルク痛いよね、とか採血の項目がツーカーで解るとか、病気や入院経験者ならではの意気投合的な会話。S君すまんです。
あとは地元の話なども少し教えてもらったり、楽しく話して時間を忘れた。
俺が脾臓が腫れていて、気圧の関係で飛行機にはもう乗れない。「早く北海道新幹線通るといいね」と話す。そういやお袋も同じ事を言ってたっけ。お袋の場合は鼓膜か三半規管か何か知らないが、飛行機は耳に激痛が走り、もう絶対乗れないと言っていた。やっぱり気圧の関係だろうか。

4時をまわって、「もうそろそろじゃないの」というと「5時に清水の仁王門に集合」だとのこと。タクシーでさっと行けば十数分で着くけど、せっかくだからあの辺のお店見たり、七味屋寄っておみやげ買ったりしていけば、と話す。
S君はおみやげだと地元・上磯の立派なひじきを一袋と、北海道限定の「じゃがポックル」をくれた。その上、喫茶店の会計も「いいよ、今度驕ってよ」と言って出してもらって、いやもうほんまに申し訳無いです。
こちらの近況も知ってくれているので、再スタート祝だから、と言ってくれた。
タクシー乗り場は喫茶店を出てすぐ。二人と握手をして「また会おう」と約束をし、手を振ってタクシーを見送った。

S君とは高校時代クラスメイトだったが、こちらはいわゆる軽音部(正式名称はフォーク部だったが、フォークはとうに廃れていた)でバンド三昧、彼はサッカー部ということもあって、あまりプライベートでは付き合いは少なかったが、苗字が同じサ行、なので五十音で並ぶといつも席が近く…というか俺の前だった。
うちの高校は(今では少子化で近隣の公立校と統合してしまい、名称も変わった)五稜郭公園を庭のようにして使っていたり、共学私服で偏差値的には公立校では二番手だったせいもあり、校風は自由で大らか。ガリ勉もいたしちょっとしたワルもいた、でも本物のチンピラDQNみたいなのは入って来られなかったし、本当に楽しくていい学校だった。文化祭は特に力を入れており、「行灯行列」は市内でも名物と言われるくらい盛りあがった。
そういう青春時代を一時期「共有」した仲間だから、当時の関わりはそれほど深くはなくても、30年という時間は瞬時にフッ飛んで懐かしい気持ちになる。だいたい、このトシになると濃密だった十代後半の日々、思い出はたくさん残っているのに、5年前も10年前も記憶はあんまり変わらない。威張れる事ではないが。
なので四条大橋で顔を合わせて笑顔を交わした時も、瞬時にお互い「変わってないねえ」「いや俺は変わったよ」「いや変わってないよ」みたいに、すぐに話が弾んだ。

出来ればもう少しゆっくり、本当は酒でも飲みたかったが、それは次回、こっちがちゃんと生きて、働けて、そうして驕ってやる約束である。奥さんは「キンキの煮付けを作るからぜひ食べてね」と言ってくれたし、北海道新幹線が通るまでは死ねないなこりゃ。
十年生きられたら奇跡、もう7年、そろそろ奇跡の部類につま先か足首くらいまで入ってるだろう。
じゃあどっぷり肩まで漬かりますか。
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コメント

どろんこ道

人生、どろんこ道が続いて、ぬかるみに足をとられながらも進むと、
ふと曲がり角の向こうに一休みできるベンチのようなステキなことがあったりする。
読んでて嬉しくなりました。

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No title

たまに拝見させて頂いてる者です。心のどこかでどこかの本などに求めていた読後感を頂きました。生きる、生かされるってどういう事か…おぼろげに気付かされる事があります。
今後も読ませて頂きます。失礼いたします。

コメントどうもです

左のメール欄やコメントなどで、励ましをたくさんいただきました。ありがとうございます。
先日、井坂洋子さんからクッキーをいただいたんですが、そのお礼のお電話の中で、ご縁があってまた編集として仕事をさせていただけることになりました、と報告したところ、
「本当に奇跡ね、きっと紫さん一生懸命探してくれたんだわ」と言われました。
自分でも不思議なご縁で、また本当に、奇跡だと思っています。
張り切りすぎて体をこわさないよう気を付けつつ、これまでの経験を活かして頑張りたいと思います。

とりあえず、足腰はここ半月でずいぶん鍛えられてきました。やはり多少なりとも運動はしないといけないですね。
心身共に、いい方向へ向かうように…向けないといけないと思いました。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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