2007-05-09(Wed)

■1 やまだ紫、「COM」との出会い

白取:漫画家になろうと思ったのは漠然といつぐらいから?
やまだ紫:高校生ぐらいかな。物心つく前に亡くなった父親が絵描きで、私も小さい頃から絵ばっかり描いてるような子で、漠然と絵を描いて仕事にしていきたいと思ってはいたけど。父親の描いた戦後の進駐軍の外人の肖像画がシルクスクリーンで何枚か残っていて、それがすごく綺麗で、そういうのを中学生くらいの時に見て。
白:漫画という形式ではいつぐらいから描きだしたのかな。
紫:高校出てからかなあ。鉛筆描きでコマ割とかして描いたりは高校時代からしてはいたけど、原稿という形で投稿を意識したのは高校出てからじゃないかなあ。
白:その高校を出た年・1966(昭和41)年がまさしく「COM」が創刊された年なんだね。いちおう12月なんで「67年1月号」ということになるから、「COM」の創刊は67年だと思ってる人が多いみたいだけど。で、やまだ先生はデビューが「COM」なので、まずは「COM」のことから始めますか。雑誌の創刊は「ガロ」が1964(昭和39)年なんで「COM」より先だったんだけど、「ガロ」のことは創刊当時は知ってたの?
紫:見て知ってはいたけど、「ガロ」は水木(しげる)さん、白土(三平)さんとかつげ(義春)さんとか男の人ばっかりで入っていきづらかったと思う。
白:白土さんの作品は好きだったんでしょ。
紫:そうそう、貸本時代から白土三平さんの忍者ものとか九ノ一ものね。忍者の子供が父親に教育される様を描いたのがあって、父親が麻の木を一本植えるわけ、麻は伸びるのが速いから、一日一回飛び越えていくといつの間にかジャンプ力が鍛えられるという。
白:「忍者武芸帳」ですな。
紫:そう、それを読んでこの人はモノを知っているなあ、山の人なのかなあ、とか思ったりして。あと九ノ一が男の忍者に追いかけられて、服を脱がされて素っ裸になって逃げるところがあったりして、ちょっとエロチックに感じたりした。
白:でも、「ガロ」には投稿するに至ってないのは、やっぱり雑誌の印象がまだ当時は年齢が高くて男っぽかったから、という。
紫:そうね、それと「COM」との出会いが強烈なものだったから。当時世田谷の三宿にあった実家にまだ住んでいたんだけど、その近辺の書店をやたらめったら歩いて本を探すのが好きだったのね。でその時はいつも行かないんだけど、たまたま池尻にあった本屋まで足を伸ばして、立ち寄ったら棚ざしになってた「COM」があった。読んでみたら、デビューしたての岡田史子さんの作品が載っててね。岡田さんの絵のタッチとか、だるい感じのストーリーとか、たぶんムンクをモデルにした漫画なんだろうけど、とても自由に描いてある作品で。そういうのが載ってる雑誌を見たのは「COM」が初めてだったから。「こういう自由な雑誌があるんだ」と感激して、帰ってすぐ投稿作品を描き始めたの。
白:岡田さんの作品とそれを掲載していた「COM」という雑誌そのものがきっかけになったわけね。
紫:それ以前に少女漫画雑誌に投稿したことはあったんだけど、何の返事も無かった。漫画の投稿形式を知らなかったし、まあ問題にされなかったんでしょ(笑)。で「COM」の場合は最初に送ったあと「あなたは原稿の描き方を知らないからちょっと来ないか」と言われて。行ったら他の人の原稿を見せてくれて、その後自分で漫画の描き方の本みたいなのを探して、それから初めて墨汁とペンで描くということを学習したわけ。
白:それもすごい話だなあ。
紫:すごい汚い線で、しかも黒インクを万年筆につめて描いたりしてたから、線の太さも均一でなかったり、そもそも原稿の大きさも違ってたしね。そういえば当時は今大学(京都精華大学:マンガ学部)で同じ教壇に立たせてもらってる竹宮惠子さんも入選してるのよね。みんな最初からよく漫画の描き方知ってたよね(笑)。それから私はデザイン事務所へ入ったんだけど、「COM」へひんぱんに投稿するようになったら、年間新人賞みたいなのを獲ったの。
白:正式な入選は1969年5月号に『ひだり手の…』(青春-実験まんがコース佳作第1位)という記録になってるね。
紫:最初に載った後は作品を描くと「COM」が載っけてくれてたから、その原稿料で食べていけるような状態だったと思うよ。なのでデザイン事務所は辞めちゃったのね。あと実は「COM」のあと、「ビッグコミック」に一回佳作入選してる。
白:おお! それは初耳だ。ビッグコミック賞(68〜77年)ってもんの凄〜く入賞が難しいので有名な伝説の漫画賞っすよ!
紫:そのときのビッグコミック賞が御厨さと美だったかなあ。私は佳作(笑)。
白:いや、実は調べたところによると、全18回のうち「ビッグコミック賞」そのものを受賞したのは70年(第4回)の戸峰美太郎と75年(第14回)の一ノ関圭のたった2人っすよ! だからあとは皆佳作か、準佳作(やまだ紫のほかの顔ぶれは谷口ジロー、日野日出志、西岸良平、御厨さと美、諸星大二郎、弘兼憲史、わたせ青三…とこれまた物凄い)。なんでそのままビッグコミックには行かなかったの?
紫:そうねえ。普通佳作まで取れればその後はどんどん描けば良かったのにねえ。でも何か食指が動かなくて…。雑誌にシンパシーをあまり感じられなかった、というと語弊があるかな。それはもちろん当時の私の個人的な思い込みなんだけれども。「何をここで描けるんだろう」ということを考えると、ああいうところは編集と作家とアシスタントがいて…みたいな関係が綿密に決まっていて、自分が単身入ってもかなりの苦戦になるだろうし、傷を負うか筆が変わるかどっちかだろうと思って、やめたんだと思う。
白:なるほどね。大手の漫画誌の世界は新人作家には担当がついてしっかり「教育」するからねえ。産業の中での位置関係とか歯車みたいなものもカッキリ決まってるし、とにかく「COM」の方が自由だと思った、というか。
紫:実際自由だったよ。まあ私の場合とことんメジャーには縁遠かったんだろうね(笑)。
白:当時の「COM」で描き手同志では…。
紫:当時私がいいなと思った人では方倉陽二さんという一コマ漫画の作家さんがいて。歳も近かったせいもあるし、年賀状のやり取りくらいしかしてなかった人だったんだけど、この人は九州にいたのが、ある日突然「東京で仕事をしたい」と手紙で言ってきて。そんなこと私に言われてもどうしようもないから、「COM」の編集の人に相談したの。それから皆でアパートを探したり、虫プロの方でアルバイト先も見つけてくれて。それがスタジオ・ゼロ
白:ほおお、それは大変なところを。ていうかいちいち凄い話ですな!
紫:それがきっかけになって、他の「COM」の新人さんたちも続々と上京したり、在京のメンバーとも交流が深まったわけ。当時の私たちのメンバーは、私と方倉さんのほかには芥真木(あくたまき)諸星大二郎(当時は諸星義影)、畑田郎、ガンケ・オンムとか…。
白:これまた凄い顔ぶれで。「交流」というとどこかへ遊びに行ったりとかした?
紫:うん、海行って民宿泊まったりとか、あと箱根の方へみんなでキャンプへ行ったりとかしたっけ。お酒持ち込んでね、外でBBQしたり。みんなそういうのが初めて同士の集まりだから、キャンプでの自炊なんかどうしたらいいかわからなくて、結局まあ女の子がやるしかないわけ。私は子供の頃から料理やらはやらされてたから良かったけどね。で、そのとき味噌汁を大鍋で作ったんだけど、出汁と具はあったんだけど味噌が足りなくて、みんなが飲んで「薄い薄い」って言うわけ。で私が「じゃあ醤油を足そう」って言ったのね、味噌も醤油も原料は同じだから。そしたらそういう道理を知らなかったらしくて、方倉さんが「そんなのダメだよ!」ってなぜか強硬に反対して。でも私が知らないフリして鍋にスキを見て醤油を足したわけ。でハッと振り返ったら私の背後にいつの間にか片倉がいて、私のことを殺しそうな目で見てるわけよ(笑)。これしきのことで何て顔すんだと思った。でも結局その後みんな美味い美味いって食べてたけど。
白:そこは諸星さんも一緒だったんでしょ。
紫:諸星大二郎は酒飲めないのにみんなと一緒の調子で飲んじゃってねえ。「さあ寝よう」という頃になったら雨がパラパラ降ってきて、キャンプ場の小さい小屋、みんなで雑魚寝する場所なんだけど、そこへ行ったわけ。そしたら諸星がちょっと「トイレ行ってくる」って行って出てったきり一時間くらい戻ってこない。さすがに心配になって誰かと二人で見に行ったの、懐中電灯持って。そしたらトイレの前の砂利が敷いているところに大の字になって口開けて寝てた(笑)。もう少しで溺れ死ぬとこ。しょうがないから二人で雨の中、びしょ濡れの諸星をかついでエッチラオッチラ帰ってきたよ。
白:へええ。陸上で溺死寸前(笑)。
紫:お酒にはからきしダメな男だったんだけど、諸星さんは性格的にちょっとキツいところもあってね。普段は茫洋とした感じなんだけど、思いがけず人の肺腑をえぐるようなことを言うところがあった。女の子が失恋したというようなことがあると、みんなは察してそっとしておいてあげるんだけど、そんな時に諸星は「フラれたね!」と。その子をブスリと刺しちゃうようなところがあった。そういうのを楽しんでいるような感じもあったかなあ。後の作風にもちょっと出てるかもね。彼は「COM」に描きながらもあらゆる雑誌に投稿をしていたようで、能動的にやってて、偉いなあと思ったよ。
白:メジャーではジャンプで手塚賞もとった(「生物都市」1974年)しね。俺は当時まだ子供だったんだけど、そのジャンプは今でも鮮明に覚えてる。凄い誌面的に違和感がある作品で、ジャンプという場に。あの人間が植物とかに同化していくような絵とか、もうこんな作品初めて見た、と興奮したのを覚えてるし。
紫:まあでもああいう作品は水木(しげる)さんも描いてたんだけどね。今思い出したけど、「COM」当時のメンバーとは後で私が「ガロ」で描くようになって、「COM」もなくなっちゃって、その後全員がそろうようなことは無くなったけど、個別には話したり会ったりすることもあったのね。その頃私は真崎守(まさきもり=峠あかね)さんの作品がいいなあと思っていて、本人とも会ったりして感化されてたりする部分もあったりしてたの。でいつだったか真崎さんのところへ遊びに行くことになったのね。それで諸星さんに「面白い人がいるから諸星さんも一緒に行こうよ」って誘ったわけ。ちょっとびっくりさせてやろうと思ったから、誰に会いに行くかは言わずに連れてったの。それで「こんにちは〜」なんて仕事場へ入ってって話を始めたら、真崎さんがいきなり諸星さんのことを批判し始めたの。
白:え、ご本人を目の前に? 真崎さんは諸星さんだと知ってて?
紫:そう、知ってて。「こんなものを描いていて続くわけがない」とか、もうかなりキツいことをバンバン言って。諸星さんも途中から怒っちゃうし、気まず〜い感じでね。帰り道はもう諸星さんは気分害して怒ってるから、私は悪気はなかったし、ただただ申し訳ないと思って謝って。その後もずいぶん何度も謝ったんだけど結局許してもらえなかったみたい。だからその時のことをずっと怒っていたんだと思うよ。後に何かの時に私が「ガロ」のことで諸星さんに一文お願いするようなことがあったのかな、そのときに「僕ぁガロ嫌いだから!」って言われて。別に自分が「ガロ」を嫌いなのはいいけど、何でそういうことを言うかな、もっと言い方があるだろうって思ったよ(笑)。まあそういうところは変わってないな、と思ったけど。あの時もまだ怒ってたのかも知れない。真崎さんも当時諸星さんの才能にちょっとジェラシーみたいのがあったのかも知れないし、その辺は解らないけどね。
白:そういえば、貴女が「COM」に進むきっかけになった岡田史子さんとは?
紫:あ、もちろん私は同時すごく岡田さんと話したかったのね。「赤い蔓草」(1968年12月号)とかも大好きだったし。でもあの人は凄く変わってて、人を避けるような暗いというか、そういうところのある人で。結局ちゃんと話したことは無かったな。何かの集まりとかがあって、こちらから話しかけても返事が無かったりしてね。そのうち(岡田さんは)「COM」の編集さんと親密になって、「北海道へ心中に行く」とかいっていなくなっちゃったり、「やっぱり死ねなかった」って戻ってきたりとかいう話を聞いたことがあるけど。岡田さんはその後もったいないことに作品を発表しなくなっちゃってね。
白:先年お亡くなりになったもんね…あれはショックだった。(関連…「岡田史子さんが亡くなった」)…そうそう、「COM」といえば手塚治虫先生とは?
紫:最初にお会いしたのは確か、大阪で「COM」関係のシンポジウムみたいのがあって、私も呼ばれて新幹線で行った時かな。こちらはもちろん、すごい人だからと思って生唾モノで待っていたら、「あ、どうもどうも」みたいな普通のトーンで入ってきて。「やまださん? ああ、僕の姪っ子にそっくりだなあ〜」ってニコニコ笑っておっしゃって。私の方も「ああ、父親の顔にそっくりだなあ」と勝手に思っていい気分になったりして。
白:確かにちょっと似てるよね、貴女のお父さんと手塚先生。
紫:私の作品も凄く高く評価してくださって、嬉しかった。手塚先生は威張りもせず謙遜もせず、新人にも偉い人にも誰にでも、いいバランスで普通に接してくれる人だったよ。
白:本当にそうね。ずっと後のことになるけど、俺もお会いした時はすごく普通に「ああ、ガロの? 大将(長井勝一・ガロ編集長)元気!?」ってニコニコ笑って握手してくれたよ。「ああ〜、手塚治虫だぁ〜、本物だぁ〜!」と思った。その後世間話をちょっとさせていただいたと思うんだけど、舞い上がっててあまり覚えてないし…。当時の「COM」は手塚先生の「火の鳥」が、まあよく言われる「ガロ」における「カムイ伝」のような柱的な作品だったわけだけど、当時の印象は?
紫:「火の鳥」は簡単に言うと、人間が地球上で繁茂する時代の前にもっと別の種が繁茂した時代があった、その生き物がそれぞれ地球上で文化を築いていって、間違った進化をして破滅を繰り返す、その挙句に今の人間がいるとか、あとは古代史的な話ね、卑弥呼の話とか…。そういうスケールの大きい、物凄い知識と創作能力と、それと意欲もないと描けない壮大なお話よね。
白:まさしく「漫画」という表現の限界に挑戦するようなね。「COM」以前、以後も色んな雑誌を流転しつつ、結局手塚先生にして未完に終わったものだから。
紫:「火の鳥」のテーマの一つに「不老不死」があると思うのね。よく知られているように、火の鳥を捕まえてその血を飲むと不老不死になると。それで誰かが火の鳥を捕まえて血を飲んで不老不死になるんだけど、人間の身体、肉体は物理的にどんどん衰えて行く。で結局無くなってしまっても、不老不死だから死ねないわけでしょ、だから最後は精神だけみたいになってもまだ昇天できずに生きている…という、逆に生きていることの苦しみのようなことも描いてたよね。あれはものすごい衝撃を受けたし、神話や歴史と絡み合った壮大なストーリーで、本当に面白かったなあ。
白:でもプロダクション制作じゃないと描けないね、とてもとても。
紫:うん、ああいう壮大なテーマを追い続けることができる、一点集中でその創作に専念できるというのは、ある程度キャリアを積んだりそれなりの待遇を周囲が、媒体とかも与えてもらえないとダメだよね。それで自分をフォローしてくれる人たちの塊で、集団で前へ進んでいくことが出来るということでしょ。男の場合は特にそうで、家庭を顧みずに「創作活動」に没頭、邁進できるというか。女の場合はそういう強い確信的な意欲がそもそもない場合が多いし、結婚もする、子供も産むということになると軸足をどこに移すかということもある。生活という部分を大事に考えると、どうしても漫画のことばかり考えてはいられないと思う。
白:まあ色んな意味で「恵まれた環境」にある人は別だけどね。
紫:だから女で一国一城の主になろうとすれば、結局そういったもののどれかを犠牲にしなければならないわけで。男の場合は多少家庭を犠牲にしても子供を「生ませること」はできるわけでしょ。でもお腹を大きくしてって産み、育てるのは結局女任せということが多い。男の作家が周辺と集団になって作品制作を主軸に突き進んで行けるのは、先生を頂点にしたヒエラルキーみたいな力関係がキッチリ構築されているから、意思の疎通とか方向性なんかでもうまく行く場合が多いでしょ。でも女の人がそれをする場合は企業感覚というか、上から見た力配分がうまくいってなくて、「先生の力」だけに集約させるような傾向が目立つように思うのね。
白:どういうこと?
紫:つまり男ではちゃんとした「社長〜部下」という序列があるんだけど、女のプロダクションだと女王様の中心にアシスタントという働き蜂が囲んでいて、その働き蜂同士の中での力関係が非常に危ういものがあるんじゃないかと。
白:ああ、縦の序列というか力関係を組めるのが男社会で、女社会はフラットな同心円の中心に先生がいて、取り巻きが周辺にいる、みたいな。
紫:そうそう。それを外から見ていると、その働き蜂つまりアシさんたちは自分の先生に内緒でよそのアシさんと交流があったりするのね。その情報交換のネットワークみたいなものって、実は非常に緊密なのよ。私みたいな一匹狼じゃないけど、一人でやってるところまで情報が流れてくるからね。それはたまたまいつものアシスタントさんじゃ手が足りないとか、都合がつかなくて編集部に頼んで来てもらった人が少女漫画の人だった、なんて場合なんだけど、そういう人がけっこう不用意に内幕をしゃべっちゃったりするもんだから。私は関心ないふりをして聞いてるけど、内心「濃いなぁ〜」と思って聞いてるんだよね(笑)。けれどそういう働き蜂たちに囲まれている女王様たちってのは、実は権力欲というものをそれこそ男並にしっかりと持っていて、私みたいなそういうところには全く無欲な人間からすると、大変だなぁ〜と思うよ。まあもちろん中には少女漫画の人たちでも、「純粋に先生を守る!」という人たちもいて、女王様を囲む同心円の一番内側に近い部分はそういう人らで固められてはいるんだけど。それは先生の側でもちゃんと見極めてはいるんだろうしね、でもどうしても手薄になる部分というのは出てくるでしょ、キッチリと城壁があるわけじゃなくて、その同心円自体も辺縁部分はふにゃふにゃしてて案外入れ替わりがあったりして。そういうところから漏れてくるんだなコレが。
白:漫画も「マス」の世界でやってこうとすると、男も女も集団で制作する体勢、つまりプロダクション制を構築しないとならんわけで。そうなると人間の集団だから、色んなことが出てくるという。まあ人の上に立ってアレコレ命令するとか権力欲とか、そういうところから一番遠いところにやまだ紫という人はおりますからねえ。
紫:私は権力とか派閥とか、そういうものは要らないし関わりたくもないからね。

★2につづく…けど気長に待ってね。
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2007-04-20(Fri)

述懐・COMとガロの時代 イントロダクション

このブログをよく見てくれているある人から、リクエストをいただいた。
もう「ガロ」のクーデター事件から10年。若い人でリアルタイムに「ガロ」を知る人も少なく、遡って読んでみようという熱心なマンガファンもそう多くはない。かつてあった「COM」と「ガロ」という双璧について、知っている人がちゃんと語ってくれる場があると嬉しい…というような内容です。
なるほど、確かに俺の連れ合いはやまだ紫、「COM」でデビューし「ガロ」で活躍した作家の一人である。漫画界で言うと俺にとっては大大大先輩(ってあんまり持ち上げると叱られるが)でもあり、俺にしても聞いてみたい興味深い案件はたくさん、ある。一番頭に来るのは、時間が経ったり生き証人が減ったりすると、見てもいないのに平気でその場に居たかのような「ウソ」をつく人間が出てくることだ。前にも自分のサイト内の文章で指摘したことがあるが、末期「ガロ」のこと、特に長井さん引退〜山中社長への過渡期を知ってるのは俺とY先輩しかおらず、さらにそこからクーデターまでをその場で経験していたのは俺たった一人しかいない。なのに、まるで一緒に働いてたのかよお前、みたいな奴が当時のことを俺に聞きもせずに嘘八百を書いたりしているのを見ると、本当に世の中って、いやマスコミって怖いな、と思う。
実は「COM」と「ガロ」両方で活躍し、今も現役という作家は意外と少ないのだ。やまだに聞いてみた。

:そういえば「COM」と「ガロ」両方で描いていて、今も現役って人はいるかな。
:うーん…そう言われてみればいないかも、ねえ。
:諸星(大二郎)さんは「ガロ」には描いてないしな。
:それに諸星さんは「ガロ」のこと大嫌いだと言ってたし(笑)。
:へええ。それって面白いなあ。諸星さんは『ジャンプ』のデビュー作をリアルタイムで見て衝撃を受けた記憶、はっきりと残ってるけど、「COM」デビュー(諸星義影名義)だっていうのはずいぶん後になって知ったんだよなあ。
:あとは…あ、永島(慎二)さんがいた。
:そうだ、永島先生はそうだよね。でも残念ながら亡くなられてしまったし。古川(益三)さんは漫画家というより今や実業家(笑)として大成功されているしね。
:どっちか、という人が多いんだよね。「COM」は期間も短かったし。
:でも両方知ってる作家さん、という立場からいろいろ話を聞かせてもらえると嬉しい…と思ってる人がたくさん居りますよ。

…我々もそういう役回りと、時期に来たということでしょう。というわけで、時々「COM」や「ガロ」のことをいろいろ思い出してみたいと思います。不定期連載、ですんませんが。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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