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2009-12-29(Tue)

「コミックギア」が2号で終了

漫画家だけで作る編集者不在のマンガ誌が出版中止に - Ameba News アメーバニュース

いつも漫画関連の情報を教えてくれるT君から、このニュースと関連して2ちゃんねるに立ったスレを教えてもらって、それぞれしばらく目を通した。
「漫画家だけで作る編集者不在のマンガ誌」というのはもちろん芳文社の「コミックギア」のことだけど、来年早々に発刊予定だった3号が出版中止となったそうだ。つまり2号で終わった、ということ。
このことを「カストリ雑誌かよ」と年配者のようなツッコミを入れる御仁もいたようだが、単純に考えて「売れなかったから、中止しました」という一点に尽きるのだろうと推察する。
まあ、出版不況と言われて久しいし、そのことについてはずいぶんとここでも色々雑感を述べては来た。(→考察【出版不況】
このところ聞こえてくるのは同業者、知人友人仲間たちからの「本が売れない」という悲鳴に近い嘆きばかりである。その理由を単に「不況だから」と言うのでは思考停止。

さて、「コミックギア」がスタートした時点では話題になったこともあり(業界内では)、リーダーのヒロユキ氏のアジテーションも読ませていただいた(公式サイト内で読める)。
彼はその中で

普通のマンガ誌は、編集者と漫画家が一対一で打ち合わせを重ねて作ります。
掲載されるマンガ家同士は、基本特にお互いの作品にタッチすることはありません。

それに対し「コミックギア」は
連載作家全員が、毎日一つの仕事場に集まり作業をし、
マンガ家同士が、協力し合って作っています。

と述べている。
この時点で、彼の言う「普通のマンガ誌」が恐らく、一ツ橋や音羽系を頂点とするいわゆる「メジャー系」であることが大前提であることは自明だ。それに対して「ギア」のやり方は、その対極にあると言ってもいい「同人誌的手法」であろう。
プロの編集者が介在しない本は普通、同人誌になります。
これは俺がまだ小中学生だった頃、つまり漫画家志望のひよっ子だったころから変わっていない。その当時は漫画家志望の学生たちは皆自分の学校で、あるいは仲間と「漫画研究会」「漫画同好会」というものを作り、創作に励むことが普通だった。ちなみに「パロディ」と「創作」の割合は1対9よりも創作が多かったはずだ。
漫画専門誌(「漫画誌」ではなく、評論や漫画家情報も載っていた=「だっくす」〜「ぱふ」「ふゅーじょんぷろだくと」〜「COMIC BOX」などの他にも「コミックアゲイン」などたくさんあった)の巻末にはだいたい、そうした全国のアマチュアさんが送って来た作品や同人誌(つまり漫研やサークルの)が紹介されていたものだ。
そういう「プロ漫画家を目指そう」という文字通り志を同じくする「同人」が集まって作られたのが漫画同人誌なわけだ。けれどその現場に「俺はプロの編集者を目指す」という人はほとんどいなかったと思う。というより、「編集者」という存在というか仕事の内容があまり外へ知れ渡っていなかったこともあっただろう。
編集さんのことがクローズアップされるのは、大作家や雑誌の休廃刊による「回顧」の文脈の中であったり、あるいは作品の中にチラチラとキャラクタ化されて登場させられたりすることで、「たまーに」読者が意識させられる程度のものだったはずだ。
今でこそ漫画読みや研究者には有名な、貸本時代の我が師匠・長井勝一ら三洋社の面々だって、「編集」というより面白い「出版関係者」として業界内で認知されていたと思う。(ちなみに自分の年代だと「Dr.スランプ」の「マシリト」が有名)業界に入るまでは、編集者という仕事がいったいどういう業務を行っているのかを、はっきり認識していたわけではなかった。
近年は「サルまん」「編集王」から「バクマン」まで、編集者の中でも特殊な「漫画編集者」を題材にした作品まで出て来て、ずいぶんとその業務内容は広く伝わることになったと思う。
でも、それらは結局編集者の中でも極めて特殊な漫画編集者の中でもまたさらに特化した、「大手漫画産業システムに組み込まれたサラリーマン」としての編集者である。
彼らは時には原作者のように、いや作者そのものであるかのように、担当の作品に「意見」を述べる。
今ではこうした作家と編集のやりとりも、時おりブログなどで赤裸々に明かされることも多くなったので、色々とこちらも興味深く読ませてもらうようになった。(以前なら絶対外には出なかっただろう)
自分の場合、どういう立場で作家と関わってきたかということは、これまで何度も何度も述べている(→【漫画家になりたい人へ】 )ので繰り返さないけれど、つまり、「意見は述べるが干渉はしない」とでも言ったらいいだろうか。作家さんに助言を求められれば、それは出来るだけ的確かつ効果的な回答を提示しようとする。当然だ。ラブコメにおける「不必要なローアングル」からの「パンチラ」や「入浴シーン」などとは違った意味での、「読者へのサービス」だって考える。
だが「言う通りにすれば売ってやる」「読者アンケートで上位に来るためにはこうしろ」という思考回路はない。正直に言うと「ガロ」の頃は皆無だった。「この作家さんの場合、どうすれば作家性をもっと際だたせて、個性でよそへ行って勝負できるようになるだろうか」ということはしょっちゅう考えていた。

自分が入った頃は「ガロ」の世界はもうすでに個性煌めく大変な才能に囲まれ、お陰様で漫画家への夢を完全に絶ち切ることが出来たほどだった。すでに白土三平や水木しげる、つげ義春…と言った御大だけではなく、70年代デビューの人たちは中堅となっていて、80年代からも続々と「異才」が生まれていた。
ちなみに自分が入ったのとほぼ同期にデビューされ、担当もさせていただいたのはイタガキノブオさんと津野裕子さんで、イタガキさんは当初北海道、津野さんはずっと今に至るまで富山県。つまり携帯もない頃、やりとりは手紙が主で、よほどのことがない限り電話もしなかったと思う。
イタガキさんはその後上京してきたので仲良くさせていただいたし、それ以降たくさんの作家さんと触れ合うことが出来た。

だが「ガロ」時代はほとんど、作家さんにこちらから「こうしたら」的なアドバイスをしたことは無かったと思う。なぜなら、相手を「作家」だと思っていたからだ。
作家は当たり前だがその作家性を発露として作品を創り出す。他人から「こういうものを創れ」と言われるのは面白くなかろう。そう思ってこちらから余計なことを言うのは遠慮していた。
もちろん、根本敬さんのように、作品の構想頭の中で生まれると、担当を呼び出してそれを延々と語り聞かせて、その中でまたさらに膨らませていく…というタイプの作家さんもいる。また名前は伏せるがある人はとにかく悩む人で、よく電話で話したり、呼び出されたりしたものだ、そういう人とは「こうしたら」「じゃあこういうのは」と徹底的にアイディアを出し合った。
編集の師匠である長井さんからは「褒めて伸びる人と叱咤されて伸びる人と居るからな」と言われたことがある。俺ごときが叱咤できるキャリアでも年齢でもなかったということもあるが、基本的に今に至るまで作家さんという「尊敬する立場」にある人を叱咤した経験はほとんどない。(学生はまた別、大いに叱咤した)

編集者、というのはこのように大手メジャー系と、俺のような職人系とでは、作家という相手へのスタンスがまず全く違う。もちろん俺でも(もう無理だけど)大手の仕事を任される立場になったら、それはなるべく企業の論理を反映しつつ、作家に気持ち良く作品を描いてもらいたいと考える…いかん、それじゃダメなんだな(笑)。大手の仕事の現場では、編集者は絶対的に企業側の、つまりは市場原理主義者として「商品」を生み出す漫画家に対峙する存在だから。俺には無理か。
しかしそういうスタンス、関係に乗って、うまいことスイングできる人…つまり編集が「こうすりゃ売れる」「言うとおりにすりゃアンケート上位に来る」に乗っかって「ヨッシャア!」とやっていける強いハートを持った人は、メジャーで描いていくことが出来る。
自分を「作家なのだ」とさえ思わなければ、収入と引き替えに引きこもる生活を容認すれば、今ガンガン入ってくる原稿料と印税の使い道を考えなければ、それなりに快適な生活が出来るだろう。
なぜって、今どきなら誰でも物心ついた時には側にマンガがありアニメに親しんで普通にゲームで遊んだだろう。マネして描いてみることから始まって、たくさんの友達は才能がないことに気付いてザセツしていく中、「描くことが楽しい」からこそ続けてこられたこと。それでメシが食えるんだから、こんないいことはない…。頑張って描き続けてれば、そのうちきっと自分の好きなようにやらせてもらえる日が来るんだから…。
まあその日が来るかどうかは不明だけど、そうやって歯をくいしばっている人も多いだろう。

話は「ギア」に戻るが、今、大手商業マンガの世界でそれなりに結果を出そうと思ったら、何かエポックメイキング的なことをしなければ、と思ったことは正しかったと思う。

しかし「編集者を排除した」というより「漫画家同士が切磋琢磨して作品を描き、本を作る」梁山泊的な方法は、前述した数十年前の創作同人系のサークルがやっていたことと同じだ。
ただでさえ売れない、部数がダダ下がりのマンガ業界で、「プロの編集者」の「ああしろこうしろ」無しで立とうと思った心意気や良し。
だけど、ということは、つまり、
「100%作家の実力だけで作品を生み出し、世に問う」
ということに他ならない。
それも、すでに「ガロ」がやっていたことだったのだが。そして「ガロ」は全国書店流通でありながら、原稿料さえ出せない「商業誌」であった。

今回の「出版中止」の件は、原因として色々挙げられようが、芳文社さんが望む「結果」を出せなかったこと=部数に届かなかったことが最大であろう。「ガロ」は最悪の時期、実売3000部程度まで落ち込んだこともある。
「ギア」の掲げた「編集者の介入を排すること」が『「作家性の尊重」「個性の重視」を掲げながら商業的成功をおさめるということ』だとしたら、残念ながら、経験した人間としてはとても難しいと言わざるを得ない。

★追記
つのがさんによれば、「ギア」のサイト内をちゃんと読むと、いわゆる大手の常道ほどではないにせよ、ちゃんと編集者と打ち合わせ…というか摺り合わせも行っていた、という記述があるそうだ。ならば取り立てて「画期的な試み」ではなかったわけで、つまりは、「作家の実力不足」による「売上げ不振」に原因は集約され、その責任はもちろん版元と編集者にもあるという当たり前の一事件であった。
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2008-06-14(Sat)

「金色(こんじき)のガッシュ!!」雷句誠さんが小学館を提訴

「週刊少年サンデー」(小学館)に07年まで連載されていたマンガ「金色(こんじき)のガッシュ!!」の作者・雷句誠さんが「原画を紛失された」として、小学館を相手取り東京地裁に330万円の損害賠償訴訟を起こしているという、一連の報道。
発端はこの記事だったわけですが・・・

金色のガッシュ!!:作者の雷句誠さんが原画紛失の小学館提訴

 週刊少年サンデーに掲載された人気漫画「金色のガッシュ!!」の作者、雷句(らいく)誠さん(33)が6日、原画を紛失されたとして、発行元の小学館に330万円の損害賠償を求め東京地裁に提訴した。「原画には美術的な価値がある」と訴えている。
 作品は01年から約7年間、同誌に連載された。2200万部超(32巻)の単行本を販売し、テレビアニメや映画にもなった。
 訴えによると、雷句さんは小学館側に原画を貸していたが、連載終了後、カラー原画など5枚が紛失していることが分かった。小学館側は原稿料(1枚あたり1万7000円)の3倍の賠償額を提示したが、雷句さん側が客観的な価値を探るために同様の作品をオークションに出したところ、平均25万円で売買されたという。
 会見した雷句さんは「私が小学館側の金額で判を押せば、自分より若い漫画家が何も言えなくなる」と話した。漫画に「美術品」としての財産価値を求めた裁判は例がないが、代理人は「美術館に展示されるなど、美術品としての扱いが一般的だ」と指摘した。
 小学館は「訴状が届き次第きちんと対応させていただきます」とのコメントを出した。

2008年6月6日 毎日新聞 毎日jpより


6月13日のやはり毎日jp<少年サンデー>「ガッシュ」問題で読者に“謝罪” 作者とは「今後は法廷で」と全面的に争う姿勢(毎日新聞) - Yahooニュースによると、「サンデー」編集部は読者に「ご心配をおかけして申し訳ございません」としつつも、雷句さんの訴えについては「事実とは考えておりません。今後は、法廷で当方の考えを明らかにしてゆくつもりでおります」と全面否定。つまりは今後裁判で真っ向から争うという姿勢を示したということだ。

小学館といえばもちろん、「サンデー」ブランドのマンガに限らず超大手の老舗版元である、今さら説明の必要さえない大会社だ。数多の名作を世に送り出してきた(数多の駄作も送り出してはいるが)、とにかく圧倒的にドがつくメジャーな版元だ。

週刊文春(6/19号)には雷句さんの「独占インタビュー」として「コミック編集者は人気漫画家をこうツブす!」と題した記事が掲載されている。そこには信じられないような編集者たちの悪口雑言、非礼、厚顔無恥な態度が列挙されていて唖然とさせられる。詳しくはまあ記事を読んでもらえれば解るのだけど、大手の編集にはこのような例に挙げられるような、「編集として」以前に「人間として」資質に問題のあるような人間がしばしば見られることは俺も以前から指摘してきた。
(「俺がこの作品を描かせた」「俺がコイツを育てた」とか、縁の下の力持ちであるはずの編集がこういうことを大声で言うようなら、ソイツはまあ「この種の」人間である。漫画業界に限らないけどね)

さて。
先日、行きつけの割烹料理店の女将さんに「編集、というのはどういうお仕事なんですか?」と聞かれた。確かに、編集という仕事を業界外の人に一言で説明するのは難しい。何とか「編集というのは雑誌や単行本の企画を立てて、その具体的な内容を作家さん…それは漫画家でも小説家でも写真家でも、そういう人たちに依頼して、締め切りまでに原稿や作品をもらったり、その後はそれを本に掲載するために色んな作業をするような仕事ですね」と説明した。何だかヘタクソな説明だと自分でも思った。
最近でさえ「サルまん」「編集王」などといった「内側もの」がマンガの主題そのものになるということが珍しくなくなって、編集者という職業への理解は確かに以前よりは高まったと言えるだろう。
しかし、それはあくまでも
「大手」「ドメジャー」の、サラリーマン編集者の方たちの話がほとんどで、しかもマンガ編集というさらに特殊な部分にたまたまスポットが当たっただけ。相変わらず一般の人の「編集者」像は「なんとなく本をつくってる人」「原稿催促とかしてる人」だろう。

もう二十年ほど前になるが、祖父が亡くなった時、実家のある函館へ帰省して一連の法事に参列していた。祖父は年齢的にはまあ大往生と言える年であったのと、高校あたりから正月くらいしか会わずにいたので、「ご苦労様でした」という淡々とした気持ちで参列していた。
読経が終わりお坊さんが帰ると、まあ親族で宴会になるわけだが、祖父の弟(これがまた双子のようにそっくりで「サザエさん」の波平のようなルックス)と飲んでいたら突然「ところでお前は東京で何をやってるんだ?」と聞かれた。
「出版社に勤めてる」「出版社で何やってんだ?」「編集をやってるよ」「編集って何だ、本作ることか?」「まあ、そうだね」「何の本作ってんだ?」「…マンガだけど」「マンガか、マンガっつうと『ドラえもん』か」 俺「苦笑」
…まあ田舎へ行くと、出版や編集なんて職業はこんな理解だと思う。しかも20年前だ。

じゃあ「編集者」って、何をする人で、どうあるべきなのか?

これまた前に書いたことがあるが、俺の連れ合い=やまだ紫も、偶然その後に来てくれたマンガ編集者のY氏も、ジャナ専の俺のクラスにゲストとして来ていただいた際「良い編集者とはどういう人か」との問いに二人とも
「それは、いい人のことです」と答えてくれた
ことを思い出す。

編集者って、書籍なら次の単行本はどんな本を作ろうか、雑誌ならルーティン以外の特集なり記事なりをどんなものにしようか、ようするに「企画力」が大きなウェイトを占める仕事でもある。
それを会議なりで詰めて煮詰めて、作家も含めた外部の色々な人たちへ依頼をし、それを束ね、一冊の本あるいは一つの記事なりへ収斂させていく作業が求められる。なので、「たくさんの人と関わっていかねば成立しない仕事」でもある。
つまり企画という頭の中にあるモノを現実に具現化していく際に、作家さんやデザイナさんなど、媒体によってはもっとたくさんの人の協力を得なければならない。だから企画力だけではなくそういった人たちへの人脈、アンテナなども必要だし、それらの人たちを束ねるスケジュールや進行の「管理能力」も重要なのだ。

けっこう、大変な仕事だ。

会社がでかくて専門部署がたくさんあり、分業体制が出来上がっている大手版元の場合、青焼きが折れなかったり、四色分版の色校正が見れなかったりする人が増えたそうだ。(実際大手版元の人に聞いた)
それはもう時代だからいいのかも知れないが、大手の場合は昔から写植貼りも専門の部署があるし…というか、そもそも「編集」実務のほとんどを大手編集プロダクションへ丸投げしている場合も多い。
大手版元を退職した人が独立して編集プロダクションを興したりすることは珍しくない。その編プロ業界も、大手と組んでいるところはもう「大手」であり編集実務のプロ集団だ。
ただ俺が言っている「本作りの最初から最後まで」つまり脳内にある企画から、書店の店頭に並ぶまで、もっと言えば返品を断裁するまで全てに精通している人は、「大手」にはいないだろう。
だいたいが中小零細の版元の編集者なんか、「編集」以外の仕事の方が実は多かったりする。
俺もほんとうに、いろいろな人に頭を下げたり下げられたりして、みんなで協力して一つのものを作る、という気持ちでやっていた。その人たちに「いい人であろう、と思わなければ、いいモノは作れない」とも思っていた。小さい上に信じられないほど貧乏な版元だったので、何でもやらなきゃならなかったし、何でもやる分、関わる人たちの幅も物凄く広かった。断言できるが、間違いなく「業界一」だったと自慢できる。(その上フリーになると金の計算までやるようになったし、もちろん営業までやるのは当然)
つまり「本作り」と一言で言うが、編集は、その全てに精通している必要がある。
いや、そうであって欲しいし、そうあろうと思って俺は生きてきた。自慢じゃないが自慢だけど、俺の場合はフリーになってからも大手広告代理店でのうんざりするような企画会議の連続も、決定権を持つ大会社の役員が並ぶ場所でのプレゼンも、現場でも小さなものも含めて何度も何度も経験しているし、元々の貧乏版元(笑)時代には雑誌の返品の積み下ろしから断裁、倉庫での搬出入作業、書店や取次への品出しや改装、果てはネクタイを締めて営業にも飛び回った。
もっと言えば、原稿に写植を指定し写植やノンブルを貼りそれを製版へ一度出したものをネガフィルムで引き上げ、自分らでオペーク(修正)をし、上がった青焼きを折り、貼り合せ、切って校正までやった。毎月毎月、肉体労働に加えて月刊誌の編集をやりながら、担当の書籍を受け持てばその上で書籍もやっていた。

要するに俺たち「ガロ」の編集は、たぶん、当時編集者としては日本で一番忙しく、肉体労働をしていた。そしておそらく社員編集者としては日本一薄給であった。

こういった地を這うような仕事以外に、編集にはもう一つ大きな仕事がある。
それは「新しい才能の発掘」だ。持ち込みの作品を見て指導をしたり、投稿作品を見たり、他社・他誌の作品や作家に目を光らせていたり…、要するに、編集者って自分の職場で受け持った仕事をしていればそれでいい、なんてのは一部のごく大手のエリート編集者だけなんですよ。(エリート、と言ったがそれは「編集者として優れている」という意味ではもちろん、ない。待遇がそうであるという意味)
で、その一部の大手版元には、俺のように「マンガが好きで好きでしょうがなくて、漫画家になりたかったけど叶わず挫折したけど、それでもマンガのお傍に置いてくださいね」なんて熱意と情熱なんか持ち合わせない人たちだってけっこう多いと聞いている。

あるベテラン編集者(大手の、編集長クラスの人だ)から聞いた話だが、一流四大の新卒を採用する、その後編集部志望でもなかったのが会社の都合で編集へ行かされる。にわか編集者の出来上がりだ。
むろんそこから猛勉強し、やり甲斐を見出し、立派な編集になっていく人も、そりゃあいるだろう。
でも…。

先の雷句さんのインタビュー記事を読むと、「こいつらは編集者ですらない、ただのダメ人間だな」と思う。そんな人間がのさばる雑誌って、編集部って。それでいいんだろうか? どんな編集も、アタマの中で何を考えたって、作家さんが作品を作ってくれなければ手も足も出せない。だから常々、年齢やキャリアなんか関係なく、我々編集者は「作家」には一定のリスペクトを持って接するようにしている。

つい先日、大学の講義で3回生たちに伝えたことは
「マンガの原稿は、その作家でも二度と同じものは再現できない、世界に一つしかない一点ものの絵画と同じ」
ということだった。この事件のことを知る前のことで、だいたい俺は「ガロ」時代からずっとそう思ってきたし、専門学校でもそのように教えてきた。(マンガは複製の文化なのだから原画に価値はない、という阿呆な意見をどこかで見たことがあるが、狂っているとしか思えない)
今回のようなこと=発端となった原稿紛失は、漫画家を「作家」ではなく単なる「絵描き」であると、原稿を「作品」ではなく「商品」であると重大な認識違いをしているから起きるのではないだろうか?
確かに、業界では通例として原稿紛失の際は「3倍返し」というのが存在することも事実ではある。(俺の連れ合いであるやまだ紫先生も、某大手版元で原画を紛失された時の「解決方法」がそれだった)
しかしかって手塚治虫先生が原稿を紛失された際に、謝罪にきた版元の人間が金で解決しようとしたことに激怒したのは有名な話。要するに金で解決できる問題ではハナからないのだ。
じゃあ何の問題だといわれれば、それは普段から作家と編集者の人間関係や信頼関係がちゃんと構築されていれば、ことは大事にならなかった、ということだろうと思う。なぜなら、作家にとって「子供」「分身」とも言える作品の原画は、いくら金を積まれても、二度と同じものは作れないからである。
(単行本化されてしまった=複製が出来てしまった原画に興味はない、という作家さんもたくさんおられることは知っている。でもそれは、あくまで作家さんが決めることだ)

常々ここでも書いてきたことが、何だかとっても虚しくなってしまう昨今である。
2007-01-31(Wed)

名作の継承…永島慎二『黄色い涙』のこと

黄色い涙

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きょう、永島慎二先生のお嬢さんである史さんから小包が届いた。先日俺が出した寒中見舞いへの返信と、お見舞い(?)にチョコレート、そして映画化にあわせて復刻されたマガジンハウス版の『黄色い涙』と、サウンドトラックCDを同梱していただきました。ありがとうございます。ご母堂とお二人ともお元気だと聞き、嬉しいです。史さん…というか「フミちゃん」はもう20年以上前に俺が青林堂に入った直後に、アルバイトでやはり入ってきた「同僚」として一時期一緒に働いていた。フミちゃんは当時まだ16歳だったかと思う。俺もフミちゃんも若いくせにヘビースモーカーで(未成年の喫煙は時効だから…)、やはりヘビースモーカーだった長井さんの奥さんの香田さんと3人でスパスパやっていると、長井さんに「お前ら一斉にタバコ吸うなよ、煙いじゃねえかよお。俺肺片一方しか無いんだからよお」と言われたっけ。
もう「ガロ」「青林堂」「長井勝一」などと言っても注釈が必要な時代だと思う。
「ガロ」はよく言われる形容をすれば非メジャーで表現重視の伝説の漫画雑誌であり、「長井勝一」はその版元である「青林堂」創設者・社長にして「ガロ」編集長である。そういえばもう長井さんが亡くなって11年が経つ。そして永島先生が亡くなって、1年半…。

永島慎二先生、67歳の早すぎる旅立ち でも書いたように、永島先生は俺にとっても大恩人だった。もともと俺は長井さんが漫画を専門学校で教えるというのを知り、講師陣に永島先生のお名前を発見し、漫画家になるために上京したようなものだ。『漫画家残酷物語』『フーテン』そして『黄色い涙』などの代表作は言うまでもなく、短編『かかしがきいたかえるのはなし』など、今でも大好きな作品がたくさんありすぎる。そして、思い出もたくさんありすぎる。
永島先生は若い人が大好きで、昔から先生の周りには先生を慕う若者がたくさん取り巻いていた。先生を慕うのは何も若い人だけではなく、老若男女、みな先生の気取らぬ、優しい人柄を慕っていた。永島先生のニックネームは“ダンさん”だったけど、俺なんかとてもそう呼ぶことは出来なかった。だがそんな当時弱冠二十歳の若造であった自分にも、永島先生は最初「シラトリさん」と敬称をつけ、丁寧語で接してくれた。俺は恐縮した。自分から見たら大大大先輩であり大先生である。憧れの人である。なぜ自分が60年代後半に新宿や阿佐ヶ谷高円寺近辺で青春を送れなかったかを本気で悔しがった人間で、今でもその気持ちがあるほどだ。
阿佐ヶ谷の学校へ通っていたころ、永島先生は歩いて数分のご自宅にいらしたので、時折教室へふらりと遊びに来られたりもした。長井さんとは元々飲み友達だったが、長井さんは永島先生に大恩があり、いつも必ず「永島先生」と呼んでいた。そんな先生からデスマス調で返されても、こちらはではそれ以上の敬意をどう伝えればいいのかが解らなかった。ともかく、その後自分は青林堂へ勤めるようになり、フミちゃんが入ったこともあって、永島先生と接する機会は格段に増えていった。先生のご自宅の離れにある、「紙飛行機部屋」にも何度もお邪魔させていただいたし、酒席にご一緒させていただいたこともたびたびあった。
先生が俺と話す際、いつしか「シラトリさん」から「シラトリ君」になり、丁寧語が取れていった頃は本当に嬉しかった。一度だけ、お酒の席で「シラトリは」と言われたことがある。先生かなりご機嫌で、なんか周囲で俺のことを年寄りくさいとかいう話で盛り上がった時だったか、永島先生が「シラトリはさあ、年寄り臭いんじゃないんだよ、背伸びしてるんだよ。な!」と言われた。決して年長者がデカいツラをしての物言いではない、達観した者が慈愛をもって若者に接する、優しい笑顔での発言だった。もちろん、図星だった。
当時俺は年齢が若いということだけで能力がない、モノを知らないと決め付けられることを何よりも嫌い、反発し、それをバネに意地になって本を読み漁り、それこそ寝る間を惜しんで知識を頭に詰め込んでいた。広辞苑を最初から1ページずつ熟読し、気になった言葉や表現があると「ボキャブラリー日記」というノートに抜き出して自分なりの解釈や用例を足していたくらいの「詰め込みバカ」だった。そのノート数冊(もちろん、途中で挫折している)は今はどっかへ行ってしまったが、もし出てきたらきっと恥ずかしさのあまり発狂するだろう。ともかく、そんな突っ張った状態を永島先生はお見通しだった。阿佐ヶ谷ガード下にあった飲み屋「木菟(みみずく)」で、狭い店内で何かの二次会あたりでワイワイひしめき合って飲んでいた時だったと思う。
それから十年近くたった後、「もっと肩の力を抜いた方がいいよ。楽になるよ。」とニコニコ微笑みながら言われたこともある(すでに書いた通り)。永島先生のことを思い出すと、その煌く作品群と共に、個人的なこうしたお付き合いの思い出がとめどもなく溢れ出す。

漫画家・永島慎二と聞いて、今の若い人たちは今ひとつピンと来ないだろう。それは、本書に収録されている解説で夏目房之助氏が述べているように、「漫画家」としての永島先生は貸本マンガでデビューし、70年代以降はほとんど漫画作品を描いていないからだ、と言われるからである。確かに、『フーテン』シリーズが完結した後は極めて寡作となり、80年代以降は絵本に力を入れ…なんてことが通り一遍によく記述されているようだが、実は「ガロ」に「旅人くん」シリーズを不定期ながら連載していただいたり、我々にとっては「現役の漫画家」でもあった。発表媒体が「ガロ」だったので、世間的には「作品をほとんど発表せず」となるわけで、そのあたりが漫画における「マス偏重」を物語っていると思う。

マンガって元々漫画ってだけでサブカル呼ばわりされていたようだけど、手塚漫画やトキワ荘の作家さんたちとは言わぬが、数百万部の売り上げを誇るコミック誌のどこが「サブ」なんだよ。俺ら「ガロ者」からすりゃあ同じ漫画って表現手段を使ってるだけで、そういった漫画はマスコミと同じだよ。テレビで芸人たちで「ちょっと漫画に詳しい=サブカル路線・オタク方面に色気あり」みたいなスタンスを見せる連中がいるけど、みんなたいていガンダムガンダムとうるさいか、せいぜいキン肉マンだドラゴンボールだと言うレベルだ。決して駕籠真太郎や津野裕子やマディ上原やキクチヒロノリとかは出てこないし、出るはずもないだろう。
そういえばリリー・フランキーや浅草キッドらがスカパー!と組んで東京サブカルサミット 2007とやらを開催したと話題になったが、あのなあ、ここに出てる人ら、全員ドメジャーだよ。メジャーだからサブカルとは言わぬというようなガキみたいな理屈を言ってるんじゃないよ、そもそもサブカルって言った時点でもう今は意味が違ってきてるんだから。ともかくこの中でリリー・フランキーが「今年注目のサブカル人は杉作J太郎」と述べたそうだが、杉作さん(ちなみに「ガロ」時代の担当編集者が俺であった)を出すあたりがいかにも…という感じである。このサジ加減が、マスコミ業界でサブカルを「売り物」にする極意、であろうか。

…話が逸れた。永島先生は俺が「ガロ」時代には、現役漫画家として以外に、油絵であの独特の暖かいタッチで描かれたピエロの絵が知られていると思うが、実は「趣味人」としても知られていた。鉄道模型や紙飛行機などにハマっていた時期があって、ちょうど俺がよく先生とお付き合いさせていただいていた頃は、紙飛行機に夢中でいらした。近くの広い公園へ行き、紙飛行機を飛ばすのを見せていただいたこともある。これまでの漫画家としての永島先生を慕う人たちとは明らかに別の人種=紙飛行機仲間が「ナガシマさん」と声をかけてきたりした。
『黄色い涙』は先生の「青春漫画」の代表的な作品の一つである。60年代の青春漫画というと、夏目氏の言う通り、少女漫画の少年版ではなく青年版的な流れにある…という一面もあると思う。商業誌では漫画は子ども向けにわかり易い「勧善懲悪」とか「スポ根」とか「ヒーローもの」とかが主流だったいっぽう、女の子たちは自分たちの卑近な世界で、自分たちの内面と向き合い、恋に恋するという世界に浸っていた。もちろん少年漫画も少女漫画もそれだけであったわけではなく、劇画だってあったのだが、ともかく、漫画といえばまだまだ大人が読むものではなかった時代である。
そんな中、少年がスタンダードな少年漫画誌を卒業するということはすなわち漫画からの卒業を意味していた。世の中が勧善懲悪ではなく、スポーツは根性だけでは勝てず、ヒーローなんか存在しないと解れば、現実と向き合うしかなかろう。だが永島漫画はそういったマスの、子ども向け漫画の世界とは違う、青春期の「若者たち」を真正面から描いて、その世代の読者の心をつかんでいった。いった、というのはそう聞いているからであり、自分は後追い体験をしたに過ぎないが。
そういった漫画史的なことは評論家に任せておくとして、ともかく、自分は追体験とはいえ、永島作品にのめりこんだのは事実である。思えば思春期〜青年期、18歳くらいまでに永島作品に出会えたことは幸福であった。リアルタイムで熱中した世代の人たちは、永島作品を「文学における太宰治のような、マンガの青春期的ハシカ」(夏目房之助)と捉え、大人になるにつれ離れていったという。俺の場合はご本人と知遇を得ることが出来たので、俺の中での「若者たち」は、永島先生からじかに発言を聞き、同時進行していたも同じだった。あの素晴らしい宝石のような輝ける日々をもっともっと大切にすべきであったと、42になんなんとする今、猛烈に後悔している。

黄色い涙』映画化と聞いて素晴らしいと喜んだが、「嵐」主演と聞いて怒りで目がくらんだ。拙文「 双方向性とは 」に思わずフザケンナ的なことを書いてしまったのだが、もうこうなったからには素晴らしい作品にしてもらうしかない。いい映画にしないとほんと、ぶっ飛ばすよ。なぜなら、原作が名作だから、もし駄作になったのなら映画を作った人間か、演じた人間が悪いということになるからだ。とにかく、映画化が契機であっても名作がちゃんと復刊され、今の世代に継承されるということは喜ばしいことだ。ジャニタレ=嵐のファンだというミーハーな子らの中から、本気でこの作品の素晴らしさに気付く人たちが出れば、映画化の意義もある。
残念なのは出版不況と言われて久しい状況の中、こうした名作はそれこそジャニーズのタレントを起用して映画化…みたいな「エポック」すなわち「再版する理由」がなければ、どんどん「品切れ&重版未定」という生殺し状態になっていくことだ。
もう何回も主張しているけれども、いい本を、長く、キチンと後世に残そうという気骨のある版元は、ねえのか。電子化は確かに本を作るよりは低リスク・低コストかも知れないが、名作こそ、かたちに残して手元に置きたいというものではないだろうか。永島先生の箱入り限定版の「漫画のおべんとう箱」とか、手前味噌ながら自分が担当させていただいた津野裕子の処女作品集『デリシャス』のあの四六判上製で布張りに黄色いパインの型押し、二度と再現できないんだろうな。やまだ紫『性悪猫』青林堂初版の布クロス版も。
もう一度言うが、日本の出版界をよぉぉく監視して欲しい。新刊は別にいい、問題は旧作の扱いだ。力が無くて再版できぬまま放置している版元はまだマシだ。問題はちゃんと再版する余裕があるクセに、名作を放置し下らぬ作品を律儀に再版している版元だ。お前らはこの本を切らしているのか、つまりそれはお前らがこの作品は残さなくてもいいやと判断しているのか、つまりその版元としての見識を疑うというヤツである。マスのコミックの世界では、大手版元がそれなりに大御所の作品はキチンと後世に継承していくようだが、漫画全体で見ればそういったメジャーな作家やその作品に匹敵する、あるいは凌駕するような名作が、非大手やマイナーな作家によって生み出されてきた。それらを大局的な視点から残そうと、漫画に関わる人たちは連帯するべきだと思うが、どうせ鼻で笑われるんだろうな、と思う。
昨年、京都市と京都精華大学が中心となって、京都市中で廃校となった龍池小学校を「京都国際マンガミュージアム」としてオープンさせた。精華大は言わずと知れたマンガ学部を設置した世界初の大学である。今後、「いやあいい作品を残せって言われてもウチらは商売だからさあ、ヘラヘラ」みたいなフヌケの版元に頼ることが出来ないなら、こうした教育機関に期待してはどうだろう。
大学で出版部を持つところはたくさんある。もちろん学術的な研究書や論文の書籍化、テキストなどが多いのだけど、精華大はマンガ学部があるのだから、マンガを出版してもいいわけである。ここで後世に残すべき名作を審議し、復刊を定期的に予算の許す範囲で行っていくということは不可能なことではないと思う。
例えば「復刊ドットコム」ではユーザーから復刊希望が寄せられ、一定数に達するとオンデマンド式に復刊される…というシステムがあるのだが、これはもちろん営利目的つまり「商売」である。「一定数」すなわち「数」の論理で復刊が決まる。これでは後世に残すべき名作、という視点が満たせない。数で売った媒体に掲載されていた作品は、名作であろうとなかろうと、多数の人の目に触れてきた。なので必然的に思い出として刷り込まれ、単純に「懐かしいから」という矮小な理由で復刊が望まれていたりすることが多い。そういうことではなく、カンタンに言うと「自分は嫌いだけどこの作品は後世に残すべき作品である」という視点は、商売の論理とか個人の趣味趣向(好き嫌い)という感情論とは全く別の話だということだ。…ま、鼻で笑われるのは解ってるんだけどね。
それでは「名作」をどう定義するのか、は問題が多々あれど、そこが大学という機関の腕の見せ所だろう。マンガに関する「有識者」(笑)を集めて審議し、ジャンル別に分けて残すべき作品を年代順に挙げていき、それを第一〜第三くらいまでの優先度に分けて、第一からジャンルごとにオンデマンドで再版していくとか……無理か? オンデマンド機械って高いもんなあ。それこそ「復刊ドットコム」と提携するとかねえ。何か方法はあるはずだと思うが。竹宮惠子教授、やまだ紫教授、真剣に考えてくださいよ。
2006-08-21(Mon)

マス・コミックの力に驚嘆 2 

マンガ美術館&スポットガイド

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<前項からつづく>
近年、マンガを優れた文化・表現(や産業)と認め、マンガで町興しを図る自治体も多い。本書で紹介されているものにも、そういった側面はもちろんあるだろう。国や官公庁も、マンガの力を正当に評価し、積極的に支援しようという動きもある。私事ながら、連れ合いが教鞭を執っている京都精華大学には、ついに本年度から日本初の「マンガ学部」が誕生した。官、産、学と、もはやマンガは無視できないものとなったわけだ。
自分はかつてマンガ学会が発足する、アカデミックな場でマンガを教える…という動きに、「マンガは安価で気楽な庶民の娯楽でいい、官界やアカデミー界から支援やお墨付きを得なくとも構わない」と述べた。それは、一つに結局は「マス・コミック」の世界しか取り上げられず、評価もされないことが予想されたこと、一つに役所や学者が絡むとロクなことがないこと、にあった。
マス・コミックは何度も述べているように、マンガにおける「文化、表現、コンテンツ・産業」といった側面のうち、売り上げといった経済的なものも含めたコンテンツ・産業部分、物量=数的な部分で優位性を持っている。簡単に言えば多少表現という側面で難があろうと、マスは力で売ることが出来る。
もっとカンタンに言おう。
要するにクソみたいな作品であろうが、テレビ局、代理店と組み、アニメならジャニーズ事務所や旬のお笑いタレントだのを声優にするとかすれば、ヒットする=数的優位に立つことはカンタンである。マス、ならばだ。
だがそうした恵まれた(?)環境にない、数的にはマスの世界の数百分の一というものであっても、表現という側面において非常に優れたものはたくさんある。そっちの方が多いかも知れない。だが、政や官の側がマンガにも理解があるようなそぶりをみせ、媚びた笑顔で手を差し出してくる対象は、結局は「マス」のものだけだ。むしろ積極的な支援(そのほとんどは金銭的なものとプロモート的な部分だ)が必要なのは、経済的に恵まれた「マス」の影に隠れているものたちだろう。
ここで誤解してもらいたくないのは、「マス・コミック」の全否定ではないということだ。『マンガ美術館&スポットガイド』に紹介されているような「マス」の世界の作品たちの素晴らしさについて、何ら疑問の余地もないし、否定するものもない。そう何度も言っている。
だがマスの世界・業界では「売れないものは存在しないのと同じ」ゆえに「非メジャーには優れたマンガなど存在していない」という乱暴な論理がいまだに根強いことも知っている。そのことに、強い違和感を覚えるのだと言っている。自分は『ガロ』者だから仕方がない。

奇麗事を並べようとも、マンガ家だってそれで食っていくためには、読者のニーズといったものにも配慮しなければならない。勢い編集者の言うことや要望をきかねばクビになる=発表の場さえ与えられないことも知っている。優れた作家は、そういった状況においても、高いレベルで「商売」と「作家性」を両立させられるものである、と思っている。先の「文化、表現、コンテンツ・産業」といった側面を「コンテンツ・産業=物量、経済」と「文化・表現=オリジナリティ、作家性」と分けてみるといいかも知れない。
『ガロ』の場合は後者を圧倒的に重視したために、優れた作家をたくさん輩出した。だがあまりに前者において非力だったため、雑誌として彼らを食べさせることは出来なかった。結果的には優れた才能は発掘した、だが彼らを食わせて行くのはメジャー誌…という関係が生まれ固定化されていったことは事実である。原稿料=金を貰う以上、金を払う側=版元の意向が編集者を通じて作家側へ影響するのは必定だ。そしてその編集者の向こう側にはやっぱり、金を払って本を買う読者がいるのも事実だ。自分の表現を貫き、そのことが結果的に読者を喜ばせる…というのは理想だけど、順番としては読者を喜ばせることが第一に来て、そのためには多少自分がやりたい表現は犠牲にする、ということがどうしても生じてしまう。そのことはマンガ産業の中では基本的なことであり当然のことであり、今さら意義を唱えることではないほど、日常である。

ちなみに、俺が『ガロ』で最後に担当し単行本刊行を持って辞めた作家さんが古屋兎丸氏だ。彼は『ガロ』連載時から確信犯であり、極めて意識的に作品を創り発表し、やがて来るであろうメジャーからのオファーに続くデビュー以降にも明確なビジョンを持っていた、稀有な作家である。その彼が「予定通り」メジャーマンガ誌から連載を貰い、続けていく中で会った際に、こう言っていた。
「『ガロ』では表現に対して制約のない中でどう描くか、がテーマでもありました。でも今は、メジャー誌という制約と要望の多い中でどうやって自分を出すか、どう表現していくかを考えていくのが楽しくて仕方がないんです」
古屋兎丸が天才と呼ばれる所以だろう。だが現実に彼ほどの実力と、高い意識を持っている「作家」は少ない。
だからこそ、仮に文化・芸術とまではいかなくても、一つの優れた表現としてマンガを政・官が認めるのならば、せめて金銭・生活の心配なく好きな表現をさせてやるという暖かな援助が出来ないものだろうか、と思ったわけなのだ。マスの世界で揉まれることを愉しむ余裕のある古屋君のような異才は本当に少ない。(白取チカオ デジタルG・INTERVIEW 古屋兎丸・辛酸なめ子

ただ、とにもかくにも政や官、学がマンガを認めた、そのことは当然であり、いいことだとは思うとする。迫害されるよりはずいぶんいい(笑)。理想は「ほっといてくれること」なのだが。つまり先に「役所や学者が絡むとロクなことがない」と述べたのは、そういったところに棲む人間らは、結局「何が我々が認めるべきマンガであり、何がそうでないか」の線引きを求めてくる。答えないでいれば勝手に頓珍漢な線引きをしたがる。というか、それが彼らの仕事だ。やれ補助金を出すにはこのような規定があるとか、やれ奨学金にはこう…という具合だ。そこで必ず「これは優秀」「これは愚劣」という差別が始まり、お上から「これはよし」とお墨付きを得たものが「優れたマンガ」とみなされる…という事態を懸念した、というわけなのだ。
政や官の硬直ぶり、これはもう直しようがないし何にも彼ら方面には期待していないので、どうでもいい。願わくば規制や頓珍漢なカテゴライズや意味不明の評価などを勝手に持ち込まないで、黙っててくれればそれでいい。あとは「学」である。京都精華大学では世界初の「マンガ学部」立ち上げにあたって、芸術学部内にマンガ学科を設置し数年間の準備期間をおいた。漏れ伝わるところによれば、それでもいまだ、試行錯誤であるそうだ。教師陣の間ではネットを駆使して毎日ディスカッションが行われている。傍らで見ていて、その頻度たるや、想像を絶するものがある。
自分はかつて学校でマンガを教えることに疑問がないわけではなかったが、今では僭越な言い方だけれど「それでいい」と思っている。これほどの情熱を持って教える側が対峙するのであれば、それも日々試行錯誤をしつつも常に動き、感じているということが心強いではないか。
絵画や文学、映画、音楽などの表現を教える場は今、大学からカルチャースクールまで、どこにでもたくさんある。マンガだけが大学教育の現場から排斥されていいということはなかろう。(「専門学校でマンガを教えているところはたくさんあるから、大学での教育は不要」という論法はその意味でナンセンスである)…何より、マンガ学部にはマンガという表現を教えるマンガ学科と同時に編集(プロデュース学科)を教える部分が併設されていることが興味深い。試行錯誤ということも、実は大切なことだろう。決められたシラバスに沿った機械的な教育こそ、マンガという自由な表現には一番不似合いではないかと思うからだ。

ところで、この本『マンガ美術館&スポットガイド』に『長井勝一漫画美術館』は紹介されず、やっぱり良かったのかも知れない。
2006-08-20(Sun)

マス・コミックの力に驚嘆

マンガ美術館&スポットガイド

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この本、何かで紹介されていたのを読んでから度々書店に行く機会があるたびに探していたのだが、見つからなかった。そんなんAmazonで買えばいいじゃん、と思われるだろうが、この本の定価1380円。Amazonは1500円以下は送料がかかってしまうのだ(笑)。だが結局、Amazonで「サイゾー」と一緒に購入して手元に届いた、そして一気に読んだ。この「読みたい本が書店にない」という問題はもうずいぶん以前から指摘されているし、このことに関しては言いたいことは山ほどあるため、割愛する。
まず断っておくが、この本は「ガイド」とあるが、写真は一点もない。本当に見事に一点も、掲載されていないのだ。全てが(もちろん地図や目次その他の規定部分以外は)著者である進藤氏のカラーイラストで構成されており、まずはその点に賞賛を贈りたい。
28歳で脱サラし、フリーのイラストレーターになった著者は、矢口高雄先生の故郷に建てられた「横手市増田まんが美術館」に紹介されている矢口先生の「ガロに投稿し30歳で銀行員を辞め、漫画家に」という経歴にわが身を重ねて感動している。幸運なことに家庭で小さい頃よりマンガ好きの両親からマンガについて「英才教育」を受けたそうだが、31歳という著者の年齢を考えると、なるほどそういうこともあるのかと思った。
さて本書に紹介されているマンガあるいは漫画家に関する美術館やスポットは15箇所。矢口高雄、石ノ森章太郎、水島新司、リカちゃん、赤塚不二夫、スタジオジブリ、長谷川町子、田河水泡、藤子不二雄A、松本零士、手塚治虫、水木しげる、富永一朗、いがらしゆみこ、やなせたかし、である。どうだろうか、ジブリとリカちゃんが若干異質な感じが無きにしもあらずであるが、納得のいくラインナップだろう。というか、やはり改めて思うのは「マス・コミック」の力である。
マンガという表現は、横手市まんが美術館が賞するように、「昭和の日本が産み出した最もパワフルな文化」だろう。マンガを日本が世界に誇る文化、表現、コンテンツ・産業として高めたのはキラ星のような、先のお歴々の顔ぶれの功績は確かに大きい。だがもちろん、それを支え受け継いできたのは他でもない、我々マンガファンすなわち日本の国民たちだ。いわゆるビッグ・ネームによる「マス・コミック」は、マンガの持つそうした側面=「文化、表現、コンテンツ・産業」全てにおいて高いレベルにあるもので、単に部数の多いメジャー誌に発表されたからといって、このような作家たちのレベルに名を連ねられるものではない。
近年テレビやゲーム、アニメなどとタイアップしメディアミックス(という言葉さえ死語化したように)「マス」の力でゴリゴリと押し付けられる「作品」はたくさん、ある。掃いて捨てるほど、産み出されては消えていく。発行部数が数百万という信じられないような「マス」の雑誌に連載をし、初版で十万部単位というかたちで単行本が発行されるマンガは、間違いなく量的には「マス・コミック」なのだけど、ではマンガ史に刻まれる、いや、先のビッグネームのように愛され、記憶され、それだけではなくこのような形で残っていくものは多くない。
もちろん、「マス」以外の世界からだって、マンガ史に残る名作はたくさん出ている。一部の研究者やマニアと呼ばれる人たちにしか認知されずとも、マンガを「表現」として捉えた場合に確実にエポックとして刻まれていく作品は、むしろ「マス・コミック」と対等な数存在するのではないだろうか。だが、やはりこの本に掲載される作家・作品に比べると、「文化、表現、コンテンツ・産業」全方位的に高いレベルにあるということがいかに大変なことかがよく解るだろう。
そういったある意味突き抜けたマス・コミックの世界、中には国民的と冠されるものもあるのだが、そのようなものに魅力を感じない人たちもたくさんいるとは思う。だけど、間違いなくここに掲載されているものは後世に残っていくものたちだろう。自分はマンガ業界に居たが、いわゆる非・メジャー、というかマスどころか恐ろしくミニマムな世界の、それも特殊な位置で棲息していた者だ。この『ガロ』という世界でさえ、矢口高雄(ガロに掲載されていた白土三平作品に触発され、投稿)、水木しげる(もちろん初期ガロの重要な執筆者)という方々と直接の接点があった。もっと言えば、手塚治虫は『ガロ』に対抗して『COM』を創刊したわけだし、あの時代にマンガに関わっていた人たちならメジャー・非メジャーを問わず『ガロ』のことは知っていたはずだ。その意味ではマンガは描く側、作る側にとってはみんな「仲間」だった。
『ガロ』者の自分でも、この本は届くや一気にページをめくり、あっという間に読み終えてしまった。顔は終始、ニヤニヤしていたと思う(笑)。これは自分がかつて親しんだ顔ぶれが並んでいることもあるのだけど、やはり著者である進藤やす子氏の力が大きい。画力もさることながら、マンガをマンガによって見せるというある意味非常に難しい作業を、実に伸び伸びと、ご本人が楽しくて仕方がないという風情で描かれているのが大きいと思う。この「画力」という部分では、自分も模写にはかなり自信があり、ここに掲載されている全ての作家の絵を模写したことがある(いがらしゆみこも、ある)者にとって、本当に素晴らしいの一語に尽きる。赤塚不二夫の原画を見て、その線の美しさに驚嘆するというのは、自分が何よりその線を模写してみて実感するからだと思う。(いや本当に、トキワ荘組の線は、物凄い。)

<この項、つづく>
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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