2005-04-30(Sat)

北米でジャンプに続き少女漫画がブレイク!?

北米でジャンプに続き少女漫画がブレイク!?---「Shojo Beat」Vizmediaの挑戦
【読売新聞05/04/30】
今朝の朝刊を読んでビックリ。いや、俺がかって日本漫画のアンソロジー「Secret Comic Japan」(こちらの記事参照:マンガマスター ―12人の日本のマンガ職人たち)を編著出版させていただいた、Viz Communications.Incが新しく「ビズメディア」と社名を変えたという記事が「顔」欄に載っていた。新しい社長は福原秀己さん(54)。一瞬「エエッ!?あの漫画家の!?」と思ったがもちろん人違い(笑)。それはいいとして、旧VizはFさんという巨漢のナイスな日本人の編集者が社長さんで、3年前に北米で出した「Shonen Jump」の編集長は連載コラムの後半の担当もしていただいたNさんだった。大幅に組織が変わったのか、前までのなじみの編集さんたちはどうしたんだろう。こちらには何も連絡がないので、ちょっと心配してしまった。
さて、新生VizMedia社は、今後北米初の英語版少女漫画月刊誌「Shojo Beat」を6月に創刊するという。「Shonen Jump」は実売20万部というのも驚きだし、その読者の4割が少女だという。そして「マンガばかり読んでるとバカになる」はウソ!?でも言及したように、「フルーツバスケット」の英語版の売れ行きは10万部。福原新社長は「米国のティーンに日本の少女漫画ブームが起きつつある」と断言している。メリルリンチ日本証券の副社長まで務めたという福原氏、実は「十代の頃『ガロ』で永島慎二さんの作品で泣いた」というナイスなお方。俺も永島先生の「かかしがきいたかえるのはなし」で泣いたぞ!
…これまで、日本の漫画はその表現としての豊かさ、面白さが世界に認められてきたとは言え、やはりアニメ人気が先にあっての人気作が多かった。しかし前述の「フルバ」などは完全に漫画作品そのものが受け入れられたということになり、すでにじゅうぶん「Shonen Jump」の成功でその下地は出来上がっていたということだろう。
いずれにしても、アメリカと日本の若者が同じ漫画を読み、感想を分かち合い、楽しむという時代がもう来つつあることは確か。新生Vizの今後に期待しよう。
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2005-04-26(Tue)

雑記20050426 「草野仁=リアルスーパーひとし君」とか

■最近CATVの日本映画専門チャンネルで、成瀬巳喜男監督の映画をガンガンかけている。この前までは原節子特集。こちらもガンガン録画しているのでDVD-Rが物凄い数で減っていく。原節子特集では珍しい戦中の戦意高揚映画も放映したので、なかなか貴重で面白かった。山の音、晩菊、めし、鰯雲、浮雲…と、このあたりの「日常」というドラマの描き方は凄いの一語。余談ながら「成瀬監督夫婦三部作」あたりの上原謙(若い人へ:加山雄三のお父さんだよ)は生っちろくて情けない、ダメ男ぶりをいい感じで演じていて好きだ。黒沢作品における三船もそうなんだけど、森雅之、上原謙などのこの頃の役者に匹敵するような俳優は今…どうなんすかねえ。

■ニュースを見ると昨日の尼崎のJR福知山線脱線事故、死傷者数が激増している。置石の可能性もあるというが、読売新聞によると件の運転手の適性には疑問があるし、前の駅での「オーバーラン」は8メートルではなく40メートル(!!)であったのを、車掌が運転手を口裏をあわせて虚偽の申告をしていたという。運転手が遅れを取り戻そうとあせった結果か、そういう運転手の適性を見抜けなかったのか、あるいは何者かが置石をしたのか、いずれにしてもこれは「人災」であることはもう間違いがないということか。

■草野仁はスーパーひとし君だった
nikkansports.com > 芸能TOP > インタビュー > 草野仁
いいよなあ草野さん。胸囲120cmだもんなあ。俺「ガロ」で肉体労働(笑)してた頃でも104cmだったもんなあ。あの年で凄いよなあ。東大卒で知的なのにバカもやれるしなあ。昔から個人的に首相にしたい人No.1なんだけどなあ。
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2005-04-25(Mon)

雑記20050425 「奈良の騒音おばさん」とか

■このところ数日風邪気味。喉が少しだけ痛いのと、鼻水、あとは咳も出ず熱もない、ただひたすらにだるく全身の節々が痛いというもの。…過労か? TVをつけると尼崎のJR福知山線脱線事故の実況。とんでもない大惨事になっている。

■夕方連れの入院している病院へ行く。病院外の喫煙スペースで待ち合わせ、一服しつつ話す。もう一ヶ月近くなるが、早いとこ退院させてくんないかなあ、という話。連れはある「誤診」から膵臓をやられ、その影響で腎臓がやられ、その右腎臓摘出の際の「手術ミス」で障害者に近い体にされ、肝臓までやられてインスリンが分泌せずに糖尿となった。大元は医者、病院のせいである。その血糖値のコントロールが出来ず、高血糖状態が続いており、自力でインスリン分泌できない以上注射しかないという状態。なのでひたすら退屈との戦い。

■7時半過ぎに帰宅後は、ジャナ専2年生、白取講座の講義で使う資料作り。「文芸春秋」での立花論文を何とかして読んでもらいたいが、月刊誌の記事をコピーして配布するのはもちろん違反行為。いろいろ試行錯誤。1年生の「コミック雑誌研究」講座は、入学したてで「編集」という概念も、基本的なルーティンワークも、出版に関する基礎知識もない子らに「コミック編集」という特殊なスキルについて教えるのは時期尚早。なので他の講義とかぶってもお構いなく、編集そのものの基本をまず叩き込む。こちらの講義資料もなかなか大変。長谷邦夫先生の「漫画の構造学」(インデックス出版;1200円+税)を全員に買わせようかな。
漫画の構造学!―マンガ・まんが・漫画・劇画・万画・コミック・ポンチ絵「分析ノート」

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■奈良の騒音おばさん(引越〜し!引越〜し!!)について、西丸さんとこ(緊急UP :奈良騒音おばさん事件)を読んで考えさせられた。前から防犯カメラを睨みつけ毒づく凶暴な言動がTVで晒され、その物凄い形相が各週刊誌などに「二次使用」されるのを見て、いくら犯人とはいえいいのか、と漠然と思っていたのだが。なるほど、「措置入院」か…。知り合いに軽い鬱の人がいるんだけど、「一度精神科へカウンセリング受けに行ってみたら」と言うと「せせ精神科なんて冗談じゃない!キ◎ガイ扱いしないでくれ!」と物凄い拒否反応を示されたことがある。いまだに精神科というとそのようなイメージがあるのだ。
俺なんかたぶん自分がもし自覚症状のある鬱ならまず精神科へ自分で行くが。西丸先生に相談するとか。そんな状態なら鬱ではないか。
奈良のおばさんはああなるまでに身内の不幸などもあり、静かに深く「病気」が進行していったのかも知れない。
もちろん被害者のご夫婦(だけではなくその近隣住民全て)の長年の精神的苦痛は同情するに余りある。だがそれを放置し続けた行政や警察などにも責任というより過失があると思う。「病気」であることは誰もがすぐに理解できただろうに、と思う。そう思うとあの鬼の形相のおばさんもまた被害者である、と思うのだ。

匁「個人ニュースサイターズライフ」 第2話 “夢はかなう?”
電脳遊星D】より

こういうの結構好きっす(笑)。ブログにハマるというか、アクセス数気にするとことか、ニュースサイト巡回とか人気サイトに紹介されて喜ぶところとか、ブロガーの実態がリアルに表現されている。それでいて話がちゃんと面白いところがいいっすね。それにしてもサイト名、「絵のプロを目指すブログ」って……。
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2005-04-23(Sat)

「マンガばかり読んでるとバカになる」はウソ!?

「マンガばかり読んでるとバカになる」はウソ!?
【TBSブロードキャスター】


先ほどTVを見ていると、「ブロードキャスター」で日本の少女漫画がアメリカで人気、という話題をやっていたので見る。「Tokyo Pop」の成功を報じるもので、十代の女の子が日本の(翻訳された)少女漫画に夢中…みたいなニュース自体は別段新しいことではなかった。だが意外なところで大学で日本語学習の教材に使われているとか、何とゲイの人たちに好評を博しているというような映像が笑えた。
ところで番組中では、永遠の謎(?)、我々の世代は特に親から言われ続けてきたあの言葉、「マンガばっかり読んでるとバカになるよ!!」が本当なのか検証した。脳波を「アニメを観る」「漫画を読む」「小説を読む」の3つの機会に分けて計測してみると、何ともっとも脳が活性化したのは「漫画を読む」だったというわけだ。もっともこのこと自体も、実は番組中でも指摘していたように、養老孟司さんが「漫画は脳の視覚野と聴覚野両方を活性化させている」というようなことをすでに著書で書いている。
漫画は拙文岡田史子さんが亡くなった 追記でも改めて感嘆した通り、ストーリーと、絵、この「両輪」で紡ぎ上げる優れた表現方法だ。アニメと違い、漫画の場合は「読む」という行為も要求される。しかもセリフの一部や書き文字、擬音の効果文字などは頭の中で聴覚野が働いていたりする。言語、視覚、聴覚などをフルに活性化させて漫画に没入する。頭が良くならないワケがない!
…とはいえ、もちろん漫画にも優れた作品もあれば、どうでもいい作品もある。だから楽しいとも言えるわけだけど、優れた・劣っている、読むべき・捨てるべきという判断は個々の人間がすること。ここでも重ねて主張するが、当局でもお上でも何でもいいが「規制」など「余計なお世話」だ。
「ガロ」で働くようになった頃、今から20年以上前なんだけど、何かの資料を整理していて「ガロ」や「ガロ」関連の作家さんの記事のスクラップファイルを見つけた。60年代から70年代にかけてのもので、新聞や週刊誌の切り抜きが綺麗に整理されていて、長井さんの話だと「高野(慎三=当時ガロ編集者、現北冬書房代表。別名権藤晋)君がやってくれてたんじゃないかな」ということだった。
その色々な記事を興味深く読んでいると、60年代の週刊誌の記事で、見出しが「大学生がマンガを読む!?」というようなものが目に止まった。60年代というと学生運動真っ只中。大学生といえば勉強がしたくて進学する「インテリ」という言葉がまだ生きていた時代で、その大学生たちが「漫画を読む」ことが驚きを持って、軽い揶揄もこめて伝えられているものだった。そこに人気のある雑誌として「ガロ」が取り上げられており、デビューしたばかりの林静一さんや佐々木マキさんが取り上げられていた。お二人とも長髪でファッションも格好良かった。漫画とは子供(あるいは大人でもブルーカラー)の読むもの、インテリが読むものではないという固定観念がまだまだ根強く残っていた時代に、インテリでも読むに耐えうる漫画もある、という報じ方だったかも知れない。詳しくはもう忘れてしまった。何せその記事を俺が読んだのがもう20年も前のことだ…。(注:「ガロ」だけが漫画表現や読者層の拡大に寄与したとは言ってない、例えば「劇画」の誕生は1957年)
今、インテリという人種がいるのかどうか知らないけど、「漫画なんて子供の読むものだ」「漫画ばかり読んでいるとバカになる」「漫画などという低級なものを読まず、文学を読め」といったようなことを真顔で言う人はかなりアレな人(笑)になってしまって久しいと思う。なぜって、60年代に子供が読むものから大人が読むに耐えうる「表現」として漫画表現が拡大してからもう半世紀近くが経つ。その頃の読者はもう還暦なのだ。
「ブロードキャスター」では司会の福留功男(ちなみに1942年生)が従来型の漫画を文学などよりも低く見ているという内心がチラチラと見えたものの、クボジュンは「私は父が小さい頃から買ってきてくれたので、特別に漫画ばかりということもなく、文学と同列に接していました」というような優等生的回答、作家の石田衣良は「NANA、面白いから読んだ方がいいですよ」とナイスな回答、名前失念したが女性ゲストは「私は人生に必要なものは全て漫画から学んだといってもいい」とこれまたナイスな回答。結果福留氏の古い石頭ぶりが計らずしも浮き彫りとなったのが軽い失笑を呼んでくれました、はい。
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2005-04-15(Fri)

「紙の爆弾」が最後のスキャンダリズムを背負う?

「紙の爆弾」が最後のスキャンダリズムを背負う?|Excite エキサイト ブックス (文学ガイド・書評・本のニュース)
YellowTearDrops


実はもう買って読んだあとでした。かつての「噂の真相」(通称ウワシン)的な、マスメディアの書けない記事を鋭く抉る…という鹿砦社らしいスタイルの雑誌。
いやね、実は目についたのは誤植というか誤変換。例えば「角川源義」が次のページでは「源吉」になってたり、NHK橋本元一・現会長の入社が大学卒業後の「一九四三年」ってなってたり(ということは橋本会長は最低でも御年85歳ってことになる=昭和四三年の間違い)とか、他にもいくつか。ともかく多くて困った。
基本的に誤植(最近ではほとんどが誤変換ミス)は編集者の責任。これは昔単行本を作った際に著者である松沢呉一さんに言われた(なので、校正は七、八回に及んだ)こと。とはいえ、ちょこちょこ誤植があると事実関係まで誤りがあるのでは、という偏見を持たれないだろうか。(このブログも誤変換が多いんだけど、下書きもなしに書いてるもので…「おしゃべり」だと思ってね♥)

「噂真」は、97年の「ガロ」の事件の際、ひどく不公正な記事を書かれたことで自分も憤慨したことがある。政治家や官僚、大企業のトップ、芸能人などの「スキャンダル」を暴くと言っておきながら、クーデター事件の被害者であった人を叩いたりするのはいかがなものか、と当時思った。それに「噂真」の岡留さんは「反権力」と言っておきながら高級外車(笑)乗ってたりしたっけ。関係ないけど。

ともあれ、ジャニーズのタレントが犯罪犯せば揃って「稲垣容疑者」ではなく「メンバー」と報道したり、吉本のタレントが暴行事件起こしても「容疑者」ではなく「島田司会者」と報道したりというダメダメのTV、メディアでありながらメディア規制法案に揃って一面で反対の声を挙げることもしない大新聞では報道できないような、おもろい記事を期待したいです。
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2005-04-14(Thu)

ジャナ専新入生初授業

今年の新一年生は2クラス、30名ずつほど。2組の担任を今年度も仰せつかる。もっとも担任といっても、義務教育や高校とは違ってホームルームなどがあるわけではないが。ただ毎年連絡網を作って何か非常時に備えたり、制作実習で本を作ったりする際の緊急連絡に使ったりはしている。担任だからとかそうでないからといって、教え子の相談や質問を断ったりもしないけど、やはり担任のクラスの生徒たちの方から先に顔と名前を覚えたいな、という責任感くらいはある。
ずっと3クラスあった編集科が昨年度から2クラスになってしまったのは、少子化のせいかとも思っていたんだけど、文芸科の方は逆に増えたと聞いた。講師室で別の先生と、「やっぱり綿矢・金原コンビのダブル受賞の影響で若い子の文学志向が高まったのか」というような世間話。
作家を志すというのはいいと思う。でも才能一本で食っていくというのは大変なこと。ある意味人気商売というか、不安定な職業でもあるわけで、勇気の要ることだよなあ、とも思う。編集は多方面、色々な才能の人たちとその都度その都度仕事ができる。でもフリーでない限りは(フリーは辛い…)給料で生活が出来る。でもお相手となる作家さんたちは、不安定な立場だ。今は自分の創作の場としてWEBもあるし、文章でもこうしたBLOGで解放することもできる。でも編集というフィルタを通して、キチッとした形で世に出すということは依然大変なこと。せめて編集を目指すのであれば、そういう作家さんたちには真摯に向って欲しいな、と思う。
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2005-04-12(Tue)

「平成ホリエモン事件」文芸春秋5月号

「文芸春秋」5月号に、『平成ホリエモン事件』というタイトルで、一連のライブドア・フジテレビ問題、ライブドア堀江社長のについての特集が掲載されている。ライブドアのニッポン放送株大量取得から始まった、この「乗っ取り」事件の顛末とその主役である「堀江像」を、丹羽宇一郎、立花隆、大前研一、東谷暁、斎藤環、成毛眞、佐野眞一、竹森俊平といった錚々たるメンバーが論評している。そしてその最後には、堀江貴文社長のインタビューが。
 以前、ホリエモンが自民党を中心とする政治家たちと、日本を代表する経済人たち、つまり政財界から突然集中砲火を浴びた時、マスメディア・特にTVの堀江叩きもそれらと歩調を合わせるかのように堀江社長をニュース番組に引っ張り出しては、ひどい叩き方をしたことがあった。その「最初に堀江叩きありき」の報道(?)姿勢が余りに醜悪だったために、思わず「そりゃないんじゃないの」とここ(「抵抗勢力」による「堀江叩き」の構図)で述べたと思う。
 どういう「意図」が働いた結果、あのようなメディアのホリエモン一斉攻撃になったのか、その裏をぜひ知りたいところなのだけど、ともかくあれから二ヶ月ほど経って、とりあえず「抵抗勢力」の方々も冷静になったか、露骨かつ意図的な「堀江叩き」は表面上は、沈静化したようだ。
 さて「文芸春秋」の特集なのだが、日本を代表する経済人、作家、評論家、あるいは精神科医まで、興味深い論考が並んでいて、面白く読ませてもらった。いや本当に面白いので皆さん730円の価値は充分ありますよ。中でも一番自分のこれまでの考えと近く、かつすっきりと述べてくれたのが立花隆先生の「ネットはメディアを殺せない」という一文だ。やはりこういうことは頭のいい人に任せた方がいいなあ(笑)。
 立花氏は俺と同様、堀江社長のことは好きでも嫌いでもない「中間派」と言っている。まずは個人的に好きか嫌いか、という基準で論を展開しているのではないということを明確にしている。堀江社長のメディア論というものは、要約すると「典型的なインターネット信奉者」であり、自分自身ニュースは携帯かネットで十分であり、新聞もTVもいずれ「死んでいくメディア」であるということだ。このことについて、立花氏は「堀江は基本的に、メディアはメディア(媒体)であることに徹し、オリジナル情報に何も手を加えず、右から左に情報を丸ごと伝達するのが理想だと考えている」と断じる。
 しかしこのことは、ネットや携帯の「ニュース」も、元々は既存メディア…新聞やTVという媒体の「記者」たちが集めた「一次情報」を「編集」して流されていることを無視している。ネットは確かに膨大な一次情報に溢れている。既存メディアを信奉する人たち=全てが抵抗勢力ではないにしても、そういう人たちが往々にして現在のネット社会のあり方に疑問を呈するのはそういう部分だろう。確かに、「なになにはヅラだ、俺は目撃した」という下世話な一次情報から、天下国家を論じる個人の意見も、それらの当否はともかく、物凄い数の「情報」がネットには溢れており、増殖を続けている。
 最近レスポンスがとみに悪くなり、二重投稿や書き込んだ記事がどっかへ消えたり、そもそも表示さえされないことも時間帯によっては多くなったこのgooブログにしても、俺が始めた時は11万サイト程度だったのが、今や20万サイトに迫ろうとしている。これまで単なる個人のサイトだったWEBページが、BLOGという形式になりアメーバが増殖するかのように、細胞が分裂するかのように、それぞれがトラックバックで手を結び巨大なうねりとなることもある。2ちゃんねるのような巨大掲示板には、匿名による確実・不確実の判別ができない情報が、この瞬間も次々に表示され続けている。
 そうした玉石混交の一次情報の洪水の中から、誰かがピックアップし抜粋=編集されたものが、堀江社長の言うWEBや携帯のニュースサイトやメルマガとなっているだけだ。それらの元は、既存のメディアの手によるものであることは常識である。これでは既存のメディアを「殺す」どころか、立花氏が評しているように「おんぶにだっこ」と言わざるを得ないだろう。もちろん、こうした状況を打開するための自前の情報収集をライブドアは始めている(パブリック・ジャーナリスト)が、そのレベルはまだまだ既存のマスメディアの足許にも及ばないのが現状だ…。
 俺が漠然と思っていたことを見事に論じてくれた、立花氏のこうした論文は実に痛快である。
 ところで伊藤忠会長である丹羽氏は堀江社長の「事件」を、既存の日本社会における会社経営者という視点から取引方法つまり「やり方」に苦言を呈しているが、別段目新しい論評ではないと思った。ただフジサンケイグループにも同様の指摘をしているところがニュートラルではあると思うが。
 あとは精神科医の斎藤環氏がホリエモンは「社交的ひきこもり」と「診断」しているが、これはこれでなかなか面白かった。というか、この特集はそれぞれ皆さん実に興味深い視点から論じているので、繰り返すがホリエモン事件に興味のある人は一読あれ。

 ところで「週刊文春」(4/14号)では先週号から引き続いて、中村うさぎ氏がホリエモンを誉めちぎっている(連載「さすらいの女王」)。先週号ではホリエモンが「自分のワキが臭い」と言ったことを「ナルシズムの棄却あるいは欠落」として誉め、今回は年長の作家の「自分は小説に命を賭けている」という発言を「ナルシズムの垂れ流し状態」と評して辟易する、と述べている。中村うさぎ氏は今年47歳、団塊の世代の一回り下の、いわゆる「シラケ世代」だ。
 俺も団塊の世代の人は知り合いにもたくさんいらっしゃるわけだけど、時々確かにそういう人もいる。40年も前の「闘争」の話をいまだに武勇伝のように熱く語り、周囲を文字通り「シラケ」させる人もいるにはいる。中村氏はこのシラケを自分のナルシズムにツッコミを入れる客観性、「脳内の小人」と呼んで肯定しているようだ。そうしてホリエモンが自らを「ワキが臭い」と言えることを、自分が「命を賭ける」「天下国家、世界を改革する」といった大言壮語を言わない・言えないこと、すなわち脳内に客観性という小人を持つために「世論という神の裁きに何の痛痒も感じない」ので、いくらでもヒールになれるのだ、と言っている。
 うーん。脳内に小人は住んでるんじゃないかね、みんな。そうでもないのかあ。自分が編集という因果な職業にあるせいなのか、もともと客観性が勝っていたのか、何事かに「我を忘れる」ことがあまり得意ではない。いや、親にしょっちゅう「のめりこみ体質」と言われていたから、一人で何時間もプラモデル作ってたり漫画描いてたりギター弾きまくってたりして我と時間を忘れたことは死ぬほどあるけど、人のいるところではどうもそういうことが出来ない。カーッとパチスロやってて気がついたら数万円が飛んでいたというくらい熱くなったことはある(笑)。だがそんな時でも脳内の小人は俺に「オイオイ、もうやめといた方がいいんじゃないの」「周りの人もあんなクソ台にじゃぶじゃぶつぎ込んで阿呆だなあ、と思ってるよ」なんてことをしょっちゅう語りかけてくる。それを「いや、この台は出る!」とか追いやってるだけだ。好きなバンドのライヴに行っても、「ウオー!」とか拳突き上げたりヘッドバンギングしてたり陶酔しきって我を忘れたり、は出来ない。「いやそんなに熱くならなくても…」とか思ってしまうのね。考えてみたら、小学生の時からそんなガキだった。友人がアイドルタレントに熱を上げてるのを見て、そいつに「お前がどんなに○○ちゃん大好きとか言ってポスターとかレコード集めても、向こうはお前のことなんか知らないし、どうせ同じ芸能人と結婚とかしちゃうんだよ」と冷水を浴びせていたわ。
 団塊の世代は学生運動の世代でもある。彼らは本気で自分たちが社会・世の中を変えたり、体制をひっくり返したり出来ると思って戦っていた。結果は国家権力による徹底弾圧。その下の世代はそれをまざまざと見せ付けられて「どーせ命賭けで戦ったってひねり潰されるんだし」とシラケた。その頃出てきたのは女の子にはananやnon-noのアンノン族(70年安保後の74年)だったり、男の子にはポパイ(76年)やホットドックプレス(79年)など。天下国家ではなく思い切りファッションや車、セックスなどの「個」へ若者の目を向けさせたわけですな。そうして政治や社会問題に目を向ける若者は減り、その究極の姿が「オタク」である…というのは言いすぎか。
 ホリエモンは自分を「ワキが臭いから」と笑う客観性を持っている、と中村氏は言うが、その発言は古舘伊知郎に「コンプレックスなんてないんでしょう?」と問われてのこと。逆に言えばそれくらいしかないんじゃないか。財産、学歴、容姿、自分の仕事、ステータス、車、彼女、洋服、何でもいい、何もかも恵まれてるってことじゃん。うさぎさん、誉めすぎじゃないか?
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2005-04-10(Sun)

岡田史子さんが亡くなった 追記

 それにしても改めて漫画というのは素晴らしい「表現」だな、と思う。
 ストーリーと、絵。この「両輪」で紡ぎ上げる作家の世界、宇宙。(「漫画ってのはお話と絵、この両方が高いレベルで融合したものなんだよ」というのは我が師・長井勝一翁の言葉だ)
伊藤剛さんなんかのブログを見て最新のマンガについて語られているのを見ると、いまの自分ではもはや処理不可能という感じで、ただ自分の守備範囲については伝えていく必要があるなと痛感しています。ad-lib-comic-diary - 岡田史子さん逝去より】
 確かに自分がもっとも漫画を、それもエロ劇画から少女漫画までむさぼるように読みふけったのはもう20年以上も前のこと。それ以降も、マス・マイナーを問わず、漫画は世に送り出され続けている。かつて米沢嘉博さんの仕事場にお邪魔した際、氏が「自分のところにはコミケの同人誌からメジャーなコミック雑誌、単行本からありとあらゆる漫画が集まってくるけど、全部読むなんて物理的に不可能ですよ」と語っておられたのを思い出す。
 自分がそれでもマスのコミックを極力読むようにはしているのは、単に職業意識からと言っていい。編集者だということ、それから学校でコミック雑誌研究という講座も持っているから、最低限の「勉強」はしとかないとという意味だ。これは面白い! というものは数えるほどしかない。(最近のマス・コミックでは『げんしけん』が面白い)
 漫画は、その絵柄の独自性だけでも、話の独創性だけでも、どちらかだけが突出していてもバランスが取れないと思う。絵が物凄く好きな作家でも、話がボロカスだと作品集を買って傍に置いておきたい、とは思えない。お話が好きでも絵柄が好みでない場合も同様。漫画って難しい。
 最近のマス・コミックの世界では、もちろん次々と新たな作家が発掘され、作品が送り出されている。相変わらず聞けば編集が主導権を握って「描かせている」ことも多い。絵柄は作家や流行で多少の変化はあるものの、ストーリーは別段「この作家じゃなくては描けない」というものではない作品が多いのは、そういうところに原因があるのだろうか。

 岡田史子も、もちろんつりたくにこもやまだ紫も、高野史子も岡崎京子も、彼女たちの「あの絵」で「あのお話」じゃないと絶対にダメだ。亜流が後からわらわらと沸いて来て、先達の切り拓いた道をホイホイと要領よく歩いて行こうとしても、我々の世代は「オリジナルの偉大さ」を語り継ぐ義務があるのでは、といつもながら強く思う。
 以前、あすなひろしさんのことでも同じことを述べたが、「死んでからでは、遅い」。偉大な才能が亡くなって、その才能を知る人がその死を悼む。そうして初めて、その才能に触れる人が出る。名作はそうして語り継がれていく…、消えてしまうよりはいいが、その作家が生きているうちに、才能を知る人がキチッと評価を明確にしておかねば、と痛切に思った。
 誰かがどこかでサブカルチャーとは、マスが取り上げない「いいもの」を評価する声をあげることというような主旨のことを書いていた。(あいまいな出典で申し訳ないが)その通りだと思う。もうこんな時代になっちまったら、メインとサブの違いなんて「マスであるか・そうでないか」でしかないような気がするからだ。
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2005-04-09(Sat)

岡田史子さんが亡くなった

 今朝の読売新聞物故欄を見て驚く。岡田史子さんの死亡記事があった。今月3日に心不全でとのこと、まだ55歳の若さだ。「近年は筆を断っていた」とある。
 岡田さんは高校在学中の1967年に「COM」でデビューし、天才少女と言われた人だ。その絵柄から少女漫画に分類されているけれど、作風は幻想的なもの、詩的なものが多く、哲学的とさえ言われた。もう十年くらい前になるが、一時四方田犬彦さんの尽力などもあって、作品集が再刊行された(「岡田史子作品集」NTT出版)。オリジナルのサンコミック版は入手困難だったので嬉しかった。またあのまんだらけからは未発表作品が限定発売されるなど、「マス・コミック」しか知らぬ人たちにとっては無名かも知れぬが、その評価は依然高い。
 少女漫画といえば王道の恋愛もの、ラブコメだったりスポーツものだったりという時代、岡田さんの「COM」からのデビュー、そして独自の作風で作品世界を確立した創作活動は、少女漫画界にも少なからぬ影響を与えた。「ガラス玉」「ピグマリオン」が代表作と言われるが、実はたくさんの素晴らしい小編を遺している。それにしてもまだ55歳の若さで…と思うと悔しい。
 わが連れ合いであるやまだ紫は同じく「COM」でデビュー、紙面への登場は数年遅かったものの、当時はよく比較されたという。絵柄で言うとやまだ作品より岡田作品の方が少女漫画寄り。そして同じく独特の作風を築くが、岡田作品の方が形而上学的印象が強いか。やまだ作品は人の内面をよくモノローグで描いており、岡田作品は同様の作品もあるがやはり作家の精神世界が難解に描かれている感を持つ。
【ちなみによくやまだ紫に近藤ようこ、杉浦日向子を加えて「ガロ三人娘」として語られた時期があったが、世代的にもキャリアもやまだ紫は一世代上、そして近藤・杉浦お二人ともやまだのアシスタントをしていた経験があるから、俺は三人を人まとめに「娘」呼ばわりは無神経だと思っていた。】

「ガロ」では優れた女流のさきがけとしてつりたくにこさんもいたが(膠原病で夭折)、「COM」の岡田史子さんも逝ってしまわれた。
 つりたさんがジョン・レノンだとすれば岡田さんはジョージ・ハリスンか。となるとやまだ紫にはポールばりに長生きをしつつ現役でいてもらいたい。(<何の喩えだ、じゃあリンゴは誰よ??)
 …岡田史子さんに、合掌。
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2005-04-05(Tue)

クラス会があった。

 4月2日、池袋でかつての担任のクラスのクラス会があった。といっても卒業した後も定期的に飲み会を開いている女子生徒数名から、「先生もぜひ」とかねてからお誘いがあったもの。去年から何度も誘われていながら、スケジュールが合わなかったり直前でドタキャンせねばならなかったりと、いつも申し訳なく思っていたので、今回は参加の意向を伝えておいた。ところが直前に連れ合いが入院。今回もダメか、と思っていたところ義姉や親戚が「たまには行ってあげなさいよ」と言って連れの方は見てくれたので、約束通り行けることになった。
 それにしても何度も何度もキャンセルが続いていたので、あんまり断り続けると生徒たちに「自分たちは嫌われているのではないか」などと思われるのではと気にしていたので、久々にみんなの顔を見られて嬉しかったっす。
 自分で言うのも何だけど、俺ってけっこう厳しくて怖いと思われるのか、卒業後は疎遠になる子の方が多い。この不況で業界への就職もままならず、失意のうちに帰郷したり、全く別の畑の仕事に就いた生徒もいる。今回集まった子たちは皆出版業界かその周辺にいるようで、2年ほどキャリアを積んで逞しくなっていた。「取次さんの話は習っていて良かったです」とか、「あの頃教わったことはこれだったんだ、と思うことがあります」とか言われると少しは役に立ったかな、と思う。
 6時半からの飲み会は9時過ぎまでワイワイと。彼氏との関係とか人生相談ぽい話にもなったりして、とにかく皆元気そうで何よりでした。
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2005-04-01(Fri)

連れ合いが入院してしまった。

 ここ十五年ほど前からあちこち患い、満身創痍の連れ合いが今年初めて入院した。去年は3度、一昨年は2度。何度救急車に乗っただろう。いったい何回病院へ行っただろうか…。
 連れ合いの病気は、自分の不注意や不摂生のせいではない。このことはいずれ、ここにじっくり掲載したいと思っている。俺は日記魔、記録は詳細に残っているし。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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