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2005-08-31(Wed)

病気の沙汰も金次第

8月31日

夕べは10時ころ抗生剤が外れたので、そのあたりの時間に就寝。寝る前、いつも夜中時間がわからず苦労するので卓上に置いてあったG-SHOCKを久々に右手に(左は点滴が入ってるので)して寝たのだが、2週間ぶりにはめた腕時計の重たいこと。それだけ筋力が衰えたかと愕然とする。今の俺は中坊とタイマン張っても負けるだろうな(笑)。夜中、時間は腕時計のおかげで解ったのはいいが何度も目が覚め、変な夢ばかり中途半端に見る。朝は6時過ぎの採血の直前まで半覚醒状態で朦朧。
朝食はグレープフルーツ以外完食、その後はネットでニュースなど見て9時ちょいにナースによるバイタル、朝イチの検温では35.9度だったがその後クーラー消して3時間ほど経過したところでは36.6と平熱。今日は嫌な嫌な骨髄穿刺検査=マルクの日だと思うと憂鬱。あと心臓エコー検査が午前中に入ってるとのこと。

その後パソを見ているとナース二人が来てシーツ交換してってくれる。片方のナースがノートPCを載せているベッド用テーブルを動かそうとして、PCの電源を「これ抜いちゃっていいですか?」と引っこ抜こうとするので、「ちょちょ、ちょっと待って」と押しとどめてシャットダウンする。まあバッテリーがついてるので全く抜かれても問題ないのだが、普通パソコンの電源って、抜いてはいかんものではないか、と(笑)。シーツ交換が終わると今度は「心エコー呼ばれましたので」と別のナースが呼びに来る。しかし車椅子はなく、一人で行ってこいということか。これは買い物のチャンスと思い、財布を持って出る。何せ一人でフラフラしてはイカンという患者らしいので、たまの「監督無し」は貴重。
2階の機能検査部へ行き、受付に聞いて3番検査室へ入って名前を言うと、すぐにカーテンで仕切られた暗いスペースのベッドに通される。胸を開けて、左を下にして横になっててくださいと指示されたので、そのようにすると、看護婦が電極みたいなのを3箇所心臓のあたりに貼り、その後はしばらく待たされる。しばらくして技師とおぼしき男性が来て、「これまで何か心臓に病気とか指摘されたことはないですか」と聞かれる。「ありません」と言うとすぐ検査開始。先端がぬるぬるしたジェルのようなものが塗られたエコーの検査用ヘッドを心臓周辺にあてて、モニタリングされてる様子。隣のブースでは俺よりちょっと後に入ったおっさんが俺よりかなり早く終わっていたので、俺の方はかなり長い時間やられているように感じた。(…何か異常でも?)とか不安になり始めると、「はい、終わりました。特に心臓の機能には問題はありませんので」と言われてホッと一息。時計がなかったのでどれくらいか解らなかったが、ベッドに横になってからは15分くらいか、20分までいかないかという感じ。薄暗い部屋に横たわってただじっと検査を受けているだけ、というのはかなり長く感じるので、実際は短かったのかも知れない。終わってエレベータホールへ行き、点滴ぶら下げたまま売店へ。売店は混んでいた。このところハマっている「明治ミルクと珈琲」を買いだめしようと思ったが、売り切れで一本もない。しょうがないので珈琲たいむのブリックパックを一つと、菓子、手鏡などを買って病室に戻ると11時すぎ。

部屋でネットを見ていると、11時半過ぎに医師団の一人、M医師が来る。「お変わりないですか」で「ありません」で終わりかなと思ったが、なぜか話し込んでしまう。血液やリンパの説明をしてくれ、俺の病気は慢性と急性の両方の特徴を持っている珍しいものだが、そもそも病気の分類もWHOのものからヨーロッパ、アメリカ、日本、あるいは細胞学者のものや自分たちのような臨床医のものなどさまざまで、またそれらも国や人によって意見も異なるだろうから、病名のはっきりとした定義というのはそもそも難しいものだという。まあ近年はさすがにそれじゃあ混乱するので、たとえばWHOの分類で統一しようという動きはあるが、ではそのWHOの分類が絶対かというと、俺のように当てはまらないものも出てくると。この分野は日々世界各国で研究が進んでいるものなので、それによってけっこう変わったりするものでもあるという。とにかく病名は最も近いだろうと思われるものにあてはめるしかなく、それがPLLであると。T細胞性であることは間違いないので(=T-PLL)、いずれにしても珍しいと。
俺は「最近本人のNK細胞を取り出して活性化して戻すという免疫療法もあるみたいですね」と聞くと「ああ、あれはでもまだ未確定ですね。それに確かに着眼点はいいと思うし、今後の研究次第では重要な治療のひとつになり得る可能性はもちろんあると思いますが、まだまだ研究段階です。それにものすごく高額な割には、急性のような進行の早いものに対応する即応性みたいな効果は薄いので、まあケースバイケースでしょうね」とのこと、なるほど。それに俺の場合はその前段階のT細胞より前に癌細胞に冒されるわけだから意味ないか。
その他寛解導入のこと、抗癌剤投与後の免疫抑制のことなど、こちらの疑問をいろいろ聞くが、丁寧に教えてくれた。さらに俺の病気は珍しいので、生検の結果や症状などを、国内の権威という人に送って意見を聞くとか、いろいろ調べたりしてくれているそうだ。途中昼飯が来たが、それでもさらに5分ほど話した。結局M医師は部屋に20分ほどいただろうか、その間立たせっぱなしで申し訳なかったです。ていうか普通チームの中の若いDr.など、そそくさと形通りのことを聞いたり話したりして帰ってくもんだろうから、こちらもこんなに長く会話をするというつもりもなかったので、気がつかなかった。いろいろ教えてもらい、聞いたことや疑問にも丁寧に答えてもらったので、かなり安心した。
昼食を食べ終わった後MARKに備えて横になってTVを見ているうちにうとうと…と思ったらノックの音。チームの中のI&SDr.コンビで、いよいよ検査だ。ベッドの傾斜を水平に戻され、高さを少し上げられて、上半身パジャマをはだける。「目隠しした方がいいですよね」というので「目つぶってますよ」と言ったが、結局ガーゼを目の部分に載せられた。自分の胸に針が刺さって骨髄液を吸い上げられる様子なんてなかなか見られないから…とも思ったが、結局そのまま目隠しをされたままにしておく。
I医師に胸をかなり丁寧に消毒されたあと、骨髄穿刺そのものはS医師(新しく主治医になったS医師とは別の女医さんの方)の担当らしく、麻酔をされる。局所麻酔の注射を胸の真ん中周辺に数箇所打たれ、その注射自体が痛いな…と思ってたら麻酔が効きだした。「これ痛いですか?」と聞かれたが何も感じなかったので「いいえ」と言った瞬間、ズキッと痛みが走る。「いてっ」と言うと、「今骨に刺さりましたからね、骨の時はちょっと痛いですけどすぐ終わりますから」とのこと。
その後針が入っていく嫌な感じがして、「じゃあこれから抜きますけど、ちょっと引っ張られる感じがしますから、1,2,3で行きますよ」と言われる。うへえ、あの強烈な痛みがまた来るのか…と思って覚悟し、掛け声の3と共にズーッと引っ張られる感じが骨の奥でする。これが今回は痛みではなく、なんとも言えぬ不快な感覚、とでも言うものか。すると「はい、もう終わりましたからね、あと消毒してふさぎます」と言われる。「え?これで終わりですか?」と聞くと、前に腸骨からやった検査は骨髄液に加えて別の細胞だか何かも取ったそうで、それが猛烈に痛いのだという。なので今回のMARKは痛みというよりものすごい不快感、という感じで終わった、やれやれ。
その後ガーゼをかなり厚く畳んだものを針の穴の上にかぶせてテープで貼り、「じゃあ重しを載せて止血しますから、30分か40分は安静にして動かないようにしといてくださいね」と言われる。傷の上にズシリと重い小さなクッションのようなものを載せられて、終了。ベッドに仰向けになったまま首だけを左に傾けて、TVのヤンキース戦を見る。
ものの5分ほどで連れが病室に入ってくるや俺の様子をみて「検査やったの?もうやったの?」と言って眉をひそめている。「たった今さっき終わった、でもこないだほど痛くなかったけど」と言うと聞くのも辛いという様子でかぶりを振る。そのまま俺はTVを見つつ胸に重しを載せて姿勢を保っていたが、40分ほど経っても誰も来ないので、自分で起き上がって重りを取る。猫とか小動物が使うような大きさの小枕みたいな重りには「1kg」と書いてあった。麻酔が切れた後も特に痛みもないようで、鈍痛がかすかにあるかな、という程度。この骨髄穿刺検査=マルク(MARK)は抗癌剤の効き目を調べるためにも、寛解かそうでないかを見るためにも、今後の治療上欠かせない検査。このくらいの不快度なら、堪えられそうだ。ていうか堪えられなくともやられるだけのことだが。

連れにM医師との話のことや検査のことなど話していると、3時ちょいにナースが「Kさんという方が面会に来られてるんですが、お通ししてもいいですか?」というので、もちろんOKと言う。間もなく取引先のKさんが花と週刊誌3冊(アスキー、ニュートン、SPA!)、あとフルーツと果物の缶詰などを持ってきてくれた。申し訳ないです! 連れは挨拶した後、下で一服してくると言って席を外す。その後30分ほど、病気の話とか今後の仕事のこととかいろいろ話した。

Kさんが帰ってから10分ほど経って連れが帰ってきて、聞くと病院内に医療費とかの相談窓口があったので行ってみたという。窓口の人は親切な人でいろいろ話を聞いてくれたそう。今の個室は差額ベッド代が一日いくらでかかってるし、癌治療自体がものすごくお金のかかることで、将来的に骨髄移植を目指すとなると、ドナー登録や検査、移植費用と前後の入院費などをあわせるとさらに300万くらいかかるという。しかしこの病気の治療自体、個室かそれに準じる環境がベストであり、同じような病気の人たちを集めたとしても、大部屋になればそれだけそれぞれに感染などのリスクが増えるわけで、その分環境を考えれば負担が高額にならざるを得ないのだ。ドシェー! 結局要するに金がない奴は死ねということだよ。ではビンボー人のための公的な融資といえば、係の人によれば区などの無利子で貸し付けてくれるという医療費融資制度は、物凄く審査が厳しい上に手続きも煩雑で、経験上ほとんど通った人を見たことがないと言われたそうだ。自分の場合は幸い癌保険や共済があったので、ともかく区の高額医療費補助が出るまでは持ちこたえなければ。今後の出費のことを考えると確かに頭が痛いが、命には換えられない。
生きていれば、働いてお金を作り、返すことは出来る。とにかく治して、頑張ろう。そういうことだ。
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2005-08-29(Mon)

主治医交代?

8月29日
「今日は特に何も検査とか呼ばれてませんので」と朝の採血の時にナースに言われたのだが、9時過ぎに突然「歯科に呼ばれましたー」とお迎えが来る。歯科外来に着くと9時に入れた抗生剤の点滴がちょうど終わってしまったが、構わずそのまま診察台に座らされる。先生が残っている歯を点検した後、先週月曜に抜いて縫合した右奥歯の抜糸。糸を取られる時はちょっと痛かったが、大きな出血もなく、最後は全体をまんべんなく消毒して終わり。「来週から治療(白血病の)に入れると思うよ」と言われる。とにかく敵の本体=白血病に対してはまだ何も攻撃=治療をしていないのだ。虫歯放置しててごめんなさい。

4時過ぎ、ノートPCにHDDプレーヤをつなげてビートルズを聴いていると、主治医のU先生が今朝の採血の結果を持ってきてくれた。ところが唐突に主治医が代わる、と言われた。これからはS先生というU先生の同期の先生に替わるそうで、もともとはU先生ではなく、そのS先生が俺を最初から診るはずだったのだが、夏休み期間だったということでU先生の方が臨時に俺を診ていたということらしい。ここまで来てオイオイそりゃねえだろがよと思ったがしょうがない。
採血の結果は横ばいだった。WBC数は同じく1400で、好中球の数はなぜか検査項目には無かった。その他PLTは微増、赤血球関連の貧血度もほぼ横ばい。これくらいの上下は誤差の範囲内で、増えたとか減ったで一喜一憂するもんではないらしい。
U先生ともしばらくお別れなら聞けることは聞いておこうと思い、「結局私の病気も正確な病名は未確定みたいな感じなんですか」と聞くと「うーん厳密に言うと、大変珍しいタイプなのでこれだと確定しきれないのは事実なんですが、リンパ性であること、それからT細胞性であることは間違いないんです、だけどこの場合普通は初期症状として白血球数が増えることが多いので、白取さんの場合はむしろ減っているから、珍しい症例なんですね。このタイプは欧米に多いんですが、その欧米でもほとんどがB細胞性なんですよ。なので、症例自体も凄い少ないというのは本当なんです。」ということ。
俺はさらに「急性か慢性かというと、この感じだと急性ではなさそうだし、だとすれば確かに慢性が急性に転化したタイプという分類でもなさそうですよね」と言うと、「そうなんですよ。ただ、もし慢性なら経過を見て無治療で様子を見ることもあるんですが、治療開始の目安として、全身のリンパの腫脹だったり脾臓や肝臓のそれだったり、貧血症状が出たり…ということがあるので、白取さんの場合は治療を開始すべき時期であることは間違いないんです」とのこと。
俺が「要するに治療どき、ですね」と言うと「そうです」と笑われた。
「そんなに珍しいタイプなら、ぜひ治していただいて、ぜひ学会に報告していただかないと」と言うと「あ、でもどちらにしても白取さんの場合は本当に珍しいので、このタイプでもこういう人がいたとか、こういう治療をしたとか、それは報告の対象になると思いますよ」と真顔で言われてしまった。

U先生にさらに、俺の兄貴が今日・明日あたりHLA型を調べに病院へ行ってくれると言うと、「ええ?もう調べていただいてるんですか?」と驚かれた。もちろん、造血幹細胞移植は完全寛解後の状態のいい時に行うものだから、まだまだ先の話だ。でも今のうちに調べておいて、もし合えば治療の選択肢は多い方がいいし、合わなければバンクに登録して探すということになるから、調べておく分にはむしろいいことだという話。病院の中には「何でそんな検査がいるのか」と詮索するところや、「患者本人が入院している病院で調べてもらえ」みたいな無理解なところも多いし、血液のことが解る病院とは限らない。特殊な検査なのでどこでもできるというわけではないから、頃合をみて検査のための紹介状を書いて渡そうと思っていた、という。だいたい俺のHLA型もまだ調べてないというのだから、確かに早かったことは早かったが、善は急げというではないか。

U先生との会話の途中、連れ合いが通っている蓮根の歯医者から病院へ来てくれた。その後連れは珈琲ミルクとかお茶のペットボトルなどを売店から買い足してくれ、あとは夫婦でTVを見たりして過ごす。6時過ぎの夕飯になり、連れは買ってきたおにぎりと、俺のおかず、持ってきてくれた松前漬けなどで二人で食べる。全く何も残さず完食、ここが病室でさえなければ楽しい夫婦団欒なのだが。




◆家で使っていて重宝しているオープナーを病院でも使う用に、Amazonで注文。検索したらなぜか「小林カツ代の生活提案」という余計な枕詞がついていた。ていうか俺ら買った時はそんなん何もなかったが。しかし商品そのものは凄く便利で優秀。連れも握力がないので、家で助かっている。俺は握力はあっても手の皮膚が薄いので、病院用にもう一個、というわけ。
小林カツ代の生活提案 らくらくオープナー K-602

マーナ

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2005-08-28(Sun)

日曜は平穏

8月28日

★病室でもパソ&ネット。

後ろに見えるのが上半身周囲を覆うビニールのエア・パーテーション。枕元には巨大な空気清浄機が二十四時間作動中。けどノートPCに向かうので体を起こすと、このビニールの聖域からはみ出るんだよなあ。意味ないような気が。
聖域内に戻る時は、後頭部あたりのビニールを、暖簾をくぐるようにして入る。その「ゴウーン」という作動音は気にならないんだけど、左手に四六時中刺さってる点滴の方が気になって熟睡できない。



★ちょっとベッドを移動させようとしたらこんなことに。

手のひらの皮膚が薄いのですぐに皮下出血。しかも血小板が足りないのでなかなか治らない。(この写真は8/21撮影。8/28現在、さすがに内出血痕は消えた)看護婦さん(どうしても「看護師」という意味不明の単語が使えない)にいちいちそんなことで呼ぶのも悪いと思って、と言ったら「ダメですよ、そういう時は自分でやらないで呼んでくださいね!」と怒られた。てへっ。(<-てへっ、じゃねえ自分。)
なので、この後「ごはんですよ」を買ってきてもらったはいいが、フタが開けられないで往生した際、本当に看護婦さんに開けてもらった。フタを開ける力がないわけではない、その力に耐えうる皮膚がないので。
この皮膚の赤みと薄くなった変化はもう十年近く前からのもので、皮膚科の先生によると、白血病とは関係が薄いようだ。では何かというと、いろいろな症状と問診から、きわめて珍しい症例で、日本語の病名がつけられていないほど珍しいそう。写真とか撮られた(笑)。
白血病の型といい、つくづく「特殊」「珍しい」が好きな男だ、俺も。




★花があるってのは、やっぱいいやね。

教え子からもらった花、看護婦さんが花瓶を持ってきて生けてくれた。ちなみに生花を楽しめるのも免疫抑制が出る前まで。免疫が極端に低下すると、こうした生花を病室に置くこともかなわなくなるのだ。
虫歯菌、歯周病菌、中耳炎や蓄膿、大腸菌やその他の雑菌が暴れるさまは、あたかも免疫力という治安部隊・警察みたいなものが無くなった無政府状態の中、ヤクザだのチンピラだの不良どもが暴れだすようなものかね。



★殺風景な景色に少しは潤いが。

病室の部屋の真正面はこれまた病棟。エの字になっている建物の下右端の方なので、向い側つまり上の右内側壁面が見えるというわけ。ちなみにこっちは7階だが向かいはなぜか6階までしかない。
左の花ボックスは知り合いの編集者仲間・Yさんから、右のミニ観葉植物は教え子のN君・Nさんカップルから。



今日は日曜日、Dr.団の回診は午前中の一回、あとは看護婦さんが点滴を換えに来てくれるのと、定時のバイタル(検温とか血圧など)、食事を運んできてくれるのと、体拭きのお湯やタオル一式を持ってきてくれるのなど。
連れの風邪がほぼ治ったので、昼前に3日ぶりくらいに来てくれる。パジャマの換えやら洗濯物やら、こまごました買い物とか。ボトルのお茶やカフェオレなんかは買いに行くとかさばって重いのに、冷蔵庫に入れといて飲みだすと、すぐに無くなってしまう。かといって俺一人で買い物に行ってはいけないことになっており(貧血でブッ倒れたりしてはいけないし、売店などは何の菌を持った一般人がいるかわからないので)、買い物がある場合は看護婦さんに頼んで車椅子に載っけてってもらわないとならない。「コーヒー飲みたいから連れてってくれたまへ」みたいな行為がどうにも横柄に思えて、頼めない。なので連れに頼むが、飲料というものはけっこうな重さ。たくさん持ってきてもらうのも悪い。ああ、コーヒーメーカー持ってきてもらうか。あと氷も。あ、アイス用の豆と電動ミルもいるな。そういやスキャナもいるな。あ、プリンタも。いつも使ってるクッションも欲しいなあ。あ、猫に会いたい。猫も二匹連れてきてもらって…



★元気なころ。(というより白血病細胞ひそかに増殖中?)
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2005-08-27(Sat)

「生きたい」という欲求

8月27日

いつものように点滴がつながってるため、熟睡できぬまま6時起床。朝食はいつものパン食と違い、おかゆと塩サバだった。完食。
今日は土曜なのでおそらく検査も外来治療もない。Dr.たちが入れ替わり回診に来るが、ともかく抗癌剤投与前の下準備を早く終えて、始めましょう、とのこと。

お昼はカニクリームコロッケ、美味。抗癌剤副作用中は揚げ物の匂いも嫌になるというが、どうなんだろう。TVを見ながら完食。
フジというか産経新聞のCMで、女子アナが焼き魚をくわえて逃げるCGの猫を追いかけながら宣伝するというものがあるが(原典は「サザエさん」の主題歌「オサカナくわえた…」だろう)、家で連れ合いといつもあれを見たあと「あの猫を捕まえたとして、どうするんだろう。野良猫から魚を取り戻して、それを自分らが食べるのかね」と話していたのを思い出す。
その野良猫を追いかけていったら、路地裏に入り、そこにはお腹を空かせた子猫が数匹待っていて、野良猫はそれらの母猫で、必死で取ってくわえてきた焼き魚をそっと子猫たちに与えはじめる。その痩せた背骨の浮いた母猫の後姿を見て、何をするというのだろうか…なんてことを想像していたら、涙腺がゆるんで本当に涙が出かかったのでビックリした。フと「性悪猫」を思い出した。

世の中はどんどん大雑把で、利己的で、優しくなくなってきている気がする。今がよければいい、自分さえよければいい、それは知性の問題というか、想像力の欠如ではないかと思う。
病気になってからつくづく感じたことに「自分の体を大事にするということは、自分を愛する人を大事にするということだ」ということがある。連れ合いはここ数日風邪でこちらへは来られない、しかし来られたとしても、そのことは確実に向こうの負担になると知っている。十年前に誤診から膵臓の機能をほぼ失い、今ではインスリン自己注射の身だ。右腎臓も腫瘍で摘出し、今は肝機能も悪い。その状態の連れ合いに、毎日病院へ来いというのは犯罪に等しいと思う。けれど連れは寂しいし顔が見たい、それに着替えもあるし…と理由をつけて来ようとしてくれる。気持ちは有難いが、二人とも倒れては何もならないので、「風邪が治るまで来るな」と言いつける。

俺の病気は俺の不摂生・利己主義から来たものであるかどうかは解らないが、過度の喫煙にしろ虫歯の放置にしろ、健康診断を全く受けてこなかったことにしろ、自分の健康を過信していたことは確かだ。結果、連れ合いや身内、友人などに心配と負担をかけている。ましてや今回は生き死にという大病だ、精神的な負担も大きいと思う。
タバコなど、癌告知を受けてからはスッパリやめられた。「よく我慢できるね」という人もいるが、自分の体を確実に悪い方向へ導いているものを、自ら摂取するおろかさに気づけばいいだけの話だ。要するにニコチン依存など理性でフタをすることが出来るということだ。自分の勝手だろ、ではない。自分を生み育ててくれた人たち、愛してくれた、今愛してくれている人たちに将来余計な心配や負担をかけることをちょっと「想像」すれば、「俺の体は俺のものだ、何をしようと俺の勝手だ」とは思えまい。
まさか自分がこのような病気と闘うことになって、考えさせられたことは多い。
古くからの友人たちが見舞いに来てくれ、もちろん冗談だろうが「退屈だろ、エロ本でも買ってきてやろうか」と軽口を叩く。それはもちろんどういう気持ちで言ってくれているのかはよく解っている、けれど今の自分には「おう、凄いの頼むよ」などと返す精神的余裕が、正直なところなかった。
今、何がしたいアレが食いたい見たいなどという欲望が一切ない、あるのは「生きたい」という欲求だけだということに気づいてしまったのだ。生きるためには食べねばならず、その手段としての食欲はある。けれど「生ものが食べられなくて可愛そうに」とか「こんないい天気に病院から出られないなんて」みたいな、普通の感覚での哀れみは一切不要なのだ。俺は生きたいから、生きるために病気と闘っている。そのために病院にいる。そのために出されたものを食っている。それ以上の欲望はない、唯一にして最大の欲求が「生きたい」ということなのだ。歯が無くなろうが髪が抜けようが、生きてさえいれば何とでもなる。
自分が死ぬということそのものよりも、自分を愛し自己の一部と考えてくれている人間を一人遺して逝かねばならぬことの方が、文字通り身を切られるかのごとくに耐え難いことだ。だから、死ねないのだし、生きたいのである。
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2005-08-26(Fri)

台風一過

8月26日

夕べは2時過ぎに小便で起きてベッドに戻るが、パラパラ、カシャカシャと小さな音が時折する。最初は自分のベッド周りをとりまいている簡易クリーンルームのビニールカーテンの音かと思ったが、クーラーは消したし、自分が動いてもいない。それによくよく注意してみると、音は確かに近くでしている。妖怪あずき洗いでもいるのかと思いつつ、ハッと気づいて窓ぎわへ行ってみると、激しい雨風。パラパラという音は雨が窓にぶつかる音だった。それくらいここの窓の防音は凄いので、雨風の音がここまで凄くなるまでほとんどしなかったのだ。そうわかってぐっすり寝る…と思ったら30分もしないうちに3時の抗生剤と点滴交換、その後は何とか6時の採血までは眠れた。

採血で起こされ、血を採られ、朦朧としたまますぐに二度寝し、7時半までまた寝る。蓄尿し洗顔、うがい。左奥歯の出血もほとんどなく、イソジンでうがいした後は綺麗な水が口から出る。痛みももはや全くといっていいほどない。朝食も生野菜を半分ほど残しただけで完食。生野菜は噛めないので、食べようと頑張ったが挫折した。癌と戦うには体力勝負と、入院してから意地になって食っている。そのせいで減っていた体重が上向きになった(笑)。その後連れから電話があり、まだ風邪でちょっと喉が痛いというから、休んでちゃんと治せと言う。

10時ちょいに歯科に呼ばれたとナースがお迎えに来た。消毒だな、と思って入っていくと、先生が「今日体調は大丈夫?」と訊くので「大丈夫です」と言うと、「もう抜くところはないけど、他のところもちゃんとこれから残して噛んでいけるように、治療しましょうね。今日ちょっとやりましょう」と言うことに。ええ?と思ったがもうどうしようもなく、否応なしに治療が始まる。何かあちこちキュィィぃーんとかガガガガとかギュリンギュリンとかありとあらゆる擬音が口腔内を飛び交い、頭蓋に共鳴し、なんともいえない不快な振動を体験する。途中右の奥、抜いた歯の手前の歯が神経が近くにあって、もろに痛い。ここはとりあえず薬塗ってふさいどいて、治療して安定した後で神経取りましょう、とのこと。あと上の前歯、差し歯があったところもかなり念入りに削ったり掘られたりされ、最後は歯型を上下取られて終わると40分以上経過していた。ぐったり。

その後昼食の配膳の時ナースの目を盗んで、というより見つかったが構わずエレベータで売店へ行く。文春、カステラ、「ミルクと珈琲」4本、お茶3本を買い込んで戻ってくる。本当は下へは一人で行ってはいけないことになってるので、こそこそと病室に戻るが、ナースの一人に荷物をじっと見られた。俺のところへは来たことのないナースでよかった。昼食はざるうどん。おかずのコンニャク・練り物などは切ってはあるもののひどく食べづらく、結局半分ほど残す。それでもオクラはつけ汁に混ぜて全部食べ、デザートのマンゴーも食べた。意地でも全部食うつもりだったが噛めないものは噛めない。昼食を食べかけていると、Uグループの一人のIDr.が来て様子を聞き、血液検査の結果をくれた。白血球数の減少はゆるやかというかほぼ横ばいながら、好中球数が激減している。これは確かに感染が心配なレベルだ。恐ろしい!



夕方まではパソコンでフリーウェアを探したりレビューを見たり。途中4時頃MDr.が来る。様子を見に来て、歯の方がいいようだったら、来週からでも抗癌剤を始めましょう、とのこと。「痔とかはないですよね、そういうのもけっこう危ないですから」とのこと。ともかく左のわき腹は脾臓がデカいせいか膨満感があるし、そのせいか背中側も痛くなってきた。早く治療を始めてもらいたいという気持ち。



Yahoo!ニュース - 共同通信 - 日本で多い「まず家族」 がん告知で日米研修医比較
いや、本人に告知せえよ。戦うのは医者や家族ももちろんだけど、何より本人だ。
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2005-08-26(Fri)

日々是淡々…

8月25日
台風11号(大きさはそうでもないが勢力は強い)が関東に接近してきている。今病院の外は曇り空で雨も降っていないようだ。セミが今のうちとばかりにミンミン鳴いている。
パソコンで音楽を聴いていると、3時前にナースが「歯科呼ばれましたよー」と迎えに来る。2Fの歯科まで車椅子で連れてってもらって椅子に座るが、しばし放置される。消毒だけなのに何で紙製の前掛けが? と思っていると、最初に診てくれた教授とおぼしき先生が右奥の縫合痕を見つつ左奥歯を見て、「これもやっぱり抜きましょうね、やっぱり放っといていいことないし」と言うので内心「え、今?」と思いつつも従順に「はい」と言う。「抗生剤も入れてるみたいだし、今やっちゃいましょう」と、心の準備が出来てないまま左3本抜歯ということになった。まあでも抜歯だ抜歯だ嫌だなあ、と思い続けてその日が来るより、行ったらいきなりの方がひょっとしたらマシかも知らん。麻酔と抜歯、その後の処理と縫合は教授がサポートして研修医なのか若い女医さん(こないだの右奥歯の時とは違う人)が担当。うまいのか今の歯科ってみなそうなのか、今回も麻酔針以外の術中の痛みはほとんどなし。ただ一本、しっかりした歯があり、引っ張られると痛い。なので麻酔を追加してもらい、それも抜いた。その後虫歯ではないが、もう歯根が細くなっていて、いずれぐらぐらして痛くなってくるだろうという歯があるので、これも抜いちゃいましょう、と言われる。というか、そういう具合なので「どうしましょう?」と言うが、こっちは大口開けて何かいろいろ突っ込まれてる状態。「お、おへがいひまふ」としか言えないって。結局3本と細い歯(根?)1つ・合計4本抜かれた。それでも左は上下5本全部抜かれるかと思っていたが、主に噛んでると思われる上と下の2本を残してくれたので、今後全くモノが噛めないということはないかもしれない。3時半過ぎにお迎えでまた病室へ戻った。麻酔のせいか痛みはない。

夕方6時、台風関連のニュースをずっとやっている。麻酔が切れた後の痛みは弱いが、出血がなかなか止まらず、口の中のガーゼから染み出してくる血を唾液と共にゴミ箱に出す、の繰り返し。まあ普通の人より血小板が少ない状態だから余計に血が止まりにくいのだろう。
8/24の採血結果(ホンの一部)
WBC 1500
RBC 3.57
HGB 10.8
HCT 31.3
PLT 95
血小板数=PLTの値が下がってきている。もちろんその他を見ても貧血傾向が進み、白血球数は横ばいとはいえ普通の人に比べればかなり低い。それより好中球数も減っているのが心配。晩飯食えるかどうか心配だが、右奥歯の時だって食ったんだから、根性出して食おう。

というわけで6時44分、夕飯完食。やはり前のように使える歯が少ないので、効率が悪い。したがって食事時間のが延びる。でも頑張って全部食べた。痛みは鈍いものがあるにはあるが、それにしてもズキンズイン痛いというものではない。ここの歯科はうまいのか、今の歯科ってこういうものなのか、あるいは俺が痛みに強いだけなのかは依然不明。

その後連れ合いが何度か電話してくる。昨日今日と風邪をひいたよなので、心配だ。寂しいのだろう、時折涙声になる。俺自身も寂しいし泣きたいのはやまやまだが、助かるから、頑張るから、と諭す。8時ころ、母親から携帯に電話がある。兄貴が来週HLA型の検査に行ってくれるそうだ。兄貴とは若い頃行き違いがあってそれ以来疎遠になっていたが、こういう時はやはり肉親だなあと思う。もちろん兄弟といえども型が合う確率は1/4。合ってくれればいいのだが…。何とか第一寛解期に移植がスムースに出来たら、それだけ助かる確率も高くなる。20分ほど、おふくろとは病気のことも含めていろいろ話すが、心配しているのは痛いほどわかる。俺もこんなことになるとは思わなかったけど、身内も含めて心配してくれる人たちがこんなにたくさんいて、有難いと心から思う。生きる、生きねばならない。
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2005-08-24(Wed)

準備ちゃくちゃくと…

おとつい、歯科に呼ばれて右の奥歯4本を抜歯されました。
麻酔の針がささる痛みは当然としても、その後ほとんど一度も痛みを感じなかったのが驚き。若い女医さんだったんですが、抜きやすいようにする前処理、抜歯、歯根の洗浄、縫合と、実にスムースで完璧な処理だったという感想です。その後麻酔が切れたら耐え難い痛みが…と思っていたのに、鈍痛がするくらいで、一度も痛み止めを貰わずに今にいたっているくらい。ただ血小板数が減っているのでさすがに血がなかなか止まらずに、半日口にガーゼを含んでいたのには文字通り閉口しましたが。経過をみて、今度は左の奥歯5本を抜きますが、こんな感じでやってもらえると助かるんだけどなあ。
昨日は皮膚科と眼科の外来にも行きました。両方とも異常なし。あとは左の奥歯を残すのみ、ということになりました。

抗癌剤は、まさしく「毒をもって毒を制す」という方法の最たるもの。健康な人に投与すれば死ぬほど強いものです。癌細胞のような増殖力の強い細胞を攻撃するもので、ふだんの人間でいうと髪の毛などがそれにあたりますから、副作用で髪が抜けるのは当然ということでしょう。この脱毛、ほぼ全ての毛が抜けるらしいですが、抗癌剤投与が終わるとちゃんと生えてくるそうです。知り合いの医者の先生は、投与終了後、抗癌剤の影響かうねった髪が生え、それが過ぎるとびっくりするくらい綺麗でつやつやの毛が生えてきたそうです。なんか再生というか、生まれ変わりというか、生命の不思議・有難さを感じたという…。
何度も書いてきたように、抗癌剤による副作用はむしろ脱毛や吐き気より骨髄抑制=免疫低下が怖い。歯なんか別に命に比べたらなんてこたぁねえ、思い切って抜いてくれい! なんて思ってたんだけど、実際に抜かれた4本の奥歯をじっと見ていると、30年ほど頑張って色んなものを噛み砕いてくれたんだなあ、文句も言わず、存在もほとんど忘れられ、あんまり手入れもしてもらえずに。そう考えたら有難くてちょっとじーんときた。

それにしても病棟(7階)から外来(B1〜2F)への行き来は車椅子に点滴付、です。自分がたいそうな重病人になった実感ひしひし。すれ違う人の目は明らかに「ああ気の毒に」「こうはなりたくないな」「かわいそー」みたいな言葉を発している。子供はあからさまに好奇の目を遠慮なく向ける。かと思うと車椅子の接近に気づかず通路をふさぐ人。そういうのに限って禁止されている携帯電話を大声で使っているオバハン。そんなにしなくても、と思うくらい飛びのいてよけてくれ、卑屈なくらい気をつかって通してくれる人も。なんか病院はやっぱり社会の縮図です。
ともかくちゃくちゃくと抗癌剤投与への準備が進んでいます。
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2005-08-22(Mon)

「自覚症状、なし」

昨晩7時半ころ、することもないのでナイターを見ていると、主治医のU先生が様子を見に来た。明日歯医者で抜歯などあるけれども、治療に入る前にきっちりやってもらいましょう、ということ。この病気というのは病気が直接の原因というよりも、やはり感染症との闘いである側面が非常に大きい、肺炎だとか虫歯菌もその他の雑菌も含めて、内臓出血や敗血症で亡くなる人も多いという。そういえば女優の夏目雅子の直接の死因は肺炎だったと記憶している、白血病治療中の免疫低下の際にかかったのだろう。
U先生は「とにかく治療前に見つかって良かったですよ、外来だとなかなかそこまでね、今痛いっていうんならお互い気づくかも知れませんけど、そうじゃないと歯のことまでなかなか気がつきませんから。気づかないまま治療入ってたら大変でしたからね」と言う、俺もそう言われればゾッとする。

今はWEBでひととおり以上の知識と情報はその気になれば、得られる。なので国立がんセンターのページから学術論文風のもの、さまざまな人たちの闘病記や看病記などを読みまくった。一応いっぱしのことは専門家でもないくせに、頭に叩き込んではいる、けれども肝心なのは自分が医師でもなく医学の専門家でもないということ。情報はあくまで情報なので、じゃあ自分の場合はどうなんだ、という診断や予測が出来ないことに変わりはない。そう気がついてから、ノートPCのデスクトップに散らばっていた病気関連のブックマークを全てゴミ箱に放り込んだ。

U先生に「この病気は急性か慢性か、っていうと慢性だと聞いたんですが」と聞くと「うーん、そういう分類ってこの病気に当てはまるか、というと実は疑問を持ってるんですよ」とのこと。俺が「これは慢性リンパ性白血病が予後に悪い方へ転化したのが、今の自分のT-PLLだといいますよね」と言うと、「確かにWHOの分類だとそうなってますけど、そういう分類自体もね、症例が少ないからはっきりしないと思うんですね。白取さんの場合、じゃあもし最初に外来に来られたのが3週間前じゃないですか、もしそんなに悪くなったものなら、変な話ですけど当然それなりに悪くなっているはずなんですよ。でもその時(3週間前)の採血の数値と、今回の数値と、実はあまり変化が見られないんですよね。だとすると、極端な話、自覚症状がなかっただけで、実はもっと前からこのような状態が続いていたんじゃないかということも考えられるんですよね」
なるほど、そういえば<リンパの腫れ>などはさすがに普段気にもしなかったので気づかなかったが、その他の典型的な症状である寝汗とか、脾臓の腫れ、倦怠感、貧血からくるめまいや動悸というものはここ数年感じてはいた。もちろん寝汗=もともと汗かきだし、脾臓の腫れ=食後の腹部の膨満感としか思わなかったし、倦怠感や動悸などは「疲れてるんだろう」で済んでしまう。
この病気はあとで「言われてみれば」ということが多く、自覚症状はほとんどないに等しい。まだ骨髄の中で癌細胞が増殖を始めている段階から「俺どうも白血病じゃないですか、調べてください!」なんて患者は超能力者でもないといないだろう。
なので先生に「そういえば一年…あるいはもっと前からあったように思います」と言うと「そうでしょう、それがたまたま健康診断でひっかかったことによって…ということで発見されたと。そういう例は多いんです」とのこと。
俺は白血病に犯されたまま、学校の教壇に立ち、90分間汗だくで講義をしていたのか(笑)! 道理で一日学校へ行き2コマも続けて講義をすりゃあ2kgくらい痩せたわけだ。生徒に「汗だくで頑張ってるんだから眠いとかだるいとか言うな」とよく言ったけど、そりゃ病気だ、つうの。
…しかしだとすれば、俺の病気はそれほど急激に悪化するような、つまり慢性が悪く転化して急性になり、さらに悪化したというような性質ではないのではないか、ということなのだが…。
「とにかく他のタイプと違って、こういう治療をすれば数週間後にはこうなって…という予測がつかないので、治療方法も確立されていないから、その部分だけが申し訳ないんですが」と言われる。俳優の渡辺謙が復帰して知られている「骨髄性白血病」は、もはや適切な治療をきちんと段階を踏んでいけば、決して治らない病気ではなくなっている。急性でも慢性でも、ステージがよほど悪くなっていない限りは、どれとどれの抗癌剤を組み合わせ、何クール投与し、寛解させ地固めし、維持させ、その間に何とか骨髄移植をすればほぼ治癒するということがわかっている。再発してからも同じコースを辿って、移植をすれば、第一寛解期の移植よりは生存率が低くなるとはいえ、それでも可能性はある。再再発した後も薬の種類や強さが変わるが、やはり寛解〜移植を目指す…。

だが俺の場合は、この病気自体が珍しく、治す方法がこれと決まってはいないこと、はもうじゅうぶん理解している。その上で、急激に悪化するものではないようだということが解って、実際大きな安堵感を得た。さらに、抗癌剤治療をすれば、骨髄抑制は必ず起こる。そしてその時の感染症との闘いは、絶対に避けられないということももう理解している。だとすれば、今一番大きな問題は、虫歯ということになるのだ。ならば、痛かろうがなんだろうが、明日からちゃんと治してもらおう、そう強く思った。やはり医師の患者への丁寧な説明、納得のいく応答というものがいかに重要か、自分が身をもって体験した。

わけのわからぬ病気にかかり、わけの解らぬまま意味不明の治療をされる、それで治ればいいが、手遅れでした、さようなら…なんて言われたら、そりゃあ死んだら地縛霊にもなるってものだろう。インフォームド・コンセントというが、そのほとんどは医師側からの一方的な「説明」に過ぎないことが多い。こちらの質問に納得行くまで応えてくれることは少ない。さらにもっと進んで、患者が「こんな可能性はないか」「こういう治療は考えられないか」と踏み込めることは、ほとんどないと言っていいだろう。「素人が余計なことを言うな」で終わりだ。
自分の場合、連れ合いが闘病でここ十年ばかり入退院をずっと繰り返してきた。しかも同じ病気ばかりではなく、病院もいくつも見たし、たくさんの医師にも会った。その中でよく連れ合いと話していたことは、「自分の体のことは自分が一番良く知っている」ということだった。もちろん医学的なことではない、自覚症状のない病気だって多い、だが病気になって医師にかかっている場合は、「もっとも大きな情報源は患者自身である」ということを忘れずに、医師の側も「患者と一緒に治す」気持ちで接してもらいたいと思う。
先日は医師団の中の別の医師に「癌治療は大変です、私たちも頑張りますけど、一緒に頑張ってくださいね」と言われた。そういう言葉で患者は「頑張ろう」という気持ちになる。
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2005-08-20(Sat)

抗癌剤投与延期?

引き続き、個別のメールや書き込みへの返答が細かく出来ず、すみません。
励まし・応援していただいた方々に、御礼申し上げます。
あとジャナ専の生徒諸君も、「卒業まで面倒みる」と言っておきながら申し訳ない。今度の敵はかなり手ごわいので、許してくれ!


白血球は19日の採血で1700.外科退院時の1日は1500だったのでさほど変化なし、赤血球関連の貧血も急激な変化はなし。依然感染症の心配はあるものの、これまで通りマスクをし、うがいと手洗いに気をつけ、人ごみと生モノを避ける…ということでOK。
おとついの夜からベッドの頭に巨大な空気清浄機が取り付けられ、そこからビニールの壁がベッド周りをとりまいている。クリーンパーテーションというもので、無菌室とまではいかないが、ベッド上の空気だけはこれでばっちり清浄、というわけです。

昨日歯科検査がありました。
抗癌剤の副作用の一つに「骨髄抑制」と言って、解りやすく言うと白血球などの数が減り、結果免疫力が著しく低下する状態になることがあります。これは癌細胞を叩いていく上で避けられないもので、普通の人なら何でもないカリニ原虫でカリニ肺炎になってポックリとか、虫歯菌が全身に廻って敗血症でポックリとか、心臓に廻ってポックリとか、まあ簡単にポックリいく状態になってしまいます。なので、虫歯の検査に行ったんですが。
そもそも十何年か前、ガロ時代の貧乏な頃に高い金を出して虫歯治療して、差し歯も数十万円かけて入れたのに、ホンの数ヶ月でポロリと取れてから、歯科というものを信用しなくなった自分。歯石除去なんかも行ったことなし。しかしそのツケが今! という感じです。歯の奥が膿んでいる箇所があり、そこは数百種類の雑菌の巣窟となっているため、切開して除去。虫歯も極力、抜歯。ボロボロっすよ。
しかし歯ヌケになろうと、命には換えられません。
ついでに、皮膚科や眼科なども全部診てもらって、万全の体制で癌を叩きましょう、ということになった。
抗癌剤投与はもう覚悟は出来ているというか、むしろ「早く癌を叩いてくれ〜!」みたいな感じなんすが、歯…ですか(笑)。ヘコみます。
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2005-08-18(Thu)

入院しました

今日、N大学医学部付属I病院(匿名にする意味あるのか不明…)に入院しました。
抗癌剤投与は月曜からだそうです。やはり、副作用は初回の投与がかなりハードな様子なので、正直ビビっています。とはいえ命が助かるんならハゲようが吐こうが耐えますが。
ちなみに今ここしか空いてないという立派な個室で、ベッド周りは感染予防の空気清浄機とビニールカーテンで覆われています。従って来訪者はマスク着用、入り口で手をアルコール消毒必須という状態。点滴は入ってるし、いきなり重病患者になった実感がひしひし、です。
抗癌剤投与が始まると体内で悪さをしている癌細胞、この場合は白血病細胞が死んでいく(死ななかったらこっちが死ぬ)ので、その蓄積される死骸が体外へ排出されるために腎臓に大変な負担をかけるそうです。そのために尿酸の生成を抑える薬をもらいました、今日から毎食後飲めということ。(サロベール錠100mg)
こうしてキーボードを打っていると左手首の点滴んとこが痛くなってくるので、とりあえずこの辺で。

ところで皆さん、重ね重ね、励まし、応援のメールや書き込み、お電話などありがとうございます。貧血がありなかなか個別にお礼が言えず(書けず)申し訳ないです。
骨髄バンクへのドナー登録の呼びかけなども、自分のためというより、同じような病気で延命治療を受けながら提供者を待つ身のすべての人たちのために、健康な人はぜひお願いします。
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2005-08-15(Mon)

癌告知と余命宣告を受けてきた

今日N大I病院の血液膠原病内科へ行ってきました。主治医のUドクターより、かねてからの細胞検査も含めた各種検査の結果、「白血病」であることが告げられました。
こちらは悪性リンパ腫だとてっきりと思っており、ドクターもその可能性が最も大きいと話してたんですが、ドクターによると
「血液の中でもリンパの病気で、白取さんのような場合は普通大きく悪性リンパ腫か白血病かに分かれるんですが」と前置きし、「白取さんの場合はとても珍しいケースなんですね、このどちらにも当てはまらないんです」という。
強いて言えば、という感じで紙に「前リンパ性白血病」と書き、「いわゆる白血病やリンパ腫の場合は、こういうケースではこういう治療、というような形で細かく治療方法が分かれて、使うお薬なども決まっているんですが、白取さんの病気の場合はそういう臨床例が極めて少ないんです」という。つまり治療プロトコルが確定していない、ということ。「私はもちろん初めてですし、細胞検査の先生…私よりも10年以上も経験のある先生ですが、その方でもうちの病院でも10年前に1例あったかな、というくらい珍しいんです」とのこと。その上で「ただし、似たような症例の場合にはこういう治療が効果がある、それが駄目ならこういう治療がある…ということで、もちろん治療方法はあります、ただそれが効果があるかと言われれば、断言はできないんですね」とのこと。
俺が「ということは悪性リンパ腫とかの方が治療方法が確立されているだけにまだ良かったということでしょうかねえ」と聞くと、「いや、悪性リンパ腫でも進行具合や種類によっては白取さんよりもむしろ悪い場合もあります。とにかくすぐにでも入院してもらって治療を開始しないと、来年の夏は迎えらる保証はない…と言うことになります…」とのことでした。つまり、余命は1年ない、10ヶ月ほどということだろうか
俺は診察室の椅子に座ったままそれを聞かされて、さすがに少し動揺した。メモ帳を出して「正確な病名をもう一度伺っていいですか」と言うと、ドクターはメモ帳に「前リンパ球性白血病」と書いて、その上に「T細胞性」と書き加えた。つまり
「T細胞性前リンパ球性白血病」
ということになるそうだけど、そういう病名があるのかどうかもこの段階では不明です。(注:ありました・後で確認 悪性リンパ腫について 応用
とにかく俺の場合、全身のリンパに腫瘍が見られ、骨髄にも浸潤しているから、放射線照射は無理。したがって抗がん剤治療で寛解(かんかい=病気の症状が見られなくなること、治癒とは違う)を目指すということになるそうです。あとは「骨髄移植も考えられた方がいい…というか、白取さんの場合はやられた方がいいと思うんです」と。
もう癌であることは理解していたのでそのことへの動揺はなかったものの、治療方法が確定していない病気であり、なおかつ余命1年ないということを宣告されたわけで、さすがに会計へ向かう階段を下りる足が震えた。
帰りがけ、連れと買い物をしたのだけど、肺の真ん中あたりが痛い。そういえば一番大きいと言われた肺の縦隔にある腫瘍の大きさを聞くと「5〜6センチくらい」と言ってたっけ。いつの間にそんなに大きくなったんだろう。恐ろしい。リンパ節の腫れは、左のあごの下、首筋にもできた。このまま放置すれば確実に死…だろうな。そんなことを考えると動悸がしてくる。左わき腹は脾臓の腫れのせいで痛い。その中、脂汗を垂らしつつ買い物を終え、炎天下タクシーで帰宅。
「リンパ性白血病」について調べるが、珍しい病気であることは確かなようだ。

連れはソファに落ち着いた後、ちょっと「何でこんな病気に」と言って「わあ」と泣く。しかしすぐに「ごめんね、泣き喚きたいのはそっちの方だよね」と。確かに俺だってそうだけど、俺がそんな状態になっても連れは何もできないのだから、もっと辛い思いをするに決まっている。
俺は「治そう、治るよ。そうして京都で川床料理を食おうや」と言う。来年の夏を元気に迎えてやろうじゃないか。
死んでたまるか。
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2005-08-10(Wed)

貧血なのかフラフラ

夕飯を食べに行こうと連れ合いと外に出たが、マスクを忘れたせいか外気の汚れが気になって仕方がない。バスを降りてお目当ての店に着くと閉店中で脱力。引き返すが、道々動悸が激しく、老人のようにそろそろと休みながら歩く。ついこないだまで誰よりも速く歩いていたのに。
脾臓が血液を取り込み肥大化しているせいか、白血球や赤血球を問わず、貧血症状がひどい。ちなみに白血球値は7月の健康診断時で2500と少なく、転院した現在の大学病院初診時の採血で1900、さらにリンパ節摘出手術時の入院最後の朝(8/1)の採血で1500。おいおい、素人でもこりゃヤバいんじゃないの? と思う数値だが、特に抗生剤の処方などもない。マスクをして、生物(ナマモノ)は食べないこと、感染に注意、ということだけ。その後は次回の通院までほったらかし(?)なので、もうしばらく(10日ほど)採血はしていないが、白血球値のその後の推移が心配だ。
★     ★     ★
励ましの書き込みやメールをくれた方々、ありがとうございます。ちょっと疲れやすいのと、血が足らないので動悸と息切れがするため、個別にお礼の書き込みや返信は今は控えさせていただきます、すみません。
来週からの入院はもう確定していますが、体力と精神力の許す限り更新を続けますので!
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2005-08-08(Mon)

骨髄穿刺検査

病院へ行ってきました。今日は先週入院して行ったリンパ節摘出手術で取り出した検体の検査結果が出るはずだったのに、より詳しい検査中ということで、「告知」ははっきりとされなかった。
しかし先生はCT、ガリウムシンチ(アイソトープ)その他の検査結果を総合的に鑑み、おそらく悪性リンパ腫の疑いがもっとも強いということ。
すぐに骨髄穿刺検査、つまり背骨に針を刺して骨髄液と細胞を取り出す検査をされました。これが麻酔したとはいえ痛いこと痛いこと! 歯の治療をしたことのある人ならお分かりと思いますが、要するに細いドリルのようなものでゴリゴリグルリグルリと神経を抜かれるでしょ、アレのもっと太いやつで骨をやられると思ってください。結局左でん部から針を刺して骨盤?あたりの骨から取られました…。
来週、これの結果と生検の結果とあわせて、入院し治療方法を決めようということに決定。
要するにあとはどういう種類の癌であるか、ということです。(ホジキン病か非ホジキン病か、型は、進行度は…など)それによって抗がん剤などの種類、組み合わせなどが決まります。
戦いの始まり、ですね。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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