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2005-09-26(Mon)

退院しました

9月26日(月)
夕べはベルリンマラソン、野口みずきがブッちぎりでアジア記録樹立…を見て、9時過ぎに担当ナースのFさんが退院後のマグラックスとイソジンを持ってきてくれる。マグラックスというのは便が固くならないようにというので貰ったもので、癌治療とは直接は関係ない。抗癌剤投与後に免疫抑制が起きた場合、便が固くて肛門が切れたりするとそこから黴菌に感染したりする恐れがあったので、こちらからお願いして処方してもらっていたもの。退院後もいつ抗癌治療が開始されるか解らないので、継続服用というわけ。
その後消灯するも、1時間ほど寝られず。夕方にはいったん収まりかけた風も、夜中じゅうビョオビョオと吹き荒れていた。4時頃ナースの見回りのドアの開閉で起こされた後、5時過ぎまで寝られず、やっと寝られたと思ったら6時起床。早朝の東京は台風一過で青空にうす曇りのいい天気。これから一週間ほどはいい天気が続くという。治療せぬままの不安を抱えた退院ではあるが、気持ち的にはまさしく今朝の天気のように、晴れ晴れとしつつもうす曇…という感じか。自分の病気と精神的にも向き合う時間がたっぷりあり、勉強する時間もあった。その心の余裕を持てるようになったのはやはりこの病室のいい環境のせい。病棟の看護婦さんたちも先生がたも誠実でいい対応をしていただいたと思う。下の病棟で複数人の相部屋だったらとてもこうまで快適だったなどとはいえなかっただろう。ナースコールのキンコンカンコンは個室にいてもドア越しにしょっちゅう聞こえる。それがリンパ節摘出で外科病棟に入院していた時は、とにかく周囲の騒音がモロ聞こえだったし、何より廊下をバタバタと行き来する足音、バイタル時のワゴンの騒音もこんなもんじゃなかった。まるで一瞬たりとも寝るな、気を緩めるなと言われているようだった、病人なのに。
それよりも入院患者にとって最大の敵は、健常者だ。無神経な見舞い客の騒音は最大のストレスで、たとえば外科の二人部屋にいた時は、隣の男子高校生のところに毎日ばかでかい靴音を立ててコギャル(死語)が「来たぞ〜!」みたいにこれまたバカデカい声で見舞いに訪れ、声はデカい、「カゼひいちゃてさぁ〜」とゲヘガハと咳はしている、こっちは免疫低下中だってのに殺す気かよと思った。3時頃来て「今日はぁ〜、8時までいられるよー」と聞こえた時はいっそ、窓から飛び降りようかと思ったよ。病院へは風邪やインフルエンザや結核の人は見舞いに来ないで下さい。お願いします。あと地声のデカい人はマスクを七枚重ねて話すようにしてください、お願いです。ていうか病院というところは、病気で具合の悪い人が、休んでいる、ところで、ある、という当たり前の認識すら持てない◎●な人は、見舞いには金輪際来ないで下さいね。
実は個室にいた俺とて、隣の患者さんのところに来る妻と子供の騒音は大変な苦痛で、ドアと壁で仕切られているからまだ我慢できたようなものだ、もしあれが相部屋だったら発狂していただろう。小さい子供が大声で騒ぐのは、時と場合と常識を知らぬからだ。子供とはそういうものだ、ならばなぜ周囲の大人はキチンとそれを注意できないのだろうかと思う。注意してあげるのは結局のちのち恥をかかぬようにするための躾であり、つまりはその子のためだ。その子のためを思う周囲の大人、つまり親が躾を行う最大の存在だろう。俺は他人だからそのガキが大人になっても病院へ風邪なのに来ては彼氏とデカい声でイチャつくような見事なバカになろうが、知ったことではない。だから看護婦さんにそれとなく注意しただけだった。まあそういう親に限って、正論を言われると逆ギレしたりするんだよな。ああ面倒くさい…というわけで。とにかく概ね快適であった40日を過ごしたこの個室とも、今日でさようなら。ちょっと名残惜しい感じさえした。
退院の支度、荷物まとめは昨日完璧に終えていたので、あとはこのノートパソコンと、冷蔵庫の中身くらいなもの。パソコンにしてもバッテリー駆動でマウスももうしまってあるから、本体のみである。
朝食を完食後、8時半過ぎに研修医のSクンが様子を見に来る。今日は忙しい日なのでバタバタしているが、後で主治医のS先生も来るはず、とのこと。月曜なので病棟も外来もきっと忙しいのだろうな。これからは外来で様子を見るが、悪化するにしても、非常に稀ながら自然寛解するにしても、どちらにしても数ヶ月という単位ではなく、何年という付き合いになると思う、とのこと。その間不便ながら、白血球値が通常の三分の一程度に下がっているから、感染にはじゅうぶん注意してください、ということ。実は、もっとも怖いのは「病院の外来」である。内科外来は内臓関係の疾患が多いし、こう言っては何だがお年寄りも多い、俺と免疫力的にはどっこいどっこいだろう。ではどこかというと、病院の外来では小児科がもっとも恐ろしいのだ。幼児があそこに来るのは熱だ風邪だというのが一番多いし、また風邪や病気だけでなく、汚いものも平気で触ってるだろうから何の菌を持っているか知れない。とにかく小さい子には近づかないようにしなければ(笑)。季節は乾燥した冬、場所は閉鎖された空間、そこに幼児がびっしり…という状況が最悪です。
着替えも終えてMLBを見ていると10時半頃、Yちゃんから「今(自宅)マンション前に着いたからこれから行く」とメール。連れ合いを拾って来てくれるので1時間ほどかかかるなと思ってると、あのファンキーなナース(ノートPCの電源の件)が来て、退院会計が出たと用紙をくれた。見ると58万いくら。巨大な58万円という金額表示がゴーン! と頭上に3D画像テクスチャはヒビの少し入った石、みたいな感じで浮かんだ。すげぇ。下まで降りて、キャッシュディスペンサーで金を下ろし、診断書の交付もあったので60万円也を会計に渡した。何せ十万円以上の札束を手にすると心拍数血圧血糖値β波などが意味不明に上昇する体質なので、物凄い札束をヒイコラ数えてお姉さんに渡して確認してもらう。お姉さんは慣れた手つきで俺の札束ちゃんをササーッと数えて領収書と診断書、退院カードをくれた。そうしてニッコリ笑って「お大事になさってくださいね。」と言ってくれた。ありがとうございました。
病室に戻ってNYY−TORの試合を見ながら連れ合いとYちゃんの来るのをずっと待っていたが、領収書をコピーするのを忘れたのでもう一度下まで行き、コピーを済ませて上がってくると、主治医のS先生と鉢合わせ。一緒に病室まで行く。S先生は「これからは外来でU先生(元々の主治医)ということになりますが、はっきりした病気の型など解りましたらお伝えするようにいたしますので。いずれにしてもご病気はこのままということは考えにくいですから、今後経過を見て、なんらかの治療に入るようにはなると思います」とのこと。さらに「この段階で治療を開始する人もいると思いますよ」という。医師によっては今の俺の容態でも抗癌治療に突入する人もいる、ということだ。ともかく最後はお世話になりましたとお礼を言い、S先生も「奥様お大事になさってください」と言って下さる。
その後ベッドに横になってMLBを見ているとうとうとしかかり、危ないところで11時半すぎに連れとYちゃんが来てくれた。ナースステーションに退院カードを渡して「お世話になりました」と挨拶をして、部屋に戻る。本当は担当してくれた看護婦さん一人一人にお礼を言いたいところだが、シフトがあるのでそうもいかない。部屋ではYちゃんが冷蔵庫の中身をどんどん袋に詰めてくれていて、助かった。エレベータホールまでエッチラ荷物を持って行き、いったん連れ合いを待たせて戻ると、残り全部をYちゃんが持ってくれる。凄い重さのはずだが、若さ…というより健康というのはこういうことかと、思い知らされた。俺はちょっと重い紙袋を二つ持ってっただけでまた手のひらがプツプツと皮下出血だ。
エレベータで下まで降り、外に出ると陽射しが暑い。車までえっちら荷物を持って行く。連れ合いはキツそうだったが何とか車までたどり着き、出発。次にこの病院へ来るのは外来での定期検査だ。そしてもし次に入院となる時は、今度こそ診断が確定しての抗癌治療開始ということになる。
舟渡のCOCOSでご飯を食べた後スーパーで今日からの食材、野菜や魚などをどっさり買って帰宅2時過ぎ。とても車がなければ出来ない退院&買い物だった。ヒーコラ荷物を搬入して、買ってきた野菜だのを冷蔵庫にいれるにあたって、Yちゃんが「冷蔵庫の中掃除しよう!」というと凄い勢いで次々に不要なものを捨て、さらには汚れたプレートなども洗って綺麗にしてくれた。途中から俺も少しだけ手伝うが、やはりこういうことは勢いでやっちまわないとダメだ。その勢いが我々にはなかったのだが。1時間以上かかって冷蔵庫の中が整理され綺麗になり、3時過ぎにようやく一服。Yちゃんは子供たちのお迎えがあるので、4時過ぎに帰って行った。いやはや今日は単に運転手をやってくれただけではなく、本当にいろいろ助かった、感謝感謝。
実際、入院してしばらくの間、歯科治療を終えたら抗癌剤…という時期には、このまま元の生活に戻れるのは一体いつになるのかと思っていた。無治療であり、癌であることは変わらず、いつ治療に入るのか不明ではあるが、こうして自宅に戻れた。つまりは入院前と変わっていないということになる。ただ違うのは、自分が癌でありこれからどう生きていけばいいのかを悟っていること、だ。
死にたいという人たちが集うサイトがある。実際、そこで「相い方」を募って本当に死ぬ人たちがたくさんいて、問題になってもいる。その人たちのことを単純に愚かだと笑ったり断罪したりする気も、中途半端に同情したりましてや肯定する気もない。ただ、自分はどうして今この世に生を受けているか、これまでどう生かされてきたのか、そしてこれからどう生きていくのかを真剣に考えた方がいいと思う。生きていさえすれば、大概のことはどうとでもなる。何より、自分を愛してくれる人、自分が愛する人がいれば、痛切に「生きたい」と思えるはず。だとすれば、彼ら自殺志願者にはそういう他者がおらず、そういう他者を愛せる自分ではないということなのだろう。そして自分はなぜ生かされているのかの意味を深く考えていないのだと思う。俺は生きたいし、生きねばならないのだ。

■今日の御礼
教え子のKさん、故郷の「すだち」と沖縄みやげのシークァーサー錠、ありがとう! ビタミンたっぷり免疫アップだね。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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