2005-10-31(Mon)

癌治療とか免疫とか検診とか

10月31日(月)
朝は携帯の目覚ましで7時半に起きてすぐに洗顔、検温、血圧測定などいつものようにこなす。定期健診の日なので、外出の支度をして8時過ぎに家を出た。
最近はもちろんマスクをしてとはいえ、駅前へゆっくり連れ合いと用足しに出たり、バスやタクシーに乗って買い物に出歩いたりするようになった。病気は治ったわけではなく、ひょっとしたら少〜しずつ進行中かも知れない。だが病人病人しているのは自分でも嫌だし、連れも傍にいて気が滅入るだけだろう。自己免疫力の回復にも良くない。


ところで免疫ということでいうと、先日母親が送ってくれた本の中で一気に読んでしまった本がこれ。
がん治療総決算

文藝春秋

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この本の著者はあの「患者よ、がんと闘うな」の著者で、現役の慶応大学病院の講師(これだけボロカスに日本の癌治療の実態を書けば教授にはなれないのかも)。今の日本の医学会において、固形癌に関しては、とにかく腫瘍本体も含めてごっそり臓器を取り、当り前のようにリンパ節郭清を行い、抗癌剤をじゃぶじゃぶと患者に使いたがる。初発時のほとんどの癌は治療の必要さえないものであり、医者が過剰な「治療」を施すことで患者のQOLが著しく貶められているだけでなく、命さえ縮められていると言い切る。「無治療・様子見」がもっとあっていいと言うのだ。ただ、この人には当然毀誉褒貶が激しい。もちろん現代医学の臨床に携わる医師や学者からは当然激しい反発も多く、「放置したら死んだぞ」という抗議もある。当然だと思う。
ただ、全ての「癌」が「患者の命を必ず奪う絶対悪であり、ただちに取り去るべきもの」という「医学の常識」に一石を投じたことは確かだろう。ただ、むろんたくさんの臨床例を見、体験してきた現場の医師たちの行為を全て否定するというエキセントリックな手法はやはり反発を呼ぶだろうとは思う。その上であえて思うことは、こうした、ある種露悪的とも言える言説(たとえば病室から夜逃げしろ、とか)をオーバーにブチ上げることで、それらに付帯する・あるいは背景にあることも含めた問題の本質に世間の耳目を集めるという「アジテーター」の役割を負う人は、必要なのではないか。現実にこれらの本・言説によって、何も考えずにマニュアル通りに治療をしていた医師たち、治療を施されていた患者やその家族に、様々な「思慮」と「自覚」が生じたと思うからだ。

その中でも、これもまたベストセラーになった「免疫革命」の著者である安保 徹氏監修によるこの本は、もう少し現代医療と免疫療法の融合を目指し、手術・科学療法(抗癌剤)・放射線のいわゆる三大療法と、その他の治療法との共存に期待させる内容。しかも臨床のデータもきちんとサンプルはあくまで自分のクリニックでの数なので多くはないものの、公開している。その上で、現代医学の問題点を近藤氏に賛同し指摘・確認をしながらも、三大療法を真っ向から全否定することに疑問も呈してもいる。バランスが取れていると思う。
免疫革命・実践編

講談社インターナショナル

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先の「がん治療総決算」では、さまざまな「第四の療法」についても、細かく検証しており、そこは実に興味深く、面白かった。
さまざまな自然食やキノコだのロイヤルゼリーだのポリフェノールだの、自己免疫力を高める「第四の治療法」は、そのほとんどがいかがわしい商売の論理にガッチリと組み込まれたものが多く、何を信用していいのか解らないというのが患者側の現実だと思う。実際俺のお袋は俺が癌になってからというものの、やれ誰それさんは何とか酵素を飲んでたら癌が消滅した、誰それさんは有機ゲルマニウムがいいと言っていた、これは誰それさんが偉いなんとか先生から勧められて商売抜きで譲ってもらった薬だから飲みなさい、みたいな感じで奔走している。
癌にかかった人は、ほとんどの人が「がん告知」を受けた時点でイコール「死刑宣告」と考えるという。俺はもちろん当初余命宣告を受けた時ショックでなかったかと言われればもちろんショックを受けた。平静を装おうとしても足が震えた。だがそこから先は、自分で自分の病気を知ること、情報を徹底的に調べ、聞き、咀嚼して「癌である自分」も一つの情報として自分の中に取り込んでしまうことだと思う。どうしたら死なずに済むか、というよりどうすれば生きられるか。ではどう生きるのか。より良く生きるためにはどうするべきか。これらを考え、調べ、ましてや実践し、となれば、とてもガックシと落ち込んで日々ため息をついて涙を流しているわけには行かないのではないか。

俺の場合は固形癌ではないので、抗癌剤が効く病気である。そのことは近藤氏の著書では(専門外だからだろうか)ほとんど触れられておらず、「免疫革命・実践編」でははっきりと書かれていた。俺の病気は当初暫定的に診断された予後の悪いタイプの癌ではなく、虫歯のおかげ(?)で抗癌剤投与が遅れ、その間の細胞の所見で当初の診断そのものに疑問が生じ、さらにその後の経過から診断ともども治療そのものが見送られて今に至る。このことは果たして不運なのか幸運なのか、現段階では全く解らない。「解らない」ということが患者を不安にさせるのだと思うのだが、それに気づいている自分がまさしくその状態に置かれているということに、不条理な思いをしている。


さて検診だが、17号は晦日の月曜で混んでるだろうなと思い、迷った挙句きびすを返して東武練馬行きのバスに乗る。採血予約は9時、診察予約は11時15分。もう8時を過ぎており、このままいつもの池袋行きのバスに乗った場合確実に座れないし、渋滞にはまれば病院まで1時間以上かかる。タクシーに乗ったところで道が混んでいれば同じことだからだ。
高島平までバスで10分弱、そこから地下鉄で板橋本町まで行き、駅からエッチラ地上に上がってバス停へ行くと日大行きバスまで15分も時間があったので、脱力。結局そこからタクシーで病院へ。内科受付から採血受付へ行くと9時15分くらいだった。疲れた分マイナスだったかも知れない。
採血は2、3分待ってすぐに呼ばれ、2本血を採られた。今日は最初のブスリ、以外は痛くなかった。これから11時15分の外来検診まで時間があるので、1階にあるいつものテーブル付きソファのある一角へ行き、窓際の明るい椅子をキープして、販売機でコーラを買って座り、じっくり週刊誌を読む。11時5分前に外来へ入っていくと4番の前の椅子が珍しく空いていたので、座って待つ。11時5分くらいに4番から主治医のU先生の声で前の患者が呼ばれたが誰も入らず、じゃあ飛ばしてすぐ俺かと思っていたがなかなか呼ばれない。結局本来の15分になって呼ばれたので診察室に入った。
この日の採血の結果はWBCが1200と、過去最低レベルだった。それより腫瘍量が増加すると数値が上がるLDHが、相変わらず正常値より高めだった。その後の触診であちこちのリンパ節の腫れを確認してもらうが、相変わらずという感じ。ただ、前回脾臓と肝臓の大きさを把握しておきましょうということで超音波をやったわけだが、余りに大きすぎてちゃんと把握できなかったとのこと。なので、CTを来週改めて撮りましょうということになる。来週の火曜日の午後、造影剤ナシの単純CTの予約を取ってもらう。超音波の際に言われた胆石については、石が胆道を詰まらせたり痛みが強くなったりしなければ、まあ様子を見るということで、これはよくあることだとのこと。
あとやはりこれから風邪の季節だし、前の患者さんでもけっこうゴホゴホやってた人がいるので、帰ったらよくうがいをしておいてください、と言われる。「やっぱり風邪引くと重くなりやすいということなんですよね」と言うと、「そうですね、肺炎になりやすかったりと、重症化しやすい状態なので、とにかく注意してください。肺炎になったり、風邪が重くなると、結局ウィルスに白血球が向かって行かなきゃならなくなりますから、その分血液の数値も悪くなるでしょうし、そうなると元の病気への影響も出るかも知れないし、白血球数がただでさえ低いのがさらに低くなって他の感染症の心配も出ますからね」とのこと。うううむ、弱い、弱いぞ今の俺。

そういうわけで、また2週間後に外来ということになって、15分ほどで診察室を出た。その後CTの検査の説明をいつもの検査説明カウンタで受けてから、地下の会計受付をする。会計はこないだの超音波の時にうっかり忘れて帰ったので、自動支払機では受付拒否されてしまい、カウンタで併せて済ませた。その後連れに電話するとお昼は買ってあるけどお腹空いてるんだったら何か食べてくればというので、池袋行きのバスに乗る。池袋で降りて銀行で金下ろして、ビックカメラに寄って携帯の液晶保護シールを買い、何食おうかとウロウロした挙句、前に打ち合わせで入った喫茶店に上がり、サンドイッチと珈琲で済ます。その後地下道を通って反対口に出て、ビックカメラの5階に上がっていろいろ見る。ソフトもハードもちょっと目を離すと物凄い進化をしているなあ、なんて思いつつ順番に階段で4階、3階…と各フロアを見て周り、1階に戻ったらもう腹が痛くなってきた。しまった、俺は病人だった。
疲れたので地下街に入って西武をチラと見て東武の地下まで歩き、二人の夕飯用に弁当を買って、帰宅3時近く。その後は仕事のデータが来ていたので、その更新作業など。今日は腹が張る。かなり歩いたせいだろうか。調子に乗ってビックカメラ店内にもずっといたしなあ。やれやれ、やはりまだリハビリが必要だ。
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2005-10-20(Thu)

胆石発見さる

10月20日(木)
脾臓、肝臓の超音波検査のため病院へ。バスの車中はお年寄りばかり。中のじいさんが一人マスクもせずにガハゲホと始終凶悪な咳を連発していたので、連れ合いにもマスクをするよう勧める。途中本蓮沼で降りて、地下鉄で新板橋の整体へ行く連れ合いと別れて、乗り換えのバス停へ…と思ったらちょうどN大病院行きのバスが信号待ちをしていたので、ダメ元でバスのドアをノックしてみたら、運ちゃんチラと見て少し迷っていたが渋々という感じで開けてくれた。助かった。
病院までの道は空いており、2Fに戻って検査受付をし、6番の超音波前に座ると10時15分くらい。まだ時間があったので病院の入り口で貰ったアンケート用紙に記入をして封をすると、呼ばれた。10時半の検査予約だったが、呼ばれたのは5分くらい前だったから、今日は間がいい。

薄暗い検査室の中に入ると検査用のスペースがベッドごとにカーテンで仕切られており、入って右すぐのカーテンの中に入れと言われる。中年の女性技師に「今日はお腹ですから、お腹を出して寝ていてください」と言われたので、ベッドの上でシャツをまくり、腹を露出するという間抜けな格好でしばし待つと技師が入って来て、胸の下あたりにゼリー状の物質をボトリと塊で垂らされて、検査開始。ヘッドを時折ゼリーを補充しながら患部に充てて、「はい息を吸ってー…、はい一杯まで吸って…止めてください」と言われて息を止め、3秒ほどで「はい、抜いていいですよー」と言われるのを何度も繰り返す。今日は脾と肝の超音波なので、10分ちょっとじっくりと見られる。
その後「しばらくお待ちください」と言ってその技師は去り、別の女性技師が来た。先ほどの人と同僚か上の人かと思われ、確認のように同じところを見ているので、「脾臓と肝臓が腫れてると言われてるんですが、そんなに腫れてますか」と言うと「脾臓は確かにかなり腫れてますね」と言いながらヘッドをぐりぐりあてて画面を見ながら「でも肝臓は腫れてませんよ」と言う。で、「それより胆石がありますね。言われたことあります?」と言うのでもちろん初耳、「ないです、初めて聞きました」と言うと、「あー、二、三個ありますね。でも今まで悪さしてないんだったらこのまま様子見ましょうか、そういうことはよくあるんですよ」と言われた。今度は胆石かよ俺。
「脾臓は何で?」と聞かれたので「リンパ腫か白血病かはっきりしないんですが、それで…」と言うと「ああ、そうですか」と納得の様子。そうして「はい、いいですよ」と言われて終了。腹のゼリーをティッシュで拭き取ってもらい、帰って良いということ。まくった腹と下ろしたズボンなどを整え、部屋を出る。

昨日の夜9時から検査に備えて飲食をいっさいしてないので、とっとと病院を出てバス停へ行くと赤羽行きは時間があったので、また池袋行きに乗る。乗ってから連れ合いに天気もいいので気晴らしにと思い、「池袋でも出ようや」とメール。バスが池袋に向かって走り出してから、会計をしてなかったことに気づいたが、また今度でいいやと思ってそのまま向かい、池袋で連れと合流してラーメンを食べて帰宅。家に着くとまだ1時ちょいだった。
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2005-10-17(Mon)

病名、分類不能

10月17日(月)
朝、6時前に腹がどうにも苦しくて目が覚めた。脾臓や肝臓が肥大してというよりは、胃部の膨満感という感じだ。ただその胃部の圧迫感の原因はといえば、脾・肝の腫大にあるわけで、どうにも困ったものだ。その後7時過ぎに起きて、ソファに仰向けになり大人しくしていると、徐々に鈍い痛みと圧迫感が治まっていったので一安心。それにしても痛みというか膨満感で朝方目が覚めて眠れないというのは初めてだったので、不安ではある。連れは最近両肩の痛みがひどくて腕が上げられず、一緒に俺の病院へ行ったらその足で病院から15分ほどの整体へ行くという。連れの化粧と支度を横になって待ち、8時ちょいにこちらも支度をして出る。
外は小雨だったので傘をさして、中仙道バス停付近まで歩く。朝のバスは座れないので、仕方なく車で行くしかない。見た目は健常者だから優先席に座っているわけにもいかない、不経済だが一時間近く立ってバスに揺られているのは正直無理。何とか4台目くらいに停まってくれたタクシーで病院に向かうが、とにかく中仙道はひどい渋滞。舟渡から30分乗ってもまだ小豆沢という状態で、結局病院へ着くと9時、料金もいつもより1000円ほど余計にかかった。すぐに内科受付で採血の紙を貰い、地下の採血受付へ向かう。

今日は受付に並んでたのはたった二人、中に入ると待っているのは20人ほど。奇跡的に少ない。果たせるかな、ほんの5分ちょいで呼ばれて、試験管2本分の血を採られた。今日の技師はうまい人で、いつもの太い血管ではなく隣のあまりよく見えない血管に針を刺そうとしたので「え?」と一瞬思ったが、これが全く痛くなく、血もターッと順調に出てすぐに2本終了。良かった。この採血が終わってから検査結果の数値が出て初めて、U先生の検診が可能になるわけだから、採血予約は9時11分となっていてほぼ予定通り終わり、検診予約時間は10時半。まあ1時間半あれば採血の結果が出るということだろう。したがって予約時間まで1時間以上、何もすることがない。連れ合いにはこの時点で「じゃあ整体行っていいよ」と言って、1Fに上る階段で別れた。
そのまま1Fの血膠内科内のナースに採血済マークのついた用紙を返し、あとは10時半に戻ってくればいいだろうと、内科前を離れ、売店でスポーツ新聞を買い、新患受付カウンタ並びのフロアにあるテーブル付きのベンチにどっかり座って、ゆっくり新聞を読む。ざわざわして患者がひしめいている内科受付前廊下の椅子より全然快適。そこで10時過ぎまでゆっくりしてから、10時15分に余裕を見て内科外来へ戻る。
予約患者は予約時間になったら、新患がひしめく廊下の待合ベンチから直接内科スペースの中に入って、十何番までずらりと並ぶ診察室…というかパーテーションで小部屋に仕切ってある診察室のうち、自分の主治医が担当する番号のドアの前の椅子に座って名前を呼ばれるのを待つというシステム。なので俺は10分以上余裕を見て中へ入って行ったのだが、なぜかU先生の4番診察室前付近の椅子は満員で一人も座れない。こんなに予約がいるのか、あるいは新患も合間にバンバン入れてるのか不明。仕方ないので立ってるかと思っても、自分の場合腹が膨満しているので長時間立っているのはキツい。なので廊下のベンチに戻って、「◎◎さん、何番診察室へお入りください」というアナウンスに耳を研ぎ澄ませつつ待つ。よく見たら内科受付横の入り口付近、廊下に向けてスピーカが設置されており、その正面に座っているから、診察室前にいなくても聞こえるはずだ。そう安心して、呼ばれるのをひたすら待つ。
ところが待てど暮らせど、名前が呼ばれない。30分くらいはまあ遅れるうちに入らんからな、と余裕かましていたが、さすがに40分50分と経つうちにイラついてきた。何度か診察室前まで入っていってみるが、相変わらず座る椅子はない。ていうかどう考えても患者ではない付き添いの人間も、中に入って座っている。患者が座るべき椅子を健康な人間が占領するな馬鹿、と思ったがどれが患者でどれが付き添いなのか不明。せめて病院側が「ここから先は付き添いの方は廊下でお待ちください」とか言ってくれりゃあいいのだが。
ともかくしょうがないので、4番診察室前の椅子の空きを見る、ないので廊下に戻ってひたすら待つ、これを数回繰り返す。しかしそうして1時間が過ぎ、ひょっとしたら中=診察室前に居ないとダメなのかと思い直し、診察室前の椅子の方へ入って行くが、4番前は相変わらず空きがなく、端の方の1番診察室前の椅子に腰掛けた。予約時間は10時半だったのにとうとう12時近くになっても呼ばれないので、誰かに訊こうと立ち上がって内科受付付近へ戻ると、待機している医師の中に入院中の主治医だったS先生を発見。向こうもすぐに気づいてくれ、「あ、お変わりないですか?」と聞いてくれたので、「全然変化がないんですよ」と言うと「そうですか…、お大事になさってください」と言ってくれる。そこで「あの、10時半だったんですがまだ呼ばれてないんですが」と言うとS先生は「え? さっき呼ばれたような気がしましたよ」と言うのでナースに確認してもらう。
S先生には挨拶をして、また1番診察室前に戻って座っていると、ナースが戻ってきて「白取さん、やっぱり時間で呼ばれたそうですよ。ただいらっしゃらなかったので次の患者さん入れちゃったみたいです」という。「ええ?ずっと居たんですけど、ここ満員で座れなかったんで廊下で待ってたんですよ」と言うと「廊下だと聞こえないんですよね」と気の毒そうに言われた。そうか、あのスピーカから音声は出なかったのか。どういうダミーだ、さてはトラップか? 何のための? で結局ナースは「もうしばらくお待ちくださいね、時間はちょっと解りませんけど」とまた気の毒そうに言うので、ぐったりして「はあ」と応える。周囲の人も気の毒にねえ、みたいな顔をしているが、よくよく観察していると老若男女バラバラながら、患者とその付き添いと思しきペアがほとんど。つまり患者だけにすれば椅子は半分空くのだ。それどころか、本来の患者であるババァにジジィが付き添い、あまつさえその娘らしき女が孫を二人もひっ連れているのまでいる。ピクニックじゃねえ。こういう連中のせいで座って待つべき患者がスプロールされるのは納得がいかんな、と思うがストレスは免疫に良くないのでイライラせぬように気を建て直す。その後15分ほど待ち、ようやく呼ばれたのでフラフラと4番診察室へ入った。

さてU先生は俺の採血の結果、白血球数はちょっと減ってるけどもそれは誤差の範囲内で、問題は好中球数だが今日の採血結果の詳細なリンパ球の分析はまだ出ていない、まあその他の数値も含めて相変わらず横ばいで変化ナシというところでしょう…とのこと。前回少し高くなっていて気になっていたLDH(乳酸脱水素酵素)だが、前回260から今回231と若干改善されている。白血球数もそうだが、これくらいの上下は誤差の範囲内で、それらの微増や微減に一喜一憂することはない。つまり状況は悪くも良くもなっていないということだ。
あと心配なのは、ここ一ヶ月くらいで両手首付近にボコボコと瘤のようなしこりが複数できていること。これは「ガングリオン」ですかね、と聞くと「リンパ性疾患の患者さんにはたまに見られるんですよ」と言う。で、ガングリオンはこの病気=リンパ増殖性疾患という癌の症状と直接の関係はないから、例えば痛みが強くなるとか、大きくなって日常生活に困難があるとか、そういう場合は整形外科の外来で注射針で内容物を抜いてもらうとかすることになるという。幸い白血球数は消毒をキチンとした針を刺す分には問題ないレベル(採血もしてるんだから)なので、様子を見てそうしてくれとのこと。
あと今朝の腹部の異様な膨満を申告すると、横になって触診をしてくれる。あごの下のリンパ節は大きいもので両側にそれぞれ1個ずつあるものでも1センチほど。あと細かいものがポツポツあるが、もちろん大きくなってはいないし、例えば腋下や鼠蹊部のリンパ腫は、明白に小さくなっている。U先生も「初診の時の触診ではもうはっきり解りましたからねー、今は鼠蹊のもよくよく探さないと解らないくらいなんで…小さくなってるんですよね」と不思議そう。
さて肝心の俺の病名のことだが、国内の大家のJ大学の先生からメールで返事が届いたそうで、それによると、最初のT-PLLではない、かといって慢性リンパ性白血病でもない。似たような病気はあるのだが、どれもここは当てはまるがここが違う、というものばかりなのだそうだ。スパッとコレだ、という病名というかカテゴリーがないのだそう。どの病気の典型例からも外れていて、特定のしようがないのだという。従って予後も、対処法つまり治療方法、薬剤その他も不明だし、そもそも俺は死ぬとか生きてられるのかも不明。死ぬにしてもいつごろか、生きるにしたら何年生きられるのか、全く解らない。まあいろいろ俺も調べてみて、慢性リンパ性白血病が最も近いと素人ながら思うが、これははっきりと病気の進行が顕著に見られた場合にのみ治療を開始し、くすぶっている場合は経過を見るというのがスタンダードな対処法だ。で平均すると5年くらいは生きられそうだし、10年生きた例もあるという。なのでここ1年くらいでコロリと逝くことはなさそうだと勝手に思っている。というか、その何年か解らないが「生きられている間」にこのクソったれ癌をブッ殺せばいいだけの話。自信あるかと言われれば全くないけど。そのうち特効薬も出来るでしょ、くらいに構えていようとは思う。
それにしても脾臓に加え、肝臓の腫大もあるので、今のところは巨大脾というほどではないから即刻治療ということにはならないものの、今後日常生活に支障が出るほど大きくなった場合は治療開始となるという。なので、20日に超音波で脾・肝の大きさ…エッヂを把握しておきましょうということになった。そうして、今後定期的に大きさをキチンと見て、大きくなった場合は血液や骨髄を調べて何が変化したか、それによって病名が確定できるかも知れない、ということ。

ゴツゴツとした手と腫れた脾臓・肝臓を抱え、何だか結局宙ぶらりんといった感じのまま、次の検診は2週間後となったのであった。診察室を出て、指示されたように検査説明のナースのところへ行く。前の患者への説明が終わるのを待ち、俺の脾・肝超音波検査の説明を受ける。前の晩9時以降は飲食禁止、飲み物もダメなので気をつけてと言われる。ふむ、キツいのお、と思いつつ会計をすると730円。その後飯を食おうと食堂へ行くとなぜか満席。じゃあ帰る途中で食うかと思い外に出てバス停に行くと、赤羽行きまで15分くらいあるので待っているのもしんどく、池袋行きに乗ってしまう。ここからは病院発のバスなので、最初から座って行けるのだ。最初はどっかでメシ食って、東口に出て気晴らしに東急ハンズでも寄って帰ろうかなと思ったのだが、よく考えたら俺は病人だった。そんな長い距離歩けるかどうか不安だし、歩けたとしてもその後の腹痛が怖い。それに食事をした後の膨満腹を抱えての長い歩きはほぼ無理。
そう思いなおして要町駅でバスを降り、松ちゃんラーメンに入って「木耳と玉子の炒め定食700円也」を頼む。1時半を過ぎていたのにほぼ満席で、キチンとした身なりの50代後半くらいのおっさんと相席になった。ところがこのおっさん、身なりとは反対にひどく下品で、ジュルジュルビチャビチャと小汚くラーメンをすすり、すすった後は大量の汗をティッシュで拭き、拭いたティッシュをスープの残った器に丸めて放り込んで行く。それが山のようになってさらに汚さを増幅し、その上俺が目の前でメシ食ってんのに汚い音をたてて鼻をかみ、挙句の果てはシーハーシーハーニッチャニッチャと歯の間に詰まった食いカスを楊枝でほじくり返し、その楊枝をまた器にポイポイと放り込んでは次の楊枝で別の歯をほじっている。もうこの段階で傍らの傘を思い切り口の中に叩き込んだ後、丁寧に目ン玉を二つほじくり出そうかと思ったのだが、今の俺には些細な喧嘩さえも無理だ。脾臓に弱いパンチ一発入れられたら破裂、大量出血、ショック死っす。しょうがないので目から殺人光線を出してみるが、このおっさんには通用しないみたい。おっさん、さんざん下品な振る舞いを見せ付けた挙句、こざっぱりした上品なスーツの上着をブルーのワイシャツにサッと羽織り、颯爽と金を払って帰って行った。死ねばいいのに。
その後砂を噛むような思いで定食を食い終わって店を出て、より一層張った腹を抱えて熊野町方面へゆーっくり歩き、タクシーを拾って帰宅2時半過ぎ。無駄な工程だった。ともかくこの病気との闘いは長くなりそうだ。戦いというよりもはや「共存」かも知れない。元々は癌も自分の細胞の一部だった、いや今も自分の一部なわけだから…。



★最近の御礼
・ライターの神田ぱん様

 同人誌「車掌」ありがとうございます! 御礼が遅れてすみません。お見舞いまでいただいてしまって、恐縮です。K君も交えてパーッと快気祝いやりたいですね、清竜丸で。今んところこの癌は簡単には消えてくれそうにないっすけど、そのうち気力で生もの=刺身が食えるように回復してやるつもりです。
・ライターの今柊二様
 同人誌「畸人研究」、著書「しみったれ家族」(ミリオン出版刊・1400円・絶賛発売中!!)、ありがとうございます。ご無沙汰しちゃってすんません。ちなみに一緒に送っていただいた文庫版「定食バンザイ!」(ちくま文庫・780円・絶賛発売中!!)27ページに出てくる編集者「S」が俺のことです。ミリオン出版のSさんに比べて扱いが小さい方です(笑)。いや冗談冗談。
・高校時代の旧友・元木君
 お見舞いのじゃがいもとかぼちゃありがとう。いやー、北海道の新じゃがのうまいこと! 俺らこんなうまいもん普通に食ってたんだよなあ。さっそく茹でて塩コショウ・バター載せで食べました。旬の食べ物は免疫にも良さそう。肛門大事にしろよ(笑)! いつか元気になってバンド復活セッションをしたいもんです。
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2005-10-03(Mon)

退院後初検診

10月3日(月)
朝早くから猫たちがうるさくて起こされ、その後もうとうと、結局9時半頃起きる。いつものように検温・血圧測定などを済ませて、支度をして10時前に出る。いったんバス停まで行ったところで携帯忘れたことに気づき、しょうがなく引き返す。バス停まで戻るが当然バスは行った後で、次のバスまで15分くらい待たねばならない。
それにしてもこのあたりは工場ばかりの上、国道17号沿いはひっきりなしに車やトラックが通り、物凄い排気ガスだ。マスクをしていても、ひどい空気なのがわかる。こんな場所に住んでいるのは人間沙汰ではないと思うし、免疫的にもよくないだろうなあと思いながらバスを待つ。近隣の家には布団や洗濯物が干してある家も見受けられるのだけど、いつも不思議に思う。一日白いタオルを外に干しておけば、真っ黒とまでは言わぬまでもかなりの有毒物質が付着しているのが目に見えて解るはず。数時間干しておいただけであっても程度の差はあれ、工場の煤煙や排気ガス、粉塵は確実に付着しているだろう。そんな中よく干せるなあ、というのが不思議なのだ。もっともこんなところをマスクなしに俺も歩いていたわけで、洗濯物に付着するものは当然肺の中に入ってたわけだけど。
まあつまるところ、貧乏人は劣悪な環境であえぐしかないのだとバス停に立ち続けていると、やはりちょっと辛い。ようやく来たバスには「元気な年寄り」が遊びに買い物に観劇にと、ワイワイガヤガヤと座っている。俺は見た目には元気そうな兄ちゃんだろうな、癌なのに。貧血でもあるのに。脾臓が腫れてて長時間立つのは辛いのに。そうだ、「元気そうに見えても実は私は癌患者です。汎血球減少のため、貧血と免疫力低下がありますから、どうか優先席に座らせてください」というカードを作ろう、そしてそれを元気なお年寄りに提示して「そんなわけなのですいませんね、はい、どうもすいません」とかしこまりながら済まなそうにシルバーシートに座るのだ。それがいい。今度からそうしよう。
そんなことを考えつつ途中で降りて、病院行きのバスに乗り換えるバス停へ歩くが、待ち合わせが悪く、さらに10分くらい待つようす。これ以上路上で立っているのはさすがに辛いので、通りかかったタクシーを拾って病院へ行ってもらう。1500円くらい。その後内科受付で「予約診療の前に採血をするようにと言われてるんですが」というと確認してくれ、そのまま紙を貰って採血へ向かう。間違えて2階の機能検査部へ行ってしまい、エレベータで地下まで降りて採血の受付へ。そういや入院中の採血はいつも病室に看護婦さんが来てくれてやってくれたからなあ。採血の受付は物凄い人で、行列が出来ている。今日は月曜だし、明日は大学の創立記念日とかで休みだからか。
採血順番待ちの番号札を貰って中へ入るが、座る場所もない。ていうか付き添いの家族らしいのまで一緒に入って待ってたりするので、患者の椅子が足りないのだ。付き添いは外で、中は患者だけでという「暗黙の了解」というか常識はこいつらには通用せぬのだろう。というわけでまた立って待っていたが、左のわき腹がちょっと痛くなってきたので、部屋を出て受付前にあるソファに座る。ここまでは、中の「◎◎さんどうぞー」の声が聞こえるか聞こえないかという距離だ。なのでずっとここに座っていては順番が過ぎてしまう恐れがある。そこで20分くらい待ったので、もういいだろうと採血室の入り口に戻って立っているが、待てど暮らせど呼ばれない。看護婦に番号見せてまだかと確認すると、もう少しですよと事もなげに言われ、さらに5分ほど待ってようやく呼ばれた。またわき腹が張ってちょっとキツかった。病院へ来るまでは全然大丈夫だったのに。
5人ほど並んで次から次へとブスリと患者の腕に針を刺し、血を抜いている技師たちの一番奥の男性に呼ばれたので座る。俺の採血は他の一般(?)患者と違って、細い試験管のようなもの5〜6本もある。隣のおばちゃんはたった1本、その向こうは2本だ。男性技師は採血用の針を俺の右ひじの内側静脈にブスリと入れるが、これがへたくそで痛いの何の。思わず「いてえよへたくそ!」と怒鳴りたくなるが我慢する。針の入れ方が下手なのか、俺の血圧が低いのか、なかなか試験管内に血が流れ出て来ないので、血管をちょっとおさえたり試験管をゆすったり。とにかく1本1本それなので、痛いわ長いわ。拷問のような採血が終わって血液膠原病内科・U先生の4番診察室前に来ると、ちょうど予約時間の11時半。しかしここから延々待たされ、呼ばれたら12時40分を過ぎていた。要するに採血の結果が出てからじゃないと俺を呼んでも意味がないので、何だかんだ言っても採血後1時間ほど経たないと診察にならないってことなのだ。それはいいけど、ここまで来る間に病気になるぜ普通。

モニタに出ている先ほどの採血の結果は、U先生も「入院されてた頃よりも貧血が改善されてるんですよね」と首をかしげていた。すると電話が鳴り、看護婦が「なんとか先生からお電話ですけど」と呼びに来て、U先生「もう、仕事にならないわねえ」とか言いながら出て行き、10分ほど放置プレイされる。その間自分の採血データをじっくりみせてもらうが、WBCも増えており、HGBも良くなっている。さらにPLTがかなり改善されていて、自分でも驚いた。この数値なら貧血に限っては下限にもう少し…というくらいまで改善されてきている。U先生も戻ってきたので「あまり変わってないですね」というと「そうなんですよね、白血球数が上がってるんですが、これは好中球数も上がってますからね。普通こういう病気で白血球が上昇する場合、(癌に侵された)リンパ球が増えるんですが、この結果を見ると好中球数の方が上昇してますから、悪い結果とはいえませんね」とのこと。俺が「LDが上昇してるのが気になりますが」と言うと「うーん、確かに腫瘍細胞が増えると上昇するということはあるんですが、全体的に見てこれも悪いとはいえないし」とのこと。「病名はまだ未確定なんですよね」と聞くと、「そうですね、とにかくこれだけほかの専門家の方々にも診ていただいていて、これだという分類に当てはまらないんですよ。それくらい珍しいんです」とのこと。「白血病か悪性リンパ腫かどっちかはわからないんですか」と聞くと、「その二つは病名が違うので全然違う病気かというとそうではなく、どちらも結局元をたどれば造血幹細胞という細胞から分かれて行って、その段階段階でどういうものになるのか…ということで、そのどこで癌に侵されるかということで変わるし、白血病型のリンパ腫というものもありますし、極めて近いものなんですよ。それにこの血液疾患に関しては物凄い数の分類があって、予後も症状もそれぞれバラバラに違うんです」という。
要するに未確定で、まだ解らないということらしい。
「なので、私たちとしても、正直に言いますけど、お手上げという状態なんですよ」という。お手上げといってもこの場合「治療できない、手遅れ、死ぬ」という意味ではなく、症例がない、病気の分類ができない、したがって治る治らない、方法があるなし、何もわからないというのだ。なのでまた「このまま寛解するということはないですか」と聞いてみるが、似たような病気にCLLというのがあるけど、その患者さんで、ずっとくすぶっていたのに突然容態が急変して亡くなった人もいれば、別な病気だけどもやはり慢性型で1年3年5年…とずっと良くも悪くもならないでいる人もいるという。ともかく病気が良くなるにしても悪くなるにしても、それが一体一ヶ月後になるのか、半年後なのか、一年後か二年後かさえもわからないという。ありゃーこりゃ大変だ、と人事のように思った。
触診もしてもらうが、小さくなっているリンパ腫もあるというし、特に首のリンパは二ヶ月前より明らかに小さくなっているという。これはU先生いわく、歯の治療をしたせいではないかということ。風邪を引いたり虫歯になったりすると近くのリンパ節が腫れるということはよくあることだし、虫歯の治療というより口の中の衛生を保つということは悪いことではないわけで、関係があるだろうと。その他、脾臓の腫れはかなり大きいけど進んでいるというわけではない、あと肝臓も腫れているというが、機能的には採血の数値を見ても全くといっていいほど正常。なので、要するに進行が見られないということだ。
で、来週は来なくてもOK、再来週の月曜にしましょうということになる。そこでもまた変化なければ3週間後…という感じにしましょうと。ただ途中でもしリンパ節が大きく腫れてきたり、お腹に水が溜まるようなことになったら、すぐに連絡して病院へ来いということだ。あと採血の結果でも変化があるようなら、またMARKや腫れたリンパを取って、前の細胞とどう変化があるか調べましょうということ。とにかく俺の名前は血膠内科の先生みんなが知ってますから、という。みんなが俺の細胞を見たそうで、それほど珍しいということらしい。
もし他の病院へ行っても、これだけ珍しいと結局今見てもらったりしている「その道の権威」の先生のところでまた細胞サンプルを見てもらうようになるわけで、ならば今と同じことだ。例えば病名が確定しており、その治療法なり説明なり医師なりに納得がいかないということであれば、他の病院や先生の意見を聞くということは全然ありだとは思うけれども、今の段階でよそへ行っても無駄ということだ。そんなこんなで1時過ぎに会計を済ませ、一時半近くになってようやく食堂へ行き、ラーメンを食べた。N大学医学部付属I病院食堂の中華麺、おすすめです。
それにしても、自分がこれからどうなるのか、そもそも自分の病気が何であるかさえも解らないというのは正直言えば不安だ。確定していることは癌であるということ。一年後どうしているのか、五年後は、十年後は…と考えないわけではないけれども、そんなのは普通の人でも同じことだろう。十年後、二十年後に健康で笑っていられたらそんなにいいことはない。別に金持ちでなくとも、大成功していなくてもいい。健康に不安がなく、どこにも痛みがなく、大切な人と一緒にいられたら、それだけで十分だ。だが自分は癌になってしまった。完治するということはない。寛解しても、それは癌細胞が減った、大人しくしているというだけで、癌が消えたということにはならない。固形癌のように摘出してしまい、転移しなければそれで完治というものではない。医者が言うように、ある意味「最初から全身に転移しているようなもの」だからだ。
だが、ひとまず、俺は今生きており、すぐに死ななくてもいいようではある。ここから何をし、どう生きていくか。いつ死んでも悔いのないように暮らしていけるか。

…それって、別に癌じゃなくたって考えて生きていくべきことじゃないか。つまりは、そういうことだ。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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