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2005-11-29(Tue)

水木しげると同時代にいることに感謝せよ! ---「本日の水木サン」

本日の水木サン―思わず心がゆるむ名言366日

草思社

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ちょっと前、この本の編集をされているAさんという方からメールがあって、本BLOG内での記事を転載させて欲しいという依頼の内容だった。

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2005-11-28(Mon)

病状、変化なし。

7時半に携帯の目覚ましをかけて寝たのだが、ユキ(白猫)が俺の胸のあたりに丸くなっているのが可愛いので、いったん目が覚めたのにそのまま寝てしまい、次に気がつくと8時半。慌てて起きて支度をするが、珍々亭の脇でタクシーを拾ったら9時10分前。幸い運ちゃんが近道を知っていたので助かった。
9時に指定されていた採血だったが、何とか9時20分前には採血の受付に行けて、5分ちょっと待たされて2本採血。うまい人だったので全く痛くなかった。それから内科に戻って採血済んだ旨告げて、売店へ行き日刊スポーツと珈琲ミルクを買い、ロビーのテーブルつきの椅子に座って、携帯で音楽を聴きながら新聞をゆっくり読む。採血の分析結果が出るまで1時間から2時間、診察は結果が出てからで今日の予約は11時15分だ。それまで呼ばれることは絶対にない。1時間ちょっとして新聞も読んだし音楽にも飽きてきたので、携帯についているテレビをつけてみる。すると家で見るより全然綺麗に映ったので、ワイドショーを少し見る。最新ケータイはこういう時に便利だ。11時10分を過ぎた頃内科へ行き、4番診察室の前に1つだけ空いていた椅子に座り、携帯を外したと思ったら時間通りに呼ばれたので慌てて中に入った。
入ったとたんにU先生に電話が入り、先方の医師と10分くらい話をしていた。先方はT大病院の先生らしく、こちらの病院のホジキンリンフォーマ(ホジキンリンパ腫)の患者さんがどうしたこうしたという話をしていた。その間、今日の血液検査の紙を見せてくれたので、それを見る。白血球数が2000に回復というか上昇しており、普通ならいい傾向なのだろうが、好中球数を見ると37.9%とあまり高くない。それに対しリンパ球数の方が51.2%ということで、これまでの30%台後半から40%台という数値から比べると上昇している。このリンパ球は癌に犯された異常なリンパ球だとすれば、病気的にはあまりいいことではない。その異常リンパ球数が増えたことで白血球数を押し上げていることになるからだ。なのでこれはどういうことかな…とじっと待っていると電話が終わった。
U先生は「やっぱり大きな変化はなかったですね」と言いつつ、こないだのマルク(骨髄穿刺)の結果を見せてくれる。「異常細胞(癌細胞)の数は、やっぱり半分よりちょっと多いという感じですね。これは入院中の検査の数値とあんまり変わらないです。あと今回は前の検査の時に、病理のリンパ球とかの専門家の先生から、次にやる時はこれを調べておいた方がいいと言われていた検査もしたんですが…」とカラープリントされたグラフとか表みたいなものを見せてくれるが、もちろんこちらには何のことかさっぱり不明。
ただ「T細胞性であることは前からお話してる通り間違いないんですけど、やはり細かい部分でこれだ、というものに特定できないんですね」と言う。項目ごとに+とか−とかが並ぶ一覧があり、「これとこれ両方が+だとこれこれというタイプになるというのがあるんですけど、その数値を見ると+ではあっても、有効と認めるほど数値の方は+というだけで高くはないんですよね」とのこと。要するにいまだ不明ということなのだろう。ただ、「日本ではT大病院でしか使えない薬があるんですが、その薬がどうやら半分以上は効きそうだ、ということが解りましたから、もし今後治療が必要となった場合には参考になるデータが得られた、ということにはなりますね」とのこと。
その他、あごや首、脇の下のリンパ節腫脹の触診、さらに診察台に横になって鼠蹊部リンパ節の触診。やはり変化はないようだということで、あごの下左右二つのリンパ節が1センチ程度のもので、一番大きなもの。その他は上半身も下半身も、あることはあるがパラパラと小さいものが注意すると触診できるという感じだ。この状態もここ3ヶ月変化なし。あとCTの所見で、脾臓はもうかなり腫れて骨盤の方までいってるのだが、肝臓はそれほど腫れてないということに戻った。肝臓に浸潤すると、てきめんに肝機能の数値が悪く上がってくるのだが、全くそれはなく、血液検査の結果でもむしろ肝臓はすごくいい状態なので問題はないだろうということ。LDHの値が引き続いて若干高いのが続いているものの、それも250前後で変化はないし、その他の数字にしても貧血も進んでおらず、血小板数も問題になるほど低くはない。結論としては、無治療・様子見、ということで継続ということだ。ホッとした。
「これから風邪の季節なんで、じゅうぶん気をつけてくださいね」と言われたので、俺が壁の「インフルエンザワクチンは個人負担が3千いくら」とある紙を見て「インフルエンザもありますしね」と言うと、U先生は書きものをしていたので俺が打ちたいと勘違いしたのか「あ、ワクチンありますよ。でも血液のこういう病気の患者さんには慎重にしてるんですよね」と言われる。ワクチンを入れたことで、免疫の働きがどうなるか、それによって病気がどう変化するか、いい方向へ行くか最悪でも変化なければ問題ないとしても、仮に悪くなった場合は厄介なことになるということ。俺が「そうですよね、そもそもワクチンを打つという考え方自体が免疫機能が正常に働いている人のためにあることですもんねえ」と言うと「そうですよ、私も実はアレルギーがいろいろあって、ワクチンはダメなんですよねー。」とのこと。今年はまだインフルエンザの患者は来てないけど、これから少しずつ増えてくると思われるので、とにかく感染されないように十分注意するように、と言われる。新型の鳥インフルエンザも怖い。簡単でオーソドックスながら、人ごみは極力避ける、マスクは必携、帰宅後は手洗いとうがい励行。これで全然違うという。まあ俺は入院中からずっとそうしているから、後は連れ合いなどが外から持ってこないようにしてもらうしかない。「年内はどうします?」というので「普通だと再来週と、もう一回年内ありますよね」と言うと、「じゃあ予定通り年内2回来ていただいて、お正月ちょっと開く感じになりますけどそうしましょうか」ということになり、御礼を言って診察室を出た。

まっすぐ会計受付をし、会計730円也を自動清算機で支払って、病院を出る。この時点で、どうしても白血球数が久々に2000を超えたこと自体はいいのだが、好中球数の割合はむしろ下がり、リンパ球数が増えたことが気になってしょうがなかった。病気が進行したのではないか。異常リンパ球、つまり癌に侵されたリンパ球が増えていくことはすなわち病気の進行を意味する。頭の中をまた、抗癌剤治療や骨髄移植、それに伴うさまざまなことがぐるぐると駆け巡る。そのままバス停に行くと赤羽行きはまだまだなので、池袋行きの列に座るとすぐにバスが来たので何も考えずに乗り込む。池袋までの道々も、悪い方へ悪い方へと考えが行ってしまう。昨日までは池袋に久々に出たら、ご飯を食べて本屋やCD、ビックカメラなんかも覗いて…なんて思っていたのだが。池袋に着くとちょうど12時ちょいのお昼どきだったのに何も食べる気が起きず、ひたすら街をぐるぐるさまよい歩いてしまった。何をするでも探すわけでも見るわけでもなく、ぐるぐるとただ歩き、北口から豊島合同庁舎の方まで行く。二週間ごとの診察と検査の結果で、これほど一喜一憂する自分が情けないし、自分でも驚きだ。やはり今連れ合いが入院していて一人だということがあるのかも知れない。黙々と歩くうち、結局あれこれ悩んでもしょうがないじゃないか、なるようにしかならないし、ポジティブに考えて行こうと退院の時に決めたはずじゃないか、と思いなおす。帰ろう、もう家に帰ろう。そう思ってタクシーを止め、家に帰る。今日もカラッと雲ひとつない青空が広がった、いい天気だった。
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2005-11-14(Mon)

採血、レントゲン、骨髄穿刺

11月14日(月)
夕べは11時前に休む。前の日は一日中目眩と後頭部不快感が続き、挙句連れ合いが吐血・入院となってしまった。救急車で連れが搬送される際、付き添えない自分の代わりに次女のYちゃんと、姉のCさんが一緒に行ってくれた。上の後、Yちゃんから「結局医師会に連れていかれた、若い横柄な医者が質問攻めにしていてムカツク」とメールで報告があった。このくらいの規模の病院だと、総合病院だと構えていても、夜中に勤務しているのは大学から派遣されてきた研修医だったり、アルバイトのやる気のない医師だったりすることも多い。こういう不誠実な対応は嫌というほど見てきたし、救急車も何度も付き添って乗った。点滴が終わるまで居ろと言われて、横に座ったまま一晩明かしたこともあった。だが今回は自分も病人ゆえ、見送るしかないのが辛い。
月曜は俺の方が主治医のU先生の診察と各種検査があるので早めに布団に入った後、うとうとしていると12時頃枕元の携帯にメールが来る。Yちゃんが「506号室に入院した、明日はカズママ(連れの姉のニックネーム)、あさっては私が行く」とのこと。申し訳ない。俺がこんな体だし、二人に頑張ってもらうしかないのが実際のところ、今回ばかりはしょうがないと諦める。連れ合いは心細く辛いだろう、かわいそうにと思う。今年に入って吐血は3度目か、けれどその都度病院では胃カメラなど各種検査をし、「異常なし」となる。今回もそうなるのだろう。

うとうとしたと思った3時ころ、猫のユキの夜鳴きで起こされる。朦朧としていると4時過ぎからは何かを転がしたりソファでバリバリと爪とぎしたり、走り回ったりしている。結局俺はそれから6時過ぎまで悶々としただけで、7時前には起きて、8時ころ家を出る。月曜なので17号は渋滞だろうと思い、駅まで歩いてタクシーを拾おうとしてバス通りを駅へ向かう。いつも連れと通りかかると猫が何匹か気持ち良さそうに昼寝をしているタクシーの車庫があり、ちょうどそこから出てきた空車があったので手を挙げると乗せてくれたので、N大病院まで、できれば17号通らないで、とお願いする。病院へは裏道を通ってもらい、9時15分前に着いた。
途中、猫の話をすると
「ああ、あれね、実は前から飼ってたっていうかみんなで世話してた猫が5匹子猫を産んだんですよ。でも死んじゃって3匹残ったんですよね。」という。
「ああ、じゃあみんなに可愛がってもらってるんだ」と言うと
「ええ、そうですね。愛らしいもんですよ」とのこと。なぜか安心した。
いつも通り内科で検査の旨告げ、まず採血、5分くらい待って呼ばれ、試験管2本分の採血は痛みもなくすぐ終わった。そのまま同じフロアの放射線受付へ行き、12番前で待てと言われてソファに座ったかと思ったらすぐに呼ばれた。胸部CTで、正面からと横からの2枚。即現なので、受付でフィルムを受け取るように言われて受付前まで戻り、ソファで待つ。15分くらい待ったか、レントゲンのフィルムを受け取り、内科外来へ戻る。
フィルムを通りがかった看護助手のおばちゃんに渡して「後は骨髄なんですが」と言うと忙しそうに「外でお待ちください」と言うので大人しく外来の外のソファに一旦座る。が、もう一度中へ入り「あの、マルク(骨髄穿刺)なんで処置室前で待った方がいいんですかね」と聞くと、慌しく走り去りながら「そうです」とこちらを見ずに言う。ていうか最初に聞いた時に「処置室前でお待ちください」で済むのだよ君。そのまま処置室へ行き、夏に腸骨からマルクをやった時に連れ合いと一緒に待った廊下のソファに座る。10分ほどで呼ばれて中に入り、看護婦に指示されたように上着を脱いで仰向けに寝て待っていると、しばらくしてS先生が来た。入院中にU先生から交代で主治医になったS先生である。
「お久しぶりです。お変わりないですか?」といういつもの挨拶。
「ええ、何か全然。でもちょっとお腹の張りが」というと「気になりますか」と言い、いろいろと支度をしている。
「奥さんはお元気ですか」とも言うので「実は…」と夕べ吐血して救急で入院した旨を告げるとびっくりして、「ああ、じゃあいろいろと心労もあられたんでしょうね…。お大事にお伝えください」とのこと。そうか、そういうことなんだろうな、と余計に連れが気の毒になった。
その後消毒、麻酔、そしていよいよ骨髄吸引。「今回はちょっといつもより量が多いので、我慢してくださいね」と言われる。で恒例の「1,2の3!」でグイーーーッンと骨の中から針で吸い上げられる<あの感じ>が、確かにいつもより長く「ううう」と声が出る。これは痛みというよりは、なんとも言えぬ不快感というか、体験した人にしか解らない説明しづらいものだ。S先生のマルクは実に手際良く、麻酔の注射の痛みも一瞬で、見事であった。例によって傷はナースによって消毒したあと塞がれ、重りを乗せられて30分じっとしてろと言われる。カーテンが閉められ、俺は身動き出来ないので、毛布と布団をかけてもらって、そのまま目を閉じる。周囲は処置室特有のバタバタとした感じの動きや会話が周囲で渦巻いており、うるさいことはうるさいが、シンとしたところで一人が大声を出しているよりも、ざわざわとしたところでみんながバタバタしていると全体がもわーんとした感じで逆に眠気を誘う。結局目を閉じていたが眠れず、時計を確認すると20分ちょっと経ったところ。そのまま目を再び閉じて待っているとタイマーが鳴り、S先生がもう一度来て傷口を確認し、大丈夫だなということで改めて塞がれ、おしまい。先生に挨拶をして、処置室を出る。
11時の診察予約まで15分ほどだったので、そのまま内科外来の4番窓口の前のソファまで行く。かろうじて一人分座れそうな椅子があり、ジジィが一人中途半端な位置で漫画を読んで待っているので、その横、ほとんど椅子のヘリ部分に強引に腰掛ける。普通そうすると気づいて奥によけてくれそうなものだが、ジジィは漫画を読みふけっている。80過ぎとおぼしきジジィだが、脳が退化してるのか。しばらくするとジジィの向こう側に座っていたオヤジが呼ばれて席が開いたので、ジジィの前をわざと横切るようにしてそちらへ移り、あとはひたすら待つ。
11時なんかに呼ばれるはずがないと、携帯のVアプリで4人打ちマージャンを始める。けっこう熱中してやっていたが、12時を過ぎても呼ばれない。気がつくと周囲は俺の横の漫画ジジィ以外は全て入れ替わっていて、あれれと思ったらそのジジィが4番・U先生の診察室から呼ばれた。ということは俺はこのジジィの次ということか、と納得。ていうか11時の予約がすでに12時を軽くまわっていて、意味ねえじゃんと思ったが。15分くらいしてジジィが出てきて、それからさらに5分以上待たされて、ようやく俺の名が呼ばれたので入る。

今回、さすがに腹は苦しいし頭もクラクラすることが多くなったので、きっとこないだのCTでも脾臓や肝臓の腫れが進み、今日の採血のデータも悪く、レントゲンでは縦隔の腫瘍が大きくなっているだろう、ひょっとしたら治療を開始しようと言われるかも知れないな、と覚悟をしていた。ところがU先生は先週撮影したCTを見ていて、開口一番「えーと、やっぱり余り変化がないようですね〜」とのこと。俺は拍子抜けして「へ?」と聞き返すと、7月の腹部CTの輪切り画像と、先週の画像を並べて比較して見せて、「前の検査から3ヶ月以上ですか、それでもうほとんど大きさも変わってないんですね。あとレントゲンも…」と今日のレントゲンのフィルムと、やはり7月のレントゲンを2枚並べて見せて、「こう見ると若干今日の方が縦隔のリンパ節が大きくなっているように見えますけど、それも数ミリという感じだし、角度によって映り方も変わりますからね。むしろ誤差範囲かな、という感じもしますし」とのこと。「あと血液の方も変化なくて、白血球数なんかはむしろ向上してるんですよ。貧血も軽いですしね」と言う。
数値をいつものようにプリントして見せてくれたが、確かに変わらず。WBCは前回1200だったのが今回は1600。好中球数は血球の割合%から計算すると700ちょっとという感じで、いずれも前回566よりもいい。何でだろう、と俺自身も不思議な思いだ。変な言い方だが今回は前回より確実に悪くなっている自信があったのに。U先生は「あとは今日の骨髄の細胞をよくまた検査してみて、何か解ればいいんですけどねー。」とのこと。俺は「これはもう明らかに慢性という種類に入るんですよね」というと、「そうです。はっきりこの病気、という診断がつけられないので不安だったりはがゆい思いをされてるとは思いますけど、所見としては進行がとても遅いということははっきり言えるんですね。」「こういうタイプの、例えば慢性リンパ性白血病とか、濾胞性のリンパ腫だとか、そういう低悪性度の病気の場合、無理に強い治療をすることでかえって患者さんの容態を悪くすることもあるので、まあはがゆいとは思いますが、こうして経過を見ながら…ということが多いんですよー」とのこと。思わず再発後の強力な抗癌剤副作用に苦しんだと思われる本田美奈子さんのことを思い出した。
俺が「お腹の腫れがちょっときついとなってきた場合、今後放射線を弱くあてるとか、そういうこともあり得ますか」と聞くと、「あ、でも一箇所じゃないじゃないですか。そうなると全身にあてるというのは危険ですし、脾臓はもう骨盤近くまで行っちゃってますから、脾臓だけに当てるといっても、もし骨に当たっちゃうと、血を作る働きが副作用で抑制されて、体の状態が悪くなってしまう危険性もありますからね」という。要するに放射線治療はやはり選択肢にはない、ということだろう。となると抗癌剤ということになるが…。
「化学療法ということになると、やっぱりこういう慢性タイプは効きにくいんですよね」と言うと「そうですねー、でも逆に進行が遅いので、十年とか同じような状態が続く患者さんも多いんですよ」という。俺が「十年とかになると、それこそ新薬とか出るかも知れないですよね」と笑うと、「そうですね…いや、でも本当にそうですよ。逆に今あせって強い薬を使って、果たしてそれで今の患者さんの体の状態から見て適切なのかどうか、ということを私たちも見ますから。」俺もそれを聞いて安心した。腹がちょっと苦しいけど、クラクラしたりはするが、病名が解らない、つまり治療薬も解らないという段階で治療死の恐れさえある超劇薬を使用されるのは正直怖い。
U先生はもし再来週に今日の骨髄の結果が出て、それが変化なくて、採血の様子も同じような感じだったら、もうちょっと間をあけましょうかと言われる。だが俺は二週間に一度検査して「変化なし」と言われることで安心しますからというと、じゃあ二週間置きにしましょう、こちらも採血とかさせていただいて経過を見させてもらうと安心しますからね、と言われる。とにかく風邪に気をつけて、何か変化があったらすぐ病院に連絡するか来るように、と言われる。

やれやれ、良かったというべきか。俺の癌はとにかくおとなしいようだ。
ただ、自覚症状としては明らかに腹の張りは以前よりキツいのだが…。CTの断面図では変化がほとんどないというし、それは俺にはよく解らない。ただ気分はずいぶん楽になったので、会計をした後、ちょうど発車間際だったバスに乗って赤羽へ行くことにした。途中、連れ合いのお姉さんからメールがあり、連れは幸い輸血もしなくて済み、落ち着いて元気そうだから心配しなくていい、病院にも感染が怖いから来なくていいとのこと。連れは寂しいだろうな、可愛そうにな、と思う。Yちゃんにも今回は済まんけどお願いする、とメールを出す。
バスで赤羽に着き、am/pmで電気代と電話代を支払い、しばらく自分で自炊しなければならないので、イトーヨーカドー地下で野菜や食品類をごっそり買う。味噌も切れてたし、牛乳も買わねば…。こういう時、若い頃車の免許取っておくんだったとつくづく悔やまれる。車がないだけで、たったこれだけの買い物がどれほど辛い苦行になるのか思い知る。ひどく重いが何とかエッチラと持ち、マクドナルドで昼飯をテイクアウトして、タクシーで家の前につけてもらい、部屋に戻る。ちょうど2時で、6時間を費やしたというわけだ。
そろりそろりと、癌と共に生きる。隠居して晴耕雨読…と行きたいところだが、晴耕は無理。その分、やはり働かねば暮らしてはいけない。ネットがあって本当に良かったと思う。これだけは、確かに「いい時代になった」と実感するところだ。その他はほとんど「ひでぇ時代になったもんだ」だけど。
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2005-11-13(Sun)

連れ合いが吐血・入院した

11月13日(日)
今夜の9時45分、たった今連れ合いが救急車で運ばれて行った。
連れ合いはここ二日ばかり食欲がないと言っており、今日は朝から何も食べていなかった。ソファに寝ていては気持ちが悪いといって、台所や洗面所でオエ、とやっていたのだが、夕方足元のゴミ箱にゲエエと吐いたものを見ると、何と赤茶色の血であった。「救急車呼ぼう」と言うと、実は朝も2回吐血した、前の時も休んでたら一日で治ったから朝まで様子を見る、という。
その後俺がパソコン仕事を終えてソファに転がってテレビを見ていると、寝室で休んでいた連れ合いが起きてきて、台所にゲロォォオと吐いた。スッ飛んでって見ると、やはり大量のどろりとした血。夕方のゴミ箱に吐いた量より多い。静脈血なのか、赤茶色をしている。さすがにこれでは朝まで待つなどと悠長なことは言ってられないので、お姉さんに電話する。お姉さんはすぐ行くと言い、それまで救急車は待つことにした。救急車で病院へ搬送した後、誰か家族が付き添っていなければならないのだ。これまで、俺は何度も連れ合いを救急車に乗せて病院へ運んだ、そしてその度に付き添ってきた。けれど今回は俺がこんな体なので、一晩付き添っているのは到底無理だからだ。
連れ合いはソファに横になり、時折うげぇとゴミ箱に吐こうとしたりしているが、呼吸が荒く顔色は白い。お姉さんは30分くらいで来てくれたので事情を説明すると、Yちゃんからお姉さんの携帯に電話があり、これからYちゃんも来るという。お姉さんが来てくれたからいいと言ったのだが、もう出ちゃったというので、さらにYちゃんの到着も待つことにする。その間連れ合いは何度か吐き気を訴え、その後はしきりに暑い暑いという。だが体は触るとむしろ冷えており、その前に体温も測ったが、平熱からやや高いくらいだった。とにかくYちゃんを待ち、その間入院に備えてタオルやティッシュ、薬品などを紙袋に整えてひたすら待つ。
9時半ころYちゃんがようやく到着したので、すぐに119番に救急車を手配した。数分で今度は救急車から電話があり、事情を説明していると、その最中に連れがゴミ箱にゲエエと大量に吐血した。2,3度に渡ってかなり多くの血を吐いたので、そのことも電話で告げる。Yちゃんはなみだ目になって連れ合いをさすってあげていた。救急隊は10分足らずで部屋に直接到着し、バイタルなどを測って俺らに容態を確認したりしたあと、ストレッチャーに連れ合いを固定し、運び出して行った。それと同時にお姉さんとYちゃんも一緒に出て行った。
俺は明日自分の受診と検査で朝からN大病院だ、それにこんな体なので着いてってやれない。まったくなんでこんな目に俺らはいつまでも逢わなくてはならんのだろう。そういう俺も、腹の膨満は妊婦のようだし、ここ数日はこうしているだけで首の後ろ側に鈍痛がし、同時に目眩が始まる。
お姉さんが来る前に、二人で手を握り合って「もうこんなに辛いんなら生きていたくないね」と思わず話し合う。連れが以前、手術後のあまりの激痛の日々にそんなことを言った時、俺は何を言うんだ、と叱った。だが今なら俺も同じような心境になってしまう。いっそ二人で死んでしまった方がどれだけ楽か…。
けれど、俺が諦めたら連れ合いも諦めるというのなら、俺は諦めない。だからやっぱり二人で頑張ろうと話す。
連れが生きていてくれなければ俺は闘病しても意味がないから諦めるしかない。連れも同じ心境ならば、二人ともお互いのためにもう少しだけ頑張ってみよう。明けない夜はないと信じたい。
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2005-11-12(Sat)

ジャナ専からカンパが届いた

11月12日(土)
夏休み前=前期まで講師をしていた日本ジャーナリスト専門学校(通称ジャナ専)の荒瀬先生から、書留が届いた。開けてみると何と講師の先生方や事務の人までも含めた20人以上の方から集めていただいた、見舞金のカンパだった。
カンパをいただいた方々のお名前を見ていると、顔と名前が一致しない方も正直、おられる。俺は97年から講師をさせていただいているが、7年半の間、講師室ではあまり社交的だったとは言えない。年齢が最も若い講師であった(数年前まで)ため、他の先生がたがかなり年長であったということもあるのだけど、それでもいざとなるとこういうご厚意をいただき、恐縮すると共に有難くて頭が下がる。
直接お礼を言いたいのはやまやまなのだけれど、荒瀬先生にはメールで謝意を伝え、添付ファイルをプリントして掲示していただくお手数をおかけすることにした。荒瀬先生、いつもすみません、ありがとうございます。


見舞金を下さった皆様へ

このたびは、私の突然の病気のために、皆様には大変ご心配をおかけしまして、心苦しく存じております。
また先日は過分なお見舞金まで頂戴してしまいまして、本当に有難うございました。
私の病気は現在のところ白血病の一種である「T細胞性前リンパ球性白血病」と暫定的に診断されてはおります。ですが、白血病を含めた、いわゆる「血液の癌」の中でも大変珍しいとのことで、いまだ正確な病名の確定診断が出ておりません。
白血病という癌は、病名・病気の型が判明し、適切な時期に適切な化学療法を行い、その後骨髄移植をすれば、治る確率が非常に高くなっています。しかし、私の場合は病名がなかなか特定できないものだそうですから、その治療方法もなかなか決まりません。
八月に入院、九月末に退院をしまして、現在は自宅にて療養しながら、定期的に血液や骨髄を調べて病気の進行・様子を見ているという状況です。最も顕著な症状としては、全身のリンパ節の腫脹のほか、脾臓、及び肝臓が下腹部まで大きく腫れているため、膨満感が常に腹部にあります。また正常な血球が減少しているために、白血球減少による免疫力低下、赤血球関連の減少による動悸・目眩といった症状があります。
体調の良い日は外出も出来ますし、食欲も気力もあります。ただ、感染症の心配があるため、これからの季節は特に風邪が重症化しやすいため、注意が必要とのことです。そのため日常マスクが欠かせず、頻繁なうがい、手洗いなどを義務付けられています。
このようなお知らせを皆様にしなければならないのは本当に心苦しく残念なことではありますが、今後頑張って治療に専念し、ご心配いただいた皆様を一日も早く安心させることがまず第一と考えております。
本来でしたら直接御礼を申し上げるところではございますが、このような形になりますことを、ご容赦ください。本当に、暖かいお心遣いを賜り、ありがとうございます。
皆様方も、くれぐれもお体ご自愛ください。元気になりましたら、ぜひ御礼のご挨拶をお会いしてさせていただきたいと思っております。
とりいそぎ御礼まで、書中にて失礼申し上げます。
(長く筆記用具を使って文字を書くのが辛いので、パソコンでプリントしたもので失礼いたします)

二〇〇五年十一月十二日
白取千夏雄 拝

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2005-11-07(Mon)

本田美奈子さんが亡くなる

11月7日(月)
夕べは11時頃寝た。朝方何度か猫の出入りで起こされ、5時ころユキが何かを転がす音で起こされた。起きてみると、目薬の空き容器だった。何でこんなものを…とトホホホと思ったが、これはご飯が無かったようで、起こそうとしていたらしい。カリカリを開けてやるとシマもスッ飛んできて、二匹並んでカリリカリリと食べていたから、二匹とも相当腹が減っていたんだろう。悪いことをした。その後布団に戻り、また何度か目が覚めたりしたが、9時半過ぎに起きる。
朝のワイドショーでは、急性骨髄性白血病で臍帯血移植まで成功していた本田美奈子が急死したというニュースをしきりにやっている。急性骨髄性の場合は治癒率も高い型のはずだし、38歳と俺より若かったわけでもあるし、そもそも移植自体も成功していたというから、ショックだ。まだはっきり死因は解らないが、白血病などの場合、死因は「白血病」そのものではない。初回の強力な抗癌剤による化学療法で寛解導入し、その間のさまざまな副作用も乗り越えたからこそ、臍帯血移植にこぎつけられたはず。そして臍帯血移植そのものも成功したというから、これはもう普通「治癒」へのスタンダードコースを順調に歩んだと思うだろう。ところがその後すぐに再発が認められたというのだ。この段階で再発すると、もうこれまでに使用した抗癌剤では殺せない癌細胞が増殖しているわけだから、より強力な薬を使うしかない。聞くところによるとアメリカで開発された新薬を入れたということだが、最後は恐らくそうした強い薬の副作用、例えば免疫低下による肺炎など感染症で亡くなったのではないかと思った。だとすれば、再発してからの強力な治療は必要だったのかという疑問がやはり浮かぶ。口内炎で水も飲めず、泣きながら氷を口に含んで乾きを癒していたという話を聞くと、可哀想で涙が出る。そこまでしても、助かるのなら我慢しよう、ご家族もそう思っただろう。だが、果たして正しい選択だっただろうか。
自分の場合は慢性、それもリンパ性という型らしいので(病名は未確定ながら)、はっきり言って効くという薬は最初からない。その意味では急性骨髄性は薬も決まってるし治療プロトコルも決まってて、治癒率も70%前後で…と聞くと不遜にもうらやましい気さえしていたものだが、これだけ進行が早く亡くなってしまう例を聞くと、恐ろしいと思う。恐ろしくない癌などないのか。とにかくご冥福をお祈りします。
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2005-11-04(Fri)

気分転換にドライブした

11月4日(金)
今朝は何度か朝方目が覚めたが、9時ころ起きる。連れ合いはこのところ肩に原因不明の激しい痛みが24時間あると泣いている。整体へ行こうが整形外科へ行こうが「五十肩ですね」「一年くらいで治ります」とか言われておしまい。結局ボルタレンという強い痛み止め軟膏を処方してもらい、それを一日数回塗ってやり、痛み止めのシップを両肩と二の腕に貼ってやるという毎日。朝はゆで卵を作り、マヨネーズと和えて卵サンドを作って食べた。
11時ころ次女のYちゃんが車で来てくれる。肩が痛くて背中が痒くてもかけないと切実に訴えていた連れ合い(つまり母親)のために、変な孫の手を見つけたと持ってきてくれた。プラスチックで先が人間の手のようになっており、軸の部分は空洞で中の重りが上下するたびに「ぷぅわぁ〜」と間抜けな音を出すという代物。
その後ドライブでも行くかということになり、この辺じゃ飽きたからと、Yちゃんの自宅のある岩槻方面へと向かう。途中モスバーガーでお昼を食べ、給油してやり、渋滞を抜け、芝生と沼しかないという公園へ行く。連れ合いが俺の世話もあるし、俺は俺で免疫が低下しているため、外出は最低限に抑えているから、なかなか散歩といっても近所へ買い物ついでにぶらっと、くらいだ。これでは連れも気が滅入るだろうと、Yちゃんはいろいろ配慮してくれているのだ。
たまの緑はいいものだ、公園は本当に芝生と沼というか池くらいしかなく、ぐるりと池の周囲を散歩道がとりまいているのみ。遊歩道みたいなものも一応作ってあるのだが、全く手入れされていないため、草ボウボウの中を分け歩くような感じ。だがその愛想とやる気のなさも、まあたまにはいいではないか、という風情だ。最初着いた時、揃いのジャージ姿の中学生が大量にいて池の周りを占拠していた。見ると写生会のようで、ワイワイガヤガヤと絵を描く者、他人の絵を批評する者、ただ意味もなく昂揚してはしゃいでいる者、寝ている者、中学生たちは声変わりしている者もしてない者も入り混じって、人生で一番間抜けな季節を謳歌している。だが我々はそんな中にいてはとても緑を愉しんで憩う…どころではない。とりあえず池の周辺をそぞろ歩く。ぐるりと周囲を廻っていると中学生たちは招集がかかって三々五々去り、どうやら帰る様子。池の反対側のあたりをゆっくり廻って、元の芝生の広場へ戻ってくると中学生たちは綺麗さっぱり消えていたので、芝生に座ったりしてしばし憩った。

その後4時にYちゃんは二人の女の子の保育園のお迎えなのだが、まだ15分くらい時間があるというので、コスモス広場を見にいくことにする。車で乗り入れるとコスモスはもう終わりかけており、逆にもの寂しいのでそのままスルーで戻り、結局Yちゃんの家へ一旦落ち着く。家はYちゃんの旦那のリフォーム工事が中途半端に中断されていて、ひどい状況であった。旦那は仕事が忙しくなったのでなかなか再開できないと言っているようだが、あれじゃあ家の中で全然くつろげまいと思う。
4時ちょいに再び車で保育園へお迎えに行き、MとSを拾い、帰り道。MとSは俺がこんな病気になってから、幼児は感染源になりやすいのでなるべく接触しないようにということで、会うのは久しぶり。なのでMが車中ハイになってしまい、しゃべり歌いまくりでさすがにぐったりしたが、Yちゃんにマンション前まで送ってもらった。いやはや今日は若干疲れたものの、いい気分転換にはなったし、緑の中をゆっくり歩いたので免疫アップにも良かったと思う。

新・抗がん剤の副作用がわかる本

三省堂

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夕飯の後はいつものように自主的に検温、血圧測定をし、記録する。その後テレビを見て、11時くらいに布団に行き、近藤誠氏の抗癌剤に関する著書を読む。読むにつれ、抗癌剤治療が恐ろしく思えるが、この本の中でも悪性リンパ腫や白血病は抗癌剤で治癒が期待できる癌のクループにカテゴライズされており、やはり抗癌剤治療を受けるのは正解らしい。もっとも、もし俺の病気が慢性リンパ性白血病だとすれば、これは治らない癌。なので抗癌剤は初回の強いものを数クール受けて、その後何年もダラダラと受けることは体のダメージを考えれば止めたほうが良いという。その都度一時的に抗癌剤で癌細胞を減らすことが出来ても、多少の延命効果しかなく、その分初回治療よりも強い薬による体への悪影響の方が深刻だと。ただしその分慢性リンパ性白血病だとしたら進行も遅いので、5年前後は生きられ、場合によっては十年程度生きられることもあるらしい。要するに俺の場合は余命1年なかったのが5年から10年になったと考えれば、「治療どき」が来たら抗癌剤の投与を受け、様子を見て、再発した場合は新たな抗癌剤の治療を断るということがいいようだ。初回のもっとも強い抗癌剤をかいくぐって「再発」した癌細胞に、また抗癌剤が効くとは限らない。もっと強い薬を投与することになるし、すなわちそれはもっと体に悪影響が出るということになるからだ。抗癌剤というものはそれそのものが非常に恐ろしい「毒薬」だ。10%以上の人がこの薬によって死ぬことを考えれば、諸刃の剣どころではない治療法という感じがする。脱毛や吐き気は投与をやめれば元通りに復活するが、腎臓や心臓などへのかなりの負担からくる障害は、投与を止めても一生付き合わねばならない「障害」として残る。つまり弱ってしまうわけで、そこへさらに強い薬剤を投与したらどうなるかは、素人でも想像がつくというものだ。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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