2005-12-31(Sat)

良いお年を

■今年は年賀状はとりやめることにしました。いや、別に不幸があったわけじゃないんすが、二人ともそんな気分になれなくて。ですが皆さんが出していただく分にはありがたく拝受させていただきますので、投函しちゃった人で「やべえ!」と思われる必要はございません。

■ここ数年、必ず季節の変わり目・特に秋冬には風邪をひいたりしていたものだったが、この冬はここまで気をつけているとさすがに風邪のカの字も気配がない。外出は必要最低限、いや病院の定期診察以外は用があっても家人に頼んだりして、極力出ていない。出た時にはもちろんマスク着用、帰宅後は手洗いにうがいを念入りに。普段も寝起きと就寝前にはやはりイソジンでうがい。居間と寝室の枕元にも加湿器を置いて、湿度が下がらないように気をつけてるし、コレで風邪ひいたらもう防ぐ手立てなしってくらいだ。
■ここ数年といえば、本当に何もいいことがないと言っていいくらいで、逆に悪いことなら山ほどふりかかってきた。これでもか、これでもかと不幸、無理、難題、逆境、嫌がらせ、何でもいいけど悪いことばかりだった。弱い人間なら5回くらい自殺しているとマジで思う。俺って意外と強かったんだな、と思った。というか、俺がいなくなることで「もう一人の人間」が確実にこの世からいなくなると思えば、死ぬにも死ねなかったというのが本音だけど。

■そして不幸続きのその最後のオチが、自分の病気=癌であった。
ここまでくれば人間、自殺とまでいかなくても変な宗教にすがったり、気が変になったり、まあ普通じゃなくなるんだろうな。それでも俺は生きている。来年も出来るだけ生き延びようと思うし、できればあと何年かは生きたいとも思う。この世に神や仏、何でもいいけど大いなる力が本当にあるのか知りたいと思うのだ。
このままもし俺が順調にオッ死んだとしたら、皆さん、たぶんそんなものは存在しないんだよ。不遜にもそんなことを思ってしまう昨今なわけです。思いたくもなるって。
■それでも今のところ、俺は宗派に関係ない根源的な教えだと言われる般若心経を時々唱える。神か仏か、特定の名は呼ばぬが祈る。助けてくれ、死にたくない、生かしてくれと祈る。神は自分の存在を疑うなという。

■皆さんはどうして生きたいんですか? いつまで自分が生きられると思いますか?
何かを信じて生きてますか?

■京都の鈴虫寺のお坊さんによると、俺は今年の7月17から前厄に突入したそうだ。あと3年近く、本厄、後厄と続く厄年になるんだそうだ。これまでの地獄のような艱難辛苦が厄ではなかったのなら、これから3年間続くという厄年では一体どのような苦しみや不幸が自分の身にふりかかるのか、とても想像がつかない。それを自分が果たして乗り越えられるのか、正直言うと自信がない。でも無事に厄が明けたら、京都のお寺にお礼参りに伺うつもりだ。そうして酒も飲もう。
俺が生きていれば、それまでこのブログも続きます。

■皆さんもぜひ、よいお年をお迎えください。
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2005-12-26(Mon)

「変化なし」に安堵

12月26日(月)
夕べは就寝12時。比較的早く寝られたが、朝5時くらいにユキが暴れたり、シマがなぜか切ない声でヒャア、ヒャァオ、と鳴いたりで夜中に何度も目が覚めた。今日は隔週ごとの診察日なので、寝る前に携帯アラームを7時半にセットして寝たのだが、結局そのちょっと前に起きてしまった。日課である検温、血圧測定などを済ませてメールチェック、ニュースチェックなどを終えると8時すぎになってしまい、慌てて支度をして出る。一旦バス停まで行くが、師走で渋滞だし時間も押しているので、結局タクシーにしようと駅方面へ歩く。バス通りを歩いていると幸いすぐに個人タクシーが来たので乗り込む。道はこちらから17号を避ける近道を指定して行ってもらう。運転手さんは御年70だといい、皮膚がんで耳たぶを切ったら再発したけどほっといてるとか、病気談義。
9時10分くらいに何とか病院に着き、内科の看護婦に採血ある旨告げる。その際予約票にある診察予約時間が「9時半」になってるのは間違いじゃないかというと、それはそうととりあえず採血してきてというのでもっともだと思い連絡票をもらって地下へ行く。今日はやや混みだったが、番号は64番だった。これならそれほど待たないで済みそうかな、と思っていると、その後続々と採血待ちの患者がぞろぞろと受付に並び始めた。もうちょっと遅くなってたら大変だったかもな、と思いつつ10分ほど待っていると呼ばれて2本採血される。終わってそのまま売店で週刊誌と明治「ミルクと珈琲」買い、内科受付へ連絡票を渡す。その際先ほどと同じことを別な看護婦に訊くと、確かに採血の結果が出るまでに1時間ほどかかるだろうから9時採血で診察9時半は間違いだろう、なので1時間ほどしてから来てみてくださいと言われ、いつものロビーへ行く。ソファに座って携帯でmp3を聞きながら週刊誌を読む。
あっという間に1時間経ったので、内科受付へ向かうと、廊下で「白取千夏雄さん」と聞こえたような気がしたが、まさかと思って診察室前まで入って椅子に座ると、ちょっとして今度ははっきりと「白取千夏雄さん、4番診察室へどうぞ」と再び呼ばれたので慌てて入る。何というグッドタイミング。

U先生から今日の採血の結果を見せてもらうが、やはり前回と変わらず、だった。貧血も少なく血小板も10万以上ある、白血球が相変わらず少ないが好中球数は700〜800くらいあるので気をつければ感染には問題ないレベル、上昇が心配されていたLDHも横ばいだ。様子に変化はないかというので、時々正中のあたりが痛むことがある、またあちこちのリンパ節が時々痛んだりすることが常にあるが、特定の場所が常に痛むということはない、なのでその一連の痛みの移動の一環に縦隔の痛みがあるのかも…というようなことを話す。ずっと縦隔リンパの痛みが継続するかというのでそれはなく、日によって痛まない時もあるし、痛む場所も違うというと、念のため年明けに胸のレントゲンを撮りましょうということになった。縦隔に出来るリンパ腫は気道を圧迫して呼吸が苦しくなったりすることもあるので、呼吸音を聴診器で聞いてもらうが、大丈夫とのこと。念のため扁桃腺も見てもらうが、こちらも大丈夫だった。
触診の結果も、顎、首、腋下、鼠蹊部などのリンパ腫の大きさはほぼ変わらず。左の腋下はむしろ探し当てるのが難しいくらいだと言っていた。ホッとした。
ホッとして、前回自分の癌のタイプに効くかもと言われた抗癌剤アレムツズマブ(キャンパス)について「キャンパスって未承認なんですよね」と暗に薬価が高いことを恐る恐る聞くと、「そうなんですよねー、日本はそういうところ物凄く時間がかかるんですよ。ひどい場合にはアメリカなんかで使われる状態から5年くらい経って、ようやく臨床試験開始ってこともあるんですよ」とのこと。まあ俺の治療開始が半年後か一年後かわからないが、それまでに承認されることはまずなさそうである、そのことだけは確かだろう。そんなこんなで来年は年明け16日の診察からとなり、その日採血以外に胸部レントゲンを撮ることになった。
お礼を言って診察室を出て、地下で会計をし、地上に出て赤羽行きバスを5分ほど待ち、11時ころのバスで赤羽まで出る。日大病院から帰宅するには、このバスで板橋本町から本蓮沼までのバス停まで行き、そこから高島平行きのバスに乗り換えをしないとならない。今日は天気はいいが風が強く、体感温度も低い。乗り換えは面倒だなあと思ったので、赤羽まで行って買い物をしてから帰ることにした。バスの中は乾燥した閉鎖空間。風邪などの感染にはもっともいけない条件が揃っている。ケンケン咳をしているマスク無しのババァも多かったので、マスクの上から隙間をうめるように鼻をグイとつまむ。家にいる連れ合いに電話をするとパンを食べたばかりだというので、イトーヨーカ堂の地下で買い物をして、タクシーで帰宅、12時過ぎだった。

とにかくこうして定期的に先生にキチンと調べてもらい、「変化なし」と言ってもらえることは患者にとって大きな安心になるものだ。実際昨日までは調子の悪い日があると不安でたまらなくなり、こうして病院に来て安心し、それから時間が経って次の診察が近い頃になると、不安が増していることが解る。安心し、少しずつ不安が増し、ピークに来たところで病院でまた安心する、その繰り返しだ。血液の数値ははっきりと変化のないことを示してくれるからこれ以上わかりやすいことはないし、触診でずっと同じ医師が診てくれていることでリンパ腫の状態も変化がないと言ってくれているから、きっとその通りに違いないのだ。
自分の病気がいつどうなるのかが全く解らず、余命も何ヶ月か何年かも不明。だがそれは俺だけが知らぬのではなく、医者も含めたみんなが知らないことだ。ならばあれこれ悩んでもしょうがない。解ってはいるものの、やはり辛いことではある。
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2005-12-25(Sun)

「じゃがポックル」うめえ!

12月25日(日)
いわゆるクリスマス。前の日は一日じゅう調子が悪く、動悸、息切れ、腹部の不快感などでぐったりしていた。夕べ寝る前に布団の中で明日は腹や胸が痛くなりませんように、と般若心経を唱えつつ願う。珍しく比較的寝入りが早く、次に目が覚めると朝の5時過ぎだった。少しそれでうとうと、朦朧としたが、すぐにまた寝られた。なぜか高校の学園祭で俺がドラムを叩く、それにヴォーカルもやらねばならないと、WHITESNAKEの曲の練習をしている夢を見た。完全に目が覚めたのは11時ころ。
幸い体調は悪くはなかったので、終日テレビを見つつゴロゴロする。午後はWOWOWで「ホーム・アローン」を見て笑い、クリスマスなので一応二人でショートケーキを食べ、夕方はJーCOMでジェームズ・スチュワート主演の「街角/桃色の店」(1940年)を見た。いずれもクリスマスの映画である。世間の若いカップルは発情したり大変そうだが、我が家は淡々としたものだ。その後夕方から「M−1グランプリ」の生中継を見て、大いに笑う。毎年審査には首をかしげることも多かったが、今年のブラックマヨネーズの優勝は文句ないところ。笑い飯はあのダブルボケというか、瞬時に二人のボケが入れ替わりまくるという芸風が好きなのだが、今回はその加速度が少し悪く、さらに決勝では相手が悪すぎたか。麒麟が決勝に残ったのは人気優先あるいは吉本のお家事情かと邪推。この「M−1」はオートバックス提供、吉本興業制作といってもいい。去年の優勝は人力舎のアンタッチャブル。例年のローテーションで行くと今年は吉本所属のコンビが優勝のはず。果たして結果は、という感じではあるが、ブラマヨの実力は「漫才」という芸に限れば文句のないところだろう。
M−1を見ている間、8時半ころに突然郵便局が「夜間配達です」と来る。何だろうと受け取ると小包で、函館の旧友・米田からだった。開けてみたら地元北海道のお菓子類。懐かしい「わかさいも」、函館名物「トラピストクッキー」、あと米田が最近はまっているという北海道限定のジャガイモのスナック「じゃがポックル。俺が癌告知されて以来、禁煙してお菓子ばっか食ってるというので送ってくれたのだ。いや本当にありがたいことだ、卒業して以来ずっと会っていないというのに、友達というのは本当にいつまでたってもありがたく、懐かしく、暖かいものだ。だが俺は今こんな体になっちまったことが切ない。腹は今日は痛みはないものの、膨満感が常にある。前は食後だけだった膨満感が慢性的になり、数ヶ月前には滅多に痛まなかった正中、縦隔のリンパも毎日痛む。そして息苦しさと動悸がある。虚勢を張るつもりはない、これはやっぱり怖い。怖くないわけがない。気持ちだけは萎えないようにと思うが、日々自分の体の中で何が起こっているのか、そしてこれからどうなって行くのか、それらのどす黒い不安と心配がつきまとう。

お菓子はさっそく二人でいただく。わかさいもは連れが気に入った様子、「じゃがポックル」はマクドなどで出てくるポテトフライそのままの見た目のスナック。しかも海塩の味が絶妙! おすすめっす。米田、ありがとう!
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2005-12-12(Mon)

風邪に注意

12月12日(月)
7時過ぎ起床。このところ乾燥してきたので寝室にはペットボトル加湿器を置いて就寝前に作動させるようにしている。去年、一昨年あたりから水の入ったペットボトルを差し込むだけという、2000円もしない安価な加湿器を使うようになったが、3台立て続けに壊れた。去年はさすがにマトモな加湿器を買おうと、かなり大きな加熱水蒸気型を居間と寝室で移動させながら使うようにと買ったのだが、これまた一冬持たずに壊れた。最近のこうした小型家電は消耗品と承知はしているものの、余りにひどい。なので今年はペットボトル式は選択外、居間用にナショナルのハイブリッド型という水蒸気の出ない大型(4ℓ)のものを購入、作動音がうるさいこと以外はすこぶる好調。だが夜中に乾燥して寝ている間に風邪をひかぬよう、寝室にも加湿器が必要な時期になってくると、この大型のものを枕元にいちいちエッチラと移動させるわけにはいかない。なので、ネットでいろいろ探して、新たなペットボトル加湿器を見つけた。去年まで立て続けにブッ壊れたおもちゃのようなものではなく、ズッシリと重い、2ℓボトルでも倒れない堅牢なやつだ。
この加湿器は加熱型で水蒸気がもくもくと出る。スモーク効果のように出る。噴出し口がノズルになっていないので、もわもわと地を這うように出る。従って床に直接置くと、長時間作動させていると加湿器周辺にうっすらと水が溜まる。これでは朝足が滑って危ないし、布団も湿る。残念ながらこの加湿器には水蒸気の無段階調節がなく、2つの強弱しかないのだが、弱にしてももわもわ。なので枕元に小さなテーブルを置き、その上に乗せて作動させることにした。
水は1mlボトルだと朝まで持たず、スイッチも自動で切れないので、寝る前に2リットルボトル満タンにちょい足りないくらいのを差し込んで寝たら、朝はまだ少し水が残っていた。この時期乾燥よりは湿度過多くらいの方が風邪予防にはいいと聞くから、こんなもんでいいんだろうな、と思う。朝方5時くらいからユキが居間で何やらやっている音でたびたび起こされていたので、寝覚めは悪い。天気は曇天、気温も昨日までと違ってグッと下がっていて寒い。今日はこれから病院。

8時過ぎ、連れが野菜スープを温めてくれたので軽く一杯食べてから出ると、外はやはり寒い。昨日の夜にサッカートヨタカップをチラと見ていたら白いものが舞っていたが、あれは雪だったそうだ。バス停に行くと時間なのに全く来る気配なし、風邪引くのも嫌なので通りかかったタクシーに乗る。出る前にパソコンで調べてみたら、17号大和町付近2km渋滞、環七も254も渋滞ということだったので運ちゃんに日大病院まで、ただし17号は避けてときわ台経由で行ってくれと言う。道がわからないというが何とか行ってとお願いすると、地図を見ながら向かってくれる。運ちゃんによると、朝もちょっと雪がチラついてたそうだ。志村坂上までは渋滞がなかったのでスッと行くが、坂上に上りきったところでちょうど渋滞の尻にぶつかった。大和町からここまで延びたのか。運ちゃんに指示して凸版の手前を右折し、見次公園の脇を降りて高速5号線の下に出て、ときわ台駅方面へ入ってもらい、川越街道左折、環七を超えて「日大病院北口」の交差点。そこを右折し、道なりに進むと病院裏の壁に当たるから、あとは壁を右に見て壁沿いに進めば病院入り口だ。これで所要時間30分弱、料金も2800円以下で済んだ。病院へ着くと9時5分前。えーと、もう意味が全然ないので通院している病院名は匿名をやめます(笑)。日本大学医学部付属板橋病院の血液膠原病内科です、はい。

内科受付でいつものように採血の旨告げて連絡表を貰い、地下に降りて採血受付に提出。番号は20番とかなり若い。いつか物凄い混んだ日は270番くらいだったもんなあ、と思いつつ中の待合のソファに座って待つ。5分ちょっとですぐ呼ばれて、前回と同じおばちゃんもといご婦人に採血された。今日は前回主治医のU先生が「来週は(血液検査は)簡単な項目だけにしますから」と言ってたので、試験官2本分。終わって1階に上がり、売店で週刊アスキーと明治ミルクと珈琲を買い、いつものロビーへ行く。週アスは一億号突破だそうで、通常の値段でブ厚い角背のものになっていた。それにしても週刊化される前からパソオタ臭プンプンの紙面だったわけだけど、「オタ」「アキバ」がもはや市民権を得てしまった昨今(得たのか今?)は、なぜか普通に見えてしまうのが不思議。そういえばアメリカの雑誌に「アキバがオタ向けエロシティに変貌している」とレポートしたのはもう十年近く前だ。などと考えつつ紙面を繰り、携帯のSDカードに記憶させたmp3をイヤホンで聴く。今日は採血の項目が少ないためだろうか、診察予約は10時15分。10時10分に診察室前の待合まで移動するが、例によってかなりの待ち人数。これは時間通りは無理だなと思い、携帯の4人打ち麻雀でヒマを潰す。半荘終わって3位になりヘコんでると、11時過ぎになって呼ばれたので中に入った。

今回の採血の結果、前回ちょっと上がっていた白血球数(WBC)は2000から1500に逆戻りしていた。あと前回正確に出ていなかった白血球の内訳も見せてくれる。それによると前回好中球数が減りリンパ球が増えた、その増えたリンパ球は癌に侵されたものじゃないのか、その結果のWBC2000超えじゃないか、とかアレコレ悩んだのだが、今回出た正確なカウントによればband5.0%、seg36.0%でneutro合計は820くらいということになり、リンパ球数も50%超えではなく47%に修正されていた。やはりそう簡単に詳しい検査が短時間に出来るものではなく、従ってその結果のわずかな上下に振り回されることはないのだ、と反省。U先生曰く「白血球数が戻っちゃいましたけど、まあこういう上下も長い目で見ると誤差範囲内ってことでしょうかね〜」と苦笑ぎみ。その他の項目、貧血も進んでおらず、血小板数などを見ても少ないものの重い状態にはないということ。LDHが相変わらず200超えなのだが、それにしてもここしばらくは上下がない。
というわけで、また「変化なし」従って「無治療・様子見」は継続ということになった。顎や首、腹部や鼠蹊部などのリンパ節を触診で確認してもらうが、これまた変化なし。その際「前回言われた効きそうな薬って、キャンパス(アレムツズマブの商品名)のことですか?」と聞くと、「そうです、本来はこの病気の治療用ではなく、骨髄移植後のGVHD(移植片対宿主病)の予防なんかに使われてたんですけどね。白取さんのように病気の激烈な進行がない、というより進行しているかどうかも解らないほどの状態に効くという薬はあんまりないんですけど。入院中に何度か骨髄を採らせていただいた時はこの薬が効くかどうかのマーカー検査はしてなかったんですけど、こないだのマルクの時は東大ならできるかなと思って問い合わせてみたら出来るということだったんで頼んでみたんですよ。そうしたら、どうやら半分以上薬が効きそうな細胞があったので。」とのこと。とはいっても、「治療どき」のタイミングになってからの話だが。それがいつになるのか…が解らないので、その点が不安ではある。

そういえば触診の前に風邪が流行っているからと、念のため扁桃腺も見てもらったが、一瞬で「あ、大丈夫ですね」とのこと。今日あたりは風邪の患者も増えてきているらしく、とにかくくれぐれも風邪には気をつけること、とまた念を押された。うがい、それよりも手洗いが重要。人ごみはもちろん、外出は最小限に。どうしても出る場合にはもちろんマスク着用。部屋の温度は暖かく、さらに大事なのは湿度を保つこと。これらの「風邪予防の常識」ってやつは日ごろ十二分に気をつけているので問題ないと思うが。あと触診されている時に「こないだちょっと消化の悪いものを食べたらひどく腹が張って苦しんで、夜中に吐いちゃいました」と告げると、「その後どうされました?」というのでケロリと治った、と言うと笑われた。要するに脾臓の巨大化で肝臓まで圧迫されているから、当然胃も圧迫されている。そこへ急激に消化の悪いものをたくさん放り込めば消化不良を起こすので、気をつけるようにということ。気をつけます。んでそうした症状が続くとか苦しいというのなら薬を考えますと言ってくれたが、俺はそういうわけなので必要ないですと断った。先生も「市販の胃薬とかでもね、血液の病気の人には良くない場合がけっこうあるんですよ。★★★★(有名な胃薬)とかもね、あれ飲んだ後に白血球数が減ったとかいう例もけっこうあるので、あんまり飲まないに越したことはないんですよね」とのこと。へえええ、知らなかった。
そんなこんなで「次回はどうしましょうか?」と言われたので、「いや…、先生にお任せしますが…」と苦笑すると、年明けの月曜は16日になり、そうなるとかなり空いてしまうので年内26日にしましょうと言われる。俺も「その方が安心して年を越せますんで」と言うと、先生も「そうなんですよ、結局お互いの安心のためなんですよね。間が開いてしまうとやっぱり心配ですからね」と言われる。お礼を言って診察室を出ると11時半ころ。地下の会計で支払いを済ませた後、高額医療費の給付申請を区役所でしなければならないので、タクシー乗り場から板橋区役所へ向かう。

「申請前に収納課に一度寄れ」と送られてきた申請用の書類に書いてあったので、まず区役所の2階の国保のコーナーへ行き、収納課のカウンタで給付申請書類を見せる。応対してくれた女性に「保険料の未納がちょっとあるので、たぶん一度ここへ寄れということだと思うんですが」と告げると、保険料の納付状況を照会してくれる。間もなく戻ってきてプリントアウトした一覧を見せてくれ、「そうですね、合計で…7万ちょっとあります」。ひええ。最近はもう口座引き落としになってるし、前回春に申請した時は7万いくら滞納分を払ったはずなのだが、まだそんなに残ってたとは。今回の高額医療費の給付は7、8月分で合計20万くらいになるが、3分の1は保険料滞納で持ってかれるということだ。とほほほ。鬼だ、行政は鬼だよ…って滞納してた方が悪いのか。高額医療費とは、月の医療費の自己負担額が72300円(来年度から上がるらしいが)を超えた場合、申請によって支給されるお金のこと。もちろん、差額ベッド代や保険適用外のお金は返ってこない。例えば家族の通う交通費や入院のための備品購入費その他でかなりのお金がかかるのだが、そうした分は個人が民間の入院保険などで補うしかないのだが、高額医療費の給付制度は実際問題として、高く継続的な治療が必要な病気には非常にありがたい制度である。
で、申請をして、保険料の滞納があるとその給付金の中から滞納分全額か、あるいはいくらかを相談の上必ず支払うことと引き換えに給付が受けられる…ということになっている。なので、滞納者の場合は給付が下りるとまずその旨葉書が届き、その葉書と印鑑と保険証を持ってもう一度現金を受け取りに区役所まで赴かねばならない。そうして収納課の係の人に付き添われ、区役所一階の銀行窓口まで行き、書類を渡して引き換えに現金を貰うのだが、その際に滞納分の納付を係員立会いのもとで行う。そうしてその分を差し引かれた金額が「直接手渡し」される、という寸法だ。
これって要するに滞納者はそのまま給付金を振り込みしてしまうと、滞納分を払いますと口約束だけしてまた払わないからだろう。係がちゃんと銀行まで付き添ってむしり取るというんだから区役所もすげぇよな。ま、滞納する方が悪いんだけどさ。ただ今の俺の場合は「もう一回来い」って言われても癌なんで免疫低下してて極力外出避けろって言われてるしもう溜まってたのは全部給付が下りたら支払うからとにかく納付書だけ作ってくださいよそうしたら給付金の振込みしてもらったら納付書での支払いは家人に頼んだりできるからお願いしますよ本当にだって俺癌なんだからしょうがないじゃないみたいな話をしたら、すぐに「あ、それはお困りですよね、じゃあ納付書を作りましょう」とあっさり言ってくれる。鬼じゃないのね板橋区。なのでめでたく「通常の給付」という欄にマルをした紙切れと、滞納分の納付書(1月末納付期限)を貰う。そうして今度はようやく本筋である高額医療費給付申請窓口の方へ行き、申請書類を提出して、病院の領収書などを確認してもらい、終わり。やれやれだ。いや滞納が悪いんだが。いろいろ大変なんだよこっちも。

その後時間的に電車に乗っても空いているだろうから大丈夫と判断し、地下鉄で志村坂上まで戻り、書店をチラと覗いて、小物の買い物などをする。いい天気だ。こうして買い物をしたり普通に外を歩いていると、自分がひでぇ病気であることを一瞬忘れる。春くらいからよく行く「ジンコーヒー」でフレンチローストの豆400gを挽いてもらい、レトルトのカレー5個パックを買う。いつも無愛想なおじさんは無表情で「くじ…引く?」と言うので一瞬何のことか解らなかったが「え? くじ、あるんですか?」と聞くと「薬局の手前」と言って商店街の福引補助券5枚つづりをくれた。これで1回分らしい。こういうのって意外と当たったりするんだよね、なんて思いつつのこのこ福引所まで行き、番をしていたおばちゃんに券を渡すと「ハイじゃコレ1回押して」と、1cm角のボタンがぎっしり並んだ金属製のボックスを示される。その中の赤いボタンをポチッと押して「START」というボタンをグイと押すと、おばちゃんが「あそこに結果出るからね」とTVモニタを示すので見ていると、昔のファミコンみたいな解像度と色数のゲーム画面みたいなもの。STARTを押すと音楽と共にクリスマスツリーから葉がバラバラと落ちるという情けない映像が表示され、どうやらハズレだったと解った。おばちゃんにポケットティッシュとミニ使い捨てカイロ1個ずつ貰って出る。やらんでも良かった、ていうかあの情けない映像と外れたという敗北感を得た分、損した気分であった、ガックシ。
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2005-12-09(Fri)

食いすぎて(?)嘔吐…

12月8日(木)
退院して一週間ほど経って、ほぼ元気になりつつある連れと久々にバスで西台へ買い物に行った。デニーズのカウンタでオムライス+コーンスープ+アメリカン、連れは野菜スープ+ホカッチャ+アイスティをゆっくり食べて、ダイエーで買い物する。
連れは順調に1日退院し、その際次女のYちゃんが車を出してくれたし、一度5日にはすぐ近くのスーパーで食材などは買ってある。この日の買い物はおやつがメイン。バナナとみかん、パンなどを買った後は怒涛の如くお菓子を買う。
俺も連れ合いも禁煙してからご多分に漏れずおやつなどの間食が物凄く増えた。クッキーだのチョコだのバカみたいにお菓子を買う。その後さらに連れはこのところCMでやっている「ミスドノエル」を買いたいと、ミスドへ行った。
合流して帰宅2時半くらい、夕飯は7時過ぎに夕飯は惣菜のハンバーグと、冷蔵庫にあった暖めるだけのハンバーグをそれぞれチンして、二人でパンと食べる。食後はミスドで買ったドーナツを2つ、さらにミスドノエルまで食べる。

いい気になって食いすぎたせいか、食後8時くらいから猛烈に腹が苦しくなった。腹というか胸に近い胃のあたり、縦隔のあたりもズキンズキンと痛い。膨満感だけではなく、同時に痛みもあるという点ではかなりキツい。当初は痛い、苦しいと言えば連れがまた心配するだろうからと、黙ってソファに転がってテレビを見ていたが、「どっちの料理ショー」でカレーパンと肉マン対決見ているうちに胸がムカムカしてきた。
腹部の膨満感がキツく、胸の正中あたりが鈍く痛い。連れに悟られぬようにしていたが、大便でもすれば治るかとふんばってみたがちょっとしか出ず、むしろ痛苦しいのは増す感じだったので、これはもうアカンと、よろよろと寝室へ行って寝る。

連れが心配して「苦しいの?」と言ってきたが「大丈夫」と言ってそのまま布団に寝ていた。だが苦しさと痛みはおさまらず、仰向けになっても胸のあたりが痛い、そのためとうとう呼吸が荒くなってきた。右になっても左を向いても今度は腹が痛く、そのうち気持ちも悪くなってきた。
何だこれは、やはりこないだの血液検査でリンパ球の数値が増えていたのは病気の悪化か、ひょっとしたら急速に悪化したのか、脾臓の腫れは骨盤まで及び、巨大化して胃どころか肝臓まで強く圧迫しているというから、何か悪い影響がさらに…などと悪い方へ悪い方へ想像が向かう。
そのうち連れが居間から寝室に引き上げてきて、「救急車呼ぼうか」と言ってくれるが、「朝まで待つ、もし朝になっても治まらなかったら呼ぶ」ということにする。いったん起きてふらふらと血圧、体温などを測るが正常。血圧が上で130代後半とやや高いくらいだったか。
しかし痛みと苦しみは依然変わらず、発作的にノートパソコン周りの配線を外して入院になっても連れがすぐ持って来られるように整えてから、布団へ戻る。そこからがまたひどい苦しみで、もう本当にこんなの初めてだ、いよいよ入院か、だったら抗癌剤だな、とか例のアレムツズマブだと保険きかないからお金大変だなとか、いろいろとまたマイナス思考。
それにしても息まで苦しく、小刻みにハアハアという感じで、正中の痛みは縦隔のリンパ節腫瘍が痛んでいるとしか思えず、病状の悪化かと思うのも無理はなかった。これまで腹が苦しいことはあれど、同時にここまで胸に痛みと苦しみが走ることはなかった。
しばらく心配する連れの手を握ってウンウンうなっているうち、気持ちが悪くなって台所へ行くと、胃の中のものが二度、三度に渡って大量に出た。三度目にたくさん吐いた時はさすがに下腹部がひきつれるように痛み、きつかった。
それでも吐くとホンの少しだが楽になったような気がしたので、うがいをして布団に戻る。これが夜11時ころだったと思う。連れが「吐いたの?」というので「ウン、大丈夫」と声をかけ、「やっぱりちょっと暴飲はともかく暴食してたかもなあ」と話す。
今回夕方に食べたものはセブンミールのきのこあんかけソース(少量)のかかったハンバーグ1つ、食後に大量のカフェオレとハニーディップ2つ、ミスドノエル1つ。量的にはたいした量じゃないが、油こいものをよく咀嚼せずに食べたということかも知れない。本当に救急車を呼ぶ寸前だったほどだ。とにかく痛みと苦しみは依然あるものの、翌朝までにこれで治らなかったら病院だと思い、我慢して目をつむる。
30分ほどヒイヒイやってると少しウトウトしてきて、1時間弱ほど寝られたよう。時計を見ると1時前だった。それからはウトウトして目が覚め、の繰り返しで、その都度薄皮をはぐように痛みと苦しみは弱まっていき、朝は猫が出入りするたびに起こされ、結局7時ころトイレと洗顔に起きてしまう。

起きてみると、夕べの痛みと苦しみが嘘のように無くなっており、嬉しかった。冬晴れ・快晴のいい天気で、朝日がまぶしい。今日という日、朝を痛みと苦しみがなく迎えられて本当にありがたく、感謝する気持ちになった。
すぐコーヒーを淹れ、各種配線を外してあったノートPCを再び接続し直し、この記録をつけた。もう7時半だ。現金なもので、胃の中がカラっぽになり、痛みと苦しみがなくなると空腹感さえある。それにしてもひどくしんどい数時間だった。



★2009年追記 今にして思えば、これが典型的な胆石発作でした。当時はまだ胆石発作ということに気付かず、病気の悪化ではないかと夫婦でオロオロしていたと思う。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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