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2005-12-26(Mon)

「変化なし」に安堵

12月26日(月)
夕べは就寝12時。比較的早く寝られたが、朝5時くらいにユキが暴れたり、シマがなぜか切ない声でヒャア、ヒャァオ、と鳴いたりで夜中に何度も目が覚めた。今日は隔週ごとの診察日なので、寝る前に携帯アラームを7時半にセットして寝たのだが、結局そのちょっと前に起きてしまった。日課である検温、血圧測定などを済ませてメールチェック、ニュースチェックなどを終えると8時すぎになってしまい、慌てて支度をして出る。一旦バス停まで行くが、師走で渋滞だし時間も押しているので、結局タクシーにしようと駅方面へ歩く。バス通りを歩いていると幸いすぐに個人タクシーが来たので乗り込む。道はこちらから17号を避ける近道を指定して行ってもらう。運転手さんは御年70だといい、皮膚がんで耳たぶを切ったら再発したけどほっといてるとか、病気談義。
9時10分くらいに何とか病院に着き、内科の看護婦に採血ある旨告げる。その際予約票にある診察予約時間が「9時半」になってるのは間違いじゃないかというと、それはそうととりあえず採血してきてというのでもっともだと思い連絡票をもらって地下へ行く。今日はやや混みだったが、番号は64番だった。これならそれほど待たないで済みそうかな、と思っていると、その後続々と採血待ちの患者がぞろぞろと受付に並び始めた。もうちょっと遅くなってたら大変だったかもな、と思いつつ10分ほど待っていると呼ばれて2本採血される。終わってそのまま売店で週刊誌と明治「ミルクと珈琲」買い、内科受付へ連絡票を渡す。その際先ほどと同じことを別な看護婦に訊くと、確かに採血の結果が出るまでに1時間ほどかかるだろうから9時採血で診察9時半は間違いだろう、なので1時間ほどしてから来てみてくださいと言われ、いつものロビーへ行く。ソファに座って携帯でmp3を聞きながら週刊誌を読む。
あっという間に1時間経ったので、内科受付へ向かうと、廊下で「白取千夏雄さん」と聞こえたような気がしたが、まさかと思って診察室前まで入って椅子に座ると、ちょっとして今度ははっきりと「白取千夏雄さん、4番診察室へどうぞ」と再び呼ばれたので慌てて入る。何というグッドタイミング。

U先生から今日の採血の結果を見せてもらうが、やはり前回と変わらず、だった。貧血も少なく血小板も10万以上ある、白血球が相変わらず少ないが好中球数は700〜800くらいあるので気をつければ感染には問題ないレベル、上昇が心配されていたLDHも横ばいだ。様子に変化はないかというので、時々正中のあたりが痛むことがある、またあちこちのリンパ節が時々痛んだりすることが常にあるが、特定の場所が常に痛むということはない、なのでその一連の痛みの移動の一環に縦隔の痛みがあるのかも…というようなことを話す。ずっと縦隔リンパの痛みが継続するかというのでそれはなく、日によって痛まない時もあるし、痛む場所も違うというと、念のため年明けに胸のレントゲンを撮りましょうということになった。縦隔に出来るリンパ腫は気道を圧迫して呼吸が苦しくなったりすることもあるので、呼吸音を聴診器で聞いてもらうが、大丈夫とのこと。念のため扁桃腺も見てもらうが、こちらも大丈夫だった。
触診の結果も、顎、首、腋下、鼠蹊部などのリンパ腫の大きさはほぼ変わらず。左の腋下はむしろ探し当てるのが難しいくらいだと言っていた。ホッとした。
ホッとして、前回自分の癌のタイプに効くかもと言われた抗癌剤アレムツズマブ(キャンパス)について「キャンパスって未承認なんですよね」と暗に薬価が高いことを恐る恐る聞くと、「そうなんですよねー、日本はそういうところ物凄く時間がかかるんですよ。ひどい場合にはアメリカなんかで使われる状態から5年くらい経って、ようやく臨床試験開始ってこともあるんですよ」とのこと。まあ俺の治療開始が半年後か一年後かわからないが、それまでに承認されることはまずなさそうである、そのことだけは確かだろう。そんなこんなで来年は年明け16日の診察からとなり、その日採血以外に胸部レントゲンを撮ることになった。
お礼を言って診察室を出て、地下で会計をし、地上に出て赤羽行きバスを5分ほど待ち、11時ころのバスで赤羽まで出る。日大病院から帰宅するには、このバスで板橋本町から本蓮沼までのバス停まで行き、そこから高島平行きのバスに乗り換えをしないとならない。今日は天気はいいが風が強く、体感温度も低い。乗り換えは面倒だなあと思ったので、赤羽まで行って買い物をしてから帰ることにした。バスの中は乾燥した閉鎖空間。風邪などの感染にはもっともいけない条件が揃っている。ケンケン咳をしているマスク無しのババァも多かったので、マスクの上から隙間をうめるように鼻をグイとつまむ。家にいる連れ合いに電話をするとパンを食べたばかりだというので、イトーヨーカ堂の地下で買い物をして、タクシーで帰宅、12時過ぎだった。

とにかくこうして定期的に先生にキチンと調べてもらい、「変化なし」と言ってもらえることは患者にとって大きな安心になるものだ。実際昨日までは調子の悪い日があると不安でたまらなくなり、こうして病院に来て安心し、それから時間が経って次の診察が近い頃になると、不安が増していることが解る。安心し、少しずつ不安が増し、ピークに来たところで病院でまた安心する、その繰り返しだ。血液の数値ははっきりと変化のないことを示してくれるからこれ以上わかりやすいことはないし、触診でずっと同じ医師が診てくれていることでリンパ腫の状態も変化がないと言ってくれているから、きっとその通りに違いないのだ。
自分の病気がいつどうなるのかが全く解らず、余命も何ヶ月か何年かも不明。だがそれは俺だけが知らぬのではなく、医者も含めたみんなが知らないことだ。ならばあれこれ悩んでもしょうがない。解ってはいるものの、やはり辛いことではある。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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