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2006-01-22(Sun)

ご先祖様、ごめんなさい

1月22日(日)
前の夜は12時過ぎに猫のシマと一緒に寝る。このところずっと、こちらが寝るとなるとてててて!と走ってきて、脇の下で丸くなってゴロゴロ言って一緒に寝るのが可愛い。耳の聞こえない白猫のユキは、なぜか足元のダンボール箱が無造作に積んである一番上に載り、それをじっと見つめた後、そこで寝てしまう。
この日は2時くらいまで寝たり目が覚めたりで、朝方5時くらいに猫たちの出入りでまた目が覚め…で朦朧。7時前に連れが一度トイレに起きて戻ってきた後、こちらも尿意で起きると、居間が大変なことになっていた。
連れ合いはメガネをしてなかったので気がつかなかったようだが、電気をつけると居間の壁面一面に据え付けてある飾り棚の一番上にあったお盆が下に落ちており、乗せてあった茶碗が一つめちゃめちゃに割れていた。一番上の棚というのは、我々夫婦それぞれのご先祖様の写真などを飾ってある棚で、仏様の前にはお盆があり、その上にはお水やお茶をあげる二つの茶碗、また俺が入院した時に抗癌治療が始まるからと外した結婚指輪ともう一つの銀の指輪、連れ合いに昔プレゼントされてずっとしていたネックチェーンが乗っていた。指輪の類は、抗癌剤投与でむくんだりすると指が締め付けられて激痛が生じることがあるという。それで、入院直後に外して連れ合いに預け、連れは帰宅してそれを仏様の前に置いたわけだ。
とにかくそれらが乗ったお盆が下に落とされていた。お盆そのものと一つの茶碗は無事だったが、もう一つの茶碗は粉々に割れて散乱しており、指輪やチェーンもない。すぐにお盆と割れてない茶碗を拾い、さらに足元を探すとチェーンと銀の指輪は見つかった。だが掃除機をかけ、茶碗の破片を片付けつつ探すが、どうしても結婚指輪だけがない。重い台をどかしてテレビの裏まで見るがないので、一旦諦めた。
こういうことは身軽で耳が聞こえないために「おいた」をして叱っても効力がない、従って「悪いことであること」を覚えないユキがやったに違いないが、叱ろうとすると察知してビクビク逃げ回る。
その様子を見ていて、ハッと思い出すことがあった。
以前、ここに引っ越す前に蓮根というところにあるマンションの3階に住んでいた。その頃、部屋にはマルという名前の(04年1月急死)雑種のメス猫一匹がおり、長老のそう太やマイちゃんという二匹はまだ引き払っていなかった、蓮根以前に住んでいた団地に分かれていた。
その当時、連れが病気で入院していて、出版社で編集という忙しい生活を送りながらも毎日病院へ通っていたのだけど、ついつい線香やお水を忘れていた時があった。そんなある日、疲れて帰宅すると、マルが妙に走り回り、狂ったように部屋の中を駆け巡って閉口した。当時は寝室の低い洋服ダンスの上にご先祖様の写真立てと線香類、お水など一式(われわれは「仏壇」と呼んでいた)が置かれていたのだけど、マルが飛び回った挙句たんすの上に飛び乗り、それら一式を下に蹴落とした。当然線香の灰や水などがカーペットの上に散乱した。
もちろん当時も日記をつけていたのではっきり記憶している。自分の不徳を晒すようで恥ずかしいのだけど、引用してみる。

・・・マルを叩いて怒り、片付けようとして、あまりの惨状に思わず一人の部屋で
「もういい加減にしてくれよ、俺たちが何したって言うんだよ!」と声が出た。マルは部屋の隅に隠れて赤い目でこちらを凝視していた。
 世の中いい加減にチャラチャラと過ごしている奴らが大勢いる。人を傷つけたり押し退けたりしても平気で生きている奴らがいる。金とか異性だけを目的に刹那的に暮らし、下らぬ価値基準で親や子を平気でないがしろにするようなバカな若者で溢れかえっている世の中だ。でもM(連れ)はクソが付くくらい真面目に、子供たちを育て、時流に迎合することもせず(そうすればもっと経済的にも社会的にも楽だっただろう)真摯な姿勢で漫画を描き、人と接して来た。その挙げ句が誤診続きの入院の繰り返しか。神や仏がいるのなら、Mを助けてくれ。ご先祖様も、俺なんかどうでもいいからMを何とかしてくれ! 言ってはいけないと思いつつ、泣き言が漏れた。
 マルは相変わらず部屋の隅の机の下で目を丸くしてこちらを凝視している。布団にもカーテンにも、茶と線香の灰が混じったシミが出来てしまった。タンスの横にあったMの洗いたてのジーパンにも。だが、マルが倒したご先祖様のコップは、お茶を入れるのを2日ほど忘れていた。前にMが入院した時は、必ず毎日お茶を入れ替え、線香を立ててMが健康になるよう祈っていたが、ここ2日ばかり忙しさもあって忘れていた。コップの途中にはお茶が蒸発していった証の線がくっきりついている。
マルにその事を指摘されたような気がしてきた。すぐに新しいお茶を入れ、線香を立てて手を合わせた。
ここまで書いていて、マルを探すと、風呂場の前のタオル入れの中で丸くなって寝ていた。餌が欲しかったわけではなく、Mが入院したことで寂しかったのか。普段と違い無人の家に放置されて、こいつも寂しかったのだろう。寝ているマルを抱きかかえて「ごめんな」と謝り撫でてやってるうちに、情けなくて少し涙が出てきた。自分も少し精神的に参ってるのだな、と思った。


今回落とされたご先祖様の茶碗には、水は入っていなかった。水は干からびてカビカビになっており、ずっと水、お線香をあげていなかったことをこれで突きつけられたような気がした。すぐに片付けた後、線香とお水をあげてごめんなさいとお祈りする。
人間というものは、自分の都合のいいように神仏を持ち出し、願い、祈り、あてにする。そうして何かが改善されれば感謝を忘れ、改善されなければののしったりもする。何と傲慢不遜な生き物だろう。そして自分もまた、全然進歩していないのだなあ。
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2006-01-16(Mon)

3週間おきの診察になる

1月16日(月)

夕べはWOWOWでハリウッド版の「THE JUON 呪怨」を録画しつつ見てから、12時過ぎに寝た。ハリウッド版「呪怨」は清水監督自らリメイクしたものだからそれなりの出来だろうと思ったのだけど、悪いがゲラゲラ笑いながら見てしまう。スプラッターものや、解りやすい「恐怖映画」ばかりに慣れ親しんできたアメリカ人に、精神的な怖さ、「気配」とか「念」とか「場」とかの怖さという別モノを与えたら、そりゃあ怖かろうと思うのだけど、この映画はどうだろう? ハリウッドリメイクだけあって、ちょっとアメリカ人向けに解り易くしすぎてないか。映画としての怖さだと、やっぱり「リング」(もちろん日本版)にはかなわないな、と。リングも今となっては余りに語られいじられすぎて「お笑い的側面」になってしまった箇所も多々あるが、冷静に相対的に評価すれば、ビデオや写真上での「変な感じ」「何か怖い」嫌な感じをうまく表現していて怖い。貞子が画面から出てくるところよりもむしろ、俺はあの呪いのビデオの映像そのものの不可解さ、あと何気ない部分では写真に映った顔が歪んでるところなんか、もう本当に怖くて好き。

今朝は変な夢を何度も見て、あまり熟睡できずに5時過ぎから悶々とし、7時の目覚ましの鳴る前に起きた。変な夢というのは、寝る前に見た「呪怨」のせいではない。お笑い系の変な夢だった。そのまま支度をして、7時半ころ家を出る。外は晴れ間もあるが、小雨がホンの少しだけパラつくという感じで、寒い。17号に出るとすぐにタクシーが来たので乗り込む。運転手に御成塚通りからときわ台ルートを告げ、道中世間話をしているうちに俺のガンの話になり、感染予防のためにマスクをしているが、風邪の人も感染させないためにマスクをして欲しいというようなことを話す。すると気がつかなかった、マスクをするというのはそういう意味もあるんですよね、としきりに感心された。
8時15分に病院到着。すぐに内科受付へ行くと、まだ受付は閉まっていて、椅子にはすでに列が出来ている。アレと予約票を確認すると、確かに8時半から採血という予約になっているが、そういえば病院の受付自体が8時半開始だった。椅子に座ってしばらく待っていると受付が開き、行列が立ち上がって動き始める。これらの人のほとんどは予約ではなく、かつて受診したことのある診察券を持っている患者で、自発的に外来に来たという人たちがほとんど。俺のような予約のある患者は行列に一応並んだが、診察室のある部屋へ直接列から抜けて入り、看護婦さんに予約票を見せて「連絡票」を受け取る。それを持って直接採血の受付に行くのだが、そのシステムをよく知らぬ患者がまるでズルをした人を見るかのように俺に鋭い視線を向ける。ちゃんとよく勉強してね。
並んでいた外来の患者は、いったん受付に診察券を預けて、今度は診察に呼ばれるのを再び廊下の椅子で待つことになる。予約のある患者の合間にこうした患者たちは入れられていくので、かなりの時間を恐らく待たされることになるのだ。
俺はそのまま地下の採血の受付へいつものように移動し、受付をすると、貰った用紙が12番。これまでで一番早い。それでも俺の前に11人もいたことにちょっと驚いた。5分も待たずにすぐに呼ばれ、今日は3本の採血。終わって今度は放射線受付へ行く。8時40分ころだったが、ここで9時過ぎまでけっこう待たされ、胸部と腹部のレントゲン。即現なので撮影を終えたら、フィルムが上がるのを撮影室の前でまた待つ。けっこうかかるかと思ったら、5分ちょっとで呼ばれたのでまたちょっと驚く。そんな早く出来るんだ、と感心しつつ内科の診察室前の部屋に戻り、看護婦さんに連絡票とフィルムを渡し、いったん自由の身になる。
これから採血は分析に廻され、その結果が出ないと診察にならない。実際診察自体の予約時間は11時半になっている。2時間ちょっと、時間を潰すことになるのだ。売店へ行き、週刊誌を物色するが下らぬものしかないので、スポニチを買って、いつものロビーへ移動。販売機で「牛乳屋さんの珈琲」紙コップのを買って、椅子に座って新聞を読みつつ、携帯のSDカードに録音してある音楽を聴く。スポーツ新聞は出来るだけゆっくり、なめるように読んでも40分程度しか潰れない。あとは腕を組んだり足を組んだり目を瞑ったり、ほんとにちょっと眠りかかったりしつつ、ひたすら待つ。そうして11時10分になったので、内科外来へ移動。
外来受付の前の廊下はぎっしりと患者が待っている。ゲホガハと咳をしているのにノーマスクの無神経な患者もいるので、なるべく離れるようにする。ここは廊下の椅子には呼び出しの声は届かず、かといって中の診察室前の椅子にも患者がぎっちり座っている。時間ギリギリまで外の椅子に座っていて、25分になったので中へ移動するが、やはり診察室前の椅子は埋まっている。しょうがないので立って待つ。俺は傍目にはせいぜい風邪か何かの患者にしか見えまい。どれくらい遅れるのかなあ、なるべく早く座れるといいんだけどなあ、と腹をさすっていると11時半ちょい前に呼ばれたのでちょっと驚く。今日は「ちょっと驚く日」か(笑)。

U先生は開口一番、「やっぱり血液検査の感じだと変わりないですねー。誤差の範囲ですかねー。」と言いつつ、今日の採血の結果をプリントしてくれる。白血球数は1400と低いままだが、前回は1500だったのでほぼ変化なしか。さらにレントゲンも壁に貼られていて、「肺の方の腫瘍も大きさは変化ないですね。でもお腹の方は…」と言うので腹部レントゲン写真の方に目を移すと、よく見慣れた大腸の様子がおかしい。普通は上行結腸、横行、下行、S字、直腸と、上が平らなクエスチョンマークのような形を描くはずの腸が、向かって右側、つまり自分から見て左側が大きく歪んで押されたようになっている。
「ここが、腸が脾臓で押されてるっていうことなんですね。ここ(腸内)に見えるのがお通じ(便)なんですが…便秘とかされてませんか?」と聞かれたので、「いえ、特には…。一日一回は大体あります」と言うと、「じゃあ今のところは問題なさそうですね」とのこと。
肥大化し骨盤にまで達した脾臓によって、臓器全体が圧迫されている。それは大腸も同じで、そのことによって腸の働きが弱まり、便秘がちになるということもあるそうだ。実は俺は「昔から下痢(特急)体質なので、便通はいいというか良すぎる方なんですよ。なのでこうなっても便秘ということまでにはあんまりならないみたいで」と言うと「そうなんですか」と笑われてしまった。診察台に仰向けになり、触診もしていただく。やはり皮下では良顎下のリンパの腫瘍が一番大きく、それでも2センチはないという大きさ。腋下、鼠蹊などは「これはここにあるという前提で触ってますから解りますけど、何かむしろ小さくなってますねえ」と言われる。あと聴診器での診察では、あれだけの腫瘍が肺にあっても、水が溜まったりはしていないということ。
再び血液の話に戻り、「白血球数が少ない(1400)ですが、これも誤差の範囲ですね。あと月曜は検査が多くて、まだリンパ球数なんかが出てないんですよ。でも血小板数とか、他のものが前回までと大きく変わっていないので、恐らく変化ないと思いますね。好中球がある程度の数あるので、恐らく風邪をひかれたりもしないで済んでるんだと思いますし。心配なのはLDHが高いことですが、これも数値が増えていっているわけではないです。なので、また<様子見>にしましょう」とのこと。逆にあせって治療を始めなくて良かったですね、という話にもなる。また今回は腫瘍マーカーの検査も依頼していたのだが、それは時間がかかるので次回に結果を知らせるということ。
その「次回」は、「じゃあもう3週間置きくらいにしましょうか、それでいいと思うんですよ」とのことで、次は2月になった。会計は1063番という紙を貰うが、この数値も今までで一番大きい数値。今年初めての月曜診察日なので、外来も特段に多いのかも知れない。朝一の採血でかえって助かった。自動清算機に診察券を入れると、6500円と出て目の玉が飛び出る。レントゲンがあったからか。泣きながら一万円札を滑り込ませて、お釣り、ペローと印字されて出てくる領収書と次回の予約票、戻ってきた診察券を受け取って、1階に上がり、外に出る。池袋の東口で買い物がしたかったので、病院入り口のバス停だと西口行きゆえ、歩いて川越街道まで出る。大山のバス停で5分ほど待ち、東口行きのバスに乗るが、座れず。シルバーシートは空いてるのだが、まさか額に「癌です」と書いておくわけにも行かないし、腹筋に力がかかると腹がしんどいのだが、立って池袋まで我慢する。
12時ころ、サンシャインシティのバス停で降りて、60階通りを歩く。買い物は中古CD屋とビックカメラに行くことだったのだけど、腹が減っていたので久しぶりに三越裏の揚げたて天ぷらを乗せてくれる立ち食いソバ屋「伊作」を目指す。すると、「伊作」があったところは女の子向けのブティックになっていた。中では若い娘の店員が、もう何年もここで商売してるみたいな澄ました顔をして、服を畳んだり並べたりしている。代わりに何を食おうか考えているうちに食欲が減退したので、三越の地下でおやつと夕飯用の弁当を連れ合いの分と2つ、と惣菜のおひたしを買い、地下を通って池袋駅へ。しかしこのまま何も食わないわけにも行かないしと、そのまま西口へ出て物色するが、うまそうなところは大体昼どきで一杯だ。結局丸井方面まで出てしまい、疲れきるわ耳が冷たく寒いわで、松屋で牛丼+トン汁セットを食べて、1時半ころ家に到着、へとへとになった。
それにしても「変化がない」ということはいいことだ。癌を宣告されて、進行が遅いというかほとんど見られないということは奇跡だと、前向きに理解したい。だがレントゲンで見た、脾臓に押されて醜く歪んだ腸の様子は、正直言うとかなりショッキングなものだった。脾臓は左の肋骨に隠れるくらいの小さな臓器。それが骨盤まで達し、腹部をボッコリと膨らませ、他の臓器を圧迫している。やはり俺は病人なのだなあ。
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2006-01-15(Sun)

とんこつラーメン、板藍のど飴

1月15日(日)

快晴。朝方猫に何度も起こされたせいか、連れともども寝坊してしまい、起きたのは11時過ぎ。朝、どこにも痛みがなく、無事に目が覚めたことに素直に感謝する日々。昨日天気が悪くて行けなかったので、今日はラーメンでも食べに行こうと連れ合いと話していた。快晴だったので、支度をして12時前に出る。

ラーメンは西台の「J's」という店にいつも行く。店内はHIPHOPが流れており、お兄ちゃんたちもちょっとワルっぽい感じの不思議な店だが、ここはオープンした当時からちょくちょく通っていた。舟渡に引っ込んでしまってからは頻度は下がったものの、相変わらず月に最低一度は行く。しょうゆとんこつの濃厚なスープにトロトロのチャーシューがたまらない。そのスープがよく絡むちぢれ麺もいい感じ。にんにくとすりゴマ、紅しょうがを入れていただく。絶品、完食。

買い物をして帰宅すると、ポストに封筒が入っていた。見るといつも励ましのコメントをくれる、元ガロ読者のまりさんから。開けてみたら、「板藍のど飴」の包みと、漢方・板藍根の説明が載っている新聞記事のコピー、そして4コママンガが入っていた。いやはや4コマGAROを思い出しますなあ。いや本当にありがとうございます。
同封してくれた新聞記事のコピーによると、この漢方・板藍根というのはアブラナ科の菘藍あるいはキツネノゴマ科の馬藍の根のことだそうで、中国では肝炎やインフルエンザ、日本脳炎、おたふく風邪、帯状疱疹、扁桃腺炎などに欠かせない生薬なのだそう。この板藍根の葉は大青葉(ダイセイヨウ)といい、根と似た効果があるという。板藍根と大青葉を合わせるとさらに抗ウィルス作用が高まるので、併せて飲む場合もあるのだそうだ。そして大青葉を水に浸し、切開などで処理して取れる青い粉末状の色素を「青黛(セイタイ)」といい、殺菌作用や抗ウィルス作用のほか、抗ガン成分を含んでいるため、ガン細胞の核酸代謝に影響しガン細胞を殺傷する作用があると言われているのだそう。そのため慢性白血病の治療にも用いられ、西洋薬に匹敵する効果をあげている、と中国の医学院教授が述べている。風邪やインフルエンザ予防に効果があり、かつ抗癌作用もあるなんて、俺のような病気には一石二鳥というものですな!
さっそく連れ合いと一個ずつなめてみた。レモン濃縮果汁が含まれているせいか、ちょっと酸っぱくて美味しい。タバコをやめたので口寂しい、そのため何かしらいつも口に入れてしまっているが、今後はこれにしよう。まりさん、重ねてどうもありがとうございます。色んな人が心配してくれて、本当にありがたいです。感謝、感謝の日々であります。

板藍茶・板藍のど飴:板藍根(ばんらんこん)
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2006-01-10(Tue)

西新井大師で初詣

1月10日(火)

今年の年末年始は正月気分でもなし、簡単な御節と雑煮くらいで二人で過ごした。明けましても特段おめでたくもないという気分だけど、テレビの中ではめでたいめでたいとバカ騒ぎが行われている。もっともそれを苦々しく全てを批判的に見ているわけではなく、けっこうゲラゲラ笑いながら見てはいる。ただ毎年お屠蘇気分で昼からビールや酒を飲みながら見ていたのと、シラフで見ているという違いくらいだ。シラフで見るバカ騒ぎの中には、時々辛いものも、ある。
この日は連れ合いの次女・Yちゃんが車で初詣に行こうと言ってくれた。12時ころにマンション下に車が着いたというので、乗り込んで、途中で乗り込んだ連れの姉に新年の挨拶もそこそこに、まずCOCOSへ向かう。全くこの東京の北の果ては、食事をしようにもロクなところがなく、ましてやたまにちょっといいものでも食べようと思っても思うだけ無駄という土地柄だ。ファミレスが結局一番ハズレがないのを知っている。COCOSはちょうど昼だったので混んでいた。禁煙席は空いておらず、喫煙席のど真ん中に通される。この店は土地柄というか、客の喫煙率がかなり高い。今どき都心の店だと喫煙席は申し訳程度のスペースに追いやられているというのに、この店は喫煙席の方がはるかに広くメインとなっている。俺はあまり腹が空いてなかったので、温野菜サラダ、フレンチトーストにドリンクバーにし、ランチスープとメロンソーダを飲んだ。

ご飯を食べた後は、北赤羽〜環八〜赤羽〜環七ルートで西新井大師へ行く。寺の裏手にある一時間1000円という有料駐車場に停めて、本堂へ行く。もう松も開けた平日だというのに、境内には縁日みたいに屋台が出たりしていて、参拝客もけっこうたくさん出ていた。まず本堂脇に特設されたテントに古いお札を納めて、お気持ちだというので千円を箱に入れた。このお札は2年前にいただいた、俺のが商売繁盛(笑)、連れが当病平癒のもの。去年の正月は結局返しに行って新しいお札を貰いそびれていたので、実は心の隅にずっとひっかかっていたのだ。Yちゃんとお姉さんは自宅から正月の注連飾りを持ってきていて、それを納めた。
その後左のテントで今度は新しいお札を貰うための申し込み用紙に書き込む。俺は5000円の当病平癒祈願、連れは3000円の身上安全を申し込む。それを見ていたお姉さんとYちゃんは、年齢の表を見ていて二人とも自分が厄年であることが判明。俺も今年は本厄だが、厄除けのお札は京都鈴虫寺で貰ってあるので、ここでは病気平癒にしたのだが、二人は慌てて厄除けを申し込むことになる。
何と我々は4人のうち3人が厄年というグループだったのだ。これだけ厄が揃えば打ち消しあわないかね。2時から護摩があり、お坊さんたちが祈願をしてくれたお札をもらえるのは2時半ころになるというので、それまで境内をそぞろ歩き、池の鯉を見たりしながら参道の商店街方面へ歩く。
参道両側のだんご屋の呼び込みをすり抜けて環七手前までゆっくり歩き、お茶でも飲もうかと、古いだんご屋の奥がいい感じの造りになってたので、入る。ところがその店(小柳屋)はメニューがだんご以外は食事類、酒などしかないので、しょうがなく温かいお茶(無料)をいただき、だんごを2人前頼んで4人で食べる。このだんごは小さいものが7つにあんこがかかってて1人前、あんこが実に美味だ。店内は昭和が終わってなく、店員というか従業員のお姉さん(おバアさん)たちも丸髷結った人がいたりで、全員割烹着を着ており、ちょっと粋な風情だ。壁には京都・先斗町の芸妓衆の名が書かれた団扇がズラリを飾ってあり、そういえばこの店はかつて粋筋でならした御姐さんが引退後に開いたのか知らん、と想像したり。
ゆっくりお茶とだんごを食べて、外に出る。連れ合いがだんごを買っていくというので、草団子の中に餡が入ってるのがいいかな、とたった今出てきた小柳屋とは別な店で試食をするが、あんこの味が小柳屋の方が全然いいので、俺がきびすを返して戻り、そこで1000円の折を買った。すると丸髷に割烹着の御姐さん(推定68歳)が「さっきの人ですね、ありがとう。ハイ出来立てをどうぞ」と言って出来たばかりの小さなだんご一つに餡子を乗っけたのを手づかみでくれた。受け取ってほおばるとよもぎの香りがパッと広がり、出来立ての草団子は柔らかくて美味かった。やはりこっちの店にして良かったと思いつつ皆のところに戻り、参道へ引き返す。
2時半近くになっていたので、本堂に上がって見ると「お札お渡し所」と左に案内がある。本堂にいったん階段を上がって登ったところでお渡し所は階段を下るようになっており、つまりは本堂の下にあるらしい。階段の上り下りはきつかろうと思い、連れ合いを待たせて3人で階段を降りて受け取りに行き、お札を4本貰って戻った。
やれやれ、これで安心した。気休めと解っていても、こういう「気は心」も大事ではある。
駐車場に戻り、帰路につく。帰りにスーパーへ寄ってもらい、買い物も出来た。ほんと、車があるといいっすね。
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2006-01-04(Wed)

謹賀新年

2006年です。
何か年末はちょっとブルーになってアレな感じで終わった2005年でしたが、今年は出来るだけ明るく行きたいと思います。明るく出来ない時、出来ないこともあろうかと思いますが出来るだけは。
今年は宣言通り年賀状は出しませんでした。昨年お見舞いをいただいたりお世話になった方には寒中見舞いで替えさせていただこうと思っております。
思えば余命1年無しと宣告されたのが昨年8月、それが取り消されたとはいえ、自分の命のリミットが「あと数年」という不確定な期間に若干延びただけ、相変わらず不安なことに変わりはありません。
自分がこうした状態になったことの意味を探るということも含め、もうしばらく生きたいと思っていますので、お付き合いください。

2006年1月4日
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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