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2006-02-27(Mon)

またまた「変化なし」

2月27日(月)
うす曇、外は夜中から風が強く吹き荒れている。夕べは11時半ころ布団に入り、12時過ぎには寝られた。朝は猫たちの「運動会」で6時前に起こされ、朦朧としたまま8時の携帯目覚ましが鳴る。そのまましばらくうとうととしていたが、8時半近くになって起きて支度して出る。いつもの17号沿いの中華屋の前でタクシーを待っていると、風が強く、ひどく寒い。幸い5分と待たずに空車が来たので、乗り込む。何とか3000円以内で9時10分頃には病院へ着いた。
内科受付で連絡票を貰い、まず地下の採血。34番、これなら5分くらいの待ちだろう、と余裕。待っていると案の定5、6分ほどで呼ばれて2本採血。今回はレントゲンもあるので、そのまま放射線受付へ行き、12番前で待てというのでぐるりと受付の裏側に廻り、廊下で待つ。5分ほど待っていると中から90代かと思われるほどのよっぼよぼの爺さんがふらふら〜っと出てきて、一人で廊下を歩いてったが、大丈夫なのか。次に俺の横に座っていた70代らしい夫婦の爺さんの方が入り、さらに数分待たされてようやく俺の番になった。今日は縦隔のリンパ腫の大きさ変化を見るため、胸の正面と横のレントゲンで、すぐに終わった。即現なのでまた受付側に廻ると、さっきの老夫婦のとっつぁんのフィルムも即現だったらしく、もう渡されるところだった。速いなあ。大昔は市中の個人病院なんかに風邪とかで行くと、レントゲンが出来たらまた来い、みたいな感じだったような気がする。こちらもソファで待っていると数分ですぐに呼ばれ、フィルムを受け取って内科受付へ戻り、ナースにフィルムと連絡票を渡した。この段階で9時35分くらい。これから診察予約時間の10時45分までは無罪放免なので、売店へ行って週刊誌を物色、結局スポ日を買い、いつもの1階ソファで紙コップのコーヒーをすすりながら、大したニュースも話題もない紙面を読む。
今日は診察時間がいつもより早かったので、割とすぐに時間になり、内科の診察室前の待合場所へ移動。4、5番前の椅子に空きがなかったので1番の前の椅子に腰をかけたと思ったら、4番から呼ばれた。時間きっかりだった。

診察室にノックして入ると、U先生液晶モニタのデータ画面を見つつ、「お変わりありますかぁ〜?」といつもの感じで聞いてきたので、俺も「いや、それが全然…」と返すと、「やっぱりね、今日の結果もほとんど横ばいですねー。白血球数が少し落ちてますけど、これもまあ誤差範囲内でしょうし、あとは貧血も軽いし血小板も10万ありますから、特に進行はないですね。」とのこと。

WBCは1400(正常値は4000-8000)、うち好中球数47.3%で662。HGBは13.30(正常値は14-17g/dl)。PLTは102(正常値は150-350)。LDHは232(正常値は106-220IU/L)…という数値。

レントゲンの所見も、若干縦隔の腫瘍は大きくなったかな、という感じはあるが、それも目視ではほとんど変わらないくらいのもので、水も溜まるようなこともなく心配はないというので安心。で、「そろそろ骨髄の検査をしなきゃねー」と言われる。骨髄穿刺検査=マルクは前が去年の11月14日だから、3ヶ月経っている。あとCTで脾臓の大きさの変化も見たいというので、次回の診察の前に検査だけやってしまう日を作ることにした。その日にマルクもやってしまえば、次回の診察日=3週間後の3月20日にはその結果も出てるけど、それだとマルクとCTで一日仕事になっちゃうけどどうしましょうか、と言われる。普通の人なら病院に検査のために一日取られるのはどうかと思うかも知れないが、こちらは別に全然構わない。そう言うと、3月7日にマルクとCTをやってしまうことになった。あの嫌な嫌なマルクである。太い針をブスリと骨の髄まで刺され、ギュィィンと骨髄を抜かれる検査である。いっぺんやってみ?諸君。俺の場合もう4回ほど経験しているとはいえ、何回やっても嫌なものは嫌だ。しかし安心のためには仕方がない。嫌だなあという気分よりも、それによって正しく癌細胞がどういう状態にあるかを知る方が重要だと、理解している。骨髄の細胞レベルでも進行がないと言われれば大いに安心なわけだし、そこで何がしかの進行があれば、早い段階で治療に入れるから、どちらにしてもやらないわけにはいかないということだ。
触診でも表面のリンパ腫は大きさはほとんど変わらずで、腋下の腫瘍は小さく、逆に鼠蹊のはホンの少しだが大きくなったといい、こうした上下もこの半年よくあること。全体に体表部の腫瘍は全て2cm以下であり、長い目で見るとやっぱり「変化なし」ということだ。その他も特に変わりないかというので、胃や下腹部の張りも半年前に比べれば強いとは思うが、正直なところこの状態に慣れてきたと告げると、引き続いて風邪や感染症に注意してくださいとのこと。今年はインフルエンザはもうずいぶん減ってきたそうだ。ここでの外来もそうだけど、外の他の病院の話でも、もうピークは過ぎたようだという。
俺も「毎年必ずここ数年、冬は風邪ひいてたんですけど、今回はさすがにここまで気をつけてるせいかひかないですねえ」と話すと、U先生「ということはそれだけ気をつけていれば風邪は引かない、ってことなんでしょうかねえ」と笑っていた。うーん、そうかも知れない。ただ普通に生活している人だと、うがいや手洗いは注意できても、毎日電車や雑踏、会社など不特定多数の集まる場所に身を置かねばならず、一日中マスクをしているわけにはいかない職場もあろう。なので徹底予防は難しいかも知れない。世の中には風邪を人に移せば治ると信じて平気で菌を撒き散らす阿呆(免疫不全・低下している人のことを考えていない)、マスクは予防のためだけと考える無知な人間も多い。俺の場合は最低限の外出しかせず、その外出にも人ごみは極力避けるなど万全を期しているからかも知れない。
浮世のしがらみで俺の診断書がいるので、U先生に診断書をお願いすると、その場で書いてくれた。「何て書きます?」というので「白血球減少による免疫低下で就業できないということがわかればいいんですけど」と言うと、「診断名は前は何でしたっけ」というので「T-PLLでした」というと、「あの段階ではそうだったんですよねー、でもそういう分類にはならないのでどうしましょう」と悩んでいる様子。俺が「前にS先生(入院中の主治医)は<リンパ増殖性疾患>と言われてましたが」というと、「そうですねー、広い意味でいうとそうなりますねー。でも細かい分類、病名が特定されてませんからどうしましょうかねえ」というので「いやー、そこまで細かく書いても見る人は解らないと思いますよ」というと「そうですよね(笑)、じゃあ<Tリンパ球増多症>、としておきましょう」としてくれた。
次回も3週間後、礼を言って診察室を出る。
7日の検査の予約を自分で確認してから会計に行かねばならないので、検査予約の窓口…といっても待合室の一角のカウンタへ行き、オバハンが一人大腸検査の予約の説明を受けているのを待っていると、俺の横の男はその次だったらしいが、オバハンの横に進まなかったので別のオバハンに割り込まれてしまった。全くオバハンという人種は油断もスキもあったものではない。俺が思わず「ここ並んでるんでしょ?」と聞くと「あ、そうです」と言う。だったら割り込まれないように順繰りに前に詰めてくれないと、生き馬の目を抜かれるぞ(笑)。割り込んだオバハンの検査説明がこれまた運悪く長くかかり、次の俺の前にいた男も含めてかなり待たされて、ようやく俺の番になった。検査の説明を受けて、それらの説明が書かれた紙を受け取って2分ほどで終わりだ。何だかなあ。地下の会計へ行き、診断書に病院の印を貰うので、窓口で会計と一緒に出す。診断書分も合わせて4990円を支払い、病院を出た。

外に出ると風は若干おさまってはいたが、気温は低いまま。ゆっくりと歩いて川越街道まで出て、大山ハッピーロードを歩いて大山駅へ向かう。この時間は電車も空いているしマスクもあるので、久々に各駅停車の東上線に乗って池袋駅へ出る。連れ合いが春から京都の大学で教鞭を執るから、就任のお祝いにシステム手帳を買ってあげようと思い、ロフトで物色しに行くのだ。そうそう繁華街へ買い物に出たりはできないので、普段の買い物はほぼ90%ネットや配達で済ませているのだけど、システム手帳はネットの画面では質感や造りなどが確認できない。こういうものは実際に見て触って買わないと絶対に後悔する。実は某有名メーカーのものを一旦通販で取り寄せたのだが、届いてみたら値段の割りにかなりチャチな印象だったのでクーリングオフで返品したのだ。
ロフトは12階で、エスカレータを乗り継いでたどり着くとそれだけで疲れてしまった。やはり健康体ではないのだなあと実感。平日の昼下がりで店内も空いており、ゆっくりと物色して購入し、帰りはエレベータで地下へ直行し、出たところにあるパン屋でパンを買ってまっすぐ帰宅。やはりひさびさの「都会」は疲れた。
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2006-02-23(Thu)

連れは原因不明のまま退院

2月23日(木)
今日もうす曇、昨日ほど気温は高くないようだ。今朝はユキ(耳の聞こえない白猫)とシマ(そろそろ中年)が一緒に運動会で、バタバタドスンバタンと猫がうるさく、結局7時前に起こされた。この「まだ寝ている時間なのに不本意な目覚めを強要される」ということは俺にとって最大のストレスなのだが。
今日は連れが原因不明のまま退院してくる日だ。溜まっていた洗濯物を洗濯してベランダの猫のトイレを掃除し、部屋の床に掃除機をかけて洗剤を散布し、モップで拭くとへっとへとになる。そういえば俺も病気だったっけ(笑)。
昼過ぎに連れから会計を待っていると電話があったので、連れの口座に入院費の振込みをしておいた。しばらくして1時過ぎに「会計終わった」と連絡があり、タクシーでお姉さん(連れ合いの姉=義姉)と一緒に戻るという。連絡から10分ほどでマンション下に到着。
お姉さんにコーヒーをいれ、入院中のことなどをちょっと話す。下血や吐血は、前の時に言われたような胃や食道などからの出血は確認できず、つまりは出血部位と原因が特定できなかったということだ。物理的に血が足りなくなったので輸血はした。どこからかは不明ながら、出血は止まった。それまでの間の栄養補給は輸液で行い、経過を見て粥から常食へ変わり、ほぼ安定したので退院となった。とまあこういうことで、いわゆる対処療法はなされたわけだが根本的な治療はされていない。だからまた出血したら来い、ということだ。それでいいのだろうか。不安を抱えたまま生活をするのは辛い、本人も、家族も。

その後はとにかくそろそろと用心していこうと話し、こないだ録画しておいた世界のおバカ映像のDVDを見て笑い、お姉さんは俺にパソコンを始めたいから、ノートをみつくろってくれということなり、承諾。そうして4時ころ帰って行った。いつも本当にすいません。その後夕飯はパンでいいというので、トマトスープを作る。缶入りのホールトマト、生のトマトをベースに、その時の野菜をざく切りにして放り込む。塩コショウとニンニクペースト、コンソメブイヨンと少量のトマトケチャップで味を調える簡単なものだ。今回の野菜はトマトの他、ブロッコリー、たまねぎ、ピーマンなど。キャベツも合う。今回は連れが病み上がりなのでニンニクを少なめ、ケチャップも少なめでさらさら目のスープにし、オリーブオイルもやめた。6時半ころスープとトースト2枚で夕飯を終えた。今晩は早めに休もう。
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2006-02-20(Mon)

連れの病院へ行く

2月20日(月)
Yちゃんが仕事休みの日で車で来てくれた。車ならマスクをして完全防備をすれば、病院へ見舞いに行けなくもない。昼過ぎに支度をして、連れが入院している北社会保険病院へ行く。玄関を出るとシトシトと雨が降っていたが、気温はさほど低くなく「寒い」という感じではなかった。秋口、一雨ごとに寒くなって季節が変わっていったのと同様に、今度は暖かくなっていくのだろうか。車に乗り込んで病院へ向かうと、アッという間に着いてしまう。JRの駅で言えばたった一駅だし、道も一本で空いていた。
病院は駐車場も広く立派だし、建物自体も大きくて新しく綺麗で、想像以上。社会保険庁が国民から預かっている年金をじゃぶじゃぶと自分の金のように使い、全国各地でこのような贅沢な建物をまるで娯楽のように作りまくって問題になった。この病院もその「問題」の一つだったらしいが、なるほど不必要なところにも贅沢に金をかけてある。
中に入って面会受付をして首から提げるプレートを貰い、病院内へ。吹き抜けになっていて雨だというのに明るい受付、オープンテラス形式の食堂などがあるホールを見てエレベータで6階へ。先週までベッドに空きがないというので個室に入っていたが、4人部屋に移動したのだ。その6006号室は6階の一番東側の奥。連れ合いは通路側の左手のベッドだったが、4人部屋とはいえゆったりと空間がとってあり、洗面所とトイレもちゃんと4人部屋用についている。

病院という空間はもちろん、患者や見舞い客が快適でいられるために全精力を傾けるべき場所だ。だから、差額ベッド代が15000円以上もする個室が広くて立派だったり、「大部屋」といっても基本的に4人部屋であり、それぞれの大部屋には専用の洗面所と綺麗なトイレも完備してあったり、廊下も広く取ってあり、休憩所や談話室の設備も素晴らしい…という部分に関してはむしろモデル的な病院と言える。素晴らしい、確かに。だが談話室の上の照明は特注なのか変わった形をしていて、それはそれで綺麗だがかなりの高額製品と見た。それに、建物内の一階から六階の病棟まで、ありとあらゆる場所に、何とかいう「児童画家」の絵画がこれでもかという数、飾ってある。それはそれはもう不必要なほどの数である。数十枚という単位などではない、数百枚はあろうかという数だ。病棟の廊下なぞ、2〜3メートルおきに綺麗に額装された絵が両側に飾ってあるし、談話室には60、70号以上はあろうかという巨大な絵が2枚も飾ってある。1枚でいいだろう。ていうか無くても問題なかろうに。この画家に罪があるのかどうか知らないが、明らかに数百万円ではきかない画稿料がフトコロに入ったことだろう。我々の年金として預けた金の中から、我々の知らないうちに、である。

ところで連れ合いの4人部屋は連れ合い以外は全部お年寄りで、向かいのお婆さんは口を開けて寝ており、窓側の二人は我々が来たことにも気づかず、閉じたカーテンの向こうで大音声でなにやらしゃべり合っている。しかしそれは異常なくらいの大声で、きっとお互いに耳が遠いのだろうとは思うが、これでは連れも目眩がするといってうとうとしていようにも、無理だろうなあと気の毒である。
連れは昼食を完食した後で、イヤホンでテレビを見ていた。一週間ぶりに顔を見たが、げっそりと痩せている。昨日まで点滴をしており、ご飯といっても粥類がようやく出るようになったばかりなので、やはりそうした衰弱が顔に出ている。
ただ気力はしっかりしており、大丈夫だというのでそろそろと3人で一階の売店まで降りようということになる。売店というのはコンビニのコミュニティストアが出店している店で、中はまさにそのまま小さなコンビニだ。はじめ一旦病室へ行って顔をみたら、Yちゃんと昼食を病院の食堂で摂ろうかとも思っていたのだが、食堂は何せ拭きぬけ・オープン式でだだっ広く、横は外来の受付で全然落ち着けない。結局何か買って上の談話室で食べようということにし、パンやサンドイッチ、飲み物を買って、エレベータで6階まで戻る。環八側の駐車場を見下ろす談話室でそれらを食べながら話す。
談話室はとにかく内装も新しく綺麗で居心地がいい。暖房も十分で、ずっと3人でおしゃべりをして笑ったりしていた。久々の一家団欒、である。そうこうしていると3時になったのでそろそろ帰ろうということになった。エレベータ前で連れと手を振って別れる。受付に面会者が首から提げるプレートを返して外に出ると気温がぐっと下がっていて、かなり寒い。車でマンション前まで送ってもらい、Yちゃんと別れる。家に着いたら3時9分、本当に近い。その後はひたすら仕事をしていた。
連れからは夕方、「シャワーあびた、すっきりした」とメールがあった。退院も近いと医師に言われたそうだが、胃カメラやMRIなどもやって、結局出血部位は特定できず、原因も「不明」のままだ。ということは今後もこうしたことが繰り返される恐れがある、つまり根本的な治療はされておらず、出血・吐血した、なので輸血と点滴をした、原因は不明だけど血は止まった、ハイ退院…ということになるわけで、どうしたらいいのかさっぱり解らない。
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2006-02-14(Tue)

そういえばバレンタインデーです

2月14日(火)
ミルフィーユ&ユキ
夕べは寝たのが3時過ぎと遅かったのに、7時ころ足元の箱の上からユキ(白猫)がドサ! と脚の上に落ちてきて起こされる。布団を開けてやると中に入ってしばらくゴロゴロ言っていたので、こちらも引き続き寝ようとうとうとしかかると、満足したのか出て行った。再びうとうとしていると9時ころに電話が鳴ったので飛び起きて出るとキレている。しょうがなくそのまま起きてしまう。
今日はうす曇、やや寒い感じだ。朝は食欲がなく、パン1個にカフェオレで済ます。メールチェックすると勝呂先生から「何かあったら言ってください」とメールが来ていたり、16日に連れにインタビュー予定だった雑誌のNさんから「ぜひやまだ先生に出ていただきたいので、ギリギリまでご回復をお待ちするということで、ペンディングにしたい」ということ。あとはYちゃんから輸血が終わったと報告があり、相変わらず原因が解らないという。ひょっとしたら肝臓からの出血という可能性もあるそうだ。あの人のあの体では、癌にでもなったらとても戦えまい。神様、何とか助けてやってください。切に祈る。

その後2時半ころ、ペリカン便が荷物を持ってきた。受け取ると教え子のNさんからで、バレンタインのチョコとお見舞いも兼ねてか、ミルフィーユを送ってくれた。何年経ってもこうして忘れないでいてくれるというのは教師冥利に尽きるし、嬉しいこと。この年度の生徒たちは一番和気藹々としていたなあ…と懐かしく思う。業界に進んだ子も多い年だった。Nさんどうもありがとう。
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2006-02-13(Mon)

連れが吐血・入院

2月13日(月)
今日も快晴。11時過ぎ、さいたまに住んでいる次女のYちゃんが車で来る。ファミマで「ハイジ」のボトルキャップが着くカルピスウォーターなどを買ってきてくれた。支度をして連れと3人で昼食に出かける。車のある時は外に気軽に行けるので嬉しい。志村坂下にあるオリンピックの駐車場に車を停めて、歩いて17号沿いにある洋食店「A」へ行く。このあたりには本当に気のきいたお店が皆無なので、昨年オープンした、この小ぢんまりとした安くて美味しい洋食屋は貴重。ただ歩いて来るにはちょっとだけ遠く、バスに乗るには短い。それにバスは風邪の感染も怖いので、病院以外はなるべく乗らないようにしている。
前に同じ3人でこの店に来た時はえらく寒い日だったが、今日は天気は同じく晴れながら、気温はぐっと高くて気持ちのいい日だ。前と同じ窓際の席に座り、俺とYちゃんは日替わりのポークヒレカツにライス+コーヒー、連れ合いは和風ハンバーグにパン、アップルジュース。連れは去年11月の退院後からは病院での規則正しい食事時間をしばらく遵守しており、今年に入ってからここ最近少し崩れがちではあったものの、朝食は必ず二人でちゃんと食べていた。それがこの日は珍しく食欲があまりないと言って、ハンバーグを3分の1ほどしか食べず、パンも丸々残した。俺は脾臓のせいで食事をすると腹が張り、残ったハンバーグは頑張ってYちゃんが食べてくれた。この3人で健康体なのはYちゃんだけ。
店はカウンタまで客で一杯になり、食べ終わって気がつくと、全員がブカブカタバコを吸っていたのでビックリ。3人分2700円也を支払って出て、オリンピックに戻って買い物をし、車でマンションに1時半過ぎに戻る。その後1時間ちょっとYちゃんは居たが、途中連れが突然洗面台に行って吐いた。どうしたと聞くと、ちょっと血が混じってるという。Yちゃんは子供の保育園のお迎えがあるので、3時前に「明日も仕事休みだから、病院行くようなら来るから言って」と言って帰っていった。

連れはつい昨日まで普通に食欲もあったし、もちろん飲酒も暴飲暴食も全くしていなかったので、昼に「食欲がない」と言っていたのは不思議だなとは思っていた。だが、まさか吐血するとは思わなかった。出血部位が胃にしろ食道にせよ、食べ物はもちろん水もダメだと言って、ソファに安静にさせておく。このところ、仕事や用事が重なってはいた。先週は春からの精華大学教授就任のために京都へ行って帰ってきたり、今週は新宿で在京の教師陣と会議があったり、木曜にはある雑誌の企画でインタビュー取材が入っていたり、連載の締め切りもそういえば今週末だ。きっとそれらのストレスで、潰瘍か何かが出来たのだろうと話し合い、とりあえず大学のSさんに会議は欠席の旨メールする。
連れはソファに横になり、二人でテレビを見たりしていたが、夜になって8時頃に洗面所でまた吐いた。やっぱり吐血したという。これはまずいというので、連載の雑誌には今月お休みの旨メールをし、お世話になっている医師会病院の勝呂先生にも様子が良くないとメールをしたりする。
今度は10時過ぎにふらふらとよろめきながらまた洗面台へ行ったので追いかけていくと、げろげろダバダバと洗面台に大量に吐血した。赤黒いもの…たぶん未消化の昼の食い物だろうか、それと赤い血。赤い血ということは消化器の上の方つまり胃か食道からの出血だろうか。仕方がないので夜中だがYちゃんに「たくさん吐いた」とメールすると、これから来ると電話がある。俺がこんな体なので、Yちゃんか連れのお姉さんに着いてってもらうしかない。入院の支度をし、待っていると11時過ぎにYちゃんが来たので様子を話し、救急車を呼ぶ。10分足らずで到着した救急隊に容態を話し、バイタル(血圧など)の測定の後、11時半ころYちゃんは連れの入院荷物のボストンバッグ、薬などの入った紙袋を持って、救急車に付き添いで一緒に乗って行った。俺は着いてってやれず情けないが、こればっかりは仕方がない。お姉さんにはたった今搬送されたとメールをする。

その後Yちゃんから「北社会病院というところになった」とメールが来る。医師会病院も日大病院も運悪く断られたそうで、聞いたことのない病院だなと思い調べてみると、北赤羽にある北社会保険病院というところで、出来て2年ほどの大きくて綺麗な大病院だった。逆に知らない病院で一から調べてもらう方が安心かも知れない。こっちは起きてるからとメールして待っていると、2時過ぎにタクシーでYちゃんが戻った。病院はやはり凄く綺麗で、先生も親切そうで良さそうな感じだったという。内視鏡で見た感じだと、出血部位がわからないということだった。Yちゃんが医師に「去年の吐血・入院の時に、胃と食道の接合部が切れて出血したのではないかと言われました」と言うと、そこも見たが、どうやら違うようだという。これほど出血部位、原因が解らないのも珍しい、解らないというのは気持ちが悪いので徹底的に調べると言ってくれたそうだ。とにかく出血が止まらないと心臓が止まってしまう恐れもあったので、今晩は緊急に輸血をして、あとは出血が止まって綺麗になるのを待ち、それから改めて内視鏡で調べるという。部屋は6階の個室に入れられたそう。Yちゃんは2時半過ぎ、泊まっていけばと言ったのだが、子供たちもいるので帰ると言って車を運転して帰って行った。
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2006-02-06(Mon)

3週間ぶりの安心

2月6日(月)
3週間ぶりの診察日、朝9時採血・11時診察という予約。前の晩に携帯の目覚ましを7時半にセットして寝たのだが、目を覚まして腕時計を見ると7時20分。体内時計はバッチリのようだ。起きて支度をして8時前に家を出ると、外はうす曇だが気温がえらく低い。17号に出て車を待っているとすぐにタクシーが来たので乗り込む。運ちゃんの方から渋滞の17号を避けて行こうと言ってくれたので、任せることにした。病院へ着くと料金は3000円ちょっと、時間は35分くらいだった。すぐに内科受付で連絡票をもらいに行くが、内科前の混雑が今日は見られず、落ち着いた感じだ。地下の採血へ行くと、待っている人もほとんどおらず、渡された紙も「11」番。これまでで最も少ない数字だ。果たせるかな2,3分しか待たずに呼ばれて2本採血終了。この時点でまだ9時10分ほど前。本来なら9時採血予約だったから、これはまた早く終わったものだ。売店を覗くと読みたいものがなかったので、そのまま販売機でコーヒーを買って、テーブルのあるいつもの椅子に座る。そこで携帯で音楽を聞いたり、途中少しうとうとしたりしていると10時45分になったので、内科受付の前から直接待合室へ入る。
内科受付前の廊下は朝来た時よりはいくらか患者が増えてはいたが、待合室に入ると椅子が一つ空いていた。これは珍しいと、速攻で座る。予約時間は11時だが、10時50分ころに「クマガイなんとかさん、4番へどうぞ」というU先生の声、だがそのクマガイさんが来る気配がない。もう一回呼ばれたが来ないようで、ちょっとして俺の名前が呼ばれた。11時5分前。いやあ今日はサクサク進むもんだ。
診察室へ入ると、U先生が開口一番「やっぱり今回も変わりないみたいなんですよー」と笑顔で言われる。モニタで血液検査の表を見せてもらうと、白血球数は1600、好中球数は52%なので800ちょいか。その他の数値も多少の上下はあるものの全体としえては変化なく、心配な血小板数も10万をキープしており、LDHも221と高めながらも安定している。結論から言えば、また様子見でいいということで、ホッとした。病院で数値で変化がないことを示され、医師からそのことを根拠をもって説明されることは、大きな安堵につながる。
今回は前回間に合わなかった、リンパ腫でよく検査するという腫瘍マーカーの結果を見せてくれるが、項目の中にいくつか正常値より高いものがあるが、何度も検査して経過を見ていると突然高くなったとかではなく、これまた高いまま安定しているという。本当に急に病状が悪化して高くなる人の場合は、俺の数値よりケタが一つ上がるくらい高くなるということなので、これも引き続いて経過を見ましょう、ということ。
「その他体調などお変わりはないですか」と聞かれたので「お腹、特に胃は張りますねえ」というと、「胃も脾臓で押しつぶされるようになってますからね」とのこと。「押しつぶされている」という表現は初めて聞いたが、まさしくそういう状況が実感できる。診察台に横になって触診をしてもらう。「脾臓はやっぱりここまで来てますね」と、下腹部、ほとんど脚の付け根まで指摘された。脾臓って普通は笹かまぼこ大で、左胸のあばら骨に隠れているようなものなのに、一体これだけ巨大化していいものなのだろうか。あと腋や鼠蹊、顎などのリンパ腫も最大でも2cm以下ということで、これも変化はなし。あとは見えない部分、縦隔や内側のリンパ節などは、定期的にレントゲンやCTで見て行きましょうということで、次回は採血の後レントゲンを撮ることになった。
俺が思わず「じゃあマルクは…」と言うと、「あ、マルクもしばらくやってないですね、じゃあ次回採血が終わったら処置室が空き次第やりましょうか」と言われたので「いや、別にやりたいわけじゃないんですけど」と笑う。ヤブヘビだ。「そうですよねえ、痛い検査ですからねえ。でも恐らく変化はないと思いますけど、変化がないということを確認することも大事なことですし、お互いの安心にもなりますからね」と言う。俺も「やっぱり検査で変化ナシと数字で出るというのは大きな安心になりますんで」と言うが、先生は俺が相当マルクを嫌がっていると思ったのか、「じゃあ、マルクは次回の次にしましょうか」と言ってくれる。いやー、痛いからなるべくならやりたくはないんだけど、やることで自分の安心につながるし、これが本当の痛し痒しというものだ。
風邪には気をつけて、ということで次回の診察は3週間後の27日となったが、帰り際俺が「生ものはやっぱりダメですかねえ」と聞くと、「うーん、好中球数が1000以上あれば、まあよっぽど危ないものじゃなければ普通の人とほぼ同じようなものを食べても差し支えないとは思うんですけどねえ、白取さんの場合は今回も800ちょっとでしょ、微妙なところではあるんですよね」とのこと。「お寿司とかはやっぱり難しいんですか」と聞くと、「そうですねー、うーん、もし食べる場合は本当に変な話し、高いところで食べるとか(笑)。」というので、それは「ああ、ネタの鮮度がいいとか捌いて時間が経ってない高級ネタを出すという意味ですよね」「そうですねー(笑)」「じゃあ回転寿司とかお持ち帰りみたいなのはやめた方がいいですね」と言うと「そうですね、信頼できる店、高級そうなお店でだったらいいかも知れないですね」とのこと。
お礼を言って診察室を出るが、要するに高級店でも調理周りの衛生管理がダメなところはダメだろうし、回転寿司でも生簀があって捌きたてをすぐに出すようなところならいいだろうし、生ものという雑菌が増殖しやすい食材、感染症の原因になりやすいものを食べるというリスクを負うということが即ち寿司を食うということであり、であればそのリスクは出来れば犯さない方がいい。あえて犯すのであれば、リスクの少ないと思われるところを選ぶしかない。そのリスクが少ない=ネタが新鮮で衛生管理もしっかりしているという店は、やはりそこら辺の持ち帰り寿司よりはそれなりの高級店の方が間違いがないだろう…そういう意味なのだろうと納得する。何事も理屈、理詰めである。

前にも書いたと思うが、癌と言われて「あ、そうですか」と平然としていられるわけがない。固形癌でそれも初期で、例えば切除して完治したような人が後で述懐して「なんとも思わなかった」と言う…なんてことはまあ見聞きすることがあるんだけど、本当かなと疑ってしまう。もし自分が癌だと言われれば、それは動揺するだろうし、不安にもなるだろう。それが全くないというのは格好つけて嘘をついているか、よほどの無神経としか思えぬのだが。俺の場合は余命一年ないと言われてそれはそれは動揺した。正直、脚が震えるという経験を初めて味わった。それが違う型だと判明し、しかも進行が遅いということもどうやら解ってきた。それでも、ホンの小さなことで実は日々、動揺しながら暮らしているのだ。
脾臓がこれだけ巨大化してしまうと、前にレントゲンで見せてもらったように大腸の横行結腸が押されて歪んでいるし、胃も圧迫されているし、玉突きでほとんどの臓器が押されている。そのことで現実に胃や腸の機能が低下しているのは事実だし、実感している。けれどそれ以外の、実感できない部分で、目に見えない部分で重大な進行がありはしないか。例えば縦隔のリンパ腫はレントゲンなどで見ないと成長が確認できないし、顎や腋下という触診できるところではなく、体内にあるリンパ節の腫脹も、CTなどで見ないと解らない。だからちょっとしたことで、日々「大丈夫かな」という不安に襲われている。臆病だといわれようが、格好をつけても仕方がないし、そもそも格好をつける必然性もない。
U先生は「こうしてずっと<変化なし>で来てますけど、この病気の場合は今日大丈夫だったからといって3週間後にまた変化なしという保証はないんですよね。」と言われる。こうして今日のように「変化なし」と言われてホッと安堵して、一週間、二週間…と過ごしていくうち、日々のちょっとしたことで「あれから時間が経って進行が始まったのでは」という不安に襲われることがある。それが高まっていき、ピークの時に次の診察日が来る。そうして「変化なし」の結果に安堵する。
この診察日は、言ってみれば3週間置きに「入院しなくて良し」という確認をしてもらう、保護観察の継続を告げられるようなものだ。入院は即ち抗癌剤投与という過酷な治療の開始を意味する。それまでの今はモラトリアムのようなものなのだろうか。
人間はドラマや映画や小説などの作り事の世界でよくある強いものではなく、本来とても弱いものなんだと、他ならぬ自分が日々確認している。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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