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2006-02-06(Mon)

3週間ぶりの安心

2月6日(月)
3週間ぶりの診察日、朝9時採血・11時診察という予約。前の晩に携帯の目覚ましを7時半にセットして寝たのだが、目を覚まして腕時計を見ると7時20分。体内時計はバッチリのようだ。起きて支度をして8時前に家を出ると、外はうす曇だが気温がえらく低い。17号に出て車を待っているとすぐにタクシーが来たので乗り込む。運ちゃんの方から渋滞の17号を避けて行こうと言ってくれたので、任せることにした。病院へ着くと料金は3000円ちょっと、時間は35分くらいだった。すぐに内科受付で連絡票をもらいに行くが、内科前の混雑が今日は見られず、落ち着いた感じだ。地下の採血へ行くと、待っている人もほとんどおらず、渡された紙も「11」番。これまでで最も少ない数字だ。果たせるかな2,3分しか待たずに呼ばれて2本採血終了。この時点でまだ9時10分ほど前。本来なら9時採血予約だったから、これはまた早く終わったものだ。売店を覗くと読みたいものがなかったので、そのまま販売機でコーヒーを買って、テーブルのあるいつもの椅子に座る。そこで携帯で音楽を聞いたり、途中少しうとうとしたりしていると10時45分になったので、内科受付の前から直接待合室へ入る。
内科受付前の廊下は朝来た時よりはいくらか患者が増えてはいたが、待合室に入ると椅子が一つ空いていた。これは珍しいと、速攻で座る。予約時間は11時だが、10時50分ころに「クマガイなんとかさん、4番へどうぞ」というU先生の声、だがそのクマガイさんが来る気配がない。もう一回呼ばれたが来ないようで、ちょっとして俺の名前が呼ばれた。11時5分前。いやあ今日はサクサク進むもんだ。
診察室へ入ると、U先生が開口一番「やっぱり今回も変わりないみたいなんですよー」と笑顔で言われる。モニタで血液検査の表を見せてもらうと、白血球数は1600、好中球数は52%なので800ちょいか。その他の数値も多少の上下はあるものの全体としえては変化なく、心配な血小板数も10万をキープしており、LDHも221と高めながらも安定している。結論から言えば、また様子見でいいということで、ホッとした。病院で数値で変化がないことを示され、医師からそのことを根拠をもって説明されることは、大きな安堵につながる。
今回は前回間に合わなかった、リンパ腫でよく検査するという腫瘍マーカーの結果を見せてくれるが、項目の中にいくつか正常値より高いものがあるが、何度も検査して経過を見ていると突然高くなったとかではなく、これまた高いまま安定しているという。本当に急に病状が悪化して高くなる人の場合は、俺の数値よりケタが一つ上がるくらい高くなるということなので、これも引き続いて経過を見ましょう、ということ。
「その他体調などお変わりはないですか」と聞かれたので「お腹、特に胃は張りますねえ」というと、「胃も脾臓で押しつぶされるようになってますからね」とのこと。「押しつぶされている」という表現は初めて聞いたが、まさしくそういう状況が実感できる。診察台に横になって触診をしてもらう。「脾臓はやっぱりここまで来てますね」と、下腹部、ほとんど脚の付け根まで指摘された。脾臓って普通は笹かまぼこ大で、左胸のあばら骨に隠れているようなものなのに、一体これだけ巨大化していいものなのだろうか。あと腋や鼠蹊、顎などのリンパ腫も最大でも2cm以下ということで、これも変化はなし。あとは見えない部分、縦隔や内側のリンパ節などは、定期的にレントゲンやCTで見て行きましょうということで、次回は採血の後レントゲンを撮ることになった。
俺が思わず「じゃあマルクは…」と言うと、「あ、マルクもしばらくやってないですね、じゃあ次回採血が終わったら処置室が空き次第やりましょうか」と言われたので「いや、別にやりたいわけじゃないんですけど」と笑う。ヤブヘビだ。「そうですよねえ、痛い検査ですからねえ。でも恐らく変化はないと思いますけど、変化がないということを確認することも大事なことですし、お互いの安心にもなりますからね」と言う。俺も「やっぱり検査で変化ナシと数字で出るというのは大きな安心になりますんで」と言うが、先生は俺が相当マルクを嫌がっていると思ったのか、「じゃあ、マルクは次回の次にしましょうか」と言ってくれる。いやー、痛いからなるべくならやりたくはないんだけど、やることで自分の安心につながるし、これが本当の痛し痒しというものだ。
風邪には気をつけて、ということで次回の診察は3週間後の27日となったが、帰り際俺が「生ものはやっぱりダメですかねえ」と聞くと、「うーん、好中球数が1000以上あれば、まあよっぽど危ないものじゃなければ普通の人とほぼ同じようなものを食べても差し支えないとは思うんですけどねえ、白取さんの場合は今回も800ちょっとでしょ、微妙なところではあるんですよね」とのこと。「お寿司とかはやっぱり難しいんですか」と聞くと、「そうですねー、うーん、もし食べる場合は本当に変な話し、高いところで食べるとか(笑)。」というので、それは「ああ、ネタの鮮度がいいとか捌いて時間が経ってない高級ネタを出すという意味ですよね」「そうですねー(笑)」「じゃあ回転寿司とかお持ち帰りみたいなのはやめた方がいいですね」と言うと「そうですね、信頼できる店、高級そうなお店でだったらいいかも知れないですね」とのこと。
お礼を言って診察室を出るが、要するに高級店でも調理周りの衛生管理がダメなところはダメだろうし、回転寿司でも生簀があって捌きたてをすぐに出すようなところならいいだろうし、生ものという雑菌が増殖しやすい食材、感染症の原因になりやすいものを食べるというリスクを負うということが即ち寿司を食うということであり、であればそのリスクは出来れば犯さない方がいい。あえて犯すのであれば、リスクの少ないと思われるところを選ぶしかない。そのリスクが少ない=ネタが新鮮で衛生管理もしっかりしているという店は、やはりそこら辺の持ち帰り寿司よりはそれなりの高級店の方が間違いがないだろう…そういう意味なのだろうと納得する。何事も理屈、理詰めである。

前にも書いたと思うが、癌と言われて「あ、そうですか」と平然としていられるわけがない。固形癌でそれも初期で、例えば切除して完治したような人が後で述懐して「なんとも思わなかった」と言う…なんてことはまあ見聞きすることがあるんだけど、本当かなと疑ってしまう。もし自分が癌だと言われれば、それは動揺するだろうし、不安にもなるだろう。それが全くないというのは格好つけて嘘をついているか、よほどの無神経としか思えぬのだが。俺の場合は余命一年ないと言われてそれはそれは動揺した。正直、脚が震えるという経験を初めて味わった。それが違う型だと判明し、しかも進行が遅いということもどうやら解ってきた。それでも、ホンの小さなことで実は日々、動揺しながら暮らしているのだ。
脾臓がこれだけ巨大化してしまうと、前にレントゲンで見せてもらったように大腸の横行結腸が押されて歪んでいるし、胃も圧迫されているし、玉突きでほとんどの臓器が押されている。そのことで現実に胃や腸の機能が低下しているのは事実だし、実感している。けれどそれ以外の、実感できない部分で、目に見えない部分で重大な進行がありはしないか。例えば縦隔のリンパ腫はレントゲンなどで見ないと成長が確認できないし、顎や腋下という触診できるところではなく、体内にあるリンパ節の腫脹も、CTなどで見ないと解らない。だからちょっとしたことで、日々「大丈夫かな」という不安に襲われている。臆病だといわれようが、格好をつけても仕方がないし、そもそも格好をつける必然性もない。
U先生は「こうしてずっと<変化なし>で来てますけど、この病気の場合は今日大丈夫だったからといって3週間後にまた変化なしという保証はないんですよね。」と言われる。こうして今日のように「変化なし」と言われてホッと安堵して、一週間、二週間…と過ごしていくうち、日々のちょっとしたことで「あれから時間が経って進行が始まったのでは」という不安に襲われることがある。それが高まっていき、ピークの時に次の診察日が来る。そうして「変化なし」の結果に安堵する。
この診察日は、言ってみれば3週間置きに「入院しなくて良し」という確認をしてもらう、保護観察の継続を告げられるようなものだ。入院は即ち抗癌剤投与という過酷な治療の開始を意味する。それまでの今はモラトリアムのようなものなのだろうか。
人間はドラマや映画や小説などの作り事の世界でよくある強いものではなく、本来とても弱いものなんだと、他ならぬ自分が日々確認している。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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