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2006-02-20(Mon)

連れの病院へ行く

2月20日(月)
Yちゃんが仕事休みの日で車で来てくれた。車ならマスクをして完全防備をすれば、病院へ見舞いに行けなくもない。昼過ぎに支度をして、連れが入院している北社会保険病院へ行く。玄関を出るとシトシトと雨が降っていたが、気温はさほど低くなく「寒い」という感じではなかった。秋口、一雨ごとに寒くなって季節が変わっていったのと同様に、今度は暖かくなっていくのだろうか。車に乗り込んで病院へ向かうと、アッという間に着いてしまう。JRの駅で言えばたった一駅だし、道も一本で空いていた。
病院は駐車場も広く立派だし、建物自体も大きくて新しく綺麗で、想像以上。社会保険庁が国民から預かっている年金をじゃぶじゃぶと自分の金のように使い、全国各地でこのような贅沢な建物をまるで娯楽のように作りまくって問題になった。この病院もその「問題」の一つだったらしいが、なるほど不必要なところにも贅沢に金をかけてある。
中に入って面会受付をして首から提げるプレートを貰い、病院内へ。吹き抜けになっていて雨だというのに明るい受付、オープンテラス形式の食堂などがあるホールを見てエレベータで6階へ。先週までベッドに空きがないというので個室に入っていたが、4人部屋に移動したのだ。その6006号室は6階の一番東側の奥。連れ合いは通路側の左手のベッドだったが、4人部屋とはいえゆったりと空間がとってあり、洗面所とトイレもちゃんと4人部屋用についている。

病院という空間はもちろん、患者や見舞い客が快適でいられるために全精力を傾けるべき場所だ。だから、差額ベッド代が15000円以上もする個室が広くて立派だったり、「大部屋」といっても基本的に4人部屋であり、それぞれの大部屋には専用の洗面所と綺麗なトイレも完備してあったり、廊下も広く取ってあり、休憩所や談話室の設備も素晴らしい…という部分に関してはむしろモデル的な病院と言える。素晴らしい、確かに。だが談話室の上の照明は特注なのか変わった形をしていて、それはそれで綺麗だがかなりの高額製品と見た。それに、建物内の一階から六階の病棟まで、ありとあらゆる場所に、何とかいう「児童画家」の絵画がこれでもかという数、飾ってある。それはそれはもう不必要なほどの数である。数十枚という単位などではない、数百枚はあろうかという数だ。病棟の廊下なぞ、2〜3メートルおきに綺麗に額装された絵が両側に飾ってあるし、談話室には60、70号以上はあろうかという巨大な絵が2枚も飾ってある。1枚でいいだろう。ていうか無くても問題なかろうに。この画家に罪があるのかどうか知らないが、明らかに数百万円ではきかない画稿料がフトコロに入ったことだろう。我々の年金として預けた金の中から、我々の知らないうちに、である。

ところで連れ合いの4人部屋は連れ合い以外は全部お年寄りで、向かいのお婆さんは口を開けて寝ており、窓側の二人は我々が来たことにも気づかず、閉じたカーテンの向こうで大音声でなにやらしゃべり合っている。しかしそれは異常なくらいの大声で、きっとお互いに耳が遠いのだろうとは思うが、これでは連れも目眩がするといってうとうとしていようにも、無理だろうなあと気の毒である。
連れは昼食を完食した後で、イヤホンでテレビを見ていた。一週間ぶりに顔を見たが、げっそりと痩せている。昨日まで点滴をしており、ご飯といっても粥類がようやく出るようになったばかりなので、やはりそうした衰弱が顔に出ている。
ただ気力はしっかりしており、大丈夫だというのでそろそろと3人で一階の売店まで降りようということになる。売店というのはコンビニのコミュニティストアが出店している店で、中はまさにそのまま小さなコンビニだ。はじめ一旦病室へ行って顔をみたら、Yちゃんと昼食を病院の食堂で摂ろうかとも思っていたのだが、食堂は何せ拭きぬけ・オープン式でだだっ広く、横は外来の受付で全然落ち着けない。結局何か買って上の談話室で食べようということにし、パンやサンドイッチ、飲み物を買って、エレベータで6階まで戻る。環八側の駐車場を見下ろす談話室でそれらを食べながら話す。
談話室はとにかく内装も新しく綺麗で居心地がいい。暖房も十分で、ずっと3人でおしゃべりをして笑ったりしていた。久々の一家団欒、である。そうこうしていると3時になったのでそろそろ帰ろうということになった。エレベータ前で連れと手を振って別れる。受付に面会者が首から提げるプレートを返して外に出ると気温がぐっと下がっていて、かなり寒い。車でマンション前まで送ってもらい、Yちゃんと別れる。家に着いたら3時9分、本当に近い。その後はひたすら仕事をしていた。
連れからは夕方、「シャワーあびた、すっきりした」とメールがあった。退院も近いと医師に言われたそうだが、胃カメラやMRIなどもやって、結局出血部位は特定できず、原因も「不明」のままだ。ということは今後もこうしたことが繰り返される恐れがある、つまり根本的な治療はされておらず、出血・吐血した、なので輸血と点滴をした、原因は不明だけど血は止まった、ハイ退院…ということになるわけで、どうしたらいいのかさっぱり解らない。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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