2006-03-20(Mon)

癌が進行

3月20日(月)
7時に携帯の目覚ましで起きる。連れ合いは京都で学部の教授会があるので、新幹線で上洛せねばならず、先に起きて化粧やら支度をしていた。8時10分ころ二人で出る。JRの駅方面と17号への分かれ道で連れに「気をつけてね」と言って別れる。天気はいいが風が強く、日陰に入るとけっこう寒い。冬物のコートを着てきて良かった。病院へは9時10分前に到着、すぐに内科受付へ行き採血の連絡票を貰って採血受付へ行く。受け取った番号札は15番と若い。しかも採血はおばちゃんが一人受けているだけで、待っている人は0。採血をしていた係員も、その一人しかいなかった。ソファに一旦腰を下ろすと同時に数人続けて採血待ちの患者が来るが、おばちゃんが終わるとすぐ俺が呼ばれて、いつも通り2本採血。それから売店へ上がって週刊誌とスポーツ新聞を買い、いつもの1階のベンチへ行き、紙コップのカフェオレを飲みつつ新聞、週刊誌の順番にじっくり読む。
10時20分になったので内科受付へ移動するが、その時に採血後に連絡票を内科に戻すのを忘れていたのに気付く。看護婦にそう言って予約が10時半だけど大丈夫かと聞くと別に何でもなさそうに「お待ちください」と言われてそのまま診察室前の椅子に移動。たまたま一つ席が空いたので座る。今日は外来も若干患者が少なめだ。4番U先生の診察室へは俺と入れ違いに老夫婦が呼ばれて入り、10時29分に出てきた。次は俺かな、と思ってたら10時半きっかりに呼ばれたので診察室の中に入る。

開口一番、U先生は「白取さん、こないだのCTと採血の結果はやっぱりお変わりないみたいですねー」とのこと。「そうですか、良かった」とホッとしてコートと荷物を置いて椅子に座ると「体調は変化ないですか」と言われたので、「ええ、お腹の張りは最近はもう慣れてきちゃって…」と言うと、CTの画像を示して「ええと、これが11月のですね、それでこちらがこないだのですが…」と、同じ部分の輪切り箇所を示してくれる。「脾臓の大きさはむしろちょっと縮んだかな、という風にも見えるんですけど、まあ変化なしということでしょうね」とのこと。骨の形がほぼ同じところの輪切り写真を比べると、確かにこないだの画像の方が1センチほど小さくなっているようには見える。ただ、厳密に全く同じ部分の断面ではないので、その誤差があるから、変化なしと見るということだろう。先生も「2センチが1センチになったというのだったら割合として大きいですけど、これだけ大きいものの1センチなので、まあ誤差もあるでしょうし」とのこと。まあでも変化がないことはいいことだ…、と喜んだのだが。

「でもですねー、やっぱりこないだ骨髄の検査をやって良かったです」と言われる。今日の採血の結果もWBCが1200と減ったように見えるが、これも誤差範囲内。なので横ばいと見るが、骨髄の方ははっきり数値が変わっていた。「前の時はもう4ヶ月も前になるんですよね、その時は異常細胞の割合が半分ちょっとだったのが、今回は6割を越えちゃってるんです」とのこと。「となると、このまま異常な細胞が上昇すると、正常な血球の割合なんかも減っていくんですよね」と聞くと、「そうですね、確かに異常細胞が増えていけば、その分正常な血球が作られる部分が圧迫されますから、数値にもそれが出てくるんですけど。例えばこれ(採血の数値一覧)でいうと、こういった部分(リンパ球)の数値が増えてきて、異常だというコメントがつくんですけど。ただ、まだそういったことは今回の採血の結果には出てませんし、例えば急性リンパ性白血病なんかの場合だと、もう本当にこんなスピードではなくて、凄い速さで異常細胞が増えて行くんで、白取さんの場合はずっと遅いですけどね…。」とのこと。
あとは、細かなマーカーの数値なども見せてくれたのだが、難しい医学的な話はともかく、いくつかの数値の推移の中、一つだけ極端に変化しているものがあり、それが病気の「型=タイプ」の特定に関係があるかどうかを見る必要があるという。そのあたりの数値を見て、例えばT細胞性であるとかB細胞性であるとか、タイプの特定の判断材料になったりするらしいのだが、自分のような素人が見て解るレベルの話ではない。
先生は「なので、今まで採血の結果が変化なかったので、痛い検査だし間を空けてたんですが、ちょっと骨髄の方は一ヶ月に一回くらい見させてください」と言われる。うーん、異常細胞=癌がこのまま増殖していけば、正常な血球を作る機能が阻害され、まあはっきり言えば死ぬわけだ。血液の癌は、固形の腫瘍と違って目視は出来ないので、実感はないものの、得体の知れない怖さがある。血液を凝固させられなければあちこちで出血が起こって死ぬ。白血球が減ればささいな菌が全身に廻って死ぬ。赤血球だって減れば…、といったイヤな末路が頭を過ぎる。
触診もしてもらい、体表部のリンパ節の腫脹は変化なしということを確認、さらに先日のCTで体の内部のリンパ節も腫れていないことが解った。ただ大元である造血部分の細胞が癌に侵されており、そこに進行が見られたことは確かということだ。

触診の際、「こないだ(のMARK)、やっぱりS先生だったみたいですね」と言われたので、「ええ、そうでした」と言いながら横になると、「あ、そういえば奥さんまた大変だったそうですけど」と言われたので「実はまた吐血して入院したんですが、原因不明のままで」と言うと「どちらの病院ですか」というので「救急で搬送だったんですけど、北社会保険病院へ行ったんです、実は日大では内視鏡できる先生がいないということで断られて」というと、「あ、そういう場合はそうなっちゃいますねえ」と眉を顰めて言われる。「でも結局内視鏡でも出血部位がわからないそうで、輸血をして安静にして退院になって。だからどうしたらいいか、注意のしようもないんですよねえ…」と話すと「そうですねえ、内視鏡でも解らないとなると大変ですねえ…。どこかお悪かったんでしたっけ」というので「最初は急性膵炎やって、玉突きで内臓がほとんどダメなんですよ。腎臓も片方取ったし、肝臓も肝硬変というくらい悪いっていうので」と言うと、「ああ、肝臓が悪いんですか…そうすると血を固める機能が落ちていて、毛細血管から染み出していったのが溜まって出たということもありますねえ」というので「でも血小板とかは採血で解るんですよね」と言うと「あ、でも血を固めるのは血小板だけじゃないですからね。血液の凝固因子を調べる項目があるんですけど、普通はそこまで検査項目にないですから。医者の側がこうかもな、そこを調べようと思って項目に加えないと出ませんし」とのこと。なるほど、肝臓がボロボロなせいで血を固められず、胃や腸にストレスなどで前潰瘍状態みたいなものが出来、そこから血がちょっとずつ染み出していて、それは内視鏡では解らないのかも知れない…。

それやこれやで、次回は3週間後に採血をし、診察の後、骨髄穿刺を受けてから帰るということになった。会計は1200円で、地上に出るといい天気。風が若干強く、気温は低めながら、赤羽行きのバス停のベンチに座るとぽかぽかと気持ちがいい。ただ内心は骨髄の結果が悪かったので若干ブルー。
そういえば、診察室で帰り際にU先生から「体調の変化があったらすぐ連絡してくださいね」と言われたっけ、なるほどやっぱり俺は癌患者なんだな、と実感する。隣のベンチには80は軽く越しているだろうと思しき老夫婦が仲良く腰掛けており、バスの時間は何分だとか、これは赤羽のどっち側に着くのかとか、お爺さんがしきりにモゴモゴと妻に問いかけ、お婆さんはその都度これは11時ちょうどでトンネル通って西口に着くんだと諭すように応えている。俺はこんな年まではまず生きられまい、こうして夫婦長生きして仲良く暮らして行けるのは本当に幸せなことだ。人間いずれは死ぬとはいえ、やはり不本意な予定外での打ち切りは辛い。本人も周りも。

赤羽でバスを降り、二人分のパンなど買い物をして、そこからは荷物が多かったのでタクシーで帰宅。運ちゃんは「今日は風がなかったらいい天気だしあったかくて良かったんスけどねえ」「連休もこれじゃあ予定狂っちゃいますよねえ」「自分も土曜は休暇だったんで稲取から大島行く予定だったんだけど、船が止まっちゃって結局一泊で帰って来たんですよ」と立て続けに話す。なるほど世間は今日が休みだと4連休という人もいるのだなあ。
帰宅して昼食のおにぎりを食べ終わったあたりで連れからメールがあり、無事京都駅から大学へ向かうというので安心した。
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2006-03-18(Sat)

アナハイムの奇跡?

3月18日(土)
WBC、アメリカがまさかのメキシコ戦敗戦、日本が失点率でかろうじてアメリカを上回り準決勝進出…とまあびっくりそうですかというニュースで、萎えかけていた興味がまた復活したのでした。

このWBCに関しては、アメリカが「サッカーみたいに野球も世界一を決めようや!」と言い出して始まったわけだけど、そこには巷間言われてるように、色んな思惑が渦巻いていたようです。例えばオリンピックでは正式競技から外されるかも、という状況などもその一端。要するに様々な「危機感」から、野球の生まれた国(©王監督)であるアメリカが、最初からアメリカに有利な日程、方式、審判などもう露骨なほど「俺らが世界一だということを確認し確認させるための大会」をやるぞ、やるからみんな出ろよ、欠席は許さんよ、あとでヒドイからな! というジャイアン的なイベントであった…はずなのに、こんなことになってしまって。いやはや何とお声をかけてよいやら、ジャイアンじゃなかったアメリカさんには。とはいえまあ実際のところは痛快至極ではある。

この大会は本編以外にも話題豊富だった。
メジャーリーガーたちが自国に戻って戦うという大義名分でワクワクし…ようと思ったらスタインブレナーが「この時期ケガでもしたらどうすんの!」と不快感を示したり、それに同調した(巨額の契約更改をのんでもらった)松井が欠場したり、それをイチローが「これくらいでケガするようならその程度の選手」と皮肉ったり、そのイチローが「むこう30年は日本に手が出せないな、つうぐらいの強さで勝ちたい」みたいな発言に韓国がなぜか異常なまでに反発したり…。
さらに本編が始まると今度は二次予選での日本×アメリカ戦での「明らかな誤審」に続き、今度はメキシコ戦でもホームランを二塁打にするというこれまた「明らかな誤審」を、何と同じ審判が行ったという、こういうおまけ話にも事欠かない。
ところでこの「誤審」騒動だが、映像を見ても明らかに審判の間違いなのは言うまでもない。でも間違いは誰にでもある、審判という人間がプレイを裁く制度を導入しているスポーツに誤審はツキモノでもあることも、言うまでもないことだ。
このデービッドソンという人物が極端なアメリカ好きであり、アメリカ至上主義者であり、さらにそんな人物が審判であり、さらには自国の試合をそのような審判が裁く制度があり…と考えていくと、露骨なまでの自国びいきのジャッジは出るべくして出たというか。
まあこういう話題はいくらでもネット上で飛び交っているし食傷気味なんで置いといて。

同じ話題でも、毎日朝鮮日報と日本メディアの報道を比較していると、かなり面白いっす。
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2006-03-15(Wed)

おみやげありがとう>O窪さん

先日、教え子のO窪さんから「名古屋のおみやげ」で手羽先パックとひつまぶし茶漬けセットをいただきました。何かもったいなくて(?)まだ食べてないっす。いやどうもありがとう。
O窪さんの年度は本当にみんな仲が良くて、今でもみんな普通に集まったりしているみたいで何よりです。人間関係って財産だもんね。

…今年はジャナ専(日本ジャーナリスト専門学校)の卒業式、また行くことができなかった。毎年だいたいこの時期は年度がわりなので仕事が忙しくて出席できないことが多かったのだけど、今年はまさか自分の病気でダメになるとは思わなかった。「卒業まで面倒みるからな!」と大見得を切ったのに、生徒たち、申し訳ない。
これまでの教え子たちは出版・編集の業界に入った子もそうでない子も、連絡をくれる子も音信不通の子も、自分の中ではみな同列に「教え子」であります。どんな職場にいても、職につけなくても(笑)、明るく前向きに、何より健康で生きていてくれればいいなあと思うわけです。

春は出会いと別れの季節ですなあ。
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2006-03-07(Tue)

MARK、CT検査に行く

3月7日(火)
夕べは12時過ぎに寝た。布団に入り、いつものように脇に丸くなってピタリと体をくっつけて休んでいるシマと一緒にうとうと…したと思ったら、ユキが居間でウァオンニャオンと大声で鳴き始めた。何ゆえか、どういうことなのか全く意味不明な行為だ。何せ耳が聞こえないから「うるさい」と言っても聞こえない、「こっちにいるからおいで」と言ってもダメ。眠いし面倒なので起きて諌めることもせず、それが断続的気に小一時間ほど続いたのでなかなか眠れなかった。
今朝は9時に携帯のアラームが居間で鳴ったので起きる。昨日は春一番が吹いた暖かさだったのに、今朝は曇天で気温も低い。支度をして家を出たのは9時50分過ぎ。気温は昨日よりはずいぶん下がったみたいだが、寒いというほどではなかった。いつもの診察日のような混雑する時間ではないので、タクシー代もいつもいつもじゃ勿体無いし、バスで行くことにする。バスも本当は乾燥・閉鎖空間・不特定多数の人間という風邪予防やその他の感染予防には良くない環境だが、タクシー片道3000円を考えると貧乏人には仕方がない。
バスは遅れているようで、10時ちょい前になってようやく来た池袋西口行きに乗り込む。大和町で降りて5分ほど待つと池袋東口行きが来たので乗り換え、仲町出張所で降りて、そこから歩いて川越街道を渡って日大病院へ。ついつい以前のように早足になってしまい、病院入り口まで着くと若干疲れてしまった。もう自分は健康体ではないのだなあ…とつくづく思う。

内科受付へ行くと10時40分ころ。今日はいつもより外来の患者が多いようで看護婦も急がしそうにしている。俺が診察券を出して「今日マルク(骨髄穿刺検査)と午後にCTが入ってるんですが」と言うと、「あ、ちょっと待ってくださいね。…今日は診察も入ってますか?」というので検査だけだというと、一旦外のソファで待てと言われる。廊下のソファで待っていると名前を呼ばれ、今度は処置室前で待てと言われて移動、処置室横のソファでしばらく待つ。10分ほど待ってると年配の看護婦さんに呼ばれて中に入る。ベッドは透析だか点滴だかを受けてる人やらで一杯で、カーテンが引いてあるものばかり。中にはしゃべっている人や咳き込んでいる人もいるが、概ね黙って何かが終わるのを待っている人たちがいるはずだ。その気配が処置室全体に充満している。ようやく一つ空いていたベッドに通されて、頭を廊下側にして待ってるように言われる。
服を脱いでいるとすぐにマルク担当のS先生が来る。去年の夏、抗癌剤治療が始まるという時の主治医だった先生だ。「どうもお久しぶりです」とお互いに挨拶。「お変わりないですか」というので「ええ、お腹の張りも慣れてきちゃってるせいか、あまり気にならないんですよ」と言うと「そうですか、お変わりないのはいいことですからね」と言われる。「このままほっとくとどんどん脾臓が腫れてって、機能亢進して汎血球減少が起きて…となるとまずいんですよね」と服を脱ぎながら話すと、「そうですね、もし脾臓がすごく腫れてくるようだと、すぐに治療に入らないといけませんからね。なので変化が見られないということはいいことですよ。」とのこと。
俺が上半身裸になったので「用意が出来たら声かけてください」カーテンを引いて外に出てくれた。そのまま俺が仰向けになろうとベッドに乗ると、カーテンの下にS先生がベッドを背にした形で立っている足が見えた。他のところへ行ったわけではなく、今この間を待ってくれているのだ、そう気がついたのですぐに「もう大丈夫です」と声をかける。S先生はカーテンを開けて入ってきて「前はいつでしたっけ」、「マルクは11月だったと思います」と言うと、「あ、じゃあちょっとお腹とか見せてもらいましょうか」といい、触診をしてくれることになった。
「僕が診るのはそれこそ入院されたた時以来ですから、感覚としてはあの頃の印象なんですよね」と言いつつ、腹部、顎から喉、腋、鼠蹊などのリンパ節を触診してくれる。「やっぱり変化はないように思いますね」と言うので俺は「そうですか、体重は4kgくらい太ったんですが、たぶん禁煙した後口寂しくていろいろ食べるクセがついたからだと思います」と、いつも主治医のU先生の診察時に話していることと同じことを話してみる。S先生は「そうですね。ちょっと見た印象でも体格が良くなられたような感じがしましたんで」というので、「脾臓が腫れて体重がこんなに増えたら大変ですよね」というと「そうですね、でもそういう感じじゃないですから」と言われたので内心ホッとする。「じゃあすぐ準備してきますから」と言ってS先生は道具を取りにいったん消えた。
すぐに道具類のカーゴをがらがらと押しながら戻ってきて、準備開始。さっき俺を処置室に呼び込んだ年配の看護婦さんも頭の上でS先生の準備を手伝っているようで、頭の上で二人の「あ、手伝ってくれるんだ。嬉しいなあ」「今はまだ大丈夫、今はね」みたいな軽妙なやりとりが聞こえる。看護婦さんが「どうします、目隠しはしますか」と言うので「いや、いいです…」と言いかけて「やっぱりしてください」とお願いした。畳んだガーゼが両目の上にかぶさってる方が、太い針が自分の胸に突き刺さるのを見ないで済む。目をつぶっていれば済む話だが、いや、見えても別に全然大丈夫なのだが(採血や注射や点滴の静脈注射なども、俺の場合はじっと針が突き刺さったりの一部始終を見るクセがある)、麻酔してくれてるのに目で刺さる瞬間やら骨髄が抜かれてくのが見えると、気持ち的に痛い。なので目隠しをお願いしたという次第。ガーゼが両目の上に置かれ、サージカルテープで軽く止められ、その後は頭の上で二人が検査の準備をしながら世間話をする。
S先生は色々な消毒器具や検査器具の袋を破ったりそろえたりしつつ「そういえば奥さんも大変なんですよね、お加減どうなんですか」とか聞いてくれる。
そうこうしているうちに看護婦さんの方はどこからか呼ばれて消えたので、俺が「ところで京大のウィルス研究所でT細胞性の白血病の原因ウイルスの遺伝子がわかったそうですね」と話すと、「あ、よくご存知ですね」と言われる。「自分みたいな進行の遅いタイプは治療も難しいんですよねえ」と言うと「うーん、まあそういう見方もできるかとは思いますが、でも濾胞性の、B(細胞)の方にはリツキサンができましたから、Tの方も研究が進めばいい薬が出来てくるでしょうし」とのこと。やはりこの分野は本当に日進月歩だという。俺が「何とかそれまで頑張らないと」というと「ええ、5年10年単位で長く状態が変わらない患者さんもたくさんおられますから」と言われる。自分がどういう型の何という病気なのかが不明なのは不安だが、状態は横ばいであるということは、やはり悪いことではないのだ。
そしていよいよマルク。「じゃあまず消毒しますね」と言われて先に茶色い消毒液が染み込ませてある綿棒の親玉みたいなもので胸部を念入りになでられる。そして麻酔。一度打たれたあと、「今度は骨の方に麻酔しますよ」と言われてブツリという感覚がある。しばらく患部をもまれて、「これはどうですか」と何かでつつかれたようだが、あまり感じないのでOKという。そうしていよいよ骨髄吸引、採血のものよりグンと太い針が骨まで突き刺さり、「じゃあいつものように麻酔のきかない痛みがありますが1,2,3で行きますよ」と言われて、カウントの後ぐぐぐ、と骨髄を吸引される。かなり長く吸引されていたが、とてつもない不快感は一瞬で、後は嫌な感覚にただひたすら耐えるのみ。吸引が終わり、S先生が取り出したサンプルを試験官に分けているような風情があり、さっきの看護婦さんが戻ってきて「はいお疲れ様でした、じゃあ傷口消毒しますからね」と言われて目隠しのガーゼを取ってくれて、胸部を拭かれ、ガーゼでふさがれる気配。「じゃあ重り載せますからね」と言われて、ふさがれた傷の上にズシリと止血のための重りが置かれて、布団をかけてもらい、枕元のタイマーが鳴るまで安静にと言われてカーテンが閉められる。
タイマーをそっと見ると残り26分になっていたので、目を閉じてひたすら待つ。どこかのベッドでは「ごわ、ぐぅぇえ」と痰の吸引か何かのおっさんの声が時折聞こえ、左隣のカーテンの向こうではさらに向こうの婆さん同士が二人で点滴を受けているらしく、大きな声で世間話をしているのが聞こえる。やれ年金がどうしたとか、自分はどこが悪いとかそういう話。お金の話になると声を潜めてヒソヒソ声にはなるのだが、どっこい耳が遠くなっている人同士なので、普通の人にとってはまる聞こえ。そうこうしているとようやくタイマーが鳴り、重りが取られて、釈放。看護婦さんに「今日血が止まらないとか、痛みが続くとかあるようだったらすぐ病院来てくださいね」と言われ、服を着て礼を言って処置室を出る。11時50分くらいだった。

これから午後のCTの予約時間は1時50分なので、まるまる2時間、時間を潰さねばならない。といっても検査3時間前からは食事も摂ってはいけないので、メシを食うわけにもいかず。売店で週刊誌と、入院時はまっていた「明治ミルクと珈琲」を買って、いつものソファに座る。週刊誌をなめるようにゆっくり全ページ読み終わってもまだ1時間以上ある。携帯のテレビをちょっと見て、結局MUSIC PLAYERでSDカードに保存してある音楽を聞く。そうこうしていると1時半になったので、地下に降りて放射線受付へ。
第二CT室で待てというので、トイレの奥の廊下にあるソファまで行って座って待つ。前の女の人が5分ほどで呼ばれ、さらに5分ほどして入れ違いに俺が呼ばれた。CTは脾臓の大きさの把握のため、腹部全体と骨盤の方までとU先生に言われていた。看護婦さんが台に仰向けで寝るように言い、腹から下にバスタオルをかけてくれて「ズボンはひざの辺りまで下げちゃってください」とのこと。言われた通りにして待つ。しばらくして男の技師が来てベルトで軽く台に俺を固定して、それから検査開始。検査そのものは数分で終了。終わってズボンを履いて検査室を出る。するとちょうど本来の予約時間の13時50分だった。会計に連絡票を渡して5分ほど待つと、自分の番号が出たので自動清算機に診察券を通すと、何と21000円ちょいの表示。え、ケタ1つ違うんじゃないの、と思ったが今日はマルクが高いのだろう。11月のマルク&レントゲンの時も20000円近かった。病気は金がかかるのお、と思いつつ病院を後にしたのであった。

朝出た時には少し気温が低いと思ったものの、病院を出ると明らかに冬の寒さとは違う空気だった。これから春になっていくが、こういう時期は人間にとってもいい季節だという。体の免疫力も高まっていき、自然と同様新しいサイクルに入る準備をする。今日はたまたま知っていたS先生が検査をしてくれ、お蔭でいろいろ聞くこともできたし、普段のU先生に加えて診察もしていただけたので、さらに安心度が増した。足取りは気持ち軽くなったが、無理は禁物。帰りは疲れたのでいつものようにタクシーに乗る。贅沢をしているようだが、そもそも俺の外出などほとんど診察日かこういうイレギュラーの検査日くらいしかない。よく考えたら酒もタバコもやめたし、普通の人より全然金はかかっていないのだ、そう言い聞かせて納得させる。帰りの道は混んでいた。
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2006-03-05(Sun)

入院から200日

3月5日(日)
夕べは12時ころ寝た。猫たち…ユキもシマもすぐに寝室を出て行ったので比較的早く寝付けたのだが、早朝4時に連れがトイレに立ったので目が覚め、その後は悶々。何か変な夢を細切れに見たりで、6時ころトイレに立ち、結局そのまま起きている。昨日は気持ちよく晴れたようだが、今朝はどうだろう、太陽はまだ昇ったばかりで気温も低めのようすだ。

今日であの夏の入院から200日目だ。夕べ寝る前の歯磨きの際、洗面所の鏡で自分の腹を横から見て、やはり恐ろしくなった。まるで本当に妊婦のようで、明らかに半年前よりも膨張している。あちこちのリンパ節、おそらく腫瘍だろうが、日によって場所は違えど、必ずどこかが常に痛む状態が続くようになってきた。半年前は脾臓の腫れが下腹部の膨満感を意識させていたのはあったが、それとて今ほどでなく、それ以外は全く自分がこのような重篤な病気であるという自覚を持てぬほどの状態だったが、今でははっきりと日々否応ナシに自覚させられている。
体表部の腫瘍の様子はというと、
・喉周辺はたくさんのリンパ節が喉仏あたりを囲むように存在している箇所だが、嚥下の際にほんの少し違和感があるのは、きっと細かい腫瘍があるためだろう。
・顎下のリンパ腫は親指大のまま大きさに変化はないが、日によってしこりの固さは変わる。
・頚部は右の頚動脈近辺に小豆大のものが一つ、これも痛みはなく大きさに変化もない。首は鎖骨周辺に出やすいようだが、自分の場合はない。
・腋下は入院前には右側にゴロリとした大きいものが触れたのが、なぜか今はない。というかあるのだろうが、ないに等しいほど触れない。だが左右とも、横になったりすると下になった方の腋は何かを挟んでいるような若干の違和感がある。だから奥の方にきっと腫瘍はあるのだと思う。
・鼠蹊部、これは左右の足の付け根に細かい小豆大から細長いものまでが散在している。ここは痛みは時折本当に軽くうずく程度のものがたまにある。大きさにはあまり変化なし。

日大病院のU先生の触診によれば、喉や首周辺は初診時より若干小さめ、腋下は明らかに縮小。鼠蹊はたまに大きくなったりと変化もしているが、こうした触診できる部分の腫瘍は全体にみて2cm以下のものばかりなので、若干の大きさの変化はあるが問題ないということ。
心配なのは触診できないところにあるものだ。俺の場合巨大化した脾臓を除くと最も大きいのは縦隔のものだが、これがもっとも痛みを伴うことが多い。ズキン、ズキンと心臓の脈動と連動して鈍く大きな痛みがあることが多い。この縦隔のリンパ腫は、大きくなると気道を圧迫したり、そうなると呼吸を妨げたり、ひどくなると肺に水が溜まったりするので厄介だそうだ。幸いこないだのレントゲンでは若干大きくなったように見えるが、それも誤差範囲内かも、というレベルだったし、気道圧迫もなくもちろん肺に水も溜まっていないということで、とりあえず今のところは安心だ。

そして最も問題なのが、脾臓である。
脾臓は巨大化し機能亢進が進むと、血液を取り込み正常な血球なども壊し続け、巨大化がさらに進む、そうしてその巨大化が更なる機能亢進を進め…という悪循環に陥り、患者は重篤な汎血球減少の症状に陥ることになる…と理解している。だが自分の場合は血液検査によると、去年の初夏の健康診断の数値から入院直前の変化が元も大きかったのだが、その後はずっと安定している。
白血球は低い数値で推移しているのだが、減少傾向にあるわけではない。赤血球や血小板も同じ。従って白血球、とりわけ好中球不足による免疫力低下も重大なところまでは進まず、一歩手前というギリギリのところで小さな増減で推移中。貧血も通常レベルよりは低値ながら、低値の中では正常に近いので、やはり深刻な状態ではない。血小板数も10万前後はキープしているから、これも同じような状態だと言える。その他肝臓や腎機能には全く問題はなく、むしろ普通の健康人よりもいいくらいだ。血液検査の項目でいえば注意しているのはLDHだが、これも220前後と高いながらも増加傾向にあるわけではなく、そのあたりを増減しつつ高値安定している。
これらの所見から、まあ今も「経過観察中」で無治療・自宅療養中なのだが、物理的に肥大していく脾臓を抱えていると、数値がどうというより、感覚的にそろそろ治療開始も近いのかも、と思う。もちろんそういうことは主治医の判断によるだろうが、そもそも9月の一旦退院という時点でも、あの段階で治療を始めてしまう医師の判断も「アリ」だったわけだから、今の段階でもいつ「入院して抗癌剤投与を始めましょう」となってもおかしくはないわけだ。

昨今、癌に対して手術、放射線、化学薬品に次ぐ「第四の治療法」としてさまざまな方法が登場しているが、ほとんどが非常に高額で(健康保険の適用外なため)、臨床の最前線ではまだまだ未確定なものとしてしか評価されていない。自分もいろいろとまあ浅学ながら勉強してみたが、コレだといものは見つからなかった。
保険制度改革で、小泉さんはこないだの国会答弁で「保健治療と保険外治療を混在させる混合治療を認めたお蔭で、患者の選択肢が増えて感謝されている」と得意げに語っていた。その政府の審議会のトップ(だったと思う)、オリックスの宮内さんは「金のない人は保険で、高い治療を受けたかったら家を売ってでも受けるだろう」というような「トンデモ発言」をなさっていた。つまり混合治療を認めたと大見得を切るということは、即ち医療格差を公に政府が認めたということにつながり、本来の保険制度による国民への平等な医療の供与という理想を切り捨て、金持ちはいい治療を受けられ、貧乏人は保険の範囲でのそれなりの治療しか受けられないということを認めたことになる…とまあこれは質問に立った共産党の見解。
選択肢は多い方がいいに決まっている。でも、金額の多寡とかいうことよりも、医療は常に患者一人一人の「個」の側に立って、その人の状態にあったケアを考えてあげるということも重要じゃないのか、と思う。貧乏だけど、もし本当にこの高額な治療を受ければ完治しますがどうしますか、と言われたら、死にたくなかったらそれこそ借金してでもその治療を受けると思う。だが借金さえ出来ない人も世の中にはいるのも事実。医師の側から「あんたはこうしなさい」「こうすべき」という高みに立った一方的な決め付けはすべきではないが、選択肢が多いことによる患者側の混乱は防がなければならない。医師は医療の専門家であるべきだからだ。自分の場合は幸い患者と医師の側が色々なことを相談しながら、方針を決めて行ける状態にある。そのこと…つまり患者の側もじゅうぶん納得して同じ方向を向けるということは、ありがたいことだ。なにしろ命、健康というかけがえのないものにそれこそ文字通り「直結」するのがこうした医療の現場の問題だ。
連れ合いの前の主治医は、そもそも医師の誤診で膵炎が悪化し、その結果でなった?型の糖尿で今苦しんでいるのに、まるで贅沢・不摂生から来たものであるかのように「生活習慣が悪いんじゃないか」と言い、右腎臓がその結果摘出となり、玉突きで肝臓の数値も悪化しているのを見て「酒飲んでんじゃないのぉ?」と平気で言った。その医者は今は別の病院へ移ったそうだけど、その先々で色々な人を傷つけているのだろうと思うと、はっきりと指摘してやった方が良かったのではないかと今は、思う。
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2006-03-02(Thu)

コンディションは最悪

3月2日(木)
今日も曇り。夕方あたりからソファで仰向けに寝てテレビを見ている間から、肋骨の一番下、ちょうど真ん中のあたりがズキズキと痛んでいた。胃のあたり全体がボーッと痛い感覚と、正中のあたりにそれより強い痛みがある。胃のあたりは恐らく脾臓に圧迫されているからだろう。正中の方は縦隔の腫瘍がうずいているのかも知れない。こないだは頭痛があったり、このところ痛みがどこかしらに出てくるようになって、嫌だなあと思いつつ12時ころ布団に入ったが、それからが痛みで眠れなかった。右を向いても左を向いても、仰向けになってもズキンズキンと胸と腹あたりが痛む。とにかく痛くて寝られない。何か変なものを食ったか、消化の悪いものでも食ってそれがつかえて痛むのか…前の時のようにそういう状況なら、吐いてしまえば治まる。そう思って1時間半ほどして起きてみるが、吐き気はこない。ならば下が詰まっているかとトイレで力んでみると、ほんの少し便が出た。
これで収まるかと思い布団に戻るが、全く治まらず、むしろ痛みは強くなり、耐えている間に脂汗が出てくる。隣で休んでいる連れに訴えたところでどうしようも出来ないし、おろおろと心配をさせるだけだ、なのでひたすら痛い痛いと思いつつ耐えているうちにうとうとしてしまう。が、また痛みで目が覚める。これは一体なんだ、寝る前にずっと胃の辺りの肋骨付近にあるしこりみたいなコロコロを何だろうと思ってずっと触ったり押したりしていたが、あれが実は腫瘍で、そのせいで痛みが出たのかとか、癌が今のところはおとなしくしていただけで、それが暴れだしたのかとか、マイナス思考でぐるぐるとこれからのこと…入院や抗癌剤治療なども含めて頭の中をさまざまなことが駆け巡る。何とかまだ家で過ごさせてください、せめて連れが無事に4月から大学へ通えるようになるまでは、と祈る。
しかし痛みは一向に治まらず、ウトウトしては痛みで目が覚め…を繰り返した後、今度は6時前にまた起きてトイレに入ってみるが、便は少しだけ。そのまま暗い中ソファに仰向けになってしばしじっとしているとウトウトしかけたので、チャンスとばかり布団に戻る。それから11時くらいまで、何度か目を覚ましたもののようやく寝られて、連れが起きた後、11時半近くなって起きる。痛みはほぼ消えており、一体これは何だったのだろうと思うが、正中か胃のあたりにホンの少し鈍い痛みが残っている。
病み上がりの連れに野菜スープをよそり、俺は自分のコーヒーを淹れる。パンは焼かずにバターを軽く塗って一枚だけ食べた。今日は胸や腹部の痛みより、なんともいえない頭部の不快感がある。頭痛というほどでもなし、首の後ろあたりがぶるぶるとした感じがあり、めまいというほどでもなし。ただとてつもなく不快なので、仕事があったが寝ているしかない。昼はそれでも野菜スープを作り足し、一杯だけ食べた。そうして何もせずに今日も夕方になった。ここ数日のコンディションは最悪。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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