2006-05-30(Tue)

5月分更新について

ええと、最近更新なくてすみません。
ていうか一ヶ月ってはええなああああ…と、オッサン実感しています。

実は連れ合いであるやまだ紫が今春から教授に就任した京都精華大学というところに、今月一緒に行ってきました。このあたりのことも含めて、いずれ5月分はまとめて時系列にアップしますので…。
で、当初3日ほどの滞在の予定が、やまだの入試説明会への出席が入り、5泊6日となりました。んで、やまだは去年秋から何度も京都へ出張しているものの、結局ホテルと大学の往復だけだったので、観光も全くしてなかったということで、じゃあ観光でもすっか、と。例によって祇園とか八坂神社とか金閣寺とか妙心寺とか、まあ行き倒したんですよ、そしたら去年入院、退院した後は病院や近所以外はほとんどヒッキーだったので、足が萎えてたんですな。そこへもってきて突然物凄い距離を歩いたので、足首と膝がガクガクになってしまったわけです。
東京へ帰ってきて次の日から、もう歩くのも痛くてキツく、さらになぜか両手の指もごわごわにこわばり、全ての指がつき指をしたかのような痛みがありました。以前、手首の付け根、外側の折曲がる部分にコブのようなものが出来たと報告をしましたが、それが両手に、また指の関節にも小さなものが出来てます。さらに、膝が痛くて正座はおろか胡坐もかけなかったんですが、これがよく見ると、膝の関節の上あたり、だから手でいえばちょうど手首のコブがあるあたり、つまり膝小僧のちょい上の両側に、やはりぷっくりとコブができている。これが痛みの原因だったわけです。
よく膝に水が溜まったとか言いますが、それとは違うみたいで、医者も病気と関係があるとは言わず、ないとも言わず、痛みがひどいようだったら、あるいは続くようなら整形外科で中の成分を調べてもらってとのこと。

というわけで歩くにもキーボード打つにも痛みと戦いながらなので、ちょっと更新も萎えていました。
このところちょっと良くなってきたので(というか慣れ?)、5月分、また更新しますのでよろしくです。

タミオさんご心配おかけしてすいません(#^.^#)。
まりさんや龍ちゃん、いつもいつも本当にありがとうございます。あなたたちの励ましがなかったら、世をスネて線路に置石とかするような人間になっていたかも知れません。というのは冗談ですが、ともすればダウナー系に落ち込みがちな気持ちを、あなたたちのコメントによって救われてきました。感謝します。
「ナンだ、癌だつうからすぐ死ぬのかと思ったらなかなか死なねえじゃん」と思ってる人たちも、そういわずにコメントなどしてくださいね(笑)。
すぐ死ぬかも=というのが=いつ死ぬかわからん=になっただけで、治ったわけではないんで、引き続き生きてる間にお話でもしましょう。
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2006-05-22(Mon)

「変化なし」続く

5月22日(月)
朝は8時前に携帯の目覚ましで起こされたが眠く、シマも一緒に寝ていたので布団から離れがたかったが、8時過ぎにようやく起きた。猛烈に眠かったが支度をして、出る。なかなか車が来なかったが、10分くらい待ってようやく来た空車に乗り込み、17号で行ってもらう。途中環七まで渋滞し、病院へ着くと9時10分、料金は3000円ちょい。すぐ内科受付から採血へ。採血の順番は64番。たまたま混んでるときに入ってしまい、15分くらい待たされ、今回は膵臓なども調べるということで試験管4本分の採血。いつもの倍である。終わると9時半をまわっていた。
病院一階にあるスタバでカフェラテのトールを買い、内科受付に連絡表を戻して、しらばく椅子で受付前で休んで飲み、診察予約時間の11時まで時間を潰そうと立ち上がる。膝が痛いので歩くのも辛いし、階段は手すりにつかまらないと辛い感じ。売店へ行きスポーツ新聞を買っていつものロビーの椅子へ行き、読む。ボンズが714号を打った記事がトップ。アメリカではステロイドに頼った記録だと、ルースに並んだといっても偉大さが違うという論調が多いようだ。反面、昔のように相手は先発完投ではないし、球種も今の方がケタ違いに多彩。さらにルースにはゲーリッグという「相棒」がいたが、ボンズは孤軍奮闘と、アスリートとして偉大なのは間違いないのだが、薬というケチがついたのは本人にとっても辛いことだろうな。
そんなこんなであっという間に11時前になったので、4番診察室前のソファへ移動。椅子には空きが目立ち、今日は予約以外の一般外来、つまり飛び込みの患者は少ないようだ。ほぼ時間通りに呼ばれて入ると、U先生は「血液の方は変わりないみたいですねー」とのこと。WBC1400と少ないが、中の構成は極めて正常。よって好中球数も半分以上、750くらいはあるので免疫の低下も懸念するほどではない。PLTも12万と、以前に比べればなぜか回復傾向にある。「お腹張りませんか?」というので、俺も笑いながら「実は食欲がけっこうよくって食べすぎるくらいなんで、最近体重も増えてきてるんですよ」と言うと、「それは…食べすぎということですか?」というので「そうです…ね」と言うと笑いながら「ならいいんですけどね、脾臓がそれだけ腫れてると、やっぱり心配ですからねえ」と言われる。体重が増えたといっても1〜2kgのことというと、なら大丈夫だと。こういう病気つまり癌の場合は食欲が落ち、むしろ体力や免疫力が低下していく方がよくない。
顎下や首周り、腋下、鼠蹊などのリンパ節も触診してもらうが、一番大きいのは右足付け根つまり鼠蹊部の縦長のもの。これは一番硬さもあり、ゴロゴロしたもの。免疫反応で腫れる場合は柔らかくぐにぐにするそうだが、こういう病気だと硬くゴロゴロした腫れ方をするというから、鼠蹊のリンパ腫は典型なのかも知れない。両顎下の二つの腫れは、人差し指大くらいのゴロゴロが硬くしこることもあれば、今日のように比較的小さくて軟かいこともある。大きさや硬さは日によって違うが、鼠蹊の腫瘍は硬くてだいたい大きさも長い方が2センチ前後とあまり変化はない。その他は変わりないか、腋下はむしろ縮小しているそうだ。うーん全体に見たら変化なしということだろうか。
で、京都を歩き回って両膝が腫れたことだが、最近季節がいいのでちょっと萎えた足を治そうと歩いてみた、そうしたらちょっと歩きすぎて膝が腫れたと申告する。すると膝を触って、「ああ、はっきりこれは腫れてますね!」とびっくりしていた。で、膝の皿の両側をグイっとおさえて「これは痛いですか」というので「いいえ、というか、普通にしている分には痛みはないんですが、例えば歩いたり階段を上り下りしたりすると痛いんですよ、あと正座は痛くて出来ないんです」というと「正座が出来ない…それはちょっと困りましたね、整形外科行ってみますか?」…俺は一応病気とは関係ないようだったら様子を見たいと話すと、じゃあ痛みが引かないとか増すようだったら、整形の外来に行きなさいということになる。
昔から、歩きすぎたりすると足の裏がプクーっと腫れて、水が溜まったりはよくしていた。それで膝に水が溜まったのだったら、安静にしていれば引くはず。先生も「しばらくあんまり歩いたりせず安静にして様子見てくださいね」と言う。で、次は一ヶ月後でもいいでしょうということになった。抹消血の所見に変化はなく、ここ数回のMARKでは癌に進行が見られたものの、抹消血にそれが出ていないということは大きく進行しているわけではないという判断だという。ホッと一安心だ。次回は6月19日ということで、胸の縦隔のリンパ節を見るレントゲンと採血をしましょうということ。20分ほどで診察室を出る。会計は2550円。
今日は本当に患者が少ない。重篤な状態ではなく、半分レクレーションで病院へ来る老人が、季節がよなると別なところへ行くからだろうか。病院を出てバス停くに行くと赤羽行きがいたので乗り込む。最初は赤羽まで行って買い物をしてタクシーで帰宅、と思っていたが、よく考えたら赤羽は広いから歩き回るので足を酷使するのが嫌だな、と思い、赤羽郷で降りる。12時くらいで、今日はうす曇りで時々日が射して気持ちがいい。ここは都営住宅のある小ぢんまりした商店街にマーケット、弁当屋、セブンイレブンがコンパクトに固まってるので好都合。まずマーケットでブロッコリー、レタス、こまごました食品を買い、ほかほか弁当でおろし鳥竜田揚げ弁当を買い、セブンイレブンで電話代と電気代を支払ってアイスを二つ買って出たところにタクシーが来たので、乗り込んで帰宅。すぐに弁当をもりもり、キムチと一緒に食べると滝の汗。その後は仕事、ソファでうとうと、夕飯はトーストと野菜スープ、メンチカツ。
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2006-05-20(Sat)

膝の関節に異常が…

5月20日(土)


9時前に起床、東京は28度になるという。一晩寝ても、ヒザや足首の関節が腫れ上がったように痛い。しかも実際に見てみると腫れているというよりは感覚として節くれだって関節内に違和感がある…という感じだ。これはどういうことか、本当に水でも溜まったのだろうか。これまでの手指や手首に時々あった違和感が、足首やヒザに強く出ているという感じ。半年の間ほとんど家にいて、突然ここ数日でけっこうな距離を歩いたので、疲労したのだろうと思っていたが、それにしては正座ができないとか、普通にソファに座っていてもヒザが曲がっていると痛いというのはおかしいと思うが。
昼ころに京都のホテルから送った荷物2つ、俺が近鉄の地下から送った服と漬物が届く。さっそく漬物を仕分けしてYちゃんちに送る荷造りなど。夕方取引先のKさんが急遽打ち合わせに来るという連絡があったので、ちょうど漬物もあるし、4時ころマンション前に車で来てくれることになった。
Kさんが到着し、家の前で車に乗ると「天気もいいし川っぺりでも行きませんか、気持ちがいいでしょうし」というのでそうですね、ということで車で荒川土手へ行き、車を停めて車内で打ち合わせ…をしていると、天気が激変。これまでの晴れて気持ちのいい陽気が一転、豪雨と風で真っ暗に。背後の埼玉方面から黒雲が押し寄せさらに低いところから灰色の煙のような雲が物凄い速さでこちらの頭上を覆ってきて、辺りは急に薄暗くなり、バケツをひっくり返したような雨になる。これほどまでの急激な天気の変化を生で見るのは珍しい。
夜は連れがじゃがいもと京都で買った乾燥しじみ、わかめで味噌汁を作ってくれ、ご飯と佃煮、乾燥ごまおかかのフリカケなどで美味しく食べた。
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2006-05-19(Fri)

京都六日目

5月19日(金) 京都六日目〜帰京
朝目が覚めると何と8時半。慌てて連れに声をかけ、二人で支度をして9時過ぎに下で朝食。9時を少しまわっても、俺たちのような客がいるせいか、朝食バイキングの時間はアバウトに延長されているようだったのはもう知っていた。例によって俺はお粥をしっかりと食べる。その後部屋に戻って荷造り。洗濯物、パジャマ、買ったおみやげ類は俺のカートにギッチリと詰め込んで、送ってもらうようにし、もうひとつの連れのデカバッグにもコマゴマしたものやおみやげを入れて、発送用。11時ギリギリまで部屋でごろごろテレビを見たりして、チェックアウトに降りる。
二つの荷物を自宅へ送ってもらうよう宛名を書き、代金を払って、俺のノートPCを入れた連れ合いのキャリーバッグだけを俺が引きつつ、出る。雨が降っており、荷物が少なくなって良かった。結局晴れたのは月曜だけだったか。駅前までまず歩き、北口の地下にあるコインロッカーにキャリーを入れる。今日は2時から連れが出席予定の入学説明会が南口のアヴァンティ8Fである。それまでに戻れるところでどこか行こうということで話し合うと、連れが今度は銀閣寺へ行きたいという。なので駅前のバス停を探して並んだが、20分ほど立っててもバスが来ず、俺らの後ろには長蛇の列。バスが来たところでギュウギュウに詰め込まれるだろうし、もういいやというので列を離れて、並んでいる時に正面に見えた「仁和寺・妙心寺方面」のバス停へ行く。4、5人しか並んでなく、そこへ並ぶと10分ほどでバスが来て、乗り込む。食事会の時に院生の子が「妙心寺の竜雲図はいいですよお」と言っていたので、見に行こうというわけ。
烏丸通は渋滞で手間取ったが、妙心寺北門前というバス停に40分ほどかかって、12時15分くらいに受付に到着。料金を払ってパンフレットを貰うと、係の女の人が12時半から案内があるので、それまで座敷にあがって庭を見るとかしておれというので、そのようにする。その時、座敷に上がって賽銭箱に100円を入れて、正座をして拝もうと思ったら、ヒザが痛くて正座が出来ないことに気付く。しょうがなく、おばちゃんみたいに横座りをしながら手を合わせた。それにしても退院後半年以上ほとんど長時間歩いたことはなく、足が萎えていたところに、ここ数日で物凄い距離を歩いたことになるわけだ。とうとう膝に水が溜まったのかと思い、心配になる。そうこうしていると12時半になり、係の女性が皆に声をかけ、隣の法堂を開けてくれた。
そこの天井一面が1656年狩野探幽作による雲龍図である。物凄い迫力で、見上げる首が痛くなる。他の客は一般客が俺らを入れて7〜8人で、あとは5、6人の中学生グループが総勢で30人ほど。中学生はそれらが一つの団体ではなかったので、比較的静かにちゃんと見ていた。法堂を支える柱は富士山麓から切り出し船で運び、淀川から陸揚げして洛中は陸路、牛で運んだという。その際京の町の角を曲がる際、家々を破壊せぬよう一度立ち退きさせて丸太を通した後に再建させたというから豪快だ。そのためにその道が丸太町となった…とか。ほお、と感心。
それから今は現役引退をした鐘を見てCD再生で迫力の音を聞かせてもらい、外に出て明智風呂を見せてもらう。こちらは昔のサウナ式の蒸し風呂で、今見ても明智光秀の逸話に特に思いいれが無ければふーん、という程度のもの。一人で見に来ていたおばちゃんんが誰に言うとはなしに、「小さいお風呂釜なのねえ」と、五右衛門風呂のような釜を見て言っていたが、それは湯を沸かして蒸気を送るためのものです。
係の人にいろいろ説明を受けているうちに1時になってしまったので、途中で慌てて外に出る。南門前にはタクシーがいたので乗り込み、駅まで行ってもらう。アヴァンティは南口だからダイレクトに行ってもらえば良かったのだが、連れが北でいいとなぜか言い張るのでそうする。降りてご飯を食べようとするが、伊勢丹の地下に入ってしまい、何もなく、出たところにある喫茶店みたいなところへ入る。俺はオムライスのスープセットで、連れはパンケーキとアイスティ。食べ終わると2時。早足で駅の反対側へ行く道を探すが解らず、駅の案内係に聞くと、エスカレータを登ってすぐ左へ折れて、反対側へ降りろというのでそうする。全くスムースに行き来できない不便な駅にしたものだ。だいたい新幹線からの導線も悪すぎる。
何とか息切れしつつアバンティの1階へたどり着き、10分遅れくらいで連れをエレベータに乗せて、ホッと一息つくが、俺もさすがにフラフラ、足もガクガクだ。もう歩くのもキツかったが、とりあえずこれから6時まで時間を潰さねばならない。連れは早く帰れるようなら切り上げて出てくるというが、それじゃあ余計にいつ終わるのかが解らない分、遠くへは行けないわけだ。行くつもりもないが。それにこの雨だし、足も痛いのでどうしようかとしばし思案。最初は東寺でも見ようと思っていたが、この足ではもう無理だ。とりあえずシャツでも見ようと、アヴァンティの案内板を見て、2階のユニクロや服屋を見て時間を潰す。ユニクロでTシャツ別な店で、和テイストのアロハ何枚か買う。ていうか、旅先でこんなもん買うなよとセルフ突っ込み。荷物が重くなるだけだ。
とりあえず地下まで降りて、アバンティからそのまま地下道をゆっくり歩いて駅の反対側の地下へ出て、コインロッカーからキャリーを出す。よく考えたら、アバンティは南口だし、帰りの新幹線の改札も南側。何も遠い北口のコインロッカーに入れとくバカはいるまいと思い、移動させることにしたのだ。その場で黄色のジージャンをアロハの袋に畳んで入れて、買ったアロハに着替える。ジージャンではもう蒸し暑かったのだ。そして出したキャリーと傘と服の袋を持って、ゴロゴロと押しながら駅の南口へもう一度向かう。
駅の反対側へ出るために係に聞いた、西側にあるエスカレータと対称部分、つまり東側に延びるエスカレータが近くにあったので、それに乗る。正面から見ると左右対称方向へエスカレータが伸びており、片方が反対側へ出られたのだから、もう片方も出られるだろうという当然の思い込みである。ところが途中で降りて予想では南口へ向かうべき部分には何もなく、あるのはさらに上へ延びるエスカレータ。こちら側は造りが違ってるのかと思い、エスカレータをさらに上へ上がる。するとまた上へ行くだけ、さらに上へ…と、途中屋根がなく雨が降るので傘をさしたりしつつ、かなり高いところまでエスカレータで登る。こんな高さまでエスカレータで来たのは初めてだ。もういい加減駅の反対側へ通じる箇所があるだろうと思ったら、屋上広間があったり、高い位置を線路と平行に走る通路「天空の通路」があったりで、面白いけど結局反対側へは出られないようになっていた。何だよ京都駅、この構造。
天空の道から京都タワーをパチリ。
通路はビルでいうと11階とか、かなり高いところをガラス張りで走っており、高所恐怖症の人は足がすくむだろう。ていうか、ここへ来るまでのエスカレータで金玉が縮み上がると思う。俺は平気だったので、疲れたのもあり、京都タワーの向かいから携帯で写真をパチリ。通路には面白がって入ってくる観光客はほとんどおらず、子供を連れた母親がただ単に「通る」という目的のためだけに黙々と歩いているのと、途中途中にタワー側へ少し張り出している展望スペースに外人と日本人女性がイチャつこうと思ったら俺が来たのでシラケたり、という情景に出くわしつつ、伊勢丹の上に入る。そこは全国のラーメン店街みたいになっていて、賑わっていた。どちらかというと寂しい風情だったこれまでの道から異空間に来た感じ…と思ったが、よく考えたらこれまでの驚異的な高さへのエスカレータ、天空の道が異空間なのであり、普通のデパートの中つまり日常へ戻ったのである。このあたりでもう膝や足首が痛いし、カートを引いたり持ち上げたり、傘と服の袋も持っているので、両手も痛い。汗だくでもある。どっかで休みたいなあと思い、エレベータで下まで降りて、今度は地上より上ではその一箇所しか駅をまたいで南側へは行けない、伊勢丹でいうと3階の部分から駅に出て、無事に南口へ出た。
キャリーがあるので階段ではなく、下へはエレベータを使ったが、1階で扉が開くと目の前は修学旅行の中坊の団体がひしめいている。俺に気付いた引率の教師が「ほらほら、ここエレベータの出口だから場所ふさがない!」と中坊どもを手でよける動作をしてくれたが、邪魔なものは邪魔。妙心寺でも中坊たちは明らかに妙心寺をピンポイントで見に来たのではなく、相乗りしたタクシーの運転手に任せたら連れて来られたという風情で、説明待ちの間は口々に「眠い」とか「だるい」とか「腹減った」とかブツブツ言っていた。もうこういう修学旅行なんかやめたらよろしい。俺も中坊時代の修学旅行で強制的に「見せられたもの」はほとんど印象に残ってないし、高校時代の京都も駆け足で周らされた慌しさくらいしか印象にない。自分の意思で神社仏閣、日本古来の文化に触れたい、見たいと思ったとき、自分の金で来たらよろしい。無理やり見せても心には何も残らないだろうに。妙心寺の見所は雲竜の図だけではなく、その広大な敷地の伽藍でもあり、静謐なそれらに囲まれた通路、つまり空間そのものなのだが、中坊たちは男3女3のグループで明らかに好きな子同士が意識しつつ、全く見事に周りに何の興味も示さず、お互いに軽口を言い合い、照れたり「やだぁ○○クンたらぁ」とか言いながら歩いていた。そういうものだよ、中坊時代ってもんは。神社仏閣や日本の歴史や文化に興味を持つ方が珍しい。

さてへとへとになり、連れのキャリーと買った服の袋を持って、「祭り時計」とかいう時計と待ち合わせスペースのあるところに来ると、コインロッカーがあったのでそこへキャリーを入れ直す。アバンティのちょうど真正面になる位置だ。そうしてとにかく座ろう、もう足がいけないと思って見回すとジョナサンがあったので、そこへフラフラと歩いて入る。ソフトクリームソーダを頼み、席に座ってぐったり。ここで服をコンビニで発送してしまおうと携帯でコンビニを探すが、駅周辺には一軒の表示もない。ということはまた反対側へ戻って、泊まってたホテル隣のセブンイレブン行かないと送れないのかよと思い、ガックリ。そこで小一時間ほど時間を潰し、多少足の疲れも取れたので外へ出ると、なんとバケツをひっくり返したような豪雨で、しばし呆然。しかし呆然と立ってるわけにも行かないので、傘をさして竹田街道を渡り、アヴァンティの地下へ。そこから駅の下のみやげ物店街へ、服を入れたビニール袋は持つところが伸びてきて細くなり、手指に食い込んで痛い、なのでデカい紙袋を買って服の袋を入れる。どこか宅急便出すところはないかと歩き回るがそれらしいところはなく、結局袋を下げたまま、また反対口へ地下を通って出て、地上へエレベータで上がり、駅前の京都タワー前の交差点まで来るともうまた汗だくで足はふらふら。近鉄の地下で取引先の人あての漬物を買い、おばちゃんに服の袋と一緒に送ってもらえないかというとあっさり快諾されたので、最初からどっかのみやげ物屋でそうしてもらえば良かったとつくづくガックリくるわ、安心したわでへなへな。代金と送料を払って宛名を自宅宛に書いて渡し、ようやく荷物はショルダーバッグと傘だけになった。
だが遅すぎたか、もう下半身全ての関節が痛い痛い。そうしてまた駅の反対側へ出ようと、西側のエスカレータを上がって途中で降りて通路を通り、エレベータで1階へ。エレベータを出るとまた中坊の山。今度はさっきの中坊の団体とは違う団体で、教師もいないので無法地帯。どけどけ! という感じで掻き分けて進み、コインロッカー前の祭り時計の腰掛に腰を下ろす。すると連れから「4時には帰れるって」とメールがあり、時間を見ると4時半、5時の間違いかと思い、しかしどうすることも出来ず、思案する。しかしそこは椅子というよりはずっと座ってるには痛い金属の筒状のものなので、すぐに腰を上げて、アヴァンティへ戻る。
2階のユニクロのところにベンチがあったなと思い、そこまで行ってどっかりと座る。もうへとへとだ。20分ほどボーッと座っていたがすることもないので、とりあえず下に降りると、5時ころに電話で「もう帰ってもいいみたい」というので、コインロッカーの前で待ち合わせることにして、無事合流。
新幹線は5時半のがあったので切符を買い、弁当を買って、ホームへ。新幹線は名古屋までは快適だったが、3人掛けの通路側1つ空いていたところに結婚式帰りと思しき男の団体の一人がドカッと来て、こいつがデカいデカい。窮屈だったがしょうがないので我慢する。東京からは京浜東北線で赤羽まで、この電車の中立っていたのが辛かった。赤羽で降りてタクシーで9時前に帰宅。それにしても疲れてへとへと。ここまで意地になって京都歩き回らなくても、というくらい歩いた。別にこれが「最後」じゃないだろうに…。
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2006-05-18(Thu)

京都五日目

5月18日(木) 京都五日目
朝ホテルで毎度同じお粥の朝食とコーヒー。いやうまいんだな、こんなモンでも。東京の某ビジネスホテルで食った朝のバイキングはクソまずかったもんだが。いつもなら連れが授業のある週は、昨日(水曜)で終わりで夜に帰京しているところ。今週は急遽、金曜に大学の入学説明会が入り、選任である連れは出席するために、延泊となったのだ。したがって今日はすっぽりと空いたフリーの日となった。夕方、小川先生が俺が講義をしたお礼に食事会をしましょうと言ってくれたので、6時自在館へ集合するまでは自由。これまで京都に何度も来ていながら、大学とホテルの往復だけだった連れは「観光でもしよう」と張り切っている。留守に猫たちへご飯をあげたりしてくれている、次女のYちゃんへのおみやげも買わないとなあ、あとお姉さんに頼まれていた佃煮もあるしなあ、ということで、まずはタクシーで11時前に八坂神社へ出かける。
神社にお参りをし、お姉さんが言っていたうまいという佃煮屋を探そうとするが、京都のガイド本によれば、八坂神社の南門を出たすぐの「やよい」という店がうまいという。お姉さんの言ってた店名は違ったということは覚えているものの、肝心の店名は思い出せないので、ここでいいよと行ってみると、なかなか趣のある店がまえ。試食した山椒とじゃこの佃煮も美味、しいたけもすこぶる美味、これにしようと詰め合わせを3つ、連れ合いのお母さんとお姉さん用に発送してもらい、わが家の分は持ち帰る。
その後骨董屋を冷やかし、四条通りをぷらぷら歩き、石屋を見るとなかなか凄い品揃えなので、二人で目を見張る。高い宝石や鉱石、水晶などが並ぶ中、緑色の細かい結晶が5,6センチ角の岩にびっしりついている様がまるで自然のコケのようで美しく、6000円とあったので思わず買ってしまった。連れの研究室が殺風景だったので、飾りにあげることにする。
その後つらつら歩いて新京極から錦小路へ出る。両側の店をじっくり見ながら歩く。途中、乾物店で珍しい乾燥しじみを見ていると、試食させてくれた。これがまたサクサクとうまかったし、おつゆにもなればしじみご飯もすぐできるよ、というので一袋買う。するとついでにこれも食べてってと、手のひらにごまとおかかのふりかけをくれたので食べると、コレがまたサクサクとすこぶる美味。いったん帰りかえるが、どう考えてもあれは美味いな、というので引き返して一袋買った。それから漬物店を見てYちゃんに頼まれていた漬物類と、うち用のたけのこのわさび漬け、連れが好きな奈良漬を買う。これらは連れが持ってきた大袋に詰め込んで、俺がかつぐ。
そうこうしてるうちにお昼になって腹も空いたので、「もちつき屋」という店に入る。俺はうどんと赤飯のセット、連れはまだ空いてないというので、白玉あんみつみたいなやつにした。出てきたうどんがこれがまたダシの味が絶妙で、うどんも美味。具で乗っているもちは焼きたての丸餅で、軽くついた焦げ目が香ばしい。その他のネギもあげ玉もワカメも必要にして十分で、何もかもが美味。またまた東京のメシが本当にイヤになる。東京では知らないところで外食となると、「外れたらどうしよう」という心配がつきまとうものだが、関西はまずそれがないのが嬉しい。ちなみにこの「もちつき屋」はけっこう有名なお店だったようだ。
満足した後も錦小路を新京極とは反対側の端っこまで歩く。大丸の裏に出たので、研究室のテーブルを囲む椅子が硬く、座布団かクッションがいるなあというので、大丸へ入ってみるが、けっこう高い。それにもうほとんど烏丸通手前まで歩いたわけでへとへとになったので、一旦タクシーでホテルに戻る。
だが大学での食事会というのは6時に研究室集合で、まだ時間的にはずいぶんある。じゃあ俺がいる間になるべく研究室の環境を整えてしまいたいと俺から言い、どこかホームセンターかスーパーみたいなところへ行こうということにして、再び出る。クッションやついたてを売ってるところはないかと、京都駅前から乗ったタクシーの運ちゃんに聞くと、運ちゃんは「わからない」と言って電話で会社にも聞いてくれる。だが結局そういうところはホームセンターの「コーナン」というところぐらいだと言い、連れはコーナンは前に小川先生に車で連れてってもらった時に見たが、本当にDIYの店で、そういうものがある店じゃないというので、困ったなあというと、駅の南側のアバンティならあるかもという。もうしょうがないのでそこでいいと、アバンティへつけてもらう。しかしそこは若い人向けのファッションの店。ただ2階にオモチャみたいなものやおもしろグッズの店があったので見てみると、カッコいいゴミ箱と柄の長いプラのほうきとちりとりセットがあったのでそれらを買う。
それらをぶら下げて、あとどうしようと言うので、俺はもう疲れたからとにかく教授室へ行っちゃって、お茶も飲めるようになったし、ソファでぐったりしてようと言うが、6時まで3時間くらいあるからイヤだという。じゃあどっか行くかと言うと、「金閣寺行こう」と言う。「金閣寺ィ?」と驚いたが、俺も昔何かで一度見たきりで記憶もないので、デカい荷物を持ったまま地下をくぐってヒイコラ京都駅の反対側へ出て、駅前の市バスターミナルの案内所で「金閣寺は」と聞くと何番からで220円というので切符を買い、バスで金閣寺まで出かけた。
雨中の金閣。月並みながら荘厳である
金閣寺に至る寺の門の前に着くと、修学旅行の中学生たちで溢れている。邪魔くせえ。とにかく参道を歩き、入場料を払って入って歩くとしばらくして、池とあの金閣が姿を現す。テレビや雑誌で見るのと現実とは大違いで、画面では安っぽいというか成金趣味みたいにギラついた印象だったのが、荘厳というか、綺麗だと素直に感動。ところが何とこのあたりでボロボロと大粒の雨になり、足早に金閣の周りを歩き、後半はほとんど早足で茶屋まで行き、避難。500円ずつ払って抹茶とお菓子をご馳走になる。ここでホッと一息、この菓子がうまかったので外のみやげ店で1つ買う。
その後タクシーで直接国際会館まで行き、連れが前に行ったのとは別の、駅前すぐの岩倉川沿いにあるコーナンホームセンターへいく。だが結局ここもやっぱりDIYの店で、ソファといったら車の椅子に敷く、タクシーの運ちゃんが使うようなシート型のしかない。結局教授室のドア止めを買って出て、駅前からタクシーで大学の自在館の横につけてもらう。雨は小降りというかほとんどあがっていた。俺らが金閣寺にいた時が一番降ってたと思う…。
連れは出席簿に出席カードを書き写したり、ケトルで沸かした湯で紅茶、俺はコーヒーなど飲んだりして6時過ぎまで時間潰してると、部屋の前で学部長の牧野先生が院生らしき女の子に「じゃあその子らはレアタへ先に行ってもらって、君はやまだ先生たちをご案内して…」と言ってるのが聞こえた。先日はご挨拶し忘れたので、外に出て挨拶。ここで初めて牧野先生と名刺交換をしてご挨拶を交わすことが出来た。その後先導してくれるはずの、中国からの留学生だという院生の子より先に牧野先生が歩いて案内してくれるというので、結局4人で外へ出る。
この大学の敷地内には孔雀がいるというので驚いていると、孔雀の前を通って行きましょうというので、檻の前を通り、雌雄2羽ずつの孔雀の檻を見たり、水のステージがある野外劇場などを見て、線路を越えて「レアタ」という学生食堂…といっても外部の人もお金を払えば飲食できる施設へ。ここでは院生の子やカートゥーンの子らもいて、学生は全部女の子。先生は牧野、やまだと俺だけ。総勢15、16人くらいか。俺は今日の食事会は、小川先生が声をかけてくださって先生がたが3,4人程度の集まりであると勝手に了解していたので、学生さんたちもこんなに参加してくれるとは思わず、びっくり。(小川先生はご不幸があり、急遽欠席となった)
7時ころから瓶ビールやウーロン茶、チューハイなどで乾杯。牧野先生は自分とマンガ界、社会史みたいなのをクロスさせた自分史みたいな年表を配ってその話をしたりの枕の後は、もう無礼講。俺はビールで連れはずっとウーロン茶だった。途中から吉村さんという、カートゥーン学科の先生で、学生らに今まさしくガロを読ませているという先生が合流した。飲み会は9時ころまで、そこは牧野先生にご馳走になってしまい、そのまま俺たちはタクシーで国際会館、地下鉄経由でホテルまで戻り、10時着。その後は11時過ぎには寝た。
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2006-05-17(Wed)

京都四日目

5月17日(水) 京都四日目
夜中は2時ころに目が覚め、その後はうとうと・悶々と寝たのか寝てないのかよくわからぬまま、朝5時ころ連れがトイレに立ったので起こされる。その後8時過ぎまではなぜかよく寝られたが、8時過ぎにハッと起きる。連れを見ると薄目をあけていたので「9時までに下行かないとご飯食えないよ」と言うと「朝は今日はいい、何か買ってって学校で食べる」というので、そうかと一旦そのまま転がるが、俺の方は腹が減っていたので、8時40分ころ一人でホテルの下へ行く。またお粥、ソーセージ2本、スクランブルエッグ少々、ひじき少々、梅干、シャケの切り身小ひとつで朝食。何かこのパターン飽きそうなもんだが、これがまた朝は美味いんだよなあと思いつつ食べて、食後のコーヒーを持って部屋に戻る。コーヒー飲みつつ連れの支度を待って、10時半過ぎに出かける。
近鉄の一階へ行き、連れはシャツを一枚買いたいというので、物色。だがデパートに入っているGAPは若向けのものしかなく、コムデはひらひら付きのなどで決め手がなくうろうろしていたら、輸入品の安売りだとかのワゴンコーナーがあったので、そこを見るとよさそうなのがあり、2枚ほど買った。その後連れの昼食にいつもの無印良品のパン店でテイクアウトし、こないだコップやソーサーなどを買ったしゃれた小物やインテリアの店へ行き、テーブルクロスやテーブル上の小物をちょっと買って烏丸通りへ出る。そこで連れが「今日は朝から教授会だった!」と思い出したが、時すでに遅し。会議は10時40分からで、もうこの時点で11時をまわっていた。そのまま地下鉄で国際会館・タクシーで大学へ向かう。連れは一応顔を出してみると言って本館前で先に降り、俺は自在館横まで乗っけてもらい、荷物を持って降りる。3階へ階段をエッチラ上っていくと、膝や足首が痛い。ジジイか俺はと思いつつドアを引くが、ドアが開かない。腕まで萎えたかと一瞬思ったが、鍵がかかっていたのだ(笑)。あらら、表の入り口まで廻るのは嫌だなあと思ってると、中に女子学生が一人マンガを読んでいるのが見える。その子がこちらを見たので手を振ってドアをノックすると近寄ってきて開けてくれたので、助かった。
その後研究室に荷物を置いて、殺風景なままだったミーティングテーブルにクロスを敷いて、上もボックスを置いて飲み物のパックを入れたり、整理する。これであとはソファとケトルがくればちょっとは快適になるだろう。そうこうしていると連れが本館から戻ってきて、会議は最後の方ちょっとだけ間に合ったと言って書類をもらってきた。その後テーブルで二人でちょっとパンを食べたりしていると、今日の相方である佐川さん(June編集長)が入ってきて、挨拶もそこそこに今日の打ち合わせ…と思ったら、誰かに呼ばれ、佐川さんが連れも呼んで、二人ともバタバタと出て行き、そのまま戻らずに1時のチャイムが鳴った。連れがその後戻ってきて、あわただしくそのまま授業へ出ると行ってとって返していった。
その後しばらくすると、運送屋のおじさんが「やまだ先生のお部屋はこちらですか、荷物があるんですが」と入ってくる。頼んであったソファだな、と思い配達証に受領印を押すと、「こちらまで運ぶんですか」と言うので当たり前だと思ったが「すいません、ここ離れられないんでお願いします」と言うと、引き返して行った。舌打ちでもしそうなそぶりである。十分ほどして心配になったころ、ようやく運送屋が院生の女の子の先導で、台車に巨大な段ボール箱を2つ乗っけて運んできた。1m立方以上ある巨大な箱が2つ。運ちゃん「もう1つありますから」と引き返して行き、呆然としているとそれらの半分くらいの箱をまた1つ置いて、「おおきに、ありがとさんでした」と言って帰ってしまった。
しょうがないので一人でまず箱の一つをカッターで開けるが、とても中のソファを持ち上げられるものではない。以前なら楽勝だが、腕の筋肉も腹筋も萎えている。なので開けた方を下にエッチラと回転させ、箱の方を引き上げる形でソファを取り出す。今度はそれを天地ひっくりかえし、ビニールを剥ぎ、左右を確認して安置し、背もたれがセパレートになっているのをはめ込む。1つ目は力が要ったものの作業自体は割合にスムースに運び、真ん中の背もたれを倒すとテーブルになる部分も何とか安置、そして左側、入り口側の2つ目のソファも同じ方法で取り出して安置するが、背もたれがなかなかかみ合わず、この時点で汗がボタボタとしたたり落ちる按配。何とかこれもはめ込み、へっとへとになりつつも、今度は巨大な段ボールの空き箱と、ソファの四方に充ててあった緩衝材のスポンジシートなどを片付けねばならない。ここまでやっていると連れが何かを取りに来て、「ソファ来たの? 凄いね!」とびっくりしている。これらのゴミの始末は学生さんにやってもらえばと言うが、この状態で院生を呼んで「片付けろ」と言うのはある種暴力だろう。連れが教室へ戻った後、段ボールの大箱をカッターで二つに解体し、たたんで一枚ずつ重ねていく。それを大箱二つ分と小箱一つ、終わるとまた滝のような汗が出る。それから今度は緩衝材のこれまた大きなスポンジシートを畳んで燃えないゴミ袋に入れるが、とても全部は入らず、大箱2つ分のシートは2つのロールに束ねてテープで縛った。ここまで終えて、とりあえずゴミは隅に寄せて、テーブルを元に戻す。
ソファはリクライニングというか、左右のソファそれぞれ、側面にある金属製フックを引くと足のせが自動的に持ち上がる仕組みになっている。試しにグイとフックを引いてみると、グイン! と足載せが持ち上がってアッという間にオットマンに早変わり。これはいいと思って元に戻そうとするが、元には自動的に戻らない。ということはつまり、自分の足力でエイヤと力を入れて元の状態に足載せを引っ込めねばならないのだ。これはかなりの力を要し、連れの力ならかなりキツいだろう。俺でも腹筋と大腿筋が弾けそうになるほどだ。それでもまあ頼んでしまったものはしょうがないし、これはこれで悪くはないぞと思い直して休んでいると、連れが休憩で戻ってきた。
組みあがって設置されたソファに座り、足乗せを出して「おお!」と嬉しそうな顔をしていた。だが自力で戻す旨伝えると、かなり大変そうだったが最後は足で蹴るようにして押し込んで「大丈夫大丈夫」と言っていた。あとアマゾンのサイトでこないだ注文したティファールの電気ケトルがもう今日の朝配達済であると表示されていたので、連れに荷物はどこに保管されてるのか聞くと、本館手前の左にある守衛の詰め所だという。一応内線で確認すると届いているというので、俺が取りに行くことにする。これも院生に頼んで持ってきてもらえばと言われるが、雨も降ってるしいいよと言って出る。その間、段ボール箱とスポンジシート類はさすがに一人では運べないので、院生に台車を持ってきて片付けてもらうように頼むことにし、俺は外に出る。出ると雨がけっこうざあざあと降っていたので、3階にとって返して傘を持ち、実習室を突っ切ってエレベータで降りる。そのまま坂を降りて守衛室へ歩き、荷物を確認するとアマゾンの箱1つ、大きさの割りに軽かったので受け取って引き返す。研究室に戻ると連れは授業に出ており、院生の女の子二人がちょうど台車に段ボールを畳んだのと、スポンジシートをテープで結束したのをえっちら載せているところ。「ごめんね、雨降ってるから明日でいいって言ったんだけど」と声をかけると、院生は「いえ、どうせもうここまでやってしまいましたので」と男ぽい口調でテキパキと話して運んで行ったので助かった。
その後守衛室から持ってきたティファールのケトルを取り出して中を洗い、テーブルに設置。さっそく湯を500ccほど入れて沸かしてみる。段ボールは畳んでロッカーの上に載せ、中の緩衝材に入れてあった紙のくしゃくしゃを綺麗に伸ばして畳んで可燃ゴミの箱に入れ、手を洗ってふうと言うともう湯が沸いたところでびっくり。早いなあ。さっそくホテルから毎日シコシコ持ち出して溜め込んでいたティーバッグのコーヒー(変な言い回しだが)を湯で出して、飲む。うまい、ホッと一息。そうしているうちにもう3時半だ。ここまでを学校のノートで記録し、あとはホテルで付け足すことにして、メールで転送しておく。その後授業が終わる6時までネットサーフィンしたり音楽を聴いたりして時間を潰し、途中小川先生が来て明日は6時にここへ集合して、食事会をしましょうということになる。
6時過ぎに連れが授業を終えて戻ってきたので、出欠をつけている間ケトルで湯を沸かして紅茶を入れる。全部終わって研究室を出ると暗くなっていて、雨の中本館へ戻ってタクシーを呼ぶ。しかし雨のせいなのか、20分くらい待たされてようやく来た。雨なので外のベンチにも座れず立ちぱなしだったので、足がもうがくがくに疲れた。ここ数日で、もう足首、膝、足の付け根の関節部分が痛みだしている。まずいなあ。国際会館から地下鉄でまた四条へ出て、雨の中地上をうろうろするのも疲れるので、いつも地上に上がる階段の途中にある地下街にある、和風飲み屋の前で店員が「どうぞ〜、掘りごたつもありますから」という声に誘われて、メニューに足を止めると、うまそうだったので入ってみる。掘りごたつの席に通され、俺は生ビール、連れは暖かいお茶。牛タタキの梅肉ソース、豆腐と湯葉のサラダ、風呂吹き大根味噌+三種、ピザの青海苔風、ジャガバターの岩塩風などを頼むが、どれもこれも美味でびっくり、ていうか関西は金取るんだから美味いのは当り前、美味いのが「デフォルト」なのだ。その上でサービスとか店の雰囲気とか値段とかメニューの多彩さや個性になるってわけ。いやはやピザは外側のフチまで上質なフランスパンのようなおいしさ、これは生地を絶対店で作っているという証拠。二人とも堪能して、会計は4950円。や、安い。俺は生ビール2杯しか飲まなかったが、それにしてもこの安さと美味しさにすっかり満足して、地上に出て雨がザーザー振る中タクシーもすぐ来て、ホテルとなりのセブンイレブンへ東洞院通りを一本道でスイーッと下れば、初乗り560円で済んだ、本当につくづく東京に住んでるのがイヤになる。買い物もせず、カフェラテのトールとショートをテイクアウトして部屋に戻ると8時半前。

京都もそうだが、以前は大阪に出張や取材で何度もでかけた。そのたび、「フリでふらりと入った店」全てに外れがなく、驚いたものである。関西は味にはシビアだ。人様から金とって食わせるんだから、うまくいのが当り前という考え方が、出す方にも客にも浸透している。なぜ、東京にはそれがないのだろう。江戸っ子はそれなりに味にはうるさかったはずではないか。(もっとも関西人に言わせると違うそうだが)東京生まれで三代以上続く江戸っ子の連れ合いに聞くと、東京は純粋な江戸っ子は地価高騰や再開発などでスプロールされてしまって、ほとんど東京に住んでないか、住んでる人も数が経っていて、入れ違いに入って来るのは地方出身ばかりだという。そういう人たちは多少味がまずいとかサービスが悪いとか思っても、東京とはそういうものかと何も言わない。店の側も、毎年いくらでも地方から客は流入してくるので、それにアグラをかいて精進しようとしない。精進して本気でいいものを出そうという気概のある店は少ない。あとはそれなり以上の金を取るよほどの高級店くらいしかなく、マスコミがちやほやもてはやす店のほとんどは、関西で普通に営業している名もない店の味にさえ適わないのだ。
まあそうは言っても、水や空気が違えば、当然それで炊く飯も、とるダシも、それで作る料理も違ってくる。東京は地価もクソ高いから、同じ値段で料理を出そうと思えばネタを下げるしかあるまい。いずれにせよ、少なくとも「食」という面では東京は関西に全く太刀打ちできず、完敗であると断言していい。これは何度も何度も両方を食べ比べた者の実感である。
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2006-05-16(Tue)

京都三日目

5月16日(火) 京都三日目
朝方5時前から外の騒音で目が覚めてしまい、6時には俺だけ先に起きる。暗い部屋で前日の日記をつけていると7時半になり、なぜかベッドのアラームが鳴った。間違えてボタンを押してしまっていたらしい。その後ノートPCを閉じてしばらくベッドに戻るが、連れが起きたようなのでカーテンを開けた。曇天で、雨が降っているのか降っていないのか、目視ではちょっと不明というくらいの天気。8時半すぎに二人で1階のカフェへ降りて、俺は粥を掬おうとすると、何と二掻きくらいで卵粥が品切れ。時間からいって(9時でバイキングは終了)継ぎ足しはないのだろう、しょうがないので残りはソーセージ2本、スクランブルエッグ少々、ひじきと梅干など。俺の後ろのサラリーマンの出張という風情のおっさんは粥が食いたかったらしく、俺が最後の粥を掬うのを後ろで見て、小さくため息をついてからパンを取った。悪いねえ。食後はコーヒーを飲み、いったん部屋へ戻る。
そこでテレビを見るが、10時前になったので、俺だけソフマップへUSBと電源コードの延長を買うから、と一人で出る。教授室に設置したピクサスとノートPCを結ぶUSBケーブルも長さが足りないし、プリンタと電源を結ぶコードも足りなかったので、これは俺がいるうちにやっとくしかないな、と。
外に出ると雨がポツポツ、という感じ。近鉄の入り口に着くとまだ10時の開店まで10分近くあったので、しばらくそのドアの前で待つ。しかし10時になっても一向に開かないので立て看板をよく見ると、その出口は開くまで時間がかかるのでお急ぎの方は両側へ行けとある。何でそういうことになってるのか意味不明。いっぺんに開けりゃあいいじゃん、と思いつつも烏丸通と反対側の端の入り口へ行くと、なるほどもう開いている。変なデパート。エレベータで6階のソフマップへ行くと、これがかなり広い。ほとんどワンフロアがソフマップ。いいのかこんなマニアックな店がワンフロアで。家電ではなくDOS/V自作パーツ類からサプライ、ノートPCまでを揃えるショップだ。こちらにとってはうってつけだが。
そこでUSBケーブルの延長コードと5m分の長いOAタップ、それらのケーブルを内包して壁をつたわせるフラットモールという両面テープ付1mちょいくらいのやつを買う。それから売り場を物色、プリンタ用の一番消耗すると思しき黒インクカートリッジも買う。さらにレジ前のワゴンにあった液晶専用のウェットティッシュ状のクリーナーも買う。それらを買って下に降り、今度は昨日行った京都タワー2階のダイソーへ。そこで昨日買い足りなかったもの、洗剤やビニールテープとそのカッター、メンディングテープ、ホチキスと針、カッターマット、コードを這わせるのに使うフック、温度計、研究室の入り口の表札がわりが紙っぺら一枚(「やまだ紫」と走り書きしてあった)だったので、紙を貼るにしてもまだマシな黄色い木のボード、さらに洗い場の洗い物の水切りパレットやスポンジ入れ、お香立てなども買う。
それらを全部持って、いったんホテルの部屋に帰ると連れは支度ができているようなので、じゃあ行くかということで休みもせずに再びホテルを出る。地下鉄から国際会館、タクシーで大学の自在館へ直接つける。着いて一服していると今日の相方であるささやななえさんが教授室に入ってくるが、ゲヘンゴホンと咳をしている。「あら、もしかしてご主人?」というので挨拶をすると、風邪をひいていてうつすといけないから、と連れと研究室の外へ出て、前のテーブルで打ち合わせをしていた。申し訳ないです。
1時になると連れは授業に出かけ、その間俺は小川先生の部屋へ挨拶に顔を出し、講義は2時からというのでノートPCでローリングクレイドル氏の作ったガロ・クロニクル(作家と作品の年譜)を資料としてローカル表示できるようにしたり、生徒に配るガロの歴史概略図をpdfにしてやはり画面で表示できるようにと、講義の準備を整える。それらをやっていると2時になり、小川先生が呼びにきたので、連れのノートPCを持って教室へ入る。
マンガ学部の四回生は芸術学部マンガ学科の頃からの学生さんたち。数は20人弱くらいで、広い教室にバラバラに座っており、小川先生も「前のほうに集まって」と声をかけるが、前に来る学生は右手の女子学生数名ほどで、あとはそのまま。今の学生たちにとって「ガロ」なんて過去の歴史でしかないのかも知れないな、と思いつつ、ノートを立って話しながらも参照できる位置へ置く。
小川先生がごく簡単に俺を紹介したあとは、ピンマイクを渡されて、講義というより講演のような形で、立ったまま1時間ほどブッ通しでガロの歴史について延々と話す。もちろん俺はこういうスタイルというか講義自体はジャナ専で10年近くやっていたので慣れている。途中何とか飽きさせないようにギャグも入れつつ話したつもりだが、比較的学生さんたちはまじめに聞いてくれた。ただ積極的に面白く聞いているという風情の子は数名ほどで、あとはあまり興味はないが一応聞いておこうというような感じか。
途中、後ろの方に学部長の牧野先生とおぼしき人と数名の学生が座って聞いていたりしたが、紹介はされなかったので挨拶の機会を逸してしまった。質疑応答などということになるが、学生たちはぶっ続けはきつかろうと思い、こちらから「休憩を挟みましょうか」と提案、いったん教室を出てやまだ研究室へ戻る。そこで茶を飲んで一服していると10分ほど経って、小川先生が迎えにきたのでもう一度教室へ戻るが、さっきまでいた学生がほとんどいなくなっており、三分の一くらいになっている。なので一応形だけ質疑応答ということにするが、もう聞いてくるのは手前の数人くらい。あとは食いつきなし。小川先生がせっかくだからこういう機会に原稿を見てもらったりすればと促すが、もって来る子もなし。俺はこういう場所で見られるのもアレだから、夕方までいるからいつでももってきていいと話して、終わることにした。もっとギラギラして食いついて来るのかな、と思ったが拍子抜け。
その後自在館2階にある院生の控え室で「お茶でも」と小川先生が言って下さったので、降りてお菓子を出してもらってお茶をいただく。そこで小川先生に、俺の話の間ずっと左手で学生らとは離れて話を熱心に聞いていた、坊主頭でメガネの男の子を紹介される。聞くと学生ではないがガロを創刊号から全冊読破したほどのガロファンだというので、3人でガロについて話そう…としたら、プロデュースの方の青木先生(青心社)が入ってきたので、紹介していただき、学生の話や授業の話になったり。ガロファンの坊主の子が黙っているのが可愛そうになったので、途中で俺はトイレへ行くと席を立ち、戻ってくると案の定坊主の子しかおらず、小川先生がまもなく戻ってきたので、3人でそこからはずっとガロの話で盛り上がった。小川先生が熱心に読んでいた時期は俺がほぼガロにいた時期とその前くらいからで重なり、あの作家はよかったとか、あの作家を今こそ評価すべきだとか、けっこう楽しかった。特に亡くなられた永島慎二先生はもっともっと評価されてしかるべきだということで一致。小川先生が用事ができて呼ばれたのをきっかけに解散になり、俺はやまだ研究室に戻った。

しばらくすると連れが授業から戻ってきて、6時半ころに本館からタクシーを呼び、国際会館へ戻る。そこから地下鉄で四条へ出て、前の日入った蕎麦屋の先にラーメン屋があるからそこへ行こうかと話していると、その手前、蕎麦屋の並びに和風のよさそうな居酒屋を見つけた。メニューを見ると京のおばんざい弁当みたいなものがあるので、これを夕飯にと入ることにする。するとメニューには弁当は7時までと書いてあったので7時10分前に入ったのに、お弁当は6時で終わったという。アレレと思ったが出るわけにもいかないので、そのままそこでつまみなどを取って食べることにした。俺はエビスビールを頼み、連れはお酒を飲めなくなったので、ノンアルコールビールの小瓶をひとつ頼み、おばんざい盛り合わせとキスの天ぷら、焼きなすのフカヒレあんかけを頼む。料理は水準以上においしかったし、追加で頼んだロールキャベツとアマダイの刺身も良かった。ビールは大瓶2本飲んで、会計すると6千いくら。おかみさんは入り口まで出て「おおきに」と見送ってくれたし、安かったし良かったねと話しつつ出る。二人とも病気のせいでここ数年いい思いはしていなかったが、雰囲気だけでもまた二人でお酒を飲むことが出来て、ちょっとじーんとした。
ホテルに帰り、11時過ぎにはビールのせいか眠くなったので寝てしまう。
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2006-05-15(Mon)

京都二日目

5月15日(月) 京都二日目
前の晩は食事から戻った後はテレビを見て、ベッド上でごろごろして1時過ぎに寝た。ベッドはマットはともかく枕が羽毛だか何だか、柔らかすぎて頭が沈み、高さが確保できないので寝づらかった。それより、夜は8時過ぎあたりからひっきりなしに「ゴォォォォ!」という排水音が響きわたる。排水パイプがどうやら一つにつながっているのか、そしてそれがこの部屋の近くなのか、とにかくどこかの階上の部屋で風呂だかトイレだかを使うたびに、排水の轟音が響くのだ。当然夜になれば寝る前に各部屋の宿泊客が三々五々風呂を使い始めるので、12時過ぎくらいまでひっきりなしに電車の通過音のような音が断続的に響くということになる。こういうことは気にし出すと気になるもので、寝つけたのは夜中の2時を過ぎたころだったか。だが朝方6時前にはまた、朝風呂の排水音が響き、それだけならまだしも、今度は我々の部屋のすぐ外の廊下で中年ババァのダミ声が轟く。向かいの部屋をノックして「いい? あのさあ、荷物が多いのよ、なのでこれとこれをそっち入れてくれる?」というのから始まり、笑い声だのデカい声での話などが丸聞こえ。要するに、このホテル自体が安普請なのであった。
広角になってるのでアレですが実際はもっと迫ってきます
そうこうしていると連れも起きたようなので、カーテンを開けると快晴。快晴はいいが、窓の向こうに京都タワーがデーン! と聳え立っているのが見え、ギョッとするほどの威圧感。携帯で撮影してみるが、現実に見る方が遥かに存在感がある。
京都で快晴というのはガロ時代に長井さんたちとつつましい社員旅行で来た時以来だ。だいたいが雨か雲っていたので、気持ちも晴れ晴れとする。連れの支度と化粧を待ち、8時半ころゆっくりと下に降りてシアトルカフェでバイキングの朝食。連れはパンやヨーグルト、ポテトサラダの洋食にし、俺はおかゆと鮭、ひじき、梅干に沢庵という和食をプレートによそる。こういうカフェでおかゆ食ってるのも変な感じだ。食後はコーヒー、連れは牛乳の後紅茶。ゆっくりしてから部屋に戻り、前の晩近鉄の一階で買った研究室用の荷物の大袋を持って出る。
連れが駅前にある京都タワー2階にあるダイソー(百均)で安全ピンを買いたいというので行くが、10時から開店。まだ9時半だったので、とりあえず1階のスタバでコーヒーを飲んで時間を潰し、百均へ上がり直す。そこで台所用品や文具も少し、20点以上こまごまと買い込みいったん帰りかけるが、ゴミ箱や三角コーナーを追加で買い足し、地下鉄へ降りる。
ホームはけっこうな人が待っており、電車の先頭車両に乗り込むと、通勤ラッシュ並の混雑。途中御池を越したあたりから空きはじめ、連れを座らせて俺は立っていた。格好つけていたわけではなく、朝食後の強烈な便意がきはじめていたからである(笑)。座ると下腹部が圧迫されて、我慢の限界が早まりそうだったのだ。終点の国際会館へ着くと、もう暴発寸前。改札を出たところで荷物を置いて連れを待たせ、トイレに小走りで行く。もちろん、全力疾走ができない状態だったためです。
こういう時に限ってトイレは反対側の端っこで、かなり距離があり、さらにたどり着くと個室は身障者用も洋式も塞がっている。しょうがないので和式に入り、あわただしく荷物を置いて排出。和式のキンカクシなんて何年ぶりか。膝を曲げて腰を下ろし、体重がかかると痛いのだがしょうがない。その後改札に戻って連れと合流し、エレベータで地上に上がってタクシーで精華大学へ行く。

京都精華大学は、京都市の北の端、鞍馬山の麓にある緑に囲まれたキャンパスだ。広い敷地の中に校舎が点在しており、起伏があるキャンパス内を移動するのは病人には骨が折れる。フィトンチッドも一杯で、普通の人が散歩するには新緑のこの時期、気持ちがいいだろう。キャンパス内には鹿や雉もいて、日本画を学ぶ学生のモデルになっているというのも、この学校らしい。とにかく環境は学ぶには最高だ。ただ、今どきの学生たちには、繁華街までは遠いし、近所には遊ぶところもないのでそういう部分は不満かも知れないが。
さていったん本館で連れが3階で用事を済ますのを十分くらい一階で待つ。その後教授室と実習教室がある「自在館」という建物へ行き、3階の研究室へエレベータで上がる。教授室に入ると、なるほどまだガランとしてほとんど何もない。前に使っていたのは同じマンガ学部のプロデュース学科の熊田先生。熊田先生が使っていた小型の冷蔵庫が一つと、壁にはロッカーと大きな書庫ラックが2つ、あとはテーブルと窓際の机に小さな引き出し台。
執務でメインに使う机の上は全く整理されておらず雑然としており、整理魔の俺としては許せない状況(笑)。さっそく片付けを始め、買ってきた事務用品なども整理して収納したり並べたり。しばらくすると12時過ぎに連れと講義でコンビを組む西岡愛先生が入ってきて、挨拶。すぐにやまだと授業の打ち合わせを始める。俺の方は前の晩買って持ってきたパンで昼食を軽く摂るが、連れは朝飯のバイキングから時間が経ってないからと、結局食べなかった。1時くらいまでそんな状況で、二人は授業に出ていった。
整理はいいが、文房具も含めて足りないものが続々と出てきたので、十分くらいして買い足しに行こうと、メモを置いて研究室を出る。いい天気と陽気の中、てくてく歩いて叡電の「京都精華大学前」駅まで行き、そこから出町柳へ。叡山電鉄の鞍馬線は、東京で言うと玉電=世田谷線のような二両、時には一両編成のチンチン電車に近い風情だ。出町柳から京阪に乗り換えるとコレが特急で、目指していた五条には止まらず七条まで行ってしまったので、いったん地上に出て反対側から入りなおし、カードを買って各停で五条まで。地上に出て五条大橋から川原町通りへ出るが、予想に反して意外と寂しい。あ、新京極があるのは四条だった! とここで勘違いに気付くがもう遅く、川原町通りをひたすらてくてくと上がることになる。
途中「パソコン工房」というPCショップがあったので、これ幸いと足りなかったUSBハブ、リストレスト付のマウスパッドを買い、それをぶら下げて四条新京極まで歩いた。この時点でもうへとへと、足は棒のようになった。何せ去年の夏に入院〜退院後は、病院の行き帰りや近所への買い物や食事以外はずっと自宅に引篭もっていた。その数少ない外出だって、近所以外の往復はバスやタクシーなどの乗り物を使っていたわけで、実際に歩いた距離はそれほどでもない。足が萎えているんだなあ、と実感。
天気が良く快晴のせいで、気温はグングン上昇しており、新京極の観光客や修学旅行の中坊の間をぬい、百均を発見する頃には汗だく。そこで本立てやらクリアファイル、整理ボックス、台所用品の足りないものなどをどっさりと買い込み、重い荷物を持って歩く。雑踏を抜けて寺町通りまで出たあたりでもう動けなくなり、ちょうど通りかかったタクシーに手をあげてしまう。
ところが運ちゃん大学までの道がうろ覚え、おまけに今日は北大路が何とか行列で馬だの平安装束の雅な行列があって通行止め。そこで一度は往生するが、警官が機転をきかせてくれ、行列の途切れ目をさっと止めて車を通してくれたので助かった。だがそこを抜けて宝ヶ池のトンネルを出てから、俺が叡山電鉄の線路沿いに走って岩倉を過ぎたあたりから山側に入れと言ってるのに、変なところを上がってしまい、山すその住宅街をうろうろ。結局30分以上無駄にし、料金も4500円くらいになった。だが疲れてたし気力も萎えていたのでそのまま料金を支払い、自在館横につけてもらってタクシーを降りた。

研究室に戻ると3時半を周っており、もはや疲労困憊。だがそこから買ってきたもので机廻りを整理整頓し、小ぢんまりした台所も水まわりを整理し、冷蔵庫の製氷皿も洗って水を入れて冷やしたり、買ってあったが放置してあった床ワイパーも組み立たり。そうこうしているとキヤノンのピクサス、MP800という複合機も届いていたので、今度はそちらへ取り掛かろうとすると、休憩で二人が戻ってきた。俺はプリンタを荷解きし、とりあえず窓際の引き出し台の上にセッティングし、パソコンとの配線をする。二人はすぐに授業に出かけたので、それから初期設定をし、ドライバや各種添付ソフトのインストール、テストプリントなどをしていると、小川先生が入ってきた。挨拶をし、名刺を渡す。座っていただき、明日の俺の講義の打ち合わせ。
実は今回、やまだの連れで元ガロの編集が行くということで、学生にガロのことを話してという依頼があったので。相手は四回生ゆえ、技術的なことや精神論は不要ということで、若い人の知らないガロの話や俺の若い頃の小さな版元での経験談などが面白かろうということになる。その後は世間話で、小川先生は俺と3つ違いだが、誕生日が一緒というのでびっくり。小川先生が帰った後は、明日の講義のために、以前創形美術学校で講義をしたときの資料として作ったガロの歴史の概略図をプリントし、テストを兼ねてピクサスでコピーしてみるが、これが綺麗なので驚く。出力したものとコピーとで、ほとんど品質にかわりがないくらい。もちろんコピーは多少白抜き文字が潰れ気味ではあったりするが、全然使えるレベル。プリンタはもうここまで来ているのかと妙な感心をする。
その後は一昨年アニメージュから受けたインタビューのテキストを、学生に配布用に書き足したりしたものをワードに流し込んで、これも20人分出力を、と思ったら6時過ぎになって二人が講義を終えて戻ってきた。課題の採点などを始めたので、俺は出力をかけてトイレに行き、戻ってきたら終わっていた。二人の採点は7時過ぎでようやく終わり、西岡先生が先に帰った後、一段落したので俺らも支度をして帰ることにする。

外はすっかり暗くなっており、山すそにある大学の構内は気温もぐっと下がってきている。昼間あれほど暑かったのが嘘のようだ。本館一階の備え付けてある配車専用の携帯でタクシーを呼び、国際会館まで行ってもらう。地下鉄で四条まで行き、地上に出ようとするが、俺はすでに昼間の備品買いで疲れていたので、手近な出口から出てすぐのわき道にそれ、蕎麦屋へ入る。俺は天とじそば、連れは天ざるで、疲れのせいか二人ともほぼ無言のまま運ばれてきたそばを食う。蕎麦は当り前だが関西風のダシ汁で、これが美味。その後はセブンイレブンでちょっとだけ買い物し、一階で俺だけコーヒーをテイクアウトしてホテルの部屋に戻った。二人ともテンション低く、着替えてテレビをつけるが、二人とも11時前には休む。
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2006-05-14(Sun)

京都一日目

5月14日(日) 京都到着
今京都駅前の某ビジネスホテルで、ノートPCを有線LAN接続。
連れのやまだが今春から教えている京都精華大学で、研究室をいただいたのだが、まだ机とテーブルがあるくらいで、全く未整備でがらんとしているという。それに大学は東京から通っている先生もたくさんいるので、各種連絡などにパソコンが必須。教授室にもノートPCを設置したものの、プリンタも未接続だし、その他の環境も手付かずのままだった。しかしこれを他人にやってもらうというのには抵抗があり(例えばスカイプやAmazonのアカウントなどのパスワードなどもあるわけで)、今回は俺も同行してそれらを行うことにしたわけ。言わば「出張」であり、「観光」ではない。よって宿泊もビジネスホテルのツインである。ちなみにこのホテルは東洞院(ひがしのとういん)通りに面した駅から徒歩2,3分のところにある。1階はシアトルNo.1カフェとかいうスタバぽい店があり、朝食はそこでバイキングになるということ。

今日の朝は自宅を12時前に出て、荷物を入れたキャリーを二人でゴロゴロと引っ張りつつJR浮間舟渡まで行き、電車で赤羽、乗り換えで降りる際に構内の書店で週刊誌を買い、京浜東北のホームへ。すぐに来た電車に乗ると二人とも座れたので良かった。こういう格好だと病人にはとても見えまい、なので座りたくても我慢するしかないと思っていたが、運が良かった。東京駅で降りて新幹線の改札をくぐり、昼食に連れはサンドイッチ、俺は中華弁当を買う。ホームの待合ボックスに落ち着くが、30分以上時間があり、週刊誌を読んで暇を潰す。連れが「何かおかしいよ」というので確認すると、乗車の15分ほど前なのにホームの列車の表示に俺らが乗るべき列車の番号が出ない。アレと思ったら隣の19番線で、ホームを間違えていたのだ。慌ててホームを一旦降りてえっちら隣の19番に登ると、7分前。ちょっと待つとすぐに乗車になった。危ない危ない。
二人掛けの席に座ってすぐに二人とも昼食。食べ終わると連れはうとうと、こちらは週刊誌を読む。長時間椅子に座っているのは辛いが、京都までは2時間半、これくらいなら大丈夫だ。それよりも最近の新幹線に限らず、公共の場所でのクソバカガキやそのバカ親どもの騒音公害の方が精神的に良くない。幸い行きの列車にはバカ親子はいなかったので良かったが、電車は品川、横浜停車の間にほぼ満席になる。自由席は混んでいるので詰めろというアナウンスがあったが、そんなに混んでるのか、指定取っといて良かったと思った。
東京は午前中雨が降り、俺らが駅へエッチラ歩く頃には上がっていたが曇天、途中静岡の手前からは晴れ、富士山頂は雲隠れ。こうしてまた二人で新幹線に乗ることがあるとは、生きていて良かったなあと思う。去年の夏に癌宣告を受け、放置すれば来年の夏は迎えられないだろうと言われた。幸いそれから状況が変わり、こうしてまだ死なずに済んでいる。京都は去年の秋、退院してしばらくして、連れが大学に呼ばれた際に一緒に出かけた。はっきり言って旅行なんてあれが最後かもしれないと思っていた。つくづく、生きているということはいいことだ。
4時11分に定刻通り京都駅に到着。京都は晴れていた。一番西の出口から出たので、ホテルに近い東側=名古屋寄りに引き返すが、そちらから京都駅の北側に出るにはエスカレータのない階段を降りねばならない。そんなはずないよなあと見回すがそんなはずだった。なんと導線の悪い駅かと憤慨しつつ、キャリーバッグを連れの分と両方持って、階段を降りる。駅の反対側へ出た後は地下道を歩き、エレベータから地上に出て、ホテルにチェックイン。
部屋に落ち着いた後、こうしてンボートPCを起動させると無事。ネットもLANにつながるので快適だ。メールをチェックすると、案の定容赦なく仕事の更新データが大量に届いており、メインのノートをエッチラ持ってきて良かった。いや、良かったんだか悪かったんだか解らないが。
一服したあと二人でホテル横のコンビニへ行き、水や茶、おやつなどを買い物して戻る。ビジネスホテルは宿泊費は安いものの、その他のサーヴィスはほとんど期待できない。下のカフェから持ち帰りでアイスコーヒーなど買った後、部屋で相撲を見た後、俺は仕事にかかる。その後7時半過ぎに二人で外へ出た。まず近鉄の一階で連れ合いの研究室のコップやら備品類を買い、明日の昼飯用のパンも買い、駅周辺で夕飯を摂るところを物色。近鉄デパートの近くをうろうろするが決め手がなく、デパートの上のレストラン街まで行くが、この近鉄デパートは来年閉店だとかで、そのせいなのか無関係なのかレストラン街も異様に寂しい感じ。150万都市の駅前のデパートのレストラン街が、平日とはいえ夜の8時前後にあれほど寂しいということがあるんだろうか…。
結局歩き疲れたので、いったんホテルに戻って荷物を部屋に置き、とって返してタクシーを捕まえ、川原町御池へ行ってもらう。歩き回った挙句決めてがなく、ここでいいや的に入った店で失敗し挫折感と虚しさを味わう…というパターンは避けたかったので、半分意地。
連れは去年大学教授就任が決まってから、入試の面接や教授会、入学式も含め、4月からは講義がスタートして何度も上洛しているのだが、これまで一人で外食を一度もしていなかったという。何を食ったと聞くと、その度にデパートでパンを買って研究室で食べたとか、夜はいつも遅くなるのでさっさとホテルに戻ってコンビニで買ったものを食べたとか。遊びに行っているのではないとはいえ、京都でそれはなかろうにと、呆れたものだ。だが連れは「京都はそりゃあ美味しいものはたくさんあるだろうけど、一人でそんなところ行って食べたっておいしくないし楽しくもないよ」と言う。なるほど、それはそうだ。じゃあ今回は贅沢はできないけれど、普通に外でご飯を食べよう…というわけなのだ。
さて川原町御池から四条方面へ下りつつ物色するが、川原町通りの夜は学生が物凄い数で、さらに観光客がそれに混じり、凄い人。それに大通りは他の大都市同様、チェーン店やら飲み屋が多くガチャガチャしている。じゃあせっかくだからと先斗町方面へ入る。小道をつらつら歩き、結局鴨川に面した一軒の川床(ゆか)料理屋へ入る。コース料理二人前を頼み、二階へ上がる。女将さんが川床でもいいですよ言われたが、外は夜になり少し気温が下がっていたのでやめにした。風邪なんかひいたら洒落にもならない。二階の広間には窓際に三つテーブルが置いてあり、真ん中に通される。隣の若いカップルはもう食後ですぐに帰り、もう片方には50がらみの京都弁の男と、同伴出勤らしい若いキャバ嬢みたいな女がきゃあきゃあわあわあとずーっと話していたが、気にせずに順番に運ばれてくる料理を食う。料理は普通に美味かったが、品数が多く、ゆっくり少しずつ運んできてもらわなければとても入らない量。それでも俺は最後のデザートまで完食、普段小食な連れもほとんど食べられた。ゆったり過ごして、10時前にホテルに戻る。
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2006-05-09(Tue)

Gatewayノート

5月9日(火)
夕べは1時前に寝たが、夜中に腹が痛くて目が醒める。実は前の晩飯にスパゲティを食べた際、物理的に量が多かったのと、油こいミートソースがこってりとしていて、食べている時から嫌な感じだった。寝る前に不安はあったので、やはり…という感じ。ただ時々あるような、胸の呼吸さえ苦しいような痛みがあるのではなく、純粋に下っ腹が便秘の時のように痛く苦しいという感じ。これは胆嚢や胃ではなく腸だな、と思ったのでトイレに立つ。時計を見ると朝の4時だった。トイレでふんばると便がごろんごろんと数回出て、腹の張りはかなり楽になったので布団に戻る。しばらくは腹が痛かったがそのうち薄れ、それと平行して眠気が勝り、次に目が覚めると8時ころで、痛みはほとんどなくなっていた。朝起きたのはその後さらに寝なおして11時ころ。今日も曇天で気温も上がっていない様子。
朝は野菜スープにアイスオレ、トーストはもうなくなったのでロールパン、バナナ。昼過ぎ、ペリカン便がツクモ電気からの荷物を届けに来る。GatewayのノートPC、マウスも入れて12万円弱。これは連れ合いが使っていたDELLのマシン、リース契約が切れて返却しなければならず、急遽代替マシンを探した結果見つけたもの。連れは京都の大学に通っているが、こちらにいる間は大学や他の教授陣、院生たちとの連絡など、メールや学内会議室・掲示板などを駆使して行わねばならず、パソコンは必須。DELLマシンが無くなれば当然代替マシンがすぐに必要になるというわけで、廉価かつそこそこのマシンを探していたのだ。
このGatewayのノートPC(MX6639j=PenM745A・512MbRAM・100GbHDD・15.4WXGA/TFT・スーパーマルチドライブ)はメモリこそ512Mbと弱いが、HDDは100Gb、CPUも俺が今メインで使っているノートとたいして変わらない。高額ドライブは+−両DL対応ドライブなので、EPSONのより上。メモリとグラフィックが弱いくらいでたった11万ちょいとは…とほほという感じ。デジモノは日進月歩で性能が進んでいくので、一年近く経てばこうなるわなあ。Gatewayは元々Gateway2000という牛の模様で人気のBTOパソコンの大手だったっけ。たしかアメリカの学生が始めたんだよなあ。
さっそく開けて、ソフトのインストールなど、連れのDELLマシンから環境を移動したり。DELLのデスクトップはペン4でまだまだじゅうぶん使えるハイスペックマシンなのだが、4年間リースが終了するので仕方がない。Gateway新ノートはA4マシンなのでゴツくて重く、液晶は15インチワイドで大きいが解像度はそれほど高くはないし、写りこみが激しい。しかし無線LANも内臓してるし、スペック・価格でいえば十二分。これはいい買い物をした。設定が一通り終わると夕方の4時過ぎ。
連れは今日「胃が痛い」といって横になっていた。前に吐血したときのような、食欲もなく吐き気がするというのではなく、食欲はあるのに胃に何か入れると痛くなるといって、ドリンクヨーグルトを飲んでいた。それでもまた痛くなったと言っているので心配。吐血するようなことがなければいいが…。
その後夕方仕事が一段落したので、野菜スープがなくなったのを作り直す。トマト味が飽きてきたのでコンソメ味で、ホールトマトは今回入れず、フレッシュトマトにする。出来上がって食べるとなかなかの美味。連れは食べたいが胃が痛くなると嫌なので、と食べずにいる。
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2006-05-06(Sat)

ベランダ掃除

5月6日(土)
10時過ぎに起床。朝食はこのところずっと定番の、野菜スープ(ミネストローネ風というと聞こえはいいが、要するに野菜のごった煮。ブロッコリー、生トマト、ホールトマト、コーン缶、キャベツ、ピーマン、たまねぎなどをぶち込んで、コンソメとブイヨン、鶏がらスープの元少々、オリーブオイル、にんにくペーストその他で味をととのえたもの)、トースト、アイスオレという「いつものセット」。
仕事があるのでパソコンに向かったりして過ごすが、今日は午後に便利屋さんがベランダの掃除と片付けに来てくれる日。実は2月のはじめ、まだ寒い頃に夜中に突然エアコンが切れて、極寒状態になった。東京電力に調べてもらったところ、漏電ブレーカーが下りており、試しにエアコンを作動させると、やはりブレーカーが落ちた。というわけで、わが家ではマンションの二部屋にエアコンがあり、外の大きな室外機一つにつながっているわけだが、本体がいかれたのか、室外機がいかれたのかは不明。さらにそれらを調べてもらい、故障なら修理、壊れたのなら買い替えとなるのだが、室外機が置かれているベランダはとにかく荒れ放題だった。
ベランダには室内から小窓を通して連結されている猫用のトイレがドカンと設置されていて、その周囲は連れ合いが趣味で並べた植木類が処狭しと置いてあった。置いてあるのはいいのだが、ここの環境は劣悪なため、それらの植木は全て100%枯れ果てて放置されたままになっていた。こまめに掃除したいのだが、何とこのマンションはベランダに水道がない。信じられないことに、本当にないのだ。ということは、室内の水道からホースをつないで水を持ってこなければならない。一番近い水まわりは台所だが、システムキッチンによくあるタイプのもので、普通の蛇口の口径と違うのでホースは特殊な器具をかませないとつけられない。じゃあバケツで水をこまめに運んで掃除するかというと、大ごとだ。
そんなこんなでベランダはそういった枯れた植木類、そこからこぼれた土、あるいは猫のトイレ掃除の際に流した糞尿の残骸で大変なことになっていた。よく排水溝が詰まらなかったものだと変な感心させしていた。つまり、クーラーの修理だの見積もりだのを依頼する前に、室外機さえ満足に見ることが出来なかったわけ。何とか冬はガスストーブで乗り切ったものの、もし夏になってクーラーが使えなければ死んでしまう。この大いなる「懸案」を解決するには簡単な話、ベランダを大掃除すりゃあいい。そんなことは百も承知しているけれど、イザとなるとこれは大変な作業だ。俺はこういう病気なので汚物は怖いし、それを防護して行うにしても、手や足の関節が痛いし、脾臓の腫れのせいで腹筋にも余り力が入らず力仕事は無理。連れ合いも手術痕が右腹部にあるし、元々非力で病弱な人なので無理。それにこんな状態を身内にさらすのさえはばかられていた。
そこで、もろもろ考えた結果、便利屋さんに頼もうということにしたわけだ。
便利屋さんは、お仕事なので、依頼を受ければ報酬をもらって仕事として割り切ってこなしてくれる。こちらは報酬を支払う分、何も遠慮することなく頼めるし、ある意味他人ゆえに恥ずかしいとか気にすることもなく、当然保守義務(笑)もあろう。要するに利害が一致するわけだ。そんなことなら言ってよ、みたいに言ってくれる人も身内にはあるが、じゃあやってくれっつって、実際にやれるか、頼めるか…と言ったら辛いものがあるのは解っていたし。

便利屋さんは、打ち合わせで確認していた通り3時前に男性が女の人を一人伴って到着、今日は夏日になったせいか助手の女の子はタンクトップ一枚。しかしベランダの汚れを目にしたせいか、その後トレーナーを一枚来て作業を始めた。うーん恥ずかしい。作業はまずベランダの様子を確認し、団地や以前の仕事場のドアに猫が出ないように取りつけていた網戸付きのドアなどの粗大ゴミ処理代も含め、手間賃は3万円を割り込むくらいと提示される。もちろんこちらはOKで、始めてもらう。
まずはゴミ出しで、女の子に下に一緒に降りてゴミ置き場を教えた後、朽ち果てた鉢植えやプランタなどを燃えないゴミと土などに分けて、男性がゴミ袋へ分別していき、それを女の子の方が外へ出してはゴミ置き場へ台車で降ろしていく…という作業。こういう作業も手分けしてテキパキとやっていくことさえ、我々には無理だ。その後、持参してもらった長いホースを洗濯機の水道蛇口につないで、ベランダの掃除。ベランダはデッキブラシでゴシゴシとこすり洗いをしてくれるのだが、その前に敷いてあったすのこ板の下は板をよけるとまるで畑のように土と猫フンなどがこんもりあったのには驚いた。わかってはいたものの、ここまでひどいとは思わなかった。これらも、全部片付けて綺麗にしてくれた。二人とも気持ちのいい人たちで、働きぶりにも結果にもすこぶる満足。

作業が全部終わると4時過ぎで、数百円のお釣りは受け取らず、3万円ちょうどを支払った。いや本当にすっきりしたし、長年「片付けなきゃなあ」と思っていた胸のつかえがとれて、すっきりもした。連れとしみぢみ「良かったなあ」と話し、何度も綺麗になったベランダを確認しては感心。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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