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2006-08-02(Wed)

2つのおめでとう、1つのありがとう

8月2日(水)
11時過ぎ、ワイドショーで王(貞治ソフトバンクホークス)監督の退院会見を見る。胃癌のため腹腔鏡手術で胃を全摘するという手術から二週間で退院。開腹に比べてやはり凄く速い。王さんの様子はやはりちょっと頬がこけ、やつれて見える。体重が7〜8kg落ちたといっていたが、それでも気持ち的には元気そうだった。健啖家というか美食家だったそうだが、胃の全摘後は腸が膨らみ代役を果たすようになるまでかなりの時間がかかるそうだ。それまではちょっとずつしか食べられないし、それも消化にいいものに限定されるから、思うように好きなものが食べられずに寂しいだろう。それでも健康が保証されるのなら何でもないことだと俺は思うが。固形の癌は早期なら取ってしまえば安心だから、ちょっと羨ましいほどである。ともかく王さん、退院おめでとう。

夜のニュースでは亀田興毅がWBAライトフライ級王座決定戦に判定勝ちし、世界チャンピオンになったと言っていた。判定は「?」と思わないでもない部分があるのだけど、とりあえず彼は世界チャンピオンになった。キャンキャン吼えるだけではなく、世界を獲るという「公約」を守ったことになる。だからとりあえず祝福したい、おめでとうと。
19歳・亀田興毅、微妙な判定で王座奪取−WBAライトフライ級王座決定戦
(SANSPOCOM サンケイスポーツ公式サイト)

ただ今度はただのチンピラではなく、世界チャンピオンである。具志堅用高も「ボクシングはスポーツだ、相手に対しても社会にも礼儀を守れ」と週刊誌で苦言を呈している。メディアもいい加減、持ち上げるだけではなくそういう部分をきちんと判らせるべきだろう、本人にも、見ている一般大衆にもだ。

夜9時過ぎに、連れ合いが向かいの工場の枇杷の葉を取りに行きたいというので、二人でハサミとビニル袋持って出る。うちのマンション向かいにあった製氷工場は、いつの間にか操業をやめていて、どうやら取り壊される様子と聞いてしばらく経った。連れ合いが今日の日中、バス停に行く途中で見かけたところによると、工場の敷地にあった枇杷の木が2本とも無残にも切られていたという。切られた木はまだ片付けられていないというので、葉だけでも出来るだけいただいてこよう、ということで向かう。

なぜ枇杷の葉を…というと、実は痛み止めの湿布のために使っていたからである。

連れ合いは以前にも書いたと思うが、2002年に右の腎臓摘出手術を受けた。別な症状で入院したところ、CTその他の所見で右腎臓内に悪性腫瘍があると言われ、取らねば命に関わると言われた。なのですぐに手術となり、バタバタと段取りが決まり、手術となった。
摘出手術は成功したものの、その後は患部の痛みで連れ合いは地獄の日々を送ることとなった。手術後の患部をカミソリで切られるような痛みが断続的に襲い、夜も寝られず、処方された痛み止めはほとんど効かずに、あとは麻薬しかないと言われた。それから1年余り、色々な薬剤、療法を試したが、結局痛みは現在でも時折ビリっと走ることがあるように、完治していない。
くしゃみをするにも右の脇腹を抑えてしないと、腸が飛び出るようで怖いという。ふだん外へ出歩く時はもちろん、腹巻きというか、医療用の腹帯が欠かせない。着るものも、それを隠すためにオーバーオールしか着られない。
もし、開腹手術をした人が全てこんな目に逢うのなら、世の中大変なことになっているはずだ。ゆえに、摘出手術自体は成功したものの、これでは「失敗」あるいは「事故」ではないのか。
しかし執刀医はその後再三にわたる我々の訴えに全く耳を貸さず、「そういうものです」「手術で神経を切断したので治りません」挙句「気にしすぎでは」と言われた。もうこの人たちを相手にするのはやめよう、と思った。

その後、連れ合いの親友で、夫婦ぐるみで親しくさせていただいている詩人・井坂洋子さんから、「枇杷の葉を痛いところに貼ると、痛みがやわらぐ」と聞いた。もうその頃には藁にもすがる思いだったので、何でも試してみようと思っていた。
たまたま、うちのマンションの向かいの工場にある木が枇杷だと知った。そして試してみたところ、連れ合いは「痛みが薄らいでよく眠れた」と感動していた。それはもう、涙を流さんばかりだったし、苦しみを傍らでずっと見続けていた自分にとっても嬉しいことだった。枇杷の不思議な力、いや自然の力に敬服した。
それから何度か、木に「ちょうだいね」と言いながら二人で葉を何枚かずつ、貰いに行くようになった。

その2本の枇杷の木は、向かいの工場の金網で囲われた塀と工場の壁、ホンの50cmほどの隙間に植えられていて、窮屈そうに、それでも立派に葉を繁らせていた。それが今は、なるほど根元30センチくらいでばっさりと切られて、上の部分は無くなっている。
連れ合いが「こっちにある!」というので工場の入り口側へ廻ると、そのほかにあった樹と一緒に、無残に切られた枇杷が重ねられ、放置してある。うち捨ててある、と言った方がいい。
上に重なっている他の木をどけたいが重くて二人でも動かない。二人とも腹筋に力を入れる作業は命取りになりかねない。
なのでその下になっている枇杷の木だけを何とかを引っ張り出し、顔を出した枝をぐいと引き、連れに抑えてもらって俺が葉を片端から切っていった。

この木が生きていてくれた頃は、夜中に葉を切らせてもらい、持ち帰って冷蔵庫に保管しておいた。人目があるので、夜にハサミとビニール袋を持って、夫婦でこそこそと取りに行った。そうして枇杷の木に「ビワちゃん、ごめんね、ちょっと頂戴ね」と挨拶をして葉を何枚か貰って帰ってきた。
連れ合いが腹が痛いとき、そうして保存してあった枇杷の葉を水にちょっとさらしてから腹に貼って腹巻きで抑えていたが、もうこれで、いただいてくることも出来なくなった。
とにかく出来るだけたくさんの葉を…と思うが、倒れた別の木の下敷きになっていて届かない部分がほとんどだった。それでもビニル袋2つほぼ一杯にして、持ち帰った。切っている間は二人で「可哀想にね」と話しつつ、感謝しながらいただいた。最後はどちらともなく木に合掌した。ちょっと涙が出た。
切られると解っていれば救うことが出来たかな…と少し考えたが、結局「じゃああげる」と言われてもうちはマンションだし、植え替える場所もない。仕方がなかったとはいえ、心が痛んだ。
枇杷の木よ、今までありがとう。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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