2006-09-27(Wed)

新庄剛志、ラストゲーム

北海道日本ハムファイターズがパ・リーグ1位確定。
NHK-BS1の試合中継は9時過ぎに試合が終わるとまもなく終了したが、新庄が公式戦最後の試合とあって、GAORAを見てみた。自分は小さいころから野球をするのも見るのも大好きではあるが、このところはMLBばかり見ていたし、別に熱狂的なハムファンでも、新庄ファンでもない。でも、なんとなくこの男の最後を見ておきたかった。
新庄の野球人生が走馬灯のように、キザなナレーションと共にバックスクリーンの巨大画面に映し出され、センターの守備位置に立った新庄がそれをじっと見つめる。頭の上には63と書かれている長年愛用のグラブを載せて。

この日、新庄は背番号を阪神に入団した当時の63に登録を変えて出場した。試合は3位通過が確定しているソフトバンクと、7回表まで2対1という投手戦が続いた。日本ハムは今日の最終戦、西武が勝ち自軍が負けない限りは1位でプレーオフ進出が確定するという、どちらかというと楽な状況ではあった。なので、試合の経過は特に気にせず、結果だけを知ればまあ野球ファンとしてはいいかな、というものだったのだが。
新庄という「記憶に残る男」の公式戦最後の試合を、なんとなく見ておきたかったので、中継を見た。パ・リーグの試合の生中継を見るなんて、ひょっとしたら産まれて初めてかも知れない。試合は7回裏にファイターズが決定的な2点を追加し、ダルビッシュの鬼気迫るリリーフ登板、そして最後は定石通りマイケルが締めて、1位通過を決めた。新庄の最後の打席は、初球を打って二塁、内野ゴロだった。
試合が終わったあと、札幌ドームの満員のファンは一人も帰らずに待っていた、新庄を。新庄の野球人生が感傷的なバックミュージックとナレーションで映し出される間、ファンはじっとそれを見つめていた。新庄も、時には涙を浮かべて、じっと見ていた。そして、20分くらいか、映像が終わると、ユニフォームを脱ぎ、リストバンドなどと共に、丁寧にグラウンドに置くと、静かに去っていった。
いやはや、カッコいい男だなあ、と思った。
新庄はその舌足らずな話し方と、独特の「新庄語」で、まあ野球バカの典型と認識されていたと思う。阪神時代は野村のID野球という名のつまらぬ旧態依然としたスタイルと相容れられるはずもなく、新天地であるメジャーへ移籍した。新庄はむしろメジャーの中に居るほうが、のびのびと野球を楽しんでいるように見えた。年俸は大幅に下がったし、マイナーに落とされたり故障もしたが、それでも楽しくて仕方がない、野球少年のような笑顔で、「このアメリカで学んだことを日本に持ち帰りたい」と話していた。
日本に帰った新庄を待っていたのは、日本プロ野球の危機だった。ファンは減り、一部の傲慢なフロントと現場の軋轢がしょっちゅう報道されていたし、野球はもはや国民的スポーツとは言えなくなっていた。新庄は「メジャーから何を持ち帰ったのか」、それはファンサービスの姿勢、野球はショーであるということ、そしてプレーヤーもそれを楽しむということだった。ファンサービスのためなら被り物もするし、疲れていてもサインを熱心にしたし、願いは常に「札幌ドームを満員にしたい」だった。その願いが、今年になってようやく叶ったから、新庄はあれから引退を決意したのかも知れない。
新庄の生涯成績はたいしたことはない。だが記録より記憶に残る選手という典型…で片付けるには、新庄に気の毒な気がする。彼は野球バカだ、野球を取ったらすっからかんかも知らん。容姿はいいが、じゃあそれで一生食ってけるかという保障もない。スイスイと世の中をうまく渡っていける頭を持っているかも疑問だ。だからこそ、彼は野球にすべてを捧げてきたのだと思う。日本野球にも、少年があこがれるかっこいい「ヒーロー」が必要なんだ、記録は野球の天才に任せておけばいい、自分は客寄せでもいい、とにかく野球人気高揚の役に立ちたい、そんなピュアな気持ちが伝わってくる。
不況から抜け出せず停滞していた北海道のムードを明るく一新してくれたのは駒大苫小牧と、ファイターズ、新庄だった。いずれも、やっぱり野球だった。

それにしても何がすごいって、72歳になる俺のお袋までもが携帯を買い、変換ミスだらけのメールで「新庄おうえんする」「ファイターズかつ!」と送ってくる、そういう気持ちにさせるところがすごい。
新庄クン、お疲れさん。君の今後の人生に幸あれ。
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2006-09-27(Wed)

ダメだ、「超こち亀」凄すぎる…

9月27日(水)
超こち亀

集英社

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もうさんざっぱらアチコチそちこちで言及されまくってるので、もういいやとお思いでしょうが。
『こち亀』30周年のアレなんだけど、名だたる漫画家さんたちが両さんを描くという企画、企画自体はありがちなもので特にどうってこたぁないのだが、顔ぶれがやはり凄い。ていうか凄すぎる。そして企画自体はベタながら、これだけの顔ぶれに現実に両さんを描かせてしまった担当編集者の熱意に脱毛じゃなかった脱帽する。
こういうところって、やっぱりマス&メジャーなコミックのすげぇところだ。
それにしても。
水野英子先生までもがぁぁ!
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2006-09-25(Mon)

漫画家になりたい人へ (番外2)

前記事へのまた反響が凄かった(荒らしも含め)ので、コメントへの返信などを今回書きます。アッチ方面(笑)からのカキコも多く、非礼なものその他はいちいち削除も大変になってきたので、いったんコメントはクローズにします。


●Unknown (XD) 2006-09-25 00:49:32 さん
>自分はオタクですが、あからさまにオタへ媚びた麻生氏が凄く胡散臭いなと思ってる人間です。
あ、そうですそうです。そういうのが普通じゃないかと、俺は思うんですがね。何かニュースサイトなんかでヘッダとかだけで飛んできて、俺のこれまでの主張なり意見なりを(97年からの日記も含めて)全然読まずに、最近の気分でメールとかくれる人が多いんだけど、

・麻生氏が漫画読みであること…これは別段褒めることでも何でもないかと。政治家である麻生氏が、という冠がつくので「ほほう、偉いな」というフィルタがかかるわけだと思う。でも「ガロ」創刊は64年。当時最初に支持した学生運動世代=団塊の世代はもう60代、当時の大学4年生だと22+42で64歳。麻生氏は66歳。当然、「漫画は子供の読むもの」という時代が変わったことを肌で体感し共感した世代でしょう。つまり普通に大人が漫画を読むことに早くから偏見をなくした人であってもおかしくはない。
ただ、そうした偏見を根強く持ち続ける人間も多い世代で、特に政治家などの要職に就く人に多いだろうと推測すれば、麻生氏は「庶民感覚を持ち、漫画を普通に読む、好感の持てる政治家である」という評価は間違ってはいないだろう。それを踏まえたうえで、俺としては『今時政治家が漫画に偏見を持つような偏狭な人物であることの方がおかしい』と思っているから、麻生氏が漫画読みであることを「特別に評価はしない」と言ってるわけです。ていうか勝手に評価とか言って当の麻生氏には大変申し訳ないすけど。まあ公人だし選良なのでこういうことも仕方のないことなのは当り前でもあるけど。

で、俺は
「その麻生氏がただの漫画好きの普通の政治家か、本当に漫画を愛する俺らと同志の政治家に変わったのかは、今後じっくり見ていく必要がありますよ。」
と言ってるわけで、
●Unknown (Unknown) 2006-09-25 01:01:26 さん
の言われる通り、
>麻生氏が、票田の為にマンガ規制を支持したのか
自分の信念の為に、マンガ規制を支持したのかに
よると思うのですが。

>前者ならば、票の為に行動する
支持基盤の走狗のありがちな政治家。
単に、オタクを新たな支持基盤候補として見込んで
打診した行為ではないでしょうか。

>後者ならとんだ食わせモノですね。

という意見も当然理解できるということです。
票田のために漫画規制を支持するという、「未必の故意」(笑)にしろ、「有害コミックはけしくりからん」という「確信犯」にせよ、どちらも漫画という表現を愛している者ではない、という意見ですね。

いいすか、
●Unknown (Unknown) 2006-09-25 02:23:57 さん。
>成年漫画の表現も販売も野放し状態を許す人でなければ、
漫画愛好家ではない、という図式は単純に過ぎると思いますが・・・。

俺はそんな単純な図式でものを考え、語ってはいませんよ。
前からの繰り返しになるけど、俺は去年の2月の記事で
 繰り返しますけども、二次元系オタクメディア規制のみを取り上げて、そのことに反対してるんじゃありません。全てのメディアや表現規制に反対してるんです、こちとら。あとマス「メディア」が、安易に自らの首を絞めるようなことを平気で垂れ流すことへも。

世界の中心で、メディア規制を叫ぶ

と述べてるではないですか。単純に「エロ漫画を規制するな」とかいう話じゃないことぐらい一読すればお分かりでは。麻生氏が規制に取り組んだ当時…PTAうんぬん、ですけど、「当時」って確か90年ころの話だよね? 俺は当時「ガロ」という雑誌の編集部におり、あの問題の危険性を認識し、規制に反対する作家や文化人、書店などの反対意見記事を掲載したこともあるんですよ。ちなみにどんな連中が規制を言い出したかは有害コミックとは - はてなダイアリーを読んでください。いや、必ず読みなさい。
その上で、ああもう何度これを繰り返さねばならないのか暗澹たる気分だけど。

ある「表現」がある。
それは「漫画」に限らず文章でも映画でも写真でも何でもよろしい。
それに対し「これが有害」「これは優良」という規制を容認すれば、
それ自体が「検閲」につながるのだ。


もっと言えば、その規制=選別は誰が、どこで、どうやって行うのか? 当然お上がしかるべき機関(恐らく特殊法人)を作って役人を置き(恐らく天下り)、御用学者だのをご意見番と称して雇い、もっともらしく体裁を整えるのだろう。
いや、そういう人選や配置、組織が「しっかりしたもの」になったとしても、そんなことは本質とは無関係だ。なぜなら、その組織なり機関は、
表現の自由を規制すること
を目的としているからだ。
確かに行き過ぎた性表現や暴力表現などは子供たちの目には触れぬように配慮されるべきだ。だがそれはお上がやることではない。周囲の大人たちが子供にしてやることだろう。かつてドリフの「8時だよ!全員集合」が子供に「有害」だと問題視されたことがあった。本当の話だよ。その時、ヒステリックに規制を安易に叫ぶバカな大人に対し、世間一般の冷静な人たちは普通に「じゃあお前んちでは子供に見せないようにすれば?」と言って済ませた。何か重大な事件や犯罪があると、その背景をテレビやマスコミは根掘り葉掘り調べ上げて事細かに報道する。世間の耳目がそこに集まっている時に、犯人の犯罪を誘発したものの一つに「成年コミック」があったとすれば、社会は「規制しろ!」と声を上げる。この繰り返し。

で、また誤解というか曲解されそうなのでまた書くけど、
●Unknown (Unknown) 2006-09-25 08:41:20 さんのように
>エロと言うコンテンツの強さ(売春が禁止になってもソープランドと言う形で生き残っている)波及度(VHS・PC・インターネット等の普及にエロは莫大な貢献をした)から考えるに少々規制されるぐらいが丁度いいと思うのですが。

>それにアレだ。エロは障害が多いほど燃える。

は、ことエロに限れば(笑)、それでいいかも知らんですな確かに。エロというコンテンツの強さはメディアと科学技術を実際に進歩させ普及させてきた事実が証明していること。俺らの世代なんか80年代初頭に「ビデオデッキ買った」と言えば男衆は皆一様にニヤニヤとしたもんさ(笑)。90年代初めにCD-ROMといやあ「アレかい?」てなもんだし、90年代半ば以降にゃネットと言えば「モロ見え」の同義語でもあったわけだよ。そんなことは今どきのガキじゃない限りみんなが体感してきたことさ。
問題はその前段の、
>「政治家の立場」で「有害コンテンツの野放し状態」を推進する人のほうが「政治家」としてどうかと思いますが。黙認や容認なら分かりますが。

という部分。「黙認や容認」という形でソープという名の売春を許していることの是非はともかく、「有害コンテンツ」という規定を問題視しているわけですよ。有害かどうか、何で、誰が、どうやって決めるんですか、つうてるんですよ。
かつてワイセツの基準が、「ヘア容認」(笑)という頓珍漢な議論で決着した(厳密には明確に法により線が引かれたわけではない)ことがあった。外人はみんな、大笑いしてたよ。「下の毛までは見えてよし!」だって、ニッポン国…。丸見えがいいとか悪いとかいう問題じゃなくて、人の感覚…わいせつとかそうじゃないとか、そういった部分に線を引くことの難しさというか、愚かさ、あるいはマヌケさ加減が浮き彫りになった一件なのよ。ワイセツって、物凄い形而上的な概念だよ。コンニャクに猛烈な劣情をもよおす人だっているかも知らん。いや、本当に生身の人間じゃダメな人だってたくさんいるのも事実。
ワイセツ(猥褻)という概念は、法による定義はご存知の通り極めて曖昧模糊としたもの。時代や社会・文化、国や宗教などによって変わる概念だ。ならばその都度その都度、社会通念や規範に照らして変えていけばいい、そう、「ヘア解禁」したように…という向きもあろう。確かにそうしたことは一見寛容なように聞こえるが、逆に、その時々の為政者のサジ加減で規制をどうとでも出来る、ということになるのだよ。
エロだから、と甘く見てはいけない。エロのように、表向き(あくまでもオモテムキ、です)「ええ〜、いいじゃん!」と大きな声で言えないようなことから規制をかけようとする、そしてそれが成功すれば既成事実として他の表現なりメディアなりに拡げていく…というのがお上の側の常套手段。その時々の市民の民度…もっといえば愚民が、こういったお上の規制、公務員天国を容認していくのだと思う。
繰り返す、あらゆる表現に規制は必要なし。

次に
●Unknown (Unknown) 2006-09-25 08:05:47 さん
>別に麻生氏を支持するのは漫画好きだからではないんだけどな。むしろ今の漫画好きを強く押すアピールの仕方には不安すら感じるし。
そうでしょうね。ローリングクレイドル氏のご指摘のように、麻生氏の「思想」まあ政治的信念とかでもいいんですが、そういう部分に共感し、政治家として信頼し、支持しているのだ、と。それならそれは(支持・不支持は)個人の自由なので、どうぞ、支持してください。俺は繰り返すけど是々非々の人間なので、麻生氏が「漫画好き」なことには好感を持つけれども、政治的信条や思想については相容れない部分も多々ある。そんだけのことですね。ただ
>創氏改名の問題だって、さて、失言と決め付けるには証拠も少なくないのでは?
は、確かに、厳密に問えば、難しい議論です。枝葉末節に拘泥すれば(敢えてすれば、ですが)「中には本気で日本に協力し、日本という国家の臣民になろうとした」人がいたこともまた、歴史的な事実ではあります。ちなみにそういう人(Yさんと言いました)にずいぶん以前、実際に会ったこともあります。彼の口グセは「日本が戦争に勝ってくれていれば、自分は京城市長になっていた」だった。また俺はその人には会ってないが「今ごろ自分はハワイ県の知事でした」と言った人もいたそうな。
ただ、大きな世界史的な事実として、日本が朝鮮半島へ侵攻し支配下に置いたこと、そして相手側の多くがそれを望まなかったことは事実なので、麻生氏の「創氏改名は朝鮮人が望んだ、日本はハングル普及に貢献した」(2003/5:東大講演)発言は「失言」あるいは「事実誤認」と取られても仕方のないことではないかと。

ていうか、このようなことに疑問が出てくること自体に、何か俺らの世代と大きなギャップを感じます。俺らの世代はまあ土下座外交時代で、軍国ニッポンが絶対的悪。ただ現実には、義務教育の場で近代史として客観的冷静に太平洋戦争を教えてくれた先生は一人もいなかった。だから自分で勉強するしかなかったのだけど、その分、右も左もなく自由に「自分なりの太平洋戦争史観」を養うことが出来たと思う。韓国や中国でどのように戦争が捉えられているか、逆に戦記物で旧帝国軍人さんをヒーロー的に描いているものとか、何でも「新しかった」から自由に先入観なく取り入れた。
その上で、中学や高校くらいになって、実際に戦地へ行った人に話を聞ける場合は聞いた。俺の場合は祖父がバリバリに従軍した世代で、俺に書道を教えてくれた祖父は陸軍の兵士として、祖父の弟は下士官として戦地へ赴き、生還した。孫に対して戦地での生々しい話はなかなか語ってくれなかったが、それでも、酒が入るといろんなことを話してくれたものだ。日本軍が皆、戦地で鬼畜のごとき振る舞いをしたわけではないし、戦後の被害国が体制の維持のために捏造した「史実」もたくさんある。そんなことは、昨今の若い連中よりもずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと、よく知っているつもりだ。朝日新聞社の本もあれば光人社の本だってあるよ手元に(笑)。それが正常な「バランス感覚」じゃないかと思う。事実は事実として存在し、それをどっちから見るか=例えばどっちの国とか、で認識や解釈が変わったりする。でもそれは事実が変わるという意味ではない、事実は事実だろう。戦争に勝った方も、負けた方も、捏造や歪曲はいかんのじゃないか。
俺の祖父もそうだったように、戦地に赴いた兵士の中には少なからず本気で「欧米諸国の不当な植民地支配から亜細亜を解放する」という使命感に燃えて出征した人が多かった。だがそれは当時の話であり、日本軍が解放と言っても、現地の人にとっては侵略者が交代しただけ。日本がいくら理屈をつけても、被侵略国側にとっては屁理屈にしかならない。これもまた現実。
確かに個人的な感情としては、「日本はいつまで謝罪をせねばならないのか」とか「これだけ戦後日本は民主主義体制下でやってきたのに、なぜまだ大戦時の体制下であるかのような見方をされるのか」とか「いくら被害国とはいえ、いまだに強い反日教育をし歴史を歪曲までするのはいかがなものか」ということは常々ニュースを見たりかの国の言論を見るにつけ、思ってますよ。でもやっぱり、強姦した側はされた側に許しを請うべきだし、相手の心の傷が「いまだにある」、だから「許さない」と言われれば、こちら側から「この問題ははい、もう終わり」とは言えないとも思うのだ。
そんな簡単な話じゃないんだよ、という話。
どーにも若い子と話したりしていると、先の戦争に関する情報全般、右から左まで含めての絶対量が不足していると思う。たぁくさん本も出てるし、生の声もまだ聞けるし、昔に比べれば調べる手段も格段に増えた。何かアジア諸国の反日デモなどの様子を見て単純にカーッと来ている若者が多いのが気にかかる。いや、もう少なくとも俺と同じような年代で、同じような情報を自発的に蒐集し、左右さまざまな史観を取り入れたうえで、その上で思想的に日本民族が世界一優秀で、先の戦争は絶対に正しかった&日本の非を口にするのは全部自虐史観であり非国民である…とか本気で言う人がいたら、もうそれはその人の問題なので自分は関わりあいたくはない。冷静な議論が出来ないことが一番の問題だからだ。

…ともかく、麻生氏が漫画を愛し、漫画を一つの表現とし規制せずに自由を認めるのかどうか、今後客観的冷静に見て行こう…ということを改めて書いておきます。
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2006-09-21(Thu)

漫画家になりたい人へ (番外)

自民党新総裁誕生。下馬評通りと言うべきか、安倍新総裁が選出された。テレビで「アベシンソウサイ」を連発するので、
アベシン総裁
かと思って時々ギョッとする、わかってても。アベシン=安部慎一という人ってどれくらいいるんだろう(笑)。「自民党の総裁選の結果、安部慎総裁が誕生しました」って…。
麻生ローゼン太郎氏は予想通り2位ながら、予想以上に谷垣氏に追い上げられていた。

麻生ローゼン太郎氏といえば、「ローゼンメイデン」や「こち亀」「ゴルゴ31」ちがった「ゴルゴ13」を愛読しているという漫画好きゆえ、ネット上ではコミックやアニメファンから異常にリスペクトされているという構図が興味深い。ただ、漫画読んでれば無条件肯定、というのはやめていただきたい。有害コミックの規制問題の時、麻生氏は規制に積極的というか、声高に規制を叫んだ政治家の一人であった。ネット上で「漫画とかアニメが好きだからいい人〜」という論調が多いのは、まあわかってて遊んでる分にはいいだろうけど、本気でリスペクトする厨や消防が現実に出ているわけだから、怖い。
今どき団塊の世代だって普通に漫画を読んでいる。うちの連れ合いだっていわゆる団塊ド真ん中である(笑)。麻生氏は団塊世代より十歳くらい上だし、毛並みはいいし、とにかく「華麗なる一族」に属するエリート政治家。そんな人でも漫画を読んでいること…そのこと自体にそんなに驚くことはないだろう。大学でマンガ学部が開講される時代、アニメ映画がカンヌを制する時代である。
かつて手塚治虫先生が昭和から平成へ世が移るのとほぼ同時に亡くなられた。(もう一人、美空ひばりと共に)
その際に手塚先生関連のさまざまな追悼番組や特集記事、書籍が出たのは記憶に新しい。今から60年前、終戦直後から手塚先生は新聞社(小国民新聞)の4コマ漫画描きでプロ漫画家の道をスタートさせた。漫画はガキの読むもので、今の若い人には、いや俺にだって信じられないことに、
小学校で漫画が有害だといって燃やされた
ことがあったのだという。焚書坑儒、である。PTAによって「こんなものは子供をバカにする」「勉強に向けられる時間がこんな下らぬものへ向けられる」と決め付けられて、漫画という表現そのものが、有害であると言われたのだ。
今では漫画は日本が世界に誇るべき優れた表現であると、政府も認めるようになった。前述の通り、漫画を普通に読む世代は還暦を迎え、大人が普通に漫画を読むことは何ら珍しいことではなくなって久しい。教育の現場にも積極的に漫画が取り入れられている。「隔世の感あり」などという通り一遍の感想ぐらいでは収まらないぐらいの変化だろう。

手塚先生の偉大なところは言うまでもなく日本の漫画を変えたこと、「第一線で」マス・メジャーの世界で誰よりも長く現役を続けたことなどなど、挙げればキリがない。ただその最晩年は、自然や環境保護、人の心の問題にまでテーマが踏み込み、必ずしも大衆に最後まで支持されて亡くなった…というわけではなかった。アニメーション作品も、昭和の末期に作成された『森の伝説』(1987)は海外では実験アニメーションとして高く評価されたものの、日本国内での評判は芳しくなかった。なぜなら、同じテーマでありながら、もっとエンターテイメント性とドラマ性を高め、娯楽作品としてたくさんの人の鑑賞に耐え得るレベルで『風の谷のナウシカ』が、すでにあったからである。いや、俺の記憶と印象だとそうだったと思う。ちなみに宮崎駿監督の『ナウシカ』は1984年の作品であった。

話が逸れたが、手塚先生が、学校でこどもたちから漫画が取り上げられ、デモンストレーションとはいえ校庭で積み上げられた漫画に火がつけられたというニュースを聞いた時、どう思っただろうと考えると、胸が痛む。手塚先生ご自身が肉声で語っておられるので多くは書かないけれども、戦争中に教官に殴られても漫画を描くことをやめなかった、灯火管制の暗闇の中でも漫画を描いた、それほど描きたくて描きたくてしょうがなかった漫画。戦争が終わって、ようやく自由に漫画が描ける、戦意高揚や戦争遂行のためではなく、世の中に明るさを取り戻すために自分は漫画を思い切り描こうと思った…数年後に、焚書坑儒である。今とは状況が全く違う。
それから手塚先生は漫画という表現を、いや漫画に対する世間の評価、目を変えてやろうという思いを強くしながら、数々の名作を発表していくことになる。トキワ荘世代がそれに続く…こうした漫画史的には当り前のことで、俺らの世代には凄く近く、さらには実際に共感しつつ一漫画青年として体現もしたことが、今となっては文字通り「歴史」の世界なのかも知れない。
もっと言えば、漫画家を目指す若い人で、なんか「耳年増」的にどうすれば商業誌デビューへ近道なのか、どうすれば道具をうまく使えるか、というような知識や技術が先行し、肝心の「漫画が描きたい!」という情熱が感じられない人も多い。戦争中でも描かずにおられなかった手塚先生を引き合いに出すまでもなく、この俺だって、かつて「ガロ」だけでなくドメジャーの漫画誌にも投稿したりしていた時代、一本16ページ程度の作品を描きながら、もう次の作品、さらに次の作品…と描きたくて仕方がなかった。ネタ帖、ネームノートは数十冊になった。今となればそれらはとても使えないものばかりなのは当り前だけど、その情熱は今であっても誇れるものだ。漫画を描くことが好きだったら、それが普通だと思っている。
読む側として漫画を愛するということにも、メジャーもマイナーもない。政治家も庶民もないだろう。だが漫画という表現を愛することと、好きな漫画だけ普通に読み「これは有害だから規制しろ」ということはちょっと違うんじゃないか。
官や政の側に表現の規制を安易に許すような国民は愚かであり民度が低いと思う。
ちなみに麻生氏がかつて有害コミック規制を叫んでいたことは、ちょっと調べれば誰にでもわかることだ。これを「知らなかった」と言って「ローゼンメイデン好きだから、おんなじオタク〜」と喜んで支持するのは幼稚以外の何ものでもなかろう。
いいですか、「麻生ローゼン氏」がただの漫画好きの普通の政治家か、本当に漫画を愛する俺らと同志の政治家に変わったのかは、今後じっくり見ていく必要がありますよ。
マスコミではアキハバラを持ち上げレポートし、オタクがこれだけ世間に認知されたかのように思える東洋のワンダーランド・ニッポン。でもついこないだまで、たくさんの政治家が「オタクが犯罪を増やす」「フィギュアは全て規制しろ」とまで言ってたんだよ。
「麻生ローゼン閣下にイチャモンつけるとはナニゴトか!」と言う前に、「世界の中心で、メディア規制を叫ぶ (奈良女児誘拐殺害事件・犯人逮捕とこれからに思う 補4 )」、「奈良女児誘拐殺人事件における、マスコミのオタクバッシングまとめサイト」読んでください。
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2006-09-19(Tue)

漫画家になりたい人へ 4

直リンクで来られた方はお手数ですが下記記事をご覧になってから、お読みください。
漫画家になりたい人へ
漫画家になりたい人へ 2
漫画家になりたい人へ 3

<例によって長い前書き>
●この一連の記事…というか「考察」は、自分がかつては漫画家志望であった頃から編集者になって今に至る、その過程で熟成されたものである。なので、あくまでも個人的な思いであることは言うまでもない。正直なところ、世間的にはかなり深刻な病気を宣告されてしまった身なので、ある意味後に続く人たちへの「遺言」である…と思ってもらってもいい。まあそんなにサックリ死んでいく気はないが。
漫画というとマス、メジャーの王道的な部分だけにどうしてもスポットが当たって語られることが多い。実際物量的には圧倒的にそういった部分が占めているから仕方がないのかも知れない。けれど漫画というのはもっと幅広く奥が深い表現であると思うし、世間的にはほとんど認知されていないものにだって、それはそれは名作が数え切れぬくらい存在していることは言うまでもないこと。そういった部分も含めて「漫画」なのだという当り前のことを、もっと当たり前に知ってもらいたいだけだと思う。
さて反響もたくさんいただいて感謝しきりなのだけど、どうも俺がモノを言うことを快く思わない勢力があるようだ(笑)。あの手この手で嫌がらせをしてくるので閉口するが、俺は自分が好きで関わることになって、今も好きな漫画というものについて語っているだけだよ。それは、ある同業の人からのメールがきっかけだった。ちょこっと引用させてもらいます。
(@@前略@@)
久しぶりです。最近ちょっと元気が出てきたみたいで、安心しています。
(@@中略@@)白取さんが癌という病気になってから、BLOGで拝見するにつれ、どうにも僕が知っている白取さんとは違ってきたなと。非礼を承知で言うのだけれど、白取さんらしくないと思いました。
もちろん、大変な病気に侵され日々不安と戦いながら生きるだけで、これはじゅうぶん過酷なことと了解しています。でも、白取さんなら、きっと復活して、また、BLOGなりでさまざまな事象を独特の視点で斬ってくれるのだと思っていました。
でも、卑近な病気のことばかりになってませんでしたか。気持ちまでもが内側へ向いて、病気と闘う前に自分に負けそうになってませんでしたか。非礼を承知で言わせてもらいました。
白取さんのようなガロイズムをきっちりと継承し続けている編集者が、今の時代だからこそ、いや今後も、必要なんです。
口先だけでかっこいいことを言ったりやったりする奴らはたくさんいます。いつの時代でもお調子者なんかは出ては消えていきます。●(伏字・白取)さんたちとて、そのスタートで重大な思い違いと犯罪的行為を多々、犯してきて、無反省のままですよね? 彼らにガロの後継を名乗る資格はないはずですよね? それは、長井さんが何より人と人とのつながりを大切にした人だからだし、そのことは、白取さんが常に訴えてきたことでしょう。
できれば教壇に復帰して欲しいし、もっと言えば編集の現場にも戻って欲しい。でもそれが出来ないならBLOGという手段でもいい、あなたは発信し続けるべきです。
同じことでも、同じものでも、あなたの視点や意見をきっと求めている人がいるはずです。それも少なからず、いるのです。だから、一年経過した今からでも、区切りをつけませんか。外へまた、向かいましょうよ。
(@@後略@@)

…こういうメールをいただいたのは、昨年の癌宣告・入院からほぼ一年が経ち、41回目の誕生日を無事に自宅で迎えることが出来た前後のこと。カッコつける気はさらさらない。治る見込みも治す方法もない、病気がいつ暴れ出すのかも分からない、いやそもそも癌細胞のタイプから病名の特定さえ出来ていない。こういったことを「宣告」されて、不安にならない人間はいないと思う。自分はけっこう気持ちが強い人間だと自覚していたのに、それでも、やっぱり死ぬことは怖く、連れ合いを遺して逝くことが想像しただけでこれほど辛いことだとは思わなかった。
なので、この一年は正直言って世間のことへ目を向ける余裕があまりなかった。そりゃあ日常、テレビを見たりニュースを読むことはあったが、他人のことなどどうでも良かった。自分がまず、生きる、生きたいということが常に一番大きな問題だった。
一年の間にたくさんの人たちからメールやハガキやお手紙を、あるいは直接の励ましを多数いただいた。身内や友人、知り合いなら、病気のことを知れば励ましてくれるのはある意味、当り前なのかも知れない。だが、俺がかつて編集をしていた「ガロ」時代の読者や、ネットでのつながりの方々など、顔も知らないたくさんの人が情報をくれ、励まし、支えてくださったことには、あまりの有難さに感謝の言葉もないほどである。
なので、自分が関わった「ガロ」も含め、今度は俺が漫画という表現を愛する者の一人として、少しでも何かのお役にたって行けたら、という思いでこうした記事を続けているだけだ。

…さて、初回の記事からたくさんいただいているコメントやメールなどについて考えて行きます。
●さいとう・たかを氏が言う「劇画」と、「純マンガ」の違いがよく分かりません。
これは各々の定義づけと明確な分類が難しいので、どうしてもある程度感覚的なものにならざるを得ないというのが、正直なところです。
劇画というのはもちろん、さいとう・たかを、佐藤まさあき、桜井昌一らが結成した「漫画集団」が提唱していた「新漫画」という名称を、1959年に「漫画集団」メンバーであった辰巳ヨシヒロが「劇画」に統一し「劇画工房」が誕生したことによるもの…というのが漫画史的には定説となっている。さいとうさんによると劇画はそれまでの「王道」的漫画つまり子供向けの漫画に対し、大人が読むに耐え得るものを作ろうということで生まれたものだった。
50年代といえば、まだまだ漫画という表現の幅は狭く、また世間一般の漫画というものへの印象・認識も極めて狭いものであった。そんな状況の中で意識的に生まれた「劇画」は「大人向け」ゆえ、絵にもストーリーにも、当然ある程度のリアリティが求められた。その上ある程度の枚数をこなすには、当然一人で全ての工程を担当することは至難の業となる。繰り返すが、これは1950年代という時代を考慮して考えて欲しい。今なら大人向けだろうが子供向けだろうが、漫画は漫画。これだけ漫画という表現の幅も拡大し、さらに漫画というものへの固定概念も崩れた時代、「リアリティ」を絵…例えば背景の書き込みや人物の造形・描写だけへ求めることはナンセンスであることは言うまでもなかろう。だが、話は半世紀前に遡る。
そうして始まった、いやさいとうさんが始めた「プロダクション(分業)制」による漫画制作は、その後漫画制作の現場では常識となる。もちろん、だからといって全ての漫画家がプロダクション制を敷いたわけではないし、分業制が漫画表現にとって最良の方法であるということではない。「たくさん描く」ことによって「たくさん売る」ためには、どうしても人の手を借りぬことには物理的に不可能であり、たくさん描かねばプロダクション制は維持できない。つまり、当初のスタート時の事情はともかくとして、「劇画だから」ではなく、「マス(あるいはメジャー)の漫画」であるためには分業をとらねば物理的に無理だという側面が今、ある。
対して「純マンガ」だが、これは恐らくさいとうさんがこうしたマス・メジャーの漫画から見た「ガロ」などの非メジャーの漫画を指して「純文学」になぞらえて評した言葉だろう。恐らく、というかさいとうさんは実際そういうニュアンスで目の前で語られたから、まあ間違いのないことだと思う。
ここで言う「劇画」を、とりあえず商業漫画と置き換えると、純マンガとの違いがおぼろげにながら浮き上がって来るだろう。商業漫画とはすなわち作家が原稿料という対価を受け取って、その代わりに原稿料を払う側=出版社(版元)のある程度の注文なり意向を反映させて作品を作ることに他ならない。原稿料を払う、しかし作家の好きなように自由に何でも描いていい…という版元はまず、ない。(一部の大御所や、超売れっ子になるとそれに近い状態に祭り上げられることがたまにあるけど)
「純マンガ」とは、では非商業漫画であり、つまりは対価である原稿料を受け取らない代わりに自由な表現が許される…となると、それは同人誌に掲載される同人漫画ではないか、という誤解を受ける。まあある意味同人漫画は純マンガ(そこに売れたいとか儲けたいとかいう邪念(笑)が入らなければ?)だろうけれども、さいとうさんが言う「純マンガ」は「ガロ」という「商業誌」を指している。では「ガロ」、「ガロ系」と呼ばれる「純マンガ」って何だ? という話になる。
「ガロ」の詳しい話は拙文
やっぱり"GARO"から始めたい(米国「PULP」誌連載コラムより)とか
日本のサブカルチャーを考えるとか、あるいは
ガロ 雑誌 - Wikipediaなんかを読んでもらえればだいたいの、概略は解ろう。詳しい作家や作品を見るにはローリングクレイドルさんのYellowTearDrops内、左メニューから「Garo chronicle」を選んで見ていただければと思う。

…そんなわけで「ガロ」は原稿料が出ない(出せなくなった)商業漫画誌という極めて特殊な存在であったが、作家さんにとっては、自分が純粋に描きたい作品を発表できる場でもあった。もちろん、純粋な創作発表の場としてだけではなく、プロの編集者も数多くウォッチしていた雑誌だったから、プロモーション的にも使おうと思えば使えたわけで、その先に原稿料を貰う仕事=商業漫画を見据えて作品を作ることも出来たが。
普通一般の商業誌…それが大手でも中小であっても、「ガロ」であっても、漫画家さんには必ず「担当編集者」という存在がつく。この存在が一般の読者諸兄には解りにくいのかも知れないけれども、何をするかというと、一般商業誌の場合は簡単に言えば作家と連絡を取り合い原稿のやり取り全般をするということだ。だがこの原稿についてのやり取りは、何日までに何ページをあげてくれ、というだけではガキの使いでも出来る。ファクス一枚でも今ならメールでもいいだろう。プロの編集者というのは、原稿を取る仕事というより、作家から「完成原稿を貰うまで」の詰めが大きなウエイトを占める仕事だと言ってもいい。(もちろん、その他にも膨大な仕事があるが)
作家は作品を仕上げるまでに、頭の中で発想を得、それを話に構成して行く工程で、キャラクタをつくり、台詞や背景、設定を考え、ある程度固まった段階で「ネーム」というものを作る。その前段階に「プロット」というものを作る人もいる。プロットというのは構想〜脚色・筋立といった意味だが、漫画の場合は「ストーリーのあらまし」といった程度の意味だ。ネームは何かというと、このプロットからもう少し漫画という表現に近づけたもので、下書きぽい絵が入ったり、コマ割が大雑把にされて台詞がフキダシで入れられたりする場合も多い。
このプロットやネームという段階に、これといった決まりはない。なのでこの2つの段階…というか段階という序列にならない場合も多い…が入り混じる場合も多い。プロットは多くの場合、ノートなどにざーっと書かれた文章の場合が多く、そこの余白に思いついた単語や台詞、設定や簡単なイラストが添えられていたりする。だがいきなりネームから始めて、その余白などへプロットが書かれていることもある。もっと言えば、プロットやネームを作らない人もいる。
商業出版界の編集者は、ともかく、こうした「実際に漫画原稿制作にとりかかる前段階」に、かなり濃密に作家と作品に関わることになる。編集者は出版社を背負っている。出版社は読者のニーズや意見を背負っている。つまり編集者の背後にはたくさんの見えない読者がいると思うと、作家はやはりプレッシャーを感じるという。単に、原稿料とお仕事をくれる(版元から来ている)編集者だから緊張するのではなく、その背後に読者があるという意識が、作家を緊張させるのだ。
ここで編集者は、漫画を原稿用紙に描く=仕上げるという、修正が難しい工程に入る前に介入するのである。この介入という意味はもちろん、より良い作品にするためという意味だ。そしてややこしいがここでいう「より良い作品」とはすなわち「より読者のニーズに合う作品」であり、とりもなおさず「よりたくさん売れる作品」にするためということに他ならない。奇麗事ではなく、商業誌というのはそういう世界である。
「ガロ」などの(さいとうさん曰く)「純マンガ」の世界でも、編集者はプロットやネームを見る。もっと前に「こんな作品を描きたい」とか「こんな話を思いついたんだけど」というような段階からでも、意見を聞かれれば答える。商業誌と違うのは、読者のニーズを考えはするが、自分が優先したのは作家がこう描きたい、こういう作品を創りたい、という部分だというところだろう。
もちろん、自分のような「ガロ」の編集者とて、その作家さんに最終的には売れてもらいたい。いや、売れてもらいたいというよりは、その作家さんが世間に認めてもらえるようになって欲しいと思う。
作家さんが描きたいことが 世間に認められ=読者に支持され 結果的に作品が売れる
という道筋が、俺にとっては当り前の作家さんが売れるという道筋であった。これを
読者に支持されるように描かせ それを物量で世間に認めさせ 結果的に作品が売れる
と置き換えると、商業誌との違いが解りやすいかも知れない。
俺は、作家さんに原稿料を支払える媒体にいなかった。なので生活を支えることは出来なかったから、せめて好きなように作品を描いてもらいたかった。でも、それを突き進めていけばいくほど、その作家さんは漫画では生活が出来ないわけだから、結局は商業誌に認めてもらい、嫌な言い方かも知れないが、引き抜いてもらわなければならない。我々はホンットに少なかったとはいえ、給料を貰って仕事をしていたのだから、ボランティアではない。しかし作家さんは無償で作品を描いている。だからその作家さんが世間にキチンと評価される、作品が売れる、その作家さんの生活が楽になる…ということを望まないわけがなかった。いや、これは本当に正直な話、いつも願っていた。
心ある編集者なら誰でも、
作家が100%自分の創りたい作品を描くこと

より多くの読者に評価され作品が売れること
が同じであるように願う、そしてそれが多くの場合は一致しないことに悩むものだと思う。

自分の場合、いつもこのジレンマに苦しんでいたと思う。

例えば根本敬さんが「精子がそのまんま大きくなってこれこれこういう展開になる話を描きたい」と、そう、あの名作『タケオの世界』の構想を仕事場近くの喫茶店で、俺に話す。それはそれは生き生きと楽しそうに、オチまでを語ってくださる。根本さんの場合、作品の着想は極めてシンプルで、それをストーリー化していく際も、プロットなど数行で済んでしまうようなものだ。だが、それが実際に作品として作られて行く過程で、人物描写も話の展開にも細かなディテールが肉付けされ、場合によってはサイドストーリーが展開され付加され、やがて壮大な叙事詩のような重厚な作品が出来上がっていく。これが根本作品の真骨頂だ。
付き合いの浅い編集者なら、喫茶店で「粗筋」を聞いた段階で「へえ、面白そうですね、じゃそれ24ページくらいで」などとマヌケなことを言うかも知れない。いや、商業誌の場合はページ数は非常に重要なことなので、少なくとも描き下ろしじゃなく連載となると毎回の枚数と回数はある程度決めてから始めるだろう。それが普通だ。だが、根本さんの場合は根本作品の作られ方を知っていれば、毎回のページ数こそある程度の目安としてあれど、全体で何回=何ページになるかなど、「ご本人にもまだ解らぬということ」を解っていなければならない。
さらに連載が開始されても、商業誌であれば「この表現はまずい」「ここはもうちょっと穏やかな表現で」というような介入が、途中途中で、いや、毎回かなりの頻度で入るだろう。だが根本作品において、表現の妥協などあり得ない。というか、そもそも「あの絵柄」である。「こうすればもっと多くの人に認められるのに」などという言葉など、尻尾を股の間に挟んでててててとあさっての方角へ逃げてしまうだろう。根本作品において、全ての表現は絶対に必要な表現であり、妥協などあり得ない。こういう作家の場合、やはり商業誌が「原稿料を払うからこう描け」と言っても通用しないわけで、そもそも自分が「作家が100%自分の創りたい作品を描くこと」が「より多くの読者に評価され作品が売れること」の全面否定につながることを、ご自分が一番よく理解していたりする。
俺はいつも、根本作品が「ジャンプ」や「モーニング」に掲載され、それをたくさんの人が普通に受け入れる世の中を想像してみた。そしてその度に戦慄した。あり得ねえ、と思った。
しょせんは、売れるか売れないのか、それを選択するのは「作家自身」であることを思い知らされた。編集者ごときが「こうすれば売れる」などと抜かしたところで、「ふうん。だから?」と言われればおしまいだ。作家が切実に「売れたい」と望めば、編集者の介入=版元の意向=読者のニーズにキッチリと沿って、その通りに描けばいい。もちろんその結果売れなかったとしても、誰も責任は取ってはくれないけれども。
メジャー、マス・コミックの多くは、個人の場合でも作品製作の現場ではアシスタントが、プロダクションになればもっと多くのスタッフが関わる。もちろんそれが雑誌に掲載され単行本になっていく段階で編集者が濃密に介在する。そのことの是非を語るのは、あまり意味のあることではなかろう。なぜなら、「いい作品をつくる」ためにそうしているわけで、「いい作品」とは何かという定義が異なるからだ。商業誌ではいい作品とは売れる作品のことだし、ガロ系(純マンガ)の世界では独創性や先見性に優れていればいい作品になる。こう書くと、商業漫画を否定するのか、だからガロ系はダメだ、という論法を昔から本当によく聞いた。
多くの人に受け入れられるから(売れる作品)いい作品だ、という考えは否定できない。否定もしない。
一方で、いい作品なのに、万人には受け入れられない(売れない)作品、というのも存在するだろう。

このどちらか一方が正しくて、どちらが間違っている…という議論の方がナンセンスだと言っている。
繰り返しになるが、「多くの読者に認められ、売れている、いい作品」=マス・メジャー漫画の名作が多々あることは周知の通り。だが「いい作品なのに売れない、もっと多くの人に認められるべき」、純マンガの名作もまた、多々あることを知って欲しいと思う。

<この項つづく>
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2006-09-14(Thu)

漫画家になりたい人へ 3

…整理すると、
・一般的な絵画技法をいくら学んでも漫画は描けない。
・その上で漫画絵の絵画技法や漫画原稿の作成方法を学べば、アシスタントにはなれる。
・漫画家となるには、個性ある絵に加え、話を作り出す力がなければならない。

ということになるだろうか。

『ゴルゴ13』で有名な、と枕詞をつけるまでもなく有名な漫画家であるさいとう・たかをさんは、日本ではじめて漫画をプロダクション制作したことで有名な作家だ。さいとうさんにはインタビューさせていただいたことがあるし、色々なところでご本人が公言されているように、さいとうさんがデビューされた50年前は漫画とは一人で作るものであるという意識が業界でも支配的で常識であった。さいとうさんは漫画は一人でやる仕事ではないと最初から考え、分業制を当初から主張し実践した。さいとうさんご自身は、漫画、というより自分が作るのは劇画であるから、映画を原作・脚本・監督、美術や考証、役者たちが集団で作っていくのと同じだというお考えである。だから「ドラマ(ストーリー)作りのうまい人と絵のうまい人が合体すべき」(さいとう氏談)ということだ。俺がお話を伺ったのはもう十年前のことで、その際さいとうさんは俺が「ガロ」の編集をやっていたと知ると世間話で
「実はね、漫画の作り方という部分では長井さんとやりあったことがあるんですよ」
と話された。実際に「やりあった」というよりは、漫画というものへの考え方で食い違ったという意味だと思う。どういうことかといと、さいとうさんは前記の通り、漫画は分業の方がいいものが出来るという考え。長井さんは漫画とは絵と話の両輪であり、それを作家が一人で作り出すところに作家性があるのだという考え。この二つが対立するように見えた、ということだ。
だがさいとうさんは、「我々の世界は劇画。ガロは『純マンガ』ですからね」と語った。
プロダクション体制で、たくさんの人が専業的に一つの作品に関わり、作り上げていくのは商業的な漫画制作の場ではもはや常識中の常識だ。だからさいとうさんが正しくて、長井さんが間違っているということでは決してなく、もう一方で、一人の作家が頭の中でお話を作り、それを絵で描き、漫画という作品に結実させることが出来るのも、また漫画である。
商業的な漫画家として成功するということはどういうことかというと、もちろん「売れる」ことである。売れるということは物量的にたくさん作品を売ることに他ならない。今の漫画業界でそうするためには、まずそれなりの部数を誇る月刊誌なり週刊誌なりで連載をし、そこである程度の人気を得て、単行本化される際に一定の部数を刷ってもらい、版元の宣伝などのバックアップを得なければ「物量的に多く売る」ことは出来ない。もっと言えば、その先にゲームやアニメ化、映画化やキャラクタ商品展開などがあれば、大成功だろう。それにはさらにテレビや広告代理店などが介入してくる。
こうした「成功」をするための第一歩は、自分の作品をとにかくたくさん露出させることだ。それは週刊連載のようにたくさん、という意味と、複数の雑誌や媒体にたくさん、という二つの意味があるけれども、いずれにしても一人では不可能である。
漫画がいくら、たった一人の頭の中という無の世界から、作品という有を産み出し、たくさんの人を楽しませるものであると言っても、商業的な成功を収めることは一人では難しい。
もちろん、物量的にたくさん売った=商業的に成功した作品が必ずしも優れた作品であるかは別問題だ。何度も述べてきているが、これまで単行本が数十万、数百万部と売れた作品はけっこうな数あれど、その全てが漫画史に名を刻むべきものであるかというと疑問な作品も多い。逆に、「ガロ」系で言うと、楠勝平作品のようにわずか数千部しか出ていなかった作品でも、何十年経とうが読む者を感動させ、語り継がれる作品がたくさんある。
もちろん何をして名作と言うかという定義は難しい。
自分としては、やはり他の誰でもない、その人というオリジナリティある絵時代が変わろうとも、面白さの本質が変わらず評価される作品であり、もっと言えばそのジャンルを切り拓いたその人であること…名作ってこういうことじゃないかな、と。思いつきだけど。
昔から、「ガロ」からの自分には一つのイメージがある。
広い草原の真ん中に広場があって、その周囲360度には草が目よりも上の高さにぼうぼうと生えてる。
真正面には、割りと広く刈り込まれた道が続いている。そこは「王道」であり、最初は細い道だったが、何人かが同時に横並びで草をバッサバッサと切り進んで行き、その後を続いたたくさんに人たちによって踏み固められて整地され、今でもそこへ向かう人がゾロゾロとひっきりなしにたくさんの数がいる。
王道の脇には小道がいくつか出来ていて、そこは王道ほどではないがけっこう広いものもある。そこへもけっこうな数が三々五々、入っていく。
見渡すと、背後にはけもの道のような細い、道とも言えぬ筋のようなものがある。目を凝らすと何本かあり、ほとんど人が続いて入っていった形跡はない。だがそのけもの道はよく見ると数十〜数百はあるようにも見える。中には誰も後を続かなかったせいか、消えてしまったものもある。
…もうお気づきかも知れないが、王道とは「マス」のコミックの世界だ。つまり横一線で道を広くし後続へ繋げ今に至っている人たちは、トキワ荘世代だったりするわけだ。背後のけもの道は「ガロ」の作家が踏み入った道だ。例えば根本敬さんの場合はデビュー時から、いきなり一人でわっさわっさと草を刈り、どんどん道を勝手に突き進んで行った。刈り込んで行ったら川があったり落とし穴があったりするかも知れないし、獣が出るかも知れないのだが、お構いなしだ。自分は担当当時、そういう感じで根本さんを見ていた。ちなみにその道の後には数人が続いたが、みな途中で引き返して違う道へ入っていくか力尽き、今では付いていく人さえいない。
他の誰でもない自分という作家の表現。絵も話もそれが出来れば言うことはないが、両方は難しい。絵はそこそこだが、バツグンに話が面白いとか、話は面白いが絵が下手とか、そのレベルや落差の上下・組み合わせが無限にあると思う。絵は人の真似、並べられても名前さえ判別できない「あるある絵柄」でその上オリジナリティはなく三文芝居というパターンが最悪なのは言うまでもないが。

漫画表現の場を「漫画を描く」というように、みなやはり連想するのは「絵を描いている」という場面になるだろう。本来絵と話の融合のかたちが漫画であるはずなのに、どうも絵の方ばかりに目が行ってしまうのは仕方がないことかも知れないものの、物足りない気がする。話を戻すが、漫画において絵を学ぶことは、絶対必要条件ではないと言った。
ヘタうまという言葉があるように、一般的な絵の巧拙という評価は、漫画絵の巧拙と合致しない。いつだったか、「まんだらけ」の古川さんに原稿を取りに伺ったとき、「まんだらけ」店内である某大御所先生の大きなイラストボードに描かれたカラー絵を見たことがある。…一般的な絵画技法の評価で言うと、上手ではなかった。誤解や批判を恐れずに言う。ビミョーだった。先日ある媒体に、少女漫画の某大御所先生が猫のカラー一枚絵を掲載されていた。やはり…だった。
だが、どちらの先生も、漫画家としての「漫画絵」の上手さとオリジナリティは誰もが認めるところだろう。某先生のキャラクターはデッサンと遠近法が狂っていて、首から肩のラインは不自然で、走っているのを正面から見たところの絵柄ながら、もしその人物を横から見たら、不自然にお腹だけが後方に突き出され、顔と足先が「く」の字の逆に前方に突出しているという体制になるだろう。でも、漫画絵としては誰が見ても見事な、某大御所先生の作品であった。
少女漫画の大御所先生の猫の絵は、まず猫の体が全く猫に見えず(狸や兎にも見えないが)、背景に組み合わされた色と花の配置と色彩感覚はかなり下品なものに見えた。すいません。本当にすいません。でも、漫画絵としての巧拙は別であり、その先生の「漫画家としての」評価は何ら下がるものではない。
こういった感覚は絵なり漫画絵なりを描いたことのない人には解り辛いものかも知れない。だけど少なくともプロの編集者ならすぐに理解してもらえるものだと思う。

漫画家になるにはどうしたらいいか、絵はある程度学べるとして話はどうするのか、という質問の答え。
てめえで考えろ。
そういうことです。
あ、怒らないで下さい(笑)、真面目に答えているので。
例えば小説家になりたいという人が、日本語の文法や漢字、てにおはや基本的な作文の作法を教わる。ていうかそんなん義務教育で習ってきている。そして紙とエンピツあるいは万年筆を持つ。あとはどうしますか? 頭の中からひねり出すでしょう。
例えば漫画家になりたいという人が、基本的な絵画技法を学ぶ。その上で漫画絵の技法を学ぶ。これらは必須ではないので、別にいきなりでもいいです。あとはどうしますか?
まず頭の中でストーリーを作り、そして紙とエンピツで下書きをして(しなくてもいい)、ペン入れをしていくでしょう。「頭の中からひねりだす」部分を、誰かに教わるのでしょうか? そこまで仮に誰かに教わったとしたら、あなたはあなたである意味があるのでしょうか? 他の誰でもない自分という作家を外に出したいという、その作家性の発露であるところの「漫画作品」を、なぜ、自分で作りたいと、思わないのでしょうか?
…そうはいっても、言いたいことは解ります。じゃあどうすりゃいいのさこのわたし、と。
だがお話のひねり出し方なんて、ない。それは、前回述べたように
「いい小説いっぱい読んで、いい音楽いっぱい聞いて、いい映画いっぱい観な」(長井勝一談)
に尽きるからだ。自分も経験したから敢えて言うけれども、ジャンルを問わずいい作品=表現に触れた後は、自分も表現をしたくなる。必ず、そうしたくなる。その手段がたまたま漫画というものを自分が選択したのなら、それを作品という形に昇華させればいい。そうして、その発露のまま、どんどん作品を作っていくべきだ。四の五の言ってる時間があったらどんどん作品を作る。それを一年やってみて、一年前の作品を見てみる。たぶん恥ずかしくて発狂しそうになるはずだ、だがそれが成長している証だ。俺もそうだった。
もう一つ言えば、自分以外の他人の客観的な評価を恐れずに、むしろ積極的に聞くべきだろう。信頼できる「漫画読み」に評価してもらえればそれが一番いいが、その環境になくとも、アマチュアの漫画読みならたくさん、周囲にいるだろう。

こういうことを言うと、では京都精華大学のマンガ学部のような試みは無駄なのかと言われる。何をおっしゃいますやら。大学というアカデミズムの場で、よりにもよってマンガを学べるなんて、何という幸福なことだろうかと俺は思う。俺が18歳当時だったら迷わず受ける。誰がなんと言おうと受ける。そうして必ず受かる。受かって通う。一日も休まずに通う。講師陣に疎まれてもつきまとう。問い詰める、食い下がる。嫌がられても作品を見せる。見てもらい、感想を聞く。それを何度も何度も繰り返す。感想だけでなく色んな話をしてもらう。とにかく何かを吸収しようと傍に行く。俺ならそうする。もう遅いけど。
プラトンが開設した「アカデメイア」の時代から、優れた先達の元に集まった若者たちが、先達と討論しその哲学や思想に触れ、それを自分なりにどう熟成させ新たなものを産み出していくかというのが、大学という場じゃなかったのか。違うか。
大学でマンガを教えてくれるということは、一般的な絵画技法に加えて漫画を描く上での作法や技法を実技で、出版や漫画業界の歴史・知識などを座学で教えてくれるだけではない。優れた作家さんたちが講師として名を連ねているのだから、学べば誰でも身につく技法や知識だけではなく、業界で何十年も生活している、先達としての作家さんと生で接することによって得られるものは、何ものにも代えがたいものじゃないか。
例えばストーリーマンガ学科ではマスのコミックの世界では竹宮惠子、(さいとう・たかを先生の言う)純マンガという世界からはやまだ紫という作家と、教授と学生という関係を築けるのだ! こんな幸福な大学が他にあるのだろうか、そして老婆心ながら俺が一番心配なのは、その重要な意味を、学生がどれだけ理解しているのかということだ。
とかく世の中は情報化社会と言われるようになって久しく、情報だけはいくらでも、いつでも手に入る時代ではある。それらをいくら収集し蓄積しても、本人の教養にはならないから、そこからオリジナルな何かを生み出すのは難しい。では優れた表現に触れようにも、今度はそれらを紹介してくれる「情報」を求める。「いい作品にいっぱい触れろと言われても、何を読んだらいいのか」ってオイ。探せよ自分で。そうすれば必ず手に入るよ。むしろ、他人の価値基準に頼らず、自分の感性を磨く努力をしろ、ということだ。

他人の価値基準ということで言えば、政治家の中には漫画やアニメオタクにおもねる向きがまたぞろ、出てきている。別に人気取りでもいいが、とりあえず、漫画を、漫画という表現を愛している者しか、漫画には関わらないで欲しい。仕事だからとか、漫画をコンテンツだの商品だのと言ってはばからない連中はひっこんでろと言いたい。

<この項つづく>
関連記事
2006-09-13(Wed)

漫画家になりたい人へ 2

前回の関連記事「漫画家になりたい人へ」への反響が意外に大きくて、たくさんの人からメールをいただいた。とても一つ一つにお返事を出すことが出来ず、お詫び申し上げます。

いろいろと整理していずれは何らかの形で公表したいとは思っていた断片的な「漫画への思い」を含め、このブログにはその都度感じたことや常々思っていることをほとんど衝動的に書いている。ブログとはまあそんなようなものだ。だからこれまで本家サイト(「白取特急」)の日記やコラムなどでも書いてきたようなことは、たびたび繰り返しになってしまっていることが多い。そういう「前にも言ったけど」的な部分って、避けたいとは思うものの、一冊の本を書いているわけではないからご容赦願いたいし、自分の考え方…大げさに言えば哲学というようなものはコロコロ変わるものではないから、核心部分は同じことになるわけだ。とまあそんなことも含めてブログってそんなものでしょう。

それではその「核心部分」とは何かというと、漫画や編集という部分に限ると概ねこういうことになる。
・漫画とは絵とストーリーの両輪からなる表現であり、その「作家」(この場合は漫画家)は全てをたった一人で産み出し完結させることができるものだということ
・ここで言う「作家」とはあくまでオリジナリティを持ち、他の誰でもないその作家自身の作品世界を持つ存在であること
・編集者とは、あくまで表現者たる作家が産み出した「作品」があって始めて仕事が出来る存在であること
・従って編集たる者、作家に対しては常に一定の尊敬の念を持ち接するべきであること

ごくごく簡単に思いついたままに記述すると、こんなようなことだ。
「ガロ」という稀有な漫画雑誌に関わっていた自分が、漫画家を目指していた時期から編集者になって今に至るまで、こういう思い=核心部分には何ら変化はないと言い切ることが出来る。

描く側=作家側を目指していたころは、「こんな漫画を描きたい」「こんな作家になりたい」という目標があった。それが「ガロ」を本格的に読むようになってからは、「他の誰でもない、自分という作家を世間に認知させたい」というものに変わった。なぜなら、「ガロ」はそんな作品に溢れていたからだ。
長井(勝一)さんに出会い「ガロ」編集の道に誘われて修行するうち、原稿の整理でさまざまな「ガロ」の漫画家さんたちの生原稿を拝見する機会に恵まれた。当時社内で単行本を作っていたり、終了して保管してあった原稿を整理させていただいたのは、丸尾末広、花輪和一、林静一…といった物凄い作家さんたちの「生原稿」だった。この顔ぶれの凄さを理解できる若者がどれくらいいるのか今、急に不安になってしまったが、ともかく、ほんとうに凄い作家さんたちの名作の数々、それも生原稿に触れることが出来たのだから、夢のような空間であった。
当時の神保町の材木屋二階にあった青林堂=「ガロ」編集部(兼営業所、兼梱包・配送所、兼倉庫)は、そのたった十坪あるかないかの狭い空間に、片袖事務机が6個向き合って並び、その両背後には原稿がびっしり入ったスチール製の棚とロッカーが壁面に並び、その中は言うまでもなく上にまで、天井ぎりぎりまで原稿を入れた大きな封筒を梱包した包みが積み上げられていた。さらに事務机の塊の手前には1mほどの空間、というか通路を置いて大きな木の机があり、そこが品出し(新刊を書店に出したり、返品を改装=ブックオフなどで機械でやってるアレを全て手作業、紙やすりなどでやっていた)などの作業台になっていた。作業台の両壁面はこれまた本の在庫が新刊や返品などが床から積み上げられていた。ちょうど書店の店頭にある平積(本が表紙を出して床と平行面で積み上げられてある状態)の本が、床から腰〜腹くらいの高さになり、その面がずらりと壁面から3〜4列手前まで並び、幅は2・5mくらいの帯になっていると想像してもらえればいい。
とはいえそんな「出版社」なんか今どきの人たちには全く実感ないだろうし想像も出来ないかも知れないが。まあそんなところで出版をやっていたところがあったということだ。ちなみに日本には4000を越える出版社があるものの、その半数以上は従業員が10名以下の「零細版元」である。中には静山社(あの「ハリ・ポタ」の日本版翻訳出版で巨利を得た版元、社長はスイスに移住も税金対策との疑惑)のように社員は少ないが利益が巨大という稀有な例もなくはないが、ほとんどは三ちゃん農業ならぬ「三ちゃん版元」だ。農業の場合は父親が出稼ぎで残ったジジババ&母ちゃんで農業をやった、というかつての農村の話だが、この場合は社長が父ちゃん、母ちゃんが経理。息子(兄ちゃん)が専務で編集者。というかこういう零細版元は社長も専務もヒラも名ばかりで、全員がやれることは何でも、それこそ編集から返品整理までやっている。
話が逸れた。ともかく版元四千数百社あれど、そのほとんどが中小・零細であり、利益は上位数十社の寡占状態にあるのがこの業界だ。このあたりの話は】:「出版不況」--細く長〜く…ではダメか? その2でも書いたのでヒマな方は別窓でどうぞ。

青林堂で編集のアルバイト(というより出版に関わる全業務)をするようになり、幸運にも直接手にして見ることが出来た素晴らしい作品の数々、これらの体験は、自分という未熟な者に漫画家への道を諦めさせるに充分であった。林静一さんや花輪さん丸尾さんなどの生原稿を見たら、「俺は絵がうまい」なんて金輪際言えねえ、って(笑)。それだけではない、どれもこれも、「ガロ」の作家さんたちの作品は個性という絶対的な煌きで輝いており、確固たる独自の作家世界を持っていた。眺めているだけでウットリさせられるような素晴らしい絵を描く作家がいる一方、絵や技法の巧拙なんかクソくらえと言わんばかりの作家もたくさんいた。俺は毎日毎日、長井さんに頼んで、手が空いたら原稿を見せてもらった。長井さんはアルバイト当時の俺を漫画家志望の青年と見てくれていたから、勉強しろという意味で快く見せてくれた。ただし、もちろん原稿は丁寧に扱うこと、ほどいた梱包は再び綺麗に梱包し直すことなどを厳命してのことなのは言うまでもない。
漫画を描いたことのない人はピンと来ないかも知れないが、漫画の生原稿というものは、それはそれは美麗なものである。
よく漫画雑誌で皆さんが見ている漫画の画面サイズはB5判が多いと思うが、あれでも通常83%前後に生原稿を縮小して印刷されたものだ。つまり生原稿というものはだいたいB4くらいの用紙に余白をたっぷり取り、版面(はんづら=つまり漫画の外枠までの画面部分)で1.2倍程度の「一枚絵」と思えばいい。この漫画の生原稿、よく書店などで「原画展示中!」なんてことがあるので見たことがある人も多いかと思うが、中には複製原画(生原稿を原稿用紙に一色分解て転写複製したもの)を展示している場合もあるので気をつけたい。あれは線が死んでしまっているが、本当の生原稿というのは、作家の筆致、息遣いが伝わってくるものだ。
世界にたった一枚しか存在せず、しかもそれは描いた本人でさえ100%同じものは二度と再現できないもの、それが漫画の生原稿だ。だから、そう思えばとてもとてもぞんざいには扱えない。たとえ投稿作品であっても、細心の注意をはらって拝見する。それが編集者のマナーだと思う。
こういった徹底的に叩き込まれた…というより学んだものが、今の自分を作っている核心部分だ。俺は「ガロ」に20代の全てを捧げてしまったので、これはもう今後も変わることはないと思う。


ここまでが前置きである(笑)。
さて、拙文「漫画家になりたい人へ」に対したくさんメールをいただいたりコメントをいただいたりした中で、多かった質問や疑問その他にできる範囲でお応えしたい。

「漫画作品の創り方を教えてほしい」つまり漫画は絵と話の両輪であることは判ったし、そう思う。でも絵はある程度学べるが、話作りはどうすればいいのか…。こういった内容の質問が最も多かった。
実はこういう「質問」は、連れ合いであるやまだ紫も、教鞭を執る京都精華大学の学生から質問されることがあるそうだ。
俺としては、漫画という表現を選んだ以上、誰かの真似をするとか、誰かの後塵を拝すような作家を最初から目指す人間はいないはずだと思っているし、そう思いたい。いや、漫画家を目指すなら誰もがまず「他の誰でもない自分という作家」を目指し、そのことを世間に知らしめたいという希望を持っていると、思っていた。違うのか?
漫画表現を学ぶ段階、つまりアマチュアで自分の技法を高めようと勉強している段階では、好きな漫画家や技法に優れた作家の絵なり技法なりを模写する、つまり真似をすることはよくある。それは有効であることも知っている。俺もかつて、そうやってたくさんの作家さんの絵を模写した経験があるから、必要性と同時に難しさも知っているし、個性ある作家さんたちは、その線一本にも個性があることを学んだ。
だが、模写して技法や筆致を学ぶことはあっても、絵柄をそっくりパクることは全く考えなかった。線をどうやって流麗に描くかとか、逆にワザとブラしたりたどたどしく見せたりとか、主線(おもせん=キャラクタなど主要人物を描く線)と背景などの線の描き分けとか、画面構成や白黒のバランスなどなど、とにかく学ぶべきはあくまでも「技法」であり、それを自分のオリジナルな絵の発見や作成に活かすことを目的としていた。
漫画の両輪の一つ、絵に関しては、一般の絵画におけるデッサンや構図、絵筆や絵の具の使い方などといった部分にあたる技法・技術を学ぶことは重要なことだということは認める。だがそれは漫画を描く上で「絶対条件」ではないのだ。
前回の記事でチラと言及したと思うが、例えば絵の巧拙だけで漫画のよしあしを判断されたら、デビュー当時の蛭子能収や川崎ゆきお、渡辺和博といった人たちはどうなっただろうか。事実、メジャー商業誌の世界では、蛭子さんや川崎さんは全く相手にされなかった・叩き落されてきた。あの鴨沢祐仁さんとて、初期の絵柄は上手いとは言えなかった。こんな例は枚挙に暇がない。
メジャーの世界でも失礼を承知で言うが、永井豪、石ノ森章太郎、松本零士各先生のレベルでも、一般的に言うデッサン力や写実的な意味での「絵のうまさ」を評価基準にされていたら…。「漫画絵」としてのうまさと個性、それは誰かに学べるものではない。学んでしまうと逆に似たような絵しか描けなくなってしまう落とし穴にはまる。このことは、巨匠と言われる作家の弟子になりその漫画絵を学んだ作家がその落とし穴にはまる例が多いことを見れば解るだろう。ちなみにその例は先の巨匠に加えて例を挙げるなら、ちばてつや、赤塚不二夫、本宮ひろ志など、挙げればもう本当にキリがない。あれ、この人●●さんにしちゃ絵が下手だな、それにしても似てるな、と思って表紙の名前を見たら別人だった。こんな経験はちょっと幅広く漫画を読んでる人なら誰でも経験があるだろう。
基本的なデッサンや絵画技法を学んだ人は、「一般的な絵の上手さ」を身につけたうえで、自分の絵という個性に加え「漫画絵の上手さ」も身につけないといけないと思う。
例えば最近芸能人が油絵を描いてナントカ展に入選、みたいなニュースをよく見る。そのほとんどが写真をトレスしたかのような写実画だ。つまりああいう絵はある程度「一般的な絵画技法」を学べば、よほど不器用な人間でない限りは誰でも描けるのだ。そう、誰にでも、だ。
写実的な絵を上手い、いや「いい絵だ」と言われてしまったら、絵画など必要ないだろう。
風景を写真を撮影してきて、それをキャンバス大に引き伸ばし、トレスし、油絵の具なり水彩絵の具なりでその上からそっくりになぞれば「作品」の出来上がりである。いや、高解像度で撮影した写真をパソコンに取り込み、油彩か水彩風フィルタをかけるとかして、それをプリントアウトして額装した方がより正確だろう。いやいっそのことその写真そのものを飾ればいい。
写実の礼賛も過ぎると、そういうことになる。芸能人が描く絵のほとんどはコレだ。だから作品としては取るに足らないものばかりと言っていい。
では漫画である。
漫画の場合は、写実というと背景も写真を本当にトレスして使う人がいるが、人間まではそうはいかない。そこで「デフォルメ」が入るわけで、その部分に作家の個性が現れるわけだから、むしろ一般の絵画よりも作家性を評価されるべきなのはそこだ。つまり写真や現実そっくりに描いたとしても、最悪それで作品となる(作品と呼べるかどうかは別として)一枚絵としてのイラストやカートゥーンではなく、ストーリー漫画であれば、さらに作家のオリジナルの「話=ストーリー」が加わって「作品」となるのだ。
漫画絵は一般的に言う絵の上手さ、つまり写実的な絵の上手さを評価されるものではない。ホンモノそっくり、見た目そのままに絵が描けても、「だから?」だ。その上でどんなお話を見せてくれるのか、を問われる。花くまゆうさくのような筆致で、背景などいい加減でほとんど描かれることがなくとも、それでも彼の漫画は面白い。何故面白いのかを考えれば、漫画というものが何であるかが少し解るような気がする。
もう一度言うが、漫画とは絵と話の両輪からなるひとつの表現手段だ。絵の方は基本を学ぶことはいくらでも可能だ。一般的な絵画技法なら、デッサンや構図などいくらでも教えてくれる場所はある。漫画としての絵画技法、つまり変な言い方だけど漫画絵技法は、それらを学ぶ必要はない。学んでもいいが絶対必要条件ではない。漫画絵を描くうえでの基本的な技法とは、漫画原稿作成上での作法、つまり原稿用紙がありそこへ枠線をどうやって引くかとか、ネームというものがあるとかペンの使い方とか線の引き方トーンの貼り方削り方、修正の仕方などなどである。
こういった漫画絵の技法いや「漫画原稿の作成方法」なら、前回述べたように、解説本もたくさん出ているし、ソフトウェアまである。これらをキッチリプロ並かそれ以上に習得したアマチュア=ハイ・アマの数が多いことも述べた。
ではそういった人たちが漫画家と呼べるかと言えば、もちろん否だろう。彼らが確実になれるとすれば、それは「漫画家」ではなく「漫画家のアシスタント」である。

<この項つづく>
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2006-09-11(Mon)

病状、変化無し

9月11日(月)
夕べは2時過ぎに寝たが、眠りが浅く何度も夢を繰り返し見ては醒め…という感じで7時前には目が覚めてしまい、あとは7時半に起きるまでずっと布団の上でごろごろ。目覚ましは8時前にかけていたが、鳴る前に起きられた。今日は晴天だが、よく見ると雨が降った形跡がある。
今日は日大病院の診察日。連れ合いが一緒に行くと言うので8時10分ころ、二人で出かける。タクシーがすぐにつかまり、渋滞の17号を坂上からときわ台経由に運ちゃんが自主判断で変更してくれて、8時50分くらいに到着。内科受付で連絡表を貰い、連れに「これから検査検査で動くしその都度待ったりするから、ここで待ってて」と言って採血に向かう。採血受付で27番という紙を貰い、待合室で10分ほど待って、9時ちょいに試験管2本分の採血。今日の予約は採血9時で診察9時半と予約票に書かれているが、30分で結果が出るのか疑問を抱きつつ、レントゲン受付へ向かう。胸部縦隔の腫脹の大きさを見るためだ。「12番」のレントゲン室の前で待っていると5分ほどで呼ばれ、胸部撮影。すぐ終わってオモテ側へ廻り、5分ほど待って即現のフィルムを受け取り、内科受付のナースに渡すと9時15分。ということはもう中待合の診察室前で待たねばならない時間だ。疑問に思いつつソファに座って待つ。果たせるかな、9時半になっても別の人が次々呼ばれていく。背後では待たされた患者が怒って看護婦を問い詰めている声が聞こえる。「今日は混んでますからね」と答える看護婦。あらら、これは…と思ったら10時ころにあっさり呼ばれてちょっと拍子抜け。

採血の結果はバッチリ出ていて、U先生「どうですか、何かお変わりありましたか?」と聞くので「いえ、むしろ体調はいいぐらいで」と言うと「そうですか、やっぱり採血の方もね、変化ないんですよー。それとさっきのレントゲン、お胸の方も全く変わってませんでした」とのこと。「そうですか、良かった」とホッとする。「このままこんな感じで行ってくれればいいんですけどね」と言うと「そうですよねー」と言われる。そういうこともあるのだろうか、いやあるのかないのかも俺の場合は極めて特異な癌のタイプなので、何もかもが不明なのだが。
触診もされ、各部のリンパ節の腫脹も変化はないということを確認してもらう。あと俺が「一年前に入院する前に禁煙したのと、歯を治していただいたのがあると思うんですけど、食欲が凄くあって間食も増えたんですよね」というと「ああ、体重増えたとおっしゃってましたよねえ。前とベルトの穴の位置とか変わってます?」というので、「前のベルトは可変タイプのやつだったんで判らないんですが、明らかに胴回りは太ったと思います、それでも一年で4〜5kgですけど」と話す。先生は念のため、前のCTからもずいぶん経ったので、腹部と骨盤までのCTを一回撮って、胴回りが脾臓の腫脹か、単に太ったのかを確認しましょうということになる。なので、25日の午後にCTを一回挟み、次回は10月2日となった。診察室から出て、廊下の待合ソファで本を読んで待っていた連れ合いに声をかけ、もうちょっと待つように言って検査予約へ。そこで注意書きと予約票を受け取って再び合流し、地下の会計へ向かう。
今日は空いているようで、自動清算機の前に立っているとすぐに俺の番号になったので、3千いくらを支払って出る。いつもの薬局にベリチーム(消化剤)2週間分の処方を出して、連れ合い用にカルシウムウエハースというのを2袋一緒に買い、病院のバス停から池袋行きのバスに乗る。久しぶりに気晴らしにデパートでご飯でも食べて帰ろう、ということにしたのだ。

今日は雨の予報だったが晴れ間も時々見えるくらいの天気。改めて外はいいなあ、と思う。池袋西口に着いてすぐ東武デパートへ行く。連れ合いが香水を買いたいというので付き合う。入り口入ってすぐの店で物色していると店員が声をかけてきたので、「あまりキツくなくさわやかな感じの」というといくつかサンプルを嗅がせてくれ、結局ブルガリのものにした。俺用にも買え買えというので、いくつか嗅いでみて、カルバン・クラインのメンズ用を買った。使うことってそんなにないと思うが。その後はエレベータで8階、そこからエスカレータで13階まで行き、和食屋へ入る。二人とも松花堂弁当2500円くらいのやつ。しかし来た弁当のおかずはダシの味が薄く、従ってダシで味をつけるもの全てが薄味。煮物もダメ、茶碗蒸しもダメ、天つゆも薄い。がっくり。一番うまかったのはお造りとデザートの抹茶アイス。何だかなあ、と言いつつそれでも腹は一杯になるのが虚しい。まあ、デパートでメシを食うということはこういう経験をすることなのだが。以前、マスコミがもてはやす洋食レストランがデパートに出店しているというので入ったことがあるが、ドミグラスソースがハンバーグのもハヤシライスのも全部同じ味。しかもうまくない。それでいていい値段。デパートって、そういうところなんだねえ。
エレベータで地下一階まで降りて連れの和菓子、俺はとらやの和三盆水羊羹などを買い、地下二階で夕飯を買って帰宅。久々の人いきれはけっこう疲れた。帰宅後、無事であったことをご先祖様に感謝して、お水とお線香をあげて手を合わせる。
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2006-09-08(Fri)

消費税は上げるな!

9月8日(金)
曇天。朝はまた工事の騒音で叩き起こされる。この国って「騒音」を撒き散らすことへの規制が甘すぎないか。そして撒き散らす側の意識も低すぎないかと思う。今住んでるところは不動産会社に騙され、住宅地だと思ったら準工業地域だったというお粗末。こっちがマヌケだったと諦める日々。

ニュースでは、いよいよ自民党総裁選挙の告示とかで、「小泉後」に焦点が移っているとの報道。まあ「ハンカチ王子」を追っかけまわすよりはまだマシなのだが、やはり結局は出来レース。安倍さんが次期総裁となり次期総理となることは規定路線だろう。世論調査の結果なども各局、各紙公表して何やかやと分析をしてみせている。次期総裁に取り組んでもらいたい優先課題は何かという問いでは、どの調査でも大方が景気対策、年金、財政問題、高齢化対策、医療費や福祉などの「身近な問題」であり、憲法改正問題は国民としては余り優先度が高いとは思っていないことがわかる。外交では米国や北朝鮮との問題よりも、中国や韓国との関係改善を望む声が多いようだ。
さて消費税問題なのだが、いくつかのニュース番組やワイドショーをはしごして見ていて、愕然とするような映像が度々、それも複数の局で流れるのを目撃した。どういうことかというと、
「消費税は上がるのはしょうがないと思う」
という意見が、国民の側から出ている映像だ。
本当かよ。その理由としては、
・財政が立ち行かないのなら、痛みは分け合うべきだ
・福祉や雇用対策に使われるのならやむを得ない
・他の欧米諸国などはもっと高いから
 というような、一見もっともらしいもの。何も知らない小学生や中学生がこうした意見を真顔で述べるのは苦笑して「あのねえ…」と教えてやればいい話だけど、こういう「意見」の多くはイイ年をした大人の口から出ているのだ、信じられないことに。

財政が立ち行かないのはなぜなんだ? ちょっと考えれば、国内が不景気のドン底にあえいでいる時に国債を乱発し、一方ではハコモノを相変わらずダラダラと作らせたり特殊法人を温存し天下り官僚に高給と退職金を与え続けるのを放置し、外国には相変わらず(一時よりは減ったとはいえ)援助金をバラ撒いてきた結果じゃないか。
さらに福祉や雇用対策のために使われるのならやむを得ない、って何を寝ぼけたことを言ってるんだか。我々納税者に、租税立法に参加できる権利は、ない。さらにむしり取られた税金の使いみちをはっきりと解るかたちで公開してもらい、それを監視し、誤りを正したり責任を追及できるようなシステムも、ない。あるじゃないかという意見を言う御用学者や政治家もいるが、税金を使う側はあの手この手で開示する際に粉飾と改竄を加え、市民の監視の目をくらませるのは昔からの常套手段だ。今話題になっている地方自治体でボロボロ出てくる不正問題を知らないのだろうか。
最後に、他の国はもっと高いからって、もうこういう意見を聞くと「じゃあお前だけ払っとけ」と言いたくなるのだが、海外の消費税のパーセンテージだけを見れば、日本より高いところはたくさん、ある。だがしかし、それらの国では低所得者向けに生活必需品や食料品などを非課税か、低率に抑えているところがほとんどだ。世界的に見れば、日本のように金持ちも貧乏人も十把一からげにして一律に課税している国の方が遥かに少ない「異端」なのは常識だと思うが。
ちなみによく引き合いに出されるようだがアイルランドの消費税率は21%と確かに高い。だが食料品は非課税。イギリスもオーストラリアもメキシコも日本より消費税率は高いが、いずれも食料品には、消費税は、かからないんですよ。何でかって、「食べること」は生きることに欠かせないことだろう、それには金持ちも貧乏人も関係ねえからだろうが。あとこれも有名だけど、北欧諸国の高消費税も、高福祉国家とセットだからこそ国民が納得していることだ。医療費や教育費がほとんどタダ、なんですよ。「他の国はもっと高いし」とかマヌケな顔で抜かしてるおっさんたち、お前だけ15%黙って払っとけボケ。
前の記事「想像力」を引き合いに出して申し訳ないけど、役人どもはてめえらの不正は庇い合い助け合ってごまかし、せっせと日夜いかに税金で自分らがうまい汁を吸うかを考えてるだけで、「国民のためにはどうしても消費税を上げないと」なんてこれっぽっちも考えちゃいねぇんだよ。
もっと言えば、これまた有名な話だが、株取引という「不労所得」で得た収入にかかる税金は一律10%なのに、サラリーマンをはじめとする勤労所得は最高50%。何だよこの国。
かねがね、俺ら貧乏人は「ベンツ税」「宝石税」を作れと言っている。大金持ちは税率が20%だろうがベンツやランボルギーニだのを買う。宝石の値段なんてあって無いようなもんだから、税金が多くかかろうが買う奴は買う。ぜいたくをする奴から贅沢税を取れ。
もう一つ、公務員や政治家の汚職は一般国民の窃盗や詐欺罪よりも重罪にしろ。ヤツらは「国家から国民の金を盗んだ」わけだろう。その罪は極めて重いと思う。
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2006-09-04(Mon)

想像力

9月4日(月)
晴天。このところWEB関連の仕事が立て込んでいて、ちょっと忙しい。今月中には管理サイトの改定がもう一つあって、健康でもキツいスケジュールかも知れない。

連れ合いと昼食を食べながらワイドショーを見ていると、今日も報道されていた岐阜県庁の職員どもがせっせと何年にも渡って県民の血税から裏金を掠め取っていた事件をやっていた。ちなみに県側は「プール金」と呼び、「裏金」とは言っていないそうだ。なぜかとTBS「きょう発プラス」が問うと、「プール金」とはお金の作りかたが不適正であったが、使用方法は適正だった(この場合は県のために使ったということか?)場合で、「裏金」とはどちらも不適正だった場合に使う呼称だというワケのわからない説明をされたという。もちろんどっちでも県民の目を欺いていたことに違いはなく、もっと言えば用途だって思い切り不適正ではないか。料亭だのキャバクラだのの飲み食い遊興費から帰りのタクシー代だのから、サラ金多重債務に苦しむ職員への融資からスピード違反で逮捕された職員の裁判費用だの、果ては裏金作りに協力した企業つまり共犯者への数千万単位の資金調達まで、まあ出るわ出るわの不正オンパレードだ。
こいつらは「公務員」ですよ、皆さん。
県民のために仕事をしているというよりは、いかにして税金から裏金を作るか、そのことに一所懸命日々腐心していたと言うしかないではないか。犯罪行為を行いながら給料貰ってんだよ、しかも両方とも税金から。こうした公務員の不正は、岐阜県庁など氷山の一角であることは、発覚当時から想像力たくましくせずとも皆、わかっていた。案の定、全国の都道府県庁から出るわ出るわ。数億、数十億単位の不正の数々、呆れるばかり。
普通の企業なら懲戒免職され、その後弁済させられるか、額や悪質度によっては告訴されてブタ箱送りになる事案ばかりではないか。なのに公務員どもはよほどのことをしないと、いや、かなりの悪事を働いても、懲戒免職になることはごくごく稀だ。身内同士で徹底的に庇い合い、証拠を隠蔽し、秘匿し、偽装し、口裏を合わせてお互いがお互いを守り合う。涙ぐましいばかりの自己保身と連帯感である。そうまでして「公務員」の地位にしがみつきたいほど、日本という国の公務員という地位はまさしく天国なのだ。
発覚したらしたで、立件されないかわりに「返還させる」という処分があってしかるべきだが、実際多くの道だの県だのではバレた以上何らかの処分をせねばならないので、一応どこも発覚したところはそういうことにはなっている。しかしその対処たるやバラバラで、番組によると北海道はOBにお咎めはなく、現役の公務員たちがローンでせっせと「弁済」しているという。福岡は連帯責任で、現場だけでなく看過してきた上司も管理責任を問われて弁済させられている。
ていうか、警察入れて捜査させろよ。
そもそも岐阜県の問題にしても、詐欺や背任などの公訴時効「7年」があるので、解っても罪を問えないと知ってからの発覚というのが「いかにも」だろう。一応自浄作用が働いたように見えるが、巧みに誰も責任が問われないようになっている。全くお役人のやることは、こと自分らの保身や利益誘導に関する限り、完璧だよ…。

でもまあこういったことは何も今に限ったことではなく、昔っからずーーーっと言われてきたし、解っていたことではある。あるアメリカの友人は以前、世間話から政治の話になったときに、日本のことを「非常によく出来た公務員立国だ、テクノクラートが腐敗を極めた旧ソ連や、現在の中国でさえ、ここまで高度な公務員天国を作り得なかった」と評していた。ちなみに欧米では当り前だが公務員の腐敗が明るみに出た段階で徹底的に裁かれ罪を問われるだろうし、中南米などでこうした社会を作ろうとしても、発覚した時点で暴動や革命が起きるだろうから、構築が完成形を見ないだろう、という。
日本は国民が必死で働いて税金を、本当に血の涙を流す思いで支払う「血税」を、公務員や官僚どもがいかにして自分らの「公務員天国」を維持するか日夜必死で考えぬき、そしてそのために使っている。

消費税が数年以内に恐らく上がるだろうけど、国家・地方合わせた官僚や公務員たちの不正な裏金や天下り先の不要な特殊法人などを無くし、そっちをまず財源に充てろ。そもそも中曽根内閣が「売上税」を導入しようとして選挙に大敗して失敗し、その後導入しないといったのに、竹下内閣で「消費税」が決まった。これは当時「福祉目的税」であると明言したはずだが、その後福祉はどうなっただろうか? また3%が決まった当時、これを上げることはしないと言ってたはずだが? それもなし崩しとなり、今は5%である。そしてまた上げると言っている。片方で、税金の無駄遣いはダラダラと放置されている。
去年だけで運営交付金や補助金・出資金などの名目で、特別会計を通じ総額6兆円近い金が特殊法人(独立行政法人含む)に使われている。中にはもちろん、適正な業務を行っている法人もあろうが、そのほとんどは不要、あるいは規模や人員過剰と言われて久しい。日本総研によると、国および独立行政法人・特殊法人等の保有する売却可能財産は、67兆円。国民経済計算(SNA)によれば、地方政府の保有する資産は、土地だけで111兆円。全てが売却可能とは言わないが、社会保険庁の例を見てもわかるように、無用な箱モノや土地は国民に返還すべきだろう。そういったことを全てやってから消費税を上げろ、つーの。
とはいえ、こういう社会を放任し、継続を許しているのもまた「ニッポン国民」であるが。
まあこういったごくごく当り前のことを声高に主張すると「正論をふりかざして」と揶揄する知能の低い阿呆が出てくるので困るのだが、敢えて言わせてもらう。一人一人がそれこそこうしたことに「いい加減にしろ」と「正論」をもって立ち向かわないことには、それこそ未来永劫、この長い時間をかけて官僚・公務員によってある意味完璧に作り上げられた「システム」は、続いていく。昔っから言われているように、国家とはマフィア(日本式に言えばヤクザ)のようなものだ。「守ってやるから金を出せ」である。だが現実には困ったところで特別に守ってはくれないし、一度金を払えば永久にむしり取られる。せめて自分たちのためになるかと思うと、相手が「裕福になる」だけだ。着るものや食うものがどんどん贅沢になっていく。俺らむしり取られる側はどんどん貧相になっていくばかり。「今月の金を払え」とみかじめを要求してくる側に情けや容赦はなく、ナケナシの給料は差し押さえるし、税金の還付金まで、こちらの手に届く前にさらっていく(これは本当の話で、俺は経験者である)。そうやってむしり取っていく側は仕立のいい洋服を着て身なりからも裕福であることが一目で判る。たいていが持ち家で、退職金も民間では考えられない額が出るから老後の生活にも何ら心配はない。そんな連中が、それでも足らぬと毎日、裏金作りだの天下り先保守に奔走している。「情」とか「仁義」なんかが通らない分、マフィアよりタチが悪いかも知らん。

こういう政治や社会問題に「俺には関係ないから」「興味ない」という若者が多いこと、そして唯一残された我々の権利である投票という行為にも行かない人間が多いことに、呆れ果てる。そういう連中らだけ、消費税上げてくれ(笑)。いっそのこと200%とかにしとけ。「関係ない」し「興味ない」んだから、何の疑問も文句もなく支払うんだろう。ついでに住民税や所得税も3倍くらい取ってやれよ。
この国で「お上」にたてつくとロクなことにならないからこの辺にしとくが、「一部の不心得者のせいで、真面目なほとんどの公務員の悪口を言うな」とよく言われる。「黙って見過ごしていること」も立派な幇助行為だろう。その意味では「無関係」と放置している国民も立派な共犯者なのだ。


こんなニュースを見るたびに腹が立ち、血圧が上がるのが解る(笑)。体に良くないなあと思うのだが、現実の話なので仕方がない。

続いて放送されたのは万引きGメンが万引き犯を捕まえる…みたいな「いつものアレ」(笑)。撮りためといて、ネタがなくなったり空きが出るとはめ込むのかも知らん。でもドキュメンタリであることは間違いないので、ついつい見てしまうものだ。
万引き犯が捕まって事務所へ連行される、家族関係やら仕事なんかを聞かれる、まあ大抵は「家族や職場には内緒に」とか「代金は支払うので穏便に」みたいなことを述べて事件化されないようにお願いするものだが、最近はきっちり警察を呼ぶことが多いという。
そんなやり取りを「あれは常習だな」とか「立て板に水で言い訳を述べるところなんか、手馴れてる」とか話し合いつつ見るわけだけど、我々夫婦が特にそうなのかも知れないが、ある事象が放送されても、ついついその背景や裏側まで想像たくましく勝手に膨らませたりしてしまう。新たなストーリーが誕生したりさえする。「あんなこと言ってたって家に帰りゃこれこれこんな事言ってこんな態度に違いない」とか勝手に想像してもっと腹を立てたりすることもあるから(笑)、想像力がたくましすぎるのも考え物だ。

「想像力」と言えば、昨晩余りに見る番組がないので昔撮り溜めていたVHSビデオの箱をひっくり返していると、心霊・オカルト関係のテープが大量に出てきた。今から14年も前のに「横スライドババア入り」と書いてあったので何だろうと再生してみた。
小倉智昭が司会で、ゲストは(今と微妙に顔の違う)飯島直子、レポーターに真行寺君枝。真行寺が長崎の「幽霊屋敷」をレポートするというものだが、そこの撮影中に突然鏡が倒れたり、照明が消えたりというトラブルが続発する。まあ怖いんだけど、ここで言いたいのはそういうことではない。
その幽霊屋敷と呼ばれる一軒家は、背景を調べていくと、溺愛していた一人息子を失った母親が失意と哀しみのうちに数年後に亡くなって以来、二十年の間ずっと空き家になっているということが解る。親戚にも取材をする。真行寺の前で、屋敷で亡くなった母親の姪だという中年女性は、「息子さんを亡くされた後何度か励ましに顔を見せたんだけど、とにかくもう憔悴ぶりがあまりにひどくて、見ている方も辛くて…そのうちだんだんこちらの足も遠のいてしまって」と語る。そしてその伯母が送ってきたという手紙を見せ「可哀想ですよね」と声を詰まらせ、涙を見せる。そういった過程が丁寧な取材で判明すると、スタジオでは怖い、心霊現象がどうだ、といったような雰囲気ではなく、気の毒な母子への同情と哀しみといったものに変わる。息子を亡くした後はいったいどんな気持ちで日々暮らしていたのか、そうした中で二年後に「心不全」で亡くなったというその母親の心情を思いやる。
真行寺は「あの家もそういう話を聞いたあとで考えてみると、亡くなった息子さんの部屋というのは一番日あたりが良くって、お母さんとしてはそういう一番いい部屋を息子さんのために与えたんだな、それほど愛してたんだな、と思うと」と語る。
撮影クルーの照明が突然落ち、件の部屋を出るとフゥっとまたたくように点滅したり(撮影用の照明では普通こうしたことはあり得ない)、倒れるはずのない角度の鏡台が(壁に斜めに立てかけてある鏡がこちら側、つまり角度的にはかなりのマイナス方向へ)突然バタリと倒れたことも、「二人の家」に土足で興味本位の撮影が入ることへの母親の怒りじゃないか、という話になる。司会の小倉は「心霊現象であるとかないとかより、これは一つの母子の悲しい話だ」というようなことを話す。
オカルト・心霊ものは、あのオウム事件の後から激減したように思う。やはり、そういう「非科学的なもの」をもっともらしく取り上げてしまうと、中には興味本位から本気ではまり込んでしまう人が出るから…という配慮や自主規制からだろうか。最近時々放送される「怪奇もの」はこうした細かいディテールを排除し、表層的な現象や結果のみを面白おかしく取り上げるだけのものが多いようだ。これは四半世紀以上こういった番組を見てきたウオッチャーとしての実感である(笑)。うちの連れ合いなんかもっと長い。
テレビは「もっともらしく取り上げるか」、「表層的なものだけ面白おかしく見せるか」のサジ加減を時の社会情勢や反応などを見つつ微妙に調整して放送する。大切なのは見る側の「想像力」であり、放送されたものを口を開けてただ与えられる情報を雛鳥のように鵜呑みにしないことだろうな、と思う。俺らはオカルトや心霊ものは大好きだけど、全てを妄信しているわけではない。

ところでビデオに書いてあった「横スライドババア」とは何だったかというと、ある新興宗教(だと思う、もっともらしく仏教系の装束を着ているが祭壇のようなものは神道ぽかった)の「除霊」と称する現場のシーンのことだった。
マンションの一室で、初老のババアが正座して熱心に祭壇を拝んでいる。その横で僧侶(風の装束の男)が立ち、念仏みたいなものを唱えると、ババアがトランスに入る。「うっ!」「ほっ!」とか言いながら、何と正座したままピョンピョンと飛んで横に移動。手は合掌し目は閉じたままである。麻原の空中浮遊なんか目じゃない動きだ。そして2mほど移動すると「頭がわれるぅ〜〜!!」とか大声でわめき出す。僧侶姿の男は頭に何かをあててババアに「何だ、交通事故か?」「先祖?」とか聞く。アンタわかんねえのかよ、と突っ込みを入れたくなる。男は「ええっ!?」とか最後は詰問口調。全くそんなんに耳を貸さず、そのうちババアは両手を上に上げてバラバラとやりながら「ひかり、光〜!!」と叫び(見えたのか?)「日の御神(みかみ)様ァ〜、ひのみかみさまぁー!!」と絶叫。絶叫した直後キチンと正座したまま「ありがとうございます」と冷静にお辞儀。こっちは大爆笑。あんたトランスやったんちゃうの? みたいなその一連の動作に、脾臓が破裂する、腹筋がつる、表情筋が断裂するかと思うばかりに笑い転げた。息が出来なくて死ぬかと本気で二度ほど思った。
宗教も「想像力」が大事なのだろう。あり過ぎるのは問題かも知れないが、なさ過ぎるというのも…。いや、ある意味このババアは…いや違うか。
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2006-09-02(Sat)

今日のお茶濁し猫写真 060902

アメショー混じりのシマ(♂・推定8歳)

「またたび粉ちょーだいよ」

じっと待たれるとついつい…。またたび粉をあげると狂ったように舐めしゃぶる。人(猫)が変わったようになる。
一通り舐めしゃぶり狂い終わるとまたこうしてじっと見る。
またたび粉の入っているテーブルの引き出しを開けると、どっかからスッ飛んでくる。
「シャブ中」という単語が頭に浮かぶ。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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