2006-10-29(Sun)

新庄剛志ちょっといい話

日本ハムファイターズが日本シリーズで中日ドラゴンズを下し、日本一となった。日ハムは4年前にヒルマンが監督に、そして3年前に新庄剛志が加わり、北海道にフランチャイズを移し、ユニフォームも「メジャー風」に一新。完全にイメージチェンジに成功しただけでなく、その人気に実力も加わったことが今回の日本一で証明された。
こうしたストーリーはいくらでも専門のサイトなりニュースなりでご覧いただけばいい話なので、ここでは昨日聞いたばかりの「新庄剛志ちょっといい話」を。

昨日、連れ合いと池袋に用事があってタクシーに乗った。運転手は初老の脱サラというよりリストラを体験してこの業界に入ったという人で、最初は客だからといって傲慢な態度をする人がいるが、そういう人は経験上、上司ななんかには卑屈なまでにぺこぺこしているのが多い。つまりたいした人間ではないんだ、というような話をしていた。俺らも「ああねえ」「お客さん商売は大変ですよねえ、いい客ばっかりじゃないし」なんて感じで聞いていたら。

「でもね、今回日本一になったけど新庄っているでしょ、野球の。彼はね、私の仲間の運転手が乗せたことあるんですって。でその運転手は新庄だって気付いて『サインしてください』ってシートにサインするように頼んだんですって。そしたら新庄は『運転手さん、オレここにはサインできないよ』って言うんですって。それはこんなところにサインさせるのかよ、という意味かと思ってそりゃそうだよなと思ってたら、すぐ後で『ちょっと、そこで停めて!』っていうから急ブレーキ踏んで『何ですか、急用ですか』って聞いたら、すぐ横のコンビニに行きたいから待っててって言うんですって。で、戻ってきたら『運転手さん、色紙探したけどなかったよ、ごめんね』って言うんですって。『今度サイン送ってあげるから、住所教えてよ』って。凄いね〜、新庄ってのは。人気出るわけですよね〜」


つまり、新庄はもちろん「オレ様にシートなんかにサインさせるな」ではなく、運転手が本当に自分のファンだと思って、だったら消されちゃったりするかも知れないシートじゃなく、ちゃんとした色紙に書いてあげようと思った、ということだと。実際その仲間の運転手は、別に熱烈なハムファンでもなく、新庄ファンでもなかったという。もちろん名前と顔と野球選手であることは知っていたわけで、だったらサイン貰おう・でも書くもんねえや・そうだシートでいいや…という簡単な流れだろう。それでも新庄は真摯に対応した。この話を聞いて「まごころ」という最近聞かなくなったことばがなぜか、頭に浮かんだ。
新庄はもちろん、日ハムというどちらかという地味だったチームのカラーを変え、何よりファンを第一に考えるという「プロ意識」をチームメイトに自ら率先して教え、実践した選手だ。ただそれはスタジアムなどのファンという衆人環視の元だけでなく、もちろんテレビなどのメディアの前などではプロだから当然だとしても(チャラチャラしているという批判も同時にあるのも事実ながら)、プライベートな場面でも徹底したことなのだ、というエピソードである。
演技で、つまりメディアの前で「いい人」を演ずることはたやすいことだろう、増してや演技を生業にしている役者ならお手の物だ。そしてその裏側では極めて傲慢不遜…というような人間も多い。四六時中いい人であることは難しいけれども、その人の「素(す)」が本当にいい人なのかそうでないのかは、ちょっと接すると割合簡単にわかるものだ。実際俺も何度もそういう裏表のある人間に会っている。まあ芸能人に限ったことじゃないけれども。

新庄は阪神時代、当時の藤田平監督に野球は頭でやるもんだ、お前はアホだ、カッコばかりつけやがって、だからダメなんだ…と徹底的にいじめぬかれた…という。あまりにそれがひどいので引退すると訴えて騒動になったほどだったと記憶している。日本には「日本の野球」こそ至上であると信奉する勢力があり(野球ってアメリカ発祥だったはずなのに)、彼らの多くはなぜかだいたいメジャーリーグを敵視する傾向にある。星野仙一も「メジャーなんか」とボロカスに言っていたはずだが、NHKのメジャー中継の解説に呼ばれると、メジャー批判は封印していたが。ともかく、そういう人たちは高校野球などの悲壮感さえ漂う「全力」で「ひたむき」で「根性」のある「ストイック」なスタイルを好み、そうした価値基準をそのままプロへ持ち込もうとする。そこに欠落しているのは、プロスポーツというものはファンがあって成立する、という文字通りの「プロ意識」なのだが。
現楽天の野村監督も、新庄をボロカスに貶めていた人の一人だった。彼の言う「ID野球」が正しいのかどうか、彼が「知将」なのかどうかさえ全く知らないのだが、ともかく、野球というスポーツに「髪の毛の色」や「ピアスの有無」や「パフォーマンスという名のファンサービス」が、少なくともマイナスにはならない…いやはっきり言えばプラスに働くのだということを、今回のファイターズの優勝で思い知ることだろう。

前にも書いたのだけど、やはり新庄の今後に幸あれ…と祈らずにいられない。



<追記>
先週発売の「週刊文春」を見たら、新庄のタクシーの逸話が「札幌の話」として掲載されていた。俺が聞いたタクシーの運転手はもちろん東京で、彼は「仲間の運転手」と言ったので、この話かと思ったが、待てよと。
この話にいたる流れで、運転手は「東京に出てきたら有名人とか芸能人がけっこう乗ってくるって思ったけど、あんまりないですねえ」てな話をしていて、「ああ、自分も上京したての頃は平気でそこらを芸能人が歩いてるものだと思ってましたけど、数えるほどしか目撃してないっすね(笑)」というような会話があった。で、「私は青山とか六本木とかをよく流すんですが、それでもあんまり乗せたことはないんですよね。めぐり合わせなんでしょうかねえ。」という話から、「そういえばちょっと前に、仲間の運転手が…」で新庄の逸話だったので、札幌の話とは思いにくい。広い意味では全国のタクシー運転手は「仲間」だろうが、この時「うちの会社の」という形容がついていたかは失念。
つまり、「新庄を乗せてサインをシートにねだったが断られた運転手」は札幌にいるのは「文春」の記事で確認済、この逸話が運転手の間で評判となり、東京でも広まっていた…という可能性がなくはない。また俺がこの逸話を運転手から聞いたのは文春の記事が世に出る前なので、東京でも新庄はこういう態度をした、つまり彼はいつもこうなんだ、というふうにも考えられる。

どちらにしても、新庄がナイスな男であることに変わりはないが。
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2006-10-26(Thu)

新庄涙の日本一

10月26日(木)
夕べは11時過ぎに連れ合いが京都から戻り、地デジやハイビジョン映像を見せると、アナログとの画質の違いにビックリ。もちろんハイビジョン対応のモニタではないから凄さを完全に体感は出来ないのだが、今のブラウン管モニタであっても、じゅうぶんに違いが解る凄さだ。その後京都は紅葉観光でこれから凄いことになるので、再来週は公募入試があり一週間行き詰めになるから宿を手配しないと…というので探してみる。だがネットでいくら探しても、ぶっ通しでは見つからず、結局中日の9日で分けて前半のホテルは取れたが、後半の入試と合否判定の日の分が週末にかかるために取れず、あとは大学の入試課に頼もうということで、2時半ころ寝た。
布団に入るとすぐに腹痛がしたので、トイレで大を出すが、その後一向に苦しさがおさまらず、動悸がかなり強くして往生。胃の辺りがズキンズキンとするもので、久々の胃痛だ。といっても寝られないほどではないので、とにかく寝よう、寝て起きれば治っていると思い、目を瞑る。うとうとしては目が覚めを繰り返し、朝8時に騒音が始まるころには痛みが消えていたので安心、その後は何度も夢を見ては起きたりを繰り返し、11時過ぎに起きた。
連れもちょっと前に起きていた様子で、すぐに朝食の支度。目玉焼き、ベーコン、ピーマン炒め、レタス、あと昨日買ってもらったウインナドックとアイスコーヒー。その後テレビを見て転がるが、連れ合いが毛布かぶってソファでうとうとしかけた頃、こちらは便意でトイレへ。大量に便が出るが、やはり肉ばかり食べてたせいで腹痛がしたのだろうか。ベリチームを肉食後には必ず飲むようにしているが、それでも胃痛がしたのだから、もし飲んでなかったらまた前のような強い胃痛で吐いたりしたかも知れない。
今日はうす曇。昼は食べず、録画しておいたお笑い番組や古寺巡礼などを夕方まで見て、夕飯はご飯炊いて納豆、ざる豆腐、もずく味噌汁、キムチ、白菜漬けなどで食べた。

その後は日ハム対中日の日本シリーズ5戦目、日ハムが4−1で見事に4連勝で日本一、地元北海道で決めた。新庄は試合中から泣いていた。最後の打席はフルスイングで三振、その表、9回の守備でも泣いていた。最後の飛球がレフトの森本ひちょりのグラブに飛び込むと、ひちょりはそのまま新庄の元へ駆け寄り、しっかりと抱き合った。マウンドまでなかなか行けない新庄を、選手一同が外野まで歩いて迎え、そして胴上げは新庄からだった。今年は小笠原が「日本一になってツーさん(新庄)を胴上げする」と公約していたが、チームはそれほど目ざましい強さを見せていたわけではなかった。それが、夏に新庄が突然の引退宣言をして以降、信じられないような快進撃が始まった。今期の日本一は、間違いなく新庄のおかげだと言っていい。日ハムファンは今期限りで引退をしてしまう新庄に感謝するべきだし、今後も彼の功績を忘れてはいけないと思う。
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2006-10-24(Tue)

じゃがりこ北海道限定品

10月24日(火)
夕べは1時半ころ寝る。最近にしちゃ早いほうだ。今朝は朝方から何度か目を覚ましたが、10時過ぎにユキが起きろ起きろと来るので起きる。起きるとすぐ電話があり、出ると坂上のスーパーSから。連れ合いが保険証と病院の診察券が入ったケースを落としたそうで保管してあるということ。Sというと一週間くらい前か、なんで今ごろ見つかったんだろうと思うがとりあえず礼を言い、保管してもらう。昨日からぐっと気温が下がり、今朝も寒かった。外は雨はやんだが曇りで寒そうだ。部屋の中も寒いので、メッシュのTシャツと半ズボンだと風邪をひきそうだったので、ついに午前中に暖房をいれた。ていうか長袖のパジャマに着替えるとかすりゃ良かったのだが、とにかく今寒いというのをなんとかしようと、暖房ON。今はもう3時で部屋の中はぽかぽかだが、ついこの間まで暑くて冷房入れてたのにと思うと、季節の移り変わりは早い。…と思ったら、ニュースで特異な寒波だと言っていた。そりゃそうだ。それにしても寒くて、結局パジャマも長袖に換えた。そのうち外は豪雨になり、びっくり。

午後、函館の友人Yからまたご当地のお菓子が届いた。去年「じゃがポックル」を送ってくれたのだが、今回は「じゃがりこ」の北海道限定「海の幸味」。さっそくいただくが、なかなか風味がソレっぽくてうまい。Y田、いつもありがとう! ていうか何度か電話したんだが留守だったようなのでブログにて失礼。
それにしても「じゃがポックル」は入手困難が続いている模様…。
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2006-10-22(Sun)

地デジ導入

10月22日(日)
夕べは2時半就寝。今朝は8時ころからまた騒音で起こされて、二人とも朦朧としたまま9時半ころ起きる。うす曇、陽が射して明るい。朝は俺は食欲がなく、パンは食べずに目玉焼きとレタス、トマトスライスだけ。その後二人とも寝不足なのでちょっとうとうとして、昼過ぎから連れ合いは京都行きの支度をはじめる。今回は月曜の講義の前に朝から会議があるので、前乗りしないと間に合わないので、日曜移動だ。発疹は板中で処方された塗り薬を塗るので背中を見てみると、赤いブツブツはほとんど目立たなくなっていて、顔の方はほぼ消えた。あとは下半身にブツブツが小さく目立つ程度で、なるほど薬をやめると止まるもんなのだねと感心する。感心してる場合じゃないが。その後支度をし、連れは1時40分ころ京都へ出勤するため出かけていった。
俺はその後インスタントラーメンを作って食べ、一服してからテレビ周りを大掃除する。今日はマンション全体で加入しているCATV、ジェイコムのデジタル化の工事が来るのだ。テレビの周辺はホコリというか猫の毛だらけ、さらにテレビの裏はユキが落としたライターやら線香やら綿ぼこりやらで大変なことになっている。マスクをしてゴミは拾い、ホコリは掃除機で吸い…とやってるとユキが前に一番高い段から落として以来無くなっていた結婚指輪が見つかった。これは俺が入院する際、抗癌剤の副作用で指がむくむことがあるそうで、指輪が締め付けて痛くなったり抜けなくなったりすると聞いたので外しておいたもの。ユキがその後指輪を載せてあったお盆を下に落として散らばした際に、指輪だけがずっと行方不明になっていた。やれやれと洗って左手の薬指に戻すと、前に少し腫れたようになっていた指にすんなりとはまった。連れ合いに指輪が見つかったとメールすると、東京駅ホームの待合室とかで、「不思議だけど来る時に指輪のことを考えていた」とのこと。以心伝心だろうか、確かに不思議だ。

その後何とか掃除を一段落させると、ちょうどジェイコムの担当者から電話があり、3時半の予定だったが前の家が早く終わったので、これから行ってもいいかというのでOKする。3時ちょい前に作業員が到着。愛想のいい30代前半くらいの人で、てきぱきと作業をはじめ、こちらがHDDレコーダーをメインに、古いDVDレコーダはアナログ専用の録画機器として使いたいというと、配線もやってくれた。チャンネル設定、機器設定その他でけっこう時間がその都度かかり、最後にリモコンの操作説明を逐一教わる。全部終わると一時間ほどかかっており、その後こちらもいろいろ試すが、地上波アナログ、地上波デジタル、BSデジタル、CATV、さらにオンデマンドと、もうわけが解らん。さらにチューナはセットトップボックスからの画面がテレビのV4、HDDレコーダがV1、前のDVDがV2なのだが、今自分が何を見ているのか時々わからなくなる。こりゃあ大変だと思うが、選択肢が格段に増え、画質もモニタがハイビジョン未対応とはいえ見違えるほど良くなり、満足は満足だ。

夕飯はご飯を1合半炊き、豚しゃぶとキムチで食べる。夜はずっとテレビ。だいたい操作は勘所がつかめてきたが、ビデオ・オン・デマンド(VOD)はコピーガードで録画できず。ひょっとしてとテレビから出力したものを外部入力で元のDVDに録画でけんかと試すが、コピーガードはクリアできず、当り前か。あとはお試し無料のVODでアニメの「北斗の拳」1回目とか、松本零士の「999」とか「ガン・フロンティア」のやはり無料の1回目だけなどを視聴する。録画して残せないんじゃあ数百円とはいえ金払ってまで見たくはねえなあと思う自分てケチ? 夜からは雨、連れは夕方無事にホテルに着いたと連絡がある。
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2006-10-21(Sat)

Mちゃん来る

10月21日(土)
夕べは2時過ぎに寝たが今朝は8時ころからまた工事の音で起こされる。朦朧〜うとうとを繰り返し、布団から出る頃には疲弊している。疲れを取るために人は睡眠を取るのに、起きたら疲れているってのはなあ。

昼ごはんの後で仕事をしていると、連れの長女のMちゃんから電話。今赤羽に着いたという。えっ今日来るんだっけ? と思ったが遅し。二人で慌てて簡単な掃除をする。来客もないと油断していて、猫が歩くので床はけっこう汚れている。掃除機をかけて床のモップがけ、テーブル周りの片付けをする。
Mちゃんはクレープを買ってきてくれた。平塚で旦那と男の子二人と仲良く平和に暮らしているのだが、平塚は遠い。なのでこちらから出向いたのは、一年前、俺が抗癌治療予定で入院する直前だった。新品のVAIOノートを持ってきたので、調子を見る。WEBカメラもついているモデルなので、ついでにスカイプDLしてインストール、うちのPCとテレビ電話の実演をすると「便利だねえ」と感心していた。その後3時半ころまで世間話やらいろいろした後、実家で旦那が子供たちの面倒を見ているので、帰って行った。仲良きことは美しき哉。
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2006-10-19(Thu)

恍惚の人

10月18日(水)
連れ合いの発疹というか薬疹はいっそうひどくなっており、顔のブツブツも首のあたりは赤い斑点がつながって大きくなってきている。今日はかかりつけのクリニックの方へ行って、昨日の薬疹と言われた旨相談して薬を変えてもらってみるとのこと。外は曇天、相変わらず解体の騒音が激しい。連れ合いは昼過ぎにアイタワーに出かけた。薬は変えてくれたそうで、今の薬は破棄するようにとのことだったそうだ。これで治まればいいのだが。

10月19日(木)
今日はうす曇で時折陽が刺す天気。相変わらず解体工事が8時前後からうるさい。連れの薬疹は相変わらずというか昨日おとついからひどく赤く、ぶつぶつも大きくなってきて痛々しい。本人は時折痒みがあるが、それは湿疹のせいかどうかは解らないといい、痛みもないという。


夜はこないだ録画しておいた有吉佐和子「恍惚の人」のドラマを見る。妻の死がきっかけで認知症になってしまった父とその息子一家の話、ご存知「恍惚の人」を今ドラマ化したというものだが、三国連太郎の年季の入った見事なボケ老人の演技が素晴らしく、嫁役の竹下景子がむしろそのせいで演技過剰に見えてしまうほどだった。そしてかとうかずこの大根ぶりが目立った。紋切り型の「演技」、そういうしゃべり方って日常、するか? と激しく問い詰めたい。俺が監督ならメガホンでポンポンポンと頭を小突きながら叱りたいなあ。夫役の三宅裕司は安定感があり、息子役の子はナチュラルな演技で好感が持てた。
原作は壮絶な「呆け」の様子が克明に描かれていたが、そういう部分はどちらかというと抑え目であり、ある日突然に訪れる肉親の呆けに、家族や夫婦はどう向き合い、対処していくのかという部分に主眼が置かれていたような印象だ。
しかしどうでもいいが「認知症」という言葉はホンットーに、意味不明である。「認知」が「症状」なら、誰かれ構わず認知してしまうことが症状すなわち病気なのか? 「認知<障害>」とか、マイナスの言葉をつけたくないから言い換えたという人がいるが、病気って最初からマイナスなもんだろうが。事実から目を逸らせるな。下らぬ「配慮」だか勝手な「同情」だか知らぬが、言い換えで焦点をぼかすな。そうして日本語をダメにしていくな、つーの。だったらせめてアルツハイマー症候群、としておけコノヤロー!(摩邪風)
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2006-10-17(Tue)

連れと皮膚科へ行く

10月16日(月)
10時過ぎに起床。また解体工事の騒音責め。天気は良く、気温は少し涼しかった昨日と違って夏日になるという予想。朝はトースト、目玉焼き、ベーコン炒め、サラダ菜、唐揚1個、コーンスープ。連れの赤い発疹は相変わらずで、今日は顔にも相当目立って出てきた。何か変な病気じゃなければいいのだが。連れはかかりつけのクリニックへ行くといって2時前に出かけていった。戻ってきて、主治医は今日はおらず、別な医師にとにかく一度皮膚科へ行くようにと紹介状を貰ったから明日行くことにしたという。

10月17日(火)
9時半ころ起きて、ベーコンと目玉焼き、トーストとアイスコーヒー、あとバナナを半分ずつという朝食。連れ合いは昨日主治医とは別の女医さんに赤い発疹を見せるとアレルギーか薬剤のせいか解らないので、板橋中央総合病院の皮膚科へ行けと紹介状を渡された。今日電話すると午後もやっているというので、行くことにする。
2時過ぎに出て17号のバス停でタクシーに乗り、志村坂上まで5分ちょっと。本院の受付へいくと皮膚科なら分院へ行けというので、病院の中を通って「セントラルクリニック」という別棟の分院へ行く。こちらは新しいようで、綺麗なところだ。受付へ連れが紹介状がある旨告げると、用紙に名前など書かされ、皮膚科は4階だから上へ行けというので二人で上がる。そこで受付をして待つのだが、とにかくここからが待てど暮らせど名前が呼ばれない。後から来た患者が次々に呼ばれていく中、1時間以上経ってようやく呼ばれた。精神衛生上極めてよろしくない。
連れ合いは診察室に入ると10分足らずで出てきて、どうやら薬剤アレルギーだということ。なので、今もらってる薬をとにかく一旦はインスリン以外やめて、手紙を書くので薬を変えてもらえということ。とりあえず軟膏薬を出すからそれを塗れ、そしてあさって様子を見せに来いという。んでその手紙を書くから待てということで、またそこから待たされることに。
そのうち仕事の電話の着信が俺に何度も入っているのに気付いたので、一人で外に降りて電話。どうやらデータの表示に問題があるとかで、帰ってから作業をせねばならなくなった。もう降りてくるだろうとそのまま1階で待ってると、10分くらい待たされてようやく連れ合いが降りてきた。会計して、やれやれ腹も減ったからラーメンでも食いに行こう、という段になって、次の予約つまりあさって見せに来いと言われた分の予約をしたかと聞くと「して来なかった」というので、それじゃまた待たされるじゃんといって予約をしに上へ行かせる。それをまた5分以上待ち、降りてきたのでラーメン屋方面へ歩き始めると、そういえば薬を出すからといってたので処方箋はと聞くと、貰ってないという。じゃああさって様子見せにいってもしょうがないじゃんということで、引き返そうという。ていうかうっかりしすぎだろう。しかしここは腹減ったからラーメン食べてからにしようということにな全くやれやれ。
ラーメン屋で醤油ラーメンと餃子を食べてからまた病院へ処方箋を貰いに戻るともう5時ころになっていた。また10分ほど下で待ち、降りてきて処方箋代200いくら取られ、向かいの調剤薬局へ。ここで15分くらい待たされて塗り薬を貰って、買い物をするのでスーパーへ向かう。もう陽が落ちてきていて、午後がほとんどこれで潰れた。スーパーで納豆やら夜食やら野菜などを買い帰宅。すぐに俺は修正仕事。
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2006-10-15(Sun)

連れ合いに薬疹

10月15日(日)
夕飯の際、連れ合いがいつものようにインスリンの自己注射を打とうとしたら、なんと腹部に赤いブツブツが出来ている。あれ、と思ったら腹だけでなく上半身全体に出ており、よく見たら顔にも出ていた。何だろう、ジンマシンだろうか変なもの食ったかいや食ってない、みたいなやりとりをした後、痒みはないというのでジンマシンではないだろうと判断。ならばあとは薬疹かということで、考えて見るとつい先日、連れは心臓と血圧の薬が新しいものに変わったばかりだ。それか、ということで、明日病院へ行ってみることにする。発疹は赤い小さな点が無数に出来るものだが、心なしか数が増え、大きさが大きくなっているような感じだ。
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2006-10-10(Tue)

IXY DIGITAL 800 IS

10月10日(火)
夕べは3時ころ寝る。どうしても朝は騒音で起こされるので、その後居間でうとうとして朦朧、寝不足になる。夜になると静かになるので夜更かしとなり、結果朝寝坊となり、騒音で寝不足…という悪循環だ。
今朝は8時の騒音から12時ころまで寝床でうとうとしていたら、ドアフォンで起こされる。連れ合いは昨日から京都に出勤しているので応対すると、キヤノンのIXYデジタル800ISと、別売りのSDカード2GB、予備の追加バッテリなどが届いた。

Canon デジタルカメラ IXY DIGITAL 800 IS

キヤノン

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さっそくバッテリの一方を充電、もう片方とカードをカメラにスロットイン、いろいろと試してみる。重さは前のカメラよりかなり軽い…かと思ったら、小型ながら見た目よりは重い感じだ。なので予想したほど軽くはなかったが、とにかく大きさはメチャクチャ小さい。何せ前のカメラというのは5年前に買った、同じキヤノンのPowewrShotA20。単三電池4本入りでズシリと重い。電源オンから撮影開始まで数秒待ち。オートフォーカスの合焦待ちがジジッとあり、室内だとちょっと逡巡したりするのがもどかしい。
何せデジタル業界での5年つうたらいったい何世代前のスペックだか不明なほど昔だから、よく今まで我慢してきたなという感じはある。裏面の液晶画面は倍以上に大きくなっており、損傷が不安なほどなので、さっそく保護シートをカットして貼りつけた。電源オンからの起動、撮影時のシャッターレリーズラグ、全てが劇的に変わっている。
なぜ今IXY DIGITAL800ISかというと、モデルチェンジして新製品が出たばかりで安くなったからだ。【価格com】で送料も含めて最安でゲット。ささやかな贅沢品か(笑)。ともかく元々は通信教育まで受け、マニュアル一眼レフからスタートしたカメラ人生(?)なのだけど、最終的にはミニデジカメになってしまった。でももう重くてデカいカメラを持って外を飛び回ることもないだろう。

今日はひいばあちゃんの命日。曾祖母は中学にあがるまで実家で一緒に暮らした。うちは父親が俺が一歳になる前に急逝し、母親は女手一つ、水商売をやりながら二人の男の子を育てねばならず、家のことは曾祖母が面倒を見てくれていた。俺が小学校から帰ると、よく足を風呂場で洗ってくれたっけ。ひいばあちゃんは俺が中学校の学生服を着るのを見るのを楽しみにしていたが、その前年に亡くなった。老衰から来る肺炎だったか。
亡くなる間際までの数ヶ月は、うちでは母が働いていたので面倒を見られないため、母親の父親の家、つまり世間的に言うと実家に移って、ふせっていた。俺は母親の父親つまりじーちゃんに書道を教わっていたので、その都度様子を見に行っていたが、寝たきりになってからの衰えは早かった。じーちゃんの家にはじーちゃんの後妻(俺にはそういう事情はわからなかったので普通にばーちゃんとして接していた)が一緒に暮らしており、母親はあまり出入りしていなかったと大人になってから思う。
そんなことを思い出しながら、線香とお水をあげてお経を読む。夜は性同一性障害の男の子のドラマを見る。
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2006-10-07(Sat)

スピーカにこだわる?

10月7日(土)
夕べは2時過ぎに寝たが、俺だけ寝られず1時間ほど悶々とする。寝てしまってからは比較的ぐっすり寝られたが、朝8時にはまた工事の騒音で起こされる。もうホンットにほとほと参る。土建屋のやりたい放題か。11時過ぎに腹を立てながら起きるが、こんな生活病気にもいいわけねえよなあと思う。天気は低気圧が去って晴天、気温も上がるというが風はまだ強い。今日は連れ合いが大学での講義資料にする本をコピーしたいというので、板橋区立蓮根図書館へ行くことにする。メールチェックすると仕事のデータが届いていたので、図書館へ出かける前に済ませてしまう。作業は全部12時10分くらいに終了したので、12時32分のバスで行くことにし、MLBア・リーグのディビジョンシリーズ、1勝1敗で敵地へ乗り込んだヤンキースが0−6で完敗したのを見てから出た。
外は風がまだ強いが、気温は26度越えと暑いくらい。ときわ台行きのバスで検車場で降り、歩いて蓮根図書館へ。ここへ入るのはいったい何年ぶりだろうかという感じ。連れ合いが詩画集のようなものはないかというがないので、夢二とか適当な3冊ほどをチョイスし、コピーしている間外で待ち、合流して歩いてデニーズへ。ちょっとだけ待って禁煙席へ通され、昼食。ゆっくり食べて、隣の文教堂で本をいろいろ物色、数冊オタクやサブカル関連の本を買う。連れ合いは京都への通勤時、新幹線車内で読む新書などを買った。帰宅3時過ぎ。
その後居間のスピーカー、テレビの音声が出なくなったのでTDKのアンプ付きのスピーカーをつないで聞いていたのだが、やはり「ドンシャリ」が気になる。座っているとウーハーからのそこそこの低音はいいけれども、立つと高温のシャリシャリした音しか聞こえずに耳障り、さらに中高音部を担当する左右のスピーカがフラットで全方位型なのはいいが、逆に言えばチャンネル分けが明確に出ず、音の広がりが伝わらない。不満ばかり出てきたので、ずっと置物になっていた20年以上前に実家と上京して数年だけ使っていたコンポに付属していた、テクニクスの平面コーンのスピーカをアンプにつなぐ算段をする。これが接続コードの相性で思わぬ難工事になったが何とかうまくいき、AVセレクタをかましてテレビとPCを切り替えできるようにして、ためしにクリエイティヴのHDDプレーヤ、NOMAD-ZenExtraで音楽を聞いてみる。やはり出力ワット数に問題があるので低音はイマイチながら、まあ中高音部の再現はアップしたので健闘だろう。思えば中学生の頃に兄のお下がりでコンポを入手してからしばらくはオーディオマニアだったっけ。その当時を考えれば、CDからmp3に落とした音楽の音質を気にしてるんだから、情けないっちゃあ情けない…。
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2006-10-06(Fri)

騒音の日々

10月6日(金)
朝8時前に騒音で叩き起こされる。ここ数週間、マンションの斜め前にある戸田橋製氷所の工場の解体工事で日夜騒音に悩まされてきたが、ようやく目の前の解体が終わったと思ったら、バス通りを挟んだ本体(マンション前の工場よりも数倍デカい巨大工場)の方の解体工事の騒音がまだ続いている。
この騒音はコンクリート製の巨大工場を重機でブチ壊していくものだから、それはそれは物凄い音である。だいたい朝8時前には現場の作業員たちのデカい声や車の音その他で起こされる。作業は8時から始まり、10時の休憩、昼休み、3時の休憩などを挟んで夕方5時までびっちりと騒音が続く。見ると防音シートで囲うなどもしておらず、つまりはろくに近隣への騒音に配慮する風情もないのだけど、これって許されることなんだろうか。
つまり、不要になった建造物を解体することは所有者の「権利」ではあるだろう。ただその場合、粉塵や騒音が周囲に被害を与えぬように配慮することは「義務」ではないらしい、この国では(笑)。不思議なのは周辺の住民が誰も文句を言っている様子がないことだ。俺らがときたま区役所に苦情を入れたり、現場監督に直接言いに言ったりするのは、「クレーマー」とか「面倒な地域住民」扱いかと思うと、最近は病気もあるので行く気さえ萎える。実際そういうことをして効果のあった試しもないので、近隣住民は諦めて耐えているだけなのかも知れない。
思えばここに引っ越してきてから7年、国道17号地下の共同溝工事(なんと今も続いている)の騒音(これは深夜早朝もお構いなし)、隣の田中歯科の改築工事(何の挨拶もなく、苦情を言うと逆ギレ)、向かいのリネン会社「リネス」の悪臭と騒音、(これは文句の甲斐あって若干改善された)、50mほど南側の日通トラックターミナルの解体工事(継続中)、そして向かいの戸田橋製氷工場の解体…って、俺ら工事マニアじゃねえ、っつーの。この間もずっと17号から漂ってくる排気ガスで洗濯物も干せず、春や秋のいい季節になっても窓も開けられない。開けたら一日で部屋の中に真っ黒な粉塵が積もるからだ。
結局はこんな場所に越してきた自分たちの判断ミスが原因なので、考えると暗澹たる気分になる。
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2006-10-02(Mon)

脾臓の腫脹が進む

10月2日(月)

前の晩かけておいた携帯の目覚ましが7時40分に鳴り、眠かったが何とか起きる。支度をして8時ちょいに外に出ると雨。マンション前でちょうどサンベストから出てきたばかりのタクシーをつかまえ、乗り込む。運ちゃんは日大病院というと、自分の娘が新米看護婦として勤めているといい、こちらの病気を何かと聞くので大雑把に答えると、自分も妻が透析になってしまい、入退院したりで介護が大変、そうこうしてたら自分も胆嚢に影があると言われて…みたいな話を延々と聞かされる。幸い渋滞はたいしたことはなく、豊島病院前経由で病院へは8時50分ころ到着した。いつものように内科へ行きナースに連絡票を貰い、地下の採血受付へ向かう。今日は28番。しかし採血の技師の数が少なく(今日は2人)、延々15分くらい待たされた。
採血が終わった足で内科のナースに連絡票を渡して、地下のスタバへ行く。地下とはいえ、病院の入り口にスターバックスがあるという光景はどうにもヘンテコというか、何か夢を見ているような感じでいまだに馴染めない。アイスラテのトールを頼み、セルフのカウンタへ移ってシナモンパウダーを振って飲む。前の客であるおばちゃんが、ホットコーヒーのカップを持ったまま隣のセルフカウンタへスライドしたはいいが、何をどうしていいのか解らずに呆然と立ちすくんでいた。このシステムはお年寄りにはちょっと解り辛いのではないかねえ。ラテを飲み終わった後は売店へ行き、堀井憲一郎の「若者殺しの時代」(講談社新書)を買い、待合室へ行って読む。診察予約時間は9時40分となっているが、採血が終わったのは9時10分過ぎ、いくらなんでも30分足らずで結果は出ないだろうと、1時間遅れのつもりでじっくりと読書。実に面白く、なるほど、うまい、と思いつつ読み進んでいく。肝心の診察はやはり時間を過ぎて飛ばされていくようで、ようやく呼ばれたのは11時40分ころ。予想通り1時間遅れだった。
開口一番U先生に「お変わりないですか〜?」といつものように聞かれたので、苦笑しながら「ええ、全然…」と答える。こないだのCTの結果は「やっぱりね、脾臓はちょっと一回りくらい大きくなってるんですよ」とのこと。俺としては、爆食を続けているので胴回りが太ったと思っていたので、脾臓の腫脹が進んでいるということはちょっと予想外だった。そうか、やはり進行が止まっているわけではないのか。まあ俺の癌は格別に脾臓が好きなようなので、こういうことになるのだろう。…ただし、その他の臓器に関しては全く影響がないそうで、機能的にも全く正常。朝の採血の結果も横ばいのままで、見せてくれた数値によると横ばいも横ばい、ほとんど前回と数値が同じ。
しかしこのまま脾臓がデカくなっていくと、当然何らかの対処をせねばならないのだろうが、以前入院中の主治医であるS先生が言っていたように、脾臓を取るという選択肢もあることにはあるが、俺の癌の場合は脾臓へ集中する傾向があるようなので、これを取った場合にそれらがどこへ向かうのかが不明だ。せっかく脾臓以外は正常なのに、脾臓を取ったばかりに周辺の臓器に悪影響が出ないとも限らないので、「取ったことによる悪化」の方が心配だということだった。となると脾臓の腫脹が許容範囲を超えた場合は抗癌剤投与となるのか。しかし今のところはそれもあせってやるまでには至らず、従って様子見を継続という判断だろう。U先生は診察台で俺の腹や各リンパの触診などをし、脾臓以外は全く変わりがないことをいつものように確認。ベリチーム(消化剤)を飲むようになってから一度も吐いてないというと、じゃあまた二週間分出しておきましょう、ということになり、処方箋をいただく。次回は11月だ。このままゆっくりと、いや進行がほとんど無い状態が続けばいいのだが、それはやっぱり虫のいい話だろうか。

診察室を出て会計へ行き、2000円ちょっとを支払って、一階へ出ていつものベル調剤薬局へ。もう雨はすっかりあがって、陽射しさえある。しかしいつも空いているこの薬局が珍しく混んでおり、20分ほど待たされた。どうやら無料、と謳って設置してあるお茶やコーヒーのサービスが受けているようで、老人たちがどっかり座って茶を飲みながら病気自慢をしている。「癌? んなもん全然怖かねえよ。俺なんかさ、胃癌で3回も手術受けてんだけどピンピンしてるよ」とか仁王立ちしながら言ってるジジィもいる。別の老婆は「あたしゃ膝が痛くて腰もダメでしょ、もう辛いのよ毎日」とさんざん愚痴を言っていたかと思うと、薬ができて名前を呼ばれたら「はい!」と元気良く返事をしてサッサッとカウンタへ歩いていった。ま、皆さんお元気でよろしゅうございますね。
そんなこんなでようやく薬を受け取って、連れ合いがこのところ咳をしているのでラカンカのノンシュガーのど飴を買い、病院内にあるバス停へ戻ると11時25分。30分発の赤羽行きに乗り込む。バスで蓮沼町まで出て降り、銀行へ寄り、ファミマでいくつかの支払いを済ませ、道路を向かいへ渡って高島平行きのバスを待つ。陽射しがあるのに霧雨みたいな雨がさあぁ〜と舞っている。その中を10分ほど立っていると12時ちょいにバスが来たので志村坂上まで行き、買い物して帰宅、1時ころ。

今回は前のCT画像と比べて明らかに脾臓が大きくなっていたことが心配材料だ。だが自分としては、体調は悪くはないし、前のように胃腸が圧迫されて機能低下したせいなのか、よく腹痛や嘔吐をしていたのもなくなった。何より食欲があり、むしろ運動をしないでこんなに食ってたら糖尿になりはしないかと心配なほど。この自分の感覚を信じたいと思うが…。
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2006-10-01(Sun)

米沢嘉博さんが亡くなった

漫画評論家の米沢嘉博氏死去 - 社会ニュース nikkansportscom

驚いた。まだ53歳、肺癌だったそうだ。
米澤さんといえばもちろん「コミケ創始者」として著名であるが、漫画評論家としても、また編集者としても優れた方であり、そして我々業界の中では少女漫画から性文化に関する研究家としても知られていた。
米澤さんのお宅には「ガロ」時代にお邪魔したことがあるし、何度かお話を伺ったこともある。米澤さんのところには全国からコミック(だけではないが)の新刊が贈呈されてくるし、同人誌はともかくそういう本で家が溢れかえっており、十何年か前の段階で、本の保管のためだけに部屋を何箇所か借りているとおっしゃっておられた。その話を伺った当時のご自宅も、処狭しと本が置かれていて、階段から二階の廊下にまで本が置かれていた。そんな中見せてくださった書斎だけは、落ち着いたつくりになっていて、「ここは趣味で研究している性風俗や文化の古書なんかを置いてるんですよ」とおっしゃっていたのが印象に残っている。
漫画では少女漫画の研究でも知られていた。それこそ、エロ劇画から少女漫画まで幅広く、これから漫画界にまだまだたくさん貢献していただかねばならない、おおきな存在であったはずだ。
早すぎる死は本当に悔やまれる。ご冥福をお祈りします。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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