--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2006-11-29(Wed)

倉田真由美が脱税(所得隠し)

11月29日(水)
「だめんず・うぉ〜か〜」がドラマ化、自身もアチコチのメディアに露出する「人気漫画家」"くらたま”こと倉田真由美さんが国税庁に脱税疑惑で調べられたそう。たった今(23:25)NEW23の報道によれば、倉田さんの事務所「有限会社たまくら」が、実際は数人しかアシスタントを雇用してなかったのに、何と60人もの給与を支払ったように見せかけてその分を経費として脱税していたという。
詳しい総額などはまだ不明だが、その手口が本当なら悪質と言われてもしょうがないだろうな。知り合いや友人などに名前を借りて給与明細まで発行していたそうだけど、そういうのって必ずバレるのでご注意ください(笑)って遅いか。
ご本人はカメラに直撃されて「そんなことしてませんから。ちゃんと税理士さんに聞いてください」とにこやかに答えて車で去っていったが、漫画家さんってそういうトコ、ちゃんとしてない人が多いんだよね。「ちゃんとしてない」というか、ちゃんとしてるヒマなんかねえ、というか。ヒマがある人なら「ちゃんとする」ほど経費や申告などに神経質になる必要はないし、ヒマがないくらい忙しい人ならとっくに会計士なりを入れて、おそらく「全部任せてる」状態でしょう。つーことはまあ結局その漫画家さんご自身の「不注意」ってことで軽いお咎めで済むだろうけど。悪質度と金額がさほどではなければね。
国税庁の査察といえば、その昔「ガロ」にも、そう、俺がいた青林堂にも入ったことがあるそうな。いや俺が入るはるか前のことなんだけど、いきなり「はい、動かないで」「引き出しから手を離して」とか言われて、その瞬間から有無を言わさず査察開始だと。青林堂にだよ、あの神保町の材木屋の二階の。あの十坪もないオンボロ事務所にだよ(笑)。結局何も出ず(出るわけねえ)、長井さんは税務署のお偉いさんとその後仲良くなって、車貰ったとか話してくれたことがあった。本当かどうかは知らないけど。あまりに正直な申告をしてるし、会計もきっちりしてるし、その上売り上げがアレだったので同情されたんじゃないか…と。

ま、脱税って基本的に金持ちのやることだよな。俺らビンボー人にゃ脱税する金もないし、滞納でもしようもんなら信じられないようなスピードと手口で「差し押さえ通知」だよ。って書いてて悲しくなってきたから風呂入ってクソして寝ようっと。


★30日の追記♪
ZAKZAK2006/11/30によると、「たまくら」が東京国税局の税務調査を受け、平成17年4月期までの3年間に約1800万円の所得隠しを指摘されたそう。重加算税を含めた追徴税額は約600万円!
『倉田さんは「税理士に任せていたが、給与の支払い状況がずさんで、わたしも把握していなかった」と話している』そうだから、やっぱりそうでしたか、ということっすね。

★さらに追記♪
どうもその後明らかになった情報や本人のコメント=言い訳を聞いていると、悪質度は高く、やったことに反比例して本人の反省度が低いという感じですな(笑)。
ああいう西原チックな開き直り的・露悪的・偽悪的なスタンスというのは芸風としてはもちろんアリなんだけど、私生活も本心も性根までああだと、単なる
「イヤなヤツ」もしくは「イタいヤツ」
になってしまうわけで、それはひどく「カッコワルイ」ことです。
ていうかあのアタリの「変」とか「悪」とか「反・良識」とか、
俺、ガロ者だからな。イヤっちゅうほど、見慣れてますよ、ええ。薄っぺらぁぁぁぁぃいアマチュアさんとか、プロも含めて、そうゆう人たぁあくさん見てきましたからマジで。
今回のことは「もっと巨悪を」と吐くってのは、どう贔屓目に見ても単なる悪人の開き直り。一応悪人肯定なんだったら、バレたんだから、バレた自分のマヌケさを素直に反省しなきゃね。「だめんず」たちのマヌケさ、変さ、バカさ加減に目をつけて世の中に啓蒙普及させた功績(笑)は非常に大きいと、俺は本気で思ってます。でもこれからはご本人がコレだけ(好き好んで)露出している以上、ご本人の所業が常に監視されていること、作品とご本人は別モノであった時代にはもう戻れないこと、をはっきりと自覚せねばなりませんなあ。
関連記事
スポンサーサイト
2006-11-28(Tue)

「造反議員の復党」

11月28日(火)
自民党の郵政民営化反対で「造反」した議員たちの復党問題が話題になっている。
自民党の執行部ではやれ「情」だとか何とか言っているが、そういうこととは違うだろう、ことは国政に関する問題だろうが、と思う。

簡単な話だ。小泉前総理は昨年、これは郵政民営化の是非を問う選挙だと言い、国民に聞くと明確に述べて解散までして選挙を行った。そこで「小泉チルドレン」と呼ばれる議員たちは、「郵政民営化賛成」と小泉人気に便乗して大量当選。逆に「反対」と訴えた議員は、落選した者もいるが、当選した議員は少なくともその「反対」に票が入ったと見れば、政治的信条を曲げるべきではない。曲げたのならば、それは政治信条を曲げたのであり、有権者を裏切っただけの話。
もっと言えば、小泉前総理が郵政民営化に賛成の人は自民党に入れろと言った、つまり今の自民党は郵政民営化に賛成した人たちが票を入れて当選した議員たちの集まりだ。なのに総理総裁が替わったとはいえ、反対した議員たちを「情」だか何だか知らぬが復党させるというのは、郵政民営化に反対票を投じた人たちへの明確な「詐欺」行為にあたるのだ。
賛成する人は票をと言って票を集めといて、ほとぼりが冷めたら反対票を集めた議員も取り込むってアンタ、国民を愚弄するにもホドがある…と普通は怒るところだけど、もう怒りも沸かない。すげえ国だよ、先進国ニッポン。
関連記事
2006-11-22(Wed)

エビスさんが再婚!!

蛭子能収さんといえばもちろん「ガロ」71年デビューの漫画家だけど、最近の若い人は漫画家というよりも「イジられタレント」か、「絵も描けるお笑い芸人」と勘違いしている人も多いんじゃなかろうか。実際リンク先にしたWikipediaの紹介文も、漫画家時代よりもタレント時代に大きく説明が割かれていて、そのことは俺らからすると物凄〜く浅い認識なのだが。言っとくが、エビスさんを「エビちゃん」などと呼ぶ人間は、蛭子さんを20年以上前から知る人間にはタダの一人もおらんぞ。(誤解のないよう断っておくけど、ちなみに編集者という立場から、漫画家の蛭子さんについては、青林堂から刊行された初期の「地獄に堕ちた教師ども」〜「なんとなくピンピン」あたりまでの作品は本当に凄いと思っている。中でも初期3冊目くらいまでは鬼気迫る作風で、今読んでも「天才」だとさえ思う)

…さて俺はというと、蛭子さんとは「ガロ」入社以来のお付き合いなので、もう20年以上ということになる。直接担当編集者という形には一度もならなかったと思うが、だいたい「ガロ」なんて担当といってもキッチリと分かれてたわけじゃないし、みんな身内のような感じだった。
蛭子さんとはソフトボールもやった、麻雀もやった、旅行も一緒に行った、担当じゃなかったけれど原稿取りで会ったことは数知れず…というお付き合いだった。蛭子さんは酒もタバコもやらない。なので麻雀卓を囲む時、我々はいつもくわえタバコに酒でワイワイ…みたいなスタイルだったので、いつも「もー、やる時は真剣にやろうよ」なんて文句を言っていたものだ。でもその蛭子さんは、自分の手に夢中になると人の話を全く聞かなくなり、挙句の果ては自分の番以外はヨダレを垂らして寝ていたりしたっけ。当時蛭子さんはよく「哭いた」ので、「哭きのエビス」と我々はよくからかっていた。ちょうど「哭きの竜」(能条純一)が流行っていた頃の話である。そして、蛭子さんがフリー雀荘に出入りするようになって、メキメキと腕を上げていくのはもうちょっと後の話でもある。

15年くらい前だったか、やはり「ガロ」デビューで通の人なら誰でも知ってる「特殊漫画家」根本敬さん(根本さんは担当編集者としてお付き合いさせていただいた)がよく蛭子さんを肴に笑い話をしてくれて、またそれが的を射ており、聞く人はみんな膝を打ったり転げまわって笑ったりと、楽しませていただいたものだ。
どういうことかというと、蛭子さんが人間をはかる唯一の価値基準が「年収」(笑)とか、普通のおっさんに見えるが実はあれは「あまりの異常さが一回りして普通の地点に戻った」普通さで、一般人が知らずに接すると必ず痛い目に会うとか。こういう感覚って実際に蛭子さんと接している人でも、感覚が鋭くないと理解できない話なのでここで文章書いてもアレなんすけどね。詳しく知りたい人はロフトプラスワンでの俺と鶴岡 (法斎) 君のトークを収録した「TALKING LOFT3世〈VOL.2〉」を何とか入手して読んでみてくださいね。入手困難だと思うけど(笑)。
TALKING LOFT3世〈VOL.2〉
ロフトブックス
このアイテムの詳細を見る


蛭子さんの異常なエピソード…というか笑い話は、それこそ枚挙に暇がない。有名なところでは
実の父親の葬式で実家に帰り、参列している間なぜか笑いが止まらなくなり、さすがに兄貴につまみ出されてしょうがないのでパチンコ行った
…という話とか、漫画家のみうらじゅんさんと競馬だか競艇だかに行ってる時、みうらさんに待望の赤ちゃんが生まれたと第一報が入った際に開口一番
「カ●ワじゃなかったとですか? 良かったdeathねえ」
と言った話だとか、まあその手の話は尽きない。
中でもこういう話をさせたら根本さんが一番で、こんな話を当時聞いた。
根本「俺が誕生日だって聞いた蛭子さんがさあ、その日たまたま会う予定だったんで、誕生日だからってプレゼントくれたんだよ。それがさ、ヤマザキデイリーストアのビニール袋でさ、中には90分のカセットテープが一本とさ、●●●●が入ってるだけで。つまりさ、蛭子さんにとって俺ってのは、誕生日プレゼントに90分のカセットテープ一本と●●●●を渡すって程度の人間なんだよな(笑)」
いや実は●●●●ってのが何だったか今は失念してるのだが、「男モノのパンツ」だったような記憶が(笑)。いずれにしてもトンデモナイおっさんなわけですがね。
俺も、蛭子さんについては今でも忘れられないこんなエピソードがある。
まだ一緒になる前の、やまだ紫先生のお宅(当時は高島平の高層団地であった)で麻雀&飲み会があるというので、都営三田線に乗って出かけた時。蛭子さんは確か入稿か何かで神保町の青林堂に来たんだったか、俺と一緒に電車に乗って西台という駅へ向かっていた。車内は6割くらいの混み具合で、俺たち二人は戸袋に立っていた。
蛭子「白取サンはさ、給料いくら貰っとるの?」
俺 「え? いや、ものすごく安いっすよ」
蛭子「いくら貰っとるのさ、エッヘヘヘ」
(この後しばらく教えろ、困ったな、というやりとりが続き、仕方なく根負けして)
俺 (小声で)「…実は手取りで8万くらいなんですよ」
すると蛭子さん、車内に響き渡るような大声で
「ええ〜〜っ!? はちまんえん〜!? それじゃあ家賃も払えんでしょ! 家賃いくら?」
俺 「だから…もういいですよ、勘弁してくださいよ」
(この後しばらく家賃いくらだ、5万か、じゃあやってけないでしょ、どうしてんの、というやりとりが続き、仕方なく根負けして)
俺 (小声で)「うちバイト公認なんで他社のバイトしたり、あと足りない時は仕送りをちょっと…」
すると蛭子さん、また大声で
「ええ〜〜っ!? 社会人になって仕送り貰っとるとですか!? そりゃいかんでしょー、ダメだよぉー!」
(この後しばらく大声でダメだ、いかん、ところでいくら送ってもらうんだ、みたいな話が続いた)
…とまあ顔から火が出るような話なんすがね(笑)。こんなのホンの一端なんすけど。それにしても蛭子さんの「変さ」を知らぬ人に伝えることはなかなか難しい。こういうエピソードをいくら紹介しても、「ちょっと常識知らずの変なおじさん」「天然」「愛すべき変人」みたいなイメージしかないだろうなあ。死人まで出てるのになあ。(蛭子さんを「理解せず」付き合うと、死ぬこともあるので注意が必要だ)

5年前、奥さんが亡くなった時は本当に憔悴されたようで、何かの番組で直後の映像を見たが、自宅でも奥さんがいるべきところにいない、ということがたまらなく寂しいと言っていた。ところがその翌年か、何かのヴァラエティ番組の企画だったか、再婚相手探しみたいな企画に乗っていて、芸能界に足を突っ込むと因果なものよのお、なんて連れとも話してたのだが…。
マジで再婚したっすか。

19歳年下ハリセンボンのハルナちゃん似…本当におめでとうございます。


★追記★
ほらきた。いやね、匿名チキン野郎なんでサクーッと無視するけどね、エビスさんが再婚したのに昔から知ってる人間がめでたいと祝うならともかく、バカにするようなことばかり書いて不遜であるとかさ、不謹慎であるとかさあ。
だからね、他の人ならともかく、蛭子さんだから。昔から知っている人ならみんな了解していることなのよね(笑)。嫌いな人と旅行行きますか? 麻雀やったりソフトボールに興じたりするか? 
蛭子さんの亡くなられた奥さんは、あまりの蛭子さんとの相似ぶりに、我々の間では「女エビス」と呼んでいたほど。蛭子さんはそれほど奥さんのことを愛してたし、奥さんもそうだったと思う。お子さん二人は当時父親のあまりの憔悴ぶりに本気で後追いを心配したと何かで語っていた。
そこに、昔から知る俺たちは違和感を感じていたんですよ。
蛭子さんは、実父の葬式で笑いが止まらなくなる人。愛する妻が死んだ。いつもそこにいたはずの笑顔がない、その寂しさは本当だと思う。でも蛭子さんってずっとそのままいく人なわけがない。なぜなら、「蛭子さんだから」だ。そうして今回、雑誌の企画で知り合った、20歳近く年下の女性と再婚ということだ。しかも奥さんの死後2年くらいで知り合った計算である。これぞ蛭子さん、である。
こういった蛭子さんの蛭子さんたる部分、エビスをエビスたらしめているディープな部分を知らぬ連中が生半可な常識で蛭子さんを語るな、フツーの常識の範疇に収めようとするな、と言いたい。死ぬよ。
俺が心から蛭子さんの再婚を祝っていることを、ガロ時代の蛭子さんを知っている人なら誰でも理解してくれています、はい。
ねえ、鶴岡君。どうもです。(鶴岡法斎の『放浪都市』 蛭子さんの結婚
「TALKING LOFT3世〈VOL.2〉」、セガの失速など「予言」が的中してしまいましたなあ(笑)。

★さらに追記★
YellowTearDropsのローリングクレイドル氏も蛭子さんの因果を体験したとか。それを聞いてハッと思った。
おおおお俺の癌は「ガロ」を離れたことによって結界がなくなったからではないかと。おおおお恐ろしいああ恐ろしや。
関連記事
2006-11-19(Sun)

「Qちゃん」惨敗>土佐優勝

11月19日(日)
夕べは2時半ころ寝る。今朝は比較的良く寝られ、11時過ぎに連れ合いが起きた後、11時半近くになって起きる。今日は雨で、気温もぐっと低い。ゆうべ床暖房を消し忘れて寝たのだが、夜中猫たちは布団に一度も来なかった。そういうこと、か。
今日は東京国際マラソンがあり、雨、低温、滑りやすい路面、後半の上り坂での向かい風などの悪条件の中、土佐礼子が高橋尚子をブッちぎって優勝。ただ北京五輪代表選考レースである、大阪での世界陸上への代表出場内定ラインである26分は切れず。だがこういう悪条件下での優勝は、タイム以上のものがあると思うが陸連って固いからなあ、と思う。
それにしても高橋の中盤からの失速というかモタつきぶりには驚いた。もう一人の日本人選手にも抜かれての3位は惨敗といっていいだろう。日本人に負けるのはデビューの初マラソン以来というから、その戦績自体が立派といえば立派なのだが。その過去の実績でじゅうぶんだとは思えないのだろうか。
実績といえば、実は今一番新しいオリンピックの女子マラソン金メダリストは野口なのだが、国民は野口のことを忘れて、高橋であると勘違いしている人が多いんじゃないだろうか。本当は「その前」の金メダリストである高橋の、メディアへの露出度はCMも含めて極めて多く、そのために野口がかすんでいるのだろうし、そのこと自体どうなんだろうと思っていたが、アスリートはとにかく結果が全て。この「惨敗」で、2年間のチームQの成果がこれということになり、建て直すことが出来るか、あるいは年齢的なことも含めて一気に引退ということも視野に入れるべき問題になってきただろう。ちやほやと必要以上にスター扱いするマスコミや国民もアレだが、本人もブランド物好き、ちやほやされるの好きという風情がある。なのでもしハシゴを外された場合はその反動も大きいと思うが。
関連記事
2006-11-18(Sat)

猫の季節

11月18日(土)
夕べはタモリ倶楽部〜爆笑問題の検索ちゃん…と見た後BSやCATVをザッピングして2時半ころ寝る。今日は比較的良く寝られた。朝の気温は低く、毛布をはいで寝ていたら少し寒かった。季節は確実に進んでいるのだなあ。あと何回こういう季節の移ろいを見られるかなあと思うが、いやいや何度でも見てやるさと思いなおす。プラス思考、プラス志向。
連れ合いが先に起きた後も寝ていて、そろそろ起きようかと思ったころシマが来て脇に丸くなったのでなでてやる。冬は猫がまとわりつくようになる季節でもある。
関連記事
2006-11-17(Fri)

激怖DVD

11月17日(金)
昨日は連れ合いが親友(であり高名な詩人でもある)井坂洋子さんのお宅へ出かけたので、その間またしてもVODで心霊ものを探して録画してしまった。いやあ、ダメだと解ってても、これはきっとちゃんとしてるかもと思い、ついつい見てしまうのだ。そうして20年以上ビデオだのが溜まっていくわけなのだが。これを連れが帰宅した後に一緒に見たのだけど、やはりたいしたことなかったのでガックリ&失笑。頭にきたのでうちの秘蔵のビデオから選りすぐってDVD化しておいた心霊モノの総集編を見なおす。やはり20年分から集めたものだけあって、うちのDVDの方が五千倍怖い(笑)。ホンモノだというのばかりを2枚に凝縮した映像集である。ていうか何でこんなん作るよ俺。
関連記事
2006-11-16(Thu)

「心霊モノ」

11月16日(木)
夕べはVODから録画しておいた心霊写真ものを見て3時ころ寝た。ほとんどが機械的なミスだったり現像ミス、不用意な感光や手ブレ、二重露出などで説明がつくが、どーーーーしてもおかしいものが1,2割ある。それが見たい。そして納得のいく説明が欲しい。決して(一時期ジャニタレがやってた「USO!」における黒田みのるのように)やれこれは先祖の恨みだの地縛霊の波動がどうしたとか、デタラメな検証のしようのないタワゴトではなく、科学的にキッチリ説明できるならばそれが欲しい。説明できぬなら、霊的なものでもいい、それならそれでやはり「確証」あるいは検証が欲しい。調べに行けばいいだけの話なんだから、無責任に何でもかんでも霊だ霊だとあおるのはやめてもらいたいのだが。…それにしてもああいうモノって、どうしてインチキ霊能者を使うかねえ。煽るだけ煽る、もったいぶる、じらす、そして決定的なものは何もなし…というパターンは本当に詐欺に近い。ていうか唯物論者にとっちゃ「心霊モノ」ってだけで詐欺と一笑に付すんだろうけど。
俺の場合は自分ではっきりと目撃して以来UFO(つまり未確認飛行物体)は存在すると信じているし、恐らく人間が死んだ後に何もナシということがないことも、「経験上」理解している。だからそういったものを何とか納得のいく形で見せてくれたり、科学的に解説してくれたりするものを期待して、連れ合いと20年以上もそっち方面の番組があれば録画したり、本があれば読んだりしてきている。なのでかなり「不思議モノ」関係には精通していると自負する我々ではあるが(笑)、霊能者と称する連中の9割9分がニセモノだと断言する。うちには200本以上のそういった関係のビデオがある。そしてヒマだとけっこうな頻度で見返したりもしている。バブルの頃に「名刺占い」なんかやってた奴が、数年後には「驚異の霊能者」ヅラしてスペシャル番組にかつがれたりしているようなパターンなど何度も見ている。
インチキ霊能者、エセ宗教者を見分けるのなんて簡単だよ。アクセサリーやブランド物、金銭に執着しているやつは全部ニセモノ。そいつが霊能者というのなら、そんなんジャラジャラさせてて崇高な能力を与えられるわけねえだろ。そいつが宗教者だとしたら、現世の物欲に囚われてる人間が人に神仏の道を説くんじゃねえ。…そういう簡単な話だと思うが。

関連記事
2006-11-14(Tue)

男三人、で昼飯

11月14日(火)
夕べは3時ころ寝たが、朝方7時前後に猫が走り周り、落ち着いたかと思うと外がうるさかったり猫が出入りしたりで、浅い眠りで寝たり覚めたりと朦朧。結局12時近くに起きるまでそんな状態で、起きるとなぜか疲れていた。日曜の夕方帰ってきた連れは先に起きてメシを食っていた。今回は通常の授業の後入試と判定会議などで、先週一週間京都に出かけていたが、あまり疲れた様子はなかったようなので安心。京都はこれから紅葉の観光シーズンに突入するので、宿の手配や新幹線も早めに手を打たないとまずいね、と話す。実際、今回もヘタをすると後半の3日は全部宿泊先が変わるところだったのだが、学校の手配で何とか連泊できるところを見つけてもらった次第。京都は一年中観光客で賑わっているところではあるのだけど、桜や紅葉の季節、祭りやイベントがあるという時は格別に混む。
今日俺は久々に電話があった清竜丸のマスターと蓮根でメシでも食おうということになっていた。虔十書林の多田さんも来るということになっているので、家では何も食わず。今日は快晴、気温も20度を越す暖かさというが、それも今日までだという。眠くて朦朧としていてソファに転がっていたかったが、約束があるので12時40分くらいに支度をして出る。タクシーがバス通りにすぐ来たので乗り、蓮根駅へ。ワンメータかその上くらいでいつも行くから、バスが行かない蓮根まではいつもタクシーである。とりあえず清竜丸へ行くとマスターがおり、そこで頼まれていた店のチラシなどの打ち合わせや世間話をしていると、1時ころ多田さんが来る。ちょこっと話して、ご飯を食べに行こうということになる。多田さんが車取ってくるというので俺とマスターだけ先に近所の万世へ入り、マスターはビール。和風ハンバーグライスを3つ頼み、俺はコーヒーで世間話。間もなく多田さんも来て、メシを食いながら久々に世間話をいろいろと。米澤嘉博さんが亡くなった話、それに伴うコミケ内部の話とか、俺の病気の話も含めていろいろと。何か普通の体に戻ったみたいな錯覚を覚える。
2時半過ぎまでゆっくり話をして、食事代は多田さんにご馳走になってしまった。皆さん、やまだ紫の看板で有名な神保町は古書・虔十書林をヨロシク! 約束だよ! って俺も現金。…多田さんはこれから神保町の鍼灸に行くというので、駐車場で別れた。腰をひどくやったそうだが、大丈夫だろうか。俺も若い頃毎日重い本を大量に扱っていたので解るが、古書業者もよく腰をやる。職業病のようなものだが、その爆弾がいつ爆発するのか誰にもわからないところが怖い。ぎっくりは動けなくなるもんな。
連れ合いは今日歯医者なので、合流するまでに時間があるのでいったんマスターと清竜丸へ戻り、お茶を出していただく。ちょろっと世間話をしていると連れ合いから終わったとメール、そこで店を出る。銀行で合流し、こないだ買えなかった腹ベルトを買うためにそこからタクシーで医師会病院へ行く。連れ合いだけ売店へ行って買って戻り、西台へ戻ってもらい、ダイエーで買い物をして帰宅。
関連記事
2006-11-10(Fri)

米に虫

11月10日(金)
夕べは2時過ぎに寝る。今朝は6時半ころユキがニャーニャー起こしにきて、ほっとくと一人で居間で何か転がして遊んでいた。そのままウトウト、嫌な夢をいくつか見ては覚め、10時半過ぎに古本店から買取用のダンボールが届いて起こされる。大きな厚手のダンボール箱が二つ、郵便局の「冊子小包」で届いたのでびっくり。これが冊子ってアリなのか。さっそく仮の箱詰めをして玄関に積んであったダンボール箱を開けて、届いた巨大箱に不要なコミックを詰め込んでいく。一つの箱一杯にすると、5積みで100冊以上入った感じ。もう1箱は50〜60冊くらいか。その後指定の宅配業者を呼び、着払いで持ってってもらってようやくスッキリ。開いたダンボール3つは解体して、ゴミ置き場へ持ってった。送った本もたぶん5000〜6000円くらいになればいい方だろう。実はまだまだコミックがたくさんあるのだが、これらはいずれ連れ合いの京都精華大学へ寄贈しようと思い、まだ未整理。寄贈してもしょうがない本類を処分したというわけで、それらの内訳は言わないでおこう(笑)。
午後、西友ネットスーパーで買ったものを配達に来てくれる。水が安かったので1ダース、そのほか新米5kgなど、重いものを配達してもらえるので本当に助かる。昨日宅配業者に配達してもらった弁当のハンバーグとクリームコロッケを暖め、これにキムチでもりもり食べた。夕方は米を炊こうと米びつから釜に米を2カップ汲み、水で磨いで磨ぎ汁をざばと出していると、何か白い磨ぎ汁の中にポツポツと微小な点が見える。いやぁぁな予感がしたので注意深く手のひらにその点というか粉のようなものを掬ってみるが、何か解らない。虫か、虫の卵か、それとも単なる糠のカスか。米びつを引っ張り出して、3分の1くらい入っている米の底からカップで掬ってその米をじっと見ると、薄茶色の細かい粉のようなものがたくさん混じっている。糠のカスかなと思ったが、よぉぉく見るとその粉が動いている。やはり小さ〜な虫だった。うわあぁいやぁ! と思い、いったいどれくらいの数がいるのかも不明ゆえ、米びつからゴミ袋へ全部米をあけて捨てる。さらに今磨いでいた米ももちろん、流しに捨てる。もったいないが虫を食う趣味はない。西友で新米を5kg頼んだばかりで本当に良かった。神の啓示か? 大げさか。捨てた米が無くなった米びつの底には、茶色の粉が溜まっている。全部が虫ではないようで、糠カスか米をかじっている微細な虫がそれらの中におびただしい数混じっていた様子である。大変気持ちが悪いのでお引取りいただき、米びつは洗剤で丹念に洗った。その後でお釜に新しい袋から出した新米を2合出して磨ぎ、炊いて食べた。しかしあの茶色い小さな虫は何だろう。コクゾウムシはもうちょっと大きかったような気がするが。
10時過ぎになって連れ合いから終わったとメールがある。朝8時くらいに出勤で、この夜中まで入試と会議だったらしい。オーバーワークで去年のように倒れないといいが。
関連記事
2006-11-08(Wed)

大掃除 2

11月8日(水)
夕べはソファに崩れ落ちて寝てしまった後布団に移動したのは4時近く。今朝は9時ころいったん目が覚める。眠かったのと疲れていたのとでそのままとろとろして、10時過ぎにエイヤと起きて洗顔。軍手をしていたのに手のひらの皮がぴりぴり、さらに全身あちこち軽く筋肉痛もしているが、幸い腹というか脾臓の痛みはない。今日は晴れというかうす曇りで日が射す感じ。ソファにゴロリとしてしばらくテレビを見ていると、昨日の疲れでだるい。昼ころになって野菜スープとフランスパン4切れ、アイスコーヒーでようやく朝食というか昼食。
その後一休みした後で続きにかかる。何せ棚を片付けたお蔭で仕事机の周りが手付かずどころか大量の要・不要未選別のもので山のようだ。ついでにやはり気になっていた後ろの棚の窓脇の箱類も整理してみる。いらないビデオとかカセットは全部燃えないゴミにする作業。ズシリと重いゴミ袋がどんどん出来ていく。俺こんなにビデオやらカセットやら持ってたっけ、というくらい出てくる。例によって実家にいた頃録音したカセットと、上京したての頃にMTVを毎週録画していたやつが凄い数あるのだが、一生かかっても聞ききれず見切れない。なので捨てる。ダンボールの空きもどんどん出る。
適当な区切りでまた下に台車でダンボールの束と、燃えないゴミなどを出しにいくが、燃えないゴミ袋は満タンのが8個以上。昨日出した雑誌類の束は20cmくらいの束が12個以上。コート紙の多い雑誌は重いので、薄めに縛った結束にするのが基本です。とにかく本もゴミもあまりに大量なので、管理人のおっさんが文句言うかもと思い、明日は燃えないゴミの日なので、ゴミ部屋ではなくマンション前のゴミ置き場へ全部出しておいた。フライング気味だが親切心からである。それにゴミ置き場には入らない。
夕方4時ころ、あまりに疲れたので一休みする。昼過ぎからPCにつないであるCreativeNomadZen(30Gb)でポール・マッカートニーのアルバムをmp3化したのをBGMにずっとかけている。ソロになってからの1st("McCartney")から続けてかけながら作業をしていたが、一休みする頃には"Back to the Earth"のロケストラのテーマや、とうとう"Tug of war"に入っている。面白いので高校時代からの親友で同じポールファンでもあるU(札幌在住)にこのことをメールすると、「音楽聴きながらビールで一杯やりてえなあ」とのこと。本当だなあ。好きな音楽を共通の趣味を持つ友人たちと聴きながらビールを飲み、ああでもないこうでもないと時間を気にせず語り合いたいなあ。そういえば昔、高校時代がそうだったかといえばそうなのだが、あの頃とは人生経験が全然違う。青臭い子どもの音楽論から四半世紀が経過した後で改めて…というのがいいじゃないか。落ち着いた年齢になって、そうしてわかることも感じることも、あるというものだ。それにしても俺たちは、少なくとも俺は流行りのアイドルや歌謡曲には耳を貸さず、ひたすらに洋楽だけを聴きまくっていたっけ。青春時代には確かおニャン子とかが全盛期だったらしいが、全く興味なかった。ジャニーズ系のガキ共なんか軽蔑の対象でしかなかった、そしてそれは今でもそうで、さらにそのことは正しかったと今こそ確信している(笑)。
その後本をひたすら縛って捨てるなどしていると、さすがに腰もフラフラになってきた。6時ころ、納豆といわしの生姜煮、キムチでもりもり夕飯を食べる。一服した後、本の縛った束が6つくらいまた出たやつ、それもコート紙の重い本ばかりなので結束が重いこと。それをまた台車でゴロゴロとゴミ置き部屋に持って行く。昨日出した束の上へ積み上げるが、これまた物凄い量になっていて、大丈夫だろうかと心配。うちの管理人細かいことうるせえんだよなあ。
そうして部屋に戻り、最後は部屋全体に掃除機をかける。ここまではマスクをちゃんとしていたのだが、掃除を終えて机の上を片付ける段になって、汗だくになっていたのでマスクを外していた。油断である。なのでホコリを吸い込み、くしゃみと鼻水が止まらなくなった。昔から鼻が弱く、ちょっとしたホコリですぐくしゃみが出たり、風邪もまず鼻から来る。とりあえず鼻炎カプセルを飲んでおさめた。ノートPCの周囲にぐっちゃぐちゃだったUSBやらLANやらACアダプタ類だのの配線もやりなおし、後ろの棚の中で死んでいたガッチリした事務用の整理ボックスを救出してPCの横に設置したりと、一通り終えて仕事机の上がようやく整然とすると夜の11時になっていた。へっとへと、である。
その後ニュースを見てから、もう動けぬとそのままNHKで「世界ふれあい街歩き」を見る。今回はチェコの首都プラハだ。この番組は旅人の目線でゆったりとその街を「歩きながら」紹介していくもので、まさしくその街の人とふれあいつつ、自分が歩いているような気分になる映像がいい。今回も良かったが、何といってもいつかのベルゲン(ノルウェー)の街の回が良かった。録画しておかなかったのが悔やまれる。
関連記事
2006-11-07(Tue)

一足早い大掃除

11月7日(火)
今日は連れ合いも京都だしと一念発起して、仕事机の後ろの棚の片付けを始める。棚といっても奥行きが1mほど、幅は2m・高さ180cmくらいというガッシリした事務用の本格的なスチール棚だ。この棚を背中に、これまたがっちりした両袖の事務用机と片袖分の同じ高さの引き出しだけの棚を仕事机として使っている。背後の大きな棚は引っ越して以来ほぼ手をつけていなかったから、手前はともかく奥の箱などは7年くらい開けてないと思う。一番上の段から本などを整理し、不要なソフトの箱や雑誌類は捨てる。2段目はCDなどがギッシリ入っている段だが、手前のCDを一旦どけてその奥の箱などを見てはいらんものをゴミ袋へ片端から放り込み、CDは3つのダンボール箱に詰め直してから再び棚に収める。3段目と4段目は手こずり、暫定的に軽く片付けただけ。棚の手前の本や書類の奥になっているダンボール箱の中身を見ては不要なものは捨て、どうしようもないコミックは古本屋に売るべく箱に詰め、売れもしない雑誌類は運び出して居は間で「しめしめ」を使って縛る。この繰り返し。なぜ俺は5年も前の日経パソコンや、フォトショップのバージョン4の解説本などを捨てずに保存しておいたのだろう。今になるとほとんど謎である。1年経てばパソコンやIT関連の情報は陳腐化するというのに。あと大量にあったカセット類も、もう聞くこともないものは思い切って大量に捨てる。これらは数にすると数百、中学時代にオーディオセットで慎重にLPを録音したものや、FMから「エアチェック」したものも含まれていて、かなり迷ったのだが、10数年聞いてないということは今後も聞かないのだろう。それに今は聞きたければその曲だけをダウンロードして買ったりも出来る。俺はモノを捨てられない人だったが、これほどとは自分でも呆れ返った次第。
一段落ごとに台車で大量のゴミと一緒に、縛った本をマンション下のゴミ置き場へ出しに行く。軍手とマスク着用、頭はいわゆるタオラー状態。だがなぜか上下はパジャマ。1階に降りると顔見知りの小学生の女の子が不審者を見るような目でこちらを見たので、「こんにちは」と言うと「こ、こんにちは」と怯えたように応えて、部屋へ消えて行った。さすがにクタクタになり、夕方いったん休止して、なくなった野菜スープを作りはじめる。朝はサラダがなければ野菜スープが欠かせない。ここ1年ほどは、これまでの人生で一番野菜を食べていると思う。癌を患って健康の大切さを知る愚かさである。
その後ご飯を炊き、6時過ぎにキャベツとピーマン、豚肉で肉野菜炒めを作りキムチでもりもり食った。この炒めものに関しては完全に習得したと我ながら関心するうまさ(笑)。これよりまずい中華屋って東京にはゴロゴロあるよなー、と思いつつ満腹。連れ合いは6時過ぎに大学での授業が終わったとメールがあったが、夜になって余りの寒さにデパートでコートを買ったそうだ。食後の一服(といってももちろんタバコではなく、本当の一休み)をした後片付けを再開。後ろの棚は半分ほど片付けた感じだが、本当はこの棚の隣の窓際、つまり棚に向かって左脇に無造作に積み放しになり7箱分の高さになったダンボール箱を全部一回開けて確認・整理したいのだが、この箱一つのあまりの重さにびっくり。一番上の箱を椅子の上に載って降ろそうとするが、腕力で支えきれず、腰がくだけそうになる。前はこんなものをよく軽々と持ち上げていたもんだと感心。ていうか俺の体力が落ちているのだな。「ガロ」時代は120冊のコミックを背負って神保町から飯田町にあった日販の店売まで行ったこともあったのになあ。とにかく必死で降ろした上の2つを開けてみて、ちょっと不要なものを捨てたりしたが、そこから下はもう手をつけられなかった。もう夜中になっていたし、一旦ソファに転がって休むともう続ける体力がなく、そのままうとうと。気がつくと3時過ぎだった。それにしても疲れてへとへと。
関連記事
2006-11-06(Mon)

変わらないことの喜び

11月6日(月)
夕べは北朝鮮の核武装問題のドキュメントを見て、2時半ころ寝る。朝方連れ合いが室内に蚊がいて、羽音や刺されたりで寝られなかったと5時ころ起きてしまう。俺はそのまま寝ていたが、連れ用にかけていた枕元の携帯アラームを自分の病院行きのだと勘違いして、慌てて飛び起きると6時45分だった。今日は曇天で、未明に雨が降った様子だが気温は低くはない。連れは支度をして7時半ころ京都へ出勤して行った。俺は9時に日大病院なので、その後寝てしまわぬように踏ん張ってテレビを見て、8時半近くになって出る。

タクシーがすぐ来たので乗り、17号まっすぐ。坂上から本町まで案の定渋滞にかかるが、わき道に逸れてもあまり変わりがないことが解ってきたので、そのまま行ってと話す。運ちゃんは気を利かせてくれ、本町を環七に右折、すぐに左折をして豊島病院通りへ抜ける17号と平行の裏道を通ってくれると説明してくれ、右折待ちをしていると17号直進はガンガン流れており、「あれー、なんかかえってすいませんねえ」と言ってくれるが、結局この裏道は正解で、仲町に抜けると本町の交差点で俺らを追い越して行った国際興業バスはまだ来ていないようだったので、追い抜いたのだろう。病院へ着くと9時ちょい、3000円弱。
いつものように内科受付で検査の連絡表を貰い、地下の採血受付へ。47番、連休明けのせいかけっこう待っている。10分近く待って、9時15分過ぎに採血される。今回の採血は、前回俺が日常食いすぎ気味と申告したのでコレステロール値も検査項目に追加してくれたので、試験管4本採られた。針がブスリと静脈に入り、試験管にターッと血が流れ込んでいく。それの一部始終をじっと試験管4本分見つめる。もう慣れっこだが、隣のおじさんはダメならしく、「くぅーっ」と言いながらしかめ面をしていたのがおかしかった。こういうのに慣れる、というのも何だかなあ。
そのまま内科受付へ戻って採血終了の旨報告し、いつもならロビーへ行くが、今日は10時が診察予約時間なので、40分ほどしかない。そのまま内科前の廊下の長椅子で携帯のミュージックプレイヤで音楽聴きつつ待つ。9時50分になって診察室前の椅子へ移動。正味3時間くらいしか寝てないので異常に眠くなってきた。うとうとしかけるが何とかふんばっているが、10時には呼ばれず、10時40分くらいになってようやく呼ばれた。この40分が物凄く長く感じられた。やはり検査項目が増えたせいで間に合わなかったのだろう。

U先生はいつものように「何かお変わりありますぅ?」と言うので「いえ、全然…」と苦笑すると採血の数値を見つつ「そうでしょうね、やっぱり変化ないみたいです」とのこと。今回追加した項目でも異常はなく、コレステロール値が低すぎるのが異常といえば異常。ただし病気のせいで肝機能が衰えたりするとこういうことになったりするから注意が必要だが、俺の場合は7,8年前にもコレステロール値が低いと別の病院で言われたことがある。なので体質だろうし、そもそも高かった人がグッと落ちた場合は要注意であり、俺は肝臓その他の臓器に今のところ異常はないようなので問題なし、だそう。ホッと一安心。いや、正直なところタバコは完全に、酒もほとんど飲まなくなったはいいが、とにかくメシを食う。おやつ(笑)も食う。体重が退院時の64kgから5kg増えた。冗談ヌキで、こういう人は往々にして糖尿になりやすいので、注意が必要なのだ。
変わりがないこと、これが一番嬉しい。
触診の結果でも、リンパ節の腫脹は顎下の左右のゴロゴロ以外は全て大きくても1cm程度。両足の付け根、鼠蹊部のが硬くコリコリしているが、押されて「痛いですか?」と言われるが全然痛くない。こういう病気の場合は鎖骨周辺のリンパがぼこぼこに腫れてきたりするのが顕著らしいのだが、俺の場合そこはよぉぉく探さないとないし、それも小さく奥の方にぱらぱらある感じだそうだ。縦隔のリンパは気道を圧迫したりする兆候は呼吸音からはないそうだが、一応次回、また胸部レントゲンで観察することになった。このところ体調も変わらず食欲もバッチリ(笑)あるし、胃痛や嘔吐もない。なのでベリチームがちょっとダブついてきたので、1週間分だけ処方していただく。次回は12月でいいということ。12月といやあもう冬で風邪やインフルエンザが心配な時期だ。これまで通りうがい、手洗いなどを励行して予防せねば。会計は5000円近く、なぜか高かった。検査項目によって変わるんだな。

今日は体調もいいので、友人に勧められた池袋の気功へ行ってみようと、地下のタクシー乗り場から池袋へ向かってもらう。時間が合わなかったので、そのままひさびさに池袋で一人でメシでも食うかと思ったがあの辺りはガチャガチャしているが決め手がない。たまの外出でクソまずいものを食いたくもないので、とりあえずデパートで冬のジャケットでも見るかと、西武の紳士服売り場へ行く。5階が紳士服売り場なので物色しつつ廻るが、どこも何でこんな値段すんの!?という高さ。コートも安いものでも3万前後、普通に6〜7万。ブルゾンも同様で、ちょっといいなと思ったのは6万くらい。すごくいいなと思うのはケタが一つ増えるのだ。こりゃアカンと思い、若向けの店の方へ行くが、そちらはやはりデザイン的に俺の年代には若すぎ、それでいて決して安くはない。なのでそのまま降りて、反対口へ出て東武へ行ってみる。東武も示し合わせたように5階が紳士服。結局ここも値段的には変わらなかった。それやこれやで西口へ出るともう引き返して延々歩いて気功へ行く体力がなくなり、また今度ということにして、タクシーに乗って舟渡までまっすぐ帰路につく。やはり体力が落ちているのだろう、かなり疲れた。池袋はやっぱりもう病人の行く街ではないようだ。
関連記事
2006-11-05(Sun)

近況報告

11月5日(日)
夕べは何だかんだで3時ころ寝る。この夜更かしは病気をして以来唯一の(?)不健康な行為だと思うが、どうにも治らない。今朝は9時ころから何度か目が覚めたが、11時くらいまで寝てしまった。昼過ぎにヤマト運輸が連れ合いのキャリーバッグを取りに来て、2時ころには昨日頼んだクリーニング屋が引き取りに来てくれた。それらの用事が済んだ後、支度をして二人で外に出る。
今日は連れ合いがかかりつけのクリニックへ行く日なのだが、岡本先生が俺の顔が見たいから今度診察の時につれてきてといっていたというので、一緒に行くことにしたわけ。岡本先生は舟渡駅前のアイタワークリニックの院長先生で、去年の夏、健康診断時にレントゲンを見て縦隔のリンパ腫脹と脾臓の肥大を指摘、「悪性リンパ腫か白血病の恐れがあるから、すぐに大病院で精密検査をするように」と的確な指示と手配をしてくださった恩人である。退院してから一度ご挨拶にうかがったが、連れ合いが持病の?型糖尿病と肝臓などの診察で行くたびに、俺のことを心配してくださっていると聞いていた。なので、二人で秋晴れの中てくてく駅前まで歩く。
今日は歩くとなぜか脾臓部分がちょっと痛む。肥大した脾臓は骨盤まで達し、胃や腸など周辺臓器を圧迫していることは何度もここでも記述している通り。だがそれも慣れてしまい、日常うつ伏せになれないこと、食事の後は苦しいこと、もちろん強い圧迫などを避けなければいけないことなどはあるが、慣れてしまうと苦痛ではない。何せ特に深刻なほどの痛みはないからだ。だが今日はズキンズキンと痛む。低気圧になると、連れ合いの右わき腹が痛むと何年も聞いていたが、俺もそんな感じではある。だが今日は高気圧ぽいが。
アイタワーは10分ほど待つと連れが呼ばれたので診察室に一緒に入ると、岡本先生は「元気そうだねー!」と喜んでくれた。こちらもこれこれこんな感じです、と現状を報告。先生は「でも偉いよ、自分だったらこういう病気になったらね、増してや治療法もない、病名すら確定できないってなったらもっとジタバタすると思うよ」とおっしゃる。いや、俺も当初はジタバタしましたよ。ジタバタしてもしょうがない、もうダメだ、あと何年で死ぬのか…とマイナスに考えて生きるのか、いや死に向かっていくのか、いつまで生きられるのかも解らんのなら普通の人と同じだろう、とにかくこのまま消えるよう死んでたまるか、俺は生きる! と強く思うのか。プラスに強く考えられるようになるまでは、このブログでの皆さんの励ましも含め、さまざまな人たちから応援と助けをいただいて、少しずつ前向きになって来られた。人間やはり一人ではとても生きられない。
先生とは診察室で5分ほど話した後、連れの診察があるので俺だけ先に外に出て待つ。すぐに連れ合いが出てきて、処方箋をもらって会計して終わり。二人でDOMDOMでちょっと一服。マンションの上の階の顔見知りの奥さんがおり、「あらぁ、仲がよろしくてうらやましいわ、見習わないと」と言われる。ていうか二人とも病気なんで助け合って生きていかないとならんのです。
連れは書店で新幹線で読むのだと養老孟司先生の本を買い、その後はマルエツでパンやら野菜などを買った。連れは「腹巻を買いたいから、前に入院してた医師会病院の売店へ行きたい」というので、そのまま駅前からタクシーに乗る。連れ合いの言う腹巻とは病人用の腹部や腰を強く支える腹ベルトで、今しているのがボロボロになったために新しいのを買いたいというのだ。連れは数年前に右の腎臓を摘出手術をされた後のズサンな傷跡が痛み、筋肉と神経を断裂させられたため、右の腹部に力が入らない。くしゃみや強い咳をする時は、腸が飛び出さないように手で腹を抑えないといけないのだ。そして、低気圧がくると傷がカミソリで切られるように時折鋭く痛むという。全く俺たちって何の因果だろう。
タクシーで俺はマンション前で先に降りて荷物を部屋へ運び、そのまま連れ合いは医師会病院へ向かう。俺は買ってきたものを整理した後、1GBのSDカードに連れ合いのD-SNAPで聞くための音楽を転送してやる。新幹線の車中は決して快適な空間ではない、無法者が携帯をデカい声で使ったり、ガキがギャーギャー走り回ったり、無神経な人間だらけだ。騒音は自分で遮断するしかない。なのでこないだD-SNAPを入手したわけ。連れは50〜60年代オールディーズが好きなのでアンディ・ウイリアムスとかコニー・フランシスとかを入れてやっていると、売店は4時で終わりだった、しょうがないので戻るとメールが入る。
関連記事
2006-11-04(Sat)

「夜まわり先生」

11月4日(土)
夕べは「夜まわり先生」として知られる水谷先生のドキュメントをNHKでやってたので終わりまで見てしまい、3時過ぎに寝た。水谷先生は自分の命を削って、少年少女を救おうとしている。薬物に依存したり、誰かに愛されることを知らずに絶望から自殺を図る子どもたち、リストカットをする子どもたちの相談に昼夜の別なく乗ってやっている。その上で全国を講演に廻ってそういった少年少女の実態を話し、君らは薬物をやるな、命を絶つな、生きろと説き、そして夜の街を廻ってたむろする行き場のない少年少女に道を外すなと語りかける。いつ寝てるんだろうと素朴な疑問が沸くほどのヴァイタリティだ。
今日はWOWOWで「ヴァン・ヘルシング」を見るが、CG多用で金もかかってそうな映画の割りに、どうも話が大作りというか荒削りな上、魅力に欠ける作りで、1時間ほどで完全に興味を失う。
関連記事
2006-11-01(Wed)

クソガキとバカ親

11月2日(木)
今朝も8時ころ脇にユキが啼きながら起こしに来て、なでてやっていると人の腕を甘噛みしたりゴロゴロとひとしきり甘えては出て行き、ヤレヤレとうとうとするとすぐ戻ってきて…の繰り返し。結局その後しばらくしてから起きた。夫婦二人とも寝不足気味で、テレビを見ながらうとうと。小仕事がこまごまとあるのだが、気力が出ない。連れ合いは連れ合いで、通っている大学のこまごました用事がけっこうあって、一日に数回はノートPCに向かっているが、今日はやはりだるそう。今日はうす曇りで気温は昨日より低い。午後、連れが次の分の新幹線の切符を買うというので、3時ころ買い物もあるので二人で出かけた。
駅前まで歩く途中、埼京線のガード下で猫を見つける。ガード下はタクシー会社の車庫になっているが、その隣にある倉庫のような雑然としたところのネットごしに茶トラ猫が寝ていた。前にいつもいた猫たちではないようだった。連れがファミマで金をおろし、切符を買う間、俺はマルエツ脇にあるDOMDOMでベーコンエッグバーガーとクリームソーダを頼んで窓際に座って食べはじめる。だが店内が異常に騒がしい。幼稚園児くらいの女の子二人がギャーギャー騒いでおり、走り回るは椅子の上に載ってくるくる廻るはで、周囲の客も眉をひそめてはいるが無視している。見るとその親らしい20代後半とおぼしき女二人は別のボックスにおり、とうに食い終わっているのにベチャクチャとガキほったらかしでくっちゃべっている。死ねばいいのに。それよりこの今うるさいクソガキ二人をどうやってブチ殺そうか妄想しつつハンバーガーを食う。食い終わったころにガキとその親をブチ殺す妄想が本当になりそうになったので、「オイ、お前らこのガキども何とかせえよコラ!」と怒鳴ろうと立ち上がったら、連れ合いが入ってきた。こちらを見たのでトレイとゴミを下げつつ「ダメ、最悪だから出よう」と言って出る。「(ハンバーガーが)まずいの?」と聞くので店内を指で示すとすぐに納得。
その後マルエツで買い物をして帰宅。その帰路に野良にやろうと買ったちくわをちぎって連れが茶トラにやるが、寝ていた茶トラは金網ごしに投げ入れられたちくわに囲まれてキョトンとしていた。食ったことがないのかも知れない。こういう野良にエサを与えることをキーキー怒る人もいるが、猫を捨てた人間に文句を言え。「今ここにある命」に罪はなかろう。
関連記事
カレンダー
10 | 2006/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。