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2007-01-31(Wed)

名作の継承…永島慎二『黄色い涙』のこと

黄色い涙

マガジンハウス

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きょう、永島慎二先生のお嬢さんである史さんから小包が届いた。先日俺が出した寒中見舞いへの返信と、お見舞い(?)にチョコレート、そして映画化にあわせて復刻されたマガジンハウス版の『黄色い涙』と、サウンドトラックCDを同梱していただきました。ありがとうございます。ご母堂とお二人ともお元気だと聞き、嬉しいです。史さん…というか「フミちゃん」はもう20年以上前に俺が青林堂に入った直後に、アルバイトでやはり入ってきた「同僚」として一時期一緒に働いていた。フミちゃんは当時まだ16歳だったかと思う。俺もフミちゃんも若いくせにヘビースモーカーで(未成年の喫煙は時効だから…)、やはりヘビースモーカーだった長井さんの奥さんの香田さんと3人でスパスパやっていると、長井さんに「お前ら一斉にタバコ吸うなよ、煙いじゃねえかよお。俺肺片一方しか無いんだからよお」と言われたっけ。
もう「ガロ」「青林堂」「長井勝一」などと言っても注釈が必要な時代だと思う。
「ガロ」はよく言われる形容をすれば非メジャーで表現重視の伝説の漫画雑誌であり、「長井勝一」はその版元である「青林堂」創設者・社長にして「ガロ」編集長である。そういえばもう長井さんが亡くなって11年が経つ。そして永島先生が亡くなって、1年半…。

永島慎二先生、67歳の早すぎる旅立ち でも書いたように、永島先生は俺にとっても大恩人だった。もともと俺は長井さんが漫画を専門学校で教えるというのを知り、講師陣に永島先生のお名前を発見し、漫画家になるために上京したようなものだ。『漫画家残酷物語』『フーテン』そして『黄色い涙』などの代表作は言うまでもなく、短編『かかしがきいたかえるのはなし』など、今でも大好きな作品がたくさんありすぎる。そして、思い出もたくさんありすぎる。
永島先生は若い人が大好きで、昔から先生の周りには先生を慕う若者がたくさん取り巻いていた。先生を慕うのは何も若い人だけではなく、老若男女、みな先生の気取らぬ、優しい人柄を慕っていた。永島先生のニックネームは“ダンさん”だったけど、俺なんかとてもそう呼ぶことは出来なかった。だがそんな当時弱冠二十歳の若造であった自分にも、永島先生は最初「シラトリさん」と敬称をつけ、丁寧語で接してくれた。俺は恐縮した。自分から見たら大大大先輩であり大先生である。憧れの人である。なぜ自分が60年代後半に新宿や阿佐ヶ谷高円寺近辺で青春を送れなかったかを本気で悔しがった人間で、今でもその気持ちがあるほどだ。
阿佐ヶ谷の学校へ通っていたころ、永島先生は歩いて数分のご自宅にいらしたので、時折教室へふらりと遊びに来られたりもした。長井さんとは元々飲み友達だったが、長井さんは永島先生に大恩があり、いつも必ず「永島先生」と呼んでいた。そんな先生からデスマス調で返されても、こちらはではそれ以上の敬意をどう伝えればいいのかが解らなかった。ともかく、その後自分は青林堂へ勤めるようになり、フミちゃんが入ったこともあって、永島先生と接する機会は格段に増えていった。先生のご自宅の離れにある、「紙飛行機部屋」にも何度もお邪魔させていただいたし、酒席にご一緒させていただいたこともたびたびあった。
先生が俺と話す際、いつしか「シラトリさん」から「シラトリ君」になり、丁寧語が取れていった頃は本当に嬉しかった。一度だけ、お酒の席で「シラトリは」と言われたことがある。先生かなりご機嫌で、なんか周囲で俺のことを年寄りくさいとかいう話で盛り上がった時だったか、永島先生が「シラトリはさあ、年寄り臭いんじゃないんだよ、背伸びしてるんだよ。な!」と言われた。決して年長者がデカいツラをしての物言いではない、達観した者が慈愛をもって若者に接する、優しい笑顔での発言だった。もちろん、図星だった。
当時俺は年齢が若いということだけで能力がない、モノを知らないと決め付けられることを何よりも嫌い、反発し、それをバネに意地になって本を読み漁り、それこそ寝る間を惜しんで知識を頭に詰め込んでいた。広辞苑を最初から1ページずつ熟読し、気になった言葉や表現があると「ボキャブラリー日記」というノートに抜き出して自分なりの解釈や用例を足していたくらいの「詰め込みバカ」だった。そのノート数冊(もちろん、途中で挫折している)は今はどっかへ行ってしまったが、もし出てきたらきっと恥ずかしさのあまり発狂するだろう。ともかく、そんな突っ張った状態を永島先生はお見通しだった。阿佐ヶ谷ガード下にあった飲み屋「木菟(みみずく)」で、狭い店内で何かの二次会あたりでワイワイひしめき合って飲んでいた時だったと思う。
それから十年近くたった後、「もっと肩の力を抜いた方がいいよ。楽になるよ。」とニコニコ微笑みながら言われたこともある(すでに書いた通り)。永島先生のことを思い出すと、その煌く作品群と共に、個人的なこうしたお付き合いの思い出がとめどもなく溢れ出す。

漫画家・永島慎二と聞いて、今の若い人たちは今ひとつピンと来ないだろう。それは、本書に収録されている解説で夏目房之助氏が述べているように、「漫画家」としての永島先生は貸本マンガでデビューし、70年代以降はほとんど漫画作品を描いていないからだ、と言われるからである。確かに、『フーテン』シリーズが完結した後は極めて寡作となり、80年代以降は絵本に力を入れ…なんてことが通り一遍によく記述されているようだが、実は「ガロ」に「旅人くん」シリーズを不定期ながら連載していただいたり、我々にとっては「現役の漫画家」でもあった。発表媒体が「ガロ」だったので、世間的には「作品をほとんど発表せず」となるわけで、そのあたりが漫画における「マス偏重」を物語っていると思う。

マンガって元々漫画ってだけでサブカル呼ばわりされていたようだけど、手塚漫画やトキワ荘の作家さんたちとは言わぬが、数百万部の売り上げを誇るコミック誌のどこが「サブ」なんだよ。俺ら「ガロ者」からすりゃあ同じ漫画って表現手段を使ってるだけで、そういった漫画はマスコミと同じだよ。テレビで芸人たちで「ちょっと漫画に詳しい=サブカル路線・オタク方面に色気あり」みたいなスタンスを見せる連中がいるけど、みんなたいていガンダムガンダムとうるさいか、せいぜいキン肉マンだドラゴンボールだと言うレベルだ。決して駕籠真太郎や津野裕子やマディ上原やキクチヒロノリとかは出てこないし、出るはずもないだろう。
そういえばリリー・フランキーや浅草キッドらがスカパー!と組んで東京サブカルサミット 2007とやらを開催したと話題になったが、あのなあ、ここに出てる人ら、全員ドメジャーだよ。メジャーだからサブカルとは言わぬというようなガキみたいな理屈を言ってるんじゃないよ、そもそもサブカルって言った時点でもう今は意味が違ってきてるんだから。ともかくこの中でリリー・フランキーが「今年注目のサブカル人は杉作J太郎」と述べたそうだが、杉作さん(ちなみに「ガロ」時代の担当編集者が俺であった)を出すあたりがいかにも…という感じである。このサジ加減が、マスコミ業界でサブカルを「売り物」にする極意、であろうか。

…話が逸れた。永島先生は俺が「ガロ」時代には、現役漫画家として以外に、油絵であの独特の暖かいタッチで描かれたピエロの絵が知られていると思うが、実は「趣味人」としても知られていた。鉄道模型や紙飛行機などにハマっていた時期があって、ちょうど俺がよく先生とお付き合いさせていただいていた頃は、紙飛行機に夢中でいらした。近くの広い公園へ行き、紙飛行機を飛ばすのを見せていただいたこともある。これまでの漫画家としての永島先生を慕う人たちとは明らかに別の人種=紙飛行機仲間が「ナガシマさん」と声をかけてきたりした。
『黄色い涙』は先生の「青春漫画」の代表的な作品の一つである。60年代の青春漫画というと、夏目氏の言う通り、少女漫画の少年版ではなく青年版的な流れにある…という一面もあると思う。商業誌では漫画は子ども向けにわかり易い「勧善懲悪」とか「スポ根」とか「ヒーローもの」とかが主流だったいっぽう、女の子たちは自分たちの卑近な世界で、自分たちの内面と向き合い、恋に恋するという世界に浸っていた。もちろん少年漫画も少女漫画もそれだけであったわけではなく、劇画だってあったのだが、ともかく、漫画といえばまだまだ大人が読むものではなかった時代である。
そんな中、少年がスタンダードな少年漫画誌を卒業するということはすなわち漫画からの卒業を意味していた。世の中が勧善懲悪ではなく、スポーツは根性だけでは勝てず、ヒーローなんか存在しないと解れば、現実と向き合うしかなかろう。だが永島漫画はそういったマスの、子ども向け漫画の世界とは違う、青春期の「若者たち」を真正面から描いて、その世代の読者の心をつかんでいった。いった、というのはそう聞いているからであり、自分は後追い体験をしたに過ぎないが。
そういった漫画史的なことは評論家に任せておくとして、ともかく、自分は追体験とはいえ、永島作品にのめりこんだのは事実である。思えば思春期〜青年期、18歳くらいまでに永島作品に出会えたことは幸福であった。リアルタイムで熱中した世代の人たちは、永島作品を「文学における太宰治のような、マンガの青春期的ハシカ」(夏目房之助)と捉え、大人になるにつれ離れていったという。俺の場合はご本人と知遇を得ることが出来たので、俺の中での「若者たち」は、永島先生からじかに発言を聞き、同時進行していたも同じだった。あの素晴らしい宝石のような輝ける日々をもっともっと大切にすべきであったと、42になんなんとする今、猛烈に後悔している。

黄色い涙』映画化と聞いて素晴らしいと喜んだが、「嵐」主演と聞いて怒りで目がくらんだ。拙文「 双方向性とは 」に思わずフザケンナ的なことを書いてしまったのだが、もうこうなったからには素晴らしい作品にしてもらうしかない。いい映画にしないとほんと、ぶっ飛ばすよ。なぜなら、原作が名作だから、もし駄作になったのなら映画を作った人間か、演じた人間が悪いということになるからだ。とにかく、映画化が契機であっても名作がちゃんと復刊され、今の世代に継承されるということは喜ばしいことだ。ジャニタレ=嵐のファンだというミーハーな子らの中から、本気でこの作品の素晴らしさに気付く人たちが出れば、映画化の意義もある。
残念なのは出版不況と言われて久しい状況の中、こうした名作はそれこそジャニーズのタレントを起用して映画化…みたいな「エポック」すなわち「再版する理由」がなければ、どんどん「品切れ&重版未定」という生殺し状態になっていくことだ。
もう何回も主張しているけれども、いい本を、長く、キチンと後世に残そうという気骨のある版元は、ねえのか。電子化は確かに本を作るよりは低リスク・低コストかも知れないが、名作こそ、かたちに残して手元に置きたいというものではないだろうか。永島先生の箱入り限定版の「漫画のおべんとう箱」とか、手前味噌ながら自分が担当させていただいた津野裕子の処女作品集『デリシャス』のあの四六判上製で布張りに黄色いパインの型押し、二度と再現できないんだろうな。やまだ紫『性悪猫』青林堂初版の布クロス版も。
もう一度言うが、日本の出版界をよぉぉく監視して欲しい。新刊は別にいい、問題は旧作の扱いだ。力が無くて再版できぬまま放置している版元はまだマシだ。問題はちゃんと再版する余裕があるクセに、名作を放置し下らぬ作品を律儀に再版している版元だ。お前らはこの本を切らしているのか、つまりそれはお前らがこの作品は残さなくてもいいやと判断しているのか、つまりその版元としての見識を疑うというヤツである。マスのコミックの世界では、大手版元がそれなりに大御所の作品はキチンと後世に継承していくようだが、漫画全体で見ればそういったメジャーな作家やその作品に匹敵する、あるいは凌駕するような名作が、非大手やマイナーな作家によって生み出されてきた。それらを大局的な視点から残そうと、漫画に関わる人たちは連帯するべきだと思うが、どうせ鼻で笑われるんだろうな、と思う。
昨年、京都市と京都精華大学が中心となって、京都市中で廃校となった龍池小学校を「京都国際マンガミュージアム」としてオープンさせた。精華大は言わずと知れたマンガ学部を設置した世界初の大学である。今後、「いやあいい作品を残せって言われてもウチらは商売だからさあ、ヘラヘラ」みたいなフヌケの版元に頼ることが出来ないなら、こうした教育機関に期待してはどうだろう。
大学で出版部を持つところはたくさんある。もちろん学術的な研究書や論文の書籍化、テキストなどが多いのだけど、精華大はマンガ学部があるのだから、マンガを出版してもいいわけである。ここで後世に残すべき名作を審議し、復刊を定期的に予算の許す範囲で行っていくということは不可能なことではないと思う。
例えば「復刊ドットコム」ではユーザーから復刊希望が寄せられ、一定数に達するとオンデマンド式に復刊される…というシステムがあるのだが、これはもちろん営利目的つまり「商売」である。「一定数」すなわち「数」の論理で復刊が決まる。これでは後世に残すべき名作、という視点が満たせない。数で売った媒体に掲載されていた作品は、名作であろうとなかろうと、多数の人の目に触れてきた。なので必然的に思い出として刷り込まれ、単純に「懐かしいから」という矮小な理由で復刊が望まれていたりすることが多い。そういうことではなく、カンタンに言うと「自分は嫌いだけどこの作品は後世に残すべき作品である」という視点は、商売の論理とか個人の趣味趣向(好き嫌い)という感情論とは全く別の話だということだ。…ま、鼻で笑われるのは解ってるんだけどね。
それでは「名作」をどう定義するのか、は問題が多々あれど、そこが大学という機関の腕の見せ所だろう。マンガに関する「有識者」(笑)を集めて審議し、ジャンル別に分けて残すべき作品を年代順に挙げていき、それを第一〜第三くらいまでの優先度に分けて、第一からジャンルごとにオンデマンドで再版していくとか……無理か? オンデマンド機械って高いもんなあ。それこそ「復刊ドットコム」と提携するとかねえ。何か方法はあるはずだと思うが。竹宮惠子教授、やまだ紫教授、真剣に考えてくださいよ。
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2007-01-31(Wed)

癌とたたかうため?

自分の体内で癌細胞が日々増殖をしているというのはちょっと想像すると気分の悪いものだ。ただふだんはなるべく考えないようにはしている、「病は気から」というのは本当だからだ。ちょっと前に体内の癌細胞を「ミクロの決死圏」よろしく(古ッ!!)攻撃するというシミュレーションゲームが話題になった。医師らと共同開発した、れっきとした患者向けのゲームである。自分の体内の癌細胞を免疫力が攻撃し、最後は必ず勝つ=癌が死滅する、ということになっていたと思う。そういうイメージを持つことが、少なからず免疫力アップには効果的だというのだ。笑いが健康にいいとか、表情だけでも口角を下げるより上げる、つまり眉間に皺を寄せていつも不快な表情をするより、笑顔を意識的に作っていた方がやはり健康にいいとか、これらはちゃんとエビデンスが得られていることなのだ。
自分で自分自身を破壊に導くこと…例えば日々激烈なストレスに晒され続けるとか、有害なものと解っていてそれを摂取し続けるとか、体に悪いなあという行動をとるということは、けっこう日常的に行われている。満員電車で通勤し、好きでもない仕事をし、嫌な上司や取引先に頭を下げ、というのは対価=給与のために取る不健康な行為だろう。解っていてもやめられない有害物摂取は麻薬、喫煙、過度の飲酒、安価な添加物満載の食品類などたくさんある。我々の体では日常的に癌細胞の芽が生まれているが、免疫が戦って負かしてくれている。しかし防衛線を突破されると、癌は根を下ろし増殖の機会を待つ。増殖を始めると通常の細胞に見られるアポトーシス(通常プロセスによる細胞死、細胞の寿命のようなもの)が癌には見られず、どんどんと自己の分身を増やし続け、そして腫瘍化し、転移し…と最悪の道をたどることになる。こういったことは中学生でも知っていることだ。
では逆に、体にいいことはどうだろう。みんなやれコエンザイムQ10だやれビタミン何とかだ大豆イソフラボンだ植物繊維だ、脂肪燃焼にカプサイシンだ血液サラサラにはナットウキナーゼよ、疲れ目にゃブルーベリーがよろしくてよ、あぁら奥様お子様にはDHAやEPAざますよ、何をおっしゃいますやら私たちには赤ワインポリフェノールと緑茶ビタミンとそれからコラーゲンざあます!…って書いててバカバカしくなってきます今日この頃ですが皆様ご機嫌よろしゅうございますか。
自分の場合、「体に悪いこと」は意識的にやめることにした。喫煙、過度な飲酒から虫歯の放置、高ストレスの仕事・人間関係などなど。これらは本当に自分の頭で考え、癌と戦う上で良くないと判断したうえで意識的にやめたことである。(歯は医者に言われたが)だが気がついたのだけど、以前は見向きもしなかった野菜ジュースを、それも無意識に「うまい」と言って飲むようになったり、野菜といえば習慣のようにミネストローネやトマト野菜スープを作っては毎日必ず食べるようになったり、気がついたら趣味趣向が変わっていた…というものがいくつかある。
最近ではみかんをむさぼり食うようになっていて、自分でも不思議だし、連れ合いには呆れられている。ちなみにみかんは一年おきに当たりとハズレが入れ替わるが、今年は当たりらしく、美味だが高い。それを一度に平気で4つ、時には6つも立て続けに食うのを見て連れは驚いている。前はみかんがあればまあ1つくらいは食べたものだが、こんなに食べるようなことは記憶にない。しかもみかんにはビタミンCが何たら、という頭で理解したうえでの行動ではなく、スーパーなんかに行くと「うまそうだな」と思って買ってしまい、そしてむさぼり食うのである。
また20年ほど前には普通に食べていた辛いものが十年ほど前から粘膜が弱くなって受け付けなくなっていた。病気との関連は不明で、医師はないと思うと言っておられたが、ともかく、それが最近ではキムチをモリモリと食べるようになった。汗だくになったりはするんだけど、それは(テレビなんかで見ると)韓国人でもそうなので病気のせいではないと思う。ちなみに白血病や悪性リンパ腫の場合寝汗(盗汗)が一つの典型な症状ではあるが、辛いモノ食って出る汗は関係ないだろう。
こういうことって、無理やり感があるけども、体が無意識に求めているとしたら、やっぱり癌と戦う上で欲しているのじゃないだろうかと考えた。なので、食べたいもの飲みたいものを自然に摂ることにしている。きっと、それが今体が欲しているものなんだろう。これを飲まねば、あれを食べないと…と考えて義務感で摂ってもそれがストレスになったりしては逆効果だから。
これは以前から好きだったものにチョコレートがあるのだけど、これも以前にも増してむさぼり食っている。糖尿になりはしないかとビクビクしちゃいそうなものだが、まあポジティブに考えれば「体が欲している」んだからしょうがないだろう(笑)。ちなみにブルボンの「トリュフ」という袋入りで丸いチョコ菓子の「モカガナッシュ」がお気に入りです。
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2007-01-29(Mon)

朝青龍注射疑惑と最近の大相撲

朝青龍注射疑惑だが、いくら強すぎるからって今どき注射(八百長)はねえだろ、と。全盛期の千代の富士の頃なら「ひょっとして」という一番も、それっぽい力士もいたものだが。…ていうかそんなヨタより、かねがねこの若造に限らず相撲の世界での「決まりごと」が崩れ、所作が汚くなってきているのが見ていて不愉快だ。たとえば「チリを切る」というが、勝った力士が蹲踞して行事から懸賞金を受け取るが、その際に右手でサッサッ、と左右に字を描くようにチリを切って懸賞金を受け取り、立つ前にキチンと頭を下げ、それから立って土俵を降りる。こういう当り前の振る舞いが、外国人力士が増えたせいなのか師匠が阿呆なのか、いずれにしても守られずに乱雑な印象を受ける。
別段世間でも礼儀作法が崩れているので街に出りゃいくらでもそういう無作法者はいるのだが、相撲の場合は基本が「神事」である。全ては決まりごとで、決まりに則って動かねばならないことになっているのだ。ちなみにもっとも汚い懸賞金の受け取り方は、やはり外国人力士の琴欧州である。懸賞金を鷲掴みにすると同時に立ち上がり、その時もうすでに土俵の外に顔が向いている。そそくさと金を掴んで帰る、そんな所作だ。意地汚く見える。
相撲の所作にはそれぞれに意味がある。力士が土俵に一礼して上り、蹲踞して一度拍手を打ち、両手をパカッと開き、それから両腕を左右に開いてみせる。これはもちろん手には何も持っていない、ということを相手に知らしめるための所作だと言われているが、この両手の平を合わせて「パカッ」を、意味をおろそかにして一連の動作の中で流してやる力士が多い。朝青龍の土俵入りが見苦しいのは、とにかく一つ一つの動作の意味を理解せず、形をこなしているだけだからである。せり上りは足腰の強さをじゅうぶんにアピールするためのもので、全盛期の千代の富士の土俵入りは今でももっともこのせり上りが美しく、そしてスリリングでさえあった。相撲好きが見れば本当に惚れ惚れとするくらいで、土俵入りだけを見てもじゅうぶんに感動するほどの美しさであった。
今の相撲にはいろいろ言いたいことはある。これら力士の神事としての所作、振る舞いがおろそかに、乱雑になっているだけではなく、客側の無知・粗雑さも見苦しい場合がある。例えば三役力士の相撲などで取組後に座布団が舞うシーンがよくあるが、あれは格下の力士が大関いや横綱クラスの大物を倒した場合に許される客側の決まりごとだ。最近では横綱が平幕を投げ飛ばしただけで座布団を投げる野暮がいる。歌舞伎で大向こうから頓珍漢なときに掛け声をかけて顰蹙を買う行為にも似た恥ずかしい野暮なのだが、見ていると最近では「ブラボー」「ハラショー!」的な意味と誤解し、けっこうな数の客がぶん投げているようだ。昔は野暮はもっとも恥ずかしい行動の一つだったのだが、最近では厚顔無恥の輩の方が逆にデカいツラをしていることが多く、とかく物理的なだけでなく「声のデカい奴」が正しいと誤解するような風潮に嫌気がさす。
琴欧州は嫌いな力士ではないのだけど、花道を通る時にお客さんにピシャピシャと背中などを叩かれるのが「不愉快でたまらない、何で勝って帰ってきた力士が叩かれなきゃならないんだ」と怒っていたインタビュウを聞いて、何だコイツはと思った。と同時に、琴欧州だけの問題でもないな、とも感じた。これは周りがちゃんと教えてやらないとダメだよ、と。力士は天下無双の力持ち、異人なのである。包丁で刺されたってんならともかく、素人風情に体を平手で叩かれたくらいで痛いだの不愉快だのと言っていて、相撲取りが務まると思ってんのか、ということだ。こういうことの意味もちゃんと理解して相撲の世界に入れよ。と言っても故国を離れ異国に「出稼ぎ」に来る人間に、付け焼き刃で教習所なんかでチョロッと教えるのは限界があるだろう。周囲の、先輩なり親方なりが日々教え、理解させておけよ。
他のスポーツならいくらでも国際的なルールで統一するなり、理不尽は改めていい。だが大相撲は決まりごとの世界で、それを否定すると相撲そのものが成立しなくなるのだ。いくら近代の相撲が神事から離れ、単なる興行=つまり異形の大男たちの肉弾戦という「見せ物」であると開き直ったところで、それ以前の相撲が神事であったことからの形式の継承、暗黙の了解があって成立している「ショー」であることは当然だ。
柔道がかつて国際化という名目のもとに、変な民主主義とか国際ルールだのを受け入れ、醜い青い柔道着やカラー畳で見苦しい「スポーツ」となったが、相撲ではそんなことはあり得ない。相撲は「スポーツ」ではないのだ。古いとかいうバカがいるが、相撲は古いもの、なの。「神事」が「見せ物(興行)」になったとしても、断じて「スポーツ」などではない。
スポーツといえば、先日競技相撲のドキュメントをやっていたのを見た。国際相撲連盟には現在83の国と地域が加盟しており、定期的に国際大会も行っている。日本の伝統的な「大相撲」の精神的な部分=相撲道の「道」(つまり礼に始まり礼に終わる、敗者への敬意など)は受け継ぎつつも、スポーツとして国際化させるために、ルールの明確化階級制の導入など、大相撲とは一線を画しており、外人が気軽に始められるものになっている。宗教的な理由で尻を晒せない国の選手のためにまわしの下にスパッツを着用することも認められているが、見た目でもっとも違うところは、行事ではなく蝶ネクタイをした「審判」がいるところだろう。
もともと相撲的な、つまり「半裸(あるいは全裸)の男同士が組み合って技や力の優劣を決める競技」は世界のアチコチで行われていた。それが地域によってレスリングになったりモンゴル相撲や韓国相撲になったりしている。レスリングはオリンピック競技にもなっているスポーツ・格闘技だが、日本の大相撲はそういう部分とはかなり離れて神道的な形式を継承していたり、髷を結う、浴衣を着るなど文化的にもハードルが高い。何より「ニホンジンへの同化」が外観だけとはいえ、求められる。そういったものへ文化的にも入りにくい人たちは競技相撲へ参加することも多い。
面白かったのは、アメリカ人のアマチュア選手が日本の大相撲が大好きで力士になりたかったが諸事情から叶わず、競技相撲を続けているというところだった。大相撲に最近増えている外国人力士よりもよほど相撲「道」を学び、理解している風情なのが興味深かった。アメリカ人は勝負の前には相手を威嚇しアピールをし、アドレナリンを全開に出して勝負に臨み、勝てば派手なガッツポーズをし、負けた方は汚い言葉を叫んで悔しがる。しかし相撲の世界では勝負が終われば表情を変えずに一礼をし、勝っても負けても感情を表へ出さない。そういった一つ一つの所作にも意味があることも、アメリカ人のアマチュア選手の方がキチンと理解していた。
かつて外国人力士として大関まで務め、一時は横綱昇進手前まで行った小錦も出演していた。大相撲を「国際化するのではない、外国人が日本化することを求められるのだ」と言っていたが、それが競技相撲と大相撲の違いである。
それにしても今関取で最大勢力はモンゴル出身力士だ。かっては青森や北海道だったのが、モンゴル、旧ソ連諸国などに席巻されている。そのことは別に構わない、外国人ばかりであることが問題ではないからだ。問題なのは、外国人が増えたことによって相撲「道」が薄まっていることだろう。外国人でも先のアマチュア力士のように、ちゃんと理解している人もいる。ということは、いかに部屋の親方なり周囲の人間がキチンと教えていないか、ということになる。
ただでさえ日本的な、いや今では異質とも思えるほど極めて「前近代的日本」の世界に入ってくる外国人だ、教えてやらなければ絶対に解らない。ただ単に動きとして、動作を教えるだけでは体操と同じだ。一つ一つの振る舞い、所作の意味を理解しなければ、相撲そのものを理解したことにはならない。
困ったことに、こうした外国人力士たちが付け焼刃で形だけの振る舞いを覚えて上位へどんどん上がってくるので、それを見ている日本人力士たちの所作も荒れてきている。例えば立ち合いヒラリと変化して相手の肩を透かして地面に叩きつける。こういう取組は、相撲という階級のない「無差別」の取組ゆえに、小さい者が大きい者を倒すための技だ。または、歴然と力の差のある上位の力士に、若手や格下の力士が何とかして勝とうとするための秘策でもある(舞の海の八艘飛びが白眉であるように)。これを上位の者が平気で下位にやるのは感心しないし、ましてや役力士が平幕にやる行為ではないだろう。
特に記憶に新しいのは昨年九州場所での、あの朝青龍×稀勢の里戦だ。勢いのある若手(実はあまり年齢は変わらないのだが)の挑戦を受ける格好になった横綱朝青龍が、あろうことか立会い変化して稀勢の里に土をつけた一戦。さすがにこれは顰蹙を買い、初場所では真正面から受け止めて力の差を見せつけたものの、あの一番が相撲史から消えることにはならない。
横綱たる者は相手がどんな手を使おうが誰であろうが、どっからでもかかって来いと立会いガッチリ受け止め、その上でねじ伏せ、実力差を体で教えてやる存在だ。当然相手は曲者もいるだろうし、正攻法だけで来るとは限らない。
だが横綱という「地位」(本来は名誉ある呼称だった)はそういったリスクを負いながらも、最上位に君臨することで尊敬と畏怖の念を集める存在であったはずだ。そのために、横綱には陥落というペナルティがない。一度上り詰めれば、引退までその地位は揺るがない、言わば一勝一敗に一喜一憂する大関以下の力士たちが負う、地位という足場が常に揺らいでいる最大のリスクから解放されているという特権を持っている。ただし、それは横綱は負けないということが前提であり、つまり横綱が負けた場合は逆に進退に直結するというリスクを負っているのである。それほど重い地位(という設定)なのだ。しかし実際は多少の番狂わせは許されるし、負けが混みそうになったら休めばいいだけの話。朝青龍の勝率と皆勤ぶりは横綱という地位からすれば、賞賛に値することは事実なのだ、つまり八百長が疑われるほどに、現実に強い。それに対抗できる力士が見当たらないことが八百長疑惑を生むのだろうし、彼が外国人力士だからということ以外の最大の「相撲がつまらない」理由なのである。

ところで引き技そのものは別に悪いことではない。がっちりとぶつかり、当たり、その上で相手の腰が高いと見るやグイと引いてみる。相手がバタと手をつけば終わりだが、残した場合は逆に引きに乗じられて一気に押されるというリスクも伴う。とくに最近の、レスリング経験者の外人力士に、この引きが多い。露鵬やその弟の白露山なんかが典型だけど、まあこれは決まり手にもあるし、リスクもあるのでしょうがないところ。あ、押し相撲である千代大海の苦し紛れの引きは論外だが。
とにかく相撲のことになるとちょろっと考えただけでこれだけの分量になる。ああ、それにしても最近の大相撲は本当につまらない。
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2007-01-28(Sun)

東国原(ひがしこくばる)英夫知事

そのまんま東こと、東国原英夫氏が郷土の宮崎県知事選挙に立候補〜当選、知事就任…について。
実は我々夫婦は「タレント議員」だの「芸能人議員」だのが大嫌いである。常々、元タカラジェンヌだのプロレスラーだの芸人だのが地方・国政に限らず、政治家になるというたびに「何だかなあ」と思ってきた。だがよく考えれば、ボンクラ二世・三世議員なんかよりもよほど真剣に勉強し、政策を考え、何より政治に参加し変えたいと本気で思っていれば、別に元ナニナニという肩書きは何でもいいのだ。議員は全て「元ナニナニ」から議員へ当選するわけだから、その元職が別段タレントや芸能人であろうと、それはそれでいいわけである。もちろん、芸能界での自分の仕事に先が見えてきて、ならば今のウチに知名度を利用して…というバカが多いのも現実なので、要するに色眼鏡をかけずにそれこそ「是々非々」で見てやるべきなのだろうと思う。思う、けれどもどうしてもそこは「えっ、こいつが立候補ぉ?」と思わず口があんぐりと開いてしまうことがやはり多い。
そのまんま…じゃなく東国原新知事が政治に色気を持ち始めていることは、何となく芸人時代から漏れ聞こえてくる噂や発言で匂っていた。どうすんのかな、と思っていたら、反対する妻と別れ、芸能界を「引退」し、それこそ背水の陣を敷いての出馬となった。ほほう、真剣なのか、と思って見ていた。選挙活動では芸能人仲間に一切応援を頼まず、地道に手作り選挙を展開し、政策を訴え県内を駆け巡った。ワイドショーはじめテレビ各局がそれを追っかけるため、煽動された部分もあろうが、有権者は当初は遠巻きにパラパラと見ていたのが、選挙戦後半は明らかに足を止める人数が変わった。これはひょっとすると…と思っていたら、NHKが開票後数分で当確を打ったので驚いた。
芸人時代の間の抜けた、これといって特に芸もない情けない薄ら笑いが消え、真剣な表情で政策を「宮崎弁で」訴える姿が繰り返し報道され、新知事誕生のニュースは概ね好意的に報道されていたように思う。宮崎県民の声を聞くと、とにかくこれまでの(議会とも連動した自民党による)腐敗県政にホトホト嫌気がさしたという声が多かった。
地方へ行けば行くほど、政治は地元の利益優先・誘導が至上とされ、例えば多少の痛みに耐えて(どこかで聞いた言葉だが)でも赤字財政の再建から…などという大きな視点は後回しにされる。県議会や市町村議会も、いわゆる公共事業にむらがり談合や汚職などの腐敗を生む「土建屋政治」から抜け出せないところが多い。そういうところはたいてい、都会のサラリーマンの税金が地方へ再配分されていることに依存し、とにかく貰ったカネは使い切らないと来年減らされるから…と、セッセと不要な道路だのハコモノだのを作り、その構図を温存し恩恵に預かる一部の土建屋と癒着した政治家が当選し続けることになっている。
地方の人はカンタンに「俺んちの前に道路を通せ」「俺らのムラに新幹線を通せ」と言う。別に敢えて言うが「貧しい地方」へ「豊かな都会」からカネを廻すことに反対はしない。むしろそれが国がやるべき大きな視点からみた仕事であると思う。当然のことだ、だが都会の人間が汗水垂らして働いて収めた税金を使うことに、何の罪悪感も責任感も、感謝もしていないような言動を地方の政治家から聞くと、極端な話だが殺意さえ覚える。田中角栄が声高に正当化し、竹下登がもっとも愚かな方法をとったような、単なる地元選挙区にいい顔をしたいだけの「ばら撒き」政治に、ばら撒かれる方が「NO」を言うのは難しいのだろう。それこそ、そうとう「民度」が高くないと言えまい、と思う。
宮崎県民の知り合いにメールでいろいろ聞いた。彼が言うことを要約すれば「確かに前知事の腐敗ぶりは目に余った。今回は既成政党、とくに議会でも圧倒的多数派を誇り県政をいいように牛耳ってきた自民党にだけは、絶対に投票すまいと思った。なので実を言うと、既成政党の息がかかった候補や、官僚だの役人だのの経験者以外なら誰でも良かったというのが本音だった」という。少なくとも郷土愛に燃え(?)大学に入りなおしてまで政治を勉強し、タレント生命を断って立候補した「東国原さんなら、他の連中よりもマシ」だと思って入れたのだという。それに変な話、「タレント候補ならマスコミが追っかけまわすから、悪いこともそうそうは出来ないだろうし…という気持ちもあった」そうだ。
宮崎県はゴリゴリの保守…というより自民党王国だそうである。いや、だった、と言うべきだろうか。ともかく地域のつながりと言えばいいが、干渉が多く、有力者の言うことを聞かないとそれこそ「村八分」にされるような雰囲気さえあったという。それなのに、県民は今回「そのまんま東」を選択した。それも7万票余りの差をつけるという圧勝という形で。
当選後各メディアに引っ張りだこで出ずっぱりの東国原新知事だが、よく言われる今後の問題として「オール野党の県議会」対策がある。既得権益にしがみつき、これまでのズブズブの県政に戻そうとする鵺のような議員連中にどう対峙するか。知事には確か県議会の解散権があるので、ゴチャゴチャ抜かす阿呆が多ければ解散して与党議員を増やすという手もあるにはあるが、長く地元を離れていたためにまだ組織も人脈も弱い新知事が、「そのまんま党」を立ち上げ候補者を揃えるのは大変だ。
さっそく、県議会の大物議員(もちろん自民党員)のおっさんが、「タレントだから選挙で笑いをとっても議会ではそうはいかん」と言っていた。このおっさんは重大な思い違いをしている。
まず、県知事を選んだのは県民であるということ。「タレントだから入れた」、それも「笑わされて」と決め付けたということは、有権者である県民を愚弄している。
また「議会ではそうはいかん」というが、新知事に最初から対決姿勢、敵対するというスタンスを明確にするというのは、これまた議会制民主主義の否定である。
つまりこの地方議員のオッサンはよほど頭が悪い=道理が解らないのか、それともよほどこれまでのズブズブの汚職腐敗県政に恋々としているのか、どっちかである。どっちにしても、県民にとっては有害以外の何者でもないので、とっとと退散してもらえばよろしい。それにしてもこういった「思いあがり」はなはだしい地方政治家が、21世紀のこんにちになってもまだ生きながらえているというのにも驚きだ。これだけ情報化社会と言われる時代、ネットも普及して久しいのに、それも全国ネットで放送されると解っていてああいった発言をするという根性が信じられない。そもそも官製談合事件で(安藤)前知事や県庁職員などが逮捕されたというのに、それを見過ごし放置していた議会が自分らの責任を痛感し反省するならともかく、談合や汚職・腐敗の一掃を訴えた知事に協力するどころか開き直って敵対宣言をするということに、呆れ果ててモノが言えない。
こういった古い体質の腐れ政治家いや政治屋は、国政の現場でも、かっての自民党にもゴロゴロいたものだ。議員がまるで下々の民よりも偉い特権階級であるかの如く勘違いをし、ふんぞり返り、地元への利益誘導を当然だと口角泡を飛ばし、自分の非をちょっとでも追及されると記者に向かって「無礼者!」と叫んだクソ爺イもいたっけ。お前らを食わしている国民に向かってどっちが無礼者だ、たわけ者が。
ともかく、宮崎県民は自分たちの意思を明確に、投票という行動で示した。これが「民度の高さ」だと思う。投票率は64.85%(前回は59.34%)で、60%越えは何と28年ぶりだそうだ。若い人たちは、これで「どうせ選挙なんか行ったって何にも変わりゃしないんだよ」とは言えないことが解っただろう。これからは選挙へ行け。腐った政治家は叩き落せ。どいつが腐ってるかは、ちょっと調べればすぐに解る。いや、たまには政治や経済・国際情勢に関心を持って普通に入手できる情報(テレビや新聞、週刊誌の類でもいい)に注意しさえすれば、意外とカンタンに解るはずだ。

東国原宮崎県知事は見事に民意を背に、当選を果たした。だがこれからが正念場だろうなあ。発言を聞いていると、まだ一生懸命「お勉強」して覚えた言葉が自分のものになってない、という印象を持つ。いや生意気言ってすんません、でも「精査して」なんて言葉を使うより、「ちゃんと調べて必ず県民の皆さんの前に、情報をキチンと開示します」とか平易な言葉で喋った方がいいと思う。県民は選んだ以上、彼が本当に改革を断行するのか注意深く県議会も監視し、もし抵抗勢力があるようならNOをつきつけないといけないと思う。もし、当選だけさせてハシゴを外す=後は知らないということになれば、宮崎県民はやっぱり気分でタレント候補の知名度に飛びついただけの「民度」だったと、日本全国から笑い者にされちゃいますよ。
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2007-01-22(Mon)

累犯障害者

1月17日に起きた、大阪府八尾市で知的障害者が突然3歳の幼児を歩道橋から投げ捨てたという事件。たまたま、本当に偶然なのだが、この事件の起きる直前にAmazonに頼んでいた本がこれだった。
累犯障害者

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あまりの偶然の一致に驚くと同時に、前から気になっていたこの本を一気に読み終えた。

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2007-01-18(Thu)

学生運動の季節

連れ合いがかかりつけの病院へ朝早く出かけた後で、9時前に朦朧と起きる。このところ宵っ張りで、起きるのは午前中ギリギリという感じだったので、9時なんて早朝だ。朝食を食べ、パソコンでメールをチェックし仕事のデータを確認しそれらをこなした後、ソファに転がってテレビをボーッと見ているうちに寝てしまう。何度か目が覚めたりまた浅く寝たりで、体がビキビキと痛い。
昼過ぎ、「おもいッきりテレビ」の「今日は何の日」というコーナーで、今日は東大安田講堂への機動隊突入の日だというのでその様子を当時の映像で再現レポートしていた。それが朦朧として寝たり醒めたりしているこちらの頭に入ってくる。ウトウトすると夢で俺が機動隊員になり、学生らが立てこもっている安田講堂の真向かいにあるビル(実際にはもちろん、ない)の3階部分の窓をめりめりと壊している。同じ目線から攻撃を加えるためだ。学生らはアジっていて気がつかないが、さすがにまん前のビルの窓が俺の手でグワシャと割られて全開になると、ギョっとした顔をこちらへ向けてひきつっている、こちらはそれを見てヨシヨシもっと怯えろと隣の窓を壊しにかかる。学生らは俺と目が合うと「権力の犬」とか「反革命の愚か者が」などとあらん限りの罵声と、本やら石やら瓦礫やらを浴びせてくる。てめえら本当だったら拳銃でブチ殺すところだぞ、とか言いながらもう一つの窓をヨイショヨイショと外しつつ。…何なんだ俺って。目が覚めてから発作的に傍らのジャムパンを1個食う。…何だ俺って。

劇作家の鴻上尚史氏と映画監督の堤幸彦氏による舞台「『僕たちの好きだった革命』」が期待されている。されている、というのはまあ前宣伝などで『「おもしろそうだな」と思われている』ということだ。鴻上さんは48歳、堤監督は50歳だというから、お二人とも団塊世代より一回り下ということになる。話は「高校2年の時に機動隊の催涙弾で意識を失い、30年後に目を覚まし47歳で高校に再入学する」という男の話が軸となるそうだが、この設定に面白みを感じろと言われても、今の若い人には無理があるのかも知れない。まあそこはエンターテイナーの鴻上氏のこと、「世代を超えた青春学園ドラマ。笑いあり、ラップあり、アクションありの舞台に」と語っていた(昨年秋)ので、そのようになさるのであろう。
我々鴻上・堤世代よりさらにちょいと下の世代にとって、いわゆる「学生運動」世代というのは、鴻上世代にみる「冷めた視線」ともちょっと違う。どちらかというと、「ちょっと前にあった現実の熱いできごと」として充分リアリティがあり、共感でき、そしてちょっとカッコよくあこがれもあったものだ。
今の若い人で学生運動当時の話になると、全く知らないか、誤解しているか、かなり詳しく耳年増的に知っているがそれで妙に得意げに「総括」してみせたりして、どうも噛みあわない。では俺が団塊世代と噛みあうかというと何人かとお話させていただいてはいるが、やっぱり微妙ではある。まあリアルタイムで体験した人たちの中でさえ温度差があり、もっと言えば、「あの時代の若者みんなが学生運動にのめりこんでいたわけではない」とはっきり言っている人たちもいるわけだし。
自分が学生運動について憧れに近い思い入れがあるのは、俺がいた「ガロ」はそういった学生運動世代の人たちに熱烈に支持されていたという過去があったし、「ガロ」周辺には現実にそういう人たちがたくさんいて、その人たちはだいたいがカッコいい先輩であった、お話もたくさん聞かせてもらうこともできた…というのがあったからかも知れない。でも実際、俺たちはそういうありがたい経験の前から、上京してからというもの友人の汚いアパートで、あるいは自分の部屋のコタツを囲んで、酒をくらい時には貧乏で酒が買えずにシラフで、バイトが終わってから朝まで青臭い議論を戦わせたものだ。政治が悪いとか社会がどうとか、人間とは生きるとは、そして当時目指していた漫画についても漫画論や作家論で熱く語り合った。もちろん今思い出せば相当恥ずかしいことではあるが、まあ人生にはそういう季節ってあるものなのだ。

鴻上さんは『週刊文春』(1/25号)で、「今の若い人たちは大人しすぎる」と怒っている。いや、怒ってみせて、いる。こんなに大人しい国民はいないと煽っている。昔のようにデモもないし、もちろん学生運動だって無いに等しい。このことは常々俺も感じてるし発言してきているが、本当に「今どきの若者」に限らず、ニホンジンって骨抜きというか政府・官僚にすっかり飼い馴らされたというか、自分らの税金がどんだけデタラメに使われようが、自分らが地を這うような労働を強いられている反面その金で太ってる連中がいようが、ワーキングプアが増え「格差容認」という名の厳然たる差別社会の構築がなされようが、ただただ、じっと黙って我慢しているだけのようだ。ジタバタしたって世の中何も変わらない、騒げば叩かれるしそれだけ損だ…ということだろう。そしてそれは「正しい」。実際の話、世界のニュースなどでよく見られるデモや暴動の映像を見ると、やっぱり「アッチいなあコイツら」と思う自分もいるのだ。
今の、今後のニッポン国ではもう学生たちが自分たちの手で社会を変えようと立ち上がるとか、政府や官僚の腐敗・堕落に国民が鉄槌を下すとか、そんなことはもう起こらない。絶対に起こり得ない。鴻上さんらはそういう世の中に一石を投じたい…というポーズを装ってはいるが、実際は違うと思う。鴻上さんともあろう人なら、一石を投じても何ら意味のないことなど、じゅうぶんに理解のうえだろう。こんな「ノンポリ国家」ではもはや学生運動の時代なんて単なる過ぎ去った過去の一コマだ。若い世代にとっては「以後良く来る遣唐使」とか「いい国作ろう鎌倉幕府」とか明治維新とか敗戦とかそんなんと同列の「歴史上の出来事」に過ぎない。つまりは戦国自衛隊とかと同じレベルのフィクションなのである。だからこそ「世代を超えた青春学園ドラマ」たりえるわけで、「今」やるわけなんだろう。うまいな、と思う。ちょっと前だと生々し過ぎたしな、学生運動世代=団塊の世代が大量退職がいわゆる「2007年問題」とかいって、今まさしく“旬”でもあるしなあ。…ジャムパンはPASCOのつぶいちごのやつが安くて一番、美味いです。
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2007-01-17(Wed)

京都精華大学生刺殺事件

すでにニュースなどで報道されたように、15日の午後8時前に京都精華大学マンガ学部1回生、C君(20)が路上で刺殺されるという凄惨な事件が起きた。
事件が起きた左京区岩倉周辺は、京都市の北のはずれで鞍馬山の麓の住宅街だ。ちなみに叡山電鉄木野駅の近くというが、叡電は東京でいうと都電というより多摩電(東急世田谷線)に近い印象ながら、走っている場所はここまで来るとかなりのどかな景色となる。周囲には田畑も多く、ほんとうに静かでいいところだ。そういう場所で、事件は起きた。
既報の通り1月15日午後7時40分ごろ、C君は自転車で大学を出て友人宅へ向かった。その約10分後、路上でC君は胸部など十数か所を鋭利な刃物で刺されて通行人に通報を求める。その際彼は「知らない男に刺された」と話しており、到着した救急車で病院へ向かうが、彼は約一時間後に死亡した。死因は失血によるものとのことだ。
京都府警によれば、現場歩道には2台の自転車が鉢合わせするような形で急ブレーキをかけたような跡があり、直前にC君が別な自転車の男と口論をしていたという目撃情報から、関連を調べているという。目撃者の証言、状況から、おそらく犯人はこの男であり、C君はトラブルからほんの短い間に、最悪の形で命を終える結果となったのだろう。
まだ20歳である。
どれだけ無念だっただろう。また、仙台という遠くから「漫画家になる」という夢を応援し送り出された親御さんたちご家族の思いを察すれば、本当にやり切れない思いだ。
京都精華大学はもちろん、連れ合いであるやまだ紫が教授として赴任している大学である。C君が通っていたマンガ学部は日本初、いや世界初のマンガ学部を設立して注目されており、実は学部昇格初年度の倍率は7倍以上、今年度は10倍を軽く越える見通しだそうだ。難関校、なのである
少子化による志望者全入時代を迎える大学だが、日本には大学が多すぎた。世界へ向けての「見栄」のため、単純に「大学進学率」を上げるために私学をバカみたいにどんどん設立させ、「駅弁大学」(=各駅ごとに大学がある)と笑われるほど、世の中は大学で溢れた。それでも「学校経営」が成り立つほど子どもは多かったので、特に何ら努力をせずとも、とりあえずはその地方の高校生が何も考えずに大学へ進学するという図式にあぐらをかいていられたのだ。
だが(かつて漫画家の本宮ひろ志氏も言われていたように)、「本来大学へ(行って専門的な学問を究めるべく)行くべきではない連中が、ただ四年間親の金で遊ぶために進学するようになった」ための日本という国家の損失は計り知れないものがあったと思う。大学へ行くということはもちろん、何らかの研究をより深めるべく…というような建前論はどうでもいい。そんな学生は今やホンの一握りだからだ。高卒より大卒、というカンタンかつチープなステータスを得たいがため、親は大金を払い、子は当然のようにそれを浪費する。本来労働戦力になるはずだった若者たちが、親の金で遊んでいいというモラトリアムを四年間延長されただけである。その中で学生たちがさまざまな学問や芸術・表現、人間と触れ合い、その結果進むべき道を見つけていく…という図式もあることにはある、そういう真面目な学生さんたちもたくさんいただろう。その機会の場として、四年間があるというのなら、それはそれでいい。そうじゃない場合でももうそれはそれでいい、親が許し子が望んだのなら誰も文句は言えない。
私学というのは学校法人である。法人としての経営、ある程度の利潤の追求もせねばならない。私学助成金も、ダラダラと受け続けていられるものではない。ようやく競争・淘汰の時代が日本のアホダラ私学界にも到来したというべきだろう。単に事業として私学を経営していた商店主のような考えの学校法人は、商売替えを考えているか、あるいは座して倒産を待つだけとなる。それが健全な姿だ。
そんな中、従来からのブランドを活かし、よりそれを高めようとする一流名門校以外は、例えばスポーツで、専門教育で、何とかして生き残りをはかろうということになる。むろん高いレベルの教育でブランド校に迫るという方法もあろうが、日本はもうとっくにブランドだけを盲目的に信じる国民ばかりだし、学閥という下らぬものも厳然と学会ごとに存在しているので、生き残りは難しい。そこで、スポーツなり専門教育に力を入れる…という方向性はまっこと正しいと俺は思う。
精華大学はこうした中、学生集めの人気取りで今流行りのマンガに目を向けた…と思われるかも知れないが、実は違う。
早くから体系づけたマンガの高度な教育機関の必要性を感じ、芸術学部内にマンガ学科を設置し、学部昇格までの数年間、牧野圭一(現学部長)・竹宮惠子(教授)らの講師陣がコツコツと「日本初の大学でのマンガ教育」に向けて努力をされてきた結果である。なので、よく専門学校やそれこそ人気取りで漫画家を名前だけ教授に迎えている構図ではなく、講師陣は本当に、京都の大学へ出勤して学生たちを直接指導し、会議を繰り返し、学校説明会に飛び回り、相談にのり、コンパや同窓会の誘いに顔を出し、課題の仕上げや研究講座のために学生たちと合宿までしている。
昨今のコンビニで売られている「マス」のマンガばかりボーッと読んでいる若い子らは知らないだろうが、精華大学の講師陣の顔ぶれは以前紹介したように、大変な方々が揃っている。竹宮惠子、やまだ紫、ひさうちみちお、さそうあきら、板橋しゅうほう…「誰それ? 知らなーい」と一般の子が言うのはいい、だがマンガの世界を目指すのなら「不勉強」の謗りは絶対に免れない、物凄い面々なのだ。
かつて…ホンの十年ほど前まではマンガは庶民の気軽な娯楽だ、アカデミックな場とは逆に無縁であって欲しい…とまで思っていたものだが、ことマンガがこれほどまでに世の中に認知され世界的な評価も得、さらには政府公認とまでなってしまう急展開が訪れようとは思わなかった。であれば、マンガを小手先だけのテクニックだけではなく、もちろん実技教育のうえに美術教育の一環としても、教養としても、歴史としても、産業としても、さまざまな局面から体系的に「マンガ」を教える学校があっていい。いや、あるべきだとさえ思った。(特に編集は)なので自分も97年からマンガ編集を専門学校で教えるようになり、その後残念ながら「マンガ編集」としては特化できず編集科となったことを残念に思っていたところだった。だから大学でマンガ学部なんて、教わる立場としてだけではなく、教える側からも「羨ましい」とさえ思ったものだ。

…被害者となったC君は、遠い仙台の地から本気で漫画家になろうと、京都精華大学を選んだ。一年目は残念ながら浪人したというが、見事二年目で難関を突破した。大人しく真面目な印象であったと、直接担当講義を持つやまだ教授も語っている。授業もほとんど休むことななく、課題もこなしていた。あこがれの漫画家を目指すために思い切り大学という場で精進できる、最高の環境で同じ志を持つ仲間たちと、学生生活を謳歌していた。
事件の真相はまだ不明だが、彼は志半ば、凄惨なかたちで死を迎えることとなった。路上に残ったタイヤ痕、直前の口論の目撃談、犯行時間の短さ…推測に過ぎないが、自転車がぶつかった、あるいは道を譲らなかった、あるいはもっと単純な目が合った合わない口の利き方がどうだこうだとかともかく、怨恨でもモノ取りでもない、本当に些細なことだったのだろう。そんなことで人を刺す。死ぬまで十数回も人に刃物をつき立てる。これは異常者以外の何者でもない、そしてそんな異常者がカンタンに刃物を持ち歩き、そしてその辺をウロウロしている。そのことに戦慄する。

わが家では、やまだはここ数日高熱を出して床に就いていたが、昨日は線香を立てC君のご冥福を祈った。やまだは泣いていた。まだ若いのに、死にたくなかったろう、可哀想に。一日も早い犯人の逮捕と、公正な裁きを望む。


<追記>
精華大のマンガ学部の沿革に関して、上記記述に補足記事がありましたので、こちらも引用加筆修正させていただきます。
踊る阿呆を、観る阿呆。を、書く阿呆。」より
【ここから引用】
現マンガ学部は、スタート当初は「美術学部デザイン学科マンガ専攻(コース)」だった。将来的に「学部」昇格への夢はあったにせよ、当初はまず設立すら文部省(当時)に認められなかったと聞く。せめて「専攻」は認めてくれ、と文部省まで出かけて行って必死に役人を説得したのは、ヨシトミヤスオ・佐川美代太郎の両教授である。<コツコツと「日本初の大学でのマンガ教育」に向けて努力をされてきた>というとき、まっさきに挙げねばならないのはこのふたりのお名前である。

【ここまで】
…ということで、正確を期すならば拙文中の
芸術学部内にマンガ学科を設置し、学部昇格までの数年間、牧野圭一(現学部長)・竹宮惠子(教授)らの講師陣がコツコツと「日本初の大学でのマンガ教育」に向けて努力をされてきた結果


マンガを大学教育の場で教えることの必要性を早くからヨシトミヤスオ・佐川美代太郎の両教授が訴え、地道に努力をしてこられた結果、美術学部デザイン学科マンガ専攻からスタートさせた。それから芸術学部内にマンガ学科に昇格させ、さらには学部昇格までの数年間、小川聡専任講師や牧野圭一(現学部長)・竹宮惠子(教授)らの講師陣が加わりつつコツコツと「日本初の大学でのマンガ教育」に向けて努力をされてきた結果

に変更すべきであると思いました。
拙文は、精華大にマンガ学部が設置されていることを「マンガが流行ってっから学生集めにマンガ学部っての作ればウハウハだぜ」の結果ではなく、上記のような流れによるものだということを伝えたかったわけで、その沿革に関する事実に補足があった(成立までの成り立ちと、功労者のお名前について)ということですから、こちらの言いたいことつまり大意は全然変わりません。とんがりやまさん、ありがとうございました。
それにしても1月末現在、まだ犯人は捕まっていない。当初目撃者も比較的多かったこと、あの周辺をあの時間に、しかも自転車で通るということは近隣に住む者か少なくとも土地勘がある人間であるという推測から、犯人逮捕は近いと思われたのだが。犯人が捕まっても、C君は帰ってこない。人を殺しておいて平気なツラをして日常を送っているクソ野郎に激しい怒りを覚える。
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2007-01-15(Mon)

眠い日

1月15日(月)
朝は携帯の目覚ましを7時半にセットしておいたが、その前に連れに起こされ、朦朧としたまま起きる。朝は野菜スープだけ飲んで、体温を測る。ここ二日ほど高熱を出している連れの体温も測らせると、7度台とまだ高い。支度をして外へ出るとやはり朝は寒い。だが晴天で、気持ちのいい寒さ、陽射しはむしろ物凄く強く、まぶしいくらいだ。近くのタイヤ屋の交差点ですぐに空車が来たので乗り、渋滞の17号を抜け、病院へ着くと8時半ちょうど。内科受付〜採血受付へ行くと8時33分、番号札は10番。病院は8時半受付開始なのだが、今日はこの様子だと混むだろうな、と思いつつソファで待つ。10分ほど待たされて、試験管2本採血されるが、今日のおじさんは下手なのか乱暴なのか、ブスリと針が入る時点で痛く、抜く時もまた痛かった。内科受付へ連絡表を戻し、地下のスタバへ行き、カフェモカにシナモンパウダーをちょろっと散らすという婦女子のような飲み物を買っていつものスペースへ行く。新患受付はすでに混雑し始めており、そこを抜けて行くのだが、いつもの場所もテーブル付きの椅子は埋まっており、しょうがないのでテーブルのない椅子に座る。
時間までの時間つぶしに携帯でTV。「夫を撲殺してバラバラに切り刻んで棄ててすっとぼけて友人の電話に受け答えしてそれをしっかり録音されててその友人から疑われていると聴くや杜撰な隠蔽工作などをするが隠し切れず捕まった妻のレポート」をワイドショーで見る。しきりに「セレブ夫婦」みたいな言い方をするが、今の日本はセレブの大安売りだ。「カリスマ」もそこらの主婦にも使うし、「セレブリティ」ってこうやって流行りになり大安売りされる前の印象だと、全然スケールの違う形容だったと思うのだが。欧米の貴族とか大富豪、ハリウッドの大スターとか、まあそういう人ら全般を指してたと思うのだが、いくら何でも、外資系とはいえ「サラリーマンの若夫婦」に「セレブ」という形容はいかがなものかねえ。
…9時45分診察予約なので待合へ移動するが、内科受付の前の廊下はやはり混雑でごった返している。中の診察室前の待合に座るが、30分ほど遅れてようやく呼ばれた。いつものように変わりはないかと聞かれたので、四日ほど前に嘔吐・下痢をして、熱も少し出たが一日安静にしていたら治ったと報告。抹消血は今回も白血球数が1200と前より減ったものの好中球数は52.3%と半分以上あり、血小板数も10万を越えているし、結論としては横ばいということ。炎症反応も出ていないので、下痢や発熱は、風邪などによるものではなく、前日に何か生ものや合わないものを食べたのでは、ということ。いやー刺身、食いました、すいません。黙ってたけど。活き、良かったんだけどなあ。その後触診していただき、異常もなく、次回診察の前に内臓方面のリンパ節の大きさも確認しておこうというので、腹部CTを撮り、その結果が出たあたりで診察日にしようということになる。ベリチーム(消化剤)を一ヶ月分処方していただき、終了。
今回は年末年始があり間が開いたが、変化なく安心した。調剤薬局で処方薬を貰い、病院の地下へ戻ってタクシーに乗り、坂上へ。薬局で連れ合いに頼まれた薬を買い、スーパーでやはり頼まれたりんごの他、みかん、夕飯の材料、パン類などを買って12時半ころ帰宅。その後は血液の記録などをつけて昼食にパンを食べてはうとうと、ワイドショーを見てはうとうと、相撲を見てはうとうと。早起きしたので一日眠い。
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2007-01-14(Sun)

「いじめ問題」を考えた

テレ朝系「スマ・ステーション」、毎回香取慎吾がジャニタレ中でも稀に見る小学生知能ぶりをいかんなく見せてくれるナイスな番組である。背後にはいつも外人タレントがぞろりと配置されているが、その存在を活かしきっていた記憶は、ない。(TBS系「アイチテル!」はやり過ぎかとも思うが)…今回(1/13)は、教育再生会議に参加するヤンキー先生こと義家弘介先生が出演。現実にいじめに苦しむ子たちとの対話の様子、義家“ヤンキー”先生の半生などが紹介され、スタジオでは今のいじめ問題についても熱く語られたが、まあここでもホスト役の慎吾ちゃんの小学生脳による幼稚反応が炸裂、しばしば微笑を誘われた。
彼がはっきり言うと『お馬鹿さん』なのになぜ好感が持てるかというと、それは本人が大人ぶったりインテリぶったりせずに、知能に見合った言動をしているからだろう。子どものようなピュアな感じで笑ったりモノを食ったり、そして「ニュースバラエティの司会」をやったりしているから、世間の子どもたちに共感を得ているのだ。…だが、いくら何でもあんだけ図体がデカく年齢的にも立派な大人が「子どものような」って(笑)、まあ普通の世界ならかなりイタ〜い扱いを周囲から受けるはずだが、ゲイノー界って素敵なところです。「スマ・ステ」というと番組が始まったころに指摘したことがあるが、当初番組のロゴ「SS」マークが、ワッフェンSS(ナチス武装親衛隊)のソレに酷似していた(ルーン文字でSSとなってる、アレです。ちなみにルーン文字は古代ゲルマン人の表意文字で、厳密にはSがあのSになるわけではないが、恐らくその意味が「太陽」を指したので象徴的な意味も含めて使われたのではないだろうか?:違ってたらすいません)。オイオイちょっとユダヤ団体とかから抗議とか来たらどうすんの、と思ってたらいつの間にかこっそりと変更されていた。ゲイノー界ってやっぱり素敵なところです。

義家先生については、以前教え子から「シラトリ先生はヤンキー先生のことをどう思います?」と聞かれたことがある。前に俺は、元ヤンキーだの元暴走族だの、反社会的行為や犯罪行為を犯し、それを贖罪もせず謝罪もせず、つまり責任を何ひとつ取らずに売り物にするような連中は大嫌いだと言った、それでだったと思う。俺は義家先生は大いにアリだと思った。彼は手がつけられない不良だったそうだが、不良同士のケンカはカタギに迷惑はかけていない。野良犬同士の噛みあいのようなものだ。シンナーを吸おうがそれは自分を傷つけるだけだ。その結果他人に迷惑をかけたのなら別だが、親には勘当され、その後預けられた家ではリストカットをしたという。それから北星余市高校へ行き教職を得て戻るというあたりは有名な下りであるが、ともかく、自分が周囲の大人から全く何もしてもらえなかった。唯一ついて行きたいと思ったのが、北星余市の担任であった女性教諭だった。だから、その人の実子になれないのなら、教育という場で後をついて行こうと思った…という。論理が一貫していると思う。
自分が大人たちから受けた不遇を恨み、その大人たち(が構成する社会)へ復讐するという意味で、そのまま反社会集団=暴走族だのヤクザだのの世界へ身をやつす…という例が多い中、彼の場合はついて行きたいと思われる大人に自分がなろう、なって子どもたちの前へ出て行こう、と思ったのだから、立派なことだと思うのだ。

…ところで番組でも義家先生が訴えていたが、いじめは圧倒的に加害者の側に非がある。こんな当り前のことが全く顧みられず、いつも被害者側を隔離したりして終わっている印象がある。義家先生は加害者側に何らかの処分(例えば登校禁止など)をすべきであるとはっきりと指摘した、恐らく初めての教育者ではなかったか。まあそんなまっとうなことを発言したために、全国の「教育者」から大変な反発を受けたそうだが、その事実そのものが、今の教育現場がいかに腐っているかを現している。義家先生が実際に今、現在、いじめに苦しんでいる子どもからラジオ番組で直接相談を受けるシーンがあった。その子が言うには、「自分は男の子数人の集団にいじめを受けているが、前は別の子がいじめられていた。それが学年が変わりクラス替えがあって対象の子から離れ、代わりにターゲットになっているのが自分だと思う」と話していた。つまり相手のいじめ側のガキ共は相手は気の弱そうな、反撃してこないような、それも仮に反撃されても撃退できる=女子であり、もっと言えば自分らは複数なので、ここに絶対的な安全と優位が確立された上で、単に日々のカタルシスを得るために彼女を集団でいじめているのである。
義家先生はこの構図に率直に怒り、相手に非があり、その子には全く何の責任も非もないことを、はっきりと諭した。その子の悩みと悲しみに共感し、怒り、励まし、そして最後は離れているゆえに現実には出来ないが、はっきりと言葉で抱きしめてやっていた。こういう大人がその子の周囲にいてあげられたら、恐らくほとんどの現場でのいじめやその他の問題は解決されていくのだろう。このことは逆に、いかに教育の現場で子どもたちに関わる大人たちが堕落しているか、を浮き彫りにしていると言える。
ある現場では、いじめ被害と対処を訴える子に対して、「学校側が加害児童側を罰すれば、その子たちが今度は登校できなくなる」と言ったそうだ。いじめている側に何もせず、いじめられる側を取り除いてどうする。そのガキ共はまた代わりを探して同じことをするに決まっている。教師の側がビクついているという構図が、よく解る。確かに、番組中でも宮崎哲弥が憤っていたように、今では学校は事なかれの官僚主義的な対応が横行し、特に、公立の学校では学級崩壊が問題となっている。何せ少し叱れば体罰となり、子どもたちはそのことをよく知っているから、ある学校では子どもが教師を脅迫したり、女性教諭にセクハラまがいの行為をしたり(小学生が、である)と、我々が子どもの頃とは比較にならない崩壊ぶりを見せている。全ての学校がそうなわけはない、もちろん頑張っている教師やまともな学校の方が数多く、熱心に、真剣に子どもたちに対峙している大人たちの方が多いだろう、いや、そう思いたい。だが一方で、特に公立の学校での教育レベルの低下には歯止めがかかっていないのも現実だ。
宮崎哲哉は「私立校では教育理念をはっきりと掲げている。その理念に沿った教育をする、それを望む人だけ入って来なさいというわけだから、はじめから相互に了解が出来ている」と言っていた。なので少々の厳しい「教育」「指導」があっても、生徒も親の側も了解するだろう。だが、公立校の場合は入ってくる子らもその親も、千差万別だ。公教育というのはそういうものだが、だからこそ本当は難しいのに、実は機械的・官僚的な対応しか出来ていない。
公立の学校で働く教員たちはもちろん公務員で、その親方は教育委員会や自治体、そして文科省と連なるヒエラルキーが見える。結局現場の教員たちに「ああしろこうしろ」と現場も知らずに指図をする高級官僚どもが、ここ数十年で公教育をメッチャクチャにしたとしか思えない。教員の管理システム強化しかり、ゆとり教育導入しかりだ。そして誰も失敗の責任は取らない。振り回されるのはいつも現場で右往左往する教員たちである。

いじめは我々が子どもの頃もあった。俺も転校生だというだけでいじめを受けた。引っ越してきた、それだけでいじめられるんだからもとよりいじめとは理不尽なのである。理由なんてあってもなくてもどうでもいいのだ。だからこちらが強く「何で引っ越してきたら悪い?」と聞き返すと、理屈がないから相手は黙るしかない。黙らされたことが屈辱と思う相手は、今度は「バーカ」とか非論理的な中傷をしてくる。たいていはそこで我慢すれば、それ以上は進まなかった。「バーカ」にムキになって「何を!?」とやれば、あとは腕力のぶつかり合いだ。ここに至って初めて、「けんか両成敗」が成立する状況になる。バカな教師や親は、最初の明らかな理不尽ないじめの段階から、「けんか両成敗」と引き離すことがある。これでは、子どもたちはルールを守った方がバカを見ると学習させられているようなものだろう。
俺の場合は集団対個という図式が我慢できなくなったので、ある日その中の一人を呼び出してボコボコにした。そいつには兄がいたのを知っていたので、兄が出てくる場合を想定して、「お前の兄ちゃんが出てくるなら、こっちも空手やってる兄貴を呼ぶからな」とフタをした。事実だったし、全然卑怯な方法じゃないです(笑)。
高校の頃は、一年になってすぐ、クラスにお調子者が出てきた。やけにハイで目立とうとするが、最初は人間関係を測りかねていた子たちの間でそれなりに地位を上げていけたが、クラスがある程度なごんでくると、そいつは一気に一番下の地位に落とされた。つまり他のほぼ全員が彼との会話や接触を極力避けるようになった。これは彼は今でもいじめだと思っているかも知れないが、違う。彼がその傲慢不遜で空気を読めぬ言動を改めてくれれば、いつでも戻れたのだから。
高校の頃というと、クラスにN君という(ちょっと千代の富士に似た)小柄ながら物凄くケンカの強い奴がいた。彼はたった一人で他校の不良を数人叩きのめしたとか、本物の「武勇伝」の持ち主であったが、我々に番長ヅラするとか、その腕力で横暴をふるうというようなことはただの一度も無かった。もっと言えば、成績も悪くなかった。だからモテたし、男から見てもカッコ良かった。横山光輝の漫画「あばれ天童」的な、男気ある本物の「番長」はあの頃で最後だったのかも知れない。そういえば中学の頃のツッパリたちも、試験前になると勉強を教えてくれと頼みに来たり、ちゃんと役割分担(笑)が出来ていたっけ。弱いものイジメももちろんあったが、そういう奴は必ず自分より強い奴にやられていた。そして一番強い奴は、その力を知らしめた後は、弱いものを理由なくイジメたりはしなかった。
記憶を遡ると、腕力で圧倒的に勝っていた奴が理不尽に暴れていたという構図を思い出せるのは、小学校5年くらいだ。O君という、今の亀田一家みたいな家に育ち(親は今でいうヤンキーあがりの土建業、兄弟全員不良、本人は百貫デブの角刈り)が学校の門の前にどっかり腰掛けており、朝登校してくる子を睨み続け、目が合ったか、あるいは単なる気分・思いつきでターゲットを決めると呼び止めてボコボコにしていた。理由なんて何も無かったと思う。自分は幸いターゲットにはならなかったが、その家は被害児童が先生に訴えても、親が逆ギレしてつっかかってくるような家(そう、あの一家と同じ)だったから、皆泣き寝入りしていたっけ。結局、今普通に見られるような陰湿な「いじめ」の構図は、俺の世代では経験がない。

…とにかく、集団で理由もなく個人を執拗に、それこそ死に追いやるまでいじめを繰り返すというようなことは、聞いたことがなかった。あの「このままじゃ生きジゴクになっちゃうよ」という遺書を残して自殺した中学生男子のニュースを聞いたのは、社会人になってから(1986年)だった。いじめによる自殺がマスコミのニュースになり始めたのは1985年あたりからで、それ以前はあったとしても報道されなかったか、あるいは原因が別か不明と見られたのだろうが、それにしても、社会問題化されてからもう20年が経っている。
いじめは被害側にも原因がある場合もある(例えばその容貌だったり、周囲の和を乱すなり)としても、だからいじめていいという免罪符にはならないだろう。札束を持って公道を歩いている人がいても盗んではいけないのと同じ、だがその人にも犯罪を誘発するような原因がある、といった程度のものだ。もっと言えば、いじめられる側に理由があると言う奴は、その理由を本人も納得できる理由として、論理的に説明してみろ、と言いたい。「顔がムカつくから」「ウザいから」「キモい」など、これらは論理的な「いじめていい理由」ではない。単なる「感情」だ。つまりその子に対して感情をぶつけているだけ、である。そんなフザけた行為を「いじめられる側にも理由がある」と言われたのではたまったものではない。ふざけるな、としか言えないだろう。今のいじめは番組でも浮き彫りになったように、そうした理不尽な、理由なき理由で「集団」が「個」をいじめる。学者は閉塞した社会の中で、ガス抜き的・息抜き的にスケープゴートを求め、そこへ感情をぶつけることではけ口にしている…などとカンタンに言うが、そんなことはバカでも解っている。今苦しんで学校へ行けなくなったり、死にたいと悩んでいる子らをどうすんの、ということだ。

さて番組だが、最後のCMが入り、明けてエンディングまでの間の10秒くらい(?)で短いやりとりがある。ここでコメントを締めて、番組はビシッと終了する段取りだ。そこでのやり取りはこういうものだった。

慎吾(力強く)「いじめは、無くなりますか!?」

義家(力強く)「無くさなければ、なりませんね!!」

慎吾「ん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜…」(曖昧な笑みでアサッテの方を見て)

義家(それでも気丈に)「無くすために…」

ブツッ(番組終了〜CM)

…グダグダになってしまった(笑)。慎吾ちゃんの約3秒ほどの意味不明の「ん〜〜〜〜〜〜」が無ければ、あるいは「そうですね、無くすために、頑張りましょう!」とか力強いレスポンスがあればカッコ良く終われたのに。何だか義家先生のせいで微妙な感じで切れてしまった感じになっちゃったじゃないか。可哀想な義家先生、であった。
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2007-01-13(Sat)

今さらキムタク?

「人間!これでいいのだ芸能人の“好感度”を大検証するのだ」という番組。gooリサーチと組んで、年齢層別男女タレントの好感度ランキングなどを面白おかしく紹介していく番組なのだが、バカバカしくもボーッと見ていると、おかしなことに気付いた。年齢別では60代以上で2位の他は、全ての年代の女性の愛されたい男で一位が木村拓哉。あれれ? 確か別の番組ではとっくに福山雅治が一位独占で、キムタクって年齢層によってはベスト5にも入ってないんじゃなかったっけ? と思って気付いた、そうだこのチャンネルはTBSでしたあ! あのリメイクドラマ(ってまたかよ)「華麗なる一族」の番宣でTBSを見ているとキムタクが一日じゅう出て来るので辟易してその都度チャンネルを変えていたので覚えていた。そうかあ、TBSってそういえばこういうこと平気でする局だったなあ。だって天下の亀田一家を売り出してる局だもんなあ。報道の人間がオウム真理教に情報流して挙句にゃ弁護士一家殺害に加担するっちゅう局でしたなあ。納得納得。ちなみにこの番組、最終好感度ランキングでも一位はキムタク、でした。はいはい。
ところで「華麗なる一族」はご存知のように山崎豊子原作の重厚な大作映画で、元々のは1974年東宝の作品。佐分利信が持ち味を十二分に発揮した、血も涙もない父親役を演じ、仲代達矢が父親に刃向かってまで理想に燃え、無残に打ち砕かれる熱演をした、あの映画だ。何度か見てるけど、万俵大介を北大路欣也ってのでさえ、役不足感があるほどなのに、仲代のやった役がキムタクって…。キムタクって、「キムタク」以外に何かを演じられたっけ? ていうか最近の映画もドラマも、ひどい。
・優れたコミックの原作=何せマンガで人気を博しているわけだから、よほどの間違いをしない限り失敗しない
とか
・過去の名作のリメイク=何せ一度映画・ドラマ化されているわけだから、よほどの阿呆でも演技をなぞらせれば失敗しない
というものがほとんど。自分らでイチから話を、脚本を作れねえのかよ。あとは以前の特撮技術では出来なかった映像表現・再現をCG技術の発達で可能になったんでもう一回、のパターンとか、初映画化とか(だいたいがCG使いすぎで本来の映画創りという土台・根本が崩れている)、そんなんばっか。金払って映画館足運んでまで見ようという映画ってあんまりなくなっちゃったもんなあ。「犬神家の一族」なんてさあ、前のヴァージョンでもういいじゃん、完結してるわけだし、映像表現的には確かに古い技法も多々あれど、それは「時代」というもので、役者陣も(ゲスト出演の横溝正史と角川春樹を除けば)ちゃんとしてるし、それなりに面白い映画だったわけだから。何でそれを今更、しかも年老いてただの薄っぺらい聞きかじり知識をひけらかすだけのイヤミオヤジに成り下がった石坂浩二に「全く同じ役」をさせてまで、再度撮らねばならない? ああひでぇ、ひでぇよ日本映画界。ていうか芸能界。ていうかテレビ・エンターテインメント業界。
そういえば昨年といってもつい先日、岸田今日子さんの訃報を聞いたばかりだが、ああいう本物の「役者」さん、これからどんどん消えていくんだろうなあ。んで年齢だけ重ねて、それなりに芸能界でデカいツラできるようになったバカが画面で偉そうにバカの拡大再生産をまた繰り返していくんだろうなあ…。芸能人に知性や品格なんかコレっぽっちも求めてないし、電波芸者と割り切った上で踊っている自覚があるならばそれはそれで立派な「芸」でると認める(例=無責任・無関心・無芸も自覚的に貫くと芸になる高田純次)。またそれが完全なる「無自覚」であれば、それは単に本物の残念な人なので、同情する(例=自分を無根拠に一流だと誤解している石田純一)。でも「本気」で来られると…辛いっす。
でもそういうイタい人たちって、ちょっと売れてきた若手芸人の一部にそういうのがチラと出てきたり、巨大な事務所の力で売り出してもらっただけなのに自分の人気と実力と勘違いし始めるタレントなどに多いのは昔っから。本当にイタく、辛いのは世間も知らず若い頃から芸能界だけで過ごしてきて、今それなりの年齢になってしまった中高年タレントだ。かなり真顔でトンデモない事を宣うたり、時折物凄い無知無学を曝け出したりするので、バラエティ番組でもうかうかしていると心臓に悪かったりする。うちら夫婦は病人二人なんだから、気をつけてくれよ、と思う。そしてそれに輪をかけた逸材(?)が出てくるのが、そいつらの「子」や「孫」といったいわゆる七光り組だ。…と言いつつ、そういう人たちに腹の皮がよじれるほど笑わせてもらってるのも事実なので、最終的には良し、としよう!
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2007-01-12(Fri)

風邪?から回復

1月12日(金)

朝は10時前に起きる。目眩が若干あり、下腹部には痛みというほどではない程度の違和感があるが、状態は昨日よりかなりいい。熱を測ってみると36.6℃に下がっていた。それにしても昨日は苦しかった。朝は水だけをまずちょっと飲んで、ソファに転がってテレビを見る。しばらくして状態も良さそうなので、昨日京都で連れが帰り際買ってくれた進々堂のハム・ポテトサラダサンドを食べる。前の日、京都で具合が悪かった時は食べ物を想像しただけで気持ちが悪かったものだが、空腹になりモノが食えれば大丈夫だ。コーヒーを淹れ、カフェオレにして飲む。まる一日食べなかった後なので、パンは消化にいいよう一口70回以上よく噛み、胃薬も飲んだ。その後念のために風邪薬を飲み、体温もちょくちょく測るが、いずれも平熱。やれやれだ。
連れ合いは2時ころ支度をして歯医者へ出かけ、その後夕方「寒い寒い」と言いながら帰ってきた。スーパーでバナナ、鶏肉などを買ってきてくれ、夕飯はしばらくしてから雑煮を作り、二人で食べる。俺はもち2個、連れは1個、俺はほぼ9割方回復。ただ腹の違和感はどうしてもあり、脾臓の腫れが進んだのかも知れない。そういえば熱の間、胸の間、縦隔のリンパ節の腫れがズキンズキンとうずいていた。免疫系の病気なので、軽い風邪か何かでもうずくのだろうか。それにしても治って一安心。
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2007-01-11(Thu)

京都で発熱

1月11日(木)

京都のホテルにいた。
前の晩は風呂に入った後、夫婦二人でテレビを見て、1時半ころには俺だけ先に寝てしまった。ここまでは何の異常もなかったのに、この日の朝方8時ころ目が覚めると、どうも気持ちが悪い。部屋の中が弱くつけていた暖房のせいで乾燥していたので、連れ合いを起こさないようにそっと冷蔵庫からペットボトルを取り出して水をコップ一杯飲むが、たちまち気持ち悪くなる。しばらくムカムカしていたが、便意もあったのでトイレへ行くと下痢ぎみ。出てしばらくするとまたムカムカする。再びトイレへ、今度は水のような下痢だ。さらに始末を終えて立ち上がると激しいムカつきがあり、結局嘔吐してしまった。胃がよじれるかというような嘔吐を終えて、ひいひい言いながらトイレから出て、一旦寝る。10時前くらいになってまた起きるが、やはり水のような下痢が2回、連れ合いも起きて「大丈夫?」というが、そのうちまた激しく嘔吐。最後は緑色ぽい胆汁が出た。これでほぼ胃の中はカラになったが、腹に鈍痛がするし、目眩もする。風邪でも貰ったか、ノロウィルスだったら嫌だなあとかいろいろ考える。普通悪いモノ、消化に悪いモノを食った場合は吐いてしばらくすると落ち着くものだが、目眩がするのがよく解らない。
今日は起きたら東寺へ行き、西本願寺をまわってから帰ろうと相談していたが、どうにも無理だ。連れ合いは俺の様子を見ていて、「じゃあもうすぐ帰ろう」と言ってくれたので、着替えてフラフラと下へ降りて、チェックアウトする。旅行カバンをヤマト便で発送してもらう手配をし、ホテル前のタクシーに乗り込む。タクシーの揺れが左側の腹、脾臓のふくらみ部分にぽよんぽよんと嫌な振動を与える。駅の手前で降ろしてもらい、ゆるゆると歩いて連れ合いが金をおろすのを待ち、地下への階段をゆっくりと降りる。後ろには名古屋弁のとてつもなく下品な風体の一家がおり、「オレタバコ吸いてえがや」「ダメだ、こおゆうとこはみんな禁煙だぁがね」「オレ吸うけどな」「叱られたら走って逃げりゃあいいがや」「あーあ、あっちい。パンツべっとべとだ」などと大音声で話しているが、こっちはしんどくて笑うことも出来ない。
地下街の進々堂(ここのパンは本当に美味い、だがこの時は想像するだけでも嫌だった…)で連れ合いが東京へ戻ってからの分にパン類を買っているのを、外の柱にもたれて待つ。通り過ぎる人が俺の顔を見てギョッとしたような視線を浴びせる。半開きの目でいかにも具合が悪そうに見えたのだろう。はい、具合悪いです。全力で、全身全霊で具合、悪いっす。その後並びのブースで帰りの新幹線の切符を買ってもらう。この時点で11時ちょいだったが、11時25分ころのが一番近いというので、それにしてもらった。
改札を通り、ホーム下で連れ合いが弁当を買ってくれ、ホームで週刊誌などを買ったりしてくれるが、オレはこの頃には朦朧としてだるい。新幹線の車内ではただ目をつむり、ぼーっとするか寝ようと努めていた。3人掛けしか空いておらず、名古屋までは通路側に一人婦人がいたが降りたので、そこから東京までは3人掛けに2人だった。1時45分ころ東京に着いて京浜東北、何とか座れ、快速で赤羽へ。タクシーで自宅に戻る。すぐに熱を測ると、37.6℃。思ったほどではないが、高い。とはいえ微熱レベルだから、一応何もせず様子を見ようと、ソファに転がる。そのままテレビを見るが、どうもだるいので俺だけ先に布団に入る。連れ合いは3時ころまで起きていた様子。
それにしても今こうして生かされていること、普通に暮らしていられるだけで有難いことなのに、いつの間にか日常に流され、いい加減に過ごしてなかったか、その慢心への報いなのではないかと反省。
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2007-01-07(Sun)

大観先生、ごめんなさい

1月7日(日)
何も見る番組もないので、HDDレコーダに録画しておいたNHKのハイビジョンスペシャル「神の手を持つ絵師 伊藤若沖」と「横山大観」を続けて見る。いずれも以前放送したものの「まとめて再放送」シリーズだが、とにかく映像が綺麗なので嬉しい。ところではっきりとわかったのは、
大観は人物が描けない
ということ。
もちろん日本画界から美術評論界から在野のコレクタの諸兄から「何をいっとるか」「この無知蒙昧の馬鹿者が」「大観先生に腹を切って詫びろ」という声が四方八方から聞こえてくることはもう重々承知の上で、あくまでもこれは自分の個人的な「感想」ですんで一つそういうことでよろしく。
連れ合いも、有名な幼児が泣いている絵を見て「ヘッタだなあ」と苦笑していた。
以前、本ブログで「大観作」で爆笑という記事を書いた。テレ東の「何でも鑑定団」に「大観作」だという「洗馬」の軸が出され、それをプロの鑑定家が落款と署名が本物なので本物と鑑定した、という一件である。その軸の絵は、それはそれはひどいものだった。馬はもとより人物のデッサンはズタボロだし、何よりもその線には絵心のかけらもなかった。川の流れの線と川原の線との質感もデタラメで、連れ合いと二人で「本物だってよ!」とゲラゲラ笑い転げたものだった。
だが、今回の特集を初めて観て、反省した。あれは間違いなく、大観先生の軸だった。安河内先生、ごめんなさい。先に見ていた若沖は以前から好きな画家の一人で、もちろん緻密なというには余りに繊細かつ美麗な写実絵師として知られるひと。そして続けて見た大観は、ご存知岡倉天心の弟子にして、後の日本画の大家。だが続けて見たせいだけではあるまい、大観の富士はともかく「人物」は酷すぎる。例えば細かく、小さく描かれた部分を拡大して見ると、本当にヘタウマの元祖かと思われるほど見事に絵心がなく、いや、ヘタウマですらないヘタさである。絵が小さくても、北斎のように本当の天才ならば線数本でありとあらゆる形を、情景を、言葉さえをも絵にすることが出来るはず。(その意味で北斎漫画こそ、ほんとうの漫画の祖であると思う)
朦朧体とバカにされた、天心の弟子時代の苦渋を二度と舐めたくないと思い、体制寄り、金儲けに走ったということと、「粗製濫造」的な創作が関わっているのかも知れない。同じ天心の弟子でも下村観山の方がやはり日本画家として素晴らしいし、大観らが目指した「新しい日本画」にもなっていると思う。大観先生ごめんなさい。でもアナタが酔っ払ってロレツが廻らない映像は素敵です。生き方も、とっても素敵だと思います。
そんなこんなで寝たのは3時すぎ。
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2007-01-03(Wed)

「昔の名前」の今の凄さ

突然ですが。常連のMさんから
先日押入れから昔のLPが出てきたので、久々にレコードを聴いたんですが、やっぱり70〜80年代中ごろまでのハードロックっていいなあ、、、と思いまいした。(中略)ところで伝統的正統派HR路線で、かつての御大たちで元気なオススメってありますか?
という質問をいただきましたので、正月にもかかわらずハードロックのアルバムを紹介します(笑)。

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2007-01-02(Tue)

初詣

1月2日(火)
蓮根氷川神社今朝は連れ合いが先に起きて居間の掃除をしている気配がして起きる。今日は次女のYちゃんが昼ころにはこちらへ来るとメールで聞いていたので、二人で雑煮の支度、机周りの片付け。
今年のおせちはカンタンなもので、連れが京都で買ってきた栗に市販の栗きんとんをあわせたもの、やはり京都・丹波の黒豆、あとは紅白のかまぼこにいくらと数の子。それに昨日になって連れが大根とにんじんでなますを作った。
支度が終わってテレビを見ていると、1時前くらいにYちゃんがくる。今日は旦那が親戚たちの集まりに子ども二人を連れてったそうで、Yちゃんは久々に実家へ来たというわけ。子ども二人は向こうにお泊りなので、いつものように夕方のお迎えまでに慌しく帰ることもなく、ゆっくりしてられるようだ。
大晦日に連れ合いが鶏ガラから作ったスープをベースにしょうゆ味の雑煮に、京都で買ってきたもちを焼いて入れる。しばらく煮込むともちがトロトロになり、食べごろになったところで食べる。具は鶏肉、ほうれん草、白ネギ、椎茸、仕上げに三つ葉。柚子は今日は散らさず。冷凍してあったカニ足も出して、テレビを見つつ食う。
ユキは遊んでもらえるので大はしゃぎで飛び回ったり甘えたり。俺たち夫婦二人だと日ごろあまり長い時間は遊んでもらえないので、ここぞとばかりに走り回っている。
夕方4時ころ初詣がてら買い物に行こうということになり、3人で支度をして出る。Yちゃんが来ると車があるので、大きな買い物などがあるときは大助かり。二ヶ月ほど前に、近くのドイトに枇杷の苗を取り寄せてもらっていたのだが、土や鉢を入れると大荷物になるのでなかなか取りに行けなかったが、今日はチャンスと思い寄ってみると正月なのに開いてた。枇杷の苗、土12kg、鉢、シャベルなどを買う。それらを積んで、蓮根の氷川神社へ。
この小さな神社は蓮根に住んでいた頃…92年ころから99年ころまでは毎年のようにお参りに行っていたところ。神社横にある駐車場に着くころにはもう暗くなっていて、たった2つ出ていた出店も店じまいをしていた。お参りをして、無事にこうして正月を迎えられたお礼と、今年の健康を祈る。境内のおみくじを買うと「吉」。運勢としては普通ではあるが、「病気(やまい)」の項目には「強く願えばなおる」とあり、嬉しかった。
その後スーパーへ寄ってもらい、夕飯用の持ち帰り寿司、菓子類、Yちゃんちの買い物をして帰宅。夕飯はその寿司で、これはかなりネタが良く美味だった。俺は昨年知り合いにお歳暮にといただいた缶ビールを久しぶりに飲む。350mlと500ml1本ずつ。家でこうしてビールを飲むのは退院後初めてじゃないかな、生きてて良かった…と思う。ただずいぶん酒には弱くなったようで、その後二人がネットでいろいろ検索したりしているのを見ている間にうとうと。すると寝ているマヌケ面を写真撮られて笑われる。まあ楽しいお正月、という感じです。
また来年も平和な正月が迎えられるといいなあ。
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2007-01-01(Mon)

元日です

あけましておめでとうございます。

癌告知を受けてから2度目の正月を迎えられたことに、素直に感謝したい。去年はまだまだ自分がどうなるのか判らずに不安が一杯のまま迎えた正月だった。今年もその状況は変わっていないが、去年一年は気分的に白血病をはじめとする同じような血液腫瘍のニュースをよく目にしたような、いわゆる「血液の癌」で亡くなった有名人が多かったような気がした。芸能人だと一昨年の本田美奈子の報道がまだ続いていて、年末はカンニング中島で終わった…というか。同じような病気で若くして死んでいく人たちを知ると、不安にならないと言えばウソになる。だが人それぞれ、運命というものがあるのだろう。

相変わらず自分が血液の癌であること、幸い進行は遅いものの治療法も治療薬も決定的なものはないこと、いったいいつ癌が暴れ出すかということなどが判らないままだ。そんな中で去年と今年で違うのは気持ちの持ちようかな、と思う。
自分が病気であることは認識し、なるべく不摂生はしないこと、感染症に気をつけはするが、必要以上に病人意識を持たないこと。つまり精神的に暗く落ち込まないことだ。いつ死ぬのか判らないということは普通の人と同じじゃないか、という考えに転換したことで、ずいぶん楽な気持ちになった。前向き、じゃあないと思うけれども、少なくとも悲観的ではなく、後ろ向きでもない。それでいいや、と。

出版社にいたころに比べるとずいぶん少なくはなったけど、年賀状をたくさんいただきました、ありがとうございます。
今年も年賀状は寒中見舞いとして近日中にご挨拶申し上げます。
皆さんにとっても良い一年でありますように!
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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