--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2007-02-28(Wed)

連れ合いに緑内障の疑い?

2月28日(水)
朝は9時前に連れ合いが起きたので一緒に起きる。今日は連れ合いがかかりつけのアイタワークリニックの岡本太郎先生の紹介状を持って、北社会保険病院の眼科に行く予定。度重なる医療ミスやずさんな手術、その後の不誠実な対応から、連れの内臓はボロボロである。何軒もの病院を廻ったのに診断がバラバラで、発見と治療が遅れた結果の慢性膵炎によって糖尿病を発症してからは、何と言っても合併症が心配だ。特に目は普通の人でも何かあったら不便なのはもちろん、連れにとっては商売道具の一つでもある。精密検査装置のある大きな病院で、一年に一度はしっかり検査してもらった方がいいということで向かうというわけだ。
まあ暴言覚悟ではっきり言うが、好き勝手やった挙句の「自業自得型」糖尿ならともかく、明らかに他者による、それも無能な医師たちによってたかって「させられた病気」であることが、いつも我々夫婦の病気へ立ち向かう気持ちを、ともすれば萎えさせがちにはなる。「何でこんな目に…」と自問すれば必ず精神的に悪い影響が出ることは理解しているが、問わずにはいられないのもまた事実だ。
幸い連れ合いはその後板橋区医師会病院の勝呂院長(現在は名誉院長)というとてもいい先生にめぐり合うことが出来、ずいぶんと精神のケアもしていただいた。その後腎臓摘出手術を別な病院で行い、とんでもない手術で地獄の予後を送ったことでいったんはまた医療・医師不信へ傾いた我々だったが、今連れがお世話になっているアイタワーの太郎先生は、このブログでも経過をお伝えしたように、俺の「血液の癌」を健康診断で一発で発見してくださった方だ。医療・医師への不信はもちろん医師や医療現場のさまざまな「不誠実な人間」によって形成されるものだが、それを払拭してくれるのも当然、同じ医療現場の「誠実な方々」である。
連れは毎食前と就寝前に必ず、インスリン自己注射を行うことが義務付けられている。通常は腹部に注射を行うことが多い。また右腎臓手術痕の神経と筋肉寸断のせいで腹部が突出しているから、ベルトのある衣服は着用できない。そんな理由から、連れは近所の縫製が得意な方に、仕立から行ってもらって、オーバーオール型の服を何着か作ってもらって着ている。勤務する大学では、何も知らない学生たちが「先生、可愛い服着てる〜」なんて言って無邪気に反応してくれるそうだが、実は腹を締め付けられないのと、外でもすぐに腹部に注射が出来るための、極めて実用的な意味でこれしか着用できないというのが本当のところなのだ。

…支度をして家を出ると、いい天気で暖かいが風が強い。今日は確か寒くなると予報で行ってたはずだが、とマンション前を歩きかけると、ちょうど空車が通りかかったので手を挙げる。バス通りは渋滞なので裏道からまわってもらい、浮間工場街から環八に出るというルートで病院まで行ってくれた。
病院の受付で眼科への紹介状と、去年入院した際の診察券を渡すと眼科受付へ行くようにとのころで、奥の内科・眼科受付へ進む。ここで一度問診表に記入してから診察受付をしてもらう。さらに奥に進んだ内科診察室の横が眼科で、待合にいる患者はほとんどが老人たちだった。9割、いや9割5分が老人と見受けられる。それでも待合は幸いそれほどまだ混んではいなかったので、長椅子に座って待つ。5分もしないうちに連れの名前が呼ばれて、まず診察前の検査を受けるようすだったので、俺だけ離れたところにある新聞コーナーに移動して新聞を読む。チラと見ると連れは5分くらいで元の場所へ出てきたようだが、その後全く呼ばれる気配がなく、こちらもチラチラ気にしつつ、結局毎日・日経・朝日と隅々までゆっくり読んでしまった。
かなり時間が経ってようやくこちらへ看護婦と一緒に歩いて来たので一緒についていくと、最初に来た病院入口の総合受付まで戻らされる。どうやら眼科受診の際、糖尿の合併症検査もして欲しいので眼科の後消化器内科へもかかりたいと問診表に記入しておいたのに、それを忘れていたらしい。すごろくの「フリダシに戻る」へ止まってしまったみたいだ。結局一から内科の予約はし直さなければならず、しかももう当日の予約受付は終わっていたので、5日にまた来なければならなくなった。まあでもこんなことはよくあることだ。我々はここ十年ほどの修羅場の経験から、こういったことにはかなり寛容になった気がする。
予約をしてもらって会計を待つ間、連れに様子を聞くと、まだ確定したわけではないが緑内障の疑いがあると言われたそうだ。左目に若干の視野狭窄があり、詳しく調べる必要があるので、次の来院時に眼科にももう一度、同じ日の午前中(内科は午後)に来いということになったそうだ。緑内障だと最悪失明まであるから恐ろしいねと話すと、まだ確定したわけじゃないし、仮にそうだったとしても早い段階で見つかれば点眼で進行を止められるし、進行しても手術があるから大丈夫と言われたそうだ。それにしても「そういわれてみれば」と思い当たることはあったようで、例えば大学で入試の審査をしている間たくさんの書類や作品を見てかなり目が疲れたのだが、それはもちろん疲労のせいだと思っていたら、今よく考えたら左目だけが妙に疲れたり、違和感があることがあったという。その頃から目薬も持ち歩くようにはなっていたが、年のせいだとか、職業柄だとほっといたら怖かったなあと話す。
会計で3000円くらい払った後で病院の外に出ると、凄い風。寒くはないが、突風みたいな強い風が時々舞う。せっかく出てきたんだからどっかでお昼食べようということにして病院前からタクシーに乗り、赤羽へ向かう。連れの目が大丈夫ならいいのだが。
関連記事
スポンサーサイト
2007-02-21(Wed)

噛みまくりニュースショー

夜のニュースショー、古舘伊知郎のあの独特の語り口と薄っぺらく意味不明の比喩が癪に障るので、最近はニュースステーションを見なくなった。ではNEWS23はどうかというと、筑紫哲也翁は例のオウム事件でジャーナリストとして「死んだ」だけではなく、最近は老害のせいか舌が廻らず噛みまくりでキャスターとしても死が近づいているのではないかと思われ、これまた見なくなりつつある。
では若さピチピチ日テレちんのNEWS・ZERO。ジャニタレ小僧を入れて若い視聴者の取り込みも万全で、バスクリンカラーと揶揄されつつも、文字通り「独自のカラー」でなかなかの健闘中と思っていた。桜井君は下手な局アナより噛まないので感心していたら、先日「与党」と「野党」を間違えるという重大ポカをやらかし、結局丸暗記であるということを露呈した。だが暗記できる頭があるだけマシか。
いつも夜のニュースを夫婦二人であれこれ突っ込みながら見ているが、今日のニュースZEROは見ごたえがあった。いや、噛み加減なんですが。日銀の政策金利引き上げニュースの感想を長嶋一茂に求める方もどうかしてると思ったら、案の定一茂君は「…というのが実直な感想ですね」と素敵な発言をしてくれた。実直な感想って何だよ(笑)。たぶん率直とかぶっちゃけ、みたいな意味だと思って使ったんだろうけど、食ってたみかん噴き出すところだったじゃないか。その後スポーツコーナーでは女子アナがナレーションで風呂場でオケ踏んだか石鹸置きを転がしたかみたいな擬音的な噛みを聞かせ、立て続けに男子アナが「心配り」を「こころくるばり」とやってくれた。…そんなにまでして、我が家の茶の間を笑いの渦に引き込みたいのか日テレちん。
筑紫哲也は一人で噛みまくっているのでこちらとしても「ああ、ねえ」とある意味安心して楽しめる部分はあるが、ニュースZEROは集団でかかってくるのでウカウカできない。そういえばもう一人の局アナであるラルフは、ちょっと前のディープインパクトの凱旋門賞関連のニュースの際、「禁止薬物」を「やくしきんぶつ」と平然と読んでいた。ていうかその後一度も訂正せず、他からも訂正されなかった。みんな麻痺してんのだろうなあ。そういや最近は鼻濁音を言えないアナウンサーがたいそう増えて、本当に耳障りでもあるし。「ガス」って外来語だよ、「私が」の「nGa=鼻濁音」から始めるバカがいるかよ…ってもう日常だもんなあ。

ところで今晩のこの噛みまくりニュースショー、立教大学卒・社会学士であらせられる長嶋一茂先生に「一茂のスポーツ社会学」というコーナーをやらせていた。さすがはニュースZERO。いけいけニュースZERO! そしてもっともっと長嶋一茂に難しい問題についてコメントさせてくれ! と思う次第であります。
俺の連れ合いは「いいなあ、二世ってだけでチヤホヤされて。漫画家の世界にゃ二世なんてジャンルはないよ」と言っていた。確かに。「長嶋茂雄−野球=一茂」だもんなあ。長嶋さんの天然ぶりは有名だけど、彼は野球というスポーツの世界で、いや単なる野球選手という枠を超えた真のカリスマ的なスーパースターであった。従って長嶋さんが「ねばりよづく(「粘り強く」の長嶋語訳)」とか言っても、それはこちらがちゃんと翻訳して受け止めるべきことであったのだ。ミスター長嶋の頓珍漢ぶりを笑うのはとても恥ずかしいことで、周囲がミスターが何を言わんとしているのかを、必死になって汲み取ってあげなくてはいけないのだ。そういうことに、神の摂理でもって決まっているのである、なぜならミスターはカリスマだからである。
しかし、一茂。
ジャンルは二世。アスリートとして、つまりプロ野球選手としては二流で終わり、格闘家ダメ、バラエティタレントとしては天然ボケと言うよりは単なる無知・無教養を露呈するので笑えず、最近は何とかして自らを無根拠な「権威」たる方向へ持っていこうと必死だ。だが時折「さんまのからくりテレビ」に何故か出演し、さんまに「お前はほんまにアホやなあ」と至極まっとうな指摘をされる、不思議なタレント。こうした稀有な人材を今後ニュースZEROがどう料理していくのか、見逃せないじゃないか。って誰に言ってるよ俺。
関連記事
2007-02-19(Mon)

引き続き、「変化なし」

2月19日(月)

夕べは翌朝早くから病院だというのに、録画しておいた「笑いの金メダル」をついつい見てしまう。「顔-1グランプリ」として欧米から「顔芸」のスペシャリスト(笑)を招いて、それを日本のワッキーとザブングル加藤(本家M-1よろしく敗者復活戦を勝ち抜いたという設定。実際何が予選なのか意味不明)が迎え撃つという構図。優勝は僅差でアメリカのコメディアンが獲得したが、透明なアクリル板を顔の前、鼻にあてて音楽と共に動かすと、鼻があたかも自由自在に動いているように見えるという「芸」ながら、「顔で笑えるか」というと微妙。確かに「顔芸」なんだから、顔で芸をするという意味ではいいんだろうが、個人的にはザブングル加藤の「ぐやじいです!」にハマってるので残念。それにしても欧米と日本の笑いの感覚はやはりズレているなあ、と再確認した。

今朝は朝方から変な夢を見るやら、いつも脇で丸くなって一緒に寝るシマが夜中に出入りするなどで何度も目が覚め、朦朧としているうちに7時半になり、携帯のアラームで起こされる。フラフラと起きて洗顔していると、連れ合いも起きて来て一緒に行くという。一人で家にいても退屈なんだろうと思い、支度をして8時ころ一緒に出る。
外は快晴、気温は朝なので低いが、冬のビシッと身が引き締まるような寒さではない。こないだ春一番が吹いたが、いつもだとその後寒の戻りがあるはずながらその気配もなし、このまま本当に春になるのだろうか。すぐにタクシーが来て、幸い渋滞もキツくなく、日大病院到着は8時35分ころ。採血予約時間は8時半なので、連れ合いには地下のスタバで待っててと言い、一人で内科受付へ連絡票を貰いに行く。貰ってすぐに早足で地下の採血受付へ出すが、21番。ううむ、8時40分ころだったが、もうこんなに先客がいるとは…。10分ほど待たされ、3本採血される。今日の検査技師の人は全然痛くなく、抜く時もスゥッと無痛で抜いてくれた。うまい。
その後左手で採血後にフタをされた右ひじの内側を抑えながらスタバへ行くと、脇の椅子に連れ合いが座っていたので合流し、スタバで朝飯を買う。俺はスターバックスラテにドーナツ、連れはアイスカプチーノにシナモンパン。診察予約時間は10時なので、1時間ちょっとあったが、そのままそこで食べながら液晶テレビのNHKを見つつ時間を潰す。40分ほどそこにいた後、1階に上がっていつも俺が一人の時に座る、中庭の見える椅子とテーブルのあるスペースへ移動。5分前になったので俺だけまた一人で内科受付を通り、診察室前の待合スペースへ。
ちょうどU先生の4番診察室から先客と思しきおばちゃんが一人出てきたところで、じゃあ次は俺だなと思って座っていると、ここでハタと採血後に連絡票を返してなかったことに気付く。すぐに看護婦さんに「すいません、渡し忘れてまして」と差し出すと「採血は時間の通り終わりました?」と聞かれたので「ええ、もうとっくに」と言うと「解りました」と言って診察室の裏側へ消えて行った。恐らくU先生に渡しに行ってくれたのだろう。時計はちょうど10時、俺が採血からまだ戻ってないと思われて延ばされたらイヤだなあと思っていたが、ちゃんとほぼ時間通りに呼ばれた。
入りながら「すいません、採血の後返すの忘れてて」と言うと「あ、いいですよ、ちょうど結果も出たところですし」と言ってくれ、いつものように血液検査の数値表をプリントしてくれる。見ると機械カウントだそうだが、白血球数は1300と少ないながら横ばいで、好中球数も54%、血小板や赤血球数なども低値ながら安定で問題なし。「お変わりないですか?」というので「ええ、全然…」と苦笑すると、先生もちょっと笑いながら「そうでしょうねー、血液の方も変化ないですし、こないだのCTの結果も、脾臓の大きさはほとんど変わってなかったですし。ただ内臓のリンパ節のうち、腎臓の横にあるものが一つ1センチくらいに腫れてるんですが、これは一年前の画像でも同じ大きさなんで、問題ないと思います」とのこと。ホッとした。
その後触診していただくが、やはり各リンパ節の腫れも変化なく、足のむくみもない、縦隔のリンパ節も呼吸を圧迫しておらず、変化なし。ただこういった横ばいの状態であっても、前回のMARKでは骨髄の中の細胞には変化というか進行が見られたので、久々にまたMARKをやることになった。うへえ、イヤだなあと思ったが仕方がない。今日帰りにするか次回の診察前にするかというので、もちろん次回ということにしてもらう。診察は10分ほどで終わり、礼を言って出た。連れのところへ戻って合流し、地下の会計へ行き、3000円ちょい支払って終了。
連れには歩きつつ変化なかったと告げ、病院の外に出る。ずいぶん気温も上がっていて、気持ちがいい。いつもの病院前の道ではなく、散歩がてら住宅街の裏道を入って川越街道へ抜ける。ゆっくりと歩いて川越街道からハッピーロード商店街を通り、そぞろ歩く。連れの和菓子、薬局でうがい薬、弁当と惣菜などを買い、東武東上線の線路を越えてミスドで一服。俺はカフェオレとカレーパン、連れは氷コーヒーとドーナツを食べた。この頃にはもうポカポカ陽気で、外はコートなしの人もいた。俺たちの隣の若いカップルの女の方はTシャツ一枚で、びっくり。いくら何でもあれはやりすぎだろうと小声で話す。その後タクシーで自宅まで帰る。「変化がない」ということそれ自体が奇跡的なことだなあと感謝。
関連記事
2007-02-16(Fri)

41歳、丈夫で長持ち

スポーツ・バラエティ「ナンだ!?」(テレビ朝日系)に古田敦也と山本昌が出演した。二人とも俺と同じ65年生まれの41歳、しかも彼らは現役の、それも第一線で活躍するプロ野球選手だ。41歳と一口に言うけれども、自分が病気でなかったとして考えても、本当に信じられないほど物凄いことだと思う。まあメジャーリーグでは40歳オーバーの選手はたくさんいるとはいえ、日本の選手は高校野球で若いうちに猛烈に消耗させられたり、間違った精神論で「鍛えられ」たりすることで選手寿命を縮めていることも多かったから、たいしたもんだと感心しきり。
さて司会のウンナン・南原が番組冒頭、二人にお互いの凄いところを挙げろと言い、古田は山本昌の「投球術」をフリップに書き、褒めた。曰く球速は135km/hと平均以下ながら、オールスターで実際自分が受けてみて、打者の裏をかく投球術が素晴らしかったと評価した。まあ、それはもうその通りで誰もが認め知っているところである。山本昌が去年史上最年長でのノーヒットノーランを達成したのは記憶に新しい、そしてもちろん今もって第一線の投手でいるわけで、それはまさしくそのクレバーな投球術によるものなのは野球ファンなら誰でも認めるところだろう。
続いて山本昌が今度は古田の凄い点をと言われて書いたのが「瞬発力の無さ」。これにはスタジオ一同一瞬唖然とし大爆笑。ところが山本昌は大真面目で、曰く普通の選手は瞬発力があるのでそれに頼り、その結果どこかにそのひずみが出るという。古田はそれがないので、長くやれているのだ、と。実際のVTRを見ると、古田は投手の球を捕球すると、ボールを握った右手を頭上高くに一度上げてから、振り下ろして投手へ球を返す。これは瞬発力や力で放っているのではなく、自然の力を利用して無理なく投げているということだそうだ。古田はそれを聞き「その通りです。説明できるのが凄い」と驚いていた。なるほど、なまじ瞬発力が凄いと体に無理をさせて怪我をしたりもするだろうし、筋力に頼っても、同じだ。古田は投球や打撃も「基本的には回転運動だと思ってますから」と言っていた。山本昌は古田のプレイを見て、そういうことをちゃんと的確に理解していたわけだ。一流のアスリートなのだから体が優れているのはもちろんのこと、こういうところ=頭脳明晰なところが、体に無理をさせずとも長く第一線でアスリートたり得ている秘訣なのだろう。
…そしてフと思ったのだが、とすれば清原が怪我が多いというのも、年齢を重ねてから筋力をつけるという「間違った方向」へ向かったためではないかと。
関連記事
2007-02-14(Wed)

「痛み」について・・・大杉君枝さんの自殺に思う

日本テレビのアナウンサー、大杉君枝(旧姓・鈴木)さんが2月3日に投身自殺をしたニュースは、当日のネットで知った。実は連れ合いの次女Yちゃんの親友で我々夫婦とももちろん長年面識のある子と旧姓が同姓同名(漢字は違う)なので、テレビで見かけるたびに「あ、キミエちゃんだ」などと言い合っていた。そういう「遠いのだが近く思っている人」の死、それも自殺という形に驚くと同時に、何故という思いが強く湧き上がった。
君枝さんは昨年10月に男児を出産後から原因不明の難病「線維筋痛症」で悩んでいたという。全身に絶え間ない痛みを伴う病気で有効な治療法も、発症の原因なども分かっていないという奇病だ。日夜痛み、痺れなどに苦しめられ、不眠や疲労感から鬱病などの精神的症状が見られることもあるというが、今回の自殺の原因がこの病気に悩まされた挙句ということは間違いないのだろう。
離婚、再婚〜高齢出産で念願の子宝を授かったばかりの幸せの絶頂で、その幸福と引き換えのように襲った病魔との闘い。その結末を自ら命を絶つという方法で選択した心中は、察するに余りある。

実は今更このことをこうして思い出しているのは、「痛み」について今朝から考えさせられているからである。

今朝・早朝、痛みで目が覚めた。時計を見ると6時。傍らには猫が丸くなっていつものように密着して寝ていて、その向こうには連れ合いの背中も見える。胸部から下腹部全体までのなんともいえない痛みというか疼きというか、そういう不快感でじっとしていられない。寝相を左、右、仰向けと変えてみるがどの体勢も不快で仕方がない。しばらくはそのまま悶々としていたが、ひょっとして排便すれば治るかもと、トイレに立ってみたが、少量の便が出たものの痛みは収まらない。布団に戻れば、また便意が来た時の出入りで連れ合いを起こすのも可哀想なので、居間のソファに暗いまま横になる。
主治医のU先生によれば、俺の脾臓は通常の数十倍に巨大化し、下は骨盤まで達しているという。当然胃などの臓器も圧迫されて、腹腔の中の空間でおしくら饅頭をしているような形になっているのだろう。時々消化不良を起こしたり、便秘になったりするのは病気になってからの運動不足もあるのだろうが、やはり臓器が圧迫されている物理的な要因もあると思う。気を紛らわすためにテレビだけつけて凝視していると、連れが起きて来てどうしたと聞くので、いつものことだと説明する。
痛みは転げまわるような最上位の激痛を10とすると、今の自分の痛みは2,3といったレベルだ。なので痛みそのものは我慢できないというものではない。けれど、従来脾臓が収まっているべき位置が日常的にズキンズキンと疼くことがある。またある時は、骨盤のあたり、脾臓のエッヂあたりが圧迫されて痛むこともある。またある時は、胸の縦隔にあるリンパ節がズキンズキンと痛む。脾臓に圧迫された肝臓のあたり、右のわき腹から背中にかけて鈍痛がすることもある。こういった一つ一つは弱い、レベル1〜3くらいまでの痛みが単独である場合は、お笑い番組なんかをみてワハハハと笑っていられるし、もちろん食べたり寝たりも普通に出来るのだが、3つ4つと重なった場合は、胸部から下腹部全体にかけてズキンズキンピリピリビクンビクンモヤモヤと、痛みやら疼きやら圧迫感やら、なんとも言えない不快感に覆われることになる。これは単に歯の痛みがレベル9で…というような痛みそのものの不快感に匹敵するようなことになるのだ。
癌宣告をされる前、脾臓の腫脹が今ほどではなかった頃、よく正中のあたりに時折鋭い痛みを感じることがあった。今にして思えば、それは縦隔リンパが腫れて疼いていたのだと思うのだが、当時はストレスから心臓が痛んだのだろうかとか、タバコの吸いすぎで肺がやられたのかとか、いろいろ心配した。また入院中も、脾臓のあたりがズキンとするたびに、とうとう癌が本格的に暴れ出したか、脾臓は破裂しやすいというが大丈夫だろうかと、そのたびにイヤな気分になったものだ。
人間というのは適応力に優れた生き物であると、つくづく感心している。こういう健康な人たちなら血相変えて病院へ駆け込んでもいいようなことも、慣れてくると我慢できるようになるものだ。自分のような巨脾になると、うつぶせには寝られない。寝られないどころか、日常腹を下にして読書したり、運動をしたりなどは一切できない。最初はひどく落ち込んだし、実際不自由も感じたものだが、今ではそれにも慣れてしまった。多発する痛みも、同時多発的に襲われない限りは、外から知らない人が見れば健康体と思われるように暮らすことが出来るようになった。
しかし世の中には、激烈な痛みが、しかも同時多発的に、さらに絶え間なく襲う…という病気がある。先の君枝さんがかかり自ら死を選ぶことで絶つしかないほど、それは苦しいものだと思う。

連れ合いも右の腎臓の摘出手術後( 編集長日記 2002−3)、杜撰な処置のためにその後一年以上、激痛に悩まされた。手術痕が時折カミソリでスパッと切られるような痛み方をし、患部全体がビクンビクンと強烈に24時間疼くのだ。当然眠れず食欲も失せ、四六時中横たわっては眉間に皺を寄せてウンウン唸り、そんな中不定期に襲うカミソリの攻撃に悲鳴をあげる。その合間に小刻みに浅い睡眠が取れるか取れないか、という状態がしばらく続いた。あまりにひどい時は救急車を呼び、手術をした病院へつれて行ったりもしたが、執刀医は「処置はちゃんとしてあるし手術痕も異常はない」と言い、最終的には「気のせい」と放言した。その後ペインクリニックへ通っては無駄足になり、この漢方がいい、この薬がいい、これが神経にはいい、この整体が効くなど、あらゆる方策を試しては、徒労に終わった。
今連れ合いは時々ビリッと右腹部に痛みが走ることがあるが、その他は低気圧が近づくと疼き、鈍痛がするという状態だ。ここまで回復したのは何でもない、「時間」が解決してくれただけのことだ。ひどい手術のせいで(結局腎臓は脂肪腫という良性の腫瘍であった)神経ごと腹筋も寸断され、連れ合いの右わき腹は醜く歪み、ぽっこりと腫れている。くしゃみをする時は患部を抑えていないと、腸が飛び出そうで怖いという。ベルトで締め付けられないので、近所の洋裁をやる奥さんに頼み、オーダーメイドでオーバーオールを何着か作ってもらい、それを外出着にして大学にも通っている。何も知らない人たちは「その服可愛い!」と言ってくれるそうだ。

痛みは感じている本人にしか解らない。医師の中には人の痛みが解らない連中がいて、こういう「原因不明」の痛みを訴える患者をせせら笑い、気のせいだ、他へいけと突き放したりする場合もある。「今ここにある痛み」を「今訴えている患者」に対し適切な処置をしようというペインクリニックが出来たのはつい最近で、まだまだ数も少ない。
君枝さんの「痛み」は死をもって解放されることを望むほど、激烈なものだったのだろう。改めて、ご冥福をお祈りする。
関連記事
2007-02-12(Mon)

親孝行、したい時には…

2月12日(月)
今日は連れ合いが大学へ卒業生の成績判定について会議があるために、日帰りで出勤するという日。7時半ころ、先に起きて支度していた連れ合いに「行ってきますよ」と起こされる。その後しばらく朦朧としてから起きると、外は快晴。今日も気温は平年に比べて高いようす、本当に今年の暖冬は異常と言えるレベルだ。そういえば、毎年寝室のエアコンは弱く暖房をタイマーでつけて、枕元に加湿器を置いて寝ていたものだが、この冬は一度も暖房をつけていない。
朝は9時過ぎに野菜スープ、バタートースト1枚を一人で済ます。ネットでニュースを見てから仕事をしていると、11時ころ清竜丸のマスターから電話があった。実は店のフライヤのデザインとオペレートを頼まれていたのだが、そのデータとラフを持ってこちらへ来るという日だった。しまった、掃除もしていないのでとっちらかっている。ていうかいつもとっ散らかっているが今回はいつにも増して、とっ散らかっている。それはそれは、とっ散らかっている。なのでこちらも買い物があるので近くまで出るというと、じゃあ志村坂上で12時に会いましょう、ということになった。
着替えてバスに乗り、坂上のマクドに着くと、12時10分前。マクドのカウンタ前は昼どきなので行列が出来ている。この行列はいただけない。元々行列に並ぶのは大嫌いだが、レジ一つに一列ずつ並んでいる。これはたいそう非合理的で不公平な行列である。どこへ並ぶかで待たされる時間が変わる、つまり早く来た客が早くオーダーできるとは限らない、それはそれは不愉快な「並ばせ方」だ。こういう店側で配慮すべきことに全く頭を働かせない店というのは並ぶに値しないので、マスターの携帯に電話する。マスターはもう2階でドリンク飲んでるというので、暖かいから外のテーブルで話しませんか、といって降りてもらった。
連れ合いが酒を飲めなくなってしまってからすっかりご無沙汰しており、マスターに会うのも久々だ。とりあえず挨拶もそこそこに、外のオープンテラスのテーブルで打ち合わせをする。それにしても2月にこんなことが外で出来るっていいんだろうか、温暖化。いつもなら一年で一番寒い時期だよ。フライヤの件はデザインの希望などをざっくりと聞いて、メシでも食いましょうかということになり、城山そばへ行く。二人とも小上りに上がって、とろろせいろを頼み、世間話。
マスターは今年になって「もう二人ブッ飛ばしました」と言っていたから、相変わらずの様子(笑)。鮮度を売りにするような海の幸や創作料理、各地から取り寄せた地酒など、凝ったサービスを考えても客層が合わないと、一度は迎合しかけたこともあったが、やはり自分は自分、思った道を貫こうと思ったという。そうそう、丸くなったりレベルの低い客に迎合するようじゃマスターじゃないっすよ、と話す。
そこでそばが来るまで15分ほど病気のことやいろいろ話し、そばを食べつつ、また食後と合計40分くらい話して、結局ご馳走になってしまった。申し訳ないです。その後買い物があるのでスーパーまで歩行者天国をそぞろ歩き、スーパーの脇で別れた。マスターは実家のお母さんが最近足が痛いというので、足を揉みにいくといっていた。「揉むのは足ですよ足、変な想像しないで下さいね」と言われて路上で爆笑。親孝行、思った時にすぐに出来るというのは羨ましくもある。
関連記事
2007-02-07(Wed)

渡辺和博さん死去

渡辺和博さん死去=「マル金、マルビ」で流行語大賞
2月6日18時32分配信 時事通信
 ベストセラー「金魂巻」などで知られるイラストレーターでエッセイストの渡辺和博(わたなべ・かずひろ)さんが6日午前1時46分、肝臓がんのため東京都新宿区の病院で死去した。56歳だった。広島市出身。雑誌「ガロ」の編集長を経てフリーに。独特のヘタウマ風のイラストと軽妙な文章で人気を博す。「金魂巻」(1984年)は職業ごとに「マル金(金持ち)」と「マルビ(貧乏人)」に分けて解説。この言葉は第1回流行語大賞となった。ほかに「金魂巻の謎」など。

朝、当ブログへのアクセスがまた急上昇しているので、アクセス元を調べて驚いた。渡辺和博さんが亡くなったという。渡辺さん、昔からの友人や長井さんは「ナベゾ」と呼んでいたが、俺たち「ガロ」の後輩はせいぜいが「ナベさん」で、ご本人の前ではもちろん「ワタナベさん」であった。
画風や著作などに関しては皆さんもご存知だろうし、見ることも出来る。人柄というと、実はぶっきらぼうで生意気な印象を与えるようなモノ言いで、誤解を受けることも多かった人だ。それをうまく伝えるのは難しいのだけど、例えばつまらぬことで「あーもう死んじゃいたいよ!」なんて言うと「じゃあ死ねばぁ?」と即座に真顔で返されるというような感じか。
俺も「ガロ」に入ったばかりのころ、電話を受けるとぶっきらぼうな男の声で「渡辺だけどぉ、ヤタベいる?」と言うので「は?」と聞き返すと「アンタ誰ぇ?」と言われて「新しく入ったシラトリですが」というと「ふぅん。でヤタベは?」みたいなやりとりがあった。そのとき先輩のヤタベさんは留守で、そう伝えて切った後長井さんにそのやりとりを報告すると、長井さんは笑いながら「ナベゾらしいや、あいつはいつもあんな調子だからよ、気にすんな」と言われた。
当時は渡辺さんが「ガロ」編集部をやめて独立し、「金魂巻」が空前のヒットをした直後だった。(ちなみに今各種メディアで活躍されている神足さんとほぼ組んで作られた本だが、当時は100%「ナベゾの本」としか認識されていなかった)渡辺さんはイラストレーターとして「ヘタウマ系」では当時すでに人気だった。
先に「ガロ」編集長からフリーの「イラストライター」として人気になっていた「おにぎり顔」で有名な南伸坊さんと共に、よく他社の人から「「ガロ」って作ってる側も凄いんですねえ」と変な感心をされるとうか、評判を高めた人である。

南さんが「ガロ」系の集まりによく来てくださったのに比べると、渡辺さんはあまり顔を出さなかったという印象がある。理由はよく解らないが、酒を飲まないから、というのがヤタベさんの説明だった。
また先輩の漫画家の誰かにお聞きしたのは、「ナベゾは基本的にみんなとワイワイやるのが嫌いなタイプなんだよ」ということだったが、それが本当なのかどうかは知らない。ともかく、俺の場合は後輩ではあったが、あまり交流はなかった。

ずいぶん経って、何かの撮影で神保町の材木屋の二階にあった青林堂が使われた際、渡辺さんも来られたことがあった。こちらはくるくると集まった皆さんのお世話をしたりしていたのだが、谷間に渡辺さんとちょっと話したことがある。
「シラトリ君はさあ、どこ出身?」と言われ「あ、北海道の函館です」というと「ふうん、イナカなんだあ。イナカから出てきてこんなとこで苦労してんだあ。」と全く表情を変えずに言われた。そして「早いとこ卒業してビンボーやめないとねー」と言われた。ああ、懐かしい。今思い出すと、無表情に見えて、丸いメガネの奥で細い目が笑っていた。
その場はこちらは笑いながら「そうですね、頑張ります〜」みたいな答えを返したような気がするが、すぐ傍には社長である長井さんもいたので「こんなとこで苦労」へ反応しないかヒヤヒヤしたものだった。もちろん聞こえたところで長井さんは笑うに決まっているが。

以前当ブログ内の渡辺和博「ホーケー文明のあけぼの」でも述べたように、渡辺さんは鋭い観察眼と批評眼で世間をじっと見つめ、ズバっと爽快に斬ってみせてくれた。その鋭い指摘は今の俺にも多大な影響を与えてくれている。
その後、もっとうまい形で後追い・パクリをやった人はたくさん、いる。というより影響を受けて、「こういうのもアリなんだ」ということに気付かされた「後輩」は数多いだろう。ご本人はああいう性格というか人当たりの人なので、誤解を受けることも多かったろうし、その後順調に業界でそれなりの地位を固めた…かというと、必ずしも正当な評価を受けていたようには、少なくとも俺からは、見えなかった。
何年か前、業界志望の学生が渡辺さんに密着し、そこから何かを学ぶ…みたいな番組がNHKかどこかで放映されたことがある。たまたま偶然それを見たのだけど、その時の渡辺さんはロケで「ガロ」青林堂ゆかりの神保町近辺、材木屋の二階へも行ったりした。若者にもぶっきらぼうながら、ずいぶんと暖かく接していた。丸くなったのかなあ、なんて勝手に思っていたが、もっともっと仲の良かった人たちの話では、「ナベゾはあったかい、いい奴だった」ということだから、俺が知らないだけだったのだ。
今ごろは天国で長井さんに会って、「遅かったじゃねえかよ、飲め!」なんて言われて、飲めない酒を無理矢理飲まされているのかも知れない。合掌。
関連記事
2007-02-05(Mon)

CT撮影の日

朝10時ころ連れ合いに起こされる。今日は日大病院で腹部と下腹部〜骨盤あたりのCTを造影撮影する日だが、撮影は2時20分予約。いくら何でもそんなに急がんでもと思ったが、ゆうべ遅かったとはいえ世間的にはもうとっくに皆さん起きている時間。そのまま起きる。造影剤を入れる場合は撮影の1時間前から水分はダメ、食事は3時間前までに済ませておけというお達しなので、朝は野菜スープ、昨日連れ合いに帰りがけ京都の進々堂で買ってきてもらったコーンドビーフ&レタスサンドでしっかり食べる。それにしても美味。どうしてこうも違うものかと感心しながら食べる。ごくごく普通の、地下街にあるパン屋さんで売ってるバンズにレタス、ビーフハムを自家製マヨネーズで挟んであるもの。なのに、東京の一流と言われるパン屋のパンの数倍うまい。水とか粉が違うんだろうか。ていうかこれまでの人生で何十回と裏切られてきた経験から、東京の名店とかグルメ情報というものを一切信用してないが。

1時半ころ支度をして、連れが散歩がてら一緒に行くというので二人で出る。今日も晴天、2月のこの時期なのに暖かい。バス停横でタクシーを待っていると、近所のタクシー会社の車庫からちょうど出てきたばかりの空車をつかまえる。病院には2時ちょいに付き、内科受付で連絡票をもらい、放射線科受付へ。そこで第三CTで取るが造影剤を入れる準備があるので13番のレントゲン室前つまり処置室の脇で待てと言われて、連れには病院地下入り口横にあるスタバで何か飲んで待っててと言って、裏の処置室へ廻る。
そこで10分ほど待たされて、ようやく処置室に呼ばれたので入ると、今回は下腹部だがズボンを下げればいいというので着替えはせずに済む。そこから看護婦さん(看護「師」という意味不明の単語はどうしても使えない…)が「血膠内科の患者さん、造影剤ありますのでお願いします」と電話で医師を呼んでおり、さらに10分近く経って、呼ばれた先生が来た。マスクをしていたが「あれ?」と思ったらやはりMDr.。一昨年、入院していた時の医師団の一人であったM先生だ。向こうも「あ、白取さん? お久しぶりです」と笑顔で挨拶をしてくれた。「お変わりなさそうですね」と言いつつカルテをふむふむと見て、俺の方も「あの後全然変化がなくて…」と言うと「そのようですねー、良かった良かった…」と言いつつ、俺の右手に針を刺し、生理食塩水の入った注射器をつなげた管をつなぎ、看護婦がそれを丸めて腕にテープでとめる。この注射器の途中からCT撮影時に造影剤を入れるためだ。MDr.はその処置をしつつ「ブログやられてるんですよね」と言うのでびっくり。「えっ、見てるんですか?」と聞くと「最近はあんまり見てないすけど」と笑われた。いやー赤面。
その後廊下で待ち、5〜6分ほどで前の2人の撮影が終わり、俺の番。下半身はパンツ一丁になり、バスタオルをかけた状態で仰向けに台の上に寝る。造影剤は何度も入れてるので看護婦さんの問いにもそのように答える。最初は造影剤なしで2回ほど撮影され、最後に造影剤を入れて撮影。前は入ったことも自分で気がつかないくらいだったが、今回はホンの少しだけ喉の奥と肛門のあたりがジワリと熱くなった感じ。撮影が終わるとMDr.がそばにきて、「あんまり変わってないみたいでしたね」と言ってくれたので、「大きくなってませんでしたか?」と聞くと「ええ、ほとんど解らないくらいですね」とのこと。自分でもそうだろうとは予想していたものの、やはり医師にそういわれるとホッとする。お礼を言ってズボンをはき、CT室を出る。
そのまま会計受付へ出して番号札を貰うと2009番。すげえ、午後はこんな数になるんだ…と思いつつ、精算機の前で掲示板に自分の番号が出るまで数分待ち、1万円ちょっと支払って終わり。連れ合いがちょうどいいタイミングで脇に来たので、俺は小腹が空いたのと、水分をよくとってくださいと言われてたので、スタバでスターバックスラテとドーナツを一個買う。連れ合いは一度飲んだそうだが、つきあってもう一杯アイスラテと小さいケースポンジケーキみたいなのを注文。そのまま二人で椅子に座って食べた。

病院を出て、いい天気の中てくてく歩いて大山ハッピーロードを大山駅方面へ散歩がてら歩く。そういえば入院の日、病院へ通じるこの道に面した民家が火事で、消防車が何台も来ていて車が入れず困ったっけ、なんて話をしつつ。入院したばかりの頃は、数年後の自分がどうしているか、いや果たして生きているのかどうかも解らなかった。今こうやって暮らしていられることがしみじみと有難い、真冬の午後であった。
関連記事
2007-02-03(Sat)

異様な朝の光景

珍しく8時に起きてしまった。外を見ると天気もよくポカポカと暖かい。昨日はあんなに寒かったのに…と思いつつ買い物もあったので、バスに乗って志村坂上へ出かけることにした。坂上にはとびきりうまいフレンチローストの挽きたてを格安で売ってくれる「ジンコーヒー」があるので、買いだめするのだ。
バス停までてくてく歩いてバスの時間を確認してから後ろへ下がると、背後は巨大はパチンコ店である。あの、正月に「ウルトラマン」で爆裂したあの店だ。10時開店だが、17号に面したドアは閉じられており、その前には誰もいない…と思ったら、裏口の方にチラチラと人影が見える。ふうん、開店前に並んでる人ってやっぱりいるんだわなあ、今は陽が登って時間が経ってきたから多少は暖かいとはいえ、それでも「今の時期にしては」だから、ご苦労さんなこったなあ…と思うと同時に、ちょっとどういう人種なのか興味があったのと、バスまで5分ほど時間もあったので、裏口の方へ歩いていった。
10時まであと数分。4、5人が列を作るでもなく、入り口の閉められた自動ドアの手前を取り巻くように、ぱらぱらと所在無げに佇んでいる。学生風2人が鼻を赤くして白い息を吐いている。そうか、ここは裏口で陽が当たらないから寒いのか、小刻みに体も震わせている。一人はマスクをした主婦らしき中年女性。もう一人は毛糸の帽子をかぶったおじさん。もう一人は携帯でメールかWEBを見ている若者。自転車で今到着したというおっさんが自転車にガチャリとカギをかけて歩いてくる。
…ふうん、と思ってそのままバス停へ引き返そうとすると、異様な気配に気付いた。何だ。大量の人の気配がする。どこだ。振り返る、上を見る、とパチンコ店の上は何層にも重なった巨大駐車場になっているのだが、その非常階段に人の列があったのだ。人の声もせず、でもひしめきあっている。とぐろを巻いている。ギョッとした。
店員が先導して非常階段を降りてきた。少しざわつき始める行列。それでも人数の割りにはずいぶんと静かに、ぐるぐると非常階段を降りてきて、先頭が裏口の自動ドアの前に到達した。しげしげと見ていると、らせん状の非常階段には大人しく長蛇の列が上までまだ続いている。十人や二十人という数ではない、百人以上いる。さらによく見ると裏口の脇には駐車場の昇降用エレベータがあるのだが、張り紙がしてある。
『優先入場券を持っている人は駐車場何回のエレベータ前のこの位置に、入場券希望の客はこの位置で抽選券を貰い、番号順にここへ』というような指示ががあって、「整理券配布9時40分」と書いてある。すげえ、土曜とはいえ早起きしてパチンコ店に、それも行列作って並ぶんだ。新装開店でも新台入れ替えがあるわけでもない、「イベント台」という名の高設定の機種を打つためだとはいえ、凄い根性だ。全員が徒歩1分で来られる俺のような近所の人間じゃないだろう、とするとやっぱり8時前にゃ起きて戸田橋越えて来てる連中もいるわけだ。夫婦で来てるような30歳前後のカップルも意外と多い。そんな行列が店員の先導に静かに従い、ドアが開けられるとゆっくりと店内に吸い込まれて行った。最初から遠巻きにしている一般客は、その行列が入っていくのをやはり無言で静かに待っている。ということは、同じような時間に早起きして来ているのに、この「早起きして店まで来てクソ寒い中外気にさらされた駐車場で整理券もらって抽選で列作ってウンタラ」という「しち面倒くさいルール」を知らないか、あるいは単に面倒だと思っている人は、従順な行列客たちの入場が済んでから、彼らの「残りカス」台をあてがわれるというわけだ。同じ客なのに。
ああして朝の寒い中、並ばされ、文句も言わず、店の言う通りのシステムに何ら疑問も持たずに従う客だけが毎回、高設定のイベント台で遊ぶ権利が与えられるってわけかあ。こういうシステムなら、いかに常連になったとしても、早起きが嫌いだとかふらっと遊びに来たとか、つまり好きな時間に来て遊びたいというような呑気な客は、一切出せないんだろう。つまり俺みたいな熱心じゃない客は眼中にない、と。よく考えたらあくどい商売だわなあ。客と店と相互了解が出来ている、いわばいつも一定の「仲良し」同士が馴れ合い、それ以外の一般客には一切優遇は与えず、残りカスで遊べというんだから。いや、出したかったら店の言う通りにしろと言われて従ってるんだから、それくらいの見返りは当然なのか。いや待てよ、全部が出る台とは限らないから、ああやって子羊のように言うことを素直に聞いて並んだ結果、スカンピン(死語)になることもあるわけなのだが。
俺が呆れてバス停へ引き返そうと歩いてたら、自転車で来た小太りの主婦が携帯で誰かに「あ〜ん遅れちゃった、優先入場逃しちゃったぁ〜、どうしよう、誰か諦めるまで台空くの待ってる?それともフェスタ(近くの別の大型店)行く?でもアソコも土日はイベントで行列だと思うのよ、ああーんもうアンタがぐずぐずしてるからもう…」と話している。やっぱり「残りカス」ではダメなんだろう。どうせなら会員カード発行してるんだから、会員番号を乱数で抽選し、毎回50人とか100人とかの番号を掲示して、その人らを優先入場というシステム作ればいいじゃん。そうすりゃ毎回会員=常連が公平に入場できるのに。ちょっとは考えれば、ガーデン板橋さん(笑)。

長くなったが何か釈然としない異様な光景を見てしまったのでレポートしてみました。「パチンコ店に朝から並ぶような人」になったことは今までほとんどない(たまたま、そういうことになってしまったことはある)し、今後もないだろう。ということは、こういうシステムの店ではよほどの強運がない限りは「絶対に勝てない」わけで、そのような強運は生きることに使いたい俺としては、やっぱりギャンブルなんかやってる場合ではないのだ。パチンコはもはやフラリと遊びに行く「庶民の身近な娯楽」ではなく、目を血走らせて早朝から並んでやる「生きるか死ぬかの鉄火場」であることを再確認したってわけです。
[パチンコ「ウルトラマン」に花束を 続報]なんかで台のこと褒めたりしてアレですが、くれぐれも、今のパチンコにハマってはいけませんよ、皆の衆。
関連記事
2007-02-01(Thu)

声のデカい奴

23歳の学生さんから拙記事「 朝青龍注射疑惑と最近の大相撲」中
とかく物理的なだけでなく「声のデカい奴」が正しいと誤解するような風潮に嫌気がさす
という部分がよく解らないのですが、というメールをいただきました。非常に暖かく礼儀正しい丁寧なメールだったので丁寧にお答えします。すいません解りにくくて。つくづく自分は表現者ではないことを思い知らされます。(よろしければこちらもご覧ください=「■声のデカい奴ほどよく喋る」)

えーと、「物理的に声のデカい奴」は解りますね(笑)、ディベートの最中に大声で相手の発言を遮り、他人の発言を封殺し自説だけをまくし立てるとあとは反論に耳を貸さない、という残念な脳の人です。自分の経験上、だいたい普段の地声がデカい人は恥知らず、という割合が高いです。(障害者の方は別です、もちろん)連れ合いも言ってますが、新幹線のような「公共の乗り物」で「不特定多数の見知らぬ人」と狭い空間を共有しなければならない場所で、まるで自分ちの居間みたいなくつろぎ方が出来るくらい、恥知らず・公共&マナー意識が欠落している「残念脳」の持ち主は、意外とこの国って多いんですよ。
では「物理的じゃない声のデカい奴」とはどういう人種かというと、要するにテレビなどのマスコミに発言の機会をたくさん持ってる奴、ということです。まあ「タレント」と称する連中や「芸能人」と言われる人種ですね。ほとんどがタレントを持たぬタレントであり芸が無い芸能人だったりすることが多いですが。これを物理的にデカいと言ってもいいんだけど、いやむしろこっちが物理的にデカいのでは、とさえ思うんすが、解りやすく言わせてもらいました。本来は「実際に声のデカい人/発言がデカく=広く伝わる人」、でいいんですけど。
例えばテレビタレントがテレビでおバカな発言をしたとします。それを見た視聴者なりが個人的なブログでバカを糾したり指摘したり、まあ批判のようなことを書きます。するとそれをたまたま検索などで見たタレント本人が、今度はテレビで「俺はこういう意味で言ったんだ、バカ!」と反論(言い訳)します。個人のブログを見た人とテレビでそのタレントを見ている人の数は恐らくケタが4つ5つ、違うはず…いやもっとか。ともかくほとんどの何のことか解らぬ視聴者は「ああ、世の中には細かいバカがいるんだな」で終わります。その際「双方の言い分をちゃんと比較検討してどっちが正しいかを判断してくれる視聴者」なんてほとんどいない。こういうことってよくあるよ。
声のデカい奴、つまりそれなりの発言力・発言の影響力を持つ人間、というのはその実績と見識が評価されて起用されている場合はいいのだけど、テレビの場合は見ているとけっこうそこら辺が「なんでコイツが?」というヤバめの人が出てることも多いから、本当は注意が必要なんすよね。弁護士とか元検事とかが公判や事件など以外の、芸能ニュースや海外ゴシップに意見求められてもねえ(笑)。またそういうのに本人もよしゃあいいのに無理やりコメントしてもなあ(笑)。だいたい日本の場合は司法試験通って長年検察だの弁護士だのやってる人たちほど、「世間」ってものを知らないんだよね。そういう意味では芸能人もキャリア官僚も「知らない」ということでは同じレベルだ。
元々自分のフィールドでの業績なりが評価され、その範囲内での専門的発言を求められてテレビなりに出演し、意見を言う場合などはもちろん問題ない。犯罪研究家や犯罪心理学・社会心理学などの専門家が事件の犯行動機について意見を述べるとか犯人像をプロファイリングするとか、まあそういうことは許される範囲だろうとは思う。頓珍漢な「専門家」もたまにいるけど。『発掘!あるある大辞典?」の納豆ダイエットヤラセ放送問題みたいなことって、テレビの世界では実は日常的なことだ。多かれ少なかれ、自分らの都合のいい発言をしてくれる「専門家」を選んで出演させているからだ。ワイドショーやニュースショー(純粋なニュース報道ではなく)に出てくる「コメンテーター」という人たちも、まあ自分のご専門以外のことについて「いやすいません、専門外なのでコメントできる立場にありませんので」と言ったら次から仕事は来なくなるんだよね。

ちょっと話がまた逸れてアレなんすけど(笑)、インターネット時代とくにweb2.0なんて言われるようになった今、あまりのトンデモ発言は、祭だワッショイになるわけで、声がデカいからといって反論を封殺できるような時代ではなくなりましたよね。でもそういったネット社会がマスコミに対抗できるか、と言ったらまだまだそうも言い切れない。やっぱり声が大きい連中が反論があっても耳を貸さずに、それこそずーーーっと大音声で言い続けられると、何となくそれが「正しいこと」であるかのように思う人の数も、その分増えていってしまう…という現象は現実にたくさんあります。まあ俺しか言う人間がいないのでまた言うが「ガロ」のクーデター事件が「カリスマ創業者死去のあと新社長が求心力を失い、社員が一斉退社し別会社を興した」で総括される、というようなことも、結局はクーデター組にマスコミが利用された結果であります。(詳しくはこちらをどうぞ◆日本のサブカルチャーを考える−「ガロ」とコミックを中心に・page11〜)。

発言力の大きい、つまりマスコミに影響力のある人種でエロ小説家のW・Jという人がいますね。ええ、誰でも知ってる、いや日本のオッサンやオバハンならほとんどの人が知ってる大エロ小説家ですよこの人。俺の連れ合いがたまたま読んでいた週刊誌の連載コラムで、この作家が料理屋で焼き魚を頼んだら皮つきで出てきた。この作家魚の皮が大嫌いだそうで(笑)、「何でこんなものをつけて客に出すんだ、本来皮なんか料理として食わすものじゃない」と激怒。料理人は「この魚は確かに本物のこの魚です、という意味で皮はつけるんです、お嫌なら残して結構です」みたいなことを返答したそうだ。細部ちょっと解りませんが大筋こんなやりとりだったらしい。うちの奥さん思わず新幹線で声をあげて笑いそうになったそうですよ。
どうすか、この双方の見事なバカぶり。作家も作家なら板前も板前ですよ。魚好きなら誰でも皮そのもの、あるいは皮に付随した部分のうまさを知ってますね。そうです、皮はうまいから、くっつけて出すんですよ。皮が食えないような鮮度、あるいは食えない種類の場合は外す、それだけの話です。こういうある程度尊敬も集め、絶大な知名度を持ち、そして「声もデカい」作家センセイがコレですからね。道理でワケのわからんエロ小説ばっかり書いてると思いました。エロ小説は別にいい、ていうか立派な表現だ。だが純文学とか自分の作品はエロ小説じゃねえと気取ってっから阿呆が透けて見えるんだよ。医学部出ても馬鹿はバカ。

全然話は変わりますが、『愛の流刑地』とか見に行く人ってどういう人種なんすかね?
関連記事
カレンダー
01 | 2007/02 | 03
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 - - -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。