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2007-03-29(Thu)

厄除けのお札をいただく

3月29日(木)
最近には珍しく早起きしてしまい、朝食を食べた後居間でごろりとしていると、10時前にYちゃん(連れ合いの次女、つまり義理の娘w)から電話があり、こっちへ来るという。慌てて俺は今日やるはずだった仕事の作業に取り掛かる。Yちゃんは車で12時過ぎに到着。昨日教え子のU君から送ってもらった菜の花を少しおすそ分けして、あと去年のお札をまだ納めてなかったので西新井大師へ行くことにする。
今日は何と24度という予報通り、いい天気でぽかぽか暖かい…というか暑いくらいである。沿道の桜も一気に満開という感じ。これは今週末が花見のピークだな、と話しつつ車は環八〜北本通り〜環七というルートで足立区へ入る。足立区へ入るといつも思うのは、空が広いなあという印象があるのは俺だけだろうか。
Yちゃんがお昼を食べてなかったので、お大師様の手前のロイホに入った。Yちゃんはオムライスとドリンクバー、俺はドリンクバーにポテトフライをつまみ、連れ合いはパフェだけ食べた。そこを出て有料駐車場に車を停め、なぜかぐるりと遠回りをして裏側からお大師様の境内へ入り、本堂でお参りをする。ちょうど2時過ぎの護摩が始まったところ。こちらのお札は間に合わなかったので、古いお札を返し、新たに俺らとYちゃんの3枚のお札をお願いして、いったん境内を出る。俺は数えに1歳足して43歳で後厄だそうだ。Yちゃんも女の後厄。なのでお札は厄除け安全祈願にしてもらう。
昭和の匂いさて1時間以上、どうやって時間潰そうか…ということになったが、ゆっくり境内をぶらついて参道を見て、環七まで出て大師前駅へ出てまた戻り…としても時間はなかなか経たない。近くの百均までのぞいたりしたが15分ほどしか潰せず、結局ずっと前に連れと来た時に入ったことのある、昭和の終わっていない雰囲気の喫茶店へ入る。パン屋が併設されている喫茶店…と書くと今どきの喫茶店みたいに聞こえるかも知れないが、中の雰囲気は昭和、である。客は年寄りが数人ペチャクチャと元気に会話しているだけ。店員は若い女性が二人だが、気だるい雰囲気である。Yちゃんがカフェオレで俺らはクリームソーダを頼む。しかしこれがメロンシロップ原液の量が多すぎて濃く、甘すぎて往生した。結局アイスだけ食い、ソーダは水で薄めて何とか飲んだ。ていうか無理に飲まなくてもいいのだけど、「もったいない」が信条(?)なもので…。単なる貧乏性か。連れもアイスだけ食べたが、ソーダ部分は全部残していた。それにしても甘かった、カキ氷食うんじゃねえ、つーの。
店を出てからはまたゆっくり参道を歩いて境内へ戻る。参道といっても20mくらいだろうか。小ぢんまりとしていて、両側はだんご屋や縁起物のだるま屋、せんべい屋など。だがシャッターを降ろしている店もあって、今日は何でもない日だからやる気がないようだ。だんごの試食をしきりに勧められるがお断りして境内へ。口の中が甘いんです、すんません。

本堂内・護摩祈祷ようやく俺たちのお札の護摩、3時15分になったので、本堂の畳の上へ上がって座る。俺の膝の関節はおかしなことになっていて、もう正座が出来ないようだ。なのであぐらをかいて護摩祈祷が始まるのを待った。やがて赤い法衣のお坊さんと、4,5人の緑色の法衣のお坊さんたちがぞろぞろと出てきて一礼し、ご本尊様に膝を数回屈伸するような礼をしてから、声明と護摩が始まる。途中の般若心経の部分は一緒に唱えた。20分ほどでお坊さんたちは最初のように礼をして去って行った。その後お願いしてあったお札を受け取って本堂の外へ出る。

本堂を出たところにあったおみくじを引くと、何と「第一番・大吉」、しかも金の招き猫付きでテンションが上がった。このおみくじ(200円)はおみくじに加えて小さな金色の縁起物が入っていて、招き猫、亀、うちわ、恵比須などのどれが当たるかは運次第。いつも招き猫を狙うのだがうちわや亀で、猫が出たのははじめてだ。病は「信じて祈れば治る」とあり、気持ちが安らぐ。Yちゃんも大吉で金の達磨、連れ合いは末吉で金の恵比須が出た。連れ合いはこういう時はだいたい大吉を引く運の持ち主なのだが、今回は微妙。
怪しい出店の品々…それから今度は境内の近道をゆっくり通ってから駐車場へ出る。境内は平日の昼下がり、人でもまばらで、屋台などは皆休み。数店開けているのもあるのだが、スーパーボールすくい・なぜかミシン・お面、である。どれ一つ興味がないというか購買意欲もなし。出店もあり、何か得体の知れない骨董まがいのものが並べてある。古いAVや映画のビデオが無造作に積んであり、少し地面にこぼれてたりしている。今どきVHS、それもたぶんレンタル落ちか何かを見るかなあ。その脇には水晶玉や紫水晶の結晶、変な壷や瀬戸物類も置いてあるが、どう見ても値打ちがあるとは思えぬものばかりだ。冷やかす気にもなれず、そのままスルーして、駐車場へ戻った。
帰りは来た道をきっちり逆にたどって戻った。途中志村坂下のオリンピックで買い物をして、マンション前まで送ってもらって帰宅5時過ぎ。Yちゃんは子どもたち(ニ女)のお迎えが5時半だったのだが間に合っただろうか。
もう5時40分になったがまだ外は薄明るい。ずいぶん日も長くなった、もう春本番だ。
境内の桜も満開だった
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2007-03-29(Thu)

4コマガロ・「長井イズム」のこと

最近、「ガロ」末期の出身である漫画家・福満茂之(福満しげゆき)さんがメジャー誌で活躍されてます。彼が「4ガロ出身」と何かに書かれたのか、あるいはネットでググったらそういう「経歴」(?)が出てくるらしく(…出てきた(笑))、「4ガロ」創設者であった俺のところへも、チラホラ質問が来たりするようになりました。

4ガロ…「4コマガロ」「4コマGARO」「4コマ画廊」、何でもいいんですが(何せ創設者自身が統一していなかったもので)、略称は「4ガロ(=よんがろ)」と呼んでもらえれば、創設者的にはOKです(笑)。
(俺が月刊「ガロ」誌上で読者投稿コーナー「4ガロ」を始め継続した経緯と沿革については「4KOMA GAROU--殿堂」を参照してみてください。)

でメール。
■東京都Sさんから
福満さんは4ガロで白取さんに見出され、本誌デビュー〜アックスへ活躍の場を移しメジャーへという図式でステップアップされてきました(中略)、今やアックスがあの「ガロ」の唯一の継承の場ということで異論はないですよね。
メールありがとうございます…ってイヤイヤイヤ(笑)。
福満さんが今のようにご活躍されるようになったのは、
「俺が見出したから」ではなく福満さんに才能があったから
ですよ。俺が「ガロ」編集部に居た当時、4ガロに投稿いただいた彼の作品(もちろんハガキ)を一目見た瞬間に「あ、これはすぐプロになった方がいい」と俺は思いました。なので、ご本人にもそう伝えたはずです(福満さんは覚えていないかも知れませんが、確か「成年コミックでも何でもいい、とにかくすぐにプロになるべきだ」と)。
もちろん、まだ世間では誰一人として福満さんを知らない頃です。だけどそんなことを偉そうに「俺が発掘した」だの言うつもりは毛頭、本当に心からありません。同じように、自分がいち早く投稿作品を一目見て、瞬間に惚れこんでしまった作家さんはたくさんいますが、例えばその中に津野裕子さんもおります。
でも、そんなことは編集者をやっていれば当り前のことであり、逆に、そういう才能を見落としてしまうような眼力しか持たないのであれば、編集なんかやめた方がいいのです。つまり、俺じゃなくとも素晴らしい才能は必ず世に出たと思う。その場=つまり投稿作品と編集者のファーストコンタクトという最初の場に、幸運にも居られたのがたまたま俺であっただけであって、偶然世に出るお手伝いをしただけ、です。

それより後段
今やアックスがあの「ガロ」の唯一の継承の場ということで異論はない
のくだりに、ちょっと異論あります(笑)。

かつての「ガロ」系の作家さんたち、つまり<「ガロ」がなければメジャーの雑誌や編集では見出せなかった才能>たち、作家さんたちの行き場は、「ガロ」亡き今となって、現実には「ガロ」をクーデターでブッ潰した連中の「アックス」しかない…という意見は多いでしょう。
だが本当にそうかな、最近はマス・コミック(それこそジャンプやモーニング、ガンガンなど)の世界もそうとうにこなれてきてるので、何もアックスに行かなくても、いくらでも「原稿料が稼げてなおかつ自分のやりたい表現が出来る」場がけっこうあると思うんですよ。
恐らくメールを下さったSさんだけではなく、少なからぬ人たちが(そのほとんどが「ガロ」をリアルタイムで知らないと思うが)、
1 元「ガロ」にいた人たちがアックスをやってる
2 もう元「ガロ」はない
3 だからアックスが「ガロ」の継承媒体である
…という単純な構図でモノを見ているのだろう。そこが俺らからすりゃ「オイオイちょ、待てよ!」なわけです。ここで言う俺の「ガロ」は長井勝一の「ガロ」、青林堂の「ガロ」、何といっても俺たちの「ガロ」である。
それは長井さんの引退後の「山中体制」になって終わった…と総括されるなら、それはそれでも仕方がないと思う。だが少なくとも山中体制下になっても、「長井イズム」は継承されていた。
なぜって、それはまだ俺が居たからだよ。つまり、
長井さんご本人から「編集部に来いよ」と誘われ、直接、薫陶を受けた編集者
がいたからだよ。
「長井イズム」って何だと言う人は拙ブログ内のこのへんを参照ください。
ともかく、長井さんは何より「その作家独自の表現・オリジナリティ」を最優先した。絵がいくらうまかろうが、二番煎じや誰かのモノマネには厳しかった。作家には常に、個性を磨くように指導していた。それはもちろん絵柄だけではなく、絵と物語が両輪・一体として表現される漫画という素晴らしい表現のために、何より作り手は「独自の表現を生み出せるだけの感性を磨くべきだ」と伝えた。
そのためにどうすればいいかということは「優れた作品に表現の分野を問わず触れること」だ。そのことの俺なりの解釈は当サイトでも 【漫画家になりたい人へ】としてまとめてある。

「長井イズム」とは確かに、商業主義というか売れることが最優先であるメジャー・マスのコミック界では通用しない。漫画、出版業界でも「だからいつまで経っても貧乏なのだ」と笑う人間もたくさんいたことも事実だ。実際にそう侮蔑された経験も俺は何度もしている。ただ、メジャーの編集者には「ガロ」へのアンビバレンツな思い、つまり嫉妬と憎悪が入り混じったような不思議な感覚を持ち、接して来られた人も多かったと思う。
理想は高く持ちたい。けれどメシを食わねばならない。それは理解できる。
けれど理想を捨ててまで、過度にメシを、いや金銀を集めようというのはイカガなモノか。
何より編集者も人、作家=漫画家も人、もちろん読者も人だ。
ほんとうのキ★ガイに電波系の漫画を描かれても(それはそれなりに別の評価があるけど)、そもそも作品として成立しない場合が多いだろうし、そもそも編集と意思の疎通が正しく取れるかも疑問だ(笑)。
露悪系の漫画をこれでもかと描き続けている人が鬼畜であるという単純な図式も成り立たないのは言うまでもない。ほのぼの系・絵本のような綺麗な作品を描く作家が●★@%д★йとかだったりすることもある。
だがそれらも結局は全て「人」で、人から人へと何かを伝える、訴える表現の一つが漫画である。
いい編集者はやっぱりいい人であるべきだ。
それが俺なりの長井イズムの解釈だ。

だから、自分たちの私利私欲のために嘘やデマをバラ撒いて人を陥れて「ガロ」をブッ壊し、その後作家を丸め込んでてめえらで興した出版社にそっくり版権を移したり、かつての「ガロ」の真似事をしているような奴らがその「長井イズムの継承者」であるわけがない。
ゆえにアックスは「ガロ」の継承雑誌では、ない。
何か反論があるか? 
アックスがかつての「ガロ」の継承者」なんて寝惚けたことを抜かしている人間は、単に不勉強か馬鹿者かどっちかでしかないと、敢えて暴言を吐く。何か反論あるのなら受けて立つのでどうぞ。というとすぐに頓珍漢な反論を寄せてくる阿呆がいますが、一番下にお勉強すべきリンクを掲載しておくのでちゃんと熟読・熟考した上で、来るように。

以前、ここをご覧の方からのコメントで下記のような発言を戴いた。
>現実に「ガロ」亡き後は「アックス」がその世界を継承しているわけですし、あそこ以外には確かにできませんからね
それに対して俺は
その通りだと思います。自分は是々非々の立場ですから(笑)、これも何度も表明している通り、「アックス」青林工藝舎は、「ガロ」の作家を使い、以前の「ガロ」的なことを続けていますから、「ガロ」的世界の継承と言えるでしょうね。それに、実際いい作家を発掘してるし、いい本もちゃんと出してると思いますよ。読者の方々は、結果はともかくいい漫画が読める、作家さんたちは作品の発表の場がある、それでいいんだと思います。
と答えたことがある。

「ガロ」的世界を、<「ガロ」の作家さんを使って「ガロ」みたいな雑誌をやっている>というなら、<その通り>でいい。それに後段の結果としていい本が世に出ればそれでいい、という部分も変わっていない。
でも「おためごかし」はもうやめることにする。俺にはもうあまり残された時間がないようでもある。
「ガロ」の真似事をしたいがために本家「ガロ」をブッ潰す、嘘をつく、犯罪を犯す、そしてそれら全てをまた嘘でごまかし批判にはほっかむりを続けて謝罪も反省もない。
それで「ガロ」の継承者と言うのは、地球上の他の全員が許してもこの俺が許さない。それだけの話です。


ところで静岡県のYさんからは
4ガロは再開しないんですか?という直球ズバッというご質問をいただきましたが、そりゃあ再開したいですよ(笑)。
俺が健康でバリバリ働けて金がザクザク時間がたっぷりあればなあ。とまあそこまで行かなくても、YellowTearDropsさんのBBSでもかつての投稿者であった某Sむりさんが書いてくれたように、読者投票システム作って投稿作品を掲載し、上位作品に寸評を加える…みたいなものが作れればいいんですけどね。誰が作んのよ、ちゅう話です。ええ、そういう話なんです。

「4ガロ」をなぜ俺が始めたかというと(「沿革」でも書いているように)、「ガロ」読者さんは「ガロ」という稀有な漫画誌を愛読してくれているような感性の人たちなわけで(笑)、であれば当然その人たちもきっと素敵な表現をしてくれるに違いない…という確信が俺にはあったからです。
実際、それまでに「ガロ」の投稿コーナーはその時期の名物編集者が担当する定番ページであったし、それを僭越ながら自分がやれるにあたって、「せっかく漫画誌なんだから4コマ漫画という表現を見てみたいな」と思ってスタートさせたわけです。
で、その中から本格的に本誌投稿へ向かってくれる人が出るなら、それもまた嬉しい。「ガロ」のためにもなる。そして実際そういう例はたくさんありました。
福満しげゆきさんもそういった方々の一人ではありましたが、繰り返しになるけど、俺が掲載しなくても、いずれ本誌投稿をされるか他紙でデビューするかしていたと思う。
4ガロを担当していた当時、意識的に「こういう作品を掲載しよう」と色眼鏡をかけていたことは一度もない。いや、とにかく俺も「長井勝一の最後の弟子」だ、「見たことのない表現」を第一に取り上げよう…ということだけは唯一心がけた。ハガキに描かれた4コマ漫画であろうと、「長井イズム」で見ようという「色眼鏡」なら、かけていた。
なので古典的な起承転結で「あるある…」みたいな作品はヨソへ行けばよろしい、俺は「見たことのないもの」を一番にしたい。それくらいの色眼鏡だ。
ともかく、そんな感じで毎号毎号、全く俺一人で自由に独裁的にチョイスできたので、その点は本当に嬉しかったしエキサイティングなことでした。校了間際の物凄く忙しい時期に当然4ガロの校了もあったわけだけど、あまりに楽しくてついつい凝ってしまって気がついたら朝だった…とか、よくありました。
ただ毎日毎日、ポストには変な投稿ハガキがワンサカ来るようになり、当然長井さんもそれを目にすることになる。俺は長井イズムを体現しようとしていたのに、当の長井さんが「白取君さあ、いくら何でもキ●ガイを載せるのはやめろよ」と苦笑しながら俺に言ったものでした。
回を重ねるごとに増えた4ガロの投稿ハガキは、とうとう毎月3ケタを超え(本誌の部数を考えたら驚異的だったと思う!)、漫画家さんや先輩編集者の方々からも「面白いね」とお褒めいただくようになると、長井さんは何も言わなくなりました(笑)。長井さん、ほんとうは4ガロみたいな世界は理解できなかったみたいです。そしてよくその頃になると「最近の漫画はワケわからん」とボヤいてました(実話)。いいんです、長井さんの素敵な「イズム」は俺が継承してたんだから。

全作品掲載したいというのを断腸の思いで、できるだけ多く…という意識からハガキの大きさはかなり小さくなり、褒めていただいた先輩がたからも「見づらい」と文句も言われたものです。
あと、よく掲載作品に寄せるコメントも褒めてもらいましたが、あれも時間が無い中だったので、手書き版下の頃は下書きも何もなくぶっつけで書いていたし、それはワープロ打ちに変わってからも同様でした。自分は基本的にラジオのDJのような感覚だったと思う。
ちなみに最末期からは、かつての投稿者で敏腕プログラマとなって再会した古山啓一郎君がアシスタントとして手伝ってくれて、非常に助かりました。
あと俺が再復刊後の「新・新生ガロ」になぜか疎まれて(実際は理由は解っている、彼らには「長井イズム」が邪魔だったからだ)突然説明の機会も与えられずに4ガロを降ろされた後、何もなかったかのように俺たちではない「別人」が俺たちを装ってコーナーを継続させたが、のちに当時の投稿者の方に聞くと、これが多大な不評を買ったそうだ。
曰く「アングラやってます、みたいなコメントが不快」とか。それに俺も古山君も一切関わってないので、念のため。

…とにかく4ガロをいまだに「読者投稿ものの最高峰」と言ってくれる人が多いのには驚くと同時に感謝の気持ちで一杯です。マジです。何自慢してんだよ、と言われてもOK。自慢していいことだから。
「何か別の媒体なりでやらないか」という話もあった、実は。でも「ガロ」以外の媒体でああいう作品が集まりますか? 「ぼくは16角形」の作品をどこが掲載できるというのですか? 
「掲載作品を完全自由に選べる」という俺の唯一絶対の条件は大概却下されたので、全部お断りしましたよ。
それこれ考えると、やっぱり俺が俺の媒体で(webなりblogなりで)再開させるしかないんだろうか。健康な体と時間と金が欲しいなあ。



★しつこいようだが「ガロ」消滅の経緯は以下を参照
デジタルガロ・ガロ編集部総辞職事件関係掲示板ログ一覧
白取特急★編集長日記/ガロ編集部総辞職事件顛末日誌
【その後・関連記事】
白取特急検車場 ★元青林堂社長ガロ編集長・山中潤氏がBBSに!
白取特急検車場 ご心配は有難いけど。
白取特急検車場 「ガロ的編集道」って

★そもそも「ガロ」って何? て人は下記を参照(苦笑)
YellowTearDrops内のGaro chronicle
日本のサブカルチャーを考える −「ガロ」とコミックを中心に 
ガロ 雑誌 - Wikipedia

★2007/7 追記 文中の4ガロ投稿者・ぼくは16角形さんが何と田中ようたとして復活! 必見です。
「ガロ」再末期伝説の4コマer「ぼくは16角形」が復活(?)
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2007-03-28(Wed)

業績の評価と伝承

3月28日(水)
テレビではニュースやワイドショーで植木等(享年80)の死亡関連の映像が流れている。新橋かどこか(笑)でサラリーマンの酔っ払いに感想を聞いていた映像があり、二人連れのオッサンがスーダラ節を歌い踊っていたが、明らかに40代、しかもスーダラ節の肝心部分を完全に間違っていた。クレイジーキャッツに思い入れがある世代って、60代以上だろう。歌や映画で大人気だったのは40年前とかで、その時代にサラリーマンとして無責任男などへ共感したとしたら、60〜70代となってしまう。俺なんか当然クレイジーには全く思い入れも思い出も、ない。もちろん、リアルタイムで見ていなくても影響を受けることはあるし、先達として偉大な足跡を残したことは否定できないことであるから、その存在の大きさと業績はキチッと評価し後世に伝えるべきではあるが。

その「存在と業績の大き」を「後世に正しく伝える」ことは、実はなかなか難しいことでもある。

俺がかつて勤務していた「ガロ」の世界は、何度も繰り返して主張してきたように、世間的にはほとんどこうした「正当な評価」の対象から外されている部分だろう。コミックやアニメがこれだけ「日本を代表する文化」であり「表現」であると官民ともに認識され評価されるようになった、けれどもコミック自体、一般には「マス」の世界に非常〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜に偏った情報しか与えられていないから…ていうかマスはだからマスなんだけど…「ガロ」系の優れた表現は時代に埋もれて消えていく運命にある。手塚作品や宮崎アニメ、ガンダムだと騒ぐのはいい。それは誰でも評価できることだろうし、だれでも簡単に作品に触れることも出来る。
版元では「ガロ」系の作品で優れたものをキチッと小部数でも残していこうと考えるところは皆無といってもいい。作家が自分で出せ、残しとけとでもいうのか? せいぜいそうやって商売商売とお励みになって、後世の人間に無能・見る目ナシであったと笑われるがいいさ。

先日、永島慎二先生のことについて触れた(名作の継承…永島慎二『黄色い涙』のこと)。その後、先生の奥様である小百合さんと、お嬢さんである史(ふみ)さんから、丁寧なお手紙や写真、さらに限定版の素晴らしいご本をいただいた。さっそくフミちゃんにお礼の電話をかけて、ほんとうに久しぶりにお話をすることができた。前に書いたように、フミちゃんと俺は十代後半に一緒に「ガロ」編集部でアルバイトをした同僚でもある。もちろん当時の話は懐かしく話題は尽きないのだけど、その時は永島先生の話題に終始した。
先生は糖尿病を患ってからも、好きなものを食べ、飲むという暮らしを頑なに続けたため、透析以外では病院へ行くことも嫌ったそうだ。俺は悲痛な闘病生活を想像したのだけど、フミちゃんによれば「それがほんとうに先生らしい最後だったんですよ〜」と明るく話せるほど、「永島慎二」らしく逝かれたという。亡くなられた当日も、お昼ごはんを普通に食べた後、ちょっと昼寝をするといって寝室へ下がり、起きてこないのを心配したご家族が様子を見に行くと、心臓が止まっていた…という状況だったそうだ。苦しみもせず、きつい延命治療も断り、生きたいように生き、暮らし、逝きたいように逝ったと…。そんな話をフミちゃんから聞いて、ほんとうに心が安らいだものだ。
限定版『ある道化師の一日』(限定五百部)は、残念ながら非売品である。それはそれは大変に凝った造本であり、内容も永島先生への愛に溢れた、素晴らしいものだ。布クロス張り上製本・二百ページ超、カラーもふんだんにあり、先生の漫画や油絵、貴重な写真や日記、篆刻などが楽しめる。改めて先生の偉大な才能に感服させられ、知遇を得ることが出来た自分の幸運に感謝した。


昼飯の後でワイドショーを見ていたら、教え子のU君から宅急便が届く。彼はコミックの編集プロダクションに勤めているので、てっきり連れ合いの大学で資料として使わせて欲しいと前にお願いしていた刷り出しの類かと思って開けてみたら、何と菜の花だった。自宅で採ったものだそうで、おひたしなどにして食べて、とある。ありがとう!
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2007-03-27(Tue)

テレビ、喫煙、アイドルの解雇

3月27日(火)
我が家では朝起きてすぐから寝る寸前までテレビがついているから、テレビはかなりよく見ている方だと思う。見ている、と書いたが別に見たくて見ている番組はほとんどない。このところなるべく病人病人して引きこもることも徐々にではあるがやめたので、感染などには注意をしつつ買い物や散歩にもよく出かけているから、その間テレビなど全く見ないわけで、従って依存ではないと思う。家に居る間、することがない間はダラダラとザッピングをしている、することがあれば当然そっちを、やりたいこと・やらねばならないことを優先している。テレビはBGMのようなものだ。
何でこんなしょーもないことを書いているかというと、テレビのことをこうして記事に書く場合、大概が下らぬ俗悪番組・低脳タレントなどの悪口になってしまいがちなので、書く方も読む方も気分が悪いから、あまり書かないようにしようと思っていたからだ。んでわざわざ前フリをして書くが、昨日だったかのSANKEI Expressに、作家の吉川潮氏がコラムで「テレビは俗悪番組ばかりでバラエティを見ると頭が悪くなるから見るな」というようなことを書いていた。それはまっこと正しいと思う。
けれども、我々は何も俗悪・低俗・低脳番組やアホタレントたちに憧れ、盲信して見ているわけではないので、そのバカぶりが見たいという場合、俗悪な番組を見て大いに笑いたいという場合、何も考えずに下らねぇものを下らねぇと言ってダラダラと見たい場合がある、ということがある。まあまだ練れてないガキだとか、大人になってもガキのままの残念な方の中にはテレビの中の世界をリアルだと勘違いしてしまう人も多いようで、そのあたりに向けて書かれたものかも知れない。だがそういう残念脳な人たちは、新聞なんか読まないよ。

例えばCMなんか、たっくさんのチェックを経てたっくさんの大人の、それもプロたちの手を、目を経てオンエアされているはずだ。だがおかしなものが最近多い。ボラギノールでは若い母親になった娘が痔になった、その母親が「私もあなたを生んだ時になった」と言うと娘いわく「ほほお、言ってくれますねえ」。「言ってくれますねえ」ってそういう場面で使う表現か? 以前からトンデモCMはちょこちょこある(ずっと前に書いたけど煮えているカレーに平気で指突っ込んで味を見る夫の図、とか缶コーヒーのCMでは非常識な部下を叱る上司の方が嫌味な感じに描かれているとか枚挙に暇がない)。
バラエティ、お笑い番組と最初から解っていてバカだなあ、非常識だなあと笑うのは視聴者も解りやすいし、それを盲信するというのはする側に問題があるとさえ思う。でもCMの場合の影響力はちょっと違うだろうし(実際子どもはすぐそこからコトバを真似したり連呼したり、誤用し続ける結果になったりする例を見ている)、いったいどれだけの阿呆がプロだともっともらしい顔をしてチェックせずに通したのか、そっちの方が気にかかるというものだ。従って先日の「あるある大辞典?」のように、情報番組と銘打っておきながら、それも専門家や医師、科学者を出演させておきながらのデタラメな字幕・意図的な婉曲、さらにはデータやエビデンスの捏造というのは極めて悪質なのは言うまでもない。それにしては処分が甘すぎやしねえか…と思ってたらたった今のニュース速報で民放連は関西テレビを除名処分にしたそうだが。


モー娘。の加護ちゃんがとうとう二度目の喫煙発覚で解雇された、とワイドショーが言っていた。
Yahooニュース - スポーツ報知 - 加護解雇!喫煙認めた…芸能界復帰絶望か
これに関しては、十代の喫煙の問題は当然「法律に反していること」なので、良いか悪いかと言われれば悪いに決まっている。こういうニュースを聞くと「加護ちゃんはいけないことをした。しかも反省せず二度目なのだから解雇は当然」という反応が自然で普通なのかも知らん。でも喫煙者のかなりの数が、未成年時からスタートしていることは常識中の常識ではないのか? かくいう俺も、小6で面白半分に友達数人と初めて吸い、中学3年の頃には依存症だった。高校3年間はヘビースモーカーで、くわえタバコで麻雀やってて停学くらったことさえある。あ、それは喫煙だけが理由じゃないけど。自分が病気になってはじめて、何という愚かな行為をしているのかということに気付き、ようやくスッパリと止められたのが一昨年、それまでは一日30〜40本・多い時には60〜80本を吸うエントツぶりであった。
ニコチン依存やアルコール依存からギャンブル依存・セックス依存・薬物依存などなど、人は何かに依存しやすい、何かに依存しないと生きられないと言えるのかも知れない。特にニコチンやアルコールなど、摂取が簡単で習慣性の強いものは一度ハマってしまうと、ピタリと止めるには相当の精神力(とか体力とか知性とか周囲の力などいろいろ)が必要だ。自分の場合は癌になり自分が「生きること」が最上位の目標になってしまった以上、それを阻害するような行為がどうしても出来なくなったので、止められた。全くたった一度のぶり返しもなく、何の未練もなく、そして今後も再開させるつもりは微塵もない。
喫煙は自分の命を自分の手で縮めているだけではなく、周囲にも有害物質をばら撒き強制摂取させている行為
だということを、「理性」と「知性」ではっきりと認識すれば、特に治療や薬品を必要とせずとも止められるのだということが解った。ニコチンへの体の依存は、強い意思でキッパリと止められるということを、自分が身を持って知った。ゆえに、タバコが有害であるということを解っていながら止められないというのは単なる言い訳であり、その危険性と周囲への迷惑をキチンと理解していないだけの話であった。今平気で食い物屋のカウンタで煙をバラ撒く連中や、歩きながら平気で後ろの人間に煙を吸わせている人間は、要するに知性が足りないだけなのである。あろうことか赤ん坊をあやしながらくわえタバコという若い母親をこないだ目撃したが、あれはもう知性がウンヌンというより「知能障害」だから、子どもをとりあえず危険から隔離して保護し、母親は施設にブチこんで治療させた方が社会のためだ。

加護ちゃんの喫煙は、子どもの頃(芸能界に入ってすぐ)からだったろう。恐らく周囲の誰か喫煙者の「先輩」から教わったのだと思う。子どもってのは当然品性も知性も経験も足りないのは当然のことだから、周囲の「大人」がいろいろと教え、導いてあげるものだ。それを恐らくは間違った方向へ導いていったわけなんだろうけど、そもそも加護ちゃんの周囲にホンモノのちゃんとした「大人」がいなかったことが問題なのかも知れない。何せ「モーニング娘。」だ、そして何といっても「ゲーノーカイ」だから。
今回露呈したのは、何と
(週刊現代によると)加護は3月17日に都内で人気カフェ「SOMA」を経営する石本靖幸氏(37)と群馬・草津温泉の旅館に車で訪れ1泊した。同誌は翌日、手を握りあいながら旅館を後にするツーショットを掲載。帰りの車中では加護は助手席で、たばこを吸っていた

そうで、一緒にいたロリコンオヤジもといオッサンは37歳といやあ普通は立派な「大人」である。別に本気で愛した人間が年下だろうが年上だろうが、何歳離れていようがそんなことはどうでもいいことだ。うちなんか連れ合いと17歳も離れている。ただ、この場合喫煙が発覚して謹慎中のアイドルがいる、その子と真剣に付き合ったんなら、その子を本当に大切に思い愛しているのなら、その子を一番身近で守り導いてやれる「大人」になろう…という気持ちはなかったのだろうか。もし本気で愛しているというのなら、いい年をしてオツムの足らない馬鹿野郎であり、そうでなければ単なる精力むき出しズルムケロリコンオヤジである。申し訳ないけれども、愛とか真剣な交際、知性とか品性とかそういうものよりも、何だか若い子相手の成金のギラギラした薄汚い性欲やゼニカネの匂いがしてならねえんだよな俺には。俺が下衆だからでしょうか。すみません。

近頃テレビを見ていて思うのは、表層的な表現やコトバの良し悪しがどうとかではなく、こういう薄汚さ、胡散臭さ、拝金主義などのどうしようもない腐った悪臭が画面から漂ってくることの方が、よほど問題だということだ。こちらは直裁な表現ではなく、じわじわとゆっくり確実に蔓延するし浸透していく、いや実際もうニッポン全国がそうなっている。
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2007-03-26(Mon)

「保護観察」継続

3月26日(月)
夕べは1時半ころ二人とも寝た。最近では早い方である。今朝は目覚ましの鳴る前に7時半ころ先に起きて、その後連れ合いもすぐに起きて来る。野菜スープは暖かくなってきたので火だけ通して食べずに、支度して8時前に先に出る。今日は俺は先週のマルク(骨髄穿刺検査)の結果を聞きに9時から日大病院、連れは北社会保険病院で腹部エコーとCT検査があるので、それぞれ病院へ散るというわけだ。全く夫婦二人で毎月毎月医療費がトンデモ金額になっているぞ。
こちらは17号で10分弱でタクシーが来たので乗り込み、17号〜豊島病院経由で日大病院へ向かう。例によって凄い渋滞だったが、タクシーにはなぜか「日経トレンディ」最新号が備えてあったので、「ほほう、朝摂れ野菜の宅配があるのか」などと読みふけっているうちに渋滞を抜けて仲宿手前の右折箇所まで来ていた。
病院へ着くと9時10分前、診察室前の椅子に座ると7分前。予約時間の9時は朝一番である。他の診察室ではもう診察が始まっていて、呼ばれている人や出てくる人もいる。ひょっとしてもう呼ばれて飛び越されたかなと思ってたら、9時10分ころになって呼ばれた。
すぐにU先生は「どうやら変化なかったようですねー、異常リンパ球は60〜70%くらいと相変わらず多いは多いんですけど、前回とほぼ同じですし、あとマーカー類も全く前回と同じ様子なので、このまま次回は来月でいいと思います」とのこと。いやあホッと一安心、だ。
「やっぱりくすぶり型、という感じなんでしょうかねえ」と言うと「そうですねえ、そんな感じに見えますね」とのこと。「このまま大人しくしててくれるといいんですけどね」と本音を話す。「一番大きいのはやっぱり縦隔のリンパでしょうか」と言うと笑われて「いや、脾臓だと思いますよ」と言われる。そりゃそうだ。胸のリンパの場合、気管を圧迫して呼吸を阻害したりすれば治療開始となる目安。しかし前回のレントゲンでも大きさは変わってないし、呼吸も問題なし。腫れた脾臓だけが今のところ最も厄介な「症状」ということになるようだ。
というわけで次回は採血だけでいいということで、4月下旬、GW前の週となった。いやあ執行猶予継続、という感じ。会計の番号は36番、今までで一番若い番号だ。420円を支払って、病院の地下入り口にあるスタバーでいつものようにホットのスタバーラテを買って病院の外へ出る。9時半前だったが、快晴で気温もグングン高くなっている感じで、ホットのテイクアウトは熱い&暑い。入り口の自動ドアを出たところで点滴スタンドを押しつつ歩いている婆ちゃんが片手に紙コップの紅茶のようなものを持っていたが、下が格子状にでこぼこになっているので、「あわわわ」とか言いつつ点滴スタンドガチャガチャ紙コップの紅茶バッチャンバッチャンでこぼれ撒き散らすわで大騒ぎ。コントか、と突っ込みを入れそうになる。
連れにこれからバスで赤羽へ向かうとメールして、病院前の始発停留所からバスに乗り込む。9時24分発、順調に赤羽駅へ着くとまだ10時前。いろいろ時間を潰し、連れと合流したあとは駅ビルにある四川料理レストランでランチを食べて、陽気もいいし買い物もあるので志村坂上へ行く。
坂上の商店街は大山ハッピーロードのような大きな商店街と比べると小ぢんまりしているが、馴染みがあって和む場所ではある。裏道から見次公園へ降りてみることにする。ここはずっと前にも連れと二人で花見…ほんとうにただ花を見るだけだが…に来た場所で、この季節に来るのは五、六年いや十年ぶりかも解らぬほど久しぶり。花は残念ながらまだ三分からせいぜい四分咲きというところか、子ども連れの若い母親たちで埋め尽くされており、子どもの嬌声と狼藉で無法地帯と化している。子どもの行き過ぎを注意するでもなく、母親たちはまばらな桜の花びらと蕾の下で、おしゃべりに興じつつ時折子どもの方へいい加減な視線を送っている。
しばし池のほとりに腰をかけて、ぼーっと二人で池を眺めた。鳩が降りてきたので、持っていたスポンジケーキの菓子をちぎって与えると、激しく首を振って嘴で一生懸命つついている。それを見たもう一羽が降りてきて、二羽でケーキくずをつついては飛び散らせ、その破片をまたつついて…の繰り返し。花はまだ早かった、
買い物して帰宅。

こういう状態に慣れてしまったとはいえ、癌の進行が数値で解ると言っても過言ではない検査結果を聞くのは、正直ちょっと怖いものだ。「無治療・様子見継続」というのはいつも病院へ行き確認して戻るたびに無罪放免というような感覚があるが、実はそうではなく執行猶予継続か、保護観察継続という感じだろう。なぜなら、無罪放免というのは「完治」だから。異常細胞が三分の二を占め、抹消血では正常な白血球数が三分の一になっている、このことがはっきりとした相関関係を表しているような気がする。治りたい、健康な体に戻りたい、そのことだけが切実な望みだ。
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2007-03-19(Mon)

骨髄穿刺の日

3月19日(月)
病院の日は朝早いので、夕べは俺だけ先に早く休んだ。寝室へ入ると同時にシマがててて、と入ってきて当然のように脇のあたりに丸くなって一緒に寝る。朝は7時半に目覚ましで起きて、久々の早起きなのでゆっくり支度してるとアッという間に8時になってしまい、慌てて出る。朝の時間が経つのは本当に早い。サラリーマン時代はイヤというほど体感していたが、このところ忘れていたかも知れない。
外に出ると天気は晴れながら気温が低く、寒い。一度は一気に春かと思ったのにこれは紛れも無く冬の感覚である。いつものように17号に出て戸田橋から吹き降ろす風に「寒いなあああ」と思いつつタクシーを待ってると、幸い5分と待たずに空車が来た。しかし17号は朝の渋滞、志村坂下あたりから板橋本町環七合流までノロノロ運転が続いた。おかげで病院到着は8時50分すぎ。採血予約は8時半だったが、結局内科受付で連絡表を貰って地下の採血受付へ行くと9時くらいで、番号札は29番だった。そこでけっこう待たされて、試験管3本血を抜かれる。今度は内科受付でマルク(骨髄穿刺)がある旨告げると、処置室前の待合で待てと言われる。マルクは9時予約だったが、この時点ももう9時15分。そこから延々と待たされ、マルク用のベッドに呼ばれて横たわったのが10時過ぎだった。まあ俺が遅れたので今日はしゃあないな、と思いつつ看護婦さんに「ちょっと遅れたもので、U先生の予約時間が来ちゃったらアレなんですが」と言うと、ちゃんと伝えておくと言ってくれる。
5分ほど寝ているとカーテンがあいて、Mドクターがニコッと首を入れてきて「白取さん、どうも」と会釈をしてくれる。入院時の医師団の一人で、抗癌剤治療についてなど良く説明してくれた若い医師だ。Mさんは「えーと、腸骨から…でいいんですよね」と確認した後、「じゃあお尻出して寝ていてください」と言われる。脾臓が腫れてからは完全なうつぶせにはなれないので、左側、脾臓側を下にして横臥位で、ズボンとパンツを尻のワレメぎりぎりくらいまで下ろす、いわゆる半ケツ状態で待つ。とてつもなくマヌケな格好だが仕方がない。前に胸の骨から取ろうとした際、何度かやっていたせいもあるのかなかなか取れなかったので、ここ数回はいつも腸骨からだ。
Mさんは横になった俺の腹を見て「うわ凄いですね、もう治療に入ろうという話はまだないんですか?」と聞くので「ええ、検査では変化もないので…」と応えたが、よく考えたら俺の胴回りはかなりメタボリックな感じになっている。これが全部脾臓が腫れているせいだとMさんは勘違いしたのだろう、実を言うと物凄くバリバリに食欲があるし、タバコをスッパリやめてから、つまり一年半前に入院して以来間食も増えた。おまけに運動不足ときてるから、体重はあれから7〜8kg増えている。そのほとんどが下腹部のような気がする。しかし幸いCTやレントゲン所見では脾臓の腫れそのものは著しく大きく変化してはいないので、これは「太った」ということになるのだろう。Mさんにすれば脾臓の腫脹がこれほど進んだのか、「こりゃ大変だ」と思ったのかも知れないが、ふ、太ったんです俺…と申し訳ないような気持ちになる。
Mさんはベッド脇でテキパキと支度を整え、いよいよ麻酔を腰の骨に打たれる。この麻酔ばかりは痛みが軽減されないのでかなり痛みがあったが、それもすぐになくなり、何度か「これはどうですか?」という確認の後、麻酔が効いたと判断されるといよいよ骨髄穿刺である。極太の針…それはそれは太い針がぶすりと刺されて、骨髄を吸い上げる準備が整う。「じゃあ、行きますよ、1・2の・3!」でぐうううと抜かれる嫌〜な感覚が来る。体験した人じゃないと解らないと思うが、とにかく形容しがたい痛みというより不快感だ。だが今回は実を言うと今までのMARKで一番不快感が少なかった。今回は覚悟していたよりあっさりと済んだ感じで、助かった。なぜだろう、ちゃんと取れたのかと不安になるが、Mドクターはプレパラートに俺の骨髄液をテキパキと分けたり作業をしているから大丈夫だったのだろう。消毒をされ、傷口を塞がれて、小座布団みたいなクッションを下にあてて仰向けになって体重で止血をする格好になり、布団をかけてもらう。Mさんは「じゃあ、お疲れ様でした」とさわやかに去って行った。
30分じっとしていなければならないので、カーテンを閉められたベッドの上で目を瞑る。隣のベッドのババアの話し声、行き交う看護婦と医師の話し声などがわーんと聞こえる中、15分ほどでうつらうつらするが、30分のタイマーが鳴る寸前にはっきり目を覚ます。直後にタイマーが鳴り響き、俺の体内時計って正確だなあと妙な感心をする。看護婦さんが傷痕を確認して「うん、大丈夫ですね」と言ってまた塞いでくれる。その後「じゃあ診察券と連絡表はU先生へ廻しておきますからね」と言ってくれたのでひと安心。11時くらいになっていたので、相当飛ばされたなあと思いつつ、4番診察室前へ移動、ソファで待つ。
予想に反して15分ほどすると呼ばれたので診察室に入ると、U先生に「MARKお疲れ様でしたあ」と言われたので、「あ、でもM先生だったんですけど、今までで一番痛くなかったですよ」と言うと「そうですか、良かったですねえ」と笑われる。白血病や悪性リンパ腫で骨髄細胞の状態が悪いと実は取りにくいということがあるそうで、取りやすかったということは悪いことではないという。今日の採血の結果も変わりなく、WBC(白血球数)は2100と久々に2000を越え、好中球数も49.8%と免疫力的にはアップしている。貧血の度合いもいつも通り低いながらも正常値の下限に近いところだし、今回はLDH(乳酸脱水素化酵素)が久々に正常範囲に戻った。これらは当然誤差範囲内ではあるものの、誤差の振幅を考えれば前回の数値より下がることも考えられるが、数字上好転しているということは、少なくとも横ばいで悪くなってはいないということは確かだそうだ。ホッと一安心。
今回は座ったまま、喉の奥の扁桃腺を見てもらい、クビ廻り、腋下のリンパ節を触診してもらう。これもまた大きさに変化はなく、今日のマルクによる骨髄細胞の分析結果は来週には出ているはずなので、その結果を来週の月曜に聞きに行くことになった。そこで進行がそれほどなければ、また診察はいつも通り間を空けてもいいでしょうとのこと。抹消血、触診、先日のCTやレントゲンなどの所見からも、極端に悪化しているとは思えないが、前のマルクから時間も経っているし確認のためです、と言われる。癌は癌ゆえ、劇的に好転していることはなかろう。だが進行が穏やかであるならば、その分長く生きられる。来週いい結果が聞けるといいのだけど。
U先生にお礼を言って診察室を出て、会計へ向かう。順番が来て精算機に診察券を入れると、何と16000円ちょいと表示される。た、高い。関係ないが俺の前のオッサンというか爺さんは肩越しに見えたのだが「精算はありません」という声と「0円」の表示だった。

病院の外に出て赤羽行きのバス停へ行くとちょうど出たばかりだったので、しょうがなくてくてく歩いて大山ハッピーロードへ向かう。先日退屈しのぎに任天堂Wiiを連れ合いと二人で買った。「はじめてのWii」「Wiiスポーツ」「縁日の達人」を買って操作に慣れたあとは大山でこの前「エレビッツ」と「ボンバーマンランド」などを立て続けに買ってプレイしている。そのソフトを買った店で今度はヌンチャクを1つ、連れ合い用に買った。本体には1個しかついてなかったので、買い足し。
こうやって普通に街を歩いていると自分が病気であることを時々忘れることもある。一年前ほど前は一日じゅう自分は癌であり、こうしている間にも癌細胞が自分の体の中で増殖し、自分の命を奪おうとしている…ということが頭から離れなかった。心から笑ったり、何かを楽しんだりすることが出来なかった。今それが出来るかというと必ずしもそうではないし、もちろん夜中にフと目が覚めて「死にたくない」と痛切に思うことが度々ある、しかし「慣れ」というものは確かにあるのだ。癌・余命宣告まで一時は受けて死というものが目の前に恐ろしいほどのリアリティを持って差し迫ってきた経験は、これまた経験した人じゃないと解ってもらえないと思う。それから一年半経って、幸い状態があまり変わらず、つまり癌の進行が極めて緩慢であるという状態に慣れが出てきたのも事実だ。脾臓がかなり腫れて腹部が膨満していたり、慢性的な軽い貧血でちょっと目眩があったり、免疫力が落ちているので外出時にはマスク、帰宅時には手洗いやうがいが欠かせない…というような不便も、いつの間にか「慣れ」た。
慣れてしまうと、他人から見たら極限状態でも「日常」になる。
自分が癌であること、いつ容態が急変するか、あるいはこのまま何年も生きられるのかも全く解らない、それが俺の今の「日常」だ。確かに癌であるということ以外いつ死ぬのか解らないということは、普通の人と同じと考えられなくもない。なのでいつの間にか普通の人のような気分になっていたりすることも出てきたというわけである。
普通の人には普通に暮らしていることのありがたみというのはあまり実感がないかも知れないが、今の俺にとってはかけがえのない宝石のような宝物だ。健康な体と生活に比べたら、ブランド物も大金も地位や名誉なんかも全く輝いて見えない。健康は嬉しく、有難く、尊い…と思う。
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2007-03-18(Sun)

「正論」を貫くこと

先日、去年NHKでやった湯川秀樹のドキュメンタリー(ラストメッセージ「核なき世界を 物理学者・湯川秀樹」)の再放送を再び見た。湯川博士は早くから核廃絶を強く訴え、レオ・シラードらの核抑止論に生涯を通して反対し続けた。つまり核兵器のある世界は現実にもうそうなってしまったのだから容認し肯定する…という考え、現在主流となっているいわば核抑止論という「現実主義」も、そもそも核兵器の存在を肯定することに立脚しているゆえに絶対悪なのだ。であるからして核兵器は絶対に廃絶すべきである、という強い信念は亡くなるまで微動だにしなかった。特に、同じ物理学者、科学者であり、かつてはラッセル・アインシュタイン宣言に共に署名までした仲間たちが音頭をとり、あろうことか大国の核競争を肯定する理論的支柱となるような思想をばら撒くことに、強い憤りを感じていたという。
湯川の核兵器廃絶への一つの手段としての「世界連邦」創設論など、しょせん理想論だとか現実を知らぬといった謗りを浴びせる粗暴な者は多い。そういった風潮、つまり核抑止論どころか積極的な核武装推進論は今、唯一の核兵器被害国としての日本の若者世代にも蔓延しているように見える。彼らと実際話したりしてみると、近年の中国や南北朝鮮などのあからさまな反日・嫌日政策や教育にカーッと来て、その結果としての、反動としてのナショナリズムの喚起…みたいな構図が透けてくることも多い。
それでもこういった国々と日本は地政学的にも経済的にもいろんな意味でもっとも近くにいるわけで、仲良くやっていかねば立ち行かないのは事実。ここでやはり、例えば歴史的な事実は事実としてキチンと互いの国と第三国の研究者を加えた客観的な「歴史」認識を構築しそれを各国が共通に教えるとか、もっと広い観点からアジアの友好みたいなものを確立して行こう…という「理想論」がやっぱり重要ではないかと思うのだ。現実に共通の歴史教科書を作ろうという動きはあったし、その成果ももう出てはいるが、問題はそれが互いの国民なり政府なりに受け入れられ、教育を通じ普遍化されていけるかというところだが、残念ながらまだそういった次元にはないようだ。

…湯川博士のドキュメンタリに話を戻す。今現実にあるものはしょうがないじゃないか、あるものはあるんだからそれを今後どうやって増やさぬようにしようか考える、一緒にどう付き合っていくかという方策を考えよう…という核容認の考えを「現実的」として肯定した世界は、今どうなっているか。結局湯川博士が危惧したように「垂直の拡散」が軍事技術の進歩と共に開発競争が行われ、挙句局地戦で「使える核兵器」まで登場した。米ソ2カ国だった核兵器保有国は7となり、開発・保有が疑われる国は3つと、「水平の拡散」もとどまらない。
現状を追認し肯定することを正しいと言い、湯川のような主張を非現実的・理想と切り捨てる、そんな粗暴な考えの人間たちがいかに多いか、今の世界情勢を見ればわかる。絶対的に正しいこと、普遍的な真理を訴え続けること…そのことを滑稽だ、理想だと切り捨てるような無神経こそ、本来糾弾されるべきあさはかな考えではないだろうか。どうも今の世の中、悪い方へ悪い方へ向かっているような気がしてならない。
現実に水平の拡散がまた一つ、それも北朝鮮のような「ならず者国家」によって行われた今、結局核抑止論もまた無力であったということが露呈した。核を持ったと拳を突き上げた「ならず者」を、米露中などの大国が皆でまあまあとご機嫌を取り、なだめ、もみ手をしてみやげ物を渡す。本来ルールを破った者は制裁を受けるはずが、こんな体たらくだということが世界中に知らしめられたわけで、水平の拡散は恐らく今後もとどまることを知らないだろう。
もしあの時、世界が核抑止論ではなく、湯川博士らが訴える方向へと向かっていたら。たられば、をまた「現実主義者」は笑うのだろうけれど。
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2007-03-16(Fri)

東京オリンピック、必要か?

3月16日(金)
昨日、東京都知事選の主要4候補者による公開討論会が行われた。いくつかのニュースや報道などで概要を知ると、どうやら今のところは4候補の政策そのものにはさほど違いはないようで、現時点での最大の争点はズバリ、「東京オリンピック招致」である。ご存知のように、2008年には北京での開催が決まっており、その後はロンドンだ。その後またアジア、それも一度開催している東京に開催国を持ってくるというのは、どう考えても現実的とは言えない。このあたり、石原現都知事以外の全ての候補が「反対」を主張している。
都民の立場で言うと、誰もオリンピック誘致をしてくれと頼んでもいないし周囲でそう叫んでいる人も全く見当たらない。(石原都知事の近隣アジア諸国への強気な発言・姿勢に対して賛辞賞賛の声が増えているが、ゆえに石原政策全て賛成…という無茶苦茶な論法での賛同者は論外として)その反対、何で今さら、必要ない、という意見は数多く聴く。では石原都知事が言うように、誰が「東京でオリンピックを」と叫んでいるのか。しかもそれをあたかも都民の主張であるかのように都知事に言わしめているのか。こういう場合はオーソドックスながら、「誰が得をするか」を考えれば、自ずから答えは出る。オリンピックを理由に大規模な再開発や工事を請け負う不動産屋と土建屋、招致活動のプラン立案実行・プロモーションと称して介入する広告代理店。そしてこれらから金を貰って招致だ招致だと叫んでまわる政治屋だ。この三位一体の悪の枢軸が、ほとんどの都民が必要ないといっているオリンピックのために、巨額の税金を使わせようと、つまりは自分らのフトコロに入れようとせんがために走り回っているわけだ。オリンピック招致は、招致するだけで何億何十億という「税金」が使われる。ハイ駄目でした、残念でした…で終わったとしても、ドブに棄てられた税金は戻ってこない。奴らのフトコロに入れられた都民の血税は奴らを太らせただけで終わる。
もっとも石原さんはそういうことはないと討論会でも言っている。もちろん「その通りです」とは言えないだろうが、ともかくいろいろな理由をつけて正当化しようと躍起になって語ってはいたが、全てが論理が破綻していた。曰く国威発揚にもなる=最近隣国から言いたいこと言われて黙ってるようじゃあウンヌンとかも話しておられたが、確かにそりゃあそうだがそれとこれとはむろん別問題。オリンピックのために道路を整備すれば結果的に渋滞を無くすことに貢献とか言うのも、そもそもオリンピックとは無関係、断言してもいい、むしろ工事のために渋滞が一層ひどくなるだけだ。環状線が必要だからもっと整備しなくちゃともいうが、こないだ数十年かかってようやく環八が開通したが、都心の渋滞は相変わらずでそれほど緩和されたとも思えぬし、実際そんな話も聞かない。(ていうかお蔭で環八左折待ち渋滞で逆に17号の渋滞がひどくなったことはあるが)
そもそも都心の渋滞の理由は「東京への一極集中」で物理的に「都内を走る車が多すぎること」であり、それに関連して駐車場の数が少ないとか違法駐車が多いとかいう問題がぞろぞろ出てくるわけで、緩和させるためにはソウルのようなナンバー規制をするとか、ロンドンのような渋滞税を取るとかいう「物理的に同時刻に存在する車を排除する」抜本的な対策が必要なだけだ。
よくタクシーの運ちゃんと渋滞については世間話をするが、例えば平日、都心に侵入できるのは緑ナンバーの営業車だけにすればいいとか、ナンバーの奇数偶数で曜日で入れ替えろとか、一人しか乗ってない車には渋滞税をかけろとか、まあそういうのがあんまりだと言うならせめてラッシュアワー時だけやればいいとか、しょっちゅう話していたものだ。やろうと思えばすぐに実現可能なこともたくさんあると思えるが、要するにやる気がないだけの話。
もう一つの大きな理由は「工事渋滞」だ。先日も、連れ合いと買い物の帰りに荷物が多かったのでタクシーに乗った、その帰り道にいつもの片側一車線の抜け道を走っていると、突然の渋滞に出くわした。いつもはスイスイと通れる道が、路線バスも含めて数百mに渡って渋滞している。しかも一向に進まない。何だろうと思っていたら案の定工事渋滞で、それも「道路補修工事」だという。その道はその数日前にも通ったし、ふだんよく通る道なのだが、全く全然ちっとも少しも100%補修など必要のない綺麗な道路であった。そこをてめえらで掘り返して埋め直しているだけの工事を、税金を使って不必要な人員を使い、長い渋滞を起こしてまで行っている。年度末になると日本国中で見られる日常だ。マッチポンプ(笑)という言葉が浮かんだ。(むろん、その現場で働いている人たちにも生活がある。税金の無駄遣いを無くせば彼らの職を奪うことになるという論理があるが、元々が多くの納税者の不利益の容認の上に立脚しているため、破綻していることは自明)
こうした問題は多くの人・つまり納税者が不利益を蒙っている問題のはずなのだが、長年指摘されており衆知徹底された問題であるにも関わらず、なぜ無くならないかというときに、やはり「誰が得をしているか」を考えれば犯人はすぐ解る。要するにこれが石原さんが良く「不愉快な隣国」と比較して言う「日本の民度」だ。東京は今開発ラッシュだ。今、というかバブル崩壊後のホンの一時期を除き、戦後の東京はずっと開発開発とビルド&デストロイいやビルドforデストロイを繰り返している。繰り返している限り儲かる人たちがいるからである。

先日、京都市が景観保護のために建築物のデザインや屋外広告物の規制を強化した六つの条例制定・改正案を満場一致で可決した。これによって、市内全域で屋外の点滅照明広告・屋上広告が禁止となる。対象は既存の屋上広告やネオン・点滅看板なども含まれるため、撤去までに7年の猶予を与えてはいるが、これには広告業界が猛反発したという。また市中心部での建造物の高さも、従来の45mから31mまでと厳しく規制されることなり、これには不動産屋、マンションデベロッパーなどが猛反発。訴訟も辞さないと言っているそうだが、京都市は思い切った強い規制へ踏み切った。勇断だと思う。
京都タワー建設時や京都駅舎立替時など、京都市は環境・景観保護か経済優先・開発推進かで、いつも揺れてきた経緯がある。だが今回は従来こうした規制に強く反対してきた(つまり土建屋や不動産屋、広告業界からさかんにプッシュを受けている)自民党の市議でさえ、「ここで反対にまわれば後世にまで汚点を残すことになる」と賛成にまわったという。京都市側は「このまま放置すれば、将来京都は日本じゅうにどこにでもある街になってしまう」と景観保護条例の強化に踏み切ったという(SANKEI Express)。英断だと思う。
京都の街は連れ合いが隔週で勤務するようになってから、何度か出かけてよく歩いた。そのたびに思うのは、河原町、新京極や寺町の四条〜五条あたりのそれこそ「日本中どこにでもあるような繁華街」と、それ以外の場所がはっきりと分けられているということだ。例えば地下鉄や私鉄がクロスする御池や四条の交差点付近でも、毒々しいネオンもなく、大きなデパートがあっても景観にうまく溶け込んでいて、上品ささえ感じさせる街並みになっている。時折見られる全国チェーンのファーストフードやコンビニの類が違和感を感じさせるものの、東京などに比べれば控えめな印象さえ与える。何より気持ちがいいのは、空が広いということだ。フランス・パリの景観保護条例のように、鴨川からの大文字も良く見えるようにされているからだし、何より息が詰まるような閉塞感がない。あの不愉快な高層ビルの谷間のビル風もないし、ビルとビルの間の無味乾燥な風景もない。
江戸っ子である連れ合いは、結局は地方から流入してきて江戸〜東京という街に何ら愛着のない人間たちが、経済効率、利便性だけを追求した結果東京の街をメチャクチャにしたと言っている。俺もそう思う。京都は京都人が千年の都の住人たる誇りを持って、街を守っている。これもまた、「民度」である。何より住んでいる住人=有権者であり納税者が自分の街に誇りと愛着を持ち、権利を行使すれば、政治家や行政も動かざるを得ないのだ。誇りと愛着のない人間ばかりで埋め尽くされた街は、いろいろな意味で「荒廃する」だけだろう。
東京にオリンピックなどもういらない。
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2007-03-05(Mon)

連れの目は大丈夫

3月5日(月)
連れが北社会保険病院眼科での再検査へ行く。結果、どうやら視野狭窄も心配されたようなものではなく、緑内障でもないということで一安心。目は長年酷使してきたし、もともと極度の近視だったうえに糖尿病ということで、悪い条件はそろっている。今後も継続して用心のため検査をしていった方がいいだろう。
それにしても一安心。俺は命に関わる病気、連れ合いも満身創痍といってもいいほど内臓はボロボロである。人生も折り返しを過ぎて、健康がいかに大切かを日々思い知っている。普通にこうして生きていられることに素直に感謝したい。奇麗事で言うのではなく、本心からそう思っている。
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2007-03-03(Sat)

ひな祭り

3月3日(土)
そういえばひな祭り。俺の家は男の子二人だったから全く縁がなかったが、20年ちょっと前に縁あって今の連れ合いと暮らすようになって、いきなり小学生の娘二人と同居することとなった。団地住まいだったので何段というものではなく小さかったが、大切にしまってあったお雛様を出して祝う様子は、何か古き良きニッポン、みたいで良かったなあと思う。そのお雛様は今やはりニ女の母となった連れの次女の家で、やはり大切にされている。

東国原宮崎県知事、相変わらず精力的に宮崎のPR(だけじゃないような気もするが)に飛び回っており、それをマスコミが追っかけまわすという構図が続いている。ここ数日は永田町を訪れ、自民党の幹部に挨拶廻りをした様子が報じられている。それを見た自民党宮崎県連のコメントは「我々を敵にまわしたら県政がまわらないってことが解ったんだろう」…だそうだ。まあそういうことなんだろうね、実際問題として。こういう地方議員、それも利権とガッチリ結びついた妖怪のような連中と対峙し、さらには取り込んでいけるような政治手腕が「そのまんま東」にあるかどうか。かつて自民党の土建屋政治に反対し、長期腐敗政権となった鈴木都政の「都市博」を中止したまでは良かったが、その後オール野党の都議会の自・公勢力に徹底的に叩かれ換骨奪胎させられた挙句、最後は元々官僚上りかと見まごうばかりの政治屋に成り下がった青島幸男の例を思い出す。

その都知事選だが、ここに来て元宮城県知事の浅野氏の去就が注目されている。ここ数日の言動が報じられるのを見るにつけ、じれったいというか隔靴掻痒というか、何をそんなに慎重になってるのかという思いの人も多いと思う。だが石原慎太郎というのは巨大な存在だ。これまた当初は都政に新風を吹き込み、都議会も顔と力でねじ伏せ従わせた手腕はさすがと思ったものの、2期目からアレレレとなってきている。浅野氏だが、石原都政の1期目をきちっと評価し、2期目から弱者切捨てとなり民意からどんどん乖離していっていると、このあたりを極めて的確に論じていたのを何かで見た。浅野氏は現時点では候補者ではないのだが、他の候補者からこういう正確・客観的冷静な分析は今のところ聞こえてこないのはいかがなものかと思う。ちなみに浅野氏が弱者切捨てだと石原都政批判をしたその翌日、それを聞いた石原知事が低所得者への減税を突然表明したことが、その批判がいかに的を射ているかを証明した感がある。
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2007-03-01(Thu)

田んぼの中の巨大施設

3月1日(木)
朝は10時半ころ起きる。前の晩は2時半ころ寝たので朦朧としていたが、今日は連れ合いの次女で二児の母のYちゃんと二段ベッドを買いに行く日。お昼を三人で食べてからということで、11時半過ぎにマンションを出た。この日もいい天気で、陽射しが春というより初夏といってもいいぐらいに強い。気温もかなり高くなりそうだ。自宅前から旧戸田橋製氷の方へ渡って浮間舟渡駅の方へ歩いていくが、なかなか空車が来ない。
この辺りは本当にひどいところで、何をするにも不便で、徒歩5分圏内に超大型パチンコ店が2軒もあるから便利なのはパチンコ依存症患者ぐらいなものだ。こういうことも自分たちの運の悪さを再確認することになるので、敢えて普段はなるべく深く考えないことにしている。戸田橋製氷というのは巨大な製氷工場で、いつもモクモクと大きなエントツから白煙を吐き出していたのだが、去年取り壊し工事があって、今やすっかり更地になって見通しが良くなっている。しかしそこには大型マンションが、都道を挟んだ跡地に2棟建つことになっていて、もう整地が終わって基礎工事へ入ろうかというところ。これからまた、工事の轟音が始まるのだろう。ここへ越してきてから、静かだった日がいったい何日あったかと考えるとまたやりきれない気持ちになる。
なかなか空車が来ないので駅方面へゆっくり歩いていると、ようやく空車が来たので乗り込み、赤羽岩淵駅まで行ってもらう。Yちゃん一家の家は岩槻にあるが、埼玉高速鉄道の浦和美園駅が一番近い「最寄り駅」だ。なのでそこで待ち合わせをして、あとはYちゃんの車で移動という算段。赤羽岩淵から浦和美園までは電車に乗ってしまえばたった20分と、思ったより近い。駅前ロータリーへ降りると、埼玉スタジアムの丸い形が近くに見える。駅周辺は広々と拓けており、高層マンションが建設中だが、田んぼの中を切り拓いて作った駅という風情がよく解る。サッカー開催日以外はムダに広いロータリーの端っこにYちゃんの車がポツンと停まっていたので、てくてくとそこまで二人で歩いていき、乗り込む。
まずは食事だと、近所の巨大ショッピングモール・AEONへ行く。郊外によくあるタイプの、超大型ショッピングモールで、ペットショップからファッションから家電から何でもあるという複合施設だ。駐車場もかなり広く、平日の日中なのにけっこうな数の車で埋まっている。ここら辺の人たちは一家に2台(あるいはそれ以上)の車の所有が珍しくないという。亭主が出勤や仕事に車を使うし、残された妻は子どもの送迎にしろ買い物にしろ遊びにしろ、とにかく車がないとなぁんにも出来ないからだ。駐車場を歩いても、確かに子連れの奥さんが目につく。巨大施設の中をペットショップをひやかしたりしつつ、自然食バイキングの店へ入る。
ちょうどお昼どきのせいもあるのだろうが、かなりの混雑具合だ。夫婦ものがチラホラいないわけではないが、ほとんどが母と子、あるいは祖母&娘+孫という感じで、男の数は少ない。なんとなく「アマゾネス」という単語が頭に浮かぶ。ここは前にYちゃんと連れが入ったことがあるそうで、90分の間、バイキングは食べ放題だそうだ。ご飯と惣菜をプレートによそって自分のテーブルで食べるのだが、全体的に薄味で体には良さそうな感じ。まあ味の方は当たり外れがモノによってあるのだが、まあこんなこともよくあることだ。我々は長い東京暮らしで、「客に金とって食い物を出すプロの店」が必ずしも美味とは限らない、ということにすっかり寛容になってしまった…ってこのフレーズ使いすぎ。
食事のあと、施設の中の家具コーナーを見ようかと思ったが、どうも小じゃれたインテリア系で二段ベッドなんか無さそうだねということで、そのまま見ずにニトリへ行くことにした。道々、国道やバイパスの脇には大型駐車場付きのファミレス、靴量販店、複合ショッピングモールなどが路線式に並び、その向こうには田んぼや畑が透けて見える。北関東に限らず、日本全国どこへ行っても、大都市近郊はこんな感じになってくんだろうなあ。
二段ベッドはいいのがあったので、ベッド、ベッド下の引き出し、マットレス2つをつけて連れ合いがドーンと買ってやった。MやSが喜んでキャッキャと飛び跳ねる様子が目に浮かぶ。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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