2007-05-30(Wed)

右傾化雑感

前記事で「右傾化」について考えたのだけど、若者に蔓延する右傾化の気分については、誰もが肯定するところ。しかしその「右傾」の右側、拠って立つべき右のソコ(笑)って何だ。かつての皇国ニッポン、五族協和とか大東亜共栄圏とか八紘一宇とか一億総火の玉とかそういうことだろうか? でもそんなこと本気で主張して日章旗掲げて皇居遥拝なんかしてる人って、今のネット右翼には皆無(いや中にはいるのかな)だろうし、皇国史観や天皇、国家神道なども含めた右翼思想を勉強し、それをイデオロギーとしている人も少なかろうに。だけど右傾化、という言葉はもはや規定路線だ。

最近、メディアでは中国関連のニューズが増えている。北京の遊園地での著作権まるで無視のファンキーなニュース(あのヘナヘナなニセドラえもんの動きが忘れられない)なら「またかよ」と笑えるが、そんなものじゃない。
米国議会における従軍慰安婦問題での「反日プロパガンダ議員」の裏に中国反日団体の影。
中米諸国で中国製歯磨き粉から毒物が出た。
中国製の原料を使った医療用シロップで死者が出た。
アメリカで中国製の原料を使ったペットフードで犬が大量死。
中国の工業地帯から規制も無しに排出される煤煙で、日本では光化学スモッグが数十年ぶりに激増。
モンゴルで悪質な廃油を使用した中国製即席麺を食べた学生2人が即死。
ニトリが販売した中国製土鍋から鉛が噴出。
…ここ半月くらいでもこんな感じである。もっともっとあるが、これは今俺の「記憶」だけで書いていて、それでもこれくらいは覚えている範囲で出てくるのだ。
中国というと前にも書いた覚えがあるが、おそらく今30代以上の人なら、日中国交正常化以降の蜜月時代を覚えており、中国といえばむしろ好印象しか持っていなかったはずだ。東西冷戦の鉄のカーテン崩壊前でさえ、中国は友好国であるという印象が多かった。それが今ではすっかりこの有様で、今日本で中国を友好的で信頼できる隣国、と思っている人はかなりの数、減ったと思う。それはもちろんかの国の責任である部分が多いとはいえ、やはり我々の世代から見ると隔世の感がある。いや実際中国は他の国をどうこう言える筋合いはなく、近隣の少数民族の領土を武力で征服しているし、政治体制は相変わらず一党独裁で民主主義とはほど遠い。それでいて自由主義経済のいいとこどりをしたためにアチコチで矛盾・歪みが生まれている。経済成長が急激すぎて法整備も何も追いつかないので、環境問題対策も知的財産保護も全くもって信頼できない。何より国家思想として「中華」(自分らが世界の中心だと思っている)であるので、彼らとの平和的な共存共栄(戦略的互恵関係)など土台無理だという人も多い。
このように、中国というあからさまな「敵国」が、これまでは北朝鮮という異常な国家だったのが、それを影で操る大物という意味でもわかり易いかたちで出現したので、怒りも向けやすくなったというものだ。俺も中国に対してはどちらかというと親近感を感じていたのだけど、ここ十年ほどで残念ながらそんな感情はすっかり減退してしまった。若者たちに至っては、「減退」どころではないだろう。

わかり易い「敵」を作っておき、大衆の耳目をそちらへ逸らすという手法はまあどこの国でも体制がよくやることだ。これまで日本はあまりそういうことはしてこなかったと記憶するが、あまりに周辺が日本を「敵」にしたがるので、日本でもそうせざるを得なくなったのかも知れない。冷戦時代、旧ソ連を何となく仮想敵国扱いするムキもあったけれど、それってそれこそ右翼系の人らだけで、一般国民は「ロスケ」なんて言葉も使わなかったし、そもそもソ連のこと自体よく知らなかったと思う。今そのロシアではプーチンが旧共産党政権時代を思わせるような独裁・強権政治を復活させている。そういえばこないだつかまった少年2人が、なんと30人以上の非ロシア系住民の殺人を自白して話題になった。フランスでは自分も移民の子のくせに移民排斥を露骨に訴え、日本文化へも差別的思想を持つサルコジが大統領に就任した。

さて日本で右傾化右傾化と言われるが、そもそも右って、右翼的思想って何だということをもう一度考えれば、今のそれは「嫌中」「嫌韓」といった程度のもので、何度も言っているようにそれは中・韓の異常なまでの「反日」が先にあってのことだ。では他にはどういうことがあろうか。これだけワーキング・プアや格差問題が浮き彫りになって話題にもなっているのに、外国人労働者排斥とか他国の国旗を焼いたりとか、近隣諸国がよくやる感情的な「ナショナリズム」の勃興は見られない。過剰な国からの「愛国心」の押し付けにも、日本国民にはちゃんと「待てよ」という理性のブレーキがある。
この程度のことを右傾化と呼ぶのは、これまで日本がどれだけ先の戦争に至る近代日本史について自虐的であり、戦後はいかに侵略戦争を反省したかの現れではないか…ということも言えなくはないか。あ、俺右翼じゃないですからね。ついでに言うと左翼でもないし。(侵略戦争は侵略戦争、と言っただけで今度はサヨク呼ばわりなのも困る)
では何で今の若者たちが右傾化だと言われるかというと、やはりそれは「気分」なのではないか。
メディアではグルメだ億ションだ宝石だブランド品だとバブル期を彷彿させるような「持てる者への情報」が氾濫している。一方で何度も書いてきたように、働けど働けど貧しさから抜け出せない持たざる者が、年々「中流」から転げ落ちていて、真ん中が減り、上流と下流にはっきりと別れつつある昨今。
鬱屈した日々、抑圧された「気分」はやり場のない怒りとなって常に心中にどす黒くとぐろを巻いている。悪いのは俺じゃない、こんな世の中、間違っている。そんな厭世と抑圧が、気分としての右傾化を生んでいる、という見方も紹介した。やり場のない怒りは、解りやすく自分を攻撃してくる他者、あるいは自国を敵視する他国へ簡単に向けられ、暴発する。

日本では改憲が普通に議論されるようになったことを、右傾化と論じる向きがあるのだけど、ちょっと違うと思う。確かにちょっと前まで…いやもうずいぶん前か(笑)、55年体制の頃などは「改憲」と言っただけで右翼呼ばわりされたものだ。憲法を変えるということはすなわち「9条」も変えること、すなわち軍事力を保持すること、すなわち戦争可能にすること…というようなレールを皆が想像したのだ。
それが今では憲法改正(改定なのか改正なのかはたまた改悪なのか論議が別れるのだが)はもはや規定路線であるかのような時代になった。これまた隔世の感ありである。俺もトシ取ったなあ(笑)。
9条というのは理想というか、美しいと純粋に思う。だが現実社会は理想とはほど遠く、美しくもない。現憲法下でさえ、「解釈」でもって自衛という名の戦力を保持し、国際貢献という名で派兵もしている。言い換えをどうしようとも、諸外国から見たら「自衛隊」は「日本軍」だし、インド洋やイラクでの後方支援だって軍事行動の一つだろう。だから現在の9条に拘泥する人が護憲派には多いようだけど、すでに9条だって解釈によっては換骨奪胎でき得ることが証明されている以上、世界的にも有数の軍事力を持っている日本は、現憲法下でも戦争可能ということになるはずだ。9条を残すなら改憲賛成とか、逆に9条は現在の国際情勢に合わないので明確に軍事力の保有と国防としての戦争を認めよという意見も、何となく滑稽に見える。
宮崎哲弥氏のコラムだっけ、うろ覚えで申し訳ないが、誰かが日本国憲法を「オーダーメイドの囚人服」と評したことを名言であると書いていたのだけど、なるほどなあと思う。
日本は今戦勝国からの押し付けである憲法を自主制定しようといっていることが「右傾化」と呼ばれるほど、正常なバランス感覚を持っている…という見方もできるかも知れない。実際防衛庁が防衛省になったところで、日本がかつての帝国主義に走る…などと無茶苦茶なことを考える人などおるまいし、現実にそんなことが出来るはずもない。それなのにそういうことを叫ぶのは、まさしく周辺の反日国家のプロパガンダと同じことになってしまう。
是々非々、冷静客観的な思考が必要だ。
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2007-05-30(Wed)

厭世感・破滅願望としての右傾化

かねがね面白い「思想家」だと思っていた雨宮処凛(あまみや かりん)さんがNHK「クローズアップ現代」に出演したそうだ。そうだ、というのは残念ながら放送を見逃したので、人づてにその様子や発言の要旨を聞いたに過ぎない。彼女はよく知られているように元右翼であり、現在は脱右翼というか左・右という旧来のイデオロギーのカテゴライズからは脱却した活動をしている。活動とはたとえばフリーターの差別反対運動であったり、ニートやひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問などをしている「作家」だ。
件の番組での雨宮さんは、今の日本、とくに若者に蔓延する右傾化について
「こんな社会はいやだというような、破滅願望とないまぜになって右傾化するという異議申し立てだ」
と述べたという(週刊文春・07・5・31号134P)。なるほど、と思った。
近年のワーキングプア問題や「下流」階級の出現、そして広がる一方の格差社会に対して、若い人たちはどう考えているのかと思うときに、いつも思い起こすのはあの学生運動の時代のことだ。もちろん俺はその当時はコドモだったので、当時を知る人たちから聞いたり本や映像で学ぶしかなかったのだけど、少なくとも当時の学生たちには勝手にモノゴトを決める大人たち=政治家どもや、それを許す社会への怒りがあり、自分たちの行動でそれを示すことで、社会を変えようともした。もちろんそれは木っ端微塵に国家権力によってブチ壊され蹂躙されたわけだが、そのことを冷めた眼で笑う向きが多いことには大いに疑問がある。
まさしく学生運動華やかなりしころに彼らと同世代だった連れ合い=やまだ紫とこうした話をすると、彼女もやはり後の世代が簡単に総括をし時には嘲笑したりすることに納得がいかないと言っている。先日何かの番組で団塊の世代のことを何もしなかった、邪魔だ、という人がいたのだが、何を言っているのかと怒りさえ覚えた。少なくとも彼らは自分たちの怒りを行動で示したではないか、と。
学生運動が粉砕されるのを見せられたその後の世代=シラケ世代は、今俺と連れ合いの間の、50代前半の人たちだろう。世代で一まとめにしてああだこうだと決めつけることは嫌なのでしたくはないけれども、そいつらこそ政治や社会に無関心になりファッションだ車だセックスだとうつつを抜かし、バブル時代には中心になって踊り狂った、そうして今では「チョイ悪」だの「アデージョ」「アデオス」だとホンットーーーに、知能の低い、吐き気がするほどどうしようもなくカッコ悪い「大人」像を、下の世代に嫌というほど見せ付けてくれるではないか。
そういえばニッサンはあのジローラモとかいう頭の中は女と一発ヤることしか考えてない色ボケ外人を使って、この世代に媚を売るかのような車のCM(TIIDA)をやっている。「ニキータ・レオンとコラボレート」ってお前らバカか? 一見低脳で車クルマ〜、女オンナ〜みたいなバカ野郎にドンピシャで効果的なようにも見えるが、逆にニッサンがなぜ今「一人負け」状態なのかが如実にわかるような気がする。

話が逸れた。今ネットにも巷にも蔓延する右翼的なモノの源泉は、もちろん近隣諸国の露骨な反日政策・工作の結果もある。たとえば江沢民時代からの徹底的な反日政策の皮肉な効果(国内外での露骨な反日政策とプロパガンダは、結果的に親中派の日本国民の多くを嫌中派に転向させた)や、歴史的事実や論理的思考無視の「ウリナリズム」の半島にある隣国、さらには反日どころか敵国として挑発行為を軍事的にも政治的にも経済的にも行い続ける独裁国家であったりするわけだ。そういった「困ったご近所」に対して日本はかつて行った行為から卑屈にまで何も言えずに接してきた、だがいい加減にしろよてめえら、こっちがおとなしくしてりゃいい気になりやがって…みたいな感情があるのを否定はできない。だが果たしてそれだけなんだろうか、と。そう考えたときに、先の雨宮さんの発言に、なるほどと膝を打ったわけなのだ。
あの「赤木智弘発言」=<どうしようもない不平等感が鬱積した結果、ポストバブル世代の弱者、若者たちが向かう先のひとつが、「右傾化」であると見ている。>
(朝日新聞社・「論座」4月号掲載)もやはり、そういう意味なのだと思う。
若者が怒らなくなったというが、そういう若者たちにした、そういう風に教育してきたのは大人たちだ。よく言うのだけど、かつて外国の友人や留学生の教え子たちと話したりすると、「日本の若者が一番自国の近代史も含めた歴史や社会、政治に関心がない」と口をそろえていう。別にムキになって「抗日戦争」を教える近隣諸国の人たちだけがそういうのはなく、欧米の人たちに聞いてもそう言うのだから、やはりそうなのかも知らん。いや、現実はともかくそのように見られていることは事実だ。現実に俺が若い人たちと話すと、驚くほど歴史や政治、社会問題に無知・無関心なのが多いことに気づく。もちろんごく少数、そうではない子もいることはいるが、それはあくまでも例外。例外はどこまで行っても例外、である。
そういう現代ニッポンの若者たちは歴史や社会、国際情勢といった「外」へ関心を向けるのではなく、徹底的に「内」「個」つまり自分(とその周辺)に閉じこもった。ニートやひきこもり、オタクはそういうことの現れである…というと短絡的ではあるが、遠からじではあろう。怒るべき相手や事象のことがよく、わからないのだ。
それでも一方で、若者はキレやすくなったし、忍耐弱くなったともよく言われる。社会や政治には関心がなく知識もないので怒りようがない。その代わり、自分の部屋へ無断で入った親にブチ切れたり、狭い人間関係の外に対しては極めて凶暴になれたりもする。自分の領域を犯されたり個人のプライドを傷つけられたりすることには過剰とも言える怒りの反応を見せる場合も多い。

こういったことを考えていると、世の中の右傾化というのは、二重の意味で国内の体制にとってはオイシイと言えるのかも知れない。本来ニートやひきこもり…いやワーキング・プアやフリーター、「下流」の人びとは、世の中に怒りを持つはずだ。そう、雨宮さんの著書である「生きさせろ!」(太田出版・1300円)のように。しかし日々働けど苦しい我が身の状況を、怒りを向けるべき相手のことがよくわからない。拳の振り上げどころが解らない。その抑圧された気分は、たとえば些細なことでぶつかったご近所へ向けられたりもするだろうし、たまたまテレビで見た近隣諸国の反日デモの映像だったりもするんだろうな、と思う。ここで先の雨宮さんのクローズアップ現代の発言、である。
「こんな社会はいやだというような、破滅願望とないまぜになって右傾化するという異議申し立て」
としての若者の右傾化の道筋が何となく見えてくると、確かに薄気味悪いものを感じる。清野徹氏が文春でこのことを紹介し「ファシズム到来の前段階は決まってこのようなプロセスから始まる」と述べているが、杞憂ではないのかも知れない。
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2007-05-29(Tue)

「死んでお詫び」はできない

昼にテレビを見ていたら昨日の松岡農水大臣の自殺に続き、今日は談合で今問題になっている緑資源機構(の前身、旧森林開発公団)の理事が自宅マンションから投身自殺したというニュースが入ってきた。どいつもこいつも悪事がバレたら死ねばいいと思ってやがる、とバス停でおっさんがいまいましそうに言ってたのを聞いたことがあるが、言い方はともかくまっとうな考え方だと思う。
談合というのは国民からの税金の不当な搾取つまり窃盗である。それも一般の盗みではなく国民が稼いだ税金というカネを掠め取る、極めて悪質で卑劣な窃盗なのだ。このことを有権者はもっともっと自覚すべきだし、怒るべきだろう。そして罪も極刑とは言わぬが一生台無しにするくらい重くしろ。そうすれば政治家や官僚を志す人間はもう少し「本来すべきこと」を志す人間が増えるだろうに。
松岡大臣はこわもてで豪腕な、典型的な族議員として知られていて、とかくその強引とも言えるような露骨な利益誘導の手法はまあ言ってみれば旧来の自民党議員の典型でもあったわけだ。そんな松岡氏も小泉政権末期〜安倍政権にかけて、彼なりに旧来型の手法が通用しなくなりつつあることを自覚したようで、あくまでも「彼なり」に改革の必要性を安倍官房長官(当時)に訴え、安倍氏は次第に信頼を寄せるようになった…というのが「定説」。
そういう成り行きはどうでもいいが、要するに金まみれ、相次ぐスキャンダルで松岡氏の一般庶民からの評判はコミカルなほどに地に堕ちていた。コミカル、というのはもちろん例の「ナントカ還元水」のことである。今回の緑資源の談合問題と、そこから献金という名でカネを吸い上げてきた構図が見えると、もはや松岡氏をこのまま閣内に、いや国会議員にさえとどめておくこと自体がどうかという段階に国民の意識は来ていたのに、安倍総理は更迭を避け続け、庇い続けた。
もちろん任命責任を問われることを避けるためもあろうが、それにしても、そのことで松岡氏が苦しみ、その煩悶の果てに…というのが自殺の真相だとすれば、安倍総理の責任は単なる総理としてのそれよりも重いと言わざるを得ない。一人の人間が命を捨てなければならないところまで追い込まれるということ、それも政治家というある種強心臓でなくては勤まらない職業で、その中でもこわもてと言われた人間にして、だ。その苦悩はかなりなものだったろう。
だがよく言われるような、「犯した罪の重さに苦しんだ」のではないだろう、もしそうだとしたら最初から「ああいう政治家」にはなってないはずだ。すべてを打ち明けて謝罪した上で出直しをしたい=つまりよく政治家が言うところの「禊」をしたい、そう思っても任命者を含めた周辺が許さない。その間も国民や野党や、最近では身内からも責任を追及する声が高まる。どうすりゃいいのよ…という板ばさみの苦悩の果てなら、理解できなくはない。
それにしても身内の自民党議員からは「志半ばで無念だろう」という声もあるようだが、「志」って何だ? 「もっと儲けたかっただろうに残念だったな」という意味か? この場合だって是々非々であり、「亡くなったこと」は残念でご冥福をお祈りすべきだが、彼の政治家としての責任の追及は、それを許した体質や制度そのものも含めてキッチリと行われるべきじゃないのか。日本人は死ぬと神や仏に祭り上げられ、水に流すとかいうことを美徳とする場合もあるが、悪事を働いた(のはほぼ確実)人間の、負の部分をすべてなかったことにするというのは単なる思考停止でしかない。命を捨てることは責任を取ることではない。今回松岡氏のことを黙って腹を切ることを美徳とした侍呼ばわりする声もあることに驚きを禁じえないが、何かそういうことで感傷的になったり思考停止したり、はたまた過剰な美化を行ったり、つまりは正確な判断を失うのは情緒豊かなニホンジンの悪いところでもある。死んでお詫びをする、というが死んだことで真相究明がうやむやになり、関わった人間で何人かはホッとする奴がおり、またそういった「国民の税金の窃盗」という構図が温存される…ということでは、極めてタチが悪い「解決方法」ではないか。


ところでこういうことを言うとお前は民主党支持か、いやさ共産党員かという下衆の勘ぐりが多いので嫌気がさすが、自分は特定の支持政党は持たない。小泉前総理が自民党をブッ壊すと言って改革を訴えたときは、支持さえした。つまり当たり前だが是々非々、である。それはそれ、これはこれ。ずっと一貫してそう生きてきたつもりなんだけどなあ、と。石原都知事の政策にも支持すべきところは支持している。だが東京オリンピック誘致には大反対、と以前述べたところ、どっかのバカがあちこちのブログのコメント欄に、その記事へのリンクを俺の名前で俺が貼り付けたようにしている。当然右方面からは嫌がらせや脅迫が殺到する。こういうことは犯罪にもなるはずだが、とめる手立ては今のところないので、「自分ではない」としか言いようがない。以前にもこういうことがあったが(2ちゃんねるで俺の名を語って投稿した奴が出た)、俺は自分の意見は名前を出して述べる。その場合も名前だけ書いてアンカーだけを貼るというような無礼な真似はしない。(…とこう書くと今度は名を語ってでたらめなことを書く輩が現れるのだろうが、もういい加減にipの開示請求は本人の名を語られた場合や名誉毀損の疑いのある場合は認めて欲しいものだ。)
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2007-05-26(Sat)

美しい日本の人権

夜のニュースワイドショーを見ていると、いろいろなことが映像を通じて見えてくる。あの贅を尽くした衆議院議員会館にいよいよ入居するという、杉村太蔵議員。脇に妻を連れ、これ見よがしに赤ん坊を抱いた左手に光るのは結婚指輪…とバカデカい高級腕時計。ほほう、ついこないだまで「ヒラリーマンですから」とカップ麺をすすって快活に笑っていた好青年は、すっかり議員様としてのお金の使い方も覚えたようで。入居することが遅れた理由を記者から聞かれると気色ばんで「何言ってるんですか!?年功序列ですよ!」と意味不明の啖呵を切っていた。オツムとメンタリズムの方は相変わらずのご様子ではある。

最近またニュースになっている、社会保険庁のずさんな管理による「年金行方不明」問題。キチンとコツコツ年金を支払ってきて、いざ受給という段階になったら、あんたの年金を受け取ったかどうか知らないという。確かに払ったというと、証拠を出せという。自分らのミスと怠慢で記録を無くしたり散逸させたりしたくせに、その被害者に対して立証責任を問うという厚顔さに、呆れてモノが言えない…と思ってたら、国会での野党の追及に安倍首相は「じゃあどうすればいいのか」「証拠もなしにそういう人たちに全額払えというのか」と逆ギレ。おいおい、どっちの味方なんだい? という光景。もうちょっと前には、やはり野党からの追求に対して「あんまりそういうことで騒ぐと、いたずらに不安を煽ることになる」からと、この問題についての追求やめろと言わんばかりの答弁。選良たる議員の集まる国会の長たる総理大臣が、国民ではなく官僚を庇っている。

光市の母子強姦殺人事件(1999年4月、会社員本村洋さん(31)の妻弥生さん(当時23)と長女夕夏ちゃん(同11カ月)が元少年(26、事件当時18)に殺害された事件)の差し戻し控訴審第一回公判。加害者の少年(当時)にはズラリと「人権派」とかいう弁護士がつき、意味不明の弁護活動を展開している。被害者の遺族である夫の本村さんは、当時から一貫して正論を貫き、加害者の人権をウンヌンする前に被害者の人権を救済しろと訴えてきた。「暴行して殺害」ではない、「妻に性的暴行を強要し騒がれたために殺害した上で強姦し、泣き叫んで母親にすがる赤ん坊を叩き付け、さらに絞殺した」と、正しく報道しろとも訴えてきた。「暴行」という言い換えでは加害者の残虐性と異常さが正しく伝わらない。これだけの聡明さを持つ若者を知らないと、以前も書いた覚えがある。
今回は最高裁が「死刑を回避するに相当の理由を述べよ」と高裁に差し戻しをしたというのに、元少年の弁護団は頓珍漢なシナリオを捏造し、少年の死刑回避を目論んでいる様子が浮き彫りになった。曰く、暴行目的で相手を物色していたことを「母恋しさから甘える相手を探していた」とすり替え、騒がれたために絞殺したことを「たまたま優しくしてくれた弥生さんに抱きついて甘えようとしたら騒がれたので口を押さえたら手がずれて首を絞める格好になった」。つまりこれは殺意を否定し、「傷害致死」にもって行く算段だろう。まあ許せないがこれはまだマシだ。赤ん坊を無残にも殺害したことは「抱っこしてあやそうとしたら手が滑って床に落とした、首にはリボンをちょうちょ結びにしたら絞まってしまった」だという。この弁護士連中はキチガイか、馬鹿なのか、あるいは被害者の本村さんらを敢えて冒涜、愚弄したいのか。いずれにしても弁護士としてよりも、人としての資質を疑う。
結局のところ彼らは死刑廃止というイデオロギーを掲げて活動をしているゆえに、今回の事件に関しても自分たちのイデオロギーを衆知させること、訴えることそのものが目的になっているのだろう。これは元少年の利益にさえ、かなっていない。死者へも、遺族にも、裁判制度へも一般の国民に対しても、有害であるとしか思えない連中だと思う。

そういえば先日のクソ馬鹿ヤクザ野郎の拳銃乱射・立てこもり・警官殺害事件。なぜとっとと射殺せぬ、少なくとも人質が逃げた時点で催涙弾でいぶり出して制圧するとか、そもそも銃を持ってることそれ自体が違法なんだから「銃を捨てて手を挙げて出てこい、さもなくば射殺する」でいいではないか…とまあいろいろ言われてはいる。俺もほぼそう思う。SITは人質解放・犯人確保が最大目的の組織、SATは射殺も含めた犯人制圧が最大目的の組織、その両方とさらに所轄の警官らがあの現場に混在していたことが、愛知県警の混乱ぶりとマヌケさを証明している。このことはあさま山荘事件で警察を指揮していた佐々氏がそう言っていたのだけど、まあ日本の縦割り組織らしい。
そもそも何で警官が武装した凶悪犯を射殺できないかというと、昔そういった事案で射殺された犯人の遺族が「人権派」の弁護士と組んで撃った警官を訴えたからだ、というまことしやかな説がある。このことだけを指して決め付けるのもどうかとは思うが、確かに及び腰であることは間違いない。そうしてモタモタしてる間に、撃たれて倒れている警官が何時間も路上に放置され手も出せぬ様子が全世界に配信され、さらに若い優秀な警察官の命が奪われた。人質がいなくなってしまってからは、くされヤクザは自分の命ごいをし突入しないでくれと哀願したという。警察側は上半身裸になり両手に何も持たずに投降しろと伝えた。しかし出てきたヤクザは上も着衣のままで、両手にはビニール袋とペットボトル。警察は「出てきてくれたんだね、信用してくれてありがとう」だと。百歩譲っても、この時点で「上を脱げ! 両手のものを捨てて上に上げろ!」でもいいだろうに。そうしてまたこのヤクザも人権派弁護士とやらに手厚く守られて、これから一生我々の税金で食わしていくことになるのだろう。
人権、って何だ? と考えずにおられない。
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2007-05-26(Sat)

ワーキング・プアの国

昨晩、いつものように報道ステーションのあとニュースZEROを見ていると特集で、昨今問題になっているワーキングプアーを含めた問題を「ニュープアー」として、レポートをしていた。一つの事例は地方に住む、シングルマザー。夫と離婚した後、小学校前の女児を一人育てながら、工場で働いているのだが、その時給は650円前後で、ほぼ最低賃金という額でしかない。離婚前夫とあわせて世帯年収でいうと650万円ほどあったそうだが、一挙にそれが150万になってしまったという。幸いというか、県営住宅にそのまま入居しているため、家賃負担がかなり安く済んではいるものの、毎月どうやりくりしても2万円近い赤字が出て、貯金を切り崩しつつ生活を切り詰めて暮らしているという。計算してみたらいい、朝から晩までたっぷり8時間、月に25日毎日働いても手取りはたった12万円程度にしかならない。彼女は新聞を取るのをやめ、パソコンもやめ、化粧品は百均で買うようになった。ダラダラと働かずにいるわけでもない。贅沢をしているわけでもない。真面目に、それこそ清貧に暮らしているだけなのだが、母子二人の生活は苦しく、今後娘が小学校へ上がれば教育にもお金がかかっていくだろう。とにかく全く先が見えないことが不安だという。

興味深かったのは、東京に住む若いサラリーマンが、東京の最低賃金つまり時給719円で一ヶ月を暮らすというシミュレーション体験の模様だった。普段は手取りで20万円ちょっとの月収があるのだが、彼の給与を最低賃金で引き直し、さらに絶対に削れない固定費を抜くと、一ヶ月に使えるのはたったの2万円を切るという金額となった。これがいわゆる「生活費」で、もちろん食費込みである。最初彼はやるぞと意気込み、まずカレーを数日分大鍋で作る。そうして三日間それをひたすら食べて食費を切り詰めた。さらにゴールデンウィークと重なったが、もちろん一歩も外出せずに節約。その間も髪は自分で整髪したり、当初はそういう節約生活を楽しんでいるかのような余裕させ感じられてはいた。
だが、こうしたカツカツの生活が半分を過ぎたあたりから、彼の精神状態に異変が起きてくる。日記によると、ちょっとしたことでイライラするようになり、困っている人を見ても「自分の方がもっと辛いんだ」と思うようになったという。まさに「貧すれば鈍す」である。普段、当り前のように喉が渇いたら缶コーヒーを買ったり、職場の友人と飲みに行ったりしていたことが全く出来なくなり、フラストレーションも相当に高まっていたと思う。つまり日々、彼は抑圧状態に常に置かれているわけだ。そういった中、彼は無事(?)一ヶ月をクリアした。残ったのは小銭だけという状態で。彼は労働者たちの集会で、「最低賃金で一ヶ月生活せよ、というのは無理です」と断言した。過酷な体験からの、実感だったと思う。
だが全国にはもっと過酷な状況に置かれている人たちももちろん、たくさんいる。健康で働けるのに働かない、怠け者の貧者に同情の余地はないだろうが、一生懸命、身を粉にして働きに働いているのに、生活が苦しい人たちは哀れとしか言いようがない。先の最低賃金生活を体験したサラリーマンは一ヶ月で済んだが、彼が味わった抑圧を、ワーキングプアーは常に、一年365日、味わっているのだ。こういった状態の人が、ちょっと転べば「オイシイ話」という名の犯罪に手を染めたり、それこそ現在の生活からの脱却は一攫千金しかないと、ギャンブルに嵌って、借金地獄へと転落していくという例もあろう。
それでも歯をくいしばって、貧しくともまっとうに生きようと、本当に血のにじむ思いをしている人間に、今のニッポンはあまりに拝金主義で消費礼賛で、過酷で意地悪くはないだろうか。勝ち組と負け組という名のもと、すでに階級社会が訪れようとしている。かつての一億総中産階級という幻想は崩壊した今、はっきりと持てる者と持たざる者に二極化しつつある。昔は頑張れば貧しくとも人並みの暮らしが出来た、公教育だけでも一生懸命勉強すれば奨学金を貰っていい大学へ行ったり出来た。でも今は無理だ。公教育は役人が半世紀をかけてぐっちゃぐちゃにしてしまったから、塾へ行って補完するか、カッチリと高度な教育を施す私立へ行かねば人よりいい学力を得ることは出来ない。つまり、持てる者の子弟しか、高度な教育が受けられない時代になったのだ。階級差は資本主義ではある意味、あってもいいという意見もある。頑張って稼いだ者がいい暮らしをするのは当然だ、と。だが、頑張って働いたのにそれに見合う対価が得られないことが問題だし、何より階級が「固定化」されることが一番問題ではないだろうか…。
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2007-05-25(Fri)

「間違った行為」を正当化させるな!

またまた朝青龍。安美錦に一気に土俵の外へもってかれ、土俵際で逆転を狙ったうっちゃりを打つと両者宙を飛んだ格好になり、軍配は追い込んだ安美錦に上がった。朝青龍は自分の体(たい)が宙を飛んでおり、相手の手が速く土俵外に落ちるのをしっかりと見ていたから、自分に有利と自信を持っていたようだ。差し違えか最悪でも取り直しだろうと。しかし物言いはつかず、朝青龍は審判長(元大関の増位山)を睨みつけ、怒りの表情で礼もせずに土俵を降りた。さらに花道では座布団が舞う中、悔し紛れに座布団を思い切り蹴り上げた。小さい頃からそれこそ40年近く相撲を見続けているが、こんな光景…というか力士の振る舞いを初めて見た。もちろんこんな粗野粗暴な力士も初めてだが。
もっとも我々も中継を生で見ていて、「あれ?」と思ったのは事実。スローで再現するまでもなく、明らかに朝青龍の体は土俵外とはいえ宙にあり、安美錦の方が先に地面に落ちたのが見えたからだ。しかしすぐに連れ合いと「死に体、だな」と納得したものだ。負けた本人とすれば悔しいだろうし何より相手が落ちるのを見ているわけだから納得もいくまい。しかし横綱たる者、いや力士というのはそこで負けは負け、キチンと礼をしてグッと堪えて去っていくべきなのは言うまでもない。もっと言えば横綱ならば圧倒的な力量差をもって誰もが納得するような勝負をつけられなかったことを瞬時に恥じて、潔く礼を尽くした上で去るべきなのだ。横綱というのはそういう地位(というか本来は尊称であり、現在は力士の最高の地位となっている)である。大関のように陥落もなく、番付の上下はもうない。なので勝って当り前、負けが混めば引退…という厳しい立場でもあるのだ。
この光景をスポーツ番組だったか何かの番組でやっていて、スタジオのコメンテイターに感想を求めていた。求められたうちの一人が「さくらパパ」であったが、このオッサンは「いいんですよ、スポーツなんだから負けて悔しいのは当り前!」と相変わらずゴルフ以外には門外漢のくせに知ったようなことを言い、さらに「朝青龍関はさくらの(明徳高校)先輩ですから、応援してます!」とそのへんのオバハンのようなコメントをしていた。バカはすっこんでろと思うが、テレビってまあそういうところではある。問題は何度も言ってるように、こういうコメントを見て「そうだ」「あ、それでいいのか」と思う人間が増える「バカの拡大再生産」だと思う。
以前拙記事「朝青龍注射疑惑と最近の大相撲」で述べたように、相撲というのは「スポーツ」ではない。柔道や剣道、合気道、茶道や書道などもそうだが相撲にも相撲道という「道」がつくように、これらには作法があり礼があり、道がある。もちろんその他のスポーツにもルールがあり最低限のマナーやモラルがあるのは言うまでもないことだが、そういう一般論としてのスポーツに対する言説を、とくに元々が神事として始まっている相撲(鹿嶋神宮と諏訪大社の「神様」同志の対戦が最初だった、と伝説にある)の場合に当て嵌めることは間違っているのだ。なので、土俵上に女性が上がれないのも一般的な感覚からすれば「差別」であろうとも、伝統競技、伝統芸能、あるいは神事であり見世物としての行事、何でもいいがとにかくこと「相撲」にそれを持ち込むことはナンセンスなのである。
この「さくらパパ」こと横峯良郎はそういうことも知らずに軽々しくコメントをしているわけだ。まあ今に始まったことではないが。彼がプロ経験もないのに娘にゴルフをやらせるために全てを注ぎこみ、見事にプロに育てあげたことは賞賛に値する、それは認める。そのこと自体の是非(娘の人生を親が規定するとか、子供に親が勝手に夢を託すとか、まあいろいろ)はともかく、あそこまで娘に物心ともに全精力を傾けられるってのは凄いなあ、とも思う。だがデタラメなことを公器を使って吹聴したり、間違った情報や価値観を喧伝されるのは困る。とくにテレビというメディアは格段に影響力が大きいし、直裁であるがゆえに子供らに浸透するのも容易で、速い。
子供が偉くなると、勘違いした親が「ワタシが育てました、だからワタシも偉いんです」と露出してくる連中も多い。昔はあんまりこういうことは無かったと記憶しているが、最近では当り前すぎてよく解らん。ハンカチ王子は今どき珍しい好青年(のように見える)だが、もう親が本を出したらしい。「ワタシが育てました」ってか、ハイハイようございましたね、と。最近はお笑いブームだがその親までタレントとしてノコノコ露出するようになったりしてきたから、もうテレビに対してモラルとかそういうものを求めるのは犬猫に「話せば解る」と説くよりも愚かなことと理解はしているのだが。(あ、犬や猫は真剣に話せばちゃんと理解してくれることがある)
それにしても、相撲が全くつまらなくなった。外国人力士が増えたから、ではない。外国人力士が増えることに何ら問題はない…とは言わないが、まあ仕方のないことだと思う。だが他のスポーツとは違う相撲「道」を、日本人にさえ教えることが難しくなってきている昨今、異国から来てさらに何もかもが異文化である社会に適合しなければいけない外国人が、とにかくまず相撲という「競技」を覚えることを第一とし、他がなおざりになることで、本来の「道」が乱れ、神事としての意味が失われていくことは大問題だ。一つ一つの所作にも根拠があり、作法があり、それを連綿と守り伝承することで美しさも守られてきたのに、それらが瓦解していっているのが年々見るに耐えられなくなってきている。そしてトドメをさしたのが、あの粗野で乱暴で傲慢なモンゴル人横綱なのだ。
今場所前には、常々問題視されてきた「過激な稽古」によって豊ノ島という力士に怪我をさせている。その後もこのバカ横綱の横暴は止められず、プロレスまがいの技をかけてみたり、気に入らない力士がいればボコボコにするなど、実社会でやったら即逮捕されるような狼藉ぶりはとどまるところを知らないようだ。
そもそも稽古は力量や番付が上の者が下の者に「胸を貸す」という表現を使うように、もちろん厳しく時には虐待に見えるような「ぶつかり稽古」などはあるものの、基本的にはあくまでも指導である。ぶつかり稽古にだってちゃんとした根拠と理由がある。そういった荒稽古をこなしていくことで、力士はスタミナを養い、強靭な足腰を作り、あらゆる勝負の場面に対応できる力を学ぶ。その中で、上下関係や礼儀作法、相撲界のしきたりなども同時に学んでいく。これらを指導するのはもちろん先輩や親方である。
とにかく外国人力士を入れることはいいが、それを指導できない周囲の人間に問題がありすぎる。とくに朝青龍の師匠は元大関の朝潮であるが、心技体のうち心を全く指導できていない。恐らく横綱経験がないということで、朝青龍からもナメられているのがヒシヒシとわかる。ともかくそんな段階で昇進させねばならなかった相撲界の現状にも問題があるが、それはそれとして、とにかく番付が上なら年長者だろうが先輩だろうが関係ねえ、強ければ何をしてもいい、何か文句あるか、文句のある奴ぁかかってこい…ってお前はジャイアンか。
彼を庇う勢力側の言い分として、「格闘技に怪我はツキモノであり、稽古場とはいえ怪我をするのはする方が悪い」というものがある。まあ相撲をその他の格闘技やスポーツと同一視するオツムもどうかと思うけれども、一見まっとうな言説のようにも思える。だが、「稽古」に名を借りた「理不尽な暴力」によって怪我をさせられることを正当化する精神構造が理解できない。例えば豊ノ島事件の場合は、報道などによると朝青龍は「勝負が決まったあともエビ反り状態にになっている豊ノ島を容赦なくひねりながら寄り倒し」、結果「不自然な形で背中から落ちた豊ノ島はうずくまると自力では立てずに若い力士に両脇を抱えられて病院へ直行、X線検査の結果右のひざと足首の内側じん帯損傷と診断された」という。普通ならついつい気合が入りすぎたことはあっても、その後相手をいたわり気遣うだろう。「格闘技なんだから怪我はつきもの」という連中は「怪我をさせてもいい」「怪我をしたらした方が悪い」と言っている。じゃあお前が同じことをされても文句言うな。
さらに、こうして稽古相手に怪我をさせた後も朝青龍の「興奮は収まらず」、次の相手に豊真将を選び、いじめのような稽古を繰り返したという。一人の力士に怪我をさせたあと、病院送りにさせた後、だよ。繰り返すが、まっとうな稽古で気合が入りすぎ、ダメを押すようなことになっても、まあ仕方のないことだろう。かつての千代の富士の稽古もそれはそれは厳しかったそうだし、我が家の数十本に及ぶ25年前からの相撲モノのビデオでも、鬼の形相で弟弟子の北勝海(のちの横綱)に稽古をつけ、スタミナ切れで土俵に転がった北勝海に竹刀で気合を入れている様子が見られる。だがこういう「荒稽古」と、面白がって相手をただいたぶること=反撃できない立場の人間にプロレス技をかけたり、相手が力を抜いているのに壁や土俵にたたき付けたり、やりたい放題をやるのとは全くもって意味が、次元が違うことだ。
また別の勢力は「朝青龍に品格を求めるのは欺瞞である」といっている。確かに先にチラと述べたように、相撲業界自体に、外国人力士を受け入れなければ相撲そのものが興行として成立しない、品格ウンヌンよりまず強い力士に育ててとっとと上位へ進出してもらわないことには、盛り上がらない…などという側面がある。つまり朝青龍という若者を粗野粗暴なモンスターにしたて上げたのは、他ならぬ相撲業界である、という考え方だ。それはその通りで、興行として、ビジネスとしての相撲というものを考えると、ヒールとしての朝青龍の存在は今や欠かせないことも事実だろう。だが、「だからといって、大相撲である以上(あるいは人としても)、間違っていることを、間違っていると言うこと」を非難するというのはなにごとか? いいことと悪いこと、正しいことと間違っていることの区別がつかんか? 逆説的に朝青龍を認め礼賛すると一件カッコいいかのように思えるオツム構造ってどうなってんだ? じゃあ犯罪がなければ警察が成り立たないか? 脳みそ取り出してよぉく洗濯しろ。ひだひだの間に汚れ溜まってっから、そこんとこよぉくもみ洗いしとけ馬鹿。

今場所後、おそらくもう一人のモンゴル人力士が誕生する。白鵬であるが、こちらの若者の方がまだマシ…と思ってたら、場所前に朝青龍ばりの稽古という名の暴行を働いたそうだ。場所は大島部屋だったそうだが、大島親方(元大関の旭国)が注意しても、その後「全然気にしない」と平気の平左だったらしい。旭国はかつて小兵ながら元祖「技のデパート」と言われた名大関だった。真摯に学べばさまざまなことを教えてもらえるはずである。だがこのモンゴル人の若者は、相手が「元大関」ということでナメてるのか、耳を貸そうとしないようだ。白鵬の父親はかつてモンゴル相撲の大横綱で、今も国民の尊敬を集めている存在だそうだ。ならば親から学べ。いや、ダメか、モンゴル相撲と日本の相撲は「道」が違う。
今後の相撲界、あと何場所我慢して見続けていられるだろうか。
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2007-05-21(Mon)

今月の診察日

5月21日(月)
朝は目覚ましの鳴る前、7時半前に起きる。今日は月に一度の診察日なので早起きしたわけだが、間もなく連れ合いも一緒に行くと言って起きて来た。支度をして7時40分ころ家を出る。中仙道に出るとすぐに空車が来たので、病院へ向かってもらう。いつもの坂上手前〜環七までの渋滞も思ったよりひどくなく、病院玄関に着くと8時20分。これまでで一番早いかも知れない。連れ合いを新患受付並び、呼吸器内科手前のテーブルセットの椅子で待つように言って、内科受付へ向かう。
内科受付前は8時半からの受付開始を待つ老人たちが1ダースほど。デカい声でここの病院はこうだ、ああだと知らない人へ得意げに説明しているババァの声がうるさい。耳が遠いのか、そうですか、それじゃあしょうがないっすね…。そんなのを聞きつつ自分も一旦椅子に腰を下ろすが、ササッと後から来たおっさんが中へ入って行ったので、受付が開く前でも予約の患者で事前に検査がある人は入ってってもいいんだと思い、俺も続いて中へ入る。中はもうナースらがてきぱきと動いており、俺が診察券を出して名前を告げ、採血が入ってる旨を言うとあっさり連絡票をくれた。連絡票を受け取って出て、そのまま地下の採血受付へ向かう。採血室もまだカーテンが閉まっていたが、その前の廊下にあるソファにはすでに5人待っていたのでビックリ。座って待ってると間もなく8時半ちょうどにカーテンとドアが開けられ、受付前に待ってた人が立ち上がって並ぶ。なぜか俺より先に来たのに並びに加わらない人もいたので、「?」と思いつつ並んだ。何でここにいるのかなあ。
俺の採血受付番号は5番。中に入ると、最初の人が呼ばれて採血を終え、すぐに俺が呼ばれたので、実質2番だった。もちろん今までで一番早い。今回は3本採血される。いつものように針がブスリと入るところから試験管にターッと自分の血が放出される一部始終をじっと見る。採血を終えて右腕を抑えつつ連れ合いのところへ戻ろうとすると、ちょうど向こうから歩いてきたので合流する。マスクと週刊誌を買おうと売店に寄ったら8時半からで開くまで待ってたが、読みたいものがなかったのでそのまま戻ってきたという。一緒に地下のスターバックスでアイスラテを頼み、二人で病院前の外に出る。病院の中はまさか暖房は効いてないだろうが、暑いのだ。
外は陽射しが強いものの、日陰はちょうどいい気温。天然のクーラーが効いたような涼しさで快適。病院前のベンチはいい場所は取られていたので、屋根つきで日陰になっているバス停に向かう。池袋行きのバスを待つベンチへ行き、座ってスターバックスラテを飲む。採血はすぐ終わったのはいいが、今日の診察予約時間は10時45分と、いつもよりずいぶん遅い。まだ2時間近くあるな、と二人で顔を見合わせる。ゆっくりラテを飲んで休み、10分前くらいまで時間を潰して、最初の椅子に連れ合いを待たせて俺だけ内科診察室へ行く。
診察室前の椅子はほとんど埋まっていたが、何とか1人分空いていたところに座って待つ。10時45分になると別の二人組が4番に呼ばれて入って行き、10分ほどで出てきて、その後俺が呼ばれたので中へ入る。いつものように「お変わりないですか?」「ええ、全然…」という会話で始まる。採血の結果は、またしても横ばいだった。WBCが1400、うち51.2%が好中球で実数は700ちょいということになる。赤血球、ヘモグロビンなど貧血関連は全て正常値より低値のまま。PLTも94000と10万を切っている。肝、腎機能などに異常はなく、LDHが今回は252とやや高めながら、まあ大きな上昇ではない。触診でも触れられるところのリンパ節の腫脹は横ばいかむしろよぉく確認しないと解らないくらいで、やはり最も大きいのは相変わらず太鼓腹になった脾臓である。総合的にみて「変化なし」であり、「無治療・様子見」継続。ホッとする。
自分の体調から言っても、診察室に入るなり「白取さん、大変ですよ! 今回の採血結果だと、すぐ治療に入らないと!」と言われるようなことはないとは思う、思うけれども、何があってもおかしくはない。そういう不安は常につきまとってあるのだ。実際、この病気が解ったときだって、「何でもないよ、大丈夫」と無根拠に自分を納得させて診察室へ入ったら「癌細胞が出た」と言われたのだし。ともかく一ヶ月ごとのこの「確認」が、改めて生きていること、家庭で自由に暮らせることの嬉しさを再確認させられることでもある。
お礼を言って診察室を出て、先ほどの椅子を見に行くと連れ合いは寝ていたので、先に地下へ降りて会計を済ませる。再び上がってくるとちょうど薄目を開けたところだったので、目で合図して合流。「変化なかったよ」と報告して外へ出る。いい陽気の中、住宅地の中を抜けて川越街道へ出て、ハッピーロードを大山駅へ向かう。相変わらず病気に進行が見られないのは幸いで、ありがたいことだ。何よりまた普通に日常を送れることが一番嬉しい。それは横を歩いている連れ合いも同じだろう。
生きていること、いや生かされていることに日々感謝しよう。
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2007-05-12(Sat)

川口市立グリーンセンター

5月12日(土)
夕べはタモリ倶楽部〜検索ちゃん〜oh!dolly悲宝館〜虎ノ門と見て、2時半過ぎに寝る。朝、10時半ころ連れ合いの次女・二女の母でもあるYちゃんから電話があり、今日母の日だからプレゼント持ってこっちへ来るという。その後長女で平塚に住む、こちらは二男の母であるMちゃんからは連れ合い宛てにクッキーの詰め合わせが届いた。二人は母の日を毎年忘れないでいて、偉いものだと感心する。
Yちゃんは1時過ぎに来るつもりだったというが、どうせならこっちで一緒にお昼ご飯を食べようということにして、すぐに向かってもらうことにする。Yちゃんは長女M、次女Sと共に12時半ころマンション前に到着、我々も乗り込んで近くのCOCOSへ行く。お昼どきなので混雑していたが、ちょっと待つと割合早く禁煙席に座れた。浮間のCOCOSは、以前は禁煙席がちょっとだけで、大部分が喫煙席だったのだが、改装した後は禁煙席が大幅に増えており、仕切りで分煙もしっかり施されていた。
病気をする前は自分もエントツのようにタバコを吸っていたのだが、吸わなくなっていかに周囲に迷惑な行為かがよぉぉく解る。とりわけ食い物屋はカウンタだろうがボックスだろうが、分煙できないなら全面禁煙にすべきだと思う。他人の口から吐き出された煙をなぜ自分が食べ物と一緒に摂取させられねばならないのか、その理不尽さに殺意さえ覚えることもある。もちろん以前は自分がそんな厚顔無恥な行為を平気でしていたことを思うと赤面の至りではあるが、別に吸うなとは言わぬ、煙は本人周辺だけにとどまっているわけではなく飛散するのだから、であれば他人に迷惑をかけない場所で、あるいは迷惑をかけぬ方法をとれ。出来ないなら煙を撒き散らす側を隔離しろ、つまり入店させるな、ということだろう。
COCOSでは、俺は和風ハンバーグとエビフライのランチセット、連れ合いはホイル包み焼きハンバーグにパン、Yちゃんはあんかけチャーハン、子供たちは子供包みハンバーグに皆ドリンクバー付き。ゆっくりお昼を食べて、さてどっか出かけようかということになる。Yちゃんが川口に花や緑を満喫しつつ、遊戯施設もある「グリーンセンター」というのがあるから、そこへ行こうという。
グリーンセンターの駐車場へ入ろうとすると、整理のおばちゃんが満車で「第二駐車場」というところへ廻れという。ゴールデンウィークも終わったというのに人気なのねえ、と思いつつ一度迷ったりしつつ駐車場に車を入れ、2時過ぎに入園する。入園料は大人300円。すぐに子供らがトイレと言い出したので、ついでに俺も用を足し、それから中をそぞろ歩く。
ここは川口の市立の施設で、中は植物園風の施設あり、芝生あり草花の中を歩く遊歩道あり、子供たちが一度に百人以上は遊べるかというアスレチック風の遊戯場あり、さらに園内を走る「ミニSL」まである。せっかくだから乗っといで、と子供二人とYちゃんに券を買ってやると、SLはここに戻ってくるのではなく、走ってった先に「終点」があり、そこで降りるのだという。ということは俺らはここで待ってるというわけには行かず、先回りをしなくてはならない。そんなに一所懸命歩くのは辛いなあと思い、じゃあ俺らも一緒に乗ろうということにした。
ミニSLは軌道が幅15cmか20cm程度で、椅子も幼児サイズ。先頭に係のおっさんが座り、その後ろ5,6両に幼児とその親たちがまたがるように座るようになっている。俺たちも乗り込んで出発すると、小さいのに以外とちゃんと走るのでびっくり。地面に近いのでそれなりにスピード感もあるし、コースも途中踏み切りがあったりトンネルや駅があったりと、意外と楽しい。道々、他の入園客が手を振って見たり写真やビデオを撮ったりと、なかなか面白かった。こりゃ子供はもっと楽しかろう。
ミニSLが着いたところの近くがちょうど子供らを遊ばせる滑り台やらアスレチック系やらのコーナー。幼児2人は目をらんらんとさせて「遊ぶ!」と言ってるので、監督のYちゃんと2人をそこで遊ばせ、俺と連れ合いはソフトクリームを食べつつ座ってそれを見ることにする。
天気は良く、汗ばむくらいの陽気で、園内もけっこうな人出だ。今ぐらいは暑いといっても夏でもなく梅雨になる前だから、一番いい季節かも知らん。緑に囲まれてるし、いい気持ちだ。調子にのってソフトを食べた後、ラムネも飲んでしまった。しばらくして3人が戻ったので、菓子や氷を食べさせると、Mがまだ遊びたいというので、俺ら夫婦二人は今度は園内をそぞろ歩く。
インドクジャクのオス
何だかやる気のない雰囲気漂う温室で蘭の鉢を見たりして、「バードセンター」というコーナーで孔雀のオスが羽根を広げてメスに求愛するもシカトされているのを笑いながら見たり。しばらくするとYちゃん母子3人が合流し、一緒に孔雀を見る。つがいで4組の孔雀がそれぞれ檻に入っているのだが、一羽のオス孔雀がメスに迫ってると、他のオス孔雀も次々と羽根を広げ、ついに4羽の競演(?)となった。小刻みにカサカサと羽根を震わせて、時折「ケーッ!」とか言いつつメスに「オラオラどうよ、俺の羽根綺麗やろ、なあ、やらせてや〜、ええやんかぁ〜」とフキカエたりする。そのあたりで5時の閉園時間となり、駐車場へ戻って帰路につく。Yちゃんにマンション前まで送ってもらい、帰宅6時前。さすがに足がちょっと疲れたが、久々に緑をたくさん見たので気分はいい。同じそぞろ歩くのでも、アスファルトの上、コンクリートの建物の間を歩くのとは大違いだと思う。やはり自然は人間に優しい。
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2007-05-09(Wed)

■1 やまだ紫、「COM」との出会い

白取:漫画家になろうと思ったのは漠然といつぐらいから?
やまだ紫:高校生ぐらいかな。物心つく前に亡くなった父親が絵描きで、私も小さい頃から絵ばっかり描いてるような子で、漠然と絵を描いて仕事にしていきたいと思ってはいたけど。父親の描いた戦後の進駐軍の外人の肖像画がシルクスクリーンで何枚か残っていて、それがすごく綺麗で、そういうのを中学生くらいの時に見て。
白:漫画という形式ではいつぐらいから描きだしたのかな。
紫:高校出てからかなあ。鉛筆描きでコマ割とかして描いたりは高校時代からしてはいたけど、原稿という形で投稿を意識したのは高校出てからじゃないかなあ。
白:その高校を出た年・1966(昭和41)年がまさしく「COM」が創刊された年なんだね。いちおう12月なんで「67年1月号」ということになるから、「COM」の創刊は67年だと思ってる人が多いみたいだけど。で、やまだ先生はデビューが「COM」なので、まずは「COM」のことから始めますか。雑誌の創刊は「ガロ」が1964(昭和39)年なんで「COM」より先だったんだけど、「ガロ」のことは創刊当時は知ってたの?
紫:見て知ってはいたけど、「ガロ」は水木(しげる)さん、白土(三平)さんとかつげ(義春)さんとか男の人ばっかりで入っていきづらかったと思う。
白:白土さんの作品は好きだったんでしょ。
紫:そうそう、貸本時代から白土三平さんの忍者ものとか九ノ一ものね。忍者の子供が父親に教育される様を描いたのがあって、父親が麻の木を一本植えるわけ、麻は伸びるのが速いから、一日一回飛び越えていくといつの間にかジャンプ力が鍛えられるという。
白:「忍者武芸帳」ですな。
紫:そう、それを読んでこの人はモノを知っているなあ、山の人なのかなあ、とか思ったりして。あと九ノ一が男の忍者に追いかけられて、服を脱がされて素っ裸になって逃げるところがあったりして、ちょっとエロチックに感じたりした。
白:でも、「ガロ」には投稿するに至ってないのは、やっぱり雑誌の印象がまだ当時は年齢が高くて男っぽかったから、という。
紫:そうね、それと「COM」との出会いが強烈なものだったから。当時世田谷の三宿にあった実家にまだ住んでいたんだけど、その近辺の書店をやたらめったら歩いて本を探すのが好きだったのね。でその時はいつも行かないんだけど、たまたま池尻にあった本屋まで足を伸ばして、立ち寄ったら棚ざしになってた「COM」があった。読んでみたら、デビューしたての岡田史子さんの作品が載っててね。岡田さんの絵のタッチとか、だるい感じのストーリーとか、たぶんムンクをモデルにした漫画なんだろうけど、とても自由に描いてある作品で。そういうのが載ってる雑誌を見たのは「COM」が初めてだったから。「こういう自由な雑誌があるんだ」と感激して、帰ってすぐ投稿作品を描き始めたの。
白:岡田さんの作品とそれを掲載していた「COM」という雑誌そのものがきっかけになったわけね。
紫:それ以前に少女漫画雑誌に投稿したことはあったんだけど、何の返事も無かった。漫画の投稿形式を知らなかったし、まあ問題にされなかったんでしょ(笑)。で「COM」の場合は最初に送ったあと「あなたは原稿の描き方を知らないからちょっと来ないか」と言われて。行ったら他の人の原稿を見せてくれて、その後自分で漫画の描き方の本みたいなのを探して、それから初めて墨汁とペンで描くということを学習したわけ。
白:それもすごい話だなあ。
紫:すごい汚い線で、しかも黒インクを万年筆につめて描いたりしてたから、線の太さも均一でなかったり、そもそも原稿の大きさも違ってたしね。そういえば当時は今大学(京都精華大学:マンガ学部)で同じ教壇に立たせてもらってる竹宮惠子さんも入選してるのよね。みんな最初からよく漫画の描き方知ってたよね(笑)。それから私はデザイン事務所へ入ったんだけど、「COM」へひんぱんに投稿するようになったら、年間新人賞みたいなのを獲ったの。
白:正式な入選は1969年5月号に『ひだり手の…』(青春-実験まんがコース佳作第1位)という記録になってるね。
紫:最初に載った後は作品を描くと「COM」が載っけてくれてたから、その原稿料で食べていけるような状態だったと思うよ。なのでデザイン事務所は辞めちゃったのね。あと実は「COM」のあと、「ビッグコミック」に一回佳作入選してる。
白:おお! それは初耳だ。ビッグコミック賞(68〜77年)ってもんの凄〜く入賞が難しいので有名な伝説の漫画賞っすよ!
紫:そのときのビッグコミック賞が御厨さと美だったかなあ。私は佳作(笑)。
白:いや、実は調べたところによると、全18回のうち「ビッグコミック賞」そのものを受賞したのは70年(第4回)の戸峰美太郎と75年(第14回)の一ノ関圭のたった2人っすよ! だからあとは皆佳作か、準佳作(やまだ紫のほかの顔ぶれは谷口ジロー、日野日出志、西岸良平、御厨さと美、諸星大二郎、弘兼憲史、わたせ青三…とこれまた物凄い)。なんでそのままビッグコミックには行かなかったの?
紫:そうねえ。普通佳作まで取れればその後はどんどん描けば良かったのにねえ。でも何か食指が動かなくて…。雑誌にシンパシーをあまり感じられなかった、というと語弊があるかな。それはもちろん当時の私の個人的な思い込みなんだけれども。「何をここで描けるんだろう」ということを考えると、ああいうところは編集と作家とアシスタントがいて…みたいな関係が綿密に決まっていて、自分が単身入ってもかなりの苦戦になるだろうし、傷を負うか筆が変わるかどっちかだろうと思って、やめたんだと思う。
白:なるほどね。大手の漫画誌の世界は新人作家には担当がついてしっかり「教育」するからねえ。産業の中での位置関係とか歯車みたいなものもカッキリ決まってるし、とにかく「COM」の方が自由だと思った、というか。
紫:実際自由だったよ。まあ私の場合とことんメジャーには縁遠かったんだろうね(笑)。
白:当時の「COM」で描き手同志では…。
紫:当時私がいいなと思った人では方倉陽二さんという一コマ漫画の作家さんがいて。歳も近かったせいもあるし、年賀状のやり取りくらいしかしてなかった人だったんだけど、この人は九州にいたのが、ある日突然「東京で仕事をしたい」と手紙で言ってきて。そんなこと私に言われてもどうしようもないから、「COM」の編集の人に相談したの。それから皆でアパートを探したり、虫プロの方でアルバイト先も見つけてくれて。それがスタジオ・ゼロ
白:ほおお、それは大変なところを。ていうかいちいち凄い話ですな!
紫:それがきっかけになって、他の「COM」の新人さんたちも続々と上京したり、在京のメンバーとも交流が深まったわけ。当時の私たちのメンバーは、私と方倉さんのほかには芥真木(あくたまき)諸星大二郎(当時は諸星義影)、畑田郎、ガンケ・オンムとか…。
白:これまた凄い顔ぶれで。「交流」というとどこかへ遊びに行ったりとかした?
紫:うん、海行って民宿泊まったりとか、あと箱根の方へみんなでキャンプへ行ったりとかしたっけ。お酒持ち込んでね、外でBBQしたり。みんなそういうのが初めて同士の集まりだから、キャンプでの自炊なんかどうしたらいいかわからなくて、結局まあ女の子がやるしかないわけ。私は子供の頃から料理やらはやらされてたから良かったけどね。で、そのとき味噌汁を大鍋で作ったんだけど、出汁と具はあったんだけど味噌が足りなくて、みんなが飲んで「薄い薄い」って言うわけ。で私が「じゃあ醤油を足そう」って言ったのね、味噌も醤油も原料は同じだから。そしたらそういう道理を知らなかったらしくて、方倉さんが「そんなのダメだよ!」ってなぜか強硬に反対して。でも私が知らないフリして鍋にスキを見て醤油を足したわけ。でハッと振り返ったら私の背後にいつの間にか片倉がいて、私のことを殺しそうな目で見てるわけよ(笑)。これしきのことで何て顔すんだと思った。でも結局その後みんな美味い美味いって食べてたけど。
白:そこは諸星さんも一緒だったんでしょ。
紫:諸星大二郎は酒飲めないのにみんなと一緒の調子で飲んじゃってねえ。「さあ寝よう」という頃になったら雨がパラパラ降ってきて、キャンプ場の小さい小屋、みんなで雑魚寝する場所なんだけど、そこへ行ったわけ。そしたら諸星がちょっと「トイレ行ってくる」って行って出てったきり一時間くらい戻ってこない。さすがに心配になって誰かと二人で見に行ったの、懐中電灯持って。そしたらトイレの前の砂利が敷いているところに大の字になって口開けて寝てた(笑)。もう少しで溺れ死ぬとこ。しょうがないから二人で雨の中、びしょ濡れの諸星をかついでエッチラオッチラ帰ってきたよ。
白:へええ。陸上で溺死寸前(笑)。
紫:お酒にはからきしダメな男だったんだけど、諸星さんは性格的にちょっとキツいところもあってね。普段は茫洋とした感じなんだけど、思いがけず人の肺腑をえぐるようなことを言うところがあった。女の子が失恋したというようなことがあると、みんなは察してそっとしておいてあげるんだけど、そんな時に諸星は「フラれたね!」と。その子をブスリと刺しちゃうようなところがあった。そういうのを楽しんでいるような感じもあったかなあ。後の作風にもちょっと出てるかもね。彼は「COM」に描きながらもあらゆる雑誌に投稿をしていたようで、能動的にやってて、偉いなあと思ったよ。
白:メジャーではジャンプで手塚賞もとった(「生物都市」1974年)しね。俺は当時まだ子供だったんだけど、そのジャンプは今でも鮮明に覚えてる。凄い誌面的に違和感がある作品で、ジャンプという場に。あの人間が植物とかに同化していくような絵とか、もうこんな作品初めて見た、と興奮したのを覚えてるし。
紫:まあでもああいう作品は水木(しげる)さんも描いてたんだけどね。今思い出したけど、「COM」当時のメンバーとは後で私が「ガロ」で描くようになって、「COM」もなくなっちゃって、その後全員がそろうようなことは無くなったけど、個別には話したり会ったりすることもあったのね。その頃私は真崎守(まさきもり=峠あかね)さんの作品がいいなあと思っていて、本人とも会ったりして感化されてたりする部分もあったりしてたの。でいつだったか真崎さんのところへ遊びに行くことになったのね。それで諸星さんに「面白い人がいるから諸星さんも一緒に行こうよ」って誘ったわけ。ちょっとびっくりさせてやろうと思ったから、誰に会いに行くかは言わずに連れてったの。それで「こんにちは〜」なんて仕事場へ入ってって話を始めたら、真崎さんがいきなり諸星さんのことを批判し始めたの。
白:え、ご本人を目の前に? 真崎さんは諸星さんだと知ってて?
紫:そう、知ってて。「こんなものを描いていて続くわけがない」とか、もうかなりキツいことをバンバン言って。諸星さんも途中から怒っちゃうし、気まず〜い感じでね。帰り道はもう諸星さんは気分害して怒ってるから、私は悪気はなかったし、ただただ申し訳ないと思って謝って。その後もずいぶん何度も謝ったんだけど結局許してもらえなかったみたい。だからその時のことをずっと怒っていたんだと思うよ。後に何かの時に私が「ガロ」のことで諸星さんに一文お願いするようなことがあったのかな、そのときに「僕ぁガロ嫌いだから!」って言われて。別に自分が「ガロ」を嫌いなのはいいけど、何でそういうことを言うかな、もっと言い方があるだろうって思ったよ(笑)。まあそういうところは変わってないな、と思ったけど。あの時もまだ怒ってたのかも知れない。真崎さんも当時諸星さんの才能にちょっとジェラシーみたいのがあったのかも知れないし、その辺は解らないけどね。
白:そういえば、貴女が「COM」に進むきっかけになった岡田史子さんとは?
紫:あ、もちろん私は同時すごく岡田さんと話したかったのね。「赤い蔓草」(1968年12月号)とかも大好きだったし。でもあの人は凄く変わってて、人を避けるような暗いというか、そういうところのある人で。結局ちゃんと話したことは無かったな。何かの集まりとかがあって、こちらから話しかけても返事が無かったりしてね。そのうち(岡田さんは)「COM」の編集さんと親密になって、「北海道へ心中に行く」とかいっていなくなっちゃったり、「やっぱり死ねなかった」って戻ってきたりとかいう話を聞いたことがあるけど。岡田さんはその後もったいないことに作品を発表しなくなっちゃってね。
白:先年お亡くなりになったもんね…あれはショックだった。(関連…「岡田史子さんが亡くなった」)…そうそう、「COM」といえば手塚治虫先生とは?
紫:最初にお会いしたのは確か、大阪で「COM」関係のシンポジウムみたいのがあって、私も呼ばれて新幹線で行った時かな。こちらはもちろん、すごい人だからと思って生唾モノで待っていたら、「あ、どうもどうも」みたいな普通のトーンで入ってきて。「やまださん? ああ、僕の姪っ子にそっくりだなあ〜」ってニコニコ笑っておっしゃって。私の方も「ああ、父親の顔にそっくりだなあ」と勝手に思っていい気分になったりして。
白:確かにちょっと似てるよね、貴女のお父さんと手塚先生。
紫:私の作品も凄く高く評価してくださって、嬉しかった。手塚先生は威張りもせず謙遜もせず、新人にも偉い人にも誰にでも、いいバランスで普通に接してくれる人だったよ。
白:本当にそうね。ずっと後のことになるけど、俺もお会いした時はすごく普通に「ああ、ガロの? 大将(長井勝一・ガロ編集長)元気!?」ってニコニコ笑って握手してくれたよ。「ああ〜、手塚治虫だぁ〜、本物だぁ〜!」と思った。その後世間話をちょっとさせていただいたと思うんだけど、舞い上がっててあまり覚えてないし…。当時の「COM」は手塚先生の「火の鳥」が、まあよく言われる「ガロ」における「カムイ伝」のような柱的な作品だったわけだけど、当時の印象は?
紫:「火の鳥」は簡単に言うと、人間が地球上で繁茂する時代の前にもっと別の種が繁茂した時代があった、その生き物がそれぞれ地球上で文化を築いていって、間違った進化をして破滅を繰り返す、その挙句に今の人間がいるとか、あとは古代史的な話ね、卑弥呼の話とか…。そういうスケールの大きい、物凄い知識と創作能力と、それと意欲もないと描けない壮大なお話よね。
白:まさしく「漫画」という表現の限界に挑戦するようなね。「COM」以前、以後も色んな雑誌を流転しつつ、結局手塚先生にして未完に終わったものだから。
紫:「火の鳥」のテーマの一つに「不老不死」があると思うのね。よく知られているように、火の鳥を捕まえてその血を飲むと不老不死になると。それで誰かが火の鳥を捕まえて血を飲んで不老不死になるんだけど、人間の身体、肉体は物理的にどんどん衰えて行く。で結局無くなってしまっても、不老不死だから死ねないわけでしょ、だから最後は精神だけみたいになってもまだ昇天できずに生きている…という、逆に生きていることの苦しみのようなことも描いてたよね。あれはものすごい衝撃を受けたし、神話や歴史と絡み合った壮大なストーリーで、本当に面白かったなあ。
白:でもプロダクション制作じゃないと描けないね、とてもとても。
紫:うん、ああいう壮大なテーマを追い続けることができる、一点集中でその創作に専念できるというのは、ある程度キャリアを積んだりそれなりの待遇を周囲が、媒体とかも与えてもらえないとダメだよね。それで自分をフォローしてくれる人たちの塊で、集団で前へ進んでいくことが出来るということでしょ。男の場合は特にそうで、家庭を顧みずに「創作活動」に没頭、邁進できるというか。女の場合はそういう強い確信的な意欲がそもそもない場合が多いし、結婚もする、子供も産むということになると軸足をどこに移すかということもある。生活という部分を大事に考えると、どうしても漫画のことばかり考えてはいられないと思う。
白:まあ色んな意味で「恵まれた環境」にある人は別だけどね。
紫:だから女で一国一城の主になろうとすれば、結局そういったもののどれかを犠牲にしなければならないわけで。男の場合は多少家庭を犠牲にしても子供を「生ませること」はできるわけでしょ。でもお腹を大きくしてって産み、育てるのは結局女任せということが多い。男の作家が周辺と集団になって作品制作を主軸に突き進んで行けるのは、先生を頂点にしたヒエラルキーみたいな力関係がキッチリ構築されているから、意思の疎通とか方向性なんかでもうまく行く場合が多いでしょ。でも女の人がそれをする場合は企業感覚というか、上から見た力配分がうまくいってなくて、「先生の力」だけに集約させるような傾向が目立つように思うのね。
白:どういうこと?
紫:つまり男ではちゃんとした「社長〜部下」という序列があるんだけど、女のプロダクションだと女王様の中心にアシスタントという働き蜂が囲んでいて、その働き蜂同士の中での力関係が非常に危ういものがあるんじゃないかと。
白:ああ、縦の序列というか力関係を組めるのが男社会で、女社会はフラットな同心円の中心に先生がいて、取り巻きが周辺にいる、みたいな。
紫:そうそう。それを外から見ていると、その働き蜂つまりアシさんたちは自分の先生に内緒でよそのアシさんと交流があったりするのね。その情報交換のネットワークみたいなものって、実は非常に緊密なのよ。私みたいな一匹狼じゃないけど、一人でやってるところまで情報が流れてくるからね。それはたまたまいつものアシスタントさんじゃ手が足りないとか、都合がつかなくて編集部に頼んで来てもらった人が少女漫画の人だった、なんて場合なんだけど、そういう人がけっこう不用意に内幕をしゃべっちゃったりするもんだから。私は関心ないふりをして聞いてるけど、内心「濃いなぁ〜」と思って聞いてるんだよね(笑)。けれどそういう働き蜂たちに囲まれている女王様たちってのは、実は権力欲というものをそれこそ男並にしっかりと持っていて、私みたいなそういうところには全く無欲な人間からすると、大変だなぁ〜と思うよ。まあもちろん中には少女漫画の人たちでも、「純粋に先生を守る!」という人たちもいて、女王様を囲む同心円の一番内側に近い部分はそういう人らで固められてはいるんだけど。それは先生の側でもちゃんと見極めてはいるんだろうしね、でもどうしても手薄になる部分というのは出てくるでしょ、キッチリと城壁があるわけじゃなくて、その同心円自体も辺縁部分はふにゃふにゃしてて案外入れ替わりがあったりして。そういうところから漏れてくるんだなコレが。
白:漫画も「マス」の世界でやってこうとすると、男も女も集団で制作する体勢、つまりプロダクション制を構築しないとならんわけで。そうなると人間の集団だから、色んなことが出てくるという。まあ人の上に立ってアレコレ命令するとか権力欲とか、そういうところから一番遠いところにやまだ紫という人はおりますからねえ。
紫:私は権力とか派閥とか、そういうものは要らないし関わりたくもないからね。

★2につづく…けど気長に待ってね。
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2007-05-03(Thu)

連休の過ごし方

5月3日(木・祝)
今日連れ合いは漫画家の村上もとかさんのお宅へ出かけるという日。やまだの勤める京都精華大学マンガ学部に、今度村上さんを客員教授として招聘するということで、プロデュース学科の教授である熊田さんと打ち合わせにお邪魔するそうだ。1時50分に石神井公園前駅で待ち合わせということで、連れは支度をして12時半ころ出かけていった。
俺はその後テレビを見つつソファでうとうと。今日は外は快晴、夏日になるという予報なのに、部屋で寝てばかりとは情けないが、ゴールデンウィークは毎年極力外出しないことになっている(笑)。せいぜいが近所へ散歩とか、買い物程度だ。仕事の連絡も連休中はほとんどないし、自宅でのんびりするに限る。ていうか俺病気だしなあ…って、もしバリバリに健康だったとしても、連休にどっか行楽地だの観光地へ行くということはしてないと思う。毎年毎年混雑する電車や渋滞する高速、人で溢れかえる観光地の映像を見るたび、日本人ってマゾなのかと思う。もちろん、多くの人は仕事の都合上、まとまった休みはこういう機会しか取れないことは重々理解申し上げるが、それにしても、もうちょっと考えようよ今どき…とも思う。
俺はというと家でうとうと&覚めるのを繰り返し、4時近くまでソファに転がっていたので自分でもビックリ。病気になってから、貧血のせいだろうか、また別の原因があるのだろうか、ともかく引きずり込まれるように眠りに落ちることがよくある。以前はソファで転寝をしても、目が覚めるとシャキッと出来たのだが、今は朦朧として再び襲ってくる睡魔に抗えないことが多い。うまく説明できないが、長年自分という人間と付き合ってる他ならぬ自分自身が、こんなの異常だと思う。
夕方4時過ぎ、連れ合いから打ち合わせを終えて池袋に戻ったと電話があり、志村坂上で待ち合わせようというので支度をして出かけた。熊田さんはなんとBMWのサイドカーで来たそうで、連れ合いはヘルメットを渡され、乗っけてもらったという。商店街をサイドカーでゆるゆると走ったら周囲の人が皆振り返って見たとかで、気恥ずかしいやら面白いやらで、貴重な体験だったという。村上もとかさんはご存知「六三四の剣」などで知られるメジャーな作家さんだが、実は奥さんともども「COM」のファンだったそうで、やまだ紫のことももちろん知っており、特に奥さんが大ファンだと言ってくださったという。
坂上ではいつもの中華料理店(何てこたあないフツーの店なのだけど、これが実は名店)でラーメンを食べて帰宅。
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2007-05-02(Wed)

ボストン・岡島の快投続く

今季のボストン・レッドソックスの、いやメジャーリーグの話題といえばもちろん松坂大輔一色で、同じく今季からメジャー入りした同僚の岡島秀樹投手は当初ほとんどマスコミも付録のように報道していたに過ぎなかった。
巨人時代の印象はヘンなフォームで凄いカーブを「時々投げる」左腕、くらいの印象だったような気がする。まあ自分はイナカ者特有の「小さい頃から巨人ばっか見せられたせいで否応なしになってしまいました的巨人ファン」を、ようやく先年のナベツネ傲慢発言でやめられたので、巨人の試合はあんまり見てないんすけど。
岡島はクローザー(日本ではなぜか「ストッパー」とドア止めのような言い方をしている)のパペルボンへのセットアッパー(中継ぎ)として、重要な役割を担ってのスタートとなった。
セットアッパーはロスター(メジャーベンチ枠)の中では比較的簡単にマイナーと上げ下げの入れ替えがあるので、立場としては「続けて打ち込まれるようならすぐ降格」という微妙なものでもある。シーズン中にトレードならまだマシ、ロッカールームに戻ったらマイナー降格を告げられ、深夜バスで移動…なんてことも茶飯事だそうだから、とにかく立場的には危うく、それでいて短いイニングに備えていつも準備を万全にしておかねばならず、また年間50〜80試合登板なんてのもザラ、タフでありかつ結果を常に求められる過酷な存在だ。
そんなセットアッパーとして、いや岡島は今もっとも活躍しているメジャーリーガーといっていい状態にある。1日(日本時間2日)のアスレチックス戦でも1回無失点と結果を出し、連続無失点は初登板以降12試合に伸びた。「ヒーローは大輔君でいい」「自分はシャドー」など、彼の腰が低くいつも笑いを誘うコメントは現地の記者たちにも人気で、それを見るファンからも徐々に人気が出始めたという。
この日の登板で防御率はとうとう0.66になった。かえすがえすも初登板、思い切り投げ込んだストレートが出会い頭にホームランされた1失点が悔やまれるが、ひょっとすると対戦相手は日本人投手はあこがれのメジャーの舞台に立つと、初球は思い切りストレートを…というのを知ってたのかも知れない…ってそんなわけないか。
ところでレッドソックスの地元紙「ボストン・ヘラルド」が読者を対象に行ったレッドソックスの4月月間MVPのインターネット投票で、1000人以上が投票した結果、岡島が全体の82%の投票を獲得したという(1日現在、Yahooニュース - デイリースポーツ - 岡島の快投劇続く!12戦連続0封)。ちなみに松坂は得票率7%で3位。
日本だと、こういう「中継ぎ」がいかに連続登板で無失点に抑えていても、それなりに評価はされようがまさか月間MVPに選出されるというようなことはまず、ないだろう。さすがベースボールの国のファンは目が肥えている。実際中継で試合を見ていると、岡島の投球で流れが変わり、味方チームの勝ちムードになったり、相手チームの勢いが止まったりするという場面が何度もあった。こういうところをファンはちゃんと見ている。
それより何より、球場にいるファンが皆、野球というゲームそのものに常に集中していること、楽しんでいることが遠く離れた国で衛星放送を通じて見ている者にもちゃんと伝わってきて、心地よい。以前も書いた気がするが、昔から野球をやるのも観るのも好きな自分が、なぜ今までほとんど球場に足を運ばなかったかというと、あの外野席での応援の強要、「球音」を消し緊張感をブチ壊す鳴り物の騒々しさが鬱陶しいからだ。好きなアーティストのライブに行っても、なぜかいきなりスタンディングになったりして、落ち着いて座って楽しむことが出来ないので、DVDを買って済ませるようになったのにちょっと似ている。
まあ最近は病人になっちまったので、どっちにしても家でまったりゆったりと観ているのが一番いいんすけどね。ゴールデンウィークとやらも。

★5/3追記
ニュースによるとMLBは2日、ア・リーグの4月の月間最優秀新人に岡島を選出。日本選手の受賞としては2001年(この表彰の新設年)に4度選出されたイチロー、翌02年4月の石井(当時ドジャース)、03年6月の松井(ヤンキース)以来4人目の受賞となった。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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