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2007-06-30(Sat)

能登へ行く 4

6月30日(土)
7時ころ起床、朝食はさすがにあまり食べられず。俺はどうにも腹が張り、一度朝食前に排便したので大丈夫かと思ったが、腹が痛い。大体空腹時でも腹が腫れてるんだから、食いすぎなんだよ実際…と自分でも思うが、おいしいから…。
食後はいったんテレビを見たり。ゆっくりと帰り支度をして、11時ころ下へ降りてチェックアウト。
その後、旅館のマイクロバスで「食祭市場」という水産物などの市場風ショッピングセンターへ行ってもらうことにする。天気は昨日までの雨風が嘘のようにおだやかな曇り空で、薄日までさしているのが皮肉だ。帰る日になってかい…。

十数分で着いたので運転手さんにお礼を言って降り、市場をそぞろ歩いてみやげ物を物色。しかし海産物はしこたま食べたので今ひとつ買うものもなく、連れ合いが集めているご当地キューピーの人形をまたしてもいくつか買ったくらいか。
市場の中をそぞろ歩いて二往復ほどしたか。途中の店で売っていた手作りコロッケを買って、海が見える室内広場のテーブルに腰掛けて、二人で食べる。これはサクサクほくほくして、実に美味だった。「おいしいね」と笑顔を交わす。
その後どうしようとなるが、俺はどうも腹の調子が悪く、膝も辛い。駅前まで散歩がてら歩こうかという気にもなれず、結局タクシーを電話で呼んで、七尾駅前まで行ってもらうことにした。
駅でいったん帰りの和倉温泉始発の電車が七尾に来る時間を確認し、まだ3時間以上あるなというので、連れが「お金をおろしたい」というのでローソンへ行くがATMがなく、向かいのショッピングビルへ行くと1階にATMがあったのでそこへ行く。
500円玉貯金は、連れ合いの口座にドカンと入金してある。本当に頑張ったもんなあ…二人で並べて数えるのは快感だったなあ…こういうところ来られて良かった…と思う。
ショッピングセンターの裏手に「タクシー乗り場」と案内があるのでいったん出てみた。しかしそこはただの、本当の「イナカの裏通り」で、本当にここにタクシーが待合してるのかと二人で笑ってしまったが、偶然そこにタクシーが客を乗せてきて止まり、下ろしたのでその後に乗り込む。本当に「タクシー乗り場」になった。
運ちゃんに適当にこの辺を案内してもらい、途中時間を潰したりして、再び七尾駅前へ戻った。それでもまだ3時20分発の越後湯沢行き「はくたか19号」まで1時間ほどあるが、二人とも疲れたので駅の待合室で時間を潰すことにした。
俺は携帯の充電器があったので100円入れて充電。駅には地元の女子中学生がローカル電車を待っていたり、やはり地元の老夫婦が待ってたり。その合間合間に俺たちのような観光客も混在している。

ベンチに座って駅舎の外を眺めていると、窓の外に絵に描いたようなヤンキー二人連れ。金髪の短髪で後ろ髪だけ長め、眉毛無し、金の極太ネックチェーン、龍のイラスト入り白のトレーナー、真っ赤なスエットのズボン。うーむ、凄い。70年代後半の臭いがする。顔を見るとほっぺが赤くてまだ幼い顔だが、タバコをひっきりなしにスパスパ、ツバをペッペッとやって、顔を歪ませて終始相棒と話している。時折下卑た笑い声を響かせている。連れがそれを見て珍しそうに「ちかおちかお、ヤンキー、ヤンキー!」と俺の肩を叩いて指を指すので、「シッ、目を合わせると屠られるよ」と注意する。

そんなこんなで時間になり、改札を通ってすぐ、1番線に電車が来たので乗り込む。指定席の車両は俺たち夫婦の他はパラパラと数人しか客がいない。改札に来た若い車掌に前の席は誰か来るんですか?」と聞くと「来る」というので、残念ながら椅子は廻さずにいた。ウソかもと思ったが規則でそう言わざるを得ないんだろう。
途中金沢で列車の進行方向が変わるというので、金沢手前でその車掌が席を順番に廻しに来た。俺らはそれを聞いて自分たちで座席廻し、その時にそれまでの後ろの席、つまり方向が変わると前になる席はワザとそのままにしておいた。これでボックス型になったのだが、車掌はそれを見ても何も言わなかった。黙認か。
なので、誰か来たら下ろそうと言って二人で足を乗せる。座ってるか足を乗せるかで全然快適さが違うので、ゆったりと乗る。ルールを破ったり人に迷惑かけてまで楽をしたいとは思わないから、誰か来たら除けようと人が通るたびに構えるが、これでいい。これが俺たち夫婦のスタイルだ。
金沢、高岡、富山…と客が入っては来るがパラパラとで、俺らの周辺にはほとんど乗ってこないので安心して足を乗せ続けていられた。行儀悪くてすいません。
結論から言うと、結局終点まで誰も来なかったが。
小腹が空いたので車内販売で「鱒のすし」を買って二人で食べる。これが実にうまかった。それにしてもこの路線の「景色」は今一つである。
何ということもない田園風景…と言えばいいが普通の田畑が続き、その後はトンネルばかり。途中左手に日本海が見えたりはしたが、ゆっくり眺めてるとすぐトンネル、その後もとにかくトンネルトンネル…で、何だか意地悪をされているような路線であった。
18時52分の越後湯沢到着から上越新幹線への乗り換えは何と8分しかなく、二人で慌しくバタバタと乗り換える。駅弁でも買おうと思ったがその時間もなかった。乗り換えた上越新幹線「Maxとき」は二階席だったが、三人掛けの通路側に二人で、しかも車両は超満員。そのほとんどが旅行客というよりはスーツ姿のサラリーマンのおっさんたちで、ちょっとビックリ。
アナウンスを聞くと大宮までたった45分、東京駅まででも1時間ほどだというのでまたビックリ。そうか、越後湯沢って通勤圏なのだなあと話す。予定通りアッという間に見慣れた大宮駅に到着。駅で夕飯に弁当を買い、京浜東北線に乗り換える。ここから赤羽までがけっこう長い。それでも始発なので俺たちは座って移動で良かった。
ようやく赤羽駅に着き、コンビニで買い物、さらにいつものパン屋でパンを買ってタクシーで帰宅9時半ころだったか。疲れたが、命の洗濯が出来た旅であった。

自力で行くこんな贅沢な旅行は、これまでの人生で一度も無かった。
二人で500円玉が出来る…釣りで貰ったりすると、顔を見合わせて笑った。持ち帰った500円玉を二人で貯金箱(透明なプラスチック製)へ「ガトンガトン」と落とすのが楽しみであった。目に見えて貯まっていく様子も励みになった。

また二人で行こう、それまで生きていようと強く思った。
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2007-06-29(Fri)

能登へ行く 3

6月29日(金)
朝は6時過ぎに目が覚めてしまう。窓の外は既に大荒れで、窓の外の木の枝が風でガンガン揺れており、雨も凄い。眼下の海も、穏やかだった昨日とは打って変わって波が「ざっぱぁん!」と打ち寄せている。よりによって旅行の時になあと思うが、こればっかりは仕方がない。この天候のお蔭で、宿泊客も少なく、よって温泉も貸切、なのである。
それにしても轟々という嵐のごとく凄いので、その様子をデジカメでビデオ撮影した。バカなのか、早朝の能登で何してんだろ俺、と思いつつ洗顔をしたあとボーッとする。
少しまたウトウトしていると、8時前に連れも起きたので、朝風呂を浴びに一緒に下へ降りた。今度は昨日の老人と違う男性客が一人入っていたが、俺が入って行くとほぼ入れ違いで出て行った。またもや貸切。
もう一度、外の露天風呂へ出て見る。雨風は早朝に比べると弱まっていたので、甕風呂へまた入る。荒波を見ながら入る露天もまた、格別だ。
風呂の後、連れと待ち合わせて部屋に戻り、9時から部屋で朝食。
昨晩食べすぎたにも関わらず、ハムサラダ以外は完食してしまった。自分の病気をしばし忘れる。免疫力向上にも、いいだろうな。

さてこんな天気だけど「今日はどうしようか」ということになるが、昼前には雨も小降りになってきたのでタクシーを呼んでもらい、能登島水族館へ行くことにした。
タクシーの運転手さんは水族館〜ガラス館などを廻ってまた旅館まで戻るコースで「13000円くらいでいいですよ」と言うのでお願いする。俺たち二人は、いやーもう500円玉貯金崩したんだからドンと来い、という気持ち。
結局ちこちで見ているがガラス館はいいので、水族館を見るのを待っててもらうことにして、一回駅前へ行って欲しいということにした。

能登島は能登半島の中ほどに切れ込んだ能登湾の真ん中に浮かぶ島で、和倉温泉からは能登島大橋という立派な橋を渡って入ることになる。昔はフェリーで渡ったそうだが、橋が出来てからは廃止されたという。もともとは有料で地元の評判は悪かったそうだが、その後島の西側に農道橋というもう一つの橋がかかると、皆無料のそちらばかり利用するようになったので、こちらも無料になったという。
雨の中、その能登島大橋を渡って能登島に入ると、道路の両側も自然が豊かで緑が多く、故郷の北海道の、市街地を出たところに似た感じだな、と思った。
運転手さんが道々、いろいろと案内をしてくれるので退屈せず、そのうち30分ちょっとして水族館へ到着。

能登島水族館の駐車場は車が5、6台ほどしか止まっていなかった。タクシーの運転手さんはここで待ってますからと言って車を停める。ここもどうやら雨も降ってるしシーズンオフゆえ、客もいないんだろうなと思いつつ入場券を買って入った。果たせるかな、俺たちのほかに客は数組しかいないようで、中はガラガラであった。夏休みなんか親子連れでうるさいんだろうなあ、と思うとやはりシーズンオフで良かったと思った。それにしても開けてるだけで経費もかかるだろうにとちょっと気の毒に思うが、こちらとしては快適でゆっくり見られるからいい。

最近流行の、水槽の下がチューブ型の通路になっていて周囲をイルカやサメなどが泳ぐ…というのを見る。ここも人がいなかったので下からじっくり見られて良かった。その後「ラッコ館」というところで3匹のラッコがプールで泳いでいるのを見るが、エサの時間が12時40分からというので、我々と別な女性3人連れの客が待つことになる。
俺の方はまだ10分以上あるしなあと思い、立ってるのもしんどいしと一旦外へ出る。出て「ラッコ館」を外から振り返ると、そこに水槽を外から見られる窓があった。つまり「ラッコ館」の入口の脇、ラッコの水槽の向かい側にあたる位置の水槽だ。つまり中へ入り、奥の壁面にある大きなラッコ水槽を見るお客の「背後」にあたるところにまた水槽があって、そこには海ガメが数匹入れられていたのだった。そしてそれが外からも見られるようになっているので、そのうちの一匹の大きな海ガメと目が合った。
俺が水槽を見ているとじっとこちらを見つめてきて、ひたすら大海を泳いでいるかのように前ヒレを動かし、目線は俺を見据えたまま、ずっと泳いでいる。体の傾きや向きが前ヒレの動きで変わるのだけど、目は合ったままなのだ。
その様子がまるで「助けてください、海へ返してください」と訴えられているような気がして、いや、確かにそう訴えていた、それが解るので辛くなってしまった。
「ラッコ館」のウミガメ。外から写す
海ガメに限らないが、水族館の生き物たちはもともと大きな海で暮らしていたものだ。中でも海ガメは長寿で、大海を悠然と泳いでいた映像をよく見るだろう。それが小さな水槽に4、5匹もいっぺんに入れられたんじゃあ辛かろう。そう思いつつじっと海ガメと見詰め合っていたが、余計に辛くなっていったんその場を離れる。
もちろんこういう施設は、施設を通じて自然の大切さ、生き物の命の尊さやその環境保護への意識を高めることが目的であり、これらの海の生物たちもその役割を担っている。コトバは悪いかも知れないが、自由を犠牲にして、その役目を負わされているという考え方もある。解るが、現実には辛い。動物園も、よほど環境がいいところと解った場合でなければ、そこにいる動物を見るのが辛いので行かないことにしている。
以前、故郷の函館に連れ合いと出かけた時に、函館山の麓にある市営動物園へ行った。当時は動物好きな俺たち夫婦だったので、俺が宿の近くにその「小ぢんまりしたミニ動物園的なひなびたところがあるよ」というと連れが「行きたい!」と言ったので、散歩がてら出かけたのだ。
ところがお世辞にも管理が良いとは言えず、シカたちの背中はカラスにつつかれ、肉が露出していて血が出ていた。痛いだろうに、それでもモノ言えぬ動物はじっと耐えたり、早足で逃げたり、首を曲げて追い払う程度しか出来ない。カラスはあざ笑うかのように逃げ、逆側から傷を嘴でつつき、血をすする。
クマの方へ行けば、ヒグマだったか、まるで何か考え事をしているかのように右へ歩いては左へすぐ引き返す、また右へ…を延々と繰り返している。運動の類ではない。痛々しい。
二人で「拘禁ノイローゼだ」と話して、とても暗い気持ちになった。
それ以来、よほどのこと…評判がいいとか動物に配慮し行動に合わせた見せ方をしているとか、そういうことでもないと動物園へは行かないことにした。

それにしても、海ガメの目が忘れられない。
しばらくして「ラッコ館」に「ゴメンね。何もしてやれないから」と海ガメを見ないようにして再び中へ入る。ちょうど飼育係がラッコたちにご飯をあげているところだった。独特の可愛いしぐさがなんとも言えず、デジカメをビデオモードにして撮影する。
その間も背後の水槽にいる海ガメが気になっていたが、あえて気にしないように努めた。何か言っても引き取れるわけじゃなし、それに「あれは普通の行動ですよ、大丈夫です」と返されるだろう。そしてそれは当たってるのだろう。連れ合いは自分が背中を向けている水槽の海ガメに俺が心を(惹かれるというより)曳かれている
のを気付かなかったそうだ。でも後で様子を話すと、そういうのって、「魂が訴えてくるから解っちゃうんだよね…」と話す。

…俺はどうやら水族館の和式便所で排便した時に膝がやられたらしく、だんだん立っているのが辛くなってきて、外に出てしまう。膝をなでると、膝蓋の両側にこぶのような腫れが触った。またか…と思ったがこうなるともう立ってるのもしんどいのだ。

よく「水が溜まる」というが、俺の場合は全身にあるリンパ節に、何かの加減で時々リンパ液が停滞するのだと思う。もちろん白血病の症状の一つだけど、両手首は仕事でキーボードを叩くので、手首の外側に瘤が出来る。外側に手を曲げるとポコッと出るから解る。あとは見えないところ…脾臓が巨大化し縦隔が大きい。
それ以外は、幸い小さなもので何も支障はない。けれど膝を長く歩いたり負荷をずっとかけたりしていると、膝蓋の手前ほどの両側にぽっこりと大きな瘤が発生する。これが出るともう正座はおろか、あぐらをかいても痛い。

どこか座るところはないかと見回すが何せ雨なので、とりあえず屋根のある通路を順路にあたる方向へと歩き出す。右手にペンギンの池があり、その先にイルカショーをやる水槽と、それを囲んでぐるりと客席のベンチが設けられているところがあり、屋根で覆われている。ベンチに腰をおろして一息ついた。
イルカショーがちょうど1時からというので、じゃあ連れ合いもそのうち来るだろうと座って待っていたが、客席には俺ともう一人の男性だけ。それでもショーはあるのかと不安。
そのうち赤いつなぎを来てキャップを被った、ショーをやる女の子とおぼしき女性が上がってきて、その男に「○○さん、おひさしぶりです〜!」とか声をかけてショーの話なんかをし始めた。つまりその男性はどうやらここのOBなのか職員なのか、とにかく客でないことだけは解った。
つまり純粋な客は俺一人というわけである。まさか俺一人に向けてショーが…と思ったら、開演時間が近くなるにつれ、三々五々少ない入場客が集まってきた。それでも10人いるかいないかという数の客が見守る中、ショーは無事開始。
最初はアシカショー、次がイルカショー。俺の携帯はもうバッテリー切れで、連れとメールで連絡が取れない。実は持ってきた充電用のケーブルだと思ったものが、なんと俺のヘマでデータ通信用。当然全く役に立たず、ホテルに聞いたら最新の3G携帯用の充電アダプタはなかったので、お手上げであった。
連れ合いがたぶんメールとか電話してるんだろうなあ、と思いつつ、でもさっきのラッコ館から歩いて1分の順路の先にあるんだしと思ってそのまま見続ける。
イルカショー
15分ほどしてようやく連れ合いが「ここにいたの?」と来たのだが、何と俺がいないので順路を逆に戻って探していたという。それでも見つからないので、さらに駐車場かとも思って一旦外へ出て、また入り口をくぐって再入園(良い子は真似しないように)したというのでビックリ。申し訳ないです。
それでも連れは何とかショーの後半に間に合ったので、並んで座って一緒に見た。間近で見るイルカショーは迫力があり、イルカは賢く可愛いかった。途中プール上まで行ってイルカにジャンプの指示を出す役を客席から募集したが、誰も手を挙げず…と思ってたら若いカップルの彼氏が勢い良く手を挙げて参加、イルカたちは見事に指示に従って華麗なジャンプと泳ぎを見せてくれた。賢いなあ。可愛いなあ。
能登島大橋その後は外に出て、食堂みたいなところでそうめんを軽く食べる。
「夕飯また豪華だろうから、あんまり入れないでおく」と連れ合いはソフトクリームとパフェの合いの子みたいなのを食べた。駐車場で待っててくれたタクシーに戻るとメーターはすでに1万円を越えていたので内心「ひえええ」と思ったが、なあに、今回は豪勢に行こうという約束だ。
とりあえず和倉温泉駅へ行ってもらう。途中ガラス館の前を通るだけ通って説明してもらい、雨の中を来た道を引き返す。能登島大橋を降りたところで、絶好の写真ポイントがあるからというので下ろしてもらい、そこから橋の写真をパチリ。実はこのときもうデジカメのメモリーカードが一杯で、この一枚を撮るために余計な写真を削って撮影した。2GbのSDカードもビデオを多用したらアッという間に一杯である。
その後駅方面へ向かう途中、コンビニへ寄ってもらって携帯に電池から充電するアダプタを買い、旅館へ戻った。

夕飯前へ風呂へ入り、また貸切露天風呂を堪能。この快適さはクセになる…が、シーズンオフじゃないと無理だろうなあ。この日の料理はカニなどやはり海のものが中心。結局肉はまた出なかった。いや、全然いいんですけど。「能登牛」というのをちょっと味見したかっただけなんですが。
…しかし鱧のしゃぶしゃぶが出たのだが、綺麗に骨を取り、薄く切って開いてあるものを、さっと湯にくぐらせて食べるようになっていてビックリ。普通は骨切りをして数センチにそれを切った状態のものをよく目にするものだが、こんなに透けて薄く一枚の状態になったのは初めて見た。
「ここの板さんはタダ者じゃないね」と二人で話す。とりわけ連れ合いは気に入った様子で、しきりに「凄い凄い」と喜んでいた。楽しいなあ。この日もビール3本…。尿酸値…。ヤバい…
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2007-06-28(Thu)

能登へ行く 2

6月28日(木)
朝7時過ぎに起床。ホテルのバイキングで朝食。チェックアウトして、タクシーで二条烏丸の「松栄堂」へ行く。
松栄堂は有名なお香の老舗だが、連れ合いが前に訪れた際に買ったのと同じ、黒檀の香入れと袋入りの香を買う。これは今月誕生日を迎える俺の母親へのプレゼント。
俺も連れ合いも、昔からオバハンの、最近だと若い人が量をわきまえずに大量につける「ド香水の悪臭」が嫌いでしょうがない。黒檀の香入れは3,4cmの手のひらにすっぽり入る小さなもので、中央のフタを開けて中に香を入れ、横についている小さなフタを開けて、少量の香をぱっと自分にふりかけたり、匂いを嗅いだりするのだ。上品で繊細な香りが心地よく、道具としても使い込むうちに味が出る逸品なのだが、全部で3600円ほどと非常にリーズナブルでもある。
連れも友人へのおみやげに別な香袋をいくつか買い、外に出る。外はうす曇で汗がじんわりにじむくらい暑くなってきた。

京都国際マンガミュージアム烏丸通りのはす向かいには、連れの勤務する京都精華大学が設立から全面協力した、「京都国際マンガミュージアム」がある。俺は初めてなので、ちょっとだけ覗いてみることにする。
連れ合い(やまだ紫先生)は精華大の職員証があるのでタダだが、俺は500円の入場券を買って入った。この建物は歴史のある旧・龍池小学校を改築して作った、趣のあるものだ。都会の若い人にはピンと来ないだろうが、俺らくらいの年齢、あるいは田舎の古い学校を経験した人ならかなり懐かしい建物だろう。外観や中を改装してミュージアムにしてあるのだが、基本的にペンキを塗り替えたり展示用に若干手が加えられたりしてはいるが、学校そのものという風情は変わっていない。

展示の方はというと、どちらかというとコミックそのものを「読む」ということに主眼を置いてある感じで、展示という側面から見るとやや薄い感じがした。またメジャーな少年・少女漫画の品揃えは圧巻ながら、サブカル系、ガロ系はほとんど見られないのも残念といえば残念。
しかし訪れる客は五十音順の作家別にズラリとマンガが揃えられた本棚を見るだけで圧倒されている様子だ。実際「読む」ことには非常に寛容で、その辺の椅子に座ってお目当てのコミックを読んだり、校庭だった(?)庭には綺麗に芝生が植えられていて、そこへ転がって読んでもいいという。芝生は「入るな」ではなく、座ったり転がったりするものだと思っていたので、これは非常にいい試みだと思った。もっともこの日は陽射しが強烈だったので、誰も芝生の上にはいなかったが。

日本のマンガに興味があるのか、白人の若い女の子二人も入場していた。ちょうど俺たちと同じ順路で歩いていたので何とはなしについていく形になったのだが、今ひとつピンと来ていない感じの様子である。結局彼女らは足早に俺たちより先に出て、売店を見ていた。
そこにあるフィギュアやグッズを見て明らかにテンションが変わっていたので、どうも日本のアニメやゲーム、オタク的なものに興味があったらしく、ここでは期待したものは得られなかったようすだ。秋葉原の方がこういう子らには楽しいだろうな、と思う。

そんなこんなで外に出て、ミュージアムに併設されているカフェで一休みすると、壁には訪れた漫画家たちのイラストとサインが直筆で描かれている。ちばてつや先生のものがひときわ大きく目を引き、モンキー・パンチ先生のものもあった。連れ合いの大学で同僚になるさそうあきらさんのもあったので、俺は連れ合いに「あなたも描きなよ」と促す。記念になるしずっと残るから、と再三言うのだが、連れ合いは「いいよ」と遠慮している。
まあ自分で「私漫画家なので描かせてください」というのも変というかトホホ感がしないでもない。じゃあ名刺見せて俺が「あの人精華大の教授で漫画家なんです」といえばいいじゃんと言うが、連れ合いは自分の名刺すら持ち歩いていない、じゃあ、ええと…と言っているうちに連れの目が「もういいから」になったので、結局こういうことを画策すること自体が馬鹿馬鹿しくなってやめる。

東寺の五重塔その後烏丸通りでタクシーを拾い、和倉温泉行きの特急までは時間があるから東寺へ行こうということにした。実は東寺は前回俺が京都へ来た際に行く予定だったのだけど、体調を崩し急遽帰ることになったので、見られなかったのだ。

タクシーで東寺の正門前に12時前に乗りつけ、入園料を払って中に入る。「不二桜」というしだれ桜のある庭園を歩き、重要文化財・国宝・五重塔へ向かう。
修学旅行とおぼしき男女数人の中学生がチラホラいるが、数が少ないので静かなものだ。京都を歩くならシーズンオフに限る、かも知れない。写真を撮ったりしつつ、境内を歩く。うす曇りながら気温は高く、汗がにじんでくる。若い修行僧が五人連れで各建物を巡ってはお経を読んで去って行く。きっちりと列をなし、直角に角を曲がったりするのが面白い。
俺たちは名刹とか名所というところも行くけれど、普段東京でも小さな神社や寺巡りも好きなので、京都という街はあちこちにそういうものがあって楽しい。

一通りゆっくり廻って、駅まで歩くかと思ったが、暑いし俺の足のこともあるのでタクシーで八条口まで行ってもらう。運ちゃんも「近いように見えるんですけど、歩くとけっこうあるんですよね」と言っていた。
京都駅八条口からエレベータで上へ上がり、売店で連れ合いがキューピーやらを、俺は茶や週刊誌などを買って、0番ホームのベンチに座って電車を待つ。電車は大阪から来る特急サンダーバード21号、13時10分発。まだ30分以上あるのでホームで週刊誌を読む。やがて来た電車に乗り込み、和倉温泉まで3時間半近い旅だ。電車は比較的空いており、特に金沢あたりではかなりの客が降りた。なので座席を回転させて、二人で前の席に足を乗せるとこの上なく気持ちがいい。足を畳んで座っているのと、延ばしているのとでは全く快適度が違う。まあマナー上いいとはいえないが、客もほとんどいないのでよかろう、ということにする。

和倉温泉には4時半ころ到着。曇り空で、予報では夜半から大雨だそうだ。日ごろの行いか…。マイクロバスでホテルの人が宿泊先である「多田屋」と書いた垂れ幕を持って待っていたので、乗せてもらう。俺たちのほかにこの電車で着いたのは老人の男1女2という客一組だけだった。
旅館は5,6分で和倉温泉の温泉街を割りと奥の方まで進み、目指す多田屋に到着。お出迎えに接待さんたちが並んでお辞儀をしてくれるが、女将、若女将のような人は出てこなかった。チェックインして、さっそく部屋まで案内してもらって茶菓子と茶を出してもらい、接待さんにいろいろ説明していただく。
あの、今年3月に能登地方を襲った能登半島沖地震のダメージは、もちろん人や建物、インフラなどへの実害も大きかったそうだが、和倉温泉の場合は実際の被害に加えて「風評による被害」も大きかったという。とにかく宿泊予定のキャンセルが相次ぎ、一時は温泉街の存亡の危機さえ感じたという。

実はこの多田屋さんのことは、フジテレビ系で6月10日に放送された、「ザ・ノンフィクション」という番組の「花嫁のれん物語 〜地震に負けるな能登半島〜」を見て知った。首都圏で看護婦さんをしていたという女性が結ばれたのは能登半島の老舗旅館の若旦那。嫁いだ先が今回宿泊した多田屋というわけである。この女性は現在「若女将」として元気に若旦那を助け、旅館経営に奔走しているが、こういった顛末は若女将のブログ「能登ノート」なんかにも書かれていて面白いが、やはりブログというあたり「今時」の若女将だなあと思う。
ちなみに多田屋さんのWEBサイトは非常によく出来ていて、旅館への営業効果も上々らしいが、いきなりフラッシュで音楽が流れるので要注意。仕事中に職場からアクセスとかすると慌てますぜ旦那。

部屋より能登湾を望むさて我々が泊まる部屋はフンパツしたので広くて立派で、ベランダには専用ジャグジー付きという豪勢な部屋である。何せ500円玉貯金箱を一杯にして、30万円を貯めたのだ! 一生に一度の贅沢をとフンパツしたので、もちろん人生で初めてのことだ。いや一生に一度と言わず、また来れるように頑張ろうよと話しつつ、着替えて夕飯前に風呂へ行く。
旅館は能登湾に面していて、ホテルはフロント前の道路から入ったところが3階になり、大浴場は1階、つまり海の際に建てられているから、湯船に漬かると海が目の前に広がるという素晴らしいロケーション。大浴場で体を洗って漬かったあと、さらにそこから露天風呂へ出る。すると能登湾に向かって一人用の甕(かめ)のお風呂が3つあって、その先端の甕に漬かって海を眺める。曇り空だが、能登湾に日が沈んで行く前、なんと素晴らしい景色、何という心地よさだろうか。思わず「生きてて良かった〜」とコトバが漏れる。
俺が入ったときに入れ違いで、さっき駅から一緒に来た年寄り3人組の爺さんが出て行ったのだが、その後は広い風呂全部が俺一人の貸切である。実に快適だった。

風呂を終えて部屋で連れ合いとしばらく「風呂、良かったねえ」と話していると、夕飯は6時半からとお願いしていたので、接待さんが支度を始めてくれる。何せ料理が多くしかも豪華で、食べきれないほど。肉料理がなかったのが意外だったが、やはり海の幸が豊富で新鮮、実に美味。連れ合いは酒を少々、俺も瓶ビールを数本飲んでしまった。尿酸値が…と言いつつビール飲んでうまいもん食っていいのかと思うが、こんな贅沢は一生に一度だと思い、堪能することにした。

思えば若い頃からずっと貧乏暮らしであった。ずいぶん周りの人にも助けていただいた。連れも不安定な職業であるし、とにかく頑張ってきたから病気の連続だった。さらに今ではお互いに病を得た体となった。
そんな「自分の人生の終わり」がぼんやりと見えてきたこの時期に、ようやくささやかな贅沢が体験できた。命の洗濯というが、ほんとうに寿命が延びる思いがした。
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2007-06-27(Wed)

能登へ行く 1

6月27日(水)
一念発起し何年ぶりかの温泉旅行へ出かけることにした。
病気だからとひきこもってばかりいてはいけないし、ここ数年連れ合いと一緒に500円玉貯金を続けていたら、見事一杯になったので、連れが「旅行行こうよ、旅行!!」と言ってくれたのだ。彼女にも連れ=夫の病気や大学勤務というストレスがある。よし、心と体を癒しに行こう。そう、俺たちは一念発起したのだ。
今月半ばにもう旅館を予約してあったので、5時過ぎの新幹線でまず京都へ向かう。連れ合いは京都に出勤していたので、合流して明日能登半島の和倉温泉へ向かう予定なのだ。

東京駅には4時ころには着いてしまい、新幹線の時間を早めようかと考えたが、窓口には列が出来ている。しょうがないのでゆるゆると書店をひやかしたりしつつ、4時半ころにはホームへ上がって、待合ボックスの中でひたすら週刊誌を読んでいた。何せうろつきまわると膝がおかしくなるので、最小限にしないといけない。だがこうして久しぶりに旅行で出かけるということになると、ついつい自分の体が病気に侵されていることを忘れがちで、注意しなければならない。

乗り込んだ新幹線のぞみは2人掛けの窓際を指定で取っておいたのだが、隣の席が腹の出たおじさんで、座るなり東京を発車するより早くすぐに缶ビールを開けてプハァとかやっている。エビスビールの350ml缶、フンパツしたのねお父さん。そして買ってあったらしいうなぎ弁当のようなものを食べ出した。腹が減ってたらしく、凄い速さで食べ終わると残っていたビールをちびちび飲み、そしてぐっすりとお眠りあそばした。人畜無害、というコトバが浮かんだ。
俺はその間携帯のミュージックプレイヤで音楽を聴きつつ外の景色を見ていたが、富士山はガスっていて全く影も形も見えなかった。ちょうど進行方向右側が二人掛けで、窓側の席はいつも晴れていれば富士山が良くみえる…はずだったのだけど。もう何度も見ているというのに、富士山が見えるというとテンションが上がるのはやっぱり日本人だから、か。

京都に着くと7時半ころだった。ちょうど日が落ちて薄暗くなるところを八条口からエレベータで駅の上へ上がり、京都タワー側へ出る。通勤客とおぼしき姿の人たちがせかせかと行き交う中を外人が巨大なトランクを引っ張りつつ歩いてたり、観光客らしい数人連れがゆったりと歩いてたりするのは観光地ならではの風景だ。
地下鉄は混んでるかと思い、タクシーで四条大丸前へ行ってもらう。連れ合いには8時ころになると伝えてあったが、もう着いてしまったとメールする。
連れは携帯を忘れて行ったので、宅急便でホテルへ送ったのだが、恐らく大学からホテルへ一旦戻り、携帯を受け取らないとメールも読めないだろうなあと判断。大丸の上へ上がって時計やら革製品などをひやかしで見る。ここはいつも思うが気のせいか客層はかなりいい筋と見受けられる。その後足がつらくなると嫌なのですぐに1階へ降りて、四条通りに面した入り口にある椅子に座って待つ。ところが大丸は8時閉店で、しょうがないので外へ出て立って待つ。

連れ合いからは連絡が全くないので困ったなあと思っていると、ようやく「いったんホテルに戻ったからタクシーでホテルへ来て拾ってもらえないか」とメール。どうやら俺が京都駅あたりにいると思っているらしい。俺はもう着いてるとメールしたはずなので電話してみと、やはりそのメールを見てタクシーで今向かってるとのこと。
大丸前にあるタクシー乗り場へ出ると、ちょうど連れを乗せたタクシーが着いて、下りてくるところ。うまく合流できた。

その後、二人が四条河原町あたりで夜になるとちょくちょく行っていた、柳馬場「鬼灯(ほおずき)」へ行き、夕飯がてらちょこっとビールを飲んだ。
京都はやはり料理がうまい。尿酸値に気をつけないと…と思いつつやっぱりビールもうまい。生きてて良かったなあ、と思う。連れと並んで、こうして一杯やれるのが一番のシアワセだ。

その後タクシーで西洞院まで行ってもらい、コンビニで買い物をしてホテルへ戻り、12時前には寝る。
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2007-06-25(Mon)

尿酸値が…

6月25日(月)
朝は目覚ましをかけた7時前には目が覚め、連れ合いが先に起きた後にすぐ俺も起きる。野菜スープを温めて二人で軽く食べてから支度を開始。今日は俺が病院、連れ合いは京都の大学へ出勤の日なので、7時40分ころ二人とも一緒に出た。どんよりとした曇り空で梅雨らしいじめじめした感じの空気。一緒に駅方面へ歩きかけるが、この時間は17号の方がタクシーが拾いやすいしと思い途中で別れ、17号方面へ引き返す。するとちょうど空車が来たので乗り込み、病院まで。今日は渋滞も本蓮沼あたりから環七くらいまでときつくなく、割合スムースに病院まで行けた。2700円ほど。

病院には8時20分ころに着いたので、内科受付で連絡表を貰い、地下の採血受付前で待つ。足の悪い老人の患者が前に座っていて、その後ろの長椅子に座って待っていると、いつものように8時半きっかりにカーテンが開いて受付のドアもオープン。前の老人がゆっくりと受付に向かうが、俺の順番はその後なので俺もゆっくりとその後ろに続く。後から来た採血待ちの患者らが一瞬追い越して受付へ行こうとするが、俺が「順番抜かすなよ」という目で睨みつけると気付いたようで、大人しく俺の後ろへ廻った。油断も隙もねえ。受付番号は2番で、もちろん新記録だ(笑)。先ほどの老人(1番)が呼ばれてすぐ、俺も隣の女性技師に呼ばれ、試験管3本の採血終了。この後の診察予約時間は10時、それまでどうしよう…と思ったがマスクを忘れたのに気付いたので、まず売店へ行き、マスクとチルドカップのカフェオレを買ってから病院の外へ出る。

どんよりした曇り空から霧雨のような雨がパラついてきたので、仕方なく屋根のあるバス停のベンチに腰掛けて時間を潰す。そこここでは年寄りや中年オヤジがタバコをくわえて新聞を読んだりウンコ座りをしたりしているのだが、病院内はもちろんのこと、敷地内も全面禁煙のはずで、灰皿も当然どこにも置いていない。あの吸殻はそこらへポイ捨てするんだろうな。こういうマナーの悪さは、目にする限りでは圧倒的に年齢を重ねた大人の方が多い。若い人は「敷地内全面禁煙」の看板を見てくわえたタバコを箱に戻したりしているが、ジジィやオッサンはお構いなしだ。
今日はヘッドフォンを忘れたので、携帯のプレーヤーで音楽を聴いたりワンセグを見たりも出来ないので、ひたすらボーッとして通り過ぎる人らをウォッチングしたり、暇を潰すのに難儀する。病院の中へ入ってうろうろしたり、また出たりと徘徊し、そのうちようやく10分前になったので診察室前の待合に座る。

10時ちょうどに呼ばれたので中へ入ると、U先生に「どうですか、何か変化ありました?」と聞かれるので「いえ、いつもの通り全然ないです」と応える。
今回の採血の結果は、「全体的にはこれも変化なし、と言えるんですが、一つ、尿酸値が高かったんですよ」と言われる。見ると確かに、8.0と異常値を示している。ちなみに平常値は3.9〜7.8で、7〜8が続くようだと食事療法、8以上が続けば投薬治療というのがだいたいの目安と言われている。この尿酸値(UA)はご存知のように痛風や腎不全などの診断の目安とされる項目で、よくビール腹の中年オヤジたちが気にする数値の一つでもある。俺はすぐに思い当たったので「あ、そういえばこのところビールをまたよく飲むようになったからかも知れないですね」と言うと、「どれくらいの頻度ですか?」と聞かれたので「週に…1回か2回ですか」と話すと、「じゃあそれほど多いというわけじゃあないですよね…。」と首を傾げられる。
病気の進行によって尿酸値が上がる場合は当然、その他の項目にも変化が見られるのだが、今回は白血球(WBC)は1200と過去最低値ながら、一昨年や昨年も出た数値なので横ばいと見ていい。血小板(PLT)も10万をやや切っていて少ないのだが、劇的に少ないわけでもなく、前回なみ。その他LDHはむしろ正常値に戻り、悪性リンパ腫などに用いられるマーカーの値も横ばいだったそうだ。なので尿酸値を下げる薬を処方しましょう、ということになった。今回「たまたま」尿酸値が高かったのなら問題ないが、もし投薬後も続くようなら一度また骨髄の方を調べて進行がないか見ましょう、ということ。
その後触診をしていただくが、首周り鎖骨周辺や腋下などはもうよほど注意しないと解らないくらいの小さいものがポツリと深いところに触るという感じで、両鼠蹊部のしこりも2センチ以下で大きさに変化なし。やはり一番は巨大化した脾臓のみだ。じゃあ薬で様子を見て、次回一ヶ月後にまた採血の結果を見ましょう、ということで辞す。

うーん尿酸かあ。8を超えたのは確かに初めてだ。いつもの薬局で処方されたベリチームと尿酸値を下げる薬をもらい、バスで池袋へ一度出て買い物を済ませ、三越裏からバスで赤羽へ出て、vivio地下の中華屋でランチを食べ、夕飯などの買い物をしてからタクシーで帰宅2時すぎ。その後テレビのワイドショーを見てるうちにうとうとしてしまい、目が覚めると寝汗を体の下側(背中側)にびっしょりかいた。これも典型的なこの病気の症状だ。それにしても尿酸値のことが気にかかり、日記で調べてみたところ、確かに外食の際にビールを飲むことが増えている。まあでも一回の量は多いときでも生ビールで3杯程度で、ほとんどは食事前に1杯か2杯なのでたいした量ではないと思うのだが、頻度が問題かも知れない。元々ビール好きだったからなあ。あと一緒に食ったりするもの、つまりビールの際はつまみに尿酸値の高くなりそうなものばかり食ってもいることが問題だろうか。肝臓の方は幸い数値は低く正常値なものの、ちょっとやはり食生活は考えないといかんだろうなあ。ここにきての尿酸値8超えは続けばもちろん通風の恐れさえある高さである。U先生も「ビールがおいしい季節ですからねえ」と笑っていたが、そうなんだよなあ。でもちょっと控えないとなあ…。
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2007-06-21(Thu)

「日本沈没」とかについて

いや昨日の記事を見てね、「日本沈没」を良かったと褒める匿名の人、まあ多分ジャニオタか何かの人かと思われますが、「最後まで見ていないくせに批判するのはおかしい」という意見がございました。
ふうん。あの映画、最後まで見られたんだあ。偉い偉い。
ってこういう態度はアレですが、前作との比較はこの際やめましょう。ただ、小松左京の原作をこれだけ愚弄するとは、黙っておれません。自分は筒井康隆やヨコジュンが「ハチャメチャ」だった日本SF小説黄金期の作品をたくさん読んできました。小学生にも解りやすく面白かった星新一から、小松、石川、筒井、横田…と兄の影響もあってずんずん読んでったものです。もちろん「日本沈没」も、さらに「日本以外全部沈没」も当然読んでます。ちなみに原作に一番近かったのは前の映画ではなく、よく言われるように小林桂樹と村野武範や由美かおるが主演したテレビドラマだった。あれの放送時はまだ小学生だったけれど、小説の世界がそのまま再現されたかのような緊迫感に、子供ながらに夢中になったのを覚えてます。
で今回のリメイクですが、よく言われるようにCGはなかなかたいしたものであった、とは思う。思うが、これは技術の進歩によるもので、取り立てて監督の演出だとか、脚本の妙、役者の演技などとは無関係。もっと言えば映画の出来不出来とも無関係(とも言い切れないが、本作の場合は)ところでこの映画の脚本家は…何をやりたいのか意味不明だ。(ちなみにあのドラマ版の脚本には、石堂淑朗氏が参加している)監督の演出はもっと意味不明だが。こんな甘ったるい恋愛模様なんか盛り込む必要あったか? 昨今のテレビボケしたジャニタレにキャーキャー言ってる日本映画の観客どもにはこの程度で充分と思ったか。とにかくよく言われてるように、日本が沈没すると解る、そのことは文字通り国家存亡の危機である、それなのに「対策」があの程度か? 何故草薙はあの状況下でうろうろと自由にのほほんとうろつきまわっている? ちょっと見ただけでもあまりに場面転換が多くてクラクラしたものだ。
俺たちが見ていられたのは、ミッチー(ちなみに及川光博のいつもと違う静かな演技はまだマシであった)が海底に爆弾突っ込みに行って失敗、トヨエツ(この博士一人が対策を考えるって設定もどうよ?)が一応悔しがったりするが、自分が行くわけでもなく、次の人を待つみたいな部分まででアウト、でした。
この後の成り行きと感想は多くの最後まで見た人たちのご意見から伺うしかありません。だけど、概ね俺が見たところまでの俺の感想と同じ意見が多かったし、それ以降に関しても「活火山の多い日本列島で、それも磐梯山や安達太良山、吾妻山といった有名な活火山がある福島だけ震災の被害がなかったのかが不思議」とか、「映画を見せる」以前の問題が多々ある、つまりは「ヤッツケ」的な制作体勢そのものに問題があるという指摘が多かったと見受けられる。
つまり、テレビで人気の、というか巨大事務所の力で露出させまくって「人気である」「才能がある」とごり押しされて勘違いさせられている能無しタレントを安易に起用し、そのテレビの力でまたガンガン宣伝し、阿呆どもの「感動しましたぁ〜」なんて感想をタレ流し、あとは二次使用三次使用で儲けよう(DVDとかね、でも誰が買うんだろう)という魂胆がもう丸見えのスッケスケ。どうせアホでもタレント使って映画撮ろうってんならさあ、せめて、そのタレントに合わせてキチンと個性が出る、ファンも納得させられる脚本を「一から作ってあてがう」くらいの努力とオツムは使えよ。過去のヒット作や名作を持ってきて焼き直し、ロクな演出もできねえもんだから学芸会みたいな台詞や演技を直しもせず、説明的なテロップを多用し、感情移入する間もなくテレビのバラエティのように場面が転換し、中途半端なロマンスやお涙頂戴を原作を冒涜するかの如く脚色し、あとはCG技術でそれっぽく仕上げれば、バカな大衆は「大作だぁ」「感動したぁ」ってか。
別にテレビとタイアップしてるから、ジャニタレ使ってっから、ってそれだけの理由で批判してるんじゃないんですよ。昔はアイドル歌手でもタレントでも、その子らを本気で売り出そう、魅力的に撮ってやろうっていう映画人のプロ根性ってもんがあったんすよ。今はテレビの堕落した手法をそのまんま、映画にも持ってきてるし、観客ももうそのレベルに堕してるので何ら疑問も持たない、そんな状況に絶望しとるだけです。
じゃあどんな映画を評価するのか、ということに関しては例えばこちらをどうぞ。
教祖誕生
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2007-06-20(Wed)

日本映画全盛期、だそうだ

ずいぶん前に読んだ笠智衆の『小津安二郎先生の思い出』という本が文庫になったので読み返した。気がついたらこの役者が亡くなってもう14年。小津の映画には端役も含めてほとんどに出演している笠だが、生涯小津のことは「先生」と呼んでいたという。年齢もほとんど変わらなかったというが、笠にすれば小津監督は大部屋俳優だった自分を引っ張ってくれ、ずっと使ってくれた「恩人」であり、もし小津がいなかったら自分は役者をやめて故郷で坊主になっていただろう、という。だから終生、笠は小津のことを「先生」と呼び続けた…。何か明治男の無骨で朴訥な、それでいて頑固な、まさに「笠智衆」そのものという感じがするエピソードだ。
笠は明治37年熊本に生まれ、平成5年3月に亡くなるまで、一貫して「俳優」として現役であり続けた。小津安二郎監督の作品には、昭和3年の「若人の夢」(サイレント)から遺作である「秋刀魚の味」(昭和37年)まで、ほぼ全作品に出演している。その笠が、小津の作品について、自分の俳優人生について語ったのがこの本で、実に面白い。読んでいるうちにあの独特の口調、柔和な表情が浮かんでくるようだ。
小津安二郎先生の思い出

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小津といえば、ちょっと下から煽るようなアングル、向かい会う役者をそれぞれ真正面から撮影して語らせるショット、独特の台詞回し…などが思い浮かぶが、それらは全て小津監督の緻密な演出によるものだ。役者にも口調や所作だけではなく、目線や微妙な“間”まで実に細かく指定をし、結果出来上がった画面は計算され尽くされたものであったという。笠はそんな細かい小津演出の中でも、それこそ自分を「NGの王様」と呼ぶくらいにダメ出しをされた役者だそうだ。それでも自らの作品のほとんどに出演させたというのは、やはり役者・笠智衆をそれだけ必要としていたということだろう。
小津監督は酒豪であり愛煙家であることは有名だが、笠はどちらもやらない。もともとが明治生まれの九州男なわけだから、ベラベラとしゃべるわけでも、お愛想を言うわけでもない、映画のとおりの「あの調子」だったそうだ。だから、役者・笠智衆以外の個人的な付き合いやお気に入りで起用し続けた、ということではあるまい。
それにしても、今改めて小津作品を思い出すと、役者たちの実に豪華な顔ぶれに溜息が出るほどだ。笠をはじめ、原節子、佐分利信、山田五十鈴、佐田啓二、田中絹代、杉村春子…と、ざっと書いただけでも物凄いことになっている。もう一人、好きな監督に成瀬巳喜男がいるのだが、成瀬監督は高峰秀子がお気に入りだったようでよく起用していたと思う。小津監督の場合はそれが笠だったと思うと、何だかおかしい。それにしても、この日本映画全盛時の俳優の顔ぶれは物凄い。

…ところで昨年に続き、今年も邦画つまり日本映画が好調らしい。長らく優位だった洋画の興行収入を、去年は邦画がとうとう抜き去ったと話題になり、今年もその勢いは続いているという。かつての、それこそ先の日本映画全盛期をはるかに凌ぐ好調さであり、ここ数年こそが本当の意味での日本映画の全盛時代、なのだそうだ。ほ〜お。
週刊新潮(07/6/14)によると、邦画といっても事実上東宝の一人勝ち状態のようで、その原因が「テレビとのタイアップ」ということだ。東宝の今年4月の興行収入は43億3280万円、次点は洋画ののフォックスだが、たった21億6932万円だから東宝の半分である。何で邦画が、いや東宝がこれほど興行収入を伸ばしたか。テレビとの提携つまりタイアップのお蔭で、完全な新作なら通常宣伝、CMだけで2,3億円はかかるところを、人気テレビドラマの「映画化」なら必要はない。元ネタ提供局であるテレビ局が、いくらでも宣伝をしてくれるし、そもそもテレビ局自体が映画の「制作委員会」とやらに名を連ねてくれていれば、それでもう宣伝費は事実上タダになるということだ。
そうしてテレビでガンガン映画のCMやバラエティ番組とのタイアップなどを見せられるうちに、イッパン大衆は「見なきゃぁ〜、うへへぁうぁえあ〜」とアホ面して何も考えずに映画館へ行く、とまあこういう構図らしい。
ちなみに昨年だけでも
「着信アリ」=日本テレビ
「日本沈没」=TBS
「LIMIT OF LOVE 海猿」=フジテレビ
「TRICK 劇場版」=テレビ朝日
「劇場版ポケモン」=テレビ東京
と、各局満遍なくタイアップする臆面の無さ。
さらに絶好調の今年4月だが、これまた
「名探偵コナン」=日本テレビ
「バッテリー」=TBS
「アンフェア」=フジテレビ
「クレヨンしんちゃん」=テレビ朝日
が好調だったとか…。東宝はもう全映画をテレビとタイアップでやる、と豪語する役員がいるほどだそうだ。洋画離れ、字幕(映画)離れと言われて久しいわけだが、ハリウッド作品やアメリカのゴリ押しする「娯楽」観への飽き、拒絶反応みたいなものがウンタラといろいろ語られてきたが、要するに、日本人が軽〜〜くなっただけの話だろう。ちなみに上に挙げた映画、幸か不幸か俺は一本も見ていないし、今後も恐らくテレビでもDVDでも見ることはないだろう。内容なんか見なくても解る。それこそ普段テレビを見せられていれば、あらすじも登場人物の演技力も何も丸見えだ。もうどーーーーーーでも、いいです。
あ、しまった。何かのはずみで「日本沈没」だけチラっと見てしまった。もちろん前作を見ていたから、どんな風になったか興味もあったわけだけど、途中で夫婦で顔を見合わせて、そうして見るのをやめた。役者の、いやタレントどもの演技のひどさ、とりわけ台詞廻しのひどさ、脚本のリアリティの無さ、つまり映画全体に漂う「金をかけたけど、バカ」映画についていけなくなったからだ。

テレビを見ていると、各局が競ってどーーーーーでもいい映画をお気楽に作っては、暴力とも言える垂れ流し宣伝の物量で見せようと迫ってくる。演技の出来ないジャリタレ、ジャニーズ事務所のガキだの今旬だとかいうモデルあがりのタレントだのを、元ネタがすでに漫画で高い評価を得ているものから映画にしたり、かつての名作を焼き直したり、もうほんっとーに、暗澹たる気分になってくるものだ。いや別に好きで見てる分にゃそういう人たちに何ら文句はないし、勝手にやってくれりゃいいわけで、これまたどうでもいいっすけど。
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2007-06-17(Sun)

似たもの夫婦

夕べは2時過ぎに床に就いたが、2時間ほど寝ただけで目が覚めてしまい、あとは半覚醒状態で6時ころ起きてしまった。(関係ないが半覚醒、と聞くと北海道人は「はんかくせえ」<=はんかくさい=バカみたい、の意味>を連想してしまう)
全然覚えてなかったのだが、偶然つけたNHKのBS1でMLB中継、ボストン・フェンウェイにサンフランシスコを迎えての一戦を見る。松坂大輔とバリー・ボンズの対戦が見ものだった試合である。今日の松坂は初回こそコントロールが定まらず不安定な印象を受けたものの、徐々に調子を上げ、試合はSFのケインの好投もあり、ボストンのラミレスのソロHRの1点のみという投手戦になった。松坂とボンズの対決は初回が敬遠、センターフライ、ショートゴロだった。8回からは岡島が登板、ノーアウトで走者2人を出す展開となったが、そこでボンズという最悪の場面でなんとストレートで見逃し三振、後続も討ち取って無失点、9回はパペルボンが締めてボストンが逃げ切った…という結果。
松坂は7回で被安打3、与四死球4、奪三振は8で今季8勝目(5敗)。このところ好投するも援護なく負け試合が続いていたが、前半打線に助けてもらって勝っていた分で相殺という感じだろう。まあ何にせよ、日本人2人の活躍でボストンが首位を快調に走っているのは気持ちがいいものだ。
松坂という投手は「怪物」の名の通り、日本時代はやはり頭一つ抜けたレベルの存在という印象ではあったが、その分、真っ向から真剣勝負をする相手と手を抜いて打ち取る相手とをはっきり分けていたように見受けられた。例えば清原なんかには渾身のストレートを投げ込み(清原なら、松坂のチェンジアップやフォークには手も足も出ないだろうに)、一対一の勝負そのものを楽しんだり、メジャーに来てもイチローに集中するあまり、その他の打者には注意力が散漫になったりはしていた。今日の松坂は明らかにボンズを唯一、意識していたように思う。ただそのボンズからビシッと素晴らしい三振を取ったのは、松坂ではなくリリーフした岡島ではあったが。

…そんなこんなでMLBを見ていると、7時前には連れ合いも起きて来て、支度を始めていた。今日は勤務する京都精華大学でオープンキャンパスがあるため、専任教授であるやまだは日帰りで出かけるのである。9時過ぎの新幹線で東京を発ち、昼前に大学に着いて、夜の新幹線で帰京するというのは、健康な男でもキツいと思う。
連れ合いは前から何度も書いているように、5年前に右の腎臓摘出手術を受けたあと、今でも後遺症に苦しんでいる。右わき腹の神経を寸断されたために一年ほど絶え間ない激痛に苦しんだ後も、筋肉も切られたらしく咳やくしゃみをするにもわき腹を抑えてしないと、腸が飛び出そうになるのだ。こんなズサンな手術ってあるんだろうかと思うが、医者と裁判をやったところで勝ち目がないのは解っているので、泣き寝入りである。そもそも当時は「今この瞬間激痛で寝られないほど苦しんでいる人間」が裁判なんかとてもじゃないが無理ではあったのだが。
実は俺も白血病の一種を患い、結果脾臓が巨大に腫れあがり、腹部全体に拡がっている。脾臓というのは通常、胸の左下あたりにある拳大の大きさの臓器だが、俺の脾臓は下は骨盤まで、右は腹部中央を越えて胃を圧迫するくらいまで肥大している。これが破裂したらおしまいなんだろうな、と思う。まあ破裂しないまでも別な理由でおしまいになることもあるんだろうが。摘出すればという説もあれど、俺の病気のタイプはどうやら癌細胞が脾臓に集中する傾向が強いようで、もしこれを取った場合に癌がどこへ向かうのが解らない。今の状態が比較的小康を保っている=つまりベストなので、ここで摘出はしない方がいい…という判断とのことで、俺自身も納得している。
脾臓は左脇メインなので、左を下にして寝ることはほとんど不可能だ。もちろん、ほぼ腹部全体に拡がっているから、もううつぶせになることも出来ない。俺の場合は左わき腹をいつも気にしていて、時々鈍く痛んだり、ズキンと強い痛みが走ることもある。連れ合いの場合は同じようなことが右のわき腹にある。こういうこともシンクロニシティなのかも知らんが、だとすれば全く嫌な一致だ。夫婦は長く暮らすと似てくるものだが、俺たちもよく「ご姉弟?」なんて旅先で言われたりする。昔は母子に間違われたこともあるから、それよりはマシとはいえ、何だか気持ちが悪い。
それにしても我々は二人とも、テレビのお笑い番組を見たり、あるいは報道ステーションにおける古舘伊知朗の唐突な「…まさに欲望の多重債務とでも言いましょうか」なんて意味不明の言説を聞いたりして、突発的に爆笑するような場合は、わき腹を慌てて抑えて「く、苦しい」「は、腹が痛い」なんて言いながら笑っている。病人夫婦が二人で右と左のわき腹を抑えて苦しみながら笑っているのだ。おかしな光景である。
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2007-06-15(Fri)

癌という爆弾を抱えて

梅雨入りしたというが、関東地方は物凄い猛暑となった。陽射しもまぶしいし、気温もうなぎのぼり。ていうかこれから数日こんな感じというが、入梅したとたんにコレって気象庁、大丈夫か?
テレビを見つつ連れ合いとご飯を食べていたら、山田邦子が乳癌の手術をしていたことが判明、という話題をしきりに報道していた。今年の3月にテレビ朝日系「最終警告! たけしの本当は怖い家庭の医学」に出演した際に、乳癌の自己検査方法を知り、試したところしこりを発見、検査したところクロだった、という流れだったそう。病院で検査を受けたところ癌は左乳房に一つ、右乳房に二つ発見されたが、いずれも小指の先ほどの大きさだったという。結果4月から5月にかけて2回手術を受け、がんを摘出、胸は温存し術後の経過は良好だということで何よりだが、こうした「流れ」って何かあるんだろうな、と思うのだ。
山田邦子は「早期発見でがんが極小だった。あの時触らなかったら病院に行かなかったと思う。本当にありがとうございました」(夕刊フジより)と、話していたが、全くその通り。こういう言い方をすると誤解を受けそうなんだけど、固形の癌なんか早期発見さえ出来れば、ほとんどの場合は取ってしまえば治る。昔は筋肉ごとゴッソリと乳房を切除したため、胸の形が大きく変わり、温泉に入れないとかいろいろ女性としての悩みも訴えられることが多かったと聞くが、命と引き換えだ。俺なんか、癌がもし治るんなら一生温泉に入れなくてもいい。そんなの「生きられる」ということと引き換えであれば、何でもないことだと思う。
もちろん、QOLという考え方もあるのだし、命があるだけいいと思え、という乱暴な意味で言うのではない。あくまでも俺の場合は「固形の癌を取れば治る」という性質の癌ではないから、敢えて言わせてもらっているのだ。だからまた誤解を承知で言うが、取って治る癌なんか、羨ましいとさえ思うのだ。まあどっちにしたって健康だと思っていた人が癌を宣告されるというものは辛いことだろう。それが固形腫瘍であれば幸い、早期発見であればもっと幸い。同じ癌だったら白血病や悪性リンパ腫その他の「物理的に摘出できない腫瘍」じゃない方が絶対いいと思う。
話が逸れたが、そういう俺だって、健康診断で血液の癌と判明、それも進行が早いものと予想されての即入院・抗癌剤投与という流れが、虫歯治療の間に細胞検査を詳しく行うことが出来て、結果当初の進行が早いタイプではないと解って、退院・様子見ということになったわけだ。だからこうして見た目は普通の人と同じように暮らして行けている。病院に居た頃は、もう一度、この「何てことはないごく普通の日常」に戻りたい、戻してくれということが最大の望みだった。そのためだったら、他の犠牲は何であっても厭わないとさえ思った。そうしてそれは叶った。ただし、治る保証のない、治療法もない、いったいこの先どうなるのかさえ誰にも解らない状態で、癌という時限爆弾を間違いなく抱えながら。
この時限爆弾のタイマーがいつ0になるのかは神のみぞ知る。山田邦子さんも自分がなぜ助かったか、なぜ助けられたか、生かされたかをよく考えて噛み締めていることだろう。
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2007-06-13(Wed)

MLB雑感

今朝はなぜかNHK、いつものBS1ではなくBS-HiVisionでMLB中継をやっていた。ニューヨークでのヤンキース対アリゾナの試合を見る。試合はNYY王建民、ARIウェブという似たタイプのピッチャーが先発、この二人の安定ぶりに感心しつつ見る。特に王は低めに球が決まり、ほとんど浮いたような棒球がなく、凡打の山を築かせた。ウェブはアブレイユに序盤3Rを打たれたが、それ以外は王と同じように打たせて取るというピッチングで大きく崩れず、絞まった試合になった。
それにしてもこのところの松井のひどいバッティングにはいつも嘆息しきり。この日は内野安打一本、四球も選んだのだが、3の1という数字だけ見ればまあまあと言えなくもない、だが安打といっても要するに打ち取られてゴロになったのが、たまたまいいところへ飛んで相手が処理を誤っただけの話。このところたまぁ〜にどうでもいいような打席でポンとマヌケなホームラン(失礼)が出たりはするが、相変わらずのゴロキングぶりは健在だ。まあ打率こそ2割8分そこそこだが、HRと打点が低すぎる。

 年  打率 試合数 打数 安打 本塁打   打点 出塁率 長打率
2007年 .282 48 181 51    6    33   .364 .459
2006年 .302 51 172 52    8    29   .393 .494
2005年 .305 162 629  192   23   116   .367 .496
2004年 .298 162 584  174   31   108   .390 .522
2003年 .287 163 623  179   16   106   .353 .435

松井の数字を年度別に見ると、キャリアハイは2004〜2005年だ。1年目の2003年はまあ新人扱いだったので、100打点を超えたことで良しとすべきだし、その後2年間の数字なら、一流と呼べなくはない。怪我をした去年の3割は参考記録止まりとして、出遅れた今年これからどれだけ巻き返すかだろう。

松井はジャイアンツ時代、日本最高のスラッガーとして鳴り物入りでヤンキース入りしたわけだが、結局はメジャーでは並の選手となってしまったようである。巨人時代のようなHRバッターではもう確実になくなった。一発はそれほどないが、チャンスに強い=打点が多い、選球眼のいい=四球も多い、まあいい言い方をすれば「クラッチヒッター」と言えなくもないが、好不調の波がありすぎ、特に不調時の手こね打法・右方面へのひっかけ内野ゴロの多さにはホトホト、見ていて情けなさを感じる。
もちろんいつもいつも打てるわけではないのは承知しているが、例えばジーターのようなしぶとくそれこそチャンスに強いアベレージヒッターでもなく、もちろんAロッドのようなここぞという時に頼りになるHRバッターでもない。言葉が不慣れなのでムードメーカーでもないだろうし、トリー・ハンター(MIN)のような華麗な守備力も鉄砲肩もない。打率は2割台中〜後半、HRは期待値で20本台、打点こそ100打点は確実…という程度ならメジャーには履いて捨てるほど居るから、契約延長は難しいかも知れないな、とさえ思う。スタインブレナーがどれだけ松井を評価するかだろう。それこそ日本からの集客、広告、放映権料などの収入といった選手の成績には現れない部分の「貢献度」もあるからだ。

日本人はすぐ「数字だけではない」とか言うが、MLBでは近年セイバーメトリクスを選手の評価の指標とするチームも増えていて、実際その精度は非常に高いという。セイバーメトリクスというのはまあ選手の成績を細かく数値化し、それらを集積して多方面から分析をして評価・戦略とする理論なわけだけど、もちろんこれをもって全てとするわけではない。実際例えばその選手が試合に出ずとも精神的な支柱となっているような場合は数字には全く出ないので、評価の対象にすらならなくなってしまう。でも実際はベテランのピッチャーが故障中でもチームに帯同し、若手を指導したりチームを鼓舞したりするようなことはよく見られる(日本と違って、メジャー登録された先発ローテーション投手は登板日以外も必ずダグアウトでチームメイトと試合を観戦する)光景だ。
なのでまあガキの頃からの、見るのもやるのも野球好きとしてはあんまり「数字数字」と言いたくはないけれども、こういった精神的貢献度なんかはそれこそ一緒に行動してないと解らない。なのでファンには理解しづらいものだから、セイバーメトリクスはむしろ熱心なファンの格好の料理となったように見える。
で、まだ3分の1をちょっと超えたあたりではあるが、日本人野手の数字を見てみよう。

イチロー(SEA) 打率 .337 本塁打 5 打点 33 (出場試合数60、255打数86安打)
松井秀喜(NYY) 打率 .282 本塁打 6 打点 33 (同48、181打数51安打)
井口資仁(CWS) 打率 .257 本塁打 3 打点 16 (同53、191打数49安打)
城島健司(SEA) 打率 .330 本塁打 7 打点 27 (同49、182打数60安打)
田口 壮(STL) 打率 .276 本塁打 2 打点 9 (同47、98打数27安打)
松井稼頭央(COL) 打率 .324 本塁打 1 打点 14 (同26、102打数33安打)
岩村明憲(TAM) 打率 .341 本塁打 1 打点 7 (同26、88打数30安打)
(以上6月11日現在、major.jpによる)

この中で規定打席数に達しているのは城島までなので、3割を超えているとはいえ松井(COL)や岩村の成績は今のところ参考程度というところだ。それにしてもイチローのメジャー移籍後の驚異の安定力にはもはや当り前すぎて驚きさえないほど。
加えて特筆すべきは、城島の成績だろう。ホームランでは松井を凌駕し(といっても1本だけど)、メジャー2年目、それもキャッチャーというポジションを考えるとこれまた驚異的と言える。去年、城島はホームベース上でのクロスプレーでフッ飛ばされたがボールを離さずに仁王立ちし、ランナーをグッと睨みつけて男儀を見せ、完全にチームの信頼を勝ち取った。そういったキャラクタと気持ちとかいう数字に現れないものを評価するのは日本人的かも知れないが、一緒に試合をしているチームメイトからすれば重要な部分だろう。しかし今年は成績の面でもしっかりと目に見える形で数字を出していることが素晴らしい。
そろそろ厳しいかな、というのは井口だろう。打率もメジャー移籍後一度も3割を超えてないし、HRバッターでもない。盗塁も少ないから、1番2番を任されながらも機動力が取り立てて売りでもなく、下位にはめ込まれたりと、使い方もギエン監督の気分次第という感じだ。(ちなみに今は3番をなぜか打たされている)あとは守備で、去年の倒れこみながら空中で一塁に送球したプレイは全米でも繰り返し放送されて「ニンジャ!」と驚嘆されて有名になったわけだが、売りがそれだけ…ってのはマズかろうに。
日本人選手はかつての長谷川を除くと、ほとんどの選手が英語を話せない。なのでチームメイトとのコミュニケーションという問題が常につきまとい、同じ力量なら意思疎通がスムースな方を…となるのは自然な流れだと思う。ムードメーカーになるにも精神的支柱になるにも何でも、やっぱりイザという時のしっかりした「自分の言葉」でのコミュニケーションは大事だと思われる。
身振り手振りで何とでもなるさ、という楽観的意見をよく聞くが、どうだろう。今日の試合、後半7回に松井が四球で出塁、次のカノが2塁打で3・2塁。スコアはこの時点で3対1とリードしているがセーフティではない。追加点がどうしても欲しかった場面だ。続くカブレラがセカンドゴロで、松井は本塁突入を躊躇。これは正解。1塁がアウトになる間、松井は足踏みをするような格好で本塁を伺うが、2塁走者のカノが松井が突入すると見て3塁へ向かい、松井が躊躇するのを見て慌てて戻る。当然2塁に帰塁出来ずタッチアウト、このドタバタの間に松井が本塁へ返り、貴重な1点を追加…という状況があった。
これ、こうして文字ヅラで説明するとアレなんすけど(笑)、ライブで見てるとどうも松井とコーチの間の意思疎通がうまくいってない様子。GO!とかSTAY!とかは解るんだろうが、「こうだったらこうしろ」「あいつがああなった時はすかさずこうだ」とかはどうなんだろう。まあ、この場面はまだいいが、問題はこの後、2塁でタッチアウトになったカノがとぼとぼベンチに引き上げてきて、頭を抱えてタオルを顔にあてていたシーン。あの場面は松井が突入する・しないの見極めが必要だったのでカノにはミスが全くない…わけではないが、それほど落ち込む場面じゃなかろう。実際試合の局面からしてもさほど重要な場面でもないのだが、気持ちの問題なんだろうな。見ていてそんな感じがした、そういう時にスッと隣に座って肩をポンと叩いてジョークでも言いつつ、和ませるようなことが出来たら、選手同志の信頼関係も増すってものだろう。実際そういうシーンはベンチが映るとよく見られる。メジャーでなくても、日本の野球でもいやというほど見られるシーンでもある。
逆に言えば、そんな言葉の通じないもどかしい環境で、結果で全てを示さねばならない日本人選手は大変だ…とも言えなくはないが。それにしても、マイナーへ落とされた井川の入団会見の際の英語を聞いて椅子からズリ落ちそうになったものだが、あそこまでひどいのは例外とはいえ、やっぱりコトバって大事だなあ、と思います。
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2007-06-12(Tue)

公害三点セットの日々

いい季節になってきた。日中日差しが強い時間帯はもちろん暑いほどなのだが、まだ湿度がそれほどではないので気持ちがいい。東京は一年のうち、この梅雨の前のホンの一時期が一番いい。これから梅雨に入り、その後はまたあの猛暑が始まる。この何度も繰り返してきた季節の変化も、「また今年もこの季節を迎えられた」という喜びがある分、病を得た後は感慨深いものだ。

今年は梅雨が短く、猛暑になる気配があるそうだ。南米ペルー沖でラニーニャと呼ばれる海面水温が下がる現象が観測されたため。同海域で水温が上がるエルニーニョと違って、ラニーニャの場合はインドネシア近海など太平洋の赤道付近の「西側海域で」海水面の温度が上昇する。そうするとどうなるかというと、太平洋高気圧が急激に発達するようになり、結果的に梅雨前線を押し上げて梅雨明けを早める…というわけだそう。なので梅雨は短くなり、その分夏が長くなる=猛暑・渇水が懸念されるということなのだが、梅雨が短いとはいえ、そこに集中豪雨などが発生する可能性もあるそうだから、一筋縄ではいかない。
よくこういう現象を耳にするたびに地球環境のことを改めて考える…という道筋になると思うが、人間は地球から見れば地表にはびこり身体を蝕む癌のようなものだろう。地球の環境危機が叫ばれて久しいというのに、世界では相変わらず国や地域のエゴが渦巻いていて、地球全体の環境について本気で考える方向へは向かっていない。

ところでこの季節にいつも思うのは、せっかくの陽気に窓を開けて風を通したいのに、それが出来ないという悔しさだ。もちろん近隣環境の劣悪さのせいで、とにかく大気汚染、異臭、騒音の三点セットが我が家を取り巻いているから窓も開けていられない。連れ合いの好きな草花も、何をどうやっても必ず「死滅する」ので、もうベランダには何も置かなくなった。人間にもいいわけがないと思う。ベランダは数日で煤煙のために真っ黒なススのようなものが溜まるから、頻繁に水で流さねばおちおちそこら辺に手もつけない。
公害三点セット、向かいのリネン工場からは連日異臭が放たれているし、製本工場からは接着剤か溶剤の臭いもする。排気ガスの臭いは日常。中仙道の騒音はいつものことだが、ようやく長年の「共同溝」工事が終わり、終日早朝深夜を問わぬ騒音と振動から解放されたと思ったら、真向かいの製氷工場跡地のマンション建設工事が始まった。この「いじめ」はいつまで続くのか?
先日も部屋の中が蒸し暑いので窓を開けたかったが開けられないので(たちまち石油と溶剤の臭い、煤煙、騒音が進入してくる)、クーラーをつけた。連れ合いとその後買い物のために外へ出ると、外の方が自然の風が通って涼しかった。窓も開けられずに一年中閉め切った部屋に閉じこもらねばならず、冷房や暖房は機械に頼らざるを得ない。こんなひどいところで俺たちは暮らしている。騒音だの異臭だの排気ガスだのは撒き散らす側が平気な顔をしてやりたい放題で、周囲はそれを黙って耐えるしかない。
行政なんかなぁぁ〜んにも、してくれた試しがない。断言するが、こういうことで今まで行政に解決してもらったケースなんか、ねえ。こちらが真剣に訴えたってヘラヘラと小バカにされるだけで真剣に動いてくれたことはタダの一度もない、増してや向こうから積極的に地域を良くしよう、我々の環境を考えて動いてくれることなんか金輪際、あり得ない。税金だけガッポリふんだくって、9時〜5時の間ダラダラと時間を潰し、サボり、税金をいかに「残すか」ではなく「使い切るか」に一年中腐心し、さらには税金でたっぷり給与賞与退職金恩給をもらって一生ヌクヌクと暮らすんだろう。

こういうどうしようもない暮らしは都会では当たり前のことだと思われるだろうが、こんなことが当たり前であることっていいわけがない。
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2007-06-10(Sun)

「規制緩和」の果て

介護サービス大手のコムスンの問題。事業所指定の不正取得で厚生労働省から指定打ち切り処分を受けた後、親会社の会長である折口雅博会長はメディアに出ずっぱりだ。問題発覚後数日は音なしの構えを見せていたが、その後は記者会見、そしてまるで「お詫び行脚」のようなメディアへの露出ぶりである。田原総一朗に怒られ、桜井よしこに叱られ、なみだ目と落武者のようなヘアスタイルを見ない日はない。
規制緩和とか「官から民へ」などといった掛け声で、とうとう介護までこうして「資本の論理」に組み込まれるようになった結果がコレだろう。数年前に「介護」が「ビジネス」になるというこうしたニュースと流れを見ていて、連れ合いと「あ〜あ、これから介護医療の現場は大変なことになるよ」と話していたものだ。
そもそも介護も含めた医療や福祉というものは一番商売というものから遠くあるべきものだろう。もちろん医療だってそれで食ってる人たちがいるんだから奇麗事は言わないが、介護福祉って公共サービスの最たるものだったはず。役人に仕事を与えているという意味しか持たない規制は緩和すべきだが、民に丸投げすりゃいいってものじゃないだろうに。だいたい介護福祉の場に商売、資本の論理がどっかりと中心に入ってくるとどうなるか。利潤の追求、コストダウン、効率重視なんでもいいが、本来の目的から乖離してくることは目に見えてわかっていたはず。だが、国に任せておくとどうなるかというと、例によって仕事しねえんだなコレが。役人やコーム員連中はホンットに、サービスという概念をわかっていない。では規制緩和で民に移管すればどうなるか…って、こうなったわけだよ。
民間で出来るサービスは民へ移譲するのはまあいい、であれば役所は何をするの? 許認可と監督でしょ? 本来てめえらがやっていた仕事をただ丸投げして、お役人たちが楽をすることが「規制緩和」の正体である。バブルに踊り狂い、介護福祉が規制緩和と知るや「儲けたい」と公言してはばからぬ、そして今問題の人材派遣という名の「口入れ屋」をやってワーキング・プアから小銭を巻き上げて太るような連中に介護サービスを任せること自体、厚生労働省は間違っていたのだ。(何度も言うけど役人どもは「生きさせろ!」を熟読しろよ、頼むから。)そういった意味では、今回の異例とも言える迅速かつ厳しい対応は、役人にしては珍しく目をみはる素晴らしさではあった。
ワタミやニチイといった同業他社がコムスン撤退後の受け皿として浮上、というニュースが最近出てきているが、思い出すのはISPの規制緩和時のことだ。かつて、十数年前にインターネット接続業への規制緩和で異業種からの参入が容易になった際、われもわれもとプロバイダを名乗り、全国で中小零細さまざまなISP(インターネット・サービス・プロバイダ)が林立したことがあった。当時はそれこそ土建屋から金余りのお百姓さんまで(本当の話だ)、プロバイダを名乗って接続契約を争った。そもそも当時はネット回線自体インフラが脆弱だったし、当然回線はまた貸しならぬまた借りなんかもザラで、トラブルも非常に多かった。もちろん今では大手数社に収斂されたわけだが、規制緩和の後はこういうことがしばしば起こる。だがネット接続ならまあそれほど社会問題にもならずに済んだものの、ことが人の健康や命に関わることになる=介護や医療福祉となると別だろう。商売、効率重視、カネカネカネ…そんな論理が一番、介護の現場には不要なもののはずなんだろうに…。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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