2007-08-31(Fri)

入院5日目

8月31日(金)
夕べは周囲の夕食が終わった後もイヤホンで音楽を聴いていた。音楽を聴きつつ画面だけテレビを見たり、ソリティアで暇つぶし。他のゲームでも良さそうなものだが、だいたいが惰性と反射でやっているだけなので、ソリティアが一番その状態に合致するだけの話。向かいのコワモテOさんの奥さんはデカい声で話し、まるで自分の家のように病室内を歩き回り、一緒に飯を食った後は二人で恐らくタバコを吸うのだろう、どこかへ消えるのはいいのだが面会時間8時を過ぎて病室に戻ってきても大きな声でああだこうだと15分くらい過ぎてからようやく帰る。さらにその時Oさん一緒に降りていくらしいが、戻ってくるのは8時半を過ぎてからだ。その後消灯が過ぎても平気で11時過ぎまでパソコンにアンテナつないでタダでテレビ見てるが、ナースはそれを消せとも言わず、何だかアンタッチャブルな人なのかと思ってしまう。つまりはまあヤクザなので傍若無人でも許されるんだろうか、と。
俺は9時ころ一旦さっさと寝ようかと思ったが、Oさんの様子を真似てか、隣のオッサンまで調子に乗って消灯過ぎてもテレビをつけてるのがチカチカして寝られない。真っ暗な部屋で、薄いカーテン一枚の向こうでテレビつけられてるのを想像していただきたい。とてもとても寝られるものではない。「消して貰えませんかねえ」とノドまで出かかるのだが、隣のオジサンは抗癌剤を投与されていると聞いてから、やはり大変だろうな、という思いがあってこちらが我慢してしまう。
結局こちらも寝られないので見たくもないテレビをつけた。3人のベッドでテレビの光がビカビカと光り、天井に乱反射している。クラブか、とツッコミたくなる雰囲気である。その後隣に誰か来た様子で、耳栓を取って聞いてみると隣の主治医らしく、抗癌剤治療はいったん中断して土曜に退院し、それから再来週の木曜にまた入院して再投与と言っていた。どうやらどこかの癌を手術で取った後の予防的抗癌剤投与らしい。道理でこの夫婦、悲壮感もなく妙に軽いと思った…。結局寝たのは11時半ころだったか、点滴の残りが少なくなっていて不安だったが、次に目が覚めたら取り替えてあった。こういうナースだとありがたいんだよなあ。なので何度か目が覚めたが、5時半に完全に覚醒するまではよく寝られた。
同室のオジサン2人は高いびき。しかしいくら周囲が無神経とはいえ、こちらは寝ている人を起こさないよう、一応起床時間である6時まで待ってから洗顔に行く。狭い室内なので一人が動くだけで完全に安眠は妨げられるはずだが、俺が洗顔して戻ってきても誰も起きなかった。やはり耳が遠いのか。夜中も断続的に雨が降ったようで、外はまたどんよりと曇っている。夜も弱く冷房がついていたが寒かったので朝方に切った。向かいのOさんは暑がりで、しきりに暑い暑いというから気の毒にと思ってつけていたのだが、風邪をひいてはいかん。
その後他の二人が朝食の間はずっと音楽を聴いてソリティアをやっていた。匂いがたまらん。ソリティアなど楽しくてやってるわけではなく、時間が簡単に潰れるのでやってるだけだ。9時前に下へ買い物に行き、ジャムクッキーとクランキーチョコサンドクッキー、ドリンクヨーグルト、あと小さいシャンプーとボディソープを買って戻る。それからはクッキーを隠れて食べた。先生すんません。そうこうしてると11時半を過ぎたので、点滴の交換を待ってビニール袋に読みかけの週刊誌、水のペットボトル、財布、クッキーを入れて点滴台を押して病室を出る。
ナースステーションに顔見知りの看護婦2人がいたので「食事どきが辛いので下に散歩に行ってきます」とバカ正直に報告すると、爆笑された。同じ部屋ン中で空腹の身にご飯のいい匂い、食べる音なんかがするのはとても耐えられない。下に降りて入り口から外に出る。そういや病院の外に出るのは中3日丸々空いて4日ぶりだ。外は曇り空だが風が強く、その風も涼しい。ここ数日ですっかり秋になっちまったんだろうか…いや、東京の「夏」はそんな甘いもんじゃねえ。
植え込みに囲まれたスペースにあるベンチに座り、懐かしいSTYXを聞きながら文春を読む。「The Best of Times」とかシチュエーションに全然合わないのだが、関係なし。12時15分くらいまでそうしてると、スーツにサングラスで体格のいいつるつるに禿げたおっさんが会釈をして俺の隣に座り、何か話しかけてきたので慌ててイヤホンを取って聞きなおす。「点滴の針は痛いものですか」というので「最初の一刺しは痛いけどその後は慣れてしまえば全然平気ですよ、自分は24時間点滴なんでこのまんま寝ますしね」と話す。そのオッサンの90過ぎになる母親が糖尿で入院していて、「点滴の針が痛そうでねえ」という。「確かに女の人とか血管の細い人は痛い場合も多いですよね」「あと何回もやったり長期間やってると血管が固くなって…」と話してると、俺の話を遮るでもなく普通に俺の話にかぶせて「点滴の色は緑でね、ほれ、ちょうどあんな色なんですよ。あれは何なんですかねえ」と植え込みの緑を指差す。「…そ、そうですか。でも色じゃ何の薬かは解らないですけどね」と言うと「あなたのは?」「私のは単なるブドウ糖とかアミノ酸なんかの輸液です。今胆石症で入院中なんで、食事が取れないんで栄養補給ですね…」と応えるとやはりそれにかぶせるように「胆石は痛いんでしょう」という。このオッサンは一体…と思いつつ「痛いと言いますけど、まあ自分の場合は石が取れたみたいで、その時に胆汁がドバッと溢れたのがアチコチに悪さしてるみたいですね」ってここまで会話してきて、どうもこのオッサン心ここに在らずという感じに気付く。一応会話は成立してるし別に頓珍漢なわけでもないのだが、基本的にこちらのレスポンスには余り興味がない様子なのだ。興味ないなら話しかけてくるなよと思うが、何だろうと思ってたら、突然バス停の方へ「じゃあお大事に」と言って立ってしまった。要するにバス待ちの間の暇つぶしだったのだろうか。
こっちはいい気分で音楽聴いてたのに何だよと思いつつヨッコラセと立ち上がり、点滴台を転がして病院内へ戻る。すると前から3人のドクターが来る中の一人がMさんだったので、思わず手を振って挨拶。M先生は一昨年、抗癌剤投与の予定で入院した際の医師団の一人で、よくこちらが聞きかじりの浅い知識で質問責めにするのに対応してくれた若い医師である。「胆石なんですよー」と言うと「そうなんですってね、一度病室へ挨拶に行こうと思ってたんですよ」と言われる。「食べられないのが一番辛くて」とまた情けないことを言うと「あ、でも食べさせようかなってカルテに書いてありましたよ」と笑われる。思わず「本当すか?」と聞き返してしまい、両側の研修医にまで笑われる。
その後病室へ戻る前にいったん談話室でちょっとテレビを見て、念を入れて12時半を過ぎてから部屋へ戻る。どうやら昼食は終わっていたようだが、やはり残り香が漂っている。ていうか病棟の廊下全体に漂ってるので、もうしょうがないのだが。あー腹減った、とベッドに戻って水を飲む。午後は音楽を聴いたり週刊誌を読んでしまった後は、Yちゃんが持ってきてくれた五木寛之の「こころ・と・からだ」を読む。
そうこうしてるうちにウトウトしてハッと気付くと点滴が終わっており、血が逆流しかかっているところ。慌ててナースコールで交換してもらう。逆流しても死ぬわけではないが、赤い血が点滴の管を伝ってだんだんに上がっていく様子は気持ちのいいものではない。そんなこんなでフと気がつくと6時前だ。もう飯だヤバいと思ってたら向かいの「姐さん」登場。恐らくは50代だと思われるが、バッチリ濃い化粧に金髪、タイトな皮パンツだったりヘソ出しの時もあったっけ。そうして甘い声でコワモテOさんによく「痛くなかったぁん?」「可哀想〜、センセに言えば良かったのにィ」とか話している。同時に病棟のご飯も登場、なるべくご飯を見ないようにしてそそくさと病室を出る。そのままもう下へ行くのも面倒なので、談話室へ行き、テレビでNHKニュースを見る。思い出して引き返し、ナースセンターで看護婦に明日の午後外出許可を欲しい旨伝えてから談話室に戻り、連れ合いにメールして、一応申請はしたが医者次第と伝える。
ていうか俺は同室のオジサマ方、特に隣のKさんの下品さと無神経さにもう怒り心頭なのだが、ご本人全く無頓着で悪気もない様子、従って「てめえうるせえぞ」「いい加減にしろ」とも言えないし、ひたすら我慢。それももう限界に近いが、幸いこのオッサンは明日退院だ。向かいのコワモテOさんは姐さんさえ来なけりゃKさんほどうるさくはないので、とにかく忍耐の日々である。
談話室でボーっとTVを見ているとテレビの背後の窓ガラスにA医師がナースセンターに向かって行くのが映ったので、そっといったん病室前へ戻り、今出てきたという風情を装う。すると若い研修医を連れてこちらへ来るのが見えたので、気付かないフリをして廊下を進み、途中でああ、という感じで立ち止まる。ていうか何でこんな小芝居してんだ俺。
A先生に「どうですか」と訊かれたので「ええ、全然痛みも熱もなく大丈夫です」と言うと「そうですか、それは良かった」とのこと。で「外出許可なんですが、明日どうしても仕事でネットにつないでデータを送る必要があって」と切り出す。「下のパソコンを見たら外部デバイスは接続不可、とあったので、自宅へ一度戻ってやりたいんですが」と言うと「そうですね、いいと思いますが、どなたかお迎えに来られるんですか?」「いえ、タクシーで行って作業して、またタクシーで戻ろうと思ってます」と言うと「そうですか…ただ飲み食いされるようだと困るんですよ」とのこと。俺がそうとう禁食に参ってる様子はナースから伝わってる様子。なので「それは全然しないので大丈夫です」と言うと「解りました、一応明日の朝の採血の結果次第では許可できないこともありますが」と言うので「よろしくお願いします」と頭を下げる。
そのまま談話室に戻るとどっかのオッサンがテレビ前に陣取っていてチャンネル権を奪われていた。NHKニュースではなく、「ぐるナイ」に変えられてしまったが、そっちの方が面白かったので俺も一緒に見る。岡村やチュートリアル徳井、峰岸達、元Jリーガー永島、石田純一らが素人の女の子たちに彼氏にしたい順番をつけられるのだが、石田がことごとく最下位になるのを笑いながら見る。この石田純一という人は確か50を過ぎているはずだが、脳みそがツルツルだと若く見えるのだろうか。その言動も余りに知性も品性も教養もかけらも見られず、従って同世代の女性には相手にされず、従って騙しやすい若い女の子に色目を使うのであろうか。それとも単なるロリコンなのだろうか。以前も浜ちゃんの芸能人格付け番組で、ワインや高級食材や芸術、音楽などの「真贋」を判断するのをことごとく全て外していたのを覚えている。それでもご本人はいつも無根拠に自信満々で、周囲も「プレイボーイ」とか持ち上げてるし、芸能界って不思議な世界だなあ。そういや何かの番組で石田を「インテリ」と言っていたのを見たが、椅子から落ちそうになったっけ。高学歴=無条件でインテリなのか、そうか。とまあ楽しくテレビを見ていると、飯を食い終わったOさん夫婦が談話室に来るのが見えたので振り返って会釈し、賑わってきたので7時40分くらいには部屋に戻った。それにしても今日はちょっとクッキー食いすぎたかも知れない。いいのか。いいわけないか。
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2007-08-30(Thu)

入院4日目

8月30日(木)
夕べは11時ころから寝に入る。朝方4時過ぎになぜかお隣さんとお向かいさんが同時にトイレへ立ち、つられて俺もトイレへ立った。夜中も例によって何度も起こされたが、まあ断続的ではあるが6時のバイタルと採血までちょぼちょぼと寝られた。今日もどんよりとした曇り空〜雨模様。気温も昨日は27度くらいだったそうで、今日も引き続き「秋」の天気だというが、気象庁で27度ってことは、普通の街中では30度以上ってことだ。まだまだ秋というには暑い。
7時半ころ突然A先生が来て、腹を触診して体温を聞き、採血したかと聞かれる。昨日のMRIや今日の採血の結果などはまた追って、ということでササッと帰って行った。朝は慌しいのお。昨日おとついとドリンクヨーグルトの小さいのを1本ずつしか飲んでいない。本当は水以外は飲むなと言われているのだが、我慢ならない。朝も他人の朝食がうらやましいというかうらめしい。その後ワイドショー、MLBを見てうとうとしかかるとすぐゴミ箱掃除、当直交代看護婦のバイタル。9時でクレアチニンクリアランスは終了、また機械に尿を入れるのに戻る。ナースが「白取さん2300」と言ってるのが聞こえたので、一日で2300CCの尿が出たということだろう。点滴をされてると、やはり量が凄い。ただ朝の尿も9時直前の尿も、一時に比べると黄色が薄くなってきた。もちろん一般人の尿に比べれば濃い目ではあるが、ということはもう黄疸もかなり改善されたはずなのだが。今朝の採血で肝臓の数値が下がってきていれば、飯が出ないだろうか…って飯のことばっかり考えてしまう。
その後売店へ週刊誌、ドリンクヨーグルトを2本買いに行った。それからテーブルを腹の上へまわしてワンセグ見ながらうとうとしようかとしてたら、2時頃にYちゃんが一人で来てくれた。連れは今日10時半から自分の通院があるので時間が合わず、別々に来たわけだが、文庫本を2冊持ってきてくれた。外はちょっと雨だそう。面会は3時からなので、同室の人らに配慮して、談話室へ移動、今回の胆石発作を起こした京都での状況やらを話す。そうこうしていると連れ合いも2時半ころ合流、結局そのままずっと談話室でテレビをつけて3人で話していた。連れはステレオヘッドフォンと、クッキーやキャンデーを持ってきてくれたが、これが一番嬉しかった。何せ腹が減って仕方がない。
話してると病棟からA先生が歩いてきてエレベータを待っているのが見えたので、慌てて追いかける。病室へ行ったら俺が不在だったので戻った風情で、その場で立ち話。「MRIによるとどうやら胆管に石は無いようですね。でもこの後検査をするかどうかはまた改めて相談しましょう。それに肝臓の数値も下がって来ているとはいえ依然高い状態ですので、まだお食事というわけには行きませんから、土曜日の採血の結果を見て決めましょう」と言われる。胆管に石が無かったということは、内視鏡での除去手術は無くなったわけで、あとは最悪でも小さな石がないかどうかを内視鏡で「検査」するのみ。なので最も確率が高いのは、このまま様子を見て肝臓の数値が回復するのを待って退院、だろう。ホッとはしたが、食事があさってまでは確実に出ないと知ってガックシ落ち込む。
談話室に戻り、連れにそう告げると「クッキーあるじゃん」というので「食べても大丈夫かな」と言うと「大丈夫だよ、私いっつも隠れて食べてたじゃない」というのでそれもそうだな、と思った。
連れ合いは去年の春まで十年ほど、年に1・2度原因不明の吐血や下血で入退院を繰り返した。そのたびにやれ内視鏡だ、やれ大腸検査だとアレコレ調べられたわけだが、結局その全てが「原因不明」であった。本当かよと思うが、今の医療って、そういうレベルらしい。人間の体って解らんことだらけなのだ、そして医学、体の仕組みに精通したベテランの先生ほどそうおっしゃることが多い。科学史上主義・唯物論者の皆様方は、人間が「生きていること」の不思議についてもっと謙虚に考えて、感謝すべきだろう。
もう我慢ならないので、先生には申し訳ないが、耐え切れない場合はこそこそ何かしら食べようと密かに決意する(笑)。その後3時半ころまで3人で談話室におり、病室に戻って洗濯物を持って帰ってもらう。
部屋に戻ってすぐ、速達郵便で届いていた仕事のデータを片付けてしまうが、データをftp(転送)する手段がない。うーむ困った。土曜日まで待って外出許可を貰うか…と思案するが、考えても解決策はなく、諦める。その後暇なのでまたまたパソコンでスパイダソリティアやりつつ、我慢できずに買ってきてもらったクッキーをバリバリ食う。アッという間に5枚も食ってしまい、それでも足らずに別なバタークッキーの方も2枚、ペットボトルの水と一緒にむさぼり食った。勢いがついてまだ食べたい、しかしさすがに胃を痛めるかもと思い、我慢。我慢するために(?)コーヒーキャンデーを舐めて一息。すると突然A先生が来て、危ないところであった。
さっきエレベータのところで話したのとほとんど同じ内容で、「土曜日の採血の様子を見ましょう」ということの確認。俺らとしてはもう検査のための内視鏡なら断るつもりでいるから、あとは採血で肝臓の数値が戻ってくれれば退院の目処がつくだろう。その後は買ってきてもらったステレオイヤホンで携帯プレイヤの音楽を聴きながらソリティア三昧。暇でしょうがないのだ。夕飯になると向かいのOさんの「姐さん(奥さん)」が来て、隣の老夫婦とあわせて二組の夫婦がべちゃくちゃと大声でしゃべりながら飯を食い始めた。しょうがないので俺はイヤホンで音楽をガンガンかけて何も聞こえない状態でひたすらやり過ごす。
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2007-08-29(Wed)

入院3日目

8月29日(水)
夕べは9時消灯の後、携帯のワンセグでテレビを見ていたが、睡眠不足もあって急速に眠くなり、結局11時ころ寝た。途中点滴交換などで何度も起こされたが、まあ断続的ではあるが6時のバイタルまで比較的よく寝られた。夕べの雷雨のあとも雨が続いたようで、外はどんよりと曇っている。ニュースによると東京は11日ぶりに熱帯夜から解放されたという。それにしても東京の暑さというのは尋常ではない。異常な人口集中、クーラーの排熱、車の多さ、川をふさいでアスファルトで塗り固めた地面…いろいろな理由があるのだろうが、去年だか東京湾周辺にやれウオーターフロントだかベイエリアだかと騒いでビルをにょきにょき建てた結果、海からの風が遮られていることも都心部の気温が下がらない一つの要因である…という検証を何かの番組で見た。年配の人に聞くと、昔は夜になると涼しい風が東京湾の方からかなり内陸の方まで吹いてきて、夕方に打ち水でもすればじゅうぶんクーラー無しでも寝られたという。ていうかクーラーがないから排熱もないわけで、今はその逆なわけで、つまりは全てが悪い方へ悪い方へと循環しているのだろう。

ナースがきて今日の日中「朝9時から明日の朝9時まで、尿をトイレに置く大瓶に溜めるように」とのこと。「24時間クレアチニンクリアランス(24CCR)」だそう。今まではトイレの隅の壁にある、自分の名前を押すと蓋が開く機械に尿をカップで入れていたが、明日まではその大瓶に溜めることになる。蓄尿って何か嫌なんだよなあ。
その後昼前に、空いていたドア側のベッドに60代くらいのおじさんが入ることになり、夫婦で挨拶をされた。大人しそうな人だが、所作を観察しているとけっこう無神経そうでもある。案の定、安静時間の静寂をパリパリと新聞をめくる音で切り裂き、ベッドの上でピッピピッピと音をたてて携帯を操作している。ああ、また気にし出すと気になってしょうがないんだよなあ…と思う、しかし相部屋なのでしょうがない。
あの年代の人たちは悪気があるわけではもちろんなく、単に耳が遠いだけだったりする。さらに、カーテンでベッドの周囲をぐるりと囲んであるから、何となく個室ぽい意識になっていたりするのだろう。カーテンで遮蔽といっても、実はタオルよりも薄い布地一枚を吊り下げているだけなので、実際は10畳くらいの部屋にベッドが3つあって、男たちが同居しているわけだ。狭い部屋に3人とはいえ、集団で生活しているという意識をそれこそ「意識的に」持たぬ限り、自分が他の人の安寧を乱しているのではないか、という配慮は生まれないわけである。
よく闘病記の類を癌宣告の直後は見たものだったが、「話し相手のいる相部屋の方が精神的に楽だ」とか「気が紛れていい」という人がけっこう多いので驚いた。
俺は細胞検査のためにリンパ節を切除する際、その後の抗癌治療の際(結果的にやらなかったが)に続いて3度目の入院だが、連れ合いは一緒になった20年以上前から、それこそ数え切れないほど入院を経験している。その都度訴えられたのは、同室の患者の無神経な振る舞いや騒音であった。もちろん医師や看護婦の心ない言動に対する不満もあったけれど、ほとんどが「望んだわけでもなく、見ず知らずの、それも健康で社会におれば絶対に付き合いたくもない人たちとの24時間強制同居」という状態への不満だった。当り前だと思う。そういう状態を「楽しむ」ということは、一件ズ太く逞しいと映るかも知れないし、自分もそうありたいと思ったこともある。だがそれは単に無神経・鈍感に共感しているだけではないか、とも思うのだ。
いずれにしても、俺には無理だ。
なぜかというと、俺が世の中で最も嫌いな人種が「無神経で大雑把で鈍感な人間」だからである。

さてどうせ同室の患者さんたちが昼飯を食う時間というのは、食欲があれど禁止されている状態には苦痛である。どうせ飯も出ないし…というか禁止されているので、12時の点滴交換時にシャワーを申し込んでおいた。点滴が終わったらいったん外してもらって…と思ってたら、MRIに呼ばれてしまう。地下のMRI室の前へ行き呼び鈴を押すと、男の技師が来たので腕時計と診察券を預けて、あとは前の人の終了待ち。10分以上待っているうちに点滴が切れそうなので技師に「大丈夫ですかね」と聞くと「大丈夫でしょう」なんて軽く言われる。だが残り少ない点滴の輸液はみるみる減ってきている。ハラハラしながら見ているとようやく俺の番になったので入り、マスクとメガネを預け、台に仰向けに。「息を吸って、止めて〜」の無呼吸状態が20秒間とかなり長く、それが十数回セットあって、けっこう大変な検査だった。そういえばMRIは初めてだ。それに機械の中に入ると、その1セットの間は無音で、ついついウトウトしかかるのだが、すると突然ブザー音のようなものがかなりデカく鳴る。まるでドッキリのような大音声で鳴るので、これがまた心臓に悪い。ビクリとして体を起こしそうになったり、大変だった。
それやこれやで病室に戻ると1時。ちょうど昼飯の時間が終わっていたが、廊下には食べ残しのいい匂いが漂っている。畜生さすがに腹減ったなあと思いつつ看護婦さんに腕の点滴ルートをラップで巻いてもらい、連れが買っておいてくれたバスタオルと着替えを持ってシャワー室へ…と思ったらシャンプーもボディソープも何も持ってなかった。また着替えて売店へ下りるのも面倒だったので、引き返して手洗いの泡ソープを持ち、小走りでシャワーへ。その泡で頭や体を洗う。あとは湯には漬からずシャワーだけだったが、気持ち良かった。
その後はテレビ見ながらウトウトしたりしてるうちにアッという間に夕方になる。コワモテOさんの奥さんが来てご飯になりそうだったので、談話室へ退散。もうこの頃には腹が減って腹が減って辛いので、他人のご飯の音や匂いが耐えられないのだ。談話室のテレビを見てると連れ合いのお姉さんからメール。今日は義姉が連れを誘って買い物に出て、そのまま家で二人で晩御飯を食べたそうだが、ケーキみたいなパンの画像が添付で送られてくる。こ、この空腹の極限に! と思い俺の方は不機嫌な顔を自画撮りして送り返す。向こうは爆笑したらしい。クソ。
義姉は連れが俺の入院で疲れたり落ち込んでないか、心配して様子を見に来てくれたのだろう。いつも心配かけて申し訳ないです。談話室でそんなやり取りをメールしていると、左のわき腹がボコ、ボコという感じで動き、痛みが出てきた。何だろう、こっちは脾臓なのに…と思い立ち上がると便意だった。そうか、久しぶりなので忘れてた。部屋へ戻ると片足が義肢で車椅子のOさんに奥さんが付き添いでトイレに入っており、慌てて引き返してエレベータ手前の一般用トイレに入って用を足す。久しぶりの便も黄色かった。明るい蛍光灯の下で見ると、なるほど自分の肌は黄色いように見える。ビリルビンの色なのだなあ。
その後部屋に戻ると7時過ぎにA先生が来て、今日のMRIの結果がまだ届いてないので、明日になるということと、もし胆道に石があれば内視鏡で取る、なくても検査だけやる・やらないなど、どのみち相談する内視鏡担当の医師が明日いないので、明日に結論は出せないという。俺の場合まだ黄疸もあるし肝機能障害も残ってるから、石がなかったからといって即退院というわけにはいかないということである。それは俺も覚悟していた、何せまだ尿はかなり黄色いし、皮膚の質感もひどいのが自分でわかる。引越が迫り気は焦るが、焦ったところでどうしようもないのだ。
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2007-08-28(Tue)

入院2日目

8月28日(火)
夕べは9時消灯の後しばらくテレビを見ていたが、眠くなってきたのでウトウト。向かいのおじさんは大人しいな…と思ってたが、消灯時間はとっくに過ぎてるのに、ノートパソコンにテレビのアンテナをずーっとつけて見ている。なので、天井にはその光が反射して常にチカチカしている。また時折ブー!ブー!ブー!と携帯のメール着信バイブが鳴る。ベッドの上に置いてるらしいのでベッド全体に共鳴して響く。その二つ折り携帯をパキャッと開ける音。それを今度はバシャッと閉じる音。遠慮ない咳払い。引き出しのガラガラバタン!という開閉。トイレに立つ際のドアの開け閉めや電気のスイッチのオンオフなど、全てが全く「一人の部屋」でやってる風情だ。こういうのって気になり出すと止まらないし、日中なら些細な音かも知れないこういう音って、ウトウトしているとビクリとするほど大きいし、それで実際必ず目が覚める。
バッグには連れが前の入院の時に買っておいた耳栓があったので突っ込んでみるが、あまり効果なし。それでもようやくウトウトしたと思ったら夜中の点滴交換。さらには向かいのオジサンの方の用事などで、看護婦が常に出入りする。うーむこれはかなりキッツい入院になりそうだな、という感じだ。看護婦さんにも「寝ている患者さんを起こさないように」という配慮が見られない人がいるのが不思議。バッタバッタバッタ、と入ってきて寝ている顔に平気で懐中電灯の光をあて、ドアをバタンと閉める。刑務所じゃねえ、っつうの。俺ってこういう音にイチイチ目くじらをたてるのは嫌な人間なのだが、静かな中だとどうしても気になってしまうし、現実にその都度起こされるわけで、迷惑この上ないのだ。同室者の騒音に悩む場合は個室へ移るしかないのだが、個室に入ったところで結局看護婦さんの出入りはついてくるわけだから同じこと。
そんなこんなで何度も目が覚めつつ、それでも何とか朝まで寝たが、熟睡の最中にオジサンのトイレ、洗顔、歯磨きをガシガシする音で起こされる。時計を見ると5時で、カンベンしてくれよと思う。5時だというのに窓の外ではセミがもうミンミン鳴き始めている。その後も何とかウトウトすると今度は朝の点滴交換。その後は6時に朝イチで採血。もうとても寝てられないので、こちらも起きて洗顔、そして蓄尿。蓄尿は当り前ながら出る尿を全てトイレ内に置かれたボトル(バカでかいビーカーみたいなやつ)に溜めていくのだが、何も飲んでないのに24時間点滴だとけっこう尿が出る。それをその都度カップに取り、ざあとボトルに空けるわけで、ミもフタもないとはこのことだ。
朝飯もなく、かといってなぜか空腹感もさほどなく、朝食の時間が過ぎる。午前中はテレビ見ている間にちょっとだけウトウト。その後9時半過ぎか10時ころだったか、ナースセンターからの音声で「検査に行け」という指示があったので、点滴スタンドを押してまず地下のレントゲン受付へ行く。数分ですぐ呼ばれて、上・下腹部のレントゲン、それから2階の機能検査部へ行き、受付してすぐに心電図。結局全部で30分ほどで終え、また病室に戻る。昼飯もないのでその時間もうとうと。何せ夜中ロクに寝られないので、日中の静かな時を狙って小刻みに寝ておくしかない。そんな小寝を繰り返していると、眠だるくて朦朧としてくる。検査以外は、朝のバイタル(体温や血圧測定)、点滴交換以外は医師も来ず、退屈である。
向かいのオジサン…Oさんはどうやら怪我などではなく、糖尿の合併症による足の壊疽で、片足を切断していたようだ。大変な心痛だろうと察するが、足の切断そのものはこの入院ではなく以前からで、今回は合併症が進んで切断した足の壊疽を食い止めるためと、食事指導なども含めての入院のようだ、と解った。ご本人はけっこうケロリとしており、看護婦に軽口を叩いたりもしていたので、まさかそんな状態とは知らなかったのだが、昼過ぎに医師団が来てそういう話をしているのを聞いてしまった。可哀想にな、と思うがその筋の人だとすると、きっと若い頃からやりたい放題やってきての糖尿で、その結果としての合併症であれば仕方のないことなのかも知らん…などと想像たくましくする。
その後3時前にまたナースセンターから、今度は「内科の外来へ行け」という指示があったので、またコロコロとスタンド押しつつ内科受付へ。声をかけると5番前で待てというので10分ちょっと待ち、中へ入る。入るとこないだマルク(骨髄穿刺検査)をやってくれた、物腰の柔らかい先生であった。これまでのU先生のカルテをざっと見て、今回の経緯を読み、それから昨日の入院時のと今朝の血液のデータを比較検討。やはり白血球数が少ないので、自分のベッド廻りはいいが病棟に出たりする場合はマスクをし、手洗いやうがいはやってくださいという指示だった。
昨日消化器のA先生に連れ合いが血液膠原病内科との連携を聞いてくれた件で、「それは血膠内科に聞け」ということで診察を入れてくれたのだろう。まあ想定通り、今までと同じように気をつけておけということの確認であった。5分くらいで診察室を出て、また病室へ戻る。戻ってくると連れが病室に来ていて、着替えを買ってきてくれた。ちょっと話してから、水と茶だけは飲んでいいと言われてるので、下の売店まで買い物に行く。水、茶、連れのおやつにサブレを買って戻る。
明日のMRIで胆管に石がなければきっと数値も回復してるから、退院が早まるよと話す。途中尿を出しに行くと、黄色いが朝よりは薄い。日に日に、ホンの少しずつだが快方に向かっていると自分で解る。連れは京都からずっとくるくると働いてくれているので疲れてるだろうと思い、今日は5時半ころ帰るように言う。あさっては次女のYちゃんが見舞いに来ると言ってくれたそうだ。Yちゃんにはいつもいつも本当にいろいろ助けてもらって、申し訳ないと思う。ここ何年かは夫婦で入退院を繰り返しているが、こちらに身内のいない自分にとって、Yちゃんと、連れの姉である義姉のお蔭でどれだけ助けられたか解らない。
連れが立ち上がって帰ろうとした時に、萩原聖人似の若い医師が入ってきて、早口で一方的に説明を始める。俺の腹をちょっと触って、痛みも全然ないと報告すると、今日の採血の結果は昨日よりだいぶ良くはなってきているが、それでも肝機能の数値はまだまだ異常レベルなので、今は食事が取れる段階ではないということ。で、恐らく状態を見ていると痛みもないし数値も良くなってきているから、詰まってた石が出たのではないか、という印象だということ。また白血球がかなり少ないので感染症が怖いし、今炎症を起こすと大変だから、もうしばらく安静にして様子を見ましょうということ。もしこのまま順調に数値も良くなっていけば、早い段階でご飯が食べられるでしょうし、退院も早まるかも知れません…という内容であった。怖いのは熱が出たり痛みが強く出たりすると、再発が疑われるから、すぐ言ってくださいとのことで、医師は去っていった。
その後、二人で顔を見合わせてホッとする。「やっぱり石が出たんだよ、胆管に詰まってたらこんなに回復していくわけがないし」「退院早まるといいね」と話し合う。連れはその直後帰って行った。その後しばらくして、今度は向かいのOさんの奥さん=姐さんが来る。いつも晩飯を自分の分を買ってきて、Oさんの夕飯時に一緒に食べるようだ。こわもて(?)なのに微笑ましい夫婦愛(笑)。会話の感じも、奥さんは鼻にかかった甘え声で「…痛くされなかったあ?」「そうなのぉ?」みたいな感じで、あんなコワモテ相手にかと思うとおかしい。その後雷が鳴り始め、やがてザーッと雨になる。今日は皆既月食だったはずだが、見られるはずもなし。
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2007-08-27(Mon)

胆石発作と判明

8月27日(月)
今日は定例の診察日。朝は目覚しで7時ころ起きるが、しばらくは眠くて朦朧としていた。10分ほど経ってから起きて排尿歯磨き洗顔。尿の色は相変わらず濃い黄色だが、最悪の時と比べれば尿の感じが全然違い、一時の茶色くドロリとまではいかないまでもかなり濃かった感じも薄れて、さらっとした普通の尿の感じ。だいぶ良くなったな、と実感する。
間もなく起きて来た連れが支度するのを待ち、朝はドリンクヨーグルトだけにして、7時50分ころ出る。朝なので暑さはまだ感じず。タクシーが5分ほどでつかまり、病院へ向かう。今日はなぜか渋滞がいつもよりひどく、環七まで30分ほどかかった。病院へ着くと8時45分ころ。早足で内科受付へ行き、連絡票を貰って地下の採血受付で受付番号を貰うと18番。採血が終わって内科へ連絡票を渡し、地下のスタバへ二人で行く。俺はラテのトールとソーセージロールみたいなやつ、連れはシナモンケーキとアイスココア。食べた後はソファで俺はごろりとしたりして、10時過ぎに内科の診察室前の待合へ移動。15分の予約だが10時半ころまで待たされてから呼ばれ、二人で入室。
U先生に開口一番「シラトリさん、胆石発作起こしませんでした?」と聞かれてビックリ。京都でのあの苦しみはやはり胆石だったのかと夫婦二人で瞬時に納得、「は…はい! 起こしました」とマヌケな応答をしてしまった。連れが俺の顔や手足が黄色い、と言ってたのも胆汁のビリルビンの色、つまり黄疸であったか。U先生は今回、大元の病気つまり血液腫瘍の方はデータ的には変化なかったので良かったのだが、とにかく肝臓関連の数値がべらぼうなことになっているという。見るとGOTが339、GPTが848、G−GTが135、そしてALPは657! これはもう肝機能障害といっていいレベルだ。
9月半ばには京都に引越が決まっているので、今回はU先生に京都の病院へ転院の引継ぎをお願いしようと思っていたのだが、それどころではなくなってしまったようである。ただ幸い炎症反応(CRP)はなく、T-Bilも1.62と、どうやら胆石発作が起きたが、収まった…という感じが見受けられるそうだ。いずれにしても消化器・肝臓内科の先生に診てもらった方がいいということになる。「このあとすぐ消化器内科へ」ということでいったん診察室を出て、新患受付へ行き、申し込み票を書かされ、番号札を取って15分ほど待ち、さらにカルテが出来るまで20分ほど待たされ、ようやく再び内科受付へ。同じ内科なのに納得いかんな…ということは全然思わず、むしろこのまま入院になったら引越準備もあるのに大変なこといなるなあ、という思い。U先生の所見は付記されて消化器の方へ回ってますからと言われ、とりあえず予診室で経緯や症状などを聞かれる。その後30〜40分待たされて、ようやくS先生という若い医師の診察室へ呼ばれて入る。
まあ簡単に言えば、消化器内科の見解は「これは尋常じゃない数値だ」ということである。そりゃそうだ、いつもは20とかそこらの数値が数十倍になってるわけだから、大変なことは解る。「うーん、確かに今はおさまっているということで、ご様子を見てもこういう場合は普通の患者さんだと二、三日様子を見て採血をもう一回して…となるんでしょうが、あなたの場合はもとのご病気(白血病)があるので…。白血球数がこれだけ低いと、もし今炎症を起こされたり、感染症なんかにかかったらこれは大変なことになってしまいますから…」とのこと。で「仮に胆嚢を取る手術をするということになる場合でも、やはりこれだけ免疫力が落ちていると(手術の)リスクもかなり高くなりますし」と。なるほど、それらのことは凄くよく理解できる。免疫力が落ちていて血小板数も充分ではないと聞けば、普通の外科医なら手術はなるべくしたくはないだろう。
で、ともかくエコーを撮ってきて下さいと言われ、連絡票を持たされて2階の機能検査部へ。ドアのポストに診察券と連絡票を投函して待ってると数分で呼ばれ、女性技師に腹にローションを塗られてエコー検査。「はい息を大きく吸ってー」「はい抜いてー」の繰り返しで、左の脾臓側、中央から右の胆嚢、さらに右の背中側へ肝臓なども全般的に見られる。途中「まだ石はありますか」と聞くと「ありますよ」、「大きいですか」と聞くと「大きいですねえ」と淡々と言われる。10分ほどで終わり、検査結果は消化器内科へ回しておくと言われて検査室を出る。
その後内科へ行き、検査してきた旨告げてしばらく待ってると、先ほどの診察室からまた呼ばれる。S先生は「石は胆嚢の中には確かにありますが、とりあえず今詰まってるとか炎症を起こしている、という感じではないですね。ひょっとすると詰まっていたものが取れて出たのかも知れませんが、よく検査してみないとなんとも言えませんねえ」とのこと。その後いったん席を外し、データを持ってどこかへ行き、数分で戻ってきた。恐らく上の教授とか先生に聞きに行ったのだろう。で、結論から言うと「即入院」。うまくいっても最低2週間程度だろう、と聞いてガックリ。だって9月14日には引越なのに…。よりによってなんでこんな時にと思うが、こればかりはもう仕方がない。
とにかく空き部屋の確認をしますからというので一旦診察室の外に出て待つ。その後部屋があったから下の入院受付で受付をして、病棟へ行けと言われて出る。ちょうどこの後歯医者へ行く予定だった連れが病院で歯磨きを終えて戻ってきたので、二人でいやはや大変なことになっちゃったねえ、と話しつつ入院受付へ向かう。
受付で聞くと空いた部屋は3人部屋だということで、決まった部屋を見ると7A病棟の17号室、つまり「717」…って俺の誕生日じゃねえか(笑)。ラッキーだかなんだかよくわからんが。受付で15分ほど待たされ、入院の説明を受け書類をいろいろ貰い、自分で行けるかというので行けるといい、書類ホルダを受け取って病棟へ行く。7Aのナースステーションに行くと担当の看護婦さんが来て病室まで案内してくれた。部屋は3人部屋だが一つだけが埋まっており、2つのうちどこにしますかと聞かれたので、窓際の方にする。もう一つの窓際のベッドの患者に「お世話になります」と挨拶。60前くらいのコワモテのオッサンで、一瞬その筋の方かなと思ったが、深くは考えぬようにする。
看護婦さんに血圧を測られ、問診票の記入と検温をと言われ、検温し問診票を記入。こと細かにこれまでの経緯や自分の病状などを書く。体温は36.6℃でド平熱。荷物を取りに家にいったん戻りたいと言ってあったが、担当の先生が来るから話してからにしろというので待っていると、しばらくして若い研修医が来た。治療方針の説明というのをしていくが、何だか研修医というよりもまだ学生という感じで、痩せていて幼い顔をした男の子なので下手をすると中学生くらいに見える。連れが「白血病で免疫低下しているゆえ、マスクや手洗いなどの入室者の管理は」と聞くと答えに窮し、「ごもっともな疑問です、先生にうかがってきます」と言って出ていった。そうそう、解らないことはすぐ解る人に聞きに行きましょう。
ここでもう2時5分前、2時に歯医者の予約をしていた連れに「とりあえず行ってきな」と行かせる。その後しばらくしてAという医師が担当医として来る。とりあえず数日は飲食禁止で各種検査をしますから、という説明。実は14日に引越があるので…と言っても「それは検査次第で」とのこと。そりゃまあそうだ。とにかくよろしくお願いします、と頭を下げる。看護婦さんが問診票と一緒に外出許可証をくれたので、それに「3時から6時まで」記入をしたあと、ナースステーションに提出し、3時前にいったん下へ降りた。

タクシーで舟渡のマンションまで行ってもらうが、途中坂上あたりで物凄い渋滞に遭遇。どうしたのかと思ったら、環八手前の下り車線でトラックに突っ込んだ乗用車の前がぐしゃっと壊れた追突事故。まあ今回の俺の胆石も事故みたいなもんだよなあ。
部屋に戻ると、ちょうど連れも歯医者から戻ったところだというので、二人で入院荷物の支度をする。というかまずはパソコンで、連れが次に京都へ出勤する際の宿泊先の予約などの段取りをしてしまう。次はカーテン屋に連れが電話をして、2日の夕方に取り付けしてもらえるかを聞き、俺は先日京都へ出かけた際に冷蔵庫や照明をつけてもらった電器屋に電話して、2日の夕方に液晶テレビの小さいのを持ってきてつなげてくれないかと電話。結果的にはカーテンはOK、テレビは2日が定休日だそうで、3日に連れの学校が終わった後、7時8時でも届けてくれるということになった。まちの電器屋さんは融通がきいて助かるなあ。あとはメールで仕事の取引先各位に入院の旨をあらためて連絡する。
最後にこのブログにこれから入院する旨書き込んで、パソコンを閉じる。こないだ京都へ持ってって、仕事を始めるために元に戻したノートパソコンは、またまた旅行カバンへ逆戻りだ。「禁飲食」なので水物もダメという指示だったのだが、余りにノドが乾いたので思わずアイスコーヒーをぐびぐび飲んだ。しばらく飲めないと思うと実にうまかった。旅行カバンにパソコンや周辺機器など仕事関連のもの、ボストンバッグには着替えやタオル、洗顔道具などを詰めて、5時過ぎにマンションを出た。

旧戸田橋製氷側のバス通りへ出てバス停の凹みで待ってると空車が来たので乗り込む。病院へは6時10分前くらいに着き、ナースステーションに外出許可証を戻し、病室に戻った。戻ると隣のおじさんのところには奥さんと思しき女性が来ていたのだが、これがどう見ても「姐さん」。やはりこの人はその筋か? という風情である。奥さんにも「よろしくお願いします」と挨拶をすると、ちゃんと返してくれたが、どこからどうみてもヤクザとその女房(笑)。だって50代と思しき女性であるが、金髪で前髪が庇になってて化粧バッチシ眉は一直線、服装もビッチ系つんですか?、ヒョウ柄でアクセも金ジャラ系っすよ。こここ怖いよお。自分のスペースへ行き、カーテンをそっと閉めて着替えをし、やれやれと一息つく。連れは売店で夕飯までのつなぎに自分の蒸しパンとココア、週刊誌、テレビカードなどを買ってきてくる。今日から禁飲食、蓄尿、点滴だ。やれやれ。テレビを音声なしで見つつごろごろして話したりしてると、医師団がぞろぞろ3人くらい来る。主治医のA医師とサブとおぼしき医師、もう一人は最初の頼りない学生風の研修医であった。ナースステーション奥のカンファレンスルーム…というよりは仕切っただけの場所のテーブルと椅子に通され、A医師から今後の検査、治療方針などの説明を受ける。
今は確かに黄疸も戻りつつあり、吐き気も痛みも消失、食欲も戻った…とはいえ、胆嚢にまだ石があるのは事実。また、そもそも今回の胆石発作を起こした石が流れたようだとはいえ、可能性として胆嚢につながる肝臓からの管、腸へも伸びちる胆管へ詰まってたりすると、今後重大な影響を起こす可能性もある。つまり痛みの発作だけでなく、詰まった胆汁が逆流したり、激烈な痛みが出たり。それが周辺の臓器へ悪さをするともっと厄介なことにもなる。なのでまず、明日からレントゲンやCTなどで検査をし、さらに明後日はMRIで立体の画像をつくる。それでもし胆管に石があった場合は、腹腔鏡や内視鏡などでそれを取る手術をしなければならなくなるということ。で同意書を見せられて説明を受けたが、口から内視鏡を入れて、胆管の中に入れた器具の先にバルーンをふくらませて、管を広げて中の石や胆汁を出してやるとか、2種類の処置の説明。ただ最悪の場合の説明として、腸を突き破ったり臓器を傷つけたりする場合もある、と言われて二人で顔を見合わせる。もちろん起こりうる最悪の事態も説明しておかねばならないのだろうが、ちょっと嫌な感じだ。でまあもし最悪そうなるとだいたい通常は一ヶ月程度の入院となり、とても2週間程度で退院というわけにはいかなくなるそうだ。なので9月14日の引越なんかとても無理。とにかく検査次第なので、今は安静にしていてくださいということ。でもしMRIの結果、胆管には石がない、つまりこないだの発作で詰まってたのが出ちゃったのだとしたら、そのまま様子を見て数値の回復をみて退院を検討し、あとは京都の病院に引き継いでもらうということもあり得るという。何とかそうなってほしいが…。
その後何かご質問や不安な点はというので、連れが「元の病気(白血病)があるが、血液膠原病内科との連携は」という話をすると、ちょっとムッとしたような感じで、入院自体が今日の今日で外出までされてそんな時間はなかった、というようなことを言われる。そりゃまあそうです。で(2年前)白血病で入院していた時は入室者は手洗いやマスクを励行させられていたが今回は、と聞くと「白血病のことは専門外なので私たちには全く解りません」と事務的に言われる。これまたそりゃそうだろうが、患者の立場にすれば同じ病院内の話なんだから、「科は違いますが、連携を取って不安のないようにいたしますからご安心ください」ぐらい言ったらよかろうに、とも思う。
というわけで俺も連れに「あまり矢継ぎ早に話しても」というサインを送る。話はそんな感じで終わり、二人で部屋に戻る。テレビをつけると安倍改造内閣の組閣のニュースでもちきりだが、正直どうでもいいという感覚。今は引越まで2週間ちょいしかなく、全てのスケジュールを決定してしまった以上動かせないわけで、そこに至る準備などがこの入院でどうなるか、さらには手術で入院が長くなれば準備どころか引越そのものに間に合わない、という焦りが大きい。連れは寂しそうだったが、7時ころ疲れたろうからもう帰って休みな、と言って帰らせた。エレベータのところまで見送って、戻ってきてからベッド上に机を引っ張ってきて、パソコンで日記を記入する。
24時間点滴開始
それにしてもこれから禁食が辛い。今朝病院の下にあるスタバで食ってるんだけどなあ、でもしょうがねえなあ…と思ってたら8時前に最初の研修医クンが来て、これから24時間点滴になりますとのこと。そうか、これを忘れてた。2年前もそうだったが、24時間点滴だと熟睡できないんだよなあ。静注のルート確保だが、右と左どっちがいいですかというので左にしてもらう。もうどっちでもいいんだが。
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2007-08-27(Mon)

これから入院!

突然ですが今日これから入院します。
今日は診察日だったので病院行ったところ採血結果がボロカス。「胆石発作ありませんでした?」といわれて「ありました!」ということで、即刻入院。
幸い、大元の病気=血液腫瘍の進行はありませんでした。
しかし胆石…。普通の人ならまあ様子を見る、手術で取る、薬で散らす…という選択肢がいくつか症状によってあるわけですが、自分の場合は白血球が異常に少ない(=今日は1100)し血小板も少ないので、手術はちょっと最終手段になる。しかしこんな状態で胆嚢が炎症を起こすと大変なことになるので、自宅で様子を見るというわけにもいかない。なので入院して安静にし、採血とMRIなどで調べつつ経過を見て…ということらしいです。
一応最低でも二週間とか…とほほほほほ!
来月京都に引越なのに。
という顛末はいずれまた。しばらく更新できないと思います。
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2007-08-26(Sun)

快方へ?

8月26日(日)
朝は7時ころ連れ合いが先に起きた後、俺は8時ころに起きる。しばらく転がってテレビを見ていたが、10時過ぎにうどんを煮てもらい、お麩とネギの具で煮込みうどんを食べた。連れ合いは京都で俺がふせってから、帰ってきてもクルクルと働き助けてくれるのだが、彼女も健康な体ではないゆえ反動が心配。こちらはだいぶ食欲が復活し、うどんはもりもり食えた。尿は相変わらず濃いが、ホンのちょっとだが前より薄くなったような気がして、少しだけ安心。それでも普通の人に比べれば、アリナミンを飲んだ後よりもかなり濃い黄色なのだが。
その後、一休みした後昼過ぎからパソコンを取り出してメールチェックをする。何日かぶりにパソコンに向かうが、メールが各アカウントにかなりの数来ているし、仕事もたまっている。それらの仕事を順番に片付けていく。特に管理サイトの更新が重なっていたり各種連絡がいっぱいあったりで、病み上がり(?)には辛いのだがこのまま放置しておくわけにもいかない。
その後2時前に連れ合いはこないだから無くしてしまった夜の就寝前用のインスリン注射器をもらいにアイタワーへでかける。俺はその間にようやくこうしてここ数日の記録をイッキに書いている…というわけ。こうしてここ数日、京都での出来事を振り返っているだけで、辛い気持ちが蘇る。まだ何が原因で治ったのかどうかさえも不明なのだが、自分の体の様子では、明らかに快方へ向かってはいると思う。
その後夕飯はご飯を普通に炊いてもらい、アジの干物、しらすおろし、ごはんですよなどで食べた。久々のちゃんとしたご飯でうまかった。夜はテレビを見ていると「メントレG」に竹中直人が出たのを見たが、昔ロケ現場で見た幽霊の話=竹中直人が若い頃ドラマか何かのロケで山奥に行って泊まった際、夜に彼女に電話をしようと一人で宿舎を出た。携帯などない時代なので、砂利道をてくてく歩いて道の先にある電話ボックスを目指していると、後ろを誰かが付いてくる足音が、ジャリを踏む音が聞こえる。嫌だなと思って振り返ったら誰もいない。そのまま電話ボックスで電話をしていると、嫌な人の気配を感じ、来た道の方を振り返ると、何と暗闇に子供の足だけが二本、浮かび上がっていた。しかもそれがこちらに迫ってくる。竹中は大声で悲鳴をあげ、反対側のガラス壁を足で蹴破って逃げ出した…という話を連れが異常に怖がる。挙句風呂に一人で入れないというので先に俺が入り、洗ったあと湯船に入って呼び、髪を洗うのを見届けてから出る。夜は12時過ぎに就寝。
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2007-08-24(Fri)

決死の帰京

8月24日(金)
夜中に何度も目が覚めつつ朝8時過ぎに起きる。起きる…といってもトイレへ行き、茶色い尿を出し、洗面所へふらふらと行っては吐き気をこらえて歯を磨き、うがいをして洗顔を終えるとそのまままた布団へ倒れこむ…というルーチンである。当然何も食えず、連れがコンビニへ行って買ってきてくれたドリンクヨーグルトだけが何とか飲める唯一のものだった。冷えたオハヨー乳業のドリンクヨーグルトがうまい。というか頭では氷の入ったコップ一杯の水をぐびぐびと飲みたい、暖かいうどんをすすりたい、お茶漬けなら…などと考えるが、実際に前に持ってきたところを想像するととても無理だと思う。かろうじてなせだかヨーグルトだけは飲め、吐かないのが不思議だ。
連れ合いが「今日帰れそう?」というので解らないと応えて、改善される気配も保証もないまま横になっているだけ。午後1時ころ、京都へ行く前に頼んでおいたカーテン屋が来て、連れが対応する。各部屋の窓の採寸をし、カーテンの柄や色、材質などを連れ合いと相談して、次に京都へ来た際に取り付けをしてくれるように頼む。
カーテンなんか何でも良さそうなものだと思われるだろうが、こちらにはこちらの事情がある。連れ合いはもともと眠りが浅く、ちょっとしたことですぐに目が覚め、結果不眠に陥ることが多い。不眠は精神にも免疫にも体力回復の面などからも、とにかくあらゆることに良くない。この安眠を妨害する最大の要因が、「朝日」なのだそうだ。俺なんかは朝、窓から射す日の光で心地よく目覚めるのが好きだったりするのだけど、連れは朝まぶしいのを何よりも嫌う。従って遮光カーテンが必須というわけなのだ。で、今回の部屋は窓が変則な形のものが多く、市販品では合わない。従ってここは最初にちゃんとしておこうと相談の上、オーダーカーテンにしたというわけ…って何必死に説明してるんだか。
その後2時過ぎになって、一応昼前に重たい荷物は送ってしまおうと、旅行カバンに荷物を整理し始める。荷造りを終え、出すだけになった段で、俺の携帯に布団を運んでくれた宅急便の運転手の着信が残っていることを思い出す。電話して聞いて見ると、集荷に来てくれるのは6時くらいになってしまうというので諦め、結局連れが旅行カバン二つをゴロゴロ向かいのセブンイレブンまで持ってって発送してくれた。俺はその間にこのチャンスを逃したら帰れないかもと思い、最後の気力と体力をふり絞り、起き上がって脂汗を垂らしながらジーンズとシャツに着替える。そうして戻ってきた連れに「今なら駅まで行けそうだから、行っちゃおう」と告げ、電気やら戸締りやらをしてもらい、そろそろと歩いて道を渡り、空車を拾って京都駅八条口まで行ってもらう。連れは「病人がいるので、後部座席に横にならせてください」と前に乗ってくれたが、後部座席に斜めに横になるとかえってクッションが響いて気持ち悪くなりそう。なので、結局座席に深く座るカッコウで車の振動に耐えていた。
八条口へ着き、連れがみどりの窓口で4時ちょいののぞみの切符を買ってくれる。もう6分ほどしかないというので、そのままホームへエレベータで上る。もう何だかこちらは必死の形相で鬼気迫っていたようだ、すれ違う一般の客がギョッとしたような顔で俺を見ては慌てて目を逸らしたりするのがわかる。ホームに着いてすぐ新幹線が来たので、乗り込む。関係ないがホームではグルジア出身の関取・黒海がいるのを見た。ピンクの浴衣であった。大きくリクライニングをしたかったので一番後ろの席を、と指定したが空いてないと言われ、その一つ前になったが、後ろの席は誰もおらず。遠慮なくかなり座席を倒し、窓側に俺が座った。その後は持ってきてくれたドリンクヨーグルトを1つ飲んだだけで、ずっとひたすら横になって耐えていた。
東京には6時20分ころ到着。電車の乗り継ぎはとても無理なので、背に腹は換えられぬと東京駅の八重洲口からタクシーで帰ろうと出たら、タクシー乗り場は長蛇の列。それでもまだこの時は痛みや吐き気は弱く、ちょっと貧血気味なのかフラつく程度だったので粛々と順番を待つ。15分ほど待ってようやく乗り込み、タクシーは本郷通から御茶ノ水駒込経由で環七から赤羽経由で浮間舟渡へ向かったのだが、運ちゃんが気をきかせてくれたのか裏道を通ってくれたらしく、これが道中曲り道ばかりだわ逆に時間はかかるわで、俺は後部座席で脂汗を垂らしながらひたすら苦痛に耐えていた。舟渡のローソンでいったん停めてもらって連れ合いが買い物をしてきてくれ、家に着いたら8時ころだったか。
さすがにホッとしたが、この帰りのタクシーが一番苦痛だった。滝のように汗が出て、熱があるのかと思って測ったほどだった。実際は37度ちょいと微熱でもなかったが、とにかく辛い帰京であった。それでも連れがいてくれたおかげで無事家まで着くことが出来て一安心。猫たちは甘えてきたが、俺は猫をなでる気力もなし。着替えてソファに仰向けになるのが精一杯。その後吐き気も落ち着いたので、おかゆを炊いてもらい、ご飯ですよ、梅干で茶碗一杯どうにか食べられた。これももう安心だな、とトイレに入るが、尿は相変わらず濃いオレンジ色。夜は疲れたので俺だけ11時過ぎに先に寝る。
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2007-08-23(Thu)

新居の準備5

8月23日(木)
朝は6時ころ一度起きて排便を試みるが、相変わらず少量の濃い尿のみ。しかも気のせいか「どろり」とまではいかずとも普通の水より濃い印象である。トイレの照明のせいもあるのかも知れないが、茶色いものが出てきているぞ。そしてそれが便器に貯まっている水に混ざると、濃い黄色になる…ということは混ざる前は何色なんだよ、という濃さ。血尿なら赤のはずだが、だいじょうぶだろうか。トイレから布団に戻ってもう一度寝て、次に目が覚めると8時過ぎ。連れも起きて、しばらくテレビ見たりしていたが、買い物に行ってくるという。外はちょっと雨が降っていたようだがやんでいて、今のうちに傘買うのと電気屋に払う分を下ろす用事もあるからとコンビニへ出かけていく。
ジャムパン、牛乳を買ってきてもらったのだが、冷えた牛乳がおいしいのでコップ1杯イッキのみしてしまい、連れ合いに心配される。ジャムパンをゆっくりと噛んで、やはり買ってきてもらった京都新聞や文春を読みつつ食べるが、最後の4分の1ほどがどうしても食べられず断念。パン1個食うのに偉い勇気と気力体力が必要とは情けない。…それからしばらく横になっていると便意が来たのでトイレに行ってみると、少量だが出たので安心。ていうかここ数日ロクに食べてないので便もそんなに出るはずもないわけで、これが正常だ。フム小腸や大腸に異常はないな、と冷静に考えてみる。あとはひょっとすると胆石があると言われている胆嚢か…。連れ合いは血尿ではなく胆汁の色ではないかと言うのだが、胆石ならば痛みは激烈で、転げまわると聞く。とはいえ血尿と言うには色が黄色い。どっちにしても旅先ではどうしようもないから、日大病院の診察日の週明けまで待とうと話す。
その後11時前になって電器屋の社長さんからこれから出ますと電話があり、11時20分ころに息子さんとおぼしき若者二人で来てくれた。まず照明4つを二階、居間、仕事部屋、寝室と取り付けてもらい、最後に冷蔵庫の搬入。居間のドアを外さないと入らないというので、蝶番を全部外してドアを外してみると、何と外さなくてもドア自体を上に引っこ抜く形で簡単に外れるタイプで、皆で苦笑。冷蔵庫は巨大で大変だったが、二人で何とか設置してくれ、取扱説明なども聞き、40分ほどで汗だくの二人は帰って行った。けっこうな出費になったが、価格的にはネット通販などを利用して安くあげたとしても、結局は我々のような病身には配送から梱包開け、設置、後片付け全部込みということを考えると、お得と考えよう。
それにしても夏場なのでやっぱり冷蔵庫が入るといちいち買い物に出なくてもいいので便利だし、照明がつくと安心するねと二人でニコニコする。この部屋は玄関とベランダを開けるとサーッと風が通り、気持ちがいい。舟渡の部屋もそうなんだけれども、窓を開けると騒音煤煙悪臭だから、そもそも一年中開けられなかった。また今回の部屋は何より一日中明るく、それが気持ち的にもずいぶんとプラスだと思う。舟渡の部屋は朝起きてから夜寝るまで照明がないと薄暗く、つくづくよくもまああんなところで暮らせていたわと自分らで呆れる始末である。
ともかく何とか落ち着いて、その後すぐ連れは学校へ12時45分ころ出かけていった。俺は布団で休んでいたが、2時過ぎに何か胃に入れたくなり、冷蔵庫に入れておいた冷奴を食べてみたら食べられた。


…ここから記入26日午後


…と、上まで書いた後は地獄の苦しみが続いた。
まず食べた豆腐はその後5時過ぎに台所で全部吐いた。未消化というより全く消化されずにそのまま出たという感じだった。豆腐というのは消化にいいものの代名詞のはず…と思うとショックだった。ふらふらと布団に戻るが、固い床の上に薄い敷布団と汗取りマット1枚だけなので、あちこちがギシギシと痛い。それにこれは病気のせいだろうが、両手首の関節に腫脹が出来ており、手をついて体重をかけて体を起き上がらせるのが痛くて辛いから、布団から起き上がるという行為、本来なら休むはずの寝ているという行為がだんだん拷問のような状態に思えてくる。
体調はどんどん悪くなり、起き上がるのもようやっとという感じで、とにかくひたすら横になって今入院するわけにはいかんと祈り続ける。今(8/26)はこうして記録していられるわけが、その時は本当にまたこうしてパソコンに向かって普通にいられることなんか想像できぬほど、最悪の状態であった。きっとこのまま病院行けば良くて即入院、禁食点滴で何日か安静だろう。
たった一人で知らぬ土地の固い床の上の薄い布団で苦悶しているのは辛い。横になって目を閉じ、同じ姿勢をとっていると痛いのでごろごろと姿勢を必死で変えつつ動いているうちに、いつしかその疲れでうとうとする…という最悪の眠り。トイレへ行くと茶色い尿がだばだばと少量出る。あり得ないとはいえ、今死ぬのはイヤだなあ、せめて引越を済ませ、なるべく死んだ後の始末を迷惑かけずに少なくしてから死にたいなあ、などと朦朧と考える。
5時過ぎに連れから「終わったから帰る」とメールが来て、少しホッとする。ヨーグルトやコーヒー、ソバなども買ってきてくれるが、この時俺はもう水も飲めない状態であった。それでも気持ちは飲みたいので鼻先にコップを持っていくが、飲んだら吐くような気がしてどうしても飲めないのである。
昔、我が家で飼っていた猫たちが死ぬ前、水が飲みたいのだろう、水のお皿の前で飲みたそうに香箱を作り、それでも飲めずに鼻先が水についてはハッと顔をあげていたのを思い出す。生き物は水が飲めなくなったら死ぬのだ…そう考えると急に恐ろしくなり、コップの水を半分くらいエイヤと飲み干す。すぐに横になるが、横になっていると胃も横になるために逆流が怖いから、時折半身を起こしてゲップを無理やり出したり。こうして書いているとまあ読んでいる人は滑稽に思えるだろうが、当事者としてはこの時は本気で遺書を書こうと思ったほどの辛さであった。そして、それを傍で見ている連れ合いの心労も。
何とか冷えたヨーグルトが飲めるようになったのは夜8時を過ぎたあたりだったか。このあたりはもうひたすら苦しく、記憶も朦朧としている。連れは明日予定しているカーテン屋の採寸が終わったら東京へ帰ろうと言うが、とても自分ではマンションの下までも行ける気力も体力もない。とにかく今は様子を見ようということにして、この日も12時前に寝る。
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2007-08-22(Wed)

新居の準備4

8月22日(水)
新居で迎えた最初の朝。目覚しは8時にセットしておいたが、夜中に何度も目が覚めた。朝方起きた時にトイレで排尿したが、やはりかなり濃い尿だった。昨日は結局昼に小さなおにぎりを3つと水、あとはペットボトルの茶ぐらいしかとってないが、何か食べると気持ち悪くなって吐くと思い食べられない。布団に戻ってまた寝て、8時過ぎに連れ合いを起こす。連れは支度をして買っておいたロールケーキを半分食べてから出かけて行った。今日が入試の最後の日である。
俺はずっとその後布団の上で寝たり覚めたりを繰り返していた。そうこうしてると多少気分が良くなった気がしたので起きて見ると、外へ行けそうな気配。今だと思い、10時半ころ着替えて外へ出た。やはり今日も暑い。京都は鍋底、夏は暑く冬は底冷えするほどの寒さであると聞いてはいるし、何度か経験もしているが、住むとなると毎日のことだ。この暑さが夏の間連日かと思うと、かなりキツいだろうなあと思いつつスーパーへ。4階で風呂トイレ用の洗剤、連れ用の自然素材の泡ソープ、スポンジを買い、1階でジャムパンとロールケーキ、アミノ酸飲料とヨーグルト2本、食べられない場合に備えてゼリー飲料2つ買って戻った。
布団の上でやっぱりパンは食えそうに無いなと思い、ヨーグルトを1本とアミノ酸飲料をコップで2杯ほど飲んでまた横になる。水分補給は気をつけて欠かさないようにせねば。その後1時間ほどすると食べられそうだったので、ジャムパンを1つ食べてみる。何とか無事食べられたので良かった。普段はこんなものパクパクと食ってたのが、恐る恐る…である。それでも食べられて自分でもホッとした。その後は携帯のテレビをつけたまま、ずっと寝ていた。2時ころ内装屋がもう一人クロス職人を連れてきて、残ってた洋室の傷部分、台所廊下側のはがれ、寝室のエアコン横のはがれ、さらにドアを直すというので寝室の布団の上を追い出される。本当は寝ていたかったのだがしょうがない。布団以外は板の間なので座るわけにも寝るわけにもいかずにうろうろしていたが、結局2階の畳の上に座ったりごろりとしたりして凌いだ。
1時間ほどして和室の障子屋が来たというので上がってもらい、障子を入れてもらう。これらが全部終わったら3時半だった。その後ようやく布団に転がって、またうとうとする。夕方4時過ぎに連れから電話があり、俺の具合が悪いからと言って早く帰らせてもらえたという。5時過ぎにはコンビニで買い物して戻ってきた。連れがこの時、コンビニから出て電話してきた直後に突然の集中豪雨。その前からなにかゴロゴロ言ってるな、何の音だろうと思ってたら雷で、この時の雨は信じられないほどの量がいっきに降り注いできた。さすがに飛び起きてベランダを見ると、もうあたりは雨で真っ白に煙るほど。しばらくして連れが帰ってきたが、びしょ濡れだった。ちょうどセブンイレブンを出て信号待ってたら豪雨になり、帽子も吹っ飛んで水溜りに落ちたと言っていた。よく「バケツをひっくり返したような」という表現を使うが、この時の豪雨はそんな表現ではおっつかないほどのもの。とにかく生まれて初めて経験するような自然現象であった。
この信じられない豪雨はしばらく続いたが、6時前に昨日頼んだ電器屋の社長さんから電話があり、何と店が浸水したという。店は確か府庁のそば、中京区だと言っていたが市中でそんなことになってるとは。しかしそれくらいの豪雨ではあった。社長さんもあんなの初めて見たというほどの豪雨だそうで、「あーっ!」と言ってる間にみるみる水が入ってきて、積んであった商品が冠水したりで、今てんやわんやで行けそうにないという。もちろん無理もないので今日は諦めますということにし、明日の午前中に冷蔵庫と照明は持ち越し。しょうがないねと連れと話し、今日も照明は無しで諦める。
こちらは何かまた食べられそうだったので、連れがコンビニで買ってきてくれたとろろ入りざるそばを食べる。いざ前にするとやっぱりダメかな…と思ったが、無理をして食べたら美味しかった。東京の甘じょっぱい醤油味のタレではなく、ダシの利いたつゆがなかなか。連れが買ってきたご飯と惣菜も、コンビニのにしては味付けがいいと言っていた。
その後は相変わらずトイレに立つと少量の濃い尿が出るし、便は出ない。腹にはずっと違和感と鈍痛がある。その後暗い部屋で二人でワンセグの小さい画面でテレビを見ながら、病気のことやここまでの経緯などをいろいろ話す。俺は横になったまま、12時前には休む。
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2007-08-21(Tue)

新居の準備3

8月21日(火)
朝方6時半ころ目が覚めた。ちょっと弱い腹痛もあったのでトイレで大を少し出す。しかしどうもムカムカと気持ちが悪い。相変わらず尿の色も濃い、というかかなり黄色いので心配だ。実はここ一ヶ月くらい、尿の色がかなり濃い目になっていたので気にはしていたのだが。その後もう一度寝て、8時ちょい前に起きる。今日は連れは10時までに出勤というので、ゆっくり支度を始めるが、俺はどうにもムカムカして吐き気もするし、今月頭に右の下腹部がズキンと痛んだあたりに嫌な痛みがある。痛みといっても痛みそのものは微弱ながら、何かがある感じがする。下腹部全体がもやもやと嫌〜な感じなのだ。何か原因があり、その結果としてこうだ、ということが判明すれば別に対処するだけだが、旅先で、わからないというのが不安である。
ちょっと気持ち悪いので朝食を食べられそうになかったので、連れ合いは支度をして9時過ぎに下でご飯食べてそのまま学校へ行くと出て行った。俺の方はとにかく吐こうにも何も吐くものもないし、水も気持ち悪くて飲めないほど調子が悪化していく。ベッドにひたすら寝たまま、これは何だとひたすら考えて痛みが引くのを待つ。こんなに状態が悪いのは初めてだ。そろそろと起き上がるがやっぱりダメ、を繰り返し、ちょっとだけウトウトしてるうちに11時15分前になる。もうチェックアウトで部屋を出ないとならない。しょうがなく着替えて、俺のと連れのと二つの重いキャリーバッグを転がしてフロントへ降りてチェックアウト。
今日は午後に新居の不動産屋さんに鍵を貰う予定だった。しかしこの体調だとどうもそれまでどこかで時間を潰すという余裕はなさそうである。不動産屋のAさんに電話をして、ホテルが11時チェックアウトなので11時半ころ行かしてもらっていいかというとOKというので、ロビーでちょっと座って時間を潰してから、11時ちょいにタクシーで高野へ向かう。途中くねくねと碁盤の目を通り、御池通りへ抜けて川端経由で高野交差点まで。考えていたより市内中心部からは遠いんだなあ…と思いつつタクシーを降りる。不動産屋を覗くとちょうどAさんと目が合ったので、入れてもらう。
カウンタで入居時のペット関連の注意事項の説明を受け、こないだの契約書の大家さんの署名捺印されたものをこちらの控えとして受け取ったあと、その場から大家さんへ電話をしてくれる。鍵は大家さんがマンションまで来てくれ、直接渡してくれるという。それなら何か挨拶のものを買ってくるんだったなあと思いつつ、しかし今の自分の体調ならこうしているのがやっとだもんなあ、とも考える。幸い大家さんは俺が早く来たというと、今から向かってくれるというので、Aさんに礼を言って外に出る。
京都は今日も物凄い暑さである。その炎天下ゴロゴロとキャリーバッグを転がしつつ、ホンの20mくらいか、マンションまで行く。この道が果てしなく遠く感じられた。マンションのエントランスに入り、オートロックのドア前で待っていると、5・6分ほどで帽子を被った年配の方が現れ、それが大家さんだった。

オートロックの鍵の説明、〒ポストの番号と開け方の説明を受けたあと、エレベータ側へ廻り、裏の駐車場にあるゴミ置き場の話を聞いていると、ちょうどリフォーム屋さんが来る。実は工事が遅れており、今日もまだ作業があるという。今日は鍵の引渡しだから終わっているはずったのだが、内装屋さんは「すんません、明日には終わらせますんで」と恐縮していた。なので今日明日は内装屋が出入りするのでよろしくということ。あとは部屋の中の説明を一通り受け、大家さんは帰って行った。
その後俺はバッグを一番奥の左手の洋室へ運び、パソコンを出し、作業確認。調子が少し回復したので今のうちと、向かいのセブンイレブンへ出かけ、昼飯におにぎり3つセットと茶、コーヒーなどを買って戻る。内装屋さんはしばらく作業を何やらしていたようだが、そのうちシーンとなったので今日は終わりかと思い、俺の方は各部屋の採寸に入る。メジャーであちこち測るが、思っていたより狭いということと、柱の出っ張りが多く変形した部屋であることが判明。こりゃあ今の部屋の荷物を結構捨ててこないと大変だな…と思う。
次にこの部屋が空のうちに撮影しておこうとデジカメを取り出すと、ちょうど畳屋のおじさんが畳を運んできたところ。汗だくになっていたので二階のエアコンを入れたが急に冷えるわけもなく、おじさんは8枚の畳をエッチラと運んで設置して去って行った。青畳の匂いがぷんとして気持ちがいい…と思って二階へ行くと、直しただけで新品の畳ではないらしかった。それでもこんな畳の部屋は久しぶりなので気分はいい。そこに立ってベランダを見渡すと、真正面に五山送り火の一つ、「法」の字が見える。いいところへ越してきたなあ、こんないいところでくたばってたまるか…と思う。
しかしトイレへ入って排尿すると、これまでにないくらい濃い色の尿が出て自分でも驚く。まずい、これはまずい。まだオレンジというよりは黄色のかなり濃い、限りなくオレンジに近い色だ。これは血尿か、白熱灯のオレンジ色のせいでそう見えるのか、血の色かビリルビンの色か、いずれにしてもこれは相当やばいなあと思いつつ出る。
近所のスーパーでいろいろ買い物をしてこようと思ったが、尿の色を見て急に気持ちが萎える。それでも寝る部屋には遮光カーテンがないと、連れが寝られない。12時すぎに何とか気力と体力を振り絞って外へ出て、炎天下にスーパーへ行く。1階は食料品や軽食コーナー、2階婦人服3階紳士服4階が日曜雑貨や家電という、とにかく安いものなら一通り何でも揃うという便利な店舗だ。ちょっと気の利いたものが欲しければ、ちょっと離れたところに大きなショッピングセンターがあるので、そっちへ行けばいい。買い物にも便利な場所で良かった。
さて新しい部屋は2階以外は全てフローリング…と言えば聞こえはいいが要するに「板の間」なので、痛くて長時間座れない。これには往生したので、クッションを物色してみるが安っぽいものしかない。当座しのぎにはいいかとも思うが、なるべく無駄はしたくない。そう思いつつぐるっと売り場を周って思案してると、連れ合いからメール。仮のカーテンを入れてというので、一応遮光となっている2枚組み3000円くらいの安いのを買った。他の買い物は重いし大変なので一旦それだけでマンションに戻った。
一番奥の仕事部屋に予定している洋室にカーテンをつける。しかし高さが寸足らずで下から日光が漏れる。これじゃあかんなあと思ってると、携帯に宅急便から電話。配達時間指定で「2時以降」になってる荷物があるが、今近くを通るのでいるなら持ってっていいかというので、こちらも渡りに船でお願いする。18日に東京から発送しておいた、当座寝るためのふとんや服の着替えなどである。しばらくして滝のように汗をかいたお兄ちゃんがそれらを届けてくれた。
さっそく梱包を全部解いて布団を手前の洋室に敷き、服などもとりあえずクロゼットにかけておく。内装屋が出入りするから煩わしいと思って一番奥の洋室に寝ようかと思ったのだが、カーテンが寸足らずで光が入る。なのでやはり予定通り一番手前にしたわけ。こちらの部屋は窓が小さいので、買ってきたカーテンをつけ換えるとちょうど良かった。それにしても布団一枚を床の上に敷いただけではかなり固い。しかしこれはもうしょうがない、それよりも板の間に座ってなくていいのでずいぶん楽にはなった。
その後暗くなってきたら照明がないなと思い、来る前にネットで探しておいた電気屋さんへ電話してみる。これこれこうで照明と冷蔵庫がすぐいるんだけどカタログ持ってきてくれないかというと、今エアコン工事が暑さのために凄い受注でてんてこ舞いだという。でもお困りでしょうからと、夕方5時過ぎに来てくれることになった。こういうところは「街の電気やさん」のいいところである。量販店などではこういう対応は無理だろうし、そもそも自分で買って持って帰ってくるか、配達してもらったらそれきりである。
しばらくして電気屋さんの社長さんは5時40分ころにようやく来てくれた。冷蔵庫の設置スペースをメジャーで測り、明日にでも届けられるというので連れと相談して色さえよければそれで決定ということにし、あとは照明。2階(メゾネット)は和室なので和風のもの、リビングは天井にくっついてるちょっと見栄えのいいもの、それ以外の洋室2つはペンダント型の安いのでいいということしてカタログで検討開始。在庫や値段を店に携帯で聞いてくれたりして、暗くなってきた部屋の板の間に二人で座って小一時間ほど相談する。結局冷蔵庫と照明4つ、全部設置込みで明日配達してくれることになった。
その後は痛みが時折ある下腹部全体、鈍痛がある右下腹部を抱え、疲れもあったので布団でずっと寝ていた。これが癌の進行だったら、内臓にもリンパ節はたくさんあるので、それらが腫脹したのなら嫌だな、あるいは最悪腎臓や肝臓などへの転移だったらどうしよう、この病気の場合脾臓の腫脹と肝臓の肥大もあるからなあ、もし進行なら今病院へ行けば一発入院、抗癌剤治療か…いろいろ考えるとブルーな気分になる。しかしあの尿の色…血尿なら大変なことだが、疲れたからということもあるわな、とも考える。このところ引越準備でいろいろあったしなあ…。まだまだ俺にはやらなきゃならないことがある、連れを助けて行かねばならないし、何よりこの引越を完遂するのだ、へこたれて溜まるかと思う。
そのうち7時過ぎになって連れがメールで「ご飯食べてて」というので、具合悪いから寝てる、トイレットペーパーとティッシュだけコンビニでいいから買ってきてと返信。連れは大丈夫かと心配するので、そういうのじゃないから大丈夫とウソをつく。その後9時過ぎにようやく連れが自分のご飯とティッシュなどを買って帰ってきて「どう?」というので血尿ぽいのが出たと話す。疲れたからじゃないかということにして大丈夫だからというが、連れは心配だ心配だと繰り返す。それはそうだろう、俺だって連れが血便を出したり吐血した時は心配したんだし。その後は二人で暗い部屋で廊下の電灯だけでずっと俺の携帯のワンセグテレビをつけながら過ごす。ほとんど布団に横になっていたが、そのまま二人とも12時前には寝る。
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2007-08-20(Mon)

新居の準備2

8月20日(月)
夕べ寝たのは2時過ぎだったが、世中に何度も目が覚めた。ホテルの枕も合わず眠り自体も浅かったので、朦朧としている。朝方ようやく寝られたと思ったのもつかの間、今度は腹痛で目が覚めた。時計を見るとまだ6時、外は明るくなりつつある頃。この痛みは下腹部で、ちょっと前にあった刺すような痛みではない。ハッと気付いたが、昨日は水分が足りなかったのではないか。なので便が硬くなり詰まってるのでは…。原因が解っての結果としての痛みなので精神的な不安はないものの、痛みの強さは10段階でいうと7くらいだ。かなりキツい。そっとトイレへ行き、10分ほど頑張ると何とか便は出たのでいったん出るが、痛みは治らない。詰まっているのなら排便後しばらくすればおさまるはずだが。そうか水分水分と思い、冷蔵庫のペットボトルの水をコップにあけて1杯飲み干そうとしたが、なぜか一気には飲めず、半分飲み、残りは時間をかけて無理やり流し込む。
連れ合いが「どうしたの?」と心配して目を覚ましたので「のどが渇いただけ」とウソをつき、もう一度トイレへ行く。流し込んだ水がすぐ腸に下がるわけはないのだが、しばらく頑張って見る。しかし今度はなかなか出ず、痛みは8から9くらいに強まってきた。おかしい。昨日は朝家でコップ半分ほどの水を飲んだ後、新幹線ホームで立ち食いソバ、車内でペットボトルのお茶、その後は京都に着いてからコーヒー1、夕飯時に暖かい茶を小さな湯のみで3杯。水分はそれだけだが、街を歩いて汗を出したことも考えると少なかっただろうか。寝ている間にももちろん発汗しただろうから、水分が足りないのはもう間違いない…。
しかし便はようやく20分ほど頑張ってちょっとだけ残りが出たものの、立ち上がると痛みが9から振り切るほどに強い。これはおかしいと思ってトイレのドアに手をつき、ウンウンと唸っていると、突然気持ちが悪くなる。洗面台に向かって吐くと、さっき飲んだ水が透明のまま、ダーッと出た。その後何度か嘔吐するが、胃液や胆汁さえなく、無色透明の液体が戻ったのみ。どうやら昨日食べたものは順調に消化し腸へ行ったようで、空っぽの胃に冷水を突然ブチ込んだので吐いてしまったようだ。ふらふらと出てくると連れがベッドに半身を起こして「大丈夫? 吐いたの?」と心配していたので、コレコレこうだと状態を説明してベッドに倒れこむ。
テレビをつけて気を紛らわしつつ安静にしていると、痛みは薄皮をはぐように徐々に薄れていき、7時を周るころにはもうすっかり引いて0.5から1ないくらいになったので安心した。最初に目が覚めた時の痛みは糞詰まりの痛み、排便後の痛みは急な冷水による胃の痛みだったのだろう。胃の痛みが薄れると同時に、反比例して空腹感が覆いかぶさってきた。さっき吐いたのに大丈夫かなと思ったが、二人で2階のラウンジに朝食バイキングを食べに降りる。
胃のことを考えておかゆにする。その他トレイにお新香、味噌汁、玉子焼き、シャケ、がんもどきの煮物、小さい豆腐をとって席につく。回復したら現金なもので、朝食がうまいこと。しかし無理は禁物と腹7分目くらいにしてやめて、温かいほうじ茶をゆっくり時間をかけて飲む。部屋へ戻ると8時前だった。
連れ合いに聞くと今日は学校は9時半入りだというので、いったん二人ともベッドにごろりとしてテレビを見る。連れは食べた後は家でいつもそうしているように、ちょっと食休みでうとうとしたかったようだが、それほどの時間もない。しばらく目を閉じていたが、8時45分ころ俺が時間だと思って横を見るとクワっと目を開けたから、寝ていたのではないらしい。まだ疲れが残っているようだったが、9時10分くらい前に出かけていった。その後俺は10時過ぎまで部屋にいて、掃除も入るので支度をして出る。
今日は麩屋町あたりから寺町、裏路地あたりを散策して鴨川で休んだりぶらぶら。市バスでうろうろ。夕方ホテルに戻るのでバスに乗って河原町から西洞院へ向かっていると、連れからメールで「終わりが見えないから先に食べてて」と入る。ちょうどホテル前の惣菜屋でチキンソテー、八宝菜、焼きシャケとご飯、コンビニで茶などを買ってホテルへ戻ったら連れから「帰れそう」とメール。しかし今日は歩き回ったのでもう外へ食事にまた出る体力もなく、弁当買ったから自分の買ってくればということにする。俺は部屋で夕飯を済ませ、連れは結局7時過ぎに夕飯を買ってホテルに戻ってきた。その後風呂へ行き、テレビを見て、12時過ぎに二人とも寝る。
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2007-08-19(Sun)

新居の準備1

8月19日(日)
この日から、連れが週明けから大学へ出勤する間に新居の鍵を受け取ったり、下準備をするために京都へ出かける。夜中に何度も目が覚め、ほとんど寝られないまま7時のアラームで起きた。連れもほとんど寝られなかったといいつつ、二人とも朦朧としながら支度をする。猫たちにご飯と水をたっぷりあげて、自分たちは朝も食べずに7時45分ころ家を出た。
今日は曇り、朝のせいもあってか体感的には涼しい。家を出てタクシー会社の駐車場を見ると運ちゃんたちが四方山話をしていたので、出待ちだった一台に乗せてもらって赤羽駅西口まで出る。そこから京浜東北線、日曜なので空いていたが連れだけ座れ、俺は上野まで立っていた。上野からは座れたのだが、電車の中はギャーギャーわめくクソガキとそれを全く注意せぬバカ親がいて殺意を覚える。公共の場所でガキが大声出したらその都度叱るとか戒めてやれよ。母親は大声でむずがるガキを叱るでもなだめるでもなく、死んだ魚のような目を周囲に向けながらガキを抱き、甘やかしているだけである。後で気付いたが別なところに父親も立っていて、その足元でバタバタぎゃあぎゃあとわめくガキ共も同じ一家だったのだ。劣悪な遺×子を×××××、日本の将来×××××ん×くれ(笑)。

…東京駅には8時半ころ着いてしまい、弁当に冷茶を買ってホームの休憩処で発車まで待つ。待ってる間にホームに立ち食いソバがあったので、弁当は昼用にして急遽立ち食いを俺だけ食いに行く。掻き揚げソバを注文したのだが、食べてガッカリ中の下。寂しい気持ちで食べ終わり休憩処へ戻る。9時3分発ののぞみで京都へ。富士山を見ようと思ったが、窓は汚れていたし、曇っていたので見えず。京都には定刻11時23分に着いたが、ホームに降りた瞬間グワっと蒸し暑く、関西はまだ「夏」であった。今回は一週間ほどいる予定なので家から仕事用のノートパソコンを持参しているのだが、周辺機器も入れると荷物が重いのなんの。ヒイコラ汗かきつつ駅の北側へ周り、タクシーに乗る。ていうか八条口から乗ればいいのだが、なぜかいつもタワー側に出てしまう。
四条烏丸で地下鉄で大学へ向かう連れ合いを降ろし、西洞院で降りてホテルへチェックイン。…と思ったらまだ12時で、チェックインは2時からだと言われて呆然。そりゃあそうだが、前はチェックイン時間前でも入れてくれたんだが、部屋の用意が出来てないということ。しょうがないので荷物をショルダーバッグ以外全部フロントに預けて、ホテルをいったん出る。どうしようかと思ったがとりあえずぶらぶらしようと思い、四条通を渡ってバス停へ。ジリジリと陽射しが暑いが、バスはすぐ銀閣寺行きが来たので乗り込み、四条河原町まで。
書店や新京極をぶらぶらしたあと、高島屋へ行く。4階の紳士服・小物売り場でパソコンも入る旅行カバン、キャスターも4つ全面回転のがあったので、思い切って買うことにする。持っていた同様のカバンはキャスターが割れて壊れてしまっていた。結局手で重いものを持ち上げて歩くということがどれだけ辛いか解ったので。空のカバンをコロコロと軽快に押しつつエレベータで1階に戻り、エスカレータで地下へ行き、連れに弁当を買っていこうかとメールする。量が少ないのでいいというので、ご飯と京野菜のお惣菜を買い、自分用には鴨ロースサラダを買い、ホテルに戻る。
パソコンも無事LAN接続できて、ちょうど仕事の続きのファイル転送も済ませることが出来た。ひと仕事片付けてこの日記をつけ終わるともう6時40分である。連れ合いは途中夕方に「夕飯が出る」というメールが来たので、俺は東京で買ったあなご弁当と高島屋で買ったサラダで夕飯を部屋で食べたのだが、その後夜も遅くなって11時過ぎにようやく部屋に帰ってきた。
今回の精華大のAO入試は志願者が200人以上で、その中からたった15人(補欠+2名)しか取らないという大変な競争率だそうだ。今どきは少子化の影響で、どこも学生集めに汲々としており、そんな中でのこの競争率は大変なことだ。学校の維持のために形ばかりの試験で阿呆みたいな学生をガンガン入れる駅弁大学もあるという話を聞いたことがあるけれども、レベル維持のためにも審査は厳正にやってもらいたいものだ…なんて言うのは簡単。競争率がもの凄いが、ということは選考する側も、人数分のポートフォリオやら個々のマンガ作品を見ないといけないわけだ。それが200人分…と想像しただけでクラクラする。実際ずっと立ち詰めで、腹部に障害を抱える連れとしては大変な作業だったらしい。さすがに疲れた様子だったが、話してる感じでは仕事が終わったあとの充実感がある様子に見受けられた。先生方とも忙しいながら、共通作業を皆で一生懸命やるという意味でコミュニケーション・連帯感が深まった様子。その後はシャワーを浴び、テレビを見てゆっくりしてから1時半ころ電気を消すが、うとうとしたり覚めたりで、寝たのは2時過ぎ。
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2007-08-13(Mon)

骨髄穿刺、レントゲン、CT。

前の晩は2時過ぎに床に就いたが、検査のことや病気の進行のことなどを考えると眠れなくなり、ようやくうとうと出来たのは4時過ぎ。すぐに朝になり、7時前には目が覚めて朦朧としたまま布団に横たわる。いつものことだが、体の下側は汗でぐっしょりだ。季節がら…ではなく、この病気の典型的な症状の一つでもある。

先々週の週末から、実は右の下腹部に原因不明の痛みが生じて困った。普通に座ったりソファに仰向けになっていたりする分には痛みはほとんどないのだが、腹筋に力を入れたり、体を起こそうとしたり立ち上がったりする際に右足に力が入ると、足の付け根のやや上がズキン! と痛んだ。この日は朝連れ合いが発熱したり、こちらは腹が痛いのだけど前もって約束していた仕事の打ち合わせに出なくてはならなかったりと往生した。
この日(8/3・金)はその後、夜になるにつれて痛みが強くなってきた。横になってると普通で痛みさえないものの、やはり起き上がり、特に右足や腹筋に力を入れるとズドン、という感じで強い痛みがある。俺の場合脾臓が巨大化して他の臓器を圧迫しているから、胃や腸の機能が衰えているということは考えられるし、単に便がつかえていて、大腸の上行結腸あたりにその痛みがあるのならいいのだが、ちょっとこんな感じは初めてだ。連れ合いが心配して病院へ連絡しようと言うが、「明日になれば治るよ」と、とりあえず残っていたボルタレン(強い鎮痛剤)を飲んで横になっていた。その後横になっていると痛みがないので、ついついヨイショと起き上がろうとすると、激痛が一瞬走る。そのため起きるのが怖いほどだった。そろりそろりと体制を変えたりして過ごしたが、上腹部には異常も痛みもないので、普通に腹が減る。なので寝る前に冷凍のうどんを温めて食べた。翌日は荒川の板橋花火大会で、連れの次女Yちゃんが子供のM・S姉妹を連れて見に来たが、俺はソファに転がったままだった。

…この痛みは翌週7日まで、3日の夜をピークに徐々に薄れていき、今に至っている。今回の痛みの原因は不明だが、恐らく今日のマルクやCT、レントゲンの所見で何かが判るのだろう。先日の原因不明の下腹部痛の前と後で何が違うかというと、圧倒的に腹の張りが変わった。その前は端から見ればメタボった中年太りの太鼓腹に見えるだろうが、本人は時間をかけて徐々に脾臓が腫れてきたので慣れてしまい、別段それほど苦痛を感じずに日常を送ることが出来ていた。だが先日の痛みの後は、腹の、脾臓の存在感が全然違う。グッと増した感がある。つまり、これは進行……と考えると背筋が寒くなる。いずれにしても今日の検査結果で、何かが、判るだろう。

今朝はそのまま8時前に起きた後、朝食も昼食も抜くように言われていたので、水だけをガブガブと飲んだ。汗をかくので水分補給は大事だし、空腹を紛らわす意味もある。テレビのワイドショーをつけて転がって見ていると、しばらくして連れ合いも起きてくる。一緒に行くと行っていたが、何せ暑いし俺の予定は午前中MARK(骨髄穿刺検査)をやったあと、午後1時40分からレントゲンと造影剤を使ったCT撮影だ。その間の待ち時間などを考えると、二人で行っても結局大部分は一人で待ってることになるからと、俺一人で行くことにする。
MARKは11時までに入ればいいのだが、とにかく痛い痛〜い検査なのでとっとと済ませたくて気が急く。10時前には着替えて家を出た。外は曇天ながら気温が高く、すでに30度を超えたかという暑さ。幸いタクシーがすぐに通りかかったので、日大病院まで行ってもらう。今日はお盆なので都内はスイスイだろう…と思ったが、通常よりやや空いているという感じ。
病院に着くと、外来受付周辺は意外に大混雑。お盆休み中だから病院も空いてると思ったのだが、逆にここぞとばかりに押し寄せているのだろうか。ここぞと、って何だかよく解らんが。内科受付へ着くと10時20分くらい。5分ほどして処置室前で待てと言われて処置室前へ移動。10分ちょっと待たされて、呼ばれて処置室の中に入る。MARKをやるベッドは決まってるのか、いつも同じ場所だ。ベルトを外し、財布と携帯電話をカゴに置いて、ズボンをちょっと下げ気味にして仰向けになって待つ。そのうち眠くなってきたので目を閉じるが、周りは「点滴終わりましたぁ」という老人の叫び声や看護婦さん、医師の慌しい動きで野戦病院みたい。そうこうしていると、10時45分頃に血液膠原病内科の男性医師が来て、MARKを開始。
今回は骨髄生検もあるので、通常の吸引に比べて物凄く痛い「2回目」があるので憂鬱だ。半ケツ状態で左横臥位となり、いつもは右側の腸骨から取っているので、今回は左、つまり横臥している下側の腸骨を穿(うが)つことになった。念入りに消毒されたあと、「麻酔しますね」という声と共にブスリと麻酔の針が刺さる。この痛みだけは避けようがない。何箇所かに麻酔をされ、患部をよく揉んで麻酔が効くまで待ち、いよいよ極太針が突き立てられるというわけだ。
ブツリ、という感じで針が皮膚を貫くのがわかる。痛いですか、大丈夫です、を繰り返しつつ、グリグリと今度は骨の内部に針が入っていく。このねじり入れられるような感覚は一般の「痛み」というよりは鈍く嫌ぁ〜な不快感。つまりはまさしく骨が穿たれる感覚だから、普通の人には解るまい。もう6,7回目になると思うが、何回やっても不快なものである。
まず通常の検査のための吸引が行われ、これは「1,2,3」でグイィィンと骨の中が引っ張られるような感覚。ベッドのパイプをグイと握って耐える。うまく取れたようでホッとしたのもつかの間、次は「今度は骨を取ります、ちょっと痛いですが頑張ってください」と言われ、いよいよ骨髄が抜き取られる。これがまた痛いのなんの。一度グリグリとやられたところからはうまく取れなかったということで、別な場所にもう一度麻酔の上、吸引される。「あぅうううぐぐぐ!」と声にならないうめき声が出る。何とかうまく取れたようで、止血され、小さなクッションを下に敷き、仰向けになって血が止まるまで30分の安静。看護婦さんがタイマーをかけて去っていき、ホッと一息。
30分後、タイマーが鳴って看護婦さんが傷を見に来るが、「まだちょっとじわじわ出てますねえ」と言い、あと15分追加。前までは30分の止血で止まってたんだがなあ。やっぱり血小板が足らないのだろうか。15分後には止まっていたので安心、身なりを整えて礼を言って12時10分ころ処置室を出る。相変わらず病院内は混雑。さすがにいつもの月曜ほどではないにしても、お盆の最中とは思えぬ盛況ぶりだ。売店で週刊誌を買い、地下の放射線科の受付前のソファに座る。レントゲンとCTは1時40分からで、まだ1時間以上ある。ひたすら週刊誌を熟読。
俺の左手横に座っていたオッサンが前を横切る若い女の子を露骨に目で、いや首ごと追うのが視界の端に入ったので顔を上げると、「ホットパンツ」(笑)を履いて太ももも露わ、かかとの高いミュールを履いたねーちゃんがてっくてっくと目の前を横切っていった。左手のおっさんはそれを、俺の方へ90度首を曲げて見続けているのがおかしかった。しかしそのねーちゃん、俺の右手で立ち止まると、やおら携帯電話でどこかに電話し、大声で話し出した。どうやら検査待ちで時間がかかりそうでまったくウザいったらねーよ、みたいな話を誰かにしているのだが、こっちは唖然。周りの年寄り連中も呆然。受付の若い事務員の人たちは最初はチラと見ただけで自分の仕事に忙しいらしく放置していたが、別の窓口にいた病院の職員の女性が見かねて走りよってきて、「病院内は携帯電話禁止ですから!」と注意すると、「わかってるよ!」みたいな感じで空いてる方の手をひらひらとそっちへ向け、電話をそのまましばらく続けると、その後悠然と去って行った。「ごめん、ここ携帯禁止だから」とか言う言葉は最後まで無かった。ごく普通に会話を済ませただけ。ここまで無法というかバカというかどうしようもない人間を見ると、何だかモラルとかマナーとかいう言葉もどっかへフッ飛んでしまうような感じですな。
そんなこんなで1時半になったので、目の前の放射線科受付に連絡票と診察券を出す。まず目の前の1番でレントゲン、その後裏の処置室へ行き、造影剤を入れる静注のルートをあけてもらい、それからCT3番で撮影、と言われる。1番前で待っているとすぐに呼ばれ、上半身裸になって腹部を前、横の2枚撮影。その後裏へ廻り、処置室でパンツ一丁になり、術衣を着て、ルート確保をしてくれる医師の到着を待つ。隣には俺が来たとき既にルート開通待ちのオッサンが所在なげに術衣を着て座っていたが、俺も同じような格好で横に並んで待つ。10分ほどしてこちらの先生が先に到着。さっきMARKをやってくれた先生だった。右の手首にルート確保、生理食塩水の注射器とチューブをつけられ、テープで手首に固定され、CT室前の廊下で待つ。
すぐに呼ばれてCTの撮影。最初に通常の撮影、次は造影剤を入れての撮影。今回は造影剤が入るとノドの奥、ケツの穴のあたりがカーッと熱くなった。撮影もつつがなく終わり、処置室で着替えて、会計をして終わり。会計はナンと2万4千いくら、であった。左の腸骨、穿たれた腰のあたりに鈍痛がする。なのでバスはやめてタクシーに乗り、そのまま舟渡へ。あとは2週間後に東京での最後の診察となる。重篤な進行が見られなければ良いのだが…、不安はぬぐえない。
まだ死にたくない。
死ぬわけには、行かないのだ。
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2007-08-11(Sat)

中田英寿氏HP「頑張れ、朝青龍!!」…ってオイ。

中田英寿氏HPで“仮病疑惑”に初言及「頑張れ、朝青龍!!」【SANSPO.COM】
来るな、と思ってたらやはり来ましたね。
サッカー元日本代表の中田英寿氏(30)が10日、自身の公式HP『nakata.net』で、朝青龍騒動に初めて言及した。
 朝青龍の“仮病疑惑”の原因になった先月25日のモンゴル・ウランバートルでのチャリティー・サッカー試合にともに出場した中田氏は、「朝青龍」というタイトルのメッセージをアップ。モンゴルでは食事の際も腕の痛みを気にしていたことなどを明かし、バッシングへの冷静な判断を求める内容だった。
 中田氏は、遊び程度のサッカーをするには問題はないものの次場所に万全の体調で臨むために夏巡業を回避した可能性を指摘。本当に“仮病”なのかをまずはっきりさせることが大事とした上で、「頑張れ、朝青龍!!」と締めくくっている。


…とまあこれだけだとよく解らないのでnakatanet -- 中田英寿オフィシャルホームページへ行ってよく見てきました。しかし全文読むなら会員になれとかで、かいつまんでしか読めなかったっす。
でもまあ概ね、中田クンの言わんとしていることの要旨は掴めました。
中田が文章の中でも述べているように、彼は元プロサッカー選手であって、相撲の専門家ではない。もっと言えば、相撲を好きで昔から親しんでいたわけでもない。要するに門外漢である。別にそのことはまあいい。それに、自分で「相撲の世界をわからないし、自分がコメントできることではない」と言い、「相撲は強ければいいというものではないという、相撲の考え方もわからないわけではない」とも述べている。そのうえで、21場所もモンゴル人でありながら一人横綱を守り、日本の相撲界を支えてきたことをもっと評価すべきで、朝青龍には怪我を治し再起してほしいとエールを送っている。
なるほど、友人としては暖かい、友情溢れる文章だと思う。
でもねえ、アンタちょっと当事者意識、なさすぎじゃね? とあえて若者風に言ってみる。
中田クンは文章中、「何が本当で何が間違っているのか分からない」と言いつつ、「朝青龍が本当に仮病だったのか」と疑問を呈している。また「朝青龍が認めたわけでもないのに、断定したかのような報道がなされている」と、バッシングを非難もしている。さらに「怪我が事実で、その治療のためにモンゴルに帰国し、子供たちとほんの少しサッカーをすることが両国の友好のためで、よかれと思ってやったとしたら?」とかばってもいる。
…だからね。この8月の夏巡業を、朝青龍は、医師の「腰の疲労骨折」で「全治6週間」という診断書を取って、いわばサボったわけ。これは中学生が学校サボったつうレベルの話じゃねえ、つってるの。日本相撲協会というのは、財団法人だ。公益性、財団にふさわしい社会的な奉仕活動、相撲という伝統文化の保護、広報や育成などの「使命」をおびている団体であり、それゆえに税制上の優遇も受け、いわば国の保護を受けて存在している団体でもある。
横綱はそこから給料=サラリーを受け取り、興行というかたちで勤務し、相撲文化の普及と保護育成に寄与している、というわけだ。もちろん巡業というのも財団の重要な活動=お仕事の一つである。それをウソついてサボったんだよ。しかも診断書を懇意の医者に「捏造」までさせて、だ。民間の普通のサラリーマンがこれバレたとしたら、そうとう重い処分受けるんじゃねえのか? さらに相撲協会という財団法人で、横綱というのは言わばその「大看板」であり「顔」である。そういう人間がこういうことを犯したから、協会から厳しい処分を受けた、という流れがあるわけだ。

中田クンよ、友人庇うのもいいけど、もうちょっとちゃんと勉強してからの方がいい。

何もサッカーをしていたこと、モンゴルへ帰国していたこと(これも協会や親方に黙ってたので本当はいかんのだが)などに相撲ファンが怒っているのではない。ていうかアンタとサッカーしてたことによって朝青龍の「仮病」いや「詐病」が判明したんだから、むしろサッカーにゃ感謝しとるくらいである。
モンゴルでは「サッカーのどこが悪い」「サッカーは子供たちのためだった」「相撲協会は厳しすぎる」「日本人は島国ゆえ細かいことにこだわりすぎる」という頓珍漢な朝青龍擁護の意見が多いそうだ。また同じような文脈でモンゴルサッカー協会が相撲協会に謝罪したというニュースも聞いたが、だぁかぁらぁ、サッカーしてたことを非難してるんじゃぁ、ねぇ、つぅのぉ!と誰か声を大にして言え。
何度も言っているように、我々、いや俺は物心ついた時から相撲を見せられ、見続けてきた。相撲関連の番組があれば片端からビデオに録画していたんで、かさばるVHSテープが山ほどあって処分に困って途方に暮れてるくらいだ、来月引越なのに。相撲というものを長く見て愛してきた人間がなぜ朝青龍を受け入れがたく思い、今回の騒動に限らず、苦々しく思ってきたか。これはもう何度もここで述べている(『 朝青龍注射疑惑と最近の大相撲』、『 「間違った行為」を正当化させるな!』、『包茎治療の専門家が朝青龍を「精神鑑定」』)ので繰り返さない。だが、中田クンの言うような「相撲の世界をわからないし、自分がコメントできることではない」人間が、一般論で、その上詳細な流れをよく知らぬままに、「単に友達だからという理由で庇う」構図が、ど〜〜しても理解できない。

友人が犯罪を犯して逃げている、その友人が「助けてくれ」と逃げ込んできた。諭して自首させ罪を償わせるのか、友人だからという理由だけで庇い、逃走を手助けするのか。後者はヤクザやヤンキー、DQNの発想だと断言しておこう。
真の友人であるなら、ありたいと本気で思うんだったら、「朝青龍よ、まずはウソをついたことを協会と親方に真摯に謝罪し、国民に自分の言葉で経緯を説明した上で許しを請うべきだ。帰国はそれからで、復帰はその後の自分の精進によって判断してもらうのが本筋だよ」と言ってやるのが男ってもんじゃないかね? 俺、どこか間違ってるかね? 

…それにしても、である。
中田クンの盲目的なファンだから、という理由だけで今回の中田朝青龍擁護発言を全面支持する「相撲を知らぬ」連中がわらわら沸いてくることを予想するに、中田クンの発言は結局朝青龍のためにも何にもならないことを付け加えておく。

(もう一つ、一般の中には「朝青龍はやったことはともかく今は病人だ。治してやるのが先決だろう」という一見もっともな擁護論もある。それはまあその通りなのだが、この場合自分の犯した過ちの結果、自分が精神的に病気になった…という構図をちゃんと俯瞰して考えてみたらいい。相撲協会の処分は厳しすぎた、というのはこの朝青龍の「今」を見ての感情論であって、原因と結果、そしてその経過を冷静に考えれば処分は妥当と考えるのが常識人であろうと思う。要するに早いうちからマスコミの前へ引っ張り出して、キチンと頭を一回下げさせとけば、一応ここまで国民感情はこじれなかったはず。それにつけても、最初から最後まで親方の罪は、重い。)
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2007-08-06(Mon)

包茎治療の専門家が朝青龍を「精神鑑定」

朝青龍に「主治医」が面会して「神経衰弱」「あと数日で欝病」と診断したというニュース。連れ合いと顔を見合わせて笑わせてもらったわけだけど、そもそも神経衰弱という病名はないし、欝というのはあと何日とかカウントダウンできるもんじゃないだろう。そういうボーダーラインに来ている、それほどこたえているということを言いたいがためだろうし、つまりはその延長に「モンゴルに帰国させるべき」という結論ありきということだろう。
…とまあここまでは誰でもわかることなんだが、この「主治医」である本田昌毅医師というのは、もちろん朝青龍の所属する高砂部屋側から依頼された医師であり、さらに彼は精神科医でも何でもなく、
包茎クリニック経営
包茎治療医だったそうである。まあここで俺ここ数日下腹部に原因不明の痛みがあって往生してたんだけど、ソファの上で痛い腹を抑えながら爆笑させてもらいました。あのモンゴルのバカ横綱の周辺、いくら自分らに都合のいい診断を(おそらくはカネで)出してくれる医者なら誰でもいい、つったってもう少し人選考えろよ…。本田医師は別に法を犯しているわけでもなし(日本では医師であれば別にどこを診てもいい)、ご自身が欝の経験があり本も書いてるというから、ひょっとすると専門家・経験者としての視点から真剣にそう判断したのかも知らんが、その根拠が弱すぎる。「話のレスポンスに時間がかかる」って朝青龍、いくら日本暮らし長いっても外人ですから。食欲がないとか表情に変化が乏しいとか、その程度で「あと数日で欝になる」っていうのは、仮に専門医だったとしても大いに疑問が残るところだろう。
実は俺の連れ合いが俺の癌宣告がきっかけで、欝状態で病院へ通ったことがある。だがその際も、配偶者の癌という重大な精神的ストレスが大きいとはいえ、欝というものは深く静かに進行するものであり、連れ合いの場合も実はもっと前から、身内のことを言うのは何だけど、更年期や仕事上のストレスその他が複雑に重なって進行していたのである。
ともかく、あの粗暴で無神経で礼儀知らずのバカ横綱が、ついこないだまで「骨折」という「嘘」をついて夏巡業を「サボタージュ」し、親方も知らぬ間にモンゴルへ帰国、そして嬉々としてサッカーに興じていた。このことは厳然とした事実だろう。そしてこの男の人間性はこれまでさんざん問題にされてきた通り。その朝青龍が「欝状態」に…って、誰が考えても、いや本人さえも恐らくは「んなワケねえだろう!」と言うだろう。

ところでこういった粗暴なバカ横綱バッシング報道の中、在日モンゴル人たちに見解を聞いた映像を見た。当然彼らはほぼ100%朝青龍擁護なのであるが、そのことはまあいい。だがその理由で、日本でモンゴル相撲もやっているあるモンゴル人男性が(たしか場所は赤塚公園だったw)「モンゴル相撲では、強いということがとにかく第一義である。強いということで全ては許されるし、品格は地位が作るもの、後からついてくる」というようなことを述べていた。ほぉれ見なさい、彼らは「モンゴル相撲の論理で日本の大相撲を語っている」わけだ。日本の大相撲の頂点に立つ横綱は「強いだけじゃダメ」、なの。
ここにきて一気に噴出した感のある「朝青龍バッシング」であるが、何も俺は今だから時勢に乗っかって叩いているわけではない。
朝青龍注射疑惑と最近の大相撲』では彼の強さを認めた上で、勝てば何でもいいというのは横綱という地位には当て嵌まらないということ、『 「間違った行為」を正当化させるな!』では彼がいかに横綱としての「心」が備わっていないか、つまり横綱としてふさわしくないかを述べている。って別にどうでもいいんでしょうが、まあ上げ足取られるのが嫌なんで一応書いときます。
まあ拙文で恐縮ですが、上記日記の中でも日本の大相撲というのは競技相撲とも違うものだし、増してや他の国のスポーツであるモンゴル相撲とは全く異なるものだ。件のモンゴル相撲の「力士」は、モンゴル人である朝青龍を日本の相撲界は無理やり日本の相撲のルールや価値観、枠にはめようとしている…と非難していたが、オイオイ、日本の大相撲に入ったんだからそこのルールなり慣例に従うのは当り前だろう(笑)。「日本の大相撲」は、横綱という地位もその意味も資格も全てモンゴル相撲の横綱と違うのだし、相撲協会も、興行のシステムも、楽しみ方も、全て日本のものなのだ。
その中で朝青龍は、確かに頂点に立ったことは驚きと賞賛に値することは認める。何も大相撲の国際化を認めないなんてバカなことも言ってない、現実に国際化しなければ日本の大相撲は立ち行かないことくらい、30年以上相撲を見てきたからよぉぉく解っている。朝青龍は、モンゴル相撲の国から、あえて日本という国の大相撲という世界へ飛び込んだ。コトバも習慣も違う中、頑張って強くなって頂点に立った。だがそのスピードに、彼の精神、大相撲への理解、習慣など、まとめて言えば「心」がおっつかなかった…という見方が概ね正しいところだろうと思う。要するにワンパクで力だけ強かった暴れん坊のガキが、そのまんま大人になっちまったというだけの話だ。周りの大人=親方や協会が悪いって簡単な話だけではないだろうが、そういうことだろう。
とにかくモンゴル人の言う「強ければ何をしてもいい」という論理はモンゴル相撲だけの話。そういうことはモンゴルで言ってくれ。ここは日本だし、日本の大相撲はその日本社会の中でも「特殊な場所」なのだから。朝青龍はその場所にいたいのなら大相撲の世界の常識や慣習に従うべきで、嫌ならモンゴルへ帰ってモンゴル相撲で暴れればいいだけの話だ。

とにかく、今回に限らず、朝青龍を擁護する日本人が多いことに驚いてしまう。少なくとも20年くらい前までなら、この種類の人種は相撲界でなくとも日本人の気質には合わず(粗暴、礼儀知らず、「力」至上など)スポイルされたはず。子供の頃、どこの学校にも一人や二人はこういう「バカ」のくせに腕力だけは強く、嫌われていた奴はいたと思う。だがそういう奴も暴力で人を物理的に支配・屈服させることは出来ても、真の友人を作ることが出来ず、尊敬も得られず、「力」を至上とする以上、もっと力の強い奴に理不尽に屈服させられることを容認せねばならないことを徐々に理解して大人になっていったはずだ。
有体に言えば小学生の暴れん坊は中学生のお兄ちゃんに殴られ、中坊は高校生の兄貴に殴られ、高校中退したヤンキーは暴走族にペコペコし、暴走族は本物のヤクザに上納金を納める。こんな乱暴な世界なんて普通じゃないし、その世界で生きる人間たちは自分らがまっとうな道から外れていることをじゅうぶん、自覚していた。
ここ最近は、亀田兄弟が腕力いやボクシングさえ強ければ何をしてもいいという風潮を撒き散らし、また「理解あるオトナ」を演じたい阿呆どもが目を細めてクソガキどもを擁護する。その結果、小さな亀田予備軍が全国でウヨウヨ誕生している。こいつらがオトナになって社会へ散っていくことを考えるとゾッとする…と考える方が何か「無理解」で「偏狭」な人間であるかのようだ。亀田親子はともかく、少なくとも朝青龍に喝采を叫ぶ「相撲ファン」は、ずっと昔から相撲を愛して見て来た人種ではない、そのことだけははっきりと断言できる。

香山リカ氏(この人は専門の精神科医だ)が「欝を利用するな」と言っているが、今回は全面的に賛成。
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2007-08-04(Sat)

「まことちゃんハウス」

…楳図かずお先生が自宅を吉祥寺市内に建設中、そにお宅が「紅白のボーダー」にペイントされる予定と聞いた近隣住民が猛反発…って例のニュースなんすが(笑)…いやあね、実は「ガロ」編集者時代、神保町でよく楳図先生をお見かけしたことがあって。その際も楳図先生はよくあのファッションだったなあ、というのを思い出します。
もう15年以上前かな、まだ青林堂が神保町の材木屋の二階にあって、俺はよく編集の合間…というより本磨きとか返本整理とか品出しの合間に編集やってたようなもんだったんだけど、とにかく書店から入った注文の本をせっせと出してヤスリがけをしたりカバーとっかえたり梱包したりしてたもんです。それらは取次さんから毎日届く「注文短冊」とかファクスで来る注文一覧表の通りに本を出して、それを添付するなり貼るなりして取次さんにまた持ってってもらうわけなんすね。
でも神保町といえば「本の街」。古書店の数はもちろん日本一ながら、新刊書店もけっこう集まっていて、そういう近隣の書店さんでお得意さんにだけは、我々はエッチラオッチラと本を直接搬入したりしてたものです。例えば書泉ブックマートさんやまんが書店さんなんかがお得意さんだったんすが、よく台車(我々は「ゴロゴロ」と呼んでいた)に注文品を乗っけて、直接本を持ってったわけです。神保町の交差点付近はそういう注文品届け以外にも、もちろん作家さんとの打ち合わせやら昼飯やら夜の酒席やらも含めて、まさに「庭」だった。
ある時ゴロゴロに本を乗せて、文字通りゴロゴロと押して交差点付近のアーケードに差し掛かった時、向かい側、ちょうど小学館と集英社の対面からホイホイッと踊るような足どりで渡ってくる人がおりました。白のTシャツに紅白のボーダーのズボン、頭はもじゃもじゃで小脇に茶封筒を抱えておられた、そう、我らが楳図かずお先生でありました。一度見たら絶対忘れられない風貌というか格好というか、まあ物凄い存在感でした。
「楳図かずお」と聞けば、世間的には恐怖漫画、まことちゃんや漂流教室という「楳図作品」を思い浮かべるかも知れませんが、ご本人を一度見てしまったら、そういった作品群よりもまず「ご本人」の風貌を一発で脳内から検索結果として表示するでしょう。そしてその際のファッションはもちろん、あの紅白のボーダーに決まってます。

今回近隣住民が楳図かずお先生のお宅が来ると知って、最初はまず喜んだと思います。なぜって、楳図かずお先生は天才、漫画界の至宝ですよ。御年70にして全くヴァイタリティも創作意欲もサービス精神も衰えぬ、「ご健在ぶり」なんて言ったらかえって失礼なほどの存在感に、まずは深い尊敬を抱くべきであります。そんな人とご近所さんになれるんだから、まずはその幸運に感謝すべきですから。
例えば我々は水木しげる先生と同時代に生きて同じ空気を吸っていられることを神に感謝すべき(水木しげると同時代にいることに感謝せよ! ---「本日の水木サン」)なのですが、その域に達するというか、そういった存在ってなかなかおりません。楳図先生は数少ない、「あちら側」におられる存在なのです。
テレビ漬けなもので(笑)、ワイドショーやニュースの類はだいたいチェックしているので、今回の「まことちゃんハウス」関連の映像もかなり、見ました。ていうか「まことちゃんハウス」って誰が言ったんだか。クレームをつけた住民は1人か2人だそうで、その他のご近所さんはだいたい全面歓迎は出来ないが、容認という雰囲気だったと聞いているが、本当のところどうなんだろう。で最も強硬な反対派と思しきご婦人のインタビューを見たが、これは失礼ながらちょっと「異常」とも言える嫌悪ぶりでした。「こういったことは精神に苦痛であり、やがて病気になってウンヌン」みたいなことを真顔で淡々と訴えていた。法的には「お前の家は気に入らないから塗り替えろ」とか「お前が隣に来るのは嫌だからよそへ行け」ということは認められないとはいえ、楳図先生側は妥協点も示しているというし、そんな生き死にを言うほどの「苦痛」かなあ、と首を傾げてしまうのが本音だ。
今日の読売新聞によると
 審尋は約1時間、非公開で行われた。住民側代理人の長谷川健弁護士によると、楳図さん側は建物の完成予想図を提出。赤と白の横じまのデザインを認めたが、屋根に設置するのは「まことちゃん」の像ではないと主張したという。長谷川弁護士は「屋根に設置されるのは別のキャラクター『マッチョメマン』を模した塔の可能性が高いが、異様な外観に変わりはない」と訴えている。
ということで、とりあえずは双方がお互いの主張を訴え、これから妥協点を探るようなことになると思うが、それにしても長谷川弁護士は「『まことちゃん』ではなく『マッチョメマン』です、そこのところお間違えなく」みたいな感じで話したのだろうか、真面目な顔で。確かに建設中の映像を見る限り、あの形状が『まことちゃん』になるとは思えないが、それにしても『マッチョメマン』って…弁護士さんが…真顔で…。ああ、腹痛え。
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2007-08-03(Fri)

やまだ紫がブログ開設

どうも、やまだ紫公式ホームページ「やまねこネット」管理人の白取です。
この度、やまだページの掲示板のログがばっさり無くなってしまったのをキッカケに、掲示板方式をやめてブログやま猫SOMETIMESに移行することにしました。
幸い、やまだの手元に直近の掲示板発表のテキストバックアップが残っていたので、それを「新幹線日記」として掲載してあります。
なぜログがばっさりなくなったかというと、サイトを乗っけてるサーバがかなりアレなところのようで、どっかからアタックされてサーバがアレになったので別に移す、うんたらかんたらというメールが来たので、ipアドレスが変更になった、こっちへデータを移せと言われた方へftpでせっせとデータバックアップしてたら、向こうでもデータ移動させてやんの。当然バッティングしてログがどっか行きました。ええ。21世紀なのにこんなこともあるんですね。皆さん引き続き、よろしくです。
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2007-08-02(Thu)

「ハニカム」(桂明日香/週刊アスキー)がオモロイで。

ときどき拙ブログを見てくださる方からメールをいただいたりします。本当はここにコメントとか書き込んでもらえれば一番簡単なんすけどね、世の中には無法者、知能指数が4くらいの阿呆、キチガイなんかがけっこうな数いるもんで、俺も病気ゆえイチイチ相手したり削除削除…っていう作業が面倒なもので、すいませんです。
「(前略)最近あまり漫画について言及されないですね。(中略)おすすめ、という漫画あるいは漫画家さんを教えてください。(後略)」
おお、そういえばそうですね。全然漫画読んでないかというとそんなことはありません。むしろけっこう暇なので、読んでる方かも知れませんね。特に「ガロ」時代はあまり読めなかった方面を読んだりしてますよ。教え子、特に女の子がBL系の版元に入ったりしたこともあるので、そっち方面の本を貰って読んだりもします。男同志のハードな挿入系の「ぐはっ」「…むゥ」とかそっちはまあアレなんすが、自分はどんな漫画でも好き嫌いを言わずに敬意を払って読む者です。
で今一番何がおもろいかな、と考えて「東海林さだお」とか言うと椅子から落ちたりされそうなので、『週刊アスキー』連載中の、「ハニカム」を挙げておきましょう。

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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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