2007-09-29(Sat)

組み立て地獄

9月29日(土)
夕べは「イロモネア」を録画しつつ途中から追っかけ再生して見て、その後12時過ぎに寝た。朝は9時過ぎに起きて、フェンウェイでのBOS-MIN、松坂の先発試合を見つつロールケーキの小さいの6つを連れと3つずつ食べた。松坂は8回を2失点で何とか切り抜け、9回はパペルボンが締めて15勝目を勝ち取った。メジャー1年目での15勝は13勝の野茂、14勝の石井を超えて日本人では最多だ。ただ負けが12と多いのが不満ながら、一年間ローテーションを守り、怪我もなく、200イニング投球と200奪三振を達成したのは素晴らしいと言わねばなるまい。ただ地元のファンやマスコミを納得させられる数字かというと、「1億ドルの男」としては物足りない、と言われるかも知れないが。この時点でボストンの地区優勝マジックは1となったが、NYYがBALとやってた試合は途中までNYYがリードしていたので、優勝はお預けかも知らん。
その後通販で注文してあった下駄箱が届いたので、組み立てにかかる。家の中でやると段ボール箱のゴミやらが出るし暑いので、玄関先で最初はやろうとしたが、通路をふさぐとご近所に怒られるかもと思い、途中から非常階段の踊り場へ移動して作業をする。しかしこれが安かったのはいいが、分解状態の板やら金具やらを組み立てる、物凄い工程を自分でやらねばならず、しかも途中で安物のドライバが壊れたりで、へっとへとになる。ドライバは前に左京区役所の帰りに100円ショップで買ったやつだったのだが、ドライバがないと手も足も出ない。しょうがなくいったん中断して、自転車でイズミヤへ行き、4Fで工具箱、ペンチ、トンカチ、ドライバセットを買って戻り、組み立て継続。汗だくになるわくたびれるわでもう嫌になってきた。
それでも何とか組み立てを終えて玄関にセットすると、寸法はさすが買う前に測っておいたスペース通りのを買っただけあって、三和土にドンピシャではまる。さっそく靴を入れるが、俺の靴は3、4足だけであとは全部Mの靴だ。通勤で消耗するようになってから、靴はけっこう多い。それらを整理するとようやく引越以来雑然としていた玄関がちょっとすっきり。そうして一服してるとドアホンがまた鳴る。何だと思ったら、今度は別サイトに注文してあった仕事部屋用のリクライニング椅子2脚。どうでもいいがドアホンは接触が悪く、「ピンポーン」のはずが「ひんがほんがふんがほんが…」と鳴るので夫婦で鳴るたびに爆笑。
届いた椅子もまたまた組み立て式なので、また玄関外で組み立てを始める。これまた金属部品が多くて重いわ組立も部品数が多いわで意外と大変で、またもや汗だくのくったくたになる。途中連れが昼飯を買いにキッチンとまと畑へ行ってくれ、炊き込みご飯、麻婆豆腐、とりから揚げの甘酢がけなどで食べた。その後疲れたので居間でごろりとしてるうちに眠くなってしまい、ちょっとだけうとうとしようかと思ったら今度は電話が来る。家具のインテルナウエダからで、前に注文した食器棚を持ってくという。5分ほどで到着し、食器棚を冷蔵庫の横へ置いてもらうが、こちらも寸法ぴったりのを選んで買っただけあって、ドンピシャのサイズ。ちなみにこの食器棚は組立不要の完成品だったので、ちょっと安心。
その後食器類の段ボール箱を開けては棚へ入れたり。不要な食器は捨てたり要るものは洗うために水に漬けたりするが、これまたけっこう大変な作業。5時前にようやく落ち着き、一休み。ニュースを見ると何とNYYが逆転負けを喫し、BOSTONの地区優勝が決まったということだった。6時ころ夕飯はくたびれたからコンビニでいいやと、二人でゴミ捨てがてら出て、俺はおにぎり、連れは稲荷、あとは二人でおでんを選んで買う。その他ドリンクやヨーグルトなどを買って帰宅。今日は日中も涼しく、晩は6時にはもう暗くなってきて、ちゃくちゃくと秋が深まってきている感じではある。しかし近くの山々は依然青々としており、紅葉まではほど遠い感じ。
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2007-09-25(Tue)

京都大学医学部付属病院受診

9月25日(火)

朝方から布団の足元にシマがいたので寝苦しく、何度も目が覚めて朦朧としたまま、9時前に起こされる。シナモンパンを食べてテレビを見つつ支度をして、9時半過ぎに出る。こちらへ来る前に通っていた日大板橋病院から送ってもらった、U先生(血液・膠原病内科)の紹介状と、CT、レントゲンのフィルムの大袋と、こないだの胆石発作の入院時に作ってもらったA先生(消化器内科)の紹介状を持っているので、自転車はやめてタクシーにしようと思い、北大路に立つ。連れ合いは最初「一緒に行く」と言っていたが、昨日カナートで買ったラグや椅子、ランドリーボックスなどの配達が午前中に来るから出られないので、俺一人で京大病院へ向かった。
百万遍を過ぎたあたりから京大医学部の敷地が見えるのだが、近衛通りから丸太町通りにかけての大きな病院を右手に見つつ正面入口から入って玄関につけてもらって、病院へ着いたのは10時ちょい前くらいで、料金は810円也。舟渡に居た頃は病院まで2000円〜3000円台だったから、ずいぶん近くなって楽になった。
病院の広いエントランスから相談カウンタへ行き、これこれこうで紹介状とフィルムを持っているというと、新患受付の用紙を渡され、2番の新来受付カウンタへ行くように指示を受ける。新患受付で言われた通りまず順番待ちの紙をひくと66番、待ち人数は13人とあった。その間に書類に記入して、あとはひたすら座って待つ。15〜20分ほど待って、ようやく3番窓口で診察券が発券され、クリアファイルに病院内の地図や説明の紙、「呼出機」という昔のポケベルを大きくしたようなPHS端末を渡された。この端末に、これから情報が表示されるという。
11時15分ころ2階の「2-G」という一角にある血液・腫瘍内科受付へ行く。そこで受付を済ませると体温計を渡されて、体温測りつつ身長体重血圧を測るよう言われる。体温計を脇に挟み、身長&体重計に靴を脱いで乗ると、ウイィンと上から抑えが下がってきて頭頂部にコツンと当たって止まり、全部自動で測定された結果がチチチチと小さな紙に印字されて出てきた。169.8cm、69.85kg。服を着ていて70kg弱か、体重は戻ったようだな、でも身長は若い頃から比べるとなぜか縮んだな、と思いつつ台から降りて、次は血圧測定。上が99、下が72で、これも印字されたレシートのような紙を切り取り、それらをもう一度受付へ出す。体温は36.6℃だった。
それからは呼ばれるまでこれまたひたすら待つのみ。端末の液晶画面には受診科の名前と診察室番号261、病院内でお待ち下さいと表示されている。予約している患者だと、これが「外待合で待て」「中待合で待て」「診察室へ入れ」と刻々と変化するらしい。受付の椅子でただひたすらに座って待っているが、時々眠くなるのでうとうとしたりしつつ、延々と待つ。12時40分くらいか、突然電子音と共に端末がバイブ振動し、液晶には「診察室へお入り下さい」と表示されたのを見て、すぐに診察室へ向かう。
血液・腫瘍内科のI先生には、ここへ至る前に東京から病状などを説明し、伺う旨をメールしておいた。「どうも、突然メールなどしてしまいまして」と挨拶すると「いえいえ」と対応してくれ、俺が受付で渡した紹介状の中の説明やマルクの結果分析の紙などを見て「資料がなかなか多いのでちょっと大変ですが」と言いつつ、だいたいは読んでいただいた後の様子。
でコンピュータの液晶画面にこれまでの病状などをてきぱきと、時折俺に質問などしつつ入力していき、日大のU先生がつけてくれたCTのフィルムを見せてくれる。2年前の脾臓の断面とつい最近のを比較して、「ほとんど変わってないですね」とのこと。次は縦隔リンパのレントゲン画像、こちらは最近のものがちょっとだけ大きくなっているように見えるが、「うーん、これも角度とかで変わりますからねえ」とのこと。こちらの希望としては変わりないから、用心深く、それでも普通に暮らしながら1ヶ月に一度程度の経過観察を引き継いでもらうことが最大の希望だった。なので、そっち方向へ何とか…と思って臨んだわけだが、別に素人がそういう方向へ向けようと頑張らなくても、医師としても総合的に判断して、結果そういう所見になるという感じではあった。
首廻りのリンパ節を触診したあとに診察台に仰向けになるよう言われ、腹部、脾臓の確認と鼠蹊リンパの触診。それらの所見もパソコンに入力されていく。どうやらカルテは完全電子化されている様子である。俺の仕事や家族に血液疾患がいないかなども聞かれて、「今何かお困りのことなどはありますか」と聞かれる。「いえ、それが全然なくて、普通の人と変わらぬ感じで暮らせておりまして…」と言うと「そうですか」とのこと。で「今はどんな感覚で診察を受けてられましたか?」というので「一ヶ月から一ヶ月ちょっとくらいおきだったと思います」というと、「じゃあ今日これから採血をしていってもらって、次回は3週間後にして、診察前に採血とレントゲンを撮ってください」ということになる。フィルムは日大に俺の方から返却しておくことにして返してもらい、今後よろしくお願いしますと挨拶をして出た。
採血の依頼用紙に書かれた病名は「T-CLL」であった。T細胞性・慢性リンパ性白血病、のことか。1時すぎに診察室から出て、すぐそばの採血受付へ行く。受付では検査項目が多いので試験管を2本追加され、持ってくように言われ、検査室へ入るとすぐに採血開始。採血のカウンタがAとBに分かれて合計10箇所くらいあり、まあ時間が時間なのだろうが、全く待たされなかった。採血は試験管で6、7本分あったか、1時15分採血終了。10時に病院へ来てから3時間余、いやはや大変だったがこれだけの巨大病院に新患で来たんだから、仕方がない。
下の会計受付へ5分ほど並んで1時25分ころ会計受付終了。さらに6、7分待つと例のPHS端末が振動し、会計が出来た旨表示。金額も1万ちょいと表示されている。ハイテクだなあ。すぐに自動精算機へ行き、お金を入れて領収証と予約票を受け取って、これにて終了というわけ。ううむドッと疲れた。病院を出て、熊野神社前のバス停からバスで帰ろうと思ったが、日が出てきたのとくたびれたのでタクシー乗り場からタクシーに乗り込む。

それにしても、「病状に進行なし」という確認は癌宣告から何年経っても緊張する。自分で体調に大きな変化はないのは解る、しかし2年前と比べたらどうだろう、ゆっくりとだが、確実に悪くなってるんじゃないか。しかしではどうするのかと言われても、確実な治療方法などない。最先端の抗癌剤治療、骨髄移植などのニュースは入ってくるが、それらはだいたいが「急性」「骨髄性」の白血病のものがほとんどだ。俺のようなじわじわとゆっくりかかってくる相手にはまだ、有効な治療法はない。それでも病気がグッと動いたら、ゆっくりとした下降線がデッドラインを下回ったら、どうなるのか。どういう治療に入るのか、それが有効なのか、予後は、何もかもが解らない。解らない、ということが一番不安を招く。
だが「いつかは判然としないが、お前は確実に死ぬ」という状態は、健康な人も同じ。そう考えることにしよう。


まだ部屋はこんな有様
連れ合いに腹減ったから俺だけ外で食うよとメールし、近くの喫茶店へ行き、カレーとアイスコーヒー。家に戻り、連れが洗濯物を畳んでる間に居間に敷いていたカーペットをはがし、今日届いた大き目のラグに敷き換える。これまでのカーペットは毛足は長いが薄くて、座ってると足や尻が痛かったのだ。新しいラグは大きさは一回り小さくなったが、厚みがあって座り心地は快適。
その後俺は仕事を片付けたりしているともう5時。外は晴れて青空に白い雲という気持ちのいい陽気だ。その後は夕飯はご飯炊いてもらい、「キッチンとまと畑」の惣菜(麻婆豆腐、エビのフリッター)、漬物などで食べた。食後はテレビにDVDレコーダーを接続する作業で、ケーブル探したりAVボードの裏に配線這わせたりなどなどで汗だく。ただDVDレコーダは無事つながり、録画も出来るようになった。夜は二人で2階のベランダに出て中秋の名月をチラと見た。半袖半ズボンだと夜風が寒いほどで、昼の暑さから想像もつかない気温の下がり方にビックリ。冬が恐ろしい。
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2007-09-23(Sun)

比叡山延暦寺〜釘抜地蔵〜即成院

9月23日(日)

今日は義母と義姉と比叡山延暦寺へ行く予定。連れの家の菩提寺の総本山が延暦寺だそうで、お参りしたいということだそうだ。こちらのマンションまでタクシーで10時過ぎに迎えに来るということになっているので、10時半すぎ、二人でマンション下に降りて、連れがひょいと道路へ出るとドンピシャでタクシーが来たところ。俺が前に乗り込み、母子3人が後ろに乗って、比叡山へ向かってもらう。貸切のタクシーの運転手さんは、白川通りを下りながらおもむろに「…つもる話もおありでしょうが、お話させてもらってよろしいでしょうか」ということで、下鴨・上加茂神社のいわれ、北白川あたりの住宅の様子などから始まり、いろいろと京都の寺社の話や延暦寺の歴史などを道々話してくれる。俺はもちろん延暦寺ははじめてだ。
延暦寺入口曇っていた天気も途中から晴れてきて暑そうだったが、山頂のお寺に着くと、空気は綺麗でちょっと涼しいくらい。山の空気がいい気持ちだ。

この階段は無理なので迂回


階段の上から根本中堂を見下ろす延暦寺とひとことで言っても、敷地は京都市とお隣の大津市(滋賀県)にまたがる広さで、東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)の三つの地区に分けられている。我々が歩いたのは延暦寺の総本堂にあたる「根本中堂」のある、東塔地区。観光客はシーズン外れのせいかそれほど多くはないが、それでも外人含めけっこうな数が歩いているし、修学旅行の中学生のグループもチラホラ見受けられた。さすがは天台宗の総本山である。

見事な大木、幹には雷避けの針金が巻かれている
大きな根本中堂などに感心しつつ、運転手さんのガイドを聞きながらぐるりと見る。俺は根本中堂の中で黒檀の数珠と当病平癒のお札のセットを買い、護摩木に病気平癒のご祈祷をお願いした。根本中堂の伽藍をぐるりと回って出てくるころには晴天のせいでムシっと暑くなって、汗ばむほどだった。その後周辺の見事な大木を見上げたりしつつ、車に戻る。

それから車で白川通り方面へ下りて、お昼にソバでもということになり、運転手さんが「有名ではありませんが、おいしいと思います」という白川通り手前の民家の中にある店へ連れてってくれる。確かに何ということはない店構えだ。一緒にと言ったが、運転手さんは愛妻弁当があるから外に停めて食べるというので、俺たちだけで入った。義母と義姉はせいろ、俺たち夫婦はとろろそばにした。コシがあるしっかりしたそばで、美味しかった。
食べ終わった後、二人が漬物を親戚の家へ送るのを忘れたというと、運転手さんがやはり美味しいところがあるというので、北大路を西へ走った、建勲神社(正式には「たけいさおじんじゃ」)の近くにある漬物店へ連れてってくれる。そこで漬物を試食しつつお茶をいただき、俺等もいくつか頼んだら軽く5000円オーバー、うまいけど高いわ…。

その後義母が「大徳寺の高桐院がいつ行っても素晴らしい」という話になり、俺が見たことがないというと、運ちゃんも「ぜひ見たほうがよろし」というので、行ってもらうことになった。あのJRの「そうだ、京都行こう」の素晴らしい紅葉のCMにもなった有名なお寺で、細川家の墓、出雲阿国の墓などもある、のだそうだ。

高桐院へ入る

車を停めてもらって中へ入るのだが、途中観光客とすれ違いながら歩く小路も、まだまだ青々と紅葉にはほど遠い。しかしけっこうな混雑で、紅葉の時期には身動きが出来ないほど観光客で埋まるのだという。とにかく何といってもお庭が素晴らしいので有名なのであるが、その庭を見ながら座って抹茶とお菓子をいただくことが出来た。

紅葉はまだまだ…
紅葉にはまだ全然早く、ホンの1割弱が色づいているという程度だったが、この庭はそれでもじゅうぶんに風情があって美しい。雪も、夏も、紅葉ももちろん四季それぞれに美しい顔を見せるという、なるほど素晴らしい庭だ。これは一生に一度は見ておくべきだというのが解る。その後も運転手さんの案内でほかの庭なども案内してもらう。


次は人びとの「苦を抜く」という釘抜地蔵へ行ってもらうことになる。ここで病苦を抜いてもらおうということで、中へ入ってお参りをした。
石像寺(釘抜地蔵)
この釘抜地蔵は正しくは光明遍照院石像寺(しゃくぞうじ)という浄土宗のお寺で、地元の人たちからは「くぎぬきさん」として親しまれている。浄土宗ということだが弘仁10(819)年弘法大師(空海)の開基と伝えられており、元は真言宗だったそうだ。地蔵堂に安置されている石造の地蔵菩薩立像も空海作と伝えられており、諸々の苦を抜き取るという進行から「苦抜(くぬき)地蔵」と呼ばれていたが、それが転訛して釘抜、となったらしい。一説には手の病気に苦しむ商人の夢に地蔵菩薩が現れ、手に刺さっていた二本の恨みの釘を抜いて救ったことからそう呼ばれるようになった、ともある。境内には弘法大師三井の一つと言われる加持水もあり、またこの地は鎌倉時代初期の家人・藤原定家、家隆が住んだともいわれており、定家の墓と伝わるものもあるという。
我々が線香を買って供え、手をあわせていると、お地蔵様の手元につながる縄をつかんだり、鐘を鳴らして手を合わせてながら本堂の廻りをぐるぐる回っている人が2人ほどいる。一人は中年の女性で、もう一人は俺と同年輩か少し下くらいの男性だ。願掛けのようだがと思っていると、檀家の人か、おばちゃんが一人話しかけてきて、自分の年の数だけお堂の前にある木札を取って持ち、本堂の廻りを年齢の数だけ廻りながら、お地蔵様の両手から伸びた紐につながっている法具を触ったり鐘を鳴らしたりし、悪いところを治してもらうのだという。俺たちもやらねばと思ったが、年の数だけ廻るのは大変だし、俺たちはもう京都にいるので時間のある時に来ようということにして、車に戻った。

即成院
それから泉湧寺にある那須与一ゆかりの即成院へ向かってもらう。ここも正暦3年(992)開山というから、釘抜さんといい、京都はさすがに物凄く古いお寺がごく普通にあるところである。ここはお参りをして境内のトイレで用を足すと、体の悪いものが流れるというちょっと珍しい伝承があるところだ。俺たちも本堂にお参りをして那須与一の墓に参り、戻ってきてトイレへ入る。俺は運ちゃんと並んで小用を足してから再び本堂に戻った。悪い病気が流れ出ますように。
その後は義母と義姉は京都駅の伊勢丹地下にお弁当を頼んであるというので、駅へ向かってもらい、そこで運ちゃんと別れると、もう4時過ぎ。二人は4時半の新幹線で帰るというのをここで初めて聞いてびっくり。弁当取ってくる時間などないので、弁当は俺らが食べなさいということになり、改札で手を振って別れた。いろいろご馳走になってお世話になって、申し訳ありませんでした。
俺たちはそのまま伊勢丹の地下2階へ降りて、老舗弁当というところで注文したという紙を見せると、二段重ねの弁当2つをくれた。1つ4500円もする高級弁当!である。それを下げてフレッシュジュースのコーナーで俺はぶどう、連れはスイカジュースを頼んで一服。地上へ出ると物凄い豪雨、それもバケツをひっくり返したような、という形容そのものの物凄い雨だ。タクシー乗り場までは何とか濡れずにいけるので、そのままタクシーに乗ってマンションへ帰宅。5時半近くだった。
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2007-09-22(Sat)

久しぶりの母娘再会

9月22日(土)
白川通り「茶又」のお刺身。絶品!
朝は連れが先に起きており、俺は朝方何度も目が覚めていたせいか朦朧として、9時過ぎにようやく起きる。洗顔などして、居間でコンビニで買っておいたサンドイッチをチルドカップのコーヒーで食べる。その後支度をして、自転車を押しつつカナート洛北へ二人で行くことにする。今日は連れ合いの母親と姉が「様子を見に」京都へ来る日だ。まだ居間にはソファは届いていないので、カーペットに直座りのまま。義母は俺たち以上に足腰が辛いだろうから、とりあえず何か椅子をつなぎに買おうということにした。
駐輪場へ自転車を停め、いつも行く2Fのインテリアショップへ。そこでおあつらえ向きに折りたたみ式の椅子があったので買うことにする。それを係が倉庫から持ってくるという間にクッションカバーを2枚、ダイニングテーブルの下に敷くラグを買う。会計は23000円ほどになったが、いただきもの商品券2万円分があったのでそれを使い切った。商品を持って下へ降り、連れはパン屋で昼のパンを買うというので別れて、俺は駐輪場へ。そこで前カゴにカーペットとクッションカバーを入れたが、荷台に椅子を縛るにあたって、こないだ区役所へ行った帰りに買ったゴムひもをほどくのがなかなかの難儀。なかなかほどけず、滝のように汗を流して5分ほど格闘。途中俺はいったい何をしているのだと発狂しそうになったが、ようやくほどけ、それをさらに汗だくになって荷台に縛りつけ、自転車を漕いでマンションへ先に帰る。
寝室で枕の下に敷いていた、舟渡のマンションでずっと使ってたくたびれたクッションのカバーをはがし、中身を新しいカバーへ入れ替える。んで椅子もビニルなどをはがして座れるようにして、ホッと一息ついてると連れが戻る。連れがお姉さんの携帯へ電話したところ、こちらへは漬物屋に寄ったりするから結局3時過ぎになるということ。連れは美容室へ出かけ、俺は汗かいたのでシャワーをしたりする。
3時過ぎ、二人がマンション下へ到着し、連れが迎えに降りて上がってくる。義母、義姉二人とも「明るくていいところだね」と感心してたので、こちらもなぜか安心。安心させられて安心、だ。二階のベランダから妙・法、下のベランダから大文字も見せた。それからはテレビで相撲を見たりしつつ、夕飯はお昼に何度か行って美味しかった和食割烹「茶又」へ行くことにする。しかし今日に限って北大路を東へ行く空車が全然通らず、連れの携帯からタクシーの配車を頼み、6時過ぎになってようやくタクシーに乗れた。
茶又は奥の掘りごたつの和室を予約しといたので、そこへ入る。お造りは鯛、かんぱち、もんごういか、あおりいか。オニオンスライス、出汁巻き卵、揚げ出し茄子、生麩の揚げ出し、馬刺しなどを頼み、わいわい飲んで食べた。後半は山田家の昔からの親子関係、姉妹関係の「今だから話すけど」みたいな話や、連れが京都へ来てしまったのでお姉さんが寂しくなったと涙ぐんだり。久々の親子3人の再会で、楽しく過ごした。
それにしてもこの茶又の料理はなかなかのもの、そして安い。魚介類も実に新鮮だが野菜は京丹後にある自家農園から直送されてくるという新鮮さで、もし東京あたりならいったいいくら取られるのか、いやここは京都だ、いったいどうなってるんだ、と何故か頭の中でぐるぐる考えてしまうほどのうまさ。あと、こちらでは「出汁巻き卵」がどこでも実にうまい。東京の甘い玉子焼きとは違って、出汁の美味さがほくほくふんわりの卵からじわぁ〜と出てくる、病み付きの美味さである。そんなこんなで宴席にも料理にも大満足。
タクシーで俺等だけマンション前で降り、ホテルに帰る二人を見送る。コンビニで買い物して帰宅9時過ぎ。
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2007-09-21(Fri)

イタリア料理・アンティコ

9月21日(金)

新しい環境へ引越をすると、近隣の探索がけっこう楽しみなものだ。特に「飲食」についてはその後の生活にも直結してくるので、実は引っ越す前に入念にリサーチしておいた。洛北の飲食店はネットで探せる限りチェックをして評判の良いところ、良さそうな店はマップファンのブックマークにしておき、あとは実際に行くだけ…という状態であった。
この日はそれを見て、東大路沿いのイタリア料理店・アンティコ(京都グルメサーチ イタリア料理 アンティコ【高野】)に行くことにする。
5時ころに念のため「6時に予約」の電話を入れて、頃合を見てマンションを出る。てくてく歩いて行くと6時前には店を発見。隣はコテコテのお好み焼き屋だが、アンティコ自体はオシャレなイタリア料理店という風情だ。市の中心部、繁華なところではなく何てことはない普通の住宅街なのに、こういう本格的な店がそこここに普通にある。つまりはそういう店を支える客がちゃんと存在しているわけで、京都というところは凄いなあ、と思う。
店に入ると小さなカウンターのほかはテーブルが5卓ほどで、小ぢんまりとした店だ。真ん中のが禁煙席らしく、俺等はそこに通された。客は奥のテーブルに夫婦が二人座っており、間もなくその娘らしい大学生くらいの女の子が合流した。俺たち夫婦はコースだと食べきれないなと思い、まず俺はエビスの生と白ワインのハーフボトルを頼み、前菜に鯛のカルパッチョ、続けて無花果&モツァレラ&生ハムを頼む。味付けは上品な薄味で、なかなかうまい。それらをゆっくり食べ、続いて近江黒鶏のグリル・バルサミコソースを頼むが、これもまた絶品だ。皮がパリパリで、しっかり味がついていて、鶏は噛むごとに味が染み出るうまさ。最後は茄子とトマトのパスタ、もちろんうまい。デザートは連れ合いがアイスクリームのエスプレッソがけを頼んだが、ウエイターがテーブルでアツアツのエスプレッソをアイスにかけてくれ、その香りが何とも言えぬいい感じ。ちょっと貰って味見してみると本格的なうまさで、思わず半分パクついてしまった。満足したが会計は1万ちょっとという値段で、味やクオリティで言えば値段相応だろう。だが値段よりこちらの気持ちは大満足。
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2007-09-20(Thu)

目玉のオヤジ

9月20日(木)

ここのところ、連れの左手薬指に魚の目みたいな出来物が出来ており、何かするたびに当たって嫌だという(こちらを参照)。見ると8mmほどの盛り上がりがあり、中心部に何やら赤い血の固まりみたいなものがある。要するに鬼太郎のオヤジが指にくっついているような状態だ。これがいっこうに治らないのが心配なので、連れ合いは皮膚科へ行きたいというので、ネットで探してみる。一番近い病院で皮膚科を持っているのはS病院というところで、着替えて二人で出かける。
午前中だというのにもう30度を軽く超えているであろう、猛暑と陽射しだ。秋はいったいいつ訪れるのだろうか、地元の人の世間話を小耳に挟んでも、「今年は異常やわ」ということらしい。病院までまではホンの数百mながら、この暑さでは参ってしまう。病院の中はお年寄りが多く、見るとどうやらこの病院は整形外科、それもリウマチ治療では知られたところらしい。で内科、循環器科みたいなのもあるのだが、皮膚科やそれらは「整形外科以外」という感じの印象。だがしょうがないので新患受付をして、しばらく待つと連れが呼ばれて診察室の方へ行き、俺はそのまま待合で待つ。15分くらいで戻ってきて、聞くと医師が切開してくれたが、血が思ったよりピュウと大量に出たのでビックリしたという。ガーゼと包帯で止血され、しばらく抑えるように言われたそうで、あとは窒素で低温にしてメスで切り取るというが、それが届くのが来週になるから、それまでは毎日消毒に通うようにとのこと。
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2007-09-19(Wed)

自転車を買う

9月19日(水)

11時ころ二人で向かいの喫茶店へ行く。俺はタマゴサンドにアイスコーヒー、連れはハムトーストにアイスティ、この時間はみなモーニングセットを頼むらしく、イレギュラーなオーダーの俺らは「ちょっと時間かかるよ」と言われる。だが20分ほど待った甲斐があったというか、タマゴサンドは想像していたゆで卵にマヨ、塩で味付けしたペーストを挟んだものではなく、スクランブルエッグにケチャップで味をつけたものとキュウリなどが挟まったもので味も良くてビックリ。連れ合いのハムトーストも、厚切りのトースト2枚分で、食べきれないと言って半分残すほど。サービスええなあ。喫茶店を出たところで連れ合いはタクシーを拾って大学へ向かった。俺はその足で自転車を買いに行くことにする。

京都の街は平坦なので自転車があるとだいたいどこへでも行ける。地元の人はもちろんなのだが、観光客もレンタサイクルを借りて廻っている人も多いようだ。実際、洛中は碁盤の目の中心部は一方通行などが多く狭い路地も多いので、知らない人が車で入るべきところではない。バスや地下鉄が発達しているとはいってもそれは目的がはっきりしている場合なので、そぞろ歩く、散策をしたいという場合は自転車が最適だろう。
しかしこの自転車であるが、乗ってる人というか京都市民のマナーはかなり、悪い。「大阪のおばちゃん」のチャリンコマナーの悪さは有名であるが、これは関西全体がそうなのだろうか。老若男女問わず、人が歩いていようが物凄い勢いで向かってくるし、背後からヂリンヂリン! といきなり鳴らされてビックリすることもしばしばだ。東京では後ろから「すみません」と言われて道を開けてあげたりしたことが多かったし、向かいから来る場合も当り前だがスピードを落とされ、向こうが避けることが多かったように思う。実際歩道というのは歩行者のためのもので、道路交通法でも自転車は専用レーンがない場合は「車道が基本」のはずだ。
しかし京都では歩道を爆走するチャリンコが非常に多い。2、3台たて続けに、しかも並んでこちらへ爆走してくることもある。思わず避けるが、避けなかったら確実に衝突されているであろうという場合も多い。便利な市民の足なのは解るのだが、観光客も多いわけで、マナーはちょっと考えた方がいいと思うが。

…さて俺は近くの自転車屋で、スポーツタイプやマウンテンバイクタイプのではなく、何の変哲もない薄いブルーの自転車を買った。いわゆる「ママチャリ」である。もうスピード出して目的地まで爆走することもないし、バスと競争することもあるまい。それに俺の膝はもうそんなこと自体が出来ないだろう。前カゴはついていたので店の人に後ろにも荷台をつけるよう頼んで、いったん家に戻る。その後30分くらいして再び店に行くと、店員が全部セットアップしておいてくれた。防犯登録、盗難保険などの手続きをして、ナンバーセットのチェーン鍵など、全部で1万4千円ほどを支払い、自転車を受け取る。
そのままその自転車に乗って左京区役所へ向かうことにした。チンタラゆっくり漕ぎつつ東大路を下がって行くが、こういうのも久しぶりだなあと感慨深い。しかしそんな感慨も吹き飛ぶくらいの暑さである。陽射しはジリジリと焼けるようで、とても秋の陽射しではない。シャカリキに漕いでるわけでもないのに、たちまち汗が吹き出た。それでも10分足らずで見覚えのある交差点に来たので右折。しかしこの辺だったかな、というところまで行っても区役所が見当たらない。ちょうど交番があったので地図をみてみると手前を探しており、区役所はもうちょっと奥であった。
無事左京区役所へ着くともう昼休みになっていた。一応開いてはいるが窓口が一箇所だけになっていて、行列が出来ている。自転車を降りてきたばかりなので汗がダクダクなのをハンカチでぬぐいつつ、記入済の書類に印鑑だけを押して行列に加わる。5分ほどですぐ順番が来て、無事受理された。あとは受け取るのを長椅子で待つ。印鑑登録証のカードは割と早く、5分ほどで出来て渡されたが、住基ネットカードは延々待たされ、20分ほどしてようやく呼ばれた。これはICチップが入っているカードなので、カウンタの端末で暗証番号をセット、それから受け取るのはまたさっきの窓口でというので、椅子に座りって待ちなおす。さらにそこから5分ほど待って、ようやく住基ネットカードを500円支払って受け取ることができた。
チャリンコで今度は区役所の裏側の住宅街を抜けて百万遍へ出て、東大路を上がる。途中のサンクスでガス料金を支払うついでに、余りにノドが乾いたので「なっちゃんオレンジソーダ」のボトルを買い、外に出てから思わずグビグビと飲み、自転車にまたがる。途中左側にチェーン店ではない100円ショップがあったので入り、ねじ回し、自転車のカバーと荷物を縛るゴムひも、キーホルダーなどを買う。それからマンションへ戻り、裏の自転車置き場へ自転車を置く。自転車には名前を書け、無いものは撤去すると書いてあるので上からマジックを持ってきてもう一度降りて部屋番号と名前と書き込んで戻る。やれやれで、汗びっしょり。

この日は夕方4時過ぎにNTTの技術者が来てADSLを開通させてくれた。実際はもう電話は使えるように局の「工事」は終わっていたのだが、電話が使えない状態が続いていた。係の人によると、部屋に来る前にマンション下の基盤を見てもう直してきたという。どうやらここはマンションで光ファイバを通しているが、前の入居者が退去した時に光も解約した際、配線が外れていたという。それをつなぎなおしただけで、もう大丈夫ではないかというので試してみると、受信も発信もOK。係の人は帰り、電話はこれで開通したわけだが、問題はネットだ。
ADSLモデルをつなぎ、無線ルータをつないで有線LANでパソコンをつないでみるが、全くネット接続できない。ipアドレスの設定がどうやらダブってるようで、どちらかを変えないとならないのだが、間違ってルータの方を変えてしまい、その後はモデムの管理ツールにもアクセスできなくなってしまった。マズい。このままでは「東京トホホ会」(by週刊アスキー)である。慌てて初期設定で再起動させるが、今度はルータの管理ツールのipが変わっていてアクセスできない。調べてみると本来モデムに割り当てられるべきipアドレスがなぜかルータになっていて、混乱。箱をひっくり返してルータの説明書を探すが見つからず、汗だくになって途方に暮れるが、ハッと気付いて寝室へ。先に来ていた、NTTからのフレッツADSLの設定説明書とCD-ROMがあったのを思い出した。
そのCD-ROMで一から設定し直すと、あっさりとネット接続が復活。やれやれ、である。久々のネット接続は思ったより速いなと思ったが、測定してみると実測値は下りが8Mbps程度。体感的には舟渡にいた時のBフレッツとあんまり変わらないんだがなあ、という感じ。メールをチェックすると、何と100数十通、その9割がスパム。どう考えても誰かが悪意でやっていることに違いないわけで、殺意さえ覚える。それらを消したり、必要なメールにはとりあえずレスをつけたりしていると連れ合いが戻ってくる。夜は二人で向かいのお好み焼き屋へ行く。入ると小さいガキをそれぞれ3人ずつくらい連れた親子が2組いて、物凄い喧騒である。それでも生ビールと冷酒を頼み、エビバター焼き、冷奴、キムチで一杯。お好み焼きはミックスを頼み、カウンタの鉄板でおじさんが焼いてくれたのを移してもらって食べる。普通に美味。締めに細めんの焼きそばを頼むが、これもなかなか美味しいのはいいが、量が多くて二人とも極限まで腹いっぱい。食い終わって二人で太鼓腹をひいひい言いつつセブンイレブンで買い物をして戻る。
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2007-09-18(Tue)

左京区役所へ行く

9月18日 (火)

朝は食べず、支度して左京区役所まで転入届を提出に行く。左京区役所は古くてお世辞にも綺麗という感じではなく、高度経済成長時代の映画によく出てくる「お役所」という感じであった(失礼)。実際パソコンが無かったらそのまんま『生きる』のセットに使えるかというほどのボロさ…ってほんますんません。とりあえず転入届を出すので記入し、全くクッションのきかない長椅子に座って待つとすぐに呼ばれたので、カウンタへ。係のおじさん(顔は似てないが声としゃべり方が笑瓶そっくり)に対応してもらう。記入した転入届を東京の板橋区からの転出届とあわせて提出、身分証明と言われたので俺は板橋の住基ネットカード、連れは大学の教員証を出す。転入と住基ネットカードの申し込み。住基カードは写真を持って行ったので、その場で切って、書類に貼ってもらう。何せ俺は運転免許証を持っていないので、正式な(写真&自治体などの割り印付き)身分証明を、となった場合に困ることが多い。なので国民総背番号制だとか情報漏えいが心配だとか思いつつも、住基ネットカードは貴重なのである。
んで健康保険の手続きはと聞くと、背後のカウンタで手続きをせよということで、後ろへ移って3、4人の順番待ち。なにやら前の人が揉めてるようでしばらく待たされてから、ようやく呼ばれる。二人で保険証を貰うために世帯年収なども書かされるのだが、窓口の係にはバッチリ知られるし、結局ここで書かんでも前の自治体つまり板橋区に照会するというのだから、別に窓口では書かせんでもええやないかと思うが…。
保険証はすぐに発行してもらえたが、板橋区のように一人一枚のカード方式ではなく、昔のような紙を折りたたんだ大きめのが一枚で、家族共用のものだった。これじゃあ二人別々に同時に医者にはかかれないということだ。今どき共働きの夫婦だって多いだろうに、遅れてるなあ…という印象。次は改めて別の窓口で印鑑登録の申請を二人分。すぐには発行されず、住基カードも含めて確認の書類が郵送されるから、それと印鑑と身分証明書を持ってとりに行くという仕組である。なのでいずれにせよもう一度来ねばならない。
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2007-09-17(Mon)

ドルフの欅

ドルフの見事な欅の木
9月17日 (月)

昼前に通販で頼んでおいたテレビボードが届き、作業員が二人で組み立ててくれるが、例によってユキがまた中に入ったり上に乗ったりで邪魔をする。幸い二人とも猫好きの人のようで、「可愛いなあ」と笑いながら作業をしてくれる。テレビボードは思ったより、値段の割りには安っぽかったがしょうがない。通販っていつもこんなものだ。その後また足りないこまごまとしたものが出たので、ホームセンター・コーナンへ行く。関東ではDOIT(ドイト)とかの感じだろうか、いやケーヨーD2かな。ともかくこちらではコーナンが一大勢力のようだ。国際会館まで出て、とりあえず飯を食おうと「ドルフ(DOLF)」というレストランへ入る。
ドルフはヨーロッパ風というか南部ドイツ〜スイス風か、あるいはチロル地方風か(ってどっちも行ったことねえが)というような洒落た造りで、店の奥は庭に面してガラス張りのテラスになっていて、大きな木が植わっている気持ちのいい空間だった。クーラーの風が「スイング」設定になっているのか、テラス自体は窓が開いていないのに中庭が見えることもあって、自然の風に吹かれているかのような錯覚を覚える。
これは心地よい…と思いつつ二人とも煮込みハンバーグランチを頼むが、これがまた上品な味で実にうまい。よくあるこってり濃い味の茶色いソースではなく、トマトの酸味もちゃんと効いた優しい味で、かつ旨みがしっかりあり、ハンバーグは小ぶりなものが2つだが、肉汁たっぷりでふわふわ。付け合せの野菜類も実に気がきいていて大満足。俺はライスだが連れ合いはパンで、このパンがまたすこぶるおいしいと言っていた。
庭の木が立派だったので連れ合いがウエイトレスに何の木か聞くと、「欅です、樹齢100年以上ですね」と即答してくれた。食後にアイスコーヒーとアイスティを飲み、満足して出た。その木と写真を撮ってくれというので、店を出た後裏の庭にまわって連れが幹のところへ行ったのを携帯でパチリとやるが、そこで「立ち入り禁止」の札に気付いて慌てて出させる。大変失礼しました。
その後コーナンへ行き、台所のタオル掛けや寝室の壁掛け時計、箪笥を天井に突っ張る転倒防止用器具…などなどを買ってひいこら通りへ出る。陽射しがギラギラ照りつける。タクシーがなかなか来ず、国際会館駅のロータリーまで行かんとダメか…と思ったところへ空車が来て安心。いったんマンションに荷物を置いて、すぐに勢いでカナート洛北まで行く。そこでコーナンでは売ってなかった客用のスリッパ、台所の小物などを買い、ホリディ・イン京都側にあるパン屋(Gute=グーテ)でパンを買って、「キッチントマト畑」で夕飯とおかずなどを買い、帰宅。へとへとに疲れたわけだが、ちゃくちゃくと新居が生活空間になっていくのは嬉しいものだ。
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2007-09-16(Sun)

引越貧乏

9月16日(日)

朝食の後、どうも布団暮らしは足腰がいかんなあと話す。夫婦二人あわせて百歳を超えている(笑)とはいえ、別段老人というほどの年齢ではないのだが、俺の場合病気のせいか関節、節々に瘤のようなものが時々出来て、それが折りたたまれると痛かったりする。それに腹圧がかかる=ヨッコラショと起き上がるような場合、腹も痛い。腹というのは手術痕のあつ連れも同じだ。なので布団での寝起き、さらにリビングでのカーペットに直座り生活がしんどい。普通の人なら何でもない動作が辛いこともある、例えばコップに水を汲んで戻ってきて座る。そこで台所に何かを忘れた、もう一回立ち上がって戻るのがしんどいので諦める…というような。些細なことだけど、生活というか日常ではこれもストレスの積み重ねになるだろう。
とにかくまずソファだ、ソファを見に行こう! ということで連れが前にバスの広告で見た、「インテルナウエダ」という家具店へ行く。前に使ってたソファはもう15年ほど使っていて、猫が爪といだりであちこちボロボロ。いつも俺が座ってたところは中のスポンジがべろりと顔を出したままだったが、一度デジカメで写真を撮って張り直しの見積りを出したら20万以上と言われて断念。新しいの買える、つーの。
ところで家具店は一乗寺清水町という、うちから比較的近くであることが判明。さっそく向かうと白川通り沿いにすぐ店は見つかった。4、5階くらいまであって、1階にはソファなどがズラリと並んでいる。いろいろ物色していると店員が来たので、いろいろ聞きながら座り心地を確かめたり。結局居間の壁面に3m以内なら置けるのはいいが、L字型にするにはテレビボードを置くと奥行きが足りない。なのでとりあえず壁面に3人掛けと2人掛けを並べることにし、ソファクロスの色を選び、クッションを大小カバーも選び、注文してしまう。
その間連れがダイニングテーブルを見ていたが、二人用の椅子つきのちょうどいいのがあり、寸法も行く前に測っておいた70cm角でドンピシャだったので、併せて買うことにした。このダイニングテーブルも、今までソファに座ってテーブルに体を折り曲げるようにしてご飯を食べていたのを改善しようということだ。とはいえこれまでは居間のテーブルとソファ以外に、ダイニングテーブルを置くような場所が無かったので仕方がなく兼用していたわけだが、今度の新居なら何とか置けそうである。
これらの会計をすると、ウン十万円がフッ飛んでしまった、あっはっはっはっは。引越貧乏でヤケクソ気味。ただソファは10月3日のお届けとかで、ソファはカバーもかけてもらうので時間がかかるようだからしょうがない。帰りは白川通り、清水町のバス停へ。婆さんたちがワイワイガヤガヤと待つバス停で一緒に10分近く待ち、「北8」系統・北大路バスターミナル行きが来たので乗り込む。バス停では4つほどで、すぐ高野に着いた。スーパーイズミヤでゴミ箱、洗剤やスポンジ、スポンジ置き他こまごましたものをドサッと買い物して戻る。
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2007-09-15(Sat)

京都でくらす

9月15日(土)
朝は二人とも7時前に起きた。前の晩にコンビニで買っておいたおにぎりで朝食にし、8時ころから荷物の受け入れにスタンバっていたが、トラックがなかなか来ない。書類をよく見ると搬入は9時からと書いてあるので一度脱力。9時になって引越社が到着、すぐに荷物の搬入開始。昨日の搬出は梱包や不用品の選別などもあったので時間がかかったのだが、今日はただひたすらに運び入れだけ。洗濯機のセッティングのみ最後になるそうで、あとは段ボール箱がどんどん、何もなかった各部屋に積み上げられていく。12時くらいには洗濯機の作動チェックも終わり、作業終了となった。
今回の引越はお任せパックで非常に楽であった。『アリさんマークの引越社』の作業員は終始態度も良く、仕事もちゃんとしていて満足。ただ料金も今回はそれなりだったので、まあ当り前といやあ当り前なのだが。その後猫たちの運送業者がなかなか来ず、こちらから連絡すると間もなく到着、担当者の女性が二匹を届けてくれた。猫たちはもちろん最初戸惑って新居をうろうろ、アチコチ探検していた。今回のマンションはメゾネットなので、二階への階段があるが、その一番上のどん詰まりで二匹固まっていたりして、どうにも落ち着かない様子ではあった。が、ユキの方がやはり馴染むのは速かった感じである。女(メス)の方が肝が据わっているというか、順応力が強いのだろうか。男(オス)はびくびく、だらしないのかも知らん。
午後一休みしてから、近くのショッピングセンター「カナート洛北」へ行き、両隣と下の住人へ引越の挨拶の品を物色。結局タオルを色違いで2枚ギフト用に梱包してもらうことにして、それを3セット作ってもらった。その後隣のインテリアショップでトイレ用のマット、便座カバー、スリッパなどを買い、連れに近くで惣菜とご飯を買ってもらい、俺は先に荷物を持って帰宅。夕飯は惣菜で食べるが、これが健康そうな味ながらうまく、普通は引越後に寝室で布団に座って低い木製の台と段ボール箱で飯を食う…というとわびしいもののはずなのに、なかなかこれらの惣菜とご飯がうまくて、満ち足りた気持ちになった。

これから、ここ京都で暮らすことになる。東京に住んでいた時には、季節のいい時期になってもベランダの窓が開けられなかった。開ければたちまち騒音と異臭、粉塵が襲ったからだ。それにベランダに出たからといって眺める景色は向かいの住宅の屋上の洗濯物とその奥の工場、そして少し遠くに埼京線の高架…というものであった。今回は南向きのリビングのベランダから東山に大文字、真正面の遠くに京都タワーが見える。メゾネットに登って北向きのベランダに出れば、五山送り火の「法」の字が山肌にくっきり見える。そして何より、南向きのベランダからは一日中陽があたり、猫たちがその陽だまりでコロンコロンと嬉しそうに転げているのも嬉しい。
周囲の人たちから聞こえてくる言葉は全て京都弁。文化も風習も気候も何もかもが変わるわけだが、我々のごく卑近な環境、周辺は明らかに良い方向に変わった。そう思いたいし、実際にそう思う。
「法」の字
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2007-09-14(Fri)

東京よさようなら

9月14日(金)
引越当日。朝は7時半ころ二人とも起きて着替えてスタンバイする。まず8時前に予定通り、ペット運送の人が来る。ペット用のカゴを玄関脇の納戸から出し、猫二匹を連れてってもらう。ユキの方は比較的簡単にカゴに入ってくれたのだが、シマがなかなか入らず、何度か入れようとしてはスルリと抜け出ては逃げようとするのをつかまえて戻し、「フー!」とか言われつつも何とか無理やり入れて、「明日までの辛坊だから」「大人しくしてるんだよ」と言い聞かせて預ける。
その後、8時過ぎ、『アリさんマークの引越社』が到着。チーフらしい赤い帽子の人が書類を持ってきて、今日の作業の最終確認を行う。確認は丁寧で、その他の運送係が2人で合計3人と、梱包係の女の子が3人来た。俺等はここ数日でやれた荷造りはけっこう頑張ったものの、全体からすればホンの少しだったので極めて不安であったわけだが、いざ業者が来ると、さすがはプロの作業、である。俺等はほとんど要らないもの=処分品を2トンショート(トラック)へ運ぶものと、新居へ運ぶもの=2トンロングへ運ぶものを指示するだけだった。てきぱきと3人娘が仕事部屋、台所、奥の衣裳部屋と別れて梱包をはじめ、時々「すみませんお客様」と言われて捨てるのか運ぶのか、あるいはどこの部屋行きか、などを指示するのに対応するだけで、あとはこちらはそれぞれの梱包隊の元へあっちへ行きこっちへ行き、作業を見ているだけなのも申し訳ないので、ちょこちょこと手伝ったりはしたが、ほとんどは「うろうろするだけ」という感じであった。
コンビニで彼らへの休憩の飲み物を買っておいたので、10時過ぎに一度休憩に入るというので飲み物を渡して、俺等も一息。さすがにここ数日の梱包や今日の立ちぱなしでへとへとになっていたので、ベランダ側の窓の段差に座り込んでぐったりする。連れ合いがまた下血したりしないかと心配したが、大丈夫そうなので安心。
その後もひたすら作業は続き、一時は夕方までに終わるのかと思ったが、何とか3時過ぎには終了した。凄い。今日来てくれた運送屋さんのうち、チーフとその下の一人がこのまま京都に向かい、向こうで搬入もやってくれると言う。しかし余りに廃棄処分品が多すぎて、2トンショートの荷台は一杯になってしまったという。なので、部屋の一隅に大きいゴミ袋で5〜6袋、むき出しのゴミ類が一山、さらにベランダに取り付けてある猫トイレ用の箱などは積めなかった。しかし俺らは残ってこれらのゴミを処分する時間はない、これから京都へ移動し、新居で明日の朝から今度は搬入の受け入れをせねばならない。なのでゴミはあとで改めて何とかしよう、というアバウトな感じでとりあえずモラトリアム状態。
入居した時は新築で、ピカピカに見えたこの部屋。いざ入居してみたら、近隣は粉塵と騒音と悪臭でさんざんだった我が家。それでも中は快適にしておけば良かったのに、連れの相次ぐ入退院、自分の病気…いろいろなことがあって、今は見る影もなくうす汚れて廃墟のようになった、がらんどうの空間。外の環境は仕方のないことだが、中を荒廃させたのは俺たちだ、そう思うとこの部屋にも申し訳ないような気持ちになる。今までありがとう、ごめんね、と思いつつデジカメであちこちを撮影した。
最後に電気のブレーカを落として、二人で鍵をかけて部屋を出た。隣のタクシー会社に声をかけ、空車がいたので乗り込む。道中、17号を都心へ向かいつつ坂上あたりの風景を車窓から見ながら「もうここらを通ることもないんだねえ」とか感慨深く話していたが、西巣鴨あたりで引越関連の書類を入れたファイルを忘れたことに気付いた。しまった、全部見たはずなのに、わざわざ間違って捨てたりせぬように俺が仕事部屋の納戸の中に置いていたまま忘れてきたのだ。それらの書類は新居に移ってから書手続きや各種連絡に必要不可欠なものなので、連れ合いに話すと「すぐ戻ろうよ」というので、運転手さんに戻ってもらうよう声をかけて、引き返してもらう。
しかし運ちゃん、気を使ったのか確信犯か解らぬが、環七を経由して十条方面から舟渡へ戻り、偉い時間がかかって1時間ほどロスした。西巣鴨からなら17号へ戻って逆に下った方がはるかに速かったと思うが、連れ合いとは車中、最後の最後まで「すんなり行かせないぞ」という感じだねと話す。マンション前にタクシーを止めてもらい、すぐに部屋へ上り、引越関連のスケジュール表やら書類、小銭入れた小箱、その他一式をカバンに突っ込んで戻る。そうして白山通りを経由して東京駅に着くと料金は12000円ほどになった。途中水道橋から神保町方面へ向かい、おやおや最後の最後に昔勤めていた青林堂の近くを通ってくれるのかと思ったら、その前で本郷通りへ左折してしまった。それにしても引き返したせいで痛い出費になったが、最後の東京ドライブだなあと思い、東京駅構内へ入り、新幹線で京都へ向かう。
京都へは7時過ぎに到着、これから暮らすマンションへ着くと8時近くであった。夕飯はとにかく近くで済まそうということにするが、まだどこに何があるかよく解らず、探し歩く体力もない。結局すぐ近くの居酒屋へ入り、カウンタで生ビール、連れは冷酒でお疲れ様の乾杯をした。普通ならへとへとでボロボロになったはずだが、プロに任せたお蔭で疲労感はそれほどなくて済んだ。居酒屋は途中から学生のコンパで11人の男女がワーッと入ってきたりして、俺たちは早々に退散。夜は11時過ぎにとっとと寝る。
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2007-09-12(Wed)

荷造りやっと本腰・清竜丸マスターと「お別れ会」

9月12日(水)
朝は9時ころ電話で起こされた。そのまま起きて、朝はパン、ヨーグルト。連れ合いは1時にご近所のKさんのお宅へ1時前に出かける。引越はあさってに迫っているのだが、実は引越前の荷造りは不要な本などの結束・廃棄以来ほとんど手をつけていない。いくら何でもそろそろ俺らがやるべき梱包などはやらないとなあ、というので俺は自分の仕事机廻りからやり始めることにする。
2時前ころか、テレビは突然安倍首相辞意表明のニュース、以後ずっと夜までもちきり。なぜこのタイミング? 安倍さんは結局近隣諸国への勇ましい(?)発言と若さへの国民の支持はあったが、小泉人気の残滓で総理になったはいいが肝心の本人が「首相の器」ではなかったように思う。閣僚の相次ぐ不祥事や不手際、それらへの対処はいつも後手後手で優柔不断、こういったことは本来評価されるべき政治信条や政策とは無縁の問題なので気の毒ではある。しかしよく考えれば、そういった「政治家としての資質」より以前の、「人としての資質」で首相の器ではなかったわけであるからして、辞意は仕方のないところだったのだろう。
引越作業の方は、元々進めていた荷造りの数箱はあったのだが、両袖の大きな事務机の中はほとんど手付かず。この事務机は捨ててしまうので、中を空っぽにしないとならない。俺の場合「後で何かの役に立つかも」とか「もったいない」とか理由はあってないようなものでとにかくモノが捨てられない。従って何年も触っていないものがたくさん入っている。そういうものはこの際思い切ってガンガン、ゴミにして捨てることにする。そうしてポイポイ思い切ってモノを捨てる決断をすると、逆に取っておくというある種の重荷から解放されるので、心地よいものがある。そうして大量のゴミ袋が次々と生まれ、中でもどうしても必要なものは梱包していく。
そういえば日本各地でゴミを捨てられずに家中ゴミだらけ、いやそれだけではなく各所から集めてきては自宅や周辺に積み上げる「ゴミ屋敷」が社会問題になったりしているのだが、こういう「溜め込む」「捨てられない」人たち=「ご近所の困ったちゃん」って圧倒的に男が多いような気がするなあ。女の「困ったちゃん」というのは、奈良の「騒音おばさん」とか、気に入らない家の塀に尿をひたすら撒き続けた「小便おばさん」とか、男たちの「捨てられない=溜め込む=ゴミ集め=自分の城を形成=守り型」に比して攻撃型が多いような気が。
さてこの作業に没頭、へっとへとになって休憩していると連れ合いが戻ってくる。ついでに郵便局へ俺がプリントしておいた新しい住所を持って転送届けを出しに行ってくれ、帰りは夕飯と風邪薬の買い物をしてきてくれる。その後も作業をするが、引越業者にお任せとはいえ、全体の進行度からいえば10分の1どころか20、いや30分の1も進んでいないと思う。これで本当に大丈夫なんだろうかと不安になってしまう。
その後は台所の食器関連を連れ合いがやったりしていると、清竜丸のマスターから電話があり、店に行く前に顔を見てお別れだけでも、とのこと。4時ころマスターが来て、散らかっている居間に上がってもらう。「いやー寂しくなりますねえ」と言いつつ、冷蔵庫にしまってあったお中元の缶ビールを出して3人で乾杯、しばらく世間話や思い出話をする。思えば俺の場合連れと一緒に暮らすので板橋区内の団地に引っ越したのが20年以上前、そこから蓮根に越したのが15年ほど前。蓮根時代に清竜丸を教えてくれたのは、当時蓮根に古書店を開いていた虔十書林の多田さんだった。それ以来マスターとは公私に渡ってお世話になり、お付き合いをしてきたわけだから、12年くらいになるだろうか…。釣りに行ったり、箱根に旅行へ行ったり、ビリヤードをやったり、遊園地にも行ったししょっちゅうカラオケにも行ったなあ。帰り際、マスターはいいと言うのに餞別を置いて、5時半ころ帰っていった。お互い寂しくなるね、と話しつつ束の間のお別れ会となった。
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2007-09-06(Thu)

引越カウントダウン・段ボール到着

9月6日(木)
前の晩早く寝たせいか、6時には目が覚めた。十日ほどの入院で、すっかりリズムが早寝早起きに「改善」されたのが解る。そうして3食キチンと食べ、ストレスなく暮らして行けたら人間にとってこれほどいい事はあるまいに、と思う。そのまま起きようか、いくらなんでも早いかと思いつつ二度寝してしまい、7時ころ目を覚ますと隣に寝ていた連れが先に起きたようなので自分も起きる。
朝から台風接近のニュースだらけ。今回の台風は勢力が全く衰えないまま、965ヘクトパスカルという「いい気圧」を保って接近しているようだ。スピードが遅いので強風や雨が長引くようだから警戒が必要と言っている。朝はパン2つとドリンクヨーグルトと水、ニュースを見つつ食べる。すると8時ころ引越社に頼んでおいた段ボール箱が到着。
大20箱、小が20箱に荷造り用のガムテープ2つ、なぜかクーラーバッグ1つ。クーラーバッグは遠距離の引越ゆえ意味不明だが、単なるサービス品だろうか。それを玄関脇と旧仕事部屋=現在物置の横に積んで、とりあえずその後もごろごろして過ごす。引越まで一週間ほどになり、いまだ全く荷造り進展なし。これでいいのかと思うが、引越自体は「お任せパック」なので、見積りの営業マンは「前日まで普通に生活なさっていただけます」と言っていた。
今回は引越の運送とは別に、不用品・ゴミ処理用にもう一台トラックが手配されているから、不要なものはバンバン捨てて、必要なものだけを指示して積んでもらうことになってはいる。こちらは原則、その要・不要を指示するだけでいいことになっているのだが、まさかその作業中座って指示してるだけというわけにも行くまいし、生ゴミ類や瀬戸物など、個人情報の類で人に見られてはまずい廃棄物などはこちらであらかじめ処分しておいてくれ、ということでもある。全く作業をしないというわけにはいかない。
なので午後は玄関とトイレ脇に山と積んである週刊誌・雑誌類を縛ることにする。こういうのも日常こまめに縛っては出していれば何でもないのだけれど、ついつい溜めてしまい、引越が決まると「どうせ引越すんだし」ということで文字通り山積されたままになっている。こうなると一仕事だ。雑誌類、特にグラビア紙の割合が高いものはかなりな重さになるので、新聞のように厚めの束に縛ると大変な重量になるから注意が必要ですぜ皆さん。他には引越には使えない小さな宅配のダンボールやらも溜まっていたので、それらも縛ってしまうことにし、ひたすらまとめ、縛り、を繰り返して結束を作っていく。
一段落して何気なく手のひらを見たら、右手がビニール紐の摩擦で薬指を除く全ての指の第一関節あたりに水ぶくれと内出血が出来て大変なことになっていた。左手も全体にぽつぽつと毛細血管が切れた皮下出血痕が見えて、チリチリと痛い。本をヒモでガッチリ結束するのはビンボな弱小出版社では必須能力、青林堂勤務時代からお手の物なのだが、病気になっちまってはこの体たらく。しかし連れ合いに縛ってもらうわけにはいかんし、そもそも非力な人が本を縛って結束を作ると、ゆるゆるでぐずぐずになり、持つとボロッと崩れたりするから、俺がビシッとやるしかないのだ。
その後下のゴミ置き場まで台車でそれらの結束を下ろし、とりあえず今日はこれくらいにしとこうということにする。夜は台風関連のニュースをはしご。外はだんだん雨風が強くなり、ベランダの窓に連結してある猫トイレの入り口のフタが強風で「ブー〜〜!!!!!」という音をひっきりなしに立てている。連れ合いは江戸っ子で火事やケンカや台風になるとワクワクしているが、台風は夜半から未明にかけて東京に再接近というので、このまま起きててもなあと思い、俺は1時ころ先に休むことにする。
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2007-09-05(Wed)

入院10日目・退院

9月5日(水)
夕べは9時消灯の後テレビ見てたらたらしていたが、10時半ころ消して寝に入る。ところが隣に入った新参のMさん、1時間半おきくらいにトイレに立ち、その都度ドアをバターン!&ガターン!、戻ってきてはカーテンを乱暴にシャーッ! とやる。本気で狂ってるのかと思ったほどの物凄い音である。前のKさんもうるさかったが、今度のMさんはその比ではない。向かいのOさんもさすがにその度に目を覚ましているのが気配で解る。本人は帰ってきたらベッドですぐイビキ。
これではとても寝られず、耳栓をしてもあの騒音はとても防御不能。トイレのスライド式のドアはすべりはいいのだが、ドア自体かなり重いので、閉まるたびに部屋全体振動が響く。だから閉める人は最後に手を添えるか、ゆっくりと意識的にスピードを緩めて閉めないと、必然的に大きな音と衝撃が起こる構造になっている。個室ならともかく相部屋でこれでは、夜中に人が立つたびに他の人は迷惑だろう…と思ったが、ジジィは耳が遠いので平気の平左なのであった。まあまあそんなことぐらいで…という人もまあおられようが、実際夜中に何度も何度も人を叩き起こしておいて、隣ですぐに高いびきをかかれると本気で殺意を覚えますよ、テヘッ。耳栓をしていても今度はイビキがひどいので寝られない。1時、2時、3時と起こされ、最後はもう寝られないのでパソコンからヘッドフォンで音楽をずっと聴いていたら朝になってしまった。一睡もできなかったわけだ。
6時を過ぎても採血になかなか来ないので、そのうちOさんも起きて洗顔を始めたので、俺も起きる。隣のクソジジィも起きて来るが、ケロッとした顔で「おはようございます」ときたのでブッ飛ばしてやろうかと思ったわい。しかし結局年寄り相手に、いやどんな馬鹿であっても何も言えないのだ。世の中には些細なことであっても平気ですぐに人を怒鳴りつけられる人間と、よほどのことが無い限りそんなことはできない、と思う人間がいる。これが「よほどの事」かといえばこちらが我慢すれば済む話で、本人にも悪気がない以上、もうしょうがないと諦めるしかない。
採血は夜勤のCさんが6時半ころようやく来るが、「寝られました?」と聞かれたので思わず「これこれこうでとても無理だったよ」と話すと同情してくれる。だが、だからといってジジィに「トイレに立つ時は静かに」なんて言えるはずもない。「年寄りだから耳も遠いんだろうね、しょうだないよ」と言うと「すいません、そう言っていただけると…」と済まなそう。別にナースがすまなく思う必要はないんだよな、嫌なら個室行けっちゅう話だから。それにしても入院というのはこういうストレスの何と多いことだろうか。

一昨年、癌かも知れないという時期、検査のために左腋のリンパ節を切除手術するので入院した。その時は二人部屋だったのだけど、相方は足の骨折か何かで入院している高校生の男の子だった。その子のところには毎日、殊勝にも彼女がお見舞いに来た。だがその子はパッカパッカと厚底の靴の音を高らかに、毎日病棟中に響かせては病室に入ってきた。「声をひそめる」という行為が全く出来ないらしく、いつもバカデカい声で話し、こちらの安眠を奪ってくれたものであった。
どうしてこういう人種ってみんな声がデカいんだろう、そして他人の迷惑に無頓着なんだろう。ここは病院だ、つまり患者が病気を治すための場所だ。そこでなぜ健康な人間が我が物顔で振舞うのかが理解できなかった。社会では健康な人間の多くが病人への配慮に欠けると思う。だが外の社会はまだまだ健常者が働くための社会だといってもいい。しかしここは外、つまり一般の社会ではなく「病院」だ。全ては病人のためを第一に考えるべき施設の中に入って、病人への配慮が全くないというのは、これはもう知能の問題としか思えない。要するに知能が低い=頭が悪い=簡単に言うと本物の「馬鹿」ということだろう。馬鹿には常識やルールを解いても、往々にして徒労なので時間と体力の無駄である。ならばこちらが我慢するしかない。病人が、健康な人間の愚行にひたすら耐えるしかないのが「病院」という場所なのである。ナースや医師がこういう連中に一切注意しないのも不思議だった。
例えば個室ならまだしも、相部屋の患者が部屋で携帯を使用してたり、メールにしても携帯キーの操作音を切らないとか、何で患者側が「ちょっとやめてくれる?」みたいに険悪な空気作らなきゃならんのだよ、と思う。病院側の人が「そういうのは他の患者さんに迷惑だから、やめてくださいね」と言えばいい話だ。あと見舞いに来る方も、時間外の見舞い、赤ん坊や幼児(つまり静寂を理性で守れない人間)を連れての見舞い、大きな音のする靴を履いて来る見舞い、コンコンと咳をしているくせに見舞いに来る…などなど、病院側がちゃんと理由を説明してくれればストップできる「不愉快」はいっぱいある。患者は病気と闘うのがもちろん本筋だけど、個室に入れる金持ち以外、ほとんどの人が同室の患者同士で感じるストレスとも戦わねばならない。癌のような過酷な闘病の場合、全免疫、全精力を癌に向けたいところなのに、一般人や同室の患者、ひどい病院になると看護婦や医師からさえもストレスを与えられては、まるで背中から撃たれる…どころか集中砲火を浴びている感じだと思う。

…朝食はパンだった。おかずは海老しんじょみたいなすり身のだんご2つと生野菜にドレッシング、あとぶとうと牛乳、なぜか茶。食パン2枚に小さなマーマレードが1袋しかついてないので、最初配分を考えて半分で1枚…と思ったがとても足りないので、結局1袋1枚に塗って、もう1枚は食べずに残した。食後にはストロベリーサンドクラッカーをとっておいた牛乳で数枚食べた。その後はテレビ見つつソリティア、もうすっかり飽きているがやることがないのでしょうがない。PSPとかDSなんかがあったら良かったのだが、入院のためだけに買うのは勿体無い。
その後はNHK地上波でSEA−NYY。王建民が相変わらず打たせて取る堅実なピッチング。開幕から1ヶ月出遅れたにも関わらずここまで16勝と最多勝争いをしているのは立派だ。今アジアNo.1ピッチャーといえば、松坂では決してなく、この王である。その後試合はヤンキースが終盤打線爆発で一方的な展開になってしまった。途中シーツ交換が来るが、今朝は雨のせいで湿気がすごく、蒸し風呂のようだったと交換のおばちゃんが言っていた。
その後ちょっとうとうとしかけると、Oさんへの点滴やからだ拭きだとナースの出入りで起こされる。Oさんは相変わらずまた別の看護婦に血糖値測定くらい自分でやれと言われて、痛いから嫌だとワガママを言っていた。「家じゃちょっと食いすぎたな、て時にたまに量るくらいで、やってないんだよ。痛いんだから、うちのは病院のよりさあ」と言い、看護婦も困った様子で「あ、じゃあいいですもう、OKです」とサジを投げた格好。看護婦さんたちは忙しく各病室を掛け持ちしているから、血糖値の測定だのインスリン注射だのといった自分で出来ることはやってもらいたいのが本音だろう。だがいい年した駄々っ子みたいなおっさん相手じゃ説教するわけにもいかず、諦めた様子である。
その後外は雷が鳴り、雨も凄くなってきた。若い研修医が来て、変わりないかとか型どおりの質問。その際、一応採血結果待って退院の方向でと聞いてたから、その方向でよろしくと希望しておいた。昼前に暇つぶしにソリティアをぼーっと惰性でやってると、隣のジジィが引き出しの出し入れを何度も何度も乱暴にし、挙句ピポパポと携帯いじってるのでさすがに「ボタンの音はダメだよ」とカーテン開けて注意をする。「はい、すいません」とすぐにしまったが、そのしまう際の引き出しの音も乱暴で、ケンカ打ってんのかよと思ったが単に耳が遠いだけのようだ。

「全粥」なのに?…クリックすると大きくなります
その後昼飯は「全粥」と書いてあったのでまだ粥かあとフタをポコッと開けたらミートソース。しばし呆然。おかずはサーモンのマリネ、柔らかく煮たブロッコリといんげん、にんじんをドレッシングで、あとゴーヤ薄切りの入った吸い物、そして茶。ミートソースはすこぶるまずかったが、完食した。食後テレビみてごろりとしていると、A先生の部下の医師が来て、今朝の採血の結果、まだ肝機能がGOTだけが正常値であとは戻りきってないが、順調に下がってはきており、食事も取れているし痛みも熱も吐き気も全くないということなので、午後退院でいいでしょうとのこと。こちらから仕事がたまってるから何とか、とダメ元でお願いしておいて良かった。しかし石はまだ複数胆嚢にあるので、これがまた胆嚢の出口に詰まったり、あるいは胆管で詰まったり、胆管から腸への出口で詰まったりと、厄介なことになる可能性はもちろんあると。その場合はまた激烈な痛みに襲われることになるから、すぐ病院へ行くように、と。また肝機能が正常ではないから、家に帰っても酒は厳禁、食事も油こいものや消化に悪いものは控えるように、なるべくなら安静にしているようにと言われる。うーん、退院祝の祝杯はとうぶんお預けか…。しかし良かった、ようやく退院だ。
<ここまで病院にて>

連れ合いは今日1時半にお姉さんと待ち合わせて病院へ来てくれるということになっていたのだが、さっそく退院OK出たとメールする。それからササ〜ッと荷造りをして、着替えまで全部済ませてしまう。今日はシーツ交換が来たばっかりだったが、結局退院なので無駄になってしまったようで申し訳ない。Oさんは下にタバコにでも行ったらしく居なかったので、とりあえず隣のMさんに「退院になりました、そちらもお大事に」と挨拶。向こうは笑顔で「そうですか、それはそれは」と応えてくれたから、本当に悪気があってドタバタしていた人ではないのだ。ていうかそんなの当り前で、そのことももちろん自分で解っていたのだが。
看護婦さんに会計待ってればいいんすよね、と聞くとそうだというので待ってるが、全然来ない。連れからは2時過ぎにはバスに乗ったとメールが来た。その後婦長さんが来て、「入院の時の手続きの書類で渡していないのありません? あれがないと退院手続きが取れないんですって」とのこと。俺は連れ合いについでの時に入退院受付に出しといて、と渡した書類だということに気付いたが、待ってるのもかったるいので、そのまんま地下の入退院受付へ降りて、カウンタで番号札取ってしばらく待ち、書類無くしたと伝えると、サインでいいから形通り書類をもう一回書いてくれということになる。なのでその場で書いて、その場で会計もしますかと言うのでそうすると伝える。金がファミマで下ろしておいた分と、別口座にある分で余裕で足りるだろうなと思ってたが、いくらぐらいでしょうか聞くと、22…23万までいかないくらいでしょうか、と言われてビックリ。すぐ下ろしてきますといったん入退院受付を出て、ATMでもう一つの口座を照会すると、タイミングの悪いことに何かが引き落とされており、もう金がないと言われる。ジャパンネット銀行の口座にはまだ少し残ってたと思うが、病院のATMでは下ろせない。困ったなあと思いつつ連れにどこにいるかメールするともう病室上がったというので、金足らんから地下1階まで来てとメールする。
しばらくエレベータ前で待ってると降りてきてくれたので合流し、受付で連れに2万もらって手持ちの20万と足して支払いを済ませた。やれやれ、である。領収書と会計が済んだという証明書を貰い、病棟に引き返す。いったん病室に戻り、お姉さんに挨拶して、保険給付金請求の書類で診断書がいるのでA先生に頼むために出す。荷造りはもう済ませていたので二人にも荷物を持ってもらい、退院準備完了。ちょうどそこへOさんが戻ってきたので「お先に退院します」というと「お元気で」と言ってくれたので「そちらもお大事になさってください」と挨拶を交わして病室を出る。
ナースステーションでIさんに会計済の照明書を渡して、お世話になりましたと挨拶をして、エレベータでB1へ。B1からタクシーのトランクに俺のキャスター付旅行カバン、ボストンバッグ、着替えの入った紙袋を積んでもらい、舟渡マンションまで向かう。道々台風が近づいてきているせいか、突然大雨がざあと降ってきたかと思うと、上がったりを繰り返す。舟渡に着くあたりでちょうど上がったので、ラッキーと荷物を下ろして帰宅。何だか疲れた。
一息ついて、お姉さんは5時前まで居てくれ、帰って行った。何かこういうことでいつもいつもお世話になりっぱなしのようで、申し訳ない気がする。ここ何年か、連れだったり俺だったり、いつもいつもご迷惑をおかけしてばかりだ。いつか恩返しできるといいのだが…。今日は連れ合いの誕生日だったが、お祝いどころではなかったねと話すと、俺の退院がプレゼントだと言ってくれた。
その後、夕飯はご飯だけ炊いてもらい、おかずが何もないのでいわし缶詰を開け、納豆やごまおかかふりかけなどで食べた。白飯はやはりうまい。夜はテレビ見て、10時ころには眠くなってしまったので先に休む。

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2007-09-05(Wed)

退院しました

本日午後無事退院しました。
まだ胆石症による肝機能障害が残っていますが、日に日に採血の数値が回復してますので、一応退院の許可が出た、という感じです。
詳しい経過、入院日記はそのうちアップしますので。
当面酒、油こいもの、過剰労働とストレスは禁物だそうです。ていってもなあ、引越間近なんだけどなあ。
というわけで、また。

入院中励ましのメールなどたくさんありがとうございました。個別の返信・御礼はちょっと遅れますが、順番に。。。すみません。
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2007-09-04(Tue)

入院9日目

9月4日(火)
何度か目が覚めたものの、おおむね熟睡。6時に向かいのOさんの採血で起こされ、少しとろとろした後洗顔に立つ。点滴がないので立ち歩くのが楽でいい。Oさんに「点滴がないとずいぶんスタスタと元気に歩きますねえ」と羨ましそうに言われる。その後テレビを見つつ時間を潰すが、とにかく腹が減って仕方がない。まだかまだかと思ってようやく来た朝食はまたもや3分粥。でも今朝はたまご入りの粥だった。あとは大根の煮物、具の全く無い味噌汁、ぶどうゼリー。空腹だったのでばくばく食った。人間てやはり動物だなあと思う。
その後はテレビ見てまたちょっとウトウト、MLBはボストンの松坂がノックアウトされたのを見る。何とか後続と打線が踏ん張って試合には勝ったが、松坂は突然に崩れる…というか崩れかけてからの立ち直り・持ち直しがうまく出来ないという印象。試合の後半になって、隣にまたオジサンが入院してきた。例によって耳が遠いのか、今度は声もデカく、妻らしきバァさんに息子らしい俺くらいの男性が一緒で、看護婦の問診にも聞かれたこと以上の無駄口が多く、性格を聞かれて「気が短い」とか言ってる我が強そうな人だ。
せっかく平穏だったのになあと思ってるとアッという間に昼になり、昼飯は五分粥になった。おかずはもう普通のもので、肉、キャベツ千切り、茹でブロッコリー、トマト。豚肉はちゃんと味がしっかりついていて美味かった。肉がついてて、主食だけ粥で意味あるのかと思うが、深く考えないようにする。
それよりもKさんが退院して平穏になったのも束の間、隣がまた入ってきて憂鬱である。何だかんだ言っても向かいのOさんは奥さんさえ来なければ静かなものなので、こういう無神経そうな患者がまた入ってくるとはついてない。ただ聴くとはなしに話をチラホラ聞いてると、どうやら肝臓に腫瘍があるようで、精密検査のための入院らしい。本人は研修医の型どおりの質問コーナーの際、身内がいないので小声で「癌であっても知らせて欲しい」というようなことを「オフレコでね」なんて言っていた。オフレコって表現もおかしなもののような気がするし、研修医にそんなこと言ってもなあ、と思う。
その後隣の次男だという男性も来て病室がにぎやかになったので、財布とNomad持って下へ行く。最初は退院が近いと思い金おろしておこうとJNBの口座で出そうとしたが、病院にあるCDでは使えなかった。そこでおろせる口座のお金では足りないなと思い、病院入り口の案内係に「一番近いコンビニはどこですか」と聞きファミリーマートに向かう。本当は病棟から出てはいけないのだが、そのまま売店側の出口から出て、売店の裏〜食堂脇を抜けて病院の外へ出る。病院の入口からぐるりとけっこう急な坂が続いており、そこをてくてく歩いて降りる。途中大きな道に出る道ってここかな、と思って右折した道はどうやら違ったようで、携帯のNAVITIMEで確認するが、衛星からのレスポンスが遅い上に精度も低いので全く使えず。
結局勘で細い裏道なんか通ってると無事「大きな通りに抜ける細い道」に出て、ファミマに到達。すぐJNBでお金をおろし、チルドカップのコーヒーを買って戻る。細い道を抜けるとさっき降りてきた急な下り坂のカーブのところ。そこをまた病院の壁づたいに上っていくのだが、この坂がけっこうキツく、足腰に来た。やはり萎えているようだ。それに元の病気=白血病のせいで、膝の関節周囲にリンパ節の腫脹のようなものがコブ状にあって、いつもそこが痛む。気温はずいぶん涼しくはなったとはいえ、蒸し暑さが若干残っているので、すぐに暑くなってしまった。
ようやく病院に着いてさっき出た入り口から入ろうとすると、車椅子のOさんの後姿が見えた。タバコ吸ったのかな、と思ったがよく考えたら病院は敷地内全面禁煙のはず。どこで吸ってるんだろうと不思議に思いつつ7Aに戻る。その後はしばらくパソコンで音楽聴いたりしてると、萩原聖人似の若いDr.が来て、「明日の朝採血がありますが、それ次第では退院の方向で考えるようになります」とのこと。肝機能障害が数値的に良くなってしまえば、もう治療といってもやることがないので退院だそうだ。元々の主治医であるU先生とも連絡を取って、その方向でいいと確認も取っているとのことだった。どうやら石は落ちたようなので、あとは採血次第ですね、というので「腸の中へ落ちて排泄されたということですか」と言うと「そうですね、小さいので気がつかないかと思いますが」とのこと。あとは胆管にも詰まってないので問題なしということらしい。
とにかく明日、明後日にはひょっとすると出られるかも知れない。そろそろもう出してくれよってな感じなので、ホッとひと安心だ。連れ合いにもすぐその旨メールをする。連れは京都の大学勤務は4時ころ終わって、すぐ帰れそうだといい、それから病院間に合うかというから、それは絶対無理と伝える。それに疲れてるだろうから、今日は帰って休んで明日でいいよと返す。その後はずっとUtopiaやらCarpentersやらJohn LennonやらBilly Joelやらを聞いて過ごす。何か懐かしい洋楽ばかり。トッド・ラングレンてカッコ良かったなあ…なんて。
夕方Oさんのところに血糖を量りに来た看護婦が、「Oさん前に血糖量る器具貰いました?」と聞くと「ウン」と言ってるので、なんだ自分で量れるんじゃんと思って聞いてると、「じゃあ自分で量ってもらえます?」と言われると「だってあのボッチンが痛いんだもん」とガキのようなことを言ってるので笑ってしまう。Oさん、結局そのスジの人ではなかったようだが、最初は間違いないと思ったほどコワモテなのに。俺の連れ合いだって自分で血糖を量り自分で毎食前に注射打ってんのに、大の男が「痛いんだモン」とは爆笑ものである。
それにしても全部自分でやれればいちいち忙しい看護婦を煩わすこともないのに、案外甘ったれで小心者なのだ、顔に似合わず(笑)。奥さんが来るとまた例によって奥さんが赤ちゃんに話すように鼻にかかった声で「なんとかなのォ?」「なんとかするゥ?」と話しかけているのも、さもありなんということか。だんだんおかしくなってきて、顔を見ると笑ってしまいそうになるのをこらえることもあるほどだ。奥さんは来るといつも夕方の点滴がささっているので、Oさんに「何かがささっていること」が「可哀想でしょうがない」らしく、痛いでしょう、可哀想に、いつまでやらないといけないのォ? 先生に聞いてみようよ、あたしが聞いてあげようか? …てな感じでいつも話してるが、これじゃあ自分で血糖値測定の器具さえ痛がるわけだなあ(笑)。
その後夕飯は6時20分近くまで遅れて到着。また5分粥、おかずは金時豆、豆腐にかに風味とキュウリ千切りの酢のものかけ、なすとさやえんどうとニンジンとキュウリの煮物、あとは鞠麩とネギなどの吸い物にお茶。今日のはけっこう食べでがあった。この夕飯で、売店で買った「ごはんですよ」の小瓶がちょうど無くなり、家から持ってきたのりたまの袋だけ。これもあと1・2食分だから、明日退院ならそれでちょうどいいのだが。明日の朝の採血の結果を見てだから、うまくいけば明日の午後退院かも知れない。もう先が見えた感じなので、気持ち的には非常に楽である。連れ合いからは5時半ころ新幹線に乗ったとメールがある。
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2007-09-03(Mon)

入院8日目・点滴取れる

9月3日(月)
夕べは「行列の出る法律相談所」で思わず爆笑したりして、11時ころ寝た。夜中は耳栓なしでも比較的よく寝られ、朝は5時ころ、さらに6時ちょいの採血で起こされるまで熟睡。その後はテレビを見ようとしたら突然チャンネルが勝手に11に変わり真っ黒、リモコンを何度操作しても変えられなくなった。こないだから突然チャンネルが変わったりすることがあったのでテレビ自体がイカれたご様子。しょうがないので看護婦にその旨言って、あとは携帯のワンセグを見てとろとろ。しかし「うとうと」の「う」くらいで何かしら看護婦の出入りがあって結局寝られず。
朝食は3分粥。オートミール、たまごスープ、ももジュースに茶。粥っていうからのりたまとか用意したのにオートミールでがっかりしたが、当然全部完食…というか完飲(笑)。ヤケクソでドリンクヨーグルトも飲んだ。その後はワンセグ見ながらソリティアで暇つぶししてたが、看護婦がバイタルに来て、その際「退院の方向で、みたいな感じでしたよ」と言うので喜ぶ。そこで思い立ち、紙に白血病の主治医であるU先生宛てに、引越先の京大病院への転院の際に必要な紹介状と資料作りをお願いする旨の手紙を書く。U先生は現在他の病院へ出向中で、月曜だけ外来に来られると聞いていたので、入院中はもう今日しかない。それに資料=カルテや血液のデータ・細胞分析結果のコピーなどを作るには一週間ほど時間がいると聞いてたから、今日依頼しないとこちらにいるうちに受け取れないわけだ。そう思って手紙を持って、U先生に渡してもらおうと病棟の下の外来へ下りる。
しかし外来の看護婦は事情を説明しても「病棟で先生にお願いしてください」という冷たい返事。ちょっとメモ渡してくれりゃそれで済むのになあと思うが、今の主治医は消化器内科のA先生だ。それを飛び越して、患者が勝手に別の先生に連絡を取ったりするのはルール違反なのであろう。なのでしょうがなく病棟に引き返す。その後病棟の看護婦に説明して、U先生に転院資料を作ってもらう依頼をA先生からお願いしてもらうように改めて依頼した。
しばらくして映らなくなったテレビを見に、リース会社の若い社員が来た。すると何と俺のテレビカードの残高が0になっていたことが判明。要するに料金切れで映らなかったわけだ。念のためとカードを確かめに機械まで行ってくれたが、やはりカラだっただけ。どうもすいませんと頭を下げてお引取りいただくが、とんだ赤っ恥であった。すぐにカード補充がてら、売店まで行こうと思ったらA先生が来て、これから教授回診があるとのこと。んで紹介状の方は言っておいてくれたそうで、来週の月曜に外来に取りに来てくれということ。
戻って病室でしばらく待ってると、初日に俺の静注ルートを開けた若い研修医が来て足元に直立不動で待機し、次にいったん出てったA医師が戻ってきて、俺のベッドを「ちょっと失礼しますね」と言いつつグイとズラして教授様が脇に入れるようにして、お成りを待つ。その間に俺が「石はまだあるんですよね」と言うと「あります。一つじゃないです」とのこと。「でも今回は特別な事情(引越)があるのと、白血病というリスクもあるので、通常は手術などの手段は取らないと思います。恐らく転院先の京大の先生も同じだと思いますよ」とのこと。「油こいものとかは気をつけないといけませんね」と言うと「そりゃあそうです、じゅうぶん気をつけてください」と言われる。
その直後、消化器内科の教授が来られる。聴診器が何と金! でびっくり、あんなの初めて見た。研修医が緊張した面持ちで俺の容態を読み上げ、途中緊張の極限か言葉に詰まってしまうとA医師があとを引き取り、流暢に「この患者さんは白血病を持っておられますので、内視鏡等の治療は行わず、あと京都へ転居されるということですから、次のドクターに引き継ぐという形でいいと思います」と述べると、教授は声も出さずに頷き、俺の腹におもむろに聴診器をあて、息を吸ったり吐いたりさせつつ腹をもみ、お大事にも何もなく去って行った。A先生はいつものようににこやかに「じゃあお大事になさってください」と笑顔で去って行った。
やれやれとテレビカードをチャージしようと財布を持って出るが、一万円札しかなかったので、どのみち買い物をしてくずさないとチャージできないから、売店まで下りた。髪が洗ったあとぱさぱさだったのでムースと、あとは水とヨーグルト2本ずつ、スポニチ、チップスターのハーフサイズ。昼食は3分粥

病棟へ上がって2千円チャージして戻り、差し込んでつけてみると当り前だがバッチリテレビは見られた。うう、恥ずかしい。昼飯は本物の3分粥、さつまいもの角切り、白身魚とダイコンと豆腐の薄味煮物、あと意味の解らない無色の汁。最初白湯かと思ったほどだが、かすかな塩味がついており、何だかは不明。あとはヨーグルトと茶だった。だんだん食事ぽくなってきたなあ…。もちろんヨーグルトまで全部完食。その後は音がしないように布団の中でポテトチップをパリパリと食べ、ソリティアやりつつ家から持ってきたイチゴチョコを食べる。
そうしてワイドショー見ながらうとうとして、病院にこのままい続けたらダメ人間になれるなあ…と思ってたら、4時前に突然血液・膠原病内科の主治医・U先生が現れた。私服で帰りがけに様子を見に来てくれたというご様子で、一瞬誰だったか解らなかった。そういえばいつも白衣は当り前とはいえ、マスクをされていたことも多かったから、私服で素顔だと普通の若い女性なのでビックリだった。「どうですか?」というので「もう大丈夫みたいです」と話すと、転院の資料作成の件はわかったけど、来週取りに来れそうかというので、大丈夫ですと応える。それまでに退院してそうかしら、というのでそんな感じですね、というとじゃあ2時ころ外来に来て受付に声をかけてくださいということになる。俺が実は午前中これをお渡ししようと思って外来まで行ったんですが…と、看護婦に受け取ってもらえなかった転居先と京大のI先生の名前などを書いたメモを見せると、「あ、じゃあ新しい住所に送った方がいいかなあ」ということになる。それなら来週わざわざ来ていただかなくてもいいし、ということで、俺もその方が楽ではある。ただ、あとは個人情報なので送るとなるとそれだけがちょっと気がかりだとおっしゃるので、俺が宅急便の着払いで送っていただければ、と話すと「そうですね、それだと受け取りも残るし確実に渡してもらえますもんね」ということで送っていただけることに決定。んでそのメモを渡そうとすると、今貰ってもなくしちゃうから、外来にカルテに挟んでおいて貰うように渡しておいて、とのこと。
実は午前中に看護婦さんにそう頼んだらかたくなに病棟の先生を通せと断られて、というと「ああ、看護婦さんだとそう言いますねえ、じゃあ受付の事務の人に渡しておいてください」とのこと。U先生が帰った後、すぐ下に降りて外来の受付に事情を話し、メモを渡す。これで一安心、安心ついでに売店でクッキーとドリンクヨーグルトを買って戻った。相変わらずの不良患者か。今日は外は暑くなったようで、病院の新患受付カウンタのあたりは冷房が強くかかっていた。
その後ソリティアもいい加減つまらなくなってきたのでテレビを見ていると、4時半過ぎに夕方のバイタル。その際、今の点滴が終わったら点滴終了と聞いた。いやーこれで煩わしい点滴もおしまいだと思うと嬉しい。その後夕飯が来るがやはりまだ3分粥、粥の上にしらすがチョロッと乗っていた。あとは麩の煮物、ダイコンとニンジンの味のない煮物、具のない味噌汁とココアみたいなジュース。それでも完食。いつものように6時前に来たOさんの奥さんは相変わらず。ていうかベタベタでれでれしすぎで、聞いてておかしい。言っちゃ何ですが、ゴツいコワモテのおやっさんに「なになになのぉ?」とか子どもに話すような口調である。
今日は仕事の連絡、SさんとKさんの案件が交互に携帯メールで来て、特にSさんの方は仕事の内容が面倒で往生したが、よく考えたらヤフーのメールはブラウザアクセスなので、携帯からでもOKだ。何とか携帯で各サーバに事務連絡を打つ。やはり長文になると携帯では面倒くさい。
そうこうしていると点滴が終わり、これにて点滴終了。24時間点滴が取れた後の開放感というのはなかなかに筆舌に尽くしがたく、これは体験した人じゃないと解らないだろう。夜も寝相を気にすることなく、ゆっくり寝られると思うと嬉しい。
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2007-09-02(Sun)

入院7日目・食事解禁

やっときた「食事」=流動食
9月2日(日)
夕べは隣のKさんが退院したせいか、本当に久々によく寝られた。夜10時ころには眠くなってきたので耳栓して寝たのだが、途中目が覚めたのは点滴チェックの看護婦さんが来た時くらいで、記憶にあるのは朦朧としてた4時、そしてほぼ目が覚めたのが5時。その後は6時過ぎの点滴交換までとろとろ。一人の無神経な患者がいなくなっただけで、これだけ快適に熟睡できるとは。
今日も外は曇天。俺のベッド脇のクーラーはもう数日消したままで、病室の入り口にあるクーラーは暑がりのOさんが常時「M(中)」にしているようで、体重を測って部屋に帰ってきたら寒いくらい。なのでこっそり「L(低)」に下げておいた。Oさんは6時過ぎにトイレ洗顔を済ませた後は車椅子でいつものようにどこかへ、恐らく朝の一服に降りて行ったのだろう。30分ほどすると戻ってきて、これまたいつものように缶コーヒーをプシュッとあけて飲むのが日課だが、缶コーヒーじゃタバコのにおい消えないんだけどなあ。ご本人はコーヒーでタバコの臭いを消していると思っておられるご様子で、医師やナースに言われるたびに「吸ってないよォ」なんてとぼけているが、バレバレである。
その後テレビを見てとろとろしてると8時前に看護婦のCさんが食事を持ってきてくれる。重湯、コーンスープみたいなちょっと塩味の汁に、カルピスみたいな飲料と茶という見事に「オール汁」の流動食である。これから段階を踏んで粥から常食になっていくらしい。重湯はちょっと薄く甘いだけでほぼ味がないので、ふりかけの「のりたま」をかけてスプーンで食べる。他はもうひたすら飲むだけでアッという間に完食。う〜んこれを食事と呼んでいいものだろうか?
その後10時過ぎに下の売店へ行くと、日曜ゆえか11時からとあり、そのまま引き返し、11時過ぎてからもう一度行く。重湯対策に「ごはんですよ」と髭剃り用のカミソリ、スポーツ新聞を買って戻る。外は曇り空から青空に雲が浮かぶ天気に変わり、のどかな様子だ。11時半ころうとうとしていると突然Oさんのところへ娘さんが旦那と赤ん坊を連れて見舞いに来た気配。かなりやかましかったが、Oさんが俺に配慮してくれ、すぐどこかへ出て行った。
その後12時を過ぎて昼飯が来るが、これまた流動食。ごはんですよ、のりたまで食べる。味噌汁らしきものもあるが、具も溶けているので不明。もう一つは杏仁豆腐のような固さのヨーグルトみたいなのに薄くイチゴソースみたいなのがかかったやつで、これはうまかった。あとは茶。5分かからずに完食。食、というか飲み下すだけだもんなあ。歯ごたえが欲しくて、食後はサブレなどを食う。
午後はテレビ見ていてうっかりしてたら点滴が終わっており、かなりの血が逆流。慌ててナースコール、その際看護婦のIさんに「このままシャワー浴びるから」と、いったん外してラップにくるんでもらった。今度はシャンプーもボディソープもあるので、ゆっくり髪も頭も座って洗う。パンツとタオルは一応洗ったが、考えてみりゃ干すところがない。そこは何とか出てから枕元のもの入れのタオルかけにパンツ、ベッド脇の手すりにタオルを干した。
その後はひたすらソリティアやったりテレビ見たり時間つぶし。4時ころOさんの姐さんが早くに来て、また大きな声で自分ちのように話している。さて夕飯は粥かと思ったら、またも流動食。3食汁づくしって…いじめか? 重湯、味噌汁のような汁、何か豆乳みたいな汁、そしてデザートはプリン(笑)、そして茶。あまりに汁ばかりなので、完食の後のドリンクヨーグルトさえ飲む気がしなくなった。それでも重湯はのりたま、ごはんですよでしっかり味付けして食べると、それはそれで空腹にはご馳走である。ああ、でも白米が食いたい。その後はテレビ。大学出勤のため京都に着いた連れ合い、埼玉の義姉、函館のお袋から交互にメールが来て、それぞれへの返信に忙しかった。
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2007-09-01(Sat)

入院6日目・一時外出

9月1日(土)
夕べはいったん寝ようとするが、なぜか眠れずに12時頃まで悶々とした。ようやくウトウトしかけると隣のKさんがやかましい。点滴のせいか40分置きくらいにトイレに立ち、そのたびに歩く音はバタバタ、トイレのドアは惰性で閉めるのでバターンガターン! 手洗いの水さえ乱暴に出すという本当に大雑把かつ無神経ぶり。人が寝ている時間だから…という配慮もヘチマも全くない、これだけ粗雑な人間がしかも60過ぎと思える年齢でいるとは、腹が立つよりも呆れてしまう。叩き起こされるたびに何度か本気で怒鳴りたくなったが、「このオヤジは抗癌剤使ってんだし、可哀想なんだ」と言い聞かせて寝ようとする。そういや俺も癌なんだが。ベッドに戻ってからも咳払いや寝返りをうつたびに低音の「うん」とか「ああ」とか自分の家のように大声を出すので、そのたびに寝かけているこちらはドキッとして目が覚める。耳栓なんか何の役にも立たないことが解った。それでも向こうがようやく眠ったらしく静かになったのでこちらもようやく寝られると思ったら今度はイビキである。落語か、と思いベッドの上で思わず笑ってしまった。
2時ころにまた隣のKさんがトイレに立つ騒音で叩き起こされるに至り、こちらもトイレに立ち、同じような音をたててやろうかとも思ったが、向かいのOさんは寝ているし、俺にそもそも夜中に迷惑な騒音を立てるという行為が出来る回路そのものがない。毎回そうしているようにそっとドアを開閉して機械へ尿を入れ、再びそっとドアを開閉して、手洗いも水の下にあらかじめ手を添えて音を少なくして済ませる。そうして忍足でベッドに戻る。こういうごく普通の、「配慮」とも言えない常識的な行動をなぜいい大人、ジジィが出来ねえんだ?
【ここからは10月29日記】
…とまあこう書くといつも俺がカンカンの怒ってばかりいると思われるかも知れないが、そんなわけはない。世の中には表層的にしかモノを見れない薄っぺらい人間が多くて、中には
「そんなに怒ってばかりいるから病気になるのだ」
と真顔で言ったり書いてくる知能の人間が本当に存在するので、困ってしまう(本当の話である)。むしろそういう浅薄な人間の無神経な言動にこそ、俺は本気で腹を立てるのだ。だいたい病室で同室のオッサンがうるさいとか、そんな程度で発狂寸前まで日常腹立ててたらキ○ガイだよ。間違ってることに「それは違うだろう」という自分の意見なり感情を表すことで、俺という人間の存在する意味がある。何も意見も主張もせず、ただ漫然と暮らし、与えられるものだけを受け取り、何の疑問もなく生きているだけならば、それはそれはさぞかしストレスも何も感じないだろう。そう、ストレスは多くの病気の根源でもあるから、病気にもならんだろう。だからある一面、「お前は怒ってばかりいるから病気=癌になるのだ」という指摘もその意味では正しい。
だが俺は俺のこれまでの生き様、何をしてきたか、そうして本当は何に怒っているのかを知りもせずに、知ろうともせずに、薄っぺらいアタマに知性のかけらもない死んだ目をし、優れた表現に触れようともせず、無根拠に自分を高いところへ置き、ノホホ〜ンと生きているような馬鹿者から、そんな指摘を受けたくはないだけだ。だいたいそのデフォルトでの「上から目線」って、その論拠は何なのかが理解不能だ。お前はどういう人生を送り、俺の何を知っているのだ? お前は何をなしたのだ? これまで何を読み、何に感動し、触れ、何に怒り、感謝し、悲しみ、生きてきたのか? 俺に「説教」を垂れる前に、己の人生を振り返り、真摯に、そして謙虚に反省をしろこの大馬鹿者。(このことにはマジで怒っている)【ここまで】



そんなこんなで目が冴えてしまい、寝ようとするが、またもや隣のKさんがとにかくやかましい。こないだなんか俺たちがいるのに小声とはいえベッドで歌を歌いやがったからなあ…。とにかく耳栓を突き抜けて聞こえてくるので、そのたびにウトウトが妨げられて心臓に悪い。とても寝られず、ワンセグをつけてやってた朝まで生テレビの音声を片方の耳に突っ込んで、騒音を消す。しかし聞いてるうちにますます頭が冴えてしまう、当り前だ、騒音が消されるくらいの音量で聴いてるわけだからである。で結局3時過ぎまで寝られずに悶々としていた。次に目が覚めると4時、次は5時、そして最後は6時だった。
6時だなあと思うと間もなく看護婦がバイタル測定と採血に来る。「よく寝られました?」と聞かれたので血圧を測られながら思わず笑ってしまった。その間、Kさんは隣で高いびき。よほどベッドを蹴飛ばしてやろうかと思ったが、看護婦さんが小声で「今日退院ですから」とのこと。もうコイツの騒音からは解放されるんだな、と思い最後の我慢をする。その後は洗顔して、ナースステーション前の体重計で計量すると、この一週間で3kg減っていた。
その後はちょっとウトウトしかかるが、とにかく隣のオヤジのうるさいこと。向かいのコワモテOさんがよくキレないなと思うが、あの人はマイペースだと自分でも言ってたので平気なのだろう。朝食の後で、A先生が来る。まだ朝の採血の結果が出てないが、俺の腹などを触診し、全然痛みもないというと「黄疸もだいぶ無くなってきたし、恐らく大丈夫でしょう」と言ってくれる。念のため採血の数値を見てからだが、外出は大丈夫だろう。その後はMLB、SEA-TOR、シアトルが惜しい試合を落とし今季ワーストタイの7連敗を喫したのを見る。一時期は調子良かったのに、もろいチームだなあ。
その後昼飯になったのと、隣のK夫婦が退院支度をしているので談話室へ行くが、間もなくA先生がナースステーションに入ってったのがガラスに映ったので、慌てて部屋に戻る。途中廊下で件のK夫婦と鉢合わせ。しかし屈託ない笑顔で「今日いったん退院することになりました、13日にまた戻ってきますがお世話になりました」と言われる。こちらも「良かったですね、こちらこそお世話になりました」と飛び切りの笑顔で応える。13日って俺はそん時ゃいねえ、つーの。
病室に戻るとすぐA先生が来て、朝看護婦さんにお願いしてあった採血の結果のプリントアウトをくれた。「朝の採血の結果はかなり改善されてきているから、外出は問題ないでしょう」ということ。ただ肝機能の数値が改善されているとはいえ依然かなり悪いレベルなので、飲食はくれぐれもしないようにというお達し。ハイ解りましたとお礼を言って、先生が去った後すぐにこちらは残ってたクッキーをドリンクヨーグルトで流し込む。うう、欲望に弱い不良患者。
ただ自分の実感として、胆石発作は奇跡的に石が詰まることなく腸へ流れてくれ、そうして回復しているのだと解る。尿も毎回毎回、少しずつではあるが薄くなってきていて、今は普通の時にちょっと風邪でもひいたかな、という黄色レベルだ。肝臓とビリルビンの数値は確かにまだまだ平常とは呼べないレベルだが、京都から一週間ほどまともに食べていないので3kgほど痩せたせいもあるのか、腹廻りが楽になった。というか、ここ数ヵ月どうも右のわき腹から背中にかけて張りがあり、時折鈍痛がしていたのが張れが引いた感じがする。これは肝臓が張れてたのが引いてきたのか、あるいは単に太ってたのが胴回りが痩せたために楽になったのか、あるいは脾臓で普段から押されて圧迫されていたのが痩せたために圧迫の度合いが弱まって楽になったのか。いずれにせよ、胆石を抱えていた時より、今回の入院がきっかけで体の調子が良くなったのは確か。とはいえ、俺の場合はそれで健康になるわけではなく依然大変な持病があるので、これでもう心配なしとは言えないのが辛いのだが…。

12時半ころ、少し早いが着替えてノートPCなど仕事道具と着ていたパジャマを旅行カバンに詰めて、ナースステーションに声をかけて外出許可証を貰って、下に降りる。タクシーで舟渡へ向かう。外はすっかり涼しく、秋の空気だ。入院している間に季節がはっきり夏から秋へ移ってしまったように感じる。川越街道・環七・ときわ台・スパディオ付近・見次公園下・坂を上がって大原から中山道、というルートで運ちゃん裏道をクネクネ行ってくれて、1時前には家に着いた。ひさびさに猫たちをなでくりまわして、連れが買っておいてくれたドリンクヨーグルトとイチゴのジョアをゴクゴクと立て続けにイッキ飲み。
一息ついて、先に仕事を済ませてしまう。データのftp、やはり光ファイバーって素敵。速い速い。家にいた時は慣れていたからありがたみが解らなくなっていたが、ネット環境から切り離されていると、このスピードって夢のようである。ていうか、つながるだけでもありがたいのだが。本当にいい加減、病院でも無線LANスポットなどを設けてもらえないものだろうか。ftp後に取引先のKさんに電話して、一時外出したので何かあったら今のうちに電話くれと伝える。その後30分ほどして大丈夫とのこと、一安心。
それからはテレビを見ながら連れ合いと二週間後に迫った引越の段取りの話をしたり、各種連絡や手配。それやこれやでいろいろやってたらアッという間に3時半になってしまう。しょうがないねと支度をし、連れが買っておいてくれたヨーグルトとお菓子を紙袋の下に忍ばせ、その上に着替えとバスタオルを被せて、PCはバッグに戻す。ご先祖様にお線香とお水をあげて、手を合わせてから出る。
道路で空車を待つが10分ほど全然来ず往生した。どうやらここ数日のベッド暮らしで足腰がちょっと萎えてるんだろうかと思ってたらようやく空車が来て、病院まで戻る。道は空いていた。まず売店へ行って水のボトルや連れ合いの夕飯までのつなぎのパンなどを買って7階へ。ナースステーションに戻った報告をして、病室へ戻る。今日は俺が夕方まで帰ってこないと思ったのか、Oさんの奥さんがすでに病室に来ていた。夫婦二人でしっぽりやってたところへ俺らが乱入…という格好で申し訳ない感じ。俺はベッドで荷物を置くとすぐ着替え、着替え終了と同時に点滴がまたつながれて、病人へ戻る。すると看護婦が「いいお知らせがありますよ、明日の朝からご飯開始です」とのこと。思わず「やった!」と言うが、最初は重湯のような汁物からだんだんに粥になってくという。まあそれでもないよりはマシだ。その後は連れ合いとテレビを見ながらゴロゴロして、時折俺はお菓子をむさぼり食う。連れは夕飯までのつなぎに売店で買ったハムサンドパンとパック牛乳。糖尿なので、空腹期間が長くなると低血糖を起こすので危険なのである。
その後、6時を過ぎて魔の刻=夕飯になり、Oさん夫婦が仲良く食べ始めたので、連れに「もういいよ」と帰すことにし、エレベータまで一緒に行って見送った。俺はこの日記と、貰った入院してからの採血のデータを入力し、終わったら今7時13分。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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