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2007-10-29(Mon)

教え子から「引越祝い」いただく

10月29日(月)

夕べはテレビもろくなものがなく、録画しておいた「タモリ倶楽部」を見終わって12時過ぎに寝室へ。ユキがまた鳴くとうるさいので、いったんベッドの上に来させて「我々はここで寝る、ここに居るから」と納得(?)させて開放。そのせいかたまたまか、夜中は鳴かずにいてくれた。しかし俺の方がどうにも胸焼けがして目が覚め、5時いくらいに起きてしまう。別に気持ち悪いわけでもどこかが痛いわけでもないし、胸焼けといっても吐き気がするわけでもなく、弱いものだ。胃に何か入れればいいかと思い、ドリンクヨーグルトを一気飲み。しかしそれで目が覚めてしまい、ネットで最近ハマっている「大阪民国(だいはんみんこく)」のサイトを見て笑う。この風刺というか諧謔精神というか、このサイトを作っている人の知性と教養はかなりのものだと感心。
6時半過ぎ、明るくなってきて一度布団へ戻り、その後朝は10時過ぎに起きる。MLBのWS4戦目は1−0でボストンがリードしていた。その後試合を見つつパンとアイスコーヒーで朝食。
同封されていた教え子たちからの手紙、ありがとう!
その後宅急便が届いたので受け取ると、かつてのジャナ専(日本ジャーナリスト専門学校)の教え子であるNさんから。何だろうと開けて見ると高そうなお皿のセットで、Nさんほか、いつものメンバー6人からの手紙が添えられていた。どうやらみんなでお金を出し合って買ってくれたようだ。皆こちらの病気を案じ、頑張っていると伝えてくれ、そうして京都へ行くから逢いましょうという嬉しいことを書いてくれて、本当にありがたかった。何年経ってもこの年度、このクラスの子らは仲が良く、定期的に集まっては旧交を温めているようだが、そのたびにちゃんと俺のことも思いだしてくれている。出版業界にも何人か入って頑張っているし、もちろんそうじゃない子も頑張っている。みんな、仲良く元気で頑張っている、そのことの大切さ、素晴らしさをいつも教えてくれる生徒たちだ。
連れ合いは「いいねえ、教え子に慕われてて」と言ってくれ、昼前に支度して大学へ出勤。連れ合いもけっこう学生には慕われているようで、「せんせ〜!」と言いながら遠くから走りよってきてハグされたりしているという。その後俺は引き続きテレビを見ていたが、どうも暑い。窓を開けるが首筋に汗が浮く。今日はよく晴れて気温も上がったようで、たまらず閉めてクーラーをつけたほど。オイオイもうそろそろ11月だぞ、ひょっとして階下が火事か? と疑ったほど。
さてWSは途中岡島がまたもや被弾し1点差に詰め寄られたものの、ローウェルがHRでとどめをさし、ボストンが見事に逃げ切って4連勝で敵地でのシャンパンファイトに漕ぎ付けた。松坂はインタビューで「2月のフロリダでのキャンプインから、本当に長かった…」としみぢみ語っていたのが印象的だった。メジャー一年目で、試合数も日本よりずっと多く、そしてポストシーズンまで…というのは確かに長かったろう。まあ終わり良ければ全てよしか。
その後はずっと滞っていたブログを更新するため、8月〜9月の入院時の日記を切り出し、再編集。途中座りぱなしで腹が痛くなって休みつつ、あと途中仕事部屋をちょっとだけ片付けたりしつつやったが、これが気がつくと6時近くというハードな作業になる。ブログはどうにか胆石発作入院を退院した9月5日まで終わったが、最新の日まで追いつくのはいつになるか…という感じ。ちょっと軽く腹が痛くなったので横になってると、連れ合いが「終わった、明日から学園祭だ」とメールがあった。
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2007-10-27(Sat)

府立植物園

10月27日(土)

ゆうべは俺たちが布団へ入り、シマがベッドの上で一緒に寝た後、ユキがリビングでワオンワオンと鳴きまくって往生。何せユキは耳が聞こえないから、「こら!」とか言っても全然通じない。我々の姿が見えなくなり、リビングの灯りが消え、シマまでいなくなったのできっと不安になったのだろう。この「夜鳴き」の声は物凄い大きさで、ご近所に聞こえまいかとハラハラするくらいの大音声である。「ニャオーン」どころではなく、うろうろしながら断続的に鳴き続け、最後の方は「ワア、ウワァ、ウワァアアアー!」と物凄い声を出す。虐待していると思われたら大変である。
とにかくこちらがうとうとするとユキの鳴き声で起こされる、の繰り返しで1時くらいまで寝られなかった。その後朝方、今度はまたユキがワオンワオン鳴くので起こされて、朦朧。結局熟睡できたのはホンの4時間ほどで、朦朧としつつも布団におり、10時くらいに起きた。
昨日の夕方のニュースで、盆栽展を府立植物園でやっているというのを見た連れが「行きたい」と言うので、見に行くことにする。11時過ぎに出ると、小雨がパラパラしてたので、連れの折り畳み傘1つだけ持って、タクシーを拾って北山駅前へ。11時半前に進々堂レストランへ行くと一瞬待っただけですぐ入れた。ここはいつもお昼どきは行列が出来るほどの人気店だから、入れたのははじめて。二人ともシーフードクリームコロッケ&ハンバーグ、パンというセットを頼む。
待たされたが出てきたコロッケは実に美味。外はカリッ、中は濃厚なクリームがアツアツでトロトロという王道だ。ただハンバーグはつなぎがほとんどないせいか、ぼそぼそした感じで酸味さえ感じるほどの味だった。ただこれは「肉本来の味」を楽しみたい人にはいいのかも知れないが。それでもまあおおむね満足して会計すると、レジ前には12時を過ぎて10人以上が並んでいた。植物園内の昼顔のアーチ。
レストランを出ると雨がけっこう降っていて、傘を二人でさして北山通りを対面へ渡り、少し西へ歩くと植物園の北山口。入園料200円の切符を買って植物園へ入る。この天気のせいか中はほとんど人がおらず、さりとて雨なのでゆっくり見るわけにもいかず、すたすたと盆栽展がやっている「植物園会館」を目指す。会館は北山口から反対側の北大路側入口近くにあるので、向かう道々必然的に草花を見られた。
会館に着いて、手前の盆栽売りのテントを覗いた後、会館の中に入って盆栽展を見る。なかなか見事な盆栽が揃っていて面白かった。こういうの、見る分にはいいのだが、作る側にハマると大変なんだよね、なんて話しつつ見て歩くが、入口では恐らくこの盆栽の会の会員だろうか、60代くらいの男性が二人で受付といか番というか、まあ所在無げに座って暇そうにしていた。月刊盆栽、みたいな雑誌のバックナンバーと、日本水石名品展の会報誌みたいなのが「どれもで一冊100円」と売ってたのでパラパラと立ち読みし、水石展の会報だけ買った。盆栽展に来て水石の本買う俺。
植物園を出たところの紅葉。会館を出たところで袋を貰って入れてもらい、ついでに盆栽や鉢植え売りのテントを見る。連れ合いは800円で苔のミニ鉢があったのを買った。俺は石でけっこう景色が気に入ったのが欲しかったが、それより大きなものが3万だの7万だのと書いてあって、値段を聴く勇気もなく諦める。それから歩いて一度門を出るが、便意を催して戻り、再入場させてもらってトイレを済ませてから戻る。
それから賀茂川沿いに北大路まで歩き、府立植物園前のバス停へ出る。賀茂川岸の紅葉はところどころようやく黄色くなってきたな、という感じだった。
いったん家に戻ろうか、どうしようかと話し合ってるうちに205系統のバスが来たので高野で下りようと乗ってしまう。しかし204と違って205は下鴨本通りを右折して、河原町通りへ出る。アッと思ったがもうしょうがないやね、というので河原町三条で下りて、歩いて四条方面へ出る。高島屋の地下の進々堂でパンを買い、久々に「鬼灯」へ行こうと思い四条を柳馬場まで行くと、7時半前だったがもう一杯だと言われる。しょうがないのでタクシーで高木町まで行き、割烹「明青」へ。こちらへは何度かお邪魔させていただくようになったが、実を言うとあまり人に紹介したくはない(だって混むと入れなくなるから!)。大将の腕はタダ者ではなく、明るいおかみさんとの会話も楽しい。そして何より、おいしいものを食べると二人とも幸せな気分になる。歩いてサンクスでアイスなどを買って帰宅9時すぎ。疲れたがフィトンチッドとマイナスイオンを一杯吸った日であった。
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2007-10-22(Mon)

焼き鳥が食いたい!

10月22日(月)
今朝は6時半ころからご近所の出入りで起こされて朦朧としたまま、7時には起きてしまう。8時過ぎに連れも起きてきて、しばらく二人でぼーっとテレビを見る。我が家では朝起きてから寝るまでテレビがついているが、もちろん全時間見ているわけではないっすよ。連れ合いが何かついてないと寂しいというのでずっと習慣でこうなっているだけです。
10時過ぎに野菜スープ、トースト、ポテトサラダとサラダ菜、アイスコーヒーとしっかり食べる。今日はア・リーグ・チャンピオンシップ・シリーズ=ALCSを見る。3勝3敗で迎えた第7戦はこれまで背信の投球を続けてきた松坂。1勝3敗のがけっぷちで、「必ずお前までまわす」と言って鬼気迫る投球を見せたベケット、2勝3敗になってこれまた好投で繋げてくれたシリング、これらの男気を意気に感じて結果を出せるかどうか…だったが、5回まで2失点と、ピリッとはせぬものの、何とか期待を裏切らずには済んだ。3対2で6回からは岡島が2回を完璧に抑え、8回は連打されたところでパペルボン投入でビシッと抑える。その後は味方打線が爆発し、最後は11対2で圧勝でリーグ優勝を飾った。やれやれご苦労様でした。
その後は1時ころNTT西日本が来て、ADSLから光への切り替え工事。実はこのマンション自体がB−フレッツに対応済であったことが、引越後にADSLに切り替えてから判明。一回やった設定やらをまたやり直すのは面倒だったのでしばらく我慢していたが、実行速度が2〜3Mbpsというスピードに耐えかね、結局光に変更したわけ。モデムとルータの接続をやってくれ、あとはこちらのパソコン設定に若干とまどったが無事切り替え完了、20Mbps程度の速度にはなった。
その後夜はテレビのグルメ番組を見ているうちに鶏肉が食いたい、焼き鳥屋を探そうということでネットを検索。北山に「アジロ印」という地鶏を食べさせる炭火焼き居酒屋があるのを発見、行くことにする。日が落ちるとやはり肌寒い。北山駅交差点のロイホと進々堂レストランの間の路地を入って行くと店はすぐ見つかった。ちょうど店主なのか、コック服を着た男性が看板を出すところ。店は6時開店で、俺たちはちょうど6時に到着したのであった。
もうやっているというので、2階の店へ上がる。店内はやや暗めの照明で、小上りがあるほかはカウンタにがっしりした肘あてつきの椅子がある作りで、カウンタの中には炭火焼きの洋風コンロがある。串の量というか大きさがわからないのでコースはやめて、とりあえず連れは日本酒と俺は生ビールにして、串をお好みでオーダーする。ダイコンと小柱のサラダは水菜がまじりおかかがたっぷりかかった、意外としっかりした味でうまく、その他串焼きも美味。中でも丹波地鶏のもも串の塩味はもう絶妙に美味。柔らかくジューシーという月並みな表現だが、これは本当にうまかった。牛のわさび醤油の串も頼んだが、鶏の方がうまいと思ったほど。生タコのわさび醤油は俺にはちょうど良かったが連れは「ちょっと固い」というので、ほぼ俺が食う。実は俺の方がちょっと腹の調子があまりよくなく、二人で串12,3本ほどでやめて出た。美味しかったので本調子の時にまた来たい。

店を出てそのまま北山駅交差点近くのアミーゴ書店へ行く。ここはなかなか通好みの品揃えで、思わず本をたくさん買ってしまう。「京都 お守り手帖」とかバス時刻表、グレゴリ青山の「しぶちん京都」、入江敦彦の「怖いこわい京都教えます」などを買って帰宅。グレゴリ青山はヘタうま(?)の画風で描く軽妙かつ的確な旅のエッセイ漫画が見事な人だが、京都出身で京都の本も出している。最初「ナマの京都」を買ったのだが、実に面白かったので続編も買ったというわけ。



ナマの京都
グレゴリ青山
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しぶちん京都
グレゴリ青山
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京都・お守り手帖
光村推古書院編集部
光村推古書院

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怖いこわい京都、教えます
入江 敦彦
新潮社

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2007-10-20(Sat)

連れ合いが自転車に挑戦

10月20日(土)

朝は夫婦二人とも10時ころ同時に起きて、朝食には進々堂のパンをトーストして2枚ずつ食べる。進々堂は京都では有名なパンのチェーン店で、レストランも何軒か運営している。ここのパンが東京にいる時から、連れの京都出勤のたびに買ってきてもらうほどのうまさだったから、こうしていつでも食べられるというのは嬉しい。
ベランダに出るシマ
その後はいい天気だったのでベランダを開けて、猫たちも出してやる。しばらくウロウロした後、シマもユキも日向で毛づくろいをしたりして幸せそう。陽射しは暑いくらいだが、風がひんやりとしている。すがすがしくていい気持ちだ。
その後は2時前に買い物がてら連れの自転車も買って、それで散歩でも行こうということにする。京都は自転車があると非常に便利な街だが、実は連れは自転車が苦手な人である。大人になるまで乗れなかったが、子どもたちが生まれて幼稚園の送り迎えをするにあたって必死で覚えたというから、かなり心もとない。だいたい片手運転なんか信じられないというから、こちらとしても心配で、何年か前には転倒しないよう三輪車を買ったくらい。しかしその三輪車も結局ハンドルが取られるというので、引越を機に知り合いにあげてしまった。
自転車屋でいろいろ物色すると、20インチの折り畳み自転車で連れ合いにもよさげなのがあったが、店は客の対応で忙しそう。なので後にしようと出て、連れがシャンプーしたいというので美容室へ一緒に行く。俺もずいぶん伸びたのでカットしてもらおうと思っていたが、見ていると一人の客への時間が長い。良く言えば丁寧なのだろうが、とても俺の短気には合わないと思い、連れのシャンプーとブロウがたんまり時間かかって終わったところで「俺はいいから今度にする」といって出る。
自転車屋へ戻り、自転車とカゴ、ライトと鍵、防犯登録と1年の盗難保険をセットで19000円くらい、んで1時間くらいかかるというのでいったん部屋に戻る。3時半には出来上がると言ってたが、陣内や徳井ら若手5人がタイへ行ってドッキリやらバンジーやらやる番組を見て笑ってしまったので、45分くらいに下りる。

関係ないが、東京と関西では微妙に、いやかなり番組が異なる。いつも楽しみに見ていたテレ朝系「爆笑問題の検索ちゃん」はやってないし、テレ東系=テレビ大阪はノイズで視聴不可能だから、「テレビチャンピオン」「開運!なんでも鑑定団」「ガイアの夜明け」ほかが見られず、かなり辛い。
ただ日テレ系=よみうりテレビは午後のワイドショー「ミヤネ屋」が4時まで続き、何も見るものがなかった時間帯が埋まったし、何といっても朝は「なるトモ!」が見られるのがいい。関東ではほとんど見ることのない芸人が大活躍していたり、関西のサービス精神満点の内容と進行が面白い。この「なるトモ!」、一瞬関東でワンクールほど流れたことがあったが、なぜかまた消えてしまった。関東には朝からあのテイストは合わないと判断されたのか、それとも最初から「つなぎ」の放映で予定調和だったのかは不明。ってどんだけテレビ見てんだ俺たち。
ともかく関西に来ると、陣内(智則)が異常な働き者であることが解る。吉本の芸人たちは大車輪の活躍だ。いつか東京進出、というのが夢でギラギラしている風情も見受けられるが、逆に関西にどっしりと根を下ろして落ち着いている芸人の方がやっぱり見ていて面白い。メッセンジャーの黒田なんかは関西でずっとやるべきだと思うがどうだろう。

さて自転車を受け取り、サドルとハンドルの高さを調節して、裏の駐車場で連れに「試しに乗ってみな」と試乗させるが、何と20インチの小型自転車でも満足に乗れない状態で、これではとても公道には出られないと判断。何せペダルを満足に漕ぐことが出来ず、ハンドルも切れないから、ヨッタヨッタと足で蹴りながらやっと直進だけするという感じ。しょうがないので俺は一旦一人で左京郵便局へ郵便物を出しに行き、戻ってきてしばらく練習を見るが、今日は無理と判断。結局自転車は置いて、歩いて「ル・ボンディ」へパン、セブンイレブンへヨーグルトなどを買いに行って、4時過ぎに戻った。うーん自転車、二人であちこち行けたらいいのだが、身の安全の方が大事か(笑)…
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2007-10-16(Tue)

「変化なし」に安堵、「脾臓破裂」に戦慄

10月16日(火)

朝起きて居間のカーテンを開けて、南向きのベランダから外を見る。気持ちのいい青空が広がり、白い雲がぽっかりと浮かんでおり、明るい日差しが一杯に入る。こんな気持ちのいい空間に移って来られて、本当に良かったとつくづく感謝。実はうちは夜遅い分朝は遅いのだけど、周辺というかご近所はごく普通に早起きをされる一般家庭。なのでいつも朝7時とか8時には外の廊下の生活音で起こされるのだが、そんな朝のほんの一時の喧騒に文句を言っていてはバチがあたるというものだ。だいたいここへ来てから朝はそうして7時〜8時には起こされ、朦朧としつつ9時前後には起きるという体制なので、夜は必然的に12時〜遅くても1時前には寝る。別段寝不足というほどではないし、むしろ東京にいた時のように2時3時まで起きていて翌日は昼近くまで寝ている…という自堕落な生活よりはよっぽどマシなのだ。自堕落、というか朝早く起きたところで窓を開けられるわけじゃなし、気持ちのいい陽射しが当たるわけじゃなし、入ってくるのは異臭騒音煤煙とくれば、なるべく静かな夜へ夜へと生活がシフトするのは当然だったが。

この日は俺は病院、連れは大学へ出勤。俺の診察予約時間は1時半だったが、その前に採血とレントゲンがあるので12時半ころ着くように行けばいいかという算段をする。朝はコンビニの生クリーム&ジャムサンドを食べて、連れ合いは昼前に出かけて行った。俺はしばらくやりかけていた仕事を片付けてしまおうと続け、気付くと12時過ぎ。ヤバいと慌てて支度をし、自転車置き場から自転車を出してまたがると12時15分。半までに着けるかなあと思いつつ漕ぎ出し、北大路を渡って叡電の線路沿いに元田中までいっきに下がる。北大路高野の交差点から東大路を下がるのより、若干だが三角形の斜辺になるので近いはずだ。元田中からは東大路をまっすぐ近衛交差点過ぎまで下がり、京大病院の正門へ着くと12時25分。たった10分で到着した。思わず時計を見て「そんな近さだったっけ?」と自分でもビックリ。
受付フロアで再来自動受付機に診察券を通すと呼び出し用PHS受信機がゴトンと出てきて、それを持ってまずは2階の中央採血室へ向かう。受付を済ませ、バーコードと番号の印刷された紙を貰って採血室へ入る。受付で俺の前に済ませたオッサンが終わるとすぐに呼ばれ、今回は試験管2本分の血を取られた。
ここの病院は採血カウンタも多く、コンピュータシステム化も進んでおり、新来はともかく再来では何事も待ち時間がグンと短縮される印象だ。それからレントゲンがあったっけと思って場所を調べると地下だった。じゃあこっちを先にすれば良かったなと思いつつエレベータで地下へ降り、受付に用紙を出し、待合室へ行くよう指示を受ける。レントゲンもたった数分で呼ばれ、胸部正面と横、腹部はベッドに仰向けに寝かされて撮影される。これらが終わって1時55分頃。
また2階の血液・腫瘍内科の待合へ行き、椅子に座ってあとは待つだけ。座ってぼんやりしていると眠くなってきて、数回うとうと〜ハッ! を繰り返した。予約時間の1時半きっかりになると、傍らのPHS端末がブブブと振動し、同時に電子音が鳴る。見ると「診察室へお入り下さい」の文字。前回同様、I先生の診察室へ入る。
先生はレントゲンのフィルムを見て「やはり大きな変化はありませんね」という所見。また前回、今回の採血の結果も変化はないようだとのこと。WBCは画面で見ると前回が1200、今回は1500だった。これらも誤差範囲だろうか。カルテは完全電子化されており、俺に問診をしてその結果を分析したものをその場でコメントや所見として入力していかれるのだが、驚いたことに日大のU先生からの紹介状、レントゲン画像なども全てスキャンされて電子化され、カルテから呼び出していつでも参照でき、必要な画像はカルテに直接コピー&ペーストで貼り付けたり出来るのだ。へえ〜と感心しつつ見る。
首廻り、腹部を触診される。これらも変化なしという確認。思い切って「どうなんでしょうか、何年かこのまま…という感じでしょうか」と聞いて見ると、I先生は「うーん…」と首をかしげたまましばらく考え、はっきりしたことは言えない様子。「こう、じわじわーっとゆっくりした進行であることは確かなんですけどね」、「ですから(日大病院・U先生の)今の段階では治療をせずに経過を観察するという所見には賛成です」とのこと。「病気がクッ、と動くようなことがあると治療に入るという目安にはなるんですが、これだけ病気が安定といいますか落ち着いていると、ダイナミックな治療に入るタイミングが難しいんですね」という。で「しかしあまり時間が経つと、今度はダイナミックな治療が出来なくなるということもあるので…」ということ。俺が「あまり時間が経つと(骨髄)移植が出来なくなるんでしょうか、だいたい50歳を過ぎると難しくなるといいますけど」と言うと「今はそういう年齢的なことはあまり考えなくてもよくなってます」とのことであった。
とにかく俺の場合は脾臓が巨大なのがもっとも問題な症状なわけだが、「普通脾臓や肝臓というのは肋骨の下にあって、いわば守られた状態にあるわけです。ですがあなたの場合はこれだけ脾臓が(骨盤近くまで)全面に広がってますから、もし何かのショックなどで破裂した場合は『即死』ですから、じゅうぶん気をつけてください」と言われる。そ、そうだった。脾臓破裂は普通の人でも出血多量になる危険のある事態だが、俺の場合はそれは即、死を意味するのだ。チャリンコ飛ばしてる場合じゃねえ! 脾臓破裂=大量出血=即死と想像すると思わず戦慄が走った。
それはともかく、病気には変化がなくて良かった。先生は「次回は6週間後でいいでしょう」ということで、11月の末になった。お礼を言って診察室を出ると、1時50分くらいだった。1階の吹き抜けホールへ降り、会計受付の行列へ並ぶ。ここだけは再来だろうが必ず待たされるんだよなあ…と思いつつ7〜8分で順番が来たが、保険証を忘れたことに気付く。板橋区の場合は世帯主だけでなく全員にカード式の保険証が付与されるのだが、京都市は昔ながら(?)の紙製で、四六判の半分くらいの大きさのやつだ。なので連れが病院の時もあるし、常に携帯しているわけには行かず、家の引き出しに入れたままだった。カウンタでそう言うとあっさり「次回は必ずお持ちくださいね」と言われて、あとは会計待ち。
自動会計機の前の椅子に座って待っていると、10分ほどでPHS端末がまたお知らせ。会計の金額まで表示されるので便利である。今回は3840円。支払いを終えて、病院内のレストランかドトールで昼飯食おうかと考えたが、意外と混んでるのでそのまま出る。自転車にまたがって、今度はゆっくり東大路を上がる。歩道は京大の学生も多く、自転車と歩行者でけっこう危ない場面も多いから、自分の場合は転倒や接触などで脾臓に何かあったらオシマイだ。帰りは注意深くゆっくり進んだ。それでも相手の自転車はけっこうなスピードですれ違ったり、いきなり左や右から出てきたりするので、途中東大路を逸れて川端通り側の住宅地の中へ入って、ゆっくりと北上する。叡電の踏み切りにぶつかったので、線路沿いにまた東大路へ出て、そのままカナートの裏へ出る。
カナートの駐輪場へ自転車を停めて、そういや地下にフードコーナーがあったな、と思い降りてみる。ラーメン、カレー、うどん、ハンバーガーなどなど、フードコーナーは充実していて、食べるスペースも広くてテーブルと椅子もたっぷりある。昼の時間はとうに過ぎているが、それでも客はけっこういるから、お昼どきはきっと混むんだろうな。何を食おうか考えたが、そういえばジャンクフードなんかしばらく食ってないな〜と思うと無性に食べたくなり、結局マクドナルドにする。久々にダブルチーズバーガーを食うが、うまかった。これを「うまい」と感ずる自分が情けないような気もするが、しょうがない。あとはポテトとコーラもゆっくり食いつつ、そこら辺の人らをマンウオッチング。食べ終わってそのまま駐輪場から自転車に乗ってイズミヤへ買い物に行く。
病院へ行く道のりは快適に飛ばせた自転車であるが、帰りは体のこともあるのでゆっくり行ったとはいえ、どうも進み具合がおかしい。よく考えたら、洛中から洛北にかけてはゆるやか〜な勾配になっているのだった。つまり目に見えないほどの角度とはいえ、行きは下り、帰りは登りなのだ。それでどうもペダルが重いと感じた次第。でも今後は自転車で飛ばすのは注意しよう。
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2007-10-14(Sun)

ご近所を散策

10月14日(日)

今日はぐっと気温が下がり、窓を開けて風を通すとクーラーいらず。って10月の半ばにクーラーってのもおかしな話だが、マンションの6階だから下の階の生活熱があるのか、あるいは部屋の密閉度が高いのかその両方なのかは解らないけれど、この部屋はかなり暑い。外から帰ってきて部屋に入るとムシッと暑かったりする。山々は紅葉の気配ゼロ。
朝は10時過ぎにシチューとフランスパン。パンが切れたので、散歩がてら午後は近くのパン屋、「ル・ボンディ」にパンを買いに二人で出てみる。
外も涼しく、Tシャツにジャンパー1枚を重ねてちょうどいいという感じ。我が家から歩いて数分のところにある「ル・ボンディ」の名物はサクサクのコルネに、注文に応じてクリームを中に注入してくれるというサービスだ。しかしこれは名物だけあって、昼前にはほとんど売り切れてしまうそうだから、コルネは今度午前中に来た時にしよう。
パンをいくつか買って、帰りがけにこれまた名店と噂の喫茶店、「さいふぉん亭」に寄ってみる。俺はカプチーノ、連れはアイスダージリンティ、二人ともケーキをセットにしてバウムクーヘンを頼んだ。この店は遠くからわざわざコーヒーを飲みに来るほどの名店で、疎水と叡電の線路に囲まれた一角にある。店内は明るく、ひときわ目立つのが大きな焙煎機。そして焙煎したて、挽き立たての豆で店主が独特の動作で淹れてくれるコーヒーはもちろんうまかったが、ケーキもこれまた美味でビックリ。
疎水の上に橋を渡したような形で店があるので、水の流れを見ながら外のテーブルでお茶を飲むことも出来る。すぐ脇に叡電(ほとんど一両編成)が時折ガタンゴトンと迫ってきては通り過ぎたりして、迫力も満点(笑)。
帰りはおなじみ「キッチンとまと畑」へ行き、晩ご飯を買う。この店は引越直後から数え切れないくらいお世話になっている弁当&お惣菜屋さんだが、並んだ大皿の惣菜を、プラ容器に好きなだけ入れてトレイに乗せ、最後に会計をしてもらうバイキングのようなシステムと言えば解りやすいか。京ならではの「おばんざい」もあるが、サバ味噌とか麻婆豆腐なんかもあったりして、それらはだいたいが外れ無しの美味。なるべく体にいい食材を使用しているということらしいので、いわゆる「お弁当屋」の不健康そうな惣菜ではないのがいい。
連れ合いは美容室へシャンプーに行き、俺はそのまま帰宅する。その途中、路上で新居を借りた不動産屋のAさんとすれ違い、ちょっとだけ立ち話。こちらが買い物の荷物をバサバサと下げているのを見て「もう馴染まれましたね」というので「買い物も便利だし、いいところで良かったです」と話す。お好み焼き「よ志だ」がうまいので昨日も行ったというと、Aさんもたまに行くと言っていた。
それにしても環境が激変、それもいい方向に変わったのが嬉しい。猫も嬉しそうだ。
シマ、リラックスしすぎ。
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2007-10-13(Sat)

すいませ〜ん

ちょっと更新滞ってますが。
教え子とか身内とか友人とか知り合いなどたくさんの方から「大丈夫か」「生きてるのか」「どうしてるのだ」とか、メールや電話まで(笑)いただいてしまいました。ブログを開設している以上、更新せずにいるというのはある意味無責任とも言えるもので、お詫びいたします。
調子が悪いわけではなく、引越後の忙殺から多少解放されつつはあり、逆に弛緩しているという方が正しいかも知れません…。
その間も詳細に(いつものように)日記は記録しており、あとはアップをしていくだけなんですが、ここまで溜まってしまうとかなりの仕事になりますんで、ちょっとずつアップしていきますんで。

更新ない間も、一日数百人の方(ip実数で200〜500)が見ていただいているアクセス解析を見るにつけ、更新せねばと思いつつ、ついついどうした秋の空。
京都はもう夜は小寒い風が吹いてきました。
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2007-10-11(Thu)

三十三間堂

10月11日(木)

二人とも寝坊、俺は10時ころ、連れは11時ころ起きた。朝のパンの買い置きがないのでご飯はどうしようかねえと話していたが、とにかく出かけてどっかで食おう、ということにする。どっか、といってもアテもないまま12時過ぎに出た。まず義姉が先月来た時に忘れて行った上着と叡山で撮った写真などの宅急便をセブンイレブンで出して、その他の郵便物を出しに左京局へ行く。左京郵便局前のバス停で連れが「ここに来るバスでどっか行こうよ」と言うので、京都駅行きが途中知恩院とか三十三間堂とか通るよ、というと「じゃあ三十三間堂行こう」と言うので、来たバスに乗る。「ふらりと」三十三間堂だの銀閣だの知恩院だの金閣だのに出かけられるところが、京都市民となった特権か。
バスが東山七条まで行ったところで「三十三間堂ってそういやどこにあるんだ、もう七条だけど」と不安になるが、七条通りを右折してすぐが国立博物館と三十三間堂前だった。降りて東大路方面へちょっと戻ってから下がったところが入口。1時ころに一人600円を払って入る。
お堂前の庭
まず庭を見てから、さっそく千手観音増がおわします三十三間堂に靴を脱いで上がるが、入ってすぐに金色の観音立像が左右500体、中心に千手観音が配置された120mの奥行きがある迫力に圧倒された(写真撮影不可なので蓮華王院 三十三間堂をどうぞ)。
ここは正式には蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)といい、久寿2年(1155)建立(80年後に焼失・後嵯峨上皇が再建)された天台宗の寺院。このお堂にはズラリと千体の観音立像が並んでおり、それらの前には風神や雷神、毘沙門、阿修羅、帝釈天などの木像も並んでおり、それぞれの説明も見つつ、一つ一つゆっくりと拝観する。途中、浄財を寄進し線香をあげ、さらに進んで太い蝋燭に當病平癒の祈願を書き込んで奉納した。
何度か修学旅行の中学生や小学生がウザくてキレそうになったが我慢。だいたいつまらなそうにしているんだし、説明文を見ても読解する知識も教養もなく、そもそも全く信仰心など持たぬガキにこうした神社仏閣を見せる必要ってあるのか? 中には幼いながらもその偉大さ、荘厳さに打たれて感動し、その後の人生に生きる経験となる子供も居るのかも知らんが…ってたぶん絶対いないと思うが、ほとんどのガキ共はただひたすらに「こなし仕事」であり、退屈で辛気臭くかび臭い空間なだけなのであり、見に行った、見てきましたという「アリバイ」のためだけなのである。
さらに言えば、最近のクソガキどもは教師が引率するのではなく、生意気にも小グループでタクシーに分乗して周ったりしくさるので、付いているのは案内を兼ねた運転手だ。従ってクソガキが仏像を前に「何コイツ、怖え〜!」とかバタバタ走り回ろうが、大人が静かに見ている視界の前に割り込んで来ようが、全く注意できないし、マナーだの作法だの常識だのを教育するなんて金輪際不可能だ。すなわち「お客様」だからである。何人か本当にどつき倒したろかと思ったがホンの寸前で我慢。ここは御仏の御前である。

長い、長い…
裏側の展示もゆっくり見ながら入口に戻り、お守りを一つ買って、おみくじを引いた。おみくじは中吉だったので結んできた。連れ合いは曼荼羅のクリアファイルと、あと小さな金の七福神が入っているという100円のおみくじを引くが、出てきたのは福禄寿。人に福徳を「施す」神様である。連れは結局人に与える方なのだと、彼女の人生を思うにつけ妙に感心した。
2時過ぎ、出口を出たところに止まっていたタクシーに乗り、四条河原町へ出る。腹が減ったので四条大橋の西詰にある、先斗町入口の鴨川に面した料理屋に入り、2階で川と橋を見つつご飯を食べた。
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2007-10-09(Tue)

猫たちの骨を散骨

10月9日(火)
ジロー、そう太、マイケル、マル4匹のお骨がいつまでも家にあるのを二人とも気にしていた。なので近くの川に流そうと話していたのだが、おとついは俺の腹痛で挫折、昨日は雨ぽくて引き返すなどしていた。今日こそ行こうと、玄関に置いておいた骨を開けた紙袋を持ち、でかける。
高野川の亀の飛び石
歩いて高野川まで出て、高野橋の上手側から土手に下りるが、水流がどうも弱いのと、川原へは急な石垣の斜面になっており、水面まで近づけるところがない。そのまま土手を下流に向かって歩いてしばらく行くと、前に京都に住む人のブログで見たことのある、亀の飛び石のあるところへ出た。土手から川原まで階段が作ってあり、川を横断する形でコンクリートの飛び石が置いてある。たまたま一人渡っていく人がいたが、俺たちが川の真ん中へ到達する時は両岸から誰も来なかったので、紙袋の中の骨をざあっと川に空けた。

散骨した
骨は流れず、そして思った以上に大量にあり、飛び石と飛び石の間に三角州のようにわだかまってしまった。何だか川を汚してしまったようで申し訳ない気持ちになる。厳密には河川法違反かも知らんが、空き缶やビニール袋と違って骨は流れてやがて自然に還る。それにしても骨は10cmほどの川底に滞ったままで、しばらく手を合わせた後、「流れないね」と連れに話すが、「そのうち流れていくよ」というので、合掌し四匹の名を心の中で順番に呼び、ありがとう、成仏してまた会おうね、と話す。とっくにみんな成仏しているんだろうし、骨はモノであってそこに魂はいつまでもいない。こういうことは「こちら側の問題」なのだろうし、一つの区切りの儀式というべきものだろう。ともかく「こちら側」に居る者のためにこうした「儀式」はあるのだ。
連れ合いは持ってきた線香二本に火をつけ、足元の亀石に置いた。そのあたりで右岸から孫かひ孫と思しき幼児二人を連れた爺さんが飛び石づたいにこちらへ近づいてきたので、骨の場所から離れて通路をあける。何か言われるかと思ったが、子供らがキャッキャッと飛び石をあぶなかしく渡って行くのを落ちないようにサポートしつつ付いているようで、何も言われなかった。
それから反対側、右岸側へ飛び石づたいに連れの手を取って渡り、土手に上がったところにあったコンクリの椅子に腰掛けて、しばらく川を見ていた。見ているとけっこうな地元の人がここの「通路」を利用しているのが解った。若い女の子も、けっこうなお年寄りも、ホイホイとあるいはゆっくりと飛び石をつたって対岸へ渡って行く。それらを見た後、散歩でもしていくかと、右岸の土手をゆっくり出町柳方面へ歩く。
高野川岸
途中川には白鷺がいたり、水鳥がぷかぷか浮かんでいたりしてのどかな風景。気温も散歩にはちょうどいい、暑くもなく寒くもない秋ののどかな陽気。時折立ち止まって花を見たりしつつ、ゆっくり歩いて叡電の出町柳駅まで出た。河合橋の下から糺の森側へ階段を上がって地上に出た。2kmくらい歩いただろうか。都会のアスファルトの上と違い、土の上をゆっくり歩くと意外と疲れないものだ。




★ちなみに11月、同じ場所を確認したところ、骨は綺麗に流れてなくなっておりました。
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2007-10-07(Sun)

胆石発作

10月7日(日)
夕べは1時前に寝る。猫を締め出して寝ようと思ったが、二匹とも入ってしまったのでそのまま寝た。3時ころ足元のシマのせいで寝苦しく目が覚めるが、同時に胆嚢に強い痛みがあることに気付く。仰向けになっているとホンの少しだけ楽なのだが、右を向いても左を向いても痛みがおさまらず、とても我慢して寝てはいられないほど強くなっていく一方だ。たまらずにそっと起きてトイレに入るが、便は出たものの痛みは収まらない。これはまた胆嚢だ、参ったなあと思いつつ寝室に戻ってベッドの上で苦悶する。しばらくしてまたトイレに行くと、今度は少し下痢ぎみのが出る。これはとても眠れないな、ということで居間へ起きてソファに転がる。
一瞬だけウトウト、としては目が覚め…の繰り返し。そうしている間にいつの間にか4時になり、5時になり、ムカムカと気持ち悪くなって台所で吐いた。前の晩は近くのお好み焼き屋へ行ったが、食べたものが混然となってドバドバと数回に渡って大量に出た。それを水切り袋と一緒に取り出してビニール袋へ入れて始末し、これでもう大丈夫だろうとまたソファへ転がる。しかししばらくしてまた嘔吐。また台所で同じことを繰り返し、綺麗にしてからソファに戻る。しばらく様子を見て今度こそ大丈夫だろうと、ふらふらとベッドへ戻る。
連れが気配で目を覚まして「大丈夫? 救急車呼ぼうか」というが、吐いたから大丈夫と言ってそのまま寝ようとするが、もう一度便意で起き、今度は完全な下痢便を出し、ベッドに戻った。それからは何とか寝られ、連れが9時ころ起きたあともしばらく寝ている。11時ころに起きて、連れに朝食べたかと聞くとまだだというので、俺は様子を見て朝・昼を抜くから自分だけ食べな、という。連れはパンを食べ、俺はドリンクヨーグルトだけにした。幸い寝たあとは痛みはすっかり消え、胃も空っぽなので空腹感さえあったが、そこは用心して抜いたわけ。胆石発作はとにかく胃をカラにして痛みをやり過ごすしかない。その後ソファでテレビ見てごろごろして、3時過ぎにあまりの空腹に耐えかねてメロンパンを1個だけ食べ、大丈夫だったので夕飯は6時ころご飯炊いてもらう。錦市場で買った生麩をフライパンで焼いて田楽味噌つけたのと、関アジの干物を焼いたのにおろし醤油、あとは納豆で食べた。やれやれ、である。
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2007-10-03(Wed)

猫たちの骨

10月8日(月)
夕べはベッドの脇に段ボール箱を1個追加したら、猫たちはちゃんと一匹ずつその上で寝てくれたので良かった。途中何度か布団の上にシマが来たものの、比較的ぐっすり寝られた。そのせいか寝すぎてしまい、起きたのは11時すぎ。夕べ9時半に炊き上がるようにお釜をセットしておいたので、ご飯と錦で買ったしょうが入り(練り物)をちょっと焼いたのと佃煮などで食べる。朝というより昼飯なのかよくわからん時間。その後Amazonから俺が注文しておいた「サムライとヤクザ」「誰も書かなかった部落」「大阪同和帝国の正体」が届き、文庫から読みはじめた。
しばらくすると連れが突然、死んだ猫たちの骨を川へ散骨に行こうと言い出す。我が家の歴代の猫たち、ジロー、そう太、マイケル、マルの骨壷は今も我々の手元にある。実は猫たちはその都度近所の動物霊園で火葬してもらい、供養してもらっていたのだが、永代供養代は法外に高く、またロッカー型の「墓地」の年間利用料もけっこう高いので、骨を家に持ち帰ってしばらく経つ。
骨は、モノだ。そこに魂はとどまっていない。「人間死ねば終わりだ」という単なる唯物的な意味ではなく、魂があったとして、霊がいると仮定したとして、いつまでも骨にくっついているだろうか。あるいは暗い墓穴の中にとどまっているだろうか。魂や霊があるとすれば、それは我々の過ごしている「次元」の常識が通用しない世界だろう。だとすれば何も狭い骨壷や墓の中にとどまっている理由はない。俺がもし死んで霊になったら、「千の風」ではないが、あちこちを飛び回ると思う。
ともかく、だからといっても、骨は物理的に生きていた時にその人なり猫なりを形成していた物質に他ならない。間違いなく、焼かれた後とはいえ、それらの骨は、俺たちが愛した猫たちのものだ。だから「そこに魂はない」からといって、ゴミと一緒に捨てられるものでも、ない。なので、いずれは海や山、あるいは川へ散骨しよう。猫たちは皆もう成仏しているはず。俺たちがいつまでもモノに執着していてもいけないだろう、そう思っていた。
猫たちの骨
京都という地は散骨にはふさわしい場所のように思えた。
縁あって、この地に暮らすことになった、そしてここは神社仏閣が集まる、信仰の地でもある。二人で猫たちの骨壷を開けて、紙袋に皆の骨をざあっと空けていく。その紙袋を持ち、俺は自転車でいったん出るが、空模様が怪しいので傘を取りに引き返すことに。で、傘がいるくらいの天気ってことは、こんな日に骨を流すのもどうかということになり、骨はいったん別の日にすることにし、買い物にだけ行くことにする。猫たちが寂しがって空を曇らせたのかね、と話す。実際骨を家に置いてマンションの外に戻ると、日が射してきたのでビックリ。まだ行きたくないのだろうか、しかしとうに猫たちは天国へ行っているはずだから、気のせいだよと話す。
夜も読書、合間にテレビ。文庫「誰も書かなかった部落」は10年ほど前の京都を中心とした同和団体と行政つまり部落解放同盟と京都市の歪んだ癒着ぶりと、それによる差別の温存・拡大の構図があますところなくレポートされていて、面白い。いっきに読了。
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2007-10-02(Tue)

赤山禅院で方位よけ

10月2日(火)

赤山禅院引越してまず方位よけをしといた方がいいよ、と先日義母に言われていたので、修学院離宮の北にある赤山禅院へ行くことにする。
赤山禅院(せきざんぜんいん)というのは888年(仁和4)、天台座主安慧が創建したと言われる古寺。本尊には陰陽道の祖といわれる泰山府君(赤山明神)をおまつりしており、京都の表鬼門(丑寅の方角)にあり、王城鎮守、方除けの神として信仰が厚いという。
我が家からはタクシーで800円ちょいの距離で、白川通りを修学院の先から山の方へ少し入っていったところにある。住宅街を抜けるとすぐに参道になり、奥まで入るともう木々に囲まれた静かな山寺という風情だ。京都はこういうところがいいよなあ、と思う。あちこちに普通に神社仏閣があり、それらは当り前だがいわれがあり古く、信仰を集め、そして守られている。タクシーの運ちゃんによると、叡山で修行をする人=修験者もここを通る際に必ず挨拶をしていくという。有名な千日回峰(峯)行の修行中、行者は山々を駆け巡り過酷な行を続け、満行すると高僧の称号である大阿闍梨の尊称が与えられるが、この行を終えた行者は延暦寺の記録ではたった47人しかいないそうだ。
境内に入ると観光客はおらず、檀家とおぼしき老人が2,3人いただけだった。すぐに方位よけの護符、清めの塩、あと方位よけと俺の病気平癒の護摩木を2本お願いして、お布施を支払う。護符と塩をいただいて護摩木にそれぞれ書き込んでお供えし、本堂へ向かうとちょうど住職がお勤めの最中だった。檀家の老人が2人、椅子に座って読経を聞いている。俺たちもベンチに座ってお経の間じっと聞いていた。後ろでは女の人の声で住職の読経に合わせてお経を詠む声が聞こえ、後で振り返ると先ほど社務所で方位よけについて説明してくれた人で、たぶん住職の奥さんであろう初老の女性だった。
瓦彫の神猿
お勤めを終えた住職に一礼して、それから奥のお堂などにもお参りする。季節はもう秋のはずだが、山は緑が気持ちよいまだまだ夏の風情。拝殿を見上げると、屋根の上に瓦彫の神猿が京都御所を見守っているのが見える。それから境内を出て参道を歩いて出て、住宅街へ出るが、陽が当たると暑い。なのでしばらく歩いて日陰に入って待ってると空車が来たので乗り込む。
カナート洛北まで行ってもらい、連れの歩きやすい靴をABCマートで買い、外のパン屋で明日の朝パンを買ってイズミヤへ。4階で押入れ整理ボックスを6つ寝室用、プラの整理ダンス2つを仕事部屋の押入れ用に届けてもらうよう頼み、リビング用の電波時計を買い、食品売り場で食品類を買って帰宅2時ちょい。
さっそく家の鬼門の壁に、言われた通りお札を貼り、盛り塩をした。

方位除けのお守り
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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