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2007-11-23(Fri)

突然の次女一家来訪サプライズ!

11月23日(金)

朝は10時過ぎに起きる。今日は曇りだったがその後はいい天気になると予報では言っていた。気温も冬らしくなった昨日までよりはぐっと高い。今日は連れ合いのお母さんとお姉さんが東京から来る日だったので、しばらくしてから部屋の掃除にかかる。ソファカバーをはがしてベランダにかけて毛やほこりをはらい、床に掃除機をかけてクイックルワイパーで拭き掃除。疲れたがまあ今のところこまめに綺麗にするよう心がけていたせいで、以前の家に比べたら綺麗だし掃除も楽なものだ。
その後連れがコンビニへおにぎりを買いに行き、昼食はおにぎり2個と茶のみで済ます。その後疲れたので二人とも脱力してちょっとうとうとしてしまう。すると1時過ぎに「京都駅に着いた」とお姉さんから連絡。お菓子買ってから行くというので1時間ほどさらに待つと、下のドアフォンに着いたと連絡。上がってきたと思ったら、何とその二人に続いて連れの次女Yちゃんの顔が。続いて孫娘のM、Sがひょこっと顔を出したのでビックリ。Yちゃんの旦那も久しぶりに来訪。聞くとこのサプライズはお義母さんの仕掛けだったそうで、Yちゃんに「あんたのお母さんをビックリさせようよ」と持ちかけたそうである。
連れ合いはお気に入りのMを抱きしめて、ちょっと泣きそうになったと喜んでいた。前はYちゃん一家は車で小1時間ほどのところに住んでいたので、何かと気を使って買い物の手助けに車を出してくれたり、単純に孫を連れて遊びに来たりと、しょっちゅう顔を合わせていたのだが、こちらが京都へ越すにあたり、連れ合いは実は一番Mたちに会えなくなるのが寂しかったようだ。
そんなこんなで久々の再開の感動も束の間、ダーッと居間に人がなだれ込む。我々夫婦を入れて8人である。初めてのYちゃん夫婦にベランダから景色を見せたり、二階に上げて松ヶ崎方面の「妙法」を見せたり。Yちゃんは俺たちの住環境が余りにひどかったので、今度のところはどうかと心配してくれていた様子だったのだが、今回の新居を見て「いいところだねえ」と羨ましそうに言っていた。
それからしばらく部屋でくつろいで、義母と義姉は3時半ころ「ホテルにチェックインしてからちょっと休む」というのでいったん先に出て行き、俺たちはその後4時過ぎに散歩がてら近くのショッピングセンター「カナート洛北」まで歩いて行くことにする。
カナート内の書店でMらの絵本をゆっくり物色する間、俺も光村推古書院『京都・観光文化時代MAP』を見て思わず買ってしまう。あとは「新しい階級社会 新しい階級闘争」「下流志向」などを買った。何俺はこんな時にカタい本買ってんだ、と思った。
その後M・S姉妹に手袋を連れが買ってやったりした後、高野川へ降りてみる。もう薄暗くなりつつある中、前に猫たちの骨を流した亀石のところへ行ったりして、川っぺりを歩いて高野橋まで出て、上がる。高野川左岸、川端通りは物凄い渋滞だ。観光客が紅葉目当てに全国から押し寄せているという。お腹が空いた、ということでお義母さんたちが休む宝が池のホテルまでタクシーで行こうと思うが、何せ川端は物凄い渋滞。北大路沿いに高野方面へ戻ろうとすると、何とか途中で空車が拾えたので、全員乗ってホテルへ向かった。
待ちきれずに絵本を読むM。5時半過ぎに部屋でいったん皆で写真撮ったり話したりしたあと、6時過ぎに下へ降りてホテルの中華料理店へ向かう。お義母さんが個室を予約しておいてくれたので、皆で大人はコース、子どもは焼きそばをたのみ、ワイワイガヤガヤと久しぶりに賑やかな夕食というか宴会となった。俺とYちゃんの旦那は二人ともビール好きなので、二人で生を何10杯(といっても一杯300mlだが)飲んだか覚えていないほど。
9時ころまで飲んで食べて笑って、いったん部屋まで戻った後、俺と連れだけタクシーで自宅へ帰ってきた。俺の腹の調子は何故か奇跡的にこの日は膨満というか圧迫感が全く無かったのが不思議である。きっとご先祖様が「今日はゆっくり楽しみなさい」と言ってくれているのだろう。


京都・観光文化時代MAP (Time Trip Map-現代地図と歴史地図を重ねた新発想の地図-)
新創社
光村推古書院

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新しい階級社会 新しい階級闘争 [格差]ですまされない現実
橋本 健二
光文社

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下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち
内田 樹
講談社

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2007-11-16(Fri)

『週刊イガワくん』今シーズン終了

カネシゲサトシ画伯がスポーツナビのMLBコーナーに連載している、『週刊イガワくん』が今シーズンの登板を終えた。いやこの『イガワくん』、実に面白くて、毎週月曜の更新を心待ちにしていたのだが、33話で今シーズンの連載は終了。イガワくんの今ひとつなまあアレな状態ゆえに来シーズンの掲載がどうなるのか不安だったが、カネシゲさんのブログ「虎式カネシゲタカシ」の「虎式カネシゲタカシ 【週刊イガワくん】激闘のシーズンを振り返って」という記事の中で、「再開は来シーズン開始前からになる予定です。」とあったので安心した。
『イガワくん』は2コマ漫画で、こういうWEB掲載のものだと2コマ同時に表示されてしまうとすぐにオチがバレてしまうのだが、そこはクリックで2コマ目がロードされるという方式で解決。クリックしたらポロン、と現れる2コマ目に脱力させられたり笑い転げさせられたり。登場人物は全部実在するのでその似顔絵とか、なかなかに味のある似方をしているキャラクタ(松井とかトーリ前監督とか)もいいのだが、全然資料がなかったらしくて想像で描いてるのとか、そこら辺の脱力加減も最高。ちなみに一番好きだったのは第8話第20話(続けてみてね)、絵的には第26回。理由は2コマ目に出てくる選手の「顔」です(笑)。
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2007-11-14(Wed)

八大神社〜詩仙堂〜圓通寺

11月14日(水)


























昼は近所のイタリア料理店「アンティコ」へランチに行く。俺はナスのトマトソースパスタ、連れはマルゲリータにする。食後にバニラアイスのエスプレッソがけを堪能。テーブルまでウエイタさんが来てアツアツのエスプレッソをバニラアイスの上にかけてくれるのが絶品。その後連れが以前に行ったがまた行きたいというので、タクシーで詩仙堂へ行く。連れは前に来たことがあるというのに入口が解らず、隣の宮本武蔵ゆかりの八大神社へ入り、まずお参り。

八大神社こちらは1294年創建・「素盞嗚命」「稲田姫命」「八王子命」が御祭神という由緒ある神社である。本殿へ向かう小道の木々がうっそうとしていて気持ちがいい。木々の足元には緑のビロードのような苔が見事にびっしりと生えている。
境内の手前にはあの有名な「一乗寺下り松の決闘」…宮本武蔵が21歳当時、吉岡一門七十余人と行ったとされる…の映画のスチール写真が飾られていたりして、八大さんも大変だなあ、と思いつつ見る。ちなみに武蔵役は萬屋錦之助で、この映画は日本映画専門チャンネルでかつて見たことがあるのだけど、物凄く迫力のある壮絶な決闘…というか決戦シーンだった。ところで武蔵は決闘前にこの神社で勝利を祈念しようとして他力にすがるのは侍の道ではないと思いとどまり、そのまま決戦へと向かったということだそうだ。ちなみに境内にはその決闘を見守ったとされる初代「下り松」の古株が祭られている。その脇には武蔵のブロンズ像もあり、数組観光客がいて写真を撮ったりしていた。

ビロード苔

武蔵像と下り松

詩仙堂の庭八大さんを出るとすぐ下に詩仙堂への入口が簡単に見つかる。なぜなら、観光客がひっきりなしに出入りしていたからである。拝観料は二人で1000円。こちらは中国の詩家36人の肖像を掲げた「詩仙の間」から見る庭の景観が有名な「隠居山荘」である。もちろん庭はたいそう綺麗だったのだが、紅葉はまだまだ…という感じだった。そのせいか比較的観光客も多くはなく、広間に座って庭をゆっくり見たあと、実際にその庭を歩いたりする。「詩仙の間」から座って眺める景色から、その下を歩く人びとは一切見えないように配慮されている。ここにある「鹿威し」は竹が太く大きなもので、ジョボジョボと水が溜まるとグラリと傾いて「コーン!」と非常にいい音をたてる。ここの鹿威し=添水(そうず)が日本初のものである…という人がいるが、この庭はそういうものを実用として配置したとは思えず(実用の意味もあったろうが)、まるっきり実用として存在していたものを取り入れた、のではないだろうか。そんなことを思いつつ写真を撮りながら庭を堪能した。

紅葉はまだまだ



円通寺その後「曼殊院まで15分」という表示があったので、行ってみようと連れが言うので歩き出す。その途中圓光寺というお寺があり、門の外から見ていると、カメラをぶら下げたおっさんが出てきて「綺麗でしたよ〜」と言うので入ることにする。慶長6年(1601)、家康による建立。拝観料二人で800円。思いのほか整った綺麗なお寺で、山門をくぐると水琴窟があった。観光客か、一人の若者がじっと見下ろして耳を澄ませていた。庭をしばらく楽しんだあと、裏の墓地の上の山まで登って高台からの景色も楽しんだ。家康の墓というのもあったが、分骨されているのか、あるいはモニュメントとして、だろうか。このお寺も紅葉の名所として有名だそうで、ライトアップの設備もあったのだけど、紅葉にはまだまだであった。

水琴窟

それから改めて曼殊院へ向かうが、行けども行けども看板が見えるだけで一向に到着しない。かなり歩いてくたびれ果てたところで見た標識はあと「380m」。しかも坂道。途中まで歩き出すが、病人の俺にはまるで拷問のような苦行で、膝の関節にコブのような腫脹があるのが痛みだす。明日腫れて痛み出すのが怖いので、近くだからすぐ来れるよ、また来よう…ということにして、ちょうど下りてきたタクシーで下りてもらった。
京都の紅葉、今年はかなり遅いということであった。
これは偶然
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2007-11-13(Tue)

松栄堂、うまい蕎麦、本能寺…

11月13日(火)
連れ合いに本を送ってくれたKちゃん(次女Yちゃんの親友)に何かお返しを送ろうというので、買い物に出る。自分も愛用している黒檀のお香入れを買いに松栄堂へ行きたいということになり、高野橋東詰からバスで北大路駅へ。そこから地下鉄で丸太町へ出て、松栄堂へ。松栄堂はもちろん、お香は香道の道具などで有名な創業300年の老舗。京都では100年程度では「老舗」とは言わないみたいだがこちらはほんまもんの老舗だろう。
ゆっくりと店内のお香や道具を物色した後、連れがKちゃんへのお香セットとお香入れなどを買って、店を出る。烏丸通を歩いて東に折れて、久々に洛中の街並みを歩く。途中、押小路麩屋町のあたりにある町屋を改造した感じの蕎麦店「宇一朗」という店があったので、入って見る。ランチ900円というのを頼むが、小盛りの蕎麦に揚げ出し豆腐、かやくごはんに昆布の佃煮、あと京野菜の煮物がちょっとついて900円とは激安である。しかもどれもすこぶる美味! 連れ合いは「京都へ来てはじめて美味い蕎麦を食べた」と言っていたが、確かに。つゆも、揚げ出しの出汁まで美味い。つけ汁をあまりのうまさにそのまま飲んでしまったのだが、店員さんが気をきかせて蕎麦湯と一緒に新しいつゆを持ってきてくれたので、それを貰って改めて蕎麦湯で薄めて、今度はじっくりいただく。いやあ実にいい店に出会ったと喜びつつ出た。京都はこういうホンモノの店が普通にある奥深いところだと実感。
散歩がてらてくてく歩いて市役所の裏から寺町の商店街へ抜け、本能寺の脇を通りかかる。宝物展が「展示中」というので、本堂にお参りした後、500円ずつ払って展示を見に入る。中学生がチラホラいたが通りいっぺんに見学するとすぐにいなくなり、後はゆっくりと見た。
その後で寺町商店街を散歩し、鳩居堂で便箋や封筒を買い、古本屋を見て、連れが変な仏教のマンガを買ったりしつつ河原町通りへ出る。すると連れが「目眩がする」という。クラッとすることはちょくちょくあるが、今回は5分くらいおさまらなかった、でももう治りかけているというが、俺は怖いから帰ろうと、すぐタクシーを拾い、高野の交差点で俺だけ降りてトマト畑で夕飯、セブンイレブンでヨーグルトなどを買って戻る。
連れはよく考えたら「朝の血圧の薬(降圧剤)を飲み忘れたかも」といい、ひょっとしたら高血圧で目眩がしたのかも知れないという。血圧計を出して測ると、上が160弱。薬で下がったのかよくわからないが、怖い。改めて我々夫婦は二人とも健康体ではないことを思い知らされた。
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2007-11-06(Tue)

「広東麺」はいずこに?

11月6日(火)
前の晩猫が入ってきたのでそのまま寝たら、シマが俺の横にいたりで動けず、けっこう眠りが浅かった。朝は何も食べずヨーグルトのみ。連れは出勤なので、12時ちょいに自転車で白川通りの「餃子の王将」へ行ってみた。カウンタで餃子とひさびさの広東麺をオーダーする。

東京ではもちろん日本じゅうの、いや世界中のといってもいいほど色々な種類のラーメンが食べられるので、うちの近所でもその時に応じてちぢれ卵麺の醤油味、とんこつ醤油のこってり極太麺、甘い五目あんの乗った広東麺…とそれぞれ食べに行く店を決めていた。
しかし。京都に来て困ったことの一つにこの「ラーメン」がある。
うちの近所は一乗寺といって京都市内でも有数のラーメン激戦地と言われている。なるほど高野の交差点から北へ東大路を上がっていくと北山通りまでに何軒ものラーメン店があって、中にはいつも行列の出来ている店もあったりする。だが、それらは全てストレート麺(細麺)で、だいたいが背油こってりとんこつ醤油系だ。その中でもちろん味にバリエーションや個性はあるものの、基本線は同じ。この他の地区へ行ってもラーメンはだいたいが博多ラーメン系の細麺である。トンコツ系でも白湯の博多ラーメンにはあのストレート細麺が合うのは認めるが、とんこつ醤油系、こってり味には向かない。誰が何といおうと、ダメである。あのミスマッチがなぜ京都ではスタンダードになっているのか、始めた奴を問い詰めたいものだが、何せストレート麺ではスープが絡まない。麺自体の味もちぢれ卵麺系に比べると薄い(=博多系にはこれが合う、従って替え玉などがスタンダードとなっているわけ)。
ま、そんなこと言っても郷に入れば郷に従え、それにラーメンの味や麺なんかは個人の好みだ。ちなみに「ラーメン通」「ラーメン博士」とか言う連中のグルメガイド、おすすめの店なんてものは絶対に信用できない。なぜかというとそりゃ自明、個人の好みだから、である。
ああそれにしても蓮根「龍園」の、あの何てこたぁないどこ〜にでもある、スタンダードな広東麺が食いたい。ああ食いたい。そう思うと矢も盾も溜まらぬが、ここは京都である。鍋焼きうどんさえ、透き通ったダシ汁で煮込む地である(あれはあれで美味いんだけど)。あの関東風広東麺(てややこしい)はここでは食えぬのか…と思ったら、「餃子の王将」を思い出したわけ。
「王将」はグレゴリ青山女史(こちらで本を紹介してます)が「京都人のソウルフード」と言うくらい、京都には多い。もちろん東京にもたくさんあったのだが、安いのはいいがいつも混んでおり、あんまり入った記憶がない。しかし確か、広東麺があったはず、いや食った覚えがある。「王将」はチェーン店なんだから、きっとあの広東麺もあるに違いない。そう思って自転車で白川通りの「王将」へ走ったのであった。

…さて、カウンタで久々の「王将」の焼きたて餃子をおいしくつまみながら待つこと7分ほど。「お待たせしましたぁ」と目の前にやってきた待望の「広東麺」は、東京で食べていたのと全然違っていた。
東京のは甘じょっぱいあんかけ状のタレ…具は白菜や豚肉(あるいは牛肉)やもやしにんじん、キクラゲや、たまにレバやイカ、というのが定番だが、目の前に来たのは一応同じようなあんかけぽいのがかかっているが、野菜は白菜ではなくキャベツで、他にはもやしなどの野菜と、なぜかひき肉。Why ひき肉? そしてそのタレもいわゆる広東麺の「あの味」ではなかったので、思いきしガックシ落ち込んだのであった。
特にひき肉に全然納得がいかないまま「京都風(?)広東麺」を食い終わって「王将」を後にしたわけだが、この分だと、中太ちぢれ卵麺あっさり醤油味…という東京ではその辺のラーメン屋でいくらでも食えた「東京ラーメン」を食うのも至難の業かも知れない。
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2007-11-04(Sun)

千本釈迦堂・北野天満宮

11月4日(日)






















連れ合いが先日、「クロワッサン premium」(マガジンハウス)の京都特集号の取材で、好きな仏像の紹介を依頼された。実は奈良の秋篠寺のご本尊(薬師如来)が一番好きだというが、「京都特集」なのでNG。では、というので千本釈迦堂(大報恩寺)観音様にしようか、ということで取材前に行くことにした。千本釈迦堂というのは通称で、千本はお寺のある千本通り(昔の朱雀大路にあたる)から、釈迦堂は文字通り本尊である釈迦如来像にちなんでそう呼ばれている。
この大報恩寺は鎌倉中期にあたる貞応二年(1223)〜安貞元年(1227年)に義空によって創建された古刹だ(ちなみに義空は藤原秀衡の孫)。そしてこのお寺は応仁の乱(1467年・応仁元年〜1477年・文明9年、ほれ、京都人が「前の戦争」というアレです)の戦火でも焼けなかったといい、本堂自体が国宝に指定されている。そして宝物殿のような建物が敷地内に建造されていて、そこには貴重なお寺の宝物が小さな体育館くらいのスペースにダーン! と惜しげもなく展示されているのだ。その中でも何といっても、定慶作と言われる仏教の六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道)の観音様の像が全て揃っているのは大変珍しいと言われている。
西側の入口はちょっと雑然。
さて天気はうす曇、時折青空も見える穏やかな陽気のなか、2時前に家を出た。自宅からタクシーで1500円くらいの距離に千本釈迦堂があるって凄いなあ、と変な感心をしつつ、千本通から一本入ったところの本堂横につけてもらった。
拝観料2人分1000円を支払い、まず宝物殿へ順路通りに向かうことにする。まだ紅葉の観光シーズン前のせいか境内に観光客はほとんどおらず、宝物殿の中の先客はタクシーの運ちゃんに説明されている大人が2、3人と、一人で来たらしい20代前半くらいと思しき若い女の子が一人だけだった。広い広間はシーンとしており、ぐるり周囲には貴重な仏像や文化財が陳列されている。六道の観音像、聖観音、十一面観音、千手観音、如意輪観音、馬頭観音、准胝観音が揃っているのを間近で拝見するというのは、まあ何と厳かな気持ちになることだろう。思わず近くから一体一体、あるいは引いて六体と、じっくり見させていただく。
宝物殿
しかし連れ合いが推薦するのは、こちらの仏様ではない。ここには実は六道の中のとは別にもう一体、木像千手観音立像がある。こちらは菅原道真公が自刻したという言い伝えのあるもので、そのお顔は微笑みを湛えたお優しいものだ。連れ合いはこのお顔を見ると「よく来たね」と言われ微笑まれているようで好きだという。
実はこちらのお寺には、本堂にあるご本尊の行快(快慶の弟子)の作と言われる釈迦如来坐像があるのだが、俺としてはこちらのお顔がたいそういいお顔をされていると思い好きなのだが、年に数回行事のある時しか開帳されず、普段は厨子の中に鎮座しておられる。今回も見ることが出来なかったのが残念。ていうか俺の好きな仏像は頼まれてもいないのでどうでもいいことであるが。
さて次は宝物殿を出て本堂脇で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて本堂へ入る。先に述べたように「本堂そのものが国宝」というお寺だが、なるほどお堂の中の太い柱には応仁の乱の際についたといわれる刀傷や槍の痕が残っていて、戦いの痕も生々しい。ご本尊の収まっている厨子はしっかり閉ざされてたので、合掌だけして右手のおかめ像の方へ廻る。おかめさんにも手を合わせて本堂を出て、また靴に履き替えて、庭をゆっくり見ることにする。
お亀さんの像ここのおかめさんは、もちろん全国に広がっているあの有名なオカメ顔の大元になった本人のこと。
このおかめの逸話というのは、大報恩寺の本堂造営を命ぜられた大工の棟梁・高次が、なんと柱の寸法を誤って短く切ってしまった。この大柱の代替はもちろんない。これを見た高次の妻・おかめが一生懸命夫の不始末を何とか解決したいと祈った結果、「枡組を用いよ」と啓示を受ける。これを夫に助言、高次は無事に全ての柱の寸法を整え枡組をし、完成させることができたという。おかめは上棟式を待たずに自害したのだが、これは神にそう約束した(命に換えて解決を祈念した)からとも、「女の提案で大任を果たしたことが知れては夫の恥」であるから、とも諸説ある。
とにかくおかめさんはあのふくよかで優しい微笑みとは対照的な、悲劇の人であった。
ぼけ封じ観音境内には他に「ぼけ封じ観音」というのがあったので手を合わせ、俺と連れの母親用に2つ、六つの瓢箪のついた根付を買う。六(むっつ)の瓢箪でむひょうたん=むひょう=無病…という…わけです(笑)。おかめ塚や、境内にある有名なしだれ桜・「お亀桜」も見て、帰りは正門から出る。
北野天満宮それから、そういえばここから近かったな…と思い右手に折れて、北野天満宮方面へ歩くことにする。北野天満宮も日曜ながらさほど賑わってる感じでもなく、観光客はパラパラという感じで、地元の人が多い印象だった。なるほど七五三のお祝いに晴れ着を着た子ども連れがチラホラ見受けられる。あとはこれまた修学旅行の中学生がぞろぞろ。
本殿でお賽銭をあげて鐘を二人でじゃらんじゃらんと鳴らし、健康をお祈りした。ここは道真公をまつった神社だから、どちらかというと学業成就の祈願に来るところなのだが。本殿のある敷地内から出るとすぐ南へ向かう長い参道があり、そこに一つだけたこ焼きの屋台が出ていた。小腹が空いてたので思わずたこ焼きを12個も買ってしまい、連れ合いに買いすぎだと呆れられる。最初の数個はうまいと思ったが、4つほど食べるともういいかな、という感じ。それにこれで腹一杯になってしまうのも何となく切ないので、3つくらい残してしまった。食べ物を残すということが今だに出来ない食い意地っぱりの自分だが、最近は健康のことも考えて無理はしないことにしている。
参道の牛さんの像。これは小さくて可愛いかった。そのまま参道をそぞろ歩いて、左右あちこちに並ぶ臥牛(伏せた牛)の像を見つつ今出川の方へ向かう。これらの牛の像は、菅原道真公が亡くなったのが丑の年の丑の日の丑の刻というところから奉納されているそうで、学業成就の祈願や子どもの健康などを願うよだれかけや服が着せてあったりして、可愛い。そんなこんなで今出川通りの鳥居まで出るとタクシーが数台客待ちをしていたので、結局四条麩屋町のあたりへ行ってもらい、散歩がてら買い物などして帰宅。

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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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