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2007-12-31(Mon)

大晦日

12月31日(月)
お刺身と「明青」さんからいただいた折り詰め大晦日。朝は10時過ぎに起きると、すぐにドアフォンが鳴り、出ると酒屋さん。高木町の「明青」さんの紹介で頼んでおいた、京都の佐々木酒造の純米酒「聚楽菊」と俺のビール。連れ合いも俺も、病気の後は家では呑まないことに決めて、ずっとそうしてきたが、年末年始だけは別。なのでその分の配達を頼んでおいたわけ。
その後3時過ぎ、「明青」さんのおかみさんがお正月のおつまみに、と折り詰めを持って挨拶に来てくれる。上がっていただこうとするが、車を待たせており、まだお客さん廻りがあるというのでお礼を言って在り難く頂戴する。それにしても嬉しい気配りというか、心づくしであります…と開けてみると、お稲荷や焼き鮭や煮物などの詰め合わせで、晩酌に合いそうで嬉しい。
正月の料理を一通り買ったものの、栗きんとんだけが見つからなかった。錦市場でも瓶詰めや袋入りの栗は売っていたが、連れ合いは甘い餡の絡まった栗きんとんが好物である。こちらにはそういうのはないのかも知れないと、埼玉に住む次女のYちゃんにこっちへ送ってくれるよう頼んでおいた。んで大晦日になっても届かないので連れがメールしてみると、風邪をひいて熱を出し、買い物に行けなかったという。それは大変だ、買い物どころではないから安静にして、熱が引かないようなら病院へ行けと伝える。
連れはきんとんの餡がなくてもいいからと、栗を買いに行くとイズミヤへ出かけた。その間に俺は買っておいたまぐろのサクを切りローストビーフなどを用意し、「明青」さんの折り詰めとで5時前から連れと一杯やりつつテレビを見る。
これまではブラウン管テレビの東芝ワイドBAZOOKAで裏番組と「紅白歌合戦」を2画面分割で見て、面白い場面になったら切り替え、聞きたい歌手が出たら切り替え、という塩梅で見ていたのだが、今年は小さな15インチの液晶テレビだ。当然1画面しかない。大晦日のダラダラした雰囲気には久々に「紅白」かね、と何年ぶりかで最初から通しで見る。やはりコブクロのバツグンの歌唱力が心地よかったかな。(絢香が加わったハーモニーも悪くないが、絢香の歌は力みすぎで見ていて心地よいものではない。若い人向けにはいいのかも知らんが)
連れは除夜の鐘をどこかの寺へ聞きに行きたいそぶりだったが、二人とも酒が入ってるしここ数日ぐっと寒くなっているから、風邪でもひいたら大変なので、初詣は3が日のいずれかに行くことにする。「紅白」が終わってから北大路側のベランダへ出て見るが、走行する車の音などで鐘の音は聞こえない。すぐ近くにお寺があるのだが、なぜかそこからは鐘の音が聞こえない。ひょっとしたら鐘楼の無いお寺なんだろうか、と思うくらい静かである。じゃあ裏側かと二人とも2階の北向きのベランダへ出て見ると、こちらは騒音が少ないせいか、そこここからかすかに「コーン」「カーン」と鐘の音が聞こえてくる。寒かったが、見上げると北斗七星やオリオン座、その他の星も東京よりはるかに多く見られて、綺麗だねえと言っているうちに年が明けた。ベランダで「今年もよろしく」と言い合い、降りてテレビを見る。その後はたいした番組もないので、HDDに録画しておいた「たけしの超常現象ファイル」総集編を見て笑ってるうちに眠くなり、2時前に就寝。

来年もこのまま生きていられますように。
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2007-12-23(Sun)

M−1グランプリ2007 サンドウィッチマンが優勝

見事なサンドウィッチマンの敗者復活からの1000万奪取だった。彼らの漫才やコントは過去のM-1予選、日テレ系「エンタの神様」テレ朝系「虎の門」などで何度も見ており、なぜこれまで決勝の場に残ったことがなかったのかが不思議だと常々思っていた。彼らの所属事務所は吉本や松竹などの大手とは違うので、そういう部分で当然TVなどのメディアへの露出も高かったとは言えなかった。
だがもちろん、それと実力、底力は別だ。
そこを、ちゃんとM-1が評価してくれたのが嬉しかったし、苦労がちゃんと報われたことを素直に祝福してあげたい。(ちなみに彼らは決勝ラウンド出場者の中で最年長=年齢では笑い飯と同じ、である)
伊達のヤンキーツッコミと富澤のボケの息の合い方は、コンビが経済的事情からしょうがなくだろうがいまだ一緒に暮らしているだけあって見事なものだ。単に乱暴なツッコミというだけじゃなく(もちろん「口調」が乱暴なだけで芸風)、時折入るツッコミへの自虐的な反省とか、計算なのかアドリブなのか不明なほど計算されているし、とにかくその実力はベテランの域に達していると錯覚させるほどだ。
決勝8組までの顔ぶれはちょっと本命がいるのかいないのか不明な感じで、今年は決勝戦の始まる段階から波乱含みの予感はあった。しかし9組目が決まった後、「なぜサンドウィッチマンが入ってないんだ」という疑問はあったし、それは番組前の夕方に決勝までのドキュメント(というより本番までの引っ張り)を見た後もずっと連れ合いにも言っていた。それが敗者復活で決勝メンバーにすべり込んだことで俄然「決勝はわからんぞ」ということになったわけ。
サンドウィッチマンは元々実力派だっただけあって、決勝1ラウンドを勝ち抜けた際「ネタを用意していない」と言いつつも、最終ラウンドでも高いレベルの持ちネタをちゃんと「持っていた」ことを証明した。何より力が抜けていたし、富澤の「名前だけでも覚えて帰ってくださいね」の繰り返しだけでもう笑わされた。

ところで決勝から最終ラウンドには他にトータルテンボスとキングコングが残ったわけだが、キングコングは参加表明段階から、「さあて俺らもそろそろ本気で取りにいくよ」的な高いところからの嫌〜な態度が見え見え(特に西野のブログなどを見るにつけ)で、もし今年こいつらが取るなら出来レース、という反感もあちこちから買っていたように見える。
キングコングは珍しくネタがちゃんとしていたし、じゅうぶん練習を積んだように見えたから、普通に力を抜いてやれば良かったのかも知れない。とにかく自分らは面白い、実力がある、本気でやればチャンピオン、という根拠のない自信があった割りには「勝ちたい」という気持ちが先行しすぎて力が入りすぎ、ただただ見ている方が笑うより疲れてしまう過剰さが空回りしていた。内容としては決勝1ラウンド目の方がマシだったくらいで、最終ラウンドでの敗退は当然。

トータルテンボスは同じようなトーンで安定感あれど、やはり決勝1ラウンド目のネタを見た後ではインパクト不足だったか。「施工主のバカぁ!」などのワザとらしいストレートなツッコミ、審査委員の大竹まこと同様嫌いじゃないが、2つのネタとも突き抜けた高いところへは行ってなかったような気がする。

あとダイアンは見た目の華の無さが実力に比して人気が今ひとつ…という悲哀を感じさせるものであったわけだけど、今回のネタは悪くはなかったが少しシュールすぎたか。でも「サイドカーの横の部分で来た、途中で切り離されて惰性できた」というのには笑わされた。これも審査委員の誰かが言ってたけど、一回一回引っ込んでまた戻る、その「間(ま)」がちょっと長すぎていちいちリセットされてしまうという難点があったと思う。残念。

さらに決勝にも残れなかった「本命」麒麟だけど、彼らの「漫才」を見ていて「うまいな〜」と思ったことは一度もない。笑わされたことは何度もあるが、「話芸」ということでいうと、田村のツッコミはたどたどしすぎる。
それにしても…毎年応援している「笑い飯」は去年の西田のライオンズの野球帽で「金、欲しいッスよ」に続いて決勝前のレポートで西田が編み笠をかぶっていたのが一番笑えたという始末(笑)。うーんあのボケと突っ込みが入れ替わるスタイルは真似するグループが出ているし、彼らの今回の決勝ネタは果たしてアレで良かったのか、という疑問が残る。
最後に、だからといってその笑い飯とザブングルがハリセンボンに負けたというジャッジはどうなんだろう、という感じだが…。ともかく苦労人サンドウィッチマンの優勝には、M-1が関西系・吉本芸人へのお手盛りではないことを証明するアリバイになった…というひねくれた見方をするより、素直に実力派をその場の出来だけでキチッとジャッジした結果だと、拍手を送りたい。

オートバックス M-1グランプリ2007決勝の結果

<追記>…それにしても、「2003年からのM-1」はうまいこと「権威」として確立されていったな、と思う。紳介ってやっぱり「賢い」とも。
ところで「2002年以前」であるが漫才師としては天才的な中川家はともかく、ますだおかだがM-1タイトル獲得者であるという「歴史」が今後どう総括されていくのかが気になる(笑)。
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2007-12-23(Sun)

京都で全国高校駅伝

今日は京都で全国高校駅伝が行われる日とあって、コースになる白川通りへ続くうちの前の北大路は静かである。白川通りへ向かっても規制で身動きが取れなくなるのが解ってるので、このあたりの住人以外は通らないのだろう。叡電の踏切の「チンチンチン」というのんびりした音と、阿呆が乗るマフラー違法改造の腐れバイクの爆音、やはり知能が限りなく低い馬鹿の乗る車の重低音が時折聞こえてくるくらいで、一足早い正月かと思うほど。まあ日曜はいつも北大路といえども静かなのだが、今日は駅伝の間は特別に静かな様子である。
ところで以前も書いたような気がするけど、京都市は全国でも珍しい(ちなみに海外ではそれほど珍しくはない)景観保護条例(正確には「京都市市街地景観整備条例」)というものがあって、今年になってまた改正がされてより厳しいものになった(平成19年9月1日〜「新景観政策」)。保護すべき景観などを具体的に指定することやビルの高さ制限を強化したり、そのビルの屋上広告を禁止することなどである。しかもこれは違反すれば懲役刑もあるという厳しいものになっている。当然かなりの、特に不動産業者や建築業者、広告業界や広告を出す企業側などから強い反対があったというが、京都市はこれを押し切り、英断と評価されたことは周知のことだろう。
景観の保護は立派だし京都市の判断は英断であるということにも異論はないんだが、
騒音禁止条例
も作れないものだろうか。以前、街頭での拡声器の音量を制限するために京都府が騒音規制条例を改正したことがあるが、あれはむしろ「言論弾圧」方向へ向かったような印象があり、そういうことを言っているのではない。もっと卑近な日常の話だ。せっかく保護された素晴らしい歴史的建造物や自然と融和した見事な景観も、先の阿呆どものバイクによる爆音、何をどう考えてやってるのか本当に解らない車のアイドリング時の重低音や排気音を聞かされながらでは、ブチ壊しである。車の重低音といっても低〜い腹と頭に響く不愉快な音がずーっと続いているというのは、もう本当に迷惑で殺意さえ覚える「公害」いや「人害」だと思う。
以前本家の日記(編集長日記2003−3)に「車のマフラーの直径とその持ち主の知能は反比例する」と書いたことがあるが、けっこうな数の賛同と、思ったより多くの反論をいただいた。
もっとも反論の多くは感情的なもの、日本語として意味の通らないもの、論旨不明なもの・破綻しているものがほとんどで、一番多かったのは「車(やバイク)って、あの排気音がいいんじゃん」というまあこれまた非常に知能の低いものであった。なぜ必要以上の爆音を撒き散らして平気であることが馬鹿か、ということの「なぜ」を説明してやらねば解らないこと自体が、そいつがいかに馬鹿であるかを証明しているわけで、ゆえに反論をする時点でそいつは馬鹿あるいは阿呆なのである。簡単に言うと自分の快楽のために不特定多数を不快に陥れているわけで、そのことに全く配慮がない、気がつかない、思いが及ばない、遠慮すらない、そのことを馬鹿あるいは阿呆であると言っているのだ。
まあ車やバイクというものは普通に走っててもある程度の騒音が出るようなつくりになっているわけで、そのことはそれこそ阿呆じゃなければ誰でも知っていることだ。でも今どきの車やバイクは非常に高性能になっているし、もちろん環境にも配慮されている。「環境」というとすぐに地球温暖化だとかCo2だとかいうけど、「住民が静かに暮らせる環境」もそのうちであることは、それこそもっと配慮されていいことだ。で、簡単に言うと最近の車やバイクは「ちゃんと静かに走れるように出来ている」。
それをワザワザ、マフラーを改良し、爆音や重低音が出るようにしている。これって違法なんじゃね? ということだ。だいたいうるさい時点で違法なんだからこれほど犯罪の事実が簡単なこともないだろう。
まあこういうことを書くとすぐ「じゃあ全然音が出ないようにしたらかえって歩行者が気付かず危険が」とか言う人が現れて、だぁかぁらぁ、もうッ! なんてオカマみたいに身もだえしちゃうわアタシ的なイライラを覚えるわけですが、何もオールオアナッシングという話をしてるんじゃなくて、メーカーがちゃんと「これくらいの音でひとつ」といって作ってるラインにはちゃんと意味があり、そこを守ってる分には騒音ではなく「走行上・安全上必要な音」なの。それを「必要以上の騒音」が出るように「改造」すんな、つってるの。
もしこうした改造が違法じゃないのなら、それこそとっとと規制すべきなのは言うまでもない。そもそもこうした爆音を撒き散らすことを快楽とする、つまり迷惑を考えない無法で知能の低い連中に「自己責任」とか「常識」とか「マナー」「モラル」「中学生程度の知能もしくは自制心」を期待すること自体が無意味なことなのだ。なので、法による強制的な規制をかけるしかない。
あらゆる「表現」に規制は不要。それはずっと俺の場合は持論・哲学でもあり、当然のことながら何かの小説やマンガに触発された犯罪が起きるたびに発露となった(と勝手に犯人が言っている)おおもとの作品なり「表現」を規制しろ、というおバカな動きにはホトホト情けない思いをしている。
だが人の安眠を妨げる騒音を、それもわが身の快楽だけ、たったそれだけの、ホンットーにしょ〜〜もない理由で撒き散らしているようなバカ者には、繰り返すが法で規制するしか手立てがない。些細なノーヘルを捕まえるような弱いものイジメなんかやめて、爆音立てて走ってるバイクを速攻で白バイが停めて罰金250万円くらい徴収しろ。払えなければ懲役刑(笑)。ま、それは冗談だけど、景観保護も大事ですが、その景観を「静かに楽しむこと」を守ることも大事なんじゃないでしょうか。(静かに景観を楽しむことよりも、人びとが安寧に暮らせる騒音のない暮らしはもっと大事なのは言うまでもないことだけど。)

…と思いつつベランダから白川通りをチラ見しましたが、駅伝はとうに走り抜けた後のようでした。ちなみに駅伝の結果(笑)は下記の通りですハイ。
午前中に行われた女子(第19回)は立命館宇治(京都)が1時間7分6秒で7年ぶり2回目の優勝。2位は千原台(熊本)、3位は興譲館(岡山)。
午後の男子(第58回)は最後はトラック勝負となり、接戦の結果仙台育英(宮城)が佐久長聖(長野)をかわして2年ぶり7回目の優勝。3位には西脇工(兵庫)が入りましたよ。
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2007-12-20(Thu)

小芋いただきました

12月20日(木)
今度のうちのマンションは宅配ボックスという便利なものが無いので、留守中に来た荷物は持ち帰られてポストに不在通知が入るということになる。んでそれに気付かないとまた留守をして…という繰り返しになることもある。
今日、たまたま不在だったために受け取れなかった荷物がドカッと数個いっぺんに届いた。その中の一つが教え子のU君からのもので、また連れ合いが大学で講義に使う資料を送ってくれたんだな、と思って開けたらビニール袋にたくさんの小芋が入っていた。まだ土がついている。手紙が添えられていて「うちの畑で取れたもの」だという。洗って茹でてちょっと塩をつけて食べるとうまいです、とのこと。ありがとう!
…ご近所にもおすそわけさせていただきました。
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2007-12-19(Wed)

漫画家になりたい人へ ( 番外4の補2) オリジナルの力・一ノ関 圭

このところ本シリーズでオリジナリティの重要性について触れ、さらにドメジャーにおけるパクり・安易な「売れ線」規定路線の単純再生産の構造などにもちょっと言及したところ。
複数の方から「ガロ系以外で、とくにメジャーで読むべき漫画家といったら?」という質問をいただきました。

物凄く難しい質問ですね。
いや、難しいというのはたくさんあり過ぎて、という意味です。絵の物凄くうまい人、お話が飛びぬけて面白い人などそりゃあもうメジャー・非メジャー系問わずた〜くさんおられますよ。枚挙に暇がない、というのはこのことっす。関係ないすが最近のメジャーなコミックの世界ではむしろ、「絵が個性的なんだけどヘタクソ」という人が目立つような気がしますね。んでやっぱりそれは「漫画屋」さんに多いような気が…。

それはともかくとして、連れ合い(やまだ紫)とも時々話すんですが、飛びぬけて絵がうまくて、しかも個性があり一目でその人と判り、さらにお話もまたオリジナリティに溢れそれでいて魅力的、何年経ってもその評価にまったく陰りがない…という意味において最強だと思われるメジャー畑出身作家の一人が、一ノ関圭さんではないかと一致しております。
一ノ関さんは『らんぷの下』で1975年にあのビッグコミック賞の本賞を受賞されてデビュー、その後は寡作ながら名作を80年代初頭までコツコツと描かれてきた作家さんです。ちなみにビッグコミック賞は前にも言及したような気がするけど、本賞ってたった2人しか受賞者がいないという、超難関の漫画賞だったんすよね。連れのやまだ紫も、デビューは虫プロ商事「COM」ながら、ビッグコミック賞に入選はしているが本賞は逃しているし。(「やまだ紫、「COM」との出会い」参照)もっと言えば、一ノ関さん同様にやまだ紫も身内びいきとの謗りを敢えて気にせずに言えば「絵がうまくて、しかも個性があり一目でその人と判り、さらにお話もまたオリジナリティに溢れそれでいて魅力的、何年経ってもその評価にまったく陰りがない」作家の一人であると思うけれども。
一ノ関さんの作品集は確か2冊しかなくて、それらは絶版になって久しいと思う。思う、ってちょっと調べりゃ今は解るから、調べてみましたが、デビュー作にして代表作、そして素晴らしい傑作でもある「らんぷの下」と、「茶箱広重」の2冊ですね。
自分はリアルタイムではなくて、ちょっと後で古書店で買って読んだのが80年代のはじめ頃、もう描かれなくなった頃だったと思います。もっと早く知っておくべきだった、と強烈なショックを受けた作家さんでした。
「ガロ」系で言うと林静一さんや、メジャー系では上村一夫さんとかを彷彿させ、それでいて画力では全く引けを取らない(というより、純粋な画力といことであれば一ノ関さんの方が上であるとさえ思う)この作家は凄い。当時漫画家を目指していた自分にとっては震えがくるほどの衝撃を受けたといっても過言ではありませんでした。
画力については一ノ関さんはデビュー当時東京芸術大学大学院に在学中であったということを知って納得した(と同時に学生と知ってもっと驚いた)ものでしたが、時代考証や和装の描写の確かさなど、単に「絵を学んでる学生さんだからうまくて当然」なんてレベルを遥かに凌駕している凄さを感じたものです。ええ、自分なんかもうダメの500乗くらいであると悟らされましたよ。しかもその直後に「ガロ」に入って編集として本物の林さんの原画や丸尾末広画伯の原画とかいろいろ見ちゃった日にゃ…(以下省略)。
その卓越した画力についてやはり語られ賞賛されることの多い一ノ関さんですが、お話の素晴らしさ、特にはじまりからラストまでグイグイ引き込まれていき、ほぉお〜っと溜息が出るような読後感というか、その構成も本当に素晴らしい。
惚れますよ。
前項などで「時代考証が出来ない人が増えてきっちりした時代劇が少なくなった」みたいなことを書きましたが、考証というのは何も平安時代や江戸時代とかだけに必要なのではなく、現代劇にも必要なんすよね。一ノ関さんは近世、明治期なんかの描写も本当にきっちりと描かれていて、凄いと思う。
外見では和装の女性のなまめかしさをきっちりと、そして内面の情念さえも描き出している。男性の体の筋肉とスジの様子もしっかり描け、もちろん男の内面のもろさ、幼さも描ききっておられる。ああ、もう今思い出しても身もだえするようなうまさです。

これらは出版社系の絶版コミック復刻・オンデマンド販売サイト「コミックパーク」で入手可能です。
俺ごときがいくら凄さを書き連ねても百聞は一見にしかず。幸いにしてオンデマンドながら、この宝石のような作品を読むことが出来ます。とにかく読め。漫画家を目指す人なら全員一人残らず読むべきだ。繰り返すけど、惚れますよ。

コミックパーク/作品詳細  らんぷの下 ・ 一ノ関 圭 

コミックパーク/作品詳細  茶箱広重 ・ 一ノ関 圭 


<追 記 07/12/19>
一ノ関圭さんについて、漫棚通信の細井さんより最新情報をご教授いただきました。

> ご存じかもしれませんが、
> 不定期刊で発売されている雑誌「ビッグコミック1(ONE)」に、
> 一ノ関圭氏がマンガ『鼻紙写楽』を
> 2004年ごろより連載されています。
>
> 雑誌自体が不定期刊のうえ、
> 一ノ関作品が休載されることもあるので、
> なかなか読めないのが難点ですが。
>
> 本年11月に発売された12月1日号では、
> 一ノ関氏のイラストが表紙になっておりますし、
> 連載7回目の50ページ作品が掲載されています。
> 今ならまだ、書店で手にはいると思います。

うへえ! 全然知りませんでした。って不勉強っすね自分…。細井さんもおっしゃられているように「ビッグコミック1」っていつ売ってんだ、という雑誌だもんなあ。ノーチェックでした、探します!

あと追加情報として

> また、2001年に発売された
> 服部幸雄文、一ノ関圭絵の
> 「絵本 夢の江戸歌舞伎」(岩波書店)という本は、
> 江戸の芝居小屋を一ノ関氏の超絶技巧によって大きく図解した本で、
> おそらくこれが、今回の歌舞伎を舞台にした
> 『鼻紙写楽』を描くきっかけになったものでしょう。

とうことですが、こちらは連れのやまだ共々、知っておりました。やまだは「絵本作家になられたんだと思っていた」そうです。
それにしても素晴らしい才能がいまだ現役と知って嬉しいです。細井さん、ありがとうございました。
漫画家志望の人は必ず、そうでない普通の漫画ファンも読むべき、ですよ。
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2007-12-15(Sat)

遺族らが漫画で呼び掛け 京都精華大生刺殺事件

千葉大作君が20歳の若さで殺されてから1年近くが経った。千葉君は仙台出身、京都精華大学マンガ学部の1回生だった。そして現場は学校の近くで田畑も残る住宅街、時間は午後7時40分ごろ。自転車で友人の家へ向かう途中、彼は路上で何らかのトラブルに遭遇し、そして相手に刺殺されたと見られている。胸部などにかなりの数の刺創を追った結果の失血死であった…。(当時のことはこちらの記事
京都精華大学生刺殺事件を参照ください;当時は被害者に配慮して仮名=C君としてありました)
千葉君はもちろん、精華大で教鞭を執っている連れ合いのやまだ紫の教え子でもあった。当時から今に至るまでこの事件…というより千葉君の非業の死には心を痛めているのだが、何よりこの事件を思うときに我々を襲うのは、漫画家を目指していた若者が無残な死を遂げたことへの悲しみと憤り、そしてもちろん犯人への強い怒りである。もっと言えば、いまだにその犯人が見つからずにいることへのやりきれなさだろう。
よくこういう事件が未解決のまま時間が経過すると「警察は何やってんだ」と憤慨する人もいるだろうが、「捜査が怠慢である結果、犯人が見つからない」という事態であると何もかも断定してはいけない。実際、この事件に関しては京都府警は地道に、堅実な捜査を今も続けていると複数の筋から聞いている。それでも、卑劣なクソ野郎はまだ、人を殺しておいてのうのうと生きている。そいつは夢を持った若者の命を簡単に奪い、たくさんの人を悲しみに陥れておきながら、毎日メシを食い人と普通に会話し何食わぬ顔で暮らしているだろう。許せない、そう思うのは当然だ。
ただこういった事件も、悲しいことに全国では日常的に起こっていることの一つではある。その地域の当事者を除けば、人びとの関心はやがて薄れていく。その地域においても、時間が経てば人の記憶には徐々に霞がかかっていく。しかし当事者・関係者ならずとも、こんなことを放置しておくこと、つまり事件を風化させていいわけがない。

「遺族ら漫画で呼び掛け 京都精華大生の刺殺事件」というニュースが13日に全国をかけめぐったのをご覧になった方もいるだろう。
「遺族や学生らが13日、事件の概要や千葉さんの人柄を描いた漫画冊子をJR京都駅前で配り、犯人の男に関する情報を提供するよう呼び掛けた。
冊子は、マンガ学部の男性講師(46)と有志の学生が「漫画の力で犯人逮捕につながれば」と作成。母親の淳子さん(48)ら遺族3人と学生たちが約200冊配り、通行人の中にはその場で真剣に読む人もいた。
淳子さんら遺族は、千葉さんのメールに届いたマンガ学部1年生あての連絡でこの日の配布を知り、呼び掛けに加わった。
漫画はインターネットで公開している。ホームページはhttp://www.daisaku-kyoto.jp(犯人逮捕にご協力ください 0120-230-663)」


正確にはこの漫画冊子が配られたのは13日と14日の二日間。場所は京都駅前、四条河原町と、精華大前に通じる叡山電鉄の出町柳駅前だった。配布には遺族とボランティアの学生以外に、講師の有志も数人加わっている。やまだも14日の出町柳での配布とお願いに加わった。「忙しそうにスルーする人もいたけど、中にはすぐ『ああ、あの学生さんの事件ね』と言って足をとめて冊子を受け取って涙ぐんでくれた人もいた、自分も泣きそうになった」」と言っていた。
実は「千葉君の事件を風化させぬために、犯人逮捕につなげるために、何ができるのか」ということは、千葉君の周辺の心ある人たちが事件以来常に考えてきたことであった。発起人で今回漫画を執筆した「男性講師」はもちろんやまだの同僚であるから、お名前は存じ上げている。しかし彼は早くから、売名でもないし「誰が描いたか」はことの本質からすれば重要ではないと、自分の名前は非公開にすると言い、それを通している。もちろん現役のプロの漫画家の方で、名前を挙げずとも絵を見れば漫画好きな人ならすぐお判りであろう人だ。忙しい仕事と大学での教鞭の合間の執筆であり、本当に立派なことだと思う。
今だからもう言ってもいいと思うが、この漫画のネームは完成前に同僚であるやまだの元にも届いた。何か意見があれば忌憚なく言って欲しいということだった。俺も、拝見した。一応、漫画の編集にずっと関わってきた人間なので、意見があればということだった。一読した感想は「これが漫画の力だ」というものだった。
ともすれば過剰な犯人への攻撃へ、あるいは他人から見れば「お涙頂戴」ととられてしまうような方向へ傾きがちなのに、見事に(といったら失礼でさえあるのだが)「感情」に抑制がかかった作品。事件の経過と犯人の情報を事実のみ解り易く図解し、そして千葉君の人となりを説明する。先入観や感情、そうしたものの他人への押し付けを一切排除することで、結果的にはこの事件がいかに悲惨であることが浮かび上がってくる。何より、純朴な漫画青年であった千葉君の人となりがよく解り、だからこそ、彼の無念さと犯人への怒りが改めて喚起され、そのことが人びとの本件へのふたたびの関心を呼び起こす。そしてこういったことが少しでも犯人逮捕へと結びつくのなら、近づくのなら…という思いが筆致からひしひしと伝わってくる、静かに。これが「漫画の底力」である。
俺も切に願うし、訴えたい。犯人逮捕にご協力ください!と。
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2007-12-14(Fri)

漫画家になりたい人へ ( 番外4の補) メジャーにおけるパクりの構図

痛いニュースノ∀「デスノート」に酷似(?)した漫画がサンデーで連載開始
YellowTearDropsさんより】


うちの向かいの喫茶店にサンデーが揃っているので「LOST BRAIN」読んでみました。
なんかこう…前記事で自分が書いた一連のことが虚しくなりますな。
商業誌というか、ドがつくクラスのメジャーなコミック誌において、人気を得た作品があれば、それに類したものが提供されるということは珍しいことではないと思う。思う、がしかし。露骨なまでの「パクり」というのはやらないのは言うまでもないことながら、柳の下の泥鰌を狙うことならよくあること。しかしなるべくなら読者にそれと気付かせぬようにやるものだ。
これまで読者の指摘などから言われてきたパクリの多くは、「絵」や「構図」が多かったはずだ。しかしモチーフやディテールが若干変わっただけで登場するキャラ(キャラクタではない)が同じだったり、物語の本質・中核が同じだったりする場合、これは何度も言っているように「その作家がその作品を描く必要があるのか?」という素朴な疑問が生じるだろう。
お前たちは、お前たちの頭の中以外のどこから、その物語を引っ張り出したのか? ということだ。
それにしても、常々「真似する側ではなく真似される側になれ」と若い子たちに訴えてきたことがホトホト虚しくなる。
漫画屋ではなく漫画家を目指せ。その結果漫画家と漫画屋の間で揺れ動きどう折り合いをつけていくかに皆、悩んでいく。本当のプロはそこら辺のバランスの取り方を心得ているし、うまい。じゃないと漫画でメシを食う=つまりプロ漫画家としてやっていくことは出来ないのだ。
だが、いくら原稿料と引き換えに編集者=版元から「言うことをきけ」「言う通りに描け」と言われるのが不可避の世界だとはいっても、人の作品を売れたからといって安易にパクるというのでは、そういった漫画家/漫画屋の間で煩悶するウンヌン以前の問題だ。百歩譲ってもそれはアマチュアのやることであり、プロがそれをやる・つまり「パクる」というのはすなわち人のものを「盗む」ということなのだ。
この作品(LOST BRAIN)には漫画屋さん=絵描きさんの他に原作者がついている。そして何より、もちろん担当編集者がいる。
しっかりしろよ。
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2007-12-11(Tue)

漫画家になりたい人へ ( 番外4)

勝又進さんの訃報を知って つづき

自分が何かを表現したいと思った、そしてその手段として漫画を選んだ。ならば漫画を描け。言われなくとも描きたくて描きたくてしょうがないはずだ。
俺も若い頃、漫画家を目指して上京した頃はそうだった。一つの作品にとりかかりながら、もう次の作品が描きたくてしょうがなかった。ネーム帖はどんどんどんどん「次の作品」候補で埋まっていった。でも一つの作品を仕上げて、さあとそのネーム帖を見返すと、それはそれは陳腐で稚拙なものばかりに思えたものだった。つまり、その感覚の分だけ自分が成長していたってことだ。
そして自分のバカさ加減に呆れ、恥じ、悶絶して、そうして狂ったように小説や漫画を読み、映画を見て、ようやくまた次の作品へ向かうささやかな自信を芽生えさせた。漫画だけではない優れた先人の作品にできるだけたくさん触れることで、なんとか自分もその末席に食い込めないかと思った。…ま、無理だったんだけどね。

ともかく、何かが流行ると「マンガ家志望」の子らの絵柄はそれ一色になる。好きな漫画だけ読み、好きな絵ばかり真似しているから、似たような絵しか描けないし似たようなお話しか創れない。そして漫画は何度も言うように「絵とストーリーの両輪」が織り成す表現」だ。好きな作家の絵ばかり真似をしていれば、似たような流行の絵は描けるようになるだろうが、お話はどうする? オリジナルの話が創れないから、勢い超能力だの霊だの御伽噺だの、最初からリアリティを排除しても突っ込まれない方向へ逃げる。すぐ、そっちへ行く。

言っておくが、ファンタジーやRPG的世界の漫画作品を批判しているのではない。素晴らしい作品もたくさんあるのだし、それらは「ファンタジー」であっても「リアリティ」を持って我々をその世界へと誘う力を持っている。
「指輪物語」「終わらない話」などには、洋の東西を問わずいつの時代の読者をもわくわくさせる、圧倒的な力がある。ギリシア・ローマ神話や日本の能・歌舞伎などを勉強しろとは言わない(本当は言いたい)が、シェークスピアや日本の近代文学も難しいというのなら、お話を創ることを諦めた方がいいのでは、と思うことさえある。

優れた名作を何も読まず、知らずに、とりあえず時代や国籍などを不明なところに設定すれば考証は不要になる。つまり「完全オリジナル」だと開き直れば当然、誰からも突っ込まれることはない
そうして主人公が意味なく旅に出て超能力で相手を倒したり死霊と戦ったりお姉ちゃんと恋愛をしたりピンチになったりするけど必ず最後は勝って笑ってお姉ちゃんもゲットして終わり…という作品、面白いか? いや面白いんなら、面白く描けるんならそれは一つの才能であると認めざるを得ないが…。ともかくこの「…それで?」と問いたくなるような余りに陳腐で稚拙な世界、実際にアマチュア漫画家志望の作品に物凄く多いパターンなのである。

例えば「江戸時代・末期、新撰組の時代、京都で」と言って物語を進めなければならないとすると、これはもうきっちりとした時代考証を必要とし、それなりの歴史の知識や画力が必要になる。テレビや映画でさえ、今は時代劇が作れなくなってきている=時代考証がデタラメになってきているのに、個人でそれを全て行ってしっかりした作品を創っていくのは相当難しいだろう。だからほんとうの時代劇を描ける人がどんどん少なくなってきている。(ちなみに近年、「パロディとしての時代劇」へ逃げているとしか思えぬ映画やドラマが多いが、そういう「いい加減な時代劇」を見た若者が、それをそのまま受け入れ、「よりいい加減な時代劇」を再生産する傾向が確かにある、と思う)

変なツッコミが来そうだから言うが別に「江戸時代・末期、新撰組の時代、京都で」を描きたくないのならそれはそれで別の時代なり現代なりでいい。また先のような「全部俺が設定した世界の話」と言えば考証の必要も苦労もないわけなのは言うまでもない。
だが、そこまで行かずとも、では「現代、東京、渋谷に集う十代」の世界を描きたいと思ったら? それでも考証が必要だということに気付けよ、と思う。
同様にファンタジーの世界でも、架空の世界でも、「それはいくら何でも…」と思わせないリアリティが必要であり、それが失われた瞬間に、読者はその物語の世界から醒めるのだ。こうしたオリジナル作品を構築する力がない人たちは、だいたいがパロディへと逃げる。(またまた阿呆の頓珍漢なツッコミが来るとアレなので言っておくが、パロディ批判をしているわけでもない、過去の本シリーズ=【漫画家になりたい人へ】の記事をちゃんと読んでいただきたい)

そういえば、昔は漫画同好会や大学の漫研といえば、オリジナル=創作系の同人誌・サークル誌がほとんどだった。今ではそのほとんどがパロディ系である。アマチュアならば、好きな作家の作品をなぞるのも勉強だろう。またプロになる気がなく、趣味でパロディで遊んでいたいのなら、何ら文句はない。
だが漫画家になりたい、つまり自分は作家になりたいと覚悟したのなら、
「自分という作家が
漫画で何を表現したいのか、
なぜ自分がそれを表現する必要があるのか、
自分でなければならないのか

自分に問え」

と言いたい。人が創った世界を真似る=他人のフンドシを締めて相撲を取るなよ、それって気持ち悪いだろうに。
ただし、作家として屹立したいと思うなら、その道は「茨の道」だ。その覚悟をして欲しい。漫画を商品としてとらえ、たくさん売れること=金儲けをしたいと思うんなら、作家だと名乗る必要はないだろう。それは「漫画家」という「作家」ではなく「漫画屋」だ。そして純粋な「漫画家」がそれであり続けることは難しく、「漫画屋」との間でゆれ動くものなのは、資本主義の世の中でメシを食っていく以上、当り前のことでもあるのだ。

勘違いして欲しくないのだが、漫画屋は漫画屋でいい、それならそれに誇りと覚悟を持ってやれ、と言っている。編集者の言う通りに、儲かるように、読者アンケートで上位に来るように、単行本が売れるように、アニメ化されるように、できるだけたくさん売れるような作品を描け。漫画屋は売れてナンボの、それはそれで過酷なショーバイである。ただし漫画屋は競争相手もたくさんいるし、資本主義いや市場原理主義の論理で全てが量られる。個性なんか二の次、作家性なんかどうでもいい、編集者=出版社が求めるものを忠実に描いてくれりゃあそれでいいんだから、代わりはいくらでもいる。ちょっと成功しても、もっと小器用にうまく立ち回れる若手が常に下から突き上げてくる。そいつらを蹴落としながら、編集者に気に入られるように媚びへつらいつつ、読者の顔色も伺い、描き続けなくてはならない。ほんとうに自分が描きたいものが描けるようになるには何十年かそれを続けられてからの話だ。
何十年か続けられなくても、何年かもしやれたら、とりあえず「びっくりするくらいの大金」と「作品が数十万部単位で売れた」という結果は残せるだろう。だがその作品は後世には残らないと覚悟しとけ。なぜならそれは商品=消費物だからだ。その時に必要とされた=その時代に売れたことは認めるが、必要が無くなれば捨てられるだけなのだ。後世に名なんか残したくねえ、今さえ良ければいい、金だよ世の中金金カネ! という人はそれはそれでご立派。

作家になりたいと思う人は、こうした媚びへつらう市場原理主義第一の世界からはちょっと離れて創作が出来る代わりに、生活の安定はなかなか得られないと覚悟されたい。
先の「漫画屋」とまでは行かずとも、原稿料という対価を貰って仕事をする以上は、ある程度は自らの作家性を犠牲にして資本家や市場の論理を受け入れることは必定だ。
「ガロ」でデビューした素晴らしい才能が、商業誌へ引っ張られたとたんに潰されたという話はたくさん見聞したものだけど、ちゃんとうまくその辺の折り合いをつけていった人もたくさん、いる。とにかく人を真似するのではなく、真似をされる側になれ。それは結局、自分を長生きさせることにつながる。

いつもいつも、個性ある素晴らしい作家さんの不遇を聞くたびに、痛切に思う。世間の一般人がその才能に気付かないのは仕方のないことだ。でも心ある版元=出版社、編集者はいねえのか。そんな誰でもいいような作品ばっかりを次から次へ自転車操業のように送り出し続けて、それが出版人としての誇りなのか。
「こんな素晴らしい才能があるぞ」と知らぬ一般人へ突きつける気概、それが出版人、編集者としての誇りなんじゃねえのか。「だって売れないんだもん」ではなくて、こんないい作品なんだから「俺が売ってやる」「うちが出し続ける」とは言えないのか。

赤い雪―勝又進作品集
勝又 進
青林工芸舎

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「ガロ」のかつての名作の数々は、部数から言えば多くて数万部。それも何年もかけてようやく…というパターンばかりだった。それはとりもなおさず、時代に関わらず一定の評価を受け続ける、優れた作品であるということの証明でもあった。勝又さんの作品ももちろん、そういう名作の一つであった。ちなみに近年復刻された勝又さんの「赤い雪」は2006年日本漫画家協会賞大賞を受賞しているが、その作品は70〜80年代に描かれたものである。
こうした名作をちゃんと今の読者に提供できる版元が他ならぬ「ガロ」をブッ潰してクーデターを起こして独立した青林工藝舎だけって…。日本の漫画出版界なんてこんなもんだ実際のところ。世界に漫画やアニメが評価されて…とか言ったって、売れてるものがまた売れるだけに過ぎない。漫画大国ニッポン、本家本元の版元は過去の後世に伝えていくべき名作を埋もれさせ、似たような代わりはいくらでも出てくるようなものばかりを消費させ続けて目先の利益ばかり追求している…と言ったら言い過ぎか。お前んとこはこの作家の作品を「品切れ」にしといて、コイツのを再版か、バカか? って思われる版元があることも事実だ。

何回でも言うが、いい作品・作家は同時代にキチっと評価して欲しい。後世の人に笑われないために。
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2007-12-10(Mon)

漫画家になりたい人へ ( 番外3)

勝又進さんの訃報を知って

俺たち夫婦とある方と楽しく会食をした。病人なのにちょっと飲みすぎて、朝方のどが渇いて目が覚めた。連れも同じで、トイレから出て台所へ行くと氷水をゴクンゴクンと飲んでいた。それから連れはちょっとして再び床に就いたが、俺はちょっと目が冴えてしまったのでメールチェックや業務連絡をしようとノートPCを開いたわけだが。そうして勝又さんの訃報を知った。

勝又進さんが亡くなったのは「3日午後1時43分、悪性黒色腫のため」とのことだった。「東京都大田区の病院で死去、63歳。」だったそうである。悪性黒色腫というのは別名皮膚がんのことだと思うが、臓器に出来る癌に比べ危険度が低いような誤解を持つ人も多いらしい。癌というのは細胞が悪性の腫瘍化することだから、皮膚にも出来れば内臓にも出来るし、俺のように血液(を造る細胞や血液を構成している部分)にも発生する。その危険度はどこに出来たから軽いとか重い、という判断が出来るものではないだろう。
それにしても、勝又さんが63歳で亡くなったというのはショックだった。

若い人たちは勝又さん、と聞いてもあまり知らない人の方が多いかと思う。勝又さんは1966年「ガロ」6月号『勝又進作品集?』でデビューしているが、当初は4コマ漫画が主で、独特の柔らかい線で描かれるナンセンスな世界が印象的だった。
だった、といっても俺はもちろん後付けで知っただけで、自分が「ガロ」の編集に関わるようになった頃は、勝又さんは短編〜中編漫画を描かれるようになっていた。80年代はじめの頃のことだ。確か、当時は川越に住んでいらしたのか…記憶が定かではないが、ともかく、埼玉県のまだ「田舎」の風景が残るあたりの、自然とそこに生きる小さな命を愛する佳作をぽつりぽつりと発表していただいた。
誤解を恐れずに言えば、勝又さんは漫画家としては決して恵まれていたとは言えない。そう、「ガロ」系の人に多い、「メジャーな漫画ばっかり読んでる一般の人」にはほとんど知名度はないにも関わらず、知っている人からは強烈に支持され尊敬を受ける、「あのパターン」だと言えば解る人はお解かりか。

以前、永島慎二さんの訃報を聞いた時にも書いたように思うけれども、俺が知るこうした素敵な作家さんたちはどの方も皆、人格的にも素敵な人たちばかりであった。決して偉ぶらず、誰に対しても礼を失わず、自分の作品に謙虚である。作品も魅力的ながら、その人も非常に魅力的な人たちばかりだった。
何より、作品を描く姿勢にブレがない。世間の流行に媚びたり、商業的な成功を第一義において作品を描いているわけではないから、決して一般読者への認知度は高くない。しかしその作品を知り、その作品の凄さをただしく理解できた者からは熱烈な支持と尊敬を受ける。残念ながらその数は多くはないことが多いのだが。
「商業的に売れたこと・一般読者への認知度が高いこと」

「作品・作家として優れていること」
と必ずしも一致しない

ことなど、改めて言う必要もないことだ。
しかしマスのコミック界、「メジャー」と言い換えてもいいが、そいういった世界では「どれだけ売れたか」がその作品の評価になることが多い。数字は絶対的なもので、多い・少ないというはっきりと優劣がわかるものではある。だが作品の良し悪しはそんな絶対的なものではないことぐらい、当り前のことでもある。だから、編集という職人が必要になるんじゃないのか。
でもある有名雑誌の元編集長が「売れない作品は存在しなかったと同じ」とまで言い切っていたことを知っている。当時の俺は「それはあんたらが属している、作品を商品と同意義でしか見られない世界でしか通用しない論理だろ」と俺は思った。若かったから、である。そうしてその後、世間というものは「作品を商品と同意義で見るところ」であることを思い知らされた。

でも、ほんとうにいい作品は、たとえその時代に商業的には評価されずとも、いやはっきり言えば売れなくとも、一般人が誰も知らずとも、それでも必ず後世に残る。勝又進という作家もそうであるように。
十万部、百万部で売れた作品でも、何年か、何十年か後に漫画史で顧みられることなく消え去っていくものがある。一方で、数千部しか売れなかった作品でも、何十年経ってもその作品に触れた読者が必ず心うたれ、衝撃を受けるものがある。俺がいた「ガロ」の世界はもちろん、後者が圧倒的に多い世界であった。

勝又さんの場合、漫画だけで生計を立てるということは難しかったと聞いた。長井さんから当時、「勝又さんは先生のアルバイトをやってる」ということを聞いたことがある。真偽というか詳細は不明だが、その際よく「勝又さんは(東京)教育大で物理やって、大学院まで行った原子物理学の専門家なんだよな」ということで「だから本当ならその辺の塾の先生なんかやってる人じゃないんだよ、でも彼の漫画はたくさん売れるってもんじゃないからなあ」という嘆きをセットで聞かされたものだ。

漫画家を目指そうという若い人たちと触れ合う機会があると、俺は必ず
「他の誰でもない、自分であるという作品を描ける人になれ」
と伝えることにしている。俺ごときが偉そうに言うことじゃないだろうと思われるだろうが、これは俺の言葉ではない。「ガロ」が俺に教えてくれたことだ。俺が「ガロ」で、長井さんから、水木さんや白土さんやつげさんや勝又さんたちから教わったことである。

【この項つづく】
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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