--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2008-02-28(Thu)

京都造形芸術大の卒展見学

2月28日(木)
朝は10時ころ起きる。外はうす曇で晴れ間もあるので日中は晴れそう。連れが京都造形芸術大の卒業制作展をやっているので京都市美術館へ行きたいという。精華大の先生が造形大の卒展に、というと何か関係ないのにナゼ?と思われるだろうが、実は埼玉に住む次女のYちゃんが勤めている会社へバイトに来ていた子が出展しているから見てあげて、と言われていたのだ。
じゃあせっかくだからお昼は平安神宮近辺で、ということで京都グルメガイド本を取り出す。「グリル小宝(こだから)」という洋食店がうまいと2冊にそれぞれ書いてあったので、支度をして出かける。
タクシーで「丸太町岡崎道下る」というと、ほとんどその店の前に着いてしまった。京都人てこういうの嫌うんだよね、と話しつつ店内へ入る。まだ11時半くらいだったが、半分ほど客で埋まっていた。ここはじっくり煮込んだドミグラスが自慢で、メニューではオムライスがボリュームたっぷりで人気…などと書いてあったのだが、俺たちは量は食えない。なので俺はハヤシライス、連れはビーフシチューをオーダーする。連れがパンはつきますか、と聞くとつかないというので、つけてもらう。トーストになるがいいかというのでOK。オーダーの後で俺は「値段凄いよ、見たの?」と聞くと案の定見てないという。何とビーフシチューは2850円也。やはり連れは値段を見ていなかったようで、仰天していた。
隣のテーブルでは観光客の女の子二人がガイド本を見てキャッキャッと言いつつ、運ばれてきたオムライスを「大きい〜!」と言っていたが、結局二人ともペロリと完食していた。俺らはそれを横目で見つつ「俺たちはあの量はとても無理だね」と話す。しかしやがて俺のところに来たハヤシライスにビックリ。ご飯は二合くらいあるかと思う量。空腹だったのでさっそく食べてみると、ドミグラスの味は確かにいいのだが、肝心の肉があまり入っていない。薄切りの情けない牛肉がチラホラ…という感じで、ほとんど玉ねぎの味ばかりでちょっとガッカリ。卓上には碁石でも入ってるのか、というような器があり、パカリと開けてみると真っ赤な福神漬けがたっぷり入っていた。これは良し、福神漬けの味も良し。
さて連れの方は、まずバターを塗ってあるトーストが運ばれてきたが、かなり厚切りのものが一枚分で、それを半分に斜めカットした状態。それを見てまた目を丸くして「私これでもういいよ」と苦笑。やがてきたビーフシチューは、巨大な肉がゴロリゴロリと入ったもので、再び仰天。ただこちらの方は肉は大きいものの、ホロリと柔らかく煮込んであって味もいい。しかしいかんせん量がもの凄い。200gはあろうかという肉塊に、ただでさえ小食の連れ合いは食い始めですでにゲンナリしている。
俺の方はハヤシライスの肉が足りないので(笑)、ちょっとビーフシチューの肉を貰いつつ食い進むが、何せ飯の量が凄いので、4分の1ほどを残してどうにも食い切れず、ギブアップ。連れに至ってはほとんど3分の1も食えずにギブアップ。お店の名誉のために言うが、この店が悪いのではなく、俺たちが場違いな客であっただけでした、ハイ。なのでそそくさと会計をして出たが、その頃にはもう立ち待ち客が外まで出るほど。どうやら量が多くて人気の店のようだったが、そのことに気付いたのはこうして店を出た後であった。
「死ぬかと思ったねえ」などと言いつつ歩いて平安神宮の中を通って美術館へ。中へ入ると造形大の卒展は思ったより学部・学科の数が多い。連れに「なに学科の誰さん?」と聞くと「わからない」というので、新喜劇みたいにズッコケそうになる。それじゃあ端から見てくしかないかと一旦美術館へ入ってみるが、けっこう展示数も多く、とても解らない。なので俺がいったん外へ出て、Yちゃんに携帯で聞くと、「Mさんという子で、空間デザインか何かで、卒制は大きなシュークリームみたいな風船様の物体」と言っていた。それを聞いて戻ろうとすると、連れから「みつけた」とメールが来る。こちらも慌てて中へ戻ると、Mさん連れ合いが展示の前で話してるところだった。
Mさんの卒業制作合流して展示の写真を撮ったりするが、風船で出来た巨大なシュークリームのような物体というのは的確な表現。で中には入れるようになっており、テーブルやモニタや飾りつけがしてあり、自由に入れるようになっている。ちょうど「かまくらのようですね」と言うと「そうなんです」と言っていた。10分ほどその場で話したり写真を撮ったりして、じゃあ我々は他の展示を見ながら帰ります…と挨拶をして辞す。出口へ向かったつもりが別の映像学科の展示室へ入ってしまい、行き止まり。なので踵を返して戻ろうとすると、そこへさっきさよならと言ったばかりのMさんが入ってきて、互いに苦笑。一度別れの挨拶をした人とその後また会うというのはバツの悪いものだ。
その後他の展示もゆっくり見ながら今度は本当に出口へ向かう。途中布に刺繍で描いた絵本があり、それがなかなか良かったので、思わずデジカメのビデオで録画してしまった。全体的に芸術系の大学の展示としては控えめながら、レベルは悪くないと思った。何より若い人の何とかして自分を表現したいという欲求が、見ていて気持ちのいいものには違いない。
外へ出ると空は晴れており、巨大な鳥居が空に映えているのを撮影。そこで立ち止まって、さてこれからどうしようかと話してると、Mさんが男性を伴ってこちらへ歩いて来る。なのでまた挨拶。向こうもさすがに苦笑。
結局タクシーで河原町へ出てぶらぶら、5時過ぎになってご飯どうしようと話すが、二人とも昼のドミグラスがヘヴィで、食欲が今いち沸かない。なのでタクシーでいったん帰宅。その後結局また明青へ。
関連記事
スポンサーサイト
2008-02-25(Mon)

京都タワー〜二年坂、観光気分

2月25日(月)
朝は10時半ころ、ゆっくり起きる。お昼はどうしようかねえ、と話しているうち、銀行の通帳記入とか入院に備えて申し込んでおいたe-mobile端末の受け取りもあるから、とりあえず外で食べるかということにする。
12時前にまず京都銀行へ行き、通帳記帳をしようとATMを見ると、行列が出来ている。25日だからだろうか、連れが並んでいる間、俺は中で女性行員にネットバンキングの申込書を貰う。他の口座は全部ネットで入出金確認、振込などが出来るようになっているが、それが出来ないとこれほど不便なのだ。ATMの方へ戻ってきてちょっと待つと記帳が終わったので、コジマ電気へ向かう。ちょっと待たされてe-mobileのPCカードタイプの端末を貰い、金を払って出る。お昼は東大路を上がってアンティコへ。俺はランチのパスタセット、茄子入りトマトソースパスタとコーヒーにし、連れはサラダはいらないと単品でモツァレラとトマトソースのパスタとアイスティ。
いつもながらおいしくいただいたが、食べ終わって俺がコーヒーを待つ頃に入ってきた3人連れのうち、おっさんがタバコを吸い始めて、気分は台無し。確かあそこは禁煙席だったはずだが、昼はやめたのか、あるいは全面的に解禁したのか不明だが、とにかくたった一人のタバコで店内は煙が充満し、食べ終わったあとの余韻も何も全部ブチ壊しだ。これからパスタをすする人は、あの煙を一緒にせせり込まねばならないのだ。俺はとてもコーヒーなんか飲む気分じゃなくなったので、会計をしてそそくさと出る。タバコを吸う人間はどうでもいいが、狭い店内の食い物屋で喫煙を許可する店の方針が理解できぬ。

…さてこれからどうしよう、ということになり、連れが「京都タワー上ってないから行ってみよう」ということになる。まずバスで北大路バスターミナルまで行き、地下鉄で京都まで出る。地下道からタワー下のビルへ出た。1Fでは連れと次女のYちゃんが集めている「ご当地キューピー」の小さな人形やらキーホルダーがたくさんあったが、とりあえず上ろうというので、タワー3階のラウンジでのワンドリンク付きチケット1000円というのを2人分買って、エレベータでビル(=タワーの土台にあたる箱型部分)の一番上へ。そこからタワー本体のエレベータで、100mの高さにある5F展望台まで上る。
シーズンオフでしかも月曜ということもあって、エレベータはガラすきであった。シーズン中は行列で規制までするのに、俺らと関東方面から来たと思しきギャル2人だけだった。ギャルはしきりにアナウンスの京都弁が「…おくれやす」とか「…どすえ」とか言うたびに「京都弁だ京都弁だ!」「すげえ!」「覚えて帰ろう!」と騒ぎ、どす黒いマスカラのついたつけまつげをバチバチさせ、絶対に缶ジュースも開けられない2cm以上は突出したネイルの指を振り回していた。
タワーからの眺望最上階部分の展望台へ出ると、思ったより視界が開けて、京都の街がぐるりと一望できるので「おお!」と声が出た。高さはたった100mながら、これだけ眺望がいいのはやはり建築物の高さ規制があるからだろう。望遠鏡で自分ちの方向を見たり、比叡山頂を見たり写真撮ったりしてすっかり観光客気分。ここに設置されている望遠鏡は、よくある100円チャリンと入れる式ではなく、すべて完全無料である。
展望台全体でも客は15、16人といった程度で、静かなもの。ギャル2人も思ったより大人しく(笑)、快適だった。よく晴れていたので遠くまで見渡せたのもラッキー。南側へ移動すると、伏見城の天守まで良く見えた。横にいた知らないお爺さんが「しかし京都駅ちゅうのはずいぶん近代的なもの建てましたなあ」と話しかけてきて、こちらも急いでるわけじゃなかったのでいろいろと返すが、お爺さん話し相手が出来て嬉しいのか、話が切れない。なので適当に切り上げて、エレベータでタワー3Fのラウンジ「空」へ降りる。
俺らはワンドリンクのチケットがあるから降りたのだが、お爺さんもなぜか一緒についてきた。だがここは円形の展望台外側に向かってカップルシートになっているカウンタがあるので、必然的にお爺さんとは別になるのでホッとする。
お爺さんは「せっかくだから一服して行きましょう」とかエレベータ内で誰にでもなくそう言ってついてきたのだが、さすがに俺たちのカップルシート(笑)に割り込むことは出来ないので、一つ置いた右側へ一人で座って、ウェイタをつかまえてずっと話していた。ご愁傷様です。
俺はコーヒー、連れはオレンジジュースを頼んで、下を見下ろす。すると、引っ越す前の通いの頃に何度か行った近鉄デパートの解体工事現場が眼下に広がっている。大型のショベルカーやマジックハンドのデカいのがついた重機が何台もそこここで作業をしており、上から見ると何だか草食動物が草を食んでいるように見えて可愛い。それらがあちこちで整地してたり鉄パイプや建材の廃棄物を片付けてたりしているのが面白く、いくら見ていても飽きない。俺がそうなので連れが呆れて付き合っているわけではなく、二人とも目が離せなくなっていたので、念のため。
そのうち気がつくと件のお爺さんはいなくなっていたが、俺たちは40分以上いたかも知れない。その間ただひたすら工事現場を見てああでもないこうでもないと言いつついたわけで、端から見たらナンだあの夫婦、と思われただろう。じゅうぶん工事現場に満足して、ビルの1Fへ戻ってきた。おみやげ売り場がひしめいているが、ここは修学旅行生や外人観光客に受ける感じの品揃えでたいしたものはない(失礼)。しかし連れはご当地キューピーにまっしぐら、こちらも一緒に目新しいものがないか物色すると、けっこう持ってないのがたくさんある。一軒目で1つ450円とか500円台のQPをYちゃんの分もあわせて7500円分も買っていた。んで別な店でまた3点くらい。
その後京都駅のバスターミナルまで歩き、二年坂へ行くバスを探す。最初洛バスに並ぶと物凄い行列で混雑だったので諦め、いつもの路線バスの方へ移動。206のバス停へ並ぶとすぐバスが来たが、俺らは後ろの方だったので座れない。俺が列からはじけて次のを待とうとしたら、連れがすたすた乗り込んで奥へ入ってしまったので、慌てて後を追って「座れないから次のに…」と降ろそうとしたらドアが閉まってしまう。コントかよ、と思いつつしょうがないので満員のバスに立って揺られながら向かう。
よく考えたら高台寺あたりまでなら駅から1000円くらいで行くから、タクシーでも良かったのになあ、とひたすら苦痛に耐える。途中からどんどん混み、俺は脾臓が押されて痛くなったりで大変。左の腹は脾臓だし、右は胆嚢である(笑)。肩から下げた観光客の大荷物がギュウギュウ腹に押し付けられたりで、脂汗が出るほどであった。
何とか清水道で降りて、坂を上るあたりで押された腹が痛く、ここが一番キツかった。前かがみになって坂を登ると脾臓が垂れて揺られる感じになってかなりキツい。帰ろうかと一瞬思ったが、これで帰ったらこの苦労がバカみたいなので、我慢して坂を登る。産寧坂との合流地点に創業350年の「七味家本舗」があるので、まずそこで七味を買う。実はここの七味が実にうまいことを明青さんに教わっていたのだが、前に来たときに間違って一味を買ってしまったのである。
産寧坂の石段を降りて、二年坂へ向かうが、途中彼氏を伴った「なんちゃって舞妓はん」が上ってくる。すれ違う観光客や外人は舞妓だ舞妓だと写真撮ったりしているが、あれはコスプレであります。二年坂にある松栄堂で家のお香が切れたので新しいのを買い、文の助茶屋でわらび餅を買う。
素晴らしい招き猫んで両側の店を見物しつつ高台寺方面へ。手前の竹細工の店「かめやま」で竹の箸を二膳お揃いで、あと連れがお香を携帯の香入れに移す際にいい竹の小さなしゃもじを買った。んで帰ろうと思ったが、左手に暖簾も出てないし、やってるのかどうかも解らない風情の人形店を発見。俺は店先に古い招き猫がいたのがちょっと気になったがそのまま通り過ぎると、連れ合いはやはり招きを見ているので、すぐ戻る。改めてよく見ると、ホコリで薄黒くなっているものの、手が長く素朴な顔をしたいい招きだ。
さらに、その下のガラスケースの中には、白の、それはそれは顔が素晴らしい招き猫が鎮座している。二人で「これは…」と顔を見合わせて食い入るように見る。二人とも招き猫ファンながら、ファンシーなもの、ことさらに「可愛いでしょ」的に媚びる類のものには全く興味がないので、これまでは豪徳寺の素朴な招きが一番かな、と思っていた。しかし、これはそれを上回る…。
しかし値段を見ると「6000円」…。しかしあんないい招きはなかなかないぞ、と思案し「じゃあ俺が3000円出す、そっちも半分出せば3000円だ、そう思ったら安いよ」という我ながら変な理屈をつけて店の中へ入る。店内に入っても誰も出てこないので、「すいませーん」と声をかけ、それでも声がないので「ごめんくださーい」と大声を出すと、ようやく奥からお婆さんが出てきた。80代半ばくらいだろうか、小柄で白髪だが血色が良く上品そうなお婆さん。
俺たちが白の招き猫を下さいというとガラスケースから出してくれ、「これはとてもいいものなんですよ、もうこういう手の長いのを作れる人はなかなかいないんです」と言って見せてくれるが、見れば見るほどいいお顔をしている。で同じケースの奥に同じタイプの黒猫もあるのを見てしまい、俺らは思わず顔を見合わせる。しかし二つとなると12000円だ、それはいくら何でも…と目で会話しつつ思っていると、お婆さんが白(右手招き)は商売繁盛だというが、左招きの「黒は病気なんです」という。「病気平癒とかですか?」と聞くと「そうです、昔からそう言わはりますね」とのこと。それならもう俺たちには絶対に必要なものだろう、もう迷いなく二つとも買うことにしてしまった。きっと白が俺たちに見初められた時点で、黒も一緒に行きたいと思ったのだろう。そしてこの二対はきっとそういう流れになるものだろうと思った。
お婆さんが納戸を開けて箱を探してきてくれ、猫を丁寧に梱包してくれてる間に店内を見回す。そしてこの店にある人形がみな、実に素晴らしいものばかりであることに気付く。中でも壁面にある棚の一番上の段に並んでいる能の人形たちは実に繊細でいい表情、さらに着物や小物も実によく出来ている。「非売品」となっていたのだが、俺らがしきりに感嘆していると、お婆さんが「あれは私が舞ったものを一体ずつ作ってもろたんです」とのこと。何と能を舞われるのだそうで、これまた驚嘆していると、その他にもいろいろと雛人形や五月人形の一体もの、兜などの本物の金泥を使ったものなど、また小さい御所車や琵琶、三味などの小物も素晴らしいものばかりで、それらの説明もして下さる。「うちはこの辺りでも一番古いんですよ」と言っていたが、「松本群鹿堂人形店」という包装で、観光客がわーキャー言うようなファンシーなものなど一切なく、だいたいやってるのかどうかも不明な店構えながら、余りに逸品揃いなので驚いた。すっかりいい買い物をしていい話を聞いて嬉しい気持ちになって店を出た。
それから東大路へ出て、いったん家へ帰り、夜は明青へ。店に入るとカウンタには5人ほど客がおり、危なくあぶれるところだった。料理は何もかもが素晴らしいの一語に尽きるが、中でもこの時期の牡蠣フライは絶品。9時くらいまですっかり居座って、セブンイレブンで買い物をして、歩いて帰宅。夜はさすがに冷えた。
関連記事
2008-02-22(Fri)

MRCP検査〜村上知彦さんと飲む

2月22日(金)
9時ころ起床。今日は午後から京大病院にMRCP検査を受けにいかねばならない。これはMRIで胆嚢や胆管などを専門に造影して撮影する検査なので、朝はヨーグルトドリンクだけにして、その後は風呂へ入る。検査前数時間は水分も一切禁止なので我慢。昼頃になるとさすがに腹が減ってきたが、しょうがない。
連れの親友である、詩人の井坂洋子さんから小包が届き、開けて見ると立派な枇杷の葉の束が2つと、手延べそうめん。連れ合いがこないだ電話で長く話してたときに、俺が胆石発作で痛かったときは枇杷の葉湿布をしたり、負担のないようにゅうめんを食べていると言ったので、送ってくれたらしい。本当にありがとうございます。
…その後1時ころ着替えて一人で出る。外はぽかぽかと暖かい…とまではいかないが、このところ春という感じで、実際今日は3月下旬の陽気だという。しかしこれも今日まで、また寒さがぶり返すということだが。バスで病院へ向かうが、時間には余裕があると思っていたら、前のバスとの時間調整なのか知らんが、運転手がなぜか超スロー運転(歩いてる人と同じスピードの時もあった)で、病院までいつもなら7、8分のところ倍の15分もかかったので検査予約時間ギリギリになってしまい、焦った。
1Fで受付機を通し、急いで地下の放射線受付へ。すぐに14番待合へ行けと言われ、着いたのは予約時間の1時半ちょうどだった。男性技師が待合のおばちゃんに「順番ですからね、もうちょっと待っててくださいね」と説明をしていたところに俺が入り、ソファに座ろうとすると用紙を見て「白取さん、1時半の方ですね、どうぞ」とすぐ入るように言われる。どうやら遅いので待ってた様子で、もうちょっと遅いと飛ばされて先ほどのおばちゃんになっていたところだった。
着替えて金属のものは全部外すように言われ、パンツ一丁に術衣のようなものを羽織り、時計やメガネも全部外して衣服と一緒にロッカーへ入れる。椅子に座らされ、まず造影剤を飲んでくださいと言われ、紙コップに入った薄い黄色というかジンジャーエールのようなものを渡される。造影剤は静脈注射だとばかり思ってたが、「甘い味のついた炭酸飲料みたいなものです」と言われて飲む。確かにうす甘くてまずいが、朝のドリンクヨーグルト以降何も口にしてなかったので、何となくうまく感じてしまった。飲み終えると「バリウムとかではないのでゲップも我慢しなくていいですからね」と言われて、安心してゲフッとやる。髪の毛もシャワーキャップのような紙製の帽子のようなカバーを被せて、撮影室へ。
鍵を撮影する部屋の入口にかけて、MRIの機械に仰向けに寝る。MRIは機械の音がうるさいので、耳栓を渡されてするように言われる。バンザイの格好をすると「はいそうですね、手をバンザイのようにしてください」と言われる。前に何度かやってるので慣れたものである。「では撮影しますが、途中息を吸って止めていただいて、その間に撮影をします。それを何回か繰り返す形になりまして、全体でだいたい20分程度で終わりますので」とのこと。
MRIはCTと違って、この息止めが長くて繰り返しがあるのが辛い。筒の中に入った後も、「ビーッビーッ」とか作動の際のブザーみたいな音もかなり強烈。息止めは一回20秒から30秒くらいかと思うが、思い切り息を吸ってこれだけの時間耐えるのってけっこうキツいから、年寄りなんか大丈夫なんだろうかと心配してしまうほどだ。「はい、ではまた撮影の準備をしまーす」「息を大きく吸ってください」「では息を止めて動かないで下さい」ビーッビーッ…で30秒後「はい楽にしてくださーい」、でこれが1セット。
数分おきにこれを10回くらいやっただろうか。最後は「では息を止めて動かないで下さい」で撮影の後、「楽にしてください」のアナウンスがなぜか来ない。律儀に我慢していたが、息が続かず目を白黒させた挙句、しょうがなくフハーッと吐いてしまい、ゼエゼエしていると技師が傍に入ってきて「はいご苦労さまでしたー、これで終了です」とのこと。ちゃんと「楽にして」を言って欲しい。いや、ぜひ言っていただきたいものだと強く熱望する次第です。
「造影剤は排泄されると便が黒くなったりしますが、それは何でもありませんから驚かないようにしてください」と言われる。今日は、実は夕方から評論家の村上知彦さんと会う日なので、「アルコールとか注意するものはありますか」というと、特に何を食べるなとかいうのはないというので安心。「経口造影MRI検査をうけられた皆さんへ」という用紙を渡されたので見ると、飲んだのは「経口造影剤・フェリセルツ」(クエン酸鉄アンモニウム)というものらしい。金属類をはずして、金属を飲んで造影するってことか。よくわからんが。
外に出てロッカーから衣服などを取り出して着替えて、待合室へ出ると2時数分前。30分ほどかかったわけだ。放射線受付に終わった書類を渡し、1Fで会計6900円だかを支払い、腹ペコだったので病院入口のドトールでレタスドッグとカフェオレ。レタスドッグが実にうまくて感動。俺って食欲に弱いなあ…と思いつつ完食して病院を出る。
晴れて陽気もいい、散歩日和。病院の入院患者がひなたぼっこしてたり、弁当を食ってる人もちらほら。熊野神社前のバス停へ行き、206番のバスを待つ。待ってると歩いてきた実直そうなオッサンが俺の脇に並び、さらに後から来た革ジャンのおっさんが、さらにその前へ、平然と最前列へ割り込んだ。まさかこいつら、と思ったがバスが来るとやはりそのまま何事もなく1番2番で乗り込んだ。やはり京都ではバスに乗る際、「順番を守ってはいけない」という決まりがあるらしい。おっさんが自分の前に立ったら、無言でさらにその前へ立たねば順番は守れないのだろう。…ていうかそれ繰り返したら最後ケンカにならんか?
連れ合いからは「村上さんから電話があって現地集合で、ということだった」とメール。帰宅してすぐ、下痢でトイレへ駆け込むと、もう若干黒い便が出たのでちょっとびっくりした。聞いてなかったらきっと「おおお俺もうダメかも」と思ったかも。その後村上さんから携帯に少し遅れると電話があり、待ち合わせの店には6時ということにする。バスで白川通りにある割烹へ5時45分くらいに入った。
掘り炬燵の簡単な個室へ入らせてもらい、ビールと酒と刺し盛りだけ頼んで一杯やりつつ待つと、6時ちょっと過ぎに村上さんが来る。村上さんとは十年以上お会いしていなかったが、あちらは昔のまんまで、髪や髭に白髪が多くなっただけという風情。開口一番俺に「何か若返った?」というので「え? そうですか」と返すと「何か昔の方がくたびれてた印象があるから」という。そういや「ガロ」の頃は「毎日毎日薄給でこき使われてましたから」というと「そやねえ」と笑われる。
ビールで乾杯の後、料理を一通りオーダーして、今度俺が精華で教える「作家研究」についていろいろとご意見を伺う。村上さんは04年まで精華で「作品批評」を担当されていたが、こちらはその後任的な扱いの講座になる。いろいろとカリキュラムについて当時のシラバスをプリントアウトしてきていただいたので、それを見ながら大学の講義の話などを中心に。
その後は「ガロ」のことや、昔の「漫金超」のこと、共通の漫画家や知り合いの話や関西人気質の話などなど、気がつくと11時の閉店くらいまでずっと飲んで話していた。
最初は10時ころには明日の予定があるから帰ると言っていたのだが、11時になってしまって村上さん「もう帰れません」。ということで、うちへ泊まってもらうことにした。タクシー呼んでもらってうちの前のセブンイレブン前で降り、俺は先に帰って二階片付けて布団敷いたりしてるから、と一足先にマンションへ戻る。戻って二階の和室のエアコンをつけて暖め、本の入った段ボール箱を十数箱ヒイコラ脇へ積み直して、マットレスを敷いて敷き布団を載せ、汗取りマットを被せ、掛け布団と羽根布団をかけ、枕も用意。終わって降りてくると二人がちょうど戻ってきたが、村上さん用の焼酎の小さなボトルと、俺の缶ビール2本なども買ってきた。なのでリビングでまた飲み直しになる。結局朝方4時くらいまで飲んで、お開き。いやーこんなに飲んだのも、我が家にお客さんが泊まるのも京都に来て初めてであった。
関連記事
2008-02-21(Thu)

教職へ復帰します

実は契約の書類が整い、正式に決まるまではアナウンスしなかったのだけど、新年度つまり4月から教壇に復帰することになりました。連れ合いであるやまだ紫が教える京都精華大学のマンガ学部、プロデュース学科です。

以前から知ってくれている人たちはもちろんご存知だと思うが、俺は97年度から、東京・高田馬場にある日本ジャーナリスト専門学校というところで教えていた。誘ってくださったのは評論家の上野昂志さん。もちろん知る人ぞ知る映画評論家としても、漫画評論家としても大変な巨匠であり、俺が勤めていた「ガロ」の大先輩でもある。その上野さんから、「今度コミック編集科を設立するにあたって、ぜひ学生を指導して欲しい」と要請されて、お受けした。
自分なんか人様にモノを教えるなどというオコガマシイ立場にいていいのか、だいたい高校時代もどれだけサボるかに腐心し、年度の初めに必ず総授業日数を各教科一覧表にして、単位が取れなくなる3分の1の休みギリギリまできっちり、全教科を満遍なくサボったくらいの人間だ。大学の受験も家庭教師までつけられ規定路線だったのに、親を騙して漫画家になりたいから1年だけ専門学校へ行かせてくれといって上京し、そのまま「ガロ」の編集になってしまった。
そんな自分が人にモノを教えることなんか出来るのか、だいたいいいのか、と思った。でも大先輩で恩人の上野さんから言われたら、断れる理由がない。絶対に、ない。
まあすぐ学生から「あの先生怖い」とか「つまらん」とか苦情が出て辞めさせられるだろうと思っていたら、やってみると意外と楽しく、幸い学生たちからの評判も悪くなかったりもして、結局癌が発覚し入院する2005年の前期まで勤務することになった。
マンガ編集科が無くなり編集者専攻科に統合されたりしたが、編集実務、卒業制作、企画演習などなどいろいろな講座を受け持ち、担任を任されたり、流通現場論という講座を作らせてもらったり、思えばずいぶんと深〜く先生という職業に浸ることになったと思う。結局、向いてたんだとも思う。
実際、自分の一族には医者だの大学や高校などの先生が多い。白取で検索を叩くと、ルーツである青森を中心に、先生が思いのほかヒットする。もちろん親戚にも医者だの教職だのが多く、言ってみれば自分はそんな一族のオチコボレであったともいえる。(うちの母親はうちは代々松前藩に仕えた医者の家系だった、とよく自慢していた。その根拠になった家系図だかは、大火で焼けたというから信憑性は定かではないが。)
ともかく、そんなこんなで自分の中に教師への適性みたいなものが若干は流れているようなことも確認したりして、まあ残り少ないらしい人生、編集を目指す後輩たちに自分が知ってる限りのことを伝えていくのも役割だろうと自覚した。
しかし、「白血病」は予想外のことであった。
あの頃になると、ジャナ専で教えることはすっかり楽しくなっており、卒業生から何人も編集や出版業界に入った子が出たり、卒業してからも慕ってくれたりする関係も出来たりして、このまま要らんと言われるまでは続けるのだなあと思っていたのだが。
つまり有体に言えば「志半ば」で「病に倒れる」ってやつだろう。
実際癌宣告を受けてしばらくは、体力がガクッと落ちた。あの速度で病気が進行したら、とても何年も先まで生きられると思えなかった。
でも、あれから3年が経過して、幸い進行が予想していたカーヴよりはぐっと緩やかなかたちであることが判明した。でも去年京都へ転居してきて、これでジャナ専への復帰は消えたと思ったし、それは同時に教職への復帰が消えたことでもあった。
ジャナ専の同僚というか先輩であったSさんは、自分が戻るのを待っていると言って下さったし、先生方からは復帰を目指してと闘病のカンパもいただいたりして、実際まだ私物はジャナ専のロッカーに残っていると思う。そんな状態でいたのは「いつかは復帰したい」と思っていたからなのだが、正直なところ、京都まで来てはもうそれは無理だなあ、と思っていた。

2005年の秋に退院してから今に至るまで、いろいろな人からたくさんの励ましをいただいた。家族や身内はもちろん、新旧の友人、出版業界の知人や教え子たちのほか、かつての「ガロ」の読者の方や現在のブログの読者の方などからで、ほんとうに励まされて、心から感謝している。実際そういった方々からの励ましが無かったら、心が折れていたかも知れない瞬間が何度もあった。

そして、複数の方から「白取さんはまた教壇へ復帰するべきだ」ということも、たくさん聞かされた。
今回精華大で教えることになったのは、連れ合いを大学へ招聘して下さった、元小学館の編集長であった熊田正史教授のお誘いがあったからだ。「あなたは後進に教えるべきだ」「京都まで来たのもそういう流れでしょう」「病気にも絶対その方がいいと思う」…そう熱心に何度も誘っていただいた。
もちろん、自分はこんな病気にかかってしまったので、有難いと思いながらも丁重にお断りしてきたのだけど、最後は熊田先生の熱意に負けて「ではあとは熊田さんにお任せします」と言ってしまった。そうして、話は決まってしまった。
決まった以上は、やるべきことはやらねばならない。手を抜くわけにはいかないし、これまでジャナ専でもそうしてきたつもりだ(教え子の諸君、そうだったよね?)。自分は幸い、「ガロ」という稀有な場所でマンガだけではなく、編集から製版・印刷、営業からそれこそ断裁まで全ての工程に関わり学ぶことが出来た。この経験を、出会った素晴らしい作品や作家さんたちのことも含めて何とか伝えたい。それはやはりこうなった以上、大げさに言えば俺に課せられた義務なのだろうと思う。
慢性の白血病に関しては、進行が遅い状態で症状がひどく現れていない場合は、なるべく仕事や日常生活を普通に送ること、が推奨されている。ならば教職への復帰も、流れから言えば間違ってはいないだろう…。
やるからには、頑張ります。
関連記事
2008-02-20(Wed)

胆嚢切除決定

2月20日(水)
夕べは寝る前に胆嚢がちょっとうずいたので、念のためバファリンをいつもの倍の4錠飲み、びわの葉を胆嚢のあたりに貼って1時ころ寝る。もちろんバファリンの増量は気休めである。こういった鎮痛解熱剤というものは、効かない痛みには無意味。しかも量を多くすればそれだけ鎮痛効果が大きくなるかというとそんなことはないし、逆に量を増やしたことによってその薬が従来持つ副作用のリスクは増す一方だから、実はこういう服用の仕方はやってはいけないのだ。解っちゃいるが、胆石発作というものは理性を吹き飛ばすほど激烈で、猛烈に痛いものなのだ。
悪い予感が当たったというか、夜中に軽い腹痛で目が覚めた。暗闇でも見えるLEDのデジタル時計の数字を見ると2時ちょっと過ぎだった。これはやばいなあ…と思い、一旦そっと起きてしばらく居間の暗がりの中、じっと様子をみる。しばらくソファに転がっていたが、痛みがそれ以上強くならず、これならどうやら寝られそうだ…と思い再びベッドへ移動する。
しかしうとうとしたのも束の間、それから1時間も経たないうちに今度はかなり強い痛みで目が覚めた。胸や肩まで放散痛がひどい。こうなるとじっとしてられないので、連れを起こさないようにそっとベッドを抜け出し、居間へ移動する。エアコンをつけてソファに崩れるようにして転がるが、例によってどんな体制を取っても激痛で、息苦しいほどだ。「ううー」とか「ああー」「いてえー」など自然に苦しい声が絞り出される。
3時ころが猛烈な痛みのピークで、これまでの発作でもっとも痛い。あまりの痛みで取る体制がなく、右や左や仰向けやら座ったり立ったり、いろいろ体制を試す。最後は_| ̄|○(ガックシ)ポーズまで取ってみるが、結局どうやっても痛みは全く薄れず、疲れただけ。ぐったり仰向けになってひたすら痛みが通り過ぎるのを待つ。今回は痛みの度合いも最強だったが、発作の持続時間もかなり長引いて、ようやく薄れてきたかな、という感じになったら何と明け方、5時半になっていた。
痛みが薄れていくのと共に猛烈な眠気が被さってきて、うとうとする。だがソファなので軽い眠りですぐ目が覚める。うとうと〜朦朧、という感じを繰り返して9時過ぎに連れ合いが起きて来るまでソファで転がっていた。その頃にはもう発作はすっかり治っていたが、とにかく眠れなかったし、発作に苦しんだ時間が長くてホトホト参った。これは何の罰ゲームだ、俺はいったいどういう大罪を犯したのだ、という答えの見つからない問いをずっと考えたりして、精神的にも疲弊してしまった。
今日の外科初診は12時予約。一晩中発作で苦しんだので猛烈に眠かったのだが、何とか支度をして11時15分ころ出た。外は昨日よりさらに暖かいし、晴れているせいか春のような感じだ。また連れと二人なので、タクシーで病院玄関まで行く。千円以内で病院まで着ける距離というのは、病身には有難い。自動受付機で受付をしPHS端末を受け取るとすぐ「ぶー」と鳴ってメッセージが液晶画面に「中待合へ行け」と表示された。まだ20分ほどあったので売店でも行こうかと思ったが、結局そのまま4Fの外科中待合(廊下)のソファで待つ。
待っているとまた眠くなってきたが、目を閉じただけでひたすら待つ。予約時間の12時ちょうどに「ブー」とPHSが鳴ったので、二人で診察室へ入る。外科のM先生は「血液内科のI先生から聞いてますよ」ということで、白血病で血液の状態が良くないことや脾臓が巨大化していることなども把握しており、CTの画像も見させてもらいました、とのこと。先生のモニタにはI先生が記入していた電子カルテがそのまま表示されており、俺のCT画像なども簡単にそこから呼び出して拡大表示など自由自在だ。その胆嚢部分の画像を見せてもらい、説明を受ける。
それによると、俺の場合は「石」というよりも泥のような状態のものの外側に石灰化した殻のようなものが形成されているようだ、という。モニタで見ると胆嚢の袋の中に落花生みたいな形の塊が見え、その輪郭部が白く見える。白く写っているところが石灰化しているところ、つまり固い殻のような状態の部分だそうだ。
その後診察室のベッドで触診をされた後、その場で胆嚢にエコーをあててもらう。エコー検査は前の病院だと別の検査室へ移動させられ、検査は検査で別扱いだったから、診察室で医師がそのままエコー診断が出来るというのはちょっと感動。その場で画像を何枚かプリントして、胆嚢の機能の説明と共に切除術の説明を受けた。M先生はソフトで大変丁寧な説明をされ、こちらもかなり安心した。
通常はもちろん負担の軽い腹腔鏡で行うのだが、俺の場合は確かに脾臓がかぶさっているので難しいけれども、出来ないことはなさそうだという。腹腔鏡を入れる穴をずらして脾臓を避けるようにして入れられれば、手術そのものは行えるということらしい。仮にそれがダメでも開腹は10cm弱なので、いずれにしても一週間程度で退院できるというので、これまたかなり安心。
ただ、胆石の手術患者はかなり待ちが多く、急性胆嚢炎などの重篤な状態じゃない患者の場合は何ヶ月か(!)待たされるという。俺の場合はそれでは困るので、何とか3月一杯で空きがあったら入れて貰えませんか、とお願いする。
俺は実は4月の新学期から京都精華大学で教えることになったので、新学期にいきなり手術で休講というのは避けたいのだ。M先生はもちろんそれは希望として聞いておき、空きが出たらすぐ入れるように書いておきましょう、ということにしていただいた。いやはや何だかエラいことになったなあ…と思うが、胆嚢がこれじゃあ普通の生活にさえ支障が出る。取れるんなら取ってもらった方がいいだろう。
で、胆嚢や胆道などを精査するため「MRCP」という造影剤を使ったMRIによる画像診断をやります、ということになる。検査はあさっての昼が空いているというのですぐ入れてもらい、あとは入院・オペ待ちということで待機することになった。お礼を言って診察室を出て、少し廊下で待つと看護婦さんに呼ばれたので、空いている診察室でMRCP検査の説明を受ける。その後1Fの入院受付へ行き、入院の説明を受け、入院の手引きや保証人の書類など一式を受け取って会計へ並び、1800円を払って病院を出る。

さてまずお昼を食べようというので東大路を渡ったところにある中華料理店へ入り、俺は塩ラーメンと餃子、連れは五目そば。塩ラーメンは俺好みのちょっとしょっぱ目の味。餃子はパリパリの羽根がついたやつでこれも美味。とびきりうまいというわけではないが、平均以上でナイス。連れの方は五目そばは期待した広東麺の甘い味ではまたしてもなく、ちょっと残念そう。東京では普通のラーメン店などでも普通に食べられた、あの甘いあんの乗った広東麺はこちらでは食べられない、解っているのだがどうも追いかけてしまうのだ。
腹いっぱいになって、ぽかぽかと暖かい東大路を熊野神社方面へ歩く。腹腔鏡が使えるかも知れないと解り、ちょっと気持ちも楽になった。結局タクシーで河原町蛸薬師へ出てぶらぶら、夕方帰宅。その後二人とも仕事したりした後、7時前にパンで夕飯にした。ヘキサゴンの3時間京都スペシャルを見ている間連れはソファでうとうとしていたが、その間に俺の方はじわじわと胆嚢が痛くなってきた。痛みそのものはたいして強くはなく、10でいうと4〜5といったレベル。だがこの痛みと不快感が長くずっと続き、往生した。枇杷の葉を9時ころ胆嚢のあたりに貼り、残っていた最後のボルタレン2錠とバファリン2錠をいっぺんに飲むと、10時半ころようやく痛みが薄皮をはぐように弱まり、10時過ぎにはほぼ消失。薬のせいか枇杷のせいか、あるいは両方か、はたまた単に時間が来て治ったのかは一切不明。とにかく爆弾を抱えているようなものなので、早いところ手術で取ってもらいたい。
関連記事
2008-02-19(Tue)

胆嚢切除手術?

2月19日(火)
今日は6週間ごとの診察日。このところ俺の胆石発作が頻発するようになり、痛みの度合いもひどくなっているので、先生に相談しよう、ということで連れも一緒に行くという。予約時間は午後1時、11時20分ころ二人で自宅を出る。このところ雪が降ったり寒い日が続いていたのだが、久々に暖かい。
一人で行くのならバスを使うが、二人で行く場合はタクシーに乗る。アッという間に病院へ到着。病院の玄関でマスクをつけてから入り、診察券を自動受付機に通してPHS端末を受け取って、2Fの採血受付へ。受付後採血室へ入り、2〜3分待っただけですぐ呼ばれ、試験管3本採血される。今日の人はちょっと針を抜く時に痛かった。それから診察予約の1時まで1時間ちょっとあるなあと、2F採血受付の奥、外待合のソファに座りかけるが、連れがドトールでなんか飲もうというので1Fへ降りる。
病院の入口脇にあるドトールで俺はカフェラテ、連れはアイスカフェモカで一服。そこで12時半ちょいまで過ごして、また2Fの採血受付前の外待合へ戻る。
1時5分前に「そろそろかな」と2G(血液・腫瘍内科)の受付前の椅子に移動して座るとすぐ、PHS端末が震えて「診察室へお入りください」と表示。ジャスト1時だったのでちょっとビックリ。まあ予約時間なので当り前といえばそうなんだけど、いつもながら京大の自動受付〜検査〜診察までの完全自動化システムは非常にスムースでストレスが少ない。

診察室へ二人で入ると、I先生は「採血の結果では変化はありませんね」ということでホッとする。「何か変わったことはありましたか」と聞かれ、「このところ胆石発作が頻発して辛い」と相談する。何年か前に胆石があると言われていたが、無症状だったので放置していたこと。それが2年ほど前から半年に一度くらいで発作が起きるようになったこと。それが去年の後半から一ヶ月に一度、一週間に一度…と頻度が上がってきて、最近では週に何回かということになった…と説明。
発作自体は非常に辛く痛いので眠れず、痛み止めも効かない。ただし痛みの発作自体は2時間か3時間で消失し、治まるとそれ以外には別段症状もなく食欲も普通であること。しかしこう頻発すると日常生活に支障が出るので何とかしてもらえないかと訴えると、通常はこういう場合は胆嚢を切除してしまうことが一般的で、開腹と腹腔鏡という方法がある、と。ただ俺の場合は「元の病気=白血病で血液の状態が悪いから、手術はリスクが高いですよね」と話すと「確かにそうだけれども、手術が出来ないというほど極めて悪いというわけではないから、一度外科の方で調べて、手術で取るなり考えてもらいましょう」…ということになる。
外科の予約は「早い方がいいでしょう」と、明日の12時の予約を入れていただいた。普通の人が胆嚢を取る手術というと腹腔鏡で取るにしても開腹にしても何てことはない手術なのだが、俺の場合はまず元の病気のせいで血液の状態が良くない・つまり白血球数が少ないと感染のリスクが高いということと、血小板数が低いと出血が止まりにくいということがあり、それらは外科手術にはいずれも高リスクとなってしまうわけだ。また通常の腹腔鏡を入れる穴をあける位置まで脾臓がかぶさってきているから、腹腔鏡が使えるかどうかをまず調べないといけないだろう。できないとなると開腹だから、ちょっと面倒だし負担も大きくなる。
I先生は「あと脾臓がかなり巨大なので、外科の先生が取ってしまおうかということになるかも知れないですが、ここまで巨大化していると、脾臓というのは血がたっぷり詰まっている臓器だから、それを取るということはつまりそれだけ大量の血がゴソッと無くなるとうことで、そうなると心臓がたぶん持たないでしょうね」ということ。なのでとにかく胆嚢を何とかしてもらいましょう、外科でよく相談してくださいということになった。
幸いもとの病気の方は変化がないので一応次回の予約はまた6週間後で結構ですよ、ということになった。白血病に変化進行がないのは良かったが、胆嚢はやはり取らねばならないのかと思うと少し気が重くなる。開腹だとなると2週間程度の入院だろうか…。とにかく明日の外科の先生の見解を聞くしかない。
関連記事
2008-02-17(Sun)

京都市長選挙投票日

2月17日(日)
夕べは12時半ころ寝たが、どうも寝られずに起きてしまった。本を読んだりして2時半ころ布団に入るが、今度は朝方5時ころにまた胆石発作で目が覚める。いつもそうなのだが、胆嚢ではなく単に糞詰まりではないかと淡い期待(?)でトイレへ行くと、少しだけ便が出た。もちろんそれで治るはずもなく、痛みはやはり胆嚢である。
居間へ行き、バファリンを2錠飲んでからエアコンをつけ、暗い中ソファに転がる。やはりどちらを向いても痛い。痛いというか痛苦しいという感じだ。もちろん痛み止めも全く効かない。しかし気持ち的にはもう慣れたもので、今5時過ぎだから7時、7時までには治る…と思いつつひたすら我慢。案の定6時半あたりから軽くなってきて、7時ころにはほぼ痛みは消失。ようやくうとうと、そのままソファでちょっとだけ眠る。
連れ合いが起きて来る9時ころまでは何とか寝られた感じか。横に来て「痛いの?」というので「もう治った」と体を起こす。テレビをつけると、ちょうど東京マラソンの中継をやっていた。こちらはうす曇だが東京はよく晴れているようだ。
ドリンクヨーグルトを飲むとちょっと胃部に不快感がある。胆石発作の後は食べ物を取らずに水などで様子を見ること、といろいろな本やサイトに書いてあるのだが、発作が過ぎたら何ともないので、空腹に耐えられない。それに去年の夏に入院した発作の時はともかく、いつもは発作が治まれば普通に食べている。しかしこのところ発作が頻発しているのがちょっと怖いなあ、と思う。元の病気、つまり白血病と因果関係がなければいいのだが。
…その後着替えて12時過ぎに二人で出る。今日は京都市長選挙の投票日なのだ。小雪がひらひらする中、投票所の一乗寺中学校へ歩いて行く。校門のところには「京都新聞」という腕章をした女の記者が投票所から出てきた人に何か聞いていた。だが一人のおばちゃんと長く話していたので、出口調査ではなさそうである。ただの取材だろうか。関係ないが今まで数え切れないくらい投票へ行っている(基本的に全ての選挙には投票行動をしている。白票を投じたこともあるが、絶対にサボらないことにしている)が、よくある新聞やテレビの「出口調査」とやらに遭遇した試しがない。今回はそうかと思ったのに残念だ。
それを横目に見つつ中学校の敷地内へ入るが、最初投票所がどこか解らず、校舎の奥のほうへ進んでしまい、違うなと戻ってくると校門から入ってすぐのところだった。貰った投票用紙に共産党の中村和雄さんの名前を書いて投票箱に入れる。俺は共産党員でも何でもない。だが今回はどう考えても、桝本市長の後継である市の教育長だという候補(門川大作氏)に入れる理由がない。なぜなら門川さんは自民公明民主社民の保革相乗りだ。そんなんで行政のムダや市を食い物にしている同和問題に立ち向かえるわけもない。
ま、結局門川さんが勝つんだろうけどな。万が一共産党市長が誕生したらしたで、今度は議会で自民公明民主から総スカンだろうし。どうせ死に票になるんだろうなあ、とも思うが、とにかく批判票がこれだけあるということを示さなければならないので、あえて共産党へ投票し、少しでも安穏とした楽勝ムードにさせないこと、そのことに自分が一票を投じる意味がある。
その後歩いて白川通り方面へ。途中の何てこたぁない喫茶店に入り俺はオムライスのランチにカフェオレ、連れはホットドッグにアイスティを頼む。オムライスはうまかったが店の雰囲気はなんだかなあ、という感じだった。NHKののど自慢がテレビでついているのだが、一方で店内には有線でオールドロックが鳴っている。片方で「珍島物語」を熱唱して「カーン!」なんてやられてる一方で、メジャーデビュー前のBeatlesが「My Bonny」を元気よくシャウトしてたりする。んで入口近くにいるオッサン二人は大声で競馬の話をしており、最後は携帯でノミ屋に馬券の指示をしたりしている。頭がおかしくなりそうだった。
ていうかだいたい俺カフェオレ頼んだのに普通のコーヒー来たし。まあまあそれでもゆっくり食べてコーヒー飲んで、白川通りからタクシーで河原町蛸薬師へ向かい、買い物などして帰宅。
京都市長選挙は夜遅くになってようやく保革相乗りの門川候補が当選確実。1000票以内の僅差であったのは良かったが、投票率は前回より0・76ポイント減の37・82%だそうで、過去4番目の低さだったという。いつもいつも思うが、「投票行っても何も変わらん」という考えが、何も変わらないことの原動力になっている。そして変わらないことで既得権益を貪り、税金をいかに無駄遣いするか、いかにてめえらが税金からフトコロへたくさん入れるかに日夜汗水たらして腐心しているコームインどもを安寧とさせている。
関連記事
2008-02-14(Thu)

バックス画材・小川珈琲北白川店

2月14日(木)
夕べ夜は12時半ころ寝たが、7時ころまで比較的よく寝られた。その後もベッドでうとうとして起きたのは8時過ぎ。6時間も熟睡できたのはいつ以来だろうか…と考えるほど久しぶり。ベランダから見る窓の外は家々の屋根が白くなっており、夜のうちにまた少し雪が降ったようす。よく見るとまだ雪がチラチラと舞っているのが見えた。
朝は連れが食欲がないという。画材を買いに行きたいと言ってたから、じゃあ買いに行きがてら、その時に何か食べようということにする。12時過ぎに支度をして、白川通北大路の交差点まで歩く。天気はいいが気温はやはりちょっと低めで寒い。画材店「バックス画材」は近所に京都造形芸術大学があるので、一通りどころかプロ仕様の道具がほぼ揃っている。
連れ合いは明青さんからいただいた「結婚記念日」の花のお礼に絵を贈るというので、水彩の画材と額縁などを買い物。それを下げて、白川通りを渡った反対側にあるカフェ「小川珈琲 北白川店」へ入る。
フィッシュバーガー。絶品。俺は限定というカレーとカフェオレ、連れは魚フライバーガーとアイスティにする。カレーはなかなかスパイシーで美味。連れ合いのバーガーも白いバンズが柔らかくて、魚フライも揚げたてでうまいといっていた。バーガーにはたっぷりポテトもついており、俺はそれもバクバク食う。京都ってこういう何気ないお店でもレベルが信じられんほど高いなあ、近所にこういうところがあって嬉しいなあ、と満足して出た。
こちら側は余り来ないので、散歩がてら疎水方面へてくてく歩く。あちらこちらには雪が残っていて、耳も冷たくなり寒かったが、食後のいい腹ごなしになった。
関連記事
2008-02-13(Wed)

胆石発作頻発

2月13日(水)
ゆうべは寝てしばらくして腹痛で目が覚める。時計を見ると2時ころだったか、いちおう便意の可能性はと思いトイレへ行くがやはり出ず。やはりこれはまた胆石発作だ。ただ先日のよりは弱い、10段階なら3か4程度だろうか。居間へ行き、バファリンを2錠飲んでしばらく様子を見る。どうやらおさまりそうな気配だったので、布団へ戻って寝てみる。
変な夢をたくさん見て、今度は5時ころ強い腹痛で目が覚めた。今までの胆石発作はだいたい一晩に一度、2時間程度でおさまってきたのに今回は2回目だ。しかもかなり強い。ふらふらと起きてトイレへ行くが便は出ず。居間へ行き、今度はボルタレンと胃薬を飲むが、気持ち悪くなる。吐き気をこらえつつソファに転がって我慢、ひたすら我慢。苦しいわ痛いわ、痛みは10でいうと9から振り切れるくらいでかなり辛い。薄暗い部屋でひたすら激痛に耐えているが、こちらの状態とは対照的に、外は穏やかに、しんしんと京都の街に雪が降り積もっている。外が明るくなってきて、7時前にはようやくうとうと出来るくらいまでに痛みが弱まり、9時ころに連れ合いが起きて来たころはほぼおさまっていた。それにしても今回のはキツかった。
以前、胆石発作はそれと解らぬころだから2〜3年前は、こうした発作は一年に数度、せいぜい半年に一度あるかないかという頻度だった。それが数ヶ月に一度になり、去年の8月に黄疸や肝機能障害まで行った大きな発作で入院した後は十日に一度から週に一度、そして最近では数日に一度という頻度になっている。もう何をどう注意したら発作が起きるのかも全然不明。アルコールや刺激物を避けていても発作が起きることがあるし、暴飲暴食に近い日でも何も起きないこともある。
通常こういう発作が頻繁に起き、それが激しい痛みを毎回伴うような人は、手術で胆嚢ごと取ってしまうことが多い。開腹ではなく腹腔鏡で取ることも出来るから、昔のような負担も軽減されている。しかし自分は白血病という病気を抱えているので、免疫力は通常の人よりも大幅に低下している。血液の状態も当然悪いから、手術にはかなりのリスクを伴う。さらに脾臓が骨盤まで達するほど、腹部全体を覆っているから、腹腔鏡を入れるルートも難しそうだ。連れ合いは先生に何とかしてもらえないか相談してみようと言うが、これらのことを考えるとなかなか対応も難しそうだな、と自分でも思う。
朝はヨーグルトドリンクだけで用心する。その後はあまりの空腹に、昨日買っておいたおにぎりを2つ食べてしまった。何せ痛みの発作さえ過ぎてしまえば全く通常と変わりないので、空腹に耐えられないのである。連れ合いは雪の中買い物に行き、俺がにゅうめんを食いたいと言ったのでそうめんを買ってきてくれたので、夕飯はにゅうめんを作って食べる。
関連記事
2008-02-12(Tue)

結婚記念日?

2月12日(火)
明青さんより洗面所と洗濯機の配水管が詰まって流れが悪くなっていたので大家さんに電話で相談すると、すぐ明日(つまり今日)業者を寄越すと言ってくれる。またついでに寝室にあるクローゼットのドアがよく脱落するというと、それは自分が直す、とのこと。大家さんに部屋に入られるのはなぜか緊張するが、せっかく直していただけるというのでお願いした。
すると今朝電話があり、今日の午後にでも伺うというので、午後は出てしまうんですがというと、じゃあ午前中に行きますとのこと。今日は連れ合いが1時から大学で会議なので、一緒に国際会館まで行ってドルフでお昼を食べて、連れはそのまま大学へ、俺はコーナンで二階の本棚の転倒防止用突っ張り器具を買っていく…という予定をたてていたのだが、大家さんや下水管修理が来るので中止にする。
あたふたと寝室を片付けたり掃除をしたりして待っていると、10時ころ「花屋です」と電話がある。聞くと「明青さんからお花を届けるようにと言われてますがおられますか」という。いるというと、すぐ持ってくるという。15分ほどして花屋さんが綺麗なバスケットに梅の小枝が数本ささったものを持ってきてくれた。カードもささっていて、「結婚記念日おめでとうございます」添えられていた。
連れ合いと「?」と顔を見合わせたが、そういえばお店で結婚記念日はいつだという話をしたことがあり、連れ合いが自分たちはそういうのはないんですよ、でも入籍したのが2月12日とかその辺だったっけ、ということを言った覚えがあるという。そうだっけ、じゃあそれを覚えていて下さったんだねえ、と感激。思わず綺麗な花を写真に撮ったりして、大家さんも来られるからと玄関に飾らせていただいた。ありがとうございます。
その直後、意外と早く大屋さんが下水管修理のおじさんを連れて来た。下水管の方は、マンションゆえ大元の管に台所から洗面台から全部つながってるので、まず一番上手になる台所の方から詰まりを直します、とのこと。何やら長い管がホースのように巻かれた機会を持参してきて、排水口にどんどん突っ込んでいき、グワングワンと動かしはじめた。
大家さんの方はスパナやドライバなどを持参で、さっそく寝室のクローゼットのドアを直していただく。大家さんはご高齢なのでこちらも手伝おうとするが、かえって邪魔なようなので傍観に留める。
配水管は台所から大元の排水パイプまでの経路を一通り掃除してくれたそうで、次に洗面所からパイプみたいなのを突っ込んで動かしていた。結局それは順調に直り、洗面台に溜めた水をいっきに流しても洗濯機の排水口から溢れてくることはなかったし、明らかに排水の流れ方もスムースになったので安心した。こういう些細なことって放置しておくとすぐにストレスが慢性化する。
大家さんの方は苦心されていたが、何とかその後20分ほどで直していただけた。助かりました。
作業中ユキが大家さんの作業にまとわりつくように見ているが、大家さんは犬や猫が好きな方なので、ちょっと猫の話もした。大家さんは「また何かあったらいつでも言ってください」と言って帰っていかれたが、ご老人をああして使うのはどうも忍びないとうか、申し訳ない気がする。しかし本人はこういうメンテナンスがお好きな様子でもある。
その後支度をして外へ出ると小雨がパラパラ。ご飯を食べる時間はもうないので、タクシーで国際会館駅前まで行き、そこで俺だけ降りて、コーナンで本棚の突っ張りパイプ2セットと下にかませる転倒防止のプレート2セット、オルファのカッター、トイレのブルーレットと詰め替え、芳香剤の詰め替え2つ、M用のクリアファイル10枚セット、ゴムの木の植木鉢の下に貼る傷防止シート、ゴミ袋2種類を2袋ずつなどを買って帰宅。
関連記事
2008-02-10(Sun)

胆石発作

2月10日(日)
このところ熟睡できず、夜中は1時間おきくらいに暗い中でも見えるデジタル時計を見ている。朝方は下痢で5時過ぎに起きてトイレに行き、結局そのまま寝られずに起きていた。8時過ぎになって連れ合いも起きて来て、下痢だというと自分もだという。俺ほどひどくはないらしいが、何か悪いもん食ったかねえ、と話すが記憶にない。だいたい俺の下痢はそういう性質つまり腹を下すようなものを食べたりした、というものじゃない感じだ。いつものようにドリンクヨーグルトを飲むと下腹部あたりがまたモヤモヤーっと下痢の嫌〜な感じがある。
朝…というか11時半ころに俺は冷凍してあったご飯を解凍し、だしつゆと塩、水菜ととき卵で雑炊を自分で作って食べた。うまかった。それから仕事を始めたが、1時前あたりから下腹部は下痢だが、胃のあたりにどうにもおかしな痛みと不快感が出てきた。何だろう、雑炊は負担になるようなもんじゃないだろうし…としばらく悶々としていたが、ハッと気付いた、これは胆石発作だ。
いつも発作は夜中や未明に起こるのでそれと気付かなかったが、なぜかこんな時間に突然胆嚢が痛み出したのだ。連れ合いに言うと痛み止め飲んだら、というので京大病院で処方してもらったボルタレンを飲んでソファに転がって様子をみる。しかし痛みは強くなるばかり。
連れ合いには大丈夫だと伝え、買い物には一人で行ってもらう。連れが出て行った後、1時過ぎあたりが痛みのピークだったか。とにかく痛い。胆石発作の痛みは経験した人じゃないと解らないと思うが、とにかく痛くて不快な感じが腹から胸にかけて拡がり、どっちを向いても立っても座っても寝ても痛むし、鎮痛剤は効かないことが多い。実際ボルタレンはかなり強い痛み止めだが、全く効かない。
連れ合いがいた頃は10でいうと5くらいだったのが、9くらいになってキツい。あまりの痛みに胆嚢じゃなくて病気の進行だったら、と一瞬嫌な気持ちになるが、これはいつもの胆石発作だ、だから痛み止めが効かなくても発作自体は2時間ほどで治まる…とひたすら苦しみながら耐える。そうして3時過ぎ、ようやく痛みが薄れてきた。3時半ころにはテレビで阪神対日本ハムの練習試合を横になりながら見る余裕も出てきた。(中田クンは2打席目に特大の場外HRを打って大器の片鱗を見せたのだが、相手投手は高校の先輩で、ストレートしか投げてなかったから、割り引いて考えるべき)
ようやく痛みもほぼ引き、今3時45分だが、こうして記録をつけられるようになったわけ。そうすると現金なもので、小バラが空いたと感じるほど。しかしキツかった。4時ころ連れ合いは買い物して戻ってきた。ふぐ鍋の材料を買ってきて、夜は鍋にする。
関連記事
2008-02-03(Sun)

吉田神社へ節分のお参り









まるで水墨画。クリックで大きくなりますよ。今日は節分。京都市内の神社仏閣ではイベントが盛りだくさんで、どこへ行こうか迷うほど。しかし今年は明青さんの女将さんが「吉田神社の節分は凄いですよ〜、縁日の出店が800軒もズラーッと出ますから」と聞いていたので、行ってみることにした。
いや別に縁日の屋台が珍しくて行くのではなく(ってそれも珍しいけど)、最初は「東京の家に貼ったり置いてあったりしたお札を、どこかへ納めさせてもらいたいんだけど」…という話を女将さんにしていたところ、吉田神社は巨大なお札納めのやぐらのようなものを組んで、節分の日にそれを燃やす…というイベントがある、と聞いたからである。吉田神社の縁起は清和天皇貞観元年4月(西暦859年)と恐ろしく古い。まあ京都にはこうした古い神社仏閣がたくさんあって、百年とか江戸時代というと全然新しい印象になってしまうほどだ。ちなみにいつだったか、テレビで関東にある何かの店を「創業70年の老舗」と紹介していたのを見たが、京都で暮らすようになると「70年では老舗とは言わしまへんやろ」という気分になってくるから不思議である。
さて節分の日は観光シーズン真っ盛りの時ほどではないにせよ、けっこう洛外近県からも観光客が来るので、早めに出ようということにする。10時半ころに着替えて外へ出ると、比叡山方面が雪化粧、まるで水墨画のようになっていた。小雨がパラつくような感じだったが、連れ合いが折り畳み傘を一つ持って、タクシーで神社へ向かう。あちこちからたくさんの人が電車や車でわざわざ訪れるところ、そういう場所に住んでいるとこういう時に実にありがたいな、と思う。何せ吉田神社まではタクシーで行ってもせいぜい千円程度。二人で乗れば一人500円程度の負担と考えたら、ケチってバスで220円だと行くよりもずっと快適である。
東大路を南下して、京大正門前のバス停付近でタクシーを降りる。あちこちからぞろぞろと参拝客が同じ方向、つまりこちらへ向かって歩いてくる。東大路両側のバス停に停まるバスからはこれまたたくさんの人が降りてこちらへ向かってくる。東側の車線は参拝帰りの客をあてこんだタクシーの空車が数十メートルも連なる大行列をつくっていた。そこへ自家用車やタクシーなどが乗り付けてきて、我々のような客が降りてくる。思わず「うわぁ、早く出てきて良かったなあ」と顔を見合わせた。
東一条の屋台、延々と…参道へ入るとすぐに、両側にズラリと奥の方まで屋台が並んでいた。この頃には小雨がちょっと気になってきたので傘を差して歩くが、懐かしいスマートボールや輪投げ、ヒモを引くと景品につながってるものなどのアミューズメント(?)系もあったし、食べ物もけっこうバリエーションが多い。焼きそばやたこ焼き、お好み焼きやおでんといった定番の他にはフランクフルト、唐揚げ、フライドポテト、牛串、ホルモン、ラーメンやそば・うどん、ぜんざいまである。トルコ風のシェラスコがあったのにはビックリ。
それにしても、なるほど屋台の数は半端ではない、ここの参道はずいぶん長いな…と思ったら、左手に京大正門が見えた。ここは東一条通り、つまりふだんは車道なのであった。そこが車両通行止めになり、両側にずらりと屋台が並んでいたというわけ。あとで知ったのだが、ここはふだんはそれほど交通量・人通りともに多いところではなく、それがこれだけの縁日と人で埋め尽くされるのだから物凄い。ちなみに今年は日曜だったけど、ここを通学路にしている小学生はお昼から半ドンになるという。
とにかく東大路から吉田神社の本来の参道入口まで約300mあるわけだが、そこが全部縁日になっていると思えばいいわけで、その数たるや圧巻だ。さらに参道へ入ると、道幅は狭くなり舗装は砂利道へ変わったが、両側の屋台の真ん中に、もう一つ屋台の列が加わった。要するに中央分離帯が屋台によって形成されているわけである。いやはや凄い数だ。往路はとにかくまず参拝しようということで、どういう屋台があるのかを見物しつつ、鳥居をくぐった。ようやく鳥居が見えてきた。あそこからが本来の参道。
巫女さん。境内へ続く長い石段を登りきると、本殿のある広場だ。すぐに「福豆授与」というテントがあったので、巫女さん(たぶんアルバイト)から4袋いただく。これには抽選券がついており、毎年けっこうな協賛企業・店舗から大量の景品が提供されていて話題だ。車一台、液晶テレビというのもあれば、清酒2本とか毛布とか、意味不明だが半畳くらいの畳が2枚というのもあって、おかしい。
お札納めのやぐら。巨大。それから本殿手前で巫女さんがお払いをしているのを見つつ御守護のお札を貰い、小さなお守りもいくつか買って、本殿に参拝。お賽銭をあげて厄除けと健康を祈る。そうして踵を返すとすぐ、巨大な円柱形のやぐらのようなものが目に入った。これに皆がめいめい持参したお札や破魔矢などを縛り付けたり挟んだりして、夜に焼いてくれるらしい。直径4、5m高さは3mくらいあろうか。これが轟轟と燃えたら凄いだろうなあと思う。
おみくじでも引いていこうかと連れが言うので、せっかくだから福だるまおみくじの方にする。300円で、大だるまの中に手を突っ込んで小さなだるまさんの張子をもらうと、底に紙が貼られていて、何かが入っている。これがおみくじかと引っ張り出して開いて見ると、なんと大吉。「病気 全快する」だって。…まあ縁起物だから…と言いつつも嬉しい。連れのは中吉だったか。
福だるま。中に小だるまがいっぱい。みごと大吉ゲット!
珍しい屋台の内側からの画像をお楽しみください。帰り道はゆっくり屋台を見物しつつ歩いたが、何を食べようか迷ううちに鳥居を出てしまった。ちょうど出たところにあるたこ焼き屋でたこ焼きを6つもらい、中に座ってアツアツのを半分ずつ食べる。外はカリッとして中から高温のトローリが出てきて解っちゃいるけどアヅ、アヅ!フハヒフホ状態(東海林さだお風)になる。口から白い息がぶわーと出た。それから東一条の広い道に連なる屋台を来た方とは逆側のを見物。
連れがフライドポテトが食べたいと言うので、若いお兄ちゃんが店番をしているところで「揚げたてにしてくれる?」と聞くと、「いいですよ!」と言ってジューッとやってくれた。「シャカシャカポテト」と言うんだそうで、6〜7種類の塩やらバーベキュー味の粉やら七味やらから味付けを選ぶらしい。俺らはシンプルに普通の塩にすると、ポテトを入れた袋にサラサラと入れてくれ、「よく振って食べてくださいね」と渡された。言われた通り袋をシャカシャカと振りつつ歩き、途中から食べつつ歩く。揚げたてなのでサクッとしていて、イモもほくほくでうまい。うまいうまいと言いながらシャカシャカしつつ歩く。

東大路に出たところでちょうど食べ終わったので、百万遍まで歩いてコンビニで袋を捨てる。沿道にはけっこう、食べ終わった紙袋や串、ワンカップまでうち捨ててあるが、神仏にお参りした後でこういうことをする神経がよく解らん。それにしても凄い人で、東大路へ戻ったころには12時を過ぎていたのだが、明らかに帰り道はすれ違う人の波が違っていた。午前中は天気も悪かったせいもあるが、昼から夜までにはそうとうな数の人が来るのだそうだ。

夜は明青さんに福豆のおすそ分けをあげて、一杯やる。ご主人は「吉田神社もいいですが、来年の話をして申し訳ないですけど下鴨神社もいいですよ。」とのこと。聞くと和弓を手にしたご老人が、キリキリと弓を引き、天高く打ち上げるという。それがまた見事に高く飛び、糺の森へ消えていくさまが何とも言えないそうだ。また弓で的を射抜く「追儺弓神事」という儀式もあるそうで、なるほど京都はそこここでこういう伝統ある催しがあるから、どこへ行こうか迷うほどだ。
来年の節分も元気に、今度は下鴨神社へ参れますように。
関連記事
2008-02-01(Fri)

野菜スープ

今日は比較的暖かい…と陽射しがあるのを見て外へ出ると、雪がチラチラ。天気雨というのはときどきあるが、天気雪というのは珍しい。その珍しいことが京都では割合によく見られる。まぶしいくらい日が刺してるのに、雪が舞っている…というような。
連れは大学の入試と合否判定などの一連の仕事で、今日も出勤していった。こちらは自分の仕事が水曜で一段落したので、主夫よろしくチャリンコで買い物に出る。ミネストローネ=ごった煮の材料を買いに、八百屋まで行った。キャベツ、にんじん、パプリカ、ブロッコリー、トマトに切らしていた醤油。やけに醤油高ぇな、と思ったら今日から値上げだそうだ。何でもかんでも値上げである。原油価格が上がっているのは解るが、便乗値上げもけっこうあると見た。まあでも醤油はちょっと前に大豆も先物相場で上がったりしていたので、もう企業努力でもどうしようもないんだな、とむしろ同情。
だいたい石油や小麦や大豆など、生活に密着したものを投機の対象にして果たしていいのか、という素朴な中坊のような疑問が頭をよぎる。チラシを調べまくって何件ものスーパーを廻り、1円でも安く日々の買い物をしようと走り回ってる人がいると思えば、机に座ったままポーンと数千万の取引をする人間もいる。そういう人間にとって大豆だの小麦だのは単なる金儲けの手段であり、その乱高下によって庶民が右往左往することなど考えもしないんだろう。
野菜は全て国産と表示されているので安心だが、家に帰って下ごしらえをするのにあたり、一応葉ものは当り前だが外側の葉は捨て、根菜などもよぉく洗ってから使うことにしている。常識、ですが。

「毒入りギョーザ」だの「殺人ギョーザ」だの、今メディアでは例の冷凍食品から農薬が検出され被害者が続出しているというニュースでもちきりだ。だがどうにも解せないのは、連れ合いとも話していたのだが、冷凍餃子が出来る工程を見ていたら白菜やキャベツ、ニラなどの野菜に残留していたとしても、具材としてミンチ肉などと混ぜ、それを皮でくるみ、いったん蒸す…つまり加熱処理をする、そうしてから冷凍し、パッケージングするという。あの種の農薬は仮に野菜に残留していたとしても、過熱するとかなり分解されると専門家が話していた。それを冷凍し、さらに日本の家庭でフライパンでもう一度「加熱処理」される。それでもブッ倒れるほどの毒性を保っていたというのは、野菜に農薬が残留付着していた、というレベルだろうか…。

玉ねぎはみじんにしてオリーブオイルで透明になるまで炒め、近所の焼肉屋さんが自家燻製しているベーコンを切ったのを塩コショウして焼き目がつくまで炒める。それに野菜類とホールトマト、コーン缶を加えて塩コショウ、ブイヨンその他いろいろで味をつけて、ミネストローネ…というか野菜のごった煮スープの出来あがり。
ちょうど連れが7時ころ戻ってきたが、夕飯を食べていると大学の同僚から電話。まだ判定会議が終わってないそうで、試験監督だけを終えて勘違いして帰ってきてしまったらしい。やはり行かないとダメでしょうか、と聞いていたが当り前らしく、8時過ぎにあたふたと出て行った。ご苦労さんです。
関連記事
カレンダー
01 | 2008/02 | 03
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。