2008-04-28(Mon)

ONGMAP

4月28日(月)
精華大講義日。前回の続き、「ガロ」創刊前夜の日本の漫画出版の状況について。出席率悪し。それでもびっちり時間ややオーバーまで講義。座学は聴く側は眠気との戦いなので、楽しませないとすぐに飽きられる。そこら辺のサジ加減って重要。おおむね興味を持ってもらえているようなので安心。
ところで今精華大は本館を取り壊して建替え中で、教務課は大学への入口スロープ前の棟に移動しているのだが、そこから連れ(やまだ紫)の研究室と実習教室があるJ棟までの標高差(笑)は何と20m。距離的には200mくらいなので、その間を20m登るのはけっこうキツい。いや若い人ならたいしたことはないだろうが、病人にはキツいので、いつも午後からの講義のある連れとはすれ違いである。
ところで標高、なんて言ったがこちら=ONGMAP.COMで地図上の中心点の標高が簡単に調べられますぜ旦那! ってそんなの喜ぶのは地図オタの俺くらいなもんか。
関連記事
スポンサーサイト
2008-04-26(Sat)

教え子から本が届く

4月26日(土)
日本ジャーナリスト専門学校の教え子U君から、「担当した本です」と単行本が2冊届いた。一冊は水木しげる先生の本で、もう一冊は士郎正宗原作「アップルシード」の最新作、「エクスマキナ」の設定資料集。いろいろやってるなあ、頑張ってるなあ、という印象。
U君は97年にジャナ専に「コミック編集科」が出来た年度の一回生。当然俺の最初の年の教え子でもある。当時同じ教室で学んだのは十数名だったか、その中で「ガロ」を知っていた数少ない学生だった。卒業後は編集プロダクションに進み、新人の間は企画書を書いては没にされ、叩かれて叩かれて一人前の編集者になり、一度はゲスト講師にも来てもらったっけ。
そういえば俺が入院中、自宅に菜の花をドサッと送ってくれたけど、箱の中で水が出ていて困ったんだよね(笑)。いや、お気遣いはありがたいけど、あんまり気を遣わないように。元気でやっていてくれればそれでいいです。あとは結婚…だな!


水木サンの猫 (講談社漫画文庫 み 3-10)
水木 しげる
講談社

このアイテムの詳細を見る


THE ANALYSIS OF EX MACHINA (KCデラックス)
講談社
講談社

このアイテムの詳細を見る
関連記事
2008-04-22(Tue)

桂明日香 「ハニカム」 単行本がついに発売

4月22日(火)
ハニカム 1 (1) (電撃コミックス)
桂 明日香
アスキー・メディアワークス

このアイテムの詳細を見る

週刊アスキーで連載中の桂明日香さんの漫画、「ハニカム」の単行本がついに発売になるそうです。週刊アスキー5/6号を読んでいたら、「ハニカム」のタイトル部分に「初単行本、5月27日に発売決定!」という告知を発見。現在連載39回目なので1回4P、ということは10折くらいの厚さか…と編集らしい計算をサッとしてしまう。
しかしこの作品、連載はじまってすぐに面白いなあ、面白くなるなあ、と思ってずっと楽しみにしてたのだが、やはりネットでも凄い人気ぶりがわかる。2ちゃんのスレの経ち方も尋常じゃないし(笑)、当ブログでもアクセス解析をすると、自分の本家サイト以外からだと今一、二を争う進入元(笑)がグーグルなどでの検索エンジンで「ハニカム」について表示させたページからっすよ。
例えばこんな感じ。
ハニカム 桂 - Google 検索
ハニカム 漫画 - Google 検索
週刊アスキー ハニカム - Google 検索
検索ワードは微妙に違えど、拙ブログが上位に表示されてます。「ハニカム」を紹介した記事(「ハニカム」(桂明日香/週刊アスキー)がオモロイで。)を比較的早く掲載したせいだろうか。
さて連載本編では最近「守時さん」という謎のキャラが登場、これがツンデレ系(今のところツンのみ多し)の妹キャラという、まあやっぱりオタクちゃん心をグワシッと鷲掴み…という美少女です。まだ読んでないという人は、すぐ読んで「萌え〜」となりましょう。
関連記事
2008-04-21(Mon)

精華大講義日

4月21日(月)
今日は朝から精華大で講義なので、携帯のアラームを目覚しにセットして寝たが、起きたのは目覚しが鳴る前の8時過ぎ。連れ合いもほぼ同時に起きる。この日の予報は22度、かなり暑くなるといことだったが、京都は朝晩は気温が下がるから、朝はそれほどでもない。窓から外を見ると天気はほぼ快晴で、空の青と東山の緑のコントラストが美しい。真正面には遠くに吉田山のこんもりした緑の丘も綺麗だなあ。いやあ本当にいいところへ来たものです。
朝飯は食わず、その前に資料に使うテキストをプリントしたりしていると、10時過ぎになってしまう。講義は10時40分からで、うちからだと駅まで5分、電車で15分、教務まで3分、教室まで5分の合計30分かかかる。連れが「早く行かないと遅刻するよ!」というので慌てて着替えて出るが、茶山の駅へ向かう途中で無情にも13分の電車がホームからガーッと出て行くところが見え、ガックリ。そのまま北大路からタクシーを拾って大学へ行くことにする。片道タクシー使って1500円払ってりゃ赤字だよ…。
何とか間に合ったので、教務でMさんに挨拶すると、講義をする教室が決まったので案内するというのを自分で行けるからと制して、出席簿を確認。ストーリーとプロデュース半々くらいで、最終的には13名が登録したようだ。こないだ来たのはノートテイカーを除くと7名くらいだったので、それでも倍増したか。全員がちゃんと出席するとは思えないし、そういうことはないことも知っているので、まあ10名弱が来ればいい方だろう。それでも一応こないだ来なかった学生の分もと「ガロ」の概念図をコピーしてから、講義をする棟へ向かう。
エレベータで先週も聞きに来たストーリーの男子学生と一緒になり、挨拶される。聞くと彼はまだ1回生で、本当は受講資格はないのだが、俺の講義を自主的に聞きたいという。いいでしょうか、というのでもちろん出席は取れないけどそれでもいいなら歓迎する、と話す。教室はTという棟の5階の南のどん詰まりの教室。30名くらい用の小さな教室だが、それくらいの方が逆にマイクも使わなくて済むし、ちょうどいい。教室へ入るとすでに5・6名の学生がおり、出席を取って講義開始。
「ガロ」創刊までの貸本マンガの話や社会状況の話などを絡めつつ、劇画の誕生などの経緯などをびっちり。途中遅れて来た子もおり、結局10名くらいは来たか。聴覚障害者のN君もノートテイカー2人の女子学生とちゃんと来た。講義の後、ストーリーの1回生の子が絵を見てくれというので見るが、抽象画のようなキャラクタ。個性があるのは認めるが、このままいわゆるメジャーのストーリー漫画を目指すのなら、コレでは厳しいよ、という話をする。その後別の女子学生が「先生に見てもらいたいものがあるんです」というから何かと思ったらかばんから変なぬいぐるみを取り出す。どうやら講談社というタグがあったのでマンガの何かのキャラグッズらしいが、残念ながら俺はそれを知らない。それになぜそんなものを俺に見せようとするのかも意味不明。ちょっと変わった子なんだな、と理解して当たり障りのない対応をしておいた。
教務へ戻って資料を自分のメールボックスへしまい、歩いて駅まで降りて、叡電で元田中まで。めんていで肉カレーうどんを食い、汗だくになる。何せ夏のような日差し、気温は予報が上がって25度になるという。隣の大天龍(パチンコ屋)へ逃げ込むが、冷房はなく入口のドアを開放してあるだけだったのでガックシ。冷たい缶コーヒーを飲み、座ってとりあえず一息。何もしないのも何なので、ハイパー海をまわすと、1000円で単発。続けてると時短中に確変。しかし2回で終了。その後1箱吸い込まれて単発。次が確変だが2回で終了。次も確変だが2回で終了。合計7回出すが、たっぷり4箱で22600円。暑いので食休みさせてもらった上、儲けさせてもらってすいません的な気持ちで3時過ぎに汗を拭き拭き東大路を歩いて帰宅。
関連記事
2008-04-20(Sun)

糺の森

4月20日(日)
糺の森の新緑朝7時ころ起きる。朝はおにぎりと味噌汁。天気もいいし、東京から持ってきて寝室に置いたままにしてある、西新井大師で貰った夫婦二人のお札を下鴨神社へ行って納めて来よう、ということにする。世界遺産・下鴨神社(正確には賀茂御祖神社)はうちから直線距離でも1kmほどの至近距離にあり、それゆえいつでも行けると油断していて、これまで訪ねたことはなかった。京都でも上賀茂神社と並んで最も古い神社の一つで、その起源さえ、諸説あって定かではないほど。
2時ころ神社の南側の入口、御蔭通りに面したところでタクシーを下りて、参道へ入る。このあたりは「糺の森(ただすのもり)」と呼ばれる、新緑が実に綺麗で気持ちが良い場所だ。「君が代」に歌われた「さざれ石」があったりして、カメラで写真を撮ったりしつつ本殿へ向かう。本殿では結婚式をするカップル…といっても失礼ながらけっこうトシ(?)のお二人が和装で写真撮影していたり、それを遠巻きにアマチュアカメラマンがパシャパシャと撮影していたり。
巫女さんが受付をしている売店で二人の干支のお守りと、難病退散の水晶つき根付を買ったりして、お札を祈祷受付の巫女さんに「どこへ納めればいいのでしょうか」と聞くと「こちらでお預かりいたします」と受け取ってくれたので、そのまま渡してきた。古いお札をずっと家に置いておくというのは良くないことだし、何よりそのダラダラとした気持ちが自分で不快でもある。これで気持ちがホッと安らいだし、引越の区切りがついたような気がした。

高野川本殿と、その前にある十二支の社にお参りしたあと、有名な御手洗池(みたらしのいけ=「みたらし団子」とはここから来ている)も見て、再び糺の森の緑をゆっくり楽しみつつ東側の住宅街へ抜ける。そこを南下し、途中高野川べりへ出られる道を折れて、川沿いに高野橋までゆっくり北上しつつ散策をする。菜の花のような背の高い黄色い花が群生しているのを見たが、あれは菜の花にしては茎が木のように太く、それにデカ過ぎる。きっと外来種だね、などと話しつつ白鷺が魚を狙っているのや、上空ではトンビがカラスに執拗に攻撃されながら逃げ回っているのや、ビーサンに半ズボンの子どもと親子連れがこないだの雨で増水した高野川の飛び石をじゃぶじゃぶ渡って釣りをしているのを見たり。
ゆっくり途中休んだりしつつ新緑と川の散歩を楽しんだその後歩いて明青さんまで行き、心地よい疲れに生ビールを堪能。
関連記事
2008-04-17(Thu)

術後一ヶ月検診、異常なし

4月17日(木)
一日じゅう雨だった。この日は連れ合いが12時15分に糖尿の診察日で内科、俺は2時15分から手術後の検診で外科へ…という日。別々に出るのもアレなので、とりあえず連れの時間にあわせて11時半過ぎに支度をして出る。2人なのでタクシーで京大病院まで行き、再来受付械で受付を済ませ、連れが銀行へ行くというので俺は先に採血を済まそうと2階の中央検査部へ向かう。受付をしてすぐ採血室へ。今日は待っている患者はほとんどが老人だった。採血を終えたはいいが、後は俺の方は時間つぶししかない。同じ階の内科へ行くと、連れ合いが待っていたので合流。二人で連れの診察を待つのだが、予約時間を過ぎて12時半になっても呼ばれない。俺は空腹で吐きそうになったので(笑)、「飯食ってくる」と病院下のレストランへ行く。
レストランは混んでいたが、ボックスではなく中央の一人用の長い相席テーブルが空いていたので座れた。和風ハンバーグ定食を食うが、空腹だったせいかけっこううまかった。あ、ハンバーグが小さかったのがちょい不満。あと、ご飯がうまいのにビックリした。大釜で炊いてるんだろうか、こういうところの飯って保温されててアレなことが多いんだけど。そんなこんなで満足して内科の受付・外待合に戻ると、連れがちょうど診察を終えて出てきたところだった。
一緒に下へ降り、向こうは会計の列に並び、俺は大画面で岡本信人が出ているNHKの番宣番組を見る。連れが会計を終え、あとは俺の診察待ちだが、この時点でまだ1時過ぎ。診察時間まで1時間以上あるし、会計とかで結局出る頃には3時ころになるよ、といって先に河原町へ買い物でも行けば…ということにして別れる。俺はそのまま4階の外科の外待合の椅子に行き、後はもうひたすら眠気との戦い。ようやく2時15分になったがいっこうに中待合へ入れとも呼ばれないので、本格的に寝ようかと壁際の椅子に移動して頭をもたせかけたら、中待合へとピッチに言われて移動。
俺の胆嚢切除手術を執刀して下さったO先生の診察室からはご婦人の患者の声が聞こえていたが、10分ほどして出て行った。その次が俺だった。診察室へ入ると先生は「どうですか?」というので「おかげさまで、もうすっかり元気になりました」と言うと「それは良かった」とにこにこされる。「まだちょっと腹筋を使うと痛いときがあるんですが、ずいぶん良くなりました、その節はバタバタと退院になってしまって、ご挨拶もできずにすみませんでした」とお礼を述べる。
その後お腹をエコーで見てもらって、「胆管にも異常はないみたいですね」とのこと。「この傷周辺の感覚がないのは…」というと「結論から言うと、戻りません。神経が走っているところを切ってますから。」とちょっと残念そうに言われる。俺はまあそういうものだと知っての上だったので、「やはり…」と言ってズボンを直すと、先生は「ただ、その感覚がないという状態に慣れてしまうんですよね。他の患者さんでも、手術後1年くらい経って『もう感覚も戻りました』って言う方もいるんですが、実際触って見ると感覚がないままなんです。」とのこと。あとは「今日の採血の結果も特に変化はなく、「問題ありませんから、これで外科としては終了ということになります。この後は(血液内科の)I先生にかかってられますから、もし何かあればすぐこちらへ連絡いただくような形でいいでしょう」とのこと。重ねて御礼を言って、診察室を出る。

胆嚢を取る手術をして一ヶ月余り。もちろん、当然ながら一度もあの「激烈な痛み」を伴う発作は起きていない。デカい石もろとも、俺の胆嚢は摘出されたから、これからも起こることはない。とにかく何の心配もなくご飯が食べられる、普通の人なら当り前のことがこんなに嬉しいことだと実感した。これから何年生きられるのか不明ながら、少なくともその間の大きな不安・苦痛が取り除かれたことは大きい。手術は難しいと言われていたのに、脾臓を傷つけぬよう細心の注意をはらい、執刀していただいたO先生には本当に感謝している。
下へ降りて会計受付へ行くと奇跡的に4.5人しか並んでおらず、ササッと会計受付終了。それから椅子に座って待ってると、5分ほどでピッチが鳴って、2千いくらを自動精算機で払って、病院を出る。外はまだ小雨だった。連れと河原町蛸薬師で合流。
関連記事
2008-04-14(Mon)

精華大で初講義

4月14日(月)
朝は7時ころ目が覚める。この日は精華大で講義を開始する初日。なので枕元に携帯をアラームにして置いて寝たのだが、アラームの8時40分よりだいぶ早いので朦朧。実を言うと枕元の携帯がブーブーと振動したので、目覚しと思って起きたらまだ6時前。何と出会い系サイトからの迷惑メールの鳴動であった。これで起こされてから寝られなくなったので起きてしまったというわけ。頭に来たので総務省のサイトから迷惑メールを通報してやるが、どうせアドレスを変えてまた来るんだろう、と思いつつせっせと報告作業。
連れは8時半ころ起きて来た。俺はソーセージパンを食べてカフェオレで朝食を済ませ、10時過ぎに叡電茶山駅から電車に乗る。しかしこれが八瀬行きだったので宝ヶ池で降ろされて、しばらく待つと鞍馬行きが来たはいいが、これが学生で満員。そのまま大学前まで行き、アーチ状の跨線橋を渡って、精華大の構内に入る。いったん教務へ行き、教務課のMさんに挨拶をして、資料配布用にコピーを頼んでおいた「ガロ」の年譜やイラレで作った概略図などを受け取る。それを抱えて出勤簿にハンコを押し、講師の控え室を教えてもらうのに案内される。教務課のある棟の裏側にある階段を上がった建物を入り、その中のけっこう奥まったところに非常勤講師の控え室がある。当り前だが狭い部屋を他の非常勤の先生と共同で使うので、案内はしてもらったものの、まあここではくつろげないしな、というのでそのまま一緒に戻った。
んで荷物を置いていったん下のトイレへ行ったりしていると10時半になったので、Mさんに講義をする教室を案内してもらう。まだ前の先生や学生がいたが、マイクやプロジェクタなどの説明を受け、そのまま教室に残って時間が来るのを待つが、ガヤガヤしていた教室からは学生らがドッといなくなり、始業のチャイムが鳴っても残った学生は10人弱。うち2人は聴覚障害者の学生N君のノートテイカーで、話している途中でN君が来ないので途中退席した。入れ替わりに2人ほど遅れて来た子がいたが、結局10人足らずの学生しか来なかった。
この日は「お試し」というか、いったんどんな講義なのか聞きに来て、次回以降選択するかどうかを決める講義時間なのだとMさんが言っていたから、これ以上大幅に増えることはなく、むしろ減るのだろう。
俺が今春から精華大で受け持つコマは「作家研究」という、マンガ学部のストーリー学科とプロデュース学科両方から選択可能な、3回生の講座である。実技系ではなく座学の講座なので、まあよほど知的好奇心があるとか、シラバスを見て「ガロ」に興味を持ったとかいう奇特な学生しか来ないだろうな、という予想はしていた。10人程度というと人気教授のゼミよりはるかに少ない人数だろうが、俺にすればジャナ専時代の30人という教室でも「ちょっと多いかな」という感じだったから、逆にやりやすい。
学生は少ないが、それでもこちらは手を抜かず、自己紹介から作家研究における「作家とは」、あるいは「ガロ」のことなどをびっちり話した。
12時15分くらい前に、最初なので質問とかネーム見て欲しいという人がいたら受け付けると言って終わる。ストーリー学科からという男の子一人が「ガロ」のことについて質問してきて、もう一人プロデュースの女子学生が原稿用紙に書いた原作を読んで欲しいというので順番に対処。原作の子には漫画も描いたことがあるというので、じゃあネームを先に作ってそれから文字を起こすと解りやすいと教えると喜んでいた。
12時10分ころ、教務へ戻ってMさんに「10名ほどでした」と言うとびっくりしていた。あまりに少ない、ということらしい。まあ今どき「ガロ」なんて誰も知らないし、知らないことなど興味もなければ聞きたくないよな、と思う。挨拶して出ると連れ合いから自分も学校着いた、とメール。電話すると研究室にいたが、連れの研究室がある棟は教務の棟から遠いし、坂を登っていく形になる。俺は終わったので疲れたし先に帰る、と言って叡電精華大学前駅へ降りる。修学院で降りて、白川通りを下がって、昼食に「魁力屋」へ入る。前からちょっと気になっていた店で、カウンタで「特製醤油ラーメン」というやつの、味玉つき、麺ふつう、背油少な目というのを頼む。醤油スープがなかなか美味で、チャーシューやメンマもうまい。しかしながら、やはり京都ラーメンの常か、麺がストレートなのが残念だ。これでちぢれた中太の卵麺だったらかなりいい線だったと思うのだが…。
食い終わって清水町のバス停から、北8のバスに乗ってでまっすぐ帰宅。
関連記事
2008-04-13(Sun)

しばしの別れ

4月13日(日)
夕べもしこたま飲んだせいか、朝は11時近くまで寝ていた。朝、じゃなくて昼である。他のみんなはとっくに起きていて、特に子供たちはWiiがやりたくて仕方がなかったらしい。しかしテレビをつけても外部入力切替でWii画面を表示させるのが俺じゃないとわからないから、と言って俺が起きるまで我慢させていたという。ところが帰りの新幹線は2時過ぎだというから、そんなにゆっくりもしてられないし、というので11時過ぎに「やりたい」とWiiのコントローラを持ってきたSに「もうすぐ出かけちゃうからね」と諭してメールチェックだけ済ませ、出かけることにする。
布団は上から旦那にベッド脇に下ろしてもらって、Yちゃん一家の洗濯物や荷物は段ボール箱に入れて送ってやることにし、出かける。電話でタクシーをマンション下に2台呼んで来てもらい、いったん四条寺町へ向かってもらう。いったん寺町京極をぶらぶらしかけるが、連れ合いが「子どもといってもこの年だとまだ面白くないかもね」というので途中で錦(市場)へ折れ、店みせを眺めながらぶらぶら歩く。俺はあちこちからいい匂いがするもんだから腹が減ってしまい、昼は「もちつき屋」で食べることにして、入る。お昼どきのため席が6つ続いて空いてなかったので、俺たち夫婦は店の奥の2人掛けへ、Yちゃん一家は入口近くの4人掛けに別れた。俺はうどんセットにおこわ、連れは力うどん。途中餅つきのパフォーマンス時間が重なって、入口近くの一家は間近で餅をつく様子を見られた。
その後地下鉄で四条駅から京都駅まで。京都駅東側のエスカレータをぐんぐん上がって、「天空の道」まで行く。Mは面白がってエスカレータ脇の階段をホイホイ駆け上ってったりと、体力自慢。こちらは実を言うともうかなり疲れていたので、子どもの体力恐るべし。天空の道から京都タワー方面を眺めたりしたあと、伊勢丹側へ抜けて外へ出る。今度は駅の南側を展望して、さらに上にある庭園で一休み…と思ったらもう1時半近かった。これじゃあもう降りないと、というので今度は駅の西側のエスカレータを延々と降りて、改札口でYちゃん一家を見送った。子どもたちはこちらが見えなくなるまで手を振ってくる。その姿が見えなくなった後、連れと顔を見合わせて苦笑。子どもの体力恐るべし。
この2日ほど子どもらのパワーに振り回されていたので、正直言うとけっこう疲れた。疲れたが、久々の再会でもあり、あちこち連れて行けたのは良かったなあ、と話す。また夏休みになったらおいで、と言うと子どもたちは「ウン!」と元気良くこたえていた。しばしの別れ、である。
夜は明青さんへ行き、夫婦二人でしっぽり飲んだ。
関連記事
2008-04-12(Sat)

二年坂〜清水寺〜府立植物園

4月12日(土)
朝は10時ころ起きる。連れやYちゃん、M、Sはすでに起きており、Yちゃんの旦那だけ俺の少し後に起きて来た。朝っぱらから二人の幼児はWiiをやらせろとうるさいので、ちょっとだけやらせる。Yちゃんの家庭ではテレビゲームはやらせない、という教育方針(?)なので、我が家へ来ると時間を惜しむように思い切り楽しんでいる。
お昼は近くに美味しいちゃんぽんを食べさせる店があるので行こうと、北白川までそぞろ歩く。この店「平戸(ひらど)」は長崎から直送の麺を使い、激ウマのつゆで食べるちゃんぽんが人気の店だ。いつもお昼に行ってもすでに満席で待たねばならないという状態なのだが、この日は到着が11時半過ぎだったので、まだ6人掛けが空いていてラッキー。俺らが座った後続々と客が来て、アッという間に満席、さらに待ちまで出てしまったから危なかった。
俺は肉ちゃんぽん、連れは皿うどん、旦那は海鮮ちゃんぽん、Yちゃんは野菜たっぷりちゃんぽん。子どもらは大人のをちょっとずつ分けてやった。この店はもちろん味もいいが、とにかく量も多い。みんなおいしいと言いつつ腹いっぱい、という感じで完食したのは俺一人だった。体格が良くいつもは大食いのYちゃんの旦那も、さすがにスープは残していた。
二年坂の大混雑その後タクシーを2台に分乗して、二年坂入口、高台寺山門へ向かう。この日はうす曇で時折青空も出るいい天気になって、散歩がてら歩くのにはちょうど良かった。平安神宮南の疎水両岸の桜並木、先週は満開で見事だったがもう半分葉桜になっていたり、途中女の人がいきなりタクシーの前に飛び出してきて轢き殺しそうになったのを運ちゃんが怒ったりしつつ、高台寺山門へ到着。
間もなく2台目も無事同じところへ着いて、二年坂へ向かう。桜のピークは終わったのだが、この日は土曜だったせいか二年坂は物凄い人通り。その中を子どもらが沿道の出店を覗くのに付き合ったりしながらゆっくり歩く。それにしても人が多すぎて、すたすた進むことが出来ない。こういう場合たいてい男たちはそれでも無理やり先へ進むので、女子どもを先で待つようになることが多い。この時も時折旦那と二人で先行し、石垣に腰掛けて休んでは合流、なんてやりつつ三年坂方面へ。
清水道へ入ってから、冷たい抹茶のペットボトルを売っていた店へ入り、子どもらにはソフトクリーム、大人は抹茶を飲んで一服。途中外人さんのカップルが同じ店に入ってきたが、金髪の若い外人がきちんと和服を着ていたのが面白かった。照れつつも嬉しそうで、ガイド役らしいやはり着物姿の老年の婦人から、何やらいろいろ説明を聞いていた光景が微笑ましい。入口近くの椅子には声のデカい中年女性の団体がワイワイいたが、やけに行儀が悪くうるさい。帰りがけに脇を通ると、聞こえてきたのは中国語だった。
別に中国の人全てがそうなんじゃないだろうが、先日もタクシーの運転手さんが「中国からの観光客もここ数年増えましたよ、でもみんなこう言っちゃ何やけど、行儀悪くて参りますわ」と言っていたのを思い出す。声がデカい、痰やツバを吐くなど、とにかくマナーが悪いのだそうだ。さらにタクシーの料金も必ず値切るというから、運転手さんも「まあアレやけど、普通はチップやてメーターにいくらか乗せて、というのが世界では常識やないですか、それを平気で値切るんやからねえ」と苦笑ぎみであった。急激な経済成長で金が溢れ、マナー意識の身についていない人たちも海外へ出られるようになったのだろう。こういうことはかつて高度経済成長時代のニッポンにもあったことなので、あまりお隣の国を笑ってもいられないが。
俺の母親が若い頃だが、日本人が団体旅行で外国へぞろぞろ出かけ、各国で無作法を繰り返して世界的に顰蹙を買っていたというのは有名な話。「ノーキョー(農協)」といやあ悪の代名詞みたいな時があったのだ、本当の話。そういえばそのあたりを痛烈に戯画化した筒井康隆の「農協月へ行く」は抱腹絶倒だったっけ。あの頃の筒井さんのドタバタSF、ショートショートはもう他の追随を許さない面白さで、小学生〜中学生時代、星新一からSFに入って一気に筒井作品を全て揃えたっけ…なんてことを思い出した。
清水寺まで上がったところで、みんなは舞台へ行くというが、俺は腫れた腹と、水の溜まりやすい膝にキツいので待っているということにして一旦別れる。みんなが急な階段を上っていくのを見送っていたら、さっきの茶屋にいた着物の金髪女性カップルもその後を上がっていくのが見えた。
俺は踵を返して坂を下り、三年坂方面へ別れる二股にある休憩所のベンチに座り、ぼーっと道行く人や車を見て休んでいた。そこは観光バスの駐車場の上にある、ベンチなどが置かれたちょっとした休憩所なのだが、清水道側に向かって座り、道を見ていると、車が通行止めになる手前、つまり車で上がって来られるギリギリのところに駐車場があり、それを目指して一般車がガンガン上がって来る。そしてその手前にはタクシーの乗り場もあるので、それらが混在して常に渋滞になっているところだ。
一般車は配送などの地元の車を除けばほとんどが他府県のナンバーで、東海・北陸・近畿あたりの、ほとんど全てのナンバーを見たかというくらい、あちこちから来ているのが解った。滋賀、大阪、なにわ、兵庫、姫路、福井、名古屋、豊橋、三河、尾張小牧…とキリがない。生涯で一度も見たことのなかった「飛騨」なんて珍しいナンバーも見た。
小1時間ほどそこへ居ただろうか、目の前を先ほど見送った金髪和服女性が横切っていったので、ということはそろそろみんなも降りてくる頃かな、と思ったころ、連れとYちゃん一家がこちらへ降りてくるのが見えた。居場所はメールしておいたので、向こうもこちらを探しているようだったがすぐに合流。
タクシー乗り場から、今度は府立植物園へ向かってもらう。行きに俺たちとは別の、2台目の方の運転手さんが「植物園は今チューリップが色とりどりで綺麗ですよ」と言ってたそうなので、見に行くということになった。1台目にまた同じYちゃんとSと俺、2台目に旦那とMと連れ合いが乗って向かう。
府立植物園のチューリップ園清水道では暑いくらいだったが、植物園へ着くと気温が明らかに下がっていた。間もなく二台目もすぐ到着し、入場券を買って入るとチューリップ園はすぐみつかり、なるほど素晴らしく綺麗で、見たことのない色のものまで咲き誇っている。物凄い機材を持ち込んで、高級カメラを構えたアマチュアカメラマンたちがマクロレンズや望遠レンズの砲列を並べて撮影している中、こちらは小さなデジカメで写真を撮ったりしつつ、花を楽しんだ。
その後植物園内の休憩所で焼きたてアツアツ・柔らかのみたらし団子を食べて一服。座っていたらビョォーと冷たい風が吹き抜けてみんなビックリ。こちらは確かに市中からけっこう北へは来てるし、休憩所は日陰になっているとはいえ、標高でいうと清水あたりとの差はそれほどないはず。緑の中にいるせいか、冷気の通り抜け場所にたまたま座っていたせいなのか、驚くほどの寒さだった。


奇跡的に残っていた満開の桜その後芝生の広場へ出ると、向こうの方に満開の桜があるのに気付いて近づく。思いがけず時間差で京都の桜が満開なのが見られ、Yちゃんたちも嬉しそうで、皆で写真を撮り合ったりした。
その後、MやSに絵本を買ってあげる約束をしていたので、ショッピングセンター・カナート洛北へ向かうことにした。この時は植物園出口のタクシー乗り場にはタクシーがなく、おばさん2人がかなり待っている風情だったので、俺たちは北大路まで出て拾ったのだが、俺、M、Sという面子で乗った。すぐ後が続くだろうと、待ち合わせ場所にしたホリディイン京都の入口で待っているが、全然来ない。そのうちS(幼稚園年長)が「オシッコ」というので困ったが、電話してもメールしても残りの一行からは応答がないので、しょうがなくホテル内のトイレへ行かせる。お姉ちゃんのM(小2)が連れてってくれたので、俺もそのすきに小用を足し、入口へ戻ると電話がある。何とあの後タクシーが拾えず、結局バスで高野へ向かっているところで、電話に出られなかったらしい。もう着くというので、直接カナート2階の本屋へ行ってるということにして、MとSを連れて本屋へ。二人は「ばあばに絵本を買ってもらうんだ」というのでテンションが上がっている。
そこで絵本を選ばせていると残りの大人衆が到着、無事合流。二人に絵本を買ってやり、いったん家へ戻り、夕飯はどうしようか、何が食べたいと聞くと、子どもたちが「焼肉が食べたい!」というので、近所の焼肉店へ行く。座敷で焼肉を食うが、この日は日曜だったせいか店内は満席で、肉がなかなか来ず、手際も悪くちょっと不快。それでも飲んで食って、腹いっぱいになって帰宅。
関連記事
2008-04-11(Fri)

久しぶりの宴会で痛飲

4月11日(金)
夕べは布団に入ってしばらくするとユキが例によって「夜鳴き」を始めたが、二人とも疲れていたせいかすぐ寝てしまった。ユキは耳が聞こえないので、知能の発達が遅いのだろうか、目からの情報にかなり依存する部分があって、俺たちの姿が視界から消えると途端に不安になるらしい。ニャオンニャオンと、まるで赤ん坊の「夜泣き」のごとく大音声で鳴きながらあちこちを探し歩き、挙句狭苦しいところへ入って、自分の尻尾を追いかけてくるくる廻り、鳴きながら尻尾を噛んだりしている。やりきれない気持ちを現しているのだろうか。
とまあユキの大音声も掃除の疲れには勝てず、俺は朝6時前に目が覚めるまでぐっすり。しかしその後寝ようとしたが寝られず、結局起きてしまった。昨日ずっと降っていた雨は何とかあがってくれ、京都の上空には曇り空が広がっている。昨日は一日じゅう雨だったが気温は思ったより下がらず、俺はこのところずっとスエットの上下だけで布団はかけずに寝ていたから、どうせ使わないと夜はボア毛布を外し、スエットの上も脱いで半袖で寝た。マンションというのは上階になると生活熱が上がってきて篭るのだろうか、部屋の中はかなり気温が高いと思う。薄着でも風邪っぽくもなく寒くもなく、平気だった。夏のことを考えると、今からこんな感じでいいんだろうか。連れは寒がりなので、いまだにボア毛布&羽根布団をしっかり顔までかけて寝ていたが。
その後9時前に連れも起きて来る。しばらくすると、頼んでおいた貸し布団3組、業者が届けに来てくれた。俺はまだ術後一ヶ月も経ってないので腹筋に力を入れるなといわれているから、とりあえず玄関脇の俺たちの寝室に積んでもらった。しかし俺も連れも、どう考えてもこのあと二階まで布団は運べない。Yちゃん一家が来たら、旦那に運んでもらおうということで、そのままにする。昨日宅急便で届いていたYちゃんたちの着替えなどの荷物の箱はそれほどの重さではなかったので、俺が二階へ上げた。
昼はパンで簡単に済ませ、Yちゃんにメールすると、京都着は3時ちょいになるという。メールでタクシーでの来方を伝え、待ってると4時前に直接マンション下からドアフォンで到着を知らされる。連れも久々に孫2人と再会して嬉しそうだ。いったんちょっと部屋で落ちついた後、とりあえず二階に布団を運んでもらう。何せ夜は酔っ払ってるだろうから、階段は危ない。
Yちゃんの二人の娘、MとSはWiiがやりたくてしょうがなかったらしく、早速「Wii Sports」のボウリングで盛り上がっている。そうこうしていると6時過ぎになったので、予約しておいた近所の割烹料理店へぶらぶらと歩きつつ向かう。奥の掘り炬燵式の座敷へ通してもらい、宴会開始。
いつもは夫婦二人で大人しく飲んでるだけなのだが、この日は久々の大人数で飲んで食ってワイワイやった。宴会、である。東京にいた頃は、Yちゃんの旦那が運転して来て、帰りはYちゃんが酔った旦那の代わりに運転したり、あるいはYちゃんと子どもたちだけで車で来たりということも多く、Yちゃんが飲むことはほとんどなかった。この日はもちろん遠慮なくYちゃんもビールを1杯、その後は梅酒ロックを1杯だけ飲んで赤くなっていた。飲んだりして、料理も「おいしいおいしい」と楽しんでくれたようだ。身内の宴会は久々で楽しい。俺もYちゃんの旦那も生ビールをガンガン飲んで、途中からはヒレ酒まで飲んだ。
その後家に戻ってからは、酔っ払っていた俺と旦那はずっと世相や社会問題の話などを延々としていたのを記憶しているが、そのうち俺だけ11時過ぎに眠くなったので先に寝た。
関連記事
2008-04-10(Thu)

季節外れの大掃除

4月10日(木)
朝は9時ころ起床。この日は一日じゅう雨であった。朝は前の日連れがコンビニで買って来たクリーム&イチゴジャムサンドにカフェオレ、という良く解らない朝食。明日から次女のYちゃん夫婦が孫娘2人を連れて泊まりに来る。掃除をせねばならないが、午前中は二人とも気力が出ず、テレビ見てごろごろしていた。その後ようやく昼頃に意を決して、掃除を開始。
とにかくこのところ、部屋の中が散らかってきていたのは気にはなっていたのだけど、どうせ10日には掃除しなきゃならないから…というのを言い訳に、ほったらかしていたのだった。ここに引っ越してきた当時はこまめに掃除していたのもいつしか間隔が空き、何かしら持ってきたものをしまわずにソファ周辺に置き放したりするから、次第にリビング周辺にものが溢れていく。掃除機もしばらくかけていないので綿ぼこり、猫の毛なんかもあちこちにあって、通り過ぎると舞ったりする状態。まずい、あまりにひどすぎる。
実は俺が入院中、連れは仕事に行きつつ見舞いに来てくれたりと大変だったし、その後俺も退院してしばらくは何とかせねばと思っていたのだが、何せ手術直後でろくに動けなかった。そうこうしていたらYちゃん一家が来ることになり、じゃあ来る前になったらまとめて掃除しよう、ということにして結果的にはずっと放置していたことになるというわけ。
まずはテーブル廻りの連れの小物を整理しようと、前から整理用に買ってきて結局デッドボックスになっていた小物入れをあけ、そこに化粧道具やら小物、薬関係と整理していくが、とにかく細かいものが出るわ出るわで整理するだけで疲れる。その間に連れは二階を片付けると言って上がっていった。二階の和室に積み上げてある本の入った箱類は、俺たちには力仕事が無理なので、Yちゃんの旦那が来たら移動させてもらおうと話していたが、連れがけっこう頑張って箱を移動したり、片付けをやるという。ゴミをまとめたり段ボール箱を畳んだり、けっこうな力仕事の連続で大変そうだ。しかし俺は腹筋を使う力仕事は禁じられているので、違うことでこまごまと動く。
それが一段落して、連れの散らかしの整理も終えたので、テーブルの上を片付け、ダイニングテーブルも片付けて花の鉢を移動させる。連れ合いには段ボール箱と、新聞を俺が縛って台車で下へ捨てに行ってもらった。これは従来いつも俺がやっていた力仕事なのだが、本の束を床から持ち上げるのは一番禁止されていることなので、しょうがない。そうこうして片付いてから、いよいよ掃除機をかける。これが俺にとってはけっこう重労働だった。まだ腹筋に力を入れてはいけないのだが、どうしても入ってしまう。まずいまずいと思って腹筋を庇うと、今度は腰に激痛。要するに腹筋に入れないように上半身だけで掃除機をかけると、物凄く疲れるうえ腰に来ることが判明した。
へろへろ状態で何とか全部屋掃除機終了。連れ合いはその間に寝室を整理していた。重ねてあった服をかけ直したり洗濯機に放り込んだり。それから俺は洗面台とトイレを掃除。これも腹筋使ってゴシゴシやるので出来れば避けたかったが、しょうがない。連れはその間二階で力仕事へ行っていた。台所はこないだ俺が磨いておいたのでとりあえずOK。最後にクイックルワイパーで床を拭いていくが、これまた自然と腹筋に力が入る。全部終わってソファに座ると、右の腹の筋肉がビキビキッと激痛。やはりまだ完全につながっていないのに、これだけ重労働をしたからだろうか。横になってもビクビクと痛いので、連れに枇杷の葉を出してもらって腹帯で巻いた。
やれやれ大変だった、のだけど、久々に部屋の中が綺麗になったので気持ちがいい。いつもそうしとけよ、というツッコミが聞こえてきますが。一休みしたあと二階に上がって見ると、あれだけやめておけと言ったのに、布団を敷くスペースを綺麗にあけてあったから、連れは本の入った重い段ボール箱を一人で何個も隅へ移動させたわけだ。せっかく京都へ家族旅行に来たのに、着いていきなり肉体労働じゃ可哀想…という「親心」なのだろう。全て終了すると4時をまわっていた。二人ともぐったり。
夕飯は最初ご飯炊いてカレーでも、と言っていたが面倒臭くなり、結局ネットで検索したらガストが弁当の宅配もやってると知り、弁当を頼んで食べる。12時前に就寝。
関連記事
2008-04-04(Fri)

円山公園で花見

4月4日(金)
天気もいいし桜もほぼ満開になりつつあるので、花見にでも行こうかと腰をあげた。京都は秋の紅葉とこの春の桜の季節が最大の人出となる…らしいが、年末年始も混むし、夏も川床で混むし、お盆も送り火で混むし、結局一年中混雑しているのである。八坂神社の裏手にある円山公園には出店もたくさん出て、土日は恐らく花見では一番の人出になるだろうと予想がついたので、金曜のうちに出かけることにした。
別にうちの近所には高野川左岸にズラリと連なる桜並木から出町の葵橋近辺だとか、賀茂川左岸の府立植物園脇・半木の道という格好の見所もある。さらに洛北高校裏手の疎水分線という観光客はまず来ない「穴場」もあるし、何も混雑する円山公園へ行かずとも…と思われるかも知れないが、まあ京都へ来て一度はそういう「混雑する花見の名所」へ行くのも経験、悪くはないだろうと思ってのことである。
今日はまだ東山通り=東大路は渋滞はなかろうとタクシーで昼前に向かうと、やはりそれほど混んでおらず、スムースに八坂さんまで行けた。自宅からタクシーでも1000円ちょっとで祇園なんて、まったくもって贅沢な場所に住んでいるものだとつくづく感謝。全国各地から、もっとたくさんのお金をかけて、スケジュールを調整し宿を取って高い電車賃を払って来る場所に「住んでいる」というのは嬉しい気分である。

八坂さんの南側の坂をちょっと上がって公園の入口までつけてもらえたので、先に公園の中をつらつら歩いて花見をした。人もかなり多いが、予想通り大混雑というほどではまだ、ない。公園内を一通り歩いた後、屋台もたくさん出ているしちょっと疲れたので、たまにはジャンクフードでも食おうかということにした。まずたこやきを買って、屋台の向かいの縁石に座って食べる。


アツアツのたこ焼きやっぱり関西は「粉もん」はうまいなあと感心。女の子数人のうち一人がチラと我々のたこ焼きハフハフアツうま! 光景を一瞥し、通り過ぎた後で「うまそう!」と言っていた。ええ、うまいです。
それからペットボトルの冷たいお茶を買って、今度はフランクフルトを一本買って食べる。フランクは東京のテキヤが使ってるのよりもだいぶ長い。姐ちゃんに注文すると、鉄板の上で保温してあったのを隅の油溜まりで表面を揚げるように「ジュワーッ!」とやってから、辛子とケチャップをつけて渡してくれる。うひゃあうまそう、と期待したら、味の方は今一つ、であった。まあこういうのも風情の一つではある。
それから公園内の出店を見たり桜も見上げつつ、八坂さんにお参りをし、境内を出た。鳥居を出たところが四条通りの東のどんつきである。見下ろすとあちらこちらから、こちらを目指して凄い数の人が来るのが解る。これから続々とまた人が増え、そうして明日と明後日はピークになるのだろう。早いうちに楽しめて良かった。それから四条通りをぶらぶら歩いて、連れ合いのお母さんの誕生日プレゼントに手ぬぐいとハンカチを買ったりして河原町へ抜けた。

鴨川沿いの桜並木
関連記事
2008-04-01(Tue)

普通の暮らし

4月1日(火)
ゆうべ8時に携帯の目覚しをセットして寝たが、そういえば診察時間は10時半からだったから早すぎるな…と思いベッド上で目覚しを8時半に変更した。今朝その8時半に目覚しの鳴る前に起きて、いつものように洗顔など済ませて仕事部屋へ行く。メールチェックすると仕事先の更新データが入っている。今日はこれからずっと病院だしと思い、その前に済ませてしまおうと、作業開始。結局9時10分くらいまでかかってしまい、慌てて出た。
タクシーで病院へ着いて受付機でピッチを受け取り、予約時間を確認したら何と10時からだった。どういう思い違いかと思いつつあせって2階の採血受付へ向かう。あせっても走れる体ではまだないので、ハタから見たら単なる早歩きだけど。採血室へ入ると、アトピーなのか顔を真っ赤にした男の子が採血カウンタで「嫌だ、痛い、死ぬ」と泣き喚いている。それも大概の泣き方ではない、悲鳴と嬌声と怒声と罵声と何かようわからんもんがごちゃ混ぜになった、要するに騒音で、係のおばちゃんを手こずらせている。針なので動かれると下手すると怪我をするから、体をくねらせ拒否されると、もうどうしようもないのだ。横には母親だろう、大柄な女が子どもを説得するでも抑えつけて言い聞かすでもなく、ただボーッと、ヘラヘラとそれを見ている。
結局採血のおばちゃんは「はいはい、わかったわかった。あっち行こう、あっちで寝て採ろうね」と言って、ベッドのある採血台の方へ誘導していった。それにしてもこっちの採血の順番がいっこうに廻ってこない。俺の後に来た人たちが次々に呼ばれて採血されていく。ひょっとして…と思ったら、背後でまたギャーギャーわめいてさんざん迷惑をかけたガキの採血をしていたおばちゃんが俺の担当だったようだ。どうやら番号順に空いた採血窓口に呼ばれるわけではなく、何人分かの試験管をまとめて窓口に振り分けていくようなので、俺の採血をするおばちゃんのところがクソガキのせいで遅れたわけなのだ。こういう急いでる時にかぎってこうなんだよな、と思いつつ、おばちゃんがゆっくりと戻ってきて手袋を取替え、それを洗い、消毒をし、拭き拭きして…という動作を「はよせいや!」という思いで見ていると、ようやく俺の番号が呼ばれた。ガキのせいで10分以上浪費したわい。
そんなこんなで採血が終わるともう9時40分過ぎ。同じフロアの血液内科の外待合に座るが、10時の診察予約時間までにはどう考えても採血の結果が出るはずもない。元はといえば自分が勘違いで時間間違ってたのと、出る直前に仕事で時間を取られたのが悪かっただけなのだ。クソガキに責任転嫁しちゃってごみんね、てへへっ。でもクソガキはクソガキだし、えへっ。…なので10時には呼ばれないだろうと覚悟をして、ソファで目をつむって待つ。
こないだ入院前にWBCが900へ激減し、好中球数も300台というトンデモない数字へ落ち込んだことがあった。入院中は注射などで無理やり増やせたからいいが、それらが今日の採血でまた前のように戻っていればいいのだが。低値であっても変化なく安定していれば、とりあえず病気に進行はないと判る。普通の暮らしが次の診察日まで、許されるのだ。俺にとっては、普通の人が普通にしている「普通の暮らし」が本当に愛しく、かけがえのないものなのだ。
10時ちょい前に中待合へ行けとピッチが鳴ったので、診察室前のソファへ移動。案の定、10時きっかりに診察室から出て行ったおばちゃんの後、すぐに俺が呼ばれることはなく、それから20分ほど待ってから呼ばれた。診察室に入るとI先生は「まだ(採血の)詳しい内容が出てないんですが…白血球数は1400あるので心配なさそうですね」とのことで、ホッと一安心。今日はこちらが遅れて採血が遅くなったと説明する。
先生は「どうですか」というので、腹帯を外して手術の痕を見ていただく。「おかげさまで、だいぶ痛みも薄くなってきました」と言うと「それは良かったですね」と笑顔。「凄く慎重にやっていただいたようで、本当にありがとうございました」というと、I先生も「脾臓というのは繊細な臓器ですからね、ちょっと傷つけただけでも出血が止まらなくなる危険も充分にあったわけですから、本当によくやっていただいたというか…」と、外科は専門外だと思うが感心しきりといった様子であった。通常1時間ちょっとという手術も3時間半以上かかったわけで、本当に細心の注意を払ってやっていただいたんだな、と改めて感激した。
I先生は「まあでも、脾臓がそういう状態のままでずっといていいのかということもありますから、手術で取るとか薬を使うなどしないといけませんね」という。ただ取るといってもここまで巨大化してしまうと、ごっそりと血の塊を取ることにもなるし、腹も真っ二つに大きく開かねばならないから、体が持つかどうかが不安だ。実際I先生も手術で取るというのはあまり考えていないご様子ではある。
それから診察台に寝て腹を触ってもらうが、その際ポケットに入れてあった小銭がチャリンチャリンと落ちてしまい、先生が「ああ、落ちましたよ」と苦笑しながら拾ってくださる。赤っ恥。すいませんすいませんと恐縮。脾臓の位置を確認し、「大きさは変わっていないようですね」ということで、「まあ昔と違って最近は慢性のリンパ性白血病にも薬が出てきそうな気配がありますしね、ゆくゆくは薬を使っていくことも考えることになるでしょうが、今のところはこのまま様子を見るということでいいでしょう」と言ってくださる。良かった、と思いつつ診察ベッドの上で身を起こすと、ズボンのポケットからは他にも連れ合いの研究室の鍵やら残りの小銭やら焼肉屋(喜田膳)でこないだ出ぎわにもらったガムなどがバラバラとこぼれ落ちており、慌ててそれらをかき集めてポケットに戻す。
体を起こすとI先生が「実際新薬も開発されましたからね、キャンパスというんですが…」というので俺が「アレムツズマブ、ですか」と言うとちょっと感心したような表情で「そうです」と言われる。
「もちろんそれ(キャンパス)だけで効くというものではないので、他の薬剤と併用するような感じになると思いますが」とのこと。I先生は「次は2ヶ月後でもいいでしょうね」というのでエッと一瞬驚くと、「以前はどうでした?」というので、「こちらへ転院する前は一ヶ月おきでした、こちらへ来てからは6週間おきになっていたと思います」と言うとカレンダーを見て「じゃあ連休もあるので連休明け混みますからね…次回は5月20日、7週間後にしましょう」ということになった。またしばらく「普通の暮らし」が送れると思うと、安堵と同時に有難いという感謝の気持ちで一杯である。
お礼を言って診察室を出て、会計に並ぶ。今日も会計待ちは長蛇の列だ。もっとも会計受付の進行自体は早いので、10分ほどで会計受付の窓口へたどり着き、後は会計可能になるまで待つだけ。なのですぐ病院内の郵便局へ移動し、ATMで大金を下ろして封筒に入れ、会計待ちのソファへ戻る。そこから10分ほど待ってようやくピッチが鳴り、今日の分が2000円ちょいと出たので、いつもの自動精算機ではなく支払いカウンタへ行く。入院費も一緒に払いたいと言い、今日の分に入院費用275467円を合わせて支払い、領収書をと予約票を貰ってカウンタを離れた。
やれやれ、と思いつつ病院の外へ出たところでフと気付き、4階の肝胆膵移植外科の受付へ電話にかけてみる。先週診断書を依頼した者だが、まだ依頼してから一週間経ってないが、今日たまたま別の科の診察で病院に来た、出来てたら取りに行きたいので確認してもらえないか、と聞くと調べてくれ、出来てるというので病院内へ戻り、4Fへエレベータで上がる。窓口で書類2通を受け取り、会計はというとまた会計へ行けというので礼を言ってまた1Fへ。診断書は保険会社の送ってきたものに記入するのではなく、京大病院所定の書式でしか出せないということで、パソコンで入力し出力されたものに、執刀してくださったO先生が押印したものが2通と、渡してあった保険会社の所定用紙2通がそのまま一緒に入っていた。
さっき入院費を払った窓口へ行き、診断書の料金を払いたいというと、もう一回会計受付をしろと言われる。なのでまた長蛇の列へ戻り、会計受付をし、もう呼び出しピッチは返してしまったので、15分くらいしたら頃合を見て支払いをしてと言われた。しょうがないので反対側に備え付けてある大型スクリーンを見ると、春の選抜、平安高校が相手に先制を許したところであった。15分ほど待って11時半になったので、今度は自動精算機に診察カードを入れて見ると、料金がちゃんと「文書料」いくら、と表示された。それを支払い、ようやく今日の病院これにて終了。あとは診断書を領収書のコピーを添えて保険会社へ送れば、保険金が下りる。入院保険入ってて良かった。
…それにしても今回ははじめてI先生から「いい薬もあるから」という話を聞いた。わずかながら希望があるというのはいいことだ。むろん治る保証もないし、抗癌剤の治療というのは癌が死ぬかこっちが死ぬか、というくらいの強い薬を使って癌細胞を叩く。文字通り「命がけ」の過酷なものだ。それに耐えれば助かるかというと、これまたその後も長く苦しい戦いが待っており、それを乗り越えた後ですら、今度は再発の恐怖に怯えながら生きなければならない。固形の初期癌なら手術で取ってしまえば治るのに…と思ったこともあったが、もうここまで来たらしょうがない。なるようになる、死ぬときは死ぬ、それまでは生きている。
関連記事
カレンダー
03 | 2008/04 | 05
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる