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2008-11-15(Sat)

小春日和・「赤塚不二夫物語」

今日の京都は21度とぽかぽか陽気。居間とベランダの境にあるガラス窓は南向きなので、明るい日差しが差し込んで来るのだが、その日だまりにユキが寝転んで嬉しそうにクリンクリンと体をくねらせ、時折「ごろにゃん」とか一人ごちている。ベランダを開けて夫婦で部屋の掃除を軽くやっつけると、すぐ猫たちがベランダに出て眼下の通りを眺めたり。
部屋の温度はベランダの窓を開けて床暖房も何も無しで、25度だった。半袖でじゅうぶんだし、部屋を抜ける風が心地よいほど。そういや11月中旬だよもう、と気づいてちょっとビックリ。関係ないけどこないだどこかのお寺だっけか、修学旅行の中学生が「小春日和っていうじゃん、じゃあ秋だと小秋びより?」と友達に聞いていた。そっと小さい声で訊いとけ。

何もテレビもやってないし…と、こないだHDDに録画しておいた、「赤塚不二夫物語」を観る。
赤塚さんというと俺の世代ではもう気づいた時には巨匠だった、と以前書いた(「赤塚不二夫さんが亡くなった。 」)。トキワ荘に入居し母親が同居し売れない間の赤塚の生活を支える、そんなあたりからドラマが始まり、途中途中に生前の赤塚さんご本人やゆかりの方々の映像が挟まっていく、というかたち。それにしてもこのドラマは役者さんたちの演技、というより配役が実に見事だった。
もっとも驚いたのは主演、つまり赤塚不二夫役の水橋研二であるが、これが青年期はともかく、フジオプロを設立してしばらくのあたり、そして後の真知子夫人が初めて訪ねて行った際に酔っぱらって床で寝ていたシーンなんか、もう赤塚さんそのものに見えてギクリとしたほどであった。
トキワ荘では漫画家としてなかなか認めてもらえない当時、もう母親にも迷惑かけられないから、漫画家なんて諦めて新宿のキャバレーで住み込みのバイトをやろうと思っている、とまで落ち込む。それを聞いた藤子不二雄(F)先生が回想するには「赤塚氏は美少年だし、似合うからいいんじゃないか」と言う。しかし寺田ヒロオ先生は「漫画が好きなんだろう、それに応援してくれる人もいるじゃないか」と諭し、やさしく赤塚の気持ちを漫画へと引き戻す。こうした下りは、まあおそらくきっと美化しているのだろう、それがドラマというものだ。それにしても藤子F先生の言うことを聞いていなくて良かったなあ(笑)。
その後の赤塚さんは月刊誌に穴が開いた際に親友・石森章太郎らの推薦によって一晩で描き上げたギャグ漫画「ナマちゃん」から売れっ子への階段を上り始め、そこからは巷間ご承知の通りなわけだけど、とにかく役者さんたちの演技がなかなか良くて、しかも失礼ながら色のついた有名俳優はほとんどおらず、当然ながらバカなジャリタレも使わず、非常に良かったと思う。
赤塚さんはご存知の通り、98年に食道癌の手術後も好きな酒・タバコをやめることなく、硬膜下血腫、脳内出血と意識を失うことになって久しかった。それを支えてきた二番目の妻であった真知子さんは2006年に亡くなっており、赤塚さんの死の直前には、トキワ荘時代に知り合った最初の妻である登茂子さんが亡くなっている。赤塚さんの亡くなったのは登茂子さんの死後わずか三日後であったというのが、何か運命的なものを感じずにおられない。
この登茂子さんとの間にもうけた一人娘であるりえ子さんは、番組の最後で、相次いで両親を亡くして一人ぼっちになってしまった、そのことで一時は自分も死を考えたということをほのめかしていた。仏前のご両親の顔を見て二人に「生きろ」と言われたような気がして、何とか持ちこたえたという。そして手にした、手塚治虫先生が亡くなった際の赤塚さんの追悼漫画(鉄腕アトムの赤塚キャラクタによるパロディギャグ漫画)を読んで、思わず笑ってしまったのだという。そして人間とは、こんなにも悲しみのどん底にいる時にも、笑えるのだと、笑いによって救われたのだという。それを涙を流しながら語る姿に、こちらも胸が詰まった。
番組の途中で、赤塚さんが生前手塚先生に「漫画家になりたければ、人の真似をしちゃダメだ。一流の映画を観て一流の本を読んで一流の音楽を聴いて一流の芝居を観ろ」と言われたことを話していた。やはり、真実というものは動かないのだなあ、誰の口からも同じことが出るのだなあ…としみぢみ思った。
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2008-11-11(Tue)

元気です

最近また更新が滞って申し訳ないです。
友人知人からは「大丈夫なのか」「元気なら元気であるということぐらい記せ」と指摘されて反省しきりの明け暮れです。
先日京大病院の診察へ行ってきたところ、一年ほど経過を見てきて、病気=癌の進行は極めて緩いということで、とうとう二ヶ月に一度でいい(ただしその間に異変があった場合はすぐ来い)ということになった。なので「次回は年明けの…」と言われてちょっと驚いた。そうか、また年を越せそうだな、と。
実はちょっと前から左手の小指に軽い痺れがあり、麻痺というほどではないのでほっといたのだが、気になると言ったら前回整形外科の受診を勧められた。整形では恐らく肘の、尺骨のあたりの神経をリンパ節が癌で腫れたために圧迫したのだろう、そのせいで軽く麻痺があるのだと言われた。
結果神経の発達を促す薬=要するにビタミン剤を処方され様子を見る、もし悪化するようなら手術で取るなりしましょうということになった。あれから二ヶ月ほど経ったが、指の痺れは相変わらず悪化もしていないし、だからといって治ってもいない。
人間の適応能力って凄いと思う。
脾臓が巨大化して左腹部全体を覆うようになり、内臓全般を圧迫しても、日常「慣れ」てしまう。今回の小指の痺れも、最初の頃はキーボードを打つ際に左手小指で打つキー…aとかをよく脱落させてアレレとなっていたが、最近はちゃんと力加減が解るようになった。コップを持つ際も、無意識で庇ってちゃんと落とさないようにしたりしている。
ただ「慣れた」からといって「治った」のではないことが辛いところだが。

そんなわけで「癌と生きる」ことも、自分には日常になってしまった。自分が白血病を患っている、というとだいたいの人はギョッとした顔をし、その後「お気の毒に」的な態度になる。いや実際間違いなく死が迫っているわけだからお気の毒だと自分でも思うのだが、お気の毒な状態も慢性化するとやはり慣れる。だからお気の毒が日常であり、お気の毒と思い続けていたらストレスで別の癌が出来るだろう。なので、なるべく忘れて平気でいるようにしている。
平気でいるようにしていると、平気なような気になってくる。しかし現実に自分の白血球数はたった1000〜1500程度しかなく、好中球数はその半分程度と考えると、物理的に免疫力が超高齢の爺さん程度だろうか。これから風邪の季節なので、慣れたとはいえ油断は禁物だと気を引き締めよう。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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