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2009-04-26(Sun)

連れ合いが倒れた 詳報2

足が震えた。

Mが死ぬ。

こんなに急に、こんなにあっさり。

数時間前まで一緒にテレビを見て笑っていたじゃないか。
夕飯は二人で傘をさして洋食店へ行き、おいしいね、とぱくぱく食べた。
その前にお昼は二人で分担してマフィンを焼いて目玉焼きとハムを焼いて挟んで食べた。俺が黄身を真っ先にかじってしまい、ベトベトになったのを見て笑っていたよね。
朝はいつものように俺がイチゴのヘタを取り、牛乳とレモン汁と蜂蜜をミキサーにかけてジュースを作った。あなたが朝は食欲がないというから、このところずっとそうしてきたじゃない。
あなたは食前に血糖値の測定とインスリン自己注射が欠かせない。外食をしようがウチだろうが、本当に辛く煩わしかったと思う。だから朝はあなたが注射している間に俺が台所でジュースを作るのが日課だったよね。
そういう普通の、本当に当たり前の日常を、つい数時間前まで一緒に送ってきたじゃないか。
何より二人と二匹の京都生活を、お互い本当に楽しんでいたよね。
それもたった一年半で終わりだって言うのか。
俺は最愛の妻を失って、これから一人でどうやって生きて行けばいいのか。

頭の中がぐるぐると様々な思いが駆け巡ったが、ともかくこの場は医師にお礼を言って、「顔を見られますか」というと「今麻酔処置中ですから中待合で待っててください」と言われる。なので入ってきた方とは反対側の出口を出て、そこにあったソファに腰をおろした。
再び頭の中がぐるぐるいろいろなことが駆け回る。
M。何でだ。俺を残してこんな急に。一緒に死のうって言ったじゃないか。
とか、そうかと思えば
大学に連絡しないと、ついこないだ同じ学科を受け持っているH先生が交通事故に遭ったばかりだ。
とか事務的なことも交錯する。

9時半ころになって、執刀した先生は出張があるとかで挨拶をして去って行き、一緒にいた学生さんのような若い医師が、ICUのベッドに通してくれた。
Mは鼻や口から管を出し、人工呼吸器でただ呼吸だけさせられている。前頭部の髪の毛を剃られ目をつむって寝ているMは、まるで高貴な尼僧のような穏やかな表情だった。
その顔を見るとやはり涙が止まらなかった。顔をなでてやり、「ごめんな。よく頑張ったな。ありがとうな。」と小さな声でつぶやいた。手もさすってやった。当たり前だが、生きている人の手なので暖かく、力の抜けた二の腕がぷるぷるしていた。
このままここにいたら抱きついて泣きそうになったので、「夕方身内が東京から来ますので、顔を見せてやってください」と挨拶をして、ICUをいったん出た。若い医師は「私は夕方もおりますので、出来るだけの対応はさせていただきますので」と言ってくれた。それから元の待合へ戻り、Mのパジャマ類が入ったビニール袋二つと自分のバッグを持ち、再びICUへ戻って待合室の鍵を返してから、1階へ降りた。

外へ出ると、薄曇りで雨がぽつぽつ振っている、陰気な天気だった。
タクシーの運転手は「今日は降らへん、ちゅうてたんですがねえ」と言っている。「そうですね」と力なく返しながら、涙雨だと思った。

Mが泣いている。

そう思うと自分も泣きそうになるのを堪えるのに必死だった。

うちへ着くと10時近くになっていた。電気は全てついたままで、数時間前に救急隊と一緒に出たままだった。自分でも憔悴しているのが解り、ふらふらしながら部屋着に着替えて二階へ上がると、ベッドの上にシマとユキが毛布の上でくっついて寝ていた。二匹に「ママ死んじゃうんだよ」と言ってなでているうちに、また泣けてきた。


Yちゃんからは俺が家に戻って少し休むとメールすると、「休んで」と返信。ずっと心配していたが、Mちゃんと待ち合わせてこちらへ向かっている。その後お姉さんからは「T(次男)の結婚式なのでどうしようもありません」、「何かあったらメールください」と入る。
とりあえずお袋と精華大学の専任メールには次第をメールしておき、ソファで寝ようと試みる。
シマが降りてきたので、「マミィ死んじゃうんだよぉ」と抱きしめると少しまた涙が出た。
寝ようとしても寝られるはずもなく、二階のテレビの脇にMの描いた猫の絵を並べたり。どうしてもMが死ぬということが受け入れられない。
10時半ころ、Mの好きな静岡の純米酒「花の舞」が一本残っていたので、M愛用のぐいのみを冷凍庫から出し、俺は仏様用の杯を洗って栓を開け、「いつものように二人で一杯やろう」と話す。
Mがかけていたメガネを置いたが、二階から本棚に飾ってあった少し若い頃のMの写真を持って来て額に入れ、差し向かいで一杯だけ飲んだ。いつものように「おいしいね」と言いながら。Mは今と違ってふっくらした顔に理知的な笑顔でほほえんでいる。

あまりに悲しすぎて、涙も時折ぶわっと湧いてくるがワンワンと泣くことすらできない。
俺は若い頃から優しくもなく甲斐性もなく、Mに苦労と心配ばかりかけてきた亭主だ。俺は癌を得たものの、ようやく京都で安寧な暮らしが出来るようになった…と思ったらまさか俺より先に、こんなに急に逝くというなんて。とうてい受け入れられるわけがない。


気がつくともう1時前だ。じっとしていると寂しさと悲しみがこみ上げてくるので、何かしら立ち歩いたり、メールを見たり、そうしてはソファに転がって溜息をつくの繰り返し。
Mがいつも座ったり横になったりしていたソファの定位置をなでさすり、ここのところ旅行へ持って行って思い出の写真がいっぱい詰まったデジカメの画像を見ては涙ぐむ。
そんな感じで過ごしていたら、YちゃんからMちゃんと二人で京都に着いたとメールが入る。すぐ折り返し電話で、まずとにかく病院へ行って、「ICUに入っている白取の娘です」と言えば入れてくれるから、顔を見てやってくれ、と話す。俺は「頭開けたから前の方剃られて坊主みたいになってる。安らかな顔で寝ているから、俺はなでてきたよ」と言ってるうちにこみ上げてきてしまった。何とか電話を切った後、思わず顔を覆って号泣してしまう。大の男がしょうがないとは思う、しかし、だってこれ以上に辛いことはない。
子供たちは京大へ向かったが、ICUの面会時間は2時からだと、15分ほど待たされると言っていた。

今日の京都は13℃と、平年に比べるとぐっと冷え込んで寒いほどだ。その寒さと曇天がまた、寂しさを増長させる。最愛のひとを失うという寂しさに、気持ちが凍えるようなのだ。
あの人はいつも早足で歩く俺の後をついてきた。俺が歩調を合わせて、腕を組んであげるのは二人でお酒を飲んだ後だけだった。普段は男女が、それもいい年の夫婦がベタベタするのは恥ずかしい…なんてつまらぬ体裁を気にしていた馬鹿な俺は、いつも数歩先を行き振り返ってはMが追いつくのを待ってまた歩を進めていた。
そんなちっぽけな羞恥心が、お酒を飲んだ後はちょっと足下の危ないMを「支えてあげる」という名目で、腕を出すと嬉しそうにすがって、ニコニコしながら上機嫌で二人で帰り道を歩いたものだ。

「今日はお月さんがまん丸だよ」と指さして、二人で見上げてはフラフラしたり、鴨川沿いの夜桜を眺めながら帰ったり、二条城への近道にタクシーが紫明通りを通ってくれた時は、グリーンベルトの文字通り新緑の緑に二人で目を奪われ感動した。もっともっと、本当にたくさん思い出がありすぎて、洪水のように押し寄せてくる。自分の半身が奪われたようなもので、心が痛い。

ブログを見た親友から「奇跡が起こるように」とメールが来たが、もう無理なのは解っている。それでも励ましてくれるのは有り難いことだ。その後は2時過ぎ、函館のお袋から電話がある。メールがマナーモードで気がつかなかった、いつものように教会へ出かけて帰って来てメールを見て、驚いてかけてきた。
「どうしたらいい、何をしたら?」と聞くので、「もういいよ、祈っても奇跡は起きなかった。俺も毎日毎晩、二人の安寧な暮らしが続くように祈ってたけど、ダメだったから。あとは数日で魂が抜ける、それから安らかに天国へ行けるように、せめて祈ろうよ」と話すうち、二人とも涙声になった。
俺も思わず「あの人はね、いつだって自分よりも他の人のことばっかり考えてた。自分のご飯より猫たちの、自分の幸せよりも俺や子供たちや身内のを。そんな人がね、何で先に逝かなきゃならないのよ」そう言いながら泣けてしょうがなかった。

お袋は飛んで行きたいけどしょうがないね、と言うので「まだ死んだわけじゃないし、今日・明日っていうことはないと先生も言ってたから、また何かあったら電話する」と言って切るが、「何かあったら」の「何か」とは何のことかを考えると、何もする気が起きない。

座して最愛の人間が亡くなるのを待つという残酷な時間。気がつけば真っ黒な液晶テレビの画面をただ見つめては時計を見る。もう夕方かと思えば30分しか経っていない。Mは今、息を「させられて」おり、かろうじて自力で心臓が「動いているだけ」の状態だ。その鼓動が止まれば、死が訪れる。

生前俺たちはよく自分が先に死んだら、という話をしたものだった。お袋はそのことを言うと「そんな縁起でもないことを前から言ってたのかい」と言うが、「だって俺たちは二人とも、生死のギリギリのところでお互いに手を取り合って支え合って来たんだよ」と言うと「そうだねえ…」と、お互い出るのは涙と溜息ばかり。
俺は「俺が先に死んでも、君を絶対に守ってやる、そうして君に意地悪をする人間を呪い殺してやるよ」と笑って言っていた。Mは「そんなこと言っても、もしあなたが先に死んだら、私が生きていても意味がないから」と言っていた。俺も同じ思いを今、噛みしめている。
けれどあの人の、「やまだ紫」という素晴らしい才能を、作品を、生きているうちに正当に評価しなかったボンクラどもの言説に任せておくわけにはいかない。後世に伝えて遺して逝かねば、俺は死ねない。

Mは「私がもし先に死んだら、あなたのところに逢いに行くからね、絶対に」と言っていた。
まだ、Mの魂は肉体にある。
ひょっとしたら浮遊しかかっているかもしれないが、まだ俺の側に来ている感じはしない。二人で松谷みよ子の不思議な話を読んで、よくいろいろと話し合ったものだ。虫の知らせ、死後の世界、「トンデモ話」と嗤う不遜な人間はそれはそれでいい。それでも、俺たちは人智を超越した存在があることを「知っている」。

Mは必ず、俺の側に来る。
残念ながら、その時彼女の肉体は滅びるはずだ。だけどそれと引き替えに、Mは俺と本当に一心同体となるのだと思う。嗤いたい人は勝手に嗤うがいい。



3時前、二人の娘たち・MちゃんとYちゃんの二人は「病院でママ見て来た、これからそっち寄るから」と言ってタクシーでマンションに来る。二人には母親がどういう状態で普段暮らし、そうして運ばれて行ったのか見てもらうために、Mが運ばれていったそのまんまにしておいた。
「ここへいつも横になったりしていたんだよ」とあの人がいつも座っていたソファの周りを示す。あの人はいつも身の回りのものをいつの間にか手近なところへ積んでおくクセがあり、いつも飲む薬、化粧品や注射などが周辺に雑然と置いてある。それを見て「昔っからこうだったよね」とちょっとだけ笑い合った。

それから座って「ママの顔見たかい」と言うと、二人は「少しだけ片目が開いていて、可愛そうだった」と言う。俺が手術直後に見た時は両目を閉じており、挿管はされていたものの、本当に尼僧のような穏やかな表情だったのだが、不思議だね…と話す。
夕べからの状況を説明し、これまでのたくさんの思い出を語るうち、俺も涙が出て仕方がなく、皆で鼻をすすり涙をぬぐいながら話した。運ばれて行ったままにしてあった二階のベッドも見てもらい、ベランダも「これからここに猫を出そうと思って、二人でネットと煉瓦を買ってきて、これから一緒にやろうと思ってたんだけど」とそれらを見せる。何もかもが悲しさを誘う。

二匹の猫だが、耳の聞こえるシマの方はなぜかMが座っていた足下のスリッパにあごを載せて寝ていたが、二人が来たら二階のベッドの下へ隠れてしまった。入れ替わりに耳が聞こえないユキが降りてきて、すりすりくねくねと愛想を振りまく。それを構ったり、思い出話をしたあと、二人は子供たちをそれぞれ置いてきているし、一旦帰るという。4時過ぎに玄関で「しっかりね」「ご飯食べてね」と言って帰って行った。

俺は「大丈夫」と手を振ったが、二人がいなくなると軽く目眩がする。今日はまだ何も食べていないのだが、目眩止めだけは飲んだのが、効き目が無くなってきたか。一人になると寂しさが募る。これから、猫たちはいるものの、この切ない寂しさに俺は耐えられるのか、自分でも今は解らない。

腹が減っているという感覚はあるのだが、とても食欲が出ない。そもそもテレビすら見る気になれず、横になっても眠れない。このままだと俺の体は確実におかしくなる、もっとももうおかしい=癌なのではあるが。
以前、確かこんなことを書いた覚えがある。

「癌は人に移る」と。
どういう意味かというと、癌そのものが他人に転移するのではもちろんなく、長年連れ添った夫婦の片方が癌にかかり、患った挙げ句亡くなる。遺された人は大変な精神的苦痛=ストレスに苛まれる。長年の愛情が深ければ深いほど、その苦痛は体を、精神を引き裂かんばかりに大きなものになる。そうしてそのストレスから、遺された者が癌になってしまう…。よく、そうして「後を追うように」遺された者が数年で亡くなる、という話を耳にするのは、そういうこともあるのではないか、という話。

自分がそういう立場になるとは思わなかった、しかし俺はすでに血液の癌を患っている。幸い進行が遅いタイプなのでこうして生きていられるが、Mを失うとすれば、いったいどういう影響が自分の体に出るのか想像がつかない。

よく夫婦で見ていた何てことはない番組も、二人で批評し合い笑い合ったお笑い番組も、二人とも好きで借りてダビングしてある映画も、二人で聞いた音楽も、二人で食べたものも飲んだものも皆全て、「二人だからこそ楽しめたもの」であることを、文字通り痛いほど、痛感している。一人で何をしても、俺の半身が楽しくないのだから、心の底から楽しめない。
これではまずいな、と思うが今はどうしようもないというのが本音だ。
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2009-04-26(Sun)

連れ合いが倒れた 詳報

4月26日(日)
前の晩は11時過ぎに布団に入り、いつものようにテレビを寝ながら二人で12時近くまで見てから寝る。
夜中、2時過ぎくらいに隣で寝ていた連れ合いのMがもぞもぞ動いて何か言ってるので起こされる。
「頭が痛い」というので「大丈夫?」というと「下へ行って頭痛薬飲んでくる」と言うのだが、どうも動きがおかしい。力が入らず起き上がれないようで、「起こして起こして」と言うので腰に手をあてて起こすが、ぐにゃりとベッドに寝てしまう。しきりにその間も「頭痛薬飲みたい」というので、「俺取ってきてやるよ」と下へいったんバファリンを取りに行き、二錠出したところで「ハッ」と気付いた。

何かがおかしい。

薬をテーブルに放り出し、二階に戻ると、Mがベッドの上でもがいている。「トイレも行きたいから起きたいんだけど、起きられない」といって体を起こそうとしてはもがき、右手が宙をかいている。こちらがまた半身を起こそうとしてやるが、起こすと力が入らず崩れてベッドに転がる。そのうち「ク、ス、リ…」「ト、イ、レ…」とロレツもおかしい。何度か起こしてやろうとしたが全く力が入らない。「どこが痛い」と聞くと右手で右こめかみを指して「頭…が、痛、い」と言う。
これはまずい、脳だ! と思いすぐに下に降りて119番をする。状況を説明し救急車を呼ぶと、電話から6,7分ですぐに到着した。救急隊が到着後、すぐに2階の寝室に上がると、Mはベッド上でもがきながら嘔吐しており、夕飯のハンバーグのドミグラスソースか、あるいは夕飯後に食べたチョコクッキーか、茶色いものをゲボゲボと吐いている。さらに意識はもう混濁状態で、話も出来なくなっており、隊員3人がベッドから持ち上げると、失禁もしていた。

エレベータに同乗し、マンションの下に降りて待機していた救急車内で状況説明をし、京大にかかっていると告げ、5分くらい連絡のやりとりがあった後、京大病院の受け入れ手配がついた。病院到着は3時過ぎ。

この状態でMはもうすでに意識がなく、救急治療室までついて行くが、外で待つように言われて、暗い廊下のソファで待つ。同じように救急で運ばれた人の家族か、中年の夫婦がソファに座り、沈痛な顔をしている。
その後3時半くらいになり、当直の医師に呼ばれ、中に入る。
どうやら持病の高血圧による脳出血のようだと説明を聞いた。断層写真を見ると、脳の真ん中に大きな出血がはっきりと見られる。

「ここまで出血がひどいと…はっきり言いまして助からない確率が高いです」と残酷な告知をされた。

「もし仮に命が助かっても、重度の障害が残るか…もしくは植物状態になると思います」とのこと。

「手術は出来ないんですか」と聞くと、

「開頭手術で血腫を取り除くにしても、命が助かる確率がちょっと上がるだけで、寝たきりになるのはおそらく避けられないと思います」とはっきり言われた。

「このまま放置すれば、死ぬということでしょうか」と聞くと

「このままだと、すぐに亡くなられるということはありませんが、それでも元の状態に戻る、立って歩いたり話が出来るようになることはほぼ、ありません」という。

医師は「どうされますか、延命的に開頭手術をご希望される方も多いんですが、結局その後ずっと植物状態という24時間介護状態になりますから、こういうのも何ですが、最初はどんな形でも生かして欲しいと言われたご家族も、時間が経つと後悔される場合もあるんです」とのこと。

俺の腹はもう、ホンの少しでも可能性があるのなら、いや例え重度の障害が残っても、生きていさえくれれば奇跡が起こるかも知れない、だから手術して欲しい。そう決まっていた。
しかしお母さんやお姉さん、子供たちにも説明しなければいけない。病院に着いて待てと言われた間に何度か、次女のYちゃんとお姉さんに電話したが出なかったが、折り返しYちゃんからメールが来て、留守電を聞いた、お姉さんの携帯にも電話したら、「今日はT(次男)の結婚式でばーちゃん(Mの母)と箱根にいる」と言われたという。
とにかく俺はYちゃんに「可能性が低くても、手術してもらおう」と話し、救急治療室へ戻る。
先生に「やはり少しでも確率があれば手術をお願いします」と言うと
「開頭して無事血腫を取っても、人工呼吸の管や下の管も付けるために切開をしたりするし、その後は恐らく意識が戻ることはほとんどないと思いますが」と言われたが、「一生介護になっても構いません、お願いします」と告げると、「解りました」とのことでしばらく待たされ、4時半くらいに手術同意書の記入を求めれてサインするた。だが、もう呼吸も止まりかけだと言われて驚いた。あとは手術の用意が出来るまで待てと言われて、また外の廊下のソファでひたすら待つ。

5時が過ぎ、外は白み始めたがまだ手術には入らない…と気をもんでいたら、5時5分、手術室へ行きますと呼ばれた。ストレッチャーに載せられたMの口からは肺へ管が挿管されており、医師が手動ポンプで肺に酸素を送りながらエレベーターで移動した。Mの目は半開きのままで、こちらの呼びかけにも全く反応せず、辛かった。
手術室のフロアにある家族の待合室へ通され、外へ出る時は施錠しナースに連絡してから出てください、あとは仮眠とかされるんでしたらそちらで、と畳敷きの小上がりとロッカーに布団や枕があるのを教えられる。
こちらは枕を出してソファに横になるが、もちろん寝られるわけもない。Mの魂が生死の境でふわふわしていたら、体に戻ってくれ、そしていっしょにまた暮らそう、と呼び掛ける。神や仏やご先祖様でも、とにかく助けてやってください、こんな体だけど俺が一生介護しますから、とにかく生かしておいてください、と何度も祈る。

そうして一睡も出来ずにいると、7時頃看護婦さんが様子を見に来てくれるが、まだ手術中だとのことだった。救急車に乗る時に外しておいたMのメガネを握りしめ、Mの魂に呼びかける。
「まだ逝っちゃダメだよ、俺たち一緒に逝こうって言ったじゃないか、一度俺が死ぬと言われた時に、俺はもう一度あなたと猫たちとの何でもない、普通の日常へ戻りたいと祈った。あなたも祈ってくれた、そうして奇跡を起こしてくれたじゃないか。今度は俺が奇跡を起こしてやる、もう一度、家へ帰って俺と猫たちと一緒に暮らそう!」

時折立ち歩いたり、寝ようとしては挫折し、祈り、声に出してMに呼びかけ…を繰り返す。
そうしていると8時半過ぎ、看護婦さんがビニール袋に入れたMのパジャマや下着、腹巻きを持って来てくれた。「失禁したので汚れてますが」ということと、手術の前に外してくれた腕時計とネックレスもカップに入れてきてくれた。俺は再び胸にMのメガネを抱き、ネックレスと腕時計を握りしめてひたすら祈った。長い手術になっている。何とか、命だけでも…。祈り続けて4時間。

9時5分、インターホンで看護婦さんから「手術が終わってICUへ移動したので、とりあえず先生の説明を受けてください」と言われ、ICUへ向かう。
入り口は足下のフットスイッチでドアが開き、中で一度手を洗い、もう一つのフットスイッチのドアを開け、中に入ってからそれをまた閉めて、説明の場所へ向かう。
執刀していただいた、救急対応をして下さった先生と、もう一人の若い医師の2名に断層写真を見せてもらい、状況の説明を受けた。

ダメだそうだ。

「もって3日、長くても一週間は無理でしょう」と。

手術前、搬送した直後の写真では、脳の中央部に素人が見てもわかる大出血があり、とにかくこれでは放置すれば90%死亡、手術でうまく血腫を取り除ければ死亡率が80%に下がるかもしれない…ということで手術をお願いしたのだけど、結局、開けてみたら思ったより出血がひどかったという。しかも通常の高血圧性脳出血だと出血は一度でだいたい止まり、そこで出来た血腫をうまく取り除けば、障害は残っても何とか命はとりとめるということが多いそうで、実際そういう手術を何度もやってきたそうだ。
しかしMの場合は、そういう出血ではなく、何度も何度も大量の出血を繰り返すのと、血小板数が足りないので成分輸血をしても足りず、そのままだと心臓が止まってしまうということで、やむなく止血処理をして頭をふさぎ、眠らせてあるということだった。

これはもう元々脳内の血管に何らかの異常か病変があったはずで、時限爆弾のようなものだったらしい。ただ、そういうことは「ピンポイントで精密検査を受けてみないと解らないことだし、運命ということもありますから…」と言われる。
だから「やるだけのことはやりましたが、あとはご家族の方と最後のお別れをしていただくことが目的の延命です」という残酷な告知をされてしまった。
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2009-04-26(Sun)

連れ合いが倒れた

夕べ、俺の連れ合いであるやまだ紫…うちでは本名「M」で呼んでいた…が、夜中に突然頭痛を訴えました。
すぐ救急車で京大病院へ搬送、脳内出血と判明、すぐに開頭手術を希望。
その結果はとても残酷なものでした。
まだとても、詳細をご報告出来ません。

何かしていないと、今でも気が狂いそうです。
いつものように、自分は日記を克明に記録しています。
このところ簡略化することも多かった記録は、今回ばかりは何かしていないとおかしくなりそうなので、詳細に書いています。

でもまだ、それを皆さんにお見せする気分にはなれないのです。
どうか、お許し下さい。
奇跡は起きませんでした。しかし、やまだ紫いや俺の妻、Mはまだ死んではいません。四半世紀近く一緒に暮らした、大切な大切な伴侶。尊敬する作家でもあり、かけがえのない妻であるM。命は風前の灯火だそうです。

辛い数日間になりそうです。

2009-04-26 11:49:40
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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