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2009-12-12(Sat)

このマンガがすごい・・・んですか。

12月12日(土)

今朝は6時過ぎにトイレに起きる。一応6時間近く寝たからいいかと、そのまま寝ずに起床。
日中はほぼ仕事ばかり。休み休みとはいえ、その休みにtwitterりしている。昨日届いた宝島社「このマンガがすごい! 2010」を読むが、これA5判にしては字が小さくて読みづらいところが多い。俺の目が悪いのか、若い人向けなのでこれでいいのか、とにかく目が痛くなる。

言いたいことは山ほどあるが、もう面倒くさい。

この本…というより「この手のランキング」や紹介本に何の意味があるのか、もはや意味不明だ。
個々の人物にそれぞれ聞いて、この人はこういうものを好んでいるのか、という下世話な興味を満たすのならそれに特化すべきだし、「売れている」という基準で選ぶのなら、再三言っているようにオリコンの年間順位出しとけばOKだろう。別に本なんか作らんでいい。
その年に単行本が出たものの中から、誰かが勝手にランキングをつけるのなら、そいつらの好みなんだから見る必要もない。
マンガはジャンルも多岐にわたり、メジャーからドマイナーまでさまざまな作品が生み出されている。しかもその作品を評価する際、個人の場合はどうしてもそこへ「好み」つまり「好き嫌い」が入る。
何度も繰り返しになるけど、カネを払ってモノを買うだけの「消費者」なら、その基準はその人の「好き嫌い」でいい。というより嫌いなものをわざわざ買うバカはいないだろう。
だが批評したり紹介をしたり、つまりはプロ、生業にしている連中の審美眼が素人と同じ基準であるならば、プロなんか必要ない。そこに要求されるのは「一般人に今売れているこれ」をわざわざ紹介することではなく、埋もれた名作を伝え残すことであるだろうし、いまだ知らぬ人々へ紹介することもであろうし、「今なぜこれが売れているのか」「この作品のどこがどう優れているのか」などを分析するような仕事だろう。
よく喩えに出すが、「ラーメン通」とか「ラーメン博士」だの言われる連中のガイド本を見てみたらいい、本当にムチャクチャで、こいつら本当にラーメン以外のものをたくさん食べてきたのか、つまり
プロとして「味を表現し他人に説明するだけの『リテラシー』」を持っているのか、と疑われるような阿呆が多い。
四六時中ラーメンばっかり食ってるような奴に、ラーメンの味を説明できようはずがない。このことになぜ誰も腹を立てないのか、疑問を持たないのか理解に苦しむ。そんなものをアテにする方が間違っているのだが(味なんて好みだし、元々が形而上的なものだ)。

ではマンガはどうか。
マンガは文学や映画や写真や音楽などと並ぶ、いやとにかく一つの「表現」方法だ。芸術だとまでは言わぬ、芸術と呼ぶべきものもあればそうでないものもある。その雑多なものが一緒くたになって「表現」なのだし、そのことは音楽や文学だって同じことだ。
この本で「マンガ批評家のだれそれ」とか「ライター」とかの「個人的なベスト」なり「オススメ」が見られるのは、それなりに面白い。
誰がボンクラかすぐ解る。

ただ、書店の現場にいる人間が出すベストは意味が違ってくる。
旧知の友人T君がメールをくれた。ブログへもコメントをくれたが、
「書店が単に『店頭で何が売れたか』をランキングで出すのでは、意味がない。むしろ書店の現場で、自分はこれを今の読者に読ませたいという行動が、書店の書店たる存在価値だろう」と憤慨していた。
なるほどと思う。
世間の売れ行きがどうこうではなく、この作品がもっと読まれるべきだと思うこと。
この作品はずっと後世に伝えたいから、棚を作って自分のベストだと思う品揃えをすること。
まあそれが書店文化というか、書店の存在価値だとも思うが、取次の言うがままに売れ筋を揃え、送られてきた配本をただ並べる…じゃあ書店は早晩潰れていく。(いやそんなことはもう20年も前から始まっていて、そのことも再三俺も書いているが「考察【出版不況】」
勢いまっとうな読者の足も書店から遠のく。というより、書店に通うあの「わくわくした感覚」を味わう、次の世代が育たない。育ててきたのは書店だったはずだが、もうその役目を果たす書店員がいない。だから結局どこの書店へ行っても同じだ。
何年か前、夫婦でけっこう大手の書店へ足を運んだら、レジ前の「一等地」に「店長のオススメ!泣けます!」というポップがあり、『世界の中心で愛を叫ぶ』が大量に平積みになっていた。二人で顔を見合わせて苦笑した。

ではAmazonやネットでプッシュされている大量のものから「自分の審美眼だけ」を頼りに「ほんとうにいいもの」と出会える確率は低い。
レビューなんかしょせん、他人の主観にすぎない。書店へ行き、自分の全く興味のない分野の棚の前で、上から下までなめ回すように本を探し、手に取り、そして新たな好奇心や知的探求心を刺激された時の、あの感覚。ネットでは無理だ。

そのために本のソムリエのような人が必要で、つい数年前までは、それが実は書店という出版文化、流通の現場の最先端にいる書店員のはずだった。
かつて個性のある品揃えで、「ジャンプ? よそで買えるだろそんなもの」という書店がたくさんあった。本当の話だ。
どこでも買える、誰でも知ってる本ならよそへ行けよ。うちはな、棚つくるのに誇り持ってんだよ。本当にそういう書店がたくさんあった。

俺の高校時代、よく通っていた函館の五稜郭交差点から近いデパートの裏にあった小さな書店で、俺はガロを買い、写真時代を買い、OUTやファンロードにも出会い、漫画ブリッコの創刊を目撃した。青林堂だけじゃなく北冬書房、けいせい出版や東京三世社のコミックにも触れた。別な書店ではエロ劇画がカンペキに揃っていた、主人が好事家だったと思う。また別な書店では翻訳ものの小説ばかり買った。
いわゆるメジャーどころ、ジャンプやマガジンやサンデーや少女漫画のコミックは当たり前だがどこでも買えた。今のようにコンビニが無かった頃だ。
大きな書店をはしごするのと、個性ある小さな書店をめぐるのは、それぞれ別な楽しみがちゃんとあった。こちらもそれを使い分けて楽しんでいたし、書店側も「棲み分け」をしていた。

この晩秋、入院する前に買い物がてら近所の名物書店を覗いたことがある。
発売日直後のやまだ紫「性悪猫」はみつからなかった。
部数から言って委託、パターン配本で入る部数はほとんどないと思う。ただそこはアート系の本に力を入れていたし、サブカルにも強く芸術系の学生が多いところだ。1部か2部入ったのを返本したか売り切ったか、それで終えたのか。あるいは最初から入らなかったか。いずれにせよ、その店で能動的に「これは今の時代でも売るべきだ」という選択肢に入らなかったのだろう。入っていれば注文で平積みするぐらいは頼むはずだし、俺が書店員ならポップを作ってレジの真ん前に置く。
しかしそんな書店は恐らくもうないのだろう。
書店員は売れる本をより売るために、ポップを作る。
売れ筋をよりたくさん売るために、特等席に平積みをする。
皆判で押したように大手の、それこそ数十万数百万売れるものを大量に仕入れて大量に売り切る商売しかしない。書店なんかどこへ行っても同じだ、と言われる所以だ。
俺ももう書店の店頭へ足を運ぶのをやめた。
病気のこともあるが、こちらが読みたいものはピンポイントでAmazonに注文すればいい。若い頃の、あのわくわくするような「未知との出会い」を期待して行くような書店はもう、ないのだろう。あったとしても俺が行ける範囲にはないだろう。
「出版文化は、その先端で読者と対峙している書店そのものが破壊している」…T君の言葉だが、なるほどと思う。

<追記>
『このマンガがすごい!』がちょっと納得いかない件について 漫棚通信ブログ版
カンペキな分析結果。小中学生をはじめ大学を含めた「子どもたち」のアンケが…。だったら本にする意味って…
【以下はコメント欄に残そうとしましたが、遠慮させていただきました】
自分はむしろ今年の路線変更には疑問なので、漫棚通信さんと同意見だ。
アンケートの集計結果=人気投票や書店員の売れ筋ランキングなど本にして何の意味がある?
しかも年間の「すごい」と銘打ってだ。
オリコンの売上げ一位からでいい、せいぜい年代別性別くらいなもんだろう。数頁で終了。あとは巻末の著名人(だか何だか知らないが)の「個人的な趣味趣向によるセレクト」くらいか、読めるのは。
ONE PIECEが売れていることは事実で面白いことも事実で、それを今さら「すごい」ということに何の意味があるのかということを、たくさんの人が疑問に思っている。
あと今年の、この本の校了(10月か?)までに出た全ての漫画単行本を対象にするのなら、来年は、今年の10月末から刊行されたやまだ紫の復刊も当然選考対象でしょうね。
ただ「売上げ上位からスゴイ」という価値基準だとしたら、やまだ紫を読める「漫画読み」とやらがどれだけ執筆陣に入ってるかが不安ですが。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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