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2010-04-06(Tue)

東京へ戻ることになりそうです

4月6日(火)

先日、東京のマンションの管理をお願いしていた会社のUさんから電話があった。どうにも借り手が見つからない。移動の季節もそろそろオワリなので、新たに見つかる可能性も低い。
しきりに恐縮されるが、努力不足というわけではなく、不況もあるし賃貸に貸し出すにあたっての価格帯も、「だったらローン組んで買っちゃおうか」というあたりと競合する。仕方ない。
とりあえず三津子の一周忌までは動かずにいようと思っていたが、来月5日でその一周忌となる。
超してきたのは2007年の9月。
はや2年半以上が過ぎてしまった。そろそろこちらを引き払って、東京のマンションへ戻らねばならない状況になった。住宅ローンとこちらの家賃を二箇所分負担するのは無理。東京も借り手がつかないまま放置しておくわけにはいかず、こちらが戻るしかもう手はない。

一周忌が近くなったこないだからそう思いつつ、引越の負担をなるべく軽くしようと思い、まずは大量の本を減らすことを考えた。二階の寝室を取り巻くように置いた本棚に、引越以来二人でコツコツ荷ほどきをして差し入れていった大量の本も、彼女を失ったあと、暇を持て余した挙げ句ほとんどを読み返した。その数千冊以上。今後の人生でもう読むこともなかろう。
それをまた東京へ持ち帰るのもバカバカしい。子孫に残そうというほど価値のある本は少ない。読ませたいと思うものはすでに送ったりしているし、あとは自分が若い頃に集めた精神医学関連の本や美術書、小説、ノンフィクションのたぐいや文庫本。それに漫画だ。
連れ合いの読んだ小説や画集、詩集など大切にしていたものは分けてあるので、あとは不要。墓まで本は持って行けないし、かといって譲り渡す相手もいない。本は一期一会、人から読めと言われて読むのもまた出会いだけど、多くは自分が求めるものでもある。押しつけられるものではない。

とりあえず某ブックオフのサイトで買取を依頼、段ボールを20箱注文したのが届いた。
早速プリントしておいた「一箱ごとに入れろ」という買取用の書類と一緒に10枚を二階へ上げる。段ボールといっても厚手のものでけっこう重い。ていうかこんなもん青林堂に勤めていた頃は屁でも無かったのだが、重いものを持っての階段の上り下りがキツい。

まずは荷ほどきすらしていなかった、放置してあった青林堂時代のサブカル関連の本を箱詰め。それから三津子のベッド側=東側の本棚の本を端から詰めていく。アッという間に段ボール箱が5箱埋まり、それでもまだ全体の10分の1くらいか。全てを売却できるものじゃない=雑誌は買い取られないのと、あまりにタバコのヤニや日焼けしているものはさすがに排除していくので、あまり進まない。排除されたものは廃棄するために後で縛って下に出さねばならない。これなら出張買取頼んだ方が良かったと思うが、もうしょうがないのでやる。
5箱満杯になり、いったんそれを玄関脇に下ろすだけで完全に体力ゲージがエンプティになった。溜まった乳酸の分解が進んでいないというか、疲労回復が全く進まないのが解る。息が切れ、酸欠まではいかないがゼイハア状態でソファに転がって、そのまま4時間ほどうとうとする。自分でも情けない。
それから復活してまた2箱突っ込んで下に下ろすが、これでもう完全にグロッキー(死語)。
昔は青林堂の急な階段を数十キロの本を持って何度も上り下りしていたってのに、情けない。

夜、ゆうちゃんから電話があり、一時間近く雑談。本の片付けの話をすると「あんまり無理しないでよ〜」と言われる。引越も手伝おうかと言ってくれるが、子どもらを置いて京都へ手伝いに来させるわけにも行かない、最終的には業者にお任せパックを依頼するつもりだからと話す。
それにしても、細かいことは自分でやらねばならず、また荷ほどきのことなどを考えるとアタマが痛い。何より京都を離れねばならないことが一番辛い。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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