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2010-05-28(Fri)

また京都で暮らす

先日東京のマンションをお任せしている不動産屋さんから連絡があって、契約したいという人が現れたそう。
以来結果を待っていたが、諸々の手続きや審査が終わり、契約するだけとなったという報告がある。
つまり、こちらはこのまま京都に居られる、ということになった。
こちらで書いた通り、連れ合いの一周忌まではここを動くつもりは無かったものの、その後のことは決めていなかった。
ただ、体のことなどを考えると引越がいろいろと大変なことであるという心痛のタネにはなっていた。で、それもこれも、ジタバタせずに居ればきっと結論が出て、それが示された道なのだから従おうという心境であった。

彼女の一周忌の日、左腕にしていた水晶の数珠が突然切れた。
普通ああいうものは中のゴムが切れると、通してある玉が散乱するものだけど、ブツッと切れた腕輪はそのままガシャリと床に落ちた。
これはふたりで比叡山に登り、延暦寺の根本中堂で彼女が買ったもの(比叡山へ登る - 白取特急検車場【闘病バージョン】)。その時俺は黒檀の数珠を買って、それは今でも腕にある。水晶が大好きな彼女は、自分の守り本尊である千手観音と梵字が入った数珠=腕輪を買ったのだった。
しかしそれからしばらくして、ゴムが切れて玉がぽろぽろ落ちた。慌てて拾って、直してもらおうとしまっておいた。
彼女はその間に亡くなった。数珠が切れたことをずっと気にしていたので、亡くなったあと、明青さんのおかあさんに頼んで、お知り合いの仏具店の人に直していただき、以来それは俺が身に付けていた。
それが、彼女が亡くなってちょうど一年目、一周忌の日、俺の腕から落ちた。
作り話でも何でもなく、これは事実で、本当の話。
俺は常にネックレスに彼女の遺品の結婚指輪と、遺骨の入ったクロスを通して身に付けている。そのうえに左腕につけていた水晶の腕輪が切れたのは「もうそんなにつけなくてもいいから」と言われたような気がした。
だってこれはわたしの守り仏様のお数珠だし、と笑う顔が思い出された。

一周忌までは……という色々な思いというか踏ん切り、区切りが大きいものとして自分の中にあった。
毎日お茶と線香をあげ、手を合わせ会話をするのは今も変わらないが、毎晩二人で晩酌をしていたように陰膳をこしらえ、酒と氷入りのウーロン茶を供え続けて来たのも、一周忌でやめることにした。
これもおかしな話なのだが、一周忌が済んだあと、陰膳に添えてあった箸が消えた。
一年間ずっと毎日毎晩、テーブルの上にお膳をつくりそこへ添えておいた、夫婦お揃いの竹箸で、無くなるわけがない。
猫が俺の寝たあとにテーブルの上に何かないかとあさり、箸をいらって下に落とした…。常識的にそう考えるのが普通の人だろう。俺もそう思い、やれやれとテーブルの下を覗いた。けれどどこにも箸はなく、部屋じゅう、あり得ないところまで探したのだが、結論から言うと、本当に消えたように無くなってしまった。
毎晩毎晩、俺が晩飯を食べるとき、晩酌をする時に必ず彼女の分も作り、また俺は食べないが彼女が好きだったものを添えたりしていた、それも「さ、もうわたしの分はいいよ」と言うのだろうか。それにしても、箸はどこへ行ったのやら(いまだに見つかっていない)。

彼女はきっと、もう自分と一体になったのだろう。写真の前にお膳を据えなくても、俺は一人で、いや二人で晩酌が出来るようになった。
きっとこれからいい季節になるし、散歩に出たりも出来るようになると思う。これまでは「一人で行っても仕方がない」と思っていたが、一周忌を境に「二人で居るのだから」とはっきり思えるようになった。
色々なことが大きく変わった。
短兵急、瞬間湯沸かし器と言われたほどの短気な自分の性格が、自分でも解るほど変化した。色々と拘泥していたさまざまなどろどろした感情がすうっと無くなった。人への恨みつらみ、憎しみ、些末なことでうだうだとする、嫌な感情が消え失せた。
これも面白いが本当の話だ。

一周忌が過ぎて数日後、東京の不動産屋さんから連絡があった。まだ本決まりではないけど、借りたいという人が見つかりました、という報告だった。それから保証会社の審査などを経て契約という段取りだと聞いており、その間に話自体が消えることもよくあることなのも知っていた。
なのでお任せして、心静かに待っているだけだったのだが、結局それは決まり、こちらは引き続いて京都に居られることとなった。
京都暮らしは、連れが選択し、提案をして決断した結果だ。もちろん二人で話し合って協力して来たわけだけど、一人になって、それがどうなるのかも、彼女がきっと望む方向に動き、俺もそれを受け入れるんだろうと思って来た。
そういう結果なのだと思う。

京都は久しぶりに穏やかな青空。
ありがとう、と手を合わせる。
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2010-05-12(Wed)

買い物

5月11日(火)

こまごまと買い物があったので、メモ用紙に近くのスーパーの4階=台所&生活用品売り場で買うモノからその下の文具売り場、1階の食品売り場での買い物を細かくメモしておいた。
ネットで調べた天気予報では「朝から夕方まで曇り」&「のち雨」(6時から)ということだったので、昼前に今のうちと着替えて玄関のドアを開けたら雨。1秒くらいでドアを閉め、着替えたばかりの服を粛々と室内着に戻し、リビングへ戻る。

買い物が多いのでとても徒歩で傘を刺して行く気にはなれず、かといって関西ではデフォルト(?)の「歩道を傘を差して歩行者を蹴散らしながら自転車に乗る」という行為がどうしても、昔から出来ない。
そういえば昔夫婦で歩道を歩いていたら、後ろから来た自転車のオバハンにいきなりすぐ真後ろで「ヂャリンヂャリン!」とベルを鳴らして威嚇され、慌ててよけたら「邪魔!」と言われてキレたことがあった。
当時はもの凄く喧嘩早かったので全力で追いかけて荷台をつかみ、「てめえババア! 歩行者威嚇してどうすんだ! 道路交通法知ってんのかコラ!」と鬼の形相で怒鳴ったら「ひい」と言って犯されるかという勢いで遁走されたっけ。犯しません絶対に。

……その後大人しく部屋で仕事を片付け、明日の仕事(別件)の下準備をし、フと外を見ると轟々と滝のような大雨。しばし呆然と眺める。どういう天気「予報」だったんだよと思わず突っ込みが出る。
その後猫トイレを掃除し、あれこれやっているとやはり細々と無いものがあって、買いに出ないとそれは補充できない(猫トイレに必須なスプレーの重曹洗剤とか、ゴミ袋とか)。
PCでかけていた久保田早紀の3rdアルバム(「SAUDADE」これがポルトガル録音でファドをフィーチャーした名盤)が終わったのを機に、7時前になってベランダに出てみると、通りを行く人の傘が閉じていた。こりゃ今だ、と思い着替えて下へ降りる。
自転車でスーパーへ行き、メモを片手につつがなく予定通り大量の買い物を終えて帰宅。最近もの忘れがひどく(笑)、メモがないととても買い物へ行けない。
ひどい時は「何か」を思いついて台所へ立ち、その時ついでに空いたコップを手にしていたので洗ってるうちに、肝心の「何か」を忘れて単に洗い物をしただけで戻ってきて「アレ」ということもある。脳のアレがソレとかでヤバいのかも知らん。
この日は猫トイレ周辺用の洗剤の換えやら台所のポリ袋やらゴミ袋やら資料整理用のクリアファイルやら、野菜やご飯のおかず類やらをメモ通り全部クリアして意気揚々と帰宅して冷蔵庫やら所定の位置へ収納。意気揚々、って単にメモの通り買い物しただけなんだけど。
こんな当たり前のことで充実感があるとは、自分も末期かよと思う。

文具売り場の脇にいつも特設してある(もはや特設ではないが)いつもの100均コーナーに、散髪用のザキザキに切れるハサミが売っていたので買って来た。
連れ合いが生きていた頃は、よくこれで風呂場で散髪してもらっていた。
俺は美容室での、あの「はいじゃあもう一回流します」「じゃあちょっとお待ち下さい」「もう一度流します」的な長〜いルーティンが嫌なので、よく連れに切ってもらっていた。
そこは漫画家、絵心があるのでうまいこと切ってくれたものだ。
しかし連れが亡くなり、その後俺は髪を一度も切っていなかった。クセ毛なので後ろ髪の端っこがイヤミみたいにピン、とハネあがってカールするのが毎日嫌で嫌で仕方がなく、かといって40分1時間を美容室で過ごすのもアレだし的なことで、ずっと放置していた。
連れに切ってもらっていた頃のハサミはすぐ切れなくなり、一年ほど前にお払い箱になったままだったので、今回見つけて買って来た次第。
教え子のS君がディレクタを務めたコーナーがあると聞いていたフジテレビ系の警察特番を見ながら、発作的に新聞紙を敷いて前髪とうしろ髪を切る。うしろ髪のハネを中心に思い切って5cmほど切り落とした。
スパッとではなく長短交互に刃が切れるようになっているハサミなのだが、かといってその部分は長短部分がそれぞれにスパッとなっているわけで、漢字の凸が並んでいる状態といえば解りやすいか。それはそれでとても恥ずかしいので、美容室でよくやられるように、束をつかみ直して今度は斜めにハサミを入れてこまめにちゃきちゃきと切る。
鏡を見てもどうにもおかしいような気がするが、まあしょうがない。最後に切りきれてないはみ出した長い毛を普通のハサミで削いでいく。まあ何とか伸び放題よりはマシになったかという程度。
連れの写真に向かって「あなたに切ってもらいたかったんだけどなあ、どうかね」と声をかけるが、連れ合いはニヤニヤしたままだった。
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2010-05-05(Wed)

やまだ紫、一周忌

5月5日(水)
連れ合いである三津子、そして敬愛する作家でもあったやまだ紫が亡くなって一年が経った。

午前中から、親しかった人や京都へ来て知り合った方や読者の方から、相次いで花が届く。
また、一周忌ということでたくさんのメールもいただいた。(ツイッターばかりやっていたが、ツイッターをやらない人から、が9割以上だった。逆にツイッター上からはほとんど数名の方からしか反応がなかった。ブログをないがしろにしてはいけないと反省しました)

本当にありがとうございます。

ごく普通に暮らしていた最愛の連れ合いが、ある日突然倒れ、そして死ぬ。
病気や事故や自殺や色々な理由はあろうが、その「予測」「覚悟」がなかった場合、遺された者の気持ちは経験した人じゃないと解らないだろう。不遜な意味で言うのではなくて、自分も経験するまで、しょせんは「人ごと」であったから。
「辛かったでしょう」「大変だったでしょう」「悲しいですね」と言われる。辛かったし大変だったし、悲しかった。今でもそれは同じだし、恐らくそう言ってなぐさめて下さる方の想像を遥かに超えるものであったと実感している。
本当に、辛くて、悲しかった。

突然の不幸から、ちょうど一年。
「一年」という時間は一日、一週間、一ヶ月……の積み重ねであるわけだけど、こういう単位というものは本当によく出来ているというか(おかしな表現だが)、ヒトにとって意味深いという思いを新たにする。
辛く悲しくどうしようもない慟哭の日々、気が付けば連れの名を呼び、面影を思い浮かべては涙に暮れる日々、もうどうせ自分も病気なのだ、いっそのこと一緒に…とまで考えた。
けれど一年、今純粋に思うのは「感謝」のひと言に尽きる。
悲しみや怒りや、さまざまな感情・思いが激しく交錯しもつれ合い鬩ぎ合う毎日をふらふらと、何とかかんとか身内や友人知人の助けで倒れずに過ごしてきた結果、残ったものが「感謝」だった。
出逢ってくれてありがとう、一緒に暮らしてくれてありがとう。愛してくれて、ありがとう。

個人として、最愛のひとであったことは言うまでもないが、尊敬する作家・やまだ紫としても、たくさんの人をあなたは救ってきた。
読者の一人としても、心から感謝している。
ありがとうございました。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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