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2010-06-30(Wed)

頭部MRI

夕べはサッカーW杯、日本の敗戦を見てから寝たので、朝は6時半までぐっすり。
トイレから戻ってくると、夜中に何度か見に来た(サッカーを、ではなく様子を)若い男性看護士と廊下で会うと「負けちゃいましたねえ」と言ってくる。
その後部屋で洗顔などするが、どうにも挿管部が痛い。ゆっくり動いて、ベッドに戻って動かないようにするが、喉がごろごろして痰を出すと血痰。うーん、気管支鏡の影響がまだ残っているのか。
朝食のあとしばらくすると、昨日でなかった便通がある。マグミットのおかげでやや固めながら後続はすんなり。水分はけっこう採っているのに、もしマグミット無しだったらと思うとゾッとする。

今日は午前中レントゲン、午後はバスで中央棟へ行って造影MRIとバタバタするので、その後はパソコンで仕事を片付けておいた。検査そのものは10分なり15分なりで済んでも、移動時間、待ち時間、シャトルバスの待ち時間と戻ってくる移動でだいたい早くてもたっぷり1時間は潰れる。
と、作業を開始したら9時過ぎにH研修医と看護婦さんが来て、消毒とガーゼ交換。やはりちょっと挿管部の皮膚が膿んでいるので、念入りに消毒。縫合した部分もピンセットでつまんだりしつつよく消毒してくれるのだが、これが痛いこと。さらに生食でたんねんに洗い、再びイソジンスティックで消毒し、ガーゼ交換。この程度の痛みなどもはや何てことはない…はずはなく、痛いものは痛い。

仕事の後はどうせ昼飯は検査のため抜きだからと、ひたすら寝る。うとうと…と思ったら割合すんなり寝られてしまって、自分でもびっくり。時々看護婦さんの出入りで起こされつつ、1時過ぎまで寝たり醒めたり。
1時半ころ、H研修医が来てクランプ終了。「今朝のレントゲンどうでしたか」と聞くと「やっぱりまだちょっとだけ漏れてるみたいなんですよ」とのこと。なのでクランプ終了でも抜管はなし。がっかり。
ただ、期間的にもう抜きたいことは抜きたいのだけど、もしここでドレナージを終了して、そこから外科へ移り手術の日程待ちの間にもしまた気胸が発生した場合、再び胸腔にぶすりとあの激痛が走るドレーンをブチ込まねばならないわけで、であればこのまま消毒に気をつけつついっぺんに外科で対応してもらった方が安全確実ではないか、とのこと。
というわけで鉗子が外されるが、前のクランプ終了時のようにダバダバと胸水が流れ出てくることはなく、少し黄色い水が出て来ただけだった。ただ、これだけドレナージも長くなると、先が詰まってくることもあるので、一概に水が止まったといえるわけではないそう。
その後看護婦さんが来てバイタル、「残念でしたねえ」と言われる。24時間点滴は何回か経験しているが、あれはあれで煩わしく熟睡できないものだ。ドレナージは太さがケタ違いなのと完全に寝返りが制限されるが、なぜかあれよりは熟睡できるのは不思議。手首と胸の差なのか、よく解らない。

とにかくもうしばらくこのぶっといチューブと水槽は身体から離せないわけか。そう思いつつまたベッドに背をもたれかけていると、こないだ気管支鏡を操作してくれたI先生が来られて、検査の説明をしていただく。
まず、レントゲンやCTでもはっきり見られた穴というか嚢胞の部分の組織に関しては、はっきり言ってうまく採れたかどうか解らないということ。というのは「ここが採れれば」というところへ到達し操作すると俺がかなり痛がったので、基本的にそういう場合は無理に採取はしないという。なので気になるところいくつか別なところを試みたが、あとは検査結果を待つ、とのこと。
もう一つは、一番大きな管、つまり気管の内壁に一部赤い隆起が見られ、もちろん通常は見られないものなのでそこもつまんで採取した、と。これも組織検査に出して結果が出ないと解らないということ。これはちょっと怖い。
で、縦隔の腫瘍に関しては悪性ではないと断言は出来ないが、胸水の検査結果などからも、「今のところ」細菌や癌性のものは出ていない、ということ。
これらを踏まえて、その他の検査結果と総合的に判断して今後のことを決める…というあたりで看護婦さんが「そろそろMRIに行くのでバスに…」と呼びに来て、中断。そのまま俺は財布や受付用紙、同意書などを持って車椅子に乗せられて下へ降りる。

MRIは15時ちょうどからで、シャトルバスは14時35分南西病棟着。5分近く余裕を持って降りたはずが、なかなかバスが来ない。看護婦さんと世間話をしていると5分ほど遅れて到着。すぐに乗り込んで…と思ったら、入り口外で待たされた。どうやらもう一人の車椅子の患者が降りてこないらしい。結局忘れてたようで10分ほど遅れてようやく降りてきたので、全体としては20分遅れて出発。
それにしても、その都度待たされ車椅子をリフトで搬入し固定し運転し…と、運転手のKさんも汗だくでフル回転。その上待たされてやきもき、よくキレないものだ。他の患者は明らかに「とっとと降りて待ってろよボケ」という険しい顔をしていた。遅れてきたおばちゃんは涼しい顔。まあこれは看護婦さんか助手さんのミスだけど、予定は患者も聞いているんだから「そろそろじゃないの」くらい声をかけるべきなのだが。

外来棟の正面玄関に着き、助手さんに地下のMRI受付へ連れてって貰い、待合で待つよう言われて数分。すぐに呼ばれて、中待合へ移動。財布や時計やメガネ、指輪を預け、サンダルも履き替えさせられ、説明と問診を受ける。MRIは経験済みということで簡略化された形式的なもの。不織布の帽子で髪を覆い耳栓をして、検査室へ。
今回はドレーンチェスト=水槽は点滴スタンドから外して、車椅子の足受けに置いて両足で挟んで支える形で持って来た。なので手提げバッグのように移動可能。検査台に仰向けになり、水槽は両足の間に立てて支えるかたちで検査に入る。

検査は頭部MRIなので、頭を器具に収め、タオルでがっちり両頬の隙間も埋めて固定され、さらに仮面ライダーの目の部分が抜けているようなヘルメット様のものを全面にカパッと嵌められた。その体勢で頭から狭い空間へ入っていく。
MRIはCTと違って「ビーンビーン」とか「ビュワワワ」とか、けっこう耳障りな電子音がひっきりなしに響く。脳を撮影していると思しきその長いセットが終わると、それらの音と共に不快な振動で身体が小刻みに揺れる。種類の違う振動が何度かあり、いったん検査台が外に戻る。そこで左腕静脈に造影剤注入。
CTの造影剤と違って金玉が熱くなるようなことはなく、特に変化なし。そのまま再び狭い穴の中へ検査台ごと頭から入れられ、最初の「ビーンビーン」のセットを繰り返す。このままあの不快な振動のセットに移動するのだな、と思ってたら「はい、これで終了ですよー」と言われて拍子抜け。
ただこの検査は前にも思ったが、閉所恐怖症の人は絶対ダメだろうし精神的に不安定な人もきっとダメだろうな、と思った。

検査室を車椅子で出てサンダルを履き替え私物を貰っている間に助手さんが迎えに来てくれて、MRIの係の人が「次のバスに間に合いそうやね」と言うので、「ちょっと急ぎ気味で行きますね」と玄関まで移動。検査は20分くらいで終わったようだった。
バスの時間前に無事正面玄関まで着いたが、どうやらバスが遅れている模様。というか俺がこちらへ向かったバスの時点で20分遅れていたわけで、玉突きでそら遅れてるわな、と納得。助手さんにそう話すと「今の時間帯は検査とかリハビリの人でけっこう混むんですよ」とのこと。いや時間忘れてて遅れた人のせいなんすけどね。
その間助手のおばちゃんが「ご家族も大変でしょう」と言うので、これこれこうでたった一人です、と言うと絶句されてしまった。「それはそれは…」と言う顔に「お気の毒に」と書いてある。俺もそう思う。でも仕方ないし。幸い、京都にも助けて下さる人もいる。むしろそのことを感謝したい。

15分ほど遅れてバスは到着。運転手のKさんに「歩けないわけじゃないので、混んだら座席移れますよ」と言うと「うーん、今やったら大丈夫じゃないかなあ」というので、とりあえず車椅子のままリフトで入れて貰う。俺の後にはもう一人よく喋るおっさんが車椅子で搬入され、そのまま南病棟へ向かった。
すると車椅子のおばちゃんがもう一人待っていた。Kさん申し訳なさそうに俺を見たので「いいですよ」と言って左の補助椅子のような座席へ水槽を持って移動。俺の車椅子は畳まれて脇へ固定、後ろのおっさんが入れ替わりに進んできて、後ろに空いた空間におばちゃんが車椅子ごと搬入され、助手さん一人が乗って出発。
南西病棟へ着くと5階の看護婦さんが待っててくれたので、とりあえず「水槽」だけカバンのようにぶら下げて一人で降りる。車椅子がある旨伝えて、売店で洗濯用の洗剤とマウスウォッシュ、テレビカードを買って病室へ戻った。本当は外来棟の下のローソンへ行きたかったのだがしょうがない。
点滴スタンドに再び「水槽」を固定してもらって一息ついた後、明青の渡辺さんにいただいたカステラを開けた。何しろ昼飯抜きで4時過ぎまで来てしまったので、何か胃に入れないと気持ちが悪いほど。カステラはちゃんと一口大に切れているもので、こういうところも細かい配慮がありがたい。病室に道具を使わないと食べられないものをお見舞いに持ってくるというのは、意外と貰う方は大変だったりするのをちゃんとご存知なのだ。
ペットボトルのお茶を飲んで、カステラを一切れ。う、うまい。卵の味が濃くて甘い。ありがたく噛みしめるが、何せ空腹なので立て続けに3切れも食べてしまった。今満腹になると今度は夕飯が入らなくなるので、あとはおやつに取っておこう…。

さて検査検査の日々だが、一応予定としては明日朝のPETが最後。
これはもちろん、癌などの悪性腫瘍は栄養として糖を集めるので、それを利用して糖が全身のどこに集まるかを見る検査。なので検査前数時間から食事はもちろん、糖分の入った飲料も一切禁止。うっかり冷蔵庫のアイスティで朝の薬を飲んだりしないように、と看護婦さんに釘を刺される。うっかりしそうなので紙に書いておいた。
いい年をして紙に「朝、薬は水で!」とか大書した紙を置いとくのも情けないが、習慣というものは恐ろしく、「○○はダメなんだよな」と復唱しつつ、そのダメなことをする寸前ということもよくある話。
先日H研修医から聞いた話によると、PET検査前禁食だというのにこっそり「赤福」を食べたのがバレて、検査が台無しというか強制送還になったおばちゃんがいたそうだ。俺が笑うとH君は「いやでも解りますよ、糖尿で甘い物を制限されてた鬱憤が爆発したんでしょうね」と気の毒そうな顔をしていた。解るが、いくら何でも検査前に爆発させんでも。
そういえば、連れ合いがよく入退院をしていた頃、同室のおばちゃん(糖尿患者)が先生が去ったとたん、隠し持っていた羊羹を一本食いしたのを目撃したと笑っていたのを思い出す。
病院は悲喜こもごも、人生の交差点。
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2010-06-29(Tue)

お世話になります・・・

夕べは一日中眠だるかった挙げ句、11時前には寝てしまった。
夜中2時半ころトイレに立ち、ドレーン挿管部がやけに痛んだのでロキソニンを飲み、また寝る。その後は6時半にバイタルが来るまでほぼ熟睡。前の日からちょっと寝すぎだと思うのだが、どういう案配なんだろう。

朝、バイタルに来た看護婦さんがチューブに溜まっていた胸水を「水槽」に流し込んでくれるが、流すと胸からまた流れてきて、それを流すとまた胸から出てくる。110ccくらい溜まってたか。大丈夫なのかと思うが、これくらいなら普通とのこと。
朝食の後もなぜかだるく、挿管部が痛い。
先日、まる2日消毒・ガーゼ交換がなく、いくら何でも大丈夫かなと思いこちらからお願いして交換してもらった時、はがされたガーゼから嫌な臭いがした。いわゆる化膿の時の「あの臭い」で、それから痛みが出るようになったのだが…。
そもそもこの気胸治療目的の胸腔ドレナージは通常、一週間から十日ほどで抜くものらしいので、二週間以上こうして入れていること自体が感染のリスクを高めていると言える。加えて俺自身が免疫力の低下で感染リスクの高い状態にいるわけで、この状態はよろしくないということは素人でも解る。

その後9時半ころH研修医が看護婦さんと来てくれて、ガーゼ交換。その時にそういったことを聞くと、確かにもう2週間以上になるので、もう抜いた方がいいというのと、同時に呼吸器外科の方へ(手術を見越して)移った方がいいんじゃないか、という意見。昨日の気管支鏡、それと明日は脳のMRI、明後日はPETがあるが、それらで基礎疾患以外に特段異変が無ければ、もう肺へ集中ということになる。
ということは、嚢胞=ブラが多数出来てしまっている以上、外科で開胸のうえ、全てカバーしてもらえば以後再発に怯えずにも済むし、唯一大きくなっている縦隔腫瘍も取ってしまえる、と。まあいいことづくめなので、恐らくそうなると思います、とも言われる。
ガーゼ交換と消毒自体はやはりもの凄く痛かった。消毒が「しみて痛い」という感覚は、当初は無かったことだし、挿管部はそろそろ限界に近づいているような気がする。というか自分で解る。

しばらくするとH研修医が戻ってきて、昨日気管支鏡を操作してくれたI先生がたまたまカルテを記入していたので見せてもらったところ、もう呼吸器外科の方へは照会を済ませてくれていたそうだ。もちろんその前に検査結果の評価も含めて説明があると思うが、手術は早いほうがいいに越したことはない。一番早いと金曜依頼で火曜手術ということもあったそうだが、執刀する先生のスケジュール次第なので何とも言えないとのこと。

今日はもともと血液内科のI先生の外来診察予約日だったが、入院したのでこの南西病棟から中央棟の外来まで行くということになっていた。看護婦さんから10:35のバスで中央棟へ向かうことになると聞いていたので、それまでネットでニュースなどを見て時間つぶし。
しかし10時半を過ぎても迎えが来ないので不安になって詰め所へ行くと「あああ、もう、すぐ行きましょう!」というので大騒ぎ。
しかし幸い下へ降りるとバスは遅れていて、まだみんな待っていた。

シャトルバスで中央棟へ着き、車椅子に座ったまま水槽のスタンドを前にして自分で支え、全体を助手さんに押してもらうかたちで移動。2階の血液内科の外来受付に用紙を渡して、診察室の前で待つ。助手の人は「待ってましょうか」と言ってくれたが、どれくらいか解らないのでいいですよ、と言って待っていると、前の人が5分ほどで出て来て、すぐI先生が顔を出して、通りかかった看護婦と一緒に部屋へ入れてくれた。

「大変でしたねえ」と言われ、「はあ…」と答えながら、以前もこんなことがあったような気がするな、と思う。「昨日も大変な検査(気管支鏡)があったようで…」と言われて思わず「ええ、出来れば二度とやりたくないです…」などというやりとりの後、呼吸器内科の先生がたと今日までの間に色々話した内容、伺った所見などを説明する。

I先生は俺の基礎疾患つまり白血病そのものは血液の状態を見る限り大きく変化しているわけではないということ、ただ血小板が少し増えているのと貧血傾向が若干進んだのが気になるけれども、昨日の検査やドレナージ中であることなどを考慮して、病気が変化したとは言いにくいという所見。
さらにはっきりと断言されたのは、脾臓を除けば唯一白血病で顕著な変化と言える縦隔の腫瘍だが、2年で少し大きくなったとはいえ、今回の気胸や肺の疾患には無関係です、ということ。

こちらも、嚢胞=ブラが肺の中に多数出来ているので、今のところ他の部位に出来ていないか、またどこかに新たな病気がないかということを検査中で、基礎疾患に変化がなければ肺の治療に集中する旨了解してます、その場合は恐らく開胸手術になるらしいです、と話す。
I先生は「そういう嚢胞は切除するのかと思ったら、今は塞ぐことが出来るんですねえ」と感心していた。
呼吸器内科的には自己血を癒着させて外からコーティングする方法があるが、それだと確実性に欠けること、何度か再発することが多いこと、癒着の回数が多ければ、結局手術となった場合にやりにくくなることなどを考慮して、ブラが多数ある以上再発は間違いないので、ならば最初からもっとも確実で再発の可能性の低い方法=開胸手術をしてもらった方がいいと思いました、と話す。
ただ手術となると元の病気による身体の状態など、血液内科の先生つまりI先生とご相談しないといけませんし、と話すと、I先生も
「結論から言えば、今のところ手術をしても問題ないと思います」とのこと。
重篤な免疫抑制や極端な血小板の減少などが起きていないので、大丈夫だろうということで、そこはまず一安心。
また「そうなると近々に呼吸器外科に移ることになりますが」と話すと「こちらもなるべく様子を見に行きましょう」と言って下さる。俺が「同じ棟になるんですよね」と言うと「あっそうか、1階違うだけですね、そりゃ好都合ですね」と笑っていた。
血液内科も呼吸器外科も、今度完成した新棟(任天堂の山内さんの寄付で建設)に病棟が移転済で、確かに先生方の連絡にも都合がよさそう。
まあこういうことも含めて、「流れ」というものがあって、それに逆らわずに従っていけば悪いことはあるまい。

10分ほどで診察室の外へ車椅子を移動してもらい、あとはお迎えが来るのを待つ。10分ほど待っても誰も来ないので、受付までスタンドを転がして歩いて行き、呼んでもらい、再び車椅子に座って待つ。間もなく助手の人が来てくれ、「次のバスが満員で行っちゃったんですよ、なので次まで待ってて下さいね」と言って正面玄関の入り口脇に止めてくれた。
そこで十数分ぼーっと待っているとシャトルバス到着。
降りてきた見覚えのある助手さんが見つけてくれたので、バスにリフトで車椅子&スタンドごと乗り込む。すぐに発車となったが、他の人が全然来ないので「?」と思ってたら、運転手のKさん苦笑しつつ「何か車椅子が5台とか言うてるし、そんな乗れへんし、とにかく一回このまま南西(病棟)行っちゃいますわ」と言って貸し切り状態で病棟へ戻ってくれた。
連絡を受けて待っていた助手さんが5階まで連れてってくれ、病室に戻ると12時5分前。
すぐに昼食が来る。スパゲティにブロッコリーサラダにフルーツヨーグルトに、なぜかご飯。名古屋の喫茶店のモーニングか。もちろんご飯は残した。

その後1時ころ、明青の渡辺さんご夫婦が病室に来てくださった。
お見舞いにと花と巻き寿司、お稲荷さんにスイカ!!まで。うひゃあめっちゃ嬉しいです! 家のポストに溜まっていた郵便物や、買い置きしてあったペットボトルの飲み物も「買い物とかいちいち大変でしょうから」と数本持参いただいて、もう、本当に恐縮と感謝以外にありません。
火曜日は定休日、つまりお二人にとって貴重な休日なのに、わざわざご足労いただいて、申し訳ない限りです。
おかあさんは「猫たちは元気だから心配しないで」とのこと。ただやはり寂しいのか、ユキはひどく甘えるという。今日は座っていただいて、これまでの経過と今後の予定をお話して「申し訳ありませんが手術になると、また少し退院が伸びると思いますが…」と正直にお伝えする。
猫を飼ったことのある人なら解るだろうけれど、猫のトイレ掃除は存外重労働である。猫自体に体臭がほとんどなく(むしろいい匂い=猫くさい)、早いうちに去勢・避妊を済ませておけば発情してあちこちにスプレーをする粗相もしない。
決まったところでしてくれるわけだが、それらがこの上なく臭い。とくにこの季節は部屋の中も網戸にして出ていってもらっているとはいえ、臭いも籠もるだろうし、汗だくの作業だと思う。
そんな作業をまたしばらくお願いしないとならず、かといって他にお願いする宛があるわけでもなく、ただただひたすらに申し訳ない限り。今回手術を断り強引に退院しようとすれば出来る、けれども必ず、残った嚢胞=ブラが100%気胸を再発させる。そうなれば結局その都度ご迷惑をおかけすることになるので、最初に思い切って大きい手術を受けてしまえば、その後はとりあえずは基礎疾患に集中して気をつけて静かに暮らせばいい。
そうして健康体ではないものの、また元気になって恩返しをする、それが「前向き」ということだと考えた。自分の身内にあてがない以上、こうしてご厚意にすがるしか選択肢がないのが現状、だとしたら今後その迷惑をおかけする回数をこれを機会に減らす…。

おかあさんは「白取さんは何でも一人で受け止めて一人で決断してってせなあかんし、手術ってなっても戻ってきても誰もおらへんていうんじゃあれやろし…」と心配して下さる。で「手術の間でもお母さんに出て来て貰ったら」とも言われるが、最近体調を崩しているのと、向こうは向こうで病気の猫の世話(糖尿で水を大量にがぶがぶ飲んではあちこちで下痢をしてまわるという最悪の状態らしい)をしていて、要するに全く頼れないわけで、本当に申し訳ありません、とお願いするしかないのが情けない現状。

そんな話をして頭を下げていると、看護婦さんがレントゲンで呼ばれたと知らせに来たので、3人で下へ降りて、病棟の入口で再びお礼を言いつつ、お二人を見送った。
もうこのお二人にはどれだけ感謝してもしきれないのだけど、とりあえず今はこの状況から抜け出してまた家に戻って生活をする、それだけを目標に踏ん張るしかない。そうしてまたお店へ伺い、元気な顔を見せて少しでも売上げに貢献しよう。(京都へお越しの際は下鴨高木町の明青へゼヒ! 前もって予約しておけば完璧! 何から何までうまい、大満足請け合い!)

レントゲンの後は部屋に戻って身体拭き。ついでに頭を自分でシャンプーした。着替えもしてさっぱりしたところでシーツ交換。もちろん風呂にざぶんと浸かりたいが、当分無理そうだ。普通の身体なら何ということのない習慣や作業とも呼べぬ動作一つ一つに制限がかかり、フと冷静に考えるととんでもない極限状態にあるのかも知らんと思う。

白血病告知、一時は余命宣告を受け入院。
幸い進行が遅く無治療様子見で退院、しかし繰り返す胆石発作の地獄の痛み。
その間も連れ合いは元々病弱だったせいもあるが吐血して入院。
ようやく夫婦二人で京都へ来て安寧な暮らしを…と引っ越したと思ったら胆嚢摘出手術。
やれやれ今度こそもう大丈夫と思ったら、その後たった一年で連れ合いが急死。
奈落の底に突き落とされたような慟哭の日々。
これ以上のストレスは人生であり得ないという中で、帯状疱疹の劇症化による入院一ヶ月。
退院したと思ったら半年後に肺に穴が開いて入院。
すぐ退院かと思ったら肺の中は穴だらけで、どうやら開胸手術になりそう…
というのが「今ここ」ってやつだ。

こう客観的に書いてっただけで普通の人なら「こいつ終わってるじゃん」と思うだろうし、思われても反論できない。
けれど人間、極限も長く続くと慣れてくるもので、こんな状況にいても「そういやそろそろ洗濯もしなきゃな」「でもいっつも誰かしら使ってんだよな」「あ、洗剤買わなきゃ、また下に降りるの嫌だな」などと些末なことを気に病んでいたりする。

改めて、健康というものは本当に何モノにも代え難いと切実に思う。
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2010-06-28(Mon)

気管支鏡検査

夕べは仕事の都合で12時ころまで作業の後寝た。その後は朝6時過ぎまで何度か寝返りのたびに目が覚めたが、比較的よく寝られた
洗顔などのあと、6時半に朝の薬を飲むのでアイスティをごくごく。今日は9時半から気管支鏡検査、7時以降は食事はもちろん水分も禁止なので、これが最後の水分。
直後看護婦さんが来てバイタル。それから寝汗をかいただろうと熱いタオルを持って来てくれたので、背中を拭いてもらう。その他の部分はこちらが拭いてパジャマの着替え、さっぱりした。
看護婦は俺のコップに残っていた紅茶を見て「あ、水分は…」というので「これで終わりですね」というと「そうです」とすかさず言われた。で「検査の後もね、2時間くらいはダメですから」というので「水も飲めないのはしんどいですねえ」と言うと、「でも検査のあとは…水飲みたいとか思えないと思いますよ」とイヤなことを言う。何だそんなに辛いのか。そりゃ辛いか。

その後9時ころH研修医が様子を見に来てくれ、入れ替わりで男性の看護士に事前の注射をされる。右肩への筋肉注射で、麻酔ではなく鎮静剤のようなものらしい。「筋肉注射は痛いですけど我慢して下さいね」と気の毒そうに言われたが、前にもやった記憶があったような気がする。けれど何でやったのかは思い出せない。
ぶすりと筋肉に垂直に針が突き立てられて、薬がゆっくち入っていく間はそりゃあ痛いわけだけど、せいぜい「つうう」と小さく声が出る程度で、全然たいしたことなかった。注射してくれた看護士は以前練習で看護士同士お互いにやってみたことがあるそうで、その時は「バットで殴られるようでしたよ」と言っていた。そりゃ大袈裟じゃないかと思って笑う。
しばらく肩をもむように言われてテレビを見ながら揉みこんでいると、5分くらいしてすぐに「呼ばれましたんで行きましょか」と看護士が戻ってきて車椅子で移動。車椅子に座って「水槽」付きの点滴スタンドは自分で前に持ち、転がす感じ。

内視鏡を入れる検査室はこちらの棟にもあり、エレベータで1階へ降りて、まず狭い待合スペースでいったん前の人が着替えて出て行くのを待たされた。前の患者というのも入院患者で、70近い感じのおばちゃんだった。車椅子を押されながらかすれ声で「もう、これで終わりやね」「これ(麻酔の痺れだろうか)、2時間くらいで治るんやね?」「あー、ホッとした。こんなのもう御免やわあ」と言いつつ、カーテン一枚向こうで術着からパジャマに着替えている。で、最後に俺の前を通過するとき目が合うと「あら、これからやね。頑張ってや」と言われた。はい頑張ります。

そこでパジャマの上を術着に着替えさせられ(嘔吐とかあるらしいので…)、そこからは点滴スタンドを押して、まず事前の麻酔を行う部屋に通される。
昔の歯医者で使うような古い椅子があり、横には照明の白熱電球が光るスタンド、脇の机には麻酔がすでに用意されており、事前麻酔はH君が行うようだった。この部屋にもし頭蓋骨とか蝋燭などがあったら、拷問部屋に見えなくもない。

この部署の担当看護婦とN医師も横で付き添い、麻酔作業。
まずコップに20〜30ccくらいの麻酔液を空け、それを喉の奥に滞留させてうがいのようにゴロゴロするよう言われる。「ええと、どれくらい?」と聞くと「2分ほどですね」と言われるので、とりあえずコップの中の液体を喉へ流し込みうがいしようとするが、苦い。確か苦みは舌の一番奥で感じたような気がするなと思いつつうがいしてみようとするが、5秒ほどで無理だと解る。しかもほとんどは飲み下してしまった。
激しく咳き込んで残った麻酔液を紙コップに吐きだしながら「…の、飲んでしまいました」と言うと「の、飲まれてしまいましたか…」と困ったように言われる。コントじゃないって。間もなく喉の奥がすぐにカチカチになったような感覚になった。ゴクリと嚥下動作をしても、なされているようなされていないような、変な感覚。

次は金属の細長い管がついた噴霧式の器具での麻酔。何か昭和という感じのする器具だ。この部屋の古さといい昔の歯医者の椅子みたいなのといい脇の裸電球のスタンドといい、H君が頭につけているこれまた昭和の漫画によく出てくるような反射板つきの輪っかといい、もうコントでもおかしくない。
「じゃあ次は大きく口を開けて、ベロを出してください」と言われ、言われるままにべーとすると、その舌をつかまれて、深呼吸をするよう言われる。「はい吸ってー、吐いてー」の指示通り呼吸をすると、次の「吸って」のタイミングでプシュプシュと麻酔薬を噴霧される。
いつもならベロをつかまれただけでオエとなりそうなものだが、不思議と我慢できた。
それを何度か繰り返すのだが、次第に深呼吸のタイミングが合わずにむせてしまい、それが苦しいのなんの。こちらが咳き込みむせかえる間は「呼吸が落ち着くまで待ちますから」と言って待ってくれるのだが、とにかくこれが一番苦しい。ドレナージの挿管部分にも響く。

この「はい深呼吸、吸って吐いて、噴霧、咳き込み、待ち…」のセットを数度繰り返していると隣の検査室から「遅いな」という様子でこちらを覗き込んだI先生がその様子を見て「あかんあかん。貸してみ」と言って近寄ってきて替わり、同じように俺の舌を出させてつかんで「はい吸って、吐いて」と言うのだが、そのリズムが深呼吸ではなく、俺の通常呼吸とほぼ同じスピード。さらに「吸って」の時の短いタイミングを狙ってけっこうな早さでプシュプシュといっきに噴霧してくれるので、すぐに残りの麻酔全量が入った。
しかも一度も咳き込まずむせることもなかったので、チラとI先生の背後で立っていたH君を見ると、申し訳なさそうな顔をしていた。
しかしおそらく彼は教科書通りにやっているのだろうし、そしてI先生はたくさんの実例の経験から患者ごとにやり方を変えているのだろうと思う。

これら二種類の麻酔で、喉の入り口から奥まで、コンクリートでコーティングされたような感覚になり、麻酔が効いているのが解る。その状態で検査台まで来るように言われ、靴を脱いでいったん立ったまま台の上によりかかる形で立つと、台はそのまま後方に90度倒れて、いよいよ検査開始。
I先生がマスクを折って「薬が飛んで目に入ったら困るので」と目隠しをしてくれるが、たぶん恐怖や動揺を感じないためではないだろうか。その間に右手の指先にバイタルのクリップを挟まれ、腕には血圧計が巻かれて、口にはマウスピースを咥えさせられてテープで固定される。
そうしていよいよカメラ挿入である。

しかしこれが思ったよりスムースで、嘔吐感もほとんど無かった。途中「ごくん」と嚥下したい感覚になったが、それをやると喉の中にある管を意識することになるので、極力我慢する。麻酔も効いているので、この「ごくん」をしたい欲求を我慢できれば、嘔吐感はほとんど感じずに済むことがすぐに解った。
気管支の先、肺胞か、それぞれに番号があるらしく、枕元で医師たちが「じゃあ○番行ってみようか」とか「麻酔ちょうだい」とかカメラが写す画面を見て立ち動いているようだ。
今回は患部(嚢胞=ブラ)の組織検査のためにその一部を、何らかの菌がないか調べるため生理食塩水で内部を洗ったものをそれぞれ、持ち帰ることが目的。
なのでチューブの先端の鉗子らしいものを操作する前に麻酔が投入されるのだが、麻酔が入るたびにどうしてもむせてしまう。それも何度か繰り返すうちに、麻酔が入る間はわざと呼吸を止めるとむせ返りが弱くて済むことを学習した。

という感じで概ね精神的に余裕を持って検査を受けていられたのだが、途中左側を下にして横臥姿勢を取らされ、「じゃあ○番の方入れてみるね」と別な箇所に入れられる際はしんどかった。身体が横になると当然、下になった食道や気管の壁面に「管の存在」が感じられ、それが動くのが解るのが嫌な感じなのと、なぜかそこは奥の患部に到着するとひどく痛んだ。
こちらが痛みを手を挙げて訴えると、「じゃあ○番の方にしますか」といって体勢を戻し…というようなことを何度か行い、検査は無事終了。「はい、もう終わりましたからね、カメラ抜きますよ」と言われて気づかないうちにカメラは抜き取られて、それから最初のように検査台が90度前方へ回転し、立ち上がった形に戻る。
うまく声が出せなかったので、咳き込みながら近くの看護婦に痰を出したいとジェスチャーするとすぐに紙コップをくれたので、痰を数回吐き出したら、ピンク色の血痰。これはもちろん今回の検査のためだ。

先生や看護婦さんらに「お疲れ様でした」と言われ、検査前の待合へ戻されると、すぐに連れてきてくれた看護士さんが来てくれて「長かったですね。心配で一回見に来ましたよ」と言われる。
9時半から10時40分まで、1時間以上かかったと聞いてびっくり。通常は20〜30分で終了するらしく、今回は丁寧かつ慎重にやってくれた模様だ。
パジャマに着替えて、5階へ戻りながら「しばらく喉は麻酔で痺れてますから、2時間ほどは飲食をせず、安静でお願いします」と言われる。喉が痺れているので今何かを飲んだり食べたりしたら、ヘタをすると肺に入って肺炎を起こしかねないからだが、喉が麻痺していて飲む気にもならなかった。
部屋に戻る検査室で先生が指示したように「左半身を下にして安静にしていて下さい」と言われ、その姿勢でじっとしていると眠くなってきた。そのまま寝る。

途中様子を見に来た看護士に起こされたが、昼食が来てもそのまま眠かったのでうとうと。12時半を過ぎて別の看護婦さんが「そろそろ水を飲んでみて、むせなかったらお昼もゆっくり食べていいですよ」と言ってくれたので身体を起こしてお茶を一口飲んでみると、痺れもほぼ取れていてちゃんと嚥下出来た。なので朝抜きだったためもりもりと昼食を食べた。しかし途中で痰が絡んだりして、結局3割ほどは残したか。
ホッとしてると看護士が来て午後のバイタル、終わったら間もなくレントゲンに行くよう言われ、一人で行ってすぐ戻ってくる。今日はこれで予定終了。

それからはなぜか眠だるく、検温しても37℃代前半と軽い微熱程度だったので、ずっとベッドでうとうとしていた。4時ころには37℃代後半になったので、ドレーン挿管部も少し痛んだこともありロキソニンを飲む。あとはまたぐったり。寝汗で背中がぐっしょり、朦朧とした感じ。
5時になると6℃代後半に下がっていたのでよしとする。
どうも今日は元気が出ない。眠いわけでもないのにベッドの上で目を瞑ると、薄くだがうとうとする。夢と現実が混濁して、検温は終えた後なのに、夢の中で脇の下に体温計を挟んだと思って左の脇を締めていたり。「なかなか鳴らないなあ」とぼんやり考えて目を開けると、体温計はちゃんと目の前のテーブルの上にケースに収まっている、など。
また起きていると、どうも咳がよく出て参る。気管支鏡の影響かとも思ったが、前後通して同じような案配なので無関係だろう。

6時前、夕飯が来る前に身体を起こして、ニュースを見ながら完食。食後はまたベッドの頭部を起こして背中をもたれかける形で寝る。まあしかし憂鬱だった気管支鏡が無事終わって良かった良かった。
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2010-06-27(Sun)

このまま開胸手術へ?

4時半に目が覚める。
ちょっと挿管部が痛かったので、ロキソニンを飲み、テレビをつけてW杯ガーナ対アメリカを見ていると、また眠くなってきた。その前に行われた韓国対ウルグアイ、韓国は善戦したが敗退したらしい。テレビは1−1で延長に入り、その前半、ガーナが1点を入れたあたりで眠気に耐えきれず二度寝。看護婦さんにバイタルで起こされた後三度寝。

8時朝食が来て完食、その後はさすがに起きていたが、今日は看護婦さんの出入りもあまりなく、目を瞑って音楽を聴いているうちに寝てしまう。2時間ほどして目が覚めると、背中はぐっしょりと寝汗。胸水よりも、この「盗汗」に水分を文字通り盗られている方が多いような気がする。

午後、看護婦さんが身体拭きのタオルを持って来てくれたので、背中だけは拭いてもらってかゆみ止めの軟膏を塗ってもらい、あとは自分で拭きながら世間話。去年連れ合いがここで亡くなったと話すと驚いていた。誤診から膵炎が慢性化して、1型の糖尿を発症していた、ここ数年はインスリン自己注射で、高血圧もあったから…というと気の毒に、と言われる。この病棟には糖尿の患者さんもおられるので、そこら辺のことはよく解るのだろう。

それからは病棟の外の工事か何かの騒音に悩まされた。窓を閉めていても全く遮断出来ない音で、そのうち「ゴゴゴオオオー」という何の工事だか機械だか知らぬが、もの凄い重低音がし出した。低周波というのか、腹や頭に響く不快な振動と音で、そのうち頭痛がしてきた。
いやはや日曜の病院で体験する音じゃないぞこれ、という感じ。ヘッドフォンで聴く音楽とは別種の低周波音(…そう、相部屋の時の兄ちゃんの大声のような)なので、とてもごまかせない。仕方なく目を閉じてじっとしていたが、頭痛で眠れるはずもなく、ひたすら我慢。

夕方5時前、ようやく工事は終わったようで嘘のようにシーンと静かになった。いやこれが本来の姿か。
先日のカンファレンスの時に立ち会ってくれた看護婦さんが来て、明日の気管支鏡検査を「苦しくないといいですねえ」と言ってくれる。胃カメラも飲んだことがないので不安はあるが、もっと大きい不安材料を肺の中にたくさん抱えているので、調べてもらうに越したことはない。
その後ベッドの頭の方を30度ほどに起こしたかたちで寄りかかっていると、どうにも咳が出る。そして正中のあたりに胸痛。ドレナージ中に他の嚢胞=ブラが破裂するということも別段珍しくないらしいというから、ちょっと心配だ。気胸経験者のサイトや記述を読むと、穴が開くと呼吸時に独特の違和感があるので、慣れるとそれが解るようになるという。
自分の場合、入院してしばらくはボキ、ボキという(音がするわけではないものの)鈍い違和感が右肺の上部にあって、それはレントゲンで言われた穴が開いたという場所と一致していた。その後ドレナージを継続していると穴も自然に塞がってきたのか、徐々に咳が減り、呼吸も楽になってきた。
ドレーンから伸びるチューブの先につながっている、胸液を溜めるドレーンバック…通称「水槽」…には呼吸によって上下するよう青い液体が入れてあり、思い切り息が吸えるようになると、吸って喫水線を上限まで上げたり、わざと咳をしてゴボゴボ泡立てたりして遊ぶ余裕も出てくる。
しかし今日の夕方からまた咳が頻繁に出るようになってから、気がついたらこの青い液が上下しなくなった。体勢を前屈みにするようにしてある特定の角度を取ると、ようやく弱々しく上下するという感じ。まあこんな観察していても事態が良くなるわけでもなく、ただの暇潰し。

6時、夕飯は味のない青梗菜のごま和え以外は完食。いつもご飯のおかずが足りなくなるので、「ごはんですよ」とふりかけは必須アイテム。不思議と飯を食っている間は咳が出ない。食後の薬を飲んでお茶を飲み、ベッドの上にあぐらをかいてテレビを眺めて…となるとまたケホンケホンと咳が出る。咳を強くすると肺に良くないので出来ればしたくないが、耐えられるものではない。なるべく肺に圧をかけないよう注意しつつ咳をする。
食後1時間近く経つと痛み止めが効いてきたのか胸痛はなくなり、咳も落ち着いてきた。

ニュースでは、例の賭博問題による、日本相撲協会の外部調査委員会の記者会見の模様をやっていた。大関琴光喜は引退届けを出しているが受理されてはおらず、このまま退職金や慰労金が出ない解雇や除名になる恐れもある。とりあえず名古屋場所をどうするかという問題と、力士や親方の処分を話し合った結果ということで話し合いが行われた。複数の力士が謹慎以上の処分、賭博に関わった力士を出した部屋の親方や理事も謹慎などの処分を行うことを条件に、名古屋場所を開催していいということらしい。

まあしかし昔から相撲を見てきた側からすれば、有名な大鵬の菱形代紋入り化粧まわしとか、昔から地方興行にからんだ暴力団とのつきあいやタニマチとしての直接的な関わりなどは「常識」であり、言わずもがな・見て見ぬフリで放置されてきたというのが実際。
あくまでも相撲は「神事」という「体(てい)」で行われる「興行」で、そこら辺も「怪力無双の異形の大男の力比べという見世物」が事実であっても、そこは見る方も了解して見ているわけで。何というか社会にはグレーな部分もないと面白くない的な、建前とは違う生臭いものが面白いという部分も確かにあった。
お相撲さんは昔っから花札や麻雀といった可愛いもの(金額がもの凄い場合もあるが)から、暴力団の仕切る野球賭博やノミ競馬などにはまったりというのもまた、有名な話。
けれどこうして現役の大関が暴力団員に賭博の勝ち金の集金を頼み、それをネタに逆に恐喝され金を取られゆすられる…なんてことが明るみになった以上、タダでは済まないだろうな。

それにしても、先日の協会の武蔵川理事長(元三重ノ海)以下、理事が行った記者会見の酷かったこと。用意された謝罪文をただ棒読みし、記者からの質問には睨んでの逆ギレで返すという「謝罪会見」とはほど遠い状態だった。何かの番組では危機管理の専門家が呆れ気味で「あの場は自分たちの言い訳を強弁する場ではなく、謝罪し説明を求められたことに誠実に答えていく場なのに」と言っていた通り、全く危機管理のなっていない体たらくだったという印象。
少し考えれば、協会の理事といっていい年の恰幅のいい人たちが揃っているとはいえ、彼らは元々お相撲さんである。お相撲の世界で理事まで行くというのは通常、横綱や大関クラスに上り詰めた人がほとんどで、つまりは、言い方は悪いが「相撲バカ」だ。要するにそういう色んな意味で相撲バカじゃなければ頂点まで行けないほど、過酷な競争社会でもある。
そういう人たちが記者会見という場で、手ぐすね引いて待ち構えている百戦錬磨のマスコミに対峙したわけだ。その場その場で最善の回答を引き出せるほど、彼らは高度な危機管理能力も持っていないだろうし、うまく切り抜けられる語彙も持ち合わせていないことが、ひしひしと伝わってくる。
そういう場合、往々にして人間性がモロに態度に現れてしまうわけで、武蔵川理事長は記者を睨み付け逆ギレしたし、別な場面での陸奥親方(元霧島)は困ったような笑みのまま黙っちゃったりするわけだ。もちろん霧島っていい人なんだろうな、と思った(ちなみに現役時代からよく見ていたが、姉さん女房を大事にする好男子である)。
それにしても大嶽親方(元貴闘力)、元々名門双子山部屋〜藤島部屋で初代貴ノ花の薫陶を受けた闘志溢れるいい力士だったのになあ。不祥事の後を受けて、まだ若かったのに引退してまで部屋の再興に取り組んでいた時津風親方(元時津海)も残念だ。
現段階で15人ほどの力士が「謹慎」になるらしいが、名古屋場所の取組は果たしてそれで成立するんだろうか。番付上位になると外人対外人がやたら増えそうな気もするし、別な意味で見逃せない場所になりそうではある。

そんな感じでベッドの上に座っていたら、ドレーン挿管をしてくれたH研修医が、カンファレンスの時の看護婦さんを伴って来てくれた。
昨日も今日もガーゼ交換してないけど、自分は易感染状態なのに大丈夫ですか、と言うと念のためガーゼを剥がしてみて目視のうえ「じゃあすぐに交換しましょう」ということになる。看護婦さんとH君が一旦道具を取りに出て行った後、右手を上に上げたままガーゼが剥がされた挿管部をチラと見るが、ちょっと嫌な匂いがする。これは雑菌感染してないかなと心配。
すぐに戻ってきたH君がイソジンで丹念に消毒してくれるが、やはりこれまでと違って消毒がやけにしみて痛い。通常は2〜3日にいっぺんで十分だとのことだけど、俺の場合好中球数が少ないし、感染のリスクは高いはず。次からは2日にいっぺんは生食(生理食塩水)で洗って、まめに消毒して交換しましょうということになる。

それが落ち着いてから、気胸の話。
俺ももうだいたいのことは解ってしまったので、遠慮無く聞く。
「今回のドレーンで穴が塞がっても、結局それじゃ再発しますよね」
「例のブラ=嚢胞がたくさんあって、それらを完全にカバーするにはやっぱり開胸でやってもらう方がいいんですね」と話すと、H君も
「そうですね、内科的な処置というとどうしても血液で癒着させる方法になるんですが、それも完全に再発を防げるものじゃないですし、実際に何度も繰り返される患者さんも多いです」
「なので個人的には検査のあと外科へ移られて、そのまま開胸手術でカバーリングをキチッとやった方がいいと思います。そうすれば再発のリスクは大幅に減りますし、縦隔のできものも取ってしまえますし」とのこと。

いやもう、正直を言うとここ数日で俺もそういうことはじゅうぶん理解してしまった。なので、後はこのまま外科で手術という事態を受け入れるかどうか、という自分の判断の問題なのだ。
H君は「患者さんが望まれない、同意のない手術は出来ませんから…」と言うのだけど、俺はこのまま検査〜結果判明まで1週間、外科で手術〜退院までで2週間ちょっと…ということを考えると、気が重いという状態。
つまり猫の世話をお願いしている「明青」の渡辺さんに長くご迷惑をおかけする心苦しさ、しかし「今回はドレナージが終わったら退院させてください」と言って出たところで、ブラがあれだけ両肺に多発している以上、100%気胸は再発することも知っている。

軽いか重いのかは再発してみないと解らない。別な場所にまた、あの激痛を伴う胸腔ドレナージをぶち込まれるのか、あるいは自然治癒を待つのか、はたまた手術になるのかは不明。運次第だ。
つまりこのまま「手術はイヤです!」と言って退院しても、数日後か数ヶ月後かはともかく、ブラがあれだけの数ある以上、必ずどこかが破れて気胸は再発する。これはもう確実なのだ。
多い人は5回、10回と再発させることも知っているから、結局その都度また渡辺さんご夫婦にご迷惑をおかけすることになる。
それにまたいつ破裂するか=気胸が再発するかに怯えてビクビクしながら暮らさねばならないのも、辛い生活になる。ならばここで外科的に開胸手術をして、視認できるブラは全てカバーリングしてもらい、ついでに若干とはいえ大きくなった縦隔腫瘍も取ってもらい、心配な小さな影たち…リンパ節かも知れないが…の細胞も取れるし、もっとも効率的かつ確実な選択なのだ。
もう、そのことも自分で理解してしまっている。

ただ明日の気管支鏡(ここで組織が取れれば取るし、肺胞内を洗って何らかの菌が入り込んでいないかなども調べられる)検査、頭部MRIやPETで「他に病変がないか」を調べた上で、肺に集中…という段取りを踏んでいる途中。
それらを終え、他に何も見つからず、かつ呼吸器内科の結論として、呼吸器外科での開胸手術をお勧めするとなれば、もはや断る理由はない。
ただ、術後の地獄のような痛みとの戦い、何てことはないくしゃみや咳が地獄のように痛むあのベッド上で身動きの出来ない状態がまた…と思うとブルーになるのは事実。「何でこんな目に…」と考えなくもないが、仮に基礎疾患であるところのリンパ性白血病の進行がこれまで通り緩慢であるということであれば、不幸にして「新たに」両肺に多数出来てしまった嚢胞=ブラという「気胸の元」はいっきに取り除いて貰った方がいい。
つまり今後どれだけあるか解らない、残りの人生のQOLを前向きに考えれば、選択は一つだし決断は早いほうがいいに決まっている。

ぐじぐじ悩んでも結論は一つしかない、やれることはやる。結局また「死ぬまでは前向きに生きる」ということの確認だ。
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2010-06-26(Sat)

嚢胞=ブラ?

…結局、前の晩に飲んだ下剤は全く効かず、下腹部不快感でテレビでサッカーどころではなく寝てしまった。
朝5時ころに看護婦さんのドレーンバック確認で目が覚めても、同じ状況。目が覚めたついでにペットボトルの水をがばがば飲んで、しばらくしてからもうひと踏ん張りと決意してトイレへ向かう。
トイレで前の晩と同じく30分以上奮闘した結果、ようやく出た。切れるかと思った。何せ肺に穴が開いちゃまずいので思い切った踏ん張り、いきみが出来ないから、便が固くなると地獄のようだ。これは腸を動かす薬では無意味、便を柔らかくするマグミット系の薬を貰った方がいい。
ぐったりして部屋に戻って洗顔などを終えたあと、しばらくうとうと。7時過ぎにバイタルに来た看護婦さんに起こされ、状況を話して、マグミットを処方してもらうようお願いした。

その後NHKをぼーっと眺めていると、日本の若い起業家たちが今、続々とアジア、それも法人税の安いシンガポールへ渡っているというレポート。彼らは一様に日本は税金が高いこと、何かをやろうと考えたとき、やる場所はどこかと自問したら、それは日本ではないと思ったとか、厳しい話をしている。またそういう人たち向けのセミナーも活発だ。
その若い起業家たちの海外起業セミナーを主宰している、自身も起業家である男性も「年内にシンガポールへ家族ごと移住する」という。子どもがいるのだが「この国で育てても将来が不安だから」ということ。何だかつらい。
若い人らが「何かやろう」と意欲に燃えた時、それを潰すのは論外だが、締め付けて意欲を減衰させる雰囲気は確かにあるかも知れない。

一時は「規制緩和」だと言ってはいたが、結局特権階級である「官」による規制という名の支配構造は崩れていないし、そこで長年うまみを吸い続けてきた年寄りたちが既得権益を守ろう、つまり若い人たちから搾取し貯え楽に生きようとしてなかなか動かない…というのはつい先日あるマスコミ関係者の知り合いと話したことでもある。

今や若い人たちは大変な競争の中、その既存のシステムへ組み込まれていく。こぼれた人は派遣労働者になったり労働意欲を失って国の保護に頼ったり、引きこもったりもする。
そんな中、自分たちで企業を立ち上げたい、何かをやりたいという志と幸いにも資本を得た若者が、結局は日本ではなく海外でそれを行うことを選択するとしたら、日本はスカスカになってしまう。
自分の業界でいえば、漫画やアニメ・ゲームなども含めた広い意味での「漫画産業」は、普通に漫画やアニメに親しんでいる人ならご存知のように、戦後長い時間をかけ、たくさんの作家たちがその表現の幅を少しずつ広げ、推し進め、そして日本が世界に誇れる表現へ完成させた。ひとくちに「漫画」といっても劇画から少女漫画まで非常に幅広いジャンルがあり、またプロの世界を下支えするもの凄い数のアマチュアの層の厚さは世界に類を見ないものがある。
現在彼・彼女らアマチュアたちはプロを目指す者もあれば、好きなキャラクタの二次創作を趣味と実益を兼ねて同人制作の形で続ける者もあり、自由で多様な創作をしている。とにかくプロからアマチュアも含めたこうした漫画やアニメを愛する層の厚さとレベルの高さは絶対に世界一と断言できるところ。
ところが先日来話題の東京都の青少年健全育成条例の改正騒動、いわゆる「非実在青少年(笑)」の性表現規制問題、大阪にも飛び火して新たなBLコミック規制にまで拡大した流れを見るにつけ、この業界も実はひどく危うい薄氷のうえにあるのだと改めて実感する。
こんなことは他にはないといってもいい、男女問わずに市井の子どもから大人までが非常に活発に、元気に創作をし表現を自由に楽しみ、そしてその中から世界に誇る作品が出てくるという「構造」自体を規制側は全く理解していないばかりか、それを破壊しようとしているようにしか思えない…。

もちろんシンガポールなど海外に若い志ある起業家がどんどん流出している、ということと直接関連している事例ではないが、明らかに、この国の年寄りどもは、この国の将来を託すべき人材を、産業を、自ら葬りたがっているとしか思えない。

相変わらずお役人様は自分たちが高給をむさぼり、任期終了後は退職金を貰い、次の高給をはむ場所をひねり出すか、いかに自分たちの老後を安泰にするかを最優先に考えてるのだろうか。それともちっとは変わってきているのだろうか。
本来バリバリ元気に働いてもらい「あとは若い人に…」と場所を譲らねばならないはずの若者から元気を搾り取ってどうするのだろう。本来資源のない日本が世界に誇るべきコンテンツ産業を育成しようという方向から真逆のベクトルで規制を進め、若者の「創作意欲」さえ減退させる。何かを創ろうという表現意欲、想像すら規制で締め付けるってどうなんだろう。
一度国民を縛り付け、おびただしい規則・規制によってがんじがらめにし、その一つ一つの利権にぶら下がってうまい汁を吸ったら、その構造・利権をたまたま政権が変わったとか数年の任期しかない議員から何か言われたからと、本気で変えるわけもないか。
それに「青少年の健全な育成」という美名のもと、「児童を性の対象にするような表現は規制すべき」と誰にも反論できない問題にすり替えて「規制賛成派」を増やそうという姑息な動きがあるとも聞く(条文内容を正しく説明せぬままの賛成署名運動など)。

規制が一つ増えれば当然それを「監視する団体」が一つないし二つ三つ増えて、そこはもちろん天下りの場所になるしなあ。
また本気で二次元の性表現も含めた、つまり性表現を全て「ポルノ」とみなし、この世から抹殺させたい=そのことが青少年のためだと本気で考えている100%善意の集団もいるしなあ。極端な潔癖主義が行き過ぎて現実を全く見られなくなった人たちが「青少年を守れ」と拳を振り上げ口角泡を飛ばし大声を出してくると、深くものごとを考えない人は「そ、そうだね」と思わされてしまうだろうなあ。
あと、いったん条例や法制化されればいくらでも恣意的に解釈・運用することができるような規制案は、つまり、気にくわない人間の逮捕拘束の手段が増えることが喜ばしい、警察の人たちも当然賛同するだろうなあ。
これらが一体となってスクラムを組み、あの手この手で漫画を殺しにかかっていいるんだから恐ろしい。
この規制強化を、条文の改正案を読まず単純に児童を性の対象に描くいわゆる「二次ロリ漫画規制」だと誤解し、反射的に賛成している善意の都民も多いそうだ。しかし条文をよく読めば、これは漫画にとどまらない、表現そのものの規制を容認する第一歩であり(大袈裟ではない)、「お上」が気にくわないものは事実上「検閲の上発禁」にさせることが出来るというものだ。戦前・戦中じゃあるまいし、あるいはどこかの独裁国家でもないだろうに、ましてや世界に漫画やアニメを発信し受け入れられている国のやることではないと思うのだが。
自分はもう都民ではないが、東京や大阪でこうした行き過ぎた規制へ舵が切られれば、その他の道府県も右にならえをすることは想像に難くない。とりあえず今回の改正案はこっそり進めようとしたところ「見つかっちゃって、大ごとになっちまった」ので否決されたわけだが、規制側は戦後ずっとそうだったように、諦めてはくれないだろう。
表現に「いい・悪い」はないし、それを決めるのはちばてつや先生が言うように後世の評価だろう。「好き・嫌い」という個人の感情はあっていいが、それを根拠に他者の表現を規制してはいけないだろう。何のための憲法だろう、と思う。

午前中は体拭き、あとは音楽を聴いたり週刊誌を読んで過ごす。何しろ週末は検査もないしやることもない。月曜は恐怖の気管支鏡だ、それまでしばしの休息か。
昼食を完食し、音楽を聴きつつうとうとしたりしていたら、再び便意が来た。これはゆるい感じで、昨日の下剤かマグミット効果か、あるいは意識的にガボガボ飲んでいる水分のせいか。今度はすんなり出てくれてすっきり。しかし夕べと今朝のフン闘のせいで、肛門がズキズキと痛い。幸い切れなかったからいいようなものの、場所が場所だけに切れると治りにくいし痛いし血が止まりにくいし最悪の状態になるところだ。

落ち着いたのでやれやれとネットで検索してみると、どうやら今回自分がおかれている状況から、「肺嚢胞症」による気胸というのが一番近そうだと解った。<『嚢胞性肺疾患において肺内に形成される異常な空間はブラ(bulla)と呼ばれるが、このブラが破裂することにより特発性自然気胸となる。>自然気胸(嚢胞性肺疾患)
…まさしくこれじゃなかろうかと合点がいく。もちろん素人のネット検索による自己診断など本職からすれば笑止だろうが、なるほど他の医療関連の情報を見ても、あてはまる。
「ブラ=嚢胞」は長期の喫煙などによっても肺組織が破壊されて形成されたりするそうで、複数出来ることが多いというのも納得。
ただこれは当然のことながらブラが複数あればその分だけ気胸の再発率が高くなるわけで、胸腔鏡や開胸手術によってブラを取り除いたりすることも多いらしい。

俺の場合はこのブラ…嚢胞が左右の肺に複数認められるのはもうCTで明か(というか自分も確認させてもらった)だし、だとすれば当然それらは新たな気胸発症の元となるわけだ。そしてその時期や程度は起きてみないと解らないし、重度だとチアノーゼや肺炎を起こしたりしかねない。また軽度だった場合も気がつかず放置すれば、俺の場合は基礎疾患があるため、免疫力の落ちた身体の場合感染症により膿胸や肺炎になれば最悪命の問題にもなり得る。
もっとも、詳しい診断やそれへの対処も含めて、まだ検査が終わっていないので何とも言えないが、呑気に考えていられる状況ではないことは確かである。
この病院の先生がたは、まだ検査中だし未確定なことは言わないし、言えない。診断はきちんとした医学的根拠に基づいてなされなければならないからだ。なのでこちらにこういった「病名」が示されてはいない。それは当然のことと理解している。
それにしてもこういったブラによる気胸は、全てを外科的に取り除くとかしない限りは再発の可能性が非常に高いことは心配だ。外科的となると当然手術となるが、それでも再発が全くないということにはならない。
「ブラが破裂」なんてちょっといやらしいぞ…などと余裕をかましてる場合ではないね。
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2010-06-25(Fri)

特急が臨時停車

昨晩は早めに同眠剤を飲んだせいか、比較的早く11時ころには寝てしまったようで、夜中に胸が痛くて目が覚めた。時計を見ると3時過ぎで、トイレへ行ってから痛み止めを飲んで、当然ながらテレビをつけると、ちょうど日本とデンマークの選手入場。ここで寝るわけにも行くまいとそのまま観戦。

序盤からデンマークは中盤で球を持ち、時折ゴールを狙ってしかけてくるという感じ。日本は引き分け以上でベスト16のトーナメント進出となるのだが、この時間帯は割合中盤で球を奪われる事が多く防戦一方のように見られたものの、徐々にカウンターを仕掛けるなど勝ちに行く姿勢を見せる。シュートも枠に入らないとはいえ積極性は見せた。さらに15分あたりでは松井・長谷部、ベントナーと両チームとも惜しいシュートが続いた。
デンマークのプレイスタイルはおとなしいというか紳士的に見え、よしよしと思っていたら、敵陣内で得たFKを本田が直接ミドルシュートのかたちでゴール左隅に叩き込む。相手GKが一瞬だけ逆方向へバランスを移したあとで飛んだのだが、ブレ球だったせいか届かなかった。見事なゴールで1−0。
以後当然負けられないデンマークは前がかりになってきたが、いいところで日本が再びFKを貰い、本田が蹴ると見せかけて遠藤が落ち着いて、今度は回転をかけて右隅へ壁をうまくよけるカーブをかけて2点目のゴール。前半30分弱でで2−0は、相手にとっては3点がノルマとなり、かなり重い。前半はそのまま2−0で終了、日本にとっては理想的な形になった。
後半は予想通りデンマークは責めては来るが、粗い感じで責めきれない感じ。日本は残り20分で松井と岡崎をチェンジ。その後長谷部がペナルティエリアでファウル、PKには川島が反応して弾くが、そこを放り込まれて2−1。しかし後半残り5分で本田が切り込み、そのまま行くかと思われたところでゴール前の岡崎へパス、これを簡単に流し込んで3点目。これはもう決定的な得点となった。ロスタイムで遠藤out稲本in。ロスタイムはなんと4分。しかしそのまま日本が守りきってグループリーグ2位通過を決めた。

本田は2点目、自分でシュートしてもいい位置だったが、オランダ戦で最後に決定機を「逃した」岡崎にアシストし、それを岡崎が決めた形。試合後のインタビューで本田は岡崎に「俺も入れるからおまえも決めろと話していた」と言っていたが、まさに1ゴール1アシストと、話していた通り。本当に凄い選手だなあ、と思った。その同い年の岡崎はW杯初ゴールについて「やってきて良かったと思った」と話していたのが印象的であった。
攻撃、守備は相変わらず言うことなかったが、中盤のボランチがうまく相手の攻撃力を殺し、運動量多く終始マークについて動き回っていたという印象。誰もが役割をきっちりと果たした、まさに理想的とも言えるチーム一丸となった状態で、見ていて面白く気持ちの良いゲームだった、もちろん勝ったからだが。

その後はいったん寝ようとテレビを消して目を瞑る。何度か看護婦さんの出入りがあったが、8時前まで断続的に軽く寝られる。
朝食が来てすぐ、研修医が来て、来週月曜に気管支鏡を入れて、ポツポツある細かい影と、それから穴のようなものをうまいこと採取するわけだけども、例えばそれでうまく取れなかったり、あるいは肺の穴がうまく塞がらなかったり、今後も穴が開く恐れがあるようだったら、やはり思い切って呼吸器外科の方で手術をするという選択肢はどうですか、とのこと。
患者が同意しなければしょうがないので、一応意向としてこの先そういう場合になったらどう思うかということなのだが、今気胸になった穴が塞がったとしても、CTで見た穴が複数ある以上、気管支鏡で「それが何か」組織的なことが判明したところで、穴の元みたいなものがいくつも存在するという事実はそのままだ。なので俺としても何らかの方法で肺全体をカバーするなり、穴を塞いでおくとかの処置は必要なのではないかとうすうす想像はしており、そしてそうだとすればそれは手術しかないわけで、ならば仕方ないという思い。
で、もちろん手術となると大がかりなことになるので、気管支鏡でダメだった場合、という前提だが、もし胸を開けることになった場合は、無理してさわらなくてもいいと言っていた縦隔の腫瘍も取ってしまえるし、肺の細かいできものやらの状態も見られるし、悪いモノであれば取れる、さらに今後穴が開かないようにする処置もいっぺんに全部やってしまえるから、もっともそれがよい方法だとすら思う。
ただ、血小板数が今8万ほどと手術には問題ない数値とはいえ、胸をざっくり切って開く手術となるとまたそこから2〜3週間は出られないことになり、その間猫の世話などで他人様に迷惑をかけてしまうことが憂鬱だ。何もなければ「もう全部やっちゃってください」でいいんだが。

最悪手術か、嫌だなあと思っていると看護婦さんが「今日シャワーどうされます?」というので当然予約。10時半とのこと。挿管中なので、上半身は濡らすわけにはいかない。10時過ぎ、先に洗面所の脇にあるシャンプー用のシャワーで頭だけを自分でわしわし洗い、ドレーンバッグをビニールでカバーしてもらい、点滴スタンドごと浴室に入って下半身だけシャワーで入念に洗う。こりゃ気持ちがいい。ついでに注意深く両腕も洗った。
着替えて出て来たはいいが、やはり残った上半身が気持ち悪い。看護婦さんが熱いタオルと肌洗浄用のスプレームースを持って来てくれたので、背中を拭いて貰い、あとは全面を自分で入念に拭く。お湯を使った気持ちよさとはやっぱり雲泥の差。まあ、しょうがない。病人だもの。
その後ドライヤを借りてヒゲを剃って、ガーゼ交換を待つ間、デンマーク戦の再放送を眺めていたら看護婦さんが来て「これ勝ったんですよねー」。今朝は見られなかったので録画してきたそうで、もちろん結果から何からもう知っているのだが、帰ってから見るという。ガーゼ交換を終えてしばらく、サッカー談義。こちらはニワカというほど最近から見ているファンではないものの、かといって競技をしていたほど詳しいわけでもないが、看護婦さんはバレーボールのファンということでサッカーは今回のW杯で興味を持ったという正真正銘のニワカファンだと言っていた。

看護婦さんが帰ったあと、頭洗ったりシャワーで身体を洗ったりして動いたせいか胸が痛くなったので、ロキソニンを飲む。飲んでおとなしくしていると少しだけうとうとするが、3時過ぎにN医師とH研修医が来て、月曜に行う気管支鏡検査の説明をされ、同意書にサイン。
喉にカメラの、あのチューブが入っていくなんて考えただけでオエッと来る。麻酔をするし咳止めの薬も出すし…と言われても、俺口開けてベロをしばらく出してるだけでオエッと来る人だしなあ。
あと肺胞の中を生理食塩水で洗って水を取ったり、出来ている袋というか穴の部分の組織を採取したりするというのも気持ちがいいものではない。でも仕方ない。昨日の腹部造影CTでは、どうやら他にはリンパの腫れはところどころにあるものの、2年前のCTと大きさも変わってなく、今回懸念された嚢胞のようなものが新たに出来ているとかいう所見は無かったそうで、そこは一安心。
「脾臓大きかったでしょう」と言うとさすがに「はい」と言われるが、「それでも大きさは(2年前と)変わってなかったですし」ということで、基礎疾患であるところの慢性リンパ性白血病の方は、どうやら縦隔の腫瘍以外はほとんど変化がないことがだんだん解ってきた。
ということは、やはりそれも含めた肺の「異変」が気になる。細かな影も散見される袋だか穴だかも、2年前には全くなかった所見であり、何が原因か、それよりそれが何なのかも解らない。
なのでそれとあわせてPETで、基礎疾患によるもの以外の、何か悪性のものがないかもキチッと調べて、今回の肺の方へ集中しようという作戦だ。
ただ悪性のものでなかったという結論が出た場合、穴の元になるような多発している袋というか、それらをどうするかというと、肺全体をコーティングするわけにもいかないし、自己血で癒着させても、今後何かあったときにその癒着によって手術に影響が出かねないし、大きい手術はやはりリスクにもなる。
なので、重篤な何かが見つからない限り、気胸に関しても注意して暮らして、起こってしまったら今回のように対処療法を取るしかないのでは、という感じらしい。肺に穴の元がたくさんあって、それがいつ肺に穴を開けるか解らず、開いてしまったら即入院してドレーンを突っ込まれる=マルクよりも痛い処置をその都度取られるわけか。まあ死ぬよりはマシということだな、という了解。
とにかく今は検査してもらって、その結果を聞くしか俺に出来ることはない。

夕飯も完食。食欲は規則正しい生活のせいか、きっちりと正常にある。ただ便通が異常。
自分の場合WEBサイトの名称にもなっている「特急」=凄い下り=体質で、小さい頃から便秘という経験をほとんしたことがない。だいたいが朝起きる、朝食を食べるか何かを飲む、すぐに出る、というパターン。ひどい下痢なら何度もあるが便秘だけはあり得ない。

夜に歯磨きをしてから眠剤を飲み、寝る前に出しておこうとトイレへ行ってきばってみるが、出ない。直腸まで来ている感覚があるが、そこで頑強に止まっている。けっこう一日水分を意識的に採っているが、元の病気のせいで汗をかくのもあるし、胸水へも取られているというか、本来消化器へまわるべき水分が途中で胸腔に停滞しているという気がする。
とにかく下る分にはデフォルトなので一日3度4度下痢しようとも全く苦にならないが、詰まるのはしんどい。よく女の人で数日とか一週間十日出ないという話を聞くが信じられん。何しろ今の身体だと、ただでさえ巨脾で臓器全体が右側へ圧迫されているので、どこかが詰まるとたちまち苦しいのだ。三度の飯を食っただけで胃が張ってしんどい。
何としても寝る前に出さねばと30分くらいトイレで踏ん張るのだが、ギリギリで出てくれない。
腹圧を思い切りかけるとどうしても胸圧もかかるし、それは今の肺の状態にはとてもよろしくないので、力を入れて思い切り踏ん張ることも出来ない。結局出ないまま40分ほど経ってから出て、詰め所の看護婦さんに相談。
あまり強くない下剤を1錠貰って、「人によっては効かなくて3、4錠飲む人もいますし、1錠で翌朝出る人もいますが」という頼りないもの。いったん部屋に戻ってサイダーの残りをイッキ飲み。いつもならこれでてきめん、すぐに腹がごろごろしてくるのだが、なぜか平常。しんどい。しんどいままブラジル・ポルトガル戦を見る。そのうちなぜか便意もおさまってきた。全然ダメ。
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2010-06-24(Thu)

無理して発熱

夜はなぜか寒くて、3時に目が覚めた。
これまでずっとかけ布団は一度もかけずに足下に丸めてあり、クーラーは寝る前に弱くして…というパターンできていたのが、なぜかこの夜だけやけに寒くて目が覚め、かけ布団をかけた。念のため熱を測るが37℃。高熱が出たわけではない。その後6時半まで薄い眠りと覚醒を繰り返した。

朝のバイタルの後、研修医のH君が来て、胸水採取のためのクランプをする。今回は胸に近い部分を鉗子で遮断、プラーンとはさみが身体にぶら下がるかたちになる。「お昼前には外しに来ますのでちょっと我慢してください」と言われた。
前回クランプされた時は穴が塞ぎきってなかったせいか、細かい咳が出て鈍痛もたびたび出たが、今回は咳はあまり出ない。痛みが出ると嫌なので、念のためにロキソニンを飲んでおく。

朝食のあとは痛みや咳が出ると嫌なので、なるべく動かないようにベッド上でじっとしている。そのうちに、夜よく眠れなかったせいかうとうと。幸いあまり人の出入りがなく、断続的だが1時間ほど寝られた。
トイレへ行くと大の方が故障ぽかったので、看護婦さんにその旨告げてエレベータで1階のトイレへ行くと、使用中。しょうがなく4階に戻り、用を足して5階へ戻る。その後ネットを見ていると昼前にH研修医が来て、「じゃあ胸水を採りますね」と言って大きなピストンと、試験管を2本持って来た。
クランプを外してチューブの高さを変えたり俺の身体の位置を動かしたりすると、黄色い胸水がゴボゴボとチューブに流れてきたので、いったんチェストドレーンバッグ側をクランプして、液を採る作業。俺の胸腔から伸びる管の接続部分から細い管が枝分かれしており、先端は注射器で薬を入れたり液を抜いたりする接続部分になっている。そこにピストンを接続してチューブ内の胸水を吸い取ろうとするのだが、何度かやってもうまくいかない。
「あれ? おかしいな…、N先生呼んできますね」ということで、俺はチューブをとめている鉗子を右手に持ち、左手にピストンを持ち、しばし待つ。
間もなく研修医がN先生を連れて戻ってきて、同じ作業を今度はN先生が行うが、やはり液がピストンに吸われない。ピストンを引いては戻し、を何度か繰り返されると何か胸が痛くなってきた。
「じゃあ、これ抜いて箱(チェストドレーンバッグ)ごと取り替えましょうか」ということになり、新しいドレーンバッグを看護婦さんが持ってきた。そこから伸びる新しいチューブの先端をイソジンで消毒してから、俺の胸から垂れている接続部分から古いチューブを抜き、付け替える。
で、古い方…今までつながっていた方のチューブに溜まっている胸水を、試験管に1本半くらいだろうか、流し込むように採取して終了。その後看護婦さんが新しいドレーンバッグを点滴スタンドにテープでがっちり固定してくれた。
当然だがこのドレーンバッグは使い捨てで、まっさらのものになったのが何となく嬉しい。よく考えたら嬉しくも何ともないことだが。

その後トイレから戻ってきたら、テレビ台の引き出しトレイの上に紙が乗っていた。参議院選挙の病院での不在者投票の申込用紙。投票は一般の11日ではなく、7日にこの棟で行えるという。ああ、それじゃすぐ書き込もう…と思ったが「俺、そこまで入院してるのか?」と素朴な疑問が沸く。
検査、検査の日程だが現時点では1日のPETが最終ではある。その結果がその週のうちに出るだろうし、問題なければ出られるはず…と考え、いやしかし肺にはたくさんの穴の元(?)があり、それをほっとくわけにも行かないだろうし、何らかの処置が必要だろう。となると最悪手術だってあり得るわけで…と色々考えて、一応用紙に記入して切り取っておいた。
間もなく婦長さんが来て「あ、書きました?」と言うので差し出すと「この前に退院できるようならね、不要ということでやっときますから。大丈夫ですよ」と言われる。よく考えたらそんな簡単に退院できるわけないよな、と自分でも苦笑。

さて今日は腹部造影CT検査の日だ。CTは中央棟へ行かねば撮影できないので、3時35分のシャトルバスに乗る予定、と看護婦さんがちゃんと書いてくれていた。財布などを袋に入れたり用意をして、3時半ころエレベータへ向かう。
ちょうど今日の担当看護婦さんと会ったら「車椅子出しましょうか」と言ってくれたが「大丈夫ですよ、スタンド押して歩けますし」と話す。看護婦さんも忙しいのだしもう歩けるし。看護婦さんは一瞬考えた後、「一応下まで行きましょう」と言ってついてきてくれる。エレベータが来るとこの階から同じバスで中央棟へ向かう患者が2名ほど乗ってきて、一杯になった。
一回の受付前で5分ほど待つとすぐバスが来て患者を降ろし、入れ替えで俺たちも乗り込む。点滴スタンドはドレーンバッグの固定用で一番低いとはいえ、足は5本でけっこう底面積を食うもの。しかしそこはベテラン運転手のKさん(古株の患者たちが親しげに話しかけていた)、「じゃあ先乗ってもらえますか」と誘導してくれ、スタンドを慎重に傾けつつ、うまいことこちらの足下へ入れてくれた。
俺の他の患者も乗せて中央棟へ着くと、検査までまだ時間に余裕があったので、ゆっくり歩いてX線受付へ用紙を提出。「2番待合へ」というのでまたゆっくり歩き、こないだ胸部造影CTを撮った時に車椅子で待ったのと同じ場所に丸椅子を引っ張ってきて、テレビを見ながら待つことにした。
撮影予約時間は4時15分、まだ20分以上あるし気長に待とうと弛緩していたら、4時前に呼ばれたのでびっくり。順番飛ばしてくれたのか知らん。ドレーンバッグの固定をいったん外して足に挟んで立てて、仰向けに検査台に寝る。前回造影剤を入れた左手の静脈は内出血して5〜6?大の染みになってしまったので、今度は右手にしてもらった。
前と同様にテスト撮影の後、造影剤が入ると例によって金玉その他が熱くなり、腹部の撮影完了。身体を起こしてもらうと、ドレーンバッグ交換後はほとんど出ていなかった胸水がけっこうチューブに流れ出ていた。仰向けになって身体を起こしたからか。どういう加減なのかよく解らない。

そのまま検査室から待合を抜けると、まだ4時10分手前。次のシャトルバスは前回25分と聞いたな、と思い出し、病院地下のローソンへ向かう。中央棟の方は北側に大きな売店、南側にローソン、1階にはドトールとレストランがあるという素晴らしい環境だ。
エレベータで地下に下りて、バスの時間と買い物時間を考え、少しだけ急ぎ気味で点滴スタンドを押しつつローソンへ。切れかけていた歯磨き粉のチューブやふりかけ、体拭き用のウエットティッシュ、飲み物などを買う。そしてさっきまではせっかく来たんだから絶対に唐揚げとかフランクを買うと心に強く決めていたのに、レジ横のそれらを見たら、いったいいつ食うんだよと思い治して、結局買わずに出た。
三度の食事はその都度味が薄いとか言いつつも完食しているので、間食の余地があまりないのだ。腹が減ったな、という頃合いにはもう次の食事の時間が近くなっているし、夕飯の後に唐揚げやフランクを、ビールも無しに食うほど俺はピザデブではない。

買い物の袋をスタンドにぶら下げ、エレベータで1階に戻り正面玄関に着くと4時24分。
ほおら完璧やん、と思いつつガードマンに「次のバスは25分ですよね」とちょっとだけドヤ顔で確認すると「いや、45分ですよ」と言われ、一瞬でヘナヘナになる。
「あっ、そう…です…か」と薄ら笑いつつエントランスへ戻り、冷たいお茶のボトルを買ってベンチに座って脱力。ここで20分待ちかよ…。
今日は30℃越えとかで、空は雲一つない快晴。暑いが梅雨の谷間なのに湿気があまりなくカラッとしている。結局粛々とひたすらにそこに座って20分待ち。バスが到着したのを見てから立ち上がってバスに向かうと、来る時と同じKさんだった。また同じ運転席の後ろに乗せて貰って、しばらく発車時間待ち。
結局俺しか患者は乗らず、そのまま発車して南棟の入り口へ。ここで抗癌剤と放射線治療中という顔見知りらしい患者さんを一人、しばらく待って車椅子のおばあさんと看護婦さん一人を乗せて南西棟に戻ったら、5時5分。

何だか待ち時間でぐったり疲れた。買って来たものをしまいトイレへ行き、ベッドに仰向けに落ち着いたらどうも胸が痛い。けっこう歩いたし動いたもんなあ…と思いつつ朝7時に飲んだきりだったロキソニンを飲む。
検温してみたら38.2℃。やばい、初めて8℃代に突入した。やはり無理せず車椅子で送り迎えして貰えば良かった。どうも少し楽になると迷惑はかけられない…と思ってしまう。病人なのに気を遣い遠慮する自分が情けない。

その後薬を飲んで30分で38.0℃、1時間で37.6℃と順調に下がってきたのでそのまま安静にして、テレビを眺めていた。6時に夕飯が来たので身体を起こして完食するが、汗がだくだくと出てくる。買って来たギャツビーのボディペーパーで顔から首周りなどを念入りに拭く。
胸痛はだいぶ治まったものの、夕飯を完食したら腹が張ってしんどい。つくづく因果な身体である。またベッドに仰向けになり、首だけ右に傾けてテレビを見ておとなしくしていた。身体の右を下にして横になることが出来ないので、無理な体勢になる。何しろ切開されて胸腔内にカテーテルが入ってるからしょうがない。寝ている間も無意識に右に寝返りを打たないように固まっているようで、どうにも肩、首が凝ってきた。
この肩や首の凝りもけっこうビキビキで痛いんだけど、順番的にはかなり優先度の低い「不具合」だ。
縦隔のでかい腫瘍が癌かどうか、肺の中の細かいポツポツもリンパの腫れなのか悪性腫瘍じゃないかどうか、肺に無数見られる袋だか穴だかがいったい何なのか、それが他の部位にもそれが出来ていないかどうなのか…と優先度の高い懸念が今の時点で多すぎる。何より元々が白血病患者なんで、肩こりごときは耳クソみたいなものである。(肺がんの放散痛だったりして、などというツッコミはやめよう)
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2010-06-23(Wed)

スナック菓子

薄曇り。朝は6時過ぎに起床。午前中はガーゼ交換と体拭き。看護婦さんの確認やバイタルなどの他は検査もなく、こういう日は退屈だ。昼前に売店に降りて飲料を買うついでに目にとまった「じゃがりこ」を買う。実はこれを買う、というより食べるのは初めてだと思う。だいたい評判を聞くとうまいらしいということは知っていたので食べてみると、思っていたより固かった。
5年前に函館の旧友が送ってくれた「じゃがポックル」のフライドポテトかよ、という激ウマ食感を想像していたのだが、違うよなやっぱり。ここ数年スナック菓子は普段ほとんど食べなくなっていたのに、入院して3度の薄味の食事以外何もないという状況になると、無性に食べたくなる。止まらなくなりそうだったので3〜4本でやめた。

昼はチキンライスだったが、これまた味が薄め。どうにもこう、欲求不満というかやるせなというか、じれったい気持ちになる。何しろ肺以外は(基礎疾患のことは忘れると)すこぶる平常なので、食欲は人並みにあるわけだしそれくらいしか楽しみもない。しかし出てくるものは病人向けの極めて健康的な塩分控えめの食事。
こうなるととんこつラーメンとか焼き肉とか、濃い味のものをガッツリ食べたいという欲求が沸くのだけど、それらを食べるのは無理。よって甘いチョコだのしょっぱいスナック菓子だのに食指が動く。
テレビをつけていると、時々グルメレポートみたいなものとか、CMでも食べ物のものに目が行ってしょうがない。けっこう生き死にの瀬戸際にいる割には自分でも呑気なもんだと思う。
その後看護婦さんが明日の腹部造影CT検査の紙を持って来て、「時間が夕方の4時15分だったので、お昼は普通に食べてもらって大丈夫ですよ」とのこと。
うはー、良かった、本当に良かった。検査のために飯抜きというのが実は今、一番辛かったりするのだ。
その後少しうとうとしたりしていたら、精華大で助手をしながら出版エージェントのような仕事もしているG君が突然見舞いに来てくれた。ツイッターで「予告」していた通り、「三ツ矢サイダーとスナック菓子」を持って来てくれ、「じゃがりこ」も入っていたので思わず笑う。
G君は台湾からの留学生で、精華大にマンガ学部が出来る前から学生として通い、院生となり、今は大学の助手のようなことをしながら、出版エージェントの仕事をしたり、本を出したりと忙しくしている。
彼は俺よりも先に、4年前に大学で教え始めた連れ合い…やまだ紫と顔見知りとなって、仲良くなっていた。俺も東京へ戻った彼女から彼の話を聞いたりしていたし、その頃何度か京都へ一緒に出かけた時に顔を合わせていた。夫婦で京都に引っ越しをしてからは研究室や外でばったり顔を合わせたりもしていて、やまだが「今度うちへ遊びに来なさい、ご馳走してあげるから飲もうよ」なんて言っていたものだった。
その後、やまだは去年5月に亡くなってしまい、その約束は果たされなかった。
今年に入って高取英さんのお誘いで一度一緒に外で呑んだとき、俺が「やまだが居れば良かったね」と話すと、G君は少し涙ぐんで「そうですね、本当に」と言ってくれた。

ベッドの横の椅子に座って貰い、彼が今動いていることや、徴兵のために一度帰国しなければいけないこと、漫画のことや編集のことなど色々話は尽きなかった。後半はこちらが80年代や90年代の「ガロ」の話をしたりして引き留めてしまったか。1時間以上経って、G君は帰って行った。

その後夕飯のあと、残っていた昼間のじゃがりこを食べ始めたらやはり止まらなくなり、結局食べてしまった。
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2010-06-22(Tue)

これから検査漬け

夕べは消灯後も立て込んでいた仕事を続けて、終わってデータの転送をかけて寝よう…としたら割合サクサク転送が進んだので、終了を見届けてから12時ころ寝る。
朝は6時過ぎまでうとうと、外は曇り。

今日はようやく「本物の」個室が開くというので、洗顔などの後軽く身の回りを整理しておく。朝食後テレビを見ていると、10時前にレントゲンに呼ばれて下へ降りる。今日はおっちゃんたちと3名待ちだったが、撮影自体一人あたり数秒なのでサクサク進行。帰りに売店でマウスウォッシュとお茶などを買って戻る。

しばらくすると「個室が空いたので移動しましょう」ということで、身の回りのものやバッグ類などをカートに乗せ、503号室へ移動。ベッドはこれまでのものをそのまま移動した。個室にベッドを入れると北向きで北枕になったが、そういった「縁起」などもうどうでもいい。
何よりこれまでに比べて圧倒的に静かになり、それが一番助かる。騒々しかったお隣さんとの相部屋もまあそれなりに失笑したり苦笑したりで別段極めて不快というレベルではなかったが、いちいちヘッドフォンでテレビを見なくてもいいし、向こうが気を遣わなくてもこっちは音などに気を遣っていたのが無くなるわけで、自分の病気に向き合うことに集中できる。
その後落ち着いていると研修医が来て、採血をさせて欲しいとのこと。昨日カンファレンスで見せてもらった造影CTの断層写真の件だが、縦隔の腫瘍に関しては血液の先生とも話して、5年前からあるものだし、若干大きくはなっているが、緊急性はないのでは…ということになったそうだ。ふう、まずはホッと一息。

しかし問題は両肺にたくさんみられる丸い塊。これは「袋」状の「穴」だそうで、要するに肺の中に原因不明の空洞がいくつも出来ている・しかもそれは2年前には無かった所見、ということになる。こういう肺に空間が出来てしまう病気の代表的なものというと「結核」があるが、おそらく見た感じもこれまでの各種検査結果からも99%無いとは思うが、念のため結核にかかっていないか調べる、という目的の採血だ。
結核にかかると普通は高熱が出たり喀血をしたりするわけだが、自分の場合咳はずっと続いたが熱は一貫して出たことはないし、血痰は出たがそれも血が混じるという程度なので、いわゆる結核の典型例とは違う。

しかし、であれば逆に「じゃあ何だこれ」ということになる。
左右両方の肺の中に、1cmくらいの空洞がいくつも、とくに背中側に多く存在するという。今回入院のきっかけになった気胸が治っても、そんな空洞がいくつもあったのではそこからまた穴が空いたりする可能性もある。
当初予定では今日いっぱいで恐らくドレーンが抜かれるはずで、肺も膨らんでいるので気胸自体はそれで問題なく退院…だったはずが、気管支に内視鏡を入れて、直接その穴の状況を見たり、組織を採ったりしようということになった。さらに来週は、全身の他の臓器に危険な腫瘍が出来ていないか、あるいは肺に出来たような妙なものがないかどうかを調べるため、造影MRIとPET検査をするのは昨日決めた通り。
こちらも肺の中が穴だらけというのも気持ちが悪いので、調べていただく方がありがたい。退院は先に伸びてしまうが、こればかりは仕方ない…。

昼飯を食べた後ワイドショーを見ていると、12時半ころ明青の渡辺さんご夫妻が病室に来てくれた。
午前中に区役所に行く用事があるので、その前にマンションで猫のご飯と水を替えて、郵便物も持って行くと連絡してくれていたのだが、本当にいつもいつも申し訳ない限り。カステラをお見舞いにいただいたりして、恐縮しきり。
椅子をお勧めしたが「いいよいいよ、すぐ帰るし」と言って、お二人とも立ったまま。こちらが経過と今後の日程をざっと説明すると、ご主人は「でも思ったよりお元気そうで安心しましたよ」と言って下さる。「そんなわけでもうちょっとかかりそうで…」と言うと、「何かあったらいつでも言って、また来週来ますから」と言って戴いた。お二人は十分弱ですぐに帰られたが、本当に感謝の一語しかない。有り難く申し訳なく情けなく色々思うけれども、ここはご厚意に甘える以外に俺にはどうしようもないのだ。

6時夕飯、もちろん完食。6時半を過ぎた頃、研修医が来てくれたのでいよいよ抜管かと思ったら、「今日のレントゲンの結果ですが、やっぱりまだちょっと穴が塞がりきってないみたいなんですよ」と残念そうな顔。
ありゃりゃ。「じゃあ今日の抜管は…」と言うと「…そうですね、もうちょっと先ですね」とのこと。
とりあえず、いったんクランプは中断するということで、チェストの方に2カ所止めてあった鉗子を外す。チューブには30cmくらいの幅で胸腔から出た黄色い液体が溜まっていたので、それを研修医がチェストにターッと流すと、胸腔から新たにドバドバと同じ液体が流れ出てきて、アッという間にまた同じ量がチューブに溜まった。
研修医は「ちょっと待ってくださいね」と言って出ていき、すぐに挿管の指導をした若い医師=N先生を伴って戻ってきた。
N先生は「24時間クランプしてこの量?」と聞いて落ち着いた様子。それから、出てる液体を調べるために抜き取る方法を話し合い、俺には「一回これで明日まで様子を見て、明日またクランプしてみましょう」と言って、二人とも出て行った。

俺はドレーンのチューブをじっと見ていたが、フと今チューブに停滞している胸水をまたチェストに流したらどうなるのかなと思い、ベッドに半身を起こしてチューブを持って液を流してみると、同じ速度で胸腔からまたダーッと勢いよく胸水が流れ出てきた。これにはさすがにビビッた。これっていわゆる「肺に水が溜まる」ってやつじゃないの?
クランプというのはもちろん胸腔に突っ込んである管から伸びた液抜きのチューブを、液を溜めるチェストの手前で鉗子で遮断すること。
つまり通常に近い状況に試験的に戻して様子を見ていたわけだが、チューブの遮断を解除したら流れ出てきた液体は見た目けっこうな量で、胸腔にこれだけの水が溜まっていたのかと思うと少し気持ちが悪い。

もう先生がたは出て行ってしまった後だったので、また大量に水が出るようなら一応報告しないとな…と思い、デジカメをムービーにして、もう一度チューブの液体をチェストに流し込む様子を撮影。再び胸腔からゴバゴバと大量の液体が…と思ったら、それ以上あまり出てこなかった。ホッとしたような、拍子抜けしたような。まあ出ない方がいいに決まっているが。
あとクランプされた後、入院前のような細かい咳が出だし、今日はけっこうケンケンときつかったのだが、クランプを解除されたらほぼ出なくなった。これもどういうことなのか、素人的にはやはり穴が塞がりきっていないそうなので、クランプされた=気胸状態に戻ったということだろうか。
体温を測ってみると、37.5℃とまた微熱もある。ロキソニンを飲もうかとも思ったが痛みはないし、躊躇したあと、とりあえず飲まずにおとなしく安静にしておく。

それからベッドでぼーっとテレビを眺めていると、8時過ぎに看護婦さんが来て検温の指示。その時にクランプ中断後の大量の液の話をし、また咳が出始めた説明を…というところで研修医が入ってきたので、ちょうどいいのでそれらの状況を話す。
普通は胸水が溜まる場合はしばらくドレーンを入れたまま様子を見るそうで、徐々に減っていくそうなのだが、こんなにダダ漏れみたいに水が出る状態でいいんだろうか。
いずれにしてもまだ肺の穴が塞がりきっていないので、それによって咳が出たのでしょう、ということ。ただ入院時のように大きく漏れて肺がひしゃげているような状態ではなく、少し漏れているという感じという。
なのでまた頃合いを見てクランプをし、様子を見る…ということらしい。研修医は明後日の造影CTの説明をしに来てくれたそうで、また同意書にサイン。何度もやっているが、決まりなのでその都度説明と同意が必要なのだ。

その後、しばらく今後の検査の説明をしてくれ、いつ何の検査をする予定か書きましょうと言って紙に記入して渡してくれた。

24日、腹部造影CT。28日、気管支鏡。30日、頭部造影MRI。7月1日、PET…。

「検査検査で申し訳ないんですけれど」と言われるが、こちらとしても他の部位に余計なものが出来ていないか調べて貰わないと安心できない。その後こちらの病気の発覚からの経緯なども含めて色々話を聞いてくれるが、昼間聞いたように、血液内科のI先生とも相談した結果、縦隔の腫瘍に関しては大きくなったとはいえ、5年間ほぼ変化もなく血液の状況も横ばいなので、今回は胸部を開いて摘出などの大きなことはしない方がいいということになったのは、ホッと一安心したと話す。
俺が「もしあれが悪性の腫瘍で、5年前にあったんだったら今頃…」と言うと研修医君も「ええ、そうですね。それにもしあれがいわゆる肺がんであった場合は確実にお亡く…」と言うので俺も「今頃こうして生きてないですよね」と笑う。

とにかく何度も繰り返しているように、今一番心配なのは、肺にたくさん見つかった「穴」だ。レントゲンは影絵のようなものなので解りづらいが、断層写真で見せられたら一目瞭然、肺の内部にたくさん「それ」があった。詳しく見た医師団によれば、肺の背中側に一番多く、しかも肺の表面に近いものもあるという。つまり今の気胸状態が治っても、その後その穴というか袋というか、そこからまた空気が漏れる=同じことになる恐れがあるわけだ。また、肺以外に出来ていないかも精査する必要がある。
「脳なんかに出来てたら大変ですしね」と言うと、「あ、そういうことはないとは思いますが、ないということを証明するための排除目的の(頭部MRI)検査と理解していただければ」とのこと。ないならないでいいがもしあったら大変なので念のため、という意味だ。

とにかく「それ」が他の場所にないかを調べるために腹部や頭部の断層写真を撮り、「それ」が何であるか組織を調べるために気管支鏡を入れ、万が一悪性のものがないかPETをする…という極めて論理的な検査日程だ。説明をきちんと受けて理解をすれば、検査漬けといってもむしろ安心、である。
ただ検査のための「メシ抜き」が何度かあるのはつらい…と冗談を言うと「申し訳ないですねえ」と笑われる。

気胸の穴がなかなか塞がりにくいのは、俺の身体の再生能力が落ちているからかも知れないな。あまり塞がりにくい場合は、先日看護婦さんから聞いたように、自分の血液を採って胸腔に流し込み、身体を15分おきに姿勢を変えて血液を延ばし、凝固させて塞ぐという方法もある。自己血による癒着方法であるが、それもやれてもせいぜい3度までで、俺の場合あれだけ穴があると手術をして塞ぐということも最終的にはあり得るかも知れない、とのこと。

その場合はざっくり胸を縦に切られて、結局縦隔の腫瘍もついでとばかりごっそり取られることになる。そこまで至るかどうか、とにかくまずは検査してもらうしかない。
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2010-06-21(Mon)

カンファレンス

さて今日から新しい週が始まり、連休明けで病棟はバタバタと活気が…という感じでは全然ない。

だんだんと事情が解ってくるわけだけど、俺の入院しているこの病棟は、膠原病内科・糖尿内科・呼吸器内科(いまここ)と3科合同の入院患者が入っているのだが、免疫の関連、あるいは呼吸器でも感染症(結核など)の人はドアが閉められた反対側の病棟に隔離されていて、俺の居る側の周囲は生活習慣病であるところの糖尿病(つまり2型)の患者が多い。
それも重篤な合併症で治療中…というよりはのんびりと血糖コントロールのために入院している人、若年性糖尿なのかかなりの体格の若い女性、あとはほとんどがご老人。去年、俺が帯状疱疹で入院した病棟は血液・腫瘍内科と「老人科」だかの合同病棟だったので、とにかく老人が何かというとナースコールで看護婦さんを呼びつけ、ひっきりなしにバタバタ…という騒々しいところだった。
けれどここは同じように老人が多いものの、そういう光景はこの一週間、ほとんど見られない。何となくのんびりしているというか、のどかというか静かなものだ。ゆえに、廊下で会話する医師や看護婦さんの声がよく通るほど、静かな病棟である。

さて俺の居る相部屋、相方さんは俺よりも若く、入院してきた時とはうって変わってすっかり元気そうで大声で騒々しい患者なわけだが、筒抜けなので聞こえてしまう看護婦さんとの会話を聞くに、どうやら2型の糖尿らしい。ということは、入院時同じエレベータでぐったりと横たわっていた時は低血糖発作でも起こしたのだろうか。
とにかく地声がデカく一家そろって賑やかで、病棟が静かなだけに隣の病室(といってもカーテン一枚だが)でかける携帯の声もかなり耳障りであるのだが、そのことには全くイライラしないし腹が立たないのが自分でも不思議である。

連れ合いである三津子を亡くして一年、先月の月命日から、ふたり一緒にいるという一体感が生まれた。彼女はとても忍耐強く、生真面目で穏和な人だった。俺はむしろその逆で、うまいこと中和されたのかも知れない。
まあ他者への怒りや憎しみなどはあまり自分の体にはよろしくないわけで、そろそろヤバくなってきた体がそのように反応しているのかも知れない。まあ色んな意味でヤバくなってきているのは解る、俺の体と命。確かにここまで来て他人のことなど気にしている場合ではない。

朝6時前に目が覚め、そのままトイレと洗顔歯磨き。今日も相変わらず、外はどんよりと曇っている。少し風もあるか。
窓を開けてみたが、これはダメだ、蒸す。やはり閉めてクーラーのままにする。
それから昨日の仕事の転送を調べると、途中で止まっていたのでがっくり脱力。どうやら複数のFTPソフトを立ち上げ同時に送信をしているのがいけないらしく、再びモバイル端末を接続し、1つ1つ順番に転送をかける。それらも2時間ほどで全て終了。

ちょうど作業が終わった8時前に朝食が来たが、今日は採血があるのでしばらくおあずけ。幸い10分ほどで看護婦さんが来てくれたので、6本ほど血を取ったあと朝食。
その後体拭きをして、昼前にシャンプーを持って自分でシャワーをしに行く。洗面台の端がシャワーになっていて、勝手に使っても良いかと聞いたらどうぞ、というので自分で頭を洗う。気持ちいい。看護婦詰め所(この病院ではナースステーション、とは言わず「詰め所」と言うようだ)でドライヤを借りて、髪を乾かして終了。さっぱりした。

11時過ぎ、ドレーン挿管をしてくれた研修医の先生がまた来てくれて、鉗子で胸腔からチェストに伸びているチューブを挟んで、いったん止める。それで一日様子を見るそうだ。胸腔とチューブが止められているところまで、また水というか液体が溜まるが、それは検査に出して、胸のレントゲンを撮り、異常が無ければ抜管する方向で…と説明を受ける。

あとは「何か心配なことなどありますか」と言うので、CTの嫌な影…袋状のものと縦隔腫瘍の話になるが、それらはやはり造影MRIとPETで調べた上、その先どうするかということは血液の先生と相談して…とのことで状況に変化なし。
まず、今のように胸腔に挿管したままだと感染のリスクもあるので、気胸を治療しドレーンを抜くということを優先するという。管が抜けてしまえば恐らくすぐ退院できるはず、検査は外来でも可能ですし、とのこと。まあ不安はあるのだが、いつまでも猫たちの世話を明青の渡辺さんにお願いし続けておくのもつらい。

その後4時前になって同じ研修医が再び病室に来て、「ちょうどI先生が来られたので、よろしければ病状について説明しますが今いいですか」というので、もちろん承諾してカンファレンス室へ行く。I先生というのは入院した時に挿管などの処置を担当した研修医と若い医師のさらに上の先生だ。
カンファレンス室に入ると、すでに俺のレントゲン写真が見られるようになっていた。今日撮影したものと、先日撮影した胸部レントゲン、さらに2年前のCTで撮った断層写真もあった。横のPCには若いN先生が座っており、その後ろに研修医が立ち、間もなく担当の看護婦さんも入ってきた。

さて結論から言うと、まず縦隔にある「腫瘍」は、白血病が原発の「リンパ節の腫れ」ではない可能性もあるのでは、ということ。つまり、縦隔に腫瘍がある、しかも2年前よりやや大きくなっている…ということが懸念の一つだ。血液腫瘍、特にリンパ腫などで全身にあるリンパ節があちこち大きく腫れることはよく聞くが、俺の場合はどうもそういうタイプの病気ではないし、2年前より若干ではあるが大きくなっていることは懸念材料であると。

もう一つは、肺の中に多数、袋のようなものが出来ているということ。レントゲンでは水玉模様のように見えたいくつかの「輪っか」のように見えた例のアレである。しかしN先生がPCを操作し電子カルテから先日の造影CTの画像を呼び出してモニタで見せてもらうと、断層写真ではそれらの「水玉模様」が実は一つ一つ、袋状の空間であることがはっきりと解る。
仮に白血病で全身のリンパ節が膨れることはあるとしても、肺の中にこうした「空洞」が、しかもけっこうな数出来るということはちょっと考えにくいという。
今回の気胸も、それらの空洞の一つが破けるかしたときに、肺に穴を開けた可能性もある。だとすれば今回の気胸が治ったとしても、今後それら一つ一つが肺に穴を開けたり、肺の中ではじけたりする恐れがあるということになる。

I先生は全く表情を変えないまま、「こうしたレントゲンも画像ですし、CTの断層写真にしても結局画像でしかないので、ここにこんなものがあります、ということしか解りません。ではそれが何なのかというのは」と言うので、
「摘出とかですか」と聞くと「そうですね、それも一つですし、あるいは針を刺して組織を取るなりして検査に出さないと、解りません」と言われる。
またこうした腫瘍にしても、穴というか袋なのか、そういうモノが全身を調べて他の部位にもないかも調べないと、例えば脳内に出来た場合などは「命に関わりますから」ということ。

それらも含めて、こちらとしては詳しく調べようと思う、一度気胸が治ったら退院してもいいが、また検査のために外来に来たり、その結果また入院手続きだ何だとなると慌ただしいでしょうから、「このまま引き続き…」と勧められた。
こちらも何だかモヤモヤしたまま、それもいつ肺にまた穴が開くか解らん、あるいは他の臓器に何か変なモノが出来てないかというような不安な状況で暮らすのも嫌なので、引き続き調べていただくよう、お願いした。
とてもブルーな気分に落ち込んだわけだが、I先生は終始全く表情を変えぬままで、一通り説明していただいたあとで「…他、何かありますか」と言われたので、思い切ってぶっちゃけてみる。
「縦隔にある『腫瘍』が、もしあの大きさで悪性・つまり癌であり、最悪肺の中に見つかったいくつかのモノがそれの転移したものだとしたら、もう絶望的ですよねえ」と聞いてみると、先生はそれでも全く表情を変えずに
「いえ、そうとも限りません。確かに縦隔にある腫瘍が原発で、それが肺へ散っているということであれば進行性・転移性の肺がんということになりますが、それでも治療方法は色々ありますから」と言われるが、その状態がどんなものかくらい、さすがに素人の俺でもよく知っている。

とにかく今この段階では「何であるか」も解っていないし、縦隔の腫瘍はこれまで基礎疾患=リンパ性白血病の一症状としてのリンパ腫かと俺は思ってきたと言うと、「そういうことがあるのかどうか、血液の先生とも相談しますが、この際おっしゃるように万が一悪性の腫瘍だとまずいので、早めにちゃんと調べた方がいいでしょう」ということになる。

仮に白血病とは別に発生した新たな悪性腫瘍だった場合、じゃあ過酷な治療なり手術なりを受けるのか。それによって以後のQOLはどうなるのか。そういう色々と切実な人生の選択をするにあたっても、とにかくまずは「何なのか」解らなければ何も判断のしようがない。

説明はそれで終わり、先生方に礼を言って部屋を出ると、立ち会っていた看護婦さんがカンファレンス室からそのまま病室までついて来てくれ、しばらく話に付き合ってくれた。恐らく少なからず動揺しているであろう、そのケアを…と考えてくれているのだと思う。表情が「気の毒に」と物語っている。
しかし俺は一度白血病の告知と、結果的に違ったとはいえ余命宣告も受けている。さらに、自分が死ぬより辛い体験…最愛の人を失うという経験もしている。

もう、何を言われてもあんまり驚かない。というか、驚けない。

なので笑いながらアタマをかきつつ「いやあ、まさかあんなことになってるとは、ねえ」と言うと、看護婦さんも「でもまだね、悪性と決まったわけじゃないですからね、腫瘍といっても良性の場合もたくさんありますからね」と言われて、そういえば連れ合いの三津子も生前、腫瘍があると言われて腎臓をとってみたら良性の脂肪腫だったことがあった、という話をする。
また俺は若い頃から嚢胞が出来やすく、皮下、それも耳の裏や首周りによく大きいのが出来て、それが破裂すると血膿がドロドロに出たりして大変だったと言うと、そういうものが出来やすい体質なのかも知れない、だから悪性と決まったわけじゃないですよ、と励まされた。
あと「説明はご家族にもされた方がいいんでしたら、しますし…」というので、実家は北海道だし身内は皆関東なので、全部自分が一人で聞きますから問題ないです、と話す。検査結果、診断、告知でも何でも全部一人で受け止め、決断し、立ち向かうしかない。
いずれにしても退院はMRIやらPETやらが来週だから、少なくとも来週いっぱいは無理ということになったわけか。
明青さんに猫たちの世話をお願いしているのが心苦しい。
病気は一人で受け止められても、猫たちの世話は結局他人さまの力を借りないとどうしようもない。
やれやれ、大変なことになっちまったもんだ。
だが、生きているうちは生きることを頑張る。
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2010-06-20(Sun)

入院一週間

朝は6時前に何度か目が覚めるが、結局起きたのは看護婦さんが来た6時半近く。夜中、たびたび看護婦さんが来て、ドレーンで流れ出てきた胸腔内の水というか黄色い液体の量を調べに来てくれるのだが、その度に細かく起こされて、トータルでは6時間弱の睡眠か。それでもここ一ヶ月ほどでは十分に多い。

今のところ外は曇り。
予報では今週はずっと雨だから、そのうち降るのだろう。もう入院して一週間だ…。
この日で病院の「3連休」は終わりだ。午前中のバイタル、ガーゼ交換、体拭きを終えるともう何もイベントはない。昼飯を食べ、午後は少しだけ仕事を片付けて、あとはテレビを見たり音楽を聴いたりしていた。
ツイッターも、ただ寝ているだけなのでつぶやくこともあまりない。ただ、今回肺に穴が開いて入院したトタンにガガガッとフォロワーが減ったのには驚いた(笑)。「ああ、コイツもうあかんな」ってことだろうか。そう簡単には死にませんよ。
でも人間、そんなこと言ってても死ぬ時は案外、あっさり逝くもんでもあるが。

午後もずっと微熱が続いていた。1時間おきに自主的に検温するが、37℃代の半ばから後半を行ったり来たりで、「発熱」というには低く、とはいえ俺の平熱36.5℃よりは1度以上高い。そんな状態が続いていて、さらに正中のあたりになぜかずっと鈍い痛みがある。深く呼吸をするとうずくように痛むので、弱い呼吸を多めにしつつベッドにただ寝ている、という状態。
夕飯の直前、埒があかないのでロキソニンを飲む。鎮痛・解熱剤だから、夕飯を食べてしばらくすると痛みも嘘のように消え、熱も平熱に下がった。根本的に何も解決されていないような気もするが、根本的にトンデモない病気を抱えているので、対処としてはこれでいいのだ。

夜は11時過ぎまで仕事のデータ転送の下準備をし、転送をかけたまま寝る。
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2010-06-19(Sat)

気になる「影」

朝は6時過ぎに目が覚めた。小雨が降っていて、向かいの天理教の朝のお勤めの太鼓と声が聞こえてくる(入院してからしばらくどこかのお寺だと思っていたが、調べたら天理教だった)。蒸し暑かったのでクーラーをつけたまま寝たが正解だった。
トイレ洗顔歯磨きなどを済ませて病室へ戻り、テレビをつける。昨日から明日までのこの3日、病院は「休日」なので患者としてはひたすらに退屈なだけ。朝食を完食したら音楽聞いてるうちにまたうとうと。ネットでニュースサイトを見たりするが、モバイル端末は速度がやはり物足りなく、ちょっとした「待ち」の間にどうにもまぶたが重くなる。まあ昔のモデム時代のクンロクとかイッチョンチョンとか64k(bps!!)とか知ってるから、それに比べればはるかに高速なのではあるが。

そのうち隣の患者も起きたようだが、テレビをつけて普通に音を出している。それもけっこうな音量でうるさい。あれ、ここは個室のようで個室じゃないし、確か昨日は赤ん坊連れてきて大騒ぎだったので看護婦さんに注意されたはずだし、それからはテレビの音は出さないことになったはずでは…?
しかしマナーとかルールとか常識といったものを持ち合わせているのであれば、病院で大きな声は出さないだろうし、相部屋に入ったら相手には配慮するものだし、赤ん坊は連れて来ないだろうし、世の中自分らのためだけに廻ってるのではないことぐらい最初から解っているはず。
つまり、こういう種類の人間には最初から「何も期待してはいけない」ことを経験で学んでいるから、全く腹も立たない。こちらは言われた通り、ヘッドフォンでテレビを見るだけ。そのうちベッドの上でまた大声で電話をかけ始めた。ヘッドフォンのテレビの音声より大きい。
それを聞きながら、うーんこりゃ京都弁じゃないな、もっとこう、何というかパンチのきいたキッツいコトバだが、関西弁には間違いない。京都弁じゃないことくらいは3年近く住んでいると解るものの、ではどこだろうかと考えても土地勘もないので全く解らない。繰り返しになるが、本当に不思議なことに、腹が立たない。
世の中には「他者と共生する」という思考が全く欠落している人たちが本当に存在するということは、もうこの年になればじゅうぶん、知っているし。

NHKではMLB中継、インターリーグのサブウェイシリーズでメッツ高橋尚が先発する試合をやっていたので、ヘッドフォンをしたまま観戦。
高橋は変化球がコントロール良く決まり、粘り強く打たせて取る投球で6回を無失点で切り抜け、味方の1点を守って降板。試合はその後メッツが追加点を挙げ、高橋は6勝目。フといまだ勝ち星のないアトランタの川上、可哀想になあと思う。

昼食はうどんだった。
これに少量のおかずとおしんこがついていて、もう一つの器を「?」と思ってパカッと開けたらご飯だった。これがうどん定食か…。さすがにうどんの後のご飯は半分以上残す。

いつの間にか雨は上がっていたが、やはり蒸し暑さも上昇。クーラーを強くして午後は音楽を聞きながら転がっている。1時過ぎに研修医が来てくれ、様子を聞いてきたので問題ないと伝える。肺の穴がうまく塞がったかどうかは週明けにドレーンのチューブを塞ぎ、様子を見てレントゲンを撮り、空気が漏れてなければ穴は塞がった=気胸に関してはOKということ。
ただ、まだ挿管されたチューブづたいに液がけっこう出てきているのに、コレ塞いじゃって大丈夫なのかと聞くと、ある程度の水は誰でも溜まり、自然に吸収されていくので問題ないということ。1リットル2リットル溜まれば肺水腫とか大変なわけだが、このくらいなら大丈夫でしょう、というので納得する。

あと、昨日の医師と恐らく与えられている情報は同じはずだが、敢えて研修医にも同じことを聞いてみた。
気胸としては穴が塞がればそれでいいわけだけど、CTではやはり一番の問題は縦隔のリンパ節の腫瘍でしょうかね、と言うと「そうですねえ」と言いつつ、ただここで最後に撮ったのは2年前で、そこから比べて著しく大きくなったわけでもないし、大きくなりすぎて心臓を圧迫しているとか、そういうことでもないので、他の先生とも相談しますし、血液内科の先生からも「相談して欲しい」と念を押されてるので、そこら辺はちゃんと話し合って、患者さんにもこういうベッドサイドじゃなく、きちんと説明の場を持って話をさせていただきますよ、とのこと。
昨日聞いた「穴の元」のような円形というか袋状の影がいくつか見られ、例えばそれが本当に穴の元なら、今後またそこが破けて同じ状態にならないとも言えないし、いくつかもっと小さな影も複数見られるので、それらはリンパ節が腫れているのだと想像は出来るが、いずれにせよ本当はちゃんとPET、MRIを使って精査したいという。これらは縦隔腫瘍と違い、いずれも2年前には見られなかった所見なので、俺も気にはなる。
縦隔腫瘍の診断を確定させるために「ごそっと」外科的に取るとか取らないということとは別に、こうした新たに出現したいくつかのモノも含め、調べたいということだろう。

ぱらぱらと散見される小さな影というのは、俺も今顎下や首、腋下、鼠蹊などに見られるおそらくリンパ節の腫れと同様のものと考えたいが、それも調べてみないと確定は出来ない。おそらく、というのは結局想像でしかない。
俺が今一番気がかりなのは、レントゲンで目視できた、円形の影だ。レントゲン写真だと、デキモノという感じではなく、直径1cmくらいだろうか、小さめの輪ゴムを置いたような感じとういか、鉛筆で水玉模様を描いた輪郭だけというか。円のエッヂははっきり映っているわけではなく、ぼやっとした濃さではあるが、明らかに「ある」。それが「穴の元」というか、また強いショックを与えるとそこから穴が開くというようなものなのかどうかも、不明。レントゲンではっきり目視できたのは2〜3個だけだったが、CTで見ると同じようなものが肺の表面ではなく中にいくつか出来ている、何なのか不明だ、ということ。
それやこれやで、呼吸器科的にはやっぱり開けてちゃんと調べたいということだ。縦隔腫瘍に関しては摘出となると胸部切開して肋骨を外して…と、通常の大きな手術になってしまう。もちろん患者の同意なしには出来ないことだが、俺としては元の病気との関連もあり、何とも言えない。血液内科のI先生がこれらを総合的に勘案してどう判断をされるか、ということもある。

研修医が帰った後、少し憂鬱な気持ちになっていると、隣にまた嫁はんが来た。この嫁はんがまた旦那に輪をかけて声がデカい。この銅鑼声というか、日常この音量で会話してるとしたらかなりキッツイと思うのだけど、お互いにそれが普通というか気にならないから夫婦でいるのだろう。今日は赤ん坊に加え、幼児も伴っていて、当然子どももボリューム的には親と同じである。
まあうるさいことこの上ないわけだが、声やしゃべり方から言って幼児の方は女の子だろう、お父ちゃんが入院して寂しいだろうし。咳をちょっとしているのは問題だとは思うが、まあこっちがしっかり予防しておけばいい。子どもに罪はないし、可愛いものだ。
お父ちゃんは大声で子どもにおどけて相手をしてキャッキャ言わせたりバタバタ走らせたり、椅子をギーギー引かせたりしている。さすがに時々大声を出す子どもに嫁はんが「しっ!」とか「おーきなこえーだーさーなーいー」とか言うが、それがまた大きな声なのはご愛敬か。相変わらずおとなしくしているこちらに、寝てるかも知れない、というような配慮は全く、清々しいほど見事にみじんもない。憂鬱な気持ちが逆におかしい方へ持っていかれたので感謝したいほどだ、皮肉抜きで。

さてその後お隣の親子はどこかへ行ったようなので、こちらはその間に一眠りしようと試みるが、うとうとしたと思うとドレーンのチェストに溜まった液の量を調べにとか、バイタルとか、誰かしらが来る。病院とはそういうところだ、逆に患者をほったらかしにしていいはずもない。

夕飯は完食、そしていよいよサッカーW杯は日本対オランダ戦。
ここはもちろん勝ちにいくところだが、引き分けでもよしという2戦目。負けるとデンマーク戦での勝利がほぼ必須となるため、勝ち点は欲しい。早々に民放の中継にチャンネルを合わせるが、ノリ的にはどうでもいい感じの演出が続く。しかし病室はアナログ地上波しか入らないので、NHK-BSでの中継は見られない。キックオフまで延々と待たされるだけの演出なのは解っているので、時折他のチャンネルをザッピングするが、何とKBS京都で「戦国自衛隊」(もちろん千葉真一ver.)が始まった。まずい、目が離せない。何とかCMの合間にサッカーにチャンネルを戻した。

さて試合はご存知の通り、結果から言うと0−1で惜敗だった。ボールポゼッションだけで言うと前半特に30-70でオランダにボールを常に支配されて廻されて、時折縦パスを通され突破を試みられる…という展開だった。しかし日本の守りは堅く、がっちり引くところは引きつつ、カウンターも見せた。パスがほとんどつながらず、ボールを持ってもすぐ奪われるなどしんどい時間帯だったが、前半を終えてのシュート数では日本が上回ったほどよく頑張った。
問題は後半で、がらりと攻撃スタイルを変えたというか、明らかに勝ちに来たオランダの猛攻に日本はまたもや防戦一方。しかしとうとうスナイデルに後半8分にドカンとミドルシュートを叩き込まれた。
ここまで鬼気迫る奮闘ぶりを見せてきたDF闘莉王のクリアが中途半端に落ち、相手のハンド気味のパスの先に、マークがずれたスナイデルがおり、ゴールまで一本道が出来ており、そしてそれをためらわずに蹴り込んだ、というシーンだった。GK川島は反応していたし、手にあてて弾いていたが、ブレ球だったのだろうか、左手を弾いた弾道はそのままゴール右へ吸い込まれた。川島はその後再三スーパーセーブを見せていたし、この失点は仕方ない…と…思う。
さあここから日本は守りつつも明確に1点は取らねばならないという過酷なシフトへ移ることになったが、やはりオランダにボールを支配されることが多く、それでも果敢に責め立てた。FW大久保の動きは前半からとてもキレがあり、後半もいくつかシュートを放つなどよく頑張っていた。松井は途中から中村俊に交替したが、大久保・本田と連動してもの凄い運動量だった。
交替して入った中村は残念ながら今一つ動きに精細が感じられず、エリアからボールを奪ったあと、奪われた本人がすぐ背後にいるにも関わらず緩慢な動作でパス先を探しているうちに奪い返されるなど、どうも前半から戦ってきた選手たちの怒濤のようなスピード、動きから一人浮いているように見えた。(ブブゼラの音は関係ないと思う、ボールを奪われた選手はその後猛然とそのミスを取り返そうと奪い返しに来る…というのは素人でも普通にサッカーを見続けていれば知っていること)闘莉王が身体を張って奪った相手ボールへの反応も死に物狂いには見えず、それを「冷静」と見るか「闘志がない」と見るかは見解が別れるところだろう。
またさらに攻撃的にと玉田、岡崎を投入してからは闘利王も前線にたびたびオーバーラップするなど日本もすさまじい攻撃を見せたが、残念ながら点を取るには至らなかった。惜しいチャンスもあった(特に岡崎のシュートは最低、枠には入れて欲しかった…)のだが。
結果的に見れば惜敗というかたちでいいと思うが、とにかく言葉上どうこうよりも、見ていて実感として「惜しかった」。
オランダは強豪だ優勝候補だというが、そういうチームだって絶対ではないのが1戦勝負のW杯。失礼な予想も多かった中、0−0もあり得たし1−1もあり得たし、1−0もあり得た試合だった。もちろん0−3や1−3もあり得たが。まあしょせんは素人のたわごとでしかないし、「たら・れば」はないけれども。

なあに次のデンマーク戦、引き分け狙いではなく勝ちに行けばいいのさ、そう思って次の試合も見ようか迷ったが、眠剤と痛み止めを飲んでしまったので、そのまま寝る。
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2010-06-18(Fri)

喧噪の病室

ゆうべはサッカーW杯アルゼンチン対韓国戦を見てから寝た。
ギリシャを圧倒した韓国がオウンゴールもあったとはいえ、アルゼンチンによって赤子が手をひねられるように負ける様子は、オランダ戦を前に日本チームにも一抹の不安を残した。というかツイッターにも書いたが、マラドーナ監督が面白すぎて、ワイプ画面でいいから終始映しておくべきだと強く思った。

今朝は5時に目が覚める。
曇り空。今日からずっと梅雨らしい雨が続くという予報。
洗顔へ行きテレビを眺めバイタルが来て朝食を食べて部屋の掃除が入り排便をし体拭きをしドレイン挿管部のガーゼ交換と一通り終わってもまだ10時半。その合間に通常は医師や研修医の来訪があるが、今日は大学の創立記念日だか病院の設立記念日だかとにかく休日扱いで、医師も看護婦も少ないと聞いた。ひょっとすると医師は来ないのかも知れない。ノートPCで音楽を聴きながらうとうとする。
隣の若い男性患者は入院日から日に日に元気になった様子で、とにかくテレビの音や携帯での会話、立ち居振る舞いから発せられる音が全てデカいという希有な迷惑ちゃんで、ヘッドフォンで音楽をかなり大きくかけても完全なる遮断は不可能であることが判明した。
眠いのだが当然眠れるわけもなく、しかしヘッドフォンから流れる大音量の音楽もそのうち子守歌状態のなるが、当然熟睡は出来ず逆に汗をかいてぐったり。ここまで無神経な人って久しぶりなので何か面白いというか、全く腹が立たないし笑ってしまう。

昼食は鶏肉のソテーに歓喜。味はもちろん薄かったが醤油を少し垂らして美味しく完食した。肉喰いてえなあ、刺身喰いたい、唐揚げとか…などと思っていたところへ出て来た鶏肉最高。
その後売店やってるか看護婦さんに聞くと、今日は休日扱いやろか、うーんと首を傾げられたので降りてみるとちゃんとやっていた。水と「ごはんですよ」の小瓶と、お菓子コーナーをじっと見つめた挙げ句、なぜかマーブルチョコを買って戻る。
ここ数年ジャンクフードやチョコの類はほとんど全くといっていいほど食べなくなっていたし、普段コンビニなどでも菓子コーナーはほとんどスルーしていた。それなのに、病院へ入ると時々こういうものが無性に食べたくなる。そういえば帯状疱疹入院の時は、小腹が空いている時に思わず売店で小さなマドレーヌを買ったが、結局食べないまま退院したっけ。
病室に戻ってからは売店で買って来た「週刊文春」を読み、2時過ぎの検温の時、看護婦さんが研修医と相談して、「酸素濃度を測ってみて、良ければもう歩行時の酸素もやめましょうか」とのこと。安静時の数値は98。ゆっくりドレーン箱とボンベを載せたカートを引きつつ、吸引は無しで詰所まで行き、再び測ると97。ちょうど詰め所には研修医が居たので看護婦さんが呼んでくれ、来てくれたところで96。それでもまあ走ったりするわけじゃないし、もう外しても大丈夫ですね、ということになった。やれやれ。

胸腔から伸びるチューブと液を溜めるチェストは外すわけにいかないので、引き続いて一緒に移動。ただボンベは不要となり、カートから普通の点滴スタンドにチェストをぶら下げた上、テープで固定してくれた。車輪付きだったとはいえ、重いカートを押したり引いたりしつつ鼻チューブとドレーン箱につながっていたのに比べれば、格段に動きやすくなった。
ちょっとずつ「不自由」や痛みが消え、快復に向かう…のだといいが。まあそうは言っても元の基礎疾患が白血病なので、健康体に戻るというわけではないのが辛いところ。

それにしても、病院が休みだと検査もないしこちらもすることがない。雨がさあさあと降る窓を眺めてPCで音楽を聴いてうとうとしたりを繰り返していると、4時半ころドレーン挿入の際、研修医を指導していた若い医師が来てくれる。
気胸の方は肺も膨らんだままで、いい経過だという。なので週明けからドレーンを一回閉じるというか、クランプした状態で様子を見て、大丈夫であれば外す方向で考え、経過が良ければ一度退院も考えましょうということ。
気胸に関してはそれでいいのだが、昨日のCTの結果はどうでしたかと聞くと、やはり縦隔の腫脹と、水玉模様の輪郭のように複数映っている袋状のものが気になるという。
袋というか嚢胞状のものは俺も解らないのだが、縦隔の腫瘍はもちろん、5年前にの健康診断時、血液疾患の疑いがあると指摘された時からある腫脹ではあるが、その後ずっと大きさはほぼ変化なく来たわけで、それがここ2年で急激に大きくなった、というのなら怖い。何といっても心臓のすぐ近くでもある。
ただ、俺としてはリンパ系の親玉的な臓器である脾臓の腫れ(巨脾)は別格としても、顎、腋、鼠蹊といった部分に散見するリンパ節の「腫れ」と同じ種類のものだという認識だった。つまり、「だったらこのままでいいじゃないか」とも思ってきたのだが、呼吸器科としては「大きくなっていることが問題」であり、何であるのか「診断をつけたい」という見解。
そして診断をつけるには縦隔リンパ部分の腫瘍を検査する必要があり、万が一のこと…つまり悪性であった場合も考えて腫瘍を丸ごと手術でごそっと取るか、あるいは針を入れて取るかになるが、「個人的には」手術で取ってしまった方がいい、という見解らしい。

こちらとしては新たな癌=悪性腫瘍が発見されたというのならすぐにでも取らないと命に関わるわけだから嫌も応もないが、元々基礎疾患である白血病によるリンパ腫であった場合はわざわざ色々な意味でリスクの大きい外科手術でごっそり摘出しなくても…という思いがある。
何しろこういう体なので、大きな手術自体が生命に関わるし、QOL的にも基礎疾患を確実に寛解させられる薬剤も治療法もないからこうして経過観察をしながら、免疫低下によって突発する事態に「対処療法」的な対応をしてきているわけだ。
なのでここで肺の手術というのはちょっと…、と正直に話す。医師もその辺はよく理解してくれており、いずれにしても週明け、カンファレンスがあるので他の先生からも意見を聞き、色々相談をした上で呼吸器科としての見解というのをキチッと決めます、という。
また当然、血液内科の先生とも話し合わねばならないし、最終的にそれらを受けて手術にしろ検査にしろ、患者さんの同意がないとできないことなので、ということ。


ああ、しかしこんなことになろうとは。
元々変な咳が出始め、風邪かと思っていたら痰が出始めた。熱もないし、普通の人なら何でもないレベルの軽いものかと思い様子を見ていたら血痰が出始めた。この段階でも熱もなくそれ以外に全く異常はなかった。次の血液内科診察日まで3週間ほどあり、様子を見るには長い。
どうしようかと思っているうちに、先週夜中にひどい咳が出た直後に呼吸困難寸前という時があった。それ以降、大きく息を吸おうとすると正中のあたりがずきんと痛み、これは本格的にまずいと思い、週明けを待って今週月曜に病院へ来たら、肺に穴が開いてると言われた。
整理するとこういうことだが、気胸=肺に穴が開いたことは恐らく先週のひどい咳の時だったとして、気胸自体は快方に向かっているのもここ数日経過を見てもらっていて、明かだ。でも、相変わらずじゃあそこに至るまでの咳や血痰は何だったのか…という疑問が残るのは事実。
今回気胸の治療をしてもらってから、ここ一ヶ月ほど続いていた細かい咳の頻度は劇的に減り、さらにここ二週間ほど悩まされていた血痰も出なくなった。どういうことなのか、俺には解らない。縦隔の腫瘍や肺の中に複数ある袋との因果関係も解らない。

若干沈んだ気持ちでいると、夕方に隣の男性の嫁はんが何と赤ん坊を連れて見舞いに来たので驚く。いやここ病院だし…赤ん坊は泣くやろ、寝てる患者さんもおるやろし…それに免疫落ちてる人もいるし…などと思ったが現実に連れてきて大声で話している。
そのうち当然赤ん坊はむずがり出し、夫婦で「あばばば」とか「でんでんでん、ばあ!」などとあやし始める。赤ちゃんの泣き声よりあんたらの方がうるさいんだが。地声が馬鹿デカいから普通に会話してるだけでも相当やかましいのに、その上赤ん坊の泣き声が混ざるので、もう吉本かと思うくらいの狂乱状態。そして全くそのことに疑問を感じない、渦中の発生源親子。
本当に腹を立てるより笑ってしまう。ただうるさくてテレビの音も聞こえないので、ヘッドフォンに切り替える音量を上げるが当然相殺されるはずもなく、単に騒々しいだけ。逆にテレビを消してこちらが静かにすれば少しは「寝てるかも知れへん」と気づくかも知れないと思って一旦消したが、そんな気遣いなど微塵もあろうはずももなく、喧噪が続く。仕方なくヘッドフォンを外し、少し大きめの音量で再びテレビをつける。
実はこういうシチュエーションだと、こういう人たちの思考パターンは
嫁「なあ、隣のテレビの音、うるさない?」→旦那「ほんまやな。俺らもうちょっと静かにせなあかんな」
ではなく、
嫁「なあ、隣のテレビの音、うるさない?」→旦那「ほんまやな。ならこっちももうちょっと大きくしよか」となるに違いなく、果たせるかな、隣のテレビと声の音量がさらに上がった。もう苦笑するしかなかった。

6時の夕飯が来て、こちらが食べ終わってもそんな状態が続いているのでテレビをつけたままネットでニュースなどを見て気を紛らわせていたら、夜勤の看護婦さんが来て検温とバイタル。
そのときテレビがうるさかったらしく「さっきヘッドフォンしてられましたよね、テレビもそれにしていただけますか」と言われたので、声をひそめて「隣がうるさくて聞こえないんですよ…」と言うと、看護婦さんも「解ってます」という風情で声をひそめて「ええ、そうだろうと思っていました、いくら何でも…。先ほど注意しておきましたし、そういうわけですのでこちらのテレビも今後…」というのでそういう事ならと了解する。
この看護婦さんはこういう気遣いが出来るだけあって(?)よく勉強している様子で、その後世間話で気胸のことになると、治療法は手術で穴をふさぐ、薬剤でくっつける以外に、例えば自分の血液を胸腔と肺の間にわざと流し込んで、それを揺らしながら凝固させて癒着させるという方法もある、と教えてくれた。俺の場合それは血小板の関係でどうなんだろうと思ったが、まあ気胸そのものより縦隔の腫瘍や肺のデキモノを取る・取らないの方が今は心配なわけだが。

そんな話をしていると、携帯が看護婦さんの前で突然メール着信で鳴りだしたのでビックリ。ここ数年マナーを解除したことなど一度もないというのに、どういうわけだか解除されていて、隣が無神経だうるさいと話し合っていたばかりだったので、面目ない限り。
看護婦さんが去った後メールを確かめると明青のおかあさんからで、昨日猫の様子見に行ってくれた時、水とエサが空っぽだったのでビックリしたという。昨日まで2日ほど真夏のように熱かったから、猫も水分補給大変だったんだろうか。おかあさんはそれで昨日はリビングを網戸にして出てってくれたそうで、今日様子を見に行ったら水もご飯も普通だったとのこと。何だか色々配慮いただいて、本当に申し訳ないです…。

その後はお隣さんは赤ちゃんを連れて夫婦でどこかへ出かけてしまい、しばらくすると旦那だけ戻ってきた。時折携帯で大きな声で話したりはあるものの、概ね静かになったので、やれやれといった感じ。
8時過ぎには病室の蛍光灯を消してベッドサイドの灯りだけにして、トイレ歯磨きも終え、テレビをヘッドフォンをしながら見ていた。W杯ドイツ対セルビア戦は前半からドイツにバシバシイエローカードが出て大丈夫かよと思っていたら、何とクローゼが2枚目貰って退場、直後にセルビアが先制点を決め、結局そのままドイツは敗戦。今大会は強豪国が(アルゼンチン以外)苦戦する試合がけっこうあって、それが逆に面白い。
試合の途中、10時半には眠剤とロキソニンも飲み、試合を見届けてから寝る。
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2010-06-17(Thu)

造影CT検査

夕べは11時過ぎに就寝、朝がた何度か目が覚めたものの、6時前まで寝られた。その後もうとうとしていて、6時過ぎに看護婦に起こされるまで寝ていた。すぐに洗顔などに行って戻る。ヒゲがぼーぼーに伸びていたので、剃ろうと思ってカミソリを探したらカラの袋だった。入院の用意など慣れたものだと思ってたら箱ティッシュは入れ忘れたし、カミソリも無くなっいたとは不覚。

テレビを見ていたらすぐに8時の朝食時間。今日は造影剤を入れてのCT撮影なので、昼食抜き。しかもCTはたぶん2時3時という話なので、かみしめて完食する。あったかいプレーンオムレツとブロッコリーにトマトケチャップ、パンにマーマレード、牛乳。ケチャップやジャム、ドレッシングは小袋で出るのだが、これらの「普通の濃さ」の味が実に有り難い。
その後日勤の看護婦が来て、ドレーンの様子を先輩看護婦さんと一緒に俺のチェストを見て勉強したり。先輩看護婦さんの様子だと、もう穴から空気が漏れてるという感じではなくなってきたというので、ちょっと安心。肺はちゃんと膨らんでるのはレントゲンで確かなわけだし、膨らんで形が保たれていれば穴は自然に塞がってはいくものだが、俺の場合は身体の再生能力が低いみたいだから時間がかからなければいいが。

その後体拭きのタオルを持って来てくれるというので、その前に下の売店へ行き、カミソリとご飯用の小分けふりかけパックを買って戻る。それから背中を拭いて貰ったあとは自分でその他を入念に拭いて、下着とパジャマを換える。感激したのは、何と大きなバケツにお湯を入れて持って来てくれたこと。こんなの初めてだ。少し熱めのお湯にはあせもを防ぐ薬が入っているとかいうことで、足湯のようにつけていると気持ちいいですよ、と言って置いてってくれた。さっそく両足をつけて座っていると、熱い湯が気持ち良い。しばらくほーっと放心したあと、買って来たカミソリで伸び放題だったヒゲを剃る。

足湯も終えてあちこちさっぱりして気持ちがいいわいと思っていたら、隣に入った男性患者のところへ家族がまた見舞いに来た。入ってきた日と昨日あたりまではおとなしかったものの、元気になってきたのか、この男性自体がコッテコテの関西弁(京都弁には聞こえないがどこかは解らない)で地声がバカデカいことが判明した。
そしてさらに輪をかけて嫁はんの声のデカいこと。声のデカいこと山のごとし。類は友を呼ぶわけで似たもの夫婦というか難聴同志なのか知らんが、これじゃあこの家族のご近所はさぞかし大変だろうと余計な心配をしてしまう。
とにかく二人ともひっきりなしに喋るので、思わず苦笑が出るほどの騒々しさだ。話す内容は当然筒抜けどころか丸聞こえではあるが、その内容の無さたるや…。従って単にうるさくて仕方がないだけなので、こちらのテレビの音を上げてみる。
が、この手のデカ声の「気がつかない人たち」というのはなぜか腹腔に響くような銅鑼声というか「音質が違う」ので、シャカシャカ系のテレビの音は全くの無力。ていうかテレビの音すら聞こえないし(笑)。だからといってデカ声夫婦の声をかき消すくらいにテレビの音を上げると、それはそれでうるさいという無間地獄。
来週には「本物の」個室が開くと昨日婦長さんが言ってきたので、それまで我慢するしかないだろうと思い、テレビを消し、粛々とヘッドフォンをPCに接続して音楽を聴く。

その後夕方3時5分のシャトルバスに乗るので車椅子・酸素付きで下へ降ろしてもらい、玄関脇で待つ。患者の搬送に立ち会う看護婦さんがすでに一人待っていて、受付の事務の人としきりに「暑い暑い」と愚痴を言い合っていた。今日は33度超えとか言う話で、確かに玄関の自動ドアが開閉するたびに、そういう気配のある外気が入ってくる。

シャトルバスが来て患者、車椅子を降ろすのと交替に車椅子ごと乗せて貰い、外来の正面玄関で降ろしてもらう。看護婦さんにCT受付から待合まで連れて行って貰い、待つように言われた。用紙を見ると俺の予約時間は3時45分となっており、時計を見ると3時20分。5〜6人の患者も待っていて、テレビを見ながらゆっくり待つ。

20分ほど経って、検査技師の看護婦さんに検査室へ車椅子を押してって貰い、検査台へ移動。胸腔から伸びるチューブと箱を倒さないようにしつつ、検査台に寝るのが厄介。箱=チェストを立てたまま両足に挟み、その体勢で撮影ということになる。左腕には静注用のルートが開けられ、一回位置確認の撮影テストの後、ルートから造影剤を入れて胸部CTの撮影。造影剤が入ると間もなく、あの「カーッ」と全身に酒がまわるような熱い感覚が走る。だいたいいつも一番熱いのは喉の奥と、なぜか金玉と肛門のあたりなのが不思議だ。

撮影はすぐに終わり、再び先ほどの待合室のテレビ前に戻り、また先ほどのテレビの前に安置されてしばらく待つ。次のシャトルバスは4時25分と聞いていたが、その時点で4時ちょっとだった。
15分ほどして助手さんが正面ではなく西側の出口へ連れてってくれ、間もなく到着したシャトルバスで病棟に戻った。この時玄関から出て車の脇でリフトの上下を待っている間、暑さが凄かったのを実感した。南西病棟に到着すると、一緒に乗ってきたおばあちゃんが運転手に、「帰りはどうしたらいいのか」ということをしきりに尋ねていた。
その間こちらはマイクロバス後部に車椅子を固定されたまま待っているわけだが、それとなく見ると、カートを押している80過ぎと思しき高齢のおばあちゃんで、入院中の息子に荷物を届けに来たという。間違って中央棟へ行き、バスに乗せてこちらへ送ってもらったらしいが、今日のシャトルバスはこれが再び折り返して向こうへ戻って終わりなので、後は自分で歩いて近くの路線バスに乗りに行くか、タクシーを呼ぶしかないだろう。この暑さの中、ご老体には気の毒だ、可哀想だなと思うが、今の俺にはどうしようも出来ない。

病棟の入口へ入ると4時40分だった。ちょうど5階の看護婦さんで俺の顔を覚えていた人がいたので、車椅子をエレベータに乗せ、5階まで連れてってもらう。
いったん病室まで押してってもらい、車椅子を降り、ゴロゴロの酸素ボンベにドレーンチェストをぶら下げ、すぐにそのまま今度は徒歩で1階の売店へ行く。造影剤の後は水分をよく取り排出させるようにと言われたので、水や茶の補給と、何しろ腹が減って仕方がないので何か食べるもの…と思ったがおにぎりやサンドイッチは全て売り切れており、しょうがないので「パイの実」を買った。
病室に戻ってこんなの食うの何年ぶりだよと思いつつ「パイの実」を2つ3つ食べるが、このままだと全部食ってしまうな、あと1時間ちょっとで夕飯だしと思い、食べるのをやめて茶を飲んだ。看護婦さんが様子を見に来て、ホッと一息ついたらちょうど5時だった。夕飯までは長い。
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2010-06-16(Wed)

安静時の酸素外れる

朝5時に目が覚める。もうこれがデフォか、年寄りみたいだな…と思いつつトイレ洗顔などを済ませてベッドに戻る。やはり力が入ると挿管部が痛むが、こんなのは一瞬一瞬のことだ。
テレビをつけて異常にむくんだみのもんたの顔を見ながら、何でこの人毎晩こんなに飲んで、毎日あんなに仕事をして倒れないんだろうと本当に不思議な気持ち。6時過ぎになると病棟も動き出すが、ここの病棟は呼吸器のせいか老人が多い割には大声の人がおらず(老人は耳が遠いので、声が大きい人も多い、経験上)、静かだ。詰め所も反対側にあるのでナースコールもほとんど聞こえないし、そもそもナースコールを頻繁に鳴らすような患者もいない様子。
去年帯状疱疹で入院した時は、老年科だか老人科だかの病棟と合同だったので、とにかく看護婦を何かというと奴隷かメイドのように呼びつける老人が多く、ナースコールがひっきりなしにキンコンキンコン鳴っていたのだが。
さて腹減ったなあ、と呑気に思っていたら8時の朝食が来たので、完食。ここの病院食は特段褒められたものではないが、朝のパンは焼きたてほかほかのが出てくるのは有り難い。
この日は何も検査もないはずで、ここ数日の記録をまとめている。その合間にうとうとしたりもするが、朝から夜勤明けの看護婦、引き継いだ日勤の看護士、担当医、執刀した研修医、バイタル…などで誰かしらが来る。

あと恐らく処置室で挿管してくれた二人の担当医の上司にあたるであろうIという先生が初めて病室に来て、触診などしてくれた。その時に「まだ空気が漏れてるようですね」というので「穴はどれくらいで塞がるんでしょうか」と聞くと、普通は一週間から十日程度で、とのこと。それでも塞がらない場合は、例えば手術でホチキスみたいなのでくっつけたり、挿管部から薬を入れて接着したりするという。ただ俺の場合は基礎疾患(白血病)があって、先々もし例えば縦隔リンパなどの手術の可能性が出た場合、ここで手術をすれば癒着などの問題もあるので、まあ明日のCTの結果を見て血液の先生とも相談して慎重に決めます、ということ。うまいこと穴が塞がってくれるといいが。そして肺の円形の「影」も何でもないといいのだが。

その後もだいたい午前中はうとうとしていると誰かが入ってくる、という状況は変わらず。
今日は朝がた凄い勢いで雲の固まりが流れていって、曇天が一転気持ちの良い青空になった。梅雨とは思えぬほど快晴に近い状態で、青空が綺麗だ。一昨日から晴れ、雨、晴れ。こっちも一喜一憂である。
そういえば9時過ぎ、一人で売店へ降りて飲み物を買って戻ってくるとき、同じエレベータでストレッチャーに乗せられて横たわる若い…といっても30代くらいの男性が運ばれてきて、俺と同じ階で降り、何と俺と同じ病室に運び込まれた。この部屋は元々個室ではなく検査用ということで、入り口を入ると壁が一枚あって部屋を途中から左右に振り分けるようになっていて、それらはカーテン一枚で入り口側と仕切ってあるだけ。なので向こうの話し声も何も同じ部屋の中に居るのとほぼ同様に筒抜けだ。
隣に運ばれてきた男性の声は弱々しい感じだが、看護婦さんや医師の声はかなり大きく聞こえる。隣の部屋にいるがカーテン一枚ごしなので、入り口側の空間に響いてこっち側に返ってくるため、かなりうるさい。なので、ヘッドフォンで音楽を聴く。聞いているうちにうとうと。うとうとしてると誰かが来て起こされる。その繰り返し。

昼前、研修医が来て明日のCTの時に造影剤を使うので、その説明と同意書作成。まあこれも何度もやっているので問題なし。あと、安静時の鼻酸素は外されることになった。ただし動く時は念のため0.5だけ吸いつつ、引き続きボンベを引いて歩くということ。胸部挿管部の痛みも圧がかからなければほぼ無痛なので、こういったパソコン入力作業にも支障がないのは有り難い。
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2010-06-15(Tue)

入院2日目

雨。
朝は5時くらいに目が覚めてしまったので、早々に洗顔歯磨きなどを済ませる。朝のニュースワイドはサッカー、昨夜の試合結果でもちきり、日本は結局あのままリードを守りきって勝ったのだけど、Vを見ると後半のカメルーンの猛攻はもの凄かったようだ。日本の惜しいチャンスもあったが、カメルーンに3点くらい入れられててもおかしくない場面もあったという。まあしかしよく頑張ったものだ。

さてこの日はレントゲンに加えて心電図、さらに元々診ていただいていた血液内科のI先生の診察があるということ。「今日は忙しいわねえ」と年配の看護婦さんに言われる。またシャトルバスで行くのかと思ったら、レントゲンと心電図まではこちらの病棟内で出来るそうだ。
午前中にまずレントゲンがあったので、帰りがけに売店に寄って入れ忘れていた箱ティッシュにお茶、水などを買う。自分の場合元の病気の典型的な症状(盗汗)もあるが、元々暑がりだし汗かきのせいもあって、水分補給は必須。

その後昨日処置してくれた時に指導していた方の若い医師が来てくれ、やはり肺はうまく膨らんでいるので、引き続きこのまま様子を見ましょうとのこと。ただしレントゲンでは肺の中に丸い影がいくつかあり、それが何なのかということと、縦隔のリンパ節の腫脹がかなり大きいので、そのあたりは一度CTを造影剤を使って撮ってから、血液内科の先生とも相談したうえで評価したい、ということだった。

病室で仕事をしていると「どうですか」と執刀した研修医が様子を見に来てくれたので、世間話のように肺真菌症の方は可能性はないかと聞くと、血液の他の数値などを見ても、そういう所見はないとは思いますが、まだ詳しい結果は出ていないので…とのことだった。とにかくずっと続いていた嫌な咳、痰は劇的に減ったのはありがたい。痰はまだ寝起きに少し出るのだが、その後日中痰が出ることは数回程度に減った。なので悪い方へは行っていないだろう、と前向きに考えることにする。

午後は心電図に呼ばれ、看護婦さんが車椅子で連れてってくれる。ベッド上での酸素、移動時共に数字は「1」。酸素吸入とすれば最小限のレベルだ。「じゃあここでお待ち下さいね」と言われて検査室のドア前で待たされたが、中から若い検査技師と老人が何やら会話をしているのが聞こえる。普通の会話みたいな受け答えをしているのだが、時折「ハイッ、じゃあ行きますよ、ハイイイイイイイ!(かなり大声)」みたいな気合いを入れた「何か」が数度行われ、その行為が何であるかが全く検討がつかず、俺の頭上には『?』マークがいくつも浮かんでいたと思う。「じゃあ今日はこれくらいにしておきましょうか」という声が聞こえ、ドアが開くと若い技師(?)が普通におじいさんを車椅子に載せて出てきた。リハビリだろうか、一体何が行われていたのだろう。

俺の心電図は、ベッドに仰向けになり、手足心臓周辺をアルコール消毒された後、器具をてきぱきと装着されてすぐに終了。胸腔への挿管部の痛みはロキソニンが効いているので、安静にしていればほぼ無痛、時折鈍痛がする程度。ただしこうして椅子から立ち上がったり、ベッド上で体を起こしたりする時、つまり腹部から胸部に力や圧がかかるときに、かなりきつい痛みがある。(まあそんなの帯状疱疹に比べれば以下略)心電図を取るためには車椅子から降りて横になる、終わったらそこから体を起こしてまた車椅子に戻る、これがけっこうしんどかった。

その後、病室に戻ると看護婦さんが来て、血液内科のI先生はわざわざこちらの病棟へ来て下さるということが判り、俺はバス移動をせずに病室で待っていれば良いということだった。申し訳ないというか有り難い気持ち。
それから看護婦さんが体拭きの熱いタオルを持って来てくれた。背中は自分では拭けないので、拭いてもらうと気持ちがいい。念のため鼠蹊部などは自分で拭きました。さらに髪も洗面所でシャンプーしてもらって、気持ちがよかった。風呂に入りたいがしばらくは仕方ない。

6時ころ夕飯が来て「さあ食べよう」と思ったところでI先生がドレーンを挿管してくれた研修医と一緒に病室に来られる。俺の顔を見るなり「大変ですねえ」と言われたので「はあ…」とお互い苦笑する感じ。
I先生は縦隔のリンパに関しては、元々大きかったしさほど変化はないので問題ないのではということと、元の病気に関しては(採血などの数値からも)「大きな動き」は見あたらないので、とにかく今回のこと=気胸は呼吸器でしっかり治してもらいましょう、とのこと。気になる肺の影に関しては、やはり造影CTを撮ってみないと今の段階では何とも言えないという。これに関してちょっと暗い不安が残るが、まあ今の段階であれこれ悪い想像をしても、何も変わらない。

I先生が帰られた後、夕飯をもりもり食う。とにかく元の病気は仕方ない。あとは病院で規則正しい生活をし、出されたものを喰ってればいいことは経験で解っている。
その後、指先で測る酸素の数値を見ていて、鼻チューブの酸素吸入は安静時は取ってもいいんじゃないですかねえ、と男性の看護士が言うので、試しに取って測ってみると、93。俺が「ああ、やっぱりまだダメですねえ」と言うと、微妙なところだというので先生に聞いてみますよ、と言ってくれた。
だが後で結局「まだ0.5だけ安静時も吸っとくように」ということだった。安静時と動作時では酸素の消費量が違うし、ふらふらして倒れたら大変だということなので仕方ない。
ちなみにベッド脇から伸びた酸素チューブから安静時0.5、トイレなどに立ち歩く時はポータブルのボンベから1と、チューブの接続先を変えて鼻から吸引中。

夜はテレビのバラエティ番組を久しぶりにはしごする。そういやあんまりテレビ見なくなったなあ、と思いつつ。
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2010-06-14(Mon)

肺に穴が開いて入院

6月14日(月)

ここしばらく咳、痰が出るので何だろうと思っていたら、血痰が出るようになった。さらに数日前、就寝時凄い咳が出て、直後一瞬だが呼吸困難みたいな状況になった。さすがに病院行こうとは思ったけれど、何しろ週末のこと。なので月曜は朝イチで病院へ向かおうと、土日はおとなしくしていた。

月曜の朝7時半過ぎ、支度をしてタクシーで病院へ向かう。やたらと息が切れる。病院の受付は8時からだと思っていたら、実は8時半からだった。番号札を取って再来診療の申し込み書を書き込んで待つ。8時を過ぎてもまだカウンタは暗いまま。俺は9番で、俺の後も続々と患者が集まってくる。
病院外来受付の一階ロビーには大画面テレビが据えつけられていて、そちらを向いた席は患者でけっこう埋まっている。老人が多いが、この人らは予約患者だろうか。

8時半になりカウンタの明かりがつくと、座っていた患者らが数人立ち上がってカウンタを遠巻きに囲む。囲んだって番号順に呼ばれるのになあ。割合スムースに流れてすぐ呼ばれ、係に「これこれで血液内科にかかっているが、感染しやすいので何かあったらすぐ受診するよう言われている、今回は咳と血痰が出たので呼吸器を受診したい」旨を伝える。
受付はそれで終わり、あとはいつもの呼び出し器などを受け取る待ち。数分ですぐ呼ばれて2階の呼吸器科へ向かうが、何とエスカレータが点検中とのこと。エレベータは2機しかなく、それらはすでに大量の人を乗せて上がってったばかり。仕方なくゆっくり階段へ向かう。
どうも体がだるく息が切れるし、何より心臓がバクバクだ。俺はどういうわけか普段から心拍数が異常に多く、安静時でも90以上100前後。しかしそんなものじゃないぞこれ、と思いつつゆっくり階段を上がる。マスクが余計に息苦しい。

2階にある呼吸器科の外来で受付、外来担当の看護婦に言われて身長・体重、体温を測定。体温は平熱。それから問診票を渡されて、細かく記入。基礎疾患=白血病があり血液内科にかかっていることから、症状がいつからどのように起こったかなどなど。易感染状態にあるので、ひょっとしたら肺真菌症かも…という余計なことまで細かく記入して提出。

しばらく椅子に座ってぐったりしていると、さっきの看護婦さんが来て紙を数枚寄越し、採血と喀痰検査と胸部レントゲンを撮って、またこちらへ戻ってくるようにと言われる。まず同じ階の採血受付の列に並んで受付。喀痰採取用のプラ容器と受付番号を貰うと254番。表示を見るとまだ190番台。朝イチで来たというのに、何ということでしょう。
トイレの洗面所へ行き、カーッ、ペッと(失礼)痰を容器に出す。やはり血が少し混じっていた。フタをして容器と一緒に渡された受け皿みたいな器へ載せて受付の女性に渡し、あとは座って採血待ち。15分か20分ほどで採血室に入り、さらに5分ほど待って採血。
何と試験管8本。これまでで最高の本数だった。

実を言うと、ここ一ヶ月ほど変な咳が続いていた。喉がイガイガして朝はよく痰が出るようになった。とはいえ、自分は免疫力が低下した状態にあるので、普通の人なら何でもない程度の風邪が悪さをしているのだろう、くらいに考えていた。体温は毎日測っていたが、ずっと平熱だった。
しかしそのうち痰に血が混じるようになり、時折胸痛を伴うようになった。しかし相変わらず熱はなし…という状況から、勝手にこれは肺真菌症かも知れないと思った。これまた普通の人なら何でもないカビや雑菌が肺に入り、免疫力の低下した人に悪さをするというもので、自分の場合昨年末の帯状疱疹「劇症化」の経験から、もっとも疑わしいと勝手に自己診断したわけ。
その場合も当然何の菌かを特定してそれを殺す薬が必要になるので、そのために採血による検査は必須。通常の採血に加え、細菌検査の分もあり、いつもより本数が多いのだろう。

採血を終え、老人のようにゆっくりと歩いてエレベータで地下へ下りる。受付へ用紙を出すと、そこはMRIの受付で、女子事務員に「レントゲンは中央棟1階ですので…」と気の毒そうに言われた。そういえば前にも間違ったことがあるなと思いつつ、再びエレベータに引き返す。そうして長い廊下を歩いてレントゲンの受付へ向かったわけだが、このあたりの「歩き」がけっこうしんどかった。とにかく息苦しい。酸欠とまでは言わないが、しんどい、だるいという感じ。ようやくたどり着いた撮影室前の椅子に座ったらくたくた。心臓の鼓動が凄い。そしてやけに汗が出る。

割合すぐに呼ばれて撮影を終え、呼吸器の外来に戻るためにゆっくり歩いてエレベータに向かう。もうこの時点で階段で行くなどとても無理だった。体が重く、歩くのさえしんどい。受付にたどり着いて検査を終えた旨伝え、あとは診察室に呼ばれるのを待つだけで、椅子に座り込む。
そのままひたすら待っていると、1時間ほどして突然呼び出し器がブーと震えて診察室へというので、慌てて中待合の方へ向かう。

診察室には若い医師がいて、挨拶もそこそこにレントゲンを見せられ、「肺に穴が空いてますねー」と言われる。「え?」と仰天。いわゆる気胸というやつだ。レントゲンを見ながら説明を受けるが一目瞭然、普通あるべき右肺の壁がへちゃっと半分ほどに潰れている輪郭が、薄く見える。穴は肺の上部に空いたらしく、そこから漏れた空気が肺を包む膜の中に溜まり、本来一杯に膨らむべき肺を圧迫して縮めているわけだ。
「しんどかったでしょう」というのでもちろん「はい…」と肯定。片肺じゃ息苦しいわけだ。また酸素を全身へ行き渡らせようと、心臓も必死でバクバクと動いていたわけで、何というか、色々と大変な状態であった。

結論から言うと、即入院。

とにかくあまり動かず安静にしていないといけないのと、まず漏れている空気を抜き、肺をちゃんと膨らませてやり、開いた穴をふさいでやらないといけないという。
もし肺真菌症なら「投薬で様子見」とかないかな、入院になったら嫌だな…とは思いつつ、血痰まで出たんだから入院かもな、という思いと半々だったが、悪い方へ転んだ。
しかし気胸とは予想外。

「入院となると荷物を取りに行って戻ってこないとならないんですが」と言うと、すぐに処置をしないといけないらしいし、なるべく動かない方がいいのだが「お一人なら仕方ないですね」ということで、2時までに戻ってくるように言われる。くれぐれも気をつけて、何かあったらすぐ病院へ連絡を、と言われた。この時点で12時過ぎ。

ゆっくりと診察室を出て、下りだけは動いているエスカレータに重い足取りで向かう。回廊から下を見ると、会計には長蛇の列。あんなのに並んでる余裕も体力も気力もないな、と思い、そのままそろそろと出口へ向かい、タクシーで自宅まで戻った。
タクシーが病院の敷地を出ると、持っていた呼び出し端末が「ピッピッ」と短く鳴りだした。それを聞いた運転手が「会計をしないで病院から離れるとそうなる」と教えてくれたが、入院と言われたので支度してすぐ戻ることになったというと納得していた。

タクシーを降りると、マンション下のI内科の中で、奥さんが午前の診察を終える作業をしているのが見えた。一瞬どうしようと思ったが、ブラインドを下ろしてしまった感じなのでそのまま行こうと思いつつ振り返ると目が合ったので戻ると、やはり向こうも気づいていたようで、すぐに開けてくれた。
先生の奥さんにこれこれと説明すると驚かれ、先生には伝えておきますと言ってくれた。

ようやく自宅へ戻ると、ソファの上にユキが香箱を作って眉間に皺を寄せていた。たぶんこっ早くから起きて病院へ行ったので、ユキは自分が降りてきたら俺が居なくなっていたのでさんざん探して泣いたのだろう。申し訳ないがこれからしばらくまた会えなくなる。

猫の朝ご飯と水の取り替えは済ませていたので、とにかく入院支度。少し動くと息が切れる。もう京大への入院も3度目、たった一人で入院するのは2度目。最初は胆石発作が続いて、胆嚢摘出手術を受けた。その時は連れ合いの三津子も生きていたので、あれこれ準備をしたり、東京から来て会う約束をしていた教え子たちへの対応もしてくれた。
次は去年の10月、帯状疱疹が劇症化して一ヶ月の入院。三津子はもうこの世にはおらず、その上猛烈な痛みとの戦いで、ほんとうに辛い日々だった。

入院支度に慣れてしまうというのも困ったものだが、実際慣れている。タオルと下着はたくさんあっても困らないので多めに。箸は自分で用意なので箸箱、はさみやカッターは意外とないと困る。病院内を歩くサンダルかスリッポンのようなものもいる。個室が取れなかった場合、相部屋にDQNが入ったら地獄なので耳栓も必須。爪切りもいる。カミソリやティッシュも何も、病院で買うと高い。パジャマは洗濯の手間を考えたら一日70円で借りた方が遙かに楽なので不要。俺には欠かせない滅菌用アルコール消毒ジェルは病室前にあるはずだが、身の回りにスプレーがあると安心…。

それら小物はすぐに用意したが、肝心なのはPC。何より仕事に穴をあけられないので(肺に穴はあいても)、モバイル端末とノートPC、外付けHDDなどをカートに詰める。それにタオル下着その他小物を詰めたボストンバッグ、それとショルダーバッグ。けっこうな大荷物になった。

一息ついて、まずゆうちゃんに電話して入院することになったと伝え、お袋にはメールをし、明青の渡辺さんに電話する。猫の世話をまたお願いしないといけなくなった。渡辺さんは「いいよいいよ、次から次と可哀想にねえ。猫ちゃんの方は任せておいて」と言ってくださる。本当に何度も申し訳ない限りだが、夫婦ふたりで移り住んだ京都、親戚はおろか友人も知り合いもいない、もしこのご夫婦がいて下さらなかったら…と思うとぞっとする。

渡辺さんへ猫エサとトイレのことを紙に簡単に書いてテーブルに置き、用意した荷物を全て持って外へ出る。ついでに溜まっていたゴミ袋も。当然フウフウと息が切れて脂汗が出る。まずゴミを捨ててからボストンバッグを持ちカートを引いて、北大路に出る。タクシーはこの時間東方向へはほとんど来ないので向かいへ信号と踏切のタイミングがうまく合った瞬間を利用して、ゆっくり渡った。とても走れない。

あとは病院へ行くだけ…というところで一つやり忘れたことに気づく。猫トイレの交換シートと玉砂の予備を「出しておきますから」と言っておいたのに、忘れてきてしまった。まとめて発送してもらったものなので、箱から出しておかないといけない。
すぐに再び道路を渡ってマンションに戻り、部屋へ入る。く、苦しい。いったいこれは何の罰ゲームなんだよ、誰だか知らないがどんだけイジメれば済むのかと呪いたくなる気持ちを抑えつつ、積んである段ボール箱からシートと玉砂の袋を出して、居間のソファの上に並べて置き、寄ってきたユキをなでて「すぐ戻ってくるからな」と言い聞かせてドアに鍵をかけた。

再びバッグとカートを持って北大路を渡ろうと思ったが、もうとても足が動かない。
しばらくそこに佇んで息を整えていると、幸い東に向かうタクシーが通りかかってくれたので、乗り込んだ。運転手は70歳前後の人で、俺の荷物と向かう先で「入院ですか」というのでこれこれこうでと話すと、自分の知人も心臓にペースメーカーを入れて元気にしてますわ、前向きで頑張って下さいねえと言ってくれた。月並みやけど、病は気から言いますからなあ、と。

病院の正面玄関に着いたら2時10分前。荷物をカートに入れて押して行こうかと思ったが返しに戻るのもだるいと思ってそのままゆっくりエレベータで2階へ。途中カートなんか看護婦さんに返してもらえばいいんだよな、入院するんだから…と思い直したがもう遅し。
ヒイヒイ言いながら呼吸器内科の受付にたどり着いて「入院と言われて支度してきたんですが」と告げると、事務の人にとても怪訝そうな顔で「え…?ここに?」と言われる。「ここに来るように言われたんですが」と言うとどこかへ電話して、納得した様子ですぐに処置室へ案内してくれた。早足で先導してくれるのはいいが、こちらはふらふらでゆっくり歩くのが精一杯、しかも荷物は持ってくれなかった。

処置室にたどり着くと事務の人はさっさと戻ってしまい、看護婦にすぐベッドに座っているように言われ、やれやれと腰を落とす。すると最初に俺に検査をしてくるように告げた外来担当の看護婦さんが近くにいて何やらPC画面を見ていたが、振り返って俺の顔を見ると「やっぱり入院になっちゃいましたねえ」と気の毒そうな顔をしていた。
脈と酸素濃度を測るクリップを指に挟まれておとなしくしていると、すぐ車椅子が用意されて、酸素ボンベから鼻にチューブで酸素吸入。いきなり重病人になった気分。
酸素の濃度は91から93と低い。帯状疱疹など入院時はバイタルでよく測定されていたが、98から99が普通だったはず。さらに驚いたのは脈拍で、150を軽く超えていた。俺は元々心拍数は高めなのだが、それでも99〜105といったところ。やはり心臓に負担もかかっていたのだろう。

呼吸器科の入院病棟は「南西病棟」と言って、文字通り病院の広い敷地の南西に位置し、中央棟とは少し離れたところにある。ここからはシャトルバスで行きますからね、と説明された。電話で2時15分に玄関に一人向かいますから、と話していた。そういえば外来に来ていた時によく、中央玄関の脇にマイクロバスが停まり、後部からリフトで車椅子の患者を降ろすのを何度も目撃したものだが、まさかあれに自分が乗ることになるとは思わなかった。あれはどこかの外部施設から検査か何かで連れて来られた患者なのだろうと勝手に想像していたが、同じ病院だが離れた病棟の患者だったというわけだ。

2時過ぎ、すぐ看護助手のおばちゃんに押してもらい、正面玄関へ向かう。つい今しがた自分で全ての荷物を持って通ってきた道を、車椅子を押してもらい酸素付きで逆に戻るわけだ。とりあえず車椅子を押して連れてきてくれた助手さんは、後から来るはずの荷物を「遅いですね、ちょっと見てきます」と言って戻っていった。
車椅子に座ったまま俺は病院の入り口脇で空を見上げる。梅雨入りしたというのにさわやかな風で青空まで見える気持ちの良い陽気。でもこれから入院。
まもなく別の看護婦さんが荷物を持ってきてくれ、様子を見に戻った助手さんとは会わなかったという。すぐシャトルバスが到着、載せてきた車椅子の患者2人と付き添いの看護婦などを降ろした後、まず車椅子のおばあさんを一人乗せておばあさんは席に移り、車椅子を畳んで壁に固定し、次は俺が車椅子に座ったまま積み込まれ、がっちり固定され出発。途中南病棟の方へ寄り、そこで車椅子の患者をもう一人積み込み、看護婦さん二人を乗せて南西病棟へ。
病棟1階はこれまで入った病棟に比べると狭く、エレベータの脇の売店もかなりコンパクト。向こう(中央)の売店&コンビニに比べるともの凄く小さくて驚いた。

呼吸器の病棟は5階。看護婦詰め所の隣が処置室で、俺が来たと告げるとすぐに若い医師と研修医2人が出迎えてくれ、さっそく「処置」にかかるという。若い医師が説明してくれるが「処置」というのは、まず潰れている肺と、肺を包む膜の間に外からドレーンを入れて、溜まっている空気を抜いてやらなければならないということ。空気がうまく抜けて、さらにその結果肺がちゃんと膨らむようなら、第一段階はクリア。まずはそれをやらなければ始まらないらしい。
とりあえず服を脱いで、パンツ一丁になり、パジャマは病院のをお願いしたいと言うとすぐに用意してくれたので着替える。簡易ベッドがあってそこに腰掛けると、一応「手術」になるので、同意書を書くように言われてサイン。あれよあれよという間に、すっかりそこは手術台になってしまった。

説明によると今回はレントゲンの所見と触診した結果、右肋間の方が良さそうなので、肋骨の間をメスで切開し、そこにルートを確保し、胸腔内にドレーンを挿入。空気を抜くわけだが、穴が開いて時間が経っていた場合はうまく膨らまない場合もある、また希にだが大出血を起こす場合もある、また…と起こりうる「最悪の可能性」も含めて説明を受けた。まあフランクで面白い人だったので、こちらも「痛くしないで下さいね」などと冗談を言いつつ「すぐにかかりましょう」という段取りに。

俺は左を下にして横臥する形になり、「このまま20分くらい大丈夫ですか」というので大丈夫だと応える。
まず入念に消毒をされたあと、先ほど説明をしてくれた医師が研修医に、触診したあとどこを切ってどういう風に入れるのか…など細かく説明しているのをじっと聞いている。「あれ、研修医クンの方がやるの?」と不安になったが当然黙っていた。手術用の患部が開くようになっているシートを右半身にかけられ、研修医が注射で丁寧に麻酔を打ってくれた。
しばらくして「これ、痛いですか?」と聞かれたので、ピンセットみたいなのでつままれる感触があって痛かったのでそう言うと、麻酔をさらに追加。
それが効く頃合いで、いよいよ執刀。切るのは1cmくらいらしい。麻酔が効いているので切られる痛みはないが、まあ気持ちの良いものではない。5年前、日大病院で左肩のリンパ節を生検のために切除する時に局所麻酔で手術を受けたが、そのときのことを思い出した。
背中をつう、と自分の血が伝うのが解る。
「じゃあコッヘルで」「ひろげるようにして…」「もうちょっと押し込んで」「あたる?」「その感触覚えといてな」とか色々指導されているようだ。俺は実験台なのか。でも何事もこういう経験を経て皆熟練した医師になるわけで、立派な先生になってくれよ。

それにしても、最後に胸膜なのか、異物が突き破って入ってくる「あの感じ」は筆舌に尽くしがたい。これまでは骨髄穿刺=マルクの痛みが最悪だと思っていたが、今回の方が痛みも強く、ブツリ!〜グイグイグイと押し込まれる時間も長いので思わず「イデデデデ!」「痛い痛い痛い!」と声が出て、最後は「いっってええええ!」と処置室中に響く大声を出してしまう。

まあとにかく無事にドレーンが挿入され、ルートに器具が固定されて、胸腔内の空気を排出。「うまく抜けたようですよ」と言われて一安心。その後はルートにチューブが取り付けられ、血と体液が混じったような液体が排出されて溜まる、プラスチックか樹脂製の箱(チェスト)と一緒に歩くようになった。その箱を両足で挟むようにして車椅子に乗せられ、病室へ移動。その間、看護婦さんにトイレの場所やら風呂の場所を教えて貰うが、しょせんドレインが入ってる間は風呂は無理だ。

病棟の個室は埋まっており、病室も一杯とかで、通常は検査などに使う部屋をカーテンで仕切り、個室が2つあるかのようにしてある部屋に入れられた。南西病棟の南向きの部屋で、目の前にはどこかのお寺なのか、瓦葺きの大屋根が見える。
麻酔が効いているので、今のところは切開し管を入れたところの鈍痛はたいしたことはなく、鼻に常に酸素チューブがあるのと、肺から伸びた管&箱をゴロゴロしながら歩かねばならないのがわずらわしいというところ。

前回、半年ちょっと前の帯状疱疹悪化、いや悪化などというレベルではなく「劇症化」しての入院は、とにかく痛み、絶え間ない激痛との戦いだった。ウィルスが神経を直接食い荒らすように破壊していったわけで、痛みはこれ以上のものはないだろうと思う。
その前の胆石の発作による痛みも尋常ではなかったが痛みという度合いでいけば、帯状疱疹で右の背中から腹部にかけて、かなりの部分の神経がやられた時に比べればまだマシだった。
とにかく何をするにも考えようにも「激痛」が全てをブチ壊し全面に出てくるので、何も出来ないし考えられなくなる。指先一本動かすのさえ激痛と闘わねば出来なかったし、時にモルヒネでさえ何の役にも立たなかったほどの痛みの連続は、本当に「生きる」という本能も含めたあらゆるものを捨て鉢にさせるのに十分だった。

それに比べれば、今回の「苦痛度」はたいしたことはない。

他人さまに猫の世話などの迷惑をかけて入院することの申し訳なさという「精神的苦痛」を除くと、切開・挿管部の痛みはロキソニン1錠で安静にしていれば痛まないレベルであり、もはや俺にとってそんなものは苦痛ではない。酸素やらドレーン箱やらをガラガラくっつけて歩くのも、苦痛というよりは面倒というレベル。本物というか最悪の「苦痛」を経験しているので、しんどいし面倒だし嫌だなあと思いはするが病気なんだから仕方がないと思える余裕がある。それほど、あの帯状疱疹の劇症化は「生き地獄」だった。

この日はその後一度レントゲンを撮りに降りたので、売店に寄ってもらってテレビカードと水、お茶のペットボトルなどを買って戻る。あとで医師が説明に来てくれ、レントゲンによると、ドレーンの結果うまく溜まっていた空気は抜けたし、肺もその分広がってくれたようだとのこと。これでしばらく様子を見ましょうということになり、こちらは出された夕飯をもりもりと食べる。

…気胸の治療が(今のところ)成功したのはよしとしよう。しかし、ここ一ヶ月ほどケンケンと小さく乾いた咳が出ていて、やがてそれが痰を伴うようになり、血痰が出て、肺に穴が開いた。肺に穴が開いた、という結果への対処はこれでいいとして、では元々の咳と痰が出ていた症状は「じゃあ何で?」という疑問が残る。
採血の結果ではまだ肺真菌症の原因菌の検査結果は出ておらず、そこら辺もやもやしたものは残るが、心臓の異常な鼓動はおさまり、咳の回数、痰も劇的に減って楽になった。このまま何もないといいのだが。

この日は夜11時から、楽しみにしていたサッカーW杯、日本の初戦・カメルーン戦の日だ。よりにもよって何で…という感じ。病棟の消灯時間は一応10時だが、ここは相部屋ながら今はもう片方に誰もいない、つまり個室状態なので、消灯後にテレビを見ていても看護婦さんからうるさく言われないことは知っている。
なので消灯後にレンドルミンを飲んでから、カメルーン戦を見る。
日本は予想以上によく動いていて、フィジカルで勝る相手の攻撃も組織的にうまく封じている印象だった。これで決定力さえありゃあな、と思っていたら、松井のクロスに大久保がおとりになった形で相手DFが引きつけられ、結果開いたスペースに回り込んでいた本田の足下へドンピシャ&ズドン。日本ははじめて、W杯で日本以外の国で得点を挙げた。
前半は1−0で終了し、いやあすごいと思っていたらハーフタイムのうちに寝てしまった。やはり日中片肺でへとへとになった疲れもあったのだろう。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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