2010-08-27(Fri)

あなたもわたしも知らない世界

8月28日(土)

昨日「明青」さんでうまいとんかつとビールをご馳走になって、いい気分で家に帰ってきたら、郵便物を開封して嫌な知らせにへこむ。詳しくは書けないが仕事関連。
いい事があると必ず相殺するような悪いことがある、人生って本当にうまく出来てるもんだ。昨日はそれの対応やら処理などで終わった。

今日は目が醒めると8時前。外は今日も暑そうだ。
ユキがいつも俺のベッドの足元で寝ているので、こっちが起きるとだいたい一緒について降りてくる。
こちらは自分の洗顔やら歯磨きやらの後ですぐ猫のご飯=乾燥エサ(カリカリ)をあげ、水の容器を洗って新しい水に替えてやり、このところすぐぬるま湯みたいになるので氷を3つ4つ入れてやる。冷たいのがいいのか氷が動くのが面白いのか、よく飲むような気がする。
だいたい二匹とも一緒に降りてくるので、普段はその後生エサの皿を2つ洗ってから新しいのを分けておかかをちょっとだけふりかけて出すのだが、この朝はシマが降りてこない。生エサはパウチの小分けされたものを開けるので、2匹揃ってくれないと乾いてしまうので、ユキにはちょっと我慢して貰う。
それから仏様のお水、連れ合いのお茶を入れ換えて、線香を立てて手を合わせる。
ご先祖様に祈ることは、今日も無事に生きていることに感謝と、これからもお見守り下さいということ。三津子にかける言葉は感謝と謝罪と愛。毎朝ずーっと同じで変わっていない。仏教でもキリスト教でもなく特定の宗教は持たないが、とにかく、朝普通に目が醒めて、今日も生きていることに毎日感謝する。

それからようやく自分の朝メシなわけだが、ホットドッグを暖めて食べようか…というところでシマが階段をてんてんてんと降りてきた。どっこいしょと腰を上げて生エサを用意。ユキは乾燥エサを食べていったん落ち着いていたので、ソファからよっこらしょと持ち上げて生エサの皿の前に降ろす。二匹は舌鼓を打ちながら並んで食べている。そしてようやくこっちのメシ。

今日も一日、仕事。仕事仕事というが「作業」に近いか。単調で面白くも何ともない「作業」なので、どうも一定間隔で逃避したくなる。休憩ではなく逃避なので、ネットでニュースを見たりつぶやいたりして、また作業に戻る。

夜までそんな感じで、途中夕飯は焼きそばを作ってビールを飲んだ。食休みでテレビを眺めるが、どうも正中のあたりが疼くように痛い。こうした症状はもちろん数年前からあったわけだが、こういう時は心臓の動悸も激しい気がする。しかし心拍数は俺の場合、元もと病気になってからは100回/分くらいとかなり速いのが普通なので「動悸がする」といえばいつもそういう状態だとも言える。
痛むというよりは疼く場所は、ちょうど前縦隔の腫瘍があったあたりになる。だがあれを取ったのはもう一ヶ月半以上も前。手術の痕が疼いているということは術後の経過からも考えにくい。ただ腫瘍を摘出したあと、つまり肺炎治療中と治療後のレントゲンで、腫瘍に隠れていた場所に気になる影が一つ見つかっている。といってももちろん癌などの類ではないだろうが(PET-CTまでやったんだから)、呼吸器内科のI先生は「水が溜まってるようにも見えますが、(前に撮った画像と)変化がないので、ちょっと様子を見ましょう」ということだった。
まあ異常は異常らしかったし俺もレントゲン画像で視認したわけだが、その場所は5年前に白血病が疑われた際の健康診断から先日の摘出まで、ずっと腫瘍に隠れていた場所なので、ひょっとしたら当初そうだと思われていたリンパ節の腫れかも知れない。そうなら白血病が原発だろうから、問題ないといいが。

とりあえず寝る前に動悸がするので「救心」を飲むが、よく考えたら俺の場合「救心」を「飲んでいい人」なのかどうか解らない。俺の異常な心拍の速さは何のためか明快な説明はこれまで無かったし、医師ではない俺には解らない。火曜の呼吸器内科の外来受診日に聞いてみようか。

それにしても相変わらず、今日・明日死ぬという感じは自分でも何となくなさそうではあるが、半年後・一年後に生きていると自信を持って言えない状況が続いている。

一年前の自分は何となくまだ一年後もこんな感じだろう、という感覚があったものの、一年経った今は、その僅かな自信が持てない。
この一年の間に入院を2回した。帯状疱疹の異常なまでの悪化で一ヶ月、肺炎原発の気胸と腫瘍摘出などで二ヶ月。いずれも普通の人なら何でもないウイルスや菌によるもので、つまりは免疫力のこれまでにない低下によるものだ。この勢いであればこの先何があってもおかしくはない。実際「学会報告レベル」という極めて珍しい非エイズ発症者なのにカリニ肺炎を発症した、その中でもさらに特異例である穴あきタイプというおまけ付きで。
こうした日和見感染は現実には感染予防の入院でもしてなければ防ぎようがない。一応「普通の暮らし」に戻った以上、注意するといっても所詮は気休めレベルであることは承知している。

正直を言えば、次はいったい何が襲ってくるのか考えると憂鬱ではある。
健康であれば屁でもないようなウイルスや菌も怖いが、白血病が動き出すことが一番怖い。

死ぬことを怖くないとうそぶくことが強い、立派かというと、俺はそうは思わない。いや立派だと思えばそう思えばいいし、そう思う人を間違っているとか非難するつもりも毛頭ない。
ただ自分は最後まで死ぬのは怖いと思うだろう。経験したことがないから、その先が解らないから、単純に怖い。早く経験したい、ワクワクすると言った老人が居たが、それほど長くはまだ生きてもいない。

「死」というものがこうして常に自分に寄り添うようにつきまとう生活をずっと続けているのと、健康体で「自分が死ぬ」などということにリアリティを全く感じられない生活の中で「死ぬのなんか怖がってて生きててられっか」と笑い飛ばすのと、どうも同じ「死」を見ているような気がしないが、「死」は「死」。また人生を長く生きた挙げ句の老人が「いつお迎えが来てもいい」と言うのも同じ「死」を話しているわけだ。
科学的にキチンと検証・立証されたかたちで「死んでみたけど、こうだった」と言える人は当然ながら存在しない。みんな「知らない」という意味では同じだし、「死」は「死」であるから、自分のようないつ死んでもおかしくない病人にとっても、健康体でピンピンしてる人にとっても老人にとってもそれは同じなのだろう、しかし…。
考えても詮ないことなので、『救心』や導眠剤を飲んで寝ることにしよう。
関連記事
スポンサーサイト
2010-08-26(Thu)

昼ビール&とんかつ=極楽

8月26日(木)

朝は7時起き。このところ朝は薄曇りなので油断していると、いつの間にか凶悪な陽射しで軽く35℃越え…という日が連日続いている。だが今朝は容赦なく朝から陽射しがガツンガツンと照りつけている。

朝のことを済ませて一息つくが、猫たちが降りて来ない。とりあえずホットドッグを食べて薬を飲みメールチェックなどをして、9時半になってようやく二匹仲良く降りて来たので、ソフトえさにおかかを振りかけて出してやる。「どうぞ、召し上がりください」みたいな。何だこの召使い感。

さて今日は「明青」のおかあさんに先日来頼まれていた、お店のノートPCへ新しいプリンタを接続する件で、午前中にお店に伺う予定。
お店がお昼で忙しくなる前に作業を終えたいので、11時半には伺おうと思い11時過ぎに近くの交差点まで歩く。マスクの中が汗ばむ暑さ。
とりあえず交差点近くにある家電量販店へ行き、いい加減古いし重くて機種変更したいと思っていた携帯を見るつもりだったが、携帯のコーナーそのものがなかった。仕方なくバス停へ行くとちょうど数分でバスが来るというサインだったので、そこから「明青」のおかあさんの携帯に電話して、あと5分少々で着くと連絡。
暑いことは暑いが、直前までクーラーの効いた店内に居たのと、バス停の日陰に立っていたのでそれほどしんどくはない。お店まではここからバス停でたった2つとちょっと、という距離なので以前なら歩いて行くところだが、この暑さの上に病み上がりなので大事を取り、バスで行くのだ。

バスを降りて少し歩き、お店の階段を登るとまだ開店前でお二人とも忙しそうに立ち働いておられるところ。挨拶もそこそこに、プリンタを見せて貰う。レジ奥のパソコン台の下にはすでにプリンタが置かれており、あとは電源とUSBケーブルを接続するだけで、ドライバ類のCDとマニュアルもある。なのですぐ終わるだろうと思い、さっそく接続にかかる。
ノートPCへの接続、USBハブは前のプリンタが刺さっていたところに取り付けるだけで、電源コードもすぐに入れて、インクカートリッジを取り付けて充填したら、あとはドライバのインストールだけだ。
旦那さんが「とんかつを揚げますから、終わりそうになったら言って下さいね」と言って下さったので、「30分もかからないと思いますよ」と答える。ところが古いノートPCはCDドライブからの読み取りとHDDへの書き込み動作が鈍く、そこからはほとんどが待ち時間のようなものだった。
それでもテストプリントまで終わる頃にはお店もどんどんお客が入り、俺がとりあえず一段落してカウンタの隅っこに落ち着く頃には満員になった。さらに待ちのお客さんも出る状況で、そりゃあこれだけうまくて安けりゃこうなるよなあ、と思っていると、おかあさんが「はいご苦労様でした」と差し出してくれた生ビールに仰天。
いや、お昼ですけど…でも飲みますけど…。うまいんすけど…。
というわけで、旦那さんがタイミング良く揚げてくれた極上のとんかつをつまみに生ビールをいただくことになった。
「塩もうまいですからね」と、ソースと2種類小皿を出していただいたが、おすすめ通り一口塩で食べたら、もううまいの何の。ジューシーで柔らかいロース肉と、絶妙な衣のサクサク感。肉自体のうまみが塩で一層引き立つ。旦那さんのソースももちろんおいしいのだが、結局一口以外、全て塩でいただいた。旦那さんご自身「とんかつが大好物」なので、とにかく間違いがない。「明青」さんは日替わりのお昼が千円でお釣りが来る安さ・うまさ・ボリュームなのだが、1500円(後日注:なんと1400円!食え!いいから!)のとんかつ定食とお造り定食を強くお勧めしたい。

こちらがビールにとんかつを楽しんでいる間も、お客さんは引きも切らない。おかあさんは「ゆっくり食べててね」と言って忙しそうなので、こちらもまったりと昼ビールの幸福をとんかつと共に噛みしめる。

お昼の混雑時にカウンタでタバコを吸い出したおっさんに、露骨に隣のご婦人が嫌な顔と咳払いをするのに「うん、吸うなとは言わないけどさすがにお昼の混んだカウンタでは空気読んで欲しいな」と心中同意しつつ、ビールは3杯、ポテトサラダやまぐろと鯛のお造りまで出していただいた。いやー極楽でした。
お店が一段落した1時少し前、おかあさんにコピーの取り方などをちょっとだけ説明して、そこから新たなお客が一組来たのをきっかけにお暇する。
これは色々入院中から普段からの恩返しなので、飲み食いの分はお支払いしますと言いはったのだが、おかあさんに「いいのいいの! 男はそういう細かいことをグチグチ言わない!」とピシャリと言われてしまい、ご馳走になってしまった。
うう、そんなつもりじゃなかったのに。その上食べきれなかったご飯と、ポテトサラダの追加までおみやにして貰って、ほんますんません。ていうか何ご馳走になっちゃってんだ俺。申し訳ない限り。
お二人に御礼を言いつつお店を出ると、やはり凄い陽射し。

とりあえず道路を渡って生協で晩のもの、翌日のものを少し買い物をして、時間を合わせてバスに乗って帰宅した。この路線のバスは本数は少ないが、本当にうちのマンションの真ん前に止まってくれるので、荷物がある時は本当に楽だ。今日も買い物があったが、バスを降りて10秒前後でマンションのエントランスという距離で助かる。
部屋に戻ると2時。外は猛暑だったものの、明青さん〜買い物〜バス〜自宅までロスが無かったので暑さの影響もそれほど無く、疲れもせず。それより昼ビールやら色々ご馳走になってしまって、かえって申し訳なかった感じであった。
関連記事
2010-08-25(Wed)

死に方、生き方

8月25日(水)

ここ数日、京都は同じような天気だ。朝は薄曇りでいつの間にか青空が覗き、相変わらず太陽は強い光を浴びせかける。
午前中、まだ気温が上がりきらないうちに…と思ってゴミ出しついでにコンビニへパンを買いに出るが、9時ころにもなればもうじゅうぶん外は「あったまって」おり、今のうちもヘチマもないのであった。じゅうぶん、暑い。その中を感染防止のためにマスクをして行くのだから、たった道路一本隔てたところへの往復とはいえ暑いものは暑い。何よりこの時期にマスクは明らかに変質者ぽいので出来ればやめたいが、用心に越したことはない。自分はもう普通の体ではないのだ、解ってはいたはずなのに、解っていなかった。
Nanacoにお金をチャージして、いつも買う朝用のホットドッグを買おうとカゴを手に持つ。マスクの中、鼻の下にもう汗をかいている。レジの見かけないバイトがチラチラこちらを伺う気がする。見せの中にいたおっさんが明らかに不審者を見る目で俺をチラ見した。
はいはい、といったんマスクを下げてハンカチでグイと汗を拭い、同時に怪しいもんじゃありませんアピールをしつつ元に戻すが、その一瞬でけっこうな「におい」がグワッと鼻に入ってきた。
コンビニの入口外でタバコを吸っていた男のキツいニコチン臭、連れの女性の香水。別な男の汗の臭い。薄いマスク一枚でもこれほど違うかと言うほどで、いつもながら妙に感心してしまう。これでもウィルスは防げないんだよなあ。
買い物を済ませてすぐマンションに戻るが、部屋に戻ったら少し汗ばんでいたので朝食前にシャワーをしてしまい、その後は仕事をして昼は弁当を食べてまた仕事。

それにしても、今日の朝イチで知った今敏さんの訃報には驚いた。
もちろん闘病中であることも全く存じ上げなかったし、近年はアニメの監督として活躍されていたから、アニメ・漫画業界の過労死またも、とか勘違いしそうになった。
今監督の作品は「東京ゴッドファーザーズ」「千年女優」「パプリカ」しか見ていないし、漫画家時代のこともあまり知らないから、熱心なファンと呼ぶにはおこがましい。でも47歳というほぼ同世代ということ、北海道出身ということ、何より同じ広い意味での漫画・アニメ業界の著名な人ということで、才能ある人の早すぎる死はショックではある。
後でいろいろ、詳細が一次情報を含めて明らかになっていく。
膵臓癌だったこと、解った時はもう骨転移していたこと、末期は治療をやめ自宅へ戻ったこと、諸々の「準備」をし、旅だったことなど。それらを綴った「遺書」のような日記。

自分も5年前に、連れ合いと一緒に「白血病告知」と「余命宣告」を受けた。背中に嫌な汗が流れて、連れの手前平静を装いつつも、その後階段を降りる足が震えた。
一年ないと言われた余命告知は幸い血液腫瘍のタイプが違うことで撤回され、死ぬのが延びたかわりに効果のある薬剤もなく、そのまま無治療で経過を注意深く見ていこうということになった。5年生存率は50%、そこからだいたい一年ごとに数%ずつ脱落=死ぬということらしかった。10年生きられる人は10〜15%。
その時とりあえずは5年生きることを目指そうとぼんやり考えた。その時は死ぬというより生きることを考えよう、と思っていた。
死に方より生き方だ、と。

その半分に何とか残って、今こうしている。その間に最愛の連れ合いを失った。何度かの入院もした。
当たり前だが遺書も書いたし、死んだ後のことを考えて保険や仕事の段取りその他をまとめて、いつも目につくところにファイルを置いている(拙宅に来たことのある人なら、気付いた人もいるだろう)。遺す財産など皆無であるが、保険金が下りるのでそれら証券やら、仕事関連の残務のこと、やまだ紫の著作権管理・原稿などのことなどを書き記してある。正式な遺言ではないが、少なくとも後始末をさせてしまうことになる人が「途方に暮れないように」はしてある。
一人になってしまった、しかっもいつ死ぬか解らん病人ゆえに、遠隔地にいる身内のための「今日もちゃんと生きている」生存確認は、当初ブログの更新にしようと思っていたが、今はツイッターに切り替えている。
つぶやきが一日ないと、携帯にメールが来る。それに返答が無ければ携帯か自宅に電話が来る。それらに返答が無ければ京都にいる「明青」さんのおかあさんが様子を見に来てくれることになっている。ファイルには俺が死んだ後の指示と、最低の「事後処理」をするだけのお金も、入れてある。
要するに一人で部屋で長く死体になっていないようにするため、出来るだけ人さまへの迷惑は最小限にとどめるための準備はしておくに越したことはない。

今監督はその最後のいろいろを、どうやら終えてから逝かれたということが、残された文章から伝わってくる。あまり時間がなく死ぬことが避けられないと解ったあと、ではどう死ぬか、死んだあとに残った人に迷惑をかけぬようにするにはどうしたら良いか、これらを整えて逝けるなら、それが一番いいに決まっている。
不慮の事故、突然の死で全く準備が出来ぬまま、逝く人も多い。ならば健康な人であっても不測の事態に備えて最低限の準備はしておけばよかろう。もし出来るなら、各種検査を定期的に受けておくことが望ましいとも思う。
「死んだらおしまい」「人はいつだって孤独」と格好付けるのもいいが、人が一人死ぬと、結局必ず誰かの手を煩わせる。身内か他人か行政か知らぬがそれだけは確かで、無縁なら無縁で、そう解るまで色々とあちこち調べさせることになったりもする。身元が解れば身内に連絡が取られるだろうし、結局は誰かの力を借りて「死んだあとのこと」の処理が行われる。

夕方「明青」のおかあさんから電話。
先日壊れたプリンタを買い換えたので、お店のパソコンに接続してドライバのインストールなどを、明日お店に伺って行うことにする。何の、そんなことぐらいおやすい御用です。

夜になって、アニメーターの山内昇寿郎さん(http://bit.ly/cfX39D)が亡くなられたという情報を知った。お名前を拝見してもピンと来なかったが、経歴を拝見して凄い作品に関わって来られた方だと改めて思った。劇場版「うる星やつら」見に行ったなあ、と懐かしく思い出す。合掌。
一人の作家が一つの作品を創る場合、作品と名前が直結することが多いけれども、アニメなどたくさんの人が関わって制作されるものは、当然役割が分担されているから、原作者や監督、ファンなら声優などは憶えていても、なかなか原画、作画などの方面はオタクでもない限りうろ憶えだ。どちらかというと一般には裏方、職人的なイメージであろう。でも関わってこられた作品の数々を見るにつけ、ああ、凄い人だったんだな、と思う。アニメファンにとっては裏方呼ばわりはないと怒られるかも知れないが、自分も知っているたくさんの作品に関わって来られたということを亡くなられてから知る人も多いだろう。
関連記事
2010-08-21(Sat)

「明青」さんに御礼に伺う

8月21日(土)

夕べは寝る前に残りの「おたんこナース」(佐々木倫子著)を最後まで読んでしまった。
自分の場合はこの人のきっちりした絵と「描き文字」が好きなのだが(自分が一時レタリング仕事をしていたこともあり)連れと一緒に「どうぶつのお医者さん」からハマったクチであった。
これが描かれたのはもう15年ほど前になるので、色々と先端医療の現場に変化はあるのが当然なので、情報としては古くなったことはある。例えば看護婦は看護帽を被らない方が増えたとか、スカート形の制服が減ってズボンが増えたとか外見上にも色々とあろう。でも基本的にナースが病院という特殊な場所で、病を抱える患者=つまり特殊な人たちとどう向き合っていくか、というヒューマンなドラマがコミカルに描かれて行くものなので、重箱の隅をつつくような上げ足取りをするような読み方は無粋の極みか単なる性格の歪みだろう。
病院の内部が舞台なので、ここ数年自分が通算で100日を越える入院体験を実際にして、また、病気や医療というものに対してもかなりな情報(といっても素人の耳年増だが)を得た「今」読み返すと、患者目線、また看護婦側の立場もよぉぉく解るので、「読む側の姿勢として深みが出た」ことが解る。入院や病気の体験をしていなくてももちろん面白い漫画だが、読者としてそこら辺を体験していると、その面白さが色んな意味で数段上がる。ゆえに最後まで読み切ってしまった。
そういえば小説や学術書から漫画は「ガロ」系の貴重な本や雑誌も含め、かなりの数の本を処分したというのに、どうしてこれがポロリと出て来たんだろう。「今読むとおもしろいよ」ってことだろうか。
寝たのは1時過ぎ。

今朝は9時ころゆっくり起きた。外は薄曇り、猫にご飯やら朝のもろもろを済ませて少し片付けごとをしてなんだかんだで落ち着くと、すぐ10時を過ぎてしまう。ああ、今日はそれほどまだ気温も上がっていないようだから、「明青」さんに御礼に伺おう、と思って11時過ぎにおかあさんの携帯に電話。
聞くともちろん今日もお昼はやっているというので、11時半ころ着替えて、御礼のワインの箱を持って出た。やはり外は暑いものの、まだ刺すようなじりじり来る猛暑という気配ではない。タクシーをすぐにつかまえて、近距離ながらお店の前までつけてもらった。

お店の階段を上がるのも久しぶりだ。まだお客はおらず、カウンタ内で準備をしている旦那さんに挨拶をして、出て来たおかあさんに御礼を言ってワインの箱を差し出す。
これはドイツワインで、俺たち夫婦が好きでよく飲んでいた白ワインだ。シュバルツ・カッツェという酸味がちょっとあって、冷やして飲むと日本食にも合うし、値段も手頃というもの。カッツェにもいろいろあるが、これはギフト用の猫ボトルの詰め合わせ。

俺とほぼ同時に常連さんらしい客が一人入って来てさっそくカウンタ越しに旦那さんと話し出したので、こちらは邪魔せぬように一番端の席に座って、定食を待つ。ここは昼の定食も実にうまいし、安い。
絶妙な塩梅で炊かれたほかほかの白ご飯、味噌汁に煮物やお造りなどの小鉢のおかずが何種類もついて、さらに、日替わりで別に食べでのあるおかずのお皿が来る。それで1000円でおつりが来るのだ。東京のいい場所でこの味・量なら1500円くらい取っても行列が出来るだろう。
量もけっこうあるように見えるのだが、ペロリと全てを完食してしまった。家で同じ量のものを食えるかというとどうかと思うが、美味しいものだとするすると入ってしまうから不思議だ。

その間にもお客は出入りしたが、最後の方ではおかあさんが洗い物をしながら相手をしてくれ、入院中の猫たちの世話の話やら、俺の病気のことなどを少し話した。おかあさんは「体のことがあるから無理したらあかんよ、何かあったらすぐ言って」と言っていただくのだが、俺としてはこれ以上ご迷惑をおかけするのも余りに心苦しく、かといって病気は自分ではどうしようもないことで、猫たちの世話に関してはペットシッターを探したりはしたが、依然、人として頼れるのはこのご夫婦しかいない。
別なお客さんが数人がやがやと来たこともあるので、とにかく御礼を言い、今度は夜にまたお客を連れて来ますから、と話してお暇した。

北大路に出ると陽射しがけっこう照りつけてきており、暑い。左右の信号がちょうど赤赤になっていたのでそのまま道路を渡り、買い物でもしていこうかと生協へ向かう。その前にバスの時間を見ておこうとバス停へ寄るとあと5分ほどで「北8」が来る。
考えてみれば特に買うものもないか、と思いそのままバスを待って乗り、マンション前で降りる。このバスに乗るのもずいぶん久しぶりだ。本当はこういうバスも、易感染の自分としてはどういう人が乗ってるか解らないので極力避けたいのだが、一応この時間は乗客も少ないのと、マスク防備もあるし、待ち時間もなかったので乗ってしまった。

もちろん帰宅後はすぐ手洗い、うがいなど徹底。
その後郵便局が荷物を届けに来て、受け取ると東京時代の知り合いYさんから。何だろうと開けて見たらシルクエビス(笑)。いやどうもすんません、ありがとうございます。
余談ながら、この日からストラップで下げるIDカードフォルダに、自分が白血病患者であることや免疫力が低下していること、さらに京大病院の受診番号その他の情報を書き込んだカードを入れて、携帯するようにした。冗談抜きで、いつ道でぶっ倒れるかも知れないし、そうなった時に見た目は普通の人に見える自分が採血をしなければ解らない疾患を持っているとすぐに解って貰えることは少ないだろう。
個人情報を携帯するのはどうかという意見もあろうが、個人たった一人しかいない場合、そんなもの隠してたら本当にただの行き倒れになってしまいかねないのだ。
関連記事
2010-08-19(Thu)

友あり、遠方より梅酒&来宅

8月19日(木)

9時起床。うす曇りながら、暑くなりそうな気配。
朝は前の日コンビニで買ったサンドイッチ、小岩井ミルクコーヒー。どうにも猫の毛&ほこりっぽいのでマスクをして昼頃から掃除機がけ、クイックルワイパー&ワックス。汗だくになり、くたくた。
それからテーブル回りをちょっとだけ片付けて、転がってテレビでミヤネ屋を眺めていると、宅急便が東京の友人Bunさん(ハンドル名)自家製の梅酒を届けてくれた。早速冷蔵庫で冷やす。
連れ合いがBunさんの梅酒のファンで、クラッシュアイスのロックでちびりと舐めるように飲んで「おいしい」と言っていたのを思い出す。去年もいただいて、何だか催促したようで申し訳ない(というか思い切り催促したが)。

その後、来宅予定だった旧友の「さっくりジョン」ことFさんから、3時過ぎに「今東福寺出たあたり」と電話。3時45分を過ぎてマンションに到着。車は近所の駐車場に入れたそうだ。
おみやげに南高梅のはちみつ漬けと自家製の梅干し、Fさんの友人からというクッキーをいただいた。Fさんは去年も帰省の帰りに拙宅に寄っていただいたが(去年の8/19日記参照)、今年もBunさんからの梅酒到着&帰省途中来訪が同じ日という偶然。
Fさんにはアイスティを出し、色々と入院の話やここ最近の話、共通の知り合いの話などなど。アッという間に6時過ぎになってしまった。残念ながら今日はこれから東京へ帰らねばならず、今度はゆっくり泊まりで飲もうという話になる。こっちもあまり(生きていられる)時間がないというと、そういうことを言わずに、と言われるが、現実にこれから何年こうしてられるか解らない。Bunさんに蕎麦をおごるという約束も果たしていない。そのあたり、体のことも考えて少人数でまた来られる人らで来るよ、ということになり玄関で別れた。

その後は一人でビールで一杯。
昨日頼んだストラップとIDカード入れがもうAmazonからプライム扱いで届いた。これに白血病であることや免疫が落ちてること、通院先などの情報を書いたカードを作って入れ、常に携帯するようにするつもり。
こんな体になってしまって、今後いつどこで倒れるか、いつ入院するかも解らない。用意は周到にしておいて損はない。

その後、ソファの俺のすぐ横にいたシマが台所のマットの上に移動。最近よくそこに居るので、ちょっと心配になって撫でてやると普通に喜んで腹を見せてゴロゴロ言うので安心。単に冷房が嫌で避難しただけのようだ。
まだ12歳だが、これまでいくつかの命を見送ってきた経験で、人から離れたりいつものお気に入りの場所を避けるようになったら何かのサインである。
「おまえ大丈夫か、逝くのはまだ早いよ、逝くんなら一緒に逝こうや」と撫でていると、なぜか涙が出た。
こいつは団地を出て、連れ合いが仕事場として借りたマンションに生活の拠点を移した頃、近所を走り回っていた捨て猫だった。呼びかけると返事をするようになり、いつしか手の平からご飯を食べるようになり、猫嫌いの隣人の暴力から保護する形で家に入れた。野良時代にその模様から「シマ」と呼んでいたのがそのまま名前となって今に至る。もう、大切な家族だ。
俺も白血病がわかってもう5年、生き残る確率50%のうちにかろうじて残っている、だがこれから先は解らない。正直いつ死んでもおかしくない状態だと思う。半年先に家にいるか病院にいるか不明だし、ひょっとしたらこの世にいるかどうかも、はっきり言って解らない。自分ではまだまだ死ぬ気はないが、ここまで免疫力が落ちていれば常識で考えて、長く生きられるはずがないことは承知している。
後に遺す猫たちのことが心配だが、連れ合いであるやまだ紫の作品でまだ復刊していないものもある。電子出版に漏れている初期のもの、最晩年のものにも素晴らしいものがある。死ぬ前に何とかしたいものだが、歯がゆいことこの上ない。
関連記事
2010-08-17(Tue)

呼吸器内科外来診察日

8月17日(火)

8時起床。
ゆうべは送り火を見て、連れやご先祖様と一杯やり、12時過ぎに寝た。今年も自宅で見られて良かったと、しみぢみ思った。
夜は割合しっかり寝られ、足元にはユキ、ベッドの下のつづらにはシマが寝ているのもいつも通り。いつも通りの平穏、普通が幸せな生活である。こちらが起きると二匹とも付いて降りて来た。

今日は退院後最初の呼吸器内科の診察日。特に予約時間はなく空き時間に入れてもらっているので、とりあえず猫たちにご飯と水をあげてから、着替えて病院へ向かう。
薄曇りで、すでに30℃近くありそうな暑さ。すぐにタクシーが来たので病院へ。

まず2階で採血、それから1階へ降りて胸部レントゲンを済ませてしまう。この時点で10時あたりだったか、腹が減ったのでドトールでレタスドッグでも…と行ったら満員&行列といういつものパターン、レストランで醤油ラーメン。もうね、ここの醤油ラーメンはいわゆる(以下略)
今日はちょっと麺が変わったかな、という印象ながら、スープまで完食、汗が噴き出てきたので扇子で扇ぎつつアイスコーヒーを頼んでしばらく一服する。

そこからは2階の回廊へ上がり、呼吸器内科外来受付の近く、中央ホールの大画面テレビを正面から見下ろす位置の椅子に腰掛けて、甲子園中継、早実対関東一高の東京勢対決を見る。どうせ音声はくぐもって聞こえないので、携帯のプレーヤーで音楽をイヤホンで聴きつつ観戦。
しかし途中いいところで「この続きは教育テレビで放送します」になり、そこかしこから「ああ…」という溜息というか軽いどよめきが起こったが、病院は空気読まず。
こちらは呼び出し機がずっと「病院内でお待ちください」のままだったので、そのままその席でずっと待っていた。

12時半ころだったか、突然呼び出し機がブーと鳴り「診察室へお入りください」になったので、慌てて小走りで外待合を抜け中待合廊下に面した診察室をノックすると、隣の部屋の前に居たI先生が「こちらですよ」と言われる。
どうやらアナウンスで何度か呼び出されたらしいが、俺はイヤホンで音楽を聴いていたので解らなかったわけで、それで呼び出し機を鳴らしたということ。えらいすいません。
「その機械で呼び出すと違う部屋が表示されてしまいますんでね」と言われて恐縮至極。外来に登録されている部屋番号はI先生の下の先生がたの診察室らしく、こういうイレギュラーの人は直接呼ばれることもあるのだった。迂闊。

さて「その後どうですか」と言われるので、血痰はもう古い血もほぼ出なくなり、朝の起き抜けに黄色い痰が少量混じる程度で、日中の咳もほぼ無くなった。発熱もない、とお伝えする。
採血の結果は変わりなく、こちらはまあ経過としては良好なのだが、胸部レントゲンに関しては良くなっているわけではなく、かといってもちろん悪化しているわけでもなく、あまり変化がないということだった。
ただ肺炎治療前に映っていた「穴」だが、肺炎治療後、そして今日と穴の中に何かが溜まっているような様子になっていて、それがいい傾向か悪い傾向かはちょっと判断つきかねるということ。それと縦隔に近い中央の気管支付近の大きな膨らみみたいなものも、水が溜まったように見えるのが気になるが、とりあえず様子を見てみましょうということ。

また俺の場合、今回のニューモシスチス肺炎に関しての治療は終えているが、今後は予防的に毎日錠剤を飲んでいくより、月に一度くらいのペースで外来で薬を吸引をされた方がいいでしょう、とのこと。今日からさっそく始めて下さい、と言われる。
I先生は採血の結果のプリントと、「医学情報にご興味がおありのようなので」と言ってご自分の研究が報道された記事をプリントして下さる。黄砂がぜんそくに与える影響についての研究記事で、思わずその場で読んでしまった。京都市内ではさほど大きな影響はまだ出ていないようだが、富山など日本海沿岸の地方ではかなり影響が出ているというデータもあり、肺を病む者としては気になる。

とにかく状況は退院のあたりとさほど変化はないようで、次回の診察日は血液内科が7日なので一緒の日にしましょうか、とご配慮いただくが、こちらは間があまり開くのも心配だし、病人ゆえ「病院の診察日を生活の中で最優先にしてますから」ということで、再来週に入れていただいた。
あとは保険請求用の診断書を用意していただく間廊下で待ち、しばらくして「じゃあ診断書は事務へ廻しておきますから、処置室で吸引をして行って下さい」と言われる。

御礼を言って廊下を進み、どんつきを右折して少し行ったところに処置室があった。
看護婦さんが数人いて、これこれこうで肺炎の薬を吸引するように言われたというと、ちょっとお待ち下さい、とベッドの上に座るよう言われる。その間にPCや電話で確認をされて、どうやら薬剤やら段取りをされている感じ。途中、事務の人が来て診断書を届けてくれた。
それからさらに奥の部屋へ通されて、ベッドの上でいったん待つように言われる。
回りは老人、それもなぜかお婆さんが数人ベッドで点滴で何かを入れている様子。ここは呼吸器と神経内科、老人科などの合同処置室なので何の処置なのかはよく解らない。

しばらくして用意が出来たと言われて、隅にある電話ボックス的な小部屋に入るよう言われた。すでに電話機ならぬ小型の吸引器がセットされていて、「そろそろ薬上がって来る頃ですので、これで吸って下さいね」と機械から伸びたパイプを渡され、先端を咥えるように言われる。先端は掃除機の狭いところ吸引用アダプタのような形で「口から吸って鼻から出す感じですかね」と言うと「そのまま出して貰っても、下から出るようになってますから」と言われる。よく見ると吸い口の下の先には穴が開いており、吐く息はそこから出るようになっている。
吸引器の小さいドームがぽこぽこ言っていて、蒸気がほわあっと先端から沸いてきたので、「じゃあちょっと咥えてみてください」と促される。咥えてみると、独特のプラスチックを噛む嫌な感じと、薬の若干の苦みというか嫌な味が相まって、オエッとなってしまった。
涙目で咳き込んでいると看護婦さんが「じゃあ、最初やからちょっと弱めにしておきますね」と言ってダイヤルのメモリを少し下げ、タイマーを20分にセットして「何かあったらそこのボタンを押して呼んで下さいね」と言ってガチャリとドアを閉められた。
俺はスキューバダイビングとかシュノーケルとか口に異物を咥える系は「オエ」となって絶対ダメなタイプだな、と思いつつ、でも気胸やっちゃったから金輪際潜ることすらないだろうし、そもそもシャワーでも溺れかける「プロカナヅチ」なので関係ねえや、とも思う。

さて狭い電話ボックスみたいなところで丸椅子に座り、吸引器の管を咥えて時々ヨダレをティッシュで拭いたり、エづいて咳き込んだりというマヌケな図なのだが、最初はけっこう辛くて何度かゲッとなりつつ、我慢して薬を肺に吸い込むように呼吸。
タイマーの液晶数字が1分ずつ減っていくのが長いこと。10分くらい経つとコツが解ってきたので、唾液が溜まったらティッシュに思い切り出して下のゴミ箱へ捨てて吸引、また気持ち悪くなったら唾液を出して一息ついて吸引…とリズムがつかめてきた。まずいもんはまずいが。
タイマーが0になるとピピピと鳴って、すぐに看護婦さんが「お疲れ様でした」と来てくれたが、それにしても20分は長く、そして薬はまずかった。

もうこれで何もないというと会計して帰っていいそうなので、「お世話さまでした」と挨拶をして処置室を出る。免疫力が落ちているので予防的にこれは毎月やらねばならんのか。正直しんどいが、錠剤を毎日飲むよりもこちらで、とわざわざ先生が指示したということは、こちらの方が俺の体にとってはいいということなのだろう。黙って言うことを聞くのみ。

もう1時を軽くまわっていたので会計の待ちもほとんど無く、あっさりと受理され、金額もすぐに出て会計を終えると1時半ちょい。
とりあえず処方箋を持って病院前の調剤薬局へ行き、2週間分の薬を貰って、今度は川端方面へ向かう。
そう、こないだまで入院生活をしていた南西病棟へ行くのだ。
それにしても暑い。軽く35℃はあるだろう、シャツが体に貼り付く。シャトルバスで外来棟と行き来していて、徒歩で行くのは初めてだったが、歩いてみると暑い中は病み上がりにはやっぱりきつかった。
門の手前まで来ると、見覚えのあるおじさんが煙草を吸っていた。近くまで寄ると、やっぱりシャトルバスを運転しているKさんだった。俺がマスクを外して「どうも、入院中はお世話になりました」と言うとすぐに解ったようで、「ああ、これはどうも」と笑顔になって答えてくれた。「もう退院して一週間で、さっき外来終わったんですよ」とか少しだけ話して「お大事に」と言って貰い、別れた。いやもう本当にお世話になりました。

そんなこんなで南西病棟の玄関を入ると、もう汗だくのくたくた。とりあえず用件は、退院会計で7月8月分を郵送頼んだがまだ届いていないということと、8月分に関しては高額医療費の超過分免除の書類があるのでそれで計算して欲しい、ということを窓口に伝える。
するとなぜか保険証未確認ということでまだ送ってなかったそうで(退院の日に窓口で保険証を確認したはずだが=この日の日記参照(笑)「退院した」)、すぐに発送します、ということ。
金額はすでに出ていて、6月と7月に関しては合計で3ケタの万に届く金額ドキがムネムネする。
高額医療費の負担額超過分に関しては後で還付されるのと、保険に入っているので給付金があるにしても、にしても、いったんそれだけの大金を支払わねばならないことに暗澹たる気持ちになった。
要するに健康が一番いいということです。

病棟の5階へ上がって看護婦さんたちに挨拶でもして行こうと当初は思っていたのに、外を延々炎天下歩いてきてへとへとの汗だくになったのと、支払いの金額に頭がクラクラしてそのまま外に出てしまった。また来るし、その時でいいや…という感じ。

汗を拭き拭き、来た道をゆっくり逆に歩いて、途中丸太町通りへ折れて熊野神社前まで行き、スーパーに寄って調味料などで買い忘れたものをちょいと買い足し、交差点のカレー屋でテイクアウトのカレー弁当を買ってタクシーで帰宅、2時40分ころ。くたびれた。
関連記事
2010-08-14(Sat)

お盆の準備

8月14日(土)

月曜に退院してきてから、一週間近く経った。早い。
もう完全に当たり前の日常に戻ったわけだが、なんだか二ヶ月も入院していたなどという異常事態が嘘のようだ。しかし自分の体の衰えは確実にベッド生活が長かったことから来たものであり、何よりシャワーのたびに右脇の下にある切開傷が気になる。
先の見えない入院生活で何よりも一番望んでいた、猫たちとの暮らし、連れ合いの写真を傍らに置き、普通に暮らす何でもない毎日。
その有り難さ、当たり前の日常、普通の生活の有り難さに感謝する気持ちは忘れたくない。

今日は8時過ぎにゆっくり起きて、ほぼずっと仕事にかかっていた。

夕方一休みでテレビを見てごろりとしていて、連れ合いの写真を飾っている棚に目が行った。ああ、気が付けばもう明日はお盆の迎え火なのだな…。
連れ合いが亡くなってからたくさんの方からいただいたもの…弔電やお手紙、本、お花や俺への御見舞などの送り状などなど…を彼女の写真の前に揃えて置いてあったのだが、そこをいったん片付けようと思い立つ。
そうしてそこへ、去年迎え火用に買った電灯式の灯籠を二階から持って来て据えた。手紙などの束は、綺麗に整理し、一度しまおうと、台の下にある整理箱を引き出す。
そこには数十通の郵便物があり、ふと何気なく一通の便箋をつまむと、何と歌人の河野裕子さんからやまだ紫宛ての封書だった。
夫婦で京都へ越してきて最初の正月、やまだが河野さんへ出した年賀状への御礼で、万年筆の達筆な字で便箋数枚に綴られていた。お近くに越してこられて嬉しい、自分のところは山なので動物がよく出る、(我々夫婦の住む)一乗寺近辺には知り合いもいるのでよく知っているということ、そして「近いうちにお目にかかれるような気がします」とも書いてあった。
河野さんとやまだが会うことは、結局なかった。
この手紙の翌年にやまだが亡くなり、そして先日河野さんが亡くなられたわけだが、昨日河野さんの訃報を知り(河野裕子さんの訃報を知る)、そして今、探したわけでもなく偶然に河野さんがやまだ紫に宛てた手紙が手元にある、やまだの仏前で。
ああ、やはり二人は会えたのだな、と思った。
「お盆」か、一年が早い。
関連記事
2010-08-13(Fri)

河野裕子さんの訃報を知る

8月13日(金)

夕べは12時ころ就寝、今朝は8時起き。外はうす曇り。
朝のルーティンを済ませて、仕事関係の連絡を色々と調べ物と同時にやっているとアッという間に10時をまわってしまう。
朝にも昼にも中途半端な時間になってしまったが、冷凍ご飯を温めておかずを作って食べるというまでの気持ちではない。外は比較的涼しそうだったので、ササッと着替えて向かいのコンビニへサンドイッチを買いに行く。ついでにフランクフルトも買ってしまった。
こういうフランクとか唐揚げとかコロッケなどは、普段はあまり買うことはない(買うとすればスーパーの総菜)。ただ入院中は病院内のコンビニで買い物をする際、レジ横に置かれたそれらは非常に魅力的であり、しかし病院では三度の食事は決められた時間に来るわけだし、食べた量は看護婦さんがきっちり確認するわけだし、残すと必ず理由を問われたので、間食はほとんどしなかった。
そういう食事の量を聞くことはもちろん患者の体調管理のためで、吐き気があるのかないのか、食欲がないのか、それはなぜか、あるいは他の理由が、と細かく事情聴取をされる。そしてLANにつながっているノートPCの電子カルテに、日々の様子としてキッチリ書き込まれ蓄積されていく。
そういった患者の細かい容態というか情報は、看護婦が交替しても報告を読めば把握できるようになっており、確実で合理的なシステムだと思う。
…で、あるだけに、途中間食をしてそれによって正規の食事に影響が出ると、それなりの理由を考えねばならず、ちょっと食欲がなくて、とでも言えば回復が遅いと見なされる。気持ちが悪くて、と言えば薬の副作用が強いと見なされる。なのでグッと我慢して、堪えてきたというわけなのだ。
まあ他の患者は、特に食事の制限がこれといってない人はけっこう買い食いをしているし、レストランやドトールで食う猛者もいる(俺も一度だけ朝食抜きの検査の後でラーメンを食ったが)。あとは看護婦さんにその旨申告すればいいだけの話なのだが、病院の食事をおろそかにし、間食や買い食い、外食ばかりする不良患者でいいわけもない。そういうところは自分は優等生というか、ルールを提示されると守るタイプなのである。
家に戻ればもう、食事の時間も量も、微調整が可能。ただ健康管理上、いい加減な食生活にはしたくないというだけの話。
それと、不健康・自堕落なかたちではなく太りたい。というよりもう少し筋肉を戻したい。それには食べて、動かねばならない。適正なカロリーを、バランス良く摂取して、適度な運動。まだリハビリ状態なので運動は無理にしても、適正な食事は続けておかねばならない。

この日は注文しておいた荷物がいくつか届いた。
猫たちの乾燥エサ4kg×2袋、カバンに携帯しておく100ml入りの消毒用アルコールスプレー。あと、元やまだのアシスタントのNさんから御見舞にと食品いろいろをいただいた。
何かとこうして気を遣っていただく人があちこちにおられ、嬉しいのだが何だか本当に申し訳ない。

あと家では当然シャワーをしたり洗濯をしたりするが、病院に居た時は洗濯・乾燥は有料、シャワーは時間帯が決められていて早いモノ勝ちだったりした。普通に好きな時間に普通のことが出来るってのは、やっぱりいい。普通が有り難い。

午後、歌人の河野裕子さんの訃報を知った。

河野さんとやまだ紫は手紙のやりとりや著書を交換しあう間柄であったが、直接会うことは結局、なかった。
我々が東京にいる時から河野さんはずっと京都にお住まいで、我々が京都へ越してきた時はすでにご闘病中と伺っていた。やまだが「ああ、河野さんのおうちはけっこう近くなんだね。でもご病気のところへ押しかけても迷惑だろうし」と言っていたのを憶えている。

そうこうしていたら、去年やまだが先に逝ってしまった。やまだは若い頃から河野さんの歌が好きで、とくに連作「菜の花」中の有名な
「しんきらりと鬼は見たりし菜の花の…」の「しんきらり」という語感がとても気に入ったので、河野さんに直接ご許可を貰い、「ガロ」連載作のタイトルにしたという経緯がある。(もちろんタイトルだけで、漫画はやまだ紫の完全オリジナル。「しんきらり」という言葉の空気感、凛とした語感が、彼女の描く漫画作品に通じるものがあり、実にぴたりとはまっていると思う)
その後「しんきらり」はロングセラーとなり、青林堂版〜ちくま文庫〜作品集と版を変えるたびに河野さんにはご許可を頂いてきた(もちろん昨年の没後復刊・小学館クリエイティブ版でも頂きました)。

きっと今ごろ、お二人は天国で顔を合わせているだろう。
「ずいぶんお会いするまで時間がかかっちゃいましたね」と笑う、やまだの顔が浮かぶ。
合掌。
関連記事
2010-08-09(Mon)

退院した

8月9日(月) 入院57日目 手術35日目、退院日

夕べは土壇場で仕事のデータが飛び込み、転送作業があって寝る寸前まで追われた。
というよりもう眠剤を飲んでいたので朦朧としながら、なぜか途中で途切れるftpソフトをなだめすかしたり再起動させたり。最後は転送かけながら半ば寝ていて、夜勤の看護婦さんに「大丈夫?」と言われて慌てて作業を中断して寝た。
朝はその看護婦さんが「こいつ結局電気つけたまま寝てやがる」的に枕元の電灯を消して出て行った気配で起こされた。時計を見ると5時。
朦朧としていたがすぐ起きて洗顔などを済ませ、作業再開。何か退院の日なのにドタバタした朝である。

外は相変わらず天気の良い、退院日和・仏滅の朝。
仕事は何とか朝食前に終わり、さすがにすぐパソコンも閉じた。
朝食はパンにりんごジャム、あとはもう忘れた(今は夜の10時半…記憶が…)。

退院の支度は前の日におおまかには終えていたので、粛々と最後の荷造り。
パジャマの上はメッシュのTシャツに着替え、下だけはジーンズを出しておく。病院内でサンダル代わりに履いていたスリッポン式の靴も袋に仕舞い、vansの靴と靴下を用意。

あとはテレビカードが小一時間残っていたので「ゲゲ女」に続けて甲子園を眺めつつ窓の外を眺めたりしていると、N先生が来た。これから外来へ行くそうだが、来週の外来予約の確認。何だかI先生の外来は一杯一杯だったところに無理に入れてくれたそうで、時間が特に決まっていないという。
「何時ころに来られますか」と聞かれたので、「じゃあ10時ころ……」と言うと「それじゃそう伝えておきますので」ということ。「色々ありがとうございました」と頭を下げて見送った後、何か伝え忘れていたような気がしつつベッドに戻り、とりあえず腰掛けてテレビを眺める。

看護婦さんが食後の薬の確認に来た際、朝のバイタルの時に聞き忘れたので「いつ退院OKなんでしょう」と聞くと、もういつでもいいとのこと。「え…?」と拍子抜け。着替えて荷造り身支度が出来たら、いつでも帰っていいという。ええと、そういうシステムだったか。もう何度目かになるが、脳萎縮してるのか俺は…。会計の書類は下の事務のところで、郵送するように言えば待ってなくても送ってくれるという。
その時、N先生に言い忘れていたことを思い出した。
保険給付申請用の診断書を次の外来の時に用意しておいて貰いたい、ということだった。なので看護婦さんに伝えておいて貰うようにお願いした。思い出せて良かった。最近本当に記憶力がまずい。

さて今回は感染予防の面と自分の精神的なものもあり、(最初のチンピラと同室だった一週間、外科病棟の一週間ほど以外は)ずっと個室での入院生活だったので、差額ベッド代を保険の入院給付でまかなわねば、大変な持ち出しになるのである。
ちなみに高額医療費補助があるので所得に応じて月々の医療費は一定額以上は還付される。請求からあらかじめそれを引いておいてくれると有り難いので、その証明書発行手続きも区役所へ行って行わねばならない。面倒だが病気をするとお金に関してはそれこそ死活問題である。

そんなこんなでとうに荷造りは終え、身支度といってもパジャマの下をジーンズに履き替えるのみ。
一瞬で終了。ジーンズは前のベルト穴より2つ絞ったのに、まだゆるゆるで驚いた。どんだけ痩せたんだよ俺…。

とにかく退院。ようやく退院…、だ。
ずっしり重いキャスター付のキャリーバッグとパンパンになったボストンバッグ、靴を入れた紙袋を持って、9時過ぎに病室を出る。ドアは開放しておいた。
エレベータ手前で詰め所をチラと覗くと皆さん忙しそうだったが、こちらに気付いた看護婦さんが二人見送りに出て来てくれた。本当は一人一人、今日は非番の人たちにも挨拶をしたかったところだが仕方が無い。お二人はエレベータに乗りつつ「お世話になりました」という俺に「お大事に」と手を振って見送ってくれた。こちらも「また来るかも知れませんが」とも一応言っておいた。半分本気である、何しろこんな体なので冗談抜きでまた肺炎なり気胸なりでお世話になるやも知れん。

病棟一階の事務室で退院会計を自宅へ郵送してもらうようお願いし、支払い誓約書というのにサインさせられて、保険証確認のあと晴れて自由の身となった。携帯からタクシーを呼ぶと数分ですぐ来てくれたので、荷物を積み込んで住み慣れた(?)病棟を後にした。
ここから敷地外へ出る時はいつもシャトルバスだったが、今日はタクシーで、向かう先は中央棟ではなく、自宅である。

それにしても2ヶ月近く入っていたと思うと感慨深いものがある。
挨拶したかった看護婦さんや研修医、手術前後に大部屋で会ったじいちゃんやおっちゃんたちも気になる人が何人か居る。でもご縁があったらまた、会えるだろう。
二度ほど信号につかまり、叡電の踏切にひっかかった割には980円で自宅前に到着。やっぱり近い。
車を降りて一息。うちのマンションの向かいにはauショップが普通に営業している。いつオープンしたのだ。ていうか俺が入院中か。浦島太郎か。
マンションのポストは「明青」の渡辺さんが取り入れて下さったらしくカラだったので、そのまま部屋へ。

久々の我が家は……。

玄関から廊下を進んでリビングへ一歩入るとソファの上にユキとシマがおり、二匹とも少し驚いた顔で俺を見ている。シマが上目遣いにそっとどこかへ隠れようとしたので「シマ!」と呼ぶと声で解ったのか、すぐに納得して動きを止めた。どうやら俺にしては痩せており、マスクをずらしてもヒゲも無くなったし…と訝しんでいたらしい。
ユキの方は耳が聞こえないので呼んでも解らず、相変わらず目を丸くして警戒顔。連れ合いが生前教えた「手話」で「おいで」(手をなでるようにくるくる小さくまわす)をやると、「ハッ」としたような顔で「んにゃお!」と鳴いた。「明青」のおかあさんが報告して下さった通り、元気そうだ。

近付いていくと二匹とも、何だかボルボックスのようにぽよぽよしている。どうやら春の毛が夏になって抜け替わるのをブラッシンぐしてなかったので、地毛の上に冬毛がぼわぼわになっているようだ。試しにシマを櫛で一回梳いてやると、何とゴッソリと信じられないほど大量の毛が抜けた。「おまえ、抗癌剤投与中かよ!」と思わず不謹慎な冗談を言う。(癌患者だから言えるジョークなので一般の人は真似しないこと)続けて二度、三度と梳くと、ハゲにならんかと思えるほど大量・大漁に毛が抜ける。

そういえば回りを見渡すとソファの上も抜け毛だらけで真っ白、床の隅にも綿埃状になった毛がそこここにある。俺の場合日常、猫の毛を櫛で梳いてやるのは半ば趣味というか、仕事の合間の休憩・息抜きだったり、それこそ毛並みが綺麗になると嬉しいので毎日やっていのだが、さすがに二ヶ月放置した抜け毛は尋常じゃなかった。
シマは特に元もと毛が多いというかみっしりしているので、もの凄い量だ。ユキも短いくせに抜ける抜ける。二匹合わせて一通り梳き終えると筋肉痛で右手が痛くなり、ゴミ箱にはかなりの量の毛が溜まった。これほど抜けて本当にハゲないかと思えるほどの量である。それでも「もういいだろう」とひと撫ですると、まだまだごそっと抜けて、すぐに抜け毛が宙を舞う。

こりゃ掃除するしかない…!

退院直後だから無理せず大人しく……も何も、これだけ舞う猫の毛の中で暮らせるわけもなく、恐らく肺にも悪そうだ。マスクをしたままだったのも好都合、クーラーをつけると毛が舞うのでそのままダイソン君をひっぱり出し、玄関からリビングまで一気に掃除を開始。最後に毛だらけのソファの毛も丁寧に吸い取っていく。
落ち着いたところでクーラーを25度にし、開いていた窓を閉め、ようやく一息ついた。掃除をしないと窓を閉め切れなかったので、これでようやく涼しくなる。以前のように「病的」なほど滝のような汗をかかず、そこそこの発汗で終えた。

落ち着いたところでまずは、「明青」のおかあさんには「退院しました」と電話を入れ、御礼を言う。
何と冷蔵庫には花が枯れないように入れてあって、今日の分のトマト、レタスにキュウリとオニオンスライスサラダ、そして俺の大好きなポテトサラダまで入れておいてくれた!!
「(人間用の)トイレも掃除しておきましたからね」と言われてもう恐縮至極。俺が退院早々なるべく無理しないように、という配慮から色々……もう頭が上がりません。
そのうえ「当分暑い中買い物も大変やから、明日休みやし要るもの野菜なんかあったら書いといてくれたら買ってきてあげるし」とも言って下さる。それはもうひたすらに固辞させていただいた。有り難いが、有り難すぎてもう土下寝しても足りず地中に首を突っ込まねばならなくなる。
こちらもリハビリもあるので、涼しい時間とか見計らってなるべくちょっとは歩くようにしますし、と話して納得していただいた。

それにしても本当に助かりました。
ありがとうございました。
このご恩は一生忘れません。
正直、どんな身内より実の親兄弟よりも、一番お世話になりました。御礼にはいずれちゃんとお伺いさせていただきます。
これほど赤の他人のために、二ヶ月もの間、猫たちの世話をし色々と世話をやいて下さる方はそうはおられない。本当に、感謝してもしきれません。

それから母親とゆうちゃんにもメール。仕事関係の人へのメールはちょっと後回し。疲れた。ツイッターで@をくれた人へ少し返し、とりあえず脱力。

その後1時ころお腹が空いたが、冷蔵庫の卵、ベーコン、その他の食品の賞味期限は当然ながら6月で切れている。もちろん粛々と全部捨てた。ご飯は冷凍してあるがサラダと何を食べようか……と思いつつ、郵便物を整理していたら未払いの公共料金がいくつかあったので、結局コンビニへ行くことにした。

幸い外は曇って来て気温もけっこう下がったようだ。今だ、という感じで1時ころ出た。
マスクをしているとこの季節は「おかしな人」に見えるので、それとなく咳をしつつ「病気なんです」的なアピールをしつつATMでお金をおろして支払いを済ませ、朝用のホットドッグも…と思ったら売り切れなのか置かなくなったのか、一つもない。ここ二ヶ月ほど、週に4つは買っていた俺が買わなくなったので売れセンではなくなったのか。
仕方なく弁当は交差点の有機栽培の野菜を使っている総菜店で弁当を買い、帰りがけ再びコンビニで明日の分の牛丼弁当とサンドイッチも買って戻った。この時は雨上がりで蒸し暑さが増してきたせいか、汗がだらだら出て来た。ゆっくり歩いたので、疲労感はなかった。

空腹だったのでさっそく買ってきた「出来たてほっかほかのイタリアンハンバーグ弁当」をもりもり食べる。う、うまい。こういう味は久しぶりだ。うまいうまいと一人ごちながら高校野球を見る。そして食後はぐったりしていた。ちょっと動きすぎたか。

それから夕方までほとんど働かず、仕事関連のやりとりを少ししたくらいで、ソファでテレビを眺めたりして過ごした。
そうして6時ころ、退院祝だからと三津子にも陰膳をつくり、お酒をあげて、俺は缶ビールを一本だけあけた。
久しぶりのビールは「うまい」というよりは苦くて一口ゴクリでとどまる。ゴウゴク・プハー! とはいかなかった。その後も「明青」さんにいただいたサラダをつまみに、その一本をチビチビと飲みつつテレビを眺める。
しかし一時は本当に、家に帰れるのだろうかと本気で心配になった瞬間があった。これまでももちろん、そういうところを越えてどうにかこうにか持ちこたえては来た。だが「だから今回も」という保証は自分の場合、全くない。実際こんな肺炎で肺に穴があくこと自体、生命の危機であったわけだし、腫瘍だって放置していれば悪性となり浸潤していたかも知れない。
とにかくまたも生かされたことに感謝、そしてビールが苦いながらも飲めることに、ひたすら感謝。




それから夜になってふと気が付いて、サウナのような二階のクーラーを寝る前につけておこう…と思い立ったが、なぜかリモコンがない。
入院直前までケホンケホンと咳をし血痰を出しつつ、リモコンで弱く風を送ったりしていたはずだが、枕元はおろかベッドの下からどこをどう探しても見つからない。結局何度か諦めてはまた探し、を繰り返しその都度汗だくになるので諦めた。

ネットで検索しても東芝のサイトでは検索の対象ですらなく、リストすら掲載されていない。コロコロとエアコンのモデルチェンジをするのは仕方ないにしても、本体型番と対応リモコンの型番一覧くらい、pdfでも何でも良いから載せといてくれないものか。
このエアコンは十数年前の古いもので、もちろん大家さんが取り付けたものだ。まとめてあった据え置き家電類の説明書を取り出して見ると、本体の型番は掲載してあるがリモコン自体の型番は書いてない。本体の裏を見よ、ってそれ無くしたら終わりか! リモコンの型番が解らなければ検索しようもなく、東芝のサイトにはエアコン本体とリモコンの型番との対比表も前述のように一切ない。それどころかDVDなどはあるが、そもそも「エアコンのリモコン」という消耗品の販売すらしていない、選択肢にないのだ。

しょうがないのでもう一度だけ寝室を入念に探すが、ないものはない。また汗だくになる。不思議だ、あんなもの持って下に降りることは金輪際ないし、だいたい持ち歩くものでもない。
説明書によって、どうやら本体の非常運転スイッチを押すと自動運転してくれるらしいのがわかったので、そうしておく。結局「備品を紛失」したわけで、弁償するか同等品を用意せねばならない。それにそもそも温度設定などが出来ないと困る。
ヤフオクで探すとリモコンの型番で並んでいるため、お手上げ。結局写真を一点一点見つつ、カタログのイラストと照合してようやく同じものを見つけ、型番も同時に判明した。疲れた…。
1500円と送料500円也で中古リモコンを落札…。

そんなこんなで11時過ぎ、ヘトヘトなので休むことにする。長い一日であった。
関連記事
2010-08-08(Sun)

退院前夜

8月8日(日) 入院56日目 手術34日目

夕べは11時前には眠れた。夜中もあまり目が覚めることもなく、4時ころまで熟睡。
起床6時。洗顔などして排便後体重を測りに行くと59.95kg! まさかの60kg割れ。起床時は前の晩に比べ発汗分が若干あるが、さらに排便した分があるので、まあ…その分だろう。吐き気は消えたものの、すっかり食が細くなったからなあ。時間をかけてちまちま食べられればいいんだけど。例えば、何かを、飲みながら、ちょっとずつ、つまみを…とか…。

今朝は青地を白やグレーの雲で埋めていった感じで日差しは弱い。セミは相変わらず。
いよいよ今回の入院も最後の一日、明日は退院だ。
しかし今朝はなぜか痰が多い。赤はもう最初だけでほぼ消え、朝イチは薄い赤に茶色、その後は黄色に近い痰がけっこう出る。咳はほぼない。なるほど肺炎はとりあえず「治った」と言える状態なのだろう。

朝食は久々のパン。サラダと牛乳とカットパインナップル、ほぼ完食。
それから少しだけ荷物を片付け、シャワーの後洗濯しようか迷うが、持ち帰って洗うことにする。何せ一回200円、乾燥機100円だ。テレビカードだけでもうオンボロアナログテレビなら楽勝に買えるくらい使ったし、ペットボトルの飲み物やご飯のおかずだ何だと、2ヶ月も入院していると細ごまとけっこうお金を使っているものだ。やれやれ色々大変だ。

今日は睡魔は来ず、少し仕事関係の連絡などをし、昼食はカップワンタンの力も借りつつ完食。久々に全て残さずに食べられた。

明青」のおかあさんからメール「いよいよ退院ですね」とのこと、とにかくリハビリをして、必ずご挨拶、お礼に伺いますと返信。何をどう言っても何をしてもこの間の恩義に報いることは難しいが、まず元気になって顔を見せること、それからキチンとお礼をして恩返しをすること。退院後にまずやらねばならないことはそれだ。

午後はとりあえず仕事も一段落、高校野球でも見るかと思ったらテレビカードが心許ない。ここで新たなカードを買うのは大馬鹿野郎なので(精算は出来るとはいえ)、携帯の地デジ画面で見る。
携帯のワンセグといえばここしばらくやけに映りがいいというかこれまでブロックノイズが出ていた局も全局くっきりなめらかに映るようになっている。
そういえば比叡山中継局の話があったな、と思い調べてみたら7月22日に開局したばかりだった(京都・比叡山の地上デジタル放送中継局の開局について 近畿総合通信局)。
一応府庁所在地で政令指定都市なのに、盆地のせいか洛北のわが家ではいくつかの局がブロックノイズで不安定だったし、メゾネットの「2階」では北側を向いているせいか、NHKと京都テレビの2局くらいしか安定して映らなかった。なので室内アンテナを買ってきて何とか視聴していたわけだが、これで不要になったか。帰宅したら調べてみよう。

午後は仕事を休み休み甲子園をワンセグで見つつ。
夕飯は残っていた納豆をまさかの2パック食い。堪能した! ていうかしばらく納豆いらねえ!
小物の整理は複雑である。
入院には欠かせないハサミや爪切り、小型の鏡や耳栓などをコンパクトに収めてあるボックス、テーブルに引っかけてものかけにするフック、シャンプーやボディソープの小瓶。病院用の洗顔道具やブラシ、整髪料などなど、二度と使わない方がいいに決まっているが、次に使うためにきちんと整理してしまっておかねばならない。使う日が来なければいいのにと思いつつ。
それらもあっという間に終了。仕事のデータが来るまでヒマをもてあます。
消灯のころようやくデータが来たので作業、転送。これがまた速度が遅く、眠気が来るのを我慢しつつ。こうして入院最後の夜は更けたのであった。
関連記事
2010-08-07(Sat)

吐き気消失

8月7日(土) 入院55日目 手術33日目

夕べは10時消灯、テレビだけつけて横になりNHKスペシャル「181冊の報告書」を見た。日本人の医師団と調査隊は原爆投下直後から広島入りし、詳細な被害報告書を作成していった。建造物の被災状況よりも、なんと言っても圧巻なのは極めて詳細な「181冊の被爆者の医学報告書」。
調査は原爆投下後から遺体解剖も含めて被爆者たちの死んでいく過程や回復していく過程など、詳細な調査を行ったわけだが、それはあくまで「調査」「観察」であって「治療」ではなく、やがてやってくるGHQ=米軍にそれらを言われもしないのにそっくり差し出し、米軍(GHQの軍医大佐)が歓喜したという話。実際の大本営医務局の患部や軍医佐官などの証言なので、圧倒的なリアリティ。
「どうせ出せと言われるのだから差し出した」というのは本音だろう。要するに日本軍側の数少ない「カード」の一つであったわけで、「これで何とか穏便に」という意味でもあったのだろう。(これは証言者=軍医将校の言葉からも察せられる)
いっぽうで患者側は、自分の11歳の娘が目の前で亡くなり、その遺体をおぶって帰ろうとしたら呼び止められ「解剖させて欲しい」と言われたという話。一度は断ったが、被爆者のためだ、今後の治療に活かしたいと言われて献体したという。実際は米軍に渡すためだったのだが。
また幸い回復に向かっていた人もその過程…バイタルから写真からを細かく記録され、「まるでモルモット扱いだった」と憤る人もいる。とにかく原爆投下国=戦勝国、原爆被災国=敗戦国という構図がくっきりと浮かび上がる。

ところが残念ながら番組を40分ほど見ていたところで薬が効いてきた。どうにも抗いがたい眠気で、テレビを消して枕元の電灯の光量を落とし、11時前には寝てしまった。いずれ再放送でまた見よう…。



今朝は朝方何度か目が覚めたが6時過ぎまで比較的熟睡。やはり週末で静かだったせいか。完全に起床したのは6時半。

昨日は夕方以降劇的に減り、たまに出ても薄い茶色か黄色に近いものだったので、確実に治ってるな、と安心していた。今朝の洗顔時は赤茶色のものが多めに出た。もっとも鮮血のようなものではなく、薄いものではある。その後も数回ベッド上で出すが、赤はほぼ混じらなくなった。

8時朝食はインスタント味噌汁を追加し納豆でもりもり食べる。
朝が一番調子がいいし食間が開いているから腹も減っていて、しかも胃酸過多や吐き気もないため、ここで出来るだけ食べておきたい。
もっとも今日からバクトラミンは一日一錠、つまり12分の1に減るので副作用である吐き気も弱まるのではないかと期待している。

看護婦さんに聞くと、免疫低下の患者さんでニューモシスチス肺炎の予防にバクトラミンをこの量飲んでいる患者を見たことがあるが、この量で副作用が出た人はいなかった、と言っていた。吐き気さえ無くなってくれれば、日常ずいぶんと助かる。

家に戻ってまずは掃除などもあるが、食事の問題がある。
買い物に外に出て、猛暑の中荷物を持って戻ってくるのはまだ無理っぽい。無理をすればやれるし、今まで割合に無理をしてきた自覚はあるが、今回でもう懲り懲りだ。我慢したり無理をしてもいいことは何一つなく、逆に状態は悪化するしその結果他人様にご迷惑をおかけする。無理はしない、出来ない。
昨日お見舞いに来て下さったI内科の奥さんも「今は、もの凄く暑いですから、気をつけて下さいよ、普通の人でも倒れるくらいやし…」と言っていたので、当分はまず体力回復を優先。けれどそのためには食わねばならず、買い物は必須。悩ましい。

…と、思っていたら10時過ぎに看護婦さんが「やはりバクトラミンは中断になりました」と言って、明日からの分を引き上げに来た。「ええっ?」とへどもどしていると「N先生から説明がありますので…」とのこと。
直後にすぐN先生が来られ、色々総合的にI先生や他とも相談した結果、予防的にバクトラミンを飲まなくても行けるだろう、という結論になったという。
「大丈夫なんでしょうか」と聞くと「不安はあると思いますが、こちらも複数で相談して意見も交換しつつやってますし、不安は任せてもらえれば」とのこと。専門家がそう判断したのなら、素人である患者がとやかくいう筋合いはない。

結論として、一つは肺炎の薬に対する耐性の問題もあるし、これまで通り予防に気をつけつつ、外来で画像も含め定期的に診ていって、何かあればすぐ対処する…という方向で行くこと。要するに俺の場合は今回のように咳が続き血痰が出たらすぐに病院行け、ということなのだ。当然である。
薬も医師が飲まずとも良いと太鼓判を押したのなら、吐き気の出る薬を無理に飲む必要はない。今後またぶり返すようならキッチリ投薬治療で治す、治ったら中断する。「飲み続け」はしなくても大丈夫。
よし解りました。

あとは血液内科の診察間隔との間にうまく日程を組んでいって貰えると、こちらとしてはさらに安心である。
N先生は「まあでも今回はこれだけ長くなってしまって…」とちょっと済まなそうに言われるので、「でも気胸の原因が肺炎と解って、思いがけず腫瘍も取れたし、その結果ということなので良かったです」と答える。それは本心だ。

その後恒例の(?)強い眠気が来て、昼まで寝てしまった。久しぶりに少し寝汗をかいた。
昼食が運ばれて来たが、どうもどんぶり一杯の白米に食欲が出ない。納豆は朝食べたし、このところ「ごはんですよ」やふりかけや味付け海苔やら、一口カレーまでバリエーションを広げたが、どうにも口へ持って行けない。仕方ないので酢豚やサラダなどおかずだけを食べた。
下膳するときに今日担当の看護婦メガネっ娘のTさんがちょうど来て「どのくらい食べはりました?」とお膳を覗かれたので、コレコレというと「明日一日だけですけど、朝パンにしましょうか」と言ってくれる。明後日退院だけど「出来たら、でいいです」とお願いした。こりゃ有り難い。

午後はほぼ仕事。

途中、バイタルで来たTさんとけっこう長く世間話。
彼女のお母さんが朝ドラ「ゲゲゲの女房」のファンで、水木さんやドラマ中の「ゼタ」=「ガロ」について検索したら俺の名前が出て来て驚いたと言われる。いやはやバレてしまった。ていうかこんな名前二人といないので、ググられればすぐバレるが。バレてしまっては仕方ないので、「ガロ」のことなども含めてちょっと雑談。これもまあ今日は病棟も患者が少ないのでゆったりしているということだ。

当然なのだけど、バクトラミンの服用をやめたので吐き気が全くこない。夕方になり空腹になっても、吐き気や気持ち悪さがなく、空腹感のみ。これで当たり前なのだが嬉しい。普通に腹が減る、普通に食欲がある、これで普通の量を食べられてさらに健康なら言うことなしなのだが。とにかく「普通」が有り難い。

食事といえば、とうぶんは恐らくこの猛暑の中買い物に行き、荷物をぶら下げて帰るのは無理だとして、色々考えていた。切実な問題だからだ、。今家の冷凍庫に何があったかを思い出し、一手間アレンジすればすぐに食べられるもの、暖めるだけで一食になるものを中心に、冷凍食品をいくつかネットで調べて宅配の注文をする。

こんな感じでも割合マメな方なので、ご飯は一膳分ずつ、大量に作ったビーフシチューも夏野菜のトマトソースも刻んだ九条ネギなども小分けしてキチンと冷凍してある。牛丼の具もまだいくつかあったはず。あとは冷凍ピラフとか、レトルト類を少し買い足せば数日くらいは何とかなりそうだ。
生鮮、野菜はちょっとの間我慢するか、体調を見て夕方涼しくなった頃合いに近所に行くとか、考えよう。

夕飯前、看護士の「気胸の先輩」=N君が「今日で最後なので」とわざわざ挨拶に来てくれた。シフトによっては明日・明後日といない人もいるので来てくれたわけだが、2ヶ月近くとなると皆さんすっかり顔なじみになり、けっこう話し込むようになった人も何人かいる。
「長かったですねえ」と言われしみぢみ「そうやねえ」と返すが、まあこればかりは仕方がないこと。何しろ病気の体の上に病気病気…と来たわけで、望んだわけでもないし、望むわけもない。
「お互い気をつけようがないけど、気をつけましょう」みたいな話をして、「ひょっとしたらまた入るかも知れないのでその時はお世話になります」と冗談半分、本気半分でお願いした。

夕飯は空腹で食欲モリモリだったが、出て来た魚の煮付けがどうにも生臭くて断念(文句ばかりで申し訳ない)。ここは納豆の再登板、ふりかけなどの合わせ技で何とか魚以外のものは概ね食べられた。食後の薬もバクトラミンのでかい錠剤4つが減るとマグミットとバンコミンの小さい錠剤が2つだけなので、ずいぶん減ったなという印象。

バンコミンといえば右腕の痺れ、薬のせいかどうか単に時間が経ったせいか、伸ばした時のビリッとくる痛みがホンの少し、ごくごくわずかながら薄れてきた。このまま無くなるといいのだが。

夜もそのまま仕事。
寝る前に体重を測ると60.90kg、微妙〜に増えているがトイレ一回で元に戻るような数字か。吐き気がないとあれこれと食事への欲求が復活する。それも病院ではほとんど出ないこってり系の肉料理とか、不健康なジャンクフードとか。三度三度きちんと決められたカロリー、計算された塩分や栄養素の配分を満たした食事は確かに健康的ではある。
実際腸の状態も正常に戻りすこぶる快便(失礼)、家に戻ってもこの状態を維持すればいいだけの話なのは承知している…んだけど。

腸の健康は免疫アップに直結するというし、ビール好きもほどほどにしないといかんのか…と考えていたら友人がイベント会場で見たステーキやピザやハンバーガー的なものの報告の挙げ句ビールを飲んだと知って激しく羨ましくなる。
いやいかん、のど元過ぎればナントカで、けっこう気がつくと不摂生気味になりがちだから、気をつけねば。と言いつつ「のど元」でビールの喉ごしを想像してグビリとなる始末、現金なものである。

しかし体の健康は心の平穏=健康につながるし、心の平穏も健康に悪いことはないだろう。もうすでに体は健康体ではないが、せめてこの上に心労、心痛をを増やさないようにしたい。
まず退院、まずリハビリ、まず恩返し。
関連記事
2010-08-06(Fri)

嬉しいお見舞い

8月6日(金) 入院54日目 手術32日目

昨晩は食後ぐったりしてテレビをずっと眺めていた。
NHK「クローズアップ現代」、最新の技術で広島に投下された原爆のキノコ雲の高さを解析された映像を見る。従来8000〜10000mの高さまでと見られていた雲は、多くの写真、新たな米軍撮影の原版などを解析したデータでキノコ雲の3DCGを作り、当日の風速や風向きなども考慮して算出した高さは、何と15000m以上と解ったという。
これで従来「黒い雨」が降ったとされてきた以外の、かなり広い範囲で雨が降った=放射性物質が混じった雨水を浴びた人の数が増えた、ということになるという。国の被爆者認定、保障にも影響するだろう。
それにしても、リアルに再現されたもくもくと邪悪に広がるキノコ雲は、何というか形容しがたい不気味さだ。だが現実に見た人たち、雨を浴びた人たちがまだたくさんおられる。

その後ブログを更新し終えると「「気胸の先輩」看護士クンが来て、退院が決まったことやら色々と世間話。10時半には薬を飲んで就寝。毎朝5時に起きるというのが続いているので、10時ころにはだいたい眠くなる。

夜中2時過ぎか、看護婦さんが入ってくる気配で目を覚ますが、それまでは熟睡、あとは例によって薄い眠りで3時、5時とそーっと様子を見に来る看護婦さんを確認。

そんな感じで6時半起床。今日は抜けるような青空というのか、視界には積乱雲もなく一面のスカイブルー。そしてセミの声。

朝は喀痰検査があるので歯磨きのあとうがいをして出そうとしたが、気管から出すのと食道から出すのとごっちゃになって吐きそうになり、慌ててやめる。その後ベッドに戻って何度か痰が出たので献体は取れたが、吐き気を抑えるのに大変だった。

今日の夜で先月16日夜からバクトラミンを飲み始めて規定の3週間に達する。
(数回吐き気が副作用かどうかの確認のために中断したので、今日いっぱい飲めば規定量)
血痰はつい数日前まで赤い色が混じっていたが、ここ2日ばかりは朝に赤いのがちょっと混じる程度で、あとは茶色の古い血が痰として上がってきて、黄色く薄くなるというパターン。昨日は夜に少し赤がかったものが出たが、今朝はほとんど赤がない。

薬の効き目も凄いがこの規定量・服用期間できっちり結果が如実に出るというのも、凄いなあと感心。規定量を終えたらいったん終了、次の外来まで様子を見て、検査で穴が大きくなったりするようなら、服用を続けるかも知れない…という予定。

朝食前に採血。看護士が「新人の採血の訓練なんですがいいでしょうか」というので快諾。試験管4本。聞くとじゅうぶん練習の上、患者さんにも数回行っているというので安心。特段うまくも、ヘタでもなかったけれど、抜く時はハネを抑えてまず針を上ではなく手前に引かないと、痛いですよ。採血評論家か。

NHKでは広島での被爆者追悼式典の中継、夕べ見たキノコ雲を思い出し、思わず黙祷。
朝食は納豆で8割がた食べられた。

朝ドラ「ゲゲ女」では深沢率いる嵐青社が大手と「ゼタ」ごと買収されることが決まったが、よく聞けば大手は「ゼタ」の看板と人気作家だけが欲しかった…ゆえに商業主義よりも「いい漫画」を載せたい、いい新人を発掘して育てたい…という深沢の気持ちは踏みにじられ…という回。
深沢は騙されるところだったわけだが、キッパリ断り酒場でヤケ酒、居合わせた出版関係者が漫画をバカにする発言をするのにキレて乱闘…。

「ガロ」にも某超大手版元から同じような話があり、同じような経緯でお断りした、という事実があることは長井さん含め複数の人から聞いて知っている、周知の事実ではある。あの小柄で「片肺」の長井さんが酒場で喧嘩をしたのかは聞いていないが(笑)、ここら辺も実際と虚構が絡めてあって、フィクションであるこの連続ドラマが「ガロ」や長井さんを知る我々にも、知らない今の人たちにも楽しめる要因になっているのだろう。

その後はまた猛烈な眠気が来てベッドに横になる。久々に寝汗をかいた。
シャワーのあと昼食。あまり食欲がなく、インスタント味噌汁のおかげで何とか半分ほど掻き込んだ。

調子はそれほど悪くない、なのであとは「退屈だな」と思っていたらN先生が今朝の採血のデータを持ってきた。
「白血球がちょっと減ってるんですよね、それとリンパ球の割合も低いので(13%)、計算すると220くらいしかないんですよ」とのこと。

その中でも「CD-4」に関しては特殊な検査項目なので今回は算出していないが、リンパ球の数を見れば推して知るべし…か。
「普通は500を切ると何らかの予防が必要と言われてますし、200を切ると危険なので、やっぱり白取さんの場合は予防的に(バクトラミンを)飲んで貰った方がいいと思うんですよ」とのことだ。
そうなんだ…。一度中止し様子を見るなんてレベルじゃないわけだ。いい方向へ向かっている、肺炎が治れば…と思っていたが、これでは外へ出ればまた肺炎がぶり返すか、新たな感染をしかねない。
「それはこちらも怖いので、むしろ積極的にお願いしたいです」と言うと
「肝機能を見ても悪くないので、この場合やと…一日一錠とか飲んで行かれた方がいいかも知れませんね。薬さえ飲んでおけば予防できますから」とのこと。
「退院までにI先生とも相談します、ちょっとバタバタしてすみませんが」と言ってN先生は去って行った。

何というか…これから先も「生きていくのが命がけ」か。意味がよく解らんが。

ちょっと落ち込んでいると、突然部屋のドアがノックされる。
看護婦さんや先生なら返答しなくても有無を言わさず入ってくるので黙っていたら、影はあれど入ってくる気配がない。「ハイ」と返答すると、何とうちのマンションの下にあるI内科クリニックのI先生の奥さんだった。

気胸と判明して入院支度をしに戻った時、ちょうど奥さんと会ったので「これから入院で」という話をしたのだが、「その後帰って来られた様子もないので、まさかまだ入院されてるとは知らなくてすみません」と申し訳なさそうに言われる。いや俺も一週間か十日とその時お伝えしたので、そう思ってたわけで。

お見舞いにご飯のおかずと韓国海苔、塩昆布、そしてスティック型の「一口カレー」をいただいた! こ、これならコップで湯煎できる! 「入院が長引かはると、食事がどうしてもねえ」とのこと、さすが入院患者の心理をよくご存知である。
こちらは退院まではもう検査や採血もないので、ヒマなだけ。むしろお客さんは大歓迎なので、座っていただいて話し込んでしまった。

詳しくは書けないが、奥さんのお兄さんは俺と同様血液腫瘍で亡くなられており、免疫抑制の怖さ、治療の過酷さなどをよくご存知だ。(ちなみにその方は生前やまだ紫のファンでおられ、今では感化された義理のお姉さんもファンでいらっしゃる)
気胸から手術〜肺炎という経緯、連れ合いの病気の話などお互い尽きることがなく、結局4時過ぎまで長くお引き留めしてしまった。

俺の場合5年生存率50%のうちには何とか入っているが、あと何年生きられるか。一年一年がサバイバルのようなものだが、奥さんは「今の薬品開発は凄いスピードだからきっといい薬が見つかりますよ」と慰めてくれた。あまり気長には待てないが、抗がん剤投与〜骨髄移植…という薬剤もプロトコルも決まっているタイプであっても、免疫抑制中の肺炎で亡くなる人も多い。
自分は有効な薬剤がなく、今すでにT細胞に関しては著しく減少しているわけだし、QOLを考えても過酷な治療に踏み切るかと聞かれれば断るだろう。「流れ」がそう向けば従うが、それは今のところ無いようだ。そっと気をつけながら生きろ、ということだろう。

しかし途中軽く吐き気が来て薬を飲んだものの、久々に看護婦さんや先生たち以外の人と長々とおしゃべりが出来て、気分は少し晴れた。知り合いのほとんどいないこちらで、「明青」さんといいI先生ご夫婦といい、有り難い。ほんとうに有り難い。

夕飯時に吐き気は消えてくれたのは良かったが、まさかの揚げ物登場。
前もこういうことあったな、と苦笑。ころもはふにゃふにゃになっているが、柔らかいミニヒレカツが3つ。普通なら驚喜するところだがちょっとげんなりだ。
さっそくいただいた一口カレーのスティックを2本、コップを熱湯に入れて湯煎。けっこうおいしかったし一口どころか三口ほど1本でいけるので、ご飯はかなり食べられた。おかずはヒレカツの小さいのを3つ食べたら、もうギブアップ。
胃が脾臓で圧迫されて窮屈な上痩せたので、余計に小さくなったらしい。

その後はあまり体調が良くない。下腹部に不快感があり、そのせいか吐き気が弱くずっと続いている。薬を飲むほどではないものの、一日でこう起伏が激しいときつい。
日中看護婦さんも「大変ですね」と言ってくれるが、抗がん剤やステロイドなどの使用でもっと厳しい副作用に悩む人も多い。
この薬のおかげで自分にとって致死性の肺炎から命を守れるわけだから、散発的に起きる吐き気、それも吐き気止めで抑えていられるような程度なら良しとする。
関連記事
2010-08-05(Thu)

退院日決まる

8月5日(木) 入院53日目 手術31日目

夜中、3時5時と目が覚めつつ6時半起床、今日の京都は青空がもの凄く綺麗。見渡す限り透明なスカイブルーの空。白い雲がぽかりぽかりとまばらに浮いている。空が広い。高層ビルがなく空が広いという街はいい。本当に、いい。

朝は味噌汁、焼き鮭、無味のキャベツもみのゆかり和え以外、「ゲゲゲの女房」を観つつ食べた。食後コーヒー牛乳を飲んでいるとN先生。「CTの結果について昨日I先生から聞かれました?」というので聞いたと答える。その確認と今後のことについて。
今後に関しては一度またカンファレンスで相談して決めたいということで、例えば通院をどうするかとか、予防的投薬をするかなど。

こちらとしては白血病の動きを見る血液内科の診察が6〜8週間おきなので、その間に呼吸器内科の外来診察日があると安心なのだが。実際、咳と痰がしばらく続いていた時はもうすぐ血液内科の診察日だから、そこで解るだろうと思っていた。
けれど採血の結果では基礎疾患である白血病の動きはない、ということだったし、元々免疫も落ちているから先生にも「喉風邪が長引いてまして」とこちらから自己申告してしまった。
その時点では微熱もなく実際に咳、痰が続いてたくらいだったので、まさか肺の中にニューモチスチスが巣穴をいくつも穿っているとは誰も思わなかっただろう。
結局その診察日から数日で、その中の一つが肺の壁もろとも破れて気胸になり、入院…となったわけだ。
今後はこれに対する予防も必要だろうか、いずれにせよ呼吸器内科の診察も血液内科の間に定期的に入れていただけると、精神的にも非常に心強い。もうずっと何らかの薬を予防的に飲まねばならないのは、帯状疱疹の時に一度覚悟している。実際は帯状疱疹の抗ウィルス薬は服用せずに済んでいるが、肺炎だって早く見つけるに越したことはないし…。

9時過ぎにレントゲンに呼ばれて胸部撮影。
その後bluetoothイヤホンのあまりの音の悪さ(笑)に辟易して有線ヘッドフォンに換えて音楽を聴いていると、11時過ぎにN先生が来て「今よろしいですか」とのこと。
CTの画像を見せていただけるということで、PCのある面談室へ。左側に治療前の断層、右側に昨日の断層で同じ箇所を見ていくと、大穴が開いていたのが潰れたように塞がっていたり、大きかったものが小さくなったりしている。視覚的に確認すると一目瞭然。
「治療効果はあるということはもうこれではっきり解りますね」ということで、あとは規定の3週間で一度薬をやめ、それ以降はどうするか、いったん止めて様子を見て穴が大きくなるようならまた服用するか、予防的に飲んでいくかなど、I先生とも相談して決めるということ。
「入院もね、かなり長くなりましたからいったん退院という方向で考えると思います」…やった、良かった。
もちろん外来で画像は見ていかなきゃならないので、通院はしてもらいますとのことだが、それはこちらもむしろ積極的にお願いしたい。何しろこれ以上注意しようがないレベルでいたつもりなのに、こんな弱い肺炎菌にやられるんだから。

昼ははまちの何とかがもの凄くまずくて食べられず、他のもので半分ほど。贅沢言っちゃいられないが、やっぱり無理なものは無理。
その後薬を飲んで食休みにテレビを見ていると、1時間ほどで少し吐き気が来た。慌ててプリンペランを飲む。バクトラミンの副作用は俺の場合吐き気だけのようだが、これは食前・食後関係なく来るので本当に不快。食後だと食ったものを吐いてしまうので、それだけは防止したい。

吐き気止めを飲んでぐったりしていると、N先生が再訪。
「I先生と相談したんですが、薬は一応止めて、それで退院して貰って様子を見るということになりました」とのこと。
来た、ついに退院…!
「一応薬をやめてみて、どうなるかという観察も出来ますので、週明けということで」決定。
それから一週間後に画像診断も含めて外来に予約を入れてもらい、肺炎がぶり返してないかなどを調べることになった。
あと3日、はっきり先が見えたので一安心だ。良かった…。「うれしいい!」というより脱力。まず猫や家を見て下さっている「明青」のおかあさんにご報告、それから実家とゆうちゃんにメール。それにしても長かった…あと3日だ…。

その後ツイッターでも心配していただいた方々にご報告。おめでとう、のつぶやきに返答。顔も知らない人たちが多いのに、共闘した仲間のように喜んでくれているのが素直に有り難い。友人からメールも来た。本当にたくさんの人に心配をかけ、励まされて生きている。ただひたすらに、感謝しかない。

教授回診の直後、I先生が「N先生から退院のこと聞かれました?」と入って来られたので「はい」と答える。薬は「この後予防的に少ない分量飲んでもらうことになると思いますし、外来で様子見させて貰いますから」と言われる。こちらも「血液内科が6週おきなので、その間何かあったらと考えると、有り難いです」とお願いをする。
「まあ、そんなに神経質にならなくても恐らく大丈夫と思いますよ」と笑われてしまった。

夕飯前は軽い吐き気がする予感がしたので、予防的に吐き気止めプリンペランを飲む。しかしあまり食欲が湧かず、納豆で無理矢理食べた。その後はなぜか怠さがあり、ずっとベッド上で仰向けに寝ている。

今月の月命日も病室か、もどかしい…と思っていたら、退院日決定という嬉しい知らせが聞けた。
いつもいつも本当に、ありがとう。
花はないけど、写真に合掌。
関連記事
2010-08-04(Wed)

好結果

8月4日(水) 入院52日目★手術30日目

夕べは早めに消灯、11時ころには寝られたと思う。
3時ころ目が覚め、その後は薄く寝たり醒めたりといういつもの状態。5時には起床。
外はすでにセミの大合唱、暑さの体感がないので、窓の外は今日も青空と雲が朝日と相まって清々しいこと。

今日は10時から胸部造影CT撮影なので、朝は絶食。バクトラミンなどの薬を飲んで、どうせメシも来ないんだから…と7時ころから横になる。じっと目を閉じているが眠れるわけでもなく、うとうと、という程度でいると8時半、「ゲゲゲの女房」を見忘れたのに気付いた。不覚。

指定された9時35分のバスに乗って外来棟の正面玄関へ。すでに暑い。エントランスホールを突っ切ってX線受付〜待合室。テレビがつけられていて、年配の患者やその家族5、6人が所在なげに見つめている。
そのうち3人くらいが紙コップを持って何やら飲んでおり、フと見ると壁際に販売機がある。お茶やコーヒーが売られているが、「水は無料です」と張り紙がしてあった。なるほど。
それにしても一人やたらと水をおかわりした挙げ句、待合内にある手洗いで執拗にうがいをするオッサンには参った。やりすぎである。造影剤を使用する前後、特に後は水分を多く採って排出を早めた方がいいと言われているにしても、タダだからって飲み過ぎだろう。

そうこうしていると係の女性が来ててきぱきと氏名、絶食の確認、造影剤の説明などを受け、手に持っていた財布を入れた手提げ袋を貴重品入れのロッカーに預けるように言われた。この袋は次女のゆうちゃんが、連れ合いに生前子供服の余り布で作ってくれたもの。つまり女物ではある。連れの結婚指輪などを通してあるネックレスも外して一緒にロッカーに入れて、さらに数分待つと検査室に呼ばれる。

いつものように粛々と撮影準備。
台に仰向けになり右腕にルートを確保され、両手をバンザイ、一度テスト撮影、造影剤注入、金玉などがカーッと熱くなり、撮影。あっという間に終了、この間10分あったか。
看護婦さんが針を抜いて止血用のテープを貼りつつ「ここまだ血がどばどば出ますから、5分くらいしっかり抑えててくださいね」と言われた。ん、「どばどば」と言ったよね今…空耳かな。一応しっかりルートの跡を抑えて礼を言って出る。

いったん座って数分待ち、財布の袋を取り出してそのまま右腕を抑えつつエントランスホールへ戻った。
言うまでもなく、朝食を抜いたために空腹が限界を超え吐き気を催すレベルに達しているからである。10時ちょい、病棟で昼も出るから軽くサンドイッチか何か…と思いドトールへ向かうと、何と満席の上に10人くらい並んでる。何だ今日はドトール無料の日か。
この混雑下に踏み込むことは防疫上よろしくないのと、何より食い物を受け取っても食う場所がないので、引き返してレストランを覗く。こっちは時間的に空いていたので、誰もいない真ん中の長円カウンタに座った。

お冷やが来たのでメニューも見ずに「醤油ラーメンください(500円、関東風あっさり醤油、かんすいの香りのする昔ながらの懐かしい味なのねコレが)」と言うと、おばちゃんが「今ですね、期間限定の喜多方醤油ラーメンと普通の醤油ラーメンの二種類あるんですけど」と言ってメニューをパカッと開かれた。
「…じゃあ喜多方の方で…」と答える意志の弱い俺。700円也。

それにしても病院食以外は外科病棟から戻ってきた日の、あのSのおっちゃんの息子さんにいただいた「うなぎ弁当」以来か。外食と言ったら一体前はどこで何を食ったのかさえ思い出せないほどである。

数分で運ばれて来た「喜多方ラーメン」は昔会津で何度か食べたことのある平麺のちぢれ麺、しょうゆスープもコクがありつつさっぱりでうまい。薄く刻まれた白ネギやや多め、太いが柔らかいメンマが数本、薄切りのこれまた柔らかいチャーシューが5、6枚も入っている。
麺を箸で持ち上げてすすり込むが、気のせいか以前のように勢いよく出来ない。いや気のせいではない、今肺炎なんだよな俺…と思いつつスススス、と麺をすする。しかし久しぶりのラーメンはやけにうまい。
スープもれんげでじゅうぶん堪能し、最後は健康だった頃のようにコップ一杯の冷たい水をイッキに飲み干して大満足。本当はスープまで全部飲み干したいのだが、色々な意味で自重。汗も出た。
何だか本当に健康に戻ったような錯覚さえ憶えたが、着ている服は入院患者用のパジャマなのであった。

腹は重くなったが気持ちは少し上向きになり、そのまま地下のローソンへ向かう。
納豆の追加とコーヒー飲料、味噌汁がわりのカップわんたんなどを買い、正面玄関へ。バスまで十数分あったのでベンチに座って顔を扇ぎつつ待っていた。

マスクをしてはいるが、ここは病院、どんな病気を持った人がいるか知れないし、そもそも健康な人なら何でもない菌やウイルスにも気をつけねばならんのだなあ、因果な病気やなあ、と思いつつ行き交う人たちを眺める。
同じ免疫抑制でも、例えば骨髄移植や抗がん剤などの「病気を治すための強力な治療」によるものであれば、治療後は寛解という希望があるのだが。
この肺炎が治れば健康体、だったらいいのになあ…とうっすら考える。帯状疱疹の時にもそう思ったし、胆石の時もそう思った。というよりいつもそう思っている。血液腫瘍患者がその上にこれらの新たな疾患を抱えると、要するに「泣き面にスズメバチの大群」みたいなものである。

バスは予定時刻より若干遅れて到着、病棟へ戻ると11時。ラーメン効果(?)かあまり疲労感はない。しばらく休憩していると昼食が来るが、満腹で食べられない。一応確認してみると、何とそうめんだった。まさかの麺かぶり。カレーといいシンクロニシティが多いな。
デザートについていた、甘みの薄い「黒糖のくずもち」とやらだけ食べて、あとは下膳。

午後はちょっと面倒な仕事にとりかかる。面倒というのはマシンパワーのいるという意味で、作業そのものはたいしたことはないのだけど、処理速度が遅いマシンだと「待ち」が長くなる。
(ちなみに「仕事」について俺が一切内容を言わないのは、守秘のため。「ニュートラルでありたいがために、俺と接触していることを避けたい人」が複数いる。そういう人たちに迷惑をかけたくないからだ。こう書けば昔からの知り合いはなるほどと思うだろう)


仕事をしては時々つぶやきに逃避というパターンであっという間に夕方。ちゃんと腹が減るありがたさ。念のために食前1時間前に吐き気止めも飲んだのがよく効いてくれているのもありがたい。
一応作業をやめ、いくつかメールの下書きをエディタに書いていると、bluetoothのイヤホンに電子音。バッテリー切れのサインだ。たった数時間しか持たないのかよ、と外して左耳側を引っこ抜き、代わりにUSBからの充電ケーブルをさし込んだ途端、OSが飛ぶ。青画面→強制再起動。
呆然としていると看護婦さんが食事を運んできた。そのまま呆然としていると「どうかしはりました?」と言うので「今パソコンがフリーズしました」と言うと「それでフリーズしてはったんですか」「そうです」。
看護婦さんはあっはっはと笑い、「連動してはるんですねえ」と言いながら去って行った。パソコンは仕事でもプライベートなこうした記録でも何でも、確かに俺と連動してくれてはいるな、と感心。

食事は山盛りのひじき(笑)を半分残した以外、ほとんど食べた。

食休みしていると薬の確認〜バイタル、その少し後にI先生が来られた。

「今日のCT見たらですね、良くなってましたよ」
と言われ、思わず「ほんまですか!?」とエセ関西弁が出てしまった。
肺の中の穴というか袋というのか、あれらも縮小したり消失しているのもあり、明らかに改善されているという。良かった…本当に…。心からホッとした…。

「あと少し水が溜まっていると言っていたのも、画像の関係で下にある肝臓の一部でしたから、問題なさそうです」とのこと。これは肝臓が腫れているとかそういうことではなく、巨脾が他の臓器を圧迫しているために肝臓も押し上げられているということらしい。
「ということは、明日の針を刺すのも…」
「ええ、もうやらなくていいです」
とても…嬉しいです…。

今日は朝の血痰も古い薄茶色のものが少し出ただけで、赤はごく少量薄いのが数回、夕方はほとんど痰そのものも減った。咳も同様で、気がつくとほとんど出ていない。体感的にも良くなっては来ていると信じていたのだけど、画像診断で裏付けられたのは本当に良かった。I先生は「気にされてるんやないかと思って」とにっこりされたので、「いやもう! ほんまに気にしてました、良かったです」と返答。

その際、ある人からちょっと聞いたこと、「胸腺を摘出するとT細胞の生成に影響が出るのでは」という話を伺ってみると、それは若い人の話で、大人になるとほとんど機能せず胸腺そのものが無くなるようなものなので問題ないということ。医師からすれば「何言っちゃってんのコイツ」的なド素人の杞憂か。
あまり過度に色々情報が入るとややこしいし、だいたい素人が医学論文など読みこなせるわけもないし、お任せした方がいいのである。ただアホな疑問でもその都度解消しておいた方が、お互いにとってはいいとは思うけれど。不安が医師によって一笑に付されて解決なら何よりだ。

バクトラミンはあと数回で予定の3週間に達する。
その後どうするかは、先生がたが判断されること。

いい方向へ向かっているのだから、いい結論が出ますように。
ご心配いただいている皆さんにもいい報告が出来ますように。
関連記事
2010-08-03(Tue)

非日常生活

8月3日(火) 入院51日目★手術29日目

夕べは11時就寝、3時ころトイレで起きたあとウトウト。5時ころ、部屋のドアを「ドドン!!」と叩かれたような音がしたので何事かと飛び起きて出て行ってみると、看護婦さんが二人駆けつけたところで、こちらに「ごめんなさい」というサインをしている。
隣の部屋のじいさんが廊下が暗かったのと昨日入院したばかりで慣れてなかったので、よろけてドアにぶつかったそうだ。そうすか、ですぐ戻ったが目が覚めてしまい結局そのまま起床。

朝はいつもながら胃酸過多も吐き気もなく調子がいい。
肺炎治療薬バクトラミンの副作用で出て来たのは、俺の場合唯一この吐き気。しかしこれがあるとないとでは大違いだ。血痰は今日も赤が混じる。しつこい。
8時ころまでは雑事をしながら、ツイッターで知り合いとやりとり。

8時朝食はインスタント味噌汁と納豆で待ち構える。今日もご飯のおかずになるようなものは無かったので、納豆大活躍。でも朝は味噌汁ついてたんだった…。両方飲んだけど。

午前中も特に吐き気はなし。それにしても三度三度白飯だとバリエーションにも苦労する。思い立って下の売店へボンカレー(レンジで温められる)がないか見に行くと、レトルトの湯煎方式のしかない。
すごすご戻ってくると昼食が来ていて、何とカレー。奇跡が起きた(笑)。もちろん完食。

午後はずっと仕事に集中。集中しすぎて目がしょぼしょぼ、肩や首がビキビキ、頭はクラクラし出したので3時過ぎに休憩。風呂でも…と思ったら「使用中」。
とりあえずストレッチでもしつつ待とう、とベッドの上に渡してあるキャスター付テーブル(ボロいのでぐらぐらしていて「キュラキュラキュラ」と車輪も妙な音を立てる)を足下へ押したら、テーブルの上の外付けHDDが電源ケーブルに引っ張られて床に落下。
ケーブルの長さが足りない気味だったので注意していたのに、今日のシーツ交換時にベッド脇の小テーブルをずらした時、足に噛んでいたようだ。

「カシャン!」というプラスチックのあたる音がして、外側の筐体が外れて3.5inchHDDの基盤面が剥き出し状態。真っ青になる。とりあえず拾って筐体にはめ込み、恐る恐る電源とUSBケーブルをさし込み、スイッチオン。何も言わない。PCも認識せず、ドライブ表示も出ない。変な汗が出る。
もう一回筐体から出して今度はHDD剥き出しのままもう一度さし込んで見ると、無事モーターの回転音とアクセスするカリカリという音が聞こえ、PCも認識した。ホッと一安心だけど、この状態だと次に落下させたらアウトかもな…。仕事のデータと、入院中の記録などが入っているからすぐにでも移動させたいが、なんだかんだで200Gbほどあり、ミニノートへの移動は無理。
注意して使いつつ、退院したら真っ先にバックアップか…。それまで持ってくれるといいが。

その後はHDDを少し休めるために作業をやめる。シャワーのあとはテレビを見たり週刊誌を読んだり。
夕飯はアジの塩焼き、豆の煮物、おひたし。「伯方の塩」の小瓶を買っておいたので、付け合わせの茹で山芋に軽く振って食べたらうまかった。ただアジは少々生臭くて完食出来ず。
そういえばこのところメシに文句ばかり言ってるような気がする。気持ちに余裕が出ている証拠かも知れない。塩分量やカロリーなど制約も多い中、頑張って作ってくれる人たちがいるわけで、あまり文句を言っては申し訳ないな、と反省。ただこないだのなまり節(以下略)

夕方看護婦さんとも話したのだが、現状はとにかく回復しつつある実感は何となくある、けれどその「裏付け」がない状況だ。
採血の結果ではCRP(炎症反応)が一時期減ったと思ったらまた上がっていたりで、はっきりしない。いくら血痰が減ってきた、咳もずいぶん減った…という実感があっても、医師の納得できる根拠がなければ向こうも「もう出ても安全」とは言えまい。

その根拠の一つとなる重要な検査が、明日の胸部造影CT。結局袋状の穴は薬でどうなるのか、そもそも実際薬は効いているのかいないのか、回復しているのかしていないのか、順調なのか停滞しているのか。それらはいくら考えても想像しても、あまり意味のないことだ。

看護婦さんと世間話で「でも長いと気持ちの面で大変ですよね」、「病室にずっと居るということって、非日常じゃないですか」。「あらかじめ期間が決まっていたわけではないので余計にしんどいですよね」とも言われ、その通りなんだけど、俺の場合はもう「流れ」なので仕方がないと思っている。くよくよしてもやきもきしてもイライラしても泣きわめいても、肺炎がピタリと治るわけでもなし…。

しかしいい加減、出たいよ(本音)。

トイレのついでに体重を測ったら、61.3kg。微増ながらこれも順調だと思おう。
その後8時過ぎ、I先生が病室に来られ、今後のことを少しお聞きする。
まず量肺にある「穴」、これの壁が薄く鳴ってきているのがレントゲンで見ても解るので、それはいいことでしょうということ。ただ先週のレントゲンで右肺に少し水が溜まっているのが見えたが、量的にはあまり変わらないのだけど、依然あるという。肺の中にある「穴」の中にも少し液体があるようなので、針を刺して何なのか調べたいということ。
治療効果については明日のCTである程度評価できるので、それから退院などについては考えましょう、とのことだった。

ここからは素人の素朴な疑問
・胸腺腫を?期で摘出できたことは喜ばしいものの、白血病患者としては大事なT細胞の生成に必要な胸腺が無くなってしまい、今後ますますCD4T細胞が減りはしないかということ。500を切るとニューモシスチス・カリニの感染リスクが高くなり、200を切ったら投薬で予防するというレベル。先日I先生に伺ったところによると、俺の場合はなんと120〜140程度だったという。もう発症して当然のレベルだったわけだ。

元々のCLL(慢性リンパ性白血病)にしても、俺の場合T細胞性なので、B細胞性に効くリツキサンも効果がなく、今のところそれほど有効な治療法というのがないようだ。骨髄移植をしてもそれほど延命できるかどうか保証もない。そもそも今のこの免疫抑制に近い状態で移植〜寛解まで持ってける体なんだろうか。
CLLのステージは俺の場合明らかに?期だとすれば、10年生存率は無治療で10〜20%程度らしい。5年で50%だから、とりあえずそこはクリアしたわけだが、これからの残り5年は厳しいものになりそうだ。

何しろ懸念されていたさまざまな感染症やウイルス性疾患を、こうして実際にもう発症している。帯状疱疹の悪化、今回のニューモシスチス=カリニ肺炎。まだまだ日和見感染はたくさんあるし、世間は真菌だの黴だの免疫の落ちた人には怖い怖い目に見えない敵がうようよいる。

それらをかいくぐり、たとえ何かに感染しても重症化せぬうちに素早く治療が出来て予後がいい、それらが重なって、運もあるしタイミングも合えば何とか生き延びられるというわけだ。
あと5年は正直、この状態だとどう考えても厳しいというのが実感。
けれどもその終わりの時は、きっと教えてくれるひとがいるので、それも「流れ」に従うまでだが。
関連記事
2010-08-02(Mon)

とうとう入院50日

8月2日(月) 入院50日目★手術28日目

とうとう入院50日目、である。
6月、入院した時は梅雨入りした後だったか…。夏がまるまる入院生活で過ぎていく。

今朝は6時前に起床、いつものようにNHKのニュース。7時半採血2本、8時「ゲゲゲの女房」(どうやら略称は「ゲゲ女」で定着しつつある模様)を見つつ朝食。
昨日の夕飯で、とうとうご飯のおかず類が完全に切れてしまった。朝食はおかずが貧弱で、今朝も小さなひろうすの煮物1つに味のないおひたしのみ。あとはどんぶり飯を味噌汁で流し込む以外ない。結局半分ほど残した。
飯が食えないと体力が戻らない。66〜67kgあった体重が60kgちょいだ。ダイエットなど始めた憶えはない。

「そうだおかず買いに行こう!」と思い立ち、マスクをして9時5分のシャトルバスで中央棟へ向かう。運転手のKさんは話しかけると必ず笑顔で返してくれるが、こちらが黙っていると必要以上のことは言ってこない。いい距離感の人だ。
数分で外来棟の入り口に着き、お礼を言ってエントランスに入ると「ぅわーん」と行き交う人たちの声やざわつきが聞こえてきて、何となく懐かしい。
ついつい正面玄関から入ると外に居た時の習慣でスタスタと歩いてしまうが、すぐに息が上がる。階段を手すりを使ってゆっくり歩き、地下のローソンへ。こんなところでふらついてコケたら、頭の鉢が割れるかどこかの骨を折りかねない。難儀やのう。

ここのローソンは普通の店舗プラス、T字帯や吸い飲み、食器類や紙おむつなど病院ならではのもの、そしてフードが充実しており、暖かいパン類まで置いてある。そして半分、といっても20〜30人は入れる2人掛けテーブル席と壁際の席があって、買ったものをその場で食べることも出来る大きさだ。棚の間も若干広めで、車椅子でも入れるようになっているのも「最新の施設」という感じ。

まずはご飯のおかず。今までは小分けされたものを買っていたふりかけの大きい袋、定番「ごはんですよ」、納豆4パックなどを仕入れる。レトルトカレーは迷ったが暖める鍋が談話室にないので諦めた。(後で思い出したが、ボンカレーだとレンジで温められたのだった…)
お茶なども買ってけっこう重い袋を持って正面玄関へ行くと、次は20分後。ああそうか、南病棟だと思い、すぐにとって返す。果たせるかな、さっき自分が載ってきたKさんのバスが南病棟に廻っており、ほぼ発車時刻で滑り込みセーフ。しかし息が切れた。

Kさんがスライドドアを開けてくれたのでお礼を言って座席に座ると、隣に男性の看護士か助手さんが座っていて「凄い荷物ですね」という。「ごはんのおかずなんですよ。もう死活問題です」と言うと「ああ、あっち(南西病棟)はあんまり置いてないですからねえ」と納得されてしまった。

部屋に戻ったら9時40分前、この「買い物」は効率的だった。タイムロスはいったん正面玄関へ行ったあと南玄関へ回ったくらいだった。ヘタをすると1時間仕事になるので、全然違う。
そろそろ病棟がざわつき始めている。新しい入院患者が入ってくると、まず病棟を看護婦さんが「ここがトイレ」「ここが浴室」と案内するのだが、そういう声も聞こえてくる。入院患者の付き添いらしい家族が連れてくる幼児の甲高い奇声と走り回る足音。新たな下駄かよと思うほどのカッツンカッツンという大きなつっかけの音。
昨日の静けさに比べると「活気がある」というよりは「やかましい」(笑)。

仕事が終わっていないのでイヤフォンで音楽でも聴きつつやるか、と思ってPCを開いたらN先生が診察に来られる。
肺炎の病状のことも少し話すが、中がどうなってるかは結局レントゲンでは解らないので、あさってのCTを見るしかない…ということは理解している。今日の採血の炎症反応やCTなどで今後のことを決めましょう、という確認。通院投薬治療になるばいいが、過度な期待は持たないようにしよう。退院は俺の意志で決まるわけではなく、医師が決める。それに従おう。「流れ」に無理に逆らっても、今まであまりいい思いをしたことはない。

ローソンの荷物を提げて普通に歩いただけで息が切れ、動悸がするような体。家に戻れば買い物やら掃除やら洗濯やら食事の支度など、そして今も明青さんにご迷惑をおかけしている猫の世話まで、日常やらねばいけない作業が圧倒的に増える。体力を回復させ、無理をしない範囲でちょっとずつ歩くようにして、普通の状態へ戻さねばならない。

昼は配膳の音がしたので、コップを入念に洗い、インスタント味噌汁を持って談話室へ。ガス給湯器があって熱湯も出るが、少量なのでここは水から湧かしたい。ポータブルのIHヒーターがあるので、やかんに少量の水はあっという間に沸騰。コップに味噌汁の元と湯を入れて、部屋に戻る。

やはり味噌汁があると全然違う。幸いおかずはかに玉、豚肉炒め、ピーマンとじゃこの和え物、とまあまあご飯に合うものだったので、ほぼ完食。味噌汁で口をしめらせて開始、味噌汁を飲み終えて終了というのは「食った〜!」という充足感があっていい。とてもいい。

午後は仕事〜休憩・逃避〜仕事。目が疲れた。そういえば必須である目薬は家に置いてきた。入院に最低限必要なものはまとめてあったし、たいていのものは買って済ませられる。でも家にあるものを新たに買わねばならないという場合、少し躊躇するのは貧乏性か…。

5時前に飲んでおいたプリンペランが効いてくれた。
6時、夕飯は納豆とインスタント味噌汁。おかずも山盛りの酢の物を残した以外は完食。
はっきり言う。納豆大好き。ナットウキナーゼは血液をサラサラに…って俺のような血小板が減少している人には良くないかも知れないけど、きっと大丈夫だ。うまいから。

その後は軽く目眩と頭痛がしたのでパソコンを閉じていたが、8時半過ぎから一気にこの記録。お見舞いコメントやメールなどいただいた方、ありがとうございます。

そうこうしつつ「今日は血痰が少ないな」と思っていたら、夜になってまた出始めた。胸の中にある肺炎の巣窟、いくつもある穴…まさしく「巣穴」のようなものから出てるのか。だとしたらいいことか、あるいはまずいのか。あさってのCTの結果まで、考えても仕方がない、考えないことにする。

吐き気がなくご飯が食べられるという事実をもって良しとしよう。
関連記事
2010-08-01(Sun)

静かな病棟

8月1日(日) 入院49日目★手術27日目

夕べは調子が悪かったのが少し持ち直したあとも、大事を取ってそのままただじっとテレビを眺めていた。そういえばメニエルのような症状が出たことがあるが(自分の場合はリンパ節が腫れて圧迫したのかも知れないということ)、軽い目眩にも似た頭の重さと不快感、吐き気はあれに少し似ている
看護士クンも「吐き気が一時的なものやったらいいんですけどね」と言ってくれるが、せっかくおさまって順調にメシも食えていたから、はっきり言ってショック。でも体力つけなあかん、頑張って食べな…という時に限って「ほんまにまずいメシ」だったりして、と笑う。
夜は早めに薬を飲み、10時前には消灯し、10時半ころには寝てしまった。

夜中一度トイレに立ったが、次に目が覚めると6時。正味7時間ほどは寝られたか。やはり廊下を歩く看護婦さんや患者たちの気配も声も、立てる音もかなり少なかったせいもあり、久々に熟睡できた。

トイレ、洗顔などして体重を測りに行くと60.30kg、まだ微妙に減っている。くそ。

朝の起き抜けはいつも、前の晩に飲むようになったパリエット(胃酸過多防止)がよく効いていて、吐き気も一切なく胃部の不快感もない。それが昼過ぎまで続いて、ここしばらく、おかしくなるのはたいてい食間の長い夕方4時あたりの、胃酸が出るあたり。ここでパリエットを飲めばよさそうだが、一日の使える量を超えてしまうのでダメらしい。
このパリエットという薬はけっこう強いらしく、増やしてもらうわけには行かないが、毎朝気持ち良く起きられるというのは本当に助かっている。同じ気分が悪いのでも、朝の一日のスタートから嘔吐したり具合の悪さと闘いつつでは、かなりきつい。
今日はこのまま吐き気や頭痛が出ないといいのだが。

今日の病棟は静かだと言ったら、個室の人らも一時外泊している人が多く、大部屋も半分いないという。しかし何と明日から4人だか5人だかドッと「新入り」が入ってくるそうで、病棟は満員になるそうだ。やれやれ…週明けから風呂もトイレも騒音も、大変なことになるのだろう、気が重い。

人も少ないし昼前に早々にシャワーしようと思ったら、ボディソープが切れていたことを思い出す。買えばいいやと思っていたら今日は日曜で売店は休み…。汗だけでも流そうとシャワーだけ浴びようと思っていたら、研修医のKさん。
様子の聞き取りと呼吸音確認のあと、「明日からまた別の科に移動になります」とのことで、こちらもお世話になりました、と頭を下げる。「いろいろ慣れない処置でご迷惑を…」というので「いや、最初は皆さんそうですから頑張ってください」と挨拶。頑張っていい医者になってください。


昼食は「すきやき」という名称のぼやーっとした味の「にんじんと白菜煮にごく少量の薄切り牛肉を添えたもの」、茹でブロッコリのおかかまぶし、山芋千切り細切りわかめ入り、以上。白飯のおかずになるのは山芋千切りくらい。醤油を入れてかき混ぜてご飯にかけて食べる。「すきやき」(では断じてない、と思う)は味が薄いのでおかずというより汁物みたいな感じ。ブロッコリーもほぼ無味。
途中で糖尿食じゃないよなコレ…と紙を確認したほど。完食できず。ただし吐き気や食欲不振ではなくて味の問題でしたすんません。

午後はほぼ仕事。
昨日一昨日と調子が悪かった分を取り戻すべく奮闘。目が疲れた。
途中3時ころに頃胃酸過多〜吐き気防止にミニッツメイドの吸うタイプのゼリー「朝りんご」をチューチュー飲んだ。果汁はほとんどないが、うまい。ただ人気があるのか売店に入るとアッという間に無くなるらしく、たまに見ても箱には1、2個しかないのが残念。
しかし結局、4時ころ看護婦さんが「これ、自己管理で飲んだ時間だけ報告して下さい」と言ってプリンペランを持って来てくれた。

今日は大丈夫かも…と思っていたら、4時半過ぎあたりから少しムカつきが来た。大丈夫…が怪しくなってきたので、5時前に一錠飲んでおく。
幸いこれが効き、夕飯前には気持ち悪さが消えた。夕飯はほぼ完食。いつものように大量の小鉢の和え物(三度豆のピーナツ和え)は半分しか食べられず。

その後も仕事。夜は転送、このマシンは処理能力が非力で、かつ通信環境も脆弱なので複数の転送を重ねるとだいたい止まる。終わったと思ったら止まってたりするので、一つのタスクにとどめて、張り付きながら効率的にやらないといつまで経っても終わらない。

仕事のバックにつけていたテレビの酒「黄桜」のCMに思わず目が行く。マグロとかウニとかはもとか焼き空豆とかの映像と冷やした酒。
連れ合いが生きていた頃は二人での晩酌が一番楽しい時間だったなあ、としみぢみ思い出す。家で炭火焼きや鍋をしたり、「明青」さんはじめ、美味しいお店へ出かけたり。
ここを出て一人で行くようなことがあれば、「明青」さん以外にはないだろうなあ、と思う。早く行きたいなあ…と料理を夢想したら胃酸過多になりそうなので、仕事に戻る。

まずはこのしつこい肺炎を退治して、体力を回復して、全てはそれからの話か。
関連記事
カレンダー
07 | 2010/08 | 09
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる