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2010-10-27(Wed)

二日酔い

10月27日(水)

ゆうべ、晩酌にビールを飲んでから缶チューハイを飲み過ぎてしまった。もう冬になっていくが、ビールは季節に関係なく好きで飲んでいる。近年缶チューハイはほとんど飲まない。というより焼酎やウイスキーは飲もうと思えば飲めるが体質には合わないと知っているので、家ではビールか純米酒だけ。病気をしてからはとりわけ、混ざりモノ(保存料、醸造用アルコール、香料のたぐい)がないものを飲むようになった。

若い頃はそれこそチャンポンでいくらでも飲めたもので、チューハイ=レモンサワー的なものだと数十杯という単位で飲んだこともある。たまに、夏の暑いときにそれを思い出して飲みたくなることがあり、数本缶チューハイを買っておいたりする程度。
辛いものを食べた時など、氷とレモン汁を入れてスカッと飲むと実にうまい。ビール(5.5%)とアルコール分はたいして変わらない缶のレモンサワー(6%)に氷とレモンを足すのだけど、飲み口が良くついつい飲みすぎしまう。ビールと違って不純物が多く入っている分、カラダに負担が多いのかも知れない。缶ビール4本とチューハイ4本では全く後が違う。

朝起きると寒い。また一段と気温が下がった様子で、布団から出ると短パンTシャツだとえらく寒い。加えて前の晩の飲み過ぎで軽い頭痛、夕飯に作ったニンニク入りキノコ鍋のせいか激しい下痢で常に下腹部に不快感。その上、こないだからの左胸の痛み。加えて左手指の痺れも強い。
一つだけなら何とか凌げる「痛み」や「不快」がここまで重なるとさすがにしんどい。
薄物のパジャマズボンを吐き、冬物のパジャマの上を羽織って、とりあえず朝のもろもろを終えたら食欲もなくソファに転がるしかない。ペットボトルの紅茶で朝の薬を飲み、2回目の下痢便を出して、仕事のデータが届いたらすぐに作業開始。このために横になっていたのから起きるのさえしんどかった。
作業は午前中に終え、ひたすら横になっていた。

動かずにいると楽になるので、少しウトウト。何か食べられるかと思い起き上がると胸が痛み、下腹部不快感。頭痛はすぐ治ったが、とにかく下腹部全体が下痢症状。下痢なのでむしろ水分は摂った方がいいのだが、何か飲むとすぐに下るので参る。

昼過ぎまでこんな状態で、ネットも時々寝たまま大事な連絡が来てないか確かめる程度で、あとはテレビを見ていた。「ひるおび!」だの「ミヤネ屋」だのを見ているあたりでさすがに腹が減ってきたので、棒ラーメン(九条ネギメンマ溶き卵入り)を食べる。完食できた。
そのままソファに転がると、小寒いのかユキが脇に頭をくっつけるようにして体をねじ込んでくる。そのままこちらもテレビを眺めるが、一瞬ウトウトした程度でユキと一緒に横になっていた。そのまま2時間ほど。そのうちシマが降りて来てその様子に嫉妬したのか、逆側の脇に来ようとして隙間がなく、仕方なく足の間に入って俺の右足を枕に丸くなる。猫たちのせいで身動き出来ず。首と右手だけを動かして時々チャンネルを換える程度。

夜までそんな調子だった。
7時ころになるとだいぶ楽になってきたので、切れていた一番ダシを取ってペットボトルに移し、同時に夕飯は簡単にカレーうどん(九条ネギ豚薄切り肉少量入り)、で済ます。その間も下痢は続き、結局この日だけで10回近く行ったか。
10時前に二階へ上がり、布団に横になりつつニュースを見て、11時には消灯。
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2010-10-26(Tue)

血液内科診察日

10月26日(火)

前の晩は少し気温が下がったので、春に干してしまっておいた羽毛掛け布団を出して寝ると、しばらくしてユキがもぐりこんできた。昨日は日中から外の空気が冷たく、突然季節が変わった印象。一昨日まで、この部屋は熱が籠もるので時々クーラーを入れていたくらいなので、季節が一気に進んだ感じ。

朝は結局9時前にユキを布団に残したまま起きて、支度をして出る。やはりTシャツの上に長袖ワイシャツ一枚だとちょっと小寒い。夏の終わりがぐずぐずと続いていたような感じでいたから、体感よりも気分的についていけない感じ。

タクシーで京大病院、受付をして血を採られたのが9時40分ころ。携帯を忘れてきたので音楽も聴けず、ひたすら座って待っていたが眠いこと眠いこと。
さらに昨日あたりから左胸がズキズキ痛みだし、それもつらい。昨日か一昨日あたり、くしゃみをしたらズキンとしたのでまた気胸かとビクビクしたが、息は吸えるし、強い痛みではないので気にしなかったのが、今日になってちょっと痛みが強くなった。まさか、肺の中の穴が破れたとか…いや、レントゲンでは経過順調なので、何かあれば採血に出るだろうし、と考える。
前回までのI先生のように突然呼び出し端末の表示が「診察室へ」になるのではなく、11時20分ころに「外待合へ」になり、それから15分ほどで「診察室へ」になった。

前回、I先生の診察のあとに領収証と出て来た予約票に記載されていた医師名から女医さんだというのは知っていたが、今回から新しく担当医が変わる初対面。N先生という女医さんで、優しいというか丁寧というか、穏やかな感じの人で良かった。

挨拶をしてすぐ「今年に入って色々大変でしたね」と言われる。で、今回の採血では白血球数が低いのでちょっと心配だと言われ、えっと思い見せて貰うと1400と確かに低い。が、どうやら入院中の2000代あったところから見ておられたようなので、「ここ数年はこんな感じで低値安定というか、むしろ入院中がなぜか高かったくらいで」というと、データを遡って「あ、本当ですね…」と確認していただく。
結論としてはやはり、5年間ほぼ病気の進行は同じようなペースでゆっくりとしているが、ここ一年ほどの状況と、入院中の呼吸器内科での詳しい採血結果によればT細胞がかなり少ないのが心配だ。易感染というより免疫不全状態である。しかしかといってそれを改善する薬も方法もないわけで、これまで通り極力人ごみにでない、うがい手洗いマスク励行ということぐらいしかない、ということだろう。
もちろん素人考えだが、N先生にも「…ということなんでしょうか」と言うと「そうですね」と申し訳なさそうに言われた。何かあったらその都度対処。で、呼吸器の方で次回少し詳しい感染症や免疫に関するデータを採血で採りますと言われたというと、それがいいでしょう、血内の方でもそれを参考にしつつ、次回は少し項目を増やして詳しくデータを取ります、とのこと。

病院の会計は空いていた。会計はたった250円だった。しかし自動精算機が混んでいたので、クレジット専用機で支払う。
病院を南病棟の玄関から出て、工事の誘導員に「北側に出られるか」聞くと出られるというので、指定された通りまっすぐ工事棟の脇を歩き、くねくね曲がって近衛に出た。
そのまま歩いて東一条の左京区役所へ向かう。高額医療費の還付申請である。この区役所へ向かって歩いている時が一番、左胸が痛かった。くしゃみした時にどっかの筋がいかれたか。呼吸が苦しいとか、肺の中の感じではないようなのだが、まあまたすぐ呼吸器内科でレントゲンを撮る。
歩いている途中でパラパラと小雨ぽいのが振ったが、それも少量・一瞬。しかし本当に気温が低く、ついこないだまで死ぬほど暑かったのが嘘のようだ。

区役所の8番窓口は空いており、すぐ係に書類を渡してサイン、押印で終わり。7月分は手術代などで数十万円かかったが、規定以上の超過分は還付されるので助かる。
区役所を出て、スーパーでほうれん草やしいたけ、総菜を少し買った。ここは大手スーパーではなく、小さな家族経営のような店だが、ほうれん草が一束180円くらいで安い(ちなみに大手スーパーだと250円〜300円)。そのうえ地のものらしく根っこまでちゃんとついていて、土がついている新鮮さ。思わず3束も買ってしまった。そのままタクシーで帰宅1時ころ。昼は買ったチキンカツ弁当。

夕方、買ってきたほうれん草3把を湯通し。根っこの先をちょっとだけ残して切って、土を落とし、よく洗ってから湯通し。湯に泳がせたあと水にさらしていくが、そのうちの1本を取り出してゆすいでいたら、葉の付近に2cmほどの小さな芋虫がついていた。もちろん茹で上がっちゃっていたし(笑)取り除いたが、このほうれん草が新鮮で虫も食べられるものと思うとちょっと嬉しい。
水を切ると濃いアクが出る。茹で汁も、いつも大手スーパーで買った時のものよりもかなり濃い。葉ものは冬はまた高くなるかも知れないので、また小分けしてラップでくるんで冷凍。

何となく、本当にじわじわと体のそこかしこで不具合が増えてきている。終わりが近いのかどうかは不明だが、終わりに向かって進んでいるのは確かだ。考えても仕方ない。
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2010-10-22(Fri)

生きてます

10月22日(金)

ツイッターでの「生存報告」(笑)書き込みをあまりしなくなり、やまだ紫関係のお知らせもこちらで…と言いつつ更新していなかったので、夕方明青のおかあさんから電話をいただいてしまった。
「大丈夫〜?」と言われて恐縮。また入院してたら、とか調子悪いのか、とかご心配いただいてしまって申し訳ない限り。

病身ではあるが、今日・明日死ぬということは無さそうだけど、半年先のことは自信を持って言えなくなってきた。イザという時には必ずどなたかのお世話にならざるを得ない。それまではせめて、ご心配をかけぬようにしないといかんと反省。
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2010-10-15(Fri)

やまだ紫「樹のうえ…」再掲載の打ち合わせ

10月15日(金)

医療関連の業界誌「知遊」編集人の佐藤さんとお会いする。
3時、ホテルフジタで待ち合わせだったので、2時半ころ出た。半袖一枚で出ようとしたらけっこう涼しかったので、長袖のシャツを一枚羽織った。

タクシーでホテルフジタの前まで行き、ロビーで携帯に電話すると、ラウンジにもうおられるということなので「こちらはマスクをしています」とお伝えして進んで行くと、すぐに判った。
名刺交換をしてアイスオーレを頼んで、やまだ紫の本をお渡しする。
「知遊」というのはある医療機器メーカーがスポンサーで、全国の病院、医療施設などに配布されているという非書店売りの業界誌。実はその社長さんだった人がやまだ紫の大ファンで、いつかお仕事をお願いしたいと思っていたら亡くなられてしまった、その後思潮社から出た「樹のうえで猫がみている」を読まれて、その収録作を掲載できないか、というご依頼だった。

こちらとしては新作はもうないわけだし、未収録作品も思潮社版に入れてしまったので、原則、本に載っているものの再録というかたちになると話すが、それでも構わないということ。ついては俺に、思潮社版の最後に寄せた文章のような一文を書いてスタートさせたい、ということだった。
俺自身はやまだ紫で自分が商売する気は毛頭ないが、やまだの作品が転載され、知らなかった人の目に触れ新たなファンが増えることは嬉しい。しかし自分はモノ書きではないし、しゃしゃり出る気も毛頭無い。なのでいったんお断りしたが、突然何もなく詩画だけが転載されるのもおかしいし、是非やまださんのご紹介という意味でもお願いしたいということなので、お引き受けすることにした。
少しでもやまだの作品を知る人が増えてくれれば嬉しいし、そのきっかけになるなら協力するというスタンス。原画をお貸しし、あとはお任せしますということと、こちらはなるべく顔を出さないようにしたいという希望をお伝えした。
その後「ガロ」の話や、編集の話などを小一時間ほどお話して、ロビーで別れた。昔の編集はみんな紙の版下を作ったり、青焼きやを貼ったり製版フィルムを触ったり…という話題が懐かしかった。

その後タクシーで久々に近くのSCまで行き、食品売り場でちょっとだけ買い物をして帰宅。4時すぎだった。
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2010-10-14(Thu)

福音館書店のFさんが来られる

10月14日(木)

体調があまり良くなく、10時過ぎまでだらだらと寝ていた。このところ起きてみないと体調が判らないという状態で困る。
この日は午後に福音館書店でやまだ紫が連載していた「やま猫の宝箱」の担当編集者でおられたFさんが来られる予定。掃除しなきゃいかんと思いつつ、1時間もあれば大丈夫かな、と横になっていた。

朝は小岩井のボトルコーヒーにセブンイレブンのホットドッグ。食べたら下痢、といういつものパターン。11時過ぎになってトイレを掃除し、掃除機を出す。こないだの掃除は掃除機がけだけだったが、今回はクイックルワイパーで床拭き&ワックス掛けも念入りに行う。汗だくのヘトヘトになった。
途中12時ころ、Fさんから京都駅に着いたのでこれからタクシーに乗るという連絡があり、あせる。京都駅からなら遅くとも30分くらいで到着するので、テーブルの上を片付けて拭いたりなどわたわた。汗をとりあえず拭き、着替えて用意を終えたら15分ほどで下に到着とのこと。けっこうギリギリだった。

まずはやまだに線香をあげていただいて、それから名刺交換。Fさんは、やまだ紫とは書肆水族館で行った「やま猫展3」の時に初めてお会いした、とのこと。その時にサインと猫の絵を描いていただいたと、ちくま書房の作品集5巻をわざわざお持ち下さり、見せていただく。確かに92年の日付で、猫のイラストが筆ペンで描かれていた。丁寧だが元気の良い線で、流れるように「やまだ紫」と懐かしい字が添えられている。

その後しばらくやまだの話をしたあと、返却いただく原稿と原画の話に移る。
その中の一つは日付が91年となっていて、Fさんは「あれ、じゃあこの時が初めてだったのかしら」と笑っておられた。「母の友」の連載原稿や、カットの原画、付録の塗り絵の原画など。まだ全部ではない可能性があるので、もしまた見つかったらご返却します、とのこと。
その後はこちらの病気の話などをしていると、何と日帰りで社に戻られると聞いて驚いた。2時ころ、マンション下までお送りして、タクシーを拾われるのを確認して戻る。
お花などもいただいてしまい、恐縮。何かのついでかと思っていたが、遠いところまでわざわざこのため…原稿の返却と焼香に来られたことを知り、さらに恐縮した。

やまだのことは「初対面でも丁寧でお優しい感じの方でした」とおっしゃっていた。
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2010-10-12(Tue)

呼吸器内科受診日

10月12日(火)

たびたび書いているがうちは熱が籠もるので、日中風のない日はまだクーラーをつけないと暑い。2階=メゾネットにある寝室はさらに熱が籠もるため、一日じゅう細く窓を開けて網戸にして熱気を逃がしている。夜間寝ている時も当然ずっとそのままだが、今は掛け布団が要らないという感じ。真夏はもちろん締めきってクーラーをつけないと寝られなかったが、外気を細く入れてちょうどいい、という季節が一番いい。

朝方は、脇のタンスの上で寝ていたユキがベッドの上に来て、にゃあにゃあと鳴くので起こされた。脇の下に額をグイとくっつけて四肢をなぜか人の腹にグーッと突っ張り、しばらくゴロゴロ言ってるうちに寝てしまう。気が付くと突っ張っていたはずの手足もぐにゃぐにゃになっていて、ただ脇で丸くなっているだけ。

そんなこんなで8時起床。外は青空に白い雲。暦の上では完全に秋なのに、ずっと夏がしぶとく粘っている、という印象。

支度をしてタクシーで9時ころ京大病院へ。連休明けのせいか、患者が多いような気がする。
受付をして採血受付に向かうと、行列はそう長くはないのでホッとしたが、いつもはガラガラの外待合のベンチがほぼ満席だ。受付で貰った番号のレシートを見ると260番台、電光掲示板はまだ170番台で先は長い。
今日は呼吸器内科なので肺のレントゲンもある。これなら待ってる間にレントゲン済ませられるなと思い、1階の放射線受付へ。こちらは空いており、10分ほど液晶テレビで国会中継を眺めていると呼ばれて撮影。撮影自体はいつも通り一瞬で終わる。身支度を調えてゆっくり採血受付前に戻ると、あと3番程度まで進んでおり、タイミングはバッチリだった。
椅子に座るまでもなく、1、2分で自分の番号まで表示され、採血室へ。数分待ちで採血を終えて時計を見ると9時半だった。

このあとは採決結果が出るまで1時間ちょい、恐らく11時ころにいつものように携帯端末ではなく外待合のアナウンスで呼ばれるので、呼吸器内科の外来受付付近に居なければいけない。1時間半ほど、ただひたすら待ち。
その前に朝メシを食べようと思い、再び一階へ降りてドトールへ。行列は4〜5人だったが、見ると席がもう2人分くらいしか空いてない。並んでる人も「こちらで召し上がりますか」と聞かれ「はい」という人ばかりだが、これじゃあオーダーしても食う場所がないだろう。
というわけでレストランへ。この時間は和洋モーニングのみで、サンドイッチ・サラダ・コーヒーにヨーグルトがつく洋風セットの方にして、ゆっくり食べた。

その後はひたすら外来の外待合で座って待つ。Tシャツ一枚でもちょっと暑い。ただ周囲は年寄りがほとんどで、中には上着を着てスカーフを巻いているオバチャンもいるが、暑くないのだろうかと余計な心配。今日は予想では27〜28℃くらいだったと思うが、陽射しの感じだともうちょっと上がりそうだし、人口密度が高いと余計に暑い。
若い人は総じて半袖か着てきた上着を脱いでいて、老人は厚手の上着やコートを羽織っていたりという季節がよく解らない光景になっている。年をとると外気温に鈍感になるのか、それで熱中症による死亡は老人に多いのか…。そんなことを考えつついつものように周囲の人らを観察しながら時間を潰す。

予想通り11時ころ、I先生の声で呼び出しがあり、診察室へ。
レントゲン写真をすでに入院中の8月から先月、今日、と1ヶ月おきに並べてあり、「肺の方は良くなってますね」とのこと。見ると右肺の中にある穴、画像だと水玉模様のように見えるものが縮減傾向にあって、縦隔あたりに突出していた影も小さくなっている。並べて見せていただくと、確かに解りやすい。
ただ採血の結果の方は、相変わらず変化がないとはいえ「低値安定」。「白血球が増えませんねえ」と言われる。俺の場合はもう「免疫不全状態」だから、一回今の安定している時の細かい免疫のデータを調べておいた方がいいでしょう、とのこと。
つまりこういう体になってしまうと、何らかの感染症にかかったりしても、いきなり重篤な症状として解りやすく現れるとは限らない。実際この度のカリニにしても、2ヶ月以上軽い風邪のような症状が続いて、肺が破れてようやく解ったくらいだ。なので、今カリニは陰性になったし、この状態で数値を出しておき、把握しておけば、今後何か変化があった時に判別しやすいということ。

俺の体だと普通の人では何でもないような感染症が命取りになりかねない。もちろん結核も怖いし、インフルエンザも怖い。マンション下にあるクリニックのI先生に、次回聞いておくようにと言われていたインフルエンザワクチンの話をすると、「打っておいた方がいいでしょう」とのこと。ちゃんとした抗体が体内で生成されるかどうかは疑問とはいえ、摂取することでの悪影響、リスクは余り考えられない、ということだ。
確かにワクチンを摂取したからといって、健康な人のように免疫力が働くわけではないから、効果は疑問だろうが、やらないよりはやった方がいいということだ。

次回は一ヶ月後、それら免疫というか感染の方の検査を採血で細かく見させて貰います、ということで、帰りはまた薬の吸引のために処置室へ寄る。

処置室で用紙を渡し、しばらく待たされて、またあの電話ボックスのような小部屋に入れられて、噴霧される薬をチューブで吸引。ヨダレがだらだら出るわ吐き気はするわ咳き込むわで、もう本当に拷問のような30分だが、こればっかりは肺炎予防のためには仕方が無い。
終わってホッとして、会計をして病院を出たら12時過ぎだった。

外はますます陽射しが眩しいほどで、夏はしぶとい。上着は必要なかったようだ。道行く人も汗を拭いている。調剤薬局で薬を貰い、熊野前のスーパーで買い物をしてまっすぐ帰宅、1時前。

それにしても「免疫不全」とはっきり言われると、改めて凹む。
普段出来ることはなるべく感染リスクの高い場所へ行かないこと…不特定多数の人が集まる場所や閉鎖空間などは避ける。日常の外出も必要最低限にとどめて、マスク手洗いうがい励行。これまで通り、それくらいしかない。雑菌とウィルスは違うが、白血球数がこれだけ低いと当然好中球も少ないから、結局両方とも注意せねばならない。それでも感染する時は感染してしまう、カリニがそうだったように。
おそるおそる生きるしかない。
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2010-10-08(Fri)

やまだ紫復刊チーム集合

10月8日(金)

午前中はいい天気だったが午後から雨になった。

この日は小学館クリエイティブの川村さん、ライターの中野晴行さん、デザイナーの真田さんと「明青」さんでお会いする予定。
実は6月の中旬に約束があった予定が、俺の肺炎〜手術などの入院で流れてしまったので、仕切り直しである。待ち合わせは直接お店で6時〜6時半ということだったので、6時過ぎのバスに乗り高木町で降りるが、そのあたりで雨はけっこうな振りになってきた。
お店に到着するとすでに小上がりに川村、真田さんは到着しておられた。
性悪猫」など、やまだ紫作品の復刻でお世話になったデザイナーの真田さんにお会いするのは初めてなのでご挨拶、やまだの絵ハガキとキーホルダーを差し上げる。

中野さんは精華大で講義の日ということだったが、地下鉄で松ヶ崎まで出て地上に出たら迷ったという連絡が店にあったそうだ。おかあさんは教えつつ、てっきりタクシーの運転手が電話してきたと思って「プロなのに道が解らんておかしいやん、とか思って失礼な言い方してしまいました、謝っといて」とのこと。皆で笑う。
川村さんによれば中野さんは携帯を持たない主義の人だそうで、こうなるともう無事に来られるか、あるいは公衆電話なりから連絡があるのを待つしか手立てがない。考えてみれば携帯のないホンのちょっとの昔、こういうことはよくあった。
というわけで「いつになるか解らないのでやってましょう」ということにして、ビールと刺身などを頼んで乾杯。
やまだの写真も持って来たので、川村さんが持ってきて下さった小さな花束を添え、おかあさんに小さい日本酒をいただいて陰膳を作って参加してもらった。

川村さんから小クリで作った水木さんのサインがプリントされた万年筆を頂いたり、楽しく話をしていると、中野さんが無事到着。雨だし暗いし人はあまり歩いてなかったそうで、公衆電話で一度店にかけたら十円玉切れになったという。結局下鴨本通りまで出て、そこから南下して北大路を戻ってきたとうからえらい遠回りだった。

そこで改めて4人で乾杯。
冒頭「白取さんの退院祝いで」と言っていただいたが、やまだ紫の復刊に関わった4人…コーディネイトしていただいた中野さん、編集担当いただいた川村さん、デザインの真田さんと俺…が揃ったのは初めて。
「一年遅れましたけど、復刻メンバーが揃ったのでお祝いですね」と話す。
後半は日本酒と料理にすっかりいい気分になり、飲み過ぎて3人を見送ったあと、卓上の写真を忘れて帰ってきてしまった。
やまだはもうちょっとお店で飲みたかったのかも知れない、と言い訳。
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2010-10-03(Sun)

平穏な日

10月3日(日)

特筆すべきことなど何もない、言い替えれば平穏無事で変化のない普通の一日。
この「普通」がどれだけ有り難いかはもうさんざん味わい、ここでも書いてきたので今さらくどくど述べる気はないと言いつつも、ベランダに出て歩く人を眺めていると、やはり「普通」っていいな、と思わざるを得ない。
自転車でスイーッと軽やかに、買い物か、あるいは知り合いのところへ向かうのか、ペダルを漕いでいく人。反対側、東の方向へ詩仙堂にでも散歩がてら向かうのか、地図を見ながら連れだって歩く三人ほどのご婦人がた。くわえ煙草でゆっくりと歩くおっさん。ビニール袋を片手に、リードの先の犬が街路樹に小便をかけるのを待っているおばはん。学生らはその間を忙しく自転車や徒歩で行き交っている。
今日は午後から雨になるという予報の京都、午前中はまだ晴れ間もあって湿度もそれほど高くはない感じではあるが、盆地は天気が急変しやすい。すぐそこの山から突然黒雲がにゅうっ、と出て来て街を覆い尽くすなんてこともしょっちゅうである。
仕事を一段落させて、ふと見ると前回の血液内科とその前の呼吸器内科の診察日に採血をした結果のプリントが窓からの風でひらひらしていた。ああ、入力しとかんとな、と思いエクセルを開いてそれらの数値を機械的に入力していく。
5年前の白血病を告知される直前の、夫婦で何の気なしに出かけた無料の健康診断での採血結果。その後の急転直下、癌告知と余命宣告を受け、入院〜抗癌剤投与と言われたあたりのそれ、そこからずっとこれまでの、結果をいただいた全ての採血結果は手元のファイルに記録してある。
健康な人から見たらギョッとするような数値が並んでいても、この5年、しかも無治療での5年生存率が半分程度という病気で考えたら、この程度なら変化無し、つまり有り難いことだ。

この間、業界の後輩が電話をしてきてくれた。
後輩というよりはまあ教え子といった方がいい相手なのだが、まあ就職し社会人になってしまえば同じ出版・編集業界の後輩である。
彼は色々とこちらの知らない萌え系(笑)やらオタク系から、最新の2ちゃんねる系まで幅広くネタを教えてくれる、貴重な存在だ。彼自身、自分の仕事がらネットの情報は必要不可欠で、常にチェックを欠かさず、その過程で「あ、これシラトリさんに教えてあげなきゃ」と思ったらすぐにポストしてくれる。実に有り難いし、実際的確なので面白い。
彼はツイッターをやっていない。
やっていないというか、やっていたがやめたという。フォロワさんはそれなりに増え、仕事でも重宝した部分があったことは否定しないけれど、逆に、四六時中彼の場合はiPhoneから何かしらつぶやかねばならないという強迫観念にも似た「義務感」に耐えきれず、結局仕事の話ならメールや携帯でこれまで通り済ませればいいや、と思い立ってやめたという。
「ツイッターを一日じゅうやってられる人って、実は凄く時間に余裕のあるうらやましい人か、あるいはツイッター依存症の残念な人か、どっちかじゃないでしょうか」
と彼は言う。
いや世の中そんなに簡単にどっちか、に二極化できないしするもんじゃないよと説教をしたが(笑)、ツイッターは気軽に自由に「つぶやく」もんでね、あんまりそれに過大な期待をしたり、重大な意味を見出したり見出そうとしたりしない方がいいんじゃないかね、とも言っておいた。
ネットがこれだけ普及し身近になり簡単になり、そうして全ての人が「等価」になるって、実は「ガロ」時代、「これからはネット社会になる」と解っていた俺(というか解っていた仲間たち)でさえ、ここまでは予想していなかったのではないか。
尊敬されるアーティストも学者も漫画家も作家も声優も詩人も、一般の引きこもりもアニヲタも小学生も評論家気取りの厨房も、全てネット上では「等価」だ。本当は等価じゃないんだけど(例えば培ってきたその分野での経験に基づいているか否かとか、長く討論をしたりすれば解るような明らかな差異とかがある)、モニタ上に表示される無機質な活字、フォントで見る分には「等価」に見えてしまう。
この「等価さ」というのは、ちょっと記憶にあるな、と考えてみると、もう何十年も前にテレビで「バラエティ」をみるようになった頃にもあった。
ドリフの番組でアイドルが「了解の上」でボケたりコントを演じている分には良かったが、生放送でのワイドショーやトーク番組、果てはクイズ番組に映画だけでは食えなくなった「俳優」が進出してきたあたりで、おかしくなってきたというか。
銀幕でいくら格好いいヒーロー、完全無欠の主人公、医師や正義の味方、悪を追い詰める探偵や刑事を演じていても、その俳優の化けの皮がボロボロとはげ落ちていく様を、当たり前だがそれらは作られた虚像であったことを、改めて何だか呆然と我々は見せられてきた、もう、幻滅という単語では表せないほど、酷い裏切りにあったような感覚を数十年の間に普通に見せられてきた。
ここ最近、特にバラエティ全盛、ワイドショー当たり前、そしてネット世代になったらもう俳優というか役者はもの凄く難しい職業になっちまったなあ、という気の毒な存在でしか見られなくなった。
しかし最近ではその当たりを「狙う」、演出として利用するということもあって一筋縄ではいかない、もう誰も信用できない!というか(笑)。
「リテラシー」とよく言うが、本当にこれからはネット上でもそれがもの凄く重要になる、いやもうなっているのだなあ、と認識を新たにする。
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2010-10-02(Sat)

猫と暮らす

10月2日(土)
京都はいい陽気。朝は秋の澄んだ青空に雲がたなびく爽やかな陽気で、東山の紅葉こそまだであるが、空気感は湿気もなく爽快そのもの。予報では明日から天気が崩れるというが、高い建物がなく、疎水が走りすぐそこに山や緑があるという環境は本当に心地良い。
愛する人と一緒であれば、もっといいのだが。

昨日一番だしで作っておいた大根の煮物、大根自体がまずかったので今ひとつ。ここはもう一つの動物性のうま味成分の助けをまた、借りねばなるまい。というわけでしゃぶしゃぶ用の極薄の豚バラ肉を投入して、味噌で味付けをし、またとん汁的なものにしてしまう。大根は煮物状態をやめたので、それぞれをいちょう切りの薄いものへ切り直す。
う、うまい。ダメだこれ、人間をダメにする!
というくらいうまい。
先日野菜とキノコでとん汁を作った時も中毒になるほどのうまさであったが、素晴らしい。自分で言うのもアレだけど。
というわけで朝はそれら、昼はとん汁とレトルトの中華丼で済ませた。
ユキとシマ猫は、ユキちゃん(6〜7歳♀)は寝る時も起きている時も女房のように傍を離れず、シマ(12歳♂)は2階=メゾネットの寝室に置いてあるつづらで寝ていて、時々トントントンと階段を降りてきて愛情を確認しに来る。
この「愛情の確認」が、実は猫たちの間では奪い合いというか、諍いの元になる。誰が一番か、ということだ。
若い牝のユキちゃんが体力上、古株だったシマを追い越して、頂点に立ってしまった。シマを愛撫しているとユキが嫉妬し、その後追いかけ回したりしている。
ただ幸い(?)ユキちゃんは耳が聞こえないので、シマが時々甘えに来る時は、こちらも名前を声に出して、そう、連れ合いが生きていた時と同じように撫でてやるようにしている。ユキは声が聞こえない、けれどシマは聞こえるから、「自分の時だけ声を出してくれている」と満足する。猫って結構、そういうことを気にする。
犬はリーダーがいないと行動できない、というか飼い主をリーダーと思って忠誠を尽くすことが出来れば、それはそれで幸せな生き物だ。猫の場合は一匹一匹ごとに縄張りがあるので、家の中で複数の猫を飼う場合は、その家の中が縄張り争いの舞台となる。そうして諍いが起きる。相性がいい猫同志だと何の問題もなく、むしろ寄り添って寝たりして和むものだが、折り合いが悪いとしょっちゅうケンカしたり、飼い主の愛情を奪い合うかのような「競争」をするので困ることがある。
どっちも平等に愛している家族なんだよ、と解ってもらうのに、けっこう気を使うのであった。
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2010-10-01(Fri)

ツイッター

10月1日(金)

京都は爽やかな青空、気温は少し高めになったが湿度がなく快適な秋晴れ。
ニュースでは今日からタバコが値上げだと、昨晩までの買いだめや禁煙しようかと逡巡する愛煙家の様子などを映している。
自分は法律上はいけない十代の頃から癌宣告を受けたその日まで、ずっと喫煙をしてきた。もちろん癌、白血病の告知を受けたその日その瞬間から禁煙をしてもう5年になる。
吸いたい人は吸えばいいし、吸いたくない人は吸わなければいい、嗜好品としての煙草とはそういうものだろうと今でも思っている。
酒の席などで、喫煙可としている店ですぐ隣で煙草を吸われても、それは仕方が無いと文句を言ったことは一度もない。
ただ仕方が無いのと、快・不快は違って、カウンターでラーメンを食べようという時に隣の人が吸い込んで吐き出した煙と一緒に麺をすするというのは勘弁して欲しいし、今の季節なら松茸の土瓶蒸しのフタを開けた、あの至福の瞬間に副流煙を吸い込まされるのは暴力だと思う。
要するに完全なる分煙が出来れば何の問題もなく、それが出来ないからイザコザが起きている。
煙草と肺がんの因果関係がどうこう、科学的な根拠がどうこうとか、そういうこと以前に、煙は否応なしに「吸いたくない人」の鼻先へ届く。吸う自由と吸いたくない自由がそこで拮抗する。感情的対立になる。そこでいくら理屈だの根拠を言い立てても仕方が無い。
自分はかつて喫煙者だったこともあって、今でも酒の席で誰かが喫煙していても遠慮無くどうぞ、というスタンスだ。出来ればやめて欲しいが、吸いたい人に我慢を強いてまで強くそう思わずにはいた。
けれど、6月から二ヶ月ほど肺の病気で入院し手術も経て、もうそんなことは言っていられなくなった。いやもう本当に煙草は勘弁して欲しい。申し訳ないけれど、こちらは病人なので、なるべくそういう場に出ないようにするから、せめて禁止と言われる場所ではやめて欲しいと思うだけだ。
歩いていて前の人が吸っている煙が来るとひどく咳き込む、イヤミではなくこちらは病人なので本当に苦しいのだが、相手は振り返り「何や大げさに」という顔をする。露骨にこちらへ煙を吐くのもいる。いちいち「あのね、俺実は…」と説明できるはずもないので、マスクをしたまま黙ってやり過ごすしかない。
弱者に対してどうこうとかそういうことじゃなく、自分がかつて喫煙者だった時もそうだったように、「俺の吐く煙を嫌な人がいるかも」という思い、気付きを持つか持たないかで、同じ喫煙者でも大きくマナー、行動が変わる。

ところで、そろそろツイッターをやめようかと思っている。
いやせっかく作ったアカウントを消すということではなく、こちらから発信するのは大幅に減ると思うが、@でのこちらへのコメントやDMがあれば返信するという感じで。

元もとツイッターを一年ほど前に始めたのは、自分が病人であり、京都で一人になってしまい、身内に生きてるのか死んでるのか判らぬという心配をかけるような状況に陥ったので、生存確認のために始めたことだった。
一人暮らしの親が毎朝お茶を淹れるためにポットを使うたび、遠くで暮らす息子にメールが届き、無事を知らせる…という冗談みたいなサービスが本当になってしまた時代、自分も笑っていられなくなった。
ツイッターは始めてみるとやまだ紫ファンの方、古い友人、全く知らない人などとも、色々なつながりが出来た。それは楽しいことだ。
その「つながり」ということで一番大切に思っているのは、やはりやまだ紫についてであって、実際復刊その他何かの告知や宣伝ができれば、情報の拡散が出来ればいいな、と期待もしたし、実際そうやってきた。
でも残念ながらやまだ紫について反応してくれるフォロワさんの数は、思ったより少なくて、少々拍子抜けした。いや正直に言うと、驚いた。
こちらのブログで更新すると、ツイッターよりもむしろ数倍〜数十倍の反応が非公開希望のコメントやメールで寄せられる。あれ、ツイッターってお気軽に「つぶやき」が出来るものじゃなかったっけ、と思った。
そこでハッと気付いたのだけど、ああ、ツイッターをやっている層と、やまだ紫ファンの層が合致しないのか、と実感した。
なので、自分の生存確認なら他に手段を見つけたので(笑)、それじゃあツイッターやらんでもいいか、と思った次第。
ここ数週間で、やまだ紫の作品の再評価、詳しくは言えないがある計画、また重版など嬉しい情報が相次いだ。
そう、例えばツイッターでそれをつぶやいても、当たり前だがTLでそれはどんどん流れてしまうのであった!
それゆえ今年に入ってからのやまだ作品の復刊時も、ツイッターでの宣伝での影響はほとんどなかった。

ということは結局、刹那的でいい自分の独り言をつぶやく、そういう手軽なツールだということが今さらながらよく判った、というかようやく理解したというわけである。
流れてしまいその瞬間TLにいる数人の人らの目に触れるだけで、あとは滝のように流れ落ちて消えて行く、それでいい言葉なので、読む方もそれなりに手軽に流しているということだろう。またそういうツールだからみんなこれだけ手軽に楽しんでいるのだろう。
それでいいと思う。中にはそうじゃない人もいるようだし、それならそれでまた良し。

時々、何かを尋ねてくるツイートも来る。それに回答したいが、140文字という制約の中では伝え切れないことも多い。メールで尋ねてもらえればキチッと返せるのだが、第三者にも公開のうえで、しかも短い言葉で返答するのに困ることも多い。誤解されたりもする。
誤解といえば先日は「誤読」をされ、あたかも自分が動物虐待肯定論者のように「RT(他人の発言を引用し、拡散させること)」されたこともある。誤解だと確認してもらったが、それでも書き込みは検索で表示される。
時間の滝壷に流れ落ちてしまったはずの「手軽なつぶやき」「刹那的な言葉」が、実はずっと残ってしまうという現象、あるいはそのためのツールも増えた。誤解や曲解、意図的な悪意ある「引用」、そしてその拡散も可能というわけだ。
ということになると、ますます公開の場で短い言葉で誤解なきよう、その都度発言するのは憚られる…と思うのは俺だけだろうか。全然「手軽なつぶやきツール」じゃないよ、というか。
となると暑いとか寒いとか腹減ったとか眠いとか、まあそういうこと=他人が悪意で曲解しようのない、当たり障りのないことぐらいしかつぶやけない。元もとそうだったはずのものが、いつの間にか変わってしまったのか、あるいは元からそういうある種の緊張感を持ったツールだったのか、それはどちらでもいいけれど、とりあえず、告知や、残し、伝えたいことはキチンとまたこのブログに掲載していこうと考えた。

さて、以前からお世話になっている人たちの多くはこのブログとメールのやりとりばかりで、その人たちがツイッターをやっているかどうかは不明。探してまでフォローするということはしていないから、@でコメントが来るとかしなければ知りようもない。実際やっていない人の方が多いようなので、重要な告知などはまたこちらでやらせて貰う方がいいだろう。

と、いうわけでゆるゆると、生きることそのこと自体を最優先にしておりますので、よろしくお願いいたします。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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