2011-02-26(Sat)

ピザ

2月26日(土)

今日も暖かい。
ゴミを捨てに下へ降りる時も、室内よりは寒いのは当然ながら、心地よい感じがする。
さて食べ物食べ物。
朝はホットドッグに紅茶。暖かい飲み物の方が急激な下痢をしないので、冬のうちは冷たいものをいきなり飲まない方がいいようだ。
昼は鍋焼きうどん。麩と青ネギ、卵を足して土鍋で軽く煮込むようにする。実にうまい。

夜はピザにした。
といっても宅配のピザはちょっと冷めるととたんにまずくなるし、だいたい一人で取るのは不経済。サイズ的にも合わない。なので生地だけ買っておいて、好きな時に作って食べる方が色々な意味で合理的。
普通にスーパーで売っている冷蔵のピザ生地。
ただこういう薄い生地はそう多くなく、ほとんどは具材も乗った焼くだけの簡便なもので、それらは生地がパンのように分厚く、しかも生地がまずい。
うちが使うのはこれ。

これは2枚入りだがオーブントースターには半分しか入らないので、3分の1ぐらいずつ、3回に分けて食べる。


生地には市販のピザ用ソースを塗るが、この味が酸味が強くいかにも合成しました的な味でまずい。ケチャップとかニンニクとかオリーブオイルとか、余力がある時はホールトマトから自作した方がうまい。
でも面倒なので適当にアレンジして使う。昔はバターも塗ったが今は油自粛。
その上に敷き詰めるようにとろけるチーズを敷く。


その上にピーマンを細切りしたものを並べる。ここでお好みでマッシュルームやコーンを載せてもいい。


ベーコンでもいいけどここはサラミで。


薄く切ってうまいこと配分を考えて敷き詰める。


最後にまたチーズを、今後は多めに盛りつけ、黒胡椒を挽きつつ降る。昔はオリーブオイルをかけたが今は油自粛。


あとは普通に1000wのオーブンで6〜7分ほど焼くとこの通り。あつあつほかほかさくさく。


包丁で食べやすいように切れ目を入れていただきます。


カロリー的には大変なことになるけど、自分の場合はだから何だという健康状態なので、おいしければそれで良し。
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2011-02-24(Thu)

チキンカツ

2月24日(木)

寝坊をしてゆっくり起きたので、朝昼兼用でバタートーストとゆで卵を食べたが、夕方猛烈に腹が減ってきた。
鶏のササミがあったので、叩いて薄く伸ばして衣をつけてチキンカツを揚げることにする。
ご飯を3合炊き、その間に昆布と鰹節で出汁を取り、味噌汁と作り、キャベツを千切りし、頃合いを見てカツを揚げる。揚げ上がりとほぼ同時に炊飯器が炊きあがりを知らせる電子音を鳴らし、ガッツポーズ(笑)。
炊きたてのほかほかご飯に出汁のきいたワカメと小松菜の味噌汁に、サクッとした揚げたてのチキンカツ、日本人に生まれて良かった!…ん、チキンカツは和食じゃないか。まあいいや。
手間暇かけて支度をして、食べてた時間は十数分。あとは油を漉したり洗い物、でもその十数分の「至高の時間」の幸福感は、出来合いのものをインスタントに並べるよりも、大きい。そして安い(笑)。
体調で手を抜くときも多いけれども、出来る時はなるべくちゃんとする。気力体力、そして時間、それらがちゃんと合えばむしろ楽しく満足感も大きい。
外に出て働く人は、仕事を終えて帰ってきてからこれら気力体力時間のゲージが合致することは少ないだろうな、大変だよねえ、と思いつつ残ったキャベツをドレッシングで食べつつゆっくりとビール。

料理と言えるほどの作業はしていないが、「料理写真が面白い」と言ってくださる方もおられるので、いいでしょう(愛知県のKさん、いつもコメントどうもです!)

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2011-02-23(Wed)

雑感

2月23日(水)

仕事が暇になったので読書をしたりつらつらと考えたりネットを見たり。
先日はある漫画がネット上で大きな反響を呼んでいた。(「T京K芸大学マンガ学科一期生による大学四年間をマンガで棒に振る」(pixiv)
大学で漫画を教えるところは増えたが、その四年間で全くモノにならなかった=棒に振ったという話。それを描いた学生の実話(ノンフィクション)であるかどうかは別として、話題になったので見た。
これを描いた本人がどうこうではなく、ああ、こういう学生いるんだなあ、もう「漫画」とか「漫画家」という職業とかの捉え方が違うんだよなあ、と素直に思った。
大学まで進んで漫画を専門に学んで、世の中に出る。漫画家になるために。漫画でいかに成功するか。職業として、生活の手段として安定させるか=すなわち売れるか。漫画は自己表現などという甘い夢・理想論ではなく、完全にシノギ。そしてそういう意識で漫画を捉えることも、間違ってはいない。理想と現実は違う。
「漫画を描きたいから」「好きだから」の結果漫画家に運良くなれても、その状態を持続し、なおかつ経済的に安定させていくのは極めて難しい。
だからどこかで自分の理想なり欲求なりを犠牲にして、それをお金にかえる、という妥協が必要になる。もちろん幸運にも両立させている人もいるが、ほんの一握りの、それこそ恵まれた人たちだけだ。
描きたいものが描けてお金になる、どころか描きたくないものでも何でもやります! と言ってるのに機会が与えられない人の方が遥かに多い。バイトや違う仕事をしながら好きな漫画を描き続けている人も多い。そんな現実や、また「芸術」を教えるということも含めて色々面白かった。

「ガロ」時代、よく「おたくは芸術だから」「売れなくてもいいんでしょ」的なことを言われたが、我々は芸術を気取ったことなどただの一度も一分一秒たりともなかった。もちろんいわゆる「芸術」という広い枠組みで表現を捉えれば、漫画だって小説や映画や絵画や詩や音楽と同じじゃん、とは思ったけれども。んで、ブンガク方面の人からことさらに漫画を低く見られることにはキレたりはしたけれども。
それに「ガロ」は漫画界を底辺で支え、漫画表現の可能性というか、「幅」を拡げる役割をしてきた。
冒険とか挑戦とか何でもいいけど、要するに、産業化しシステム化して生み出されていく大手から出て行くものには出来ない(大量に売るってことは、色んな人を相手にするってことだから)、新しい表現・表現者を発掘するのが役割だったのは事実だ。結果的に「ガロ」、というか「ガロ」の作家さんたちが切り開いていった表現の幅はやがて大手にも受け入れられて(最初は少し薄められたりして)、やがて当たり前になっていったりした。
でも、そういう役割も漫画という表現が成熟してきて、業界自体も膨張が止まり、飽和状態になり、漫画を読む側の好みも多様化してしまうと、皮肉なことに「ガロ」の役割も小さくなってしまった、と思う。でも(大手ほど)売れなかったから、「ガロ」がダメな漫画誌だった、と言う人はいないだろう。

業界人さんでもよく「売れない漫画など存在しないと同じ」「売れた漫画ほど、いい漫画。売れない漫画はダメな漫画」
というようなことを、鼻孔を拡げて今さらながらに強調してくる人が居るんだけど、これまた今さらながら、ええ正しいですよ、と思う。
ただ、それは漫画という表現を商業的な、経済的な面での評価という部分でしか見られていないわけで、その「極めて狭窄な視点」に立って言えば普通に正しい物言いだ。
価値基準が「どれだけ売れたか」で、「たくさん売れたものがいい作品」というのは非常に解りやすい。そして何度も言うが、その価値観からすれば正しい以外に言いようもない。
で、そういう単純なこと以外にも、「売れない漫画など存在しないと同じ」という語句には色々な意味が含まれている。
漫画が売れるためには、もちろん「売れる要素」を色々とおさえておく必要があるし、斬新性とか個性とか話の展開とかキャラクタの魅力とか、絵そのものの魅力も含めて、作家だけではなく、もちろん担当の編集者だけでもなく、さまざまな人間が知恵を寄せ集めて、必死で「売ろう」と考え抜いて戦略を練り、それなりのコストもかけて売っていく。
そんなことオトナなら誰でも知っていることだろう。
でも、そういう物理的な「マンパワー」やお金を使えない作家や版元が世に出す作品もたくさんある。
で、それらは先の業界人の言うようにマーケット的には「存在しない」に等しい部数であるのは事実で、つまりは明らかに「売れてない」わけで、では結論として「ダメ」なのだろうか、と。
もちろん作品そのものの評価というのは、まずは個人の好き嫌いもあろうし、そもそもが感性という評価の難しいものに依拠することが多い。つまり受け手によって変わるものだ。だから、好き嫌いという感情論ではなく論理的に評価する場合はそれなりの「見識」というものがいるだろう。よくリテラシーという言葉が使われるけれども、漫画読みにもそれはあると思う。
亡くなった米澤嘉博さんのお宅にお邪魔した時に、自嘲気味に「同人誌も含めて、もの凄い数の漫画雑誌、単行本が出てるでしょう。それら全てに目を通せる人間なんて、存在しませんよ」と言って笑っておられたのを憶えている。
リテラシーって言っておきながら、じゃあ漫画を語る場合、どれだけ幅広く(年代的にもジャンル的にも)読んでいれば「漫画を評価する資格」が得られるのか、実は誰も解っていないし、結局は批評する人の「感性」に委ねられてしまうのだろうと思う。
批評する人たちはプロ・アマ含めれば、読者の数だけ居ると言ってもいいわけで、ネットでの「書評」あるいは「感想」を見ても、さまざまな「漫画の読み方」があることは衆知の通り。
ある作品がある人にとっては最高の名作であっても、別の人にはつまらぬ凡庸な作品、という評価を下される。これは漫画に限らず音楽でも映画でも小説でも何でもそうだろう。
だから、安易に「売れてる漫画がいい漫画」と決めちゃった方が、楽なのだ。「だってこれだけの人に売れてるんだよ、売れてるってことは面白いと評価されてるってことだから、いい作品なんだよ」と言われれば、グウの根も出ない。
だから、それは正しい、と思う。
でも、たくさんの人に読まれていない「名作」もまた、たくさんある、それも正しいし誰もが知っている事実でもある。

資本をかけ宣伝をし、大きな会社が物量という「力業(ちからわざ)」である程度売ってしまう、ということも出来る。けれどもそれを突き抜けて、ケタ違いの部数を長年継続して売る作品は、やはりそれなりの優れた作品でなければ、難しい。
つまり売れるべきいい作品に力を入れてもっと売る、という構図がある。
いっぽうで、売れるべきいい作品なのに力がないばかりに売れない=売れないから存在しないと同じ=ダメな作品、となってしまうものがある。
価値観が多様化して、読者の好みもどんどん狭くディープになっていく中で、ネットもあって「みんなはこう言うけど、自分はこれがこういう風にいいと思う」と読者自身が容易に発信できるようになってきた。この今のネット時代こそ、過去の埋もれた名作をどんどん復刻し、電子出版でもいいからとにかく出来るだけ「まず触れる」機会を作るべきだろう。
小学館クリエイティブさんから復刊していただいたやまだ紫の「性悪猫」などは、若い読者さんから「知らなかったけど、書店で手に取って読んでみて、いっぺんで好きになりました」という声をよくいただく。
まずは店頭に並んでいないと、まずはデータでもいいから目に触れる機会がないと、「存在しないと同じ」どころか本当に存在していないわけで、「売れる・売れない」の評価の対象にすらなり得ない。
要するに現存する大手中心の「大量に売れる・売ることの出来るもの」の中で、それらをさらに「売れる・売れない」でランク付けして評価をするだけになってしまう。ややこしい。
つまり本当にオリコンチャートがそのまま作品の良し悪しということになってしまう、ということ。
それでも、少部数でも漫画に限らず詩や短歌も、日々世に生み出されている。そんな作品に触れた読者が、自分が読んだ作品が自分にとってどうだったか、ということを発信するのはとてもいいことだと思う。
売上げという目に見えて解りやすい「評価」とは別に、数字ではなく感性で「いいものはいい」と言うことも、それが広がれば、部数が少ないばかりに視界に入らなかった同じ感性の人に届くかも知れない。
自分には合わなかったからゴミ、クソと罵倒するのも自由だけど、「何が嫌いかではなく、何が好きかで自分を語れよ」と言うわけではないが、世間では知る人が少なくても、自分にとっては珠玉の作品であったという感動を拡げる方が気持ちもいいだろう。

石原東京都知事や猪瀬直樹副知事は、お二人とも作家である。表現者だ。でありながら、漫画という手段が違うだけで同じ表現者を「卑しい」と言ったり、あるいは「いい作品かどうかは俺が決める」みたいなことを(実際は明言したわけではないにせよ)言うのは論外だけど。
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2011-02-22(Tue)

「家族の歌」

2月22日(火)

なんでも今日は222でにゃんにゃんにゃんの「猫の日」らしい。
うちなんか一年365日猫の日だ、って。



朝、いつも通り起きて上半身を起こす時、どこにも大きな痛みや変化が無い事を確認してホッとする。もう、そんな日が5年以上続いている。連れは俺と一緒に暮らしながら、きっと隣で同じ思いをしていたのだろう、そして先に逝ってしまった。
これもいつものように寝室のベランダから比叡山を眺める。真冬の煙ったような山頂のよく見えない日は気落ちも曇るものだが、今朝は実に綺麗な青空と、朝日を浴びてはっきりと山頂までよく見える。自然と合掌してしまう。
居間へ降りて行くと、弱くつけている床暖房の上で猫が二匹寝ている。シマは床の上で手まくらをして丸くなっていて、ユキは俺が座っている円形クッションの上を占領している。
古参のオス猫のシマはすっかりオッサンになってしまい、メスのユキとノーガードの打ち合いをやっても、負けては這々の体で離脱するばかりだ。

床暖房といえば、先日夜になって突然思い立ち、リビングの床に敷いてあったカーペットを引きはがした。毛足のちょっと眺めで柔らかい、いい座り心地のカーペットなのだが、その分猫の毛とホコリをたっぷりと蓄積する。毎日掃除機をかける体力も気力もなく、十日もすると大変なことになる。
フローリングの方が掃除は簡単だし、ホコリ取りもモップでまめに出来るのが楽なのだ。ただ、猫はいつも俺がカーペットに座って仕事をしていると、その足元に二匹とも奪い合うように体を寄せてきた。猫にとってはカーペットの方が柔らかくて気持ちいいらしい。
そう思って、これまでのカーペットはひきはがしてフローリングにして、同じ柄の半畳ほどのカーペットを座っている箇所とはずらしたところに敷いた。これは猫たち用。もとは夫婦で居たときに食事用に買った二人用のダイニングテーブルに敷いてあったもの。
俺が仕事をしている時は、その小さな「猫用」カーペットの上に二匹とも寝るようになったので、足を枕にされずに済むようになったというわけ。

昨日、予報で今日は暖かくなると言っていたので、ネットスーパーの注文をやめた。たまには自分で行こうと思った次第。果たせるかな、外は青空で陽射しもいい感じ。
昼過ぎに久しぶりに自転車に乗り、近所のスーパーへ向かう。もちろんマスクをし、手袋マフラー帽子だが、これは寒さ対策よりも感染予防。家に入る時はこれらをホコリをはたくように叩き、それからうがい手洗いをするようにしている。これももう習慣。
ただ今日は、これがちょっと鬱陶しくなるほど暖かかった。買い物を済ませてゆっくり戻ってくると、交差点が何やら騒がしい。どうやら車同志の衝突事故のようだ。このあたり…洛北はオフシーズンはそれほど交通量も多いわけではないので、こういう事故は珍しい。乗用車の壊れ具合はけっこうなものだが、パトカーや警官の数の割に野次馬がほとんどいない。どうやら買い物の間に事故処理やけが人の搬送なども終わったようす。
こちらはチラッと見ただけでまっすぐマンションへ戻る。


ポストを覗くと、書籍の入った封筒が届いていた。部屋に戻ってみると、昨年亡くなった歌人・河野裕子さんの夫・永田和宏さんからであった。

家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日
河野裕子 永田和宏 その家族
産経新聞出版


さっそく買い物荷物を片付けてから、拝読する。
「家族の歌―河野裕子の死を見つめた344日」という題、四六判の小さな本。著者は河野さん・永田さんご夫婦と「その家族」となっている。
河野裕子さんは、やまだ紫ファンならご存知のように、やまだの代表作である「しんきらり」のタイトルに使わせていただいた、元の短歌を書かれた方だ。何度か書いているけれども、もちろんやまだは当時河野さんの歌…
「しんきらりと 鬼は見たりし 菜の花の 間(あわひ)に蒼き人間の耳」(歌集「燦」より))
から「しんきらり」という語感を自分の作品タイトルに使わせていただきたいとお願いをし、快諾をいただいた。それから版や版元が変わるたびにその旨ご連絡をし、やまだの没後の復刊にあたってももちろん、お許しをいただいている。
やまだは河野さんの歌が好きで、河野さんもやまだを評価して下さっていた。二人は書簡を送り合うことはあったが、生前は東京と京都、こちらが京都へ越してからは河野さんがご病気ということも聞いており、ついぞ対面することはなかった。(河野裕子さんの訃報を知る

「家族の歌」は、河野さんが生前からご家族で読まれた歌とその情景が、綴られている。ご主人である永田さんはもちろん、お子さんたち…淳さん、紅さんも歌人であり、淳さんのご夫人も歌人という、まさに「歌人家族」の記録だ。
歌とそのときの情景を綴ったエッセイが組になった63編は、とても重い。
歌人が歌を遺す、歌集の場合は純粋にその「ことば」を、文字通りそれらの行間を楽しむ。余韻というか、空気というか、「間(ま)」も含めて味わう。
だがこれらはその歌に、短いエッセイが付加されている。といっても、癌と闘う妻・母を家族みんなが悲しみ、助け合い、見送る…というようないかにもな構成や演出があるわけではなく、それぞれの歌は「短歌」という一つの表現・作品として屹立していて、エッセイも抑制の効いた、淡々としたものだ(生前に産経新聞でリレーエッセイのかたちで連載されていた)。
穏やかに、思い出や家族の何気ない情景や言葉を反芻したり、再確認したり。
「この歌はこういう状況の中、こういう思いで詠んだものです」という野暮なものではなく、歌を楽しんだあとに歌集で我々が感じる余韻そのもののように、静かに歌に寄り添うかのような穏やかな文章。河野さんを囲んで、家族が5人で静かに家族の時間を共有している、といったらいいだろうか。

振り返ってみて、自分が親兄弟と過ごしたよりも長い時間を一緒に暮らしてきた、最愛のひとを失う。その言葉では表せないほどの大きな、巨大な喪失感、虚無感、悲しみや怒りなどさまざまな感情が混沌とした感じ、半身が引き裂かれいまだにその傷が癒えない感じを、俺はどう乗り越えたか。
ここで書いてきたように、自分を俯瞰し「記録する」ことで、何とか正気を保っていた。
俺の場合はやまだ紫の全著作を何度も何度も読み返し、日記の文字をたぐり、原画原稿を全て整理し直し、代表作を何とかして次代へ繋げられないかと思った。自分を常に何か考え動かしていないと、正直発狂しそうだった。
傍で一緒に見守り、助け合う人が居て欲しくなかったと言えばウソになるが、京都へ夫婦で越してきたのは我々夫婦の決断だ。実際誰にも相談しないで二人で決めたことだったから、そのことで泣き言は言いたくなかったし、言うつもりは今もない。

河野さんご家族は、愛するひと、妻、母という大きな存在を失う人生最大の不幸を、この本のように穏やかに静かに見つめ「共有」することで癒しあえたということは、誤解をおそれずに言えば、幸福であったと言えるかも知れない。歌という共通の表現でつながった絆、作品はずっと残る。絆も残っていく。
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2011-02-14(Mon)

ビーフシチュー

2月14日(月)

夜中、朝方もそれほど寒いと思わなかったが、朝起きていつものように北側のベランダから比叡山を見ようとすると、雪がうっすら、ほんの少し残っていた。
このところ調子が低調だったので数日大人しくしていたら、今日はまあまあ平常運転。平常というのが一番有り難い。
朝はホットドッグと紅茶にして、メールチェックをした後は、読書の続き。新刊、昔の本、専門書、漫画…などバラバラ。活字の後は写真や漫画が読みたくなり、漫画を読んでいると逆になる。そのうち本ばかり読んでいると、映画を見たくなったり、テレビでどうでもいいものを眺めたくなったりする。
ありがたいことに仕事が割合びっちりあったのが、残念なことにポカッと消えてしまった。なので、時間を持て余すというのも久しぶりな気がする。
このところPCのモニタを見ていると目が痛くなり、ひどくなると目眩が起きるので、本当なら極力目を休める、つまり読書や映画鑑賞もしない方がいいのだろう。だがそれだと暇が潰れない。健康体なら散歩でも行くんだけど…と窓の外を見たら雪になっていた。
昼ころからしんしんと大きい、湿り気のありそうな雪が静かに降り続いていて、あたり一面すっかり雪化粧になっていた。1時過ぎ、昼に豆腐わかめ白ネギの味噌汁と焼き餃子で食事を済ませて転がっていたら、宅配の配達。知り合いから義理チョコ(笑)。ああ、今日はそうでしたか、気を使っていただきありがとうございます。

夕方は昨日頼んでおいた阪急の配達が来る。こんな雪になると思わなかったので「すみませんねえ、こんな天気の日に」と言うと「いえ、これから鞍馬の方へも行くんですよ」とのこと。山の方はもっと積雪があるそうで、大変だ。
こういう日はシチューだな、と思いカレー用にと思って配達してもらった食材で、ビーフシチューを作る。
ルーの素は前回のが半分残っていたので、ケチャップやソースや出来合いのドミグラスソースやブイヨンその他で味を調えて完成。味見に、と思って軽く一杯食べてみたら止まらなくなり、たっぷりお代わりしてしまった。
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2011-02-13(Sun)

読書

2月13日(日)

ちょっと仕事が空いたので昨日は一日、PCをなるべく使わずもっぱら読書。その後DVDで映画。目が疲れるというか、ショボい。よく考えたらPCモニタを見ることは休んでも、読書も映画も目を使っているのであった。
今日は気持ちの良い晴天、しかし気温は思ったより高くない。相変わらず冬の間はあちこち調子が悪いというか、調子そのものが低調気味。今日は頭痛と下痢。下痢は体質だがそういうデフォルトとは違って弱い腹痛を伴う感じ。
何度も書いているように、一つ一つはたいしたことのない痛みやちょっとした不快感などが薄くいくつも積み重なると、けっこうしんどい苦痛になる。健康体にそれが積み上がっていくのと、元もと重病を患っている身に重なるのとは、やはりちょっと意味が違うと実感する。
メールチェックすると、知り合いから「ブログ更新もないし、ツイッターも昨日はひと言も無かったけど大丈夫ですか」とメール。すんません大丈夫…ですたぶん。色んな方が自分の体を案じてくれていて、申し訳ないやら有り難いやらで恐縮です。
朝食は抜いて昼前におかゆを作って鮭を焼いてあったので食べる。けっこうもりもり食べた。昼はずれて3時前にうどん。鍋焼き風にしたが、おいしく食べられた。まあメシがおいしく頂ければ大丈夫。
そんな感じで今日も大人しくほぼ読書などしていたわけだけど、昔の文庫などを引っ張り出すと、文字の小ささに苦闘する感じがある。昔は新聞も週刊誌ももうちょっと活字は小さかったし、それに慣れてオトナになってきたのに、近年の文字の大きさにいつの間にかすっかり慣れている。こういう時にある程度自由に大きさを変えられる電子出版はいいな、と思う。
とはいえ現状、端末もフォーマットも今一つ決めてのない感じでモヤッとしている印象なので、まだ手を出さないで様子見という感じか。版元とハードメーカーとで書物を分断するような愚かなことはしないで、とっととフォーマットを統一するかして欲しい。実は病人になると、出版物の電子化は非常に助かる部分が多いのだ。
もちろんかたちあるものとして手元に残し、造本や紙質・手触りも含めて愛しみたい「本」も多いけれど、データであっても全く構わない「本」も多い。
そういえば二階にはさんざん整理した書物、紛失したり売り払ったり人にあげたりしたのに、まだ数百冊の雑誌や書籍が残っている。体力・気力ともにこれらを整理するのはかなり厄介。データだったらなあ、と溜息しきり。
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2011-02-11(Fri)

母になったNOKKO

2月11日(金)

NHKで偶然、NOKKOの番組をやっていたのをザッピングの合間に見た。
「心から歌いたい〜母になったNOKKO」、今一児の母として熱海で親子三人、静かに暮らす日常から再び歌へと向かう様子を追ったもの。途中からだったので録画もせずに見た。
以前レベッカ時代のNOKKOについては熱く語ってしまったことがあったが(REBECCAとNokkoのころ )、自分も狭い見識とはいえ邦楽洋楽あれこれ聴いた経験では、80年代では間違いなく日本最高のポップロックバンドの一つであった。あの当時の音楽状況、世相、社会、若者事情(笑)を知らない世代が今ポッと聴いてどうかとか、今のNOKKOを突然見てどうという感想は人それぞれだし、正直どうでもいいので放置。リアルタイム世代としては、「レベッカのNOKKO」が最高に格好良かったし、大好きだったのだけれども、もちろん解散から渡米の時期に大多数のレベッカファン同様に彼女から離れ、彼女も音楽から離れていく。
音楽プロデューサーと向こうで結婚し、出産・子育てのことを考えて熱海へ移り、そこでしっかりと母親をするNOKKO。体型もしっかりしたものになり、すっかりスリムというよりは「ソリッド」でセクシーだったレベッカ時代の影は無くなったのに、彼女の表情は明るく穏やかで、充実したものだと感じた。
娘さんの子育てを通して「歌」というもの、歌うということの意味を再確認した彼女は、再び歌いたいと思うようになる。もちろんそれは夫君が語られるように「娘のため」という極めて単純明快ではっきりした対象があってのこと。
そして、NOKKOは埼玉スーパーアリーナ・15000人の観客の前でレベッカ時代の曲を含めたステージを30分つとめた。ステージでのNOKKOは正直を言えば、精彩を欠いていた。しみじみと懐かしく、かつて同じ青春を過ごした感慨や感傷を持って見る、聴く、だからそれなりの愛情を持って見てしまう。ただ、明らかに、NOKKOはこの時点では間違いなくステージの映像よりも、それまでの「日常」を追いかけた映像の方が遥かに堂々としており、活き活きとしており、輝いていた。
絶頂期のNOKKOのアーティストとしてのパフォーマンスを期待して、このステージを評するのは色々な意味で間違っていると思う。
集まっていた当時のファンと思しき世代の人たちは皆、暖かい目で手拍子をしながら、アコースティックにアレンジされた「ロンリー・バタフライ」や「フレンズ」を聴いていた。けれど若い、当時を知らぬ、コブクロを目当てにきたファンはどうだったろう。
NOKKOはステージを終えると「おかあさん、疲れちゃったよ」みたいなことを言っていた。本音だろう。そういうところ、あのトンガったところが全く消えて本当に「母」になったNOKKOの今の正直な姿だったと思う。それをカメラに晒すことも含め、本当にいい年の取り方をしたんだな、と思った。
番組のラスト、熱海の海岸散歩する貫一お宮、じゃなくて親子三人の様子をカメラが後ろから撮影している。NOKKOは振り返ってチラっとカメラを気遣うような目線をくれた。何かそういう部分も、前半での熱海の住人たちと触れ合い、普通の「一般人」としての普通の所作を写していた部分と共通して、ああ、本当に今幸せなんだろうな、と思った。
十年ぶりにアルバムをリリースし、NOKKOは母としてアーティストとしてマイペースで活動していくようだが、おそらく、一番素晴らしいパフォーマンスを見せるのは娘さんの前ではないのかな。そういう部分とプロとしてどう折り合いを付けていくのか。
一人の人としての生き方、アーティストとしての生き方、色々と考えさせられたいい番組だった。
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2011-02-08(Tue)

ダブル診察日

2月8日(火)

就寝時からユキが布団に潜り込んできて、朝まで何度か出入りを繰り返すたびに起こされ、朦朧。最後は布団の中に入れずほっといたら、起きる時に掛け布団の上に沈むように丸くなってスヤスヤ寝ていた。
こちらはそのまま起こさずに下へ降りて、猫ごはんや水、ご先祖様のお茶や線香などを整えて外出の支度。今日は血液内科と呼吸器内科のダブル診察日。朝食は食べると即座に「下る」ので、とりあえず食べずに出る。

春分からここ数日暖かかったが、夕べからまた少し冷えて、今朝は寒い。こちらは風邪予防のために完全防備だが。
病院へ着いたら9時ちょい前、採血受付を済ませると40人待ち。咳をしている患者が多い。30分近く待ってようやく3本採血。すぐにレントゲン撮影へ向かい、つつがなく終えて血液内科の外来でひたすら待つ。
何しろ夜中はコマギレに起こされ、薄い眠りを途切れ途切れにしてた感じだ。黙って座っていると眠気が襲ってくる。携帯でハードロックをかけて何とか乗り切る。
血液内科の予約時間は10時半だったが、15分ほど遅れて呼ばれた。こちらの採血も遅かったのでしょうがない。ていうかむしろ早い。

いつものようににこやかに「お変わりありませんか?」と応対して下さるN先生、もう採血の細かいデータを見られた後の様子で、一覧もプリントされていた。
相変わらずの低値安定。
「白血球と血小板がね、いつものように低いですが…。あとはCRPも正常ですし、LDHも増えてませんし」とのこと。「風邪などもひかれてないようですね」と言われるので「はい、もう用心してますし…」と答える。先生は笑顔で「さすがにじゅうぶんご注意されておられるようですね」とのこと。
はい、そりゃもう…。今はインフルエンザが流行ってきているから、ワクチンを打っておいて良かったし、極力外出を避けていることも正解。
「もう、発病してから無治療で6年目に入ったんですよね」と言うと「そうですよね、このまま無治療で行ければ一番いいんですが…」と言われる。無治療での5年生存率は半分、ここからは一年ごとに10%ずつ落ちていく。
「あと何年生きられそうでしょうか」と聞くのは、やめておいた。
先生も解らないだろうし、聞かれても困るだろう。こちらも逆にはっきり何年です、と言われるとも思ってない。だったらそんなことは聞かない方がいい。
とにかくこのまま用心して行きましょう、と確認して、次回は3月15日。

次は呼吸器内科の外待合へ移動。
こちらは確か11時予約だったはず、ひょっとしたら呼ばれたかな、と思ったが、とりあえず待つ。それにしても病院じゅう、本当にゲホンゲホン咳をしている人が多い。さすがに呼吸器内科に来る人はマスクが多いが、口を抑えずにゲッホゲホと咳をしながら歩いている患者も多い。
実際見た経験で言うと、マスクをせずに大口を開けて咳をバラ撒いているのは100%、いい年をした「ジジババ」だった。60代かそれ以上と思われる「お年寄り」で、100%。
若い人は「咳エチケット」という言葉や概念を知っているのか教わっているのか、とにかく咳をする人はちゃんとマスクをしている。マスクは「予防」ではなく、自分から他者へ感染させないため。けれどそういうことを知らない老人世代は、もう自分はすでに風邪を引いているから、人からうつされることもないだろう…とでも思っているのだろうか…。
幸いこちらの周囲には咳を飛散させている人はいなかったので、そのまま座って待っていたら、11時半前にちゃんと呼ばれた。

挨拶を終えるとI先生は「その後どうですか」とレントゲンを前の分と2枚並べて見せて下さるので、「はい、特に変わったことはなくて…」と言うと「そうですか、画像でもほとんど変化ないですね」とのこと。右肺の中に丸い袋状のものが依然あるが、これはずっと大きくも小さくもならずにあるので、問題ないでしょうということ。
それで思い出したのだが、一週間ほど前に右胸が痛くなって、右手に体重をかけて立ち上がったりすると重く胸の中が痛むことが数日続いた、と報告。「ただここ数日弱まってきたし、咳や痰が増えたわけでも、熱が出たわけでもなかったので、診察日まで様子を見てたんですが」と話す。
I先生は「そうですか、痛みは収まりました?」というので「はい、もうほとんど」というと「前回の気胸はね、肺炎が起こした症状ですから、もうそういうことはないと思いますよ」と再び写真を見つつ言われる。
実際採血のデータを見ても炎症反応はないし、そのあたりは寒い日が続いたので、手術の後の後遺症みたいなものかも知れません、と話す。
確かにそういうことはよくあるそうで、これまたよく考えたら俺は手術してからまだ半年なのだった。傷こそ小さくて済んだ胸腔鏡手術だったとはいえ、中は肺炎の嚢胞採取、破れた部分の縫合とコーティング、そして大物・縦隔の胸腺種の摘出と、けっこう大変だったわけだ。
これまで、右下腹を胆嚢切除のため切開、帯状疱疹の劇症化、そして右肺手術と、それぞれに何らかの神経痛など後遺症が残ってもおかしくはない状況なのだが、幸い大きな障害は出ていない。連れ合いなどは右腎臓摘出手術の後遺障害=激痛に一年も苦しんだ挙げ句、その後も時おり走る神経痛に悩まされてきた。
俺の場合胆嚢の手術後は全く何もないし、帯状疱疹はケロイドになりときどき痒みや軽い痛みが皮膚にあるだけで、よくある神経痛は起きていない。この右肺だけ、今でも時々鈍痛がするが、これくらいで済んでるんだから良しとせねば。
次回までの分の薬を処方していただき、吸引の薬剤の処方を貰って、診察室を出る。

処置室でその処方を渡してしばらく待ち、個室に入って吸引器で薬剤噴霧を吸引。たっぷり30分、後半例によって気化させる部分のプラスチック製ドーム部分を外しては薬剤を中央に集め、を繰り返しつつ、終了。
会計して外に出ると12時過ぎだった。

今日は買い物があるので、病院南の薬局で処方箋を調剤してもらい、熊野前のスーパーで買い物をしてまっすぐ帰宅。
荷物を提げてリビングへ入っていくと、俺がいつも座っているクッションの脇にゲロがしてあった。
これはユキが目が醒めたらもう俺がどこにも居なかったので、嫌がらせ(?)にやったに違いない。ていうかシマも時々ゲロを吐くが、シマの場合は一箇所だけということは絶対になく、一度吐き始めるとうろうろしながら6,7箇所にやる。一箇所だけにカリカリをげええ、とやるのはユキだ。
手洗い、うがいを入念にして、着替えて荷物を整理してゲロの掃除。色々疲れた。
でも何とかまだ無事で良かった、自分。
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2011-02-04(Fri)

立春

2月4日(金)

今日は暖かい。立春といっても毎年寒い寒い言ってた気がするが、今年はこれまでが寒かったせいもあって、珍しく二十四節気と体感が一致。
このところ仕事が少し暇になってきて、不景気だなあとしみじみ思う。病身だと現実的に「どこでも行きます、何でもやります」と言えないので、選択肢も限られてくるし、困ったものだ。
ただ体調もこの季節同様、低くどんよりした調子なので、めちゃくちゃ忙しくてもこなせない恐れもあり、もうつくづく、健康が何より。病気は気力も萎える。

ところでうちの両隣はここ2年以上ずっと空室なのだが、片方からここ数日、内装かリフォームかの工事音がする。朝は8時から夜は6時まで。ひっきりなしに騒音を立てるという工事ではなく、時々思い出したように電動工具の重低音が響いてくる。
あの、拳銃型でグリップにバッテリーのついてるドライバー系だと思うが、あれを壁に「ぶううううう〜!」とやるのが数分断続的に続き、また数時間経って忘れたころにトンカン言う大工仕事の合間に、「ぶぶぶぶぶ」と入って来る。テレビをつけてたりすると、その音声が一瞬聞こえなくなることもあるし、重低音なので不快だ。
このマンションは古い割には防音は比較的まともで、この工事音も電動工具の音以外はそれほど苦痛なわけではない。「ぶうううう〜」も、すぐそこでやってる割にはくぐもって聞こえる。ただ震動は耳の聞こえないユキでも飛び起きるほどだ。

あと、この工具の音は「屁」に似ている(笑)。
「ブー!」と一定の強さで音程も変わらずに継続するのは機械音に聞こえるが、ファジーな感じで「ぶうう、ぶ、ぶぅぅぅっ!」なんてやられると、本物の放屁にしか聞こえない時がある。

さて昼ころ仕事の、割合込み入った話を電話でやり取りしていた。こちらはコーヒーメーカーからコーヒーをコップに淹れようと台所へ子機を持って話しつつ移動したのだが、その時ちょうど「ぶうっ、ぶぅぅぅうう〜っ…」と電動工具の音が鳴った。
電話の向こうでは相手の一瞬絶句する気配と、すぐに「いや、ね、はは…」と失笑する声が聞こえた。
完全に俺が屁をこいたと思われた。
「あ、今のはっ、今、隣でリフォーム工事を…」
と、慌てなくてもいいのになぜか早口になって声がうわずる。相手は「あ、そうなんですか」と言いつつ半笑いである。「まあまあ、ごまかさんでも屁くらいいいじゃないですか、ププッ」と思われてるに違いない。どうしてくれる。
なぜか工具の音はそれ一回でピタリと止まっている。工事中ならそういう音がひっきりなしにするはずで、実際俺も逆の立場なら「…あれ? 一回だけやん(笑)。やっぱり屁か」と思うことだろう。悔しい。

その後、連れ合い…やまだ紫の親友で、夫婦ぐるみでお付き合いさせていただいていた詩人の井坂洋子さんから電話。先日いただき物をしたので、そのお礼の電話をかけたらお留守だった。それであちらからかけ直していただいたわけで、話をしていたら、また「ぶぅぅうう〜…ぶぶぶぶぅぅぅ」と工具の音。
「あ…」と井坂さんがちょっと息を呑んだ気がした。また「あ、今その」とリフォーム工事中であることを伝えるが、その途中で「ぶううううううう〜」「ぶううん、ぶ、ぶ、ぶ」と断続的に数回。
――助かった。これなら屁とは誤解されまい。ん? ていうか何で俺はこんなに屁をこいたと誤解されることを怖れてるのか…。
自分でもよく解らなくなってきたが、電話を切った後はちょくちょく響く工具の音に少し寛容になった。

立春と何も関係ないな…。
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2011-02-01(Tue)

豪雪

2月1日(火)

北陸、日本海側の豪雪が凄い。国道や高速道路上が渋滞で何十時間も車中で過ごす人の映像など見ると、大変だなあと思う。
京都市中は、周りが山のせいか気温は下がるが雪自体はそれほど降らない。昔から暮らす人は「昔はよう降りましたわ」と言うのだが、ここ最近はやはり暖かくなってきていて、昔より降らなくなったそうだ。2007年秋〜冬からもう4回目の冬だが、今年の正月の積雪が一番多かった。その後もちょくちょく降ったし、今年は雪が多いと思う。
今日あたりから強い冬型の気圧配置がゆるんだために降雪が止み、除雪なども進んで徐々に解消されつつあると、朝のニュースでやっていた。明日からは日中の気温も二桁になるというから、今度は雪崩や住居に積もった雪の崩落、日中溶けた雪の夜間凍結など別な問題が出て来る。


北海道といっても最南端で比較的温暖だった函館に18まで住んでいた。
気温は北海道内陸部ほど激烈に低くはなく、降雪も東北・北陸の日本海側ほど多くもなく、かといって決して暖かいわけではなかった。普通に冬は氷点下になり、雪も降る時はドカッと降ったりした。

実家の家の屋根は、三十数年前に母親が気合いを入れて新築した時に、大金をかけて融雪用の電熱線を導入した。そしてその冬に壊れた(笑)。何でも雪の重みで電熱線が断線したそうで、まあ今なら訴訟ものというか、要するに欠陥システム・手抜き工事であったということだ。
結局普通の家と同じく、ある程度屋根に雪が積もると、それを下ろすのが男手の仕事で、自分も北国ならどこの家にもある、先が大きなプラ製のスコップを持ってよく雪下ろしをした。
といってもかなりの重労働だし面倒臭い大仕事なので、ギリギリにならないと動かないのが常。母親から「そろそろやってくれないと潰れちゃうよ」と急かされて渋々、という感じだったと思う。

しんしんと雪が降り続いている時に雪下ろしをするのは意味無いので(長く大量に降る地方は別にして)、大体冬晴れのピーカンの青空の下、せっせと屋根の雪を放っていたのを憶えている。雪は重いし屋根は傾斜がついているので、足腰に常に力を入れていないと滑り落ちる危険もあり、けっこう大変なのだ。よくお年寄りが転落死したりするが、あれはそもそも年寄りにやらせる仕事ではない。(過疎地では社会問題になっているように)
アノラック的なものを着込んでせっせと雪下ろしをしていると汗ばむほどで、真冬のキーンと澄んだ空気と冷気、なのに真っ青な空と太陽、そして汗。不思議な感覚だった。今思い出すと、とても懐かしい。
数十センチ積もった雪を「そろそろ下ろさなきゃ」なんて思いつつちょっと油断していると、寒さがぬるんで軒先のつらら(というより1m以上の氷柱)たちからポタポタと水滴が落ち始める。これはまずい兆候。生活熱が昇るので屋根の上の雪は降り始め〜止む、を繰り返すとシャーベット状〜氷となり、その上に雪がまた積もった場合、ベースの氷が溶けると、その上の雪が一気に滑落してくることがある。

一度、よく晴れた冬のある日、実家の居間で母親とテレビを見てくつろいでいた。真冬とはいえ、快晴で日中比較的気温が上がったため、軒先からすだれのように下がっているつららが溶け始めた。
そろそろ雪下ろさないと、と言われて「そうかなあ」と渋々確認のために玄関から出て、屋根を見上げたところで、軒先のつらら群が一気に脱落した。ぐわしゃがしゃがしゃぐわっしゃーん!と大量の氷が降ってきて、慌てて避けたため、幸い直撃は免れた。何しろ氷の塊、太いつららは根元の直系10cm近く、長さは1m超というものもある。というか根元は暖簾の元のように繋がっていて、それらも当然氷の塊だから、頭部に直撃すると命の問題になる。
「あぶねえ!」と避けたすぐそこに砕け散って積もった大量の氷、顔を上げるとリビング横にあった和室…玄関の真横の窓から、母親のびっくりした顔が見えた、と思った次の瞬間、屋根から氷の帯という堰を失った大量の雪が滑り落ちてくるのが見えた。今度は声を出す暇もなく、間一髪、駆け足で玄関に飛び込んだ。
「どどどどどど!!!」という「轟音」が数秒響いて、リビングの真上にある屋根の雪全てが崩落してきた。もの凄い音と振動だった。軒下のささやかな庭木と竹でお洒落に作ってあった柵も何も、自分が数秒前まで立っていたところも、落ちた氷と大量の崩落した雪で見えなくなっていた。恐らく反対側、裏口と庭をつなぐ細い道も通れなくなっているだろう。

あれは本当に肝を冷やした。何かのんびりした日常に突然「死」というか、大惨事・事故が起きてもおかしくない現象が起きる不条理な感じ。大げさでも何でもなく、こんなことは北国の人(で一軒家に住む人)なら大抵は経験していることだ。
雪をあまり知らない地方の人は雪かき中の転落事故や、こういう崩落、あるいはそれに埋もれたための凍死などを「そうなる前に何とかしてろよ、どんだけ暮らしてんだよ」と思うだろうが、そもそも雪と日常暮らしてるからこその事故で、慣れからくる油断もある。雪があまり降らない地方でドカッと降ったりすると慌てて除雪をしたり対策に奔走する映像をよく見るが、雪が日常だと普段から四六時中そんなにピリピリしていては仕事も生活もしていられない。

冬は寒くないと冬という感じはしないし、冬来たりなば春遠からじ、季節の移ろいというのも人生のメリハリには必要だと思う。何というかこう、日本人的な感性というか情感の涵養にも「四季」は重要だ。病人にはしんどい季節だし事故や雪害は嫌だが、暖かい部屋から眺める冬の京都というのもまた、いいものではある。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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