2011-03-30(Wed)

友人

3月30日(水)

朝、というか寝坊したがその後はみっちり仕事。途中休憩を何度か入れるようにしているが、そのうち一回は小休止ならぬ「大休止」。1時間半も猫を小脇に寝てしまった。
それでも作業自体は予定より早く、夕方には終了。このところの不況もあって、仕事が半分近くに減った。きついのだが、健康体ではない自分に出来る仕事は限られており、それを心配して途切れずに取引をして下さる相手に感謝するしかない。

仕事とは全く関係ないが、業界の知己以外に、幅広く友人を持っている。幸福だと思う。
地元の同級生から出版業界に入ってからの友人、連れ合いであったやまだ紫を通じて、ネットを通じてなど、自分の体を心配してくれたり、色々情報を教えてくれたり、突然冗談を言ってきたり、こちらの長電話に快く付き合ってくれたり。
まったく、仕事をくれないのが残念だけどなっ! と冗談を言えるくらい、友人に恵まれていると思う。本当に有り難い。

しかし裏切られた経験も多い。
こいつとは親友だ、と思っていた奴に裏切られたのは一番きつかった。漫画家志望だったまだ青臭く若い頃、お互い励まし合い、夢を語り合った仲間だと思っていた。それが、「ガロ」の分裂事件以後、手の平を返したように態度が変わった。俺自身は何も変わっていないのに、相手が突然変わったとしか思えなかった。
後から、別な人物が俺の悪い噂を何度も何度も吹聴していると、別の業界関係者から聞いた。彼も業界に入っていたので、それを聞いたのだろう。
友人なら、なぜそちらを信じ、俺を信じなかったのだろう?
それは簡単な話で、奴は俺を親友だと思っていなかったからだ。俺が勝手にそう思っていただけの話。
あれほど長い時間一緒に過ごし、色々と話し、それなりに助け合ってきたと、俺は思っていた。向こうはそんな時間も経験もクソだと思っていただけの話で、要するに俺がマヌケだったということだろう。
嘘も百回言われ続けると本当かな、と思い始めるだろうし、さらに何年も経てば記憶が曖昧になり、吹き込まれた嘘の方が本当だったと記憶が置換されることもあるだろう。
そういう、俺にひと言聞いてくれよ、俺と話をすれば済むだろうに…と思うような事、俺に関する「風評」を勝手に「真実」と思い込み、手の平を返した連中はたくさんいる。俺ばかりか、一緒に居る連れ合いまでも悪く言い、嘘で貶める連中、顔も名前も知っているが、もうどうでもいい。

それもこれも、要するにこちらがマヌケであり、人徳が無かっただけで、つまりは自分のせいなのだろう。

俺がもしそいつらが吹聴したように変わったとしたら、
悪い噂のような人間になってしまったとしたら?

真っ先に、まず、連れ合いであったやまだ紫に俺は捨てられていたと思う。

でも俺たちは出逢った時から彼女の死まで、最後まで添い遂げた。
だから、今でも、変わらずに接して下さる人たちを大切にする。
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2011-03-28(Mon)

髪を切る

3月28日(月)

依然、福島の原発は予断を許さない状況。心配だが何が出来るわけでもない、出所がバラバラの情報を歯がゆい思いで聞かされているだけだ。自分から捜して得る情報は錯綜しており、専門家でも原発の推進勢力と反原発側で見解が変わったりもしている。相変わらずデマや捏造も多い。
震災で甚大な被害を受けた地域・住民が居る、経済へのダメージも大きい、その上で原発事故の拡大というそれこそ最悪の事態だけは避けるよう、我々は監視していくしかない。


夕べは寒かったのでお湯にゆっくり入ったが、今朝は「猫暖房」もあったので暑いくらいだった。
これなら今のうちシャワーだな、と思って風呂場へ。
どうも中途半端な長髪がウザくてしょうがない。かといって坊主にすると風邪を引くしなあ…と思いつつ鏡を見ると、後ろ髪がイヤミのようにピンとはねている。これだけ何とかしたいな…。(もうこの時点でイヤなフラグが立っていることはお判りだろうが、渦中にいると気が付かない法則)
で、ジグザグに切れ込みが入っている梳きバサミで、右側のハネをチョキン! と切った。バッサリと切るわけじゃなく、刃の確度とか調整しつつうまいこと…やったつもりだったが、思いの外切れた。今切ったあたりの長さを指で測りつつ、左側のイヤミ部分もチョキン!
明らかに左右違う。
右手で右の後ろ髪を切る角度と、左側を切るのとでは、鏡を見てもかなり難しい。そういう難易度の高いことにうっかり手を出してしまった。しかし後へ引くわけにはいかない。慎重に何度も指で長さを合わせ、指の間からはみ出したところにハサミを入れる。見えないけどきっと良い感じだ、今のは。
そう思って後頭部からさっと襟足まで撫でてみると、明らかに襟足のところでガクッと断絶している感じがある。もともと長髪だったところを、いくら梳きバサミとはいえジョキジョキ切ったんだから、そりゃそうか…。
もう、遅かったのである。この時点で何もかもが。
ヒゲからもみあげまでを刈り上げることが出来る電動バリカンを持って居るので、全裸のままそれを取って戻り、襟足にあてる。バリカンの櫛部分の長さは一番長くして。これで襟足から上に流すようにあてれば、自然に…

というわけに行くはずもなく、合わせ鏡で見るとみごとな虎刈りになっていた。関西に住んでいるが別段タイガースのファンでもない。仮にファンだったとしても、虎と解る虎刈りと単なるマヌケな虎刈りとでは意味が違う。
しょうがないのでシャワーを出てよく髪を乾かし、いったんあったまり、着替えて外出の支度。風邪をひくのが一番怖いからマフラー帽子マスクは必須、ただし今日の場合マフラーは違う意味で必須。首の回りを隠すように巻き付ける。
ゴミ袋をもって下へ降り、すれ違った奥さんに見えるはずもないのに後頭部をさりげなく隠して「こんにちは〜」などと笑顔で会釈をしつつ、そういえば今日は月曜だったと気が付いた。美容室は軒並み休み。横並び。一斉に。
駐輪場でしばし考えたが、そういえば美容室と床屋=理容室は違うんだよな、いつも行く美容室は休みだが、T交差点の商店街にある床屋はやってるかも…。そう思いとりあえず自転車を走らせる。

結論から言うと、今は米国海兵隊員のような髪型である。

理容室はちゃんと空いていて、しかもけっこう混んでいた。十分ほど待ったあと理容師に「これを目立たないようにうまいこと…」と後頭部を指さすと、「あ…」と絶句した後櫛でちょいちょいと他の部分の髪を持ち上げたり長さを見たりして、「これは…かなり刈り上げなあきませんね」とのこと。そうでしょう。
「後ろかなり短くなりますから、横も…」と言うので「あ、じゃあ違和感ない感じで」とお願いした。
で、仕上がったのが海兵隊である。
モノゴコロついたばかりの頃にぼっちゃん刈りで写っている写真があるが、小学校以来、人生で最短の髪の毛になった。これからはちゃんとプロに任せよう…。
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2011-03-27(Sun)

家事に追われる

3月27日(日)

早朝5時に目が醒めてしまい、そのまま寝ようとしたが目が冴えてしまった。階下へ降りていくと、耳の聞こえないユキはテーブルの下で丸くなっており、弱くつけてやっている床暖房の上にいたシマが首を上げてこちらを見た。トイレへ行き、戻ってくると寝ていたはずのユキが廊下とリビングを隔てるドアの向こうにいて、「ニャア!」と見上げる。
まだもう少し寝たいと思い、レンドルミンを半分飲んでもう一度ベッドへ上がると、ユキもついてきた。布団に入れてやるとゴロゴロ言って寝るかと思ったら、満足したら出て行った。

次に目が醒めたらら何と11時。呆然。
今日もあまり暖かくならない。天気は昨日より良いが、昼になってもまだ小寒い感じ。
これは風呂であったまろうと思い、風呂掃除をして湯を溜め、ついでに洗濯もしようとトイレや台所のタオル、寝室の枕カバーに使っているバスタオルなどを集める。
このマンションは水圧が弱いのか、シャワーの勢いもひどく弱い。夏はそれでもいいが、冬は暖まらないので、やはり風呂になる。その風呂も追い炊きの出来ない溜め湯タイプなので、湯をはったらすぐ入らねばならない。湯をはっている間に洗濯機をまわしたいが、水圧が弱いのが分散することでさらに弱くなり、溜め湯の速度が遅くなる。なのでまずは風呂に湯を溜め、洗濯物は洗濯機へ放り込んでしまい、上がってから動かすことになる。色々と段取りを決めて進行しなければならないのが面倒くさいが、まあ時間に追われているわけではないのでのんびり行こう。

風呂は満腹時には体に良くないとガキの頃から教え込まれてきたので、もう食事前というのが習慣になっている。昼近くまで寝てしまったので空腹ながら、熱い紅茶だけにした。そうして風呂にゆっくり浸かって、洗濯をし、洗濯物を干し、猫トイレを掃除して、とん汁の仕込みのためにダシを取り、野菜を煮込んだりとやってるうちにアッという間に2時過ぎ。
一息ついて、とん汁を仕上げ、生たらことご飯もりもり。


それから、疲れたので横になりつつ録画しておいた「たかじんのそこまで言って委員会」を後追い再生しつつ見る。
武田邦彦中部大学教授は、日本の原子力政策は推進派と慎重派・反対派とが議論をしつつ進めてきたが、結局は御用学者の意見が勝ち、産業界の後押しもあって例の経産省所管の「安全・保安院」が主導しているとか、前回ロバート・ゲラー東京大学大学院教授が出た時の話とほぼ同様のことを話していた。
こういう御用学者ではない、言ってみればあまりオモテに出ない学者の声をズバズバ出すのがこの番組の面白いところで、そうしたエキセントリックとも言える手法に賛否はあれど、関西でしか放映されないのは勿体ないと思う。
大地震が起こり、大津波が来て、原発事故が発生し、いまだ危機から脱していない。さらに福島県では放射能への過剰反応と無知から来る風評被害という四重苦という状態。当初から、政府、東電、保安院と状況説明の出所がバラバラで、なぜ一本化しないのか、もっと解りやすい説明は出来ないのかという疑問、こんな小さい島国で電気の周波数が別れていて融通がきかない状況を放置してきたことへの疑問、政治家や役人がバラバラの防災服を着ていることへの違和感などなど、こちらがずっと感じてきたことを皆異口同音に訴えている。
この番組とてマスコミに違いはなく、この度の大災害において報道の仕方にも色々と批判はあるが、「ローカル番組」とはいえこういう番組は貴重だろう。
もっとも驚いたのは、原子力安全・保安院の、例のマスコミへのブリーフィング担当者。経産省傘下なので役人なのは想像がついていたが、ちょっと前までTPP担当だったそうだ。不勉強ながら初めて知った。もちろんTPP関連の事務方でも、電力関連の担当などで引っ張り出されたのだろうし、理系の学者は往々にして素人への説明はヘタだ。しかし、何というか、こういうところにお役所体質というのが垣間見えてしまうと、現場で汗を流している人たちに比べ、役人というのは…という気持ちになるのも仕方ない。

暗くなってからタオル類だけ、二度目の洗濯。
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2011-03-24(Thu)

のんびり日常と命がけの事故現場

3月24日(木)

体調がよろしくない。
とはいえ日によって違うし、その日のうちでも朝晩で違う。もうそういうことで一喜一憂しなくなった。慣れだ。
白血病、というか悪性リンパ腫との境界線かも知らん、何かよく解らんが血液腫瘍=ガンであることは間違いない、という状態。慣れた。白血球数や血小板数、LDHの多少の上下も6年近くも計測し続けていれば、これも慣れる。
治るアテもないということにも。

ぐったりしていたが、午後になると調子が良くなってきたので、このタイミングしかないと思い、着替えて自転車で近くのスーパーに買い物へ行った。
気温はあまり上がらなかったが、マフラーは要らないという程度。街はのんびりしている。いいのか、と思うけれども、遠く離れたここがパニクっていてどうする、とも思う。
宅配のネットスーパーを見つけてから、体調に関係なく必要なものは生鮮含めて持って来て貰えるので、自分から動かなくなる。これは色々な意味で良くないのも知っているが、自分の体調や感染リスク、さらには周囲の防疫という概念への無理解などさまざまなことを考慮し、いつも自分なりの最善策を選択している。これにももう慣れた。結果、今こうして何とか奇跡的に生きているので、それでいいのだろう。

自分の目で商品を見てまわり、選ぶというのはやはりいいことだ。当たり前なのだが、ネットでの画面上の買い物とは全く違う。だからといってネットが悪いわけではない、むしろ感謝して余りある。割高なのは知っているが、自分の体調や健康管理と引き替えだと思えば仕方が無い。健康ならばチラシと首っ引きで一円でも安いところを捜して何軒か廻ることも出来ようが、そんなことは無理に決まっている。

さて買い物は買い置きのできない野菜、生鮮類がメイン。レタスにキャベツ、ピーマン、ネギなどを買う。調味料や乾物などの他は足りないもの、それと安くなっていたまぐろの切り落とし。
晩は買ってきたまぐろで晩酌。
たちまち猫二匹に左右挟まれ、熱視線を感じつつ飲むことになるのだが、猫たちの分はちゃんと細かく刻んであるので、それをほいほいと頃合いを見て分け与える。
ちょっと目を離すとユキの方が器用に二足歩行をしてテーブルに手をつき、皿の上のまぐろを食べようとする。こちらがサッと振り返ると目が合い、「やべえ」という顔をしてそっと元の位置に戻るのがおかしい。
おっさん猫のシマは最近歯の調子が悪いのか(猫も歯垢が溜まって歯痛を起こしたりもする)、咀嚼に苦労することもあるが、まぐろは喜んで食べている。ユキちゃん(白猫)の方は、捨て猫時代に兄弟=競争相手が多かった名残なのか、あまり咀嚼をせずガツガツと食べるクセがある。よく指ごと噛まれるので注意が必要。
そのうち一段落してシマは二階へ上がり、こっちもゆっくりテレビでも、と思ったらユキが突然吐いた。
今まで食べたマグロ全部がほとんど未消化。だからちゃんと噛んで食えと言って…と思って片付けるが、言って聞く相手ではなかった。

なんて日常を送っているが、原発の方は今も被害を最小限に食い止めようと、最前線で体を張って作業をしている人がいる。
ニュースでは、作業員3人が被曝し、うち2人は汚染された水に足をつけたことで病院行きになったそうだ。東電は会見で「協力会社の社員」と言っていた、つまり下請けの作業員ということか。何ともやりきれないが、もう外から見ている我々には、「頑張ってくれ」と祈るしかない。
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2011-03-21(Mon)

知ってる恐怖・知らない恐怖

3月21日(月)

今日は雨。午前中はそれでもあまり寒くなく、日中になってもそのまま気温が変わらなかった感じ。

地震と津波の被災地の苦難は依然続いてはいる。ようやく「復興」という二文字に向かって前を向こうかという今、最大の懸念は原子炉。
原子炉、といっても今現在高熱を発している使用済み燃料棒を冷やすなど、放射性物質の飛散を防ぐという喫緊の課題から、避難された地域の方々の暮らし、産物の風評被害から電力不足、さらには将来的には原子力発電そのものの是非も含めて、問題や課題は山積している。

何というか、やるせなさ、相手が自然なのでぶつけようのない怒りや悔しさみたいなものが、ぶつけようのないままモヤモヤと日本人の中に充満していると思う。テレビでも被災地で家も家族も失った人が、「しょうがない」と言うのをよく聞いたが、大多数は自然災害に対してはそうやって感情を抑制している。もちろん被害に遭われた人はその抑圧の度合いは比較にならぬほど大きいけれども、一日じゅう各地から寄せられる悲惨な映像を延々と見せられ、次々と危機的な情報を聞かされ続けた国民は全員、程度の差はあれ抑圧状態にあると思う。

やり場のない、ぶつけようのない怒りを、ぶつけられる対象を捜してぶつける人もたくさんいる。
抑鬱的な感情を無理やり「野次馬」になることで、火事場の見物人のように躁へとアゲる人もいる。


夕方、ツイッターを何気なく眺めていたら、ある人が「地震を殴ってやりたい」と言っていた。同感だ。俺も「津波も一緒に殴っちまおう」という話になった。また別な人と「放射能も合わせて」とついつい盛りあがってしまった。まあ俺たちイイ年をしたオッサンがふざけているだけだったのだが、正直本当に、殴れるものなら殴ってやりたい。
「自然を相手に人間は不遜な態度をとり続けてきた、そのしっぺ返しが」…とか「天罰」だのいうのはとりあえず置いておき、いや、そういう事を考えることはとても重要だ、とっても大切です、解ってる。でもただ、このやりきれなさ、怒りに似た「感情」をぶつけたい。自然にはもちろんぶつけられない、だからこそ敢えてそう言っている。そこらへ闇雲にぶつけられては溜まったものじゃない。

夜、近県や都内の野菜や水から、基準値を超えた放射性物質が検出されたことで、関東でもかなりナーバスになっている人が多いと友人から聞いた。ジョギングをやめたという人がいるとか、花粉症でもないのにマスクを買いだめする人が出たとか。

放射線の「怖さ」というと、我々の祖父母から親の世代は原爆の被害、その下の世代や団塊は戦後の東西冷戦下の核実験競争による汚染〜第五福竜丸の被爆(1954年)など。その下から俺たちの世代はスリーマイル島(1979年)やチェルノブイリ(1986年)の事故などを見せられてきた。
自分の場合はチェルノブイリ事故、特に原子炉から赤い火が見えた不気味な映像は鮮明に覚えている。(あれからしばらく経って、ソ連政府が住民を待避させ死の街となったところへカメラが入った番組も見た。都市はともかく、待避地域となった中には農場や牧場も多く、そのまま逃げず、あるいは戻ってきてそのまま暮らしている老人もけっこう居た。普通に野菜を摂って暮らしていて、「もうトシだから、今さら何十年か後に癌になる可能性があると言われても関係ない」みたいなことを話していたように記憶している)

今、数値に一喜一憂している人も多い「放射線量」…よく言われるμSVだのmSVだの、実は数年前からけっこう耳にしていた。
もっと前は確か放射線量というと「グレイ(Gy)」を使っていたと記憶してるが、近年放射線の種類によっても人体への影響が異なることから、吸収線量Gyではなく実効線量SVが用いられる…らしい(前にググった)。
白血病を告知されてから、CTは数えてないがけっこうな回数、ガリウムシンチ(アイソトープ)は1回、PET-CTも1回、レントゲンはそれこそ数え切れないくらい経験している。否が応でも「被曝」という言葉について教わるし考えることになった。とはいえ先のSV=シーベルトにしても、うろ覚えで日常馴染みのない単位に依然違いはなかったが。
やれCT一回分がいくつとか言われても、/時なのか/年なのか区別が曖昧なまま、数字の大小で不安を煽られている人も多いようす。これまでこうした線量なんかほとんど考えたこともなかった…というのが多くの一般人の本音だと思う。病気の自分でさえシーベルトにはいまだになじめない。(気圧の単位がミリバールからヘクトパスカルになった後、数年続いた違和感に似てるかも知れない)

原子炉の事故現場で電源復旧のため、あるいはそれまで燃料棒を冷却するために最前線で働いている人は大変な状況下にあることは、ド素人でも解る。現場に行った東京消防庁のハイパーレスキュー隊で作業中の線量を測定していた隊長は、まさに数歩違えば死、という状況下だったそうだ。
こうした目に見えないものは怖い。レスキュー隊長も「我々は放射能の怖さを熟知している、だからこそ怖い」というようなことを話していた。
放射線について良く知らない人も、遠く離れたところで「怖い怖い」と言っている。いずれにしてもやっぱり怖い、のが正解だろう。怖いの意味が違うけれども。

ただ、今現在の自分が住む地域の状況を正確に把握せずに、パニックになるとか、避難地域の人たちを差別するなどは「行きすぎた恐怖」だという気がする。
これから原子炉の制御が失敗し、大量の放射性物質が撒き散らされる事態にならないという保証はないが、俺たちが見聞してきた過去の事故の報道、データを(正しく)開示して改めて説明してくれれば、ほとんどの人は今の時点で待避地域から離れている東京などでは、「今現在」危険はないと理解できるように思える。今まさに事故現場となっている福島第二原発の門の前と、東京都内とでは全く放射線量が違うことも解る。
こうした「情報」がないから怖い、と待避住民の方々は訴えているのをよく目にした。知ってるのも怖いし知らないのも怖いが、この場合は「知らされていない」から怖い。(中途半端に知っているという恐怖もまた別にあるかも知れないし)怖さにも色々ある。
「知らされていない」と思うと、「意図的に知らせていないのでは」と勘ぐる人が出る。放射線についてよく知っている人も、正しい情報がなければ対応のしようもない。被災地にはより一層、きめ細かな情報の伝達と説明が必要なのがよく解る。

遠く離れた都会で、今ある情報を最大限に獲得して精査し正しく現状を把握し、その上で待避行動をとることに、誰も文句は言わない。今は微量でも将来的な影響を考えて、あるいは今は安全でも今後事故処理がどうなるか不安、という人も当然いるだろうし、待避する人がいても仕方ないと思う。ただ、ここでもやはり「デマ」や科学的根拠の薄い「風評」を信じている人、またそれを拡散している人もまだまだ多いように思える。
「本当のことを知らされていない」「今もたらされている情報がデタラメだ」と疑心暗鬼になった人を納得させるには、現場へ連れて行き状況を見せ線量を計測させる以外にないのだろうか。それこそ命に関わると思うのだが、それならもうどうしようもない。
場所ごとに測定数値が公表され、研究者もモニタリングでき、それをさらに一般に公開されている、その上無償でグラフ化して解説まで加えて下さっている方(もちろん専門家)までおられるのに、疑い始めるとキリがない。

もちろんこのような情報を得られる人・得られない人が出るのは本来おかしな話ではある。「ネットでいくらでも見られる」といってもお年寄りは無理だし、被災地の人も避難場所でのテレビくらいという人も多いだろう。
そこで、今こそ日本のマスコミの真価が問われている…ということ…なんだな、きっと。
恐怖を煽るな、安易に楽観視もするな、客観的で正しい情報をきっちり取ってきて、大きな声で発表して欲しい。
そこから先の行動はもう個人が選択することで、九州まで逃げようが外国へ行こうが、とがめ立てする筋合いはない。皇居まわりのジョギングが怖けりゃ自主的に中断すりゃいいし、葉物野菜が怖けりゃ食べなくてもいい。人に強制したり、勧めたりしなければいいだけだろう。
何しろ人への影響には個体差もあるし、例えば放射線だけではなく我々の世代だと前にも書いたことがあるが、今は禁止されている化学物質をけっこう摂取してきているわけだ。
ちょっと思い出すだけで合成着色料や甘味料香料の類だけではなく、光化学スモッグや排気ガス、アスベストなど、今とは比較にならない量を摂取してきたはず。それらが複合して、さらに放射線が加わりどうなるのかなんて、誰にも解らない。被害が大きくなるまで、正確な情報が隠蔽されてきた問題だって多い。おい今さらそれはないだろう、と思うことがいくらでもあったはず。
つくづく、高度「情報」化社会だからこそ、情報の大切さを実感する。
悲惨さばかり流さなくても、逆に美談ばかり見つけてこなくても、早くも総括や責任者捜し、政権叩きよりも、正しい情報開示と状況説明を。それをなるべく多くの国民に大きいボリュームで流して欲しい。


それにしても、毎日「今日の放射線最大量」「どこそこはなになにマイクロシーベルト」「なになに市は正常範囲内でした」みたいな発表が天気予報のように流れるというのは、それだけで異常なことだ。
今後これが日常になるかどうかはともかく、これだけで「ええええらいこっちゃあああ!」となる人がいても何にも不思議はないな、と思う。
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2011-03-20(Sun)

早く春になれ

3月20日(日)

午前中天気が良かったので、前から気になっていたベランダの掃除をすることにした。
このところの不景気もあって仕事が減り、時間だけはある。昼前になると暖かく、久々に換気もと思って窓を全開にするが、風が通り空気が入れ替わるものの、猫の毛が舞う。これがしばらくすると部屋全体に落ちてくるわけで、猫飼いはとにかく毛と綿埃との戦い。
ベランダの方は冬の間は寒いので放置してあった、手すりや物干しも雑巾で拭く。けっこう黒くなるものだ。とはいえ東京に居た時に比べればささいなもの。やり始めると止まらなくなる性質なので、デッキブラシも使って何度も水を運んで流したり、休み休みやったがへとへとになる。こうなることは解っていて始めたので仕方ない。やらずにいるとどんどん住まいが荒れてくる。

その後は果たせるかな、まったく何もする気が起きず、とりあえず作り置きしておいたシチューを暖めて食べ、ぐったり横になってテレビを眺めていた。するといつの間にか外は雨。やはり天気のうちに掃除しておいて良かった。予報ではまた冷え込みが来るそうで、もういい加減にしろよ冬、はやく春になれと思う。
冬には冬の良さがある。それは北海道で生まれ、今四季折々で表情を変える古都に住んでいて実感している。
でも、この震災の中、とにかくもう寒いのは勘弁してやって、と思う。

夕方、石巻で何と9日ぶりに2人が救助されたというニュース。
津波の被害を受け、家が倒壊する中、瓦礫の中に閉じ込められるかたちになった、80歳女性と孫の16歳男性。おばあちゃんの足は冷蔵庫のようなものが上に乗り動けず、その祖母に孫が水や食べ物を運んでいたそうで、今日になって瓦礫が動いて孫の方だけが動けるようになったため、屋根の上に出て救助に手を振ったという。
NHKの映像で見る限り、祖母は少し暗い表情ながら落ち着いており、どこにも怪我はないと言っていた。ただ、孫の映像やコメントはなく、低体温症で左足の足首に感覚がないと言っているそうだ。
あのすさまじい津波の猛威の中助かったことも奇跡、それから今まで生きていられたのも奇跡。あれから何度雪が降ったか、何度余震があったかと考えると、胸が熱くなる。お孫さんの方は心配ではあるが、とにかく、助かって良かった。こうした明るいニュースはホッとする。
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2011-03-19(Sat)

母の自転車

3月19日(土)

今日は青空に薄く雲がかかる、穏やかな天気。気温も午後には17度になるという。やはりちょっとでも暖かいと、体調もやや上向く感じ。

ゆうべ、さいたまに住むゆうちゃんに電話。様子を聞いたところ、依然ガソリン不足と、一部の商品不足はあるが、今のところ大きな不便はないから大丈夫とのこと。神奈川に住む長女のももちゃんからも、何か足りないものはないか、こっちは大丈夫だと連絡があったという。
震災のあと一度連絡した時は、車のガソリンを入れようと思ったら長蛇の列だったそうで、その状態がいっこうに改善されていないということだ。小学生の子供が二人いるし、会社へ通勤するにも車が無いと不便なところに住んでいるのだが、「自転車使ってるから」と言っていた。その自転車というのは彼女の母である三津子…やまだ紫が京都で使おうと買った折り畳みのもの。

やまだは元もと、小さい頃は自転車に乗れなかった。それが二人の子を一人で育てることになってから、幼稚園への送迎のために必死で練習したそうだ。もっとも、子供を乗せるにはあまりに危険ということで、三輪自転車を買い、一人で子供たちを送迎した。そんな感じで歯を食いしばって子育てをし、漫画を描いてきた。

その後彼女は普通の婦人用自転車にももちろん乗れるようにはなり、俺と一緒になってからもよく二人で自転車で出かけた。買い物や近くの川原や公園までサイクリングがてらに出るのだが、漕ぎ出しがちょっと不安だったし、スピードが落ちるとハンドルがふらつくことがあって、どうにも危なっかしかった。
病気やら手術やらが色々あって、京都へ越す前の数年はほとんど自転車は利用しなかった。元もとあまり得意じゃなかったのに、さらに体力が落ちたわけで、こちらが「危ないから」と止めたのもある。
京都へ越してきて、病気の方も落ち着き、二人共通の趣味でもある神社仏閣巡りを楽しみ、とてもいい時間を過ごしていた。どこへ行くというわけでもなく、ただ近所の疎水わきを散歩したりするのも楽しかった。そういう中で、自転車があるといいね、という話になって買ったのが折り畳み自転車。
俺の方は自転車大好き男なので京都でも乗っていたわけだけど、彼女の場合は何年ぶりか記憶にないというレベル。なので一度俺がサポートしつつ練習をしてみた…が結局勘は戻らず、とても危なかったので「使用不可」にして、ゆうちゃんに送ったのだった(2007年10月20日)。

まあそんなことを思い出しつつ話していると、ゆうちゃんは「知り合いのママさんでも買いだめとかしてる人がいて、本当に呆れちゃう」と言い、今は車も次にガソリンスタンドへ行く分くらいのガスを残して使っていないそうだ。「自転車頑張って漕いでるよ」と笑うのを聞いていると、あの母にしてこの子だなあ、と思った。
今も毎日のように停電があり、子供たちもいて不安もあるだろうけど、「近所のお年寄りたちが夜回りもしてくれてるから」という。遠くに離れて居ると心配だが、大丈夫と明るく言っていたので少し安心する。
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2011-03-18(Fri)

一週間…

3月18日(金)

震災から一週間。
まだ総括するには早すぎるし、現在進行で今も続く悲劇に、今はせめてこれ以上悪いことが起こらぬように祈るだけ。
自分はやらねばならない予定、作業を粛々とこなす。


阪神大震災から16年。あのとき、連れ合いに「起きて! 地震が、大変なことに!」と叩き起こされて「またそういうドッキリを…」と半分不機嫌ぎみにテレビを見ると…。

当時はインターネットなど知らないという人の方が圧倒的多数、PCの処理能力も通信環境も、何もかもが今とは比較にならぬほど遅かった。携帯でネットが出来る今のような時代はまさにSFという世界。
そのため、当時は流言飛語が飛び交い情報が行き渡らず、デマに人々が困惑し振り回された。
今はネットが爆発的に普及し、流言飛語が飛び交い情報過多で、デマに人々が振り回されているようにも見える。

これだけの高度情報化がなされた時代に、それを有効に活用して、さまざまな部分で役立っているのはもちろんだが、せっかくのツールに振り回されて目眩を起こしているような人もいる…。

被災していない自分はせめて落ち着いていよう。
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2011-03-17(Thu)

送別会

3月17日(木)

朝はまたぐっと冷えた。起きて北側のベランダを見ると、未明に降ったと思われる雪が少し残っている。

今日は夕方、この4月で母国へ帰る留学生のG君とその彼女と飲む予定。
G君はやまだ紫が精華大の教授就任時から院生としており、可愛がってきたひとり。彼の彼女も、やまだの教え子である。
俺は直接教える機会は無かったが、何度も会っており、一昨年、やまだと一緒の時にばったりバス停で会い、やまだが「今後一緒に飲もうよ、ご馳走するから」と笑って別れたのが、最後になった。
今日は彼の帰国の送別会というにはたった3人のささやかなものだ。ささやかだが、やまだが「ご馳走する」と言った約束を果たす意味もあった。今日の予定を立てたのは大震災前で、その後あんなことになり、彼は「延期しましょうか」と言ってくれたが、「いや、予定通りやろうよ」と言った。
被害のない関西で、自粛するより普通に消費行動をした方がいい。それに、今月末には帰国するという彼の過密スケジュールをこれ以上複雑にするのも良くない。

5時半ころ、バスの時間を見て店に向かう。寒い。もう使わないかと思った帽子とマフラー、手袋の出番。
約束の6時より10分ほど前に店に着くと、ちょうど二人が到着したところだった。
やまだの話も含め、色々ゆっくりまったりと話しつつ、酒と肴を堪能した。
俺はもっぱら食べさせ役。昔、自分が先達にそうされていたように、若い人に「どんどん食べなよ」というのが自分の役割。生ビール4杯にヒレ酒を2杯。
あっという間に10時半近くになった。
二人と握手をして「日本へ戻ってきたらまた飲もうよ」と言って白川通りで別れ、雪の舞う中を歩いて帰る。道々、連れ合いに「約束をちゃんと果たしたよ」と思いつつ空を見上げると、ぼたん雪が舞い落ちて視界が真っ白になった。凄い雪だ。

途中ドラッグストアで猫たちのかつおパックを買い、ゆっくりゆっくり歩いて帰った。
酔いもほどよく、体も温かい。気持ちもほっとした感じ。
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2011-03-16(Wed)

寒波

3月16日(水)

寒い朝。
今日は午後に雪になるという予報だったが、ここにきての寒波とは何という無情…と、どうしても被災地のことを考えてしまう。
今日は少し調子が悪い。こういう体調の上下は日によって違い、一日でも上下する。血液腫瘍とはつくづく厄介な病気だが、もう慣れた。つきあっていくしかない。出来れば出てっていただきたいが。

ネットを見ると、相変わらず色々な「情報」が飛び交っている。
先日の「節電」の広がりも、「関西では無意味」という人、また「関西でものを買い占めてる、阪神大震災で受けた恩を仇で返すのか」など、こんな非常時に東西でいらぬ対立を煽るような「発言」も見た。
そんな中、京都から震災「当日」に派遣された、200名近い消防隊・災害救助隊の第一陣が、交替のため帰還した。皆さん大変な作業だったと思うが、それでも「残念ながら一人の命も救えなかった」と苦渋の表情だった。
関西での節電は「自己満足」でも、ましてや「無意味」ではない。関電は「今後復興に向けて火力発電の需要も高まる」と言っている。つまり西日本での節電も間接的直接的に被災地を支援することにつながっていく、ということだ。最初からこっちはそう思ってるし、そう言ってきたし、やれる範囲で無理せず節電で協力している。
京都ローカルのニュースでは、市内のコンビニなどが一斉に看板や店内照明を落として節電に協力している、といっていた。俺もコンビニは昨日も京大内ローソン、熊野前ファミマ、自宅近くのセブンイレブンと見たが、買い占めなど起きてない。
スーパーでも買い占めのような異常な消費行動は見ていない。そりゃあ関西、西日本といっても広いから、全部確かめるわけにはいかないが、みんな心配しているよ。
なじみの宅配業者と世間話で聞いた。「うちでもティッシュやトイレットペーパーなどは品薄になってきましたね。でも、それらは関東や被災地に優先させるためなんですよ」と言っていた。
確かに関西でも買い占めをしている人がいるのかも知れないが、不届きな人、利己的な人はどこにでもいる。一部を見て全体を語ろうとしないで欲しい。人ごとだなどと思っているわけがない。飛び交う情報が多すぎるのは解るけど、ちょっと落ち着いてくれよ、と思う。

こんな非常時に落ち着いていられるか! というのは被災地で大変な思いをしている人たちで、安全なところにいる人が落ち着かなくて、誰が落ち着けるのかと。

京都は夕方になって、とうとうぼたん雪が降り始めた。積もる感じではなさそうだが、ぐっと冷えている。今日、明日を乗り切れば暖かくなるそうだ。
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2011-03-15(Tue)

診察日

3月15日(火)

血液内科と呼吸器内科のダブル診察日。
朝は病院に備えて早くに起き過ぎたので、とりあえず紅茶を飲む。何か食べると即座に下るので、ゆっくり茶を飲んで、あとは何も食べずに8時半過ぎに出た。今日も暖かい。マフラーは要らなかったかも知れない、と思いつつ病院へ向かう。
病院は空いていた。
いつもなら8時半の受け付け開始を待たずに、外来棟吹き抜けの受付前の椅子はけっこうな数の患者で埋まっている。9時前というとまだ再来受付機の前にも行列がある時間なのに、それもない。受付し端末を受け取ってすぐ2階の採血受付へ行くが、ここも5、6人の列ですぐに進んだ。番号は209ながら、掲示板は170あたりで、進行も早そう。
結果9時前には試験管3本の採血を終え、右手の採血部を抑えつつ1階のX線受付に向かう。
受付を終えて待合の椅子に座り、数人の患者と一緒にテレビを見る。いつもより若干患者が少ない分、画面に映し出される東北地方の惨状とは対照的に、静かで平穏な空気。5分ほどで呼ばれて胸部レントゲン撮影も終了、まだ9時半にもなっていない。

今日は呼吸器内科が10時半ころ、血液内科は11時半ころの予約。「ころ」というのはおかしいが、予約時間にきっちり呼ばれることはほぼ皆無なので、そんな感じでいた方がいい。
2階の回廊、呼吸器内科外待合のアナウンスが聞こえる位置の椅子に座り、正面の大画面液晶テレビを見下ろす。しかし音声が聞こえないので、携帯を出してワンセグを映してイヤホンで音声を効く。手元の小さな画面よりも、1階にある大画面テレビの方が大きい。
懸念の福島第一原発は停止していた4号基の使用済み燃料棒から火災が発生したという。一難去らずにまた次から次へと…。どうにかならないものかと画面に釘付けになっていると、10時半を待たずに呼び出しアナウンスが聞こえたので、慌てて診察室へ小走りで向かう。

I先生は採決結果をプリントして下さり、大きな変化はない、肝臓の数値だけちょっと上がってますが、まあ気にならない程度です、とのこと。肝臓…すいません俺が悪いんです病気のせいじゃなくてビールのせい。
レントゲン写真も見せていただくが、右肺上部の丸い影、肺炎野郎が巣くっていた部分は若干薄くなっていて、その他の部分も良好ということだった。
「ああいうのは消えて無くなるということはないんでしょうね」と聞くと、
「そうですね…。例えば手や足を怪我するでしょう、その部分が治っても傷というか痕が残る場合がありますよね、それと同じです」とのこと。なるほど。
俺の場合どう考えても生体の修復能力が低下している。何しろ「生きてるだけで精いっぱい」の体だ。
呼吸音を聞いていただくので着物を上げて胸を出すが、その際に腹部の手術痕が紫色の帯になっているのを、俺が「こういう手術跡も普通の人より強く残ってますから…」と言うと「そうですねえ、でもこういう『治り方』もあるんですよ」と言われる。呼吸音も問題なかった。
そういえば、肺の手術で呼吸器外科の4人部屋に居た時、向かいに入ってきた末期癌のおじいちゃんの手術痕を見せてもらったことがある。それはそれはとても綺麗で、左の肩胛骨下あたりから脇へかけて、細い線をすうっとカーブを描くように引いたような感じだった。おじいちゃんの手術は数年前とのことだったが、本当に綺麗だった。俺の方が遥かに若いのに、こっちの手術痕は幅7mmほど、紫色に盛りあがってざっくりと残っている。

次回診察日は6週間後だと連休の週にかかり混雑するのでと、4月19日にしていただいた。薬の処方箋と肺の薬吸入の手配書を貰い、お礼を言って診察室を出る。
そのまま処置室へ行き、吸入の旨お願いして、廊下の椅子で待つ。5分ほどですぐ、何となく顔見知り的な感じになった年配の看護婦さんが呼んでくれた。いつもは吸入薬剤が届くまで15分くらい待つのだが、たまたま在庫があったのか。
吸入器につないで口にくわえる部分とホース、薬剤の入ったドーム状の部品を吸入器にセットしてもらい、電話ボックスみたいないつもの「個室」に入る。看護婦さんは「ええと、もう…」と笑顔で言うので「はい、よく知ってます。コツも覚えてますから」とドーム部分を振る真似をすると、「ああ、そうですよね」と笑われた。やっぱり何となく常連さんだと覚えてくれているようす。
しかし、この吸入は拷問に近い。慣れたとはいえ、肺の中に苦い薬交じりの蒸気を入れていくと、どうにも途中から吐き気や咳き込みで苦しくなる。よだれも出るし痰も出る。もう身も蓋もない世界。
ただ免疫低下の患者にとっては命に関わる肺炎野郎を叩いておくために、これは必要なことなので、ただひたすらにタイマーが「0」になるのを涙目で待つしかない。「俺、シュノーケルだのアクアラングとか絶対ダメだよな」とか余計なことを考えつつ。
吸入を終えて看護婦さんに挨拶をし、同じ2階の血液内科外待合へ移動。再び回廊の吹き抜けに向けてあるベンチに座る。こちらからだと液晶テレビの画面はかなり斜め横から見る格好になるので、再びワンセグを取り出して、イヤホンで聞きつつ画面も手元で見る。
11時から菅総理の会見、その後枝野官房長官の会見、福島の原発が依然危機的な状況にあることや、停電に関する報告と質疑応答があった。この人は総理に比べ、国民やメディアへの説明の役目を果たしており、日増しに疲れていくように見える。
NHKがスタジオでの解説へ移ったあたりで、携帯の充電が切れた。ワンセグを使うと本当に持たない。血液内科の予約時間は11時半だからちょうどいいと思うことにして、音声が聞き取れない病院の大画面テレビに目を映す。
ところがここからの待ち時間が長かった。30分くらいはいつもの通り、1時間してようやく端末が「病院内でお待ち下さい」から「外待合で」になった。ここからは早いだろうと思ったら、結局診察室へ呼ばれたのは1時近くだった。

N先生は「お待たせして申し訳ありません〜」と恐縮して頭を下げられるが、仕方ない。先生とて遊んでたわけじゃなく、丁寧に患者の応対をしていた結果なのは、話していれば解る。
採血の結果は呼吸器でも見せていただいたが、改めて「血小板がちょっと今回は低かったですが、あとはいつもと変わらず…」とのこと。こちらが「低値安定ですね」と言うと「そうですね」と。PLT(血小板数)は65000とかなり低い。よく採血跡が塞がってくれたものだ。

それと、今回はT細胞性の血液腫瘍患者の状態を見るのに使う腫瘍マーカーも調べていただいたそうで、それは「可溶性IL-2レセプター」という初めて耳にするもの。
「今日の分はちょっとまだ間に合わなかったんですが、ここ数回の数値は悪くはなってませんね」という。
2008年1月が1450、2009年11月が1990、2010年6月が1700。
それが2010年11月791、今年に入って1月770、2月892。(単位はU/ml)
「腫瘍マーカーということは、この数値は高いと良くないんですよね」と伺うと、
「そうですね、もちろんまだ高いことは高いんですが、正常値(145-519)に比べれば、最近の数値は飛び抜けて悪いわけではありません。T(細胞性)の患者さんだと、これが4000、5000と上がる場合もあるので…」とのこと。
今日の分が気になるのだが、N先生は「この間の採血の結果、推移から大きな変化はないでしょう」というお話だった。

N先生は「今後も感染には十分注意していただいて、この状態を維持できればいいと思うんです」とのこと。
「何か生活面でお辛い部分とかありますか?」と聞かれたので、「いえ、もう慣れたといいますか、幸い外出せずに済む仕事ですし、満員電車や映画館とか、乾燥・閉鎖空間・不特定多数、という場面は極力避けるのが習慣になってしまったので…」と話す。
先生はうんうん、と頷きつつ「そうですね、そうやって行かれるといいと思うんです。特に冬は怖いですからね」と言われるので、こちらも「冬はどうも調子が悪いというか、気温が低いこともあるし、どうしても季節的に気分も沈みがちになりますから」と話す。

で、「もう今年の7月で判明してから丸6年になるんですが、自分の病気の場合、今後はやっぱり厳しくなるというか…」と伺ってみる。
N先生は「でも白取さんの場合はいわゆる白血病ともちょっと違っていて、悪性リンパ腫との境界タイプと言いますか…」と言われるので、「とても珍しいタイプだと言われました」と話す。
「そうなんです。ですので、この先ご病気が動くようなことがあれば、抗癌剤を使うなどの対応を考えることになりますが、(はっきりとタイプが決まっているわけではないので)ご年齢も考えると、(骨髄)移植も考えられた方がいいと思うんですよね」とのこと。

こちらは「そうですね」と応えつつ、やはりこれまで自分が理解していた通りの内容だったことで、納得した。うん、とても珍しいタイプで、T細胞性でリンパ性であることは間違いない。で、病気の進行は遅く慢性と言えるだろう。なのでT-CLLというのが一番近い「病名」なのだろう、先生方も便宜上診断をつけねばならないのでそうしているのだろう、と理解していた。実際東京にいる時の主治医だったU先生も、今日のN先生とほぼ同様の説明をして下さったことがある。

とにかく血液腫瘍、がんであることは間違いない。タイプが特定できないので、効果的な薬剤も、ない(似たような症状に使う薬を多剤併用するのだろう、きっと)。
だから、抗癌剤治療や、これだけ免疫が低下している上に過酷な移植治療を受けるのは、たぶん、無理だと自分で思う。医師側は絶対にそうは言わないし言えないと思う。わずかでも可能性があればやるべきだという先生もいるだろうし、その方が多いのかも知れない、それは解らないけれども。東京にいた時には、別のS先生から「白取さんの場合、今の段階でもう治療に入りましょう、と判断される先生もおられると思います」とはっきり仰っていた。

癌と闘うか、共存するか。

ギャンブルのような苛烈な治療をするか、無治療で出来るだけ平穏に普通の生活をするか。
当時、夫婦で話し合った結果「感染に気を付けていけば普通に近い暮らしが出来るのならそうしよう」と思ったし、それを告げる前に先生方も「病気が動いていない段階で強い治療は好ましくない」と判断された。
話し合った連れあいはもうこの世になく、病院も先生方も東京から京都へ移ったので変わってしまったが、結局、今も俺の病状は変わっていないということだ。これを素直に噛みしめ、だいじに生きろということなのだろう。

先生にお礼を言って診察室を出て、そのまま会計へ向かう。
自動精算機、カード支払機の並ぶ前のベンチに腰を下ろすと、傍らに背の高い白人女性がおり、恐らく夫がわの両親であろう日本人老夫婦が赤ん坊をあやしている。
2階のベンチで長く診察を待っていた時、ぼーっと階下の受付広場を行き交う人を眺めていたが、その綺麗なプラチナに輝く髪の女性はとても目立っていて、印象深かった。最初見かけた時は一人で自動受付機で受付をしていて、二度目は移動中、三度目はベビーカーを押した老人と一緒だった。四度目の今回はすぐ間近で、老人の妻らしい人が赤ん坊を抱いているので、四人連れだと初めて解った。
白人女性は俺と入れ違いですぐにクレジットカード支払機へ立ったが、老夫婦は孫(?)をあやすのに必死である。ばあちゃんが満面の笑みで赤ん坊を抱いてあやし、爺ちゃんも負けるものかと言わんばかりの破顔でデジカメを構え、パシャパシャ写真を撮っている。二人とも相好崩しすぎだろう、というくらいの溺愛ぶり。賑やかなじじばばに比べ赤ん坊は泣きもせず、ただじっとなされるがままである。髪は柔らかそうな栗色をしていた。
その間に件の白人女性はカード支払機の前で何やらエラーが出ているらしく、立ち往生している。後ろにおっちゃんが一人機械待ちで並んでいるのだが、相手が外人なので何と話しかけていいやら、という風情である。
何度目かにカードがエラーで戻ってきたあと、白人女性は困惑した表情でこちらを振り返り、じじばばに助けを求める身振りをするが、赤ん坊に夢中の二人は全く眼中にない。おいおい、赤ん坊が大事なのは解るけど青い眼の「お嫁さん」も大事にしてあげてよ。
溜まらず俺がベンチの背をポンポン、と叩いて「呼んでますよ」と言うと、じいちゃん声もあげずに驚いたように俺を見て、それから白人女性(嫁さん?)の方を見て、無言ですっとんでいった。ばあちゃんの方は「すみません」でもなく、ぽかんとした後、何事もなかったかのように赤ん坊に再びデレデレの笑顔を向けている。何だかなあ。
そのうち俺の呼び出し端末も会計準備が出来た旨を震えて知らせ、金額を表示したので立ち上がる。
ついでにじいちゃん行ったはいいが、全く解決していないようなので俺が後ろから覗き込むと、カード支払機2台の間に張り紙がしてあって、「震災の影響で一部のカードはデータセンターを置いてある場所との通信がうまくいかず、エラーになる場合がある」というようなことが書いてあった。
なので日本語で「何やろなあ」「何でいかへんにゃろ」と首を傾げるじいちゃんと、さっきからそういえばひと言も発していない白人のお嫁さんに「あの、これと違いますか」と張り紙を指さす。
じいちゃん「アッ! これやー…」と俺の顔と張り紙を交互に眺め、「そしたら、こっちの機械でやったらええんやね」と頓珍漢なことを言い(もう一台も、同じ機械)、俺は「え、いやそうじゃなくて」、お嫁さんは張り紙が読めないらしく相変わらず困惑顔…というあたりで別の人が「窓口空いてますよ」と指さして、お嫁さんをカウンタに連れてってくれた。
最後まで、じいちゃんばあちゃんから「おおきに」は無かった。普段は日本人の息子が間に入るのだろうが、息子のいない間はどういう日常なんだろうと想像すると妙におかしい。
こんな感じで、大画面にずっと震災、原発、停電…が映し出されているの映像とは全く違う空気だった。これも、同じ日本国内。

会計を終え、病院南にある調剤薬局に処方箋を出し、待ち、ドライアイ用の目薬をついでに買い、熊野神社にお参りをし、スーパーで買い物をし、荷物をいったんおろしてからコンビニで足りないものを買い足し、郵便物を取り、部屋に戻ったら2時半だった。
もう何だか色々と疲れた。
(被災地で救援活動をする人らをみると、こんなことで疲弊してどうすると思うが、病人である自分がそう思うこと自体「無理をしている」のだな、と思う)
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2011-03-14(Mon)

地震、津波、原発…

3月14日(月)

うちの猫二匹はいつもは仲がよろしくなく、くっついて寝たりもせず、片方が「甘えタイム」になるとスッ飛んできて入れ替わるように甘える「ライバル」関係。ところが今日はどうも、二匹ともべったりとくっついてくる。たとえばテーブルにあぐらをかいていると、足を枕に一匹が身を寄せてくる。そこへ、わざわざあぐらの股間にもう一匹が入って来て、結果的に二匹が俺と数珠つなぎのようにくっつく状態。
しばらく我慢してやるが、足の感覚が無くなってきたのでソファへ逃げ、やれやれと横になる。普段はここで二匹とも諦めるが、シマの方がしつこく右手の脇に割り込んできて肩にアゴを載せてきた。
すると何とそこへユキが、俺の腹の上にきて香箱を作った。こんなことはこの二匹と暮らして初めてのこと。連れ合いを亡くした後でさえ、ここまで二匹がくっついてきたことはない。
こうなると何か不吉な予感でも感じて不安になっているのかと、さすがに落ち着いているだけではいけない気がしてくるが、何しろ猫たちにホールドされていて動けない。結局腹の上は脾臓にさわるのでユキは左の脇へ移動させ、両脇に猫を抱く形でテレビを横目に横になっていた。午後はそんな感じ。
ただ、結局何かが起こったわけでもなく、シマは満足すると二階へ上がって行った。いつものようにベッドの上で本気で寝ようということらしい。その後もユキは人の脇でイビキをかいて寝ていた。手が痺れてくるので時おりちょっと動かすと、「ううーん!」と漫画みたいな不満げな声を発し、「むにゃむにゃ」とこれまた漫画みたいな定番の台詞を発してまた脇に額をねじこんで熟睡。その後、目を醒ましてけろっとご飯を食べに行った。
このところずっとひどい下痢が続いている。地震報道で知らず知らずストレスは受けているとも考えたが、よく考えたらずっと前からこんな感じだった。ただトイレまで猫がついてくるのには参る。免疫上体はあっためた方がいい、熱い風呂にゆっくりつかっていると、こっちの姿が消えたのでユキがわあわあと大声で鳴いているのが聞こえる。


大地震、大津波、そして原発事故。
報道を見るにつれ、とてつもなく深刻な事態が続いていることが刃で傷つけられるように伝わってくる。地震や津波で甚大な被害が出て、その復興にさえまだ手が届かない凄惨な状況で、原発が次々と危険な状態に陥っている。
関東に住む友人知人たちは停電が来るのか来ないのかと、不安な声を発している。

夜になり、ようやく仕事の相手から連絡が入り、PCの画面でちょっとやりとり。
その後、そのままPCで作業をしながらニコ生でNHKをつけていた。途中、石原都知事が「津波は日本人への天罰」発言(asahi.com(朝日新聞社):「大震災は天罰」「津波で我欲洗い落とせ」石原都知事 - 社会)に呆れ、さらに都知事選出馬&松沢辞退という会見で空いた口が塞がらなかった。
その際石原さんは「天罰」の真意を問われ言い訳をしていたが、何がどうであっても、今、現在、言っていいことじゃないだろう。
今まさに未曾有の大災害に襲われている状況で、ちょっとリラックスした発言でもたちまち「不謹慎」と叩かれる過敏な状況にある。だってこれだけの大災害、甚大という言葉でも足りない被害を被り、さらには命がけで収拾にあたっている人たちがいるんだから、テンパってしまう人の方がむしろ正常かも知れない。
しかし曲がりなりにも自治体の長という立場で、発言にはより一層慎重さが求められるのにコレだ。
東京の知り合いからは混乱に乗じて「東京電力の検査」だか「東京ガスから来ました」だか言って強盗でもしようと企む連中がいるという「体験談」を聞いた。噂ではなく、実際に来られたが、家人が追い返したという実体験だ。(そういうことがあるから気を付けろ、という話が駆け回って、それを根拠のないデマと言う人もいる。それほど実例が多いとは思えないし徒に不安を煽るのは良くないのだが、このように実話もあるので気をつけるに越したことはない)
また不足している物資を無料で提供する企業や寄付金を拠出する人たちがいる中、値段をつり上げて儲けようという人もいる。
問題発言する人、混乱に乗じて犯罪を企む者、儲けようとする者、これはもう確信犯というか「心」の問題なので、人から諫められても平気の平左。


その後、8時半から今度は東電が記者会見をするというので、じゃあそれを見ようかと手を止めてNHK=ニコ生の画面を眺める。なかなか始まらない。USTではTBSが生中継をしているはずなので並べてみると、とうに東電副社長はじめ役員が並んでお辞儀をしている。その後NHKはなぜか「午後8時半すぎ」というテロップをつけ、生中継ではなく若干のラグを置いて放送を始めた。
説明にあたる役員の2号基に関する説明は淡々としており、聞き取りにくかったが状況は理解できた。NHKは質疑応答の前で放送をやめてスタジオの解説に移ったが、TBSの方は記者との質疑応答も生中継を続けていたので、USTの方を見る。
蒸気タービンが破損→冷却不能→炉心溶融危機→ポンプを稼働させて海水注入→でもポンプは燃料が切れると注水が止まる→冷却不能→溶融危機→燃料補給→再度海水で冷却…ということで、炉心が露出したのが2時間ほどあったという。
「炉心溶融の可能性は」と問われ「否定は出来ない」つまり確認できてないのか、はっきりしない。
NHKの方は9時になり、ニュースウォッチ9の中で、枝野官房長官の記者会見になった。
どうにも何とも隔靴掻痒というか奥歯にモノが的な感じであるが、もう情報は与えられるものしかないし、だいたい原発に関しても素人なので「何か隠してる!」とか「はっきりしろ!」とか言っても仕方ない。出来ればもうちょっと情報発信経路を整理して、さらに解りやすく説明はして欲しい。その上で「はっきり」されたところで、現場で作業をしてくれている社員や下請けや自衛隊員の方々に任せるしかない。最悪の事態は何とか免れて欲しいと祈るしかない。
テレビやネットで詳細な情報を集めるのに夢中になると、それらの情報でどうしても深刻になるし、緊張状態の連続になる。なので情報を遮断し気分転換する。しかしその間の進展が心配で不安になる。そうしてまた情報を集める…という、一種の「情報中毒」的な疲弊状況になってしまう。
こういうことは精神衛生上よろしくない。ということは自分の病気にもよろしくないと思うので、ほどほどにしようと自制する落ち着きは、幸いにして持っている。それもこれも、とりあえずは被害のない西日本にいるからだ。
頑張り続け限界を超えている被災者や救済にあたっている人たちに、とてもとても「頑張れ」とか軽々に言えないのだが、頑張って乗り越えて欲しい。自分もかって立て続けに襲われた病苦、不幸を経て、ボロボロだがまだ何とか生きているんだし。

明日は血液内科と呼吸器内科の受診日だ。
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2011-03-13(Sun)

腹痛

3月13日(日)

今日は朝から腹痛。下痢もひどい。
腹は免疫上重要なところだし、下痢の時は水分をゆっくり摂りつつ横になっているのが一番。

震災の惨状を映すテレビの映像とは別世界のような、穏やかに晴れた暖かい京都。いつもの日曜よりも街は静かな気配がする。
全くもって平穏だ。
この平穏、「普通」を申し訳なく思い、被災地の映像を見ては何も出来ない自分を責めたり、過度な自粛ムードを煽る言説もネットには見受けられる。
被災された方がパニックになる、我を失う、感情の抑制がきかなくなることは当然だし無理もない(だがそういう映像は極めて少ないが)、でも幸いに、本当に幸運なことにほとんど影響のないこの西日本に居る人間が、同じように冷静さを失ってはいけないだろう。
こっちも友人知人がたくさん、東日本北日本にいる。
ほとんどの方の安全は確認できたが、夜までに何人か、お身内で安否不明という方がいることを知った。
こちらは今の段階では何も出来ない。もちろんネットから信頼できる機関に募金はした、だがそんな事は声高に言うことじゃない。あとは引き続き無事を祈るしかない。
冷静でいることと無関心は違うのだ。それと、通常の生活や経済活動を行うことが冷たいわけでもない。

安全な場所に居て冷静でいることで、出来ることもある。
さまざまなデマや未確認情報がツイッターなどSNSでも飛び交っている。「善意」で行われる拡散。ちゃんとした信頼できるソースがあるもの、ないものが混濁した状態で情報として流れていく。明かな「躁」状態のひと、「鬱」状態のひと。もちろん、本当に有益なものも多い。
でも、それらのどれが信頼できるのか、確度が高いのかなど、携帯のバッテリーを気にしながら不安の中で眺めている知人もいるので、こちらは聞かれれば冷静にソースを捜し、出来る限り調べてDMをする。
こういうことも簡単に「出来ること」の一つだ。

夜になり、腹痛がおさまってきたので、起き上がって熱い紅茶を淹れる。砂糖を多めに入れて飲む。目が醒め頭がすっきりする感じ。そして体が温まる。
体を温めるということは自分のような免疫の低下している人間には重要なこと。(ビール好きなのが辛いが、腹痛はもっと辛い)
病人は病人らしく、せめて悪くならないように気をつけることも、「出来ること」か。
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2011-03-12(Sat)

震災・・・にできること

3月12日(土)

ひどい震災の映像、ニュース、そして度重なる余震の速報の中、テレビをつけたまま寝てしまった。
寝室のベッドの脇に小さな液晶テレビがあるので、それを見つつ猫を抱っこしているうちにうとうとしたようだ。何度か目が醒め、朦朧としつつ起きる。
ここしばらくさぼっていたので、猫の毛が綿埃になっているのや、段ボールの爪研ぎのカスなどが見苦しい。掃除機は大労働なので、ダスキンモップを丁寧にかけてゴミを取り、最後は吸引させる。その他のホコリはハンディモップで極力取る。んなことやってたら猫がゲロ。
猫は、毛繕いを舐めて行うので、どうしても一緒に毛を飲み込み、それが溜まると毛玉として吐き出す。長毛種は頻繁だが、短毛種はたまにしか吐かない。それに飼い主がいつも気を付けてブラシをかけてやれば、その分だけ体に飲み込む毛は減る。うちの場合短毛種の白猫ユキちゃんはほとんど半年に一度吐くか吐かないかで、たまに空腹のあまりよく噛まずに大量にエサを食べては速攻で戻す程度。
もう一匹のシマ(オス)は12歳、おっさん猫である。こちらはアメショーの雑種で短毛ながらみっしりと密度の濃い毛の生え具合ながら、毛玉を吐くことはほとんどない。そのかわり、胃腸が弱ってきているのか、時々ご飯を食べてはげええと戻す。未消化の猫エサは胃液と混ざってそうとうキツい。そしてそういう場合は本人も気持ちが悪いらしく、二度三度、そしてだいたいは五度六度と、最後は胃が空っぽになるまで吐ききる。この間うろうろしてあちこちで、特にソファの上なんかで吐かれると後が大変ゆえにこちらは紙を持って追いかけることになる。
けれど物陰に隠れたり逃げたり、一番吐いてほしくないところ、例えば各種ケーブルを束ねている部分へ吐いたりされると、ほとほと嫌になる。
悪気があってじゃないことは解っているので、叱ることはしない。むしろ背中をさすってやる。「おまえもオッサンよのう…」と言いつつなでなで。最近はオッサン同志異常に仲が良いのが困るが。



さて。昨日から一日じゅう、地震のニュースと身内知人の安否確認、ツイッターでは明らかに不確定な情報をただ善意で拡散している人を諫めたり、もうとにかくこの一夜明けてよりはっきりした未曾有の大災害のニュースに釘付けだった。

そんな中でいくつか。
この震災直後でまだ余震などが続く状況。いまだ「復興」の前段階だ。
この段階で、我々遠隔地にあって無事だった人間が個人で出来ることは何か、と。
一番はただ、祈ってあげることしかないのだ。宗教的な意味ではなく、心から頑張れ、一人でも多く助かれ、みんなが無事であれと。
物理的に今、この段階で個人で物資を送ろうとか、あるいはボランティアで現地へ入りたいとか、そういうことは善意という名の暴力とまでは言わないが、明らかに「邪魔」なのである。
実際物流は道路の渋滞、破損、崩壊などで肝心の緊急車両や、公的支援輸送の車両の通行が妨げられている。もちろんそれは民間の物流も同様だ。
道路自体の通行も救護・救援のため、さらにはその先の復興のための車両と、物資輸送を優先すべきで、そこへ個人が「善意」で車やバイクで向かってもかえって迷惑になる。

同様に、報道されているとおり被災地で欲しいものは毛布や糧食、何より安全で暖かい場所、これらをかなりの数の被災者に、的確に組織だってまとまった数を支援できるのは自衛隊や自治体、警察、消防などなどの公的機関しかない。そして医療従事者などの専門家。
個人が何とかしたいという気持ちは解るが、今、この段階ではそういう組織だった初期支援への邪魔にしかならない。だから今はグッと我慢し、正式に「何が不足している」「何を全国の皆さんから集めて欲しい」という具体的なアナウンスがあったら、それに出来る範囲で応じたい。その心構えは持っておきつつ、今は祈るしかないのだ。

さらに、東電では原発の停止や送電線の破損その他の理由で、首都圏・富士川以東の給電地区で電力不足に陥る懸念が大きいというアナウンスがあった。
節電だ。
我々西日本に住む、被害を受けなかった人間に出来る一番簡単なことが節電である。関西電力などは余力の分を東電などへ分配する。東日本と西日本では変換が必要なので無駄、という人がいたがそれは違う。変換は必要だがそれには一日に出来るキャパシティがある、ということであって、一定の節電は効果的なのだ。
また、やみくもに西日本の連中が節電節電言うな、むしろ関西ががんばらなあかんのに、経済復興に水をさすなという意見もあった。
だが「日本という国家」全体で見れば、国家の石油備蓄タンクは破損、原発も破損したり運行停止の中、原油や天然ガスのコンビナートも港湾設備も多数罹災した。これらは全て「エネルギー不足」という部分でリンクしている。
西日本の非被災者も個人の節電という行為で、被災地はじめ関東などで広域に発生している停電や電力不足のお役に立てるはずだ。
「そういうのはかえって関西の経済を縮小させ、よくない」という、何というか、本当に「正論」を言う人はいるが、何も商売しとるやつをけしからんと糾弾する意図じゃなし、個人レベルで節電をしようという呼びかけに「今」難癖をつけなくてもよかろう、と思う。
一万歩譲っても、日本全体で使用するエネルギーの節約を個人レベルで行うことは悪いことじゃない。ただ「あそこの工場は電気使い過ぎ」、「パチンコ屋おかしいやろ」という必要以上のそれこそヒステリックな糾弾を諫める…という物言いなら、ヒステリーを起こしている相手に直接そう言えばいい。

そういうわけでタイミングよく、比較的早い時期に誰かがこの「節電」による連帯をシャレで「ヤシマ作戦」というツイートがあって、なるほどと思ってたらNERVが公式サイトでも呼びかけたりして、ネット上で盛りあがった。(ご存知エヴァンゲリオン中、全国から電力を集めて使徒を倒すエピソードからであるが、そういう元ネタは別に何でもいい)
人が「被災地のためになれば」と一つにまとまって行動する、それが節電という地味な行為であっても、いや、だからこそ、勇ましいアニメの一場面になぞらえて団結するというのは悪くない。そして嫌いじゃない。元ネタを知らない人は文字通り「節電」でいいわけだし。
とはいえうちではエアコンを切り、待機電力を極力減らして対応するという地味な「作戦参加」である。
夕方になると少し寒くなってきたので毛布を持って来て猫とくるまってあったまった。こんな程度の節電でも何十万何百万人と重なれば大きいだろう。
ただ自分は病人。風邪でもひいてえらいことになれば、また他人様にご迷惑をおかけする身なんで、そこは割切って二階へ移動し、布団へ入って小さいテレビとモバイルノートに切り替える。他はほとんど電力消費はないはずだ。

いや、実際に効果があったか無かったか、そういうことよりも、「やれることをやった」ということが重要。
こういうとき、往々にして精神的に「自分は何も出来ない」「自分は非力」と、自分を過度に責めてしまう人もいる。
でも、たとえば俺の半生ちょっと振り返ると、精神的にも、また病気でも、冗談抜きで4回くらい死んでてもおかしくはない。いいからやれることをやるよ。それでいい。
小さいか大きいかは問題じゃない。会社へ行き普通に働く、「経済行為」を遅延なく滞りなく、自分たちの日常として粛々と行う。それも「できること」。
まあ節電に関しては「しょせんは自己満足でしょ」と笑う奴がいてもいい。自己が満足したことに他人がどうこう言う筋合いもないだろう。
そういう人は別に何か満足でき、他人とそれを共有し笑い合えることを他に見つけて、すればいい。

さてツイッターでは、昨日からほぼ友人知人の安否は確認済みであった。学校時代の教え子も無事だと知らせてくれた。

しかし困ったのは、ブログのコメント欄を承認制にしてからけっこういらっしゃる、匿名(ハンドル)で「お体にさわりますから、コメントの反映やお返事もお気になさらず…」といって下さる方々。
そういう方は何人かいらっしゃるのだが、明らかに仙台(かその近郊)にお住まいということだけは解っている、ある女性の方がいらっしゃる。ところがこちらはこうなって気付くと、名前すら知らない。ハンドルは知っているが、本名も住所も知らない。ああ、よく考えたら顔も声も何も知らないのだ。
でも俺が病気になったこと、連れ合いを亡くし悲しみの極致に居たこと、そこから這い上がってきたこと、それらを知っていて、困難・苦痛のたびに励まし、支えて下さった大事な大事なたくさんの方々のお一人なのだ。
名前も、顔も、住所も知らない、それでもとても大事な人。「ご負担になりますから、コメント反映は結構ですよ」といつもしめくくってくれた人だ。

いろいろ出来る方法は試したというか試そうとしたこともあった(類推してこの人なら知ってないか、など)が、結局こちらからは何も出来なかった。大げさな言い方をすれば匿名ネット社会の落とし穴、みたいな。
ずっとずっと心配していたが、夜になって、ようやく、俺のツイートを読んで下さったらしく、いつものようにブログのコメント欄に「ご心配おかけしたようですみません。こちらは無事でしたが、離れたところに住む親戚が避難した結果連絡が取れず…」という事情らしかった。
こちらこそ勝手に気をもんでいただけなのだが、とにかく、本当に良かったと思った。ネットだけの繋がりを否定し、リアルな肉体的なつながりを礼賛する人もいるが、どっちも大事に思うか・思わないか、気持ちの問題でどっちがいい悪いじゃないだろう。

その間もツイッター上ではソースが未確定な情報を善意だと判断したユーザがRTでどんどん拡散させていく、そのことの是非はもう個別に案件の確度と善意悪意の確認が出来ない以上何とも言い難いものがあるが、とりあえず自分の場合は「拡散希望」はまず無視した。
「無視」ではないか、というよりはまず、読んだ後は必ずソースを確認した。確度に疑問のあるもの、途中途中で主観や私見が挟まれていくようなものは本当に無視させてもらった。一次ツイート(?)というか当人からの拡散希望の場合、その人の身元やこれまでのツイートを確認させてもらった。ただ、まず匿名のうえ自己紹介文で類推できる材料が何もなければ、一次ソースの提示もない。そうなるともう、その人の言うことを信用しようにも、信用すべく判断する材料がないうえ、デマか本当かの確証がない。つまりこちらからは何も確かめる術がない。とすればあとは自分の「勘」しかなく、そんな未確定なものでTLを汚すわけにはいかない、と思った。
被災地から遠く離れた場所で、こちらがパニックになって巻き込まれては何もならない。むしろ客観的冷静に落ち着く余裕があると構えなきゃ。

被災地や近県でもツイッターが頼り、ネットで励まされたという若い世代も多いのは教え子のおかげで知っている。
よって、もっとも的確な判断基準は「ソースの明記のないRTは拡散しない」「一次ソースが書かれていても、そこに余計な情報…個人の主観や予想、感想などが付加されていたら、拡散しない」「専門的・科学的な情報(地震、津波、原発・放射線、医療、心理…)」は発信者がその専門家である場合や、RTが公式である場合は参考にしよう。それ以外は基本、RTはやめよう。…これは誰かに言われたわけではなく、一応ニフティ時代も含めるとネット歴15年以上になる者としての自主ルール、だ。だから別に他人に勧めるものでもない。
それにしても、被災者でも受け取り方は様々だ。もちろん被災の状況、程度にもよるのだろうが、先のように「ツイッターでの励ましが嬉しかった」というのもあれば、「根拠のないデマに本当に腹が立った」まで、さまざまだった。

繰り返しになるが、今この段階、被災直後で余震も続くという状態で、個人での救援物資の配送やボランティアとしての現地入り、募金など全て、俺はまだ時期尚早だと思う。自分が今できることをやる。
今一番必要なのは家を失った人や孤立した人の保護、食事や安全の提供、それから被災地のライフラインの復旧と瓦礫の除去〜道路や公共交通の復旧。それからようやく、復興だ。
今の段階でどういう支援が必要かは、阪神淡路の教訓もあり、自衛隊や警察・消防・自治体の連携で今行われているところ。そこで足りないものが出れば、大きな数とかたちで政府なりがまとめて的確に渡すべきことで、個人がものを送ったりボランティア志願で現地入りするのはもう少し先。
必要とされていないのにものを送ったり顔を出すのは、色々な意味で(余計な手間をかける、邪魔になる)助けにならないことの方が多い。
官による支援が行き届き、かつ足りない部分を民間(それもまずは企業など)に募り、最後に人出が足りないからボランティアの要請があれば申し出る、復興のための正式な募金の窓口が出来たら応じる。いてもたってもいられない、自分は何もできないなどと自分を過度に責める必要はない。
これらは友人の、阪神淡路の震災を経験した人から細かく伺ったことだ。
これから先に、たくさん出来ることが出て来る。でも、今できることは、せめて個人では節電に心がけ、一人でも多くの方の無事を祈り、やがて来るかも知れない支援の要請に出来うる限り応える準備をしておくこと。
今はそれしかない。

それからもう一つ、阪神を経験した知人からのひと言は、「テレビやラジオが普通に戻ること」が嬉しかったと。被災地の避難所での不安な暮らし、電気がついた、水が出た、という当たり前のことで歓声が上がった。自衛隊があったかい味噌汁を炊き出ししてくれた。街の灯りがついた。信号がちゃんと作動している…そんな一つ一つの日常への復帰が、感動的に嬉しかったそうだ。
電気が通りあったかくなり、空腹も満たされ、しかし自分の家ではない場所。そこで、聞き慣れた番組、見慣れたテレビを見聞きすることで、ずいぶんと気持ちが楽になったと。
NHKはもちろん、民放もCMを全く入れずにこの大災害の報道を続けているのは立派だけど、例えば週明けからは報道特番や速報はそれとして、徐々に「普通」に戻して行ってあげるのも、考えてもらいたいことの一つだろう。

3/13朝・追記 「関西電力から、節電のお願い」に関するまとめ

★3/15
全国から想像以上に早いスピードで消防や警察、自衛隊が集まり現地と協力して道路の復旧に全力をあげている。
道路が復旧すれば、物資や一般ボランティアの移動も可能になる。
専門家ではない一般ボランティアは必ず受け入れ先に問い合わせ、自分のスキルを伝え、受け入れ可能とされたところへ向かうこと…と、震災を経験している専門家が言っていた。

また「災害時躁病」みたいなものがあり、「何とかしなきゃ」「何も出来ない自分はつらい」と言って闇雲に動き出す人もいるそうだ。何しろ平常心ではなく落ち着きを失っているので、先々でトラブルを起こす。「人が好意で来ているのに」と逆切れしたり、心理療法的にもやってはいけない、極限にある人たちに「頑張れ!」を多用したりする。相手に合わせるのではなく、自分のテンションを押しつける。聞き役に回るところを、自分語りを始める…挙げ句、あろうことか、ボランティア先で障害事件を起こした例もある。
くれぐれも、勢いで闇雲に動かないこと。
あと、入ったはいいが自分たちが貴重な食事や休む場所、燃料を被災者から奪わないようにすることも考え、そういう用意もして向かう。(今の段階ではそれらがしっかりできる体制を持ったスペシャリスト=NGOなどのボランティア経験豊富な人たちと、近県から入って作業後は戻れる人たちだけ)

個人で被災地に直接物資を送るのは絶対にやめる。まず自分の住む自治体に連絡をいれ、まとめて送る受け入れ窓口があればそこへ集約させる。受け入れている自治体も被災地以外にもあるので、調べてみること(まだ数カ所しかない)。
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2011-03-11(Fri)

東北地方太平洋沖地震

3月11日(金)

午前中はシマがあちこちにゲロを吐きまくり、その後始末と掃除でへとへとだった。悪気があって吐く場合=腹減った・今のご飯じゃ嫌だ、という場合もあるが、この場合はお腹が空いてカリカリと食べ過ぎて吐いたという感じ。12歳だが最近ちょっと老け込んできた感じはある。
こちらはその後ぐったりして自分の朝食も食わぬまま休んだ後、お昼にマルタイ棒ラーメン「熊本マー油とんこつ」を作る。棒ラーメンは煮る時間が短いので簡単でうまい。これに角煮、わけぎ、メンマ、もやし炒め、紅ショウガとたっぷり具をトッピングして食べて、満足してソファで一休み。

シマが甘えて脇に来たので、抱きかかえるかたちで横になっていたら、2時半過ぎだったか、何となく揺れている気配。猫は普通に脇でゴロゴロ言っている。
気のせいかとも思ったが、うちの場合、微細な揺れでも解るように、壁のスピーカの上に釣り竿を垂れている猫の置物があるのだが、その釣り糸が揺れ始めた。震度1でも釣り糸に下がっている空き缶が重りになって揺れるから、「地震かな?」と思ったらそこを見るようにしている。
果たせるかな、揺れはちょっとずつ大きくなっていき、そのうち耐震用のゴムで粘着設置してある液晶テレビもわしわしと音を立ててきしむように揺れ出した。
京都に越してきてからこれまでも何度か地震はあったが、この揺れはちょっとおかしい。揺れ自体は飛び起きるほどのものでもないが、まずは習慣でテレビをつける。
東北地方が震源の地震とのことで、東京でもかなり揺れたという。こちらも弱いとはいえ、かなり長い周期でゆっさゆっさと揺れる感じだ。それにしても、東北沿岸が震源でこちらまで揺れが来るとは…震度7? 驚いた。
実は、先日東北地方で地震があった際に気象庁のサイトを見たのだが(気温やらアメダスやら、割とよく見る)、あれ以降小さな地震がひっきりなしに、ずっと同じ場所=仙台沖で頻発していた。ただ専門家は何かのニュースで「警戒している地域とは違うので、近々に大きい地震が同じところで起きるとは考えにくいのでは」と語っていて、本当に大丈夫かいな、と思ってたところだった。

テレビでは続々と各地の中継映像が入ってくる。
仙台など東北各地から北関東などの被害、都内で起きた火災の様子…、そしてじきに尋常じゃない津波の様子が映し出され、夕方5時には千葉で石油タンクが大爆発した。

この間、ツイッターを通して友人知人の無事が確認されたり、安否を気遣うツイートが飛び交った。
電話は本当に深刻な被災者、関係者のために避けようと思いこちらからはしなかったが、割合早い段階で埼玉のゆうちゃんからメールで無事だとあり、良かったと返信しておいた。だがその返信がなぜか届いていなかったようで、携帯に「大丈夫だから心配しないで」と電話がある。会社は途中で休業にしてくれ、子供たちを小学校へ迎えに行って家に帰ったところだという。何にしろ無事で良かった。

その後函館の実家からも電話。ちょうど函館港にも津波が到達し、港から陸地へどんどん水が入っていく映像を見た後だった。今の実家は昔と違って海から遠いので、揺れによる被害だけが心配だったが、ガタガタと揺れた割には、ものが倒れたりという被害はなかったそうだ。それでもお袋は余震もあり二度も外に出た、ストーブをすぐ消したので寒いと言っていた。
そういえば、東北地方では停電やガスが使えないということもあるだろうし、夜になると寒い上に不安もあって、本当に大変だろうと思う。

関西…というか京都では最初の揺れ以降、余震はほとんど体感できなかったが、関東にいる知人のTLを見ていると、夕方、夜になってもまだ余震が続いているようだ。
JRの在来線、私鉄や地下鉄も安全確認が済むまで運休らしい(午後9時前現在)し、これから帰宅難民が増えていくだろうが、パニックになったりしないよう…と思いつつもこちらは画面を見るしかないわけだが、バス待ちに文句一つ言わず、きちんと整列し順番を待つ姿に、何だかんだいっても日本人の民度の高さを見る思いがした(「民度」という言葉を使うと誤解を招く、そういう部分しかマスコミは流さないという批判もあるのは承知しているが、とにかく、この段階では)。

気象庁は地震の規模をM8.8に二度目の修正をした。国内最大規模ということになるが、とにかく、被害が最小限であるようにと祈るしかない。21:00:04

電話はもちろんだが、ネットのトラフィックは影響ないのかもとは思いつつ、TLは切実なツイートに譲り、こちらはツイッターもなるべく使わず、被災地の住民の安全を祈るだけにする。
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2011-03-08(Tue)

村野守美さんが亡くなった

3月8日(火)

知り合い…というかお世話になっているライターのローリングクレイドルさんのリツイートで、漫画家の村野守美さんが亡くなったことを知った。元は飯田耕一郎さんのツイートだった。(ちなみに飯田耕一郎さんは、やまだ紫にそう太という猫を譲っていただいた「猫つながり」でもある)
村野さんは漫画家デビュー後に「COM」に執筆、虫プロで手塚治虫先生にも師事された人だが、作家論、作品論は偉い人たちがきっと書いてくださるだろうと思い、凡人としては実際にあった接点だけ、思い出として書かせていただく。
村野さんはずっと下半身に障害があり、車椅子生活をされていた。俺がご挨拶をさせていただいたのは、青林堂「ガロ」編集部に入ってからで、最初は85年くらいだったと思う。先輩のY田部さんが担当で、酒の席で怒鳴られたりイジられたと、よく愚痴っていた。
「村野さん、怖いんだよ。腕が丸太ん棒みたいだしさあ、それをブンブン振り回されたら敵わないよ」と情けない顔で言っていたのがおかしかった。
繊細な筆致、情感溢れる作風に比して、ご本人は豪放磊落というか、今風に言うと体育会系的なノリのお方だった。
いつだったか、何かのパーティ…神楽坂の出版クラブ会館だったか、村野さんがいつものように車椅子で来られた。こちらは記帳台にへばりついていたのだけど、受付も一段落して会場に入って挨拶回りをしていた。Y田部さんが「あ、村野さんだ」と言って俺と一緒に村野さんのところへ行き、俺を紹介してくれた。
北海道から出て来たのか、若いうちはどんどん苦労して色んなことを経験して、それから「ガロ」は君ら若い人が引っ張っていかないと、というような話をされた。
とても上機嫌で、Y田部さんにも「なあ!お前もしっかりしろよ!」みたいな感じで笑っておられたのを憶えている。担当でもなかったし世代的にもこちらはチンピラみたいな若造だったので、俺はとても恐縮していた。その後何度かお会いする機会はあったけれど、基本的に全く態度は変わらず、気持ちのいい人だった。
青林堂には「傑作シリーズ」というA5判上製のシリーズがあって、大手の作品集から漏れていたり、青林堂だからいいよ、と作家さんと版元のしがらみなく出させていただいた作品を刊行していた。渋い、玄人好みの作品が多くて、俺も青林堂入社前からいくつかは持って居たけれど、その中に村野さんの「龍神」もあった。それから「だめ鬼」「泥沼」「媚薬行」も「秘戯御法」も知った。
村野さんはとても絵の上手い作家さんなのだけど、とりわけ、女性を描く何とも言えぬエロティックで繊細な筆致が大好きだった。
一緒になった連れ合い・やまだ紫が「あれ、村野さんの本持ってるんだ。うちにもあるよ」と笑っていた。
やまだも村野さんの大ファンだった。彼女は女性作家だけど、「男性の目線で描く女性の体がうまい人って、女性から見てもなまめかしいんだよ」と言っていた。代表として、白土三平や小島剛夕、ちばてつや先生らをあげていた。女性では何といっても一ノ関圭さんだ、とも。
関係ないが、やまだと一緒に暮らすようになった時、同じ本を持って居るシンクロ率にお互い唖然としたほどだった。村野さんやカムイ伝からAKIRAに絶対安全剃刀などは当然としても、りぼん連載「お父さんは心配性」まで。

それにしても。
自分は白血病を告知され一時は余命一年未満と言われて、もうこの夏で6年になる。
無治療で生きられるのはもう数年だろうと思うし、過酷な治療をしても無理なのはとうに理解している。
でも、なんか知らんけどまだ生きている。というか生かされているのか。
そうして大好きだった先達を、何人も何人も見送ってきた。
世代というか順番なので仕方ない。40代も半ばになれば、青春期に憧れだった、あるいは先輩だった人らで鬼籍に入っていく人も当然増える。連れ合いだって、先に逝ってしまった。
寂しいがそれは仕方ない。永遠に生きられる人はいない。
でも、作品は遺る。いや、遺ると信じたい。俺は連れ合いを、亡くなる前から作家として尊敬し評価し後世に遺すべきと思っていたので、そう言い続けてきた。それでも、死んでからしゃあしゃあと「評価してました」というとってつけたようなことを言う方が多かったし、かって「ファンです」「大好きです」と言って媚びてきながら、手の平を返すような連中も多かった。日記を元に日時と発言を添えて名前を列挙してもいいが、やめておこう。

本当に好きなら、作家が存命のうちに言ってあげて欲しい。
本当に好きなら、作家が亡くなってしまったなら、せめてその作品を遺すよう声をあげて欲しい。
おためごかしだったら、何も言うな。黙ってすっこんでろ。


とにかく村野さんはその作品ともども、忘れられていい人ではない。
本当に心から、ご冥福をお祈りいたします。
江戸の人情劇とか、今思い出しても目頭が熱くなる名作がある。そういう作品を描ける作家が激減した今だからこそ、忘れて欲しくないと思います。
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2011-03-05(Sat)

散歩

3月5日(土)

何か寝起きがしゃっきりせず、うだうだとベッドを離れがたくしているうちに二度寝をしたりで、結局リビングへ降りたら11時。ただよく寝たせいか体調はいい。
いい、と言っても思い切り息を吸ってもどこも痛くないとか、起き抜けに腹痛を伴う下痢や吐き気がないとか、目眩がしないとか、「普通」から見たマイナス部分が少ないということ。一番大きなマイナスは病気に罹っていることで、例えば普通に考えると寝られなくなったりする。
寝られないと、免疫力の回復には非常に良くない。その他にも色々とよろしくないのだけど、ただでさえ低い免疫力なので、せめてしっかり睡眠をとるというのはもう最低条件のようなもの。
この睡眠はとても大事で、寝られなければ導眠剤を使ってでも寝た方がいい、その方が体のため…というのがこれまでお世話になった先生がた全員が共通して言われること。

そんなわけでぐっすり寝られたのはいいことだ。
そして外は快晴だった。
ベランダの戸を開けると、太陽の光が皮膚にダイレクトに来るのが良く解る。
朝はご飯を炊いた。
アジの干物を焼いて、作ってあった味噌汁を暖めてわけぎを刻んだのとわかめを投入し、納豆も添える。何か旅館の朝ご飯みたいだな、あとは焼き海苔と豆腐と出汁巻きとお新香あたりが小鉢で並ぶと…と考え、全てやろうと思えば並べられるのだが面倒臭いのでやめた。
よく考えたら朝メシではなく、時計を見たら1時過ぎ。
食後、これほど天気が良く体調もいいんだし、久しぶりに散歩にでも行くかと腰を上げる。
畳んだ段ボール箱を下ろさねばならないし、用事もあるといえばある。無目的に出るより、何となく用事があった方が立ち上がりやすい。
マスク帽子はするが、マフラーと手袋は不要な感じ。一応手袋は上着のポケットに入れて外に出た。
やはり暖かい。

家の前の中央分離帯の木には、数日前に見た時にはなかった添え木のような囲いが施されてあった。いつの間にやったのだろう、全部の木にそうしてある。
交差点へは出ずに、ゆっくり歩いて裏の疎水の方へ抜け、疎水沿いに?野川へ出る。そこから北上し、北山通りまで歩いて、修学院、白川通り、途中から住宅街を抜けて戻ってきた。
途中川を眺めたり山を眺めたり鳥を眺めたり。カメラも忘れたし、ただ年寄りのようにまったりと歩いては休むだけ。ヤボ用も済ませたし、買い物もほとんど無し。
外に出るのは通院や買い物など明確な目的がある場合がほとんどだったので、無目的にぷらぷら歩くのは久しぶりだ。
2時ころ戻ってきた。猫たちは大人しく寝ている。
その後ちょっと書き物(といっても手書きの私信)をしてたら、猛烈な眠気がきた。今日は良く寝たのになあ…、歩いたからだろうかと思いつつソファに転がる。
床で寝ていたシマが顔を向けてじっと見るので「おいで」というとすぐに脇の下に上がってきた。いつものように人の腕を枕のようにして、脇に体を密着させてズシリと体重をかけてくる。
猫は教え込めば芸の真似事くらいはするが、そのかわり本人(?)が嫌なことは絶対にしない。「おいで」と言われても、例えばご飯やおやつが貰えると解っている場合以外、嫌なら来ない。犬の場合は飼い主に忠実なので言うことを聞くけれども、猫の場合はやりたくないことは基本的にしない。
なので、つまり、このように呼ばれて傍に来てゴロゴロと目を細めているのは、命令されたからではなく、甘えたいからなわけだ。
4時頃からか、猫を脇に抱えるようなかたちで横になっているうちに寝てしまい、目が醒めたら何と7時すぎ(笑)。もちろん脇にいたシマはとうに居なかった。

今日は何という無駄な一日だったのかと一瞬愕然としたが、無駄な時間なんて無いのだと、自分を無理やりに納得させる。
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2011-03-04(Fri)

今日のおつまみ

3月4日(金)


寒い。でも春遠からじ、だろうと…。
今日は午前中家の中の用事で忙殺された。仕事で忙しいのはやがてお金になる(イヤラシイ言い方だけど)割り切れるが、野暮用でバタバタするのは本当、面倒くさい。特に病身には拷問みたいなもんだ。
夕方は函館の母親から久しぶりに電話がある。長く糖尿を患い、ずっと介護をしてきた猫が死んだ後、寂しいという。こちらもそういう経験は何度もしてきた、「家族」の辛い見送りをしてきたから、よく解る。かといって再び猫を飼うのは、もう年齢的にも無理だろうという。
猫のいる暮らしが長いと、いない生活が考えられなくなると思う。
俺の場合も小さい頃は家に寄りつく野良の世話、新築に越してからは念願だった飼い猫が途切れず、上京してから一年ちょっとの一人暮らしの後は、連れ居合いであるやまだ紫と猫たちと一緒に暮らした。ずっと、猫と一緒だった。
今、連れ合いを失い一人暮らす生活に、二匹の猫たちが居てくれなかったらどうだったかと考えただけでゾッとする。
人の足を枕にしたり、寝ている布団へズシリと上がってきて叩き起こしたり、我が侭で色々と面倒をかけるけれども、そういう小さな命がどれほど自分を助け支えてくれたか。
今もトイレに立つだけで、どこへ行くのかと寝ていた猫が顔を上げてこちらを伺う。どこへも行かないよと目で答える。
戻ってくるとドアのすぐ傍に佇んで待っている。
こちらの顔を見ると安心して、ご飯をカリカリと背中を丸めて食べている。その佇まいを見るだけで、撫でて、抱きしめたくなる。この気持ちを知ってしまったら、猫と離れられない。

夕方はビールのつまみに、スーパーで活きのいいしまあじが手に入ったので、たたきにして一杯。

明青」さんに夫婦でよくお邪魔していた頃、しょっちゅう頼んでは美味しく頂いたのが、しまあじの叩き。
東京に居た頃は、あじの叩きっていうと鮮魚系でも安くてうまい定番ではあったが、京都に来て明青さんで頂いて、「あじの叩きってこんな美味かったのか!」と衝撃を受けた。大げさじゃなく。
新鮮なしまあじの切り身に、その場でもの凄く繊細に細かく刻まれた大葉、ネギ、生姜がほどよく混ぜられていて、それを刺身のように醤油にちょいとつけて頂くのがもう、絶品だった。
まあ今はお店になかなか行けないのでそれを思い出しつつ自分でやってみたのだが、やはり当然お店の味には遠く及ばない。でも、まあそれなりにアジが新鮮だとうまいことはうまい。
猫たちにももちろん分けてやった。
そんな他愛のないことが幸せであると、しみじみ。
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2011-03-03(Thu)

カンニング

3月3日(木)

ひな祭り。全く関係なし。微動だにせず。いや動いてるけど。
今朝は寒かった。先日暖かい日がちょっと続いたので2枚セットの羽毛かけ布団を1枚にしたのを後悔した。
寒いと免疫力も落ちるのか、体調は悪い。というか何か飲めば下痢、食べれば下痢でぐったり。もう横になっているしかない。

さてマスコミは例の携帯とネットを使った大学入試カンニング問題をトップで取り上げている。そのことの是非はとりあえず置いておこう、だってしょうがないじゃない。

…カンニングをばれないようにやる奴は昔からいた。いや、今もいる。当然見つかったら厳罰を受けることも承知の上だ。
例えば中高の定期試験レベルでも、見つかったら0点になるなどの「処分」を当然受ける。それは、真面目にカンニングをせずに実力で勝負している他の子のためもあるが、当然のことながら試験という秩序を守るためもある。「不正な手段を使わずに受験すること」で「たくさんの受験者を得点順に序列をつける」ことが大前提という「秩序」だ。
今回の場合、ヤフー!知恵袋という、ネットとはいえ公開の場でカンニングが露見した。バレちゃったわけだ、しかも全国規模で。

当然、学校側は露見した以上何らかの対応をしないわけにはいかない。
何もしない・つまり放置できるかというと、試験という「秩序」が崩壊する恐れがある。真剣勝負の受験生は怒るだろうし、世論も「カンニングを見逃すのか」と大騒ぎすることも想定される(もっともマスコミが殊更に大きく取り上げなければいいのだろうが)。秩序の崩壊などというと大げさに聞こえるかも知れないが、要するに、大学側が不正を把握したのに放置したとなると、真面目な学生が損をするわけで、いや、真面目な学生はそれでも真剣勝負するかも知れないが、あやふやなところにいる子らが不真面目方面へ雪崩を打って「じゃあ俺も私も」となる恐れもある。ダークサイドへ堕ちる後押しになる、というか。
では、「犯人」を特定し「厳罰」に処する…にも、携帯やネットを使われた以上、大学側だけでは不可能だ。
「犯人」の特定は大学がヤフーや携帯キャリアに問い合わせただけでは、個人情報の保護という観点から無理。出来るのは「被害」があり「事件」として官憲が捜査のために開示を要求した場合だろう。
なので、今回京大その他の大学は協議のうえ、恐らくは苦渋の決断で被害届を出した(と思いたい)。
で、被害届さえあれば事は簡単。何しろ事件ですから。警察は粛々と通信情報開示を求め、ヤフーと携帯キャリアがそれに応じれば、ピンポイントで「犯人」はすぐに特定される。(追記:任意なのでお断りしてもいいんだけど、多くの場合は「警察に協力」させられる)
ここまでは感情的にどうこうじゃなく、理屈で解る流れ。

さて世論はさまざま。学生批判は当然「カンニングは卑怯」「悪質だし被害が出ている以上犯罪だ」、また学生擁護の「たかがカンニングで騒ぐな」「学生にも将来はあるのにこれくらいのことで」から、大学批判の「自由自治が原則の大学が簡単に警察に頼るな」「大学側の無為無策を恥じろ」とか、「マスコミが過大報道し過ぎだ」などなど、さまざまな意見がある。
自分としては、それら全てにそれぞれ同意できる部分がある。たかがカンニングだし、されどカンニングだ。チンケだけどいけないことだ。悪い事です。それにハイテク時代(死語)だし韓国でも大騒ぎがあったんだから大学側も対策しとくべきだった=性善説すぎたのかも知らんし(それが良い悪いじゃなく現実問題として)、官憲が昨今どんどん「社会のグレーゾーン」を真っ黒く塗りつぶしていくように思えるし規制規制・白か黒かという社会も息苦しく、どうかとも思う。(追記:もっと言えば、ネット=匿名という幻想はないし、「事件」でも「事件性」でもいざとなればいくらでも個人情報なんか警察が握れるし、近年その範囲をガンガン拡げようとしているし)

で今回の被害者って誰かというと、実は入試の現場でカンニングが行われた、というかされちまったという事実が全国的に露呈し、その結果対応を好奇の目も含めワクテカしたたくさんの野次馬たちに注目され、「どうすんだよ」「おう早くしろよ」「カンニング放置すんの?」的な中、電話やメールでの「問い合わせ」「苦情」などへの対応に追われ、どうすべきか会議などで協議させられ、試験の監督状況を改めて聴取したり全解答からカンニング部分に類似するものがないか調べ直したり報道陣に対応したり…などなどに振り回された大学、という見方が「業務妨害」にあたるんだろう。確かにいらん被害ではある。
普段なら試験後は粛々と採点業務にあたり、発表に備えるところが、とんでもない騒動でてんやわんやしたわけだからそれが通常の業務を妨害したことになるっちゃ、なる。でも「入試」という業務を妨害したことにはならないと思う。入試の会場段階では誰もカンニングに気付かなかったから、入学試験そのものは妨害していない。でも、合否振り分け〜発表など広く「入試」を大学の業務と捉えれば明らかに妨害されているから、それを「被害」と言うことで、今回は犯人を特定すべく警察に依頼するしか、「犯人を特定」する手段がなかったわけだろう。
繰り返すが、犯人を特定しなかったらどうかというと、大学は「不正を見逃すのか」「カンニング学生が受かって、真面目な学生がその結果落ちた事実をどうする」と責め立てられるのは目に見えている。解っちゃったんだから放置は出来ない。
なので特定したい、でも特定するにはヤフーとドコモ(携帯キャリア)の情報開示が必要、でもそれが出来るのは被害があって動ける警察、とこういうわけ。

さて、ここからどうするか、ということ。
犯人はわかった。大学側は犯人が特定出来たのだから入学試験という秩序を守るために「厳罰」を与える。つまり犯人を不合格にする。カンニングをしたかしていないか特定できない科目ももちろん全て0点にするなり、どうでもいいけど、とにかく「犯人が不正をして得たかった結果」を剥奪する。これで罰としては十分。

その上で、届けてしまった以上その「被害」に対する補償なり弁済はどうするか。
この場合は大学側が犯人特定のために「被害」を届け出ることで、最大の目的=犯人の特定に至った。あとはそれによる秩序の維持=不正をした受験者の排除、そのことを正当な受験者に知らしめればいい。
で「被害」つまり先のいろいろとやらんでもいい事に忙殺されたことで、正常な業務を妨害されたということについては、改めて協議すればいいこと。ここで大学が「もうしちゃだめだよ」でもいいし、民事で余計な手間を被った分の損害を請求してもいいけど、まあ「苦渋の決断」で官憲に頼ったのだったら、ここは「もうするなよ」と厳重に説諭する、でいいだろう。
しつこいようだけど、もし、今回大学側が「苦渋の決断」で犯人の特定と処分のために「被害届け」を出した、とする。何で特定せにゃならんかと言うと、他の受験生に「不正の犯人はほれ、この通りちゃんと見つけて処分しますよ」と知らしめる・つまり「秩序の維持」のため。
なので、この時点で「被害届け」を取り下げてもいい。

あとは事後処理というか今後の対応として、例えば携帯の電波が入らなくなる装置はあるんだし、韓国みたいな金属探知機を使うとか色々あるだろうけど、とりあえず今回「判明したカンニングの手口」は二度と使えないように対策をしなくてはならない。
「秩序の維持」にはそれなりに手間暇・コストが必要だ。試験官だって学生がアルバイトでやってたりする。性善説とかどうこうじゃなく、解っちゃったんだから、防がなくちゃ。

そういうことで、今後も違う手口でカンニングをする奴は出て来るだろう。でも表に出ない、露見しなければ誰にも解らない。解らなければ対策も打てない。カンニングはバレた時点で失敗だ。成功した例は外に出ない。(たまに武勇伝でごく狭い範囲で語られることはあっても)
過度に「こんな手口があるかも」「いやこういう方法もあるぞ」と、それこそ性悪説で過剰防衛になると、もう果ては受験生全員を全裸で受けさせるとか、マンツーマンでやるしかないだろう。それでも抜け道を考える奴はいるだろうけど。

今だから言うけど、高校の時にどうしても暗記ものに割く時間がなくて(だって学園祭でバンドやるんでアレンジとか曲順とか色々あったんだもの)、カンニングしたことがあります。

消しゴムに書くとか小さい紙持ち込むとか、そういうレベルじゃ対応できないんすよね、何しろ難しいので有名な先生で。しかも怖い。ヤ●ザみたいな風貌だったし、実際普段もめっちゃ怖かった。
なのでやるからには絶対に見つかってはならない。まっとうに受けたら赤点確実だ。
そこで考えに考え抜いた(それを暗記に使えよ)方法は!

…当時の試験はわら半紙にガリ版刷りだったんすね。コピー機とか高かった時代だったし、ワープロも普及前だったし。
と、いうことはわら半紙をいくら眺めててもいいわけで。
で、世界史とか日本史なんかの暗記ものってやたら問題用紙が多いんですよ。2枚3枚と。
あとは解るな…?
というわけで、わら半紙に試験前にびっちり細かく試験範囲の年号やら人名やら何やらを書くわけ。それを「机の中は空で」というのに机の下んとこに置いておく。紙ペラ一枚なんで後ろから見られてもバレません。
それを試験開始と同時に取り出して、あとは問題用紙を見てるフリして、堂々と「カンペ」を見ながら解答欄を埋めていくわけです。ええ、さも思い出してるような風情をしたり、眉間に皺寄せて。わら半紙=カンペを難しい顔して見てても、先生には問題用紙を眺めてるようにしか見えないわけですね。途中教室内を見回るんすが、先生がこちらの後ろから近付いてくる気配がしたら、枚数が一枚多く見えないように注意しつつ、カンペは本物の問題用紙の裏に隠せば完璧。
もう30年近く前の話なのでカミングアウトしました。

N先生、ほんますんませんでした。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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