2011-04-30(Sat)

瀕死の家族

4月30日(土)

ゆうべはこっちが寝室に上がって寝れば、シマがまた階段を上がろうとするかも知れないと思い、こちら側が視界に入るところに居る、つまり一階のリビングで寝ることにする。
リビングのソファにタオルを敷いて、クッションを枕に横になって右に視線をやると、常に隣の仕事部屋のつづらが見える。
夜中に何度か目を醒ますたびにシマの方を確認するが、見るたびに体勢が変わっていて、ホッとしてはまた眠る…という繰り返し。
一度視界から消えていたのでトイレに動いたのかと思ったら、なぜかつづらのすぐ脇に置いてあった病院往復用のバッグの中に収まっていた。自分からバッグに入ってじっとしているのはおかしな光景だが、つづらに居ることが多いものの出て来てはフローリングの上で蹲ったり、戻ったり…としているので、「どうしていいか分からない」という風情だろうか。
この感じは何となく理解できる。短い眠り以外、落ち着かない様子で数分おきに体勢を変えるのだが、自分も大病の上に大病を重ねてきたのでわかる。
いったい自分は「どうなっちゃうんだろう」、「どうすりゃいいんだ」という感じなのだ。明らかに健康時と違う自分の体。水もご飯も食べたいのにいざ目の前にすると食べられない。動こうにも、手足がふらふらして思うように動けない。心臓がバクバクする。何だ、これは何なんだろう…?
シマはシマなりに自分がどうなるのか、不安で不安でしょうがないのだ。怖いのだ。これは人間でも生死の境を経験したとか、そういう人じゃないと理解できないかも知れない。ましてや相手は猫だ、猫がそんなこと考えるかよ、という人も多いだろう。そういう人は猫でも犬でも何でもいいが一緒に長年家族として暮らせばわかる。単にペットじゃない、大切な家族として同居し、一緒に生活したという人なら絶対に共感出来るはずだ。

今現在も東日本の大震災の被災地では復旧・復興に大変な、すさまじく遠い道のりのとっかかりに足をかけたばかりだ。原発の事故に関しては現在進行形であり、あり得る最悪のシナリオを想定すれば、日本の中枢さえ機能不全に陥る可能性さえある状態、つまりは緊張状態にある。
それらに関して日々、政府側・民間側含めたくさんの情報が駆け巡る。震災当初から言ってきたと思うが、玉石混淆だ。デマも多く、しかもそのデマ自体が悪意か善意かの判定が難しい場合も多い。
相変わらず政府の対応は即応体制というよりは委員会だの対策本部だの大臣だの参与を増やして、ただでさえ停滞しがちな議論・会議を徒に長引かせる、議論の一本化と速やかな動きから反対方向の動きをしているようにしか見えない。そういうことや海外からの視点や経済への影響から、色々と耳目に触れることだけでも気になること、言いたいことは山ほどある。
だが今こちらは家族である猫の臨終を座して待つしかないという、極めて卑近ながら極めて辛い状態にある。勿論もっと国家的にも大変なことはあり、前述したように関心がないどころかはがゆさ、怒りさえ感じることも多い。しかしどうしても目線や思考は、今消えかかっている小さな命に向かうのだ。
単なるペットならいい。だが夫婦で愛し、たくさんの時間を共に過ごし、辛い時期も楽しい時間も一緒に過ごしてきた大切な家族なのだ。
誤解を恐れずに言えば、血のつながりなど幻想にすぎないと思う。実際、自分の血縁で今つながりのあるのは母親くらいしかいない。あとは全て友人、知人、ネットで応援して下さる方々。本当の血縁・親戚で今の自分の状況を知り、何かしら声をかけてくれる人は「皆無」である。
連れ合いの子供たち…ゆうちゃんもももちゃんも、言ってみればアカの他人だ。しかし結びつきは疎遠な血縁者よりも遥かに強い。
人と猫を単純に比べるのは愚かだと承知しているが、13年もの間「家族」として過ごした存在が瀕死であるという状況は、それが犬だろうが猫だろうが、いや、人間であろうが、辛いことに変わりはない。
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2011-04-29(Fri)

辛い日々

4月29日(金)

夕べは寝る前にシマの様子を見ると、仕事部屋のつづらで目を閉じ弱々しい呼吸をしていたので、後ろ髪をひかれる思いで寝室へ上がった。
早朝4時ころ、ガタン…ガタンという断続的な音で目が醒めた。何だろうと思っていたら、音は階段からだ。まさか…。

シマだ! と飛び起きて階段へ行くと、ちょうど最後の段をよじ上って、部屋の入口にたどり着いたとろだった。正直、もう自分の周囲1mくらいがやっとで、トイレまでの2m半くらいも休み休みという衰弱状態だったので、階段を上がることは二度とないと思っていた。いったいどこにこれほどの体力が…。いや、気力なんだろう。
猫は自分の死期を悟ると、ひっそりと何処かへ姿を消す…という話はよく聞く。しかし、そもそも野良なら人間側で行動テリトリー全てを把握しているわけではなく、半野良なら複数いる「別の飼い主」もしくは「お立ち寄り所」へ行ったのかも知れない。
だが家猫の場合は、間違いなく飼い主の傍に来たがる。よほどのことがない限り、経験上間違いなく住み慣れた家で、愛する家族・飼い主と一緒に居たいと思う。不安だからなのか、あるいは死期を悟ったから余計になのか、それは話を聞けないので分からない。
でも昔から実家の猫からここ最近の猫たち、マル、マイちゃん、そう太、みんなそうだった。マルは病院へ連れてったが「原因不明」で衰弱するばかり。ジローという愛猫を病院で孤独の中死なせてしまってから、治らないんなら最後は家で看取るというのが我が家の方針。マルは最後、連れ合いのひざの上に抱かれて息を引き取った。
その前は17歳だったマイちゃん。元気だったのが突然弱り始め、最後は動けなくなったのに、死の直前それまでほとんど入って来ることのなかった夫婦の寝室へ来た。夜中に気付いたら枕元に蹲っていた。
その前年、やはり17歳だったそう太も同様、ちょっとボケ入り始めたか…くらいで笑いを提供してくれてたと思ったら、急に食欲が無くなり、最後はやはり歩けなくなった。それでも今のシマのように「排泄は這ってでもトイレでする」という気概を見せた。亡くなる直前はやはり一度も来たことがなかったのに、夫婦の間に来ようとして、枕元にいた。

シマはいつものように、俺に体を密着させて寝たかったのだろう。
それにしてもあの体力で、休み休みだろう、どれくらいの時間をかけて階段を上がったのか。うちの階段はけっこう段差がある。だいたい、つづらの置いてある仕事部屋から階段の下までも歩けるかどうか…という体力だったと思う。
寂しい、不安、そういう気持ちが動かしたんだろうか。
その前だろう、シマは夜中にまた尿を座り小便したらしく、トイレのシートと外れたところに水溜まりがあった。お湯でタオルを暖めて下半身を拭いてやり、それからタオルにくるんで、ソファで前によくそうしてたように、腕まくら状態で抱いてやった。シマは喉こそ鳴らさないが、満足したようでじっと目を細めていた。

しばらくすると満足した様子で、立とうともがいたので、つづらに戻りたいのかと思ったら、俺の枕代わりのソファの方へ行こうとする。ああ、このまま傍に居たいのか…と思い、そこにタオルを敷いてやると大人しく収まった。
猫にも当然感情はあり、こうして寂しい、不安、甘えたい…という気持ちを、言葉が話せないから必死で体を動かして伝えようとしてくる。

シマがソファの上にいる間にトイレ掃除をし、床を雑巾で満遍なく拭いて、トイレ前には尿取りシートを配置。もし自発的にちょっとでも…と思って置いた水と、生餌を潰してお湯でゆるくしたものも取り替えておく。無理だと知っていても、やらざるを得ない。
だが結局シマはソファの上で何度か体勢は変えるが、つづらの方へ戻ろうとはせず、水も餌も食べない。

夕方、夜になっても状態は変わらず。ユキはいつものように空気を読まずに大声を出して時々甘えに来ていたが、午後からはなぜか地味に落ち着いて一人で丸くなって大人しくしている。ユキなりに何か感じ取っているのか…と思いがちだが、恐らく単に気分だと思う。こちらの沈んだ気持ち・態度が何となく伝染している。

人間はいつもこちらの勝手な思いを物言わぬ動物に投影しがちだ。同じ事は神仏にも言えるのかも知れないな、と少し不遜な考えがよぎった。辛い日々が続く。
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2011-04-28(Thu)

シマ衰弱

4月28日(木)

夜中、3時ころに目が醒めたので、リビングに降りてシマの様子を見た。シマは仕事部屋のつづらに入っており、降りて行くとちゃんと顔を上げてこちらを見た。少し撫でてやり、もう一度寝ようと寝室に上がるが、その後なぜかほとんど眠れず。
夕べは久しぶりに明青さんへ伺って楽しかったが、飲み過ぎた。夢の中でも明青さんで飲んでいて、目が醒めてから我ながら呆れる。

浅い眠りにも入ることなく、結局9時ころ起きる。
外は曇り、気温は昨日よりだいぶ低い。というより昨日が夏日だったのが異常か。今日も引き続き下痢だが、これは夕べの痛飲のせいで自業自得。
シマは相変わらず気怠そうにつづらに収まっている。
トイレを見ると、箱の手前に敷いた尿取りシートの上に小便がしてあった。まだちゃんとトイレへ行き、戻ったようだ。だがエサはもちろん、水も受け付けない。無理に飲ませると苦しそうに吐く動作をするし、ましてや今誤嚥させたら苦悶のうちに死ぬ可能性すらある…。もう、声をかけて撫でてやるくらいしかできない。

こっちも食欲がないので、とりあえず朝のもろもろを済ませてソファに横になると、すぐにユキがくっついて寝に来る。ここしばらくのユキの密着ぶりは少し異常だ。前から姿が見えないと捜しては大声で鳴くということはあったが、トイレへ行ってもついてきて中へ入れろという。何か感じているのか。
シマは元気な頃、ユキがこちらに甘えるたびに、競うように反対側に密着してきた。

そう思って「シマや…」とソファから声をかけると、何とよろよろと立ち上がり、ふらつきながらこちらまで歩いてきた。もちろんソファに上がって来ることはもう出来ず、すぐ傍まで来て、蹲った。
本当は前のように自力でソファに上がり、甘えたいのだろう。思わず抱き上げてやると、腹水というより、もう体の下半分が浮腫のようにぷよぷよになっている。膝の上に乗せると、どうやらトイレの手前のは座り小便をしたようで、尿だらけだった。凄い臭いなので拭いてやり、抱き、撫でてやる。もう喉をごろごろ言わすことも出来ないようだが、眼を細めて満足そうだ。

それからつづらをソファの足元に持って来て、入れてやった。手の届くところに置いて撫でながらテレビを見るが、ユキがにゃあにゃあと鳴くたびに体をもぞもぞと動かすので、きっとうるさいのだろうと思い、元の仕事部屋に戻した。アイコンタクトが出来る位置。

午後はそうしてシマが常に視界に入っているようにしているが、正直「時間の問題」という容態だ。
もう数歩歩くのがやっとという様子で、夕方に一度つづらから這い出て床に直接へたるように座り、その場で何度か体勢を変えた。それからまた自力でつづらに戻った以外、夜になってもつづらの中で時おり姿勢を変える以外は、ただじっとしているだけになった。
こちらは何度か傍へ行って撫でてやるが、そのたびに反応が弱くなっていく。
苦しんでいないこと、本当にただそれだけが唯一の救い。リビングで傍に置いてやりたいが、つづらを明るいリビングに移動させると嫌がるように仕事部屋へ行こうとする。
数分おきに目をやり、シマの腹が呼吸で動いているかどうかを確認するという状況が続いている。
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2011-04-27(Wed)

久しぶりに痛飲

4月27日(水)

夕べは1時ころ寝た。
早朝5時、傍らのベッドを見るとシマが居ない。飛び起きてつづらの中、ベッドの下を見てもいない。あの状態でまさか、階段を降りたのか。
一階へ降りてみると、仕事部屋の椅子の手前で蹲っていた。椅子には上がれなかったらしい。それと強烈な尿の匂い。トイレのシートは汚れておらず、中にはユキの立派な大があるだけだった。
どこでやったか…とリビングに戻ると、テーブルの脇、ケーブル類を数本束ねたところに「水溜まり」があった。
あれだけ衰弱した体で階段の段差を降り、それでもトイレで排尿しようとしたか。あと2〜3mというところだったが、限界だったのだろう、体力を使い切って座り小便をしてしまったらしい。
ケーブル類は一本一本洗剤を吹き掛けて拭い、床は拭き、シマの下半身はお湯で温めたタオルで拭いてやった。まる一日以上歩いてなかったし体力も落ちている、腹水と輸液で体は相当重かっただろう。心臓も限界だったと思う。
「よく頑張ったな、偉い偉い」と言いつつ下半身を拭き、撫でてやる。そういえば東京に居た頃に17歳で大往生したそう太も、最後は半分いざりながら、トイレへ入っていったな、と思い出す。
これだけ生きようと頑張っているんだから、やはり病院へ連れて行こうか。正直、もう動けないと思っていた。別にベッドの上で漏らしても叱ったりするわけもない。それでも階段を降りて、トイレまで行ったと思うと、最後に一縷の望みに賭けよう…という気持ちになった。

11時過ぎ、病院に電話して容態を伝え、腹水を抜いて貰うようお願いする。
すぐ連れて行けば空いている診察室へ通してくれるというので、支度をしてシマをバッグに入れる。やはりズシリと重い。バッグに入れるとそのままスッと大人しく蹲った。
「今日だけ我慢してな、腹が楽になって水が飲めるようになって、ご飯がちょっとずつでも食えるようになるかも知れんからな」と言い聞かせる。ほんのごく僅かな可能性だと知ってはいるが、出来ることはもうそれしかない。

外に出ると陽射しが強く、暖かいというより長袖だと暑いくらいの陽気。タクシーを数分待って乗り込み、病院へ。
診察室は2つ埋まっていたが、数分で1つ空いてすぐ入れていただいた。
体重5.75kg。体温38.6℃。
すぐに先生が来てくれたので、昨日こちらの腹痛などで来られなかったということと、容態・経過を説明する。

昨日は水を口に含ませようとしても、かたくなに嫌がった。
無理に入れると、苦しそうに戻そうとした(嘔吐は無かった)。
もう動く体力もないようだと思っていたが、夜中に自力で階段を降りてトイレへ行こうとして、途中で力尽きて漏らした。
…この状態ではもう長くないことは承知している。
なので最後に腹水を抜いてもらい、それによって圧迫感が取れ、多少でも水や食べ物を摂ってくれれば…という最後の望みで来たということ。
それでダメなら、あとは家で最後まで見守ってやりたい、ということも、お伝えする…。

先生は「すみませんね、全部任せていただいたのに何も出来なくて」と言って下さるが、FIP末期なら助かる治療法はないことも知っている。水を受け付けなくなった猫は絶対に助からない。
俺は「いえ、こちらも何匹か亡くしてますので、よく解っていますし、あとはせめて痛くないようにやってください」とお願いした。
「お迎えは何時頃来られますか」と聞かれるので、「5時から6時までには引き取りたいんですが」と話す。別件で手術が入っているらしいが、それならこちらを先にしましょう、と言っていただいた。
今日は6時に東京から来ている友人と会う約束がある。その約束をした頃は、シマは普通にエサを食べ水を飲み、そして甘えていた。こんなことになるとは考えなかったし、その気配すら微塵も無かった。
シマに「ちょっとの間辛抱してな、夕方すぐ迎えに来るから」と言って撫でてやり、あとは先生と看護婦さんにお願いして病院を出る。

外に出ると先ほどの天気が嘘のように雲がかかってきて、予報通りならこの後夕方はけっこうな雨になるらしい。
バス停で時間を確認し、生協で買い物をしてから帰宅。

その後、友人・Bunさん(もちろんハンドル名)から「迷ってます」と電話。すぐ近くの交差点だというので、誘導。外は雨。
数分後無事拙宅に到着後、なぜ迷ったかiPhoneを見せてもらって納得。グーグル先生に住所を入力して表示されたという地図画面を見せてもらったら、何故か全然違うところが表示されていた。

やまだに純米吟醸をいただき、線香をあげてもらう。
それから少し部屋で話し、6時ころタクシーで高木町の明青さんへ向かう。夜に伺うのは本当に久しぶりだ。もうカウンタでめそめそすることは無い自信はあるが、元来一人で外で飲むということが無かったので、落ち着かないのだ。そういえば、若い頃からずっと、夫婦で飲んでいた。

カウンタで生ビールで乾杯。おいしい酒と料理、明青のご夫婦とも楽しい時間を過ごさせていただいた。シマの容態が思わしくなく、このところ陰鬱な気持ちだったが、しばし忘れて痛飲。
夜10時半過ぎまで飲んで、二人でマンションへ帰宅。少し休憩した後、11時ころにホテルへ戻るBunさんのタクシーをマンション前で見送った。
ちょっと飲み過ぎて、シマの様子を見てから早々に就寝。
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2011-04-26(Tue)

シマ、容態悪し

4月26日(火)

夕べはシマと一緒に寝たが、夜中目を醒ますと隣のベッドの上に居た。その後また隣に来たので、朝までそうしていた。

夜中は一時間おきに何度も目が醒め、薄い眠りのままだった。今朝は9時半ころゆっくり起きる。階下で朝のことを済ませるが、シマはともかく足元で寝ていたユキまで降りて来ない。こちらが朝を食べ、数日さぼっていた床の拭き掃除も済ませた11時過ぎになって、ようやくユキが軽快に降りて来た。
床は猫がトイレを使って出て来るたび、ちょっとずつ汚れていく。こまめに拭かないと、足についた汚れを猫は舌で舐め取ることになる。体にいいわけがない。スプレー洗剤を散布してモップがけをし、その後から拭きをしていくだけの作業だが、力がいるのできつい。終わるとぐったり。合間にやはり神経性の下痢。
その後たびたびシマの様子を見に行くが、腹水と輸液のせいで体はでっぷりしているのに、目が落ちくぼみ、背をなでるとごつごつと背骨の感触がはっきり解る。
俺が上がって行くたびにじっとこちらを見る。病院へ行くのが嫌なのだろう。行っても正直、何も変わらないことも解っている。「延命」という行為だ。
今日はこちらの体調も悪く、午前中の病院は無理っぽい。シマに「行かないよ、今日は行かない」と言うと、乾いた口をぴちゃぴちゃと言わせて、目を閉じた。何かつぶやいているようにも見えたが、もちろん気のせいだろう。
お気に入りだったつづらの覆いを外したものを、蹲っているベッドの上に置いてやる。しばらくして見に行くと、ちゃんとそこに収まっていた。

夜になっても何度か見に行くが、様子は変わらない。指先に生エサを塗って鼻先へ持って行っても、ぴちゃぴちゃ言いながら頑なに顔をそむける。食べたくても食べられないという風情ではない、匂いを嗅ぎたくもないという様子だ。
水も同様。日中3ccというごく少量をピストンでぴゅっと入れたら、激しくむせた。水が飲めなくなったらどうなるかはよく、知っている。

これまでも、何度か猫たちを見送ってきた。
人間より寿命は短い生き物だから、普通は一緒に暮らせばこちらが看取ることになる。縁あって一緒に暮らし、時間を共にした大切な家族。たくさんの安らぎ、笑い、思い出をくれた。
自分の体を考えると、この二匹で最後なのは解っているし、ユキを看取ってやれない可能性も高いが、こっちが生きている以上、ちゃんと最後まで一緒に居てやろう。出来るだけのことをしよう。

明日、一縷の望みで病院へ連れて行こうか迷っている。
いったん病院に預けて腹水を抜いて貰えば、一時的に楽にはなるだろう。だからといってシマの状態を見ていると、ここから水が飲めるようになったり、食欲が回復するとは到底思えない。この状態から回復した猫を見たことがない。
仮にいったん楽になったとしても、そもそも根本的な原因が不明で何の治療も出来ていない。栄養補給は延命策、抗生剤は対処療法ですらない。だから、無駄に痛い思いをさせ、病院へ預けて不安な時間を過ごさせることにならないか。
明日病院に相談してみて、答えを出す。
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2011-04-25(Mon)

正直しんどい

4月25日(月)

夕べはこちらの体調もずっと良く無かったので、導眠剤を飲んで11時半ころ、早めに休んだ。
布団に滑り込んでシマを小脇に抱きかかえるように添い寝をし、撫でてやっていると、ゴロゴロと嬉しそうに喉を鳴らした。こうしてシマの喉を鳴らすのを聞いたのは、4、5日ぶりか、もっとかも知れない。心配されたステロイドの副作用も無い様子。
「よしよし、やっぱりもうちょっと頑張ろう。痛かったり辛かったら無理しなくていいけど、そうじゃなかったら一緒にもうちょっと生きよう、な」と声をかけつつしばらく撫でる。シマは嬉しそうだった。

ユキの方は例によって階下の電気が消えると一緒にいったん寝室へ着いてくるが、何が納得いかないのか再び下に降りては「にゃぁあああ!」「わああ!」と叫んではうろうろしている。シマに関係なくずっとこうで、小さい子が「もう寝ますよ」と言われて「やだ!」「もっと起きてる!」と言う感じにちょっと似ている。
上がってきては段ボール箱の上に飛び乗ってはじっとこちらを見ていて、押し入れを開けようとして怒られたり、また下へ降りては鳴き…と数回繰り返してやかましい。

そのうちこちらもウトウトしてきて、シマも俺の腕枕に頭を預けて来た…というあたりでまたユキが下で鳴き始めた。人間でもうるさいんだから、猫にとっちゃ大迷惑だろう。
シマは立ち上がると、床に敷いたマットの上にある布団から、こないだまでそのマットを重ねていたベッドの上に自分で移動して、こちらに背を向けるようにして蹲った。「うるさいなあ…」という風情でちょっとおかしかった。
こちら側にだらんと尻尾が垂れており、声をかけると左右に返事をするように軽く振る。「ほっといて寝ようや」と声をかけて、こちらも寝ることにする。
ユキはその後すぐ、けろっとして俺の布団の足元へ上がってきて大人しくなった。

夜中3時ころに目を醒ますと、シマが居なかった。
足元にある椅子の上、つづらに移ったかと目を凝らすが見えない。ひょっとしたらトイレへ行ったか、下の仕事場に移ったのかも知れないと思い、そのまま寝てしまった。
朝方5時ころ、階段を上がってくる音で目を醒ますと、シマが寝室に入ってくるところだった。昨晩一緒に寝たところに改めて毛布を平らにして「ここおいで」と呼ぶと、まっすぐ向かって来て落ち着いた。こちらが右腕を枕のようにして、左手で撫でてやるとまた弱くではあるが、ゴロゴロと喉を鳴らした。どこかが痛い、苦しいという風情ではない。それだけが救い。
しばらくするとシマは完全に腕に頭を乗せて枕のようにして、寝てしまった。こちらも添い寝のような体勢でまた軽くウトウト、薄く寝る。

起床7時過ぎ。外はうす曇り、昨日よりは少しだけ暖かい朝。
シマの腕枕をゆっくり外して、そこに自分の枕を代わりにはめこんでそっと起きる。ユキは窓際で外を見ていた。今日は比叡山もよく見える。思わず合掌。
下へ降りてまずトイレを確認すると、手前に敷いておいたシーツにたっぷり尿をしてあった。
これはシマだ。
昨日病院から戻って一回、それと夜中に二回目。合計で500ccほど出したんじゃないか。
ついでにトイレ掃除。ユキの健康そうなウンコを周辺の消臭サンド…といっても直径1cmほどの大玉もろともスコップで取ってゴミ袋へ。

トイレ箱の奥の壁をつたい、本来落ちるべき引き出しの外と箱の間に溜まるユキの尿対策に、一昨日「改良」した尿ブロック用カッターマット。結論から言うと素晴らしい効果であった。
二段になっている上段引き出しを手前に引くと、奥に向かって湾曲していたマットが真っ直ぐになって手前に一緒に引き出される。そこをまず洗剤を染ませた紙で拭き取り、さらにその奥のシートを取ると、ユキの尿をちゃんと吸収してある。で、下段の引き出しを引くと、奥のシートには取り逃した尿が少量落ちていて吸収してあった。完璧だ。
カッターマットと引き出しの幅、この寸法がちょうどじゃないのが玉に瑕ではあるが、そこは仕方が無い。あとはアイリスオーヤマさん(1週間取り替えいらずネコトイレ大型)、改良よろしくです…。

自分は例によって下痢。
免疫低下もあるが、神経性の要素も加味されているという自覚あり。何しろ落ち込むことばかりだ。午前中シマを病院へ連れて行くことは無理っぽいので、夕方にして、こちらも休み休み仕事や家のことをするので精一杯。
午後は気が付くと外が暗くなり、豪雨と風。二階へ上がるとガラス戸がガタガタ鳴っている。シマの様子は変わらず、ただじっとしているだけだ。時々声をかけ、撫でてやったり。

夕方5時、着替えてシマをバッグに入れて動物病院に「今から連れて行きます」と電話。すると、別の予約患者がいるらしく「5時半頃を目安に…」とのこと。
あららと思ったが、シマをいったん開放して20分後にまた入れるのも落ち着かない。なので、ズシリと重いバッグを肩にかけ、出かけることにする。いつもはとっとと道路を渡ってタクシーを拾うのだが、今日はシマに声をかけつつ、気分転換に外を見せるつもりでゆっくり歩いて交差点へ向かう。
しかし重い。元もと5kg程度はあったと思うが、腹水と点滴の分で一段と重く肩に食い込む。草木を見せたりして十分ほど時間を潰したが、こちらがしんどくなってきた。とりあえず空車に手をあげて、病院へ向かう。

病院へ着いたのは5時15分くらいだった。
診察室内に一組、待合に一組で空いており、受付に「ちょっと早かったので待ってます」と言って座る。6、7分ですぐ呼ばれて、まず体重と体温。体重は5.65kg。昨日とほぼ同じ。体温も38.2℃と平熱。
間もなく先生が来て、腹水の検査結果と採血の詳細が出たとのこと。結論から言うと猫伝染性腹膜炎(FIP)との「断定は出来ない」ということだった。コロナウイルス抗体が400と低く、境界線。
しかしFIPを発症し、それが「末期」になると低値になることも多いので、そうだとすればより深刻ということになる…。
今は特に苦痛はないようなので、奇跡的に回復するのを祈りつつ、対処療法としてステロイドを投与し、輸液とビタミン、抗生物質を入れるということしかない。あとは一度に抜くと危険なので、ちょっとずつ腹水を抜くなどしか…。
ただ、病院へ行くことそれ自体がシマにはストレスで、さらに腹水を抜くとなるとその都度一定時間預けなければならず、一時的に楽になるとはいえ、根本的な治癒にはならない。悩ましいところですね、と話す。

ほんの一週間前まで普通にご飯を食べて水を飲み、ゴロゴロ喉を鳴らして甘えていた猫が突然こんなことになるとは、悪夢のようだ。
ステロイドは免疫抑制があるので「効果がないようなら打つのはやめましょう」ということで、今日は昨日と同様にリンゲル点滴にビタミン注入、抗生剤注射とステロイド注射。
シマはこれまで同様、全くなされるがままだった。診察室内で会計をしてもらい、出ると待合は6〜7人。注目が集まる中、そそくさと受付に礼を言って出る。

病院を出るとポツポツと小雨がパラついてきたが、空は明るい。京都はこういうことがよくある。シマはもう帰るということが解っているのだろうか、バッグから首を伸ばしてキョロキョロあたりを見て、通りがかった女子中学生の声にビクッとしてひっこめた。亀のようだ。
タクシーですぐ帰宅。
シマを一度リビングでバッグから出してやり、そのままこちらは再び外へ。コンビニへ行き、明日のパンやヨーグルトなどを買う。

部屋に戻って着替えると、シマはリビングのカーペットの上に蹲っていた。俺が戻ってきたのを見ると、ゆっくりいつも俺が腰を下ろしているクッションの前に移動したので、買い物を片付けてから、クッションに腰を下ろす。シマは安心したように、あぐらをかいた足によりかかってきた。
シマ

しばらくすると満足したように、仕事部屋の方へヨロヨロと歩いて行く。見ると、最低の高さまで下げておいた椅子の上に乗ろうとして手をかけ、上がれずにもがいている。もう腕力でグイと上ることが出来ない。溜まらず抱き上げて、タオルを敷いた椅子の上に置くと、そのまま蹲った。
結局それからずっと動かずにいたので、その隙に二階の寝室に掃除機をかけた。シマと一緒に、ベッドより低い位置で寝ることになったので、ホコリや猫の毛が気になる。免疫の低下した体にカビや雑菌を含んだホコリは良くない、人にも猫にも。共倒れになってはいかん。
シマは大きな音や、男性の低い声が大嫌いだ。掃除機はとりわけ恐怖というほどの嫌いようで、掃除機をガチャッと言わせただけで元気な頃はどこかにフッ飛んで隠れてしまうほど。(耳の聞こえないユキは逆に大好きで、先にじゃれついてくる)
八畳の和室、キャスター付とはいえベッドを動かしマットレスをどかしつつ満遍なく掃除機がけをするのは病人にはけっこうな重労働だし、気持ちの問題、このところの病院の往復、治療費なども含めたもろもろの全てが、正直しんどい。だが俺がやらずして誰がやるか。
猫の世話も己の世話も、自分がやらずして誰がやってくれるか。
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2011-04-24(Sun)

心配続く

4月24日(日)

今日も曇天。
夕べは12時ころ寝室へ上がった。シマは病院から戻ってからずっと、俺の毛布の上にいたので、体を添えるようにして一緒に寝てやる。
3時ころ目が醒めるとシマがおらず、窓際の椅子を見ると、シマのシルエットが見えたので安心。寝室に使っている和室は、北側の障子を外が見えるように開けてある。そこに折り畳み椅子を置き、さらに猫つづらを乗せてあるのだが、シマはそこから外を眺めるのが好きだった。椅子まで床から30cmはあるだろうか。自力で上ってお気に入りの場所に収まったんだから、そっとしておこう…と思い、そのまま寝る。
夜から朝にかけてぐっと冷え込んだせいで、5時ころにユキがにゃあにゃあと大声で毛布に入れろと鳴く。シマがこっちへ来たがった場合に場所がなくなるので、足元で我慢させてそのまま寝ようとするが目が冴えてしまった。
結局そのまま起床6時。

気象庁サイトでは6時現在の外の気温は5.6℃ということだが、この辺はもっと低いだろう。ひさしぶりに弱く床暖房をつけた。
朝はトーストとカフェオレを食べたが、やはり今日も下痢。昨日ほどひどくないので、横になって休む。朝一で病院には行けそうにないが、今日は午前中だけなので、昼前には何とか連れて行かねば…。
それから少しウトウトしたが、猫は二匹とも二階から降りて来ず、ユキは9時過ぎになってようやく降りて来た。
シマの様子を見に行くと、マットレスを下ろしたベッドの上にいた。指先を鼻面に差し出すと、元気はないが、左右をこするように押しつけてきたので、少し安心。昨日の夕方点滴を入れてからトイレへ行ってないので、抱き上げて下に降りて置いてみるが、すぐ出て来てしまう。しょうがないので再び二階へ連れて上がった。

下痢も治まったようなので11時前に病院へ電話すると、今なら誰もいないということだったので、すぐに支度。シマをバッグに入れて外に出ると、ドアを出たところで「にゃおう」と鳴き、エレベータの待ちでもう一回鳴いた。病院へ行くだけでもストレスだろう。でもしょうがない。
タクシーもすぐ捕まり、道も空いていたのでアッという間に病院へ着いた。待合室には電話の後に来たと思われる、犬を連れた女性が一人居ただけで、ほぼ待ち時間ゼロで診察室へ通してもらった。

先生に状況は変わっていないこと、昨日から尿を出していないことを伝える。体重は5.5kgと増えており、輸液を出していないのだから当然。体温は38.3℃と平熱。
一応、腎臓や肝機能障害などでも腹水は溜まることがあるが、血液検査の数値とエコーなどを見ても異常はない、なのでやはり一番疑わしいのはFIPとのこと。で、このままだと持たないので、ステロイドを打った方がいいと思います、とのことだ。
副作用が心配だと言うと、「確かに吐き気などが出ますが、利尿作用もあるし、今はリスクと比較しても打った方がいいでしょう」と言われるので、反対する理由はない。
輸液は昨日より少なめで、看護婦さんがまたポンプで点滴袋を圧迫し、その力で輸液をダーッと落として行く。途中、ビタミン剤の注射をルートにちょっとずつ入れていくが、シマはポンプの音でちょっとびくびくしたものの、ずっと大人しくしていた。気のせいか、昨日より生体反応があるというか、普通に見える。
点滴が終わると先生が来て、昨日のよりも長めに効くという抗生剤の注射と、最後にストロイド剤を注射。「最初なので少し多めに打ちます」ということ。
シマは終始声も出さず、痛がりもせずなされるがままだった。
会計も診察室でしていただき、アッという間に終了。診察室を出ると患者というか飼い主というか、3〜4組くらい待っていて、いいタイミングだった。

タクシーもすぐに捕まって、自宅に戻ると11時15分頃。行き帰りに診察・点滴で30分かかったかな? というくらい早かった。シマを出してトイレの前に置くが、すぐに出て来てしまう。水の前に置いても「いらない」という風情で、テーブルの下で蹲った。
こちらはその間に着替えをし、手洗いうがいをして戻ってくると、キツい尿の匂いがする。トイレを見ると中ではなく、手前に垂らすように置いておいた尿取りシートに少し濃い目の尿がしてあった。良かった、出たんだな…と思って始末し終えて座ったら、よたよたと歩いて俺の脇へ来て蹲ったので「良かったな」と撫でてやる。
すると満足したようにすぐに立ち上がって階段へ向かい、一段一段ゆっくりと這い上がるように二階へ上がっていった。下はユキもいて煩わしいと思っているのだろう。この二匹は猫同志だけど犬猿の仲だから、気が休まらないのかも知れない。
そっと様子を見に行くと、俺の毛布の上で蹲っていた。香箱を作ったり丸くなったりするのではなく、両手を組むように前に畳んでじっとしていた。

その後はこちらも体調が悪いので休んでいた。改めて自分も重病人であることを実感する。シマが心配で、それがストレスになっているのだろう。明らかにシマの病気が解る前より体調が激変している。
午後は食欲がなく、2時前に義務感でそうめんを食べた。何しろ何か食べるとたちまち下るので、その後疲弊してしまう。
夕方5時頃、寝室に様子を見に行くが、病院から戻り自分で落ち着いた場所に、向きもそのままだった。全く動かなかったのだろうか。声をかけ撫でてやるが、何とも気怠そうで、病院へ連れて行った時よりも元気がない。
こちらは7時頃にようやく楽になってきたので、棒ラーメンを食べた。よく考えたらこのストレート麺もそうめんみたいなものだが。
食後に様子を見に行くと、シマは毛布の上に居り、体勢と向きもちょっと変わっていた。電気をつけて声をかけ、撫でてやる。人差し指を出すとすりすりと左右交互にすりつけて甘えてくる。その押し返しが日中よりやや強かったので、ホッとした。しきりに口をぺちゃぺちゃとするのは、乾いているからだろう。小型のポンプ(注射器)で水を顔に持って行くが、舐めない。飲みたそうでもあるように見えたので、ほんの5ccほど、猫にこうして薬や水を飲ませるのは慣れているが誤嚥させないよう注意しつつ、口に入れてやった。
その後は弱く灯りをつけてやり、静かにしておいた。

これから来る夜は、2年前に連れ合いが突然頭痛を訴え意識を失った夜。
シマとまた一緒に寝る。
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2011-04-23(Sat)

シマ容態変わらず

★最初に、たくさんの方から「コメントは非公開で結構」という前提で、シマを心配し励まして下さるコメントをいただきました、御礼申し上げます。

4月23日(土)

朝から雨。
夕べ寝る前にベッドの上からマットと布団を下ろし、床に直接敷いた。シマは寝る前まで仕事場の椅子の上に大人しくじっとしたままだが、夜中にいつものように二階へ上がってきて、一緒に寝に来るかも知れない。その時ベッドに上がる体力がないだろうから、すぐに来られるように低くしておいた。
様子を見ながら11時過ぎに寝室へ上がったが、シマが上がって来る気配はない。しばらくしてそっと見に行くと椅子の上でそのままにしているので、無理に動かさないよう、そのまま布団に戻った。
体が不調だと、人間も不安で溜まらなくなる。
そんな時、誰かの傍に行きたい、そのことで不安を紛らわせたいと思う時もあるし、一人にしておいて欲しい、そっとして欲しいと思う時もある。人間ならどうして欲しいか聞けるが、猫から意志を聞くことは難しい。なので、もし寂しければシマはきっと階段を登ってくる、嫌なら来ないと思い、そのまま自分は寝室へ上がった。

夜中の2時ころ、気配を感じてはっと目を醒ますと、シマが階段を自力で上がり、寝室に入ってくるところだった。足取りは弱々しいが、ゆっくり枕元に来たので、すぐに抱き上げていつものように右側の脇に寝かせて、撫でてやる。
やっぱり寂しかったか。階段はしんどかっただろう。

そのまま、8時過ぎまでずっとそうしていた。
こちらはうとうとしたり、シマがちゃんと息をしているか確認するために撫でたりで、朦朧。

階下に降りて朝のことを済ませるが、シマは降りて来ない。なぜかユキも。こちらはトーストをカフェオレで食べるが、今日はどうも調子が悪い。食べるとすぐ下痢、しんどい。シマを病院へ連れて行かねばならないが、この状態だと移動するのは難しい。
とりあえず腹痛の合間にシマの鼻先に水を持って行くが、顔を背けてしまうので皿だけを置いて戻り、あとはこちらもトイレとの往復。その合間に仕事。いやはや、病病介護とはこのことだ。
ユキだけは元気で、いつものように寝坊したあと軽快に階段を降りてきて、中段からヌッと顔を出してこちらを睥睨し、それからご飯を食べトイレへ行き、マイペースでいる。おまえはそれでいい、ずっとそうしていてくれ、頼む。

仕事を終えた後は腹痛の合間をみて部屋に掃除機をかけたりして、時々シマの様子を見に行くという繰り返し。昼前に上がって様子を見ると、シマは背中を向けて丸くなっていたが、顔を上げたので抱いて下に降りて水場の前に下ろしてみる。だが水は飲まず、ふらふらとトイレへ行き、奥へ入ったはいいが、尿は入口に漏らしてしまった。それでもちゃんとトイレでするのがいじらしい。
凄い匂いの尿だが、若干黄色いものの血尿ではない。飲んだ水の量に比べ明らかに尿量が多いのは、昨日入れた輸液のせいだろう。
トイレの始末をしていると、シマはよたよたとエサ場へ行き、水の器の前でじっとしている。数分そうしていて、少しだけぺちゃぺちゃと水を舐め、それからゆっくりと二階へ上がってしまった。

こちらの体調はひどい下痢以外はいつも通り。夕方までに回復すれば、シマを病院へ連れて行ける。
午後はMLBを見ながら横になっていた。
時々シマの様子を見に行くが、ずっと俺の布団の毛布の上に居て、上がって行くとこちらを見る。その度に安心して、撫でて声をかけて降りる。口を開けさせ、喉の奥へスポイトで水を10ccほどぴゅっと出すと、ちゃんと飲み下した。しかしエサは鼻づらに塗ろうとしても頑なに顔を背ける。それほど嫌なのかと、とりあえず無理強いはやめた。
2時過ぎ、ユキが俺が横になっているところへ来て、ソファの背と左脇腹の間という狭いところにギュウギュウに身を縮めて寝始めた。とてつもなく窮屈なはずなのだが、こういう感じが好きなようだ。
元もと野良だったユキの母子を保護した東京時代の「猫おばさん」・Mさんによれば、五匹だか六匹の兄弟だったというし、母の胎内で窮屈にしていた記憶があるのだろうか。尻尾も曲がるくらい窮屈だったろうに。

2時15分頃だったか、突然見ていたテレビのチャンネルが変わって、Jリーグの試合になった。リモコンにはもちろん触ってないし、視聴予約も設定していない。「?」と思って元に戻したが、はっとして二階へ上がった。
シマはちゃんと生きていて、こちらを見上げたので、ホッとする。こういう「虫の知らせ」的な現象はやめてくれ。それとも別の報せか?

その後シマがまた小をしにトイレへ入る時に困らないよう、トイレを掃除。♂のシマは奥に顔を突っ込んで手前に座るようにして小をし、♀のユキは中で姿勢を変えてこちらを向いて奥にむかって小を放つ。♀の場合、腰を下ろして出してくれないと、後方の壁に直接当たることになって掃除に困る。ユキは腰を上げたまま勢いよく後方に放つため、猫トイレの二段になっている受け皿の縁をつたって箱の底に尿が溜まり、匂いもきつくなるし掃除も大変なのだ。(アイリスオーヤマさん、被災地企業支援で「一週間取り替えいらず猫トイレ」愛用者としてシートやサンド、爪研ぎをまとめ買いしたユーザーとして、改良を望みます。)
あまりに受け皿の縁から箱に漏れる尿が多いので、使っていないカッターマットの薄いやつを持って来て、天井にビニールテープで止め、奥の壁に湾曲するようにあてがってみた。そこにぶつかった尿はカッターマットをつたって受け皿内に落ちる仕組み。念のため両端の隙間部分には尿取りシートを拡げておく。我ながら良いアイディアだが、もうちょっと早く気付くべきだった。アイリスオーヤマさん、あとはお願いします。

夕方5時、午後の診療開始時間と同時に病院に電話。
容態を聞かれたので、水は午前中自力で飲んで排尿をした他はほとんど動かず、エサも首を振って食べようとしない…と報告。俺が白血病で免疫不全ということは院内で知れているゆえ、「なるべく早く診察できるようにしたいと思いますので、どれくらいで来られますか」と言ってくれるので「15分くらいで」とお願いする。
支度をしてバッグを持って二階へ上がると、午後ずっと俺の毛布の上に居たままのシマが顔を上げた。着替えてバッグを持っているので、若干心配そうな顔に見える。声をかけながらバッグに収めて、外に出る。

玄関から出てエレベータ、エントランスを出るというあたりで、やはりシマはびくびくと瞳孔を開いてあたりを伺うように怯えている。本当に外が怖いのは相変わらずだ。それに向かうのは病院と解っているわけで、かなりのストレスだろう。
かくいう自分も、自分の診察日に病院へ向かうよりもストレスは比較にならないほど大きい。痛みでも治療でも何でも自分が耐えればいい、自分の中で理解し折り合いをつけられるものではなく、弱っていく「家族」にただ「良くなってくれ」と祈るしか出来ない無力さ。

病院へはタクシーですぐに着いたが、診察室にはすでに4組ほど待っている状態だった。
こちらは寄りかかれる椅子が埋まっていて腹がしんどかったが、シマのバッグを抱えてひたすら撫でたり顔を見たりしつつ待つ。その間にもどんどん待合室は埋まっていく。「大繁盛」という単語が浮かぶ。
背後で「予防注射」「爪切り」と言っていた犬と飼い主さんなど、緊急ではないと思われる先客2組くらいを飛ばしてもらったようで、十五分くらいの待ちで呼んで貰えた。

診察室へ入り、昨日の看護婦さんと先生が来られ、様子を聞かれたので、報告する。
状況は変わっていないし、腹水の検査結果は早くても月曜だ。それまでは原因が特定出来ない以上「治療」は出来ないし、かといって飲まず食わずでは死んでしまうので、とにかく点滴をしましょう、ということ。
猫の点滴は早い。人間なら心臓に負担がかかるようなスピードで落としても大丈夫なので、すぐに帰れる。入院などさせても結局やる事は同じで、その間病院で寂しく不安な思いをさせるより、家に連れ帰った方がいいということは、先生とも一致。
体重は5.5kgと少し増加しているのは点滴で入れた分だろうということ。体温は38.9℃。先生は感染症などにしては熱が高くないが、白血球数があれだけ高いのはFIPだとまずい、なのでまだ確定診断できないが、予防的にステロイドを使った方がいいかも知れないですね、とのこと。
FIPだとステロイドが有効で、それも早く使った方がいい。もし違っても猫の場合副作用が重篤というレベルにはならないので、考えた方がいいかも…ということらしい。
腹水が溜まるのは昨日も伺ったように、腫瘍性の場合もあるが、今は飲めない食えないの衰弱を止めるための点滴と、感染症の場合に備えて抗生剤を打つことしか出来ない。
水は輸液で十分な量が入るし、エサも食べないのを闇雲に口に入れて誤嚥し肺に入ったりするのも怖いので、無理強いしなくていいということ。で、明日も連れてきて、と言われた。
看護婦さんがすぐ点滴と注射の準備をしてくれたが、人間なみのリンゲル500ccの輸液だ。これを5分程度、ポンプで流し込んでいく。凄い勢いで、数え切れないくらい点滴を受けた俺にとっては脅威のスピード。しかし猫の場合、背骨のあたりの皮下に落とせばあとは吸収されるので楽なのだ。一時的にぶよぶよになるがしょうがない。
その間、看護婦さんに猫のことと、自分の病気のことなどを世間話。俺は自分の免疫不全もあるので、待合室の混雑が一番怖い。看護婦さんもその辺はすぐに理解してくれたようで「会計もここ(診察室)でしましょう」と言ってくれて、助かった。
最後に別な看護婦さんが来て、シマの肛門のあたりに抗生剤の注射。肛門への体温計挿入から背中への点滴から注射から、シマは鳴き声一つあげず、抗うこともなく大人しかった。顔だけは不安げにキョロキョロし、時おり俺をじっと見るので、「大丈夫大丈夫」「すぐ帰るよ」と声をかけてやる。
会計も済ませ、お礼を言って診察室を出ると、受付兼待合室は超満員で、ギョッとした。そそくさと受付にお礼を言って出たが、普通に待っていたら大変だった…。
人間の病院と違い、犬猫に老若男女、小さい子連れの飼い主も複数という、免疫不全患者には凄まじく過酷な環境だ。

病院を出ると、もともとポツポツ程度だった雨は上がっていた。肩にかけたバッグの中のシマに声をかけつつ、対面へ渡ってタクシーを待つ。北大路は割合流しが多いのだが、今日に限ってなかなか来ない。それでも7〜8分で空車が来たので、帰宅。6時過ぎ。

シマはマンションまで来ると明らかに「戻ってきた」という風情で、バッグから首を出してキョロキョロしている。
部屋に戻ってバッグから出して「ほらシマ、家だぞ、よく我慢したな」と撫でてやると、よろよろと歩いてそのまま階段へ向かう。
手を貸してやろうかと思ったが、自力で上がれるうちはさせよう…と思って見ていると、中段でいったん立ち止まって振り返り、俺の顔をじいっと見た。
「いいよ、布団行きな」と言うと、納得したようにゆっくり階段を上がっていった。

その後はニラ玉を作って軽く一杯。ユキの方はシマへと思って皿に出したペースト状のエサをもりもり食べ、水を飲み、黒々とした立派なウンコを出して「にゃあーん!」と大声で甘える。
人間も猫も、本当に健康が一番だ、健康こそ宝。
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2011-04-22(Fri)

動物病院へ

4月22日(金)

曇天。気象庁のサイトでは8時現在で12℃とあるが、ここらはもう少し低く、小寒い感じがする。
シマは、ゆうべ寝る前にはしばらく枕元でじっとしていたので、そのまま一緒に寝るかと思っていたら、しばらくしてユキが階下で鳴き出したと思ったら、ガシャンと何かを落とした音。慌てて降りて行くと、プリンタ台の上に置いたペン入れとスプレーが下に落ちていた。何しろ耳が聞こえないので、「こら!」という手を上にあげるポーズをすると、フッ飛んで逃げる。
やれやれと電気を消して再び寝室へ上がるとユキもしばらくして付いてきて、シマはユキが来たのと入れ違いに下へ降りていった。
体調の悪い時にぎゃあぎゃあとうるさい他人の声はそうとうに苦痛だ。自分も病身だし、入退院も繰り返しているのでよく解る。「そっとしておいて欲しい」という感じだった。
ユキは呑気なもので、人の布団の上で毛繕いをし、そのうち丸くなってしまった。
こちらもそのうち寝てしまうが、夜中にユキは布団に入ってきて、朝8時に起きるまでずっと布団の中で寝ていた。こちらはそのせいで朝方から薄い眠り。

起きてすぐ階下に降り、仕事部屋を見に行くと、シマはやはり椅子の上に蹲っていた。昨日より状態は良さそうだったが、相変わらず何か食べた形跡もなく、おそらく夕べここへ移ってからほとんど動いていないという風情だ。
病院は9時半からなので、とりあえず「よしよし」と撫でてやり、三津子の写真に「助けてやって」と手を合わせた。

外出準備を整えてから、9時半ちょうどに動物病院へ電話すると、女性が出て簡単に症状を聞かれ、今から連れてくるように言われる。夕べのうちに用意しておいた猫用のバッグにリードを繋ぎ、首輪をシマの首に通す。内弁慶で外が大嫌いなシマは、元気な頃だとこのバッグを見ただけで「外だ」と解って遁走したものだが、黙って抱き上げられ、大人しくバッグに収まった。数日食べてない割に腹が丸く、背骨のあたりはごつごつしている。これは完全に腹水だ。まずい。
動物病院は、京都に越してから連れ合いと散歩していて見つけた、歩いても10分ちょっとのところ。自転車で行こうと思ったが今日の予報は午後から雨。しかたなくタクシーを拾おうと、道路を渡ろうとした時、はじめてシマが「にゃおう!」と一声だけ鳴いた。「どこへ行くの!?」という声だった。不安なのだろう。
タクシーはすぐにつかまり、運ちゃんもチラっとシマを見て「猫ちゃん、どっかお悪いんですか?」というのでコレコレ、と話してるうちにすぐ病院へ着いてしまった。「元気になるといいですなあ」と言ってくれたのでお礼を言い、病院へ。

「予約は要らないからすぐ連れてきて」というので空いてるのかと思ったら、すでに3人くらい、子犬か猫を連れた人が待っている。「さっき電話した者ですが…」と言うと受付が問診票を渡してくれたので、それに細かく症状、病歴などを書いて行く。途中看護婦さんが来て詳しく聞いてくれたので、訂正したり補足したり。
結局連れて行ってから診察室に呼ばれたのは30分以上経ってからだった。何しろこちらも病人なので、正直しんどい。シマはその間終始大人しかったが、バッグから時おり首だけを出して、びくびくしたようにあたりを見たり、ひっきりなしに誰かが出入りしたり、声を挙げるたびに怯えているようだった。

診察室で、まず体重を測る。5.4kg。元気な頃とあまり変わっていないというか、若干重い。ここ数日食べていない事を考えるとおかしい。次に看護婦さん二人がかりで検温。一人が顔を押さえて「大丈夫だよー」と声をかけてなでつつ、もう一人が肛門へ体温計を挿入。39度2分だったか、これも若干高い。
それから医師が来て、三日ほどご飯を食べていないこと、水だけは自力で何とか飲んでること、その他は一日じゅうぐったりして寝ていること、歩く時はふらふらしている、普通にしていたのにこうした状態になったのはここ四、五日と急だったことなどを伝える。
先生はまず猫が三日食べないということは、大変危険な状態だと言う。人間なら一週間絶食しているようなもので、水だけという状態だとあまり持たない、と。ちょっと首や背中をつまんで「ああ、脱水起こしてるなあ…口もからからだ」と言って、腹まわりを触診し、「腹水が溜まってるようですね」とのこと。
「まず採血をして、その結果を見てもう一回ご相談しましょう」と言われてすぐ採血。
また看護婦さんがシマを後ろから抱くように首を持ち上げ、もう一人が顎の下から採血するため、念入りにアルコール綿で毛を分けつつ皮膚を消毒しようとするが、何しろ毛がみっしりしていて、なかなか地肌が露出しないという。ようやく針を刺せる状態になったが、一度目はビクッとして体を引いてしまい、失敗。二度目は途中ちょっとだけ動こうとしたが、後は観念したのか大人しく血を抜かれていた。鳴くでもなく暴れもせず、「偉いねえ」と褒められていたが、シマはとにかく外に出ると恐ろしく臆病になるし、暴れてもムダと観念しているのだろう。それとも暴れる体力もないのか、そう思いたくはないが。
いったん再びバッグにシマを入れ、採血の結果が出るまで待合室で待つよう言われる。その間にもひっきりなしに患者というか犬猫を連れた飼い主が来院し、いつの間にか待合室は7〜8組で一杯だ。シマは目をまん丸にしてキョロキョロと見たり、大きい音がする度にビクッとして中に首をすぼめたり。ただ、いつものように俺が鼻面に人差し指を差し出すと、クイクイと右、左と鼻の横を擦りつけて甘える。ここ数日なかった反応なので、ちょっと安心。
40分くらい待って、採血の結果が出たというので再び診察室へ。先生が数値の紙を持ってきて説明してくれるので、こちらは思い出して「マスクしたままですいません、実は…」と白血病で免疫が低下していることを告げる。先生は一瞬絶句したようだが「そうですか…それは大変ですね」と言われ、それから説明をしていただく。

シマの白血球数は31000と高い(正常値の上限は15000程度)のが気になるが、その他はとりたてて大きな異常というほどの数値はない。こちらも自分の採血で見慣れた項目が並んでいるのでじっと説明を聞いていた。
何も食べていない割に血糖値が186と高いが、先生によるとストレスでハネ上がることもあるし、病院へ来て針を刺されたというだけでじゅうぶんストレスですから、とのこと。BUNも正常値上限36のところ39だしクレアチニン値は正常。ナトリウムもクロールもひどい脱水という数値ではなくむしろ正常値。赤血球系も肝臓系も異常なし。
ということは白血球数だけが明らかに異常値ということになる。細菌感染や炎症も考えられるが、いずれにしてもエコーやレントゲンなど精密検査を、特にお腹の方を調べてみないと…ということになる。
それらは午前の診療が終わって夕方の診療時間が始まる5時の間に行うので、いったん預かりということにして、夕方こちらからお電話を下さい、とのこと。「費用はちょっとかかっちゃいますが…」と言われるが、とにかくまずは検査して、原因を特定し、それから治してもらわなきゃしょうがない。「お願いします」と言って預けることにした。
暴れると困るので、とまた看護婦さんが二人がかりで手足の爪を切る。シマは暴れるどころか全くなされるがままで、従順だった。それから「念のため」と大きめのネットで包み、俺が抱くように言われ、上の階の「入院部屋」へ連れて行った。ケージのようなものが4列×3段くらいに並んでいて、犬と猫はちゃんと別の部屋になっていた。猫の方には茶虎の先客が一匹と、他にも居るようだったが、全体に静かだった。シマは大人しく中に入り、じっとしているので、「後で迎えにくるからな」と声をかける。
受付で「万が一の場合は手術その他、医師に任せる」という承諾書にサインをして、いったん病院を出たら11時半近く。いったんコンビニで現金をおろし、朝から何も食べてなかったので、病院からすぐの「明青」さんへ行く。

まだお昼の看板を外に出す前だったが、おかあさんが「どうぞどうぞ」と入れてくれた。前に持って来たパソコンの件で来たと思われたので、実は、と猫の話をする。
このご夫婦には二度の長期入院のたびに猫たちのお世話をお願いしてしまったので、旦那さんも「どっちの猫ちゃんですか?」というのでシマの方です、と話す。
とりあえずそんな感じなので今日はご飯だけ食べに来ました、と言って座り、今行って来た動物病院の話などを聞いたりしていると、別のお客さんも来たので、とりあえずお昼を待って、頂く。

いつものように絶妙の炊きたてご飯、ダシのきいた何というか「うまい」としか形容できないうまさの味噌汁。上品な小鉢類。まぐろのお造り。そして揚げたての天ぷら。
久々に幸福な気持ちになり、パソコンの件はまた改めて、ということで、食事だけして出た。おかあさんも「猫ちゃん心配やねえ」と言ってくれるが、笑顔で「じゃあねえ!」と手を振ってくれたのを見て、何となく気持ちが楽になった。

外へ出ると雨。
道路を渡ってバス停へ行くと買い物している時間はなさそうだったので、生協で買い物をして、系統の違うバスで近くの交差点まで戻ってくる。そこからは雨にちょっと濡れたが、帰宅12時半。
夕方5時、病院へ電話。
検査は一通り終わったので迎えに来るようにとのこと。小雨の中、バスで向かう。
朝とは違いこちらが一番で、すぐに診察室へ通された。先生が来て、レントゲンとエコーなどを見せてくれ、所見を聞く。

念のため腹部と胸部両方レントゲンを撮った、昼の採血結果から白血球の異常値の他は重大な内臓疾患は無さそうで、レントゲンでも腹水が溜まっていて見え辛いが、エコーとあわせて見る限り、心臓や腎臓にも異常はないようす。ただ、脾臓につながって見える影があり、ひょっとするとそれが腫瘍の可能性もある。また別の可能性としてウィルスによる腹膜炎の可能性もある、と。
いずれにしても腹水を10ccほど抜いたので、それを検査に出してもいいかというので、もちろん承諾する。抜いた腹水を見せていただいたが、綺麗なもので(手術後の俺の胸水よりもはるかに)、出血なども見られないという。
とにかく脱水があったので、まず背中から点滴を入れ、念のため抗生剤も加えたということ。それからペースト状のエサを鼻の下に少し塗って与えたところ、それはちょっとだけ舐めたという。

腹水を抜き、点滴を打つ、これは対処療法ゆえ原因が解らないと根本治療が出来ない。なので検査は必須だ。
検査結果が出るまで数日かかるのと、土日を挟むので、明日もまた点滴に連れてきた方がいいということ。あと、舐めたペースト状のエサも一つ持っていって、出来れば食べさせた方がいいということ。とにかくこれ以上今はどうしようもない。
一通り説明を受け、看護婦さんにシマを連れてきてもらう。シマは来た時と同様、目をまん丸にしてキョロキョロしていたが、「シマ! 帰ろう」と声をかけるとこちらを見上げた。心なしか、ちょっとホッとしたように見えた。
お礼を言って診察室を出て、会計の時にエサと説明も受け取るが、看護婦さんが気の毒そうに「高額になってしまってますが…」と言う。
確かに高額だった。びっくりするほど。でも仕方ない。大切な家族が病気だというのにほったらかしておくわけにはいかない。しかし痛いものは痛い、そう思いつつ支払いをし、タクシーを呼んでくれるというのでお願いして、しばらく待つ。
シマはビクビクしていたが、どこかが痛いとかしんどいという様子ではなく、とにかく家の外に居ることがストレスだというのがよく解る。
タクシーは時間がかかるという返事だったので、じゃあ流しをつかまえます、と言って病院を出た。

いったん上がった雨はちょっと小雨がパラついていたが、ちょっと前ほど寒くないのが救い。シマに「帰るよ」「よしよし」と声をかけ撫でつつ信号を渡り、数分ですぐ空車が来たので乗り込む。
運ちゃんは猫を見て「病気ですか」というのでコレコレで、と説明すると「13じゃまだ全然若いですわ、私は40近く生きたちゅうの聞いたことありますよ」と言うので驚く。35、6年というのは聞いたことがあるが、それは本当だとしたら凄い。
この運ちゃんも15年可愛がっていた犬が子宮に膿が溜まる病気になったとかで二度手術し、二度目は二週間で死んだ、家族やから辛かったですわ、と話していた。
タクシーはすぐに家の前に着き、エレベータホールへ向かうと、シマの挙動が明らかに変わった。キョロキョロと首を伸ばして「帰ってきた」というのを確認するようにしている。「うちだぞ」と声をかけて6階へ上がり、バッグから出してリードを外してやる。
着替えてすぐ、夜に落ち着いていた椅子の上にタオルを敷いて置いてやるが、すぐに降りてしまう。どこへ行くかと思ったら、トイレに入って小を出した。
それから水の皿の前へ行き、しばらくじっとしていたが、そのうちぺちゃぺちゃと少し飲んだので一安心。とにかく自力で水が飲めるうちは絶対に死なない。それから戻ってきてこちらをじっと見るので、呼ぶとヨタヨタと歩いてこちらへ来て、手を出すと以前ほど力強くはないが、額を軽く押しつけて甘えてきた。それからまたトイレへ行き、また水を少し飲み、その間ユキが病院の匂いがするらしく追っかけ廻すのを諫めつつ見ていたが、最後にこちらの足元に蹲った。
腹水を抜くので腹の毛を刈られていて、小寒いのかも知れない。何より心細かったのだろう、こちらの足先に脇腹を重ねるようにしている。

その後、シマを預けて帰る時に買ってきたまめご飯をあたためて食べた。シマはこちらがそっと立つたび、目で追うように顔を上げ、戻ってあぐらをかくと、そこに体重を預けて丸くなっている。安心したのか、ずっと開き気味だった瞳孔が落ち着き、ごろごろと喉を鳴らしさえしないものの、以前のようにくっついて甘えている。

腹水の原因が何なのか検査結果が心配だが、脾臓付近に見られる「影」がもし腫瘍で、癌性のものという最悪の結果が恐ろしい。もしそうなら手術で摘出ということになるが、高齢の猫の場合は手術そのものが負担になり、苦痛になり、その中で衰弱して死に至ることも多い。それは東京時代、連れ合いの猫友達・Mさんの凄まじい数の「猫保護歴」の実例でたくさん知っている。
また猫伝染性腹膜炎(FIP)というのもある。先生の言うように3歳くらいまでの若い猫にもっとも多いが、次のピークが9歳などの老境に入った頃だという。
調べて見ると、若いうちに野良だった猫はその後ずっと家猫で暮らしても、可能性があるらしい。要するに免疫が落ちてきたところでウィルスが暴れるという経験は、他ならぬ飼い主の自分が嫌というほど体験したことだ。
素人判断は禁物、とりあえずはシマを安心させ、生あるうちは精いっぱい可愛がり、これまで通り愛してやる。
シマは夜までずっと足もとから離れない。夜11時になってもじっと俺の足元で時おり体勢をゆっくり変えながらも動かないので、鼻先に小皿でぬるま湯を持っていくと、ちょっと舐めて飲んだ。「いいぞ、頑張れよ」と声が出る。

こいつがまだ子猫で、外を「相棒」だった白猫と駆け回っていた頃、俺たち夫婦と、長女のももちゃんと3人でよくエサをあげていた。とても可愛い猫だったので、家に入れたいという欲求を抑えるのに、それぞれが必死だった。当時は団地に二匹、仕事場兼住居に借りたマンションに一匹飼っていたので、それ以上増やすのは絶対に無理だと思っていた。
隣家との間にある細い隙間のブロック塀の上を、仲良しだった金目銀目の白猫と「てててて」と駆け足で走るのを、よく上から夫婦で「あ、またシマがいる」「白の方は自転車置き場の屋根の上でひなたぼっこしてる」と見ていた。アメショーの雑種で縞模様、なので「シマ」と呼んでいた。
マンションは3階だったが、そのうち夜の一定時間になると、ドアの前まで上がってきて鳴くようになった。「ニャア」という猫らしい声ではなく「ひゃっ!」「はっ!」という声でしか鳴けない猫だったが、俺たちは「そろそろ来る頃だね」と、いつもそのあたりの時間になると外に耳を澄ませたものだ。
シマは毎晩、そうやってドアの前に来てはカリカリをおいしそうに食べ、すりすりと甘えていくようになった。ただ、俺たちは決して部屋には入れなかった。嫉妬深い先輩猫のマルがいたし、大家さんに「一匹だけ」と無理を言って借りた部屋だったから。
ところがある晩、猫嫌い…というより性格と酒癖の悪い隣の部屋の親父が、こちらがシマに「ばいばい」と言ってドアを閉めたのを見計らっていたらしく、入れ違いに何か怒号と共にシマを捕まえたらしい気配がした。普段から猫を見ると威圧したり、銅鑼声で追い立てるような粗暴な人間だった。
俺たち夫婦は外の気配に顔を見合わせたあと、慌てて外に出たが、隣の親爺はすでにマンションの階段を降りて行った様子。真冬だったので、俺も上着を取ってすぐに後を追っかけて行こうとしたが、連れ合いが「あの親父おかしいから、ケンカになる。やめて」と必死で止めたので、思いとどまった。何しろこちらも当時はケンカっぱやかった。確かにそのまま衝突すれば絶対に口論では済まず、殴り合いになっていたと思う。
その日から、シマはやって来なくなった。
俺たちはガックリして、毎晩、ドアの外から声がしないかと耳をそばだてたり、ドアをそっと開けてみたりした。
数日〜一週間くらい経って、夜に「ひゃっ!」と小さな声が聞こえたような気がした。連れがすぐに「シマだ!」と言って外に出た。俺も続いた。ドアを開けると、シマが居た。
連れはすぐに抱き上げると、何のためらいもなくドアの中に入れた。もちろん俺も反対などするはずもなく、「よく無事だったね」「ひどいことされなかったか」と代わる代わる抱きしめたり、撫でさすったりした。シマはどこか遠くへ捨てられたらしく、いつもより汚れていて、毛も砂か土でドロドロだった。すぐに風呂でシャワーをあてて洗うと、お湯が茶色くなったほどだった。ノミもいた。
それから翌日獣医へ連れて行き、ワクチンをうってもらい、避妊手術もしないと…と預けたら、獣医さんから「あの子男の子でしたよ、しかも去勢済みです」と電話があった。俺たちはあまりに美猫だったので、勝手にメスだと思い込んでいたのも、後で笑い話になった。もっと後になって、近隣の「血統書付き」の猫を飼っていた屋敷の子が野良と交配して出来た子は不要ということで半野良状態で「捨てた」らしいことが解った。去勢したのはせめてもの罪ほろぼしのつもりだったらしい。
そんなこんなでシマは1998年の冬から、家族になった。あれから13年。その間に、団地に居たそう太もマイケルも、マンションで先輩だったマルも、そして連れ合いも逝ってしまった。
俺自身も病気になったから、今いるシマとユキで猫と暮らすのは最後になると思う。お互い一緒にいられる時間はもう長くない。出来るだけのことをしてやろう。
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2011-04-21(Thu)

心配な日

4月21日(木)

夜中、バリバリという音で目を醒まして左を見ると、シマがベッドに手をかけ、上がろうとしている。すぐに両手で抱き上げてやり、いつもそうしていたように「定位置」である右の脇のあたりへ寝せてやると、そのままそこにじっとしていた。ただ、前と違うのは嬉しそうにゴロゴロ喉を鳴らさないこと。撫でてやると眼を細めて嬉しそうにはするが、ゴロゴロ言わない。
ユキはもともと足元に上がっていて、これも定位置の俺の足の横でうずくまっている。そのままこちらもうとうと。
朝方シマはベッドから降りて出て行き、その後9時ころこちらが起きるまで戻って来なかった。
ベッドから起きて、前の晩持って来ておいた水と砕いて食べやすいようにしたカリカリの皿を見ると、カリカリの方は若干減っていた。ただこれはユキが食べた可能性の方が高い。何しろ、シマがカリカリを食べたのをそういえば2日ほど目撃していない。

リビングへ降りて行き、仕事部屋を覗くと、シマは2つ並べてあるキャスター付の椅子の上にいて、こちらをじっと見上げている。呼びかけても返事をせず、気怠そうな感じだ。とりあえず朝のもろもろを済ませて、ソフトエサにおかかをかけた小皿をシマのうずくまっている椅子と別の椅子の上に置き、2つの椅子をくっつける。いちいち降りて上ったりしなくてもいいように。
トイレを見ると、いつもはない、入口手前に尿が垂れていた。ユキの場合は顔をこちらに向けて、奥に向かってするから、この位置にするのはシマだ。どうやら尿はちゃんと出ているらしい。
トイレをとりあえず綺麗に掃除するが、シマはご飯を食べる気配もなく、ただ椅子の上でそのままじっとしている。撫でても目を細めるだけ。
こちらはご飯を4合炊き、わかめスープ、ベーコンエッグとほうれん草炒めで朝食。心配だが動物病院は今日休診なので、明日連れて行くことにして、仕事をする。

その後、2時ころになって椅子から降りてきて、よたよたとこちらが横になっているソファまで来た。立ち止まってじっとこちらを見上げている、その顔は明らかに元気な頃の顔じゃない。亡くなっていった猫たちがいつも見せた、生気の無い、何かに怯えているような顔。
抱き上げて右手で抱えるようにしてやると、しばらくじっとしておちついた後、エサ場へ行き、何とか水を自力で飲んだ。それからヨタヨタと戻ってきてトイレへ入り、小を出した様子。トイレ箱の扉をシャカシャカと手でこする音も久しぶりに聞いた気がする。トイレから出るとまたエサ場へ行き、水の前にうずくまっている。ユキがその後を追いかけるように寄っていくと、うるさそうに二階へ上がってしまった。
見ていると、ここ二、三日ろくにエサを食べていないのに、腹部が丸い。腹水が溜まってるかも知れない。触っても痛がらないのだが、おかしい。それと歩くときにかちゃかちゃ音がするのと、椅子やソファによく爪がひっかかる。やはり、爪の出し入れの自由がきいてない証拠。心配は続く。明日、朝一番で病院へ行く。
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2011-04-20(Wed)

シマの異常

4月20日(水)

ここ二、三日シマ(13歳、♂)の様子がちょっとおかしい。といっても連れ合いの三津子が亡くなってから一年ほど、つまり去年くらいからぐっと老けこんできた延長と言えなくもない。
元もとシマはユキ(6歳、♀)が嫌いなので、大声でにゃあにゃあ鳴くユキの傍に居るのは嫌らしく、二階へ引っ込むことが多かった。このところ、特に地震後はなぜか解らないがユキが前よりも四六時中俺にべったりくっつくようになり、ちょっと前まではそれでもシマは、ユキが甘え声を出して俺にすりよって来たりすると、声を聞きつけて二階からどんどんどん! と降りて来ては間に割って入ったり、自分も撫でろと主張してきたのだが、それがここ数日はない。
というか、ほとんど二階から降りてこないのだ。もちろん時々降りては来るが、頻度としてはずいぶん減った。俺とユキが下に居る時はほとんど上にいて、寝る時にはユキもくっついてくるので、俺のベッドから傍の椅子に移る。ユキよりシマを抱いて寝ようとするのだが、シマはしばらくゴロゴロ言うと出てってしまう。
朝はユキは俺のベッドの上に必ずいて、シマは傍の椅子の上か、下の三津子の仕事机の椅子の上にいる。
猫は死期が近いと人を遠ざけるようになるというが、まだそこまで切迫した感じではないものの、嫌な感じだ。
昨日今日は、朝ご飯を用意しても出て来ない。数日前までは呼べば「ひゃっ!」「はっ!」といつものようにすりすりして足元で尻尾を立てて催促をしていたので、どうも不安だ。
今日は結局一度か二度しか降りて来ていない。水が飲めなくなったら終わりなので、小皿に水を入れて二階へ行くと、俺のベッドの上に寝ていたシマは、その体勢のまま鼻先へ持って行った皿からちゃんと水を飲んだ。水が飲めるうちはまだ大丈夫、しかし飲めなくなったら一週間で猫は死ぬ。これはもう経験で知っている。
そう思って一旦降りて来たが、やはりエサを食べていない。カリカリは固くて歯が痛いかと思い、ソフトエサもちゃんと用意してあるし、好きなおかかもかけてあるのに見向きもしない。

今朝は9時頃、一階仕事部屋の連れ合い…三津子が使っていた椅子の上にいたのでご飯を用意して呼ぶが、来なかった。何をしてるのかと思って見に行くと、トイレに入っていた。トイレもちゃんと掃除をして、ご飯だと再度呼ぶが、結局二階へ上がってしまった。
2時頃になってようやく二階から降りて来たので、呼ぶとちゃんとソファに横になっている俺のところへ来て、腋にグッとよりかかってしばらく甘えた。それはいいが、いつもゴロゴロ言うのに何も言わなかった。
数分するとすぐ水場へ行き、そっと見て見ると、水の器の前で香箱をつくってじっとしている。これも死期が迫った猫たちが必ずとった行動だ。ただし、数分じっとしたあと、思い出したようにちょっと水を飲んだ。カリカリは結局食べず、すぐ二階へまた上がって行ってしまった。

猫の「最後」はだいたい、こういう感じで始まる。
若いうちの治せる病気ならともかく、老齢になりこうした状態になった場合、正直、病院へ連れて行ってもムダなことが多い。猫に孤独で嫌な思いをさせ、ストレスを与えるだけだ。俺たち夫婦は団地に居た頃のジローという猫を病院で誰もいないケージの中、吐血して死んだと聞いてから、家族に最後、そんな思いをさせたくないので、痛みや苦しみがなければ、猫の最後は自分たちの家で、家族で看取ろう、ということにした。

シマはどこか痛い風情でもなく、ただ元気がない。無気力というか、生気の無さ。本当につい数日前まで普通にしていたのだが…。
猫の最後は本当に唐突だ。急病でアッという間に逝くこともあれば、長患いする場合もあるが、10歳を超えて高齢になってきた場合は、そこから先は個体差もあり、いつ「寿命」が尽きるのかは本当に解らない。
とはいえシマがこのまま死んでしまうとは思いたくない。「まだ13歳」だ。

次にシマが降りて来たのは何と夜の7時だった。
その間に、小皿に叩いて少し細かくしたカリカリと、水を置いておいた。階段を降りてくる足音もちょっと前の軽快かつ体重を感じるものではなく、カチャ、カチャコン、カチャ…というぎこちないもの。忍び足の猫なのに爪の音がするというのは、爪を出し入れするという制御が効いていない証拠だ。階段を降りるので精一杯なのだろう。
降りて来て冷蔵庫のあたりで立ち止まったので「シマ!」と声をかけてやるが、ちょっと前なら「ひゃっ!」と返事をしてこちらの出す手にグイと額をすりつけてきたのに、じーっと人の目を見たまま立ち止まり、それから水の皿の前で飲むでもなくじっとうずくまっている。何かが切れた感じ。
ただ、数分経ってようやくペチャペチャと少し水を飲んだ。その後はこちらへ来るでもなく、ぼーっとした…心ここに有らずという感じでエサ場の前で香箱をつくってこちらを向いている。あんな中途半端な場所に落ち着いたことはほとんどない。
たまらずそっと抱き上げて、テーブル脇のカーペットの上に置いてなでてやると、そのままそこでしばらく落ち着いていた。声をかけ撫でると眼を細め尻尾を軽く振るが、いつものようにすりすりとこちらの指や手に甘えてくることはせず、喉も鳴らさない。それでもちょっと落ち着いているので、しばらく傍で見守っている。
「三津子、シマ治してやってよ」「シマ、一緒に死のうって言っただろ、まだもうちょっと早いよ」と話しかける。
8時近くになって、シマが立ち上がったので水かと思ったが、階段の手前でじっとしている。上るのが辛いのかと思い、抱き上げて二階へ連れて行き、ベッドの上に下ろしてやる。撫でてやると、今日はじめてゴロゴロと喉を鳴らした。
うん、まだ、大丈夫だ。
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2011-04-19(Tue)

診察日に寝坊

4月19日(火)

ダブル診察日。そして寝坊した。
今日は久々にぐっすり寝られたな、と思って脇の時計を見たら8時半をまわっていた。慌てて飛び起きて、とりあえず自分の朝のあれこれと猫のご飯と水、仏様のお茶と線香を慌ただしく済ませて、テーブルの上にまとめておいた採血やレントゲンの連絡票、保険証などを鞄に突っ込んで出る。
エレベータを降りてエントランスを出たところでちょうど踏切と赤信号で車が切れた、これ幸いとそのまま道路を渡り、これまたちょうど通りかかった空車に乗った。やれやれ何時だ、と思ったら腕時計を忘れている。しかも携帯も忘れたので、時間不明。タクシーの運転席の時計を覗き込むと、8時50分頃だったか。
何でこんな慌てたのか自分でもよく解らないが、昔から予定や時間を決めたら守る性質なのと、診察時間から逆算して採血の時間が遅れると、結局玉突きで後にされてしまうからだ。後にされても待つ時間は同じかというとさにあらず、だいたい昼前後になればなるほど「飛び入り」のお客…じゃない、患者さんが割り込みで入ってくるので、遅くなると単純に遅れた分より大幅に後回しになることが圧倒的に多い。これは経験則。
いつもは東大路から京大病院へ右折で入ってもらい、正面玄関前まで行くのだが、今日は信号のところで下ろしてもらった。右折待ちよりも降りて歩いて行った方が早い…と思ったが意外と息が切れる。日頃の運動不足を実感。

何とか採血受付には9時過ぎにたどり着いたが、今日は290番台とそこそこの混み具合。15分ほど待って3本採血終了、すぐレントゲン受付へ。待合はいつもより混んでいた。10分ほど待って胸部レントゲン撮影終了。2階の呼吸器内科の外来へ戻り、あとは待つだけだ。椅子に座ってやれやれ、と力が抜ける。
何しろ携帯もないのでワンセグも見られないし音楽も聴けない。一息ついてから地下のローソンへ行ってみるが、センセーショナルな震災記事のタイトルやらを見ると手が伸びない。何誌かパラパラと立ち読みして、結局何も買わずに戻った。
呼吸器内科の予約は10時。よって9時前には採血を終えておきたかったのだが、寝坊してしまったのでしょうがない。ということは呼ばれるのは早くて10時半だな…と思って左腕を見て、時計がないことに苦笑。あとはひたすら待ちだ。

それにしても今日は患者が多い。回廊から見下ろすと会計待ちの列も早くから出来ているし、各科の外待合の椅子の埋まり具合を見ても解る。それと、人通りも違う。これは待たされるかな…、と思って覚悟していたが、呼吸器に呼ばれたのは11時前だったか、予想より早かった。
I先生はいつものようにレントゲンを見つつ「ここの影も薄くなってますねえ」と、右肺上部の丸い影を示す。いくつか問答があったが、結論から言うと悪くないということ。肺の呼吸音も問題なし。次回は5/24になった。
それから処置室で肺炎の薬を吸入。今回は薬が処置室にすでにあって、数分で用意してくれた。吸入器もこれまでと同じだが、目盛りのところに△シールが貼ってあり、色々試した結果薄めに30分しっかり出した方が、患者もキツくないし薬もしっかり入るということになったらしい。
こちらはいつも通り電話ボックスみたいな個室で吸入を始めるが、確かに薬剤が薄く出る分何とも言えない苦みというかエグ味のような不快感は弱いものの、たっぷり30分というのは長いな…という感じ。途中でオエとなったり痰が出たり、絶え間なくヨダレが出たりというのは同じなので、それなら時間は短い方がいいかも知れない。
「苦行」を終えて、今度は血液内科の外待合へ。椅子に座ろうと思ったら満席だった。こんなことは初めてだ。どうしよう、中待合に座ってようか…とうろうろしてたら、胸ポケットの呼び出し端末が鳴った。見ると「診察室へ」とのこと。早足で診察室へ向かう。

N先生は「ごめんなさい、まだ吸引中でしたか?」と言われるので「いえ、ちょうど終わったところでした」と答える。
採血の結果は横ばい。WBCは1500と少ないが、PLTは7万7千と前回より多い。ここら辺は誤差範囲、ずーっとここ5、6年こんな調子だ。とにかく感染に注意して、気をつけていきましょうということ。触診で首まわり、腋下を診ていただく際「こういうところがぼこぼこ腫れてくる人もいるんですよね」と言うと「そうですね、でも白取さんの場合は…」と言われるので、自ら脾臓を指さして「ほとんどこれだけなんですよねえ」と話す。
N先生は思い出したように「あっ、脾臓も診せていただけますか」と言い、ベッドに仰向けになって腹を診てもらう。「呼吸や食事の後に苦しいとかはありますか」と言うので「いえ、もう慣れてしまって…むしろ人一倍食べる方なので」と余計なことまで話す。先生は「でもそれは悪いことじゃありませんから」と笑って下さるので、よしとしよう。
何しろ去年の夏に退院してから8kgくらいは軽く太った。6〜7kgくらい痩せて退院したんだから、そこから戻してなお太った、ということになる。飯がうまいということはいいことだろう、うん。
次回の話をちょっとして、お礼を言って診察室を出る。会計受付に並ぶと12時ちょい。寝坊した割に、いつもより早かったか…。
会計を終えて外に出ると、気持ちの良い青空。ぽっかりと白い雲がいくつかゆっくり流れていく。風がちょっとあるが、それで絶妙にちょうどいい感じ。いい季節になった。

いつものように病院南の調剤薬局で処方された薬を受け取り、熊野さんにお参りをして、スーパーで野菜類を買い物。荷物を持って熊の前の交差点に立つと陽射しで暑いくらい。これは外人なら半袖レベル…と思って顔を上げたら、向かいで信号待ちしている白人3人連れが全員半袖一枚で、思わず笑うところだった。
タクシーで帰宅1時すぎ。

予報ではこれから天気が崩れるそうで、つかの間の「初夏」だ。こうした気持ちのいい日のあと、気圧がグッと下がって寒気が来たりするのが今の季節。一昨年、連れ合いが倒れたのは、桜を見送り新緑の萌葱色を「綺麗だねえ」と言い合った後の、雨の夜だった。
こういう気温の上下でも、人間は揺さぶられる。弱い人は崩れるのじゃないか。病人は特に、気を付けよう。
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2011-04-13(Wed)

仕事部屋の掃除

4月13日(水)

昨日は一日じゅう、調子が悪かった。
夜中何度も目が醒め、早朝からほとんど寝られず、日中も朦朧としていた。いつものように導眠剤を飲んだのだが、「睡眠導入」なので、1時間ほどで穏やかに眠くなるのだけど、ゆうべは猫が下で騒いだりしてタイミングを逸した。

睡眠は普通の健康な人にとっても、体をリセットして休ませる、いたんだ部分を修復するなど、色々な意味で重要なこと。自分のような病人にとってはとても重要だ。睡眠不足で眠いというだけならいいが、免疫が低下しているせいか言い表せないような「調子の悪さ」が全身を包む感じ。
午後も何度も休み休み動いている感じで、普通こういうのは夜になるにつれて回復していくものだが、この日は夜になるにつれ下腹部に鈍痛というか重苦しい感じが続き、こりゃたまらんと早くに導眠剤を飲んで寝た。

幸いゆうべの睡眠はじゅうぶん摂れて、今朝は9時半ころにゆっくり起きた。外は晴れており、気温も高くなるということで、起きた感じでは体の調子も悪くなさそうだった。良かった。
毎朝普通に目が醒めること、どこにも痛みがないこと、普通に動けること、これら健康な人なら当たり前のことが本当に有り難い。

日中あまりに天気がよく暖かいので、ベランダに出て軽く掃除をして、「越冬」させていた苔玉にたっぷり水を含ませて外に吊した。
それから連れ合いが生きている時に夫婦で仕事場に使っていた、リビング横の6畳弱の部屋と押し入れを掃除する。
この部屋は今は連れ…やまだ紫の仕事机を整理してそのままに、自分の簡単なPCデスクはプリンタと物置になっている。その他に本棚もあるが、とにかく猫の毛が凄い。

耳の聞こえない白猫のユキは、再三ここでも書いているように、夫婦揃っている頃から人の姿が見えなくなると探し歩き、外出でもしていて見つからないと、「うわあ!」「うぎゃああ!」と大声で泣きわめく。挙げ句、高くて狭いところに無理に体をねじ込んで、自分の尻尾をくわえながらくるくる廻るという異常行動を取る。
東京に居た頃は台所のシンクからジャンプし、冷蔵庫の上でくるくる行動をやっていた。京都では、仕事部屋の連れの本箱の上、そこを乗れないようにしたら押し入れとプリンタの間の信じられないような狭いスペースで、そこに物を置いたら押し入れを器用に開けて、中の段ボール箱の上でやるようになって今に至る。

何しろ耳が聞こえないので、大声を出したりして反射で「ダメ」だと教えることが出来ない。寝ている間に階下で大音声でくるくるされても、わざわざ起きて下へ降り、目の前まで行って姿を見せてから「ダメだ」というポーズを取らねばならないのは、もう面倒くさい。
押し入れは開けられないように重い箱でふさいだのだが、信じられないような力で開ける。それに完全に開けられないようにすると不便だし、鍵をつけたりするのは賃貸住宅なので憚られる。
なのでリビングから寝室へ上がった後はほっとくわけだが、この「くるくる行動」のせいで仕事部屋と押し入れがすぐに大量の抜け毛だらけになる。
猫飼いはこの「抜け毛との戦い」が日常化していると思うが、数日ほっとくともう大変なことになる。それに押し入れの中は一年ほどほったらかし。
そこでベランダを開けてホコリ出しと同時に、押し入れの中を整理しつつ掃除。
とにかく猫の毛が予想以上に凄かった。マスクをして掃除機とダスキンモップで毛を取り、箱をどかして毛を取り、の繰り返し。連れの机の上も久しぶりに掃除をして片付けた。後ろには亡くなったあと整理した段ボール箱があったが、そこもユキが一度くるくる場所に使ったので、毛だらけ。

整理がてら改めて中を見てみると、前に確認した通り連れの青林堂時代の本や「ガロ」のバックナンバーなど。毛をとってしっかりフタをしようとした際、連れの本に混じって一冊見慣れない本が出て来た。
河野裕子さんの歌集「燦」だった。
もちろん、やまだ紫の代表作の一つ「しんきらり」のタイトルに使わせていただいた連歌が収められているもの。奥付を見ると昭和55年とある。付箋がつけられていて、そこを開くとまさに「しんきらりと 鬼は見たりし 菜の花の…」のページだった。
この付箋はやまだが貼ったものだ。
それを取り出して、彼女の仕事机に並べてある本に加えた。

この部屋の大掃除中、ユキもシマもなぜか姿を見せなかった。だいたい掃除や片付けをしていると側に寄ってきていたずらをしたり、監視するようにじっと見ていたり、入るなというところや箱に入ったりするのが猫という生き物である。しかしこの時は二匹とも二階の寝室(俺の布団の上)で寝ているらしく、邪魔は入らなかった。

なんだかんだで夕方までかかった掃除と片付けを終え、やれやれとリビングに腰を下ろすと、タンタンタンと軽快な音を立ててユキが二階から降りて来た。
こちらにお愛想をした後、トイレへ行こうとてくてくとベランダ方面へ歩き、チラッと仕事部屋を見て、足をとめた。
本当に漫画かアニメみたいだが、その時ユキは明らかに目を丸くして驚いていた。自分のいつも「くるくる」する場所が完全に塞がれていた上、本棚や積み重ねた箱なども綺麗に整理されていて、要するに「様子が違う」と思ったようだ。
それからこちらを振り返って目が合うと「にゃーん!」と言った。「お疲れさん!」ということらしい。次はどこでくるくるするのだろうかと、戦々恐々。
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2011-04-11(Mon)

選挙

4月11日(火)

統一地方選挙の前半戦の結果が出た。
「後出しじゃんけん」ではないが、ほぼ予想した通りの結果。といっても選挙のプロでも何でもないので、この国で普通に(本当に普通、程度に)政治に関心があれば誰でも予想できた範囲。
つまり
・民主党の惨敗
・東京都知事は石原慎太郎の圧勝
・若年層の投票率の低さ
・ネットとリアル世論の乖離
というあたり。この辺をつらつら考えてみた。当たり前だが、あくまで個人の私見。

このうち民主党の惨敗こそ誰でも予測し得たことで、当然の結果で、原因など考えるまでもない。
あの「政権交替」は、立て続けに起きた自民党トップの交代劇と停滞する景気・閉塞感から起きた地滑りのようなもの。マスコミも自民党総裁=内閣総理大臣の言動を逐一あげつらいワイドショーの肴レベルで扱っていて、国民が政治や政治家に対してある種の「軽さ」を感じるようになった結果でもあったと思う。
しかし何度かあった一瞬の隙間以外、長いこと政権与党であった自民党を引きずり下ろして政権を付託した民主党は、さらに「軽かった」。
解りやすい対立軸として官僚を悪者にした結果、官僚との対立構造を国民に丸見えにしてしまい、逆に政治主導と言いつつ素人集団ではないかと見抜かれた。典型は「ミスター年金」であったはずの我妻さんの無力さ加減だったり、極めつけは何より鳩山〜菅という、世論調査では「戦後最悪の宰相」ワンツーフィニッシュを飾るというお二人だったろう。

自分はただの一有権者で選挙にも政治にもド素人なので、しょせんは床屋政談なのだが、それにしても、当初から感じていたのは「軽さ」というよりは「重み」「深み」の無さと言った方がいいか。
親しみやすい、庶民目線、柔らかな物腰・モノ言いは確かにこれまでのいわゆる「政治家」というイメージの裏返しで、民主党の当初のイメージとしては悪いものではなかった。が、結局親しみやすさや庶民目線は素人的な印象を補強し、柔らかなモノ言いは慇懃、卑屈なものに映った。
この国ってノーブレス・オブリージュというよりは「お上」というものに平伏する民・百姓というものに慣れてきたせいか、政治家=人の上に立つ人という考えが強いような気がする(自分は違うし、若い人がどうか知らないが)。つまりへらへらと国民に丁寧語で「国民の皆様におかれましては」とか言われると頼りなく感じてしまうのじゃないか。
だから石原さんが勝った、というわけではないが。
でも、「人として」とか「政治家としての実績」がどうとかより、例えば「オレの言うことが間違ってるなら解散して信を問う」「選挙に勝ったんだからオレは正しい!」「だからついてこい!」だった小泉さんの人気が高かったのも、そういう国民感情があったはず。メディアもそれを増幅した。

石原さんが今回選挙の前後に発言したことは、普通なら選挙以前にそれで失脚してもいいくらいの「失言」のオンパレードではなかったか。
外国人差別(特にアジア人)の「三国人」発言だったり、性的マイノリティ(同性愛者)差別だったり、表現規制強化と「漫画家は卑しい」発言だったりと、枚挙に暇がない。この人は本当に、信じがたいほどの差別主義者だ。ちなみにご自身、若い頃に「老人差別」までご発言なさっている(75年、都知事選で美濃部さんに対して「前頭葉の退化した老人」)。
そして極めつけは(後に撤回・謝罪したとはいえ)この度の大震災を「国民が我欲を洗い流すための天罰だった」という発言。文脈から言いたいことは解る。が、もちろんここで言う理解は共感ではない。「被災者は本当にお気の毒だが」というようなことは付け加えていたし、この人なりにいつもの調子で国を憂いた上での発言だったという理解であり、当然ながら全くもって不謹慎だし、お得意の憂国なら他の喩えを使えばいいし、何よりあの段階でしていい発言じゃあない。
でも、有権者はそれらの「問題発言」を「問題」だとはとらえていなかったのだ。

NHKは開票速報開始と同時に石原当確を報じた。8時ジャストだった。
ネット上ではあまりの速さに驚きというより衝撃が走ったのを、ツイッターのTL(タイムライン)でリアルタイムで見た。驚いた。石原さんが当選する、それも圧勝するのは解っていたとはいえ、出口調査の段階であそこまで当確が早いとは思わなかった。
自分が何で石原圧勝を予想していたかというと、これも皆がそう思っていたように、若い人は選挙に行かないし、その石原さんの多選に反感が強く、変化を求めるであろう若年層のただでさえ少ない票・つまり「反石原票」が渡辺・東国原に割れるから、だった。
だから石原さんが勝つのは解っていたが、それにしてもあまりにあっさり、早すぎる結果だった。

NHKの出口調査やネット上のTOKYO-MXテレビの画像などから、世代別の投票率や投票先を見た。
有権者数は20〜30代が60代以上より多いのに、投票率は中高年に行くほど高かった。特に20代はもはや「不投票率」といった方が解りやすいが、3分の2近くがそもそも投票さえしていない。30代も半分だ。そしてやっぱり、その層は「石原以外」を選択した票が多い。
けれど40代になると石原さんが一位になり(それでもまだ反石原票の方が多い)、50代以上はもう石原さんが東国原+渡辺よりも多くなる。若い人が投票に行かず、中高年の石原支持は根強い。その上、「反石原」の行き先が割れてしまえば、石原当選以外に予想のしようがないと言っても良かった。
それと絡んでの話だが、ネット世論とリアル世論の乖離もあった。
ネットは当然ながら若い人の利用率が高い。中高年も利用はしているが、アクティブにあちこちの掲示板を見たりツイッターを日常的に利用したり、ニコ生やYoutubeをしょっちゅう閲覧している人はそう多くはない。
そのネット上では石原さんの評判はすこぶる悪かった。
先の「差別発言」の数々は言うまでもなく、漫画やアニメなどを小バカにするどころか卑しいと言い捨て、規制強化することへの反発も大きかった。何より78歳という年齢、多選批判もよく見た。また人柄…いつも不機嫌、上から目線だというような嫌悪感もあった。まあ、これらの反応は当然だと思う。
しかし結局ネット上のこうした「石原批判」は中高年層にはあまり知られず、リアル社会で「世論」を構成するのは中高年だった。最初から争点が噛み合っていなかったと言った方がいいか。
そこら辺のリアル社会で中高年層からよく聞いたのは(病院や買い物へ行くだけでも、実によく耳に入ってくる)、差別や表現規制の問題ではなく、景気や雇用や福祉という問題。東京の友人に聞いてもそれは同様だった。
震災後は、「天罰」発言もあったが、さらに石原さんはいまだ事故の渦中にあるというのに「自分は原発推進派だ」と言い切っている。これも、当然ながらネット上では激しい反発を招いた。この段階ではネット世論だけで言えば石原さんは「圏外」に消えたといってもいいほどだった。
だからといってネットが無力とか無意味というのではない。いや、俺自身ネットを始めたのは自分の年代ではかなり早い方だったと思う。年齢的にもう「中高年」側に入る自分がこれだけヘビーにネットを使っていて、もちろん今さら無力だの無意味だの幼稚なことを言う気はない。
月並みながら若い人たちが選挙に行かないことが問題で、これはずーっと以前から言われ続けて来たことだ。
「支配層にある中高年が既得権益を守るために、わざと若者が政治に関心を持たなくしているのだ、これは陰謀だ!」ということを言う人がいるが、同じことを20年前にも聞いたことがある。
日本の高度経済成長期はもちろんのこと、バブル景気でさえとうの昔に終わり、終身雇用は崩れ、退職金と年金で老後は安泰なんて時代も昔話。不景気はどん底まで落ち込んで核家族化が進み老老介護だ孤独死だという世の中で、中高年であるってだけの「既得権益」なんか、もうない。あるとすればすでに金持ちの人やキャリア公務員、全国にすさまじい数ある地方自治体の議員さんたちくらいだろうか。

自分はこれまで記憶にある限り、国政・地方問わずほぼ全ての投票機会で投票をしてきた。病院に入院中の投票も二度あった。だから偉いとか言うチンケな話ではなくて、若いうちはむしろ自分のような人間は少数派だった、という話。
選挙で世の中なんか変わるわけがない、という人が多かった。で、行かなきゃ当然変えられない。これも昔っから言われてきたこと。ただ行ったらどうこうではなく、投票には色々と面倒なこともつきまとう。休日を犠牲にするというレベルの話じゃなく、事前に候補者の主張に目を通し、自分の関心のある問題へのスタンスを確認したり、政策を吟味したり、その上で人柄も…となると大変だ。
昔はこれらを調べるといっても一苦労で、せいぜい区報や選挙前に新聞に掲載される情報くらいだった。マニフェストなんて言葉など聞いたこともない時代。それがネット時代になって、調べようと思えばかなりの部分が、家に居ながらにして出来るようになった。動画で語り口や表情も解る。もちろんリアルに演説などを聴けばもっといいのは当然ながら、とにかく、昔とはケタ違いに候補者を選ぶための情報は増えた。
その気になりさえすれば。
自分の関心ある政策を具体化してくれそうな人は誰か、自分の考えにもっとも近い人は…という当たり前のことを調べて、その上で投票に行く、今は本当に簡単だ。期日前投票も出来るし、投票自体は数分で終わる。
もちろん「世の中を変えたくない」という選択肢もあっていい。でも「結局世の中は変わらない、自分の一票なんてしょせん無力」と考える人が多ければ、その一票を束ねて組織で固めてくる勢力には絶対に勝てるわけがない…。
とはいえ、色々と単純な問題じゃないことは子供じゃないのでよく知っている。
組織票には無党派層で対抗というのは常道で、タレント候補が政策や政治家としての資質よりも知名度だけで「勝ってしまう」こともよくある話。ネットで投票できるようにしちゃったら、それこそポピュリズムに陥るという意見も根強い。
原発問題にしても、今はネットでも「反原発」か「原発推進」かの真っ二つに世論が別れたかのような乱暴な意見が見られたりする。ネット上でよくある二択の世論調査じゃないんだし、「脱原発」もあっていいし、それらの間には実にたくさんの選択肢、またアイディアもあるだろうし、対立を煽るだけの言説はあまり前向きとは思えない。実際リアル社会では「ただちに原発を止めろ!」に対し「今そんなことしたら本当に日本が終わっちゃうよ」という意見も多い(現実にそうかどうかはまた別)。
理想を掲げることはとても大切なことで、絶対に必要なことだと思う。そしてそれを現実化させるプロセスを真剣に考えることも、同じくらい大切なことだろう。

とにかく、ネットとリアル、若年層と中高年層、原発推進と反対…とどうも二元論による対立軸を作らないといけないみたいな話はいただけない。日本人と外国人、男と女、異常と正常、有害と無害とか。とまあ、病人なりに色々考えた選挙だった。

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2011-04-10(Sun)

投票と花見

4月10日(日)

一昨日から雨で、満開の近かった桜を心配していたが、今日は朝から気持ち良く晴れた。
午前中少し薄い雲がかかったものの、気温も順調に上がっている。投票がてら花見でもしてこよう。
シャワーをしてから、ちょっと暖かいとたちまち鬱陶しくなる厚手のスウェットを洗濯機に放り込んで、一段落するまでMLBを見る。松井は今日も精彩を欠き、満塁の好機に三振するのを見てから外出の支度。

先日期日前投票に出かけたら、投票所の中学校が入学式で投票出来なかった。その時胸のポケットに投票用ハガキを入れたままにしてあるジャケットを羽織って、帽子にマスク。自転車でゆっくり投票所へ向かう。
予報では20℃を超えると言っていたが、まだ11時前なのでそれほど気温は上がっていない。しかし風もなく、穏やかな春の休日といった赴き。
投票所の中学校がある通りへ折れると、投票帰りと見られる夫婦連れや車、自転車がこちらへ向かってくる。学校の門周辺には路肩に違法駐車が十数台。人の出はまあまあ、といったところか。
京都へ来てからの投票もずっと参加しているが、この時間に投票所内の台が全部埋まっているのは人出は「多い」という印象。

中学校のしだれ桜府議会、市議会それぞれの投票を終えて外に出ると、桜が見事だった。後ろの夫婦が「うわあ、満開やねえ」と笑顔で指さしている。こちらもカメラを出して撮影。


こちらは染井吉野この頃には青空になっていて、自分が一番好きな「青空をバックにした桜」が綺麗に撮れた。ふと見ると、一眼レフでカシャカシャと撮影している人もいる。まあ、青空に桜はだいたい誰が撮っても綺麗に写るものだ。


そのままゆっくり自転車を漕ぎ、疎水の方へ廻る。?野川まで行こうかと思ったが、とりあえずここは近所の人しか来ないスポット。
途中の酒屋で買った冷たい缶ビールを出して、公園の柵に腰掛けてゆっくり一人花見。ここは種類の違う桜が交錯するように花を競っていて、なかなか綺麗だ。いつもはタクシーの運ちゃん達がずらりと並んで休憩をしているのだが、今日は一台しかいない。


「この近所は桜が多いね」
疎水脇の桜と、桜が大好きだった連れあいが笑顔で見上げていたのを思い出す。「昨日のように」という表現は、もうしっくり来ない。さすがに、もう、2年になる…。

彼女の一周忌を迎えた頃から、自分の中で何かが大きく変わった。
不思議なことも色々あった、毎日陰膳を添え、彼女の写真と差し向かいでなければ食事もする気が無かったのが、彼女の箸が朝突然無くなっていたこと。左腕に常にしていた、形見の数珠がブツッと切れて下に落ちたこと。
何より、自分の性格が変わった。彼女が一緒に居てくれるんだな、と実感するようになったので、些細なことで腹を立てたり、あれやこれやと細かいことに拘泥せず、穏やかに過ごす時間が増えた。

そんなことを考えながら桜を見上げていると、以前なら確実に涙が出たはずだが、今はこうして幸福な気持ちで桜を愛でることが出来る。
去年は悲しくて花を見られなかったが、二人で最後に桜を見送ってから2年、今年も桜は綺麗に精いっぱい花を咲かせてくれている。ありがたいな…と、自然に感謝の気持ちになった。

20分ほどゆっくりしてから、?野川へ出ようと思ったが、ここはほぼ独り占めだったから、もうじゅうぶん堪能した。
ドラッグストアで買い物をし、コンビニへ寄ってゆっくり帰宅、12半ころ。
やはり「花見」はいい。
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2011-04-07(Thu)

また、地震

4月7日(木)

夜11時半すぎ、また地震。
夕方から録画してあったテレビ番組を消化していた。最後にNHKで始まったアニメ「へうげもの」の録画を見終わってそろそろ寝ようかと思い、床からソファに座り直した。足が何か痒いなあと思ってポリポリ掻いていたら血が出て来たので、すぐに片足を上げて絆創膏を貼る。
その時ちょっと軽く目眩みたいなものを感じて、うちの「震度計」を見た。震度計といっても壁にかけてあるスピーカー上に腰掛けるかたちで鎮座する、猫の人形。これが釣り糸を垂れていて、その先には1cmほどの空き缶がぶら下がっていて、これが震度1などの微弱な揺れでも動く。
目眩か地震かと思って目をやると、揺れているように見えなくもなかったが、ソファの端っこに腰掛けたせいだろうと気にとめず、寝る前のクスリを飲もうと思っていたら揺れが来た。
テレビでは東北地方で強い地震、と言っていた。えっ、東北の地震で先ほどの揺れがP波で、この揺れがS波だとしたら、どれだけ…。
先月の大震災の時ほどではないにせよ、釣り糸の先の空き缶は円を描くように揺れている。震災の時は液晶テレビがわっしわっしと音を立てたが、今回はそれはない。に、しても関西でも揺れるというのは、またか…と思った。

画面に次第に表示される震度は、震度6強、6弱など。NHKの東北地方各局の屋上カメラの映像も激しく揺れている。仙台局の映像では、遠くの山の尾根か、何かが光って消えた。夜間なので高感度だとしても、明らかに異常な光。送電線だろうか。
しだいにツイッターなどでも、続々と揺れの報告。関東も震度4や3で、震度1の大阪まで広い範囲で揺れたことが判ってきた。

すぐに思ったのは「もう、やめてあげて」ということ。
もちろんまだ復興にも届かぬ大変な状態にある東北地方にだが、自分も含めた「日本」に対して。これはこの国全体、全員の問題だし、もっと言えば世界規模の問題だから。
被災地で過ごす人たち、そして今まさに「事故」が進行中の原発が心配なのでニュースを見続ける。
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2011-04-04(Mon)

菜の花三昧

4月4日(月)

菜の花は今日でおしまい。
初日の鯛と卵の中華風スープは軽めに三人前ほど。
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二日目は辛子和え。
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最後は辛子和えとの差異が判り辛いけど、オイスターソース炒め。ほうれん草も炒めるから行けるかな、と思ったら美味しかった。
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2011-04-02(Sat)

散歩

4月2日(土)

早朝、階下でどんがらがっしゃん! という音がしたので、フッ飛んで降りた。いつの間にか人の布団の上で重しのように寝ていたユキがいない。降りてってみると、案の定ユキが階段を上がってくる途中で固まっていた。
耳が聞こえない猫だが、そのぶん人やものの動き、目からの映像や衝撃には逆に敏感だ。
さて、何をやらかしたか…。
そう思って電気をつけると、「カリカリ」(猫用の乾燥エサのこと。非猫飼いには通用しないことを数年前に気付いた)と水のトレイ脇に立ててあった、プラ製の密封容器が倒れて転がっている。どうやらカリカリの新しいのが欲しいらしく、隣の台の上にある大袋を覗こうとして(といってもちゃんと口は閉まっている)、空のプラ容器に手をかけて転がしたらしい。すごい音はプラ容器が床ではねて食器と当たった時のもので、何かが割れたり飛び散っていることはなかった。

やれやれ脅かすなよ…とちょっと安心し、ごはん皿に残っていたカリカリを捨てる。要するに湿気てる、まずい、新しいのよこせ、くれないなら袋覗き込んで勝手にひっぱり出すぞ…という行動だったようだ。
皿を一回洗ってからよく拭いて、新しいカリカリを入れてやると、それらをじっと見ていたユキは「よし!」と言う風情で食べ始めた。この野郎。いやこの女、か…。

時計を見るとまだ6時前、トイレへ行ってふらふらとまた二度寝に戻る。しばらくするとユキが上がってきて、布団に入れろという。もう勝手にしろ…。

その後9時過ぎに起きてトーストと紅茶を食べ、ベランダへ出ると、かなり暖かい。そよそよと風が通り、うす曇りからの陽射しも柔らかくて気持ちが良い。散歩でも行くか、冬の間に萎えた足腰をちょっとでも戻そう。
そう思い、段ボール類を畳んだりゴミをまとめたりした後、昼ころに着替えて外へ出た。

頭が今海兵隊状態(超短髪)なので、一応ニットの深い帽子と、感染予防のマスクはいつもの通り。近所のT交差点方面へ歩き、川端に出て?野川を南に下る。本当に気持ちがいい。昼過ぎになって何か食べたくなってきたが、外でうかつに何かを食べるとたちまち「下る」ことが多いので、外で食べる時はあらかじめ覚悟をして来ないといけない。今日は覚悟をしていない。
しばらくゆっくり歩いたり立ち止まったりしつつ、ベンチで一休み。ああ、カメラを持って来れば良かった、また忘れたな…とぼんやり考えながら、ただじっとしていた。年寄りか。
休日で暖かいせいか、歩いている人も多い。犬連れの散歩、子供連れの家族、若いカップル、老夫婦。御蔭橋まで出て、それから東大路へ出る。つらつら歩いているうち、本格的に腹が減ったので、スーパーへ寄った。

先日、気に入っていた大振りのマグカップを洗っていたら、ボキッと取っ手が取れてお払い箱になった。新しいのを買おうと上階へ行くが、どうも中途半端な大きさしかない。ガブガブと飲みたいんだよ、チマチマ入れ換えたりするの面倒じゃん! という人用のどでかいカップは見あたらないので、しょうがなく一番大きいのを買った。それでも前に使っていたのの3/5くらいで、不満。きっと別なのを買ってしまいそうな確信に近い予感がある。
同じフロアで日用品などもゆっくり見て、それから食品売り場で、まずは目的の菜の花と鯛の切り身を買った。
こないだテレビを見ていたら上沼恵美子のおしゃべりクッキング(笑)で「菜の花と鯛の中華風卵スープ」(だっけ?)というのをやっていたので、作る気満々。
その他適当に細かい買い物をしていると、精肉コーナーで「はい、ただいま牛肉全品4割引ですよ!」と呼び込みの声。4割だと!?とピキーンと反応して、くるりと売り場へ引き返す。
反射的に戻ったとはいえ、1600円のサーロインステーキや3800円の焼き肉セットとか、4割引になってもとても割高なので、結局チラッと見ただけ。
そしてなぜかポークソテー用の豚肉を一枚購入。これは負け惜しみ。

買い物袋を下げて戻ってくる頃には、軽く汗ばんでいた。家の近くのバス停には、くたびれた表情で観光客らしいオッサンが、半袖Tシャツ一枚で腰を下ろしていた。さすがにそれはどうか、と思ったが、マスクをしているのはかなりうざいほど、暖かい。
帰宅2時過ぎ、心地良い疲労感。京都は19℃越えだそう。
買ってきたものを片付けてから、昼飯を買い忘れたことに気付いた。

花菜なので早速、「鯛と菜の花の中華風スープ」を作ることにした。
京都産の菜の花というか「花菜」が1パック、けっこうな量でたったの210円。スープには半分でも多いくらい、残りはおひたしか冷凍か、と思いつつ洗ってから塩で下ゆで。スープ用は後で煮るから早めに水にあげて色止めしておき、中華スープを別に沸かす。
味付けは塩・胡椒のみ。味を調えたら火を消して片栗粉でとろみを先につけておく。

鯛の方は一口大の切り身にして、塩・胡椒・酒・片栗粉を混ぜたものをボールで全体にまぶしておく。
スープに先にとろみをつけるのは、鯛を入れた後だと混ぜる時に鯛の身がほぐれてしまうからだそうだ、なるほど。
とろみのついたスープに鯛を一つ一つ間を置いて落としておき、その上に菜の花を並べて、再び火を弱くつける。鯛に火が通ったらもう完成なので、その間に卵を一個、強く攪拌しておく。
最後に卵をけっこう高い位置から泡立てるように廻し入れて、仕上げにごま油をたらせばもう完成。


…なのだが、溶き卵の混ぜが甘かった。本当は泡のようになるまでかき混ぜて、ふわふわで黄色い彩りになるはずが、ただのかき玉になってしまった。
しかし見栄えは悪いが味は実にいい。鯛のうま味と中華スープ、あとは塩胡椒のみなのに、春の味を堪能。
完成
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2011-04-01(Fri)

4月1日(金)

今日から4月。一年の4分の1が終わってしまった。
色々あったように思うけれど、やはり3.11の大震災とその後の原発危機に尽きる。
震災直後から、報道もネットもいささか「情報過多」気味であったが、さすがにここ数日は若干落ち着いてきたというか。
今日は20℃近くまで気温が上がり、桜のつぼみもぐっと膨らんできた。ただ開花は醍醐寺(五分咲き)、笠置山(開花)というあたりで、嵐山や府立植物園はまだつぼみということ。
震災で亡くなられた方やそのご家族、被災された方々を考え「今年の花見は自粛すべきだ」という意見もある。というより、何でもいいからとにかく自粛しろ、という感じである。「不謹慎」連呼もある。本当に不謹慎なこともあろのだろうが、何か自分が「不愉快」だと感じた気持ちを「不謹慎」と置き換え、怒りをぶつけているような人もいる。
日本中に広がる、自然の起こした災害という相手にぶつけようのない怒りとやるせなさを、何かに、誰かにぶつけることで軽減したいという人もいるのだろう。

ところで、一昨年の5月に亡くなった連れ合いは、何度か書いているように、桜が一番好きだった。彼女…やまだ紫の作品にも何度も登場している。
桜が好きな日本人は多い。冬をじっと耐えたあとに春の到来と共に一瞬だけ美しく咲き、あっさりと散る。その美しさと儚さに、人生や命を重ねて見る。そうした桜にうつす気持ち、四季の移ろいに重ねる気持ち、感性みたいなものは、やはり日本人の心の奥底にじっと積み重なっている。
その上で、大好きだった人を失った、その人が大好きだった桜、やはり特別な思いで見てしまうのは仕方ない。

夫婦で毎年必ず花見をした。
若い頃は友人たちと野外でワイワイやったこともある。でも基本的に、二人とも桜の花を見ること・文字通り「花見」が好きだったので、どちらかというと提灯だの下品な垂れ幕だのは不要だと思っていたし、花より酒だと言わんばかりの過剰なお祭り騒ぎも苦手な方だった。だから二人でただ、花を見に行ったことも多かった。
京都では、夜にライトアップされる名刹の桜も見事なものだったが、歩いてすぐそこにある?野川沿いの、街灯に照らされるだけの桜もじゅうぶん美しかった。静かに、暗い中、風にひらひらと枝を揺らし、花びらを落とす姿を、ただ黙ってじっと眺めたりしていた。

最後の花見は一昨年の春、あちこち出かけたけど、真っ昼間に?野川の川辺をゆっくり散歩したのがよく印象に残っている。
二人とも病気持ちになってしまったのに、そうして桜を見ながらゆっくりゆっくり歩くと、いつの間にかずいぶん長い距離を散歩していた。そうして桜を見送った後で、彼女は逝ってしまった。

去年の桜は、とても一人で眺めることなど出来なかった。
たぶん、二人で歩いた川辺を一人で歩くと、平静を保てないと思ったので、それこそ「自粛」した。
わざと目に入れないようにもしていた。買い物でたまに視界に入る桜をチラッと見るくらいで、桜からむしろ目を逸らしていたと思う。

今年は、彼女の写真を持って、好きだった純米酒「花の舞」桜ラベルの瓶とビールを持って、川へ行って来ようか。
とにかく、亡くなった人を悼み、偲び、今生かされている生を素直に喜び、咲いてくれる桜を愛でたい。自粛は、しない。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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