2011-05-31(Tue)

ドラムスティック

5月31日(火)

スティック陵辱結局あっちこっち捜して見つからなかったので、ドラムスティックを買った。Perlの110H、練習用の安いもの。ソファで久しぶり…十年ぶりくらいにロールの練習をしてみる。ドラムを叩いたのは8年前が最後か、スティックを持つのも4年ぶりくらい。
やはり麻痺した左手が思うように動かない。
左は日常キーボードを使ったり、ちょっとした作業によく使う際、手首より先が麻痺しているのだと思っていたら、どうやら肘から先が麻痺している様子。右手の方は実によく感覚を覚えていて、軽快にスティックが使えるが、左はまるで他人の腕のようだ。
リハビリと思ってソファ、クッション、ゴムのサンダルとパーカッションのように叩いていると、寝ていたはずのユキが突然飛びかかってきた。スティック=撥(ばち)は固い木で出来ているので、間違ってちょっと当たったらかなり痛いだろう。
そう思って慌てて止めると、スティックを抱きかかえるようにガシガシと歯を立て始めた。
あああ、買ったばかりなのに。安物だからいいけど。ていうか振り回すと先を追っかけてくるので、こっちが怖い。
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2011-05-29(Sun)

「楽器!」

5月29日(日)

今日はお世話になっている「明青」さんに、ノートパソコンの乗り換えなどの作業をしに行く予定だった。
本当は先月には伺っている予定だったのだけど、猫のシマが急に容態が悪くなり、半月ほどで逝ってしまった。悲しみはあれど、実は「最後までみてやった」という充足感のようなものはあったから、メソメソするより「しんみり」した。
何しろ13年も一緒に暮らしたのだから、本当に心から「家族」を失ったという喪失感が大きい。けれどもほとんど苦しむこともなく、ちょっとずつ弱っていき、最後は俺に撫でられながら逝った。悲しみよりもたくさんの思い出と幸福をくれた「感謝」の方が大きかった。
そう、連れ合いを失って一年経ってようやく達したあの境地に近い。

このところユキが人の寝ているベッドの足元でまた寝るようになったので、こちらとしてはどうも意識して眠りが浅くなる。猫を知らない人は蹴飛ばして寝ろ、と思うだろうが、そうはいかないのが猫の奴隷である。
朝は5時頃から薄く、それでも9時過ぎまでうだうだとベッドに居た。
昼前に風呂から上がって体を拭いていると、電話。
慌てて走って子機を取ると、「明青」のおかあさんからだった。
「今日はこれから台風が来るし、今も雨が凄いから、別な日にした方がええよ」ということ。こちらは伺う気満々でいたのだが、よく考えたら環境移転のテンポラリにノートPCやらポータブルHDDやらの機材もあるので、結局来週に延ばすことになった。

さてぽっかりと予定が空いた。
昨日まで、仕事のアレコレがトラブってアレコレ(笑)していて、とにかく週の初めから結局ずっとばたばたしていた。昨日で一段落と思ったら、今日も断続的にトラブルと後処理がズルズル。結局それらの対応、連絡などに追われる。まあこれはしょうがない。

夕方までそんな感じだったが、夜になって落ち着いたので、冷蔵庫にあったニラと豚肉を炒める。ツイッターで炒め物ばかり食ってるような印象を与えたせいか知人にメールやらブログの非公開コメやらで「野菜もちゃんと」とか「バランスを考えて」とか言われる。すんません。いつも心配かけて本当に。
とか言いつつニラと豚肉を豆板醤・中華だしなどと揚げニンニクでまとめたら、ご飯のおかずというより完全に酒のアテ。トラブルは落ち着いたがビールが切れているので、缶入りのチューハイで一杯。

その後NHK教育、ETV特集で細野晴臣の特集を見る。
先だって放送された坂本龍一の「スコラ 音楽の学校」(実に面白かった)と収録が時期的に同時進行していたのだろう、YMOの面々も出演していた。
「はっぴいえんど」はちょい兄貴の世代でYMOはど真ん中でLPを買い行けないライブ中継をFM「エアチェック」した世代。そしてどちらも後にバンドをやるようになる自分にとっては、とても肥やしになったたくさんの音楽の一つで、このトシになってそれらのどれにも、やはり「感謝」している。

バンドといえば、昨晩さいたまに済むゆうちゃん(やまだ紫の次女)の長女Mから電話があって、長電話になった。ちょくちょく「元気?」「元気だよ」程度のやりとりはあったが、ここ一、二年クラスメイトの父親から友達と一緒にアコースティックギターを習い始めていて、それがけっこう長く続いている。
最近はバンドに興味を持ちはじめ、俺が昔バンドをやっていたという話を母親(であるゆうちゃん)から聞いて、楽器や音楽の話をたくさんした。
ご多分に漏れずアニメ「けいおん!」も好きだと言っていた。Mの友達もはまってる子が多いという。あんなものは萌えアニメ、オタクだけのもの…という「誹り」(分析?)はとりあえず、自分も業界の端っこに居るし「一般市民」の声も聞く限りは、当たっていないと思う。そんな程度のものならあそこまでメガヒットにはならないだろう。
ところでMはアコギからエレキに興味を持ち、友達と「バンドを組もう」という話になり、リズム系…ドラムをやりたいと思ったという。こっちが昔ドラムをやっていて、元々ギターとベースもやっていたというと「凄い凄い!」と純粋に感動してくれる。そういえば昔、自分が楽器を始めたころ、楽器が出来る人をそうやって「凄い!」「神」(笑)と思っていた。まあ今でもうまい人をそう思うが。

もう15年ほど前、つまり白血病と判明するよりも8,9年前の専門学校の講師時代、教え子に「先生もみじのような赤い手をしてますね」と言われたことがある。たぶん、自分の患っている病気が徐々にからだを蝕んでいたのだろう、がん告知をされる数年前から手足の皮膚が異常に薄くなっていた。
当時何かで病院へ行ったとき、医師に聞いてみたところ「主婦湿疹じゃないのか」「皮膚病?」「体質」とか色々言われ、結局決め手も診断も無かった。
楽器はドラムはさすがに団地やマンションでドカドカ叩くわけにはいかず、静音の電子ドラムはおもちゃのようなものかバカ高いものしかなかった。なので高校時代から続けていたギターとベースをずっと趣味で弾いていた。
タブ譜と耳コピーだけで、「BURN」をソロも含めて完コピしたりしていたが、団地で暮らすようになってからはミキサーやアンプにヘッドホンをつなぎ、淡々と楽譜を見ながら弾くようになった。
「ガロ」時代はよくY田部先輩と楽器を弾いて遊び、ツァイト時代は今も交流のある友人Fさんと宴会の時にアコギとアコベーで騒いだりした(甲斐バンドの「安奈」とかやったと思う笑)。
連れ合いに内緒でローンを組んで、お茶の水の楽器店でフェンダージャパンのストラト(チューニングロック付ので中古で8万だったか)を買ってバレて怒られたり、その数年後には別の店でオベーションのアコベーをやはりローンで買って(7万円だった)会社に置いといたらバレて怒られたりした。子供か。
それらの楽器は、京都に引っ越す際にガラクタ扱いで「処分」してもらった。
手の皮が病気と関係あるのかどうかは不明ながら、巻弦はおろかエレキギターの細い弦でも「指がすぱあ!」になりそうだったし、まあ白血病と言われてからはそう長く生きられないようだったので、もういいや、と諦めた。

諦めたものはたくさんある。
高校時代にバンド仲間や友人たちと今風に言えば「シェア」してダビングし合っていた数百本のカセットテープやVHSの類、しかるべきところでちゃんと査定して貰えばけっこうな金額になったであろう三百枚以上のLPとか、とにかく身軽になりたいというのでほとんど「廃棄物」扱いで処分した。その気は無かったのに、それらに紛れて計算外に「処分」してしまった貴重な書籍もたくさんある。
ドラムスティックだけは高校時代から使っていた2組が残っていたはずなのに、結局それも捨てたというか、ゴミに紛れたというか、結果的にゴミになったというか、とにかく無くなってしまった。
ドラムスティックは始めてから一度も折ったことがなく、最初に函館駅前の玉光堂で買った細いスティックはその後高校の学園祭ライブで3バンドをかけもちしたし、上京してしばらく続けていたバンドで使ったコージー・パウエルみたいな太い奴も、ずっと残っていたのだが、消えて無くなってしまった。
今になって、これは病気のせいだが左腕・特に中指より外側の指が麻痺してきて、もうコードは抑えられないと思うし、得意だった早弾きも無理ぽい。
こうなってから音楽を聴くと無性に「ああ、楽器弾きたいなあ」と思う。
ドラムならまだ行けるかも知れない。買ってみて左手がダメだったらMにあげればいいや、と思って検索してみたら、まともなものはやっぱり凄く高い。それでもスティックくらいは持っておこう。昔は練習するのを人に見られるのがイヤだった(要するに努力の課程を見られるのが恥ずかしい厨二病)ので、一人で部屋でクッションや雑誌束をとにかく叩きまくっていた。あれを思い出してまたやってみるか。人間諦めたらそれでお仕舞い。「生きること」もそうだろう。
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2011-05-24(Tue)

診察日

5月24日(火)

病院フルコースの日。
あまりよく寝られず、朝は朦朧とした感じで6時前にユキに起こされた。ベッド脇に置いた折り畳み椅子にクッションを置いたところで寝ていたのが、突然「げえええ!」とゲロ。勘弁してくれよ…と思いつつ始末をして、もう一度寝ようとするが無理だった。薄い眠りで変な夢をいっぱい見て熟睡しきっていないという感じ。

外はざあざあと雨が降っていたが、午前中に雨は去るという予報を知っていた。あとは病院へ行く前に上がってくれないかな、という感じでのろのろとリビングへ降りる。トイレ洗顔を済ませ、猫の水・エサを半ば習慣でやり、仏様のお茶も交換…というところで軽く目眩がしたので、すぐにソファに横になる。

どうにも睡眠不足というのは体によろしくない。
健康な人なら気合いで二度寝するなり、逆にシャキッとやる気を出したり気持ちを立て直すことが出来るし、自分もかつてはそうだった。
だが病人になってしまうと、境界線上をふらふらしている感覚で、しかもかろうじて日常生活を送っている足元は細く、脆い。反対側へひとたび足を滑らせると、そこは数歩よろけて踏ん張れるような傾斜ではなく、ガガガーッと「入院」とか「手術」とかまで滑落してしまうイメージである。そしてここ数年実際そうだった。

テレビをつけて横になっていると、ユキが脇のところに密着してくる。こちらもそのままちょっとウトウトしかけるが、寝過ごすのが怖い。結局8時半ころ支度をして出た。
雨は上がっていて、予報だと日中は25℃くらいまで上がるというから、半袖一枚で傘は持たず。マンションを出て道路を渡ったところで、ご先祖様のお茶を入れ換えて、そのまま台所に置いたままだったことに気付いた。でもまあ、しょうがない。
俺たち夫婦はよく「生きている人が優先!」と話してきた。
今生きている人を、神とか仏の名で過度に縛ったり抑制する宗教はどうにも肌に合わない。理屈にも合わないと思う。そういう部分の価値観とか考え方が一致していたから、年齢差があってもずっと一緒に居られたのだと思う。大げさに言えば人生観とか哲学とか矜恃とか、そういう色々な大きくて深い部分。だから食べ物の好みやちょっとした意見の違いなどの日常の些細な差異が、大きなすれ違い・相手の否定などには決してならなかった。

さて病院へ着くと、受付のある吹き抜けホールは割合空いていた。ちょっと前までけっこう雨が降っていたので、早くから来て待機しているお年寄りが少ないのだろう。そして自動受付機と端末は最新式のものに入れ替わっていた。
前の端末と違い、液晶表示画面が携帯の画面のようなバックライト液晶のようになり、ボタンは「切替」「確認」の二つだったのが、十字方向+中央ボタンになり、スクロール出来るようになっている。
スクロールするようなことあるんだろうか…と眺めつつ、採血〜レントゲンとつつがなく終えて9時15分。かなり早い。採血は201番とたいして早くなかったが、レントゲンは受付して待合スペースに向かうと、たどり着く前に名前が呼ばれたので慌てたほど。
呼吸器内科外待合のさらに外、回廊に面した椅子に腰掛け、階下の大画面液晶テレビを見ながらひたすら待ち。何度かウトウト。呼ばれたのは11時前。結局早く来たが診察時間は前回より遅くなった。

I先生は「レントゲンの方はだいぶいいですね」とのこと。肺の中の丸い影もほとんど見えない。去年の肺炎の痕はあるけれども、だいぶ薄くなったという。そういえばもうそろそろ肺に穴が空いて入院してから、一年だ。
採決結果はコレステロールと中性脂肪がちょっと高いですね、と言われる。思い切り思い当たるので、運動不足と家での食事はどうしても油を使った炒め物などの簡単なものになりがちで…と頭を掻くと、「(採血結果は)そんな感じですねえ」と笑われる。
冬の間は感染や風邪の心配もあるので控えていたが、暖かくなったので散歩などの運動を…と話すと「(血液内科の)N先生ともご相談されて、軽い運動はなさった方がいいと思いますよ」と言われる。そうですね、いや本当に。
次回の予約を入れていただき、処方箋と肺炎予防の薬剤吸入の指示を貰って診察室を出て、そのまま処置室へ向かう。
何の躊躇もなく受付に吸入をお願いして廊下で待つ段になって、そういえば今日は前回よりも時間が遅かったことを思い出した。時計を見ると11時10分過ぎ。薬が来て吸入器を用意してもらって、そこから30分。その間に呼ばれたらどうしよう…と思って呼び出し端末を取り出して眺めると、そのタイミングで端末が震動し、呼び出し音が鳴った。見ると「外待合でお待ちください」の表示。一応予約時間はアバウトながら便宜上11時半ということになっている。
どうしよう…と思って画面を見ると、「お待ち下さい」の後に「確認」「今は行けません」という二つの選択肢があって、選択できるようになっている。前は画面ではなく端末のボタンで「確認」を押すしかなく、こういう場合はその科の受付まで行って説明しなければならなかったのだが、「今は行けません」というところにスクロールすると反転されたので決定。しばらくして「了解しました」と返信が来たので驚く。今行けない用事が終わったら、受付へその旨言えということ。
なるほど、新しい端末に入れ替わっていた恩恵をさっそく受けたわけだ。

ホッとしていると呼ばれたので、いつもの「電話ボックス」的な個室へ入って吸入器のノズルを咥える。30分のプチ拷問タイムだ。たださすがに慣れてきたというか、吐き気はなく、ただダラダラと出る涎の不快感と、吸入器の噴霧が消えては一度ドーム部分を外して振り回してからはめ直す繰り返しが面倒な感じ。30分は「最初の10分」と「後半10分」が感覚的にやけに長い。
吸入を終えて同じ階の血液内科の受付へ行き、呼吸器〜吸入が遅れた旨伝えるとすぐに了解してくれて、中待合で待つよう言われた。色々と進歩しているんだなあ、としみじみ。

12時過ぎに呼ばれてマスクで咳をしつつ入ると、N先生「お風邪ですか?」と心配そうに聞くので「いえ、吸入してきたばかりなので…」と話す。すぐに「ああ、そうですよね、良かったです」と笑われる。
採血結果を詳しく聞くが、前回間に合わなかった腫瘍マーカーが4ケタとやや上がっていたが、もっとはるかに高かったこともある。白血球数は1400、PLTは7.5万…全体的に見るとやはり低値安定というか、横ばい状態。
「他に何か変わったことは」と聞かれたので、呼吸器で言われたことをお伝えする。「どうしても男の料理っていうとカロリー過多になりがちで、体重も運動不足もあって増えました…」と言うと、やはり軽い運動ならして構いませんよ、とのことだった。
とりあえず今回も「変化なし」。やれやれ、である。

会計をし、病院南の薬局で薬を貰い、歩くか…と思ったらちょうどバスが来たので乗ってしまった。まあ、これもしょうがない。
自宅近くの交差点で降りてスーパーで買い物をし、帰宅・落ち着いたら1時半。何か疲れた。
出がけに忘れたご先祖様へのお茶と線香をあげて合掌。

夕方は、先日テレビ(NHK「仕事ハッケン伝」)で見たペナルティ・ワッキーの「王将」修行で見た映像が頭から離れず、レバニラ炒めを作った。下味をつけた牛レバをカリッと揚げて、多めのしょうゆ味ベースのタレを軽く片栗でトロ味をつけて絡める。東京・神保町に勤めていた頃、さくら通り「威光」で食べた味がイメージ。
ま、素人ならこんなもんでしょう、とビール。5時半、まだ外は青空である。

今日、コレステロールと中性脂肪が高いと言われて「男の料理は炒め物が多くて…テヘッ」的な反省をしたばっかりなのにコレだもんな…。
でも、健康な人がコレステロールだの中性脂肪だのと心配して「病気にならないように気を付ける」ってのとちょっと俺の場合は意味合いが違うし。言い訳だが。
レバニラ

アップ。
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2011-05-21(Sat)

平和

5月21日(土)

夜中から朝方もあまり気温が下がらなくなった。桜が終わり梅雨に入る前の新緑の季節、京都じゃなくてもとても素晴らしい時期なのだが、ちょっとここ数日は暑い。朝も暑さで何度か目が醒めた。窓を開けて寝たのに、送風機をつける。
何度も中断しつつ9時前にのろのろと起きてトーストを食べるが、ユキは起きてこない。
寂しがりのユキ用に、シマが死んだ後はベッド脇にリラックス用の椅子を置いて、クッションを載せて寝床にしてやったら、毎晩ちゃんとそこに寝るようになった。
ユキ11時過ぎになって心配になって見に行くと、気配で目を醒まして「ぎにゃああ!」と素っ頓狂な鳴き声をあげた。抱き上げるともうゴロゴロ言っている。
午後は仕事、今日はファイルをいじる、単調な作業をずっと続けた。単純だが長くかかる作業で、気が付くと1時間ほどが簡単に経過している。体がビキビキで尻が痛い。
ユキはその間ずっと傍のソファ上に置いたクッションで寝ている。こちらがトイレや休憩で立ったり動いたりすると、空気の動きを感じるのか、じっとこちらを見たり、「にゃあああ!」と大声を出したり。

青梗菜と豚三枚肉の中華風あんかけ夜は昨日買った青梗菜を下茹でしたのと豚の三枚肉を炒めたのを、中華風あんかけであわせて白ご飯を食べてから、晩酌。
飲んべえは晩飯を食わずに酒を飲みがちで、そうすると際限なく「つまみ」をちょこちょこと食べてしまうので注意。
そんな感じで平和だった。
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2011-05-20(Fri)

まぐろ祭り

5月20日(金)

猫用まぐろ
今日はいい天気で暑いくらいだったので、スーパーに買い物に行った。野菜は買いだめがきかないので、ほうれん草に大根にアスパラガスに青梗菜にキュウリなど。

先日ドカッと冷凍まぐろセット(中とろ、別れ身、びんちょう、ネギトロ)をいただいたので思わず連日まぐろ祭をしてしまったが、こんなことを続けていたら罰が当たると思い(笑)、しばらく自分にはお預け。
そのかわり(何のかわりだ)ユキちゃんには細切れをチルドしておいたのをあげる。猫だけまぐろ祭継続中、こちらは枝豆を塩ゆでにしたので軽く一杯。

窓を開けていると涼しい風が抜け、山は緑で空は抜けるような青。手元の枝豆も綺麗な緑色。
初夏の京都は本当にいい。
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2011-05-16(Mon)

まぐろ

5月16日(月)

昨日、突然宅配便が届いた。関東の友人T君からで、何と冷凍まぐろの詰め合わせ。電話すると、「(某ショップの)いやー、何かポイントがけっこう溜まってたんで送っただけです、お返しとか一切不要ですし、気にしないで召し上がって下さい」とのこと。うううう、ありがとう!
昨日はさっそくいただいた。
もの凄〜く、うまかった。あまりにうまくて写真撮るのも忘れていた。

連れ合いの命日に花やお酒をいただいたり、猫のシマが死んだ時はたくさんの人からお悔やみのコメントやメールをいただいた。もちろん、普段からこちらの健康状態を気遣っていただいている方もたくさんおられる。
そういう皆さんから励ましをいただくたび、ちょっとずつ命が延びてるような気がするというか、生かされているという感謝の気持ちがある。まぐろで「何日寿命が延びた!」というのはもちろん冗談だし、ものをいただいて不遜なジョークに聞こえるかも知れないが、ビールを飲んで「このために生きてる!」とかよく言ったものだ。冗談だけど冗談抜きで、免疫にもいいという意味で「寿命が延びる」は冗談ではない…のかも知れない。
解凍

冷蔵庫でじっくり解凍後、ルイベ状態で切り身にし、赤色になったところで…。極楽。
中トロ
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2011-05-13(Fri)

ギックリ

5月13日(金)

今日も寝坊ぎみ。
やけに早くユキにニャーニャー鳴いて起こされたが、いなしてるうちに当のユキがゴロゴロ言いながら寝てしまったので、こちらもそのまま寝てしまった。

朝のもろもろを済ませて仕事のメールチェックをし、立ち上がろうと体を捻ったところでグキッ! と来た。
この年になると、だいたいぎっくり腰は体験済みの人が多いだろうし、自分も過去数回やっている。
元もと若い頃、青林堂時代は正直肉体労働6編集3営業1、という感じで、毎日とんでもない過酷な労働をしていた、それもとんでもない過酷な薄給で。
バブル時代の恩恵を受けたことはこれっぽっちもなく、毎日汗と土と埃にまみれて返本と格闘し、肉体労働の合間に編集作業を行い、校了を過ぎると自分で本を売りに営業に出た。テレビに映る世の中の狂乱ぶりを別世界のように見ていた記憶しかない。
これも以前書いたこともあるが、青林堂のA5判11折の単行本20冊1梱包を6つ、床から一度に持ち上げてあの急な階段を上り下りしていた。机仕事しか知らん編集なら何のことか解らないと思うけど、たぶん書店の人ならどれだけ腰に負担をかける事か瞬時に理解されると思う…。
神保町から飯田町駅近くの日販まで、登山用品店で買った背負子に本を百数十冊積んで歩いて納品に行ったりもしたっけ。まあ間違いなく、当時の編集者では土方度ナンバーワンだったと思う、胸囲1mあったし。

そんな感じで若い頃は体に相当無理をさせたので、30前後あたりから時々ギックリをやっていた。ここ数年は病気になって運動をほぼ出来なくなったので、腰やったらアウトだな…と思いつつ、どうしようもなく過ごしていたのだが、やはり来たかという感じ。
シマの病気もあって、ソファで寝たりすることも多かったのもあると思う。

とにかくビキッと来て、動けなくなった。
何しろリビングでテーブルに向かってあぐらをかいた状況で、モニタである液晶テレビに向かってキーボードやマウスを使うという仕事。一番腰に良くない。
それでも仕事をしないと別の意味で死んでしまうので、だましだまし、そろそろとPC作業をする。きつい。
もうとにかく作業だけで手一杯、それも休み休み。ソファにそろそろと寝て、しばらくしてから痛みを確認しつつそろそろと起きる感じ。もう、じっとしているしかない。
ソース焼きそば録画してあった「見とかなきゃいかん番組」をいくつかこなし、ついでに映画も観たりして、夕方まで安静にしていたらだいぶ良くなった。なので今こうして記録している次第。でももう、この辺でやめる。

晩はマルちゃんソース焼きそば、麺は酒で伸ばし、ウスターソースをちょいと足す。青のりたっぷり。
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2011-05-11(Wed)

5月11日(水)

朝から雨。さあさあと降り続いている。比叡山が煙ったようになっていて、山頂が見えない。
…にしても、いつもながら我が北側ベランダから見る比叡山はダイナミックだ。雪の時は墨絵のような静謐で威厳のある佇まい、春から初夏は徐々に萌葱色から緑が濃くなっていき、雨の時はそれがすぐ近くに見える。もちろん、秋の紅葉も素晴らしい。
GW中に泊まりに来た友人も「いつもこういう風に山が見えるのって羨ましい」と言っていた。友人の住まいは都心ではなく、どちらかというと自然が多い方だと思うが、要するに「気の持ちよう」だということだ。雨や雷、吹雪も快晴も、桜や紅葉も、何でもない時でも、山や海はただじーっといつまでも眺めていられる自信がある。
生まれ故郷の函館も、住んでいたところは海のすぐ近くで、函館山も常に近くにあった。高さは東京タワー程度だったが、他に高いものがないので存在感は抜群。「臥牛山」の別名がある通り、何とものんびりと心温まる穏やかなイメージの山だ。
比叡山は京都の鬼門に聳えていて、これもまた存在感抜群。形もシュッとしていていい。毎朝拝めるなんて幸せである。

夕べはなかなか寝付けず、朝は9時過ぎまで熟睡していて、ユキに起こされた。
ベッドの上にふわっと上がってきて、大音声で「にゃあー!」と顔じゅうを口にして鳴くから、心臓に悪い。だが、可愛い。シマが死んでからは本当に片時も傍を離れない。
京都に越してきた時は人間二人に猫二匹、それが半分になってしまった。猫だって寂しいに違いない。

京都はもうすぐ葵祭。明日は下鴨神社で比叡山の八瀬御蔭山より神霊をお迎えする、御蔭祭。
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2011-05-09(Mon)

シマは骨になった

5月9日(月)

昨日は寺院で供養をして火葬、返骨してくれる業者に連絡をし、シマの亡骸や花を入れた箱は玄関に置いておいた。
これまでもそうしてきたように、猫の通夜だと思い酒を飲むことにする。もっとも理由付けなんか必要なく飲んではいるが。
いただきものの酒を冷やしておいたので開ける…が、つまみが無い。冷凍庫に海老フライ用の海老があったので天ぷらにして、キャベツを刻んでコークスクリューにした上にちょっと残っていたスモークサーモンを載せて食べる。
「通夜」

トイレに立つたび、箱の中のシマをなでる。毛の手触りが懐かしい感じがして、冷たくなければ本当にまだ生きているよう。
この二週間ほど、弱っていく様子をずっと見て来たので、悲しみはもちろんあるものの、楽になったな、良かったな、という気持ち。あとは感謝。人に対する気持ちと何ら変わらない。
ユキの「お別れ」

ユキには一回だけお別れをさせ、あとは箱には近寄れないよう、廊下の内扉を閉めておいた。

夜、12時前にこちらが寝る段になってユキはちょっとシマを捜すようなそぶりをみせたが、すぐに諦めて俺のベッドに上がってきた。いつもは足元に丸くなるのだが、この夜はなぜか顔のすぐ近くで寝た。

朝は8時過ぎに起床。割合によく寝られた。
そういえば、このところずっとシマが「瀕死」だったため、気になって熟睡がほとんど出来なかったから、久しぶりに正味5時間以上寝た感じ。
外はよく晴れていて、気温も上がりそう。朝のもろもろをしつつ、箱のシマを気にかける。やはり冷たいが、毛の感触が生きている時のそれと同じで寂しい。

昼前、昨日連絡しておいたペット葬儀の会社から連絡があり、時間通りに12時ころ、カーネーションを持って係の男性がシマを引き取りにきた。礼儀正しく、過不足のない粛々とした態度。
「お別れはもうよろしいですか」と言うので、ここしばらくじゅうぶん時間があったこと、昨日の朝に亡くなってからも一日あったことなどを伝えた。

リビングへ戻ってくると、ユキが「にゃあ」とこちらを見上げて鳴いた。「ああ、シマ行っちゃったなあ。これでお前と俺だけになっちゃったな」と言って撫でてやる。耳が聞こえないから誰にも警戒心がなく、また、叱ったりしても学習能力があまりない。要するにちょっとおバカなのだが、その分いじらしく、可愛い。
撫でるとすぐに嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らし、中程が折れた「カギしっぽ」をリズムでも取るようにピン、ピン、と振る。そんなユキもいつの間にかもう7歳だ。

1時ころ、予想より早く火葬が終わり、シマが骨壺になって戻ってきた。係の人は「犬や猫にこれといって決まった供養の仕方はありません。お気持ちが大事だと思います。四十九日はお骨を手元に置かれる方が多いですが、その後もし埋葬などお考えでしたら」と言って永代供養やお墓の案内を置いていった。
ここ四半世紀ほどの間に亡くした猫たちのうち、最初の数匹は近所の動物霊園のロッカー型墓地へお骨を入れたが、何だかモノとはいえぽつねんとロッカーに入れておくのもなあ、と思って引き取った。以後、猫が亡くなるたびにお骨は家に引き取って手元に置いて供養していた。
京都へ越したのを期にそれらの骨もかけらをロケットに入れ、残りは散骨した。だから、シマの骨もいずれはどこかへ撒くかも知れない。
「それはいけない! こうしないと!」「これこれこういう作法が!」と言う人もいたが、そういう人らは大抵何かの宗教がらみだったりカネがらみだったりしたので、全く信用していない。「遺されたご家族のお気持ちですから、形式や金銭の多寡などはあまり意味がありませんよ」と言う方がこちらの気持ちに近かったし、何より誠実な人が多かった。これはもう実際の経験の話なのでしょうがない。

シマの骨壺を収めた袋は、連れ合いの写真の横に置いた。まだ熱が残っていて暖かい。

肉体は焼かれて骨が残る、それはもう「物体」。そこから先のことは生きてる人には誰にも解らない世界。
連れ合いの時も思ったが、だからといって「たかがモノ」とはもちろん思えるわけがない。同じ時間を生きて共に暮らして感じ合った「肉体」に愛着がないわけがない。
シマを撫でた時の何ともいえない手触り、抱いた時のみっしりとした重み、暖かみ。うっとりした顔。ゴロゴロとうるさいほどの喉。こちらの出した手にグイッと力を入れて食い込ませる爪、足元に擦り寄ってきてピンと立てた尻尾を絡めてくる感じ…、とにかく愛おしいそれらの感触と記憶がまだ、生々しく残っている。

ありがとう、という気持ちが大きく、不思議とあまりめそめそした感覚はない。

最後は少しだけ苦しんだ日があったが、眠るようにすうっと逝った。その瞬間まで、看取ることが出来た。
さらにブログへのコメント、メール、ツイート、DM、たくさんの人がシマにお悔やみをくれたし、見送ってくれた(この場を借りて御礼申し上げます!)。
幸福な猫だったんじゃないだろうか。うん、お互い幸福だったと思う。
シマのお骨
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2011-05-08(Sun)

シマ逝く

5月8日(日)

夕べはシマが穏やかに寝ているように見えたので、12時前にこちらは寝室へ上がった。正直、ソファで寝ていると体のあちこちがギシギシと軋む。病人にはしんどい。
それでもやはり気になっているせいか、朝方4時に目が醒めた。
階下の物音に耳を凝らしていたら、何となく気配を感じたので降りて行った。リビングではシマがつづらの周りに敷いた尿取りシートの上に這い出て横になっており、今まさに赤茶色の血膿のようなものを吐いたばかり、というところだった。
すぐにタオルをぬるま湯で濡らし、顔や口を拭いてやる。
尿取りシートは血膿のような粘性の強いものはすぐには吸収しないから、その上で顔を動かすと顔じゅうが汚れてしまう。
その後ぐったりと横たわったまま、時々何か言いたげに顔を上げようとするので、つづらに戻してやった。

それからは穏やかな顔で、静かな呼吸をし、こちらを向いていた。ほとんど動かず、こちらが立ったり動くと目だけで少し反応する程度。顔が痩せてしまっている以外は、まるで健康な頃のよう。

7時過ぎ、突然前足を突っ張ってつづらから下半身だけを落とす格好で、少しあえいだ。
下半身がつづらから落ち、そのまま首だけを低くなっている縁に枕のようにして、じっとしている。呼吸が浅く間隔が長い。
いよいよか。
膝の上に抱いてやると、もう首にも力が入らずガクン、としている。撫でてやってから「よしよし、もういいよ、ゆっくり休め」と言いつつつづらに戻してやると、十秒おきに「…ハッ」と呼吸をし、ゆっくりゆっくり十五秒間隔になり、最後は二十秒間隔になった。

そうして次の呼吸を数えているうちに、亡くなった。
7時33分だった。

顔が痩せてしまったために目を閉じてやることが出来ないのが辛いが、体の柔らかいうちにと、段ボール箱を用意。連れ合いの命日にといただいた花を敷き詰めて、お気に入りだったつづらごと入れてやった。
好きだった猫じゃらしは、いつもそうしていたように抱きかかえるように持たせてやり、おかかとご飯も入れた。あとは俺たちの写真。

それにしても、シマは頑張った。これほど長く踏ん張ってくれるとは、正直全く予想しなかった。十日前の段階で、友人に電話で「あと二、三日持てば…」と言っていたのを思い出す。
何度か血膿のようなものを吐いたのは苦しかったと思うが、最後は本当に眠るようで、呼吸が少しずつ止まっていく様子は穏やかで、こちらも安らぐものだった。連れ合いが迎えに来てくれたのだろうか。

最後は抱いてやり、手を握り、名前を呼び、ありがとうと伝え、臨終まで看取ることができた。合掌。
2001年、シマ3歳

2004年、シマ6歳
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2011-05-07(Sat)

死の淵

5月7日(土)

6日夜11時過ぎ。シマが突然つづらの上で前足だけで立ち上がり、激しく吐く動作をしながら、つづらからヨロリと出た。そのまま倒れると、口から赤茶色の液を吐いて首を上下に動かし、下半身からは黄色い尿がじわりと漏れだしてきた。
ああ、これで最後だ…と思った。これまで見送ってきた猫たちの最後と同じだ。
シマが何度か苦しそうに口から血交じりの液を吐くたびに濡れタオルで拭いてやり、下半身はバスタオルでオムツのようにくるむ。落ち着いたところでそのままつづらに横に入れてやり、撫でながら「もういいから、ありがとうな、今まで本当におまえのおかげで楽しかった。もう楽になっていいから、頑張るな」と声をかける。
シマはつづらの縁に頭を乗せたまま、じっとこちらの目を見ている。時おり小さく「ぅぅ〜〜っ…」と苦しそうな声を出すが、先ほどまでののたうち廻るような様子ではなく、弱い呼吸をしつつ、ただじっとこちらの目だけを見据えている。
怖いだろう、不安だろう。でももうすぐ楽になるぞ。よく頑張った。目は落ちくぼんでいるので、閉じてやろうにも塞がらない。撫でて閉じさせようとすると、指にシマの涙がさわった。
本当に、あとは出来るだけ「その瞬間」苦しまぬように。祈る相手が誰なのかよく判らないが、祈るしかない。
その後落ち着いたように弱い呼吸をゆっくり繰り返すシマを気にしつつ、ソファで休む。今晩か、明日か…。

夜中何度か確認したが、そのうちこちらも寝てしまった。
朝方ゴトリと音がしたので飛び起きて脇を見ると、シマがつづらから出て床に敷いたタオルの上でもがいていた。苦しそうに首を上下に動かしつつ、「けええ…」と赤茶色い液体を吐く。口のまわりを拭いてやるが、「んんぅ〜…」とかすかに弱く唸るような声を出している。
つづらに戻して撫でてやっているうち、縁に顔を預けてじっと弱い呼吸を繰り返すようになった。まだ朝6時前。
朦朧としつつこっちもフラフラとトイレへ行き洗顔その他を済ませる。

先日の連れ合いの命日、色々な方からお酒やお花をいただき、その御礼を書いたりせねばならないのだが、ちょっと今の状況では無理。メール、ブログのコメント、ツイッターなどでも逐一返信をしたいが、申し訳ない限り。
ただ、激減したとはいえ仕事だけはしないと生活できない。病気で死ぬ前に生活苦で路頭に迷う。傍らにつづらを置き、時々もがくように動くシマをなだめるように撫でてやりつつ、仕事の連絡と作業。

10時半ころ、またもがくように体を蠕動させてつづらから出ようとするので、慌ててバスタオルを持って来て床に敷き、そこへそっと寝かせてやった。
シマはそこに置かれた格好そのままで、目を開けたまますうすうと穏やかな息で横になった。30分ほど経つとこちらの音や動きへの反応が無くなり、本当に寝ているようにしか見えない。

11時すぎ、突然前足だけで一瞬立ち上がるがすぐに崩れ落ち、もがく。「くけえ」と少し多めにごぼりと液を吐いたので、またタオルを濡らして顔を拭いてやった。この時はかなり苦しそうで、尿も少し漏らした。吐き終わるとぐったりし、弱い呼吸を続けている。
以前、マルが死んだ時はこういう感じだった…。そう思って時計を見る。11時11分。お別れだな…、と覚悟した。

ところがその後もシマはバスタオルの上で目を開けたまま、おだやかに眠るようにじっとしていた。
12時過ぎ、突然顔を上げ、あたりを見回したあと、また横になる。そうしてこちらをじっと見たので、いつものアイコンタクトでこちらも目を何度か瞑ってやると、答えるようにシマも目を瞑ろうとする。もう完全に目が閉じないので半開きながら、また安心したように横になったままゆっくり呼吸をしている。その後タオルの上でもがくので、つづらに戻してやった。

4時すぎ、またつづらから出ようともがいた。出してやるといざるようにトイレへ行こうとする。トイレの前に敷いたシートまで連れて行くと、小便をするでもなく、その場にへたりこんだ。
今日は部屋の中がやけに暑いと思ったら、外も25℃くらいまで上がったらしい。シマもタオルを敷いてある冬用のつづらが暑いのだろうか。床の上に敷いたシーツから動かない。
そのままずっと、弱々しい呼吸のままじっとしている。こちらが時おり見るたび、呼吸が止まったかとギョッとしてしばらく凝視してしまうほどにゆっくり、そして弱い。
ずっとただ眠るように、じっとしている。
昼ころに吐いたあと、苦しい様子を見せないでいるのが唯一の救いだ。

夜7時半過ぎ、もがいているのでまたつづらに戻してやる。しばらく穏やかに落ち着いていたが、8時前になってもがくようにつづらから下半身だけを落とすようにして這いずり出て、首を気怠そうに乗せて横になっている。
時おりこちらをクルリと振り返って切なそうな顔をする。

9時過ぎ、少しもがいたので近くに寄ってさすってやると、苦しそうに嘔吐症状。これまでにない大量の血膿のようなものを吐いた。
その後呼吸がほぼ停止、口から舌が出たまま数秒…4〜5秒おきに「ハアッ」と呼吸をする。その間隔が少しずつ開いていく。心臓が止まっている。
口元を何度も拭いてやり、体を撫でて「よしよし、もういいぞ、もう頑張らなくていい。ありがとう」と声をかけていると、何と呼吸が蘇った。
撫でていたのが心臓マッサージになったのか、だらりと出ていた舌が戻り、力の抜けていた頭をふらふらと上げて、はっきりと視線をこちらに向けた。思わずタオルにくるんだまま抱きかかえて手を握ってやると、もう肉球が冷たい。そしてすさまじい悪臭。
正直、なぜこの状態でまだ生きているのか全く理解出来ない。
シマはまっすぐ、しっかりとした視線でこちらを見続けている。「シマ」と言うたびにかすかに尻尾を振る。
あり得ない、さっき心停止した、呼吸も停止しかかったはずだ。
かすかに口を動かして何か言っている…というより鳴こうとしている。目はじっとこちらを見たままだ。こちらの膝の上で手を突っ張り、体を動かそうともがいた。
「もう下ろして」と言うような感じだったので、つづらに新しいタオルを重ねて下ろしてやる。
さきほどまでの壮絶な死相が浮かんだ顔と呼吸が嘘のように、おだやかになった。猫特有の、正面から見たらまるで微笑んでいるかのような表情。

その後はずっとつづらの中でじっとしていた。こちらが目をやるとちゃんと目を合わせる。
何だか無理やり死の淵から引き戻したような気がしてしまうが、あのまま血反吐にまみれて呼吸困難で苦しみながら死ぬよりも、今のように穏やかに、静かに眠るように逝ってくれたらどんなにいいだろうか。俺が寝てる間でも何でもいい。シマが楽に、出来るだけ苦しまずに逝けるならそれでいい。
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2011-05-06(Fri)

近付く「別れ」

5月6日(金)

夕べは12時前に休む。
夜中も2度ほどシマの様子を見に行くが、呼吸は弱いものの、ちゃんと生きてくれている。頭蓋骨がはっきり判るほどに痩せ、背骨はごつごつと皮一枚で指にあたる。なのに腹は水が溜まっているせいで、ぷっくりしている。
いったん戻り、朝6時ころ起きて様子を見ると、タオルに緑色の液体が漏らしてあった。尿だろう…。

それにしてもシマは強い。
この状態になり、これだけ生きている猫は今まで見たことがない。実家で5匹、連れ合いと一緒になってから4匹、友人知人を入れるともっと多くの猫の死を見てきた。もちろん犬もいる。水を自力で飲めなくなった猫を輸液で生かしておくことができることも、その残酷さもよく知っている。
シマはもう下半身に力が入らない。両手だけでギリギリ立ち上がり、ふらふらしながら移動しようとして、一・二歩でへたり込む。そして首を支えることさえもしんどい様子で、じっとこちらの顔を見る。
目で何を言っているか解る。こっちへ来たいのだろう。タオルに乗せ、くるむようにタオルごと持ち上げて、あぐらをかいた足の内側へ置いてやる。以前甘えてそうしてきたように、シマは足に顎を乗せ、満足そうに目を閉じた。
もちろんゴロゴロとも言わないし、前のように手の爪を時々ググッとこちらに食い込ませたりもしない。
まだ「甘えたい」「甘えられて満足」という回路が生きている。目に力が残っていることに驚く。
満足した様子なので再びつづらに移し、仕事でパソコンに向かっていると、ふらふらと立ち上がってこちらへ来ようとしてへたりこんだ。そうしてまたじっと目を見ている。
これはひょっとして…と思い水を皿に入れて置いてやると、なんと水を舐めた。
顔のすぐ下にあてがうように皿を置いたので、顔を支えられずに顎が水につく、それが嫌なので飲むというよりは舐める…というのが弱った猫のパターンなのだが、明らかに「水を飲みたい」という意志があり、ちゃんと自分で舐めた。
ただたくさんは飲めないので、そのまま顔を支えていると、水面に鼻まで浸ってしまう。なので鼻から水を吸ってむせないように鼻の脇へ皿をずらしてみると、顔をそちらへ向けて舐める。明らかに「水を飲んでいる」。
正直、驚いた。
水を自力で飲めなくなったのはもう二週間も前、ここ一週間はスポイトで無理に飲ませようとしても頑なに顔をそむけて嫌がった。水が飲めなくなった猫は間違いなく、長くても十日で死ぬ。シマの場合は病院でかなり大量の点滴を入れたので、それで持っているだけで、時間の問題だと思っていたのだが…。
ただ、だからといって腹水はあり、回復する見込みのないことも知っている。
ああ、「末期の水」を自ら欲したのか。最後まで懸命に「生きる」ということに必死な姿を見せてくれている。

それから夕方までシマは落ち着きがなかった。水を少し飲めたのならひょっとして…と、生餌を柔らかくしたものも並べるが、そっちには全く興味も示さなかった。
5時過ぎになってケホンケホンと苦しそうに何度ももがき、胃の中にあった水を吐いた。吐瀉物は赤茶色で、やはり水も受け付けない体になっていたのだった。
「よしよし、怖いな、でも大丈夫」と言いつつ撫でてやる。虚空を見上げて、思わず連れに「最後は安らかに連れてってやってよ」と声をかける。
猫だって不安だろう。
どうしたんだろう、どうなっちゃうんだろう。怖い、助けて、と思っているかも知れない。
「しょせん動物」「猫ごときに」と言う人もいるだろうが、十数年共に暮らし、苦楽も共にし、たくさんの幸せをくれた大切な「家族」だ。そしてその「命」が恐らく、というか確実にもう助からないことが判っている。
暗いところに居たいという時期は過ぎたんじゃないか。そう思ってつづらを自分が座っているすぐ脇に移動させた。
数分おきに様子を見る、声をかけ撫でてやる。
先ほどまでの険しい顔が嘘のように、笑っているかのような穏やかな顔になり、荒かった呼吸は静かに、ゆっくりしたものになった。
触ると気のせいかちょっと体温が低い気がする。
猫は人間よりほんの少しだけ体温が高いので、人間はそれを暖かなぬくもりと感じ、わしっと抱く時にその暖かさと共に幸福感を噛みしめる。
シマはもう体の床側以外は骨が浮き、目は落ちくぼんでいるが、それでも撫でてやると明らかに喜ぶ。その喜びは、こちらと共通のものなのだ。
別れが確実に近付いている。
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2011-05-05(Thu)

花と酒

5月5日(土)

連れ合いの命日。
シマはひょっとしたらこの日、連れの元へ逝くのではないかと思っていた。連れ合いが愛していたシマを迎えに来る、というか。
朝方4時過ぎに目が醒め、シマの様子を見に行く。シマは目を開いてこちらを見ており、ちゃんと生きていた。思わず撫でながら「もういいんだよ、楽になりな。頑張らなくていい」と声をかけると、少し涙が出た。
一度寝直し、8時前に二階で休んでいた友人が起きてきた気配で、こちらも起床。朝風呂を沸かし、とりあえずコーヒーとパンで朝食。友人は滋賀で泊まっていた友人と京都駅で合流し、一緒に東京へ戻る予定。待ち合わせ時間を聞くと「9時」というので慌てる。
うちのマンションは水圧が弱く、風呂のお湯を溜めるのに時間がかかる。30分くらいかかってようやく湯が溜まり、友人は風呂、それから帰り支度で、重いものは箱詰めして送ることにし、待ち合わせには15分ほど遅れるとメールしたりでバタバタ。
しかしシマがその間に、ふらふらよたよたと出て来て、リビングのテーブルの足元まで来て蹲った。もうつづらとトイレの間数歩しか歩けなくなっていたのに、ここまで来たのは何日ぶりだろう、と驚く。
きっとお別れ言いに出て来たんだな、ということでソファの上に上げて撫でてやり、写真を撮った。もう確実に、この友人とはこれがお別れになるだろう。

それからマンション前まで出て、タクシーで駅へ向かうのを見送り、部屋に戻る。シマはソファの上からじっとつづらを見てもぞもぞしていたので、つづらに戻してやると大人しく蹲った。本当に、お別れを言うためだけに力をふりしぼって歩いてきた、そういう感じだった。

午後、関東に戻った友人から「家の鍵を荷物に入れてしまった」と電話。午前中に発送を済ませてしまったので、営業所に電話して「なるべく早く」とお願いしたが、家に入れないのでは受け取れない。その後すったもんだで、開いていた小窓を見つけてそこから「侵入」し、何とか家に入れたとのこと。やれやれ。
こちらはシマが気がかりながら、やらねばならないことを片付けたり。
花と酒
その間に、大阪の劇画バカから、旅先より「酒を送ります」という有り難い知らせ。先だっては東京の知人から、また一昨日は泊まりがけの友人から、連れ合いの命日にと立派なお花を貰い、今日も2件お花が届いた。酒と花が好きだった連れ合いが、それらに囲まれる。花やお酒に囲まれた連れ合いに、線香をあげ、改めて手を合わせる。

夕飯は簡単に、冷凍ご飯に明太子、納豆、鯛の切り身とほうれん草のスープ。
夜8時過ぎ、シマが呼吸困難のように苦しげにしているので、走り寄ってさすってやる。「ありがとう、もういいぞ。おまえのおかげで本当に楽しかった。ママが迎えに来るから、大丈夫」と言いながら背中をさすっていると、目を閉じてすうすうと弱い呼吸をし始めた。
神だか仏だか知らん、別に多くは望まない。願わくば、この小さな命の最後、せめて苦しまずに眠るように終わらせてはくれまいか。
このささやかな願いくらい、叶えてくれたっていいじゃないか。
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2011-05-04(Wed)

お見送り

5月4日(水)

この日もシマは容態変わらず。ちょっとずつ、ちょっとずつ衰弱し、死へと向かっている。痛みもなく苦しい様子もなく、静かに。

朝はコーヒーとトーストで済ませた。「どこか行きたいところはあるか」と聞くと、友人は昨日二人で京都に着いてからあちこち街中は歩いたそうで、疎水を歩いて哲学の道まで散歩でも行こうか、ということになる。

うちの前をちょっと東へ進んだところから、南へ疎水沿いをゆっくり散歩。新緑がまぶしい、いい季節になったものだ。
昼前には暑いくらいの陽気になったが、水の傍、緑の中を歩いているので気持ちがいい。
途中銀閣寺道あたりから観光客も増え始め、おみやげ屋をひやかしたりしつつ、結局若王子さんまで歩ききった。
以前夫婦で来た時もさわった、京都で最も古い梛(ナギ)の木の幹を撫でて、恵比須さんにお参りし、境内で弁当と冷たいお茶を買って昼ご飯。

すぐ傍の疎水沿いはけっこう観光客が歩いているし、鹿ヶ谷の住宅地なのだが、境内のテントに腰を下ろして冷たいお茶を飲み、首を上げると緑が広がり、鳥が鳴いている。「一歩入っただけで自然の中って感じだよねえ」と言いつつ弁当を食べる。冷たいお茶も、京風幕の内弁当も思いの外美味しくて、二人とも小梅の種以外完食。
本殿にお参りをして境内を出ると、遠くに神輿が見えた。こちらに近付いてくるのだと思って待っていたら、消えてしまった。追いかけていくと、通りを曲がったところで一本締め。要するに終わって戻ってきたところであった。
そこから白川通りへ出て、バスで造形大あたりまで戻り、喫茶店で一服して自宅へ戻る。

それからは部屋で夕方までまったり。
夜は高木町の明青さんへ。
カウンタで料理に舌鼓。やっぱり何を食べてもうまいと大感激。我々の会話も弾んだ。色々と昔の思い出話などでも盛りあがり、最後は帰ろうとしたら、旦那さんが「たいしたもんじゃないですけど、これ今晩でも明日でも、召し上がってください」と言って折を作ってくれた。
出汁巻きに佃煮や牛肉とご飯などのお弁当。大感激。御礼を言って酔い覚ましにぶらぶら歩いて帰宅。

家に着いて「お弁当」を見るにつけ、ほかほかの卵とご飯、「これ明日冷めてからより、今食った方が絶対うまいよねえ」ということで、結局二人とも食べることにした。店でさんざん飲んで食ってきた後なのに「うまいものは入っちゃうなあ」とペロッと完食。いや本当にご馳走様でした。

シマの様子は変わらず。「明日の(連れ合いの)命日まで待つのかねえ」と撫でながら話す。
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2011-05-03(Tue)

関東より友人が来る

5月3日(火)

シマは相変わらず。
目は落ちくぼみ、完全に貌(かお)が変わってしまった。トイレまで歩くのも大変なので、つづらからトイレ前のシートまでバスタオルを敷き詰め、どこで漏らしてもいいようにしておいた。その中の一枚に尿だまりがあり、やはり途中で漏らした様子。
それ以外は全く状況変わらず、時おり姿勢を変える以外はずっとつづらでじっとしている。一時間に一度くらい、突然立ち上がってつづらから出てへたりこむが、しばらくすると戻ってしまう。

この日の夕方、東京から友人二人が遊びに来ることになっていて、5時ころ家に来る予定だった。軽く掃除をして汗をかいたので、4時過ぎに風呂を沸かした。さて入ろうか、というところで電話があり、もう一乗寺恵文社に寄ったところで、5分くらいで行っていいかというので、あらら、と思っていたらすぐに電話があり「やっぱりもうちょっとぶらぶらするから6時近くになる」ということでまたズッコケる。その間に慌てて風呂に入った。

二人は5時50分頃家に到着。
一人はちょっと前まで京都に住んでいたことがあり、このすぐ近くに、京都時代にお世話になったお店がある。なのでこの日は三人でその店にお邪魔して、ご挨拶などしてそのまま夕食。
一人はそのまま滋賀の友人たちと合流する約束があるそうで、店を出たところで別れ、もう一人はうちに泊まり。
家に戻ってから軽く飲み直し。シマのこともよぉぉく知っているので、心配して撫でたり。
久々にあれこれ話して楽しかった。
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2011-05-02(Mon)

状況変わらず

5月2日(月)

夕べもソファのシマが見えるところで休んだ。恐らく二階の寝室で寝ても、もう階段を上がってくる体力はない。だから余計に、その間に寂しく逝かせることを考えると、階下で放置するようで忍びない。
早朝から何度も目が醒めるたびにシマに目をやるが、その度に体勢が変わっている。目を凝らすとかすかに呼吸で毛皮が動くのが見えるので、安心する…という繰り返し。とはいえ、もう水を飲まなくなって十日、最後の点滴から5日。あと数日で確実に命の灯は消える。

9時過ぎに起きて確認すると、トイレ前のシートに尿がしてあった。シマは呼んで撫でてやっても尻尾も動かさなくなったが、ソファから見ると時々、じっとこちらを見ていることがある。その時に名前を呼ぶと、ちゃんと目で返事をする。

猫はしょせん動物で、もちろん単なるペットだという人もたくさんいるし、それはそれで何ら文句はない。」ただ、うちの場合はよく夫婦で長年一緒に暮らした猫に「最近魂入ってきたね」という会話をしていた。
何というか、うまく表現し辛いのだけど、猫独特の甘えたい時に甘える、自由気ままですっとぼけた可愛い部分に加えて、一緒に暮らす時間が長くなると、こちらと意思疎通を懸命にはかろうとするようになり、やがて、お互いにそれが割合可能になってくる。
その状態を我々は「魂が入った」と評していただけの話なのだが、シマも数年前からそういう境地に入っていて、よく目で会話をした。
何気なく横になっていて、ちょっと離れたところに丸くなっているシマに目をやる。ああ、ちょっと抱っこしたいな、でも寝てるしな、なんて思って見ていると、シマが視線に気付いて顔をあげる。目が合い、こちらは無言で「おいで」という。シマはそのタイミングで「ひゃっ!」とか短い返事をして立ち上がり、こちらの脇に甘えに来る…。というような、他愛のない話だ。

こちらが朝食を済ませ、シマを気にしながらソファに横になってMLB中継を見る。視界の隅に常にいるシマは時々体勢を変える以外はじっとしているだけ。昼過ぎになっても、つづらからヨロヨロと這い出してはなぜか仕事机と壁のわずかな間に入り込んでみたり、また戻ったりと落ち着かない。
その度に撫でてやるが、苦しい・痛いというより「どうしていいか判らない」という風情だ。呼吸もそろそろ弱くなってきていて、仰向けに抱いてやると苦しそうに「うー…うー…」と弱く声を出すので、すぐにつづらにうつぶせに置いてやる。
腹水が内臓を圧迫するので、仰向けにすると肺が潰されて苦しいのだろう、うつぶせだと水は一番下なわけで、その体勢が楽なのだとう思う。

辛い状況は変わらず。
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2011-05-01(Sun)

別れるまでの時間

5月1日(日)

今日から5月、もう5月。
シマは相変わらずだが、ちょっとずつ確実に、静かに衰弱している。夕べもソファにタオルを敷いて、シマが見えるところで休んだ。

朝は6時前に目が醒めたが、トーストと昨日作ったミネストローネを食べて、また横になった。
シマはつづらにじっとしているだけで、時おり姿勢を変える以外は動かず。
それにしても、いまだ尿だけはちゃんとトイレ=というよりトイレの箱に上がる段差がしんどいらしく手前に敷いてある尿取りシート=までふらふらと歩いて行き、お婆ちゃん座りのようにへたりこんでする。
下半身がびちゃびちゃになるのでその都度拭いてやっても、やはり凄い臭いだ。
今朝も6時に起きてその後9時頃までウトウトしている間に尿をしたらしい。正直歩けること自体が不思議とも言える状態なのに、たいした奴だと思う。

午後、住宅洗剤などこまごました買い物があるので、雨の合間を見て自転車で近所のスーパーまで出かけた。
曇天で時々雨が落ちるという陰鬱な天気だが、外気はかなり暖かい。メモしていった買い物を済ませて、まっすぐ帰宅。
着替えて落ち着くと、シマがよろよろと出て来て、トイレの前にへたりこんだ。敷いてあるシートにじわりと黄色い染みが出来ていく。
猫は元来自分の体が濡れたり、ましてや尿でじっとりすることなどあり得ないほど嫌うのだが、もうそんなこと構っちゃいられないのだろう。
すぐ腰を上げてやり、綺麗なシートへいったん移動させ、濡れたシートを替えて下半身を拭いてやった。シマはそのまましばらく綺麗なシートの上にじっとしていたが、しばらくするとよろよろとまたつづらに自力で戻って行った。
それからはただ、じっとつづらの中でゆっくりと息をしているだけである。時おりふらっと立ち上がり、姿勢を変える。夜になるにつれその頻度も減り、つづらの縁に額をつけてただ呼吸をしているだけになった。

夕方、実家の母親から電話があった。
シマのことかと思ったら病気の息子を心配するいつもの調子。自分は何でもない、それよりシマがこういう状態だと話すと、母親は最近実家で看取った猫の話を始める。もう何十回聞かされたか知れない。
あんなに元気だったのに、突然おかしくなった。ふらふらで糞尿を垂れ流し、後をついていっては掃除が大変だった。最後はオムツをさせた、今でも思い出すと涙が出る…。
歌の『秋桜』ではないが、「何度も同じ話繰り返す母」というフレーズが浮かぶ。自分も人の事を言えない、年を取るとだいたい話がくどくなるし同じ話をリフレインするようになる。

夜はシマを気にしながら酒を飲んだ。
もう長くないと判っているから、色々と思い出すことも多い。
連れ合いと一緒に団地の近くに「仕事場」を借りた。団地ではすでにそう太とマイちゃんという2匹の猫を飼っていたのに、野良猫を保護している知り合いの「猫おばさん」Mさんから、連れ合いが新たにもう1匹貰ってきてしまった。「目が合ったら胸に飛び込んできたの、もうしょうがないじゃない」と申し訳なさそうに、でも嬉しそうに言っていた。その子猫・マルは、仕事場で飼うことにした。
その後、仕事場で保護することになったのがシマだ。
翌年は次女のゆうちゃんが独立することもあって、団地と仕事場を統合し、長女のももちゃんと3人に猫が4匹という暮らしになった。
団地時代からの老猫・そう太とマイちゃんが相次いで逝き、その間にももちゃんは結婚して家を出た。
夫婦2人に猫2匹、「これくらいがちょうどいいかもねえ」と話した。
それからマルが逝った。嫉妬深い猫で、後から来た若いシマを異常なまでに敵視していた。突然具合が悪くなり、最後は連れの腕の中で逝った。
とうとう猫がシマだけになった。シマの方はマルが死んで寂しいらしく、しょぼくれた日が続いていた。
連れ合いはマルが死んだことに加え、シマの元気の無さに耐えきれず、またもや「猫おばさん」Mさんに言われて猫を見に行った。
「見に行っちゃったら仕方ないよね」と、これまた確信犯的なことを言いつつ、貰ってきたのが、耳の聞こえない、兄弟が多く鍵尻尾の真っ白い猫…ユキだった。
シマを元気づけようという方便で引き取ったユキに、当のシマは激しく嫉妬し、無邪気に甘えにいったユキを流血するまでに叩きのめした。それからずっと、今に至るまでシマとユキはずっと仲良くなることはなかった。
その間に京都に引っ越しもした。
若かったシマもおっさんになり、みっしりと太っていた体はたるんで、歩くと下がった腹の皮が左右にぽよんぽよんと揺れるようになった。
ユキは耳が聞こえないから、空気も読まずに静寂を切り裂く大音声で鳴く。人間は解っているから「はいはい」と対応するが、シマは溜まらないという様子で二階へ避難することが増えた。
うるさいから二階へ行く、しかし階下ではユキが相変わらず俺たち夫婦に甘え、可愛がられている。シマは面白くなかっただろう、時々「ちくしょう!」という感じで階段を駆け下りてきては、俺たちとユキの間にわざわざグイと割り込んで自己主張したものだ。
一昨年連れ合いが亡くなって、とうとう人間一人に猫二匹になった。
二匹は一人の愛情を奪い合うがごとく、張り合うように甘えるようになった。そして今、シマも「虹の橋」を渡り連れ合いの元へ行こうとしている。

背中をゆっくり撫で、「今までありがとう、もう頑張らなくていいよ」と声をかけると、尻尾をほんの少しだがぷるぷると震わせる。

残酷な時間だと思ったが、実際のところはどうなのだろう。呼吸は穏やかで、痛みも苦しむ様子もない。ただ、徐々に「死」が覆っていく気配。
奇跡など起こるはずもなく、確実に、この小さな命は失われる。はっきりともう判っていること。それを受け入れるためのゆっくりした時間。

2月22日の「猫の日」、犬猿の仲だった二匹はこんなになっていたのだが。
猫の日なのにケンカする二匹
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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