2011-08-29(Mon)

豆ご飯

お供え
どうしても食べたくなって、冷凍の豆で作った。
実家に居る頃はひいばあちゃんが作ってくれたのが塩味が絶妙でうまかった。
団地に居る頃は、連れ合いの作ってくれたのがうまかった。春の、旬の味。
もちろん今はえんどう豆なんかそこらで売っていないので、缶詰か冷凍の豆を使うことになり、味はそれなりのものになる。まあまあ、炊きたてはうまい。
連れ合いに供え、炊きたてを食べ、明日の朝用に弁当を作り、残りは冷凍した。

弁当
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2011-08-16(Tue)

診察日、送り火

8月16日(火)

ダブル受診日。
夕べは万全を期して(?)休肝日にした。風呂上がりにキュ〜ッとやりたいのを堪え、スプライトで我慢。夜も11時就寝。子供か。
そのせいで朝は5時過ぎに目が醒めてしまった。いつもなら丸椅子の上かタンスの上で寝ているはずのユキが、なぜかベッドの足元にいて、寝返りの時無意識に蹴飛ばしてしまったらしい。「にゃん!」とあからさまに不愉快な顔でギュッ、とこちらを睨むので「ごめんごめん」と手招きをすると寄って来る。そのまま暑いけど腕枕みたいにしてウトウト。結局7時前に起床。

外は曇天、うすぼんやりとした陽射し。今日は五山送り火、病院が混むのか空くのかよく解らないので、早く出ることにした。8時過ぎに支度をして出ると、さほど蒸し暑くなく風がちょっとそよいだ。車も少なく道も空いている感じで、タクシーもすぐにつかまり、病院へもスイスイ。
受付に着くと8時20分ころだったか、中央ロビーの椅子はほぼ満席状態。「常連客」のお年寄りが圧倒的な数。8時半の受け付け開始5分前になると、ぞろぞろと自動再来受付機の前に行列が出来はじめ、並ぼうとしたら皆さん手にカードを持っている。見ると、受付開始時間前に来た人は「並ぶ受付機の番号」が書かれた札を持って、時間が来たらそこへ並べというシステムらしい。通って4年になるが、初めて知った…。
しょうがなく最後尾に並び直し、2階の採血受付へ行くと、当たり前だが既に長蛇の列。十分ほど並んで受付すると177番、意外と少なかった。待ち時間も十分弱で、試験管3本。今日はちょっとだけ右手の手首あたりがじりじりと感じた。こういう事は滅多にない。
地下に降りて放射線受付、待合に腰を下ろしたかと思ったらすぐに「4番へお入り下さい」とアナウンス。レントゲンもつつがなく終了。ここまでで9時15分くらいだったか。

あとは診察待ちなので、呼吸器内科の外待合へ移動して椅子に座り、30分ほどスマホで音楽を聴く。一応予約時間は9時40分なので、アナウンス待ちのため音楽を終了、急激に眠気が来てウトウト。
見た感じ、いつもよりは患者の数は少ないという印象だ。外来の外待合も椅子に空きがあるし、回廊から見下ろすホールを行き交う人もこの時間にしては多くない。これなら今日はサクサク行きそうだな、と思っていると、10時過ぎに呼ばれた。

吸入器I先生は「様子はどうですか」と聞かれるので、「変わりなく、食欲もりもりで…」と言うと苦笑される。白血球数が1300と少ないのがちょっと気になるけれども、「レントゲンの結果もいいですよ」とのこと。合う人ごとに「太った」と言われると言うと、「コレステロールは低いですね…あ、でも中性脂肪が多いですね」と笑われる。
薬と吸入の処方、次回の採血と診察の予約を入れて貰って、次は処置室へ。
吸入のお願いをして廊下の椅子に座ったところで、血液内科からの呼び出しが鳴り「診察室前でお待ち下さい」。予約時間は10時20分、時計を見るとちょうど10時20分。一瞬迷うが、「今行けません」を押した。
数分後に吸入器の準備が出来たのでボックスに入る。
とにかく苦痛。加えてるとだらだらと涎が出るのも嫌だし、薬剤の何とも言えない苦みと肺に入る「重さ」が不快。スマホでスポーツニュースを見て気を紛らわしつつ、苦行を耐える。

吸入を終えて血液内科の受付に向かい、前の科で吸入をしていたので来られなかった旨伝えて、外待合で待つ。ここからはまた長くかかるかな、と思ってバッグを外し、ギャツビーボディタオルで顔や首を拭いていたら、十分ほどで「診察室へお入りください」。慌てて移動。

N先生も「お変わりありませんか」と聞かれる。I先生への返答と同様に答えると「今ね、夏風邪が流行ってきていますから」とのこと。採血の結果、やはり白血球数が少ないのが気になるが、その他は変化がないので、いいじゃないでしょうか、ということ。ここ5,6年こんな感じの上下はよくあることなので、こちらも気にしないことにする。
「太っちゃいまして…」と言うと、やはりコレステロール値が低いが中性脂肪が高い、ただ「コレステロール値は体質もありますからね…」と言われるので、「はい、実は発病前からそういう体質でした。ですが中性脂肪は完全に食生活のせいですすみません」と頭を垂れた。

首まわりや腋下などリンパ節の触診の後で、N先生に「そういえば…」と伺ってみる。
先日ニュースで知った、白血病の画期的な治療研究の話(T細胞の改変で末期の白血病患者が全快、米研究 国際ニュース : AFPBB News)。
「あれは凄いですね、移植ではなく自分のT細胞で癌を倒すわけですよね」と言うと「そうですね、世界中で今この病気の研究は進んでますからね」とのこと。
T細胞性で、慢性で、リンパ性という難治性の、まさしく俺のようなタイプの患者には光明なわけだが、俺が「ああいうのは日本でも研究されてるんですか」と聞くと、「はい、でもまた違うタイプや違う角度から色々ですね、白取さんの場合は本当にご病気が動かないので、こうしたタイプにもお薬が見つかるといいですね」とのこと。
まあまだ臨床結果としては寛解に至ったのは3人だし、これからアメリカ全土に拡大し、さらに日本へ…となるのはかなり先になるのか知らん。素人ながら、骨髄移植と抗癌剤投与という今「定番」の治療プロトコルだと、どうしても患者の免疫抑制は避けられず、また予後も宿主病や再発の不安がつきまとう。そもそも免疫抑制時、去年俺がかかった肺炎のような菌でコロッと死ぬ事も多いわけだから、言い方は悪いがギャンブル的な目で見てしまう。
ただこの度のペンシルベニア大の研究はそれらと違い、患者自身のT細胞の遺伝子を操作した「改変T細胞」で癌を殺すというもの。俺の場合はCD19ではなくCD4というたんぱく質が特異的に足らず、その結果カリニのような肺炎菌に弱いのだが、とにかく、患者自身の細胞だから拒否反応がない。ゆえに免疫を抑制せずとも良い。またT細胞が癌化した細胞を殺すので、抗癌剤という「猛毒」を入れる必要がない。もし実用レベルまで進むとしたら、本当にもの凄い事になる。
…と、素人ながら思った次第だが、研究の最先端におられるN先生は先ほどのように極めて冷静であった。まあ患者というものは、事程左様に「新薬」「画期的治療法」という情報に一喜一憂するものである。よく言われることでもあるが、病気が動いていない=大人しい場合は抗癌剤は効きにくいとか、色々と素人情報があって自分も耳にした事があるが、結局そうした事も全て「個々の患者さんの個々の症例・病状次第」だし、特に血液腫瘍の場合はもの凄く細かくタイプも別れわけで、ひと言で「これはこう」とは言えない。もちろん、その事ももう充分知っている。
N先生はこちらがあれこれ伺っても、基本的には必ず回答してくださるので、こちらもついつい聞いてしまう。

病院前から大文字山チラさて診察室を出て、一階ロビーの会計受付へ行くと誰も並んでいなかった。こんな事は滅多にない。その分係員も3人しかおらず、それぞれ対応していたのでそれを待つ。すぐにそれも終わり、十分ほど座って金額が出るのを待ち、会計も終了。何とまだ12時前、奇跡のような早さ!
病院を出ると陽射しが出て来て眩しい。熊の前のスーパーで夜のビールと送り火なのでお刺身、後はここ二、三日のものを買ってタクシーで帰宅。うちの隣の薬局に処方箋をお願いして、荷物を置いてコンビニへ行き、アイスを買って再び薬局で薬を受け取って帰宅12時ちょい。
マンションのエントランスでちょうどI内科のI先生とお会いし「お元気ですか?…ちょっと肥えはりました?」と言われる。はい、もう…ほんますんませんです。

今月もとりあえず「低値安定」変わらず。良かった、まだ生きてる。
夜は送り火、故人を思い乾杯を。
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2011-08-12(Fri)

お花をいただきました。

8月12日(金)

●

編集者の長沢さん・漫画家の宮脇要子さんご夫妻より、お花をいただきました。
いつもありがとうございます。
「迎え火」の灯籠と日本酒と。

天ぷら
夜はししとうとサツマイモの天ぷらを作った。塩で酒のアテに。

ユキちゃん
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2011-08-08(Mon)

「お盆」進行

8月8日(月)

お盆が近付いて来て、出版に限らず何かと「お盆進行」で忙しい。
仕事が減ったとはいえ、逆にタイトなものも受けないと干上がってしまう。ていうかタイトなものばかり。
外は素晴らしい青空に白い夏の雲、山の緑。
山といえばいつも見える大文字、今年の送り火は複雑な気持ちで見ることになりそうだ。

もうニュースなどの報道でちょっとした騒動になっているが、岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松で作った薪に被災地の人らがメッセージを書いて、五山送り火(の中の、大文字)で燃やすという計画が反故にされた件。
この松は大津波でなぎ倒されたもので、自分も報道で震災前の美しい様子と、津波に襲われた後の痛ましい光景を見て涙が出た。確か頑張って屹立していた松があって、地元の人が「…これは頑張って耐えたんだね」と言っていたのが、溜まらなかった。
それら「犠牲」になった松に、被災地の人たちが亡くなった人らの鎮魂の意味を込め、メッセージを書く。それを、霊をお迎えするお盆の最後、送り火で燃やして…という計画で、これ自体は本当に素晴らしいことだと思った。
なぜ反故になったかというと既報の通り、京都大文字保存会に「松は放射能で汚染されてるんじゃないか」「そんなもの燃やして放射能が拡散したらどうする」という苦情が「多数」(ソース…東日本大震災:「送り火」のまき中止へ 被災地の松、放射能を懸念−−京都・保存会 - 毎日jp(毎日新聞))寄せられたそうで、結果、その「声」に屈する形で取りやめになったそうだ。
放射線検査では松からは危険な数値は計測されなかったというのに。

俺と連れ合いは今の居室を決めるにあたって、京都市内で猫が飼えることと、連れの大学通いに便利なことを条件に捜していた。何件か見させてもらったなか、今の部屋に決めた大きな理由が、送り火が見えることだった。南側からは大文字が、メゾネットを上がった北側の真正面に妙法の法、左に舟形、遠くに左大文字。
これだけが一室から見られる部屋で、しかも我々の条件に叶う場所は他にはあり得ない、それで即決した。
入居はその年の送り火が終わった後で、連れ合いは翌年の送り火を心待ちにしていた。
2008年の送り火は夫婦二人で酒を飲みながら堪能した。
「本当にいいところに来たね、良かったね」と話し合った。
2009年は、その連れ合いを亡くし、連れの霊を一人で送った。

あれからもう三度目の送り火、今年は三月にあれほどの大災害があって、京都は福島県の被災者の方々を受け入れる担当県でもあるし、自分たちの身内だけではなく色々な思いを込めて見つめる特別な火になるのだなあ、と思っていた。
放射能は怖い、目に見えないし影響も「ただちに出る」レベルではない、だとしても科学的に「安全」と計測されたものを過剰に怯えて排除する、込められた思い、供養の気持ちまでも遠ざける偏狭な人が同じ京都に住んでいる、同じ送り火を見るのかと思うと、複雑な気持ちだ。
もっとも、この報道を知った京都市民からは「何で中止にするのか」という非難も殺到したそうだから、「京都市民」とひとくくりにされるのは自分も含めて心外ではある。

送り火も保存会の人たちが、それはそれは毎年準備のために奔走され、ご苦労されている様子を知っているし、報道もされている。
お盆は亡くなった人の霊をお迎えして、またお送りするという行事だけど、特定の宗教がどうしたこうしたという話ではなく、気持ちの問題。
自分はせめて、連れ合いや先祖の霊と、震災で亡くなった人たちのために手を合わせようと思う。


★その後★
NHK京都のローカルニュースや全国ニュース、情報番組、ネットの報道などを総合してまとめると、
大分の芸術家が発案した「被災地の松に思いを込めて、京都の大文字で焼こう」計画、
→大文字保存会が快く受け入れ
→一部京都市民から「放射能どうするんや」抗議が「約40件」(NHK京都・ニュース)
→市内の検査機関によると放射能は検出されなかったが、保存会では抗議を受け、「全員意見一致が見られなかった」ため受け入れ中止を決める(6日・京都新聞)
→松は粛々と迎え火として陸前高田で燃やされることになり、「京都に拒否された」と報道され、全国から「京都市」に対して非難殺到(8日〜読売新聞他、全国各紙)/京都市民からも1000件以上の非難・抗議(9日・NHK京都・ニュース、11日までには2000件超)

→全国からの非難・批判を受け、京都市が介入(11日、門川市長談話)
→五山の大文字を除く四つの保存会が受け入れ表明
→大文字保存会も受け入れ表明、五山揃って再び陸前高田の松を燃やすことに落着
(…11日まで)
→陸前高田から届いた松から放射能検出
→やはり中止に(12日)→いい加減にしろと再び非難殺到


…原発事故に関する世の「危険厨」×「安全厨」という「原発反対」×「原発賛成」みたいな単純化された対立構造による煽り合いがあちこちで見られる。今回の顛末も報道で知って「京都市民は冷たい」「元々閉鎖的だ」など、ステロタイプの罵りをここぞとばかりに浴びせる向きもある。
実際は京都市民の中でも「少数派を見て全体を批判するな」という意見も多く、もちろん少数派として「情報の開示が遅かった、むしろ心配するのは当然」という意見もあった(NHKニュース、街頭)。世の中ってそんな簡単にできてない。
また「そもそも送り火は各地で行うローカルな行事だから」などなど、「大分の人が発案」し「岩手に呼びかけ」て「京都で行う」計画そのものに疑問を呈する意見まで、本当に色々な意見が飛び交っている。
最初の、少数の安全に対する「懸念」に、はっきりと「放射線を出していないか検査します→しました→非検出でした」という情報が出されていればどうだったか、という意見も多い。
俺の場合はたった4年しか住んでいない、地元にすれば「にわか市民」だけど、自分の聞こえてくる範囲と経験で言えば、市内では「大文字焼き」という言葉をあまり使わず(むろん東山の大文字焼き単体を指す時は使うけど)、この日(毎年16日)京都で行われる行事は「五山送り火」あるいは「送り火」と呼んでいる。で、それぞれに保存のために尽力されている方々がおられる(数年前に保存会を取材したドキュメンタリー的な番組も見た、またKBS京都では毎年生中継も行っている)。
その保存会の方たちが「諸事情を鑑みて」内部で相談をされ、結論を出す話で、元々決定に関しては外野がああだこうだ言えるものでもない。もちろんそうはいっても公共性を帯びた大きな行事でもあるわけだから、安全という部分で配慮があるのも当然だ。そして安全が確認されたら正しいと思う決断をすればいいのもまた当然(信頼できる科学的な数値を示せばいいわけで、安全と出たらそれでいいじゃない、というのが個人的な意見ではある)。

それにしても何というか、何かあるとすぐに「誰が悪い?」と目をギラつかせ、「こいつらか」となるや怒声を浴びせるギスギスした感じ。これはここ数ヶ月ネットを見ていて、嫌になるほど体感している。というより嫌になって、なるべく見ないようになったくらいだ。
関係無いが業界の友人と話していて「白取さん、そういえば最近猫ちゃんとご飯の話ばっかりですね(笑)」と言われたが、まあ要するにそうなるよ、という事である。
大震災や津波は自然という、言ってみれば怒りのやり場のない相手。原発事故やその後の政府・東電などの対応は人災とも言えるので、やりきれない、もって行きようのない怒りを怒濤の如く浴びせることが出来る。良し悪しの話ではなくて、現実の話。
まあその話はまた別の話として、とにかくこの騒動、「お盆」という行事、供養や鎮魂という言葉に合わない気がする…。

京都府と岩手県陸前高田の送り火偏向報道問題まとめwiki - 問題の経緯
読めば解るが、こうした経緯も知らずにメディアの報道だけを見て、延々と「京都叩き」をしている人たちがいる。それはそれは親の仇でもあるかのように、口汚く、延々と…。正直、気持ちのいいものではない。
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2011-08-05(Fri)

「明青」さんで飲んだ

8月5日(金)

連れ合いの月命日でもあるこの日、東京から仕事で来られる小学館クリエイティブの川村さん、デザイナーの真田さんと「明青」さんの3人で飲む予定。
川村さんはやまだ紫の『性悪猫』など代表作の復刻を出版していただいた恩人で、真田さんはその一連の装幀をして下さった方。ライターの中野晴行さんを加えたメンバーで集まったのは去年の秋(やまだ紫復刊チーム集合)だった。
朝からじりじり暑くなっていったが、予報だと午後から雨。去年集まった時も雨だった。

夕方5時過ぎに支度をして外に出ると、曇天ながらまだ降っていない。何だ、これなら持ちそうだな…と思ったら西の山の方に黒雲があり、その下が煙っている。あれがこっちへ来るわけかと思い、やはり傘を取りに戻って、マンションから出たらポツリと振ってきた。
たちまち傘をささねばならぬ降りになり、近くの交差点まで来た頃にはバケツをひっくり返したような豪雨。傘をさしていても膝から下、両肩から下がびしょびしょになる。赤信号にひっかかっていると、川村さんから着信。「雨が降って来たので、ちょっと時間早いですが先にお店に入ってます」とのこと。
その頃にはもう雨が尋常じゃない勢いで、とてものんびり歩いて店へ向かう風情ではなくなったので、停留所二つだが、ちょうど来たバスに乗った。やれやれとハンカチで腕を拭いたりしていると、歩いていた人がびしょ濡れになって呆然と雨宿りしていたり、ヤケクソなのかおっさんがゆーっくり自転車で通ったりしている。

店に着くとなぜかこちらの方が早かったようだ。おかあさんがブログを見てくれたようで、「大阪行ったんやて? 凄いなあ!」とびっくりしていた。あとまた太ったとも…。
そんなこんなですぐにお二人も到着、歩いていたら突然降られて大変だったそうだ。
前回来たのは去年の秋でしたねえ、という話をしつつ、とにかく生ビール。五臓六腑に染み渡った。何しろこのために今日は昼に風呂あがった後水分を摂取していなかったのである。馬鹿である。

明青さんの料理は何を食べても本当に間違いがないのだが、ここは旬のはもおとしをまず食べましょう、ということで頼む。あとはお造り、茄子田楽、とうもろこしの掻き揚げ、ロースとんかつなどなど…。
上は一人刺身とはもおとし、下は茄子田楽

締めは真田さんリクエストの鯖寿司と、こちらの推薦の牛握り。
上は鯖寿司、下は牛の握り!

もう全てが絶品で、素晴らしかったですはい。3人ということで刺身を小分けしていただいたり、とんかつも一口サイズにカットしていただいたりという気配りも嬉しかった。いや本当においしかったです。

話も漫画業界の話から、神保町界隈の話、釣りやらMLBやら色々と途切れることなく、楽しかった。何しろこういう場というのは一人では持てないわけで、それが一番嬉しい。こないだの大阪といい、やはりたまには外で誰かとわいわい飲むというのはいいことだ。昔は、連れといつも一緒だったし、こういう場も多かった。

さて結局11時くらいまで飲んで食べて話して、最後は川村さんにご馳走になってしまった。そんなつもりは無かったわけで、ばくばく食ってがぶがぶ飲んでしまい恐縮至極。ありがとうございました。
明青さんには美味しいトマトとキュウリを持たせていただくし、皆さん本当に感謝です。
免疫力がだいぶアップした気がします!
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2011-08-03(Wed)

海苔弁

8月3日(水)

冬はよく土鍋でご飯を炊いていた。一合炊きの土鍋だと、米を水に浸してから火をつけて蒸らしまで入れても30分くらいで、素晴らしくうまいご飯が食べられる。
しかしまあこう暑くなると、一食ごとにガスを使うのも萎える。とりあえず電気釜で4合くらいがばっとご飯を炊いて、小分け用の容器に分けて冷凍しておくことが多い。
腹が減っている時にまとめ炊きをすると、まず炊きたてご飯を食べたいから、すぐに小分けして荒熱を取るという作業が後回しになる。なので食事の間の時に、まとめ炊きをする。

そのまとめ炊きの時のご飯で、小分けと一緒にいつもタッパーに簡単な「海苔弁」を作る。
一層目はまず薄く底にご飯を敷いたら、すり胡麻をまぶす。その上にパックのおかかをまんべんなくふりかけて敷きつめ、あらかじめ切っておいた有明産の海苔をちょいと醤油を撫でてから全面に載せる。これがうちのベーシックなスタイル。
二層目はその時々の気分や、あるもので変わる。
いただきものの佃煮だったり、梅ゆかりだったり、ちりめんじゃこだったり。

のりべん!この日は北海道から送ってもらったいいたらこがあったので、包丁で薄皮からスイーッと押し出してから、ご飯の上に敷いた。
桜でんぶのようなどぎつい色じゃない、ほんのり綺麗な桜色。その上にまた海苔を載せ、塩鮭のほぐし身を乗せて完了。
塩鮭はこの前に最後の冷凍ご飯で半分食べた余り。
三層目に行く場合もあるが、最近は食いきれないので二層が多い。

海苔弁はもちろん作りたてもいいが、弁当なので時間が経ってからの方が気分が出る。
そんなわけで夕方、飯を食わずにキュウリの漬け物ともずく酢で軽く一杯やりつつ、頃合いを見ておもむろに海苔弁を食べる。これがうまい。飯、ごま、おかかや海苔、たらこや鮭。日本人が好きなものばかり。

本当は「明青」さんへお邪魔した時の締めで食う牛の握りとかぺらぺらうどんとか(思い出しただけで涎が出る)を食いたいところだけど、海苔弁のうまさってまず間違いはない。
とはいえどんぶり一杯以上あるので食い過ぎてしまうのが難点…。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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