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2012-06-01(Fri)

新居顛末あれこれ

だいぶ落ち着いてきました。

■引越から十日目。
顛末は前に記述した通り、早くから自分なりに周到に用意をして始めたわけで、正直「後は何とかなるやろ」ということで中だるみした結果、引越前日と当日はすさまじくハードだった。毛は抜ける尿は出なくなる手足は痺れる全身鈍痛、正直を言うと二、三日入院したかったくらい。
高野の旧居では「こんなにいい場所を離れたくない、動きたくない、三津子と一緒に暮らした思い出の部屋から去りたくない、何より引越面倒くさい!」…というそんなもろもろが混ざった気持ちでいた。ここ半年くらいずっとそうして悶々としていた。
そこに住み続けるという「贅沢」を続けるために、肝心の体をこわす寸前まで頑張り続け、結局力尽きてしまった。ここに至るまでに、すでにかなりの精神的ストレスに常に苛まされており、もちろんその根底には妻の死と自分の抱える死病という大きなストレスがあっての上に、さらに乗っかってきたという状況。
それにしても十日経ったというのがちょっと信じられない。十日って…。
健康体ではないため、ちょっと力仕事をしただけで筋肉や関節が悲鳴をあげる。そんな状態での引越だった。力はあるのに、筋骨や組織がついていかないという感じ。しかし引越はケツが決まっている仕事なので、脳がリミッターを外して動いたせいだろう、手足全ての指先の感覚が痛覚しかなくなった。ギュッと力がかかって押されている状況、これで組織か血管かがダメージを受けているはず。それを修復する能力もかなり衰えているはず。そしてそのことがまた、元々弱っている体にダメージを与えたはず。
それもこれも、十日ほど経つとだいぶ良くなってはきた。人間の体ってやっぱり凄いよ。
何しろ、中だるみした分、凝縮された「重労働」は本当にしんどかった。
旧宅の空になった部屋の外されたドアや戸を元に戻したり、全体に掃除機をかけたり、その後床をクイックルワイパーで拭いていったり大量のゴミ袋をマンションのゴミ置き場に出したり…と、いったい朝からスポーツドリンク一本飲んだだけでどれだけの汗を流したかというくらい、ぐしょぐしょの汗だくになった。もう手足の感覚はとうに無かった。
夕方、「あ、このままだと死んでしまうな」という直前まで頑張って、本当に意識が飛んで倒れそうになったので引き上げることにしたっけ。
それも三日安静にしていたら何とか回復、結果病院では異常無しだった。やっぱり人間の体は凄い。


■「不要品」
さて新居のソファからテーブルからあちこち50箱を軽く超えた箱がうず高く積まれていた状況は、だいぶ改善された。
大事な連れ合いの原画原稿は全て持って来た。思い出の品も、断腸の思いで削ったとはいえ、なるべく持って来た。
荷物を開けていくと、何故か捨てたと思っていたのに「廃棄」「不要」と書き忘れたので、持って来られてしまったCDも混じっていたりもしたが、概ね、無駄なものはほとんど捨てることが出来た。
思えば、18で函館から上京してきた時は世田谷・上北沢の6畳一間に全てが入り、そこに布団を敷いて寝る生活をしていたはず。LPやカセット、本だけは一丁前に大量に持っていたが、どうせ万年床だから押し入れをそれらの「収納部屋」に充てていた。
そこからすぐに千葉県の柏市の田舎にあるアパートへ引越し、そこでもたいして荷物は本類以外は増えなかったと思う。この頃青林堂でバイトすることになり、50分かけて超満員で有名な千代田線でお茶の水まで通勤する苦痛に耐えきれず(主に朝の下痢方面)、巣鴨(住所は南大塚)へ引っ越した。
この部屋はオーナーが焼き鳥屋を経営していて、日中は休んでいる。俺はその時間が会社で、大家さんたちが店に出勤する頃に入れ違いでこちらが帰宅するという理想の環境。防音も良く楽器をアンプから音を出して鳴らしたり出来た、いい部屋だった。
そこは連れ合いの三津子…当時は「やまだ紫先生」から個人的にお付き合いさせていただけるようになり、向こうから「別に暮らしてるともったいない」と言われて、団地へ転がり込む形になった。
ここで、荷物はコタツ、布団、洗濯機など、重複しているものをかなり捨てたはず。
何しろ越した先の高島平・西台団地は子供部屋とダイニングキッチン、あとは6畳の居間にくっついた3畳の納戸部屋。この3畳に無理やりダブルベッドをつっこんで、夫婦の寝室にしていた。
つまり「俺の部屋」どころか机すらなく、以前三津子が仕事机がわりに使っていた棚の張出の下、部屋の隅っこにかろうじて俺の小物を入れるカラーボックスを2つだけ置かせてもらっていた。今考えたら、俺個人の荷物は本当に少なかった。
それが近所に彼女が仕事部屋を借り、ついでにももちゃんが団地を出たいというので同じマンションにもう一部屋借り、家族が一軒ずつバラバラで暮らした一時期を経て、エイヤと二人で踏ん張ってマンションを購入・統合。
この頃には4トン車一台分以上の廃棄物が出た。

そこで7年ほど暮らしてから京都へ越すにあたって、不要物はほとんど出なかった。基本的に京都の部屋が東京のマンションより広かったのと、既に大量の廃棄物を出した後だったし、その後に溜まったコマゴマとした「捨てるものの選別は越してからにしよう」ということで、とりあえず引越を最優先にした。
今回の引越は、その7年+京都4年半の間に溜まった不要物と、そこに至るまでに捨てなかったけれども今となっては不要になったもの、本当は捨てたくないが物理的に入らないので捨てるもの、という3種類の「不要品」が大量に出た。
(計算外でもっとも悔しかったのは、ドラム式洗濯乾燥機。採寸までして入ると結論を出したはずが、防水パンの底から測っていて、四隅の高さ分を計算していなかった。このため本当にギリギリで取水のための蛇口がひっかかる。土壇場だったので、これは欲しいという引越屋の子にあげた。泣く泣く)
3トン車と4トン車が来て、3トンの方に引越用荷物、4トン(あるいは4トンロングだったかも)一杯分が廃棄物となった。

「もったいない」といって裏の白いチラシ(最近あんまり見ないが)を必ずA6くらいに切りそろえて束ね、電話の横のメモにしていたのは曾祖母。綺麗な包装紙や袋などもキチンと畳んでしまっていた。ご飯つぶを一つ残そうものなら叩かれそうな勢いで「お百姓さんが一生懸命作ったんだから」と怒られた、明治の人の教育…というか躾け。
ただ、それが癖とか習慣になってしまい、ものを溜め込む・使わないのに使えるかもでとっておく、そして今現在の自分の生活空間を狭くする、というのでは意味がない。今回もけっこう出て来たが、スッパリ捨てた。


■古紙回収

そういうわけで段ボール箱を開けた後、畳んだのが凄い数になってきた。畳半畳分くらい完全に段ボールで埋まって納戸が開かなくなった。ちょっと調子が戻ると、またホイホイ開梱作業を続けてしまい、気がつくとまた手足の先がチリチリと痛む。
なので甘い物食って休憩しようと、買っておいたエクレアとお茶で一服。すぐに差し込み。因果な胃腸である。
トイレに座っていると、配管か壁を伝ってか、かすかに女の声でアナウンスのようなものが響いてくる。
ん、これ聞き覚えあるぞ…と思ったら、あの「誇り高き男」のテーマ(笑)。古紙回収だ! とすぐに始末をしてトイレを出て、カードキー(オートロックはこれがないと開かない)を首からかけて外に出る。
果たせるかな、洛北にいた時も何度も見かけていた見覚えのある軽トラックが10mくらい先に止まっていた。
しばらくトラックの脇で待っていると、運転手のおじさんが戻ってきたので、「引越で50~60枚くらい段ボールがある」旨伝える。おじさんはまたすぐ別な家へ回収に向かう=先約があるようで、マンションの前に積んどいてくれれば回収するとのこと。マンションの場所を教えて、すぐ部屋に戻る。
何しろ大型中型小型、規格外の超大型やAmazonの各種箱まで、凄い量だ。縛らなくても大丈夫というので、とにかくひたすらマンション前のゴミ箱前に往復し、積んでいく。トラックを見ると停まったままで運ちゃんの姿はなく、ちゃんと回収してくれるか不安。何しろゴミ置き場に古紙…雑誌の束や段ボールをまとめたものを出しておいても、市は収集してくれないのだ。つまりそこへほったらかしになることになり、他の住人から苦情が出る。京都市も集積所からの「無断での持ち出し」は条例で禁止したから、あくまで「ゴミを出す側が、業者に依頼をし、依頼を受けた業者が回収する」スタイルを取らねばならないのだ。チャンスを逃すと、外に積んだ段ボールを全て部屋に戻さなければならない。
気になって何度か見に行ったが、そのうち頼んでおいたご近所への挨拶用タオルセットが宅配で届いたので、1階の他の部屋の人宛に簡単な挨拶を書いて袋に入れ、ポストに投函しておいた。
その際ゴミ置き場を見に出ると、あれほど大量にあった段ボールが綺麗さっぱり無くなっていた。やれやれこれで一安心。

京都市はなぜ市で古紙を回収しないのか、明確な理由はサイトなどを調べてもよく解らない。やんごとない事情がアレとかあっちとかいろいろあるのだろうことは想像がつくけど。市側の理由は「伝統的に民間の古紙回収ネットワークが定着しているから」ということだ。このため、回収は住人が原則的に自分で業者に依頼して行って貰うことになっている。
マンションで独自にゴミ回収業者に依頼してある場合…これまで住んでいた洛北のマンションはそうだったので、ゴミ置き場に出しておけば古紙…段ボールでも古雑誌や書籍なども持っていって貰えた。しかしここはそうではないらしい=市の回収らしいので、諸注意にも「ゴミ置き場に段ボールや古紙を置かないように」と書いてあった。
いちいち古紙回収のたびに業者を呼ぶというのは極めて不便だし、そもそも市が回収すれば済む話だが、そこはまあ京都には京都のルールがある。ヨソから来て「それはおかしい」と言っても、京都では長年そうしてきたんだから、仕方のないことだ。
で、こういう引越などで大量に段ボールが出た場合はこうしてまとめて持ってって貰えばいいが、小箱一枚程度の段ボールや、雑誌や本類がちょっと溜まったりしたのはどうしたらいいのか。
実は「燃やすゴミ」の袋に入れてしまえば、焼却されるのだ。つまり段ボール箱も、開くたびにゴミ袋に入れてゴミにしてしまえば、古紙としてリサイクルはされないが、燃やすゴミとして焼却はされる。何というか色々とツッコミ所があるのだが、こういうルールなんだからしょうがない。
まあ確かに市中では古紙回収業者を割合頻繁に見るし、いちいち呼び止めるのが面倒とはいえ、まあ郷にいれば…だ。


■偽IH
IHは火が見えないので嫌い。「使い慣れるといいですよ」「IHでもちゃんと料理できますし」「IHの方がコスト的には低いから」とか百回くらい聞きました。知ってる。でも好き嫌いの問題だからしゃあないの!
でもこの部屋にガスの引き込みはないので、IH対応のフライパンを買って、一度使ってみた。
最強にして洗ったフライパンを載せた。水滴が蒸発するまで5分くらいかかった。ガスなら1分以内でジュッといって消えるのに。
フライパンを上げてみると、電熱コイルの形で赤い光が透けてみえた。
何だコレ。電熱線? コイルじゃん!
つまりこれはIHクッキングヒーターではなく、単なる「電気コンロ」なのであった! 騙された…。
何というか、こう、料理をしようかという気力も萎える、「オモチャ」である。そして異常に周囲の空気が暑い。いや、火を使えば暑いしガスだって同じなんだが、問題はその「調理時間」だ。何しろ電熱線が真っ赤になっているのがガラス板の下に透けて見えているが、それが上に乗せたフライパンまで均一に熱が伝わるまでにいったいどれくらい時間がかかるのか、想像しただけで気が遠くなりそうだ。ガスのように火が見えないとかいうレベルじゃない。何しろIHですらないのだ、コレ。下で電気通したコイルが熱エネルギーを放射してるだけ。
この「オモチャ」にしてはもっともらしい顔をした「電気コンロ」は今後二度と使用しないので、台所の下に首を突っ込んでコンセントを引っこ抜いておき、その上にとりあえずカセット式のガスコンロを置いた。一口しかないので不便だが、手の込んだ料理をある程度諦めれば、まあ問題ない。諦めないけどな! …ま最悪、どうしても不便なようなら卓上のそれこそIH調理器を一台買えばいい(二口の薄いやつはすさまじく高い)。

■狭いキッチン
CIMG4198.jpg

何しろ、今回のキッチンは幅が130cmほどしかない。俺が両手を拡げたより全然狭いのだ。シンクなんか給食のお盆つかトレイより小さいんじゃないか(笑)。こんなミニサイズのシンク、生まれて初めて見た。冗談抜きで、生涯で他人の家はおろか他の場所でも見たことがない。三角コーナーも普通サイズのを置いたら、それだけで半分が塞がる勢いである。単なる生ゴミ置き場になってしまう。
「偽IH」とミニシンクの間のスペースは25cmくらい。ここにまな板置いて調理すると、洗い物を置く場所がない。作業台にキャスターのついた何かソレ的な家具買い足すのか。いやもう余命いくばくもないってのに、これ以上ものを増やすのは御免だ。
つまり結論からいうと「料理やめれ」ってことか。だが断る。
たしかにおっさん一人、100円ローソンでカップ麺だのおにぎりだの210円の和風カレー丼とか買ってチンして食って、その時にインスタント味噌汁とサラダでもちょっとつけりゃ充分かも知れない。でもね、そういう問題じゃないと思う、食事って。それでいい場合もあるけど、俺の場合は料理が好きなので、作りたいという欲求もあるのだ。
だから何とか工夫してやろうと思う。
まだ落ち着かないし、台所そのものをまだ完全に機能させられる状態にもない。だからといって今みたいにコンビニ弁当だのレトルト、インスタントばっかり食ってるわけにもいかない。何とかしなきゃ。ちょっとずつ、環境を作っていこう。

とにかく、連れ合いの原画原稿はきっちり収納した。一部かなり大きい箱は置き場所に困っているが、何とかする。仕事周りはもうほぼ完了。ソファにザコ寝で良ければ一人くらい泊まれるくらいまでに整った。
あとは土壇場で入らなかった洗濯機、安いのを買い直すくらいか。ゆっくりやりましょう。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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