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2012-09-07(Fri)

「セルフネグレクト」

2012年09月07日(金)

夜7時半からNHK大阪「かんさい熱視線」で、「セルフネグレクト」の問題を取り上げていた。
よくニュースなどでも話題になるのは、親が育児放棄をする「ネグレクト」だけど、「セルフネグレクト」はまさに自己放棄というか、高齢者や生活困窮者などが人や地域とのつながりを絶ち、ついには自らの体・命の維持も放棄し、孤独死に至るという現象。ある調査によれば年間16000人から27000人ほどの人がこうした状況で亡くなっているという(孤独死全てがセルフネグレクトの挙げ句、というわけではない)。

番組に出ていた80代の男性は、仕事一筋で生きてきて、これといった贅沢もせず酒も飲まず、退職後は妻と仲良く暮らしていたが、数年前その妻に先立たれた。その時の妻の様子を思い出せば今でも涙が溢れ、一緒に暮らしていた家は思い出がありすぎて辛いのだろう、引っ越して今は違う家を借り、夫婦で生前から飼っていた白猫を唯一の話し相手として、持病で少し不自由な体で一人暮らしをしている…。

身に積まされる話ではないか。
…いや、俺の場合は酒好きで白血病だけど。

番組ではこの男性…というか老人が暮らす、豊中市の社会福祉協議会が頑張って、こうした孤独な老人たちをいかに救うか・見守っていくかに本気で取り組み、動いている事例を紹介していた。
しかし豊中といえば。
昨年、60代前半の姉妹が「餓死」するといういたましい事件が起きたのがまさしく、この豊中ではなかったか。
番組でももちろんそれを取り上げており、この時は、見守り・注意対象を「65歳以上の独居老人」と線引きしていたために、その網から姉妹(63歳と61歳)が漏れていたのだという、いかにも「お役所」らしい「ミス」だったという。

豊中市ではこの「事件」にショックを受け、反省し、機械的な年齢による線引きを改め、地域のボランティアや民生委員、あるいは民間の宅配業者などとも連携し、情報を一元化する特殊なソーシャルワーカーを新たに作った。そして近隣の声をお役所の縦割り部分のどこへ/どうやって繋げたら良いかを、その専門ワーカーが効率的に行っていく…という「改革」を紹介していた。

こうした地域住民と行政を隔てる根本的な問題の一つに、お馴染み「お役所体質」「縦割り行政」があることは明らかだし、長~いこと言われ続けてきた事でもある。
田舎ならともかく、都市部ではそもそもご近所付き合いが希薄な方が普通だろう。それでも、何とかご近所の人や宅配業者・新聞配達員などをうまく連携し、孤立した老人や病人を救えないか、どうしたら良いかということだ。
例えば普段見かける程度の人や、あるいはそのお宅に何らかの小さな異変を発見したとしても、ではどうしたらよいのか。交番か区役所か福祉事務所なのか、区役所でも何課のどこへどう知らせればいいのか、全く解らないというのが多くの現状(自分も経験済み)。もちろん警察は「事件」にならないと動かない。

率直に「へえ、お役所なのに頑張ってはるなあ」というのが感想。
嫌味とかじゃなくて、本来こうあるべきという姿が「頑張ってるなあ」という特殊な例に見えてしまう不思議。そして、頑張ってる職員のいる自治体と、こなし仕事でつつがなく過ごそうという職員のいる自治体とでは、当然サービスの受益者たる市民に格差が生じるという部分。チラッと思った。

自分の場合、引っ越して割合すぐに警察官が訪ねてきた。
住民の台帳みたいなものを持っており、「なになにさん(前の住民らしい名前)では、ないですよね」と言われるので、最近引っ越してきたばかりだという事を伝えた。定年間近のご年齢とお見受けする警官で、大変だなあと思いつつ「自分で書きますし」と台帳を受け取り、自分で住所やら本籍地やら電話番号やらを記入した。
その時に「自分はこれこれこういう病気でこういう状況なので、これ一人で死ぬと事件扱いになりますよね」と言うと、ちょっと驚いた様子で「それはそうやけど…」と言った後、しばらく気まずい沈黙があり、帰り際「お体大事にしてください」と言ってくれた。ありがとうございます。

あと、同じ階の部屋の人たちは生活サイクルが違うようだったので、個別に引越の挨拶には行かず、ポストにタオルセットと簡単な挨拶と名刺を入れておいた。少なくとも近くの交番の警官と、一階の住民は俺が一人暮らしで病人であることは知れている。
どう役に立つか解らないし、おそらく何にもならんのだろうし、そもそも「あこの人最近顔見ぃひんな」と噂されるほど、近所付き合いもないので意味がない。だが個人でやれる事なんてこれくらいだろう。あ、あと酒屋のおばちゃんと顔見知りになったが、挨拶を交わす程度で、個人の事情=病気ウンヌンを話すまでは親しくなっていない(笑)。

さて自分の経験ということで言えば、こんな病気=T-CLLみたいな血液腫瘍=で免疫抑制状態だけど、この病気そのものは「難病指定されていない」。しかし同じような免疫不全に近い症状に苦しみ、普通の職に就くことが出来ず、近年ちょっと仕事が減って経済的に医療費や薬剤費の負担が苦しいと思っても、まずどこへ行ったらいいのかさえ解らなかった。
元より役所になど頼る気すら無かったけれども。
それでも、親切に医師や知人がたまたま窓口をいくつか紹介してくれたので、連絡してみた。
結果は要するにやはり「お役所」である、当然「個別の案件にいちいち親身になって相談に乗る」ことなど基本あり得ない事を確認しただけ。
デフォルトが「こなし仕事」で、せいぜいが鎮痛な声を出して話を聞くだけ聞いて、「お気の毒ですが…」というだけ。仕方が無い、それが「制度」だし、番組の豊中の例みたいにその中で一生懸命「頑張る」例の方が特殊なんだし。
あと、これはこうした行政サービスの末端だけではなく、災害の後始末などでも思うんだけど、何かというと役所の側が便利にボランティアを頼ったりするのも、本末転倒だと思う。


番組によると、件の餓死した老姉妹は、食事を買うにも事欠く経済状態にありながら、生活保護の申請どころか相談すらしていなかったそうだ。
番組冒頭に出ていた妻に先立たれた老人の方は、恐らく退職金や年金があるので、経済的に困窮しているご様子ではなかったが、持病があり歩行に若干不自由がある。それでも「人の厄介になるのは嫌だ」と、ずっとヘルパーを断ってきたと語る。

そういう気持ちは凄くよく解る。
誰だって自分で出来るうちは自分でやりたい、自力で立ちたい、自力で暮らしたい。自分で何とかしたいんだよ。
他人に安易に助けを求めるのは恥ずかしい…と、今は知らんが少なくとも俺たちの世代より上はそういう教育や躾けを受けて育ってきた。
もちろん、そのような「片意地」「見栄」が結局周囲に迷惑をかけたり、あるいは病状を悪化させ、結果より大きな医療費補助という「税金」で負担を拡げてしまったりすることも、もうこのトシになるとよーく知っている。
それでも、日本人にはどうしても「恥」という意識があり、「頑張る」という「美徳・美意識」が先立ってしまう。
本当に困った時、人に助けを求めることは恥でも何でもない。それは意地だ。
解ってはいるが、「自分なんかよりもっと苦しい人がいるんだから」と思ってしまう。

…もっとも意地も何も、先日来引越の後でちょっとシャレにならんくらい経済的につらくなった折、医療費だけでも短期的になんとか…と恥も外聞も捨てて聞いてみた。結局役所など何の助けにもならないことも身をもって体験しただけだったが。(役所からなど何の助けも得られない

出版社時代にある人に聞いたことがある。
独居老人や病人の家に民生委員や自治体の社会福祉担当職員などが「大丈夫ですか」「困ったことはありませんか」と訪ねると、多くの人は「大丈夫、ありがとう」で世間話で済む。だが正直、言わないだけで「困ったこと」の一番は結局「金」に尽きる、という例が多いそうだ。
もちろん、独居であることの不安とか孤独感とか、持病だとか、垣根が壊れたとか電球が切れたとか大なり小なり人によって色々あるのだが、本当に困ることとなると、やはり「生活」「お金」という人が多いだろう、言えないだけで。
平成22年国民生活基礎調査によれば、独居高齢者は500万人を超えたそうだし、夫婦二人だけ(1000万人以上)でも、もし片方が病気・要介護状態になれば、いわゆる「老老介護」になる。
年金暮らしでは食っていくのがやっとで、持病の治療にしても、通院の往き帰りにしてもヘルパーにしても介護保険にしても薬にしても…何もかも金・金・カネでしょ、正直。
話を聞いて貰ったところで金を貰えるわけではないので、結局何ら解決にはならない。ちょっと気持ちがホッとして孤独感を一瞬忘れるだけで、現状は何も変わっていない。それを何度か繰り返すと、顔なじみの友人が出来た=前向きに捉える人もいれば、当然逆に一文の得にもならないのに「時間の無駄」と考える人も出て来る。
そういう人は「大丈夫、ありがとう」でさっさと「面談」を済ませたがるようになる。そして、その中の何割かはそのうち会ってもくれなくなる。
相談したって仕方がないからだし、世間話も面倒だ、上がってもらうにはそれなりに部屋を片付けたり掃除をせねばならない、お茶の一杯も出さねば失礼だろう。だったら面倒臭いから繋がりを絶った方が楽…。
そう考えてもおかしくないし、というか当然だし、もし病気で動くのが辛かったりすれば、余計にそうなるのが必然だとさえ思う。
これも番組のいう「セルフネグレクト」に陥るルートの一つだろうな、と思う。

ただいくつかの事例を見て、また自分の経験や昔の見聞を思い出しても、この国って歳を取ったり病を得た人が自立することは難しいし、非正規雇用者がこれだけ増えるとセーフティネットも機能せず、何というか、ちょっと足を滑らせたら突然「不幸のどん底に直結する社会」になってしまったという事なのだろうか。
世の中には無年金無保険の人や非正規雇用の労働者、老人、病人もたくさんいる。
そういうのはもうすでに「国家のお荷物」だから死んでくれて結構だ、ということなのかね。
「とっとと死んでくれた方が楽だわ、おまえら」と自分たちは思われている、だから頑張って生きなくてもいいや…そういう「諦めちゃった人たち」が年間3万人弱いるということじゃないだろうか。

社会福祉事務所やソーシャルワーカー、民生委員の人らは何とかしてそういう人たちを救おうと頑張っている。片方で「いいからとっとと死ねよ」と国や制度が言ってるのに、何とか現行制度の中でどれだけ頑張れるか、という取り組みが、番組では希望のように見えるのが、何というか、いいのか悪いのか…という思い。

結局のところ、国の言いたいことは「自分のケツは自分で拭け」「人間最後は自分だけ」、そういう事を再確認させられた。あ、あと「税金はビタ一文まけないからな」も。
だから自分は自分で頑張る、時々助けてくれる人たちに心から感謝をし、その人たちのために何とか歯を食いしばって生きていこうと思ってきたし、今もそうだ。ただそう思っても健康じゃないのが残念だし、年々頑張って「生きること」の意味がよく解らなくなりつつあって、そんな時にこうしたセルフネグレクトの事例を見ると「解るなあ」と思ってしまうのも事実。

我が国では消費税を上げて、いったい何に使ってくれるんだろうねえ。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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