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2012-10-07(Sun)

古川町商店街

2012年10月07日(日)
商店街はいいなあ。
うちの近所、自転車で5分ちょっとで行ける古川町商店街は、ときどきメディアにも取り上げられる割合有名な場所だ。でも近年はすっかり「寂れてしまった」と、往年を知る人は口々に言う。
最初に見たのはテレビでもガイドブックでもなく、数年前、まだ生きていた連れ合いと一緒に市バスに乗って三条通りを通った時だったか。ちょうど、北側の入口のところでバスが止まったのだった。一番後ろに座っていた俺は連れ合いをつついて
「ねえねえ、良さげ(良さそう)な商店街があるね」と指差した。連れ合いも顔を向けて
「ああ~いいわねえ、懐かしい感じ」と眼を細めていた。
その後「今度フラッと来てみようか」みたいな会話をしたと思う。何の帰りだったか、京都市美術館だったかな。よく晴れた冬の日だったような気がする。
その時はすぐバスが発車したし、商店街はまっすぐな道が続いているのではなく、うねっていたので、奥までよく見えなかった。
地図オタクでもあった俺はその後、場所の確認がてら調べてみたら、昔は「東の錦」と呼ばれるほどの賑わいだったという。「錦」とはもちろん、四条の一本北にある錦市場のことだ。あちらは今ではすっかり観光客の定番訪問地となって、活気に溢れている。
古川町の方は、結局その後夫婦で訪れたことは無かった。
というより、そのバスの車中から見た直後に、連れ合いは突然亡くなってしまったから。
俺は一年間引きこもり泣き暮らしたわけで、夫婦で京都に越してからの観光名所全てを行き倒すという勢いだった暮らしが、すっかり反転してしまった。
ささっと近くの店でいるものだけを買い、買い物を楽しむなどということは無かったし、どこもかしこも二人で出かけたところ、見たところ、行った場所ばかりで辛かった。人ともなるべく会いたくなかったし、話もしたくなかった。あのままだと鬱になり、死んでいたかも知れない。

今年の春で、その連れ合いが亡くなってもうまる三年が過ぎた。
俺のワガママ、エゴで「一緒に暮らした思い出の部屋を出たくない」という一心で、無理を続けた挙げ句、何度かひどい病気・入院・手術などを経て、とうとう仕事が減って生活が立ちゆかなくなった。ここで死んでてもおかしくはないと思う。
しかしもう、一人でちゃんと生きて行かねば。思い出や過去に縛られて後ろ向きになっていては、病気にも良くない。きっとそういう事だろう、いや、そう気持ちの整理がつけられるまでに三年かかったという事。
そして、5月にようやく今のところに引越が出来た。
色んな人に迷惑をかけたし、助けていただいた。

この辺はいいところだ。
夫婦で来た事もあまりなくて、ということはつまり、二人の思い出がない分、寂しさがこみ上げることも少ない。寂しいのは一生消えないし、虚しさも悲しさも一生抱えて行くんだろうけど、それを紛らわせる余裕が、少しだけ生まれてきた。そして思い出したのが、古川町商店街だというわけ。
買い物なら、もっと近い距離にスーパーもコンビニもある。
でもようやく買い物を「楽しむ」余裕が出たんだから、商店街へ行ってみよう…と思って一度出かけてから、何度も通うようになった。
もうシャッターが降りっぱなしの店も多いし、町屋の再利用で旅館になったり、綺麗に「リフォーム」された店もあるし、何より「活気」があるとは言えない商店街になってしまった古川町。

先日明青さんでお昼をいただいた時、祗園で修行をしていたご主人から、
「あそこはいいでさぁねえ」と、話を伺った。旦那さんは(おかあさんもだが)関東のご出身なので、俺と話す時はなぜだか江戸弁のような言葉になる。俺は東京で四半世紀過ごして京都に来て、五年くらいで越前・若狭方面と滋賀弁と京都弁などが入り交じった、おかしなエセ関西弁になりつつある。どうでもいいが、地元の人にすればおかしな光景だろう。
旦那さんは仕事をしながら、修業時代に親方や知り合いから聞いた往年の古川町商店街の話をしてくれる。
昔はどこどこに燃料屋があって、冬場は儲かって儲かってお札をみかん箱に放り込んで足で踏みながら商売してたとか、暮れなんかは人波でびっしりとあの細い道が埋まり、すれ違うのもやっとだった…とか。
何となく元都民としては、年末のアメ横の喧噪を思い出した。確かに、今の古川町からは想像もつかない。

ただ、今の古川町商店街は、昼下がりの気怠い時間にゆっくり自転車を漕いで訪れ、自転車を押しながら左右をゆっくり見ながら時々買い物をする、病人には本当にちょうどいい空間。

八百屋で形は悪いが、大振りで色の濃い、うまそうなトマトを売っていた。
湯むきして自作の和風ドレッシングで和えて食う、うまい。
tomato.jpg

安部さんがカツカレーを食ったのが高いだの安いだの喧しい時に、思わず肉屋でとんかつ用ロース肉を買った。
ケースにあった肉をチラっと見て、お姉さんは色が悪いと判断してか、わざわざ冷蔵庫から塊を出してきて、俺の注文した一枚190円の肉三枚を切り出してくれた。
一枚はソテーにしてすぐ食べた。何というか旨みに溢れて、スーパーでこんな美味しい肉に出逢った試しがないというくらい。
残り二枚は冷凍し、数日後にとんかつを揚げたが、これまたすこぶる美味。
tonkatsu.jpg

三条へ抜ける手前には有名な鶏肉専門店がある。
ここのおばちゃんは有名らしくて、テレビなんかが入ると必ず取り上げられるそうだ。
俺はここの「焼き鳥」のファンで、一本90円の串をいつも5~6本買い、家で塩を振って焼いて食うのが溜まらない。
解りにくいかも知れないけど、もも肉とササミとかちゃんとネギを挟んで分けてあり、違った食感が楽しめる。これは、すさまじくうまい。そして男の手指を拡げたところと比較して欲しいのだが、一本が大きい。お得。
yakitori.jpg
ここの鶏肉は(大きな声では言えないがササミが生=刺身で食えるほど)鮮度がいい。旦那さんがよく鶏をさばいているのを見ることが出来るし、ついでに言うとご夫婦で暇な時間に仲良くぶどうを食べていたりもした。
俺がフラッと行く昼下がりにはまだ焼き鳥串を作っていない事もあり、最初に顔を出して「6本」とかお願いして、端までゆっくり買い物してから戻ってきて、受け取るということもある。

…先日はここのおばちゃんのおすすめ肉でクリームシチューも作った。
出来上がってから少し寝かせた後の、うま味の出たシチューときたらこれはもう…天国である。
creams.jpg

他にも、台所の収納扉に袋をひっかけるフックを見ていたら、突然に「今日はアレやな、雨降る言うてたけどどやろねえ」とか話しかけて来るおかんのいる雑貨屋さんとか、「ずいき」の煮物を見て思わず二度見しつつ「ずいきください!」と言ったら笑いながら「お好きなんやねえ」と包んでくれたおばちゃんの総菜屋とか、「いるものを買う」だけではなく「買い物という行為そのもの」がコミュニケーションで、それも込みで楽しい、それが商店街。
でも、東京都板橋区民時代、比較的長く通っていたのは志村坂上の「しむらん通り」とか「大山ハッピーロード」だったが、あんまりこういうコミュニケーションは無かったと思う。何年、いや四半世紀も住んでたのに。

とか何とか言ってますが、やりくり上手な奥様のごとく、どこにでもあってスーパーや別なところで買った方が安いとか、そういうものはまとめてスーパー行ったりもしてます。何しろ給食もとい求職中だし。

これまで色んな人に助けられてきた人生。
母子家庭で曾祖母に可愛がってもらい、上京するまでは家に家政婦さんが居た。もちろんその費用はお袋が出していたのだし、仕送りもしてもらった。
純粋な「一人暮らし」は2年無かったと思う。上京したのが84年の早春。86年夏には、俺はもう団地で連れ合い…三津子=やまだ紫と「四人と三匹」の家族になっていた。
俺が勤める青林堂、「ガロ」の給料は安くて、給料8万で家賃が5万、仕送りを時々貰っていると話したら、連れ合いは「働いてるのにダメだよ!」と言って、すぐ実家に電話して断れと叱られた。

それからずっと、助け合いながら生きて来て、その彼女が亡くなってもう3年。
今年いっぱいで長く続いてきた、生活の根幹だった仕事が無くなると聞いた時、思わず連れ合いの写真に手を合わせた。
「助けて」と祈りかけて、やめた。あれだけ助けてもらったのに、死んだ後も助けを請うとは、俺は畜生道に堕ちる。

この人生で一番辛い「一人暮らし」でも、「知り合いのデザイン事務所に声をかけてみます」と言ってくれた人、「お客さんに聞いてみるし」と言ってくれる明青のおかあさんなど、色んな人にまた助けられて何とか生きている。
祈ってはいけない。動かなければ、助けも来ない。自分で動かなければ。
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Re: ご無沙汰しています

Tさん(コメント非公開だったので匿名にしました)ご無沙汰してます。
お元気でしょうか。
なんか食べ物ばかりで呑気な暮らしみたいですが(笑)、twitterをやめて
facebookにアップしてWEBの方には掲載してなかったのでまとめて
載せてみました。

暖かいお言葉とお気遣いだけで、こちらも気持ちが楽になります。
本当は大変な状況だと自分でも認識してるんですが。
健康だったら何でもやるんですけどね、この年齢でこの病気での仕事
探しは「無理ゲー」というヤツです。それでも何とか毎日、あれこれ
自分なりに努力をしてるんですが、精神の弱い人なら折れてるでしょう
ね…。
自分もいつまで持つか(精神の方が)解らないですが、とにかくやる
だけやる、探してみるだけ探して、頼れる人には頼りたいと思います。
Tさんもご自愛ください!

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Re: はじめまして

Fさん、コメントありがとうございます。(非公開につき、匿名で失礼します)
同じようなご経験をされ、同じような諦観と同じような喪失感を、そして今でも
同じ悲しみを共有されている、そう勝手に思います。
自分の経験も、これまで相当に壮絶で、波乱に満ち、そして今は相当に困難かつ
不幸だとは思いますが、「弱い人なら何回か死んでる」というのは不遜かも知れ
ませんね。
自分は強いと言っているようなものですから。
もちろん、カラ元気ですけどね(笑)。
また遊びに来てください。

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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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