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2012-10-27(Sat)

編集稼業

2012年10月27日(土)
因果な商売だと思う反面、こんな面白い仕事もないと思い四半世紀以上になる。
もともと漫画家…つまり編集が作品を貰う側の人間、ものを生み出す側の人間になりたいと志した。まあ、中二病みたいなもんである。自分は人と違う、いやさ違いたい、いやもう違うに違いない。かように何言ってるのか自分でもたぶんよく解ってなかったはず。

小学生時代は神童・天才と呼ばれ、中学に入るとそこそこで、高校で完全に普通の人になった。
普通の人が歩む平凡な思春期だったと思う。
でもそこから先、自分の偏差値で入れるそこそこの大学へ行くことより、もっと面白い道があるような気がしてならず、それが、「ガロ」編集長で俺の師匠、長井勝一さんが教えているという専門学校だった。
そうして在学中からバイトを始め、もう気がつけば四半世紀以上が経過している。
先日京都で同年齢の同じ業界の方とお話をさせていただき、自分は「青林堂大学ガロ学部中退、みたいなものです」と言ったら、その方は(素晴らしい学歴をお持ちである)「いや、でもそれは素晴らしいですよ、普通の大学生活に比べたら、本当に多彩な才能ある人たちに会えるわけですから」と言って下さった。優しい方です。

改めて思うのはやっぱり、自分にはものを生み出す才能はないということ。
それでも、その才能ある人たちの傍でそれを世に出すお手伝いがしたかった。それが、編集の役目だと今でも思っている。だから個人の下らない価値基準(好き・嫌い)で仕事を動かしたことはただの一度もないと自負している。だって俺ごときの感性で「好き・嫌い」の判断をされ、それによって取捨選択されるってことは、どんだけ俺は俺様なんだよ、ということだろう。
だったらお前が作家になれアホ。
…と、よく編集を志す学生さんや編集の卵に言ってきた。
作家的な感性を持ち鋭い批評眼を持つことは大切だし重要かも知らんが、俺にそんなものはない。
感情ではなくあくまで理詰めで、
「この人の場合はこれこれこういうところに気をつければ、もっと世の中に出やすくなるのではないか」
「この人は自分が思うことをもっとうまく、こうすれば表現出来るのではないか」
みたいな事を考えるのが好きだ。
「なぜ?」と問われたら、その根拠を答えられないようでは編集者の意見とは見なされない。
「なんとなく」とか「勘」(ただし経験に裏打ちされた)も大事だけど、その責任はお前が取れるのか、ということ。
作家に責任を押しつけるような編集は屑であり、最低である。
だからやっぱり自分の場合、「無」から「作品」を生み出す人ではなく、その生み出される過程や、生み出してみちゃった的なものをどうしたらいいのか、という時に傍にいて助言を求められれば無い知恵を絞る、そういう人でありたいとずっと思って来た。

なので、聞かれたり頼りにされればともかく、自分から出しゃばって「こうしろああしろ」は言わないし、ましてや「俺の言う通りにすれば売れる」とか、傲慢不遜の極みだと思う。だったらお前が矢面に立て、作家になれ、そうして世の中の毀誉褒貶全てを自分で受け止めろ。その時にいいとこ取りだけをしたり、批判がくれば作家のせいにしてコソコソ身を隠す、都合のいい時だけ「編集は裏方」とか抜かすなと思います。具体例は、別にありません。

自分の場合は「作家側に立とう」という中二病は、幸いにして「ガロ」編集部でバイトを始めて、すぐに治癒した。
寛解ではない。完治、全快である。再発もしていない。
つまり今でもそんな大それた事など微塵も考えていない。

編集者ってなんだとか、編集論みたいなものは色んな編集さんが書いたり喋ったりしているので、まあそれらはその人にとって正しいのであって、俺の言ってることも俺にとっての正しい道なので、別に他人に強制はしない。
でも、作家にもなれないくせに、自分の好き・嫌いでものを判断するな、評価するな、したいなら編集者を辞めてただの一般の客になればいいと思う。仕事以外の趣味で金払った「消費者」なら好き/嫌いでいい。存分にどうぞ、と思う。仕事にそれを持ち込むなということ。

「ガロ」編集部に入ってからのことは色々な人に話したし書いたりもしてきているのでアレだけど、要するに普通の雑誌じゃなかったので(色んな意味で)、まあ凄い人の生原稿、原画を普通に見られるわけで。
印刷ではモノクロ二値になってしまう平板な画面も、原画を見れば筆致や濃淡、力がどこで入り、抜けているか、息づかいが伝わってくるようだ。
カラー画稿なんか、生で見たら手が震えますよ。
残念ながら、デジタルで取り込みデータ化する過程でいくら解像度が上がりハードのスペックも信じられないほど向上しストレージの容量がどれだけ多くなっても、それでも、生原稿の「あの感じ」は絶対に再現できない。
もちろんデジタル否定でも礼賛でもない、ここ十数年の信じられないくらいのデジタル化の波の中で仕事をして、実際に見て経験してきたからこそ、そう思う。便利な部分は積極的に取り入れ、その分をクオリティの向上や、作家さんへのフォローなど、有効に活用すればいい。でも忘れてはいけないマインドがある。
現場とはそういうものだろう。

紙の本がやっぱり好きだ。
これは一生ものだ、いい本に出会えた、そんな時は「ああ、いい本だなあ」と手に持ち、胸に抱き、棚にそっと収めて時おり意味もなく背をなでたりする。そうした感触を楽しみたい。それも含めての、本、作品への愛着ってあると思う。
これは、フェティシズムである。
繰り返すがデジタル・電子書籍否定では全然ない。すぐそういう1/0に持ち込む人が多いのは困る。とにかく、そういった感覚は大事で失いたくないし、失われて欲しくない。
でも、それを作る現場はどうかと言えば、フルデジタル化の波が進み、その分効率も大幅にアップしているのは事実なのだ。

例えば自分は今クラウドでデータを共有し、スケジュールを摺り合わせ、ネットでリサーチしアポを取ったり取材の下準備をしたりしている。
縁あって、有り難いことに病身ながらマイペースで編集者として使って下さる方が見つかった。

これは正直を言えば、奇跡だと思う。
時々「どう、お体の方は大丈夫ですか?」と電話して下さる詩人の井坂洋子さんとお話をしていて「こういう流れでまた編集者として働けることになりました」と話すと、
「それは…奇跡ね。紫さん、上からずいぶん探したんでしょうね」とのこと。
二人とも、そういう話が普通にできるようになった。いや、少なくとも自分は三年半が経ち、穏やかに彼女を想いだし、感じることが出来るようになった。これこそが遍在、真のクラウドである。
井坂洋子さんはいつも我々が電話で話している際、近くに紫さんの気配を感じるという。
俺もそう思う。
こちらも「そうですね、ちょっと確率的にもあり得ない符合、一致というか『ご縁』が重なって、奇跡としかいいようがないと自分でも思います」と話す。
自分は浅学非才の一編集者であり、これからもそうやって死ぬまで生きるのだ。

それにしても編集者というものは、昔なら、それこそ世の中がバブル期だろうが何だろうが(まあ一部のエリートと言われる大手を除けば)古本屋街を走り回ったり図書館に通ったり、人と会い、話し、駆けずり回り汗まみれ泥まみれになってナンボという仕事だった。本当ですよ、編集者なんて決してホワイトカラーじゃなかった。
それも近年はずいぶん「楽」になった。
デジタル化というかマルチメディア(死語)やIT革命(死語)などを経て、今の現場はかなり効率的にネットやPCを使えるようになっている。本当、MS-DOS画面やらNifty-serveやらモデムのピーガーとかね、昔は本の付録にフロッピーついてたり、目まぐるしい「進化」にヒイヒイ言いながらついてきた感じだ。
気がつけばPC歴も遅い部類だと思っていたら20年くらいになり、インターネットも15~16年くらい。それ以前と、この間のすさまじいIT革命(死語)の連続の果てにある「今」を比べたら、本当に現場は大きく変わっている。
もちろん、いいところも悪いところも含めて。

とにかくこうして東京から離れて5年半、病を得た自分がまさに、そうしたテクノロジーの恩恵に預かってきたわけでもある。

ただこの楽になる「前」の時代を知らないと、今の時代の、この「楽さ」に気がつかないかも知れない。それが当然、当たり前だと思っている人たちも多いだろう。電話を何本もかけてあちこちに連絡をして…も大変だが、昔はそれ以前に、机に居ながら仕事が出来るわけもなかったので。
でも、だからといって「昔はねえ…」「今どきの若いもんは…」みたいな知った風なことを言う、横町のうるさ型みたいなジジイにはなりたくない。
だって若い人に「若い」という事をまるで罪みたいに思わせるなんて、上の世代が絶対にしちゃいけない事。
かつて俺が若いころ、ただ「若い」ってだけで他に論理的根拠・理由もなしに小馬鹿にされた事、その数々の現場、相手を今も忘れていない。
悔しかった。
それをバネにしたという「いい面」はあるだろうが、相手の方は明らかにそんなこと考えてバカにしたわけではなかった。単に年齢が若いだけでバカ呼ばわりし、鼻で嗤っていた、あの醜い顔貌を忘れることはない。それを糧にしたのは、他ならぬ自分自身。

そう考えると、キャリアを鼻にかけたり年齢が上だとか下だとかいうだけの理由(長幼の序とは別の問題で)で偉ぶったり高みに立つ醜い先輩、老人(笑)にはなるまい…と固く心に決心している。人にやられて嫌だったことを、人にはしたくないよ。同じ次元に落ちることで、もうそいつを批判できなくなるじゃないか。
悔しい気持ちを笑顔に変えて生きて来たことも、この因果な病気の元…例えばストレスの蓄積になったかもなあ。
でもそれもこれも自分が好きで選んだ道だし、病気になる人もならない人もいるし、考えたって病気は治らないし、これはこれで立派な自分の今の姿なのだ。嗚呼。

そう思うに、心から、自分に対して若い頃から今でも変わらず接してくださっている諸先輩がたの人格・品格に心から敬服する。
そう、自分もありたい。
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コメント

うれしいです

白血病を患われながらも編集の現場に戻られた。涙が出ました。
どうか、ご無理をなさらず、くれぐれも。

ありがとう!

いつもどうもです。
こちらこそ病気の前からこちらの知らない情報をいただいたり、励ましていただいたり。
そちらが病気をされた際には何もお力になれず不義理をして。
お互い頑張りましょう、病人が生きるには辛すぎる世の中ですが、それでも、こうしていい事もあります。生きていればこそ。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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