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2005-10-31(Mon)

癌治療とか免疫とか検診とか

10月31日(月)
朝は携帯の目覚ましで7時半に起きてすぐに洗顔、検温、血圧測定などいつものようにこなす。定期健診の日なので、外出の支度をして8時過ぎに家を出た。
最近はもちろんマスクをしてとはいえ、駅前へゆっくり連れ合いと用足しに出たり、バスやタクシーに乗って買い物に出歩いたりするようになった。病気は治ったわけではなく、ひょっとしたら少〜しずつ進行中かも知れない。だが病人病人しているのは自分でも嫌だし、連れも傍にいて気が滅入るだけだろう。自己免疫力の回復にも良くない。


ところで免疫ということでいうと、先日母親が送ってくれた本の中で一気に読んでしまった本がこれ。
がん治療総決算

文藝春秋

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この本の著者はあの「患者よ、がんと闘うな」の著者で、現役の慶応大学病院の講師(これだけボロカスに日本の癌治療の実態を書けば教授にはなれないのかも)。今の日本の医学会において、固形癌に関しては、とにかく腫瘍本体も含めてごっそり臓器を取り、当り前のようにリンパ節郭清を行い、抗癌剤をじゃぶじゃぶと患者に使いたがる。初発時のほとんどの癌は治療の必要さえないものであり、医者が過剰な「治療」を施すことで患者のQOLが著しく貶められているだけでなく、命さえ縮められていると言い切る。「無治療・様子見」がもっとあっていいと言うのだ。ただ、この人には当然毀誉褒貶が激しい。もちろん現代医学の臨床に携わる医師や学者からは当然激しい反発も多く、「放置したら死んだぞ」という抗議もある。当然だと思う。
ただ、全ての「癌」が「患者の命を必ず奪う絶対悪であり、ただちに取り去るべきもの」という「医学の常識」に一石を投じたことは確かだろう。ただ、むろんたくさんの臨床例を見、体験してきた現場の医師たちの行為を全て否定するというエキセントリックな手法はやはり反発を呼ぶだろうとは思う。その上であえて思うことは、こうした、ある種露悪的とも言える言説(たとえば病室から夜逃げしろ、とか)をオーバーにブチ上げることで、それらに付帯する・あるいは背景にあることも含めた問題の本質に世間の耳目を集めるという「アジテーター」の役割を負う人は、必要なのではないか。現実にこれらの本・言説によって、何も考えずにマニュアル通りに治療をしていた医師たち、治療を施されていた患者やその家族に、様々な「思慮」と「自覚」が生じたと思うからだ。

その中でも、これもまたベストセラーになった「免疫革命」の著者である安保 徹氏監修によるこの本は、もう少し現代医療と免疫療法の融合を目指し、手術・科学療法(抗癌剤)・放射線のいわゆる三大療法と、その他の治療法との共存に期待させる内容。しかも臨床のデータもきちんとサンプルはあくまで自分のクリニックでの数なので多くはないものの、公開している。その上で、現代医学の問題点を近藤氏に賛同し指摘・確認をしながらも、三大療法を真っ向から全否定することに疑問も呈してもいる。バランスが取れていると思う。
免疫革命・実践編

講談社インターナショナル

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先の「がん治療総決算」では、さまざまな「第四の療法」についても、細かく検証しており、そこは実に興味深く、面白かった。
さまざまな自然食やキノコだのロイヤルゼリーだのポリフェノールだの、自己免疫力を高める「第四の治療法」は、そのほとんどがいかがわしい商売の論理にガッチリと組み込まれたものが多く、何を信用していいのか解らないというのが患者側の現実だと思う。実際俺のお袋は俺が癌になってからというものの、やれ誰それさんは何とか酵素を飲んでたら癌が消滅した、誰それさんは有機ゲルマニウムがいいと言っていた、これは誰それさんが偉いなんとか先生から勧められて商売抜きで譲ってもらった薬だから飲みなさい、みたいな感じで奔走している。
癌にかかった人は、ほとんどの人が「がん告知」を受けた時点でイコール「死刑宣告」と考えるという。俺はもちろん当初余命宣告を受けた時ショックでなかったかと言われればもちろんショックを受けた。平静を装おうとしても足が震えた。だがそこから先は、自分で自分の病気を知ること、情報を徹底的に調べ、聞き、咀嚼して「癌である自分」も一つの情報として自分の中に取り込んでしまうことだと思う。どうしたら死なずに済むか、というよりどうすれば生きられるか。ではどう生きるのか。より良く生きるためにはどうするべきか。これらを考え、調べ、ましてや実践し、となれば、とてもガックシと落ち込んで日々ため息をついて涙を流しているわけには行かないのではないか。

俺の場合は固形癌ではないので、抗癌剤が効く病気である。そのことは近藤氏の著書では(専門外だからだろうか)ほとんど触れられておらず、「免疫革命・実践編」でははっきりと書かれていた。俺の病気は当初暫定的に診断された予後の悪いタイプの癌ではなく、虫歯のおかげ(?)で抗癌剤投与が遅れ、その間の細胞の所見で当初の診断そのものに疑問が生じ、さらにその後の経過から診断ともども治療そのものが見送られて今に至る。このことは果たして不運なのか幸運なのか、現段階では全く解らない。「解らない」ということが患者を不安にさせるのだと思うのだが、それに気づいている自分がまさしくその状態に置かれているということに、不条理な思いをしている。


さて検診だが、17号は晦日の月曜で混んでるだろうなと思い、迷った挙句きびすを返して東武練馬行きのバスに乗る。採血予約は9時、診察予約は11時15分。もう8時を過ぎており、このままいつもの池袋行きのバスに乗った場合確実に座れないし、渋滞にはまれば病院まで1時間以上かかる。タクシーに乗ったところで道が混んでいれば同じことだからだ。
高島平までバスで10分弱、そこから地下鉄で板橋本町まで行き、駅からエッチラ地上に上がってバス停へ行くと日大行きバスまで15分も時間があったので、脱力。結局そこからタクシーで病院へ。内科受付から採血受付へ行くと9時15分くらいだった。疲れた分マイナスだったかも知れない。
採血は2、3分待ってすぐに呼ばれ、2本血を採られた。今日は最初のブスリ、以外は痛くなかった。これから11時15分の外来検診まで時間があるので、1階にあるいつものテーブル付きソファのある一角へ行き、窓際の明るい椅子をキープして、販売機でコーラを買って座り、じっくり週刊誌を読む。11時5分前に外来へ入っていくと4番の前の椅子が珍しく空いていたので、座って待つ。11時5分くらいに4番から主治医のU先生の声で前の患者が呼ばれたが誰も入らず、じゃあ飛ばしてすぐ俺かと思っていたがなかなか呼ばれない。結局本来の15分になって呼ばれたので診察室に入った。
この日の採血の結果はWBCが1200と、過去最低レベルだった。それより腫瘍量が増加すると数値が上がるLDHが、相変わらず正常値より高めだった。その後の触診であちこちのリンパ節の腫れを確認してもらうが、相変わらずという感じ。ただ、前回脾臓と肝臓の大きさを把握しておきましょうということで超音波をやったわけだが、余りに大きすぎてちゃんと把握できなかったとのこと。なので、CTを来週改めて撮りましょうということになる。来週の火曜日の午後、造影剤ナシの単純CTの予約を取ってもらう。超音波の際に言われた胆石については、石が胆道を詰まらせたり痛みが強くなったりしなければ、まあ様子を見るということで、これはよくあることだとのこと。
あとやはりこれから風邪の季節だし、前の患者さんでもけっこうゴホゴホやってた人がいるので、帰ったらよくうがいをしておいてください、と言われる。「やっぱり風邪引くと重くなりやすいということなんですよね」と言うと、「そうですね、肺炎になりやすかったりと、重症化しやすい状態なので、とにかく注意してください。肺炎になったり、風邪が重くなると、結局ウィルスに白血球が向かって行かなきゃならなくなりますから、その分血液の数値も悪くなるでしょうし、そうなると元の病気への影響も出るかも知れないし、白血球数がただでさえ低いのがさらに低くなって他の感染症の心配も出ますからね」とのこと。うううむ、弱い、弱いぞ今の俺。

そういうわけで、また2週間後に外来ということになって、15分ほどで診察室を出た。その後CTの検査の説明をいつもの検査説明カウンタで受けてから、地下の会計受付をする。会計はこないだの超音波の時にうっかり忘れて帰ったので、自動支払機では受付拒否されてしまい、カウンタで併せて済ませた。その後連れに電話するとお昼は買ってあるけどお腹空いてるんだったら何か食べてくればというので、池袋行きのバスに乗る。池袋で降りて銀行で金下ろして、ビックカメラに寄って携帯の液晶保護シールを買い、何食おうかとウロウロした挙句、前に打ち合わせで入った喫茶店に上がり、サンドイッチと珈琲で済ます。その後地下道を通って反対口に出て、ビックカメラの5階に上がっていろいろ見る。ソフトもハードもちょっと目を離すと物凄い進化をしているなあ、なんて思いつつ順番に階段で4階、3階…と各フロアを見て周り、1階に戻ったらもう腹が痛くなってきた。しまった、俺は病人だった。
疲れたので地下街に入って西武をチラと見て東武の地下まで歩き、二人の夕飯用に弁当を買って、帰宅3時近く。その後は仕事のデータが来ていたので、その更新作業など。今日は腹が張る。かなり歩いたせいだろうか。調子に乗ってビックカメラ店内にもずっといたしなあ。やれやれ、やはりまだリハビリが必要だ。
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コメント

このところ

いろいろあってご無沙汰してました。浮世に戻るといろいろ大変ですな。
大変といえば本田美奈子さんが亡くなられたそうです。急性骨髄性白血病というと、治療プロトコルもほぼ確立され、「治る癌」という認識をされていた病気ですが、抗癌剤治療を数クール、そして臍帯(さいたい)血移植まで成功された後での再発・急死ということに驚いています。何だか人事とは思えず、思わずご冥福をお祈りしてしまいました。

>コバヤシさん
このまま自然寛解に…という虫のいい希望は持っているものの、治療の側はたぶん誰も「そんなことはあり得ない」と思ってるのかも知れません。実際この病気について知れば知るほど、「死」と隣り合わせのものであるという認識が強くなります。
それでも余命が10ヶ月からひょっとしたら数年に延びた、そう思うだけで有難く思ってます。その間に特効薬でも開発され、治療が認可されればいいんですが(笑)…

>natunohi69さん
帯津先生の言われる養生法、すごく当り前で自然で、否定するところは全くないです。その意味で免疫革命などと通じるところも多々あると思います。
よく医師は「なるべくストレスを受けないように云々」と簡単に言う人が多いみたいですが、生きていくことそれ自体がストレスみたいなものです。増してや大多数の人はストレスと引き換えに報酬を得て生活しているわけで、仕事を生きがいと言い聞かせてみたり、納得させたり、まあ割り切りとか妥協とかでもいいですが、そうやってストレスを受け流すようにして生きていくんでしょう。
問題は、どう受け流していくか、ストレスを、人間を癌や病気に追い込む重大な危険とまで強化させないようにすることなんでしょうか。
繊細な人は生き難く、大雑把で無神経な人が大手を振って生き易い、そんな世の中はごめんですが。

帯津先生の場合

帯津先生はトンデモな方かと思ったりもしたこともあったのですが、第一線の外科医でいらしたこともあったのですね。帯津先生と彼の書くガンについての本は、この10年来、いつも気になっております。
http://book.asahi.com/author/TKY200503170244.html" target=_blank>http://book.asahi.com/author/TKY200503170244.html

こんばんは。

ご無沙汰しておりました。
退院されてから、「白取さんはきっとこのまま病気を克服されて行かれるのだ。」と勝手に安心してしまいました。
病名の確定がなされず、よって治療も確定しないということはやはり不安なものだとお察しします。
それでも自宅でご家族と暮らせるということは何よりだったでしょう。いずれは何らかの治療が始まるというお覚悟もなされておられるご様子、それでもこのままの自然寛解が訪れんことをお祈り申し上げます。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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